火曜日, 4月 22, 2025
ホーム ブログ ページ 21

公共ライドシェア 来年1月運行 つくば、土浦など4市 ドライバー募集開始

3
共同で記者会見しドライバー募集を呼び掛ける(左から)五十嵐立青つくば市長、安藤真理子土浦市長、菊池博下妻市長、沼田和利牛久市長=9月30日。つくば市役所

バスやタクシーなどの移動手段を確保することが困難な交通空白地で、自治体が運送主体となり、一般ドライバーが自家用車を使って有償で乗客を運ぶ「公共ライドシェア」(5月29日付)について、つくば、土浦、下妻、牛久の4市長は9月30日、共同で記者会見し、10月1日からドライバーを募集し、来年1月から運行を開始すると発表した。

それぞれ公共交通の利用が困難な4市の4つのエリアで、時間帯や利用対象者を限定するなどして運行する。初年度の来年1月から3月までについては4エリア合わせて利用者600人、ドライバー登録者80人を目標にしている。運行期間は2027年3月末までの3年3カ月間。その後継続するかどうかは、結果を見ながら4市で協議する。

4市共同で、ドライバーの募集や管理、育成をするインターネット上のドライバーバンクと、AI(人工知能)を使って配車を手配するアプリを導入し、利用者の予約に合わせ、登録ドライバーによる送迎を手配する。

ドライバーバンクと配車システムはコミュニティ・モビリティ(東京都中央区、村瀬茂高社長)が開発し、同社が運営する。運行時のドライバーの点呼やアルコールチェックなどは、地元の交通事業者がリモートで実施する。2024年度の事業費はシステム開発費を含めて、国の交付金約2億5000万円と4市の負担金計約8000万円を合わせた約3億3500万円。

運行する4エリアの地域と運行時間、利用対象は①つくば市桜ニュータウンと隣接の土浦市天川団地周辺の「つくば・土浦エリア」は、平日と土曜日が午前6~8時と午後5~9時、日曜・祝日が午前6時~午後9時に実施する。エリア内出発ならだれでも利用でき、エリア外のつくばセンター、学園並木、県南病院、ジョイフル本田荒川沖店の4カ所に行くことが出来る。

②筑波山中腹のつつじケ丘、筑波山神社からふもとの筑波山口までの「筑波山エリア」は、平日、土日いずれも午後5~8時に実施する。エリア内での行き来のみ、観光客を含め誰でも利用できる。筑波山口からつくば駅方面などへはバスを利用する。

➂下妻市の国道125号から南側の「下妻エリア」は、エリア内で平日、土日いずれも午前10時~午後4時に実施する。

④牛久市の「牛久市エリア」は市全域で平日、土日いずれも午前8時~午後3時に実施する。利用対象者を、常磐線沿線などを除く市街化調整区域の住民に限定する。市内ならどこでも自由に行き来できる。

乗車料金は、距離にかかわらず①「つくば・土浦エリア」が大人1回600円②「筑波山エリア」が同1000円➂「下妻エリア」が同700円④「牛久エリア」が同700円。エリアにより子供料金や高齢者・障害者料金、直前予約料金などが設定される。支払い方法はクレジットカードによる事前決済のほか、現金でも利用できるようにする。料金設定は、タクシー料金の8割までという国が示す目安と、各地域の交通事情を加味したという。

歩合+報奨

一方、ドライバーの報酬は4エリア同額で、利用者1人当たり1回1200円の歩合に、月3回以上運行すれば1カ月当たりプラス3000円、5回以上はプラス5000円、10回以上はプラス1万円などの報奨(インセンティブ)を付ける。月3回運行すれば6600円、月5回なら1万1000円、10回なら2万2000円になり、時給2000円程度を想定したという。さらに一つの予約で利用者が複数の場合は、2人目から1人当たり半額の600円の報酬が加算される。ただし車のガソリン代、車両点検や整備費とスマートフォンの通信費などはドライバーの負担となる。

ドライバーの報酬は全エリアで利用者の利用料金を上回ることから、差額は各市が負担する。

募集条件は、普通自動車免許を取得して3年以上の21~69歳までで、過去2年以内に免許停止などの処分を受けていないことなど。エリア外からも応募できる。募集ページから、運行できるエリアと曜日、時間などを記入して登録してもらい、書類選考とオンライン面接をして選考する。

運行する自家用車にはドライブレコーターを搭載してもらい、無い場合は無償で貸し出す。車両表示ステッカーやアルコール検知器なども貸し出す。さらに登録者には講習を受講してもらい、タクシーなどが運転できる普通2種免許の取得を促すなどする。

来年1月の運行開始に向けた募集期間は10月1日から11月半ばまで。

つくば市の五十嵐市長は「2024年問題といわれるドライバー不足でコミュニティバスや路線バスが減便となっている。交通空白地の解消のため4市が連携して取り組みたい」などと話した。

◆ドライバー募集ページはこちら

決勝はつくば秀英、霞ケ浦との再戦へ【秋季高校野球茨城】

4
5回表東洋大牛久1死満塁、1番・荒野洸飛の右飛に三走・小用蒼太がタッチアップするがホームでタッチアウト。捕手・稲葉煌亮(撮影/高橋浩一)

第72回秋季関東地区高校野球茨城大会は9月30日、ひたちなか市民球場(同市新光町)で準決勝2試合が行われた。第2試合のつくば秀英対東洋大牛久は、東洋大牛久が15安打、つくば秀英が10安打という打撃戦になったが、8-5でつくば秀英がシーソーゲームを制した。

第72回秋季関東地区高等学校野球茨城大会(9月30日、ひたちなか市民球場)
東洋大牛久 100210100 5
つくば秀英 20030030X 8

勝利したつくば秀英の櫻井健監督は「前半でミスをしたが、粘り強く後半勝負だと想定していた。追い掛ける展開で気持ちの強さを出してくれた選手たちに感謝している」と語った。敗れた東洋大牛久の長堀肇監督は「投手3人の継投で戦ってきたが、打たれるのがちょっと早かった。打線は粘り強く打ってくれたが、15安打で5得点は監督の采配ミスと言うしかない」と振り返った。つくば秀英は7残塁、東洋大牛久は12残塁を記録している。

4回裏つくば秀英2死満塁、3番・石塚が中堅へ3点三塁打を放ち塁上でガッツポーズ

先発はつくば秀英が中郷泰臣、東洋大牛久が佃大地。中郷は1回に1四球と2安打で1点を奪われ、4回に暴投と3安打で2点を失った。佃は1回に2安打2四球と暴投で2失点の後、4回に安打と四球、野選で満塁とされ、つくば秀英3番石塚大志の走者一掃の三塁打で3点を追加された。石塚は「打ったのは外のまっすぐ。ここまで調子が上がってなかったが、『思い切り楽しむことが大事』という監督の言葉に、甘いボールに積極的に行けた」とコメント。

5回から、つくば秀英は羽富玲央、東洋大牛久は坪田然がマウンドへ。羽富は5回に3安打で1点を取られ、7回にも盗塁と捕逸、暴投で1点を失った。「替わってすぐ取られたのは反省。2点目は力みやサインミスがあった。途中からはカットボールを有効に使い空振りさせた」と羽富。

つくば秀英の2番手・羽富

これに対し坪田は5・6回を無失点に抑えたものの、7回に3連打で2点を許し降板。続く3人目の片根悠哉も羽富の左越え三塁打で1点を追加された。勝ち越し打を放った松崎勇吾についてつくば秀英の櫻井監督は「夏までは投手メーンできたが、秋から野手に専念し、どんどん力をつけてきた。人が変わったように努力するようになった」と評している。

7回裏つくば秀英1死二塁、6番・松崎勇吾が右越えの適時三塁打を放つ

霞ケ浦とつくば秀英による決勝戦は2日午前10時から同球場で開催される。霞ケ浦には甲子園を賭けた夏の決勝で敗れている。櫻井監督は「当然、意識している。いちばん悔しい負けだった。『あの日を忘れるな』を合言葉に、しっかり粘れる野球をやりたい」とリベンジを誓う。(池田充雄)

