火曜日, 4月 7, 2026

サイバーダインの装着ロボット 東南アジア最大の医療施設で歩行改善治療に使用へ 

マレーシアの大臣がつくば本社訪問 筑波大発のスタートアップ企業「サイバーダイン」(本社つくば市学園南、社長・山海嘉之筑波大教授)が開発する医療用の装着型ロボット「HAL(ハル)」が、マレーシアに建設中の東南アジア最大の医療複合施設「国立神経ロボット・サイバニクスセンター」で、患者の機能改善治療に使用されることになった。23日、同国のスティーブ・シム・チー・キオン人的資源庁大臣がつくば市のサイバーダイン本社を訪れ、山海社長に発注リストを手渡した。 医療用HALは、交通事故や脳卒中、難病などにより自力で動かすことが難しくなった手足や腰などに、脳からの信号を伝え、筋肉や関節などの動きを補助して、脳や神経の働きを活性化し歩行改善などを促す最先端技術を使った装置。すでにドイツなど世界20カ国で機能改善治療に使用され、日本でもリハビリに活用されている。 マレーシアではすでに12の医療施設で112台のHALが使用されている。新センターはHALを使用する同国13カ所目の施設として今年11月に完成する。下肢、関節、腰用の3タイプ計65台がレンタルで提供され、同時期に700人を治療する予定だ。HALを使用する医療機関としては世界最大になる。 キオン大臣は「(すでにHALで治療を行っている)マラッカにある施設を訪れ、技術がどれだけ人を助けるかを目の当たりにした。患者の約半数が実際に歩けるようになった。サイバニクスセンターは今年11月から稼働する。今後もっと施設を増やし、東海岸に最低でも二つの施設をつくりたい」などと話した。 山海社長は「次の社会は、人とサイバーフィジルカル空間(インターネットやネットワーク上の空間と実世界)が融合する社会になる。新興国が積極的に新しい技術を取り入れ、社会がどんどん変わっていく『リープフロッグ』という現象が起こっており、サイバニクスセンターはひじょうに重要なセンターとなる。治療だけでなく人材育成も一緒にやっていきたい」などと語った。 サイバニクスセンターは、マレーシア政府系の従業員社会保障機構が運営する公的病院で、22年6月に着工した。面積は37ヘクタールで、医療費は無料。センターの名称になる「サイバニクス」は、山海社長が提唱した新しい学術領域だ。(鈴木宏子)

ラーメンの街、牛久?!《遊民通信》89

【コラム・田口哲郎】 前略 先日、知り合いから、「牛久市にあるラーメン屋に行ったよ」と言われました。その人は東京都に住んでいますから、「わざわざ牛久にまでどうして? 牛久シャトーか牛久大仏に来たの?」と言ったら、「え、知らないの?」と驚かれました。 彼は「ラーメン山岡家牛久店」に行ったそうです。中根町の国道6号線沿いにあり、JR常磐線と国道の間にありますので、電車の車窓からも見えます。山岡家は24時間営業のラーメン店で、昭和63年創業とあります。全国にチェーン店を展開する発祥が牛久店だそうです。 豚骨ベースのスープはしっかりしているけれどあと味さっぱりだそうで、国道沿いだから運送業、建設業の方々に重宝されてきました。その評判が広まり、いまや山岡家目当てに牛久を訪れる人が多いといいますから、すごいですね。 噂のラーメンショップ牛久結束店 その知人から、もうひと店舗教わりました。ラーメンショップ牛久結束店。牛久自然観察の森の近くにあるお店です。ラーメンショップは1960年代に東京大田区で創業したチェーン店です。こちらは、その中でおいしいと評判になり、多くのお客さんが訪れている店舗です。特にチャーシューが格別とのことです。 「名店の近くに住んでいるのに、行ったことがないなんて、もったいないよ。牛久に住んでるのは、ラーメン好きからするとうらやましいのに」と言われました。東京に住んでる人に茨城県に住んでるのをうらやましがられたのは、私は初めてでした。 大洗町に住んでる人が、人気アニメーション「ガールズ&バンツァー」のファンから大洗町に住んでるなんてうらやましいと言われたと聞いたことがあります。女子高校生が戦車を乗り回すフィクションの舞台が大洗町だからです。いわゆるガルパンは大洗町の町おこしにひと役買ったそうで、住民の協力もあり、ファンがリピートして訪れる聖地になっています。 つくば市はパンとラーメンの街をアピールしています。つくばにも名店が多いのでしょう。しかし、牛久も負けていません。牛久もラーメンを名物として打ち出して、ワインとラーメンの街としてプロモーションするのもよいかもしれませんね。ごきげんよう。 草々 (散歩好きの文明批評家)

