土曜日, 4月 20, 2024
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この国の農業をどうする?《邑から日本を見る》155

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荒れ地がまもなく飼料畑に

【コラム・先﨑千尋】政府は先月27日、農政の憲法と言える「食料・農業・農村基本法」の改正案を閣議決定し、国会に提出した。同法の前身は、1961年に制定された農業基本法。経済の高度成長に合わせた法律だったが、1999年に、経済と農業・農村の激変に対応するために現行の法律になった。

法の制定から25年経ち、世界では食料争奪が激化し、国内では人口減少が進んでいる。今回の改正は、食料安保の確保を基本理念に掲げ、紛争に伴う食糧危機や地球温暖化、人口減少に対応し、環境と調和のとれた食料システムの確立を目指すというもの。来年度予算の成立後に衆参各院で審議がなされる見通しだ。

改正案では、食料安保を「良質な食料が合理的な価格で安定的に供給され、かつ国民一人一人がこれを入手できる状態」と定義している。食料自給率のほか、肥料や飼料など農業資材の確保などを念頭に複数の目標を設定し、達成状況を年に1回調査する。また、環境と調和のとれた食料システムの確立や多面的機能の発揮、農業の持続的な発展、農村の振興、水産業及び林業への配慮も条文に盛り込まれている。

では農業の現状はどうか。

同法制定時と比べて、農業の基盤である農地面積は57万ヘクタール(12%)減少し、基幹的農業従事者は234万人から116万人と半減している(23年)。農家の手取り収入となる生産農業所得は3兆1051億円(22年)と、大企業1社の売り上げにも満たない。この間、食料自給率はエネルギー換算で40%から38%にダウンしている(22年)。

この基本法案はわが国の農業のあるべき姿を示しているのだが、掲げている「環境と調和のとれた食料システムの確保」や「多面的機能の発揮」などは、現状がそうはなっていないことを証明しているものだ。どうしてそうなってしまったのかの検証がなされなければ、為政者の希望、願望にすぎない。

農業では食えない現実

国全体の数値や法律のことはさておき、私が住んでいる地域の周りを見てみよう。やはり遊休農地が年々増えており、後継者もいない。イノシシがワガモノ顔に田畑を荒らしている。空き家も増えている。

その根本原因は何か。訳は簡単だ。農業では食えない、生活できないから。弥生時代以来、日本人は全体として米を腹いっぱい食べることを夢みてきた。それが達成できたのが1970年頃。まだ50年前のことだ。喜んだのは束の間。すぐにコメ余りになり、減反政策が始まった。米価もどんどん下がり、農水省の統計でも大幅赤字だ。

変化の兆しもある。すぐ近くで花づくりをしているI君。石岡市八郷地区で有機農業・里山農業に取り組んでいるY君。いずれも農家の出身ではない。2人とも明るい。遊休農地を借りて干し芋用のサツマイモを作付けしているK君。隣町のM農場は、昨年から牛の飼料となるデントコーンを一面に作付けしている。常陸大宮市では、市が率先して有機農業に取り組み、学校給食にも有機農産物を提供している。

県内では農業でゆったりと暮らしている地域もある。鹿行地域や坂東市岩井地区などだ。あちこちの直売所もにぎわっている。ぼやくだけでは何も生まれない。生産者が変わるだけでなく、消費者も変わらなければ、とつくづく考えている。わが国の農業がなくなれば、詰まるところ、国民全体、消費者の皆さんも困るのではないか。法律以前の話だ。(元瓜連町長)

今年の高校入試 土浦一受験者が大幅減《竹林亭日乗》14

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雪が積もった筑波山

【コラム・片岡英明】県立高校入試が2月28日にあり、発表は3月12日である。今年は、土浦一高が4学級に募集減、牛久栄進高が1学級増、筑波高が進学コースを設置―などがあり、注目している。

報道によると、土浦一高は募集160人に対して受験が208人で、倍率が1.3倍と高くなった。昨年は募集240人に対して受験283人と1.18倍だったので、倍率は上がった。しかし、受験者は昨年より75人減っている。今回はこの受験者減について考えたい。

土浦一高に附属中学が設置される前の2020年は、320人の募集に対し受験したのは417人だから、今年の受験者は20年の半分である。募集が半分だから受験者減は当然で、その分、競合校の受験が増えたとの見方もある。

そこで、昨年のつくば在住生徒の県立高進学数を見ると、多い順に、竹園高200人、牛久栄進高129人、土浦二高113人、土浦一高88人だった。ちなみに、この6年間のこれら4校への総志願者数は以下の通りだ。

<定員>
▽2020年まで: 4校とも定員320人           合計1280人
▽2021年:土浦一が中学設置で1学級減280人      合計1240人
▽2022年・23年:土浦一がさらに1学級減240人    合計1200人
▽2024年:土浦一が2学級減160人、牛久栄進が40人増 合計1160人

最近4年で、つくばからの進学者の多い県立4校の定員が120人削減されたことになる。これら定員削減に伴って総受験者数も減少している。

<4校の総受験者数>
▽2019年:募集1280人 受験者1653人 倍率1.29倍
▽2020年:   1280     1671    1.31
▽2021年:   1240     1512    1.22
▽2022年:   1200     1549    1.29
▽2023年:   1200     1496    1.25
▽2024年:   1160     1483    1.28

4校の平均倍率は毎年1.2~1.3倍とほぼ一定で、人気校といえる。そういった高校の定員削減によって、受験者が1600人台から1400人台に減少していることがわかる。

志願先変更数からのメッセージ

この受験減から、高倍率の人気校を避けざるをえない受験生の苦労を読み取ってほしい。それは、いったん出願した後の志願先変更にも表れている。

今年の4校の当初志願者数と志願先変更後の差は、竹園16人減、牛久栄進2人減、土浦二12人減(昨年1人)、土浦一14人減(昨年8人)である。

竹園は320人募集に、昨年の395人から40人増加し435人、志願先変更で16人減の419人。牛久栄進は募集が320人から360人に増加したが、受験者が449人から440人に減少。志願先変更では2名減の438人と倍率が低下し、定員増の効果が出ている。

一方、土浦一は募集が240人から160人に削減され、受験者が283人から222人と61名減少。志願先変更でさらに14名減の208人となった。土浦二は320人募集に昨年369人から430人と61人増加したが、志願先変更で12名減少し、418人。土浦一・土浦二の志願先変更数の多さから受験生の声を読み取りたい。

定員削減のために発生した高倍率を避ける動きが竹園・土浦二・土浦一で生まれ、結果として志願先変更で4校の受験者は44人減少した。土浦一には、門を狭めずに地域の伝統校として多くの受験者が集まる魅力ある学校になってほしい。

県には、人気校の定員削減が、全体として今回取り上げた4校の総受験者数の減少につながっていることを理解してほしい。また、受験生がいったん志願した高校を変更するときの心情を受けとめてほしい。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

阿見町の茨城大学農学部《日本一の湖のほとりにある街の話》21

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イラストは筆者

【コラム・若田部哲】人はパンのみにて生くるものにあらず。しかれども、パン無かりせばそも生くること能わず。

我々生き物に必要不可欠な食物。阿見町にある茨城大学農学部では、食料の生産・品質の向上改善のための様々な研究がなされています。今回、同大国際フィールド農学センターの小松﨑将一教授に、土浦市・美浦村・阿見町―3市町村連携による、生ごみリサイクルによる地域環境改善と食物生産向上の研究について、お話を伺いました。