試合終了後、スタンドに向けて勝ちどきを上げるつくば秀英ナイン

常総学院8回に暗転、霞ケ浦が決勝へ【秋季高校野球茨城】

4
8回裏霞ケ浦1死満塁、鹿又が右翼へ2点適時打を放つ(撮影/高橋浩一)

第72回秋季関東地区高校野球茨城大会は30日、ひたちなか市民球場(同市新光町)で準決勝2試合が行われた。第1試合は常総学院と霞ケ浦が対戦、8-5で霞ケ浦が逆転勝利を収め、決勝へ駒を進めた。

第72回秋季関東地区高等学校野球茨城大会(9月30日、ひたちなか市民球場)
常総学院 201000110 5
霞 ケ 浦  00010106X 8

霞ケ浦の先発・市村

常総学院が8回に一挙6点を失って敗れた。「7回まではチーム一丸となってよく守り、いい流れだった。だが8回は3点のリードがあったのに、1つのミスをきっかけにエースの小澤頼人が突然乱れだし、普通の投手になってしまった。それまで良かっただけに替えるタイミングが難しかった」と島田直也監督。勝ちを拾った格好になった霞ケ浦の高橋祐二監督は「うちは逆転負けはよくあるが、このように逆転で勝った経験はない。一つの自信にしたい」と神妙なコメント。

常総学院の先発・小澤

詳細はこうだ。8回裏霞ケ浦の攻撃、先頭の代打・羽生伯が左前打で出塁。次打者の四番・大石健斗は二ゴロでゲッツーコースだったが、悪送球でアウトをまぬがれ、暴投と2連続四球で押し出しの1点を手にする。ここで小澤はマウンドを降りるが、負の連鎖が起こった。2番手の大木投哉も1四球と代打・羽賀龍生の左前打で2失点。3番手の広瀬龍太郎も四球で1失点の後、2番・鹿又嵩翔の右越え適時打でさらに2点を失う。「まっすぐを狙って打ちに行ったらチェンジアップだったが、右手一本でなんとか抜けてくれた。チームのためにつなぐ思いで打った」と鹿又のコメント。

序盤は常総が試合進める

序盤は常総学院が優位に試合を進めていた。初回、霞ケ浦の先発・市村才樹の変化球の制球が定まらないところへ直球に狙いを絞り、4番・柳本璃青の左前打で2得点。3回にも5番・佐藤剛希の中前打で1点を追加した。

3回表常総学院2死二塁、佐藤の中前打で渡辺康太が生還し3点目

その後は市村が「仲間の『絶対勝つぞ』という気持ちに応えなければエースじゃない」と奮起。直球とスライダーを効果的に使って4~6回を無失点に抑えた。「スライダーは秋からキレが増してきた。相手は甲子園で使ったカーブのイメージが残っているので、裏をかくことができた」と話す。

6回裏霞ケ浦1死一・二塁、西野が「完璧」と言った右中間への当たり

霞ケ浦は4回と6回、いずれも5番・西野結太のバットで1点ずつ返している。「第1打席は凡退したが、ベンチから観察して第2打席はタイミングが合うよう修正できた。第3打席は『変化球を右中間へ』という監督の指示で、打ったのはまっすぐだったが狙い通り右中間へ完璧にとらえることができた」と西野の振り返り。この2点を奪ったことが、終盤の逆襲につながったといえそうだ。(池田充雄)

6回裏霞ケ浦1死一・三塁、6番・村上聖のスクイズに三走・大石が本塁突入するがタッチアウト。捕手・佐藤

暫定目標値2.9倍のPFAS検出 つくば市上大島の事業所井戸

4
つくば市役所

汚染源は不明 周辺民家の井戸水調査へ

発がん性など健康への影響が懸念される有機フッ素化合物のPFAS(ピーファス)について、つくば市は30日、地下水を水源とする井戸水を飲用に使用している市内の民間事業所を対象にPFASの一種であるPFOS(ピーフォス)とPFOA(ピーフォア)について調査を依頼したところ、同市上大島の事業所の飲用井戸から、暫定目標値の2.9倍のPFOSとPFOAの合算値が検出されたと発表した。

市内の飲用水から暫定目標値を超えるPFASが検出されたのは初めて。市環境保全課によると、同事業所を含め周辺には過去にPFOS及びPFOAを製造または使用していた事業所はなく、現時点で汚染源は不明という。健康被害などは確認されていない。

市は今月27日、検出された井戸からおおむね半径500メートル以内の周辺住民30数軒に周知した。今後、周辺民家の井戸水調査を実施する。ただし調査箇所は調整中としている。同地区には公共水道が供給されているが、井戸水を飲用に利用している民家もあるという。

国が実施している「水道におけるPFOS及びPFOAに関する調査」に基づき、今年6月、地下水を飲用に利用している市内事業所38カ所を対象に市が検査を依頼した。そのうち14事業所が自ら検査し、7月18日、同市大島地区の事業所の井戸から、1リットル当たり暫定目標値の50ナノグラム(ナノは10億分の1)の2.9倍にあたる145ナノグラムが検出された。一方、同事業所が検査した近隣の井戸2カ所は暫定目標値以下だった。

その後9月20日、同事業所は蛇口から出る水を検査し、再び暫定目標値の2.1倍の105ナノグラムが検出された。蛇口に浄水フィルターを設置したところ不検出だったことから、今後、同事業所では活性炭入りの浄水フィルターを設置するという。

国は、全国の水道事業者などを対象に調査を実施。同日、県が発表した調査結果によると、県内ではつくば市のほか、筑西市内の事業所の計2カ所で暫定目標値を超える値が検出された。公共水道については暫定目標値を超える検出はなく、つくば・土浦市民が飲用する県企業局県南西広域水道の今年4~8月の検査結果は最大値が1リットル当たり8ナノグラムだった。

PFOSとPFOAは過去に泡消火剤や界面活性剤など幅広い用途で使用されていたが、現在は国内での製造や輸入は原則禁止されている。国は2020年に水質管理目標となる暫定目標値を設定したが、法的な規制対象となる基準値はまだ設定されていない。暫定基準値の見直しに向けては国の専門家会議で議論が実施されている。

「モノクロ語り・新川」 石川多依子さん 10月8日から土浦で写真展

0
新5号橋の上で、旧5号橋の写真を持つ石川さん

土浦市在住の写真家、石川多依子さんの写真展「モノクロ語り・新川」が、土浦駅前の土浦市民ギャラリーで10月8日から開催される。新川は同市の市街地を流れる。2004年からフィルムカメラやデジタルカメラで撮り続けた新川の、上流から河口までのさまざまな表情を厳選し、57枚のモノクロプリントで展示する。

カメラと共に、時代を下り川下り

新川は、同市虫掛と田中町の間を流れる用水路の合流点を起点とし、真鍋や立田町、城北町、東崎町などを通り、霞ケ浦に注ぐ全長3.4キロの1級河川。土浦の街を散歩しながら撮り歩いている石川さんの、大きな撮影テーマの一つでもある。石川さんは2020年に「新川の今昔」という手記を書いている。

手記をもとに川筋をたどると、上流の消防署前の通りを過ぎたところの田中橋から、6号国道を渡る真鍋橋までの間には、2つの木橋がある。近くに旧・常陽新聞の社屋があった5号橋(通称・常陽橋)と、土浦二高前に架かる立田橋だ。「どちらも現在は橋脚部分が鉄骨ですが、以前は橋から橋脚まで全て木製だったので、とてもひなびた風情があった」と石川さん。5号橋は2018年に欄干が倒れ、しばらく通行できなかったが、昨年ようやくヒノキ材で再建された。立田橋の方はスギ材なので、ちょっと表情が異なるという。

2008年、新地橋の上で花見に興ずる人々(石川さん提供)

真鍋橋の先は、旧水戸街道・真鍋宿通りに架かる新川橋、つくば国際大学高校前の新地橋へ続く。「道路や川に垂れ下がっていた多くの桜の枝が大胆に切られてしまい、景観は悪くなったが、それでも土浦で新川と言えば、桜の名所に変わりはない。高校生が行うプロジェクトにより、桜並木の下に菜の花の咲く範囲が年毎に広がっており、手漕ぎ舟や貸しボートなども見られるようになった」