自然生クラブ、映画「日日芸術」に出演 7月のつくば上映会で踊りと太鼓の舞台を披露

筑波山南麓のつくば市臼井を拠点に、知的障害者たちと共同生活をしながら、有機農業や表現活動に取り組むNPO法人「自然生(じねんじょ)クラブ」(柳瀬幸子代表)が、4月から都内で上映が始まった映画「日日(にちにち)芸術」(伊勢朋矢監督)に出演している。つくばでは7月12日に、同市竹園、つくばカピオで上映会が予定され、当日のオープニングパフォーマンスとして同クラブのメンバーが踊りと太鼓の舞台を披露する。 「日日芸術」は、俳優の富田望生がセロファンテープで作られた奇妙なメガネをかけて不思議な世界を旅する物語。メガネをかけると日常の風景がアートだらけの世界になり、望生は独創的な作品をつくるアーティストたちと出会う。 映画には、同クラブが活動する筑波山麓で、メンバーがダンスをしたり、絵画を制作する姿が登場する。 田植えで田楽舞を披露 同クラブでは田植えの際に田楽祭を開催し、踊りや太鼓による創作田楽舞を披露してきた。田植歌は筑波山麓地域で実際歌われたものだ。 同クラブの施設長で元教員の柳瀬敬さん(66)によると、創作田楽舞の始まりは1989年に筑波ふれあいの里で実施された農業講座で田植えや稲刈りを学んだとことからだ。「人間性を作るのには太鼓が一番」という柳瀬さんの信念から、太鼓の演奏を取り入れた。 創作田楽舞は、今月19日に同市神郡にある約100平方メートルの田んぼで実施された田植えでも、約100人の参加者らに披露された。新型コロナなどの影響で5年ぶりの田植祭での披露となった。同クラブのメンバーが太鼓や笛を力強く演奏する中、約1時間、踊りが披露され、拍手が鳴り響いた。 施設長の柳瀬敬さんは愛媛県今治市出身。筑波大学で教育哲学を学び、群馬県の全寮制私立学校、白根開善学校で自由教育を実践した。1990年筑波山南麓に自然生クラブを設立し、2001年にNPO法人化した。地元にあった大谷石造りの米倉庫を改装してミュージアムとし、シアターとアトリエを運営している。同クラブは踊りと太鼓の舞台でこれまでにヨーロッパ各国の演劇祭に出演し、ヨーロッパ公演を契機に、「異才の芸術」(アール・ディフェランシェ)を実践する芸術団体との交流を深め、2009年には国際交流基金より地球市民賞を受賞した。 柳瀬幸子代表は「5年ぶりに田植えで田楽舞を披露できたのはとてもうれしい。映画『日日芸術』は筑波山麓でもロケが行われた。つくばカピオで上映されるので、7月12日に見に来てほしい」と話した。(榎田智司) ◆映画「日日芸術」つくば上映会+自然生クラブ・オープニングパフォーマンスは、7月12日(金)午後6時30分、つくば市竹園1-10-1、つくばカピオホールで開演。チケットは一般2000円、小中高校生・大学生1000円、障害者1000円、介助者1000円。チケット購入は下記QRコードへ。問い合わせは自然生クラブ(電話029-866-2192)へ。

