金曜日, 5月 9, 2025
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全盲学生とNPOが企画 15日つくばで落語会 高齢者と障害者に笑いを

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落語会を企画した筑波技術大1年の加藤健太郎さん㊧と、NPO法人「友の会たすけあい」理事長・佐藤文信さん
昨年の「こども落語全国大会」で落語を披露した加藤健太郎さん

【橋立多美】つくば市のNPO法人友の会たすけあい理事長・佐藤文信さん(68)と、全盲で筑波技術大(同市天久保)1年の加藤健太郎さん(18)が企画した「落語会inつくば」が15日、同市ふれあいプラザで開かれる。若きアマチュア落語家たちが出演し、外出機会の少ない高齢者や障害者が家族と一緒に笑って楽しめるイベントを目指している。

加藤さんは新潟県燕市出身。生まれつき目が見えない。6歳の時にテレビの古典落語「お菊の皿」を聞いた。言葉だけで情景が浮かんだ落語に興味が湧き、独学で学んだ後、11歳から地元で活躍する師匠の下で技術を磨いた。

「たら福亭美豚」の芸名で高齢者施設や公民館などで落語を披露し、高校生以下が出場するこども落語全国大会で優秀賞や審査員特別賞を受賞した。情報を音声で読み上げる専用ソフトを使って演目を習得する。持ちネタは181に上る。

「笑ってもらう楽しさを体が覚えたからやめられない」と加藤さん。新潟では同世代の仲間と「見える見えないは関係ない」付き合いを築いて落語研究会を発足させ、明るく過ごしたという。

今春から加藤さんは、筑波技術大に入学してはり・きゅうを学ぶ。一人暮らしを始めて、外出時は付き添ってくれるガイドヘルプを市社協に依頼。ガイドヘルパーとして派遣されたのが、外出するのに困っている高齢者や障害者をボランティアのマイカーで送迎する「友の会たすけあい」理事長の佐藤さんだった。

明るく前向きな加藤さんと、ハンディを持つ人への理解の深い佐藤さんが親しくなるのに時間はかからなかった。そして敬老の日にちなんで元気に笑うイベントを模索していた佐藤さんと、つくばでも落語の仲間づくりを望んでいた加藤さんは意気投合。企画を練り上げ、実現に向けて準備を進めてきた。

出演は筑波大学と茨城大学の落語研究会、加藤さんが属していた新潟の落語研究会のメンバーらで6席を予定。新天地での初出演となる加藤さんこと「たら福亭美豚」はトリを務める。

高齢者や障害者とその家族を優先に受け付けるが、一般市民も入場できる。加藤さんは「単純にお笑い感覚で落語を楽しんでほしい」と若い世代に入場を呼びかける。

▼15日(土)午後1時30分開演(午後1時開場)。つくば市下岩崎の市ふれあいプラザ。入場無料。定員300人で事前申込制。予約は「友の会たすけあい」事務局(電話029-840-1125、または080-3451-5470)。NPO法人友の会たすけあいhttps://npo-tomonokai.jimdo.com/

【2018つくば夏決算】野菜出荷3割減 熱中症対策の意識高まる プール2万人増 

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稲刈りが始まったつくば市内。猛暑の影響が心配されている=30日、つくば市古来

8月もきょうで終わり。太平洋高気圧の張り出しが強く、命にかかわる危険な暑さが続いた今夏。つくばは6月下旬から気温30度以上の真夏日となり、35度以上の猛暑日は5日あった。中でもまつりつくばが開かれた8月26日は猛烈な暑さに見舞われ、今年の最高気温37.4度を記録した。熱中症対策や、全国的な猛暑の影響で野菜の高値に耐えた今夏を振り返った。

救急搬送は過去最多

【救急搬送】つくば市消防本部によれば、真夏日になった6月25日~8月29日までの救急搬送数は1757人で過去最多となった。このうち熱中症で搬送された人は128人で、軽症または生命の危険はないが入院を要する中等症だった。消防職員は「熱中症予防が行きわたり、死亡が確認された例がなくて幸いだった」と話した。

野菜高値9月も

【野菜】土浦公設卸売市場内の土浦中央青果株式会社の担当者は「猛暑で生育が悪く、例年に比べて3割ほど出荷量が落ち込んで高値になった」と話す。特に出荷量が少なかったのがトマトとキュウリだった。徐々に出荷量は回復してきたが、9月も中旬までは2割以上の高値が続くと見込む。

【新米】猛暑の年はコメが豊作になることが多いが、穂が出る時期に高温が続いたり夜間の温度が下がらないと品質が低下するという側面もある。JAつくば市営農部の担当者は「これから稲刈りが始まるが、猛暑の影響が出ないか心配だ」と話す。

飲料水、塩飴売り上げ20-30%増

【エアコン】全国に500店舗を展開している家電量販店本部の広報によれば、今夏エアコンの全店売り上げは11%増となった。中でも梅雨明け後の週末や、家族が帰省するお盆の時期は20~50%増と好調に推移した。担当者は「買い替えや各部屋にエアコンを設置する人が増え、売れ行きが加速した」と話す。

【暑さ対策】熱中症予防の意識が高まり、ドラッグストアの売り上げ上位をスポーツドリンクを含む飲料全般と熱中症対策用の飴とタブレット、OS-1などの経口補水液、そして日焼け止めが占めた。「これら季節商品の売上は20~30%増になった」と本部担当者は手応えを語った。

プール来場者2万人増

【プール】暑さをしのぎ、涼を提供するレジャー施設がにぎわった。水郷プール(土浦市大岩田)を管理運営する土浦市産業文化事業団によると、来場者は昨年より約2万人多い6万4512人(29日現在)を数えた。夏休み期間中の9月2日まで営業する。