城北橋を過ぎると川は少し左へカーブし、川幅を広げながら、ケーズデンキのある国体道路に架かる神天橋へ。ここからは真っ直ぐな流れとなって水門へ向かう。「マンション・ホーユーパレスの対岸には、当時は何艘(そう)もの舟がつながれ、地面には雑然と多くの漁用の網が置かれていた。早朝老人が舟を漕ぎだす光景が思い出される」

2004年ごろ、神天橋下流の船溜まりで漁網を広げる人(同)

常磐線の鉄橋をくぐると、駅東の大通りに架かる天王橋。この手前から新港橋までの南岸には、かつて船溜まりがあった。「当時、停泊した幾艘もの舟や漁に使う網が干される光景があったが、今ではすっかりその姿を消し、現在では新川での漁は消滅したと思われる。河口先端では、鎮座する水神宮の鳥居が極端に傾いていた」

この鳥居は今では完全に倒れ、夏草に覆われたまま。歳月の流れを感じさせたという。(池田充雄)

2021年、当時は傾きながらも耐えていた水天宮の鳥居(同)

◆「石川多依子写真展 モノクロ語り・新川」は10月8日(火)~14日(月・祝)、土浦市大和町1-1アルカス土浦1階、土浦市民ギャラリーで開催。開館時間は午前10時~午後5時。初日は午後1時から、最終日は午後4時まで。入場無料、駐車料金は2時間無料(駐車券を事務室に提示)。問い合わせは電話029-846-2950(ギャラリー事務室)へ。

➡石川多依子さんの過去記事はこちら

内部告発で分かったつくば市政の実態《吾妻カガミ》192

36
つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】つくば市の職員が、春まで属していた職場のいい加減な仕事振りを内部告発。新聞なども大きく報道する騒ぎになっている。この職員は、市管理部門への公益通報、市議会への請願、市監査委員への住民監査請求の3ルートを使い、実態解明と業務是正を求めている。

元社会福祉課の職員が議会に提出した請願書(下欄参照)を読むと、課内の様子がよく分かる。少し補足しながら引用すると、以下のような場面が出てくる。

現場のリアルな笑える場面

▼課内業務に問題があると管理職に指摘したら、「逆ハラスメント(上司いじめ?)だ」と言われ、その問題が隠蔽(いんぺい)されてしまった。

▼生活保護受給者の家を訪問したとき、担当者が暴行を受けるという事件が起きた。そのあと、市危機管理官(警察出身)による護身術講座があり、「間合いを取る、バインダーやペンで応戦する」と教わったが、現実的な対応とは思えない。

▼難しい生活保護ケースを議論する場で、管理職は「これは感覚の問題」と法令に基づく対応を無視したり、一度決めた保護開始を「取り下げさせろ」と命令したり。これでは福祉行政の体を成していない。

▼案件を法令通り処理したら、管理職から「法令通りにしか動けない職員は必要ない」と言われた。先輩からは「君も生活があるだろ。長いものには巻かれとけ」と、不適切処理に同調するよう諭された。

▼管理職席の後ろにある金庫から現金を取り出し、生活保護受給者に支給していた。ケースワーカーによる現金支給はダメなことを管理職は知っていたから、「記録に書いてはいけない」と指示された。

▼働いても、特殊勤務などの手当てがもらえない環境。暴行を受けても自分で身を守るしかない環境。法的正当性より管理職の感覚が勝つ環境。不正を指摘すると「村八分」を受ける環境。

▼管理部門の総務部にも、市としての最終的な自浄作用を期待して(今春)公益通報をした。しかし、受理までに3カ月以上もかかり、その後も不適正事案は改善されていない。

ガバナンス力が足りない市長

こういった実態はこの課だけなのか。他の部署も似たり寄ったりなのか。役所や企業には組織に流れる文化があり、類似の事例が他部署にもあると考えるのが自然だろう。

しかし、五十嵐立青市長、議会の対応を見ていると、問題解明を先に延ばしたいようだ。公益通報に対する調査について市長はあと半年ぐらい(通報から起算すると1年)かかると言い、請願を受けた議会特別委員会(長塚俊宏委員長)は市の調査結果待ちの構え。市長も議会も、この問題が市長・市議選挙(10月27日投開票)で争点になるのを避けているようだ。

1部署の実態調査に告発から1年もかかるとは驚きだ。集中してやれば2~3週間もあれば十分だろう。議会も市の報告書待ちとは驚きだ。関係者から直接聴取する能力もないらしい。今回の騒ぎによって、市長のガバナンス(管理)力不足、市議会のチェック(監視)力不足が明らかになった。つくば市政はかなり深刻といえる。(経済ジャーナリスト)

<資料と記事> 青字部をクリックすると表示されます。

▼市職員による議会請願書8月22日付

市によるミスの公表関連

・特殊勤務手当など未払い(5月9日掲載

・生活保護受給者に過払い(7月20日掲載

・過払い金、国に請求せず(8月21日掲載

職員による内部告発関連

・生活保護行政で議会請願(9月3日掲載

・生活保護問題で監査請求(9月7日掲載

・市職員請願は継続審査に(9月13日掲載

土浦 霞月楼所蔵の海軍予備学生 寄せ書き屏風に「全国で唯一残る貴重な資料」 

1
トークセッションで話す高野史緒さん(左)と清水亮さん

作家 高野史緒さんと学者 清水亮さんがトーク

土浦の老舗料亭「霞月楼所蔵品展」(9月24日付)最終日の29日、作家の高野史緒さんと社会学者の清水亮さんによるトークセッション(9月9日付)が、土浦駅前のアルカス土浦1階 市民ギャラリーで催された。太平洋戦争末期の1944年、特攻に向かう海軍予備学生が霞月楼で催された送別の宴で、勇ましい言葉や芸者の名前などを寄せ書きした霞月楼所蔵の屏風(びょうふ)について、清水さんは「死と隣り合わせの兵士のいろいろな思いが書き込まれており、出征前の遺書にも書かない、20代前後の若者の、赤裸々な等身大の姿だ。(旧日本軍の基地があった全国のまちを調査した中で)土浦に唯一残されている貴重な資料」だと話した。

トークセッションはいずれも昨年、土浦を題材に本を出した高野さんと清水さんの2人が、「ツェッペリン伯号と湖都・土浦を語る」をテーマに異なる視点から土浦について語った。高野さんは昨年7月、土浦を舞台としたSF小説「グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船」(ハヤカワ文庫)を出版、清水さんは昨年2月、海軍航空隊があった戦前から戦後の阿見と土浦の地域史を紐解いた「『軍都』を生きるー霞ケ浦の生活史1919-1968」(岩波書店)を出版した。

会場の様子

何となく懐かしい感じがする

高野さんは、小説を書く上で自分が生まれる前の話である飛行船ツェッペリン伯号について詳しく調べたと言い、1929年に阿見町に寄港したツェッペリン伯号に同乗した大阪毎日新聞記者の円地与四松(えんち・よしまつ)の貴重な著書「空の驚異ツェッペリン号」を持参し、「高度400メートルから800メートルの低空を飛行し。東京上空を飛んで横浜の上空で旋回し土浦まで1時間で戻ってきた。結構な速さだった」などと話した。

ツェッペリン伯号の船長だったエッケナーについて「ナチス嫌いで、世界一周の後、社会的地位を追われた。円地与四松が『乗組員に手のない人、足のない人がいる』と書いているが、エッケナーは第一次大戦の傷痍軍人を積極的に雇っていた。ツェッペリンの会社は平和の会社だった」などと語った。

「グラーフ・ツェッペリン あの夏の飛行船」に土浦のまちの景色が詳細に描かれていることについては「土浦のことを書いている小説はほとんどないので、土浦を全国に見せてやろうという気持ちだった」と言い、土浦も茨城も訪れたことがない読者から「何となく懐かしい気がする」という感想が寄せられたと明かした。司会者からアニメ映画化が似合っているのではないかという質問が出て、高野さんが「今、口外できない」と答えると、会場から拍手が起こり、期待するムードが高まった。

明るさと暗さがある

一方、清水さんは、かつてツェッペリン伯号の工場と基地があり、現在は新型のツェッペリンNT号が観光飛行するドイツのフリードリヒスハーフェン市を昨年訪れたと語り、「ボーデン湖があり、霞ケ浦がある土浦と似ている。土浦市と友好都市になっていて、『9500キロ先は土浦』という看板もあった」と話した。

