金曜日, 11月 27, 2020
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【戦後73年の記憶】1 忘れることできない東京大空襲 杉田とよさん(93)

戦後73年目の夏がめぐってきた。戦後生まれが人口の8割を超え、遠くない将来に戦争体験を語ることができる人はいなくなる。繰り返してはならない悲惨な記憶を伝えるために、戦争体験者に話を聞いた。

【橋立多美】1925(大正14)年に筑波郡菅間村(現つくば市中菅間)に生まれた杉田とよさんは93歳。忘れることのできないのが東京大空襲だという。

当時とよさんは20歳。小石川に住んでいた親戚の家で大空襲に遭った。この家の夫婦には子どもがいなかったので、とよさんをかわいがってくれ、一人で上京していた。45(昭和20)年3月9日から10日に日付けが変わり、飛行機が飛来している音が近くなった途端、ものすごい爆風で窓ガラスが割れて家が大きく揺れた。とよさんは押し入れに逃げ込んで難を逃れ夫婦も無事だった。

米軍機B29の焼夷弾攻撃だった。攻撃が止んだまちには火の手が上がり、夢中で近所の人たちと防火用水槽の水をバケツリレーで運んだ。夜が明けると親類の家の2階は吹き飛ばされ、居間の火鉢の上に大きな石が乗っていた。3軒隣で食堂を営んでいた家族4人は、敷地内に穴を掘った防空壕に逃げ込んだが、爆風で飛んできたトタンや瓦などで生き埋めになり、地表に指3本が出ていたそうだ。

とよさんは「筑波山山頂に敵機監視所、作谷には陸軍西筑波飛行場と格納庫があったが、実際に攻撃されたことはなかったから恐ろしかった」と振り返る。

戦後は一層の食糧不足

同年8月に無条件降伏して戦争が終わり、戦地に行っていた兵隊たちが帰ってきた。その一人で、とよさんより1つ年上の次郎さんと翌年同市臼井に所帯を持った。当時2人が通った小学校は男女別学か、同じ学級でも「席は同じうせず」が当たり前。一緒に遊ぶことは厳禁で好きな子がいても遠くから目を見交わすだけだった。

お互いに好きだった2人が再会してとよさんのお腹に命が宿った。「今は珍しくない『でき婚』だった」と笑い飛ばす。

次郎さんは村役場の職に就き、3女1男に恵まれた。だが、食糧不足は戦中を上回って一層苦しいものとなり、4人の子を育てるのに配給米だけでは足りず、高い闇米を買うしかなかった。それでも、大根などの野菜を入れて量を増した「大根めし」が常食だった。「食べ物では苦労した」としみじみ話す。

とよさんは「また年寄りの繰り言かと耳を貸さない人もいるが、こんな時代があったことを知って欲しい」と話を締めくくった。

次郎さんは19年前に75歳で没した。とよさんは80年代、初めて次郎さんと手をつないで訪ねた草津白根山の湯釜で撮った写真を大切にしている。信頼し合い戦後をともに生きた証しだ。

とよさんが大切にしている写真。50代の2人が写っている

※メモ

【焼夷弾】対象物を貫通や爆破で破壊するのではなく燃焼させることを主眼に置いた砲弾や爆弾。戦時中は木造家屋が密集する都市で使われた。

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