地球温暖化対策ならびに廃棄物の抑制は、現代における喫緊(きっきん)の課題となっています。そうした中、土浦市の日立セメント株式会社では、生ごみの発酵処理によるメタンガスなどのエネルギー生産と、発酵残滓(ざんし、残りかす)による堆肥生産を行っています。しかし、この堆肥は栄養成分バランスの偏りという問題がありました。

一方、JRAトレーニングセンターを擁する美浦村では、連日大量の馬糞(ふん)が発生し、この成分の地中への溶脱による水質低下などが問題視されていました。

生ごみ発酵残滓に糞を混ぜる

ここで、阿見町・小松﨑教授の出番です。教授は日立セメントの発酵残滓に、鶏糞・牛糞・馬糞をそれぞれ混合し、その育成効果の研究を行いました。その結果、残滓に対し50%の馬糞を混ぜることにより、コマツナの育成実験において、5.9倍の生育向上という目覚ましい成果を確認したのだそうです。

もともとの発酵残滓は、さらに2次発酵をさせれば肥料としての性能は向上するものの、そのためには新たな設備を追加せねばならず、割高なものになってしまいます。それに対し同研究は、発酵残滓に馬糞という地域資源を混ぜるだけで劇的に肥料効果を高めるという、簡便かつ地域が連携して問題を解決していくという、実に素晴らしい内容です。

実学の極みたる農学のお話は、伺いつつワクワクが止まらない、素晴しいひと時でした。余談ですが、つねづね定年退職したら、改めて大学で勉強し直したいと思っています。芸術をやり直す、経営を学ぶなど考えていましたが、農学も素敵だな…と、新たな悩ましい選択肢が浮かぶ取材となりました。(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

→これまで紹介した場所はこちら

マルハラと言葉の豊かさ《遊民通信》84

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【コラム・田口哲郎】

前略

昨今、マルハラなる言葉が世間に流通しています。若者がLINEなどで、文末に句点の「。」をつけるのをためらい、つけられて送られてくると威圧感を感じるというもの。たとえば、やりとりのなかで「わかりました。」と送ると、キッパリと言っているように思われて、怒ってるのかな?と心配されることのようです。マルハラと受け取られないように、「わかりました〜」とか「わかりました(^^)」などとソフトな印象を与える必要があるようです。

でも、文末につける絵文字に気をつけて、顔文字を並べすぎないようにしないと、おじさん構文と言われます。「おっけー!!わかったよ〜(^^)(^^)(^^)/」などとついつい過剰に飾り立ててしまうと、若者に揶揄(やゆ)されるのです。オジサンなので、末尾をデコってユルい雰囲気をかもし出したくなる気持ちはよくわかるのです。

あまりに素っ気ないとハラスメントと言われ、マルハラを回避すべく無理してテンションをあげるとオジサンぽいと言われる。どうすればよいのだという気持ちになります。

これは、日本人の繊細さが引き起こすものだとか、若者のナイーブさはいつの時代も変わらないとか、オジサン、オバサンを茶化(ちゃか)す文化はいまに始まったことではない(たとえばオバタリアンの強烈なキャラクターやサラリーマン川柳の自虐のセンス)とか、理由はさまざま考えられるし、言おうと思えばなんとでも言える気がします。そしてマルハラについて何を言おうと言い古されていることの繰り返しになるでしょう。

効率化がまねく、文章の簡素化

ひとつこうした現象について思うのは、いくらコミュニケーションツールが変わっても、人間同士の意思疎通の基本は変わらないのだなということ。そして、意思疎通の表現が簡素化されて言わば貧弱になっているということです。

文末に「。」をつけるかつけないか、というミニマリズムが極まるまでに、効率化が進行しているのではないでしょうか。飾り立てることはできても、これ以上は削れないレベルで選択を迫られる。他人と関わることを省エネするために言葉を簡単にしてしまったら、最後に句点の有無にまできてしまった。

紙の手紙ならば、文末につける決まり文句は多彩です。たとえば「時節柄、どうぞご自愛くださいませ」。手紙のやりとりではよく書きますが、LINEの了解伝達ではなかなか書かない文句です。できるだけ用件のみを伝えようというのではなく、相手を思いやる気持ちが定型ながら込められています。

そうすると、「。」で締めくくられていても、マルハラだ!とはならない。心の栄養みたいなものをきちんとつけてあげれば、ひもじくはない。人間の気持ちはカンタンに済まそうとしても思い通りにはならないようにできているようですね。

ごきげんよう。

(散歩好きの文明批評家)

病院でも増える外国人の患者《医療通訳のつぶやき》6

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写真は筆者

【コラム・松永悠】ここ1年くらい、電車に乗れば必ずと言っていいくらい、外国人観光客の姿が目に入ります。コロナによる制限がなくなって、さらに円安も手伝って、来日する海外の方が急速に増えていると実感しているのは私だけじゃないはずです。

実は、病院の中でも同じように、コロナ禍前よりも外国人患者が増えています。観光と違って、病気の治療は一刻を争うものです。がんや難病と診断された中国人患者が、藁(わら)にもすがる思いで日本の病院に来ています。

日本の医療機関で中国人患者がどんな治療を受けているかというと、例えば先端医療である陽子線治療、重粒子治療、手術支援ロボットダヴィンチなどを使って行う高度な手術などです。どれも医療機器が最先端だったり、熟練な技が必須だったりするものばかりで、今の中国では同じレベルの治療が難しいのが現状です。

医療通訳という仕事柄、私は日頃から日本の医師と中国の患者に接していて、どちらの気持ちも感想も最前線で見て、感じています。たくさんの不安を抱えながら、日本の医師にていねいに診察・治療をしてもらって、元気になって帰っていく患者もいれば、なかなか見ないケースに奮闘して、一生懸命治療法を考える医師もいます。

私の父が内科の医師でしたので、小さい頃から父からいろんな病気の話を聞いて育ちました。医師というのは人の命を救うのがもちろん仕事ですが、医学への探究心から難病や難しいケースと出会ったとき、絶対助けてあげるという仁の心と、研究したい、経験を積みたいという気持ちもたくさんあると言います。

観光地が混む、マナーが悪いと言ったインバウンドビジネスに対するマイナス意見も出ている中、病院内まで外国人が入って来たら嫌だ!という声も聞こえてきます。正直に言うと、このような意見を耳にするとき、いつも複雑な気持ちになります。

外国人患者がありがたくなる日

医療通訳を介して診察するため、どうしても診療時間がかかってしまうのは事実です。そのため医師が通常通りの診察ができず、日本人患者に割り当てられる時間が減ってしまい、一定の影響があるのは否定できません。

しかし一方で、少子高齢化が進む今、今後、患者の数も減っていくと容易に想像できます。そうなると、病院の経営も厳しくなりますし、病例の数も減っていきます。若手の医師になかなかチャンスが回って来ず、件数をこなさないと上達できない検査や手術もいっぱいあります。そうなってしまうと、医療水準が低下してしまうリスクも出てくるのではないでしょうか。

ここで考え方を変えて、しっかり外国人患者の受け入れ体制を作って、医療通訳もたくさん養成すれば、人を救いながら医師も成長して、さらに病院の経営にも一役を担うと言う流れができたら、外国人患者はありがたい存在になる日も来るかもしれません。

