土曜日, 5月 4, 2024
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新たな5品認証 つくばコレクション

【橋立多美】つくばエクスプレス(TX)つくば駅自由通路にある「つくば市物産館」と「つくばの良い品」に、新たな「つくばコレクション」が加わる。両店には、市内の物産品の中でも特に優れた物産品として市が認証した「つくばコレクション」が主に陳列されている。 つくばコレクションは、地域経済の活性化と同市のイメージアップにつなげることを目的に、2011年から始まった取り組み。材料や製造などの産地や安全性、品質に応じた買いやすい価格、オリジナリティ、パッケージデザインといった基準に適合した商品が認証される。 2017年度、新たに5品が認証されて合計26品目の食料加工品が「つくばコレクション」として認証を受けている。学識経験者やスーパーマーケットの商業者、観光業者などで構成される選定委員会が審査を行うが、今年度は消費者である市民たちが一部の審査を担い、その結果を前提に5品目が認証された。 「つくばコレクション」はTXつくば駅構内の2店の他、カスミの市内各店舗でも販売されている。 新たに加わった5品は以下の通り(写真はつくば市提供)。 ○男女川 TSUKUBA100プレミアム(製造・稲葉酒造) 米は筑波農場産の五百万石を用い、筑波山の湧き水で製造。圧力をかけずに一滴一滴自然の重みで落とす袋吊り製法で生まれた「雫酒」。4320円(税込み)。 ○七福来ギフトBOX(エコファーム飯島) 福来みかんを使った「七味とうがらし」と「筑波八ツ房とうがらし」、瀬戸内海で精製された厳選塩と七味とうがらしを調合した「塩七味」を詰め合せたギフトボックス。1280円(同)。 ○元祖つくば餃子(龍神) 材料から調味料まで、地元の農産物にこだわった手作りギョーザ。1080円(同)。 ○つくば豚無添加ボンレスハム(筑波ハム) 研究者の指導を受けて誕生した「つくば豚」を高い技術力で無添加で提供。無添加ハムは美味しくないという概念を覆す。4500~5500円(同)。 ○つくば大吟醸バターカステラ(コート・ダジュール) つくばの名酒「霧筑波」の大吟醸酒粕を練り込み、酒粕の香りが残るカステラ(アルコールは飛ばしている)。2160円(同)。        

《つくば道》3 百貨店は何処へ

【コラム・塚本一也】昨年、西武筑波店が閉店し、今年1 月末には隣接しているイオンつくば駅前店が閉店します。ここ数年、百貨店業界全体の売り上げが伸び悩んでおり、特に地方店舗の売上減少は著しく、近隣の柏そごうも閉店しました。 柏そごう閉店の原因につくばエクスプレス(TX)沿線のSCへの顧客流出も挙げられますが、西武筑波店はTXの拠点駅に構える店舗であり、TX開通後も売り上げが伸び悩んだ背景には別の原因があるのではないでしょうか。 しかも、つくば市はTX開通後の10年で人口が3万人以上も増えており、現在のつくば駅の1日乗客数は1万9千人ぐらいです。これはJR常磐線の土浦駅や南千住駅よりも3千人ほど多い数字です。TX沿線で西武筑波店は都内を除く唯一の百貨店にもかかわらず、そのメリットを生かし切れなかった原因はどこにあるのでしょうか。 まず、つくば駅は地下駅であるため近隣店舗への誘導は地下からのアプローチが有力です。しかし、TXが取り入れている先進的なユニバーサルデザイン(バリアフリーを広く一般的に適用した設計手法)の設備は改札を出たところでその仕様が途切れています。地上へのエスカレーターとエレベーターが備わる出口は5カ所のうちA3番出口のみです。ここは西武筑波店からも一般車両の乗降場からも遠いところです。 さらにTXの改札から百貨店までの距離が長いので、平面移動にも工夫を凝らさなければ鉄道利用者を帰宅前の買い物客として呼び込むことはできません。昨今の百貨店事業において集客力のある店舗は食料品店街、いわゆる「デパ地下」です。JR東日本が成功させたエキナカビジネスでは、駅構内にデパ地下を造るのではなく「デパ地下に駅を造る」という全く逆のコンセプトで駅構内を設計しています。 デパ地下で客を集め、収益力の高い婦人服で利益を上げるのが百貨店事業の基本と言われています。さらにテナントやショップも目玉となる店舗をどう配置するのかという、いわゆるテナントリーシングが重要な鍵になります。鉄道利用客の移動負担を構造的に解決し、百貨店本来の洗練された魅力ある空間と客を楽しませる店舗配置、そして何よりも百貨店ならではのハイセンスで高級感のある品ぞろえと質の高いサービスを客は求めているのです。 今後、どのような店舗が入居しようとも、TXが地下で接続している以上、つくば駅周辺の主要な建物は地下駅からのアプローチを考慮した設計にすべきであろうと思います。さらに駅周辺に回遊性を持たせ、楽しさを追求したハード面の整備を行うなど、抜本的な都市計画の見直しも必要になるのではないかと思います。つくば駅周辺の官舎跡地も含めて、将来を見据えた大規模な再開発に取り組む時期に差し掛かっているのではないでしょうか。(大曽根タクシー社長)

《つくば道》2 いつの頃から?