日本文化は継承できているのか《文京町便り》28

【コラム・原田博夫】先週末、経済学の祖アダム・スミスの「国富論」(初版は1776年、1789年の第5版まで本人が改定)を1年かけて全10回で読み直す会がスタートした。主宰者・講師役は、私と同年代の数理経済学者でもある丸山徹・慶應義塾大学名誉教授である。 私も学生時代、翻訳本の冒頭(第1編の前半数章)の分業論と(私の専門分野・財政学を扱っている)第5編「主権者または国家の収入」には目を通したものの、全体は読破しておらず、先行者の解説本で理解したつもりになっていたに過ぎない。この期に及んでの再読に内心忸怩(じくじ)たるものを感じながらのチャレンジである。 今回は、手元に原書(ランダムハウス社から1937年に刊行されたモダン・ライブラリ版を丸善が1940年に刊行)も置いて、適宜参照することにした。この原書は、父(1920年生)が戦前に入手し、没(2010年)後も処分していなかったものを、改めて紐(ひも)解いた次第である。 スミスの翻訳書(各種あるが、たとえば1950年のキャナン版による大内兵衛・松川七郎訳、全2巻、岩波書店、1969年)に目を通して、改めて驚いたのが、先人の翻訳の丁寧かつ誠実な点である。 とはいえ、翻訳ではどうしても行き届かない箇所が出る。たとえば「国富論」第1篇第7章に、「有効需要」が出てくる。これはケインズも「雇用、利子および貨幣の一般理論」(1936年)のマクロ経済分析で重要な概念として提示しているが、そもそも、スミスがこの用語を用いていたことは、初読の時点では気づかなかった。 そこで改めて原著に当たってみると、スミスはeffectual demandと述べているのに対して、ケインズはeffective demandである。両者の意味は異なるのだが(それについてはここでは深入りしない)、訳語としては両者とも「有効需要」である。 外来と伝統の対立・席巻・断絶 そもそも、この確認がきっかけで今回、原著に(全部ではないにしても)当たることにした次第である。それ以降、翻訳と原著の対照を、適宜織り交ぜている。そこで気づいたのは、原著の英文が結構読めるのである。これは何も、私の英語読解力を自慢するために言っているのではない。単純に、18世紀の英語が21世紀の外国人でも相当程度に理解できることに驚いているのである。 日本に当てはめると、どうだろうか。スミスと同時代であれば、「古事記伝」は本居宣長が1767年に着手し98年頃に完成させた、と言われている。でも私は、これを読破することはおろか、江戸時代中期の他の書籍(いわゆる古文)を手に取ることすら、憚(はばか)ってしまう。ましてや、解説ナシで読破できる自信はない。 日本文化におけるこうした外来と伝統の対立・席巻・断絶は、奈良・平安時代に始まり、明治期(19世紀末)・昭和20年代(20世紀中葉)にも生じた。 それぞれの民族・国家にとって、文化の核心部分は相当期間、意識的ないし無意識的に持続される。とりわけ、言葉(話し言葉・書き言葉)・文字(表記法)の連続性と断絶は、伝統文化に固有性・強靭(きょうじん)さをもたらすと同時に、多様性や豊饒(ほうじょう)さをもたらしてきた。 近代における言語表記法の変動では、朝鮮半島やベトナムでの漢字文化からの断絶に比べると、日本の変化はむしろ融通無碍(むげ)に近いが、それでも、200数十年前の自国の書物を解説書なしで読破できないのは、当時の文教政策の結末として捉えるべきではないか。 現状の言語的断絶は、歴史・伝統を踏みにじって突き進んだ近代日本の決算報告書のような気がする。(専修大学名誉教授)

自分の性に向き合う 「ヴィーガン」で「クイア」の2人が贈るレシピ集(下)

