【伊達康】春の準々決勝での敗戦後、土浦日大は夏に向けてどのように準備し、衝撃の3強撃破に至ったのだろうか。
エースの富田卓は昨秋、明秀学園日立に大敗してから体づくりに目覚め、自主的に身体的トレーニングと食事トレーニングに取り組むようになった。その結果は見事半年で結実し、体重が10キロほど増加して球速もいきなり10キロ近くアップした。
ところが、急激な体格の変化に投球感覚が追いついてこず、思うようにボールが指にかからない状態になった。そして練習試合解禁直後の3月には風邪を引いてしまい、しばらく練習ができなくなった。遅れを取り戻そうと焦った富田は春の大会前にいきなり過度の投げ込みを行い、それが原因で肩を故障した。4月はほとんど投げずに回復を待つことになる。春季県大会は準々決勝で霞ケ浦に3対5で敗退。試合後のミーティングで小菅勲監督は「エースが投げずに勝てるほど甘くはない」と富田に発憤を促した。
その後も黙々と下半身強化のトレーニングに精を出し回復を待った。肩の痛みが完全に癒えた6月3日、横浜高校との土浦市長杯招待試合で先発登板。5イニングを投げて無失点に抑える快投を披露し、夏への手応えを感じた。小菅監督のもとで下妻二高時代も含め20年もの間、総合コーチを務めてきた丸林直樹コーチは、「秋の屈辱、冬の鍛錬、春のけが。ターニングポイントを経験する度に富田は心身両面で目覚ましい成長を遂げた」と振り返る。
打線に関しては春の大会以降、5月から6月にかけて相当バットを振り込んだ。平日練習は守備練習を度外視してひたすらバットを振ってばかり。最速144キロの剛球を誇る明秀学園日立の細川拓也対策としてピッチングマシンの速度を145キロに設定して打ち込んだ。さらに打撃投手を通常よりも5㍍手前の13㍍の距離から投げさせ、打者がトップを早くとって準備をし、速球に振り負けない意識を持って取り組んだ。6月下旬になってようやくこの練習の成果が練習試合で形になって現われ、「これはもしかしたらいけるかもしれない」という雰囲気が生まれたそうだ。
やってみないと分からないを体現
8月5日に開幕した夏の甲子園。土浦日大は8月9日の第4試合に興南(沖縄)との初戦を迎える。相手は第92回大会で優勝を収めた超強豪校であり楽に勝てるはずがない。しかも藤木琉悠と宮城大弥の左腕の二枚看板は、右打者のインコースにクロスに入る140キロを超えるストレートと切れ味抜群のスライダーを放る全国でもトップクラスの能力を誇る。こんなピッチャーは茨城にはいない。
興南との対戦が決まってから土浦日大は、藤木・宮城のクロスに入ってくる角度のボールを想定し、ピッチングマシンをマウンドから一塁寄りに3㍍ずらしてバッティング練習を行っている。丸林コーチは「興南の映像を見て正直言って面食らった。ですがやってみないと分からない。勝つための準備をして臨むだけ」と期待感をにじませる。
「常総学院じゃないと夏の甲子園で勝てない」ーちまたではよくこんな言葉を耳にする。茨城の常総学院以外の夏の代表校は、2005年の藤代が柳川(福岡)に勝利して以来、13年間も勝利していないのだからそう言いたくなるのも納得だ。だが、今年の土浦日大はひと味違う。茨城の3強を撃破した非の打ち所がないホンモノだ。実力を出し切って勝利を収め、「茨城は常総学院じゃなくても甲子園で勝てる」ことをきっと証明してくれる。