いつの頃からか、つくばの成人式は「荒れる成人式」としてマスコミが注目するような不名誉な称号をいただいてしまいました。今年の成人式では石井国土交通大臣の目の前で暴漢がSPに取り押さえられ、成人式が途中で中止になってしまったという暴挙がありました。私は33年前に成人式を迎えましたが、当時は旧6ケ町村単位で成人式を開催し、プチ同窓会として旧交を温めたように記憶しています。 都市化が進むと犯罪が増え、治安が悪くなる傾向があります。TXの開通以降、それまで地元の私たちが経験したこともないような多様な犯罪が増えているのも事実です。私の会社にも茨城県警だけでなく関東近県や愛知県の警察からも犯罪捜査への協力依頼が来るようになりました。この一連の事象を「仕方のないこと」として片づけてしまって本当にいいのでしょうか。 つくば市の本来のあるべき姿は「研究学園都市」です。いつの頃からか、こちらも「つくばらしさ」を失い東京近郊の住宅地となってしまいました。つくば市から撤退する研究機関やベンチャー企業は増えていますが、つくば市から世界へ飛び出す先端産業はいっこうに育っていません。人口は増えていますが、道路や学校などのインフラ整備に追われ、本来の筑波研究学園都市が取り組むべき課題を見失っているのです。つくば市誕生から30年が経過して、もう一度足元を見つめ直し、「つくばらしさ」とは何かを考え直さなければならない時期に来ているのではないでしょうか。 例えば犯罪の撲滅や治安の維持についても最新の技術を導入して、抑止したりスピーディーに解決したりすることはできないのでしょうか?また、研究所用地として確保した土地を住宅地として転用したために、渋滞などの新たな問題が発生しているところもあります。無人自動車などを活用した新しい公共交通機関を試験的に走らせるような取り組みはつくば市ではできないのでしょうか? このような社会問題を科学技術で解決することが、筑波研究学園都市に課せられたミッションであると思います。30年前の科学万博で感動した先端技術は、今日では私たちの日常生活に取り入れられています。あの時の想いをもう一度、思い出してはいかがでしょうか?(塚本一也)

《映画探偵団》1  映画で問題解決を図る

江戸川乱歩の少年探偵団シリーズは、第1作が『怪人二十面相』、第2作が『少年探偵団』で、小説からラジオドラマ、そして映画化もされ、私も夢中になった。その影響は現在も続いているようだ。「映画探偵団」なるチームを結成、活動しているからだ。 拠点は、「NEWSつくば」編集室がある筑波学院大内のフランス料理店「グルマン」。隔週土曜日の午前、『芸者文化史』を講義したあと、午後1時から3時まで会合を開く。団員は7名で、私はリーダー役をつとめる映画探偵だ。 活動といっても、お茶を飲み何の役にも立たない映画の話を交わすに過ぎない。例えば、石原裕次郎が大スタアとなった『嵐を呼ぶ男』(昭和32年)の併映作品(当時の映画館は2本立て)は『燃える肉体』だが、主演は五浦(北茨城市)出身の筑波久子で、大ヒットは彼女の功績大、といった話題。 翌年の主演作『狂った関係』では、生まれ故郷の大津港が舞台となり、彼女の実家五浦観光ホテルが映し出された。これは、まち興し地域映画のルーツと言えないか、など他愛のない話をしている。 映画探偵を自称する私の持論は3つある。①人生は1本の映画である②あらゆる問題解決のヒントは映画に隠されている③未来はすでに映画の中で予告されている―というものだ。 つくばセンター地区も 先日、団員から「つくばセンター地区」の話題が出された。TXの研究学園駅周辺と比べ、つくば駅のあるセンター地区の衰退が著しいというものだった。東西南北の大通りに囲まれた長方形のセンター地区にある駅周辺は、デパートの西武が撤退、オークラホテルとノバホールの間にあるセンタービルは空き店舗が多い。つまり活性化していない。 その証明として、つくば市都市計画部学園地区市街地振興室とか、つくばセンター地区活性化推進協議会なる組織が存在する。いろいろと工夫をこらしているようだが、いまひとつ成果が上がっていないようである。駅前ビルのBiViでは中心地区活性化のワークショップが開かれている。 「なんとかならないものでしょうかね」と、センター地区内のマンションに住む団員はつぶやいた。続けて「活推化のヒントとなる映画はないのですかね」と聞いてきた。私は「うーむ」と、よくシナリオに出てくるセリフを唸った。これは「あらゆる問題解決のヒントは映画に隠されている」という持論に対しての挑戦に等しい。 こういう時にはどう振る舞うか。『仁義なき戦い』(昭和48年)の山守親分(金子信男)の姿が思い浮かんだ。親分は責任を子分に押しつけるのである。「それでは今後、皆で、センター地区活推化案につながる映画をさがしましょう」と。今後は、役に立つ映画の話し合いの場になりそうだ。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(冠木新市) ▼12月の会合は2日と16日に開きます。 【かぶき・しんいち】脚本家、アートプロデューサー。TV映画フィルム編集助手を経て、映画監督市川崑に師事。1991年、角川映画15周年記念「天河伝説殺人事件」で脚本家デビュー。以後、ゲーム『ダークハンター』(コーエー)、映画『マヌケ先生』(大林宣彦総監督)、舞台『奥様は化け猫』(瀬川昌治演出)など。2008年から活動をつくばに移し、ラジオ『ロボットナース』、TV『サイコドン』、宴劇『桜川芸者学校』を制作。著書に『ゴジラ・デイズ』(集英社)、『映画「極道の妻たち」ノ美学』(近代映画社)など。福島県生まれ、つくば市在住。