3月につくばで出版されたヴィーガン料理のレシピ集「韓国フェミめし:光州とヴィーガンを巡って」。作者のユミさんとヨニイさんは同書で、ヴィーガンのことだけでなく、性的マイノリティである自身がこれまでに感じた性自認についても触れている。2人は自身の性を、全ての性的マイノリティを広く包みこむ概念である「クィア」だと表現する。2人は周囲の無理解から悩みを感じてきたという。 「いつも自分のことを相手に隠したり、頑張って自分のことを説明したりしなければいけなかった。理解して欲しくてたくさんの感情とエネルギーを使ってきた。私はただここに存在していいはずなのに」とヨニイさんが思いを吐露する。ユミさんは「自分は間違っていないというのはわかっていた。でも生きづらさを感じてきた。隠さなければいけないという思いが少しずつ自分の心の中に積もっていくのを感じていた」と語る。 カミングアウト ヨニイさんが初めて自身の性を周囲に伝えたのは中学時代、韓国でのことだった。「女子中学だったので、かっこいい先輩がいるとみんなが『きゃー』ってなるんですよ。それで自分も(女性に好意を持つことは)自然なことだと思っていた」。 自分の気持ちを隠さず伝えていたヨニイさんは、高校でも「隠さずカミングアウトをしていた」と話す。否定的な反応もあったけど、気にはしなかった。 「自分のセクシャリティを隠したまま人と出会っても、後から伝えて嫌がられると辛い。それなら最初から『私はこんな人です』と言った上で仲良くなる方が楽」。そう明るく話すヨニイさんだが、両親には最近まで伝えられなかった。 「両親に伝えたのは去年の春頃。すごく保守的な家なので、嘘をつき隠していた。でもそれが嫌で、隠すのをやめて全部話した。否定的なことも言われてその瞬間だけは辛かった。でも、両親も慣れてきた様子。結婚や子どもの話をされる度にプレッシャーを感じていたが、それがなくなりすごく楽になった」 髪を切り、本当の自分に出会う ユミさんは自分の性にどう向き合ってきたのか。家族と暮らしていた幼少期をこう振り返る。 「小さい頃から男の子と遊びたかった。でも、歳を重ねるごとに難しくなった。小学校に入って男の子と遊んでいると『お前、あいつの彼女なの?』とか、『なんでここに女がいるの?』と言われて、『ああ、私って女なんだな』って思うようになった。でも、女性的な振る舞いや遊びに馴染めなかった」 周囲に「女性」としての形を押し付けられたユミさんは、自分の性に違和感を感じ始めた。「私はボーイッシュな髪型にしたかった。でも実家のある郊外では、周りにそんな女性はいなかった。好きな髪型にしていいなんて思えずに大学生になった。ただ、ずっと実家に住んでいたので、私のことに家族もなんとなく気付いていた気がする。私は隠すつもりはなかったけど、わざわざ言うのも気まずい。それで結局、隠している状態になっていた。それがストレスだった」 大きな変化は大学生の時に訪れた。短髪にしたのだ。「思い切ってメンズカットにして『これが本当の自分だ!』って思えた。これで隠れずに生きられるって」 一歩を踏み出したきっかけは、あるテレビドラマだった。「アメリカのハイスクールドラマで、様々なマイノリティが出てくる。アジア系の人、車椅子の人、セクシャルマイノリティーの人。みんないきいきと自分を表現していた。『私もこうしていいんだ』って思えた。それで、似合わないかもしれないけど私も髪を切ってみようって思えた。それがきっかけになり、どんどん勇気を振り絞れるようになった」 自分の体を取り戻す テレビドラマを通じてユミさんは、性的マイノリティとして生きる自分以外の人を知り、背中を押された。一方でヨニイさんは、今も複雑な自身の性について答えが出せずにいると話す。 「まだ悩んでいる。私は昔から女性に好意を持ってきたから、男性になった方がいいんじゃないかとずっと悩んでいた。でも、やっぱりそれは違う気がしていた。私は男になりたくないって思った。大学では周囲と英語でやりとりしているが、自分の代名詞が『He(彼)』なのか『She(彼女)』なのか考えると、『He』だと違和感があるけど、『She』なら大丈夫だと思える。『They(彼ら、性別を問わない)』でも違和感はない。でも正直なところ、私は自分をラベリングするのに疲れている。今は『クイア』という言葉が一番しっくりきている」と、今の気持ちを率直に語る。 ユミさんは、揺らぐ自身の性認識に向き合う中で、次第に「自分は何者なのか」という問いへの答えを見つけ始めている。 「私は自分が男になりたいわけではないけど、女性としての役割を担うのはキツかった。それじゃ男なのかなってめちゃくちゃ悩んでいた。そんな時にある本と出会い、男女どちらの性別でもない『ノンバイナリー』という存在を知って、自分は男でも女でもないんだって気がついた。すごくスッキリした。『これが私だ。こう名乗っていいんだ』って思えて自分に自信を持てるようになった」 もう一つ、大きなきっかけになった出来事として、大学を卒業し実家を離れて経験したあるエピソードがある。 「私、就職してからタトゥーを入れたんです。腕と手首に、五百円玉サイズの太陽と雲を。その時、本当にうれしかった。『私は自分の体のことを自分で決めたんだ。その権利を証明できたんだ!』って。『これが私の人生だ』って思えた」 そう話すとユミさんは、「性」に対する考えをこう言葉にした。 「性別は社会的なもの。本当はスペクトラム(連続した境界のない状態)なはず。私は周りに自分が何者なのかを決められてきた。でも、自分が男でも女でもない『ノンバイナリー』だと思えるようになって、性の呪縛から解放された気がした。心地よかった。『もう他人から女性と呼ばせない』という思いが湧いてきた」 「大丈夫」と伝えたい ヴィーガンでクィアである2人にとって互いの出会いが持つ意味は大きかった。ヨニイさんがユミさんとの出会いを振り返りながら、こう呼び掛ける。 「私はユミと出会えたことでとても楽になった。クィアでヴィーガンの人には本当に出会えない。マイノリティーの中の、さらにマイノリティーなので。1人で暮らしていると『私だけがおかしいんじゃないか?』と思ってしまうこともあった。でも同じ価値観の人に出会えて『私はおかしくないんだ』と思えるようになった。もし今、悩みを抱えている人がいたら『大丈夫』と伝えたい。安心してほしい」 ユミさんは、今後についてこう話す。 「私はヴィーガンのハードルを下げたいと思っている。そして、クィアカップルがいることが自然になるように、私たちも自然に暮らし続けたい。私たちはこんな存在で、ただここに存在していい。そんな場所が増えるといいと思っている。そのために自分の経験が誰かの役に立てばいい」 光州事件のパネル展開催 冊子で2人は、ヨニイさんの故郷である韓国・光州市の歴史にも触れている。光州では、韓国が軍事政権下にあった1980年5月18日、民主化を求める学生デモに対して政府が武力で応じ、以降10日間で多数の市民が犠牲になる「光州事件」が起きた。光州では今も、忘れてはいけない悲劇として日常的に語り継がれている。 今回、冊子の発行元である、つくば市天久保のブックカフェ「サッフォー」では、冊子発売を記念して「光州5.18民主化運動を記憶する」として関連書籍の特設コーナーを設けるとともに、4月27日から始まった光州事件を紹介するパネル展が開催中だ。 冊子の企画・編集を手がけたサッフォー店主の山田亜紀子さんによると「韓国フェミめし:光州とヴィーガンを巡って」は同店にとっては2冊目の出版企画となる。山田さんは今回の冊子制作について、「人権の向上を願っての企画。2人の想いは、日常をシェアすることで『私たちはナチュラルに生きている』と知ってほしいということ。地方で、楽しみながらヴィーガンをやっているクィアカップルがいるんだよと、多くの人に知ってもらいたい。色々な人に届くといい」と語った。(柴田大輔) 終わり