少なくとも、私は養成講師として、これからも良い人材を見つけて、良い医療通訳を送り出したいと思っている今日この頃です。(医療通訳)

<参考> 医療通訳の相談は松永rencongkuan@icloud.comまで。

人の幸せを語れるほどの力はありませんが…《続・気軽にSOS》147

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【コラム・浅井和幸】心理相談、居住支援、不登校・ひきこもり相談などなど、様々な相談や支援をしていると、クライアントの役に立てているのかを考えることが多々あります。

役に立つとは何か? その人の希望や目的に近づくサポートをする、苦しみや悩みを軽くする関わりをするということでしょうか。少しでも幸せに近づけるような接し方をするということでしょうか。

幸せとは何でしょうか? 何かを楽しめることや生きる余裕があることでしょうか。それとも今が楽しいことでしょうか。あるいは、死ぬ前に良い人生だったと感じられることでしょうか。

幸せになることは権利でしょうか、義務でしょうか。そして、不幸にはなってはいけないものでしょうか。

まだまだ未熟な私には答えが出ません。迷っているときは、とりあえずの今の人生観で接するしかないと考えています。今の楽しみをあまり損なわないように、それでも、もっと長い目で良かったと思えるように関わりたいと。

幸せが何かということも、何となく生活に余裕があって、ささいなことでも喜べることかなぐらいとしか考えられていません。例えば、空を見上げてきれいだなと感じられるとか、水を飲んでのどの渇きが潤ったとかが、ささいなことで喜べるということです。

人は不幸になる権利もある

繰り返してしまいますが、幸せになることは権利でしょうか、義務でしょうか? 不幸になってはいけないものなのでしょうか。どこまで他人である私が関わってよいものでしょうか。今の段階での私の答えは次のものです。

人は幸せになる権利もあるし、不幸になる権利もある。だから、ある人が不幸になりたいと考えているのに、浅井がそれを邪魔してはいけない。

結果、「浅井には、他人の幸と不幸を判断できるほどの立派な力があるわけではないけれど、自分自身も幸せに近づくだろうなと考えられる方向性は、依頼があれば出来る限りサポートする。だけど、不幸になりたいという人の権利はできるだけ邪魔をしないしようと努力するけれど、手伝うことは避ける」というのが、今の段階での私の答えです。

そこで、周りの人や環境への悪口、暴力、正義や愛の押し付け、人を悲しませたり苦しませたりすること、仕返し、自傷他害…。短期的な喜びを得たいという感覚に振り回された、中長期的な不幸を自分に呼び込む権利を行使していないでしょうか。

老婆心ながら、勝手に心配をしております。皆さんが、支えあい、苦しみや楽しみを共有し、少しでもより良い生活を送ることができることを願っています。(精神保健福祉士)

半導体戦争の主戦場、台湾から日本へ《雑記帳》57

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菜の花

【コラム・瀧田薫】2021年秋、台湾積体電路製造(TSMC)が、日本の熊本県に新工場を建設するとの報道発表があった。近年、「半導体」は石油をしのぐ重要戦略物資と化し、同時に米中技術覇権争いの最大・最高の焦点にもなっている。「半導体を制するものは世界を制する」といった言葉さえ耳にする。

そのなかで、TSMCの存在感は急上昇し、すでに世界最大かつ世界最先端の半導体受託製造会社である。そのTSMCがなぜ日本への進出を決めたのか。背景にあるのは、「地政学的要因・経済安保」の問題と「半導体関連技術のトレンド変化」である。

米バイデン政権は22年10月に「BIS(商務省産業安全保障局)輸出管理規則」を打ち出し、最先端半導体はもとより、半導体製造装置などの開発・製造に関連する物品の対中輸出を規制した。同時に、NATO加盟国、日本、韓国、そして台湾に、米国の対中政策への同調を求めた。

一方、これに先立つ20年5月、TSMCは米アリゾナ州に工場を建設することを決定したが、経済紙などは米国の圧力に対するTSMC側の苦渋の決断であると論評した。米中どちらとも友好関係を保ちたいのがTSMCの本音であった。ちなみにTSMCはその後、アリゾナで労働者の確保や地元労働組合との関係に苦しみ、アリゾナ工場での生産の開始は25年前半にずれ込むとのプレス発表である。

TSMCの日本進出については、もちろん「経済安保」も台湾有事に対する備えの問題もあるが、TSMCの側が日本進出に乗り気であった点、米国とは事情が異なる。TSMC側に半導体製造技術面で日本に対する期待があるからだ。

TSMC熊本工場建設に巨額補助金

日本国内の半導体事業はこれまで低迷続きだったのだが、半導体の製造技術にパラダイム変化が起きており、これが日本再浮上のきっかけになりそうなのだ。これまで、半導体の性能は、回路の微細化・精密化の技術に支えられて倍々ゲームで伸びてきた。しかし、このトレンドには物理的にも経済効率的にも限界が見えてきている。

これを突破する方法として浮上してきたのが「半導体材料や製造装置関連の技術革新」であるが、これはもともと日本の得意分野なのである。

TSMCは22年6月、つくば市の産業技術総合研究所つくばセンター内に「TSMCジャパン3DIC研究開発センター」を開所した。この研究所は、3次元パッケージ技術の量産を可能にする技術開発を、日本の材料メーカーや装置メーカー、研究機関との共同研究で推進する。これを成功させて、日本の半導体事業を再生できれば素晴らしい。

問題はこの寄り合い所帯の運営をどう賄うかだ。もちろん、TSMCもただで日本に進出するわけではない。日本政府はTSMC熊本工場の建設に巨額の補助金を支出した。しかし、維持費の補助も必要になるかもしれない。防衛予算、子育て支援、福祉・介護予算、教育・研究支援、災害復興など、今後予想される財政負担は目白押しである。それらとの折り合いをどうするか、政府による説明はない。

裏金作りばかり上手な政治家にこの難問が解けるだろうか。日本の産業、経済の将来が派閥領袖の支配下にある永田町次第ということでは危う過ぎると思う。(茨城キリスト教大学名誉教授)

土浦一高・附属中校長 ヨゲンドラ氏の試み《吾妻カガミ》178

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プラニク・ヨゲンドラ土浦一高・附属中校長

【コラム・坂本栄】茨城県立高校の校長公募で採用されたプラニク・ヨゲンドラ氏が土浦一高・附属中学の校長に就任してからそろそろ1年、副校長時のインタビュー記事「キーパーソン」で紹介してから2年近くになります。2月下旬、所用で土浦一高に行った際、いま何に取り組んでいるのか聞いてきました。

国際性育成と外国留学

「キーパーソン」でも書いたように、インド出身のヨギさん(ヨゲンドラ氏の愛称)が知事と県教育委員会から与えられたミッションは、生徒の国際性育成と外国留学、それから学校改革の3つでした。

国際性育成では、この1年の間に、アメリカ、ドイツ、オーストラリア、インドネシアの学生に来校してもらい、それぞれ1~3日の交流が実現。また、国内のインド人学校へ生徒が訪問、台湾の学生とはオンラインで交流したそうです。「外国の学生は自己肯定感が高いことがよく理解できたと思う」と、生徒には刺激になったとの評価でした。