《つくば道》1 「我田引鉄」に想う

つくばエスクスプレス(TX)の延伸について、様々な場面で話題に上ることが多くなりました。特に、最近の選挙においては東京駅への延伸よりも県内の延伸について言及する候補者が目立ちます。明確な目標を提示することができれば、県民を勇気づけ、地域活性化のカンフル剤にもなるため、茨城県が人気度ランキング最下位からワンランク上にステップアップするためにも必要不可欠であると思います。しかし、あまりにも荒唐無稽で現実離れしたプランは、かえって専門家や一般市民から「絵にかいた餅」という冷ややかな評価を受けることになります。 例えば延伸を議論する場合に技術的見地から言えば、在来線で130㎞運転を維持するための線形や設備の問題を考慮しなければなりません。また柿岡(石岡市)にある気象庁地磁気観測所に対して影響を与えるため、県南地域では直流電源の鉄道は運行が制限されてきました。そのためTXは高価な交直両用電源を採用していますが、常磐線は快速電車の土浦乗り入れがかなわず、民鉄の進出や電化にも大きな障害要因となってきました。このような条件を理解したうえで、公共交通の将来計画を立てることが一般社会の理解や共感へとつながるのではないかと思います。 近代の茨城県は、鹿島臨海工業地域開発、筑波研究学園都市建設、常陸那珂地区開発などの歴史に残る国家的プロジェクトを実現させてきました。また1980年には国際博覧会としては大阪万博、沖縄海洋博に次ぐ日本で3番目のつくば科学万博を成功させたという実績もあります。それぞれのプロジェクトには、国策として国家の繁栄に貢献するという明確な大義があり、それによって当該地域のみならず、県全体が一丸となり目標に向かって邁進(まいしん)し、関係行政庁の協力も得ることができたのです。 つまりTXの県内延伸を可能にするのは「我田引鉄」ではなく、誰もが納得する大義を確立することにあるのです。例えば、常陸那珂港開港に向けては「海の無い栃木・群馬に港を開く」という大義の下、北関東3県がスクラムを組んで難色を示す運輸省港湾局(当時)を説得したという過去の事例があります。 それに倣えば、TX延伸は常磐線のバイパス機能の付加という役割だけでなく、茨城空港への乗り入れを計画し、首都災害を想定した羽田・成田のバックアップ機関としての機能を主張すべきです。このプランは千葉県内の同一沿線である東葛地域にも多大なメリットをもたらすことになります。さらに震災の復旧以降、国策的な大型インフラプロジェクトの無い水戸・日立・いわきなどの浜通り地区に空港直結・都心への時間短縮という一筋の光明をもたらすのではないでしょうか。(塚本一也) 【つかもと・かずや】1965年つくば市生まれ。土浦一高卒、東北大学工学部卒、筑波大学大学院修了。一級建築士。大曽根タクシー(株)取締役社長。元JR東日本グループリーダー。茨城県ハイヤー・タクシー協会経営研究会会長、つくば市花畑自治会長。著書に「つくばエクスプレス最強のまちづくり」(創英社 三省堂書店)