自身の研究テーマの基地と地域との関わりについては「明るさと暗さがある」とし、明るい面として「1920年代に霞ケ浦航空隊ができて、土浦は潤い、航空隊が空の港として土浦が世界とつながっていった」と話した。さらに会場から出た質問に答え、住民が基地に対してもつ印象がポジティブかネガティブかについて「基地が出来た時期が重要なポイントになった。大半は戦争末期に土地を強制収容してできたためネガティブだが、土浦は第一次大戦と第二次大戦の間の一息つく時期に造られた」などと話した。

「芋掘り」の一種

霞月楼専務の堀越雄二さんが、レプリカが会場に展示されている海軍予備学生の寄せ書き屏風について説明すると、清水さんは「屏風の寄せ書きは『芋掘り』の一種だった」と説明した。芋掘りは海軍の隠語で、料亭の二次会、三次会で兵士が乱暴を働くこと。堀越さんは「料亭の畳をひっぺ返し、畳を天井近くまで積み上げて、天井の板をぶち抜いて、天井裏をドタドタしたり、わざと芸者の着物に醤油をぶっかけて暴れることがあったが、次の日に(航空隊が)弁償金をたっぷり持ってきた」などと話した。

寄せ書き屏風について説明する霞月楼専務の堀越雄二専務

トークセッションの冒頭、安藤真理子土浦市長があいさつ。会場には100人を超える参加者が集まった。飛行船の歴史や文化史研究の第一人者でドイツ文学者の天沼春樹さんも登壇した。司会は霞月楼所蔵展実行委員会の坂本栄委員長が務めた。会場前のアルカス土浦の広場では「屋台村」が催され、もつ煮込みやスイーツ、ドリンクなどのほか、土浦ツェッペリンカレーが販売され、ツェッペリン伯号の紙芝居も上演された。

美浦村から参加した西山洋さん(68)は「清水さんとは連絡を取り合っていて、清水さんに高野さんの小説を勧められて読んだ。元々SFは読んでいないが、『グラーフ・ツェッペリンー』はとても面白く、難しい科学用語も気にならなかった。今日はとても良い催しだった」と述べた。

アルカス土浦前広場の「屋台村」で披露されたツェッペリンの紙芝居

➡動画「トークセッション ツェッペリン伯号と湖都・土浦を語る」

画業50周年の集大成 つくば美術館で斎藤茂男展

0
28日開かれたギャラリートークで作品について話す斎藤茂男さん。作品は会場入り口正面に展示されている、ワーグナーのオペラ「二―ベンリングの指環」から着想を得て、26年かけて制作した4部作=つくば市吾妻、県つくば美術館

つくば市在住の洋画家、斎藤茂男さん(73)の画業50周年を記念した「画業五十周年記念―齋藤茂男展」(斎画舎主催)が同市吾妻、県つくば美術館で開かれている。油絵を描き始めた高校、大学時代から、渡欧しウイーンに拠点を置いた時代の作品、帰国後、安井賞展、白日会展、茨城県展芸術祭などに出展した作品など、画業50年の集大成となる油絵115点を一堂に展示している。

斎藤さんは同市安食生まれ。下妻一高、東京造形大学を卒業後、写実を標ぼうする公募・研究団体「白日会」に参加した。第2次世界大戦直後のオーストリア・ウイーンで興った幻想的レアリスム派と呼ばれる「ウイーン幻想派」をさらに学びたいと、1979年に渡欧し、ウイーンで制作活動をした。1982年に帰国後は、画壇の芥川賞ともいわれ新人洋画家の登竜門である「安井賞」に入選した。現在まで計27回、ヨーロッパ各国を取材旅行し、作品イメージの着想を得ながら、精力的に制作活動を続けている2020年から3年間は文科省の海外派遣で台湾に滞在しながら制作した。

ギャラリートークで話す斎藤茂男さん

作品は、ウイーン幻想派の影響を受け、細密な描写と鮮烈な色彩によって幻想的な世界を具象的なイメージで描いているのが特徴で、作品の背景に描かれた廃墟に、旧約聖書の創世記に登場するバベルの塔や、古代ギリシャやローマ建築の大理石の柱がモチーフとして登場する。

同展では、安井賞入選作品の「アポロンの丘」、1993年発行の単行本「ノストラダムス・メッセージⅡ」(角川書店)の表紙になった「久遠の預言者」など大型の作品を中心に展示している。ほかに、ワーグナーのオペラ「二―ベンリングの指環」から着想を得て、26年かけて制作した4部作や、地元の筑波山の山頂からふもとの景色を見て描いた6点の「古代賛歌Ⅰ」なども展示されている。

筑波山の山頂からふもとの景色を見て描いた6点の「古代賛歌Ⅰ」

28日は会場で作者自身が作品について解説する「ギャラリートーク」が催され、斎藤さんは「取材旅行しながらイメージの着想を得ている。色を付け加えたり、色で遊ぶことによって、自分で考えていた以上の形ができる」などと話した。廃墟の中にモチーフの大理石が描かれ、中心に赤いザクロやリンゴが置かれている作品については「絵に緊張感を与えるもの。自分の位置であり、自分がなぜ存在しているのか、なぜ絵を描いているのかの問いかけでもある」などと語った。

斎藤さんは制作活動について「結局は自分の存在はどうなのかということになる。私は絵描きなので、絵を通して表現している。描き方としては、旅行をしながら、常に動いたり感じたりすることによって、それをイメージしながら作品をつくり上げていく。連想ゲームのような形で仕上げていくと自分を超える作品になる」などと話す。

ギャラリートークの様子

市内から訪れた70代男性は「よくぞこれだけの作品を展示できたと、作品群に圧倒された」などと感想を話している。(鈴木宏子)

◆齋藤茂男展は10月6日(日)まで。開館時間は午前9時30分~午後5時。入場は午後4時30分まで。最終日は午後3時閉館。入場無料。月曜休館。

茨城の食材を使ってインドネシア料理《令和楽学ラボ》31

0
インドネシア料理完成

【コラム・川上美智子】公益財団法人茨城県国際交流協会の事業の一つに「世界の料理ミーティング」というプログラムがある。今年度第1回目はインドネシア編ということで、インドネシアの留学生が故郷の料理を作り、交流した。

当方は毎回、調理サポートとしてこの活動を楽しんでいる。今回は、県立産業技術短期大学の留学生2名と茨城大学大学院農学研究科農学専攻アジア展開コースの留学生4名の茨城県留学生親善大使が参加し、指導役の短大生ディアナさんの指示に従い、2時間かけて料理3品、飲み物1品を仕上げた。

このプログラムには、JICA茨城デスクとJA茨城中央会が協力をしており、JAの情報発信基地である「クオリテLab」(水戸市、JA会館1階)のキッチンが使われている。JAにとっては、茨城のおいしい野菜や農産物を発信する機会でもあり、県産品が異文化とコラボする機会にもなっている。

一緒に料理をしながら、ハラル認証の調味料の購入方法を教えてもらったり、普段は何を食べているのか、日本に留学した理由や卒業後の進路を聞いたり、学びの多い時間でもあった。

昔、母校、お茶の水女子大学食物学科の恩師の食品や調理の先生方とジャワ島を一周し、茶畑やジャスミンティー製造工場を見学し、大学などを訪問したことに思いをはせながら、留学生と時間を共有することができた。

インドネシア料理の材料

Gado-gado、Nasi Goreng、…

出来上がった料理メニューは、ハラル店舗で購入したガドガドソースをかけた前菜「Gado-gado(ガド ガド)」。ゆでた野菜(トウモロコシ、もやし、白菜、さやいんげん、ジャガイモ)にソースをかけたものである。

2品目はインドネシアの焼き飯「Nasi Goreng(ナシ ゴレン)」。長粒米を真っ白に精白したジャスミン米をやや硬めに炊飯器で炊き、ゆでたエビ、小松菜、ネギと一緒にサラダ油で炒めて、ナシゴレン用の調味料を加え仕上げたおいしい焼き飯である。これに目玉焼、レタス、トマト、きゅうりを添えるのが定番のようである。

