金曜日, 7月 11, 2025

【戦後73年の記憶】1 忘れることできない東京大空襲 杉田とよさん(93)

戦後73年目の夏がめぐってきた。戦後生まれが人口の8割を超え、遠くない将来に戦争体験を語ることができる人はいなくなる。繰り返してはならない悲惨な記憶を伝えるために、戦争体験者に話を聞いた。 【橋立多美】1925(大正14)年に筑波郡菅間村(現つくば市中菅間)に生まれた杉田とよさんは93歳。忘れることのできないのが東京大空襲だという。 当時とよさんは20歳。小石川に住んでいた親戚の家で大空襲に遭った。この家の夫婦には子どもがいなかったので、とよさんをかわいがってくれ、一人で上京していた。45(昭和20)年3月9日から10日に日付けが変わり、飛行機が飛来している音が近くなった途端、ものすごい爆風で窓ガラスが割れて家が大きく揺れた。とよさんは押し入れに逃げ込んで難を逃れ夫婦も無事だった。 米軍機B29の焼夷弾攻撃だった。攻撃が止んだまちには火の手が上がり、夢中で近所の人たちと防火用水槽の水をバケツリレーで運んだ。夜が明けると親類の家の2階は吹き飛ばされ、居間の火鉢の上に大きな石が乗っていた。3軒隣で食堂を営んでいた家族4人は、敷地内に穴を掘った防空壕に逃げ込んだが、爆風で飛んできたトタンや瓦などで生き埋めになり、地表に指3本が出ていたそうだ。 とよさんは「筑波山山頂に敵機監視所、作谷には陸軍西筑波飛行場と格納庫があったが、実際に攻撃されたことはなかったから恐ろしかった」と振り返る。 戦後は一層の食糧不足 同年8月に無条件降伏して戦争が終わり、戦地に行っていた兵隊たちが帰ってきた。その一人で、とよさんより1つ年上の次郎さんと翌年同市臼井に所帯を持った。当時2人が通った小学校は男女別学か、同じ学級でも「席は同じうせず」が当たり前。一緒に遊ぶことは厳禁で好きな子がいても遠くから目を見交わすだけだった。 お互いに好きだった2人が再会してとよさんのお腹に命が宿った。「今は珍しくない『でき婚』だった」と笑い飛ばす。 次郎さんは村役場の職に就き、3女1男に恵まれた。だが、食糧不足は戦中を上回って一層苦しいものとなり、4人の子を育てるのに配給米だけでは足りず、高い闇米を買うしかなかった。それでも、大根などの野菜を入れて量を増した「大根めし」が常食だった。「食べ物では苦労した」としみじみ話す。 とよさんは「また年寄りの繰り言かと耳を貸さない人もいるが、こんな時代があったことを知って欲しい」と話を締めくくった。 次郎さんは19年前に75歳で没した。とよさんは80年代、初めて次郎さんと手をつないで訪ねた草津白根山の湯釜で撮った写真を大切にしている。信頼し合い戦後をともに生きた証しだ。 ※メモ 【焼夷弾】対象物を貫通や爆破で破壊するのではなく燃焼させることを主眼に置いた砲弾や爆弾。戦時中は木造家屋が密集する都市で使われた。