外国留学(1年~半年)は、校長就任2年目の来年度に6人が予定されているそうです。留学先は、欧米のほか、オーストラリア、ニュージーランド。「海外経験をすると世界を見る目が変わる。これらの結果を見ながら今後も出していきたい」と、人数と留学先を広げることに意欲的でした。

ITシステムで進路指導

ヨギさんは日本に来てから金融系企業で仕事をしていたこともあり、学校改革には意欲的です。

「学校はいろいろな情報がすべてペーパーの世界。生徒の進路情報や教員の残業状況などが別々の書類になっており、まとまった形で見られない。この生徒はどの時期に成績が落ちたのか、そのとき学校側がどう対応したのか、などの関連が分からない。各種の情報を一覧できるような管理システムが必要だ」

「土浦一高は進学校であり、毎年(少なくとも)東大に20人、医学部に20人ぐらい入れるには(これが一番のミッション?)、ペーパー文化では結果を出せない。今の進路情報管理では、どの生徒が東大に行ける資質を持っているかよく分からないし、適切な進路指導もできない」

ヨギさんによると、昨年秋、生徒・教員情報のIT化を目指し、県教育委に青写真を提出したそうです。教育委もその必要性を分かっているようですから、早晩、土浦一高が導入する新システムが全県立高に広まるのではないでしょうか。

高1は内進と高入を分離

ヨギさんの話を聞いていて、「えっ」と思ったことがありました。附属中の1期生がこの4月に高校1年に上がりますが、その内進生(2クラス)は、高校1年で今春入学する高入生(4クラス)と「混ぜない」というのです。

内進生と高入生の分離は県教育委の指示によるもので、高1年は別々にし、高2・3年になってから「混ぜる」そうです。こういったクラス分けは土浦一高と水戸一高だけに適用され、附属中を持つ他の県立高は高1年時から「混ぜる」ということでした。

どうして内進生と高入生を分離するのか? 内進生は高1で学ぶ数学を中3で学んでおり、繰り返しを避けるというのがヨギさんの説明でした。県教育委は、土浦一高と水戸一高に絞って、附属中から入った優秀な生徒を特別に鍛える方針と言ってよいでしょう。

「起業家精神を育てたい」

ヨギさんの試みで面白いのは探求学習の重視です。具体的には「弁当工場を立ち上げ弁当を販売するといった事例研究をさせて起業家精神を育てたい」といった内容ですが、国際感覚や起業意欲が将来の仕事に必要というだけでなく、こういったセンス・マインドが生徒の進学意欲も高めると考えているようです。(経済ジャーナリスト)

<参考>

土浦一高&附属中の学校案内2024に掲載されていた3表にリンクを張りました。 

出身小学校別生徒数

出身中学校別生徒数

進学先大学名まとめ

湖沼市民会議で 霞ケ浦と宍道湖の住民が交流《くずかごの唄》136

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】茨城県主催のシンポジウム「いばらき湖沼市民会議―宍道湖・中海と市民活動について」が2月17日、 宍道湖漁業協同組合の桑原正樹氏も出席して県環境科学センター(土浦市沖宿町)で開かれた。宍道湖・中海住民と霞ケ浦住民の交流は奥が深い。40年前、両方の住民がアオコ問題を提起し、「水の時代」を開いたのである。

1983年に京都で開かれた第1回世界湖沼環境会議プレ会議で、私は地域住民が始めた霞ケ浦流入河川56本の水質調査の報告をした。そして翌年、本会議が大津で開催され、佐賀純一さん(土浦市の医師)が「アオコ河童からの提言」という題で、霞ケ浦のアオコの実情を発表した。

子育て中だった当時の私には、世界中の人たちにアオコを見てもらうだけでなく、匂いをかいでほしいという強い願望があった。その日採取した霞ケ浦のアオコの水を瓶に入れて会場で披露したら、世界湖沼会議全体がアオコの匂いで騒然となった。

宍道湖・中海からも漁民がたくさん参加していたが、湖を淡水化したら水がアオコだらけになってしまい、魚が採れなくなってしまうのではないかという危機感が高まり、漁民を核にした住民運動「宍道湖中海の淡水化に反対する住民連絡会」は、2カ月間で28万人の署名を集めた。

湖の水質保全と漁業の変化

当時の友末洋治茨城県知事に依頼され、霞ケ浦の水を最初に分析したのは義兄の奥井誠一である。当時、彼は東大の「衛生裁判化学」の助教授をしていた。国鉄総裁轢死(れきし)体をめぐる下山(定則)事件、森永乳業の砒素(ひそ)ミルク事件の分析にもかかわった毒物のプロである。

兄と雑談していたとき、「僕は心配しているんだ。アオコがこれだけたくさん発生してしまうと、アオコの毒性について本気になって調査しておかないと、後で大変なことになってしまうんじゃないかと…」。

あれから40年。アオコの発生は抑えられているが、霞ケ浦名物だったワカサギは取れなくなってしまった。今回のシンポジウムでの宍道湖・中海の漁民・住民との新しいつながりが、地球全体の気候の変化に対応した湖の水質保全と漁業の変化に対応できるかどうか、双方の住民に問われている。(随筆家、薬剤師)

パリジャンと私《ことばのおはなし》67

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【コラム・山口絹記】昔から朝が得意ではない。はて、私はなぜ「得意ではない」などと迂遠(うえん)な言い回しをしたのだろう。人様に見られると思って文章を書いていると、無意識にええカッコをしようとしてしまっていけない。ハッキリ書き直そう。

私は朝が憎い。朝なんて来なければいいと常々思っている。ここまで書くと意味が変わってしまうか。とにかく私は朝が苦手だ。毎日この世の終わりみたいな顔をして起き上がる。早く寝れば早く起きられるなんていうのは迷信だと思っているし、朝起きられないのは心が弱いからだなどとのたまう人間とは一生わかりあえないだろう。

ちまたにあふれる朝気持ちよく目覚める方法なんて、この四半世紀の間に全部試してきた。そのすべてが当然無駄だったのだ。しかし、憎さもいくところまでいくと、妙な憧れのような気持ちが芽生えてくる。

私には小さい頃からやってみたいことがある。朝早く起きて、大きな紙袋いっぱいにパンを買ってきて朝食をとってみたいのだ。そう、紙袋からフランスパンが突き出しているアレである。パリジャンになりたいのだ。パリの人々が毎朝パンを買いに出かけているかどうかは知らないが、そんなことはどうだっていい。とにかくやってみたい。あわよくば、毎朝そんな生活がしてみたい。

今日は保育園休み?

しかし現実は厳しい。私と生活をともにしたことがある人なら口をそろえて言うだろう。まぁ、無理でしょ、と。そんなことは自分でもわかっている。自覚はあるから言わなくてよろしい。

家族にブーイングを浴びせかけられながら、いくつもの目覚まし時計をかけ、鉛のような身体にムチを打って起き上がればできないこともないだろうが、そういうことがしたいんじゃない。小鳥のさえずりに目を覚まし、無駄にさわやかなアニメのオープニングのように、真っ白なカーテンを開いて家を飛び出したいのだ。まぁ、無理か。ああいうのはフィクションだし。そもそも朝から食欲なんてないし。

先日、年に1回あるかないかの、ふと早い時間に私が目を覚ましてしまう事象が発生した。エスプレッソとスクランブルエッグを作って鼻歌交じりにパンを焼いていると、もうすぐ3歳の息子が「保育園休み?」と妻に聞いた。小学生の娘はいつになく慌てて学校に行く支度を始める。

私が変な(世間一般に普通の)時間に起きてくるものだから、調子が狂ったのだろう。我が家の朝はそんな感じである。これからもたぶん、そんな感じなのだろう。(言語研究者)

郷愁の商店街のゲートと鳥居《看取り医者は見た!》14

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【コラム・平野国美】地域の特性に応じた役割を果たすために設けられてきた商店街のゲートは、どこから来たのでしょうか? というよりも、なぜ造られたのでしょうか?