【自然】昆虫にも異変が起きた。牛久市など霞ケ浦・北浦流域で荒廃した谷津田の再生に取り組んでいる認定NPO法人アサザ基金によると、谷津田では例年夏にたくさんのトンボが飛び交うが、今夏はトンボがひじょうに少なかった。同会の飯島博代表は「昆虫は変温動物なので高温になり活動しにくくなったのではないか」はいう。羽化に失敗したセミも多く見られたという。

最後のアサザ群落が消滅 霞ケ浦 日本最大の生育地

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かつて湖岸に広がっていた行方市富田湖岸のアサザの群落(アサザ基金提供)

【鈴木宏子】霞ケ浦(西浦)のアサザ群落が今年、消滅してしまったことが分かった。1990年代に10カ所あった群落のうち、最後に残った行方市富田湖岸の群落が消えたことが、認定NPO法人アサザ基金(牛久市、飯島博代表)が8月に実施した調査で確認された。

アサザは水面に黄色い花を咲かせる水草で、準絶滅危惧種。霞ケ浦は北浦と併せて日本最大の生育地だった。例年なら6月ごろ開花し、8月から9月までのほぼ2カ月間満開となって群落一面にかれんな黄色い花を咲かせる。北浦は現在1カ所だけ群落が残っている。

1996年には霞ケ浦で10カ所の群落が確認されていた。2000年には4カ所に減少、その後一時的に回復したが再び減少し、昨年は行方市湖岸の群落が唯一残った。

特に最後の生育地、行方市湖岸の群落は、めしべとおしべの長さが異なる花のタイプがあって、全国で唯一、種子をつくることができる2タイプの遺伝子がある貴重な群落だったという。

「原因は水位操作」

消滅の原因について、アサザ基金の飯島代表は、水資源を確保するため国交省霞ケ浦河川事務所が実施している水位を上昇させる操作だと指摘する。水位操作は1996年から実施され、その後アサザ群落は徐々に減少、2000年には群落が4カ所のみに減った。2000~03年の3年間、国交省は水位操作を中断、その間アサザは回復したが、再び水位を上げ、アサザ群落は再び減り始めたという。

水位が上昇したことで湖岸に寄せる打ち返しの波が強くなり湖岸の植生帯がすでに削られてしまったこと、もともと自然のサイクルは、春先に水位が低くなってアサザが陸上で芽を出し、水位が上昇する夏場に水中で枝を広げるが、自然サイクルと異なる水位操作によりアサザが成長できなくなったためとみられているという。

こうした中、アサザ基金は1995年から、流域の小中学校や市民団体、企業、農林水産業者などに呼び掛け、アサザの苗を学校の池やバケツなどで育て、湖に返すプロジェクトなどを展開、これまで延べ20万人以上が関わってきた。

飯島代表は「水位操作は60年以上前に作られた計画にもとづくもの。その後人口は予想より増えず、産業構造の変化などによる水余りが生じており、水位を上げる必要はない。アサザが絶滅することが分かっていながら水利権が設定されているために水位を上昇させている」と指摘。「国は霞ケ浦の自然環境を保全する意識が希薄で、責任は重大。最大の水利権者である県の責任も問われる」と強調する。

その上で「諦めずに水位操作の見直しを国に求め続けたい。国が水位操作を見直した時には、保存しているアサザの株を再び湖に戻せるようにしたい」と話す。

今年はアサザがまったく見られない行方市冨田の湖岸=8月18日撮影

思い出の宝来館を再現 創業100年、無声映画上映会 9月8日つくば山水亭

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チャップリン㊧と鞍馬天狗に扮(ふん)した嵐寛寿郎。井桁さんが描いた映画看板から作成した
活動弁士、澤登 翠さん

【橋立多美】サンスイグループ(つくば市小野崎)が創業100年の記念事業として、常総水害復興支援チャリティーイベント「無声映画上映会」を9月8日、つくば山水亭(同)で開催する。

上映作品は、数々の傑作コメディ映画を作り「喜劇王」の異名を持つチャールズ・チャップリン主演の「チャップリンの消防夫」、大河内傅次郎主演の「血煙高田の馬場」、嵐寛寿郎主演の「鞍馬天狗」の3本。活動弁士の第一人者・澤登翠(さわと・みどり)さんによる台本と解説、ギター、三味線、フルートの生演奏が映画に息を吹き込む。

同グループは1919年(大正8年)、現常総市水海道に創業した穀物を扱う「東郷商店」が始まり。娯楽のなかった戦後の46年に映画館を営み始め、水海道の宝来館のほか県内16の映画館を運営した。現在は、3代目社長の東郷治久さんが、つくば市を事業の中心としてホテルやレストラン、教育事業など経営の多角化に取り組んでいる。

この催しを創業100年記念事業と位置づけた東郷さんは「思い出の宝来館を再現したい」と話し、またチャリティーイベントについては「常総市はサンスイグループの出発点だから」と語った。収益を2015年の鬼怒川水害で甚大な浸水被害を受けた常総市に寄付する。

水海道に生まれ、15歳で宝来館で映画看板の修業を始めた、つくば市在住の元映画看板師井桁豊さん(83)は東郷さんと親交が深い。チャリティーイベントに共感して描いた無声映画上映会の看板が、つくば山水亭に華を添えている。

井桁さんは「日本で初めて映画が上映されたのは明治30年頃のことで、無声映画は映画の原点。実際に澤登さんの活弁を聞いたが語り口の見事さに驚いた。黒白写真的な画像と澤登さんの話術が相まった無声映画の世界を楽しんでほしい」と話す。

▼上映は9月8日(土)午後1時~、12時30分受付。入場料は一人1500円。つくば市小野崎251。問い合わせは電話029-855-8181(山水亭)。

※メモ

【活動弁士】無声映画の内容を語りで表現して解説する。老若男女に関わらず、登場人物ごとに声のトーンやせりふ回しを演じわける。略して活弁(かつべん)ともいう。

新川堤に菜の花を つくば国際大高で花プロジェクト始動

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菜の花の種まきに向け雑草や小石を取り除くつくば国際大高の生徒たち=土浦市真鍋1丁目、新川堤