稀勢の里、高安 回復ぶりアピール 大相撲龍ケ崎場所

【崎山勝功】2018年度夏巡業大相撲龍ケ崎場所(同実行委員会主催)が9日、龍ケ崎市中里の市総合体育館たつのこアリーナで開かれ、牛久市出身の横綱・稀勢の里と、土浦市出身の大関・高安が約2500人の来場者を前に復活ぶりをアピールした。 高安は7月29日から始まった夏巡業の初日から右膝蓋(しつがい)腱炎(けんえん)で休場していたが、8月8日から巡業に復帰してこの日の龍ケ崎場所に姿を見せた。午前中の公開稽古では、土俵上で精力的にぶつかり稽古に取り組むなど、けがから回復した様子を見せた。7月の名古屋場所で初優勝した関脇・御獄海と対戦し高安が御獄海に突き出しで勝つと、場内から拍手が沸き起こった。 稀勢の里は横綱に昇進後、17年3月の春場所で負傷して以来8場所連続休場しているが、龍ケ崎場所では結びの一番に姿を見せた。横綱・鶴竜と対戦、寄り切りで倒し、小中学校時代を過ごした第二の故郷・龍ケ崎に錦を飾る取り組みを見せた。 観戦した中山一生市長は「稀勢の里は順調に調子を取り戻しているようだ。9月場所が楽しみ。高安もけがからの復活で、力強い相撲を取ってくれたので楽しみにしている」と、2人の活躍に期待を寄せた。 河内町の会社員女性(28)は「勢いがあってすごくかっこ良かった」、つくば市の山成真由美さん(31)は「初めて見たが、迫力があって興味がわいてきた」とそれぞれ感想を話した。 稀勢の里と高安は報道陣の取材に応じ、稀勢の里は、小学校時代に会場近くのたつのこ公園内の「たつのこ山」で遊んだ思い出や、小学4年生のときに少年相撲大会で5人抜きをして金メダルを取ったことなどを振り返った。自身の状態については「しっかり調整して来場所は活躍したい」と述べた。 高安は「茨城のたくさんの方に応援してもらっているので、どこかで恩返しをしなければと思っている。たくさん稽古してまた来場所に向かっていきたい」と意気込みを見せた。 県南地域での大相撲地方巡業は、12月22日に土浦市大岩田の霞ケ浦文化体育会館で「大相撲土浦・牛久場所」が開かれる。 母校の後輩が稀勢の里に花束 稀勢の里の母校、市立長山中学校の野球部員と、稀勢の里が小学校時代に所属した少年野球チーム「龍ケ崎ハリケーンズ」の選手たちが同日、稀勢の里に花束を贈呈した。 選手たちは、稀勢の里が小学生時代に通っていた市立松葉小学校の児童が作った「輝け 横綱稀勢の里先輩」の横断幕を背景に、花束を渡し握手をした。 長山中野球部員の田向陽祐さん(3年)は「非常に光栄。オーラがあった」と感激した様子で「生徒一同で応援したい。頑張ってほしい」と先輩の稀勢の里にエールを贈った。

土浦日大 甲子園初戦敗退 9回ソロ本塁打で意地見せる

【池田充雄】第100回全国高等学校野球選手権大会は5日目の9日、第4試合に本県代表の土浦日大高校が出場。沖縄県代表の興南高校と対戦し2-6で敗れ、昨年に続いての1回戦敗退となった。 土浦市本庁舎(同市大和町)1階の市民ラウンジで開かれたパブリックビューイング(=PV。応援観戦)では、常設のテーブル席や特設のベンチ席に大勢の市民が集まり、通勤帰りや買い物帰りの人なども足を止め、大型スクリーンに見入った。会場には土浦日大のメガホンやTシャツ、野球帽などの応援グッズも用意され、選手の一投一打にたくさんの拍手や歓声、ため息が出た。 試合は土浦日大の富田卓、興南の藤木琉悠、両エースの投げ合いで幕を開けた。土浦日大は藤木のカットボールなどに芯を捉えられず、興南は富田の低めへのスライダーに詰まらされ、4回を共に無得点で終える。 だが5回裏、先頭からの2連打とバントで無死満塁とされると、犠牲フライとヒットで興南に2点を先制される。土浦日大は6回表に敵失2つと盗塁で1死二・三塁とし、三番・小菅康太の内野ゴロで1点を返すが、6回裏に1死三塁から1点を追加され、1-3とリードを広げられる。 試合は終盤に入り、両投手とも疲れが見え始める。7回表、土浦日大は2連打と死球で2死満塁の好機を作り、ここで一番・鈴木健太主将を迎えるが、相手の逃げるスライダーで三振に取られる。逆に7回裏には2死満塁のピンチを作るが、ここは富田が踏ん張って内野ゴロに打ち取った。 次の回は投手交代で差が開いた。8回表に土浦日大が無死満塁のチャンスを作ると、興南は宮城大弥をマウンドへ送り、三振とダブルプレーで火消しに成功。8回裏は2安打と1犠打で2点を失い、ここで土浦日大は清水樹が救援に向かうが、さらに2連打で1点を失う。9回表、土浦日大は代打・磯貝郁人が左翼席へのソロ本塁打で意地を見せるが、追撃もここまで。2-6でゲームセットを迎えることとなった。 土浦日大の誤算は、相手投手が予想していた宮城ではなく藤木だったこと。その変化球にタイミングが合ってきて、ここからというところで宮城にスイッチし、速球でねじ伏せられた。富田は6回ごろから制球に乱れが見え始め、甘いスライダーを捉えられた。また頼りの鈴木が5打席無安打に終わるなど、打線も投手陣を助けられなかった。 泣きじゃくる富田選手に「いい試合見せてくれた」 PVの観戦者の一人で「娘が富田投手の姉と仲良し」という廣瀬譲治さん(54)は、「(相手の15安打の猛攻に)富田選手を中心によく守り、最終回にはホームランで意地を見せてくれた。力はつけているので来年に期待したい」と感想を述べた。 譲治さんの母の寛子さん(80)は、画面の向こうで泣きじゃくる富田選手を見ながら「富田くんも頑張ってくれたが、向こうがちょっと上だった。これも野球でしょうか。いい試合を見せてくれた」と語ってくれた。