3品目は「Salad Buah(サラダ ブア)」。果物に加糖練乳をかけたものである。この日は、茨城の梨と巨峰を使ったが、どちらも皮付きのままで食べているとのことでビックリした。飲み物は「Asem Gula Jawa(アセム グラ ジャワ)」。とても酸味の強いタマリンド(マメ科の常緑樹の実)を使った飲み物である。黒糖と砂糖で適度に甘みを加え、ホットでもアイスでも飲める梅ジュースのような味であった。

故郷の料理に喜ぶ留学生を見て、ともにインドネシアを旅した気分になれた貴重な1日であった。多文化共生とか国際交流とか言いながら、まだまだこのような機会が少ないのが残念である。(茨城キリスト教大学名誉教授、関彰商事アドバイザー)

「聴こえるハザードマップ」土浦市が公開 視覚障害者や高齢者にも届く情報を 

2
9月12日から市の公式YouTubeチャンネルで公開されている「聴こえるハザードマップ」

土浦市が今月12日から、音声で伝える「聴こえるハザードマップ」を、市の公式YouTubeチャンネルで公開している。これまでは、被災想定区域や避難場所などを活字や地図などで示したハザードマップを印刷物や市ホームページで公開していた。今回、障害者や高齢者など目が不自由な人にも届くようにと、市として初めて、音声で情報を得られるハザードマップを作った。

市防災危機管理課は「ここ数年、各地で水害による被害が増えている。8本の河川と霞ケ浦がある土浦市でも、多くの方にハザードマップの内容を周知し、防災につなげたいという思いで作成した」と語る。

聴こえるハザードマップは、水害や土砂災害が発生した際に想定される被災想定区域の地区名、市内各地の避難場所や避難手順、緊急時に情報を入手できる情報発信元などを音声で発信している。「洪水ハザードマップ」と「土砂災害ハザードマップ」の2種類があり、「洪水」は水害時の心得、避難情報、浸水想定区域、避難場所、情報収集について、「土砂災害」は避難手順、危険箇所、避難場所について、それぞれ1分から5分程度の内容で五つの音声データに分け、わかりやすい言葉でゆっくりと人の声で情報を読み上げている。

すでに印刷物として配布している「土浦市洪水ハザードマップ」と「土浦市土砂災害ハザードマップ」の2種類を元に作成している。印刷物は、イラストや表、地図とともに、異なる大きさの文字や複数の色を使い分けることで、必要な情報を視覚的にわかりやすく表現している。今回作成した聴こえるハザードマップでは、既存の文字情報を読み上げながら、地図上に色分けされている浸水想定区域や土石流の発生、斜面の崩壊などが想定される区域について、河川ごとに地区名を細かく読み上げることで、聞くだけで位置が特定できるよう工夫をした。

同課は「視覚にハンデのある方にもわかりやすい情報をという要望が届いていた。視覚に障害のある方、高齢の方などにもわかりやすく情報を届けたいという思いで作成した。災害が起きてから危険な場所を知るのでは遅いので、視覚障害のある方、高齢の方、それぞれのご家族に是非、音声のハザードマップを利用し日頃からの備えにしていただければ」と呼び掛ける。(柴田大輔)

◆「聴こえるハザードマップ」は市の公式YouTubeチャンネルで無料で公開されている。今後、同じ内容を録音したCDを作成し、個人や団体に向けて貸し出しできるようにする。詳しくは同市のホームページへ。

農家と協働「田んぼさわやか隊」《宍塚の里山》117

2
田んぼさわやか隊。写真は筆者提供

【コラム・福井正人】今回は、私たちの会と地元農家との協働作業である「田んぼさわやか隊」について紹介します。この隊は、毎月第3日曜日の午前中に活動しています。活動エリアは宍塚大池を水源とし備前川に流れ込む、流長約2キロの農業水路流域にある水田(休耕田を含む)と水路になります。この農業水路については、一昨年春、フナののっこみとその水路で見られる魚たちについて書きました(22年3月25日掲載)。

上流域には里山の中心をなす谷津田が、中流域には耕地整備されたものの、貴重な土水路が残された水田が広がっています。

さわやか隊の活動の意義として、①地元農家と非農家の協働作業である、②活動のメインエリアである水路中流域の水田地帯が里山を守るように広がっている、③活動地域のほとんどの水路が土水路として残されており、たくさんの生き物を育む場所となっている、④休耕田を復田して、貴重な湿地を増やす―の4点が挙げられます。

なかでも、地元農家との協働作業であることが、田んぼさわやか隊の最も大きな活動意義です。ほとんどが非農家の当会会員にとって、さわやか隊は貴重な農作業を体験できる場であり、地元農家の側からは、高齢化や離農で人手不足が進みつつある現在、多少なりとも作業の軽減につながっています。

農家とWIN-WINの関係

このように、WIN-WIN(ウィン-ウィン)の関係が、里山における「人」を中心としたパートナーシップの構築に役に立っています。活動中の我々の姿を見て、「ありがとう」と言ってくださる地元の方に会うと、とてもうれしくなります。会員の中には、月1回のさわやか隊の活動に限らず、地元農家の方と、田植えや稲刈り、除草作業などを行う人もおり、活動の幅は広がっています。

また、さわやか隊の活動は、生物多様性の保全にも大きく寄与しています。特に農業水路が土水路として残されているため、デコボコができ、水の流れには緩急ができて、さらに植物も生えることから、生き物にとって過ごしやすい場を提供します。

もしこれが三面コンクリートの水路であったら、大雨の際には激流となって小さな生き物は隠れる場所もなく流されてしまいます。もちろん管理はコンクリートのほうが楽です。だからこそ、貴重な生き物の生息場所を守るための手間を、地元の農家だけに負担させるのではなく、保全団体の我々も積極的に関与しなくてはいけないと思っています。

最近では、当会が始めた里山体験プログラムにおいて、さわやか隊の活動が必修科目となり、大学生などの若い参加者も増えています。少しでもさわやか隊の活動にご興味を持たれた方は、活動に参加してみてください。(宍塚の自然と歴史の会 副理事長)

車検切れ公用車を公務で使用 土浦市

5
土浦市役所

土浦市は27日、車検が切れた公用車1台を5月9日から9月25日まで4カ月半、市農林水産課が公務で使用していたと発表した。

市によると4カ月半の間に、同課の職員6人が37日間、39回公務で運行していた。運行距離は計1376キロ。車検切れの間、事故などはなかった。

9月25日に同課の職員が車を使用した際、車検証の写しを確認し、車検切れであることが分かった。

同車の車検については、管財課が4月10日ごろ農林水産課に文書で通知していたが、農林水産課が車検の手続きを失念してしまったという。

判明後、市はただちに同車の使用を中止。さらに市が所有するすべての車両の車検期間について改めて調査を実施したところ、車検切れで運行している公用車はほかには無かった。

再発防止策として同市は、公用車を管理する各課に対し、管財課が文書で車検満了日を通知するだけでなく、新たに庁内ネットワークで周知し、各課の課長にメールで通知した上で、各課から管財課に車検予約日の報告を義務付けるとしている。さらに運転日誌の表紙に車検の有効期間を掲示し、運転者の意識を改善するとした。

安藤真理子市長は「市民の信頼を損なうことになってしまい深くお詫びします。今回の事態を真摯(しんし)に受け止め、二度と同様の事案が発生しないよう迅速に改善に取り組みます」などとするコメントを発表した。

ガザ侵攻から1年 パレスチナにルーツ持つ女性が第3回イベント

3
イベントを主催するラクマンさん(左)と松﨑さん

29日、つくばセンタービル

料理やアート、映画の上映を通じてパレスチナを知るイベント「パレスチナ・デイ」(パレスチナ・デイ・つくば主催)が29日、つくば駅前のつくばセンタービルにある市民活動拠点「コリドイオ」で開かれる。主催するのは、パレスチナ人の父を持つ、つくば市在住のラクマン来良さん(35)ら市民有志。今回で3回目の開催になる。

3月のイベント(2月27日付)には県内外から100人を超える来場者があった。「ガザ侵攻から1年。関心が薄まりつつあるのを感じるが、現地では攻撃が今も続き、多くの子どもや大人が犠牲になっている。まずはパレスチナという場所があると知ってほしい。関心につなげられたら」とラクマンさんは思いを込める。