コラムニスト紹介

坂本栄 《吾妻カガミ》 【さかもと・さかえ】土浦一高卒。1970年、一橋大社会学部卒、時事通信入社。ワシントン特派員、経済部長、解説委員などを経て、2003年退社。同年から10年間、旧常陽新聞新社社長-会長。現在、内外情勢調査会-茨城県南副支部長、茨城キリスト教大学経営学部講師、NPO法人NEWSつくば理事長。1946年生まれ、土浦市出身、同市在住。 先崎千尋 《邑から日本を見る》 【まっさき・ちひろ】慶應大経済学部卒。茨城大学人文学部市民共創教育研究センター客員研究員、一般財団法人総合科学研究機構特任研究員、環境自治体会議監査役、NPO法人有機農業推進協会顧問。現在、農業。主な著書は『農協のあり方を考える』(日本経済評論社、1982)、『よみがえれ農協』(全国協同出版、1991)など。元瓜連(うりずら)町長。1942年、瓜連町(現那珂市)生まれ。那珂市在住。 及川ひろみ 《宍塚の里山》 【おいかわ・ひろみ】東京都出身。神奈川県内の小学校教員を務める。1970年代につくば市転居後、「学園都市の自然と親しむ会」などのメンバーとして子連れで近隣の自然を散策。1987年に宍塚地区の開発計画を知り、里山を未来に伝える活動に取り組む。現在、認定NPO法人宍塚の自然と歴史の会理事長。 浅井和幸 《続・気軽にSOS》 【あさい・かずゆき】石岡一高卒。1991年科学技術庁無機材質研究所(総理府事務官)入庁。精神障害者福祉施設勤務を経て、2002年浅井心理相談室開業。NPO法人若年者社会参加支援普及協会アストリンク理事長。NPO法人青少年の自立を支える会シオン副理事長。NPO法人とらい理事。ボランティア活動「浅色の雲の会」主宰。 奥井登美子 《くずかごの唄》 【おくい・とみこ】東京薬科大卒。1958年、奥井薬局(土浦市)の奥井清氏(中外製薬勤務)と結婚、土浦に。薬剤師。1895年創業の老舗薬局を経営する傍ら、霞ケ浦の自然を守る活動などに参加。「水の時代をひらく」(KGP総合研究所)、「柳川堀割りから水を考える」(藤原書店)、「くずかごの唄」Ⅰ~Ⅷ(筑波書林)など、著書多数。加藤尚武京大名誉教授は実弟。1933年生まれ、杉並区出身。土浦市在住。 玉置晋 《食う寝る宇宙》 【たまおき・すすむ】東京理科大理工学部物理学科卒。茨城大学大学院理工学研究科地球生命環境科学専攻修了。現在、つくば市で宇宙開発の仕事に従事する傍ら、放送大学大学院生として二足のわらじを楽しむ。茨大理学部でも「宇宙天気防災」のテーマで研究中。1978年生まれ、水戸市双葉台出身、土浦市宍塚在住。 斉藤裕之 《続・平熱日記》 【さいとう・ひろゆき】東京芸術大学大学院後期博士課程満期退学、フランス政府給費制として滞仏。同大助手のあと、東京芸大講師などを勤めながら作家活動を続ける。1961年、山口県生まれ。牛久市在住。 堀越智也 《つくば法律日記》 【ほりこし・ともや】土浦一高校卒。法政大法学部卒。茨城県弁護士会所属「つくば中央法律事務所」代表弁護士。つくばコミュニティ放送株式会社代表取締役。離婚、相続、中小企業・ベンチャー企業、借金の問題、交通事故など民事全般、著作権、刑事事件を主な業務とする。筑波大アソシエイトプロフェッサー、スピードリーディングインストラクター。  1975年、東京都生まれ。つくば市在住。 オダギ秀 《写真だいすき》 【おだぎ・しゅう】本名は小田木秀一。早稲田大学政経学部卒。写真家。高度な技術に裏付けられたハートフルな写真に定評があり、県内写真界の指導的立場にある。専門はコマーシャルフォト全般およびエディトリアル。㈳日本写真家協会(JPS)会員、㈳日本広告写真家協会(APA)会員、土浦写真家協会会長。1944年、水戸市生まれ、土浦市在住。 高橋恵一 《ひょうたんの眼》 【たかはし・けいいち】土浦一高卒、中央大経済卒。茨城県庁に入り、知事公室長、生活環境部長などを歴任。この間、明野町(現筑西市)、土浦市に助役で出向。県庁退職後、オークラフロンティアホテルつくば社長(2006~11年)、JA茨城県厚生連理事長(11~16年)。現在NPO法人NEWSつくば理事。1946年、土浦市生まれ、同市在住。 冠木新市 《映画探偵団》 【かぶき・しんいち】脚本家、アートプロデューサー。TVや映画の編集助手を経て、映画監督市川崑に師事。角川映画「天河伝説殺人事件」で脚本家デビュー。映画『マヌケ先生』(大林宣彦総監督)、舞台『奥様は化け猫』(瀬川昌治演出)など。2008年、つくば市に移り、宴劇『桜川芸者学校』などを制作。著書に『ゴジラ・デイズ』(集英社)、『映画「極道の妻たち」ノ美学』(近代映画社)など。1951年、福島県生まれ、つくば市在住。 入沢弘子 《ポタリング日記》 【いりさわ・ひろこ】1969~76年、新聞記者だった父の転勤で土浦市に住まう。約30年の博報堂勤務のあと、つくば市任期付職員として広報を統括。その後、アルカス土浦の土浦市立図書館初代館長。国立研究開発法人・防災科学技術研究所調査役として勤務後、広報コンサルタントとして自治体などの広報アドバイスやセミナーを担当。1962年、福島県喜多方市生まれ。つくば市在住。 室生勝 《地域包括ケア》 掲載終了 【むろう・まさる】東京医大卒。1970年、東京医大霞ケ浦病院内科医長。76、年つくば市で室生内科医院開業(2006年閉院)。