僕たちのツリーハウス作ろう 小学生がクラウドファンディングで出資を募る

【池田充雄】つくば市桜の英語学童保育、キッズクリエーションアフタースクールに通う小学生16人が、園庭にツリーハウスを作ろうと、インターネットを通じて支援を募るクラウドファンディングに挑戦中だ。7月7日には国内大手サイト「キャンプファイヤー」にプロジェクトページを立ち上げた。小学生による起案は全国でも初めてという。 活動の発端は、子どもたちが学童の庭をもっと面白くするため、木の上に秘密基地を作りたいと考えたこと。雨風にも耐えられるしっかりしたものを建てたいが、自分たちには知識も技術も資金も足りない。でも絶対にあきらめたくない。その気持ちが周りの大人たちを動かし、プロジェクトがスタートした。 自分たちの思いをどうしたら大勢の人に伝えられるか。そこでもたくさんの試行錯誤があった。プロジェクトページに載せた動画や、報道各社へ送ったプレスリリースも、子どもたち自身が手がけた。キャンプファイヤーつくばの公開イベントでは、聴衆を前に自分たちの言葉でプレゼンテーションし、支援を呼び掛けた。その結果、少しずつ反響が寄せられるようになり、海外からの支援も届くようになった。子どもたちは「すごいな、一生懸命伝えたら、遠くの人にも届くんだな」と喜びとともに驚きの声を上げていた。 「大事なのは夢に向かう力。困難に直面してもあきらめず、困っていることをちゃんと人に伝え、助けを求められること。また、ワクワクする気持ちを伝え、自分たちと一緒に夢を見てくれる仲間を増やし、協働できること。それが大人になったとき、自分自身の人生をデザインし、切り開くために役立つはず。ここがその始まりの場所になってくれたらいい。そんな気持ちで子どもたちの応援をしている」と、キッズクリエーション代表の宮嶋さやかさん。 教室の壁に張った「感謝の木」には、出資者になってくれた人や、励ましのメッセージを送ってくれた人、身近で応援してくれる友達や家族など、みんなの名前を書き込んだ。ツリーハウスが完成したら「お礼の手紙を書きたい」「いっしょに入って遊びたい」など、実現の喜びを分かち合おうと気持ちも高まっている。 「労働したことのない子どもたちには、支援していただいたお金の本当の価値は実感できていないと思う。でも子どもなりの理解でいいから、とても大切なものをいただいているんだよという意識は、常に忘れないでいてほしい」と宮嶋さん。 プロジェクト「ぼくたちは小学生だけどツリーハウスを作りたい」の実施期間は9月11日まで。目標金額130万円に対し、8月6日現在の支援総額は999000円、達成率76%。詳細はhttps://camp-fire.jp/projects/view/77286へ。