【谷島英里子】土浦市の中心を流れ桜の名所として知られる新川堤に菜の花を咲かせて、より彩りをもたらそうと、つくば国際大学高校(土浦市真鍋1丁目)の取り組み「つく国新川堤と菜の花満開プロジェクト」が25日、本格始動した。

新川は両岸に約200本のソメイヨシノが植えられている。同校の前を流れていて、春になると満開の桜が生徒や市民を迎える。歴史ある桜がより一層映えればと企画された。同校近くの新川橋から城北橋までの左岸約400㍍に菜の花の種をまいて桜の季節に咲かせる予定。

25日午前7時から、生徒や教職員、市民有志ら約60人が除草作業を開始。桜の根を傷つけないように、鎌や熊手を使って雑草の根や小石を取り除いた。空き缶やペットボトルのごみもあり、ごみ袋50枚がいっぱいになった。

作業に汗を流した2年の塚田大貴さん(17)と光田隼人さん(16)は「雑草の根が強く何回も除草しないといけないと思った。桜と菜の花を楽しみに頑張りたい」と口を合わせていた。

今年6~7月、菜の花の種が保護者などからの寄付で約50㌔分集まった。今後も雑草の刈り取りを行い、9~10月にかけて種をまく。県土浦土木事務所や市などの理解や協力を得ていて、同校は来春、桜と菜の花の開花に合わせてイベントを開催するという。

プロジェクト代表の横島義昭副校長は「地域も盛り上がるだろうし生徒にとっても地元愛や奉仕の精神が高まると思う」と話していた。

プロジェクトのメンバーら=同

TX「こども美術館列車」26日から運行 特別貸切列車がつくば駅当着

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つくば駅に到着した「こども美術館列車」の車内=つくば市吾妻

【崎山勝功】つくばエクスプレスを運営する首都圏新都市鉄道は、開業から13周年を迎えるのを記念し、8月26日から9月10日まで「こども美術館列車2018」を運転する。イベント前日の25日、沿線の小学生以下の子どもから公募した2064作品のうち、抽選で選ばれた150作品と描いた子どもと家族を乗せた特別貸切列車が、秋葉原~つくば駅間で運行され、午後0時25分につくば駅に到着した。

列車の中吊り広告部分に児童画を掲載し、子どもたちを乗せた特別貸切列車は午前11時22分に秋葉原駅を出発。車内では子どもたちが、同乗した大道芸人の繰り出す手品や風船を使った芸などを見て楽しんだりした。

作品は「TXと夏の思い出」または「同社のマスコットキャラクター・スピーフィを用いた「スピーフィと夏休み」をテーマに募集された。子どもらしいタッチで列車を描いた作品が多く、楽しかった夏の思い出が表現されていた。東京都から参加した小学6年生の男子児童(11)は「みんなよく描けていた。車内では手品を見せてくれたりして楽しかったし面白かった」と話した。

列車内に展示できなかった作品は、9月10日まで同線新御徒町駅(東京都)と同線八潮駅(埼玉県)の駅構内に設ける「こども美術館2018」に展示される。

「こども美術館列車」の中吊りに展示された作品=つくば市吾妻のTXつくば駅

災害復興祈り新作大ねぶた登場 移動支援ロボのパレードも 25、26日「まつりつくば」

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出番を待つ新作のねぶた=つくば市竹園、大清水公園

【鈴木宏子】つくば市最大の夏祭り「まつりつくば」が今年も25、26日の2日間、つくば駅周辺で催される。恒例のねぶたや日本最大級の万灯みこし、1985年のつくば科学万博を記念して製作された万博山車、竿燈(かんとう)などが勢ぞろいしパレードを繰り広げる。

ねぶたは、今年新たに大ねぶた1基が加わり、凱旋太鼓と合わせて計10基が両日夕方から、土浦学園線をパレードする。新たに登場するのは日本神話のヤマタノオロチを退治するスサノオノミコトを題材にした、まつりつくばオリジナルのねぶた。2015年鬼怒川水害が発生したことを受け、自然災害からの復興を祈願して製作したという。つくば青年会議所ねぶたパレード実行委員会の猪瀬尚平委員長(31)は「見応えある壮大なパレードをぜひご覧ください」と来場を呼び掛ける。

25日のオープニングパレードでは、搭乗型移動支援ロボットが消防音楽隊などと共にパレードする。電動立ち乗り二輪車「セグウェイ」、産業技術総合研究所の「マイクロモビリティ」、日立製作所の「ROPITS」、宇都宮大学の「NENA(ニーナ)」などがお目見えする予定だ。これまで歩道以外の公道走行は認められてなかったが、今年3月の警察庁通達で通行止め規制が行われている車道で走行できるようになった。車道走行は国内初という。

ほかに26日は、来年つくば市で開かれる茨城国体自転車競技を応援しようと、自転車ロードレースの「Jプロツアー」選手30人が、サイクルレースのエキシビション(特別実演)を実施する。

パレードのほか、つくばセンター広場、つくば公園通り、中央公園、つくばエキスポセンターなどでも様々な催しが繰り広げられる。

▼つくばセンター広場=ステージやバザー広場が設けられ、ライブコンサートやヒーローショーが開催されるほか、飲食店が多数出店する。

▼つくば公園通り、中央公園、エキスポセンター=文化会館アルスと中央公園にはさまれたつくば公園通りでは、プロの大道芸人らがパフォーマンスを披露する。つくばエキスポセンター正面ゲート広場にはロボットパークが設けられ、ロボット操縦体験やセグウェイ試乗などができる。二足歩行ロボットによるステージショーなども催される。中央公園は「ふれあい広場」が設けられ、ポニーの体験乗馬などができる。

▼竹園公園=つくば国際会議場隣りの竹園公園には「スポーツパーク」が設けられ、グラスバレー大会やダンスパフォーマンスバトルが催されるほか、いろいろなスポーツを体験できるブースが設けられる。