活動する仲間が作ったポスターには、パレスチナに関するイラストがあしらわれている

父親が西岸地区に

ラクマンさんの父親は、パレスチナのヨルダン川西岸地区にあるカルキリアという街で自営業を営んでいる。父親とは昨日も電話で話をした。「カルキリアには一時的にイスラエル兵士が入り、住民を逮捕したり、殺害することもあった。今は比較的落ち着き、普通の生活ができているよう」だという。

ラクマンさんはパレスチナ人の父と日本人の母親のもとで1988年に埼玉県で生また。日本で育ち、15歳の時、初めてパレスチナを訪ねた。自身の文化を知ってほしいと願う父親の思いもあり、日本の中学を卒業後は、家族で5年間、隣国のヨルダンで過ごし、親族が暮らすパレスチナをしばしば訪ねた。そこで初めて見た風景に、ラクマンさんは衝撃を受けた。

現地はどこに行っても検問所があり、検問所を通過するたびに銃を持つイスラエル兵に身分を確認された。身分証のチェックだけでなく、家族の出自や職業、居住地、国籍の異なる両親がなぜ出会ったのかなどまで細かく詰問された。「イスラエルという国がパレスチナをコントロールしていた。これまで自分が生きてきた世界とは全然違う世界があった」と言い、「自分がパレスチナ人として扱われる中で、父から聞いていた『パレスチナ人には国がない』ということがどんな意味か実感した。自分たちは占領されている立場だと感じた」と振り返る。

20歳で日本に帰り、改めてパレスチナについて学んだ。入学した日本の大学ではパレスチナに関するサークルに入りイベント開催を通じて啓発活動を始めた。現在はドイツ人の夫とつくば市に暮らし、3人の子どもを育てている。

3月に開かれた第2回パレスチナ・デイの様子(パレスチナ・デイ・つくば提供)

ママ友と声を上げる

今回、イベントを一緒に主催するつくば市の松﨑直美さん(54)は、子どもの学校を通じて知り合った「ママ友」だ。松﨑さんはラクマンさんとの出会いを通じてパレスチナへの関心を深め、昨年10月のガザ侵攻後は、都内で行われた抗議デモにラクマンさんと何度も参加した。今年1月には、駐日パレスチナ常駐総代表部(東京都港区)で開かれたパレスチナの伝統模様をあしらった刺しゅうのワークショップに参加した。最近はつくばで松﨑さん自身がパレスチナ刺しゅうを広める活動をするなど(7月1日付)文化活動を通じて現地のことを伝えている。

「パレスチナ・デイ」は「自分たちが暮らすつくば市でも何かしたかった」というラクマンさんの思いに松﨑さんが協力し、昨年12月に立ち上がった企画だ。第1回はラクマンさんの自宅で開いた。活動を続ける中でつながった人たちとプラカードを手に街頭に立ち、パレスチナへの連帯を表す「スタンディング・デモ」を市内で行っている。

自分の家族と重なる

昨年10月に始まったイスラエルの武力侵攻の直後、ラクマンさんは心に深い傷を負った。「子ども達が殺されているのを映像で見る。たくさんの大人も傷ついている。彼らが自分の家族と重なる。自分の子どもだったらと考えると仕事が手につかず、うつ状態になり、カウンセリングを受けた」と明かす。しかし「自分がうつになっても何も変わらないし、パレスチナのために何もできない。何ができるか考えたときに、日本の人にパレスチナのことを知ってもらうことをしようと思った」

その後の複数回、ラクマンさんは自身の子どもを連れて親族が暮らすパレスチナを訪れている。「子どもには現地を見せたかった。親戚もたくさんいる。特殊な状況でも人はとても温かい。皆、また行きたいと言ってくれている」と話す。

ラクマンさんは、自身がパレスチナにルーツを持つ人間だからこそできることがあると考える。「日本人の考え方もわかるし、パレスチナ人がこれまでどんな目に遭い、何を思うのかを家族を通じて知ることができている」と話し、「パレスチナで起きていることは、国同士の戦争ではない。民族浄化、ジェノサイドが起きている。パレスチナという場所があると知ってほしいし、関心を持ってほしい。これからも、できることをやっていきたい」と語る。(柴田大輔)

◆イベント「パレスチナ・デイ」は29日(日)午前11時から午後6時まで、つくば市吾妻1-10-1、つくばセンタービル内の市民活動拠点コリドイオで開催。午前11時からは、ジャーナリスト古居みずえさんがパレスチナで撮影したドキュメンタリー映画「ぼくたちは見た」の上映会が、午後1時からは、アーティストKENさんがパレスチナをテーマに絵を描きながら、参加者とのお話会を開く。午後3時30分からは、ガザ出身の女性らによるパレスチナ料理教室が共催団体により開かれる。そのほかパレスチナに関するパネル展、文化、書籍の紹介、雑貨や軽食の販売などがある。上映会とアーティストKENさんの企画は3階大会議室で、参加費はそれぞれ1000円と500円。パレスチナ料理教室は1階調理室で、参加費は3500円。一部の参加は事前予約制。問い合わせは「パレスチナ・デイ・つくば」のインスタグラムへ。

喫茶店紹介番組を茨城県南でも!《遊民通信》97

3

【コラム・田口哲郎】

前略

YouTubeでテレビ大阪制作の「片っ端から喫茶店」という番組を見ることができます。当然、茨城県では地上波放送はないのですが、YouTubeがあると、さまざまな地域の番組を見ることができるので便利です。この「片っ端から喫茶店」のコンセプトは番組公式ホームページに書かれています。

「実は、日本一喫茶店の多い都道府県でもある大阪。そんな大阪の宝とも言える膨大な喫茶店を、年齢も性別も職業も違う人々が巡るアンソロジー。こだわりの強いお店から、全くこだわりのないお店まで、東西南北片っ端から回っていきます」

コンセプト通り、いろいろなリポーターが全国一喫茶店の数が多い大阪を縦横無尽に巡り、「片っ端」から紹介します。この番組が対象とするのは、いわゆるシアトル系とか全国チェーン展開をしていない喫茶店(もしくは全国チェーン店の本店)です。

前にも書きましたが、純喫茶のようなお店は最初、ちょっと入りづらかったりします。中がよく見えないとか、お値段がどうなんだろう、とか。でも、テレビ番組で紹介してくれると、様子がよくわかるので、行きやすくなります。実際、私は大阪旅行したときに、「片っ端から喫茶店」を参考に、喫茶店に行きました。あの番組がなかったら行かなかったでしょう。

いま、昭和レトロがもてはやされて、喫茶店ブームになっています。「片っ端から喫茶店」以外にも、ずんの飯尾さんがテレビ東京で「飯尾和樹のずん喫茶」という番組をやっています。コンセプトは「喫茶店が大好きな“ずんの飯尾和樹”の喫茶店巡り旅。おいしいコーヒーに、マスターや常連さんと愉快なおしゃべり。入店から退店まで飯尾さん目線で楽しむ喫茶店番組」。

「いいじゃん!」のような番組の復活を!

J:COM茨城でも、コロナ前までは「いいじゃん!」という番組がありました。オジンオズボーンの高松さん、鈴木涼子さん、山城功児さんたちが地域の魅力を伝えるバライティーでした。残念ながら終了しましたが、いま、喫茶店に注目して、地域密着型バラエティーを復活させてほしいです。

茨城県南は郊外型住宅地が多いので、シアトル系や全国チェーンの喫茶店が多いでしょう。しかし、土浦、阿見、牛久、取手と歴史ある街があり、伝統を積み上げているつくばにも魅力的な喫茶店があるはずです。街を彩る喫茶店を巡って紹介し、住民が楽しく余暇を過ごすためのバラエティー番組の復活を強く希望します。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

県、つくば市立葛城小の元事務職員を停職処分 給食費など900万円不明

16
茨城県庁

つくば市立葛城小学校に以前勤務していた学校事務職員の男性(45)が、2018年度から20年度までの間、現金を不適切に取り扱い、保護者から徴収した給食費及び児童会費計904万7990円を紛失したとして(23年11月21日付)、県は26日、男性職員を同日付けで、停職12カ月の懲戒処分としたと発表した。男性職員は、県が給与を負担する県費負担職員。