つくば市の葛城小地区「つなぐ会」《けんがくひろば》6

【コラム・杉田ひろみ】つくば市の葛城小学校地区は、昔からの慣習や行事を地域住民で守り、葛城小との活動にも積極的に参加するなど横のつながりが強かった元々の地区と、TX沿線の開発に伴い新しく転居してきた世帯が多く暮らす新しい地区からなります。 しかしコロナ禍の影響で地域の行事がここ数年開催できないまま、地域住民が集える機会が失われてしまっていて、地域のつながりが薄れていると感じていました。そこで私たちは「世代を超えて皆が支え合い、助け合い、共に安心していつまでもこの地域に暮らし続けることができること」「人がつながり地域もつながること」を目標に掲げ、葛城小地区「つなぐ会」を設立しました。 活動の主なものは、ささえ合い弁当配食(現在は苅間地区内)、地域防災・防犯イベント(葛城小との連携)、地域交流イベント「つなぐまつり」、みんなの居場所「ふれあいサロン」などです。  みんなをつなぐサロン 今回は「つなぐサロン」を紹介したいと思います。 最初に触れたように、私たちの地域には、つくばに転居してきた世帯が多く暮らしています。学園南や研究学園は、畑や雑木林が造成され、住宅が建設されてできた地域です。住民の数が増えていますが、自治会がほとんどありません。あっても、ご近所同士の交流があまりありません。 子供が小中学校に通学している家庭は学校のつながりが少しはありますが、その他の家庭の方からは「近所を散歩しているときに、どなたかにお会いしても、あいさつするだけ。その先の会話がないので、住民同士のつながりがほしい」といった話を耳にしていました。 そこで、かつらぎ交流館の新設を機に、地域をつなぐ場所「つなぐサロン」を開設しました。地域のこと、健康のこと、子育てのことなど、お茶を飲みながらおしゃべりしたり、室内のゲームや簡単な工作などをしています。 これをきっかけに、新しい地域でも住民同士の交流を深め、皆がつながり、お互いに助け合い、幸せに暮らせることを願っています。お気軽にご参加ください。(葛城小地区「つなぐ会」代表) <つなぐサロン>・開催日:毎月、第2月曜日と第4月曜日・時 間:午前10~12時・場 所:かつらぎ交流館・参加費:無料(飲み物は各自持参)