都市計画学のバリー・シェルトンは、「日本の都市から学ぶこと」の中で、商店街におけるゲートと神社の鳥居を中心とした参道の共通性について指摘しています。私は古本屋でこの書籍を見つけ、読んでみました。日本で生まれて育った私たちにはわからない、いや、気づけない街の構造を異邦人側から見ると、どう見えるのか、とてもユニークでした。

近代以降の日本において、家屋の欧米化、街並みの欧米化が進んだわけですが、そこに、どこか日本固有の文化が残るようです。完全に欧米化しているようで、実は良くも悪くも日本的な要素が残る。そこが面白いのです。しかし、これは完全に証明はできないのだと思います。それは、無意識に行っているから。

商店街の成り立ちとして、神社が起点となっている痕跡は見られます。商店街や駅名に神社仏閣の名称が付けられていることからも分かると思うのです。江戸時代には商業が急速に発展しました。商人たちは商業活動を行う場所として、城下町や街道沿いの宿場町、そして門前町(神社の鳥居前町)があるのです。

神聖な世界と浮世を分ける結界

神社が単に宗教施設としてではなく、縁日や市場の場所として境内が利用されたことも、この流れなのだと思います。ここで、それを私が勝手に裏付けると思っている右の写真が、岡崎市のパワースポット呼ばれる「晴明神社」と本町晴明ストリートにある商店街のゲートです。

晴明の文字と五芒星(ごぼうせい)が飾られたゲートは商店街の入り口なのか? 神社の入り口なのか? いずれにしろ、神聖な世界と浮世を分ける結界を意味しているのではないでしょうか?

左の写真は、愛知県瀬戸市の「瀬戸銀座通り商店街」です。ここでは、ゲートと深川神社の鳥居が寄り添っています。調べてみましたが、商店街のゲートが神社の鳥居に由来するという記載は見つけられませんでした。しかし、全てではないとしても、一部の商店街のゲートが鳥居のデザインに影響を受けているのではないでしょうか?

バリー・シェルトンのような都市建築学の権威が、この二つの印象を関連付けています。商店街のゲートは日本の伝統的な要素も表現しています。それゆえ、日本全国に受け入れられ造られた時期があったのでしょう。(訪問診療医師)

筑波メディカルセンターの救命救急体制《メディカル知恵袋》3

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図2

【コラム・阿竹茂】現在、茨城県には救命救急センターが6カ所、高度救命救急センターが1カ所あります(図1)。救命救急センターの役割は「重篤患者に対する高度な専門的医療を総合的に実施することを基本とし、重症および複数の診療科領域にわたるすべての重篤な救急患者を24時間体制で受け入れること」です。

筑波メディカルセンター病院は、1985年に開催されたつくば科学万博に合わせ、県内2番目の救命救急センターとして設置されました。地方の救命救急センターとして、軽症から重症患者まで幅広い救急医療だけでなく、ドクターカーによる病院前救急医療、死後CT検査による死因究明のほか、災害時の救急医療も行ってきました。

図1

自家用車での救急外来受診も 

救急搬送される患者さんは、2022年には約 5000件に上り、うち1300件(全体の26%)が救命救急センターの集中治療室に入院しました。主な傷病は、急性心筋梗塞や心不全などの心疾患、重症外傷、脳血管障害(脳出血、脳梗塞)などです。

重症患者は救急車で搬送されるとは限りません。自家用車で来院して、救急外来を受診する方(walk in)の中に、急性心筋梗塞、脳卒中、重症感染症など、重症かつ緊急性の高い患者さんがいます。筑波メディカルセンターでは、緊急性の高い患者さんに迅速に対応し、来院後~診察の間に急変することを未然に防いでいます。

ドクターカーによる救急医療 

2012年から乗用車型ドクターカーの運用を始め、2022年にはドクターカーで786件出動し、240件の病院前診療を行いました。ドクターカーは消防署からの要請で出動し、救急車の救急隊と連絡を取りながら、現場や搬送途中で合流し、派遣された医師・看護師が診療を行います(図2)。

救急隊では行えない検査・処置・投薬を行うことで、傷病者の状態悪化を防ぎながら病院に搬送しています。急性心筋梗塞や重症外傷など、緊急性の高い傷病者の場合は、ドクターカー医師からの連絡によって、病院で対応するスタッフの招集や治療の準備を早期に始めることができます。

死後CT検査による死因究明 

筑波メディカルでは、救急外来での死亡確認症例のほぼ全例について、死後CT検査を行っています。来院時心肺停止の症例の多くは、救急外来で死亡確認を行います。2022年の外来死亡症例は149人で、死因究明のために141人(全体の95%)の死後CT検査が行われました。

特に目撃のない心肺停止の症例は経過が明らかでないため、死亡原因が不明となることがありますが、死後CT検査で急性大動脈解離や脳出血を認め、死因と診断できることがあります。目撃のある心肺停止でも、急性大動脈解離による心肺停止は通常の心肺蘇生法では救命できないため、新たな方法が必要となります。死後CT検査による死因究明が進むことで、急変時の対応方法が変化していく可能性があります。

災害拠点病院と救急災害医療 

救命救急センターを有する県内の病院はすべて災害拠点病院となっており、災害時医療の準備や訓練を行っています。筑波メディカルセンターでは、救命救急センターの医師や看護師が、災害医療派遣チーム(DMAT)の主な構成メンバーとなっています。

東日本大震災(2011年3月)、つくば竜巻災害(2012年5月)、常総市水害(2015年10月)では、筑波メディカルセンターは DMATの活動拠点となり、救急災害医療活動を行いました。今年1月に起きた能登半島地震では、3次隊として茨城DMAT15チームが被災地に派遣され、筑波メディカルセンターのDMATも珠洲市で活動しました。(筑波メディカルセンター病院 救命救急センター長)