ホンモノ!土浦日大㊦原動力は秋の大敗

【伊達康】春の準々決勝での敗戦後、土浦日大は夏に向けてどのように準備し、衝撃の3強撃破に至ったのだろうか。 エースの富田卓は昨秋、明秀学園日立に大敗してから体づくりに目覚め、自主的に身体的トレーニングと食事トレーニングに取り組むようになった。その結果は見事半年で結実し、体重が10キロほど増加して球速もいきなり10キロ近くアップした。 ところが、急激な体格の変化に投球感覚が追いついてこず、思うようにボールが指にかからない状態になった。そして練習試合解禁直後の3月には風邪を引いてしまい、しばらく練習ができなくなった。遅れを取り戻そうと焦った富田は春の大会前にいきなり過度の投げ込みを行い、それが原因で肩を故障した。4月はほとんど投げずに回復を待つことになる。春季県大会は準々決勝で霞ケ浦に3対5で敗退。試合後のミーティングで小菅勲監督は「エースが投げずに勝てるほど甘くはない」と富田に発憤を促した。 その後も黙々と下半身強化のトレーニングに精を出し回復を待った。肩の痛みが完全に癒えた6月3日、横浜高校との土浦市長杯招待試合で先発登板。5イニングを投げて無失点に抑える快投を披露し、夏への手応えを感じた。小菅監督のもとで下妻二高時代も含め20年もの間、総合コーチを務めてきた丸林直樹コーチは、「秋の屈辱、冬の鍛錬、春のけが。ターニングポイントを経験する度に富田は心身両面で目覚ましい成長を遂げた」と振り返る。 打線に関しては春の大会以降、5月から6月にかけて相当バットを振り込んだ。平日練習は守備練習を度外視してひたすらバットを振ってばかり。最速144キロの剛球を誇る明秀学園日立の細川拓也対策としてピッチングマシンの速度を145キロに設定して打ち込んだ。さらに打撃投手を通常よりも5㍍手前の13㍍の距離から投げさせ、打者がトップを早くとって準備をし、速球に振り負けない意識を持って取り組んだ。6月下旬になってようやくこの練習の成果が練習試合で形になって現われ、「これはもしかしたらいけるかもしれない」という雰囲気が生まれたそうだ。 やってみないと分からないを体現 8月5日に開幕した夏の甲子園。土浦日大は8月9日の第4試合に興南(沖縄)との初戦を迎える。相手は第92回大会で優勝を収めた超強豪校であり楽に勝てるはずがない。しかも藤木琉悠と宮城大弥の左腕の二枚看板は、右打者のインコースにクロスに入る140キロを超えるストレートと切れ味抜群のスライダーを放る全国でもトップクラスの能力を誇る。こんなピッチャーは茨城にはいない。 興南との対戦が決まってから土浦日大は、藤木・宮城のクロスに入ってくる角度のボールを想定し、ピッチングマシンをマウンドから一塁寄りに3㍍ずらしてバッティング練習を行っている。丸林コーチは「興南の映像を見て正直言って面食らった。ですがやってみないと分からない。勝つための準備をして臨むだけ」と期待感をにじませる。 「常総学院じゃないと夏の甲子園で勝てない」ーちまたではよくこんな言葉を耳にする。茨城の常総学院以外の夏の代表校は、2005年の藤代が柳川(福岡)に勝利して以来、13年間も勝利していないのだからそう言いたくなるのも納得だ。だが、今年の土浦日大はひと味違う。茨城の3強を撃破した非の打ち所がないホンモノだ。実力を出し切って勝利を収め、「茨城は常総学院じゃなくても甲子園で勝てる」ことをきっと証明してくれる。