地元ファンに2日早い特典 作家の高野史緒さん 新刊発売記念し土浦でサイン会 

土浦市出身の作家、高野史緒さんが、新作「ビブリフォリア・ラプソディ あるいは本と本の間の旅」(講談社、税込1870円)の発売を記念して21日、土浦市上高津、イオンモール土浦の未来屋書店土浦店でサイン会を催した。発売は23日だが、今回2日前に購入できるという特典が付いた。高野さんは昨年、土浦を舞台にしたSF小説「グラーフツェッペリンあの夏の飛行船」を書き、SF読書ガイドブック「SFが読みたい!2024年盤」国内篇第1位に輝いている(2月25日付)。 今回の作品は「消えてゆく本」「書けなくなった詩人」「本の魔窟に暮らす青年」が登場する架空の世界を描いた作品。新刊の帯には「本であふれた世界に希望はあるか?」とある。 サイン会会場には32人が並び、一人一人、著者の高野さんと話をしながら、購入した本にサインをもらっていた。高野さんと写真撮影をするファンの姿も見られた。 同市摩利山新田から来店しサインをもらった遠藤康裕さん(62)は「(1929年に巨大飛行船の)ツェッペリン伯号が飛来した(旧霞ケ浦海軍航空隊 格納庫の)すぐ近くに生家があり、とても身近に感じた。高野先生の文章はわかりやすく、てきぱきしていてとても好きだ。本日はていねいに対応してもらって感激している。これからも頑張って良い本を書いてほしい」と話した。 高野さんは1966年土浦市生まれ、土浦二高を経て90年に茨城大学人文学部を卒業、94年にお茶の水女子大学人文科学研究科修士課程を修了、95年「ムジカ・マキーナ」(新潮社)で作家デビューした。2012年には「カラマーゾフの妹」で第58回江戸川乱歩を受賞するなど、主にSFやミステリーを書く人気作家だ。 高野さんは「故郷土浦とその近郊の皆様にも注目していただき、本当にありがたい限り。私は必ずしも地元密着型作家とは言えず、いろんな世界、時には現実でない世界のことも書く。読者の皆様も私の小説を通じて、一緒にそういういろんな世界を巡ってほしい。今度の新刊『ビブリオフォリア・ラプソディ あるいは本と本の間の旅』はまさにそういう本で、こちらも『グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船』同様、読んでいただけるとうれしい」とコメントした。(榎田智司)

つくばから全国へ 「ヴィーガン」で「クィア」の2人が贈るレシピ集(上)

悩み、孤独を感じる人へのエンパワーメントに 動物由来の食べ物を摂ったり、製品を身につけたりしない「ヴィーガン」を身近に感じてもらおうと、つくば市在住のユミさん(27)と、パートナーで韓国出身の大学院生ヨニイさん(25)によるヴィーガン料理のレシピ集「韓国フェミめし:光州とヴィーガンを巡って」(全32ページ)が3月に出版された。ヨニイさんの故郷・韓国の文化紹介とともに、ヴィーガン風にアレンジした韓国料理が9品掲載されている。 出版元は同市天久保のブックカフェ「本と喫茶サッフォー」(23年9月18日付)で、個人や小規模の団体が少部数で製作する「ZINE(ジン)」と呼ばれる小冊子だ。SNSや口コミで広がり発売1カ月で2刷を迎えた。現在までに関東を中心に全国19書店で取り扱われている。 日々の食卓をSNSで発信 2人はヴィーガンであるとともに性的マイノリティの当事者であることを公表し、「ハンガン・ヴィーガン」というユニット名で日々の様子をSNSで発信している。自身の属性への周囲の無理解から悩みを抱えてきたと言い、今回の出版を「私たちの普通の暮らしを知ってもらうことで、悩み、孤独を感じる人たちへのエンパワーメントにつなげたい」と話す。 2人のSNSには日々の食卓が紹介される。調理を担うヨニイさんは「冬は鍋が多かった。タンパク質は豆腐、厚揚げ、がんもどき。だし汁をカツオから昆布にしたり、肉の代わりに豆腐にしたり工夫している」と話す。ユミさんは「ヴィーガンになって肉料理が多い韓国料理から遠ざかっていた。でも、ヨニイと出会ってまた食べられるようになった。『ヴィーガンでも韓国料理ができるんだ』って感動している」と笑顔を浮かべる。 自分の感覚はおかしくない ユミさんは大学4年でヴィーガンになった。戸惑ったのが食事だった。「(当時)ナッツを乗せたサラダしか食べなかった。