今年のまつりつくばは例年とほぼ同規模。昨年話題を呼んだディズニーパレードは行われないが、例年同様、40万人の人出があると見込まれている。

市役所に無料臨時駐車場

25、26日の2日間、研究学園駅近くの市役所駐車場を無料臨時駐車場として開放する。無料臨時駐車場から会場のつくば駅周辺に出掛けられるよう、つくばエクスプレス(TX)下り快速列車の一部が両日とも研究学園駅に臨時停車する。

まつりの問い合わせは電話029-883-1111(まつりつくば大会本部・事務局つくば市観光推進課内)。

「フックン船長」宇宙へ 野口聡一さんと半年間

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宇宙に行く「フックン船長」のぬいぐるみ(つくば市提供)

【鈴木宏子】つくば市のイメージキャラクター「フックン船長」が、2019年終わりごろから、宇宙飛行士の野口聡一さんと宇宙に行くことが決まった。半年間、野口さんと一緒に国際宇宙ステーションに滞在する。

フックン船長は宇宙飛行士型ふくろうロボット。宇宙で活躍できる日を夢見ながら、日夜、市のPRに励んでおり、夢がかなう。市科学技術振興課によると、日本の宇宙飛行士の間で、フックン船長は知名度があり、親近感をもたれていることなども選ばれた理由の一つという。

選定を受けてフックン船長は22日「野口宇宙飛行士と一緒に宇宙に行けることになったフク! 無重力の宇宙ステーションで上手に飛べるようフライトに向けて羽ばたく練習に励むフクー。野口さん、JAXAの皆さん、よろしくフク!」とコメントを発表した。

フライトエンジニアとして3回目の宇宙長期滞在が決定した野口さんが今年5月、五十嵐立青市長を訪問し、「ゆかりがあるつくばのものを宇宙に持参したい」と依頼していた。野口さんは1996年などにJAXA筑波宇宙センターが立地するつくば市で暮らしていた。

宇宙に行くのは高さ18㌢、奥行き18㌢のフックン船長のぬいぐるみ。100㌘以下という条件があったため、新たに製作した。

五十嵐市長は「フックン船長には、市民の思いがこもったメッセージと共に宇宙へ飛び立って、宇宙で活躍してもらいたい」、野口さんは「フックン船長の夢とつくば市民の熱い思いと共に、来年の国際宇宙ステーションでの長期滞在に臨む所存です」などのコメントを発表した。

まだ間に合う!夏休み自由研究 つくば市文化財課が相談室開設 22日も

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自由研究に取り組む子どもと市文化財課の石川さん㊨=つくば市研究学園の市役所

【橋立多美】夏休みもあと12日。つくば市文化財課が同市役所4階会議室で、21、22日の2日間、職員による夏休み自由研究(歴史・文化財)相談室を開いている。

毎年夏休みになると歴史や文化財についての問い合わせがあることから、その声に応えて今夏初の試みという。同課の石川太郎さんは「つくば市はかすみがうら市に次いで古墳や遺跡、出土した石器などが多く、子どもたちに郷土の歴史を知ってほしい」と話してくれた。

相談に訪れた桜南小5年の女子児童は、自由研究のテーマを同小付近の歴史に決めたが、どうまとめたらいいか分からなくなってやって来た。相談に乗ってもらいながら仕上がると緊張がほぐれ、「うまくできた。来て良かった」と笑顔を見せた。同伴した母親は「今年つくばに引越して来たばかりで土地勘もないし、ほんとに助かりました」と安堵の表情を見せた。

同相談室は22日も開かれる。「つくば市の歴史や文化財」を自由研究のテーマにしている、もしくはこれからしようという児童生徒の相談や、「調べてみたけれどわからない」「調べ方がわからない」「なにをテーマにしたらいいか迷っている」などの困りごとにも応じてくれる。

▼時間は午前9時~午後4時30分。事前申込不要、無料。

研究機関も相談に対応

夏休みが終盤に入り、後回しにしてきた自由研究に悩んでいる児童生徒や保護者は多いのでは。次の研究機関でも夏休みの宿題や自由研究の相談に無料で応じている。

【地図と測量の科学館】夏休み測量相談コーナーを開設。地図と測量に関する質問に応じる。日時は31日までの火曜と金曜の午前9時30分~午後4時30分。つくば市北郷。問い合わせは(029-864-1872)

【地質標本館】岩石や鉱物、化石、地質全般に関する相談の他、夏休み中に野外で採集した石で分からないことや詳しいことを知りたいなどにも専門の研究者が応じる。日時は25日(土)午前9時30分~午後4時。つくば市東。問い合わせは(029-861-3750)

【つくばエキスポセンター】楽しい科学の相談コーナーで、科学や技術に関する展示物の質問や自由研究に役立つテーマなどの質問を受け付ける。開館時間は午前9時50分~午後5時、夏休み期間中は無休。入館料が必要(こども210円、大人410円)。つくば市吾妻。問い合わせは(029-858-1100)

土浦市長が百寿を祝福 長生きの秘訣は「何でも食べる」

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中川清市長から100歳の祝い状を受けた飯塚てるさん(左)=土浦市永井

【谷島英里子】9月17日の「敬老の日」を前に、土浦市の中川清市長は21日、今年度に100歳を迎える同市永井の飯塚てるさん宅を訪問し、祝い状と祝い金(2万円)を贈呈した。

飯塚さんは1919年(大正8)2月20日生まれ。家族と暮らし、庭の手入れやテレビを視聴して過ごしているという。居間には手作りの芸術作品や銀色の薬袋を三角形にして、積み木のように組み上げて作った折り鶴が並べられ、中川市長は手先の器用さに驚いていた。