同小では当時、保護者から振り込まれた給食費などの学校徴収金を、徴収用の学校の預金口座から事務職員が現金で引き出し、市の口座に移していた。男性職員は現金を引き出した際、複数回にわたって一部を市の口座に移さず、職員室内の自分の机に保管していた。その間に計約900万円が不明となった。

さらに男性職員は、つくば市に提出する給食費納入報告書について、市の口座に移してないことを隠蔽するため、市に虚偽報告をしたとされる。

同市の森田充教育長は「市民に多大なご迷惑と不安をお掛けし深くお詫びします。市内の学校で学校徴収金に不明金を発生させたことについて誠に遺憾に思っています。今後このようなことが二度と起こらないよう管理体制を徹底します」などとするコメントを発表した。

野党共闘見直しへ 共産新人の間宮氏が立候補表明【衆院茨城6区】

5
次期衆院選茨城6区から立候補することを表明した共産新人の間宮美知子氏=つくば市竹園、学園記者クラブ

次期衆院選 茨城6区(つくば、土浦市など6市区)に、共産党新人で元つくばみらい市議の間宮美知子氏(77)が26日記者会見し立候補を表明した。6区には前回2021年の衆院選小選挙区で当選した自民現職の国光あやの氏(45)、比例で復活当選した立憲県連代表の青山大人氏(45)が立候補する予定で、間宮氏は3人目となる。共産党は前回、6区で候補者擁立を見送り青山氏を応援していた。野党共闘の見直しにより、対決の構図が変わりそうだ。

共産党県委員会の上野高志委員長は「野党共闘の原点は、2015年9月の安保法制成立後、市民から起こった『市民と野党の共闘を』という願いからで、安保法制の廃止が原点」だとし「立憲民主党は(党首などで)この間、安保法制はすぐには廃止できない、政権を共産党と一緒に担うことはできない、自民党を右から支える維新との協力にも言及するなど、市民と野党の共闘に背を向けている」とし、今回は県内全7選挙区で立候補者の擁立を検討しているとした。前回擁立したのは4区と5区のみだった。

上野委員長はその上で①消費税を5%に減税、最低賃金を時給1500円以上、労働時間を1日7時間に短縮するなど物価高から暮らしと経済を立て直す②百里基地(小美玉市)が300~500億円の予算で基地強靭化を図る対象となり、同基地で米、豪、英、仏など外国の軍隊と共同訓練が行われているなど、大軍拡に反対し、戦争準備ではなく外交により平和を構築するーなどを訴え、比例区での議席増を軸に、県内の得票目標を12万6000票とするとした。

間宮氏は「岸田首相は政権を投げ出したが、これまで(裏金問題など)岸田政権の追及をしてきたのが(党機関紙の)『しんぶん赤旗』。正義を守る、不正を許さないという考えの下でやってきた。市議をやった中で、議員として意見表明をすることは大事だと思った。自民党政権は軍拡に走り、労働者を切り捨て、自分たちだけもうけて、懐にお金を入れている。この仕組みは間違っている」などと述べ、①学費無償化を目指し、大学の入学金を廃止する②価格保障や所得補償の充実など農業者が安定して生産を続けられる条件を整える➂年金削減の中止など社会保障と教育の拡充―などを訴えたいと話した。

間宮氏は東京都立大学卒、都内の中学校と茨城県内の養護学校で教員を務めた後、JICAのシニアボランティアとして中米3カ国で計8年間、自閉症児の教育普及に当たった。2020年からはつくばみらい市議を1期務めた。

回収量年10トン規模、ボート使い水中清掃も【霞ケ浦 水辺の足跡】下

1
水中のごみを引き揚げる、有志による防塵艇身隊のボート

地元建設業者が若手を派遣

水辺基盤協会(本部美浦村、吉田幸二理事長)は2005年にNPOとして発足した。試行錯誤を繰り返しながら、春と秋の2回、湖畔でのごみ拾い活動を続け、清掃活動は「53 Pick Up!」の愛称で定着した。現在は約350人の活動参加者以外に、国土交通省や茨城県、沿岸自治体の協力も得られるようになり、湖畔だけでなく水中に没した廃棄物の引き揚げも行われるようになった。

「防塵挺身隊(ぼうじんていしんたい)という、ボートを使った水中清掃が2003年から行われている。長靴、長熊手、水中探査機など、専用の道具を活用することで、従来以上のごみを回収できるようになっている。引き揚げられたごみは陸上班が回収してデータ化も進めている。この機動力によって回収されるごみの量は年間で約10トンに上る。目を見張るのが流域にある地元建設業者のパワー。機材の提供や扱いだけでなく若手社員を自社研修として派遣してくれる。そんな企業が5社参加している」と理事長の吉田さん。

多種多様なごみが回収され、回収量は年間10トンにもなる

好きで拾っているわけじゃない

それでも清掃活動の手が届かない湖畔の堤防などには、まだ空き缶やビニール袋が散見される。一度の清掃の回収量よりも、霞ケ浦流域全体に活動意識が拡大していけば理想だと吉田さんは述べる。

「多くの場合、国がやってくれるだろう、県がなんとかするだろうという住民意識が強かったと思う。頼りきることでは力は発揮できない。逆に、流域の人々が最も手軽にできる環境保全活動がごみ拾いだと思う」

防塵挺身隊には活動規範を示す五カ条の総則があり、この総則に沿えた一説には彼らの本心がうかがえる。

「好きで拾っているわけじゃない。霞ケ浦で楽しい時間を過ごすため、わずかな時間を割いているだけ。議論を否定するわけじゃないが、口角泡を飛ばすよりも、ごみを拾ってストレス飛ばそう」

吉田さんは「皆が頑張った分だけ霞ケ浦がきれいになるし、頑張った分だけ湖沼の生き物たちも元気になるんですよ」と湖畔を眺める。

全国14の河川や湖沼に広がる

霞ケ浦で始まった清掃活動「53 Pick Up!」はその後、全国各地に広がり、愛知県の入鹿池、三重県の長良川下流域、高知県の波介川などで受け継がれ、30回を越えて継続しているという。

吉田さんは「『53 Pick Up!』は10年前から実行委員会を組織して主催しており、全国14の河川や湖沼で活動が繰り広げられている。霞ケ浦では定期的に年2回、防塵挺身隊は6回。台風の直後にも臨時に清掃する場合もある」と述べる。さらに「協会ではこれらを継続するほか、美浦村の清明川河口周辺に整備された植生浄化施設に育つ水生植物を利用した水質浄化試験もこのメンバーや参加者によって進められている」と活動の広がりを話す。

美浦村にある植生護岸と浄化水路

水質浄化実験には清明川から引き込む水路が活用されており、吉田代表は「水路の利用可能性として子供向けの自然観察会や釣り教室、水難事故の危険を知ってもらうための学習会などに拡張させたい」と話す。

節目の年

「滋賀県が提唱し実現した『世界の湖沼環境の保全に関する国際会議』(1984年)から今年は40年になる。これが世界湖沼会議に発展して、霞ケ浦では1995年と2018年に二度、湖沼会議が開かれた。何事も継続は力なり、明確な目的を持つ活動は、祭りの神輿のように長い時代を伝え続けられると考えている。バス釣りという遊び場を守るためには、実に単純で明快に、自ら動かなければいけないと思った」

吉田さんの言葉は楽しげに響くが、苦労と努力の足跡でもある。2025年は霞ケ浦で最初の世界湖沼会議が開かれて30年になる。水辺基盤協会もNPO発足から20年という節目を迎える。どこへ向けて足跡を残すか尋ねてみると「いろいろな話題や提案が話し合われているが、NPOだけで実現できるものでもなく…」と、苦笑いが返ってきた。(鴨志田隆之)

終わり

雪の音を撮る《写真だいすき》32

0
なかなか雪の音は聞けない。特にこんな暑い地球になった今は。やっと昔の写真を探し出した。撮影は筆者

【コラム・オダギ秀】ボクが通っていた小学校は、木造2階建てではあったが、現代のあちこちの校舎からは想像がつかぬほど子供心にもオンボロで、風が強い日などは、走ってユサユサさせると校舎が倒れるから走ってはいけない、と真面目にきつく命じられていたほどであった。校舎には斜めに支え棒がついていた。