初恋おひなさま《短いおはなし》24

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写真は筆者

【ノベル・伊東葎花】

僕の初恋は、姉のお雛(ひな)様。
美しい着物と優しい顔に、僕は見とれた。
手を伸ばすと姉に「触らないで」と叱られた。
だからいつも見ているだけの片思い。

あれは、10歳の春だ。
ひとりで留守番をしていた僕に、お雛様が話しかけてきた。

「ねえ君、私のことが好きなんでしょう。こっちにいらっしゃいよ」

振り向くとお雛様が、切れ長の目で僕を見ていた。

「君は良い子ね。お姉さんが私に触るなと言ったら、本当に触らないのね。だけどね、そんなのつまらないわ」

お雛様が手招きしている。

「触っていいの?」

「もちろんいいわよ」

僕はゆっくり手を伸ばして、お雛様に触れた。

「きれいだな」

「ありがとう。お内裏様は、そんなこと言ってくれないわ」

「そうなの?」

「もともと愛なんてないのよ。政略結婚だから」

「政略結婚?」

「昔はね、自分の気持ちなんて関係ないの。家のために結婚するの」

「ふうん。可哀想(かわいそう)」

「君とのおしゃべりは楽しいわ。お内裏様は無口で、何を考えているのか分からないの」

「僕も楽しい。雛祭りが過ぎてもここにいてよ」

「ダメよ。君の姉さんが行き遅れるわ」

「そうなの?」

「昔からの言い伝えよ」

お雛様は3月4日になるとすぐに、片付けられてしまった。
1年が待ち遠しい。早く会いたい。想(おも)いは募るばかりだ。

そして再び桃の季節がきて、お雛様が飾られた。
お雛様は、また僕にだけ話しかけてくれた。

「あら、少し大きくなったわね」

「もう5年生だよ。ねえ、触っていい?」

「いいけど、ちょっとだけよ。お内裏様がヤキモチ焼くから。彼、意外と可愛いの」

「えっ、政略結婚なのに? 無口でつまらないって言ってたよね」

「本当は優しいの。不器用なだけよ。簡単に愛を口にする人より信頼できるわ」

隣に並ぶお内裏様が、赤い顔で照れていた。
どうして? いつの間にか仲良しになっている。

「君も、いつか分かるわ。ほら、姉さんが来るわ。早く戻して」

僕は姉に叱られる前にお雛様を戻して、ため息をついた。
初恋は実らない。相手は人妻だ。

やがてお雛様が飾られることはなくなった。
姉は、言い伝え通り早くに嫁に行き、男の子3人の母になった。
僕も結婚して、女の子が生まれた。
女の子が生まれたら、姉のお雛様を譲ってもらおうと決めていた。

「えー、あんな古いのでいいの? あんた、よっぽどお雛様に触りたかったのね」

姉がコロコロ笑った。

初節句に、妻と2人でお雛様を飾った。
お雛様はもう話しかけてくれないけど、やはり美しい。

「素敵ね。お雛様もきれいだけど、お内裏様も凛々(りり)しいわね」

「本当だ。お似合いだね」

僕たちは毎年お雛様を飾った。
娘はすくすく成長し、もうすぐ小学生だ。
一緒にお雛様を飾っていた娘が、首を傾(かし)げながら言った。

「ねえパパ、政略結婚って、なに?」

(作家)

3月に山口県宇部市で「凱旋初個展」《続・平熱日記》152

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】この世の中で絵ほど高価なものはない。何億、何十億もするものは絵ぐらいのものである。オークションなどでも、他の美術品、例えば工芸品や彫刻などに比べても、桁違いに高価な値が付く。

要は、それでも欲しい人がいるということだろうが、私の場合、自分だったらいくら出すか、日当として(手製の額縁も込みである)これくらいはいただこうという値段をつけている。

芸術品としての市場価値や投資価値は今のところない。ついでに言うと、かかった時間や大きさに関係なく、同じ値段にしている。だから当然、絵を売って生活することなどできない。

個展が迫ってきた。3月中旬、山口県宇部市のアートギャラリー「グリシーヌ」で個展を開く。このギャラリーとのご縁については131話にある通りなのだが、実は昨年3月にギャラリーを訪れた折、そのつもりは全くなかったのだが、個展をするという話になって、あれから1年が経とうとしているわけだ。

1昨年、周南市にある粭島のホーランエー食堂で作品を並べさせてもらったのが故郷山口での初個展といえるかもしれないが、今回の宇部での展示が事実上の「凱旋初個展」となるのかな。

SNS上にあった20年前の私の絵

個展のタイトルは「平熱日記 in 宇部」とした。時折しも、山口が観光地として取りざたされているらしいが、宇部や山口にちなんだものを何かを描こうと思う。

宇部といえば、保育園の遠足で行って以来何度か訪ねた山口の誇る遊園地「ときわ公園」(昭和なジェットコースターもよかったけどトランポリンが大好きだった)。それから、中学のときに水泳大会で訪れたのは恩田プール(プールの底がセメント色で深かかった)。

山陽本線から乗り換えた当時の宇部線の車両をネットで探して描いてみた。それから何か建物が描きたくて、火災で焼失した山口の旧ザビエル記念堂を紙粘土で作って描いてみた。

そんなある日のこと。SNS上にどこかで見た絵の画像がアップされていて、それは20年前に私が描いた空を飛ぶ鳥の絵だった。私の数少ないフォロワーでもある投稿者の方のコメントによると、20年前に故郷のとあるギャラリーで買った絵を新しく額装し直したということだった。

当時、毎年正月に山口にちなんだ作家の小品展がこのギャラリーで開かれていて、私の作品をお買い求めいただいた方の投稿だったのだ。

残念ながら、私の絵の行方をすべて把握しているわけではない。ただ私の絵が私の知らないどこかのご家庭の壁に飾ってあって、そこにそれぞれの生活があるということは、とてもうれしいことで(友人宅で自分の描いた絵に出会い、こんなの描いたっけ?ということも)、今回の宇部での展示に「この方だけでもいらしていただければいいや」と思えた。

「平熱日記in 宇部」は3月15日から24日まで宇部市のギャラリーグリシーヌにて開かれる。(画家)

 

今、那珂市瓜連地域はてんやわんや《邑から日本を見る》154

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旧瓜連町役場(現那珂市瓜連支所庁舎)

【コラム・先﨑千尋】「瓜連(うりづら)のシンボル、旧役場庁舎がなくなるんだって?」。昨年暮れから那珂市瓜連地区ではこの話でもちきりだ。発端は、昨年12月に那珂市が「瓜連支所の組織配置再編に関する基本方針(案)」を市議会に示し、1月に入ってからネットで公表。この方針に意見があれば出してほしいと、パブリックコメントを募ったからだ。

市が示した方針案の骨子は「財政の効率化と施設の有効利用を行うために、現在市役所本庁の隣にある中央公民館を改修し、瓜連支所庁舎にある上下水道部と教育委員会の行政事務室を移設する。瓜連支所窓口は『総合センターらぽーる』に移設する。支所庁舎は取り壊しも視野に入れて検討する」というもの。5年後に移設を完了するスケジュールも示されている。

いきり立った瓜連地区の住民は市に説明するよう求め、先月28日、同地区まちづくり委員会が主催する形で説明会が開かれた。この説明会には先﨑光市長らが出席し、住民も約250人が参加した。市の説明のあと、約2時間にわたって住民から質問や意見が出され、執行部の姿勢を追及する激しいやり取りもあった。

住民の反発は、基本方針案に「支所庁舎の取り壊しも視野に入れて検討する」という文言があったからだ。

説明会では「取り壊しの方針を示すのはいきなり過ぎる」「住民の声を聞かず、市役所内部で十分な検討もせずにパブリックコメント(パブコメ)を募集するのは手続として瑕疵(かし)がある。提案を撤回すべきだ」「パブコメはガス抜きではないか」などの発言があり、「維持費がかかると言うが、まだ築40年足らずだ。今後の改装費や維持費の見通しを示さなければ判断できない」という意見も出された。

旧町役場庁舎は地域のシンボル

この説明会のあと、同地区まちづくり委員会は、独自に100通にのぼる住民の意見を集約し、今月6日に市に意見書を出した。その要望の主なものは「旧町役場庁舎は地域のシンボル的な建物なので残してほしい。庁舎内にある郵便局や社会福祉協議会を残してほしい」など。