第2回Ciba地域医療賞(現ノルバティス地域医療賞)受賞。つくば市高齢者保健福祉推進会議委員。現在、高齢者サロン「ゆうゆう」を主宰。著書に「地域の中の在宅ケア」(医歯薬出版)、「僕はあきらめない-町医者の往診30年-」(那珂書房)など。1936年、京都府生まれ、つくば市在住。 中尾隆友 《茨城の創生を考える》 【なかお・たかとも】土浦一高卒、慶応大学文学部史学科卒。外資系金融機関、官公庁勤務を経て、現在、㈱アセットベストパートナーズ代表取締役。経営アドバイザーとして大企業・金融機関に助言・提案を行う。総合科学研究機構特任研究員。1970年、土浦市生まれ、つくば市在住。 川浪せつ子 《ご飯は世界を救う》 【かわなみ・せつこ】武蔵野美術短期大学デザイン科卒(テキスタイルデザイン専攻)。住宅部品会社デザイン室、(建物の外観や室内を立体的な絵にする)建築パース事務所を経て、現在、フリーの「建築パース」イラストレーター。イーアスつくば内「アイカルチャー」の「かんたん水彩イラスト」講師。つくばショートムービーコンペティション市民審査員。東京都練馬区出身。1982年、結婚によりつくば市に移り在住。 山口絹記 《ことばのおはなし》 【やまぐち・まさのり】脳動静脈奇形(AVM)による脳出血、失語、失行を経験する。リハビリと育児と仕事の傍ら、放送大学にて言語学と心理学を中心に学ぶ日々をおくる。1988年、神奈川県生まれ、東京都育ち。つくば市在住。 沼尻正芳 《制作ノート》 掲載終了 【ぬまじり・まさよし】水海道一高卒、武蔵野美術大学卒。千葉県公立中学校で教職に就き、茨城県公立小中学校長を退職後、つくばみらい市公民館長などを歴任。現在、一般社団法人・新極美術協会副理事長。1951年、茨城県生まれ、つくばみらい市在住。 浦本弘海 《法律かけこみ寺》 掲載終了 【うらもと・ひろみ】ペンネーム。会社勤務を経て弁護士に。会社在職中に法科大学院への進学を決意。苦節〇年、司法試験を突破(暗黒時代でした…)。企業経験を活かし、現在、企業や自治体の法務コンサルタント。両親が土浦市出身の縁で、土浦・つくばを中心に活動中。東京都出身。 沼澤篤 《霞ケ浦 折々の眺望》 掲載終了 【ぬまざわ・あつし】山形大理学部生物学科卒。東京大大学院修了、理学博士。医薬品会社研究員、自然公園職員などを経て、1989年より霞ケ浦の市民活動に参加。霞ケ浦情報センター主任研究員、茨城大学農学部非常勤講師、霞ケ浦環境科学センター嘱託職員などを歴任。現在、霞ヶ浦市民協会・研究顧問。1952年、山形県出身。土浦市在住。 広田文世 《沃野一望》 掲載終了 【ひろた・ふみよ】土浦一高、山梨大学工学部卒。1984年、㈱トータルシステムデザインを設立、社長に就任。2017年から会長。旧常陽新聞に『いばらき・里・山・みち』を掲載。『桜田門外雪解せず』で「茨城文学賞」受賞。『縁故節現世考』で「やまなし文学賞」受賞。『天狗壊滅』で「日本自費出版文化賞」特別賞受賞。1946年、土浦市生まれ、同市在住。 石井康之 《ON THE ROAD》 掲載終了 【いしい やすゆき】ファッションデザイナー、オブジェアーティスト。桑沢デザイン研究所卒。1987年、パルコオブジェ展で「やまもと寛斎賞」受賞。97年より、東京コレクションのほか、パリ、ミラノ、ニューヨークで作品を発表。東京デザイナーズウイークでオブジェ製作。建築雑誌で特集が組まれる。東京在住。 古家晴美 《県南の食生活》 【ふるいえ・はるみ】筑波大学第2学群比較文化学類卒、同大学院博士課程歴史人類学研究科単位取得満期退学。筑波学院大学経営情報学部教授。専門は民俗学・生活文化。神奈川県生まれ。 川上美智子 《令和楽学ラボ》 【かわかみ・みちこ】お茶の水女子大学大学院家政学研究科食物学専攻修了。1971~2016年、茨城キリスト教大学勤務(1982年から教授)。19年4月から、関彰商事㈱ライフサイエンス事業部・保育園開設準備室(つくば市)勤務。現在、保育園長。茨キリ大名誉教授、茨城県教育委員。著書に『茶の香り研究ノート-製造にみる多様性の視点から-』(光生館、 2000)、『茶の事典』(朝倉書店、2017)など。兵庫県出身、水戸市在住。 瀧田薫  《雑記録》 【たきた・かおる】土浦一高卒。慶応大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。茨城キリスト教学園に入り、短期大学長、茨キリ大教授、常務理事を歴任。2016年、定年退職。現在、同大兼任講師、名誉教授。中学2年のとき、V.フランクル著「夜と霧」に衝撃を受ける。当時の安保闘争・学生運動になじめず、その反動で「政治学」を志す。1947年、土浦市生まれ。同市在住。 小野村哲 《ライズ学園日記》 掲載終了 【おのむら・さとし】39歳で公立中学校を退職した後、つくば市内で不登校や学習につまずきがちな子どもたちのための「ライズ学園」を立ち上げる。県内外で、子育て・英語教育・LD(学習障害)などについて講演活動も行う。NPO法人「リヴォルヴ学校教育研究所」元理事長、つくば市教育委員。1960年、東京都板橋区生まれ。つくば市在住。 川端舞 《電動車いすから見た景色》 【かわばた・まい】生まれつき脳性麻痺という障害があり、電動車いすで生活している。