飯塚さんは市長訪問に「申し訳ないくらいうれしい」と喜び、長生きの秘けつを聞かれると「何でも食べますし、お肉が好物です」と語っていた。

市高齢福祉課によると、飯塚さん宅の訪問前には、中荒川沖町の川村てつさん宅も訪問した。市は今年度に100歳を迎える31人に祝い状と祝い金を、最高齢105歳の齋藤元年さんには祝い状を贈る。

法的な見方・考え方体験して 弁護士主催の「子ども法律学校」が人気

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昨年12月に開かれた冬休み子ども法律学校の様子(県弁護士会「市民のための法教育委員会」提供)

【田中めぐみ】子どもたちに法的なものの見方や考え方を体験してもらおうと、県弁護士会(星野学会長)に所属する弁護士らが毎年、夏休みと冬休みにボランティアで開催している「子ども法律学校」が人気だ。

今年の夏休みは28日、水戸地方裁判所土浦支部(土浦市中央)などで開催する。対象は小学校高学年、定員は60人で、県南の小学校に参加者を募集したことからすでに定員いっぱいという。

同弁護士会「市民のための法教育委員会」の弁護士らが取り組んでいる。内容は、参加者の半数の30人が水戸地裁土浦支部の法廷を使用して、童話を題材にした模擬裁判を体験する。もう半数は近隣の土浦市亀城プラザ(同市中央)で、事実を客観的に分析するのに役立つ「三角ロジック」=メモ=についての講義を受ける予定だ。

模擬裁判の題材は、過去には、グリム童話「三匹の子豚」を題材とし、侵入してきたオオカミを撃退した子豚には正当防衛が成立するかどうかなどを子どもたちに考えてもらった。子どもたちには、実際にオオカミ、子豚、裁判官などの役割を演じて法廷に立ってもらい、それぞれの立場で主張や反論を行って、相手を説得することや中立的判断を下すことの難しさを感じてもらったという。

法教育委員会委員の一人、「さくらパートナーズ法律事務所」(土浦市文京区)所長の中島隆一弁護士(39歳)は「裁判に参加することは一般市民にも無縁ではない。裁判員裁判では市民も一人の判断者として裁判に参加することになる。子どもたちも将来、裁判員の役割を担えるように、どのように裁判が行われるのかを小さいうちから学んで欲しい。童話を題材にすることで、難しい裁判制度を易しく疑似体験するお手伝いができれば」と話す。

法廷の様子は普段なかなか見ることができないため、子どもたちにとっては貴重な体験になるという。模擬裁判の傍聴は、参加する子どもたちの保護者のみ可能。

※メモ
【三角ロジック】何らかの主張を行う際、具体的な事実や数値といったデータを示して理由付けし、主張するという方法のこと。例えば「火事が発生した」という主張をする際、「消防車がサイレンを鳴らして走っていった」というデータを示し、「普通は消防車は火事があるとサイレンを鳴らして火事の現場に向かう」という経験則による理由づけによってデータと主張を結び付ける。合理的で、説得性が増すという。

新たに8点認定 土浦ブランド第2弾

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新たに認定した土浦ブランドを紹介する中川清市長=土浦市役所

【谷島英里子】土浦市の知名度や魅力を高めようと、市が認定する「土浦ブランド」に、新たにコーヒーやアイスクリームなど8点が選ばれた。第2期の認定で、17日、市役所で認定式が開かれた。第1期分も含め土浦ブランドは計26点になった。

地域の特産品や特性を生かした商品などを認定している。第2期として6月15~30日に土浦ならではのこだわりのある農水産物や加工品、料理などを募集した。10点の応募があり、有識者らでつくる「土浦ブランドアッププロジェクト推進協議会」が独自性や品質などを選考基準に審査した結果、8点が選ばれた。

認定式で中川清市長は企業や団体の代表者に認定証を手渡し、「土浦の顔として自慢できる品ばかり。地域活性化の一助となり交流人口の増加につながると期待している」と話した。

認定品の包装には「土浦ブランド」のマークが使用でき、自社商品の宣伝などに活用できるほか、市のふるさと納税の返礼品やシティプロモーションなどでも優先的に活用される。

オリジナルコーヒー「つちうらブレンド」と布フィルター「つちうらネル」が選ばれた同市下高津のコーヒー店「ニコニコ珈琲」オーナーの松本正さん(53)は「ふるさと納税の返礼品になるので、全国の人たちに飲んでもらい、土浦に興味を持ってほしい」と話していた。コーヒーは、霞ケ浦を吹く風のような滑らかな味わいと、土浦の歴史を感じるコクや深み、香りに仕上げたという。

認定品8点は次の通り。
▽土浦農業協同組合「グラジオラス」
▽果樹生産者組合 いきいきフレッシュ組合「果樹アイスクリーム」
▽レストラン中台「レストラン中台の土浦レンコン福神漬」
▽和洋菓子製造販売 久月総本舗「れんこんどら焼き」
▽中華料理 福来軒「福来軒のツェッペリンカレーコロッケ」
▽創作和菓子すぎやま「れんこん最中」
▽ニコニコ珈琲「つちうらブレンド×つちうらネル」

「土浦ブランド」に認定された企業や団体の代表者ら=同

店内に交流スペース ウエルシア 19日、子ども記者体験イベント

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ウエルシアつくば豊里店に設置されている交流スペース「ウエルカフェ」=つくば市豊里の杜

【谷島英里子】ドラッグストアチェーン、ウエルシア薬局(本社東京都千代田区)は、地域貢献事業の一環として、地域住民に休憩の場や井戸端会議の場を提供するため店舗内に交流スペース「ウエルカフェ」を設置している。NEWSつくばは19日、ウエルシアつくば豊里店(つくば市豊里の杜)で、子ども記者体験イベントを開催する。

豊里店と桜店の2カ所

ウエルカフェは全国に173店舗あり、県内は18店舗。つくば市にはつくば豊里店とつくば桜店の2店舗にある。

単なる休憩場所ではなく、地域社会の課題を解決していくための場所として、地域貢献活動を行う団体やNPO法人に無料で開放しているのが大きな特徴だ。テーブルといす、市民向けの情報専用ラックが完備され、落ち着いた時間を過ごせる。