そして19日には、「瓜連・歴史を学ぶ会」と「根本正顕彰会」が「瓜連庁舎に歴史民俗資料館の拡張・利活用を求める要望書」を出した。同市には歴史民俗資料館があるが、展示や保管のスペースが手狭になり、立地環境も悪いので、瓜連庁舎に移設してほしい、という内容だ。

さらに、瓜連出身の故岩上二郎氏が参議院議員時代に立法化した「公文書館法」があるにもかかわらず、同市は公文書館が未設置であり、歴史民俗資料館の移設と併せて公文書館の設置も求めている。

市では今後、パブコメで出た意見やまちづくり委員会などの要望をまとめた上で、改めて市の方針を示すようだが、住民感情を考慮せずに、経費削減などの財政的な理由だけで住民の日常の暮らしに直接関わる庁舎を取り壊すことになれば、行政運営上も今後に禍根を残すことになる。

まず、地区住民の声を聞き、今後どうするのかも一緒に考えていくなど、慎重な対応が求められよう。(元瓜連町長)

日本の法人税制は企業行動をゆがめていないか 《文京町便り》25

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】税制に求められる原則は、標準的な経済学では公平性と中立性(効率性)である。公平性とは、税制上同等(同じ所得)とみなされる人は納税でも同等に扱われるべき(同等の税額)であり、税制上異なる(異なる所得)とみなされる人は納税でも異なって扱われるべき(異なる税額)だ―というものである。前者は水平的公平で、後者は垂直的公平である。これはとりわけ所得税では、重要である。

中立性とは、租税制度の有無・濃淡によって、納税者の経済行動に変化が生じないことが望ましい、というものである。つまり、税制は、各経済主体のそれぞれの本来的に合理的・自由な活動が税制によって恣意的に左右されないように制度設計・運用されるべきだ―という意味である。経済活動の多くが法人によって担われていることからも、法人税ではこの原則は重要である。

この2大原則は政府税制調査会の答申『わが国税制の現状と課題』(中里実・会長、2023年5月)でも冒頭に謳(うた)われているが、実態を見ると、とりわけ中立性の原則については、運用面では違和感がある。

たとえば、国税庁保有行政記録情報の整備に関する有識者検討会(21年10月にスタートした、25年1月からの税務データの公開に向けた取り組み)における、国税庁保有行政記録情報を用いた税務大学校との共同研究である土居・別所・森「法人税申告書の個票データ(14~20年度)を用いた欠損法人等に関する実態分析」(https://bit.ly/NTCdp2)から探ってみよう。

この間(14~20年度)のわが国法人税の全体状況は、①資本金1億円以下の法人では法人所得0円(税制上欠損法人扱い)に集群(バンチング)している、②7年とも欠損法人は全法人(14年度259万、20年度277万)の37%、③7年とも利益法人は全法人の14%、④法人税500円超の法人は全法人の5%で、その10%弱が資本金1億円超法人で、その納税額は法人税額全体の95%、などである、⑤欠損法人割合は全法人では6割強で、資本金1億円以下の法人では6割強だが、資本金1億円超の法人では約25%である―。

企業活動を恣意的・不連続に左右

ここまでは概(おおむ)ね、これまでも指摘されていたことの再確認だが、この個票データ分析で明らかになったのは、(1)法人所得0円の法人の動向である。14年度では欠損法人167万のうち71万、20年度では欠損法人168万のうち63万で、全法人の25%に及んでいる。さまざま経済活動の結果、法人所得0円もありうるが、その割合が全法人の4分の1に及ぶのは、異常ではないか。

(2)税制上優遇措置となる資本金1億円に着目すれば、この間に資本金1億円以下に前年から減資した法人割合は、14年度は全法人4%、利益法人3%、欠損法人6%、外形標準課税法人4%だが、20年度は全法人5%、利益法人3%、欠損法人11%、外形標準課税法人6%、に増えている。この変化は、この間の経営悪化に伴う欠損法人化も影響しているが、10年代半ばの法人税改革で、資本金1億円超の法人への外形標準課税(事業税付加価値割・資本割)の拡大が、影響(租税回避)している可能性がある。

いずれにせよ、現行の法人税制は、企業活動に中立的というよりは、企業活動を恣意的・不連続に左右していると見るべきである。経済学の租税原則も、より実態に即したものでなくてはならない。(専修大学名誉教授)

次世代の担い手育成「里山体験プログラム」《宍塚の里山》110

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写真は筆者提供

【コラム・田上公恵】里山の保全活動においては後継者不足が大きな課題となっています。持続可能な里山保全を目指すために、当会では2022年度より、広く若者が参加できる「里山体験プログラム」を開始しました。3月の募集と同時に社会人や大学生に応募していただき、人気の企画となっております。

4月に開講式を行い、1年間当会に所属して、保全活動や環境教育、観察会などを体験しながら里山の意義と保全、資源循環、生物多様性、NPOの運営と意義などを学びます。そこに経験豊かな専門家集団がていねいに寄り添って指導に当たります。既定の単位を満たした場合、理事長名の修了証書を授与しており、22年度と23年度はそれぞれ5名の社会人、大学生、大学院生を受入れました。未来の担い手が少しずつ育っていることを大変うれしく思います。

参加者の満足度は高く、里山での体験活動を仕事に生かす社会人、筑波大学の体験活動の単位認定に取り組む学生―それぞれご自分の目標を目指して熱心に履修しています。プログラム生の中には自分の専門性を高めるために月例観察会の講師を希望した大学院生もいます。

人と人、自然と人がつながる場所

以下、1年間の体験を通して寄せられたプログラム生の感想です。

▽自然を体感できるところ、地域とのつながりや文化・歴史を学べるところ、様々な年代の方と関わり、詳しい資料配布などが非常にためになりました。

▽広いヤードがあり、様々なプログラムがあるところが非常によいと思います。

▽見つけた生き物や体験した作業について、詳しい方から解説をいただけることが多く、その場限りの体験ではなく、学びにつなげられるところがよかったです。

▽単に参加者として関わるのではなく里山の一員として活動に関われること、1人ひとりのやりたいことや得意なことを活動の中で実現してくださること―がよかったです。

▽体験プログラム参加者はみんな生き生きとしていて、お互いに助け合うこともあって、自然の中で多くの方々と関わりながら活動できたのがよかったです。

▽様々なプログラムを通して、多面的に里山を観察・体験できたことがよかったです。

▽特定のボランティアだけでなく、一般の方が参加できるプログラムが多く、活動を通して日常的に里山の意義をアピールできることはとても大切なことだと感じました。

▽以前よりも、里地里山という地に貢献したいと思うようになりました。

▽保全活動を継続して実施していくことの大変さをひしひしと感じています。

▽里山は、単に生き物がたくさんすんでいる自然というだけでなく、「人と人とがつながる場所」と思いました。

▽「人と自然がつながる場所」だと感じました。活動全体を通して、幼児からお年寄りまで、様々な世代が集って自然の恵みを感じる場所だなと感じました。(宍塚の自然と歴史の会 環境教育部)

問題のないところに問題を見つけること《遊民通信》83

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【コラム・田口哲郎】

前略

前回、日本社会に根を張っているいわゆるオールド・ボーイズ・ネットワークあるいはオールド・ボーイズ・クラブについて書きました(1月26日付)。同じ学歴、成功体験、失敗体験をもつ男性が結束力の強い集団をつくり、長い間、社会を支配してきた、という話です。その中で、女性は排除され、不当に差別を受けてきました。