2010年、筑波大学障害科学類への入学を機に、つくば市に引っ越し、介助者にサポートしてもらいながら、1人暮らしをしている。障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」で活動中。群馬県出身。つくば市在住。 霞ケ浦市民協会 《泳げる霞ケ浦へ》 掲載終了 【かすみがうら・しみんきょうかい】1995年の世界湖沼会議で採択された「霞ケ浦宣言」の理念を継承し、「霞ケ浦及び流域環境の浄化・保全及び創造をめざす市民活動を推進し、人と自然が共生できる快適で文化的な地域社会を構築する」ため、翌96年「社団法人霞ケ浦市民協会」として発足。2013年一般社団法人に。 相沢冬樹 《土着通信部》 【あいざわ・ふゆき】1953年土浦市生まれ。常陽新聞(旧社)に在籍もキャリアは1999年まで。辞めて18年も経つのに周囲も自分も記者扱い・記者気分が抜けない。この間地域政策コンサルタントを経て、現在は地元財団の発行する機関誌でパートタイム編集長を務める。記事はもっぱらブログ「重箱の隅に置けない」に書いている。http://fykai.blog.fc2.com/ 栗原亮 《郷土史あれこれ》 掲載終了 【くりはら・りょう】土浦一高卒、中央大経済卒。1976~2010年、霞ケ浦高で世界史と日本史を担当。「新治村史」「図説 土浦の歴史」「牛久市史」「八郷町史」の編纂に参画。旧常陽新聞で「江戸時代とは何か」を連載。著書に「忠臣蔵の真実」(常陽新聞新社、2012年)、「近世村落の成立と検地・入会地」(岩田書院、2013年)。土浦市出身・在住。71歳。 橋立多美 《猫と暮らせば》 掲載終了 【はしだて・たみ】1949年、長野県天龍村生まれ。84~96年、常陽リビング社勤務。退社後フリーライターとして活動しつつ、『茨城のホームヘルパー最前線』『ルポ消防団』など4冊を出版。2013年から常陽新聞記者。17年の休刊後はNPO法人NEWSつくばのデスク兼ライター。つくば市在住。69歳。 大島愼子 《世界に生きる》 掲載終了 【おおしま・ちかこ】米DePauw Univ.を経て、早稲田大学第一文学部卒。同大学院経営学修士。ルフトハンザドイツ航空客室乗務員、人事担当、広報室長を経て、2006年に筑波学院大学教授。12年から学長。筑波技術大学監事、日本広報学会理事、日本インターンシップ学会理事、日本国際観光学会前副会長、NPO法人Japan Now観光情報協会理事長。専門は航空政策・観光政策。著書に「ドイツおいしい物語」「飛翔へのロマン」(東京書籍)など。 吉田礼子 《食のエトセトラ》 【よしだ・れいこ】東北学院大文学部史学科卒。子どものころから母が料理する姿に触れ、料理の先生に憧れる。「台所は実験室」をモットーに独学。50歳を前に、全国料理学校協会所属の児玉久美子先生に師事。2008年、土浦市に吉田料理教室を開校。1953年、宮城県生まれ。土浦市在住。 塚本一也 《茨城鉄道物語》 【つかもと・かずや】土浦一高卒、東北大学工学部卒、筑波大学大学院修了。一級建築士。大曽根タクシー(株)取締役社長。元JR東日本グループリーダー。茨城県ハイヤー・タクシー協会経営研究会会長、つくば市花畑自治会長。県議。著書に「つくばエクスプレス最強のまちづくり」(創英社 三省堂書店)。1965年、つくば市生まれ。同市在住。 田口哲郎 《遊民通信》 【たぐち・てつろう】慶應大学大学院文学研究科仏文学専攻修士課程修了。専門は19世紀パリの遊歩者について。その後、家庭教師、派遣社員などを経て、四十路過ぎで2度目の大学生として東京大学文学部在学中。興味・関心は、神秘主義、スピリチュアル、宗教、高等遊民、鉄道模型。大阪・仙台育ち。牛久市在住。 岩松珠美 《介護教育の現場から》 掲載終了 【いわまつ・たまみ】同志社女子大学(栄養生化学)卒。女子栄養大学大学院修士課程修了。老年看護学、地域看護学に研究分野を拡げ、大学や専門学校で教育に携わる。精神保健福祉士、介護福祉士、看護師など。著書に「六訂栄養士・管理栄養士をめざす人の社会福祉」(みらい出版)。現在、つくばアジア福祉専門学校(土浦市)校長。1961年、長野県生まれ。土浦市在住。 鶴田真子美 《晴狗雨dog せいこううどく》 【つるた・まこみ】1990年、東京外語大イタリア語学科卒。同大学院博士前期課程修了後、後期課程単位を取得。日伊協会講師、東邦音楽大、慶応義塾大などの非常勤講師を歴任。2008年からNPO法人「動物愛護を考える茨城県民ネットワーク」理事長。茨城県の犬殺処分ゼロを目指し活動中。2021年、土浦市に「パルTNR動物福祉病院」を開設。神戸市生まれ。 山口京子 《ハチドリ暮らし》 【やまぐち きょうこ】2020年まで、いばらきコープ生活協同組合の「くらしの電話相談ダイヤル」相談員を15年務める。また組合員を対象にした「くらしの講座」講師として、生活設計、家計管理、年金、相続、遺言、終活、保険見直しなどのセミナーを企画。現在「社会保険労務士 やまと事務所」所属。ファイナンシャルプランナー、社会保険労務士、消費生活アドバイザー。1958年、栃木県生まれ。龍ケ崎市在住。 三浦一憲 《塞翁が馬》 掲載終了 【みうら・かずのり】高校生の時に8ミリ映画を自主制作。以来、フリーのフォトグラファー。 電鉄・建築などの撮影のほか、写真館も経営。