これまで、自治会やボランティア団体の会議、健康サロン、ウエルシア薬局主催の健康栄養相談会やメイクアップサロンなどが開かれた。同社在宅本部地域包括推進部の鈴木美香さんは「地域の活動をサポートしていきたいので、まずはお近くのウエルカフェに足を運んでみてください」と利用を呼び掛けている。

利用時間は午前10時から午後6時。詳しい利用方法は同社ホームページ、または地域包括推進部(電話03-5209-5677)まで。

取材体験し「はがき新聞」作ろう

NEWSつくばは、同豊里店で19日開催する子ども記者体験イベントで、店内を取材する「子ども記者」を募集している。

同イベントは、参加した子どもたちが、日頃ウエルシア薬局で買い物をしたときに感じている疑問や興味を薬剤師や店員に直接聞いて、分かったことを文章にし、はがきの大きさの「はがき新聞」を作成する。夏休み中の子供たちに聞く力や表現する力を学んでもらうことが狙い。人気商品は何か、チラシは何曜日に発行しているか、薬剤師は何をしているかなど、働く大人たちの仕事現場を取材する。

子ども記者体験イベントは19日午前10時~午後3時まで開催。対象は小・中学生。取材・制作時間は1時間程度で、NEWSつくばのライターが指導する。はがきの裏面には子どもが熱心に取材する様子を写真で載せる。完成品は持ち帰ることができる。参加費無料。事前申し込みは不要で、当日同豊里店ウエルカフェで参加を受け付ける。問い合わせはNEWSつくばメール info@newstsukuba.jp

子ども記者体験募集のポスター

亀城公園で灯籠流し

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初盆を迎えた故人の霊を供養する灯籠流し=土浦市中央1丁目、亀城公園

【谷島英里子】送り盆の16日夜、土浦市中央1丁目、亀城公園のお堀で灯籠流しがあり、水面はオレンジ色の明かりで幻想的に照らされた。

日が沈み始めた午後6時ごろ、市内の住職らがお経を上げて初盆を迎えた故人の霊を供養し、灯籠をそっと水面に浮かべて流した。訪れた人たちは、手を合わせて故人をしのび、灯籠の明かりを静かに見守っていた。

亀城公園の灯籠流しは、60年以上前から毎年、市内8の寺が宗派を越えて開催している。今年は300個の灯籠が用意された。住職らは「伝統なので今後も続けていきたい」と話していた。灯籠は翌日、回収されるという。

お経を上げる住職ら=同

【ひと】被爆体験つづった手記がつくばの朗読劇に 長崎生まれの田栗静行さん(78)

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手記「あの時、一緒に死んでしまえばよかった…5歳のナガサキ被爆体験」を手にする、長崎原爆被爆者の田栗静行さん=つくば市吾妻のアルスホール

【崎山勝功】「思い出したくないし話したくない」。生涯封印するつもりだった原爆体験を7年前、『あの時、一緒に死んでしまえばよかった… 5歳のナガサキ被爆体験』にまとめた。その手記が、1995年からつくばで朗読劇を上演している「サラダの会」の今夏の朗読に登場した。

封印を解いたのは原爆の影響による胃がんの告知を受けたことだ。「残りの時間で何かできることはないか」と考えた末での決断だった。

手記では、原爆投下で長崎市内の工場に勤務していた父親を亡くし、4日後に当時3歳の妹を亡くしたときの様子をはじめ、自身の体調の変化などを克明に著している。

長崎県から上京し、会社員として勤務していた当時、都内の病院の受付で被爆者手帳を出すと「何ですかこれは?」と聞かれることがたびたびあったという。会社での健康診断の際のレントゲン撮影も「子どもの頃にたくさん放射線を浴びていますから」と断っていた。

胃がん発覚後、原爆症認定の申請を行った。当初は「放射能で体が侵されている、と烙印(らくいん)を押されることになる」と認定書申請に消極的だった。支援者団体から「核兵器はこんなに恐ろしいんだ、という一つの証拠になるから。後世のためのデータして残すべき」との説得を受けて申請に踏み切った。

約10カ月後、原爆症の認定を受けた際に、支援者団体の一部から「おめでとう」と言葉をかけられた。原爆症認定のための裁判をしなくてもいい、との趣旨だったようだが、田栗さんにとっては配慮に欠けた腹立たしい言葉だった。「原爆症に認定されても、うれしいこと、おめでたいことなど何もない」と話す。

手記では「原爆症認定書が届いた日、私は父母と妹の仏壇の前で一晩泣きました。一人だけ生きていて良かったのか、今でも生きていて良いのか」と、当時の複雑な心境をつづっている。

5日、つくば市吾妻のアルスホールで開催された上演会に東京・八王子から訪れた田栗さんは、「2度と私のような体験をしてほしくない、あるいはさせるべきではない」と力を込めた。そして「これからは自分たちの子ども、孫が平和を享受できるように、日本、世界、宇宙が平和になるように努力してもらいたい」と、次世代への希望を託す。

大傘から花火降り注ぐ 鷲神社で伝統のからかさ万灯

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花火が滝のように降り注ぐからかさ万灯=15日夜、土浦市大畑の鷲神社

【谷島英里子】土浦市大畑の鷲(わし)神社で15日夜、国選択・県指定無形民俗文化財の「からかさ万灯」が行われ、大勢の見物人でにぎわった。

からかさ万灯は、江戸時代中期ごろから続く雨乞いの神事。五穀豊穣や天下泰平、家内安全を祈願し、直径5㍍、高さ6㍍の大傘に花火を仕掛けて点火する。

午後9時ごろ、ステージや山車の上で雨乞い囃子(ばやし)が鳴り響くなか、導火線となる綱火に着火すると、傘の上部から四方八方に火が噴き出し、滝のように降り注いだ。会場からは「迫力がある」「きれい」と歓声や拍手が沸き起こっていた。火が消えると、見物人らは、縁起物とされる傘の下のツバキの花を取り合っていた。