しかし、このオールド・ボーイズ・ネットワークの構成員、つまりいわゆるエリート男性が意図的に抑圧を行ってきたのかというと、それはそうとも言えないということになりそうです。

たとえば、ある男性が高等教育を受けるまで受験戦争に勝ち抜き、大学を卒業し、大企業に就職、結婚をし専業主婦の妻と子どもと幸せな家庭を築き、そして定年を迎える、あるいは脱サラして起業をして大企業に育てあげる、あるいは議員に出馬して当選、自治体の首長や国務大臣を務めるまでになる、という人生を想定した場合に、その男性は、自分は置かれた環境で頑張ってきただけだ、大学の同窓、職場の仲間、選挙区の住民そして理想的な家族と共により良い社会をつくるために力を尽くしただけだ、と言うでしょう。

その信念や事実を否定することはできません。しかし、その「置かれた環境」自体がオールド・ボーイズ・ネットワークをつくり出している場合、そのネットワークに潜む問題には気付けないことが多いのではないでしょうか。

人間社会の基盤に潜む問題点

人間は集団をつくることで今まで生き延びてきました。厳しい自然環境に抵抗しながら、快適な文明生活をつくることは、近代社会が成し遂げてきたことで、そこにオールド・ボーイズ・ネットワークは深く関わっています。こうした人間が群れて生きるという基本的なことは、否定したら人間社会が成り立ちません。

かといって、基本なのだから、この基本は絶対に正しいので変えてはいけない、というのも危険です。基本は大切ですが、その基本が本質のように持っている問題点を見つけて解決してゆくことが、人類の進歩なのかもしれません。一見、問題のないところに問題を見つけることが求められているのでしょう。オールド・ボーイズ・ネットワークという言葉自体が生まれ、広く知られるようになったことは、そうした人類の進歩を表しているように思えます。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

今年も「さくらまつり2024」を開催します!《けんがくひろば》3

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さくらまつり=2022年4月2日(筆者提供)

【コラム・島田由美子】「けんがく」(つくば市研究学園)地区では毎年、地域の活動団体が連携して「けんがく さくらまつり」と「けんがく ハロウィン」の2大イベントを開催しています。今回は、開催を1カ月後に控えた「けんがく さくらまつり2024」をご紹介します。

「けんがく さくらまつり」のコンセプトは、“地域の文化祭&新歓祭”。けんがく地区の団体や住民の活動の紹介・発表の場であるとともに、春になって新しく移ってこられる方々をお迎えする交流の場です。2022年から開催しており、毎回200~300名の地域住民が来場されています。

多彩なアクティビティ

3回目の開催となる「けんがく さくらまつり2024」はバージョンアップし、12のアクティビティを楽しめます。一番のおすすめは毎年恒例の「さがせ!さくらエイト」。さくらまつりの会場となる研究学園駅前公園では2月下旬から4月下旬にかけて、河津桜、寒緋(カンヒ)桜、ソメイヨシノ、枝垂(しだ)れ桜、山桜、関山(カンザン)、普賢象(フゲンゾウ)、御衣黄(ギョイコウ)が順々に咲いていきます。

「さがせ!さくらエイト」では、その8種類の桜の木をスタンプラリーで巡ります。「けんがく パフォーマンス」で音楽やガマ口上、「けんがく ギャラリー」で絵や書を鑑賞した後は、スポーツチャンバラやグランドゴルフで体を動かせます。大きな桜の下では、昔あそびを楽しんだり、青空図書館の絵本をゆっくり眺めたりできます。公園北側の雑木林では玉入れ鬼ごっこや丸太切りなど、自然の中で思いっきり汗をかけます。

公園近くの中央消防署から消防士さんが駆けつけ、緊急車両展示や水消火器体験を催してくれます。そのほか、ゴミ拾いやフリーマーケット、ミニ縁日など、盛りだくさんですが、それぞれのアクティビティに参加すると押してもらえるスタンプを集めると、賞品を受け取れることができます(先着順)。

古くからの住民の思いをつなぐ

けんがく さくらまつりは、地域資源である千本桜にちなんで開催されます。千本桜はつくばエクスプレス(TX)が開通する以前から住まわれていた住民の方々が、“研究学園・葛城の発展繁栄を願って”2007年から12年をかけて植樹されてきたものです。

私たち主催者の「けんがくまちづくり実行委員会」は、さくらまつりで地域の様々な住民や活動団体が千本桜のようにつながることを祈っています。(けんがくまちづくり実行委員会代表 島田由美子)

<けんがくさくらまつり2024

▽日時:3月30日(土)午前11~午後3時(ゴミ拾いは午前10時から)

▽場所:研究学園駅前公園内 古民家(つくばスタイル館)他

▽主催:けんがくまちづくり実行委員会

▽荒天の場合は一部企画中止

千年の歳月に見たもの《写真だいすき》29

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あちこち崩れた仏像の部分(撮影は筆者)。この写真は本文とは関係ありません

【コラム・オダギ秀】心に残った撮影は、少なくない。古い仏像を撮ったことは多かったが、このときも、忘れ難かった。

小高い丘を登っていくと、林の中に、小さな堂宇(どうう)があった。のぞいてみると、中に、取り残されたような、全身傷ついた虚空蔵菩薩がおわした。堂宇の中には、厨子(ずし)もあったが、厨子にも入らず、いたるところシロアリに喰われ、持物を失い指も欠け、身体のあちこちが割れ、面貌も定かではなく、その像は流した悲しみの涙さえ乾いてしまったようであった。

どのような歴史を背負った寺院の本尊であったのか、その寺が、いつの時代に廃寺となったのか、明らかなものは残されていないという。しかし筑波山に連なる周辺の山中には、近くには名古刹(こさつ)もあり、山岳寺院らしき廃寺もあり、ここの虚空蔵菩薩像は平安時代後期の作と推定されているらしいから、集落の人々に護られながら、およそ一千年近い時を経てきたことになっていた。

虚空蔵菩薩は、妨げるものがない広大無辺の功徳で人々の願いをかなえてくれる菩薩だそうだ。だが、この菩薩の左手施無畏印(せむいいん)の指は欠け、右手に持っていたであろう宝珠(ほうじゅ)か剣も失われている。

全体にバランスのよい量感なのだが、整っていたであろう顔立ちの漆箔(しっぱく)は剥げ落ち、痛々しい表情も、はっきりとは見えなかった。そこここに深く入り込んだシロアリの食い後も目立った。剥ぎ目のズレにも心が痛んだ。そのような菩薩にすがってもいいものか、という気にさせられた。

憎悪も孤独も後悔も悲槍も…

坐していた千年近い歳月は、その長さだけで、この世の、憎悪も孤独も後悔も悲槍も、拭い去ってしまうのだろうか。虚空蔵さま、あなたは、今、時を経て何を思うのですか?

ボクは、流れる汗にまかせ、ボク自身の悲痛を、少し漏らした。すると、堂を覆うセミの声がひときわ激しくなった気がした。思わずボクが拭ったのは、汗なのか涙なのか、木立を抜ける風が、心なしか涼しくなった気がした。

あの撮影から、もう十数年が過ぎたろうか。あの菩薩にすがった人々の思いは、どこに残っているのだろうか。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)