2004年「まちかど音楽市場」を立ち上げ、代表に就任。現在住む団地内でボランティア環境美化活動(ローズマリーの会)。1952年、東京都江東区生まれ。1991年、つくば市に移住。 秋元昭臣 《夢実行人》 【あきもと・あきおみ】土浦一高卒。明治大工学部卒、京成電鉄系列のホテル会社に入社。奥那須、千葉、水戸、犬吠埼、白浜、土浦などのホテルに勤務。土浦京成ホテル閉鎖にともない、2008年からラクスマリーナ(株主は土浦市)専務。遊覧船運航、霞ケ浦湖上体験スクール、小型ヨット体験、ボート教室、足湯浴場、サイクリング事業などを展開。 2021年4月退職。1942年生まれ、土浦市在住。 原田博夫 《文京町便り》 【はらだ・ひろお】土浦一高卒、慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了。専修大学経済学部教授を経て、2019年4月から名誉教授。米スタンフォード大などに留学。公共選択学会会長、政治社会学会理事長などを歴任。著作(編著)に『人と時代と経済学-現代を根源的に考える-』(専修大学出版局、2005年)、『身近な経済学-小田急沿線の生活風景-』(同、2009年)など。現在、土浦ロータリークラブ会員。1948年土浦市出身、土浦市文京町在住。 伊東葎花 《短いおはなし》 【いとう・りつか】小説ブログを始めて12年。童話、児童文学、エンタメ、SFなど、ジャンルを問わずに書いている。文学賞にも挑戦中するもやや苦戦気味。第19回グリム童話賞大賞、第33回日本動物児童文学優秀賞を受賞。妄想好き。猫好き。趣味は読書と太極拳。東京生まれ、美浦村在住。伊東葎花はペンネーム。 小泉裕司 《見上げてごらん!》 【こいずみ・ひろし】1954年、土浦市生まれ、県立土浦一高卒。工学院大学工学部卒。民間企業を経て土浦市役所に入庁。政策企画課長、市長公室長を歴任。2017年まで副市長1期。在職中、花火審査員係業務に13年従事。現在、日本花火鑑賞士会会員。ラジオやネットTVにも出演。茨城新聞に寄稿(19~22年)。花火セミナー開催や「花火通信」(Facebook)などで花火の魅力を発信中。「花火と土浦」(土浦市、2018年)も一部執筆。同市在住。 若田部哲 《日本一の湖のほとりにある街の話》 【わかたべ・てつ】筑波大学大学院修士課程芸術研究科デザイン専攻修了後、建築設計事務所など経て、2009年、土浦市役所入庁。地元出身が多い職場にあって、県外出身として地域への理解を深めるため、霞ケ浦周辺を歩き回り、様々な対象をイラスト化。WEBサイト「日本一の湖のほとりにある街の話」などで地域の魅力を配信。1976年生まれ。「日本一の湖のほとりにある街の話」の公式ホームページはこちら。 片岡英明 《竹林亭日乗》 【かたおか・ひであき】福島高校卒。茨城大学農学部卒業後、太陽コンサルタンツ勤務。茨城大大学院修了。39年間、霞ケ浦高校勤務。主な著書は、英語Ⅰ教科書「WORLDⅠ」(三友社、1990年)、「たのしくわかる英語Ⅰ 100時間」(あゆみ出版、同)、「若い教師のための授業・HRづくり」(三友社、2016年)。現在、「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」世話人。1950年福島市生まれ、つくば市在住。 平野国美 《訪問医は見た!》 【ひらの・くによし】土浦一高卒。1992年、筑波大学医学専門学群卒後、地域医療に携わる。2002年、同大博士課程を修了、訪問診療専門クリニック「ホームオン・クリニックつくば」を開業。著書「看取りの医者」(2009年、小学館)は大竹しのぶ主演でドラマ化。新刊は『70歳からの正しいわがまま』(2023年4月、サンマーク出版)。医療関係業界誌などでもコラム執筆。1964年、龍ケ崎市生まれ。つくば市在住。 松永悠 《医療通訳のつぶやき》 【まつなが・ゆう】北京で生まれ育ち、大学で日本語を専攻した後、日系企業に就職。24歳のとき、日本人夫と結婚して来日し、気がつけば日本にいる時間が長くなっています。3人の子供を育てながら、保護犬1匹、保護猫5匹も大切な家族。子育てが一段落した今、社会のために、環境のために、何ができるか、日々模索しています。 三橋俊雄 《デザインについて考える》 【みつはし・としお】1973:千葉大学工業意匠学科卒業/1973〜6年間:GKインダストリアルデザイン研究所/1979〜6年間:二番目のデザイン事務所/1985〜6年間:筑波大学(デザイン専攻)・千葉大学(環境科学専攻)にて学生/1991〜6年間:筑波技術短期大学・千葉大学にて教官/1997〜18年間:京都府立大学にて教員。6年単位で「居場所」を替えながら、さまざまな人と出会い、さまざまなデザインを行ってきました。退職後つくばに戻り、「竹園ぷらっと」「ふれあいサロン」「おやじのキッチン」など、地域の「居場所づくり」「まちづくり」のデザインを行っています。 島田由美子 《けんがくひろば》 【しまだ・ゆみこ】けんがくまちづくり実行委員会代表、研究学園グリーンネックレス タウンの会代表。本業は海外映画・ドラマの字幕翻訳。TX研究学園駅地区に移り住んだことをきっかけに、まちづくりに興味を持つ。まちづくり活動を行いながら、現在、筑波大学大学院システム情報系非常勤研究員として、都市計画の研究に携わっている。