からかさ万灯保存会会長の井坂次男さん(80)は「大昔の人が雨が降ってほしいと神に願った強い思いを感じていただけたらうれしい。からかさ万灯は集落の宝なので、また来年も見ていただきたい」と話していた。

子どもの養育状況を別人に郵送 つくば市 児童手当現況届25件流出か

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つくば市役所

【鈴木宏子】つくば市は15日、子どもの養育状況などが書かれた児童手当現況届を、市が誤って別人に発送し、25件の個人情報が流出した可能性があると発表した。

児童手当を受給する要件を満たしているかどうかを確認するための書類で、受給者の氏名、住所、生年月日、加入年金の種類と、子どもの名前、生年月日、同居や別居の有無、子どもの面倒を見ているか否かの監護の有無などが記されている。

市こども政策課によると同市の児童手当受給者は約2万1000人。今年度の現況届は7月2日が提出締め切りとなっている。一方、未提出者が1206件分あったことから、提出を促すため、あらかじめ市が把握している情報をもとに子供の養育状況などを印刷した現況届を13日、1206件に発送した。

発送の際、現況届を入れた封筒が25件分足りなかったが、担当者が、25件分を印刷していなかったと思い込み、印刷し直して発送した。

翌14日午後、市民から、自分の分のほかに別人の現況届が入っているとの指摘があり、誤発送が分かった。15日午後4時半時点で計5人から、他の人の分が混入しているとの連絡が市にあるという。市は25件について、誤って他の受給者の封筒に現況届を混入して発送してしまった可能性があるとみている。

今後、25件全員の自宅を訪問し謝罪するほか、誤発送した現況届の回収を行うとしている。再発防止策として、通知発送の際は封筒に書類を入れる前と後に書類のチェックを徹底したいとしている。

五十嵐立青市長は「市の信頼を損なう行為で、大変申し訳なくお詫び申し上げます。再発防止に努め、特に個人情報保護については研修を行うなど流出防止の徹底を図っていきます」とのコメントを発表した。

【戦後73年の記憶】6 顔知らぬ文通相手 突然帰らぬ人に 横田晴子さん(91)

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「大変な時代たった」と話す横田晴子さん=つくば市内

【鈴木宏子】つくば市の横田晴子さん(91)は、太平洋戦争が始まった1941(昭和16)年、旧水海道高等女学校に入学した。4年生のとき、水戸陸軍病院に入院していた友達のお兄さんに俳句を添えて慰問の手紙を書いた。女学生からの手紙だと評判になり、病室で皆が回し読みしたという。

しばらくして手紙を読んだ一人の男性から返事が届いた。埼玉県杉戸町出身の古河地方航空機乗員養成所の教官で、盲腸のため入院していた。すぐに退院したが、その後も文通は続き、横田さんはその都度、俳句を添えた返事を送った。

学校の全校作業の日だった。生徒全員が校庭に出て草取りやごみ拾いなどの作業をしていたとき、下妻の方から飛行機が飛んできた。校庭の上空を何度か旋回し、だんだんと低空飛行になって斜めになり、窓から白いハンカチを振り飛び去った。校庭にいた女学生たちはわあわあと大騒ぎになった。

後日、文通相手から手紙が届いた。「計器測量のため下妻まで行きました。皆さんの姿が豆粒みたいに見えたので、水海道に行きました」と記してあった。学校の上空を旋回しハンカチを振ったのは文通相手だったのだ。「この手紙が最後になるかもしれません」とも書かれていた。

しばらくたって文通相手の妹から手紙がきた。「兄によく手紙がきていた方なのでお知らせします。兄は九州から飛び立ち、帰らぬ人となりました」という内容だった。特攻隊に志願したのだという。顔も知らず会ったこともない相手だった。特攻隊に志願した話は妹からの手紙を見るまで知らなかった。

1944(昭和19)年に女学校を卒業。先生から代用教員になることを勧められたが、子供たちに教えるより工場で働いた方が役に立てると、挺身隊に入り、守谷町(当時)の海老原軍需工場で働いた。飛行機の補助翼などをつくる職場で、部品に打ち込む、焼いて熱くしたくぎを運ぶ係だった。

工場から徒歩10分くらいの距離にある長龍寺が挺身隊の寮となった。杉山に囲まれた寺で、寺は寝るだけ。朝昼晩の食事は工場の食堂でとった。

3食すいとん汁だった。2、3㌢くらいの大きさのうどん粉を丸めた団子が三つか四つ入っているだけ。若かったので辛かった。自宅通勤の友達が「毎日すいとん汁では辛かろう」とふかしたサツマイモを新聞紙にくるんで持ってきてくれたことがあった。昼にごちそうになり、その時食べたイモは最高においしかった。

終戦で挺身隊は解散。戦後は土浦の奥井裁縫所に1年間住み込み裁縫などを習った。姉4人、兄1人の6人きょうだいの末っ子。習い事のため東京に出ていた姉は食糧難で満足に食べられなかったが、土浦の横田さんの住み込み先には、兄が月1回、自転車でコメを運んでくれた。

「大変な時代だった」と話す。=終わり

【戦後73年の記憶】5 谷底に消えた戦友、凍死、餓死の光景まぶたから離れない 大澤彌太郎さん(99)

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東部ニューギニア戦線の地獄の日々を語る大澤彌太郎さん=土浦市内

【谷島英里子】「ジャワは極楽、ビルマは地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と言われた東部ニューギニア戦線。「あと1週間遅かったら、第2玉砕命令が出て生きては帰れなかっただろう」と遠くを見つめる。