1週間後には体も心も辛くなってしまって…」。その後、ヴィーガン料理のあるレストランや本で情報を得ながらメニューを覚えるが、「当時は情報が少なかった。何を食べていいかわからなかった私のような人は、今もいるはず」と話す。今回の冊子では「家庭で作れる普通のヴィーガン料理を紹介したかった」という。だが2人にはもう1つ、冊子に込めた想いがある。「ヴィーガンであることで孤独にならなくていいんだよ」と、当事者たちを励ますことだ。ユミさんがこう話す。 「私はヴィーガンの人と出会えず、ずっと孤独を感じてました。肉を食べないと『ヤバい人』になったのではと思われることもある。でも肉を食べなくても生きていくことはできる。SNSや映画で他のヴィーガンの暮らしを知ることで、『自分の感覚はおかしくない』と思えた。だから私たちも、普通の人が普通にヴィーガンでいる様子を見てもらい、同じ考えを持つ人のエンパワーメントになるものを作りたかった」 社会問題が身近に ユミさんがヴィーガンになったきっかけは、大学時代に短期留学した台湾での経験だ。それまで食べていた好物のガチョウが、目の前を楽しそうに歩いていた。とてもきれいで可愛い。「犬や猫など可愛いペットは食べてはいけないのに、なぜガチョウは食べていいと勝手に思っていたのだろう」と疑問が湧いてきた。いろいろ勉強するうちに「動物は軽率に食べていいものではない」と感じ、ヴィーガンの食生活へと移っていったという。 ヨニイさんはある映画がヴィーガンへの考えを深めるきっかけになった。食用や衣類、実験用にされる「殺していい動物」と、ペットなどの「殺してはいけない動物」を取り上げた映画で、人間の考え一つで動物の命の価値が決まることに疑問を感じた。劣悪な管理下にある動物の実情についても知ることになった。「殺していい動物といけない動物の間に引かれる線は何なのか。勉強する中で、自分が殺せないなら食べるのはやめたい」と考えるようになった。 「動物への差別」を意識したユミさんの関心は、社会の中にある他の差別や環境問題へと広がった。「私はヴィーガンであることで社会問題に関心を持った。暮らしの中にある様々な差別に意識的になることで社会は変化すると思っている。多くの人が日常にある課題に問題意識を持つのがいいはず。今回の本は、その入り口になればという思いもあった」と語る。ヨニイさんは「差別は構造の問題。そこに対してもっと関わっていきたい」と言う。 おばあちゃんの味を再現 掲載するレシピは9品。その中に、韓国に暮らすヨニイさんの祖母と母の得意料理が3品ずつ並んでいる。 「ヴィーガンになると、家族と同じものが食べられなくなるんじゃないかと心配がある。そこでつまずいてしまう人もいる。でもヴィーガンになっても家族のレシピは繋いでいけるし、家族の伝統は守れるんだと言いたかった」とユミさん。 ヨニイさんは「レシピには、大好きなおばあちゃんが作る、私が好きな料理も選んだ。最近、レシピ集を見てくれた在日コリアンの方々から『私のおばあちゃんも(掲載されている)カボチャのスープを作ってくれたんですよ』と感想をいただいてうれしかった」と話す。 「社会人として残業しながら働いていると、社会問題に関心を持ち続けるのも自炊するのも難しい。外食は高いし、料理する時間を作れる人は限られる。自分ができる範囲で、気負わずにできれば。まずは一食から。その時にこのレシピが役に立てばうれしい」とユミさんは、これから一歩を踏み出そうとする読者に語り掛ける。 記者が作ってみた 「ヴィーガン料理、なんだか難しそう…」と漠然と感じていた記者が「韓国フェミめし」を参考に韓国の海苔巻き「キンパ」を作ってみた。ヴィーガン料理を作るのも、食べるのもこれが初めて。レシピに従い、さいの目に切った厚揚げと油揚げを油で揚げて、炒めたにんじん、にんにくスライス、生レタスを海苔に広げたご飯の上に並べていく。甘辛い韓国味噌「サムジャン」を適量垂らして巻きすで巻くと完成だ。 米を炊く以外、正味30分程の調理時間。一口サイズに切り分けて口に運ぶと、よく揚がった厚揚げは鶏の唐揚げのような味と食感。サムジャンの旨味と合わさり食べ応えも十分だ。味にも感激したが、手軽さに驚いた。(柴田大輔) 続く ◆「韓国フェミめし:光州とヴィーガンを巡って」は880円(消費税込み)