《吾妻カガミ》13 地域新聞の経営モデル

早大政経・土屋ゼミ・インタビュー13  日刊紙<無料紙 坂本:話が逸れました。常陽新聞の方に戻ります。社長を引き受けたものの、ネットの普及によって、全国紙も地方紙も、日刊紙の将来性はないと思っていました。それなのにどうして引き受けたのかと思うでしょう。私の経営方針は、日刊紙は続けるものの、儲からないから、フリーペーパー(無料紙)を収益の柱にする―というものでした。 斎藤:そのビジネスモデル、もう少し詳しく。 坂本:東京には、地下鉄駅にスタンド置きのフリー紙がありますが、地方では全国紙への折り込み―チラシと同じように―がデリバリーの主な手段になっています。 常陽新聞は県南を対象にしたフリー紙を出していたので、その内容・頁数を充実・拡大させながら、水戸市で出していたフリー紙も強化しました。2004年のつくばエクスプレス(TX)開通に合わせ、沿線を対象とする3つ目のフリー紙も発行しました。 リーマンショック 有料日刊紙の赤字をフリー紙の黒字で埋め、地域のために日刊紙を維持する―というのがビジネスモデルでした。もちろん、日刊紙のブランドがフリー紙の信用にもつながるという、相乗効果も意識しました。社長就任後、新聞業界紙の取材にも、日刊紙中心でなくフリー紙中心でと話していました。 ところが、ミニバブル―時事を辞めた03年を底に株価は回復プロセスに入りました―を想定した経営モデルは、08年のリーマンショックで崩れました。フリー紙は100%広告収入で成り立っていますから、リーマンで景気が悪化、広告はあっという間に蒸発しました。 フリー紙は、ミニバブルを追い風に、マンションなど不動産広告、ショッピングセンターなど小売店広告が主な収入源でしたから、それは最悪でした。 私は、経済は2~3年ダメだなと思い―実際は5年も続きましたが―、フリー紙のうち県南版だけ残し、水戸版は廃刊、TX版は投資分を回収して転売しました。フリー紙中心モデルは困難と判断したわけです。 旧社破綻→新創刊 藤本:常陽新聞の破綻と再発行に至る経緯は。 坂本:一連の再生シナリオを描いて、社長を辞任、地域の有力者に後をお願いしました。でも継続性というものがありますから、2年は会長として残りました。そのあと顧問に退き、経営の第一線から離れました。 ただ、地域の名士の方々、約100人―社長さん、理事長さん、市長さん、議員さん―を会員とする「常陽懇話会」の主宰は続け、月1回、東京の評論家とか地元の有力者を呼んで講演してもらいました。 ところが13年夏、2代あとの社長がついにギブアップ、破産処理をして、新聞社の歴史は終わりました。そこまで悪くなっているとは私も知らず、ビックリでした。日刊紙の読者は減り、フリー紙も不振ということもあり、仕方ないでしょう。 店仕舞から1ヶ月経ったころ、ソフトバンクに10年おられた理系の方が、エリアをつくば市と土浦市に絞り込んで、タブロイド版日刊紙をやりたい、ついては「常陽新聞」の題字を使いたい、と言ってきました。 止めておいた方がいいと言ったのですが、是非にということで、制作、印刷、配送など、会社立ち上げについて助言しました。別の世界にいた方が新聞をやりたいということで、常識にとらわれない経営も面白いかな、と思いました。 その「常陽新聞株式会社」―私が社長をしていたのは「常陽新聞新社」―は、14年2月、常陽新聞を「新創刊」しました。少し協力しなければと、月2回、地域名士へのインタビュー記事を寄稿していますから、記者現役です。(編注:復刊された「常陽新聞」は17年3月末休刊。土屋ゼミ・インタビュー時点では発行中)(続く) (インタビュー主担当:藤本耕輔 副担当:齋藤周也、日時:2015年12月4日、場所:東京都新宿区・早稲田キャンパス) 【NEWSつくば理事長・坂本栄】  

「乗せて」ヒッチハイクおばあちゃん あなたなら?

記者は後期高齢者の女性から2度ヒッチハイクされた経験がある。1度目は7年ほど前。牛久愛和総合病院(牛久市猪子町)に入院中の友人を見舞った時のことだった。 病院の駐車場に停めた車に乗ろうとしたら、70歳代後半と思われる女性が近づいてきて「悪いが、家まで乗っけてってくれないか」と話しかけてきた。 えっ、おばあちゃんのヒッチハイク? とビックリしたが、具合が悪くて困っているわけではなさそうなので、通院の帰りだと解釈した。 自宅の場所を聞くと、病院と国道6号に挟まれた猪子町の住宅で、車で5分ほどの距離だった。木枯らしが吹く季節で車内は冷え込んでいたが、助手席に座るとほっとした様子で表情がやわらいで見えた。 「ここで」と言われて住宅地の一角に停車した。「お世話になりました」と言いながら小さなビニール袋を座席に置いてドアを閉めた。手のひらに乗る袋の中には煎餅やチョコレートなどが入っていた。 この出来事はいつしか忘れていた。今年8月25日までは。 25日は強い日差しが容赦なく降り注ぎ、つくば市の気温は32度で高温注意報が出ていた。近親者が入院していた筑波学園病院(つくば市上横場)から中心部の自宅に帰る途中で2度目のヒッチハイクに遭った。 午後1時半頃、病院前の道路を北に進んでつくば野田線(県道3号)と交わるT字交差点で信号待ちをしていた。交差点手前に関東鉄道谷田部車庫がある。不意に高齢の女性が助手席のガラス窓をノックしてきた。何事かと窓を下ろすと「谷田部老人福祉センターまで乗っけて」と頼みこんできた。 ここから福祉センターまで3㎞はある。炎天下、高齢者を見放すことはできないとロックを解除すると、日傘を畳んで助手席に乗り込んできた。方向指示器を急ぎ右折から左折に切り替えた。 聞けば、女性は87歳で谷田部地区の高野台で一人暮らし。福祉センターで、気の合う仲間とレクリエーションしたり風呂に入ったりするのが唯一の楽しみだと語った。そのために高野台停留所からつくバスに乗車して関東鉄道谷田部車庫で下車。車庫からつくばエクスプレス(TX)みどりの駅方面の路線バスに乗り換えて目的地の支援センターに向かうのだという。 だが、みどりの駅方面行きのバスの本数が少なく、谷田部車庫で1時間待つしかない。車庫には冷暖房の利いた待合室はなく、雨ざらしのベンチが2基あるだけだ。ただ待つだけなら時間の無駄と、歩くかヒッチハイクするかの方法をとっているらしい。 「(車に)乗せてと頼むのは女の人が運転しているとき。男の人はノックしても素知らぬふりをして行ってしまう」とも話した。福祉センターの玄関に到着すると、何度も頭を下げながら建物の中に消えていった。 2度の体験を周囲に話した。男女を問わず多かった反応が「高齢者でも事件を起こす時代だから乗せない」。確かに、車内は密室で危険がないとは言い切れない。「話だけは聞くけど、同乗は断る」という声も。「男性が知らんぷりを決め込むのは、会社組織などの規範中心に生きているからでは」という女性の意見もあった。 一方、高齢女性たちの間でヒッチハイクがひそかに「移動手段」となっているのでは、と思ってしまう。そうだとしたら、したたかに「車に乗せて」と言えるのは超高齢社会を生き抜く知恵かもしれない。 さて、あなたが街中で声を掛けられたらどうしますか。(橋立多美)

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