1919(大正8)年、土浦に生まれた大澤弥太郎さん(99)。旧制県立水戸商業高校を卒業後、家業の文具店を継いだ。39年、徴兵検査に合格し宇都宮の師団に入営、下士官となる。やがて満州へ出征し、その後東部ニューギニアへ渡った。「軍からの命令だけで、この地では地図もない、大砲も弾薬もなく、食糧さえも敵地から調達しろというもので、どうやって戦ったらいいのかわからない状態だった」。

43年8月、第51師団長中野英光中将から玉砕命令が出た。全員自滅するということだ。もはや生きては帰れないと考えた。しかし、これが転進命令に変わった。周りを敵地に囲まれているため、敵のいない方へ退却する。この退却がまた試練の始まりだった。

それは現地の住民でも登らない標高4000㍍を超えるサラワケット山を越えるもの。ジャングルを越えると長野県の日本アルプスのように険しい山が立ちふさがる。濁流が流れる川では工兵が木を切り倒し川に橋をかけ、岩肌の道なき道では工兵が先に垂らしたロープを頼りに進んでゆく。一歩間違えば深い谷底に落ちてしまう。大澤さんは目頭を押さえながら「山頂寸前の絶壁で力尽き谷底へ消えていった戦友、凍死、餓死、その光景はまぶたから離れない。そこはまさに地獄でした」と声を震わせた。

野宿を繰り返すうちに悪性のマラリアを患い毎日40度を超える熱にうなされた。このままでは生きては帰れないと考えた。軍医に責任を取れないと断られたが、無理に頼み静脈注射をすることで幸運にも生き延びた。1カ月の山越えで1000人以上の兵隊が息途絶えたという。険しい山で、軍支給の地下足袋はたった2日で底が抜けた。亡くなった戦友に手を合わせ靴を履き替えたこともあった。生きていくために必死で、食べ物はサゴヤシの根本を鉄板で焼いたりして餓えをしのいだ。口に入るものなら何でも食べた。

45年8月15日、2回目の玉砕命令が出たこの日、米軍飛行機がまいたビラで終戦を知り、思わず「万歳」とかみしめたという。

大澤さんは靖国神社で毎年7月に開催される戦没者慰霊行事「みたままつり」に参加し、30年間お参りを続けている。戦後70年余りを過ぎて戦争を知らない子どもや、大人が増えてゆくなか、2017年に戦争体験やその後の人生を記した本『東部ニューギニア戦の我が半生』を自費出版した。「私は幸いにも日本に帰還できたのだから、戦争の過酷さと愚かさ、そして、戦友たちの無念さを後世に伝えていかなければ」と語気を強める。

幹部候補生のころの大澤さん

【戦後73年の記憶】4 号令に合わせひたすらアルミ板たたいた 栗栖恵子さん(86)

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戦争体験を話す栗栖恵子さん=土浦市内

【鈴木宏子】土浦市の元中学校教員、栗栖恵子さん(86)は、80歳を過ぎてから母校の土浦二高に年1回赴き、後輩たちに戦争体験を伝えている。

栗栖さんは東京大空襲が激しさを増した1945(昭和20)年3月10日過ぎ、自宅があった東京から、父の実家がある土浦に逃れてきた。女子聖学院1年生で13歳だった。

家族は父母ときょうだい4人。小学6年の弟と3年の妹は群馬県伊香保に集団疎開した。土浦には5歳の妹が一足先早く来ていた。両親は東京に残り、家族は3カ所に分かれて戦時下を生きた。

土浦高等女学校(現在の土浦二高)に転校した。運動場はすべて畑になっていて勉強した記憶は一切ない。食糧増産のため毎日、虫掛などの農家に手伝いに行った。

しばらくして右籾の第1海軍航空廠(軍需工場)に勤労動員された。飛行機のどの部品を作っているのか分からなかったが、日の丸の鉢巻きを締め、工員の号令に合わせてひたすらハンマーでアルミ板を成型する作業をした。一の号令で腕を振り上げ、二でひじを曲げ、三でアルミ板をたたいた。

女学生や土浦中学(現在の土浦一高)の生徒が、街中から航空廠まで砂利道を歩いて通った。遠いので通うのが大変だろうと、土浦中学に機械を移し学校工場とすることになった。初出勤の8月15日、門をくぐると「正午に重大な発表がありますので帰宅してラジオを聞いて下さい」という貼り紙があり、帰宅し玉音放送を聞いた。

敗戦により、カメラマンとして宮内省(現在の宮内庁)に勤務していた父は職を失い、伊香保に学童疎開していた弟と妹も帰ってきた。ばらばらだった家族6人は戦後、土浦でやっと一緒になった。

伊香保から戻った弟と妹はシラミがひどくて、床屋に連れていかれ丸坊主になった。母は2人の衣服を釜でゆでシラミを殺した。疎開先では栗やドングリを食べていたという。2人が持ち帰ったノートには食べ物の絵ばかりが描かれていた。

女学校を卒業後、アルバイトをしながら茨城大学で学び、教壇に立った。父が職を失ったことから、当時もらった奨学金はすべて家に入れた。

現役を退き80歳になったころ、女学校の同窓会で戦争体験が話題に上るようになった。勤労動員された航空廠で空襲警報が鳴り、防空壕に逃げる途中、転んで米軍機に機銃掃射されそうになった話や、目の前で爆弾が爆発した話などだ。航空廠ではたびたび空襲警報が鳴った。栗栖さんは、自分は足が遅くて逃げられないと、いつも工場の中に隠れていた。同級生たちの辛かった体験を80歳になって初めて聞いた。

母校に赴き、戦争体験を後輩たちに話すようになったのはそれからだ。「勉強して、部活動をして、家に帰ると食べ物がある生活が当たり前でない時代があった。それが出来なかったのが戦争」と話す。

宮内省のカメラマンだった父親が1953(昭和28)年に出版した著書「ある日の天皇」を家の中で見付け、2009年に栗栖さんが復刊した。父が間近で見た戦争中の昭和天皇を写真と文章でつづっている