ホンモノ!土浦日大㊤衝撃的だった3強撃破

【伊達康】一体、誰が土浦日大の2年連続優勝を予想できただろうか。春季大会を終えた時点で今年はシードの上位3校の力が抜きん出ており、秋と春の関東大会でいずれも1勝以上を挙げた。優勝した土浦日大には失礼だが、私は春までの結果を受けて夏はこの3校のどれかが優勝するだろうと予想していた。 土浦日大は初戦である2回戦の牛久に対しエース富田卓が完投して4対2で辛くも逃げ切ると、3回戦の勝田と4回戦の鉾田一には2番手格以降の投手が無失点に抑えて7回コールドで大勝。公立校を相手にここまでは順当な勝ち上がりといえよう。しかし、ここからはとてつもなくハードルの高い相手が待ち受けていた。 準々決勝の相手は、昨秋県大会2回戦で0対16の大敗を喫した第2シードの明秀学園日立だ。春のセンバツ甲子園では2勝を挙げ、プロ注目選手の増田陸や最速144キロの剛球を誇る細川拓也など圧倒的な力を持ち、土浦日大にとって因縁の相手である。 試合は土浦日大が3回に鈴木健太と木原琉位の連続ツーベースなどで3点を先制すると、7回に3点、8回に2点を追加し8点差をつけた。その裏に増田に3ランホームランを浴びたが、昨秋完膚なきまでにやられた相手をあわやコールドにまで追い詰めて、歯が立たなかった相手エースの細川から16安打を放って8対3で勝利を収めた。秋の大敗以降、「打倒・明秀学園日立」を合言葉に臥薪嘗胆(がしんしょうたん)の日々を経て勝利の瞬間を迎えたエースの富田は、まるで優勝したかのようにマウンド上で顔を紅潮させ絶叫していた。 非の打ち所のない破壊力を発揮 続く準決勝の相手は、春季県大会準々決勝で3対5と敗れた第3シードの霞ケ浦だ。土浦日大は前の試合で完投して疲労が残る富田を温存し、左腕の荒井を先発起用した。ところが荒井が霞ケ浦打線に早々に攻略され2点を献上し、予定より早く富田を出さざるを得なくなった。霞ケ浦の先発投手は最速142キロの本格派右腕・福浦太陽だ。春は井上莞嗣の3ランホームランでしか得点できなかった相手であり攻略は容易ではない。 ところが土浦日大はすぐに反撃した。4回表、5番・小澤礼嗣、6番・大賀、7番・鶴見恵大の3連打で同点とすると、9番・石渡のタイムリーで逆転に成功した。さらに7回表は鈴木健太のソロホームランなどで3点を奪い福浦をノックアウト。8回には最速144キロをマークする本格派右腕・鈴木寛人から、鈴木健太の2ランホームランで2点を追加し8点目を挙げた。 最後は霞ケ浦の怒濤(どとう)の猛追に3点差まで詰め寄られるが辛くも逃げ切って勝利。明秀学園日立・細川拓也を粉砕した土浦日大の攻撃陣は、茨城を代表する霞ケ浦の好投手に16安打を浴びせる非の打ち所のない破壊力を発揮して「猛打の土浦日大」を強烈に印象づけた。 「猛打の土浦日大」は決勝でも健在 決勝の相手は春の関東8強入りを果たした第1シードの常総学院だ。今年の常総学院は特に強力打線を武器としている近年まれに見る破壊力のあるチームに仕上がっている。土浦日大は3連投となるエースの富田を先発に据えた。一方の常総学院も、準決勝で1失点完投と結果を残した塙雄裕を連投させる勝負に出た。試合は2回裏に動く。常総学院は先頭の二瓶那弥がセンターのミスで三塁まで到達し、タイムリーで1点を先制する。1点を献上した土浦日大は4回表、相手のエラーに乗じて打者一巡の猛攻で同点、さらに逆転と一気に畳みかけ6点を挙げる。 5点のリードをもらったエース富田はその後、テンポよくストライク先行の投球を続ける。打ち気に焦る常総学院打線を切れ味抜群のスライダーで翻弄する渾身の投球で無失点に抑え1失点完投勝利を収めた。「猛打の土浦日大」は決勝でもやはり健在で、強打を標ぼうする常総学院のお株を奪う11本の二桁安打を放った。 準々決勝からの3試合で、茨城を代表する私学3強を撃破して2年連続の甲子園出場をたぐり寄せたのだった。先述したがあえてもう一度言わせてもらう。この衝撃的な結末を一体誰が予想できただろうか。予想の斜め上を行く土浦日大は茨城大会で実力を十分に証明できた。

