【コラム・岡田富朗】芥川⿓之介は、東京帝国⼤学(現・東京⼤学)学⽣であった1914(⼤正3)年から亡くなる1927(昭和2)年まで、北区⽥端に暮らしました。その芥川の居住跡地に、「芥川龍之介記念館」(仮称)が、没後100年を迎える2027(令和9)年夏に開館する予定です。命日である7月24日は「河童忌」と呼ばれ、毎年芥川龍之介をしのぶ催しが行われています。
⽥端には、明治から昭和期にかけて、1キロ四方の狭い地域に累計100人以上もの芸術家や文筆家らが暮らしていました。1889(明治22)年に東京美術学校(現・東京藝術⼤学)が上野に開校すると、上野への便がよい⽥端には、芸術を志す若者たちが住むようになりました。
そして1914(⼤正3)年に芥川⿓之介が転⼊し、その後、室⽣犀星、菊池寛、堀⾠雄、萩原朔太郎、⼟屋⽂明らも転⼊し、芸術家のみならず、多くの⽂⼠も住む地域となっていきました。
陶芸家の板谷波山も、1903(明治36)年から、当時、人家少なく故郷の筑波山を望むことのできる場所ということで、田端に居を構えていました。1945(昭和20)年、戦災により住居兼工房が全焼し、郷里に疎開しましたが、戦後再び戻り、終生田端で暮らしました。
芥川⿓之介の没後、⽥端の家にはご遺族が居住していましたが、1945年の空襲により焼失し、ご遺族は転居しました。その後、集合住宅1棟と個人住宅2棟が建ちましたが、2017(平成29)年、そのうち1棟が売却されることとなり、翌18年に北区はその⼟地を購⼊し、国内初となる「芥川⿓之介記念館」(仮称)を建設することを表明しました。これまで芥川⿓之介を単独で顕彰する記念館・⽂学館は設置されてきませんでした。

大正期の暮らしを体感できる場所
芥川龍之介が居住し、多くの作品を生み出したこの地において、記念館は大正期の暮らしや創作環境を体感できる場所となります。邸宅2階にあった書斎は、創作の場として再現され、芥川が実際に使用していた文机やインク入れ、ペンなども複製して配置されます。来場者は再現された書斎に実際に入ることができ、これらの複製品に触れることもできます。
また建物や内装、庭園に至るまで、当時の姿を参考にしながら空間の雰囲気を大切にし、庭の木々や石の配置についても、写真資料などを手掛かりに芥川が見ていた風景の面影を感じることができるよう、整備をする予定です。館内には展示スペースのほか、ミュージアムショップの設置も予定されています。
北区地域振興部文化施策推進課の飯塚さんは「今では、田端に住む人の中でも芥川龍之介が実際に田端に住んでいたことを知らない方が増えています。北区民、文学ファンの中でも「芥川といえば⽥端」ということを知らない人たちに、是非足を運んでいただき、芥川が数多の名作を生み出した書斎などを「体感(feel)」して、楽しんでもらいたい」と話してくれました。
芥川⿓之介の作品は40を越える国・地域でも翻訳され、現在も世界中で高く評価されています。開館に向けてクラウドファンディング(CF)も行われており、海外からの支援も寄せられているそうです。今後のCFは今年の夏ごろを予定しているそうです。(ブックセンター・キャンパス店主)






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