町の「光」を観る(2)《デザインを考える》8

【コラム・三橋俊雄】S町では、日常の「いとなみ」の中に、自然とともに人びとが長い年月をかけて育てあげてきた町の「光」があり、それらの「光」を絶やさず守り磨いてきた人びとの姿がありました。 S町は「名人」の町 コラム7(4月16日掲載)で紹介したシナ織のHKさんの他にも、八幡祭りを盛り上げるために子ども御輿(みこし)や笹川民謡流しを考案したTSさん、名勝笹川流れの案内が得意のWHさん、地元で採れる魚の売り口上なら誰にも負けないOMさん、昔ながらの木船作りが村で一番のTHさん、フグちょうちんやサザエ人形作りが得意のTNさん、盆栽・サツキ作りのSSさん。 郷土料理のアワ笹巻・筍(タケノコ)巻き作りが上手なSIさん、町に伝わる民話の語り手HTさん、マタタビざる・スゲ笠作りのKSさん、馬沓(まぐつ=馬のわらじ)・雪沓(ゆきぐつ)作りのTYさん、コクワヅル細工のSRさん、ベテラン海女のTIさん、笹川流れのカキ採り名人HYさん。 米俵・民具作りのSTさん、杖(つえ)作りに励むSHさん、南部地区の歴史に詳しいSTさん、磯見漁の名人WSさん、昔ながらの桶(おけ)・結婚式用の角樽(つのだる)作りのISさん、陶器で「カッパ」を製作しているAKさん、色紙を用いた切り絵細工のNMさん、祭りに使われる梵天(ぼんでん)を製作するTMさん。 S町は様々な「光」を発信する名人たちの町でもありました。 町民が発見した「光」 11月には恒例の「S町産業祭」が盛大に開催され、その一角で「豊かな観光地づくりを語る町民の集い」が催されました。その集いは、町民がどのような「光」を自らの地域に見い出しているかを一堂に会して議論し、今後の観光開発の方向を具体的に見定めていくために開かれたものでした。 会場に集まった町民たちからは、町の観光開発に向けた具体的な提案が200件も寄せられました。 それらを整理すると ①山北町の身近な自然に関連した「日本海に沈む夕日写真コンテスト」「海・山のキャンプ村づくり」②集落の歴史・生活文化にかかわる「八幡宮奉納相撲イベント」「集落対抗味噌づくり合戦」③日常の暮らしを学ぶ「ハサかけ体験」「シナ織体験」「海辺のなりわい体験」④S町住民との触れ合いを中心とした「碁石海岸での囲碁大会」「河川敷での大芋煮会」―など、いずれも町に内在する自然的・人工的環境資源、産業的資源、生活文化的資源に着目したアイデアでした。 すなわち、S町の人びとにとっては、「身近にある豊かな自然」「集落の歴史・生活文化」「日々のなりわい」「町民との触れ合い」そのものが、観光開発のための貴重な資源であるということでした。私たちは、この「町民の集い」に寄せられた具体的な提言を貴重な資料としながら、S町における観光開発基本計画を立案していくことが肝要であると感じました。(ソーシャルデザイナー) 

新シリーズで2年ぶり写真展 土浦写真家協会会長 オダギ秀さん

土浦写真家協会会長のオダギ秀さんの写真展「新たな新地平に向かって2024」が18日から23日まで、つくば市高野台のカフェギャラリーロダンで開かれている。オダギさんの個展は20年前から毎年開かれているが、昨年は準備が整わずに中止されており、2年ぶりになる。 今回は帆引船や亀城公園の写真も 「昨年は突然中断し、そのショックでこの1年間ぼけていたが、改めて決意し『新たな地平に向かって』という新シリーズをスタートさせることにした」 喫茶店に併設された小さな展示スペースには、15点の写真が飾られている。壊れかけた実家の竹垣、庭に咲いた青色の朝顔など日々の生活から切り取ったもの、お地蔵さまや小仏堂など路傍で見掛けたものが中心だが、今回は霞ケ浦の帆引船や亀城公園の城門など土浦市の観光写真として使えるものも加えた。 シャッターを切るいとおしい瞬間 土浦市在住のオダギさんの専門はコマーシャルフォト全般。同時に写真家として写真撮影教室を開き、地域の写真愛好者の指導もしている。2年前には土浦写真家協会を立ち上げた。土浦市観光協会主催の「土浦の写真コンテスト」の審査員もしており、NEWSつくばのコラムニストでもある。 19回目になる今回の写真展については「ポケットの紙切れにメモしたような、通りすがりにチラッと見ただけのような何気ない作品を、目立たぬように少しだけ飾って、行きずりの誰かの心がちょっとざわめくーそんな個展を開いていきたい」と語る。 「写真を撮る瞬間は、ほんの数十分の一秒とか、場合によっては数千秒分の一秒という非常に短い瞬間。ここにある全作品を合わせても、数十分の一ぐらいしかにならない。私の数十年の人生(今年79歳)と比べたら、余りに短い瞬間でしかない。そんな瞬間でも、わざわざシャッターを切った瞬間なのだから、私にはいとおしい瞬間と言える」 写真だけでなく説明の文章も好き 19日午前、写真展を訪れた土浦市在住の夫婦は「10数年前にデジタル一眼レフ講座で写真の撮り方を教えていただいた。それ以来、個展は毎回拝見している。写真も好きだが、写真に付いている文章も好きです」と述べ、15作品を丁寧に見て回った。 タイトル「冬のこずえ」の文を見ると「そろそろ日が暮れるころ、気紛れに遠回りをし、見知らぬ道を帰った。正面に見えた樹が、なぜか自分のようだったので車外に出た。思った以上に冷たい風に驚かされた。群雀が頭上を一瞬よぎったが、戻ってくる気配はない」と、詩のような説明文が掛かっていた。(岩田大志) ◆第19回オダギ秀写真展 5月18日(土)~23日(木)、つくば市高野台3-15-35、カフェギャラリーロダンで開催。開館時間は午前11時~午後4時。入場無料。

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