常総市民ら30人が提訴 鬼怒川水害で国家賠償訴訟

【鈴木宏子】2015年9月に発生した鬼怒川水害で、住民が甚大な浸水被害を受けたのは、同河川を管理する国交省の管理に瑕疵(かし)があったためだとして、住宅や家財、車などに浸水被害を受けた常総市の住民ら30人が7日、国交省を相手取って、計約3億5000万円の損害賠償を求める国家賠償訴訟を水戸地裁下妻支部に起こした。 訴えたのは同市若宮戸、上三坂、水海道地区などに住む19世帯と1法人の30人。国家賠償法の時効となる2018年9月を前にした提訴となった。 訴えによると、越水した同市若宮戸地区は、堤防がなく砂丘林が堤防の役割を果たしていたが、国が河川区域に指定しなかったことから規制が及ばず、自然堤防が削られたとしている。さらに14年3月ごろからソーラーパネルが設置され、砂丘林の高さと幅がさらに小さくなり被害を拡大させたなどと強調している。 堤防が決壊した上三坂地区は、法令が定める堤防の高さと幅を大幅に下回っていたと指摘。国は毎年、堤防の高さを測量し、地盤沈下を繰り返して低くなっている事実を把握しながら、かさ上げすることなく放置したとしている。 市中心部の水海道地区は、排水河川である八間堀川排水機場の運転が停止されたなどから水位が急上昇し、水海道市街地に第1波の洪水が押し寄せた。その後も排水機場の運転再開が遅れ、同河川の堤防が決壊して第2波の洪水が発生。排水機場の操作規則に違反して運転再開が遅れたことが被害を拡大させたなどと主張している。 住宅2件が浸水被害を受けた原告団共同代表の片倉一美さん(65)は「これまで国交省との話し合いに参加してきたが、役人は何を言ってもろくな返事をしてくれなかった。なぜこんな被害を受けなくてはならなかったのか、裁判を通して原因を知りたい」と話した。弁護団の只野靖弁護士は「鬼怒川水害は河川管理をしている国の責任が甚大で、人災である可能性がひじょうに強い。全国でいろいろな水害が起きている。そういう人たちを勇気付けられる裁判にし、全国の治水の在り方を見直すきっかけになれば」と語った。

【ひと】夏休み明けの子ども相談に積極対応 土浦 中島隆一弁護士

【田中めぐみ】「さくらパートナーズ法律事務所」(土浦市文京町)所長の中島隆一弁護士(39)は、「学校事件・事故被害者全国弁護団」=メモ=に所属する県内唯一の窓口弁護士だ。 同弁護団は、学校での事故や、いじめ、体罰などで被害を受けた子どもの事件が多発していることを受けて2013年に発足。適切な法的救済を受けられていない現状を改善し子どもの人権を回復できるよう、問題解決に取り組むことを目的としている。 「全国で子どもに関する案件は少なくなく、いじめや事故、家庭内でのトラブル等で問題を抱えている子どもたちは多い。特に夏休み明けなど、新学期が始まるタイミングでは、悩みをもつ子どもたちにはストレスがより大きくかかる」と訴える中島弁護士。昨年は夏休み明けの9月16日に、全国一斉電話相談を行い、その窓口となった。 「責任感からか、ギリギリまで学校と交渉を続け、疲弊して相談に来られる保護者の方が多い」と語る中島弁護士。今年の全国一斉電話相談の実施は未定だが、無料相談日以外も相談は受け付けているので気軽に相談してほしいという。 弱者の人権を守りたい 毎年同弁護団では研究会を開催し、実際にあった案件を例に、解決法について研究を深めている。中島弁護士は「学校での問題に起因する案件は、交通事故などの一般的な案件と異なり、解決法が定型化していない」と語る。 例えば、学校内で子どもたち同士の問題が起こった場合、一番身近な教師や親が間に入り仲裁をする。しかし、教師や親は法律家のように調停のための特別な訓練を受けているわけではない。そのため適切な裁定ができないことが多々あるという。介入しても先入観から偏った判断を下してしまうなど、かえって問題が複雑化するケースも少なくない。どのように解決していくかは、常に実例を通した研さんが必要だという。 一児の父親。法律家を目指す前は教員を志していた。趣味は水泳で、マスターズ水泳大会で入賞するほどの実力。司法試験に向けて勉強をしていた時期は、水泳のインストラクターとして4年間、子どもたちを指導していた。「できなかったことができるようになっていく子どもたちの成長の過程を目の当たりにし、教えることの楽しさや、影響の大きさを実感した」と振り返り、「弱者の人権を守る役割をまっとうしたい」と語る。 さくらパートナーズ法律事務所 ▼〒300-0045 土浦市文京町4番8号 コーエイビル205 電話050・1518・6658 ホームページはhttps://sites.google.com/site/sakurapartnerslawoffice/ メモ 【学校事件・事故被害者全国弁護団】1県に1事務所、1弁護士を置くことを目標としているが、関東1都6県のうち千葉、群馬県にはまだ窓口弁護士が備わっていない。同弁護団の顕著な活動例としては、昨年3月、栃木県那須町で登山講習中の生徒7人と教諭の計8人が雪崩に巻き込まれて死亡した事故で、今月、同弁護団の弁護士らが遺族支援のための弁護団を結成したことが挙げられる。同弁護団は事実関係の解明から再発防止策の検討をしているという。

有志による恒久平和への鐘響く つくば市北斗寺

【崎山勝功】広島原爆投下から73年を迎えた6日、「鐘や太鼓など一振りの鳴り物を鳴らし、核なき世界の平和を実現させるために祈願する」として、市民有志による「平和の鐘一振り運動」が同日、つくば市栗原の北斗寺で行われた。 この運動は、長崎原爆投下の8月9日に合わせて2006年から毎年国内外で行われている。同市でも長崎出身者の「広島・長崎の被爆者を追悼したい」の願いに応えて、毎年8月6日と9日に同寺などで行われている。 同寺や参加者によると、約10年前に「9条の会つくば」の会員が「鐘を突かせてください」とお願いし、同寺が場所を提供する形で始まったという。 この日は数人の市民が、境内で広島平和式典のラジオ放送を流しながら鐘突き堂で鐘をならした。同寺の鐘突き堂は高所にあるため、参加者たちは一人ずつはしごを登って鐘の前に向かい、姿勢を低くして臨んだ。 「人間忘れやすいですから、8月6日の(広島)原爆投下のことを忘れないように、という思いで鐘を突いた」という同市在住の野崎浩司さん(73)は、17年7月に国連で核兵器禁止条約が採択されたことを挙げ「(原爆投下が)風化ではなく世界に広がっている」と語った。また戦争を美化する漫画やネット情報に感化された若年世代に対し、「自分の生活で精一杯なので、目の前の事しか見えていない。目先の事だけでなく長期的な視野で世の中を見てほしい」と話した。 「平和の鐘一振り運動」は長崎に原爆が投下された9日にも、午前10時50分から同寺で行われる。 ◆記者も突いてみた。参加者から「せっかく来たのだから鐘を突いてみては」との勧めに応じ、「平和の鐘」を突いて戦争で犠牲になった方々に思いをはせた。「戦争を知らない孫世代」が社会の中核を担うようになった現在、戦争体験をどのように次の世代に継承し、平和な生活を維持していくか考えさせられる。

原爆の悲惨さ、平和の尊さ伝え つくばで朗読劇 「サラダの会」

【崎山勝功】広島原爆投下の6日を前に、つくば市周辺地域の主婦たちの朗読グループ「サラダの会」主催による、広島・長崎原爆被爆者の体験手記の朗読劇「ヒロシマ・ナガサキ2018」が5日、同市吾妻のアルスホールで開かれた。市民ら75人が朗読劇を鑑賞した。 朗読劇では、5歳のときに長崎で被爆した田栗静行さん(78)=東京都八王子市=の体験手記「あの時、一緒に死んでしまえばよかった… 5歳のナガサキ被爆体験~」や「原爆詩集 峠三吉」などの体験手記や詩集から作品を選んで、「母と子」の視点で構成して同会会員が朗読。朗読に合わせてフルートやギターの演奏が流れ、場内のスクリーンには被爆した子どもたちのスライド写真などが映し出された。 会場には田栗さんの姿があった。田栗さんは上演終了後、「原爆や戦火の中で多くの人が犠牲になった。平和が続くよう、サラダの会の皆さんのように一人ひとりができる範囲で活動してもらいたいのが願い」と訴えた。その上で「今日もたくさんの人が集まってくれた。これは平和に対する努力だと思う。来てくれて(朗読を)聞いてくれたということだけでも大きな平和活動だと思う」と話してくれた。 同会メンバーで阿見町在住の中島八重子さん(74)は、「私たちは聞きに来てくださる方も仲間だと思っています」と話した。 同会は、朗読劇で戦争を擬似体験し、戦争の悲惨さや平和の尊さを感じ取ってもらえればと活動している。1995年から毎年広島と長崎に原爆が投下された8月6日または9日につくば市内で自主上演会を開き、今年で23年目という。また、茨城県内外の小学校や高校にも赴いて朗読劇を披露している。

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