そんな校舎で何時間目かの授業の開始を待っていたある雪の日、教室に担任のS田先生が入ってきた。当時、S田先生は30過ぎだったろうか。ハンサムではなかったが、いわゆる熱血教師だったと思う。生徒みんなが嫌がった汲み取りトイレの便器を素手で洗った。

S田先生が宿直のときは(昔、先生は宿直という泊まりがけの日があった)、ボクらは大喜びで泊まりに行った。

さて、雪の日のことだ。S田先生は教室に入ってくると教室を見渡し、それから机の上のものをみんなしまえと言った。そして、雪の音を聞け、とボクらに命じた。「雪の音ぉ〜?」。そんなの聞こえないじゃないか、雪に音なんかあるのかよ、とみんな思った。

雪はしんしんと、オンボロの校舎を包んでいた。でも先生の命令だから、みんな黙って座り続けた。長い時間に感じた。

見えないものを撮れ

そのS田先生は、ボクらが卒業してからしばらくして、若くして亡くなられたと聞いた。校舎も、いつの間にか、立派な校舎に建て替えられた。ボクは大人になり、写真家として仕事をしていた。だが、自分の写真に、その背景がなかなか写らないな、と悩んでいた。目に見えぬ部分、写した外の部分を表現したいものだと思っていた。

たとえば、何か楽しいものや悲しい瞬間を撮る、美しいものを撮る、そんなときに、なぜなのかその外に何があるのかをより深く表現できれば、より楽しい、より悲しい、より美しい表現になるということなのだ。

そして、あるとき、ある瞬間、気がついた。S田先生が雪の音を聞けと言ったのは、このことだったのだと。聞こえないものを聞け、見えないものを撮れ、その外にある大切なものを表現しろということだったのだと。テクニックではない。こうすれば雪の音が聞こえるというノウハウではない。雪の音の外にある聞こえない音、見えるものの外の見えない大切なものを撮れということなのだ。

いまもボクは、雪の音が聞こえる写真を撮りたいと苦労している。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

バス釣り仲間で清掃活動スタート【霞ケ浦 水辺の足跡】上

7
NPO水辺基盤協会理事長の吉田幸二さん

霞ケ浦に船出していく土浦新港を活動拠点として、定期的な清掃活動に従事する人々がいる。活動団体の一つ「水辺基盤協会」(美浦村木原)は、バス釣りを楽しむ仲間達で1995年に始めたごみ拾いを継続させるため、2005年にNPOを立ち上げた。清掃活動スタートから29年、NPO設立から19年目の水辺の足跡をたどった。1995年は第6回世界湖沼会議がつくば、土浦などで開かれた年で、来年は30年になる。

参加費徴収しごみ拾い

協会理事長の吉田幸二さん(73)はもともと、東京に仕事と居を構え、週末や休日に霞ケ浦湖畔を訪れブラックバスを釣る暮らしを楽しんでいた。1990年代のことだ。

「当時、水質悪化や汚濁の話題をよく耳にした。それを裏付けるかのように、霞ケ浦のどこに行ってもごみが散乱していた。湖畔に来た人が捨てたものもあっただろうし、(流入河川の)桜川のずっと上流から流れ着いたものもあったでしょう。こういう場所で、しかも外来魚を釣っていると『あなたたちの仕業ではないのか』と言われた」

湖岸に流れ着いたごみを拾うバス釣り仲間

そこで、釣り仲間に声を掛け、理解を得られた人に集まってもらい、ごみ拾いを始めた。1995年2月に第1回目の清掃活動が行われ、土浦新港や行方市の霞ケ浦ふれあいランド周辺など場所を変えながら、霞ケ浦の何カ所かで継続的に、ごみの収集を展開した。

吉田代表は当時を振り返り「参加者を募って、彼らから参加費をとるという乱暴なことをした。もちろんバス釣りの人々すべての賛同を得られたわけではない。ただ、それを理解してくれる仲間とならば、持続した活動を続けられるという確信があった」

参加費の徴収は、裏話を聞くと乱暴でも何でもない。当時は民間人がごみ収集をしても、それを処理する予算がなかった。当時の建設省(国土交通省)にしても茨城県にしても、湖畔のごみ処理の事務分担に対するハードルが高く、沿岸自治体にしても予算を工面できるところはなかったという。活動仲間は参加費として自ら処理費を負担して産業廃棄物処理業者に引き取ってもらっていた。

土浦市で行われた清掃活動「53 Pick Up」の参加者ら

本腰で取り組む覚悟

吉田さんらの清掃活動が始まった1995年という年は、霞ケ浦をテーマとした第6回世界湖沼会議が10月に招致され、筑波研究学園都市や土浦市、霞ケ浦湖畔の各地で様々な研究発表や議論が展開された。第6回湖沼会議を機に、市民による水質改善の取り組みやごみ拾いなどが地域に浸透し、研究発表の情報やデータが役立てられる機会も増えた。

一方、吉田さんは「『あんたたちは、どうせブラックバスがいなくなったら霞ケ浦には来なくなるんだろう』などと毒づく人もいた」と当時を振り返り、「ブラックバスは強い適応能力を持つ魚だが外来種ゆえに嫌われ者だった。しかし、それがいなくなるという言葉の裏側に、本気で外来種を駆除し湖の汚濁や水質改善をやろうと考えている気迫までは感じられなかった」と話す。

さらに10年後、吉田さんはバス釣り愛好家にも本腰で取り組むべき覚悟が必要だと感じ、NPOの立ち上げを決めた。(鴨志田隆之)

続く

離婚届と結婚届《短いおはなし》31

2
イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

バツイチ同士の再婚で、彼も私も子供がいない。障害は何もない。
彼はちょっと頼りないけど優しい人だ。
一緒に暮らし始めて、あとは籍を入れるだけだった。

ところがここで問題が起きた。
彼の離婚届が、出されていなかった。つまり彼はまだ、離婚をしていない。

彼は別れた妻に電話をした。

「え? 出し忘れた? もう5年も経つんだぞ。忘れたって、何だよ」

不機嫌そうに電話を切った彼は、いらつきながら言った。

「だらしない奴なんだ。私が出すって言いながら忘れたんだって。しかもどこかへ失くしたらしい。本当にダメな奴なんだ。だから別れたんだ」

「それで、どうするの?」

「明日、うちに来るって。離婚届をその場で書いてもらうよ。会うのが嫌だったら、君は出かけてもいいよ」

彼はそう言ったけれど、私が留守の間に来られて、あちこち見られるのは嫌だ。
私は、2人の離婚届の署名に立ち会うことにした。

翌日、午後6時に来るはずの元妻は、30分を過ぎても来ない。

「ルーズなんだよ。だから別れたんだ。仕事が忙しいとか言って朝飯も作らないし、掃除もいい加減だし」

彼の元妻に対する悪口は、どんどんエスカレートする。
いつだって仕事優先で、妻としての役割を果たさなかったとか、車の運転が荒いとか、自分よりも高収入なのを鼻にかけていたとか。
聞けば聞くほど、彼が小さい男に見えてくる。

元妻は、6時40分を過ぎたころにやっと来た。

「ごめんなさい。遅れちゃって」

彼が言うほどだらしない印象はない。上品なスーツを着て、薄化粧だけど美人だった。

「忙しい時間にごめんなさいね。離婚届を書いたらすぐに帰りますから」

感じのいい人だった。

彼女の後ろから、小さな男の子が顔を出した。彼女は子供の頭をなでながら言った。

「この子を保育園に迎えに行って、遅くなってしまったの」

彼が驚いて聞いた。

「君の子供? 結婚したのか?」

「結婚するわけないでしょう。離婚してないんだから。さあ、ごあいさつして」

母親に促され、子供がかわいい声であいさつをした。

「はるきです。5歳です」

「5歳?」

彼が青ざめた。確かめるまでもなく、はるき君は彼にそっくりだ。

「別れた後で妊娠がわかったの。でもね、捨てないでくれってすがりつくあなたを追い出しておいて、妊娠したから帰ってきてなんて言えないじゃないの」

すがりついた? 彼が?

「出産準備や仕事の調整で忙しくて、離婚届出し忘れちゃったの」

彼女はそう言うと、素早く離婚届に名前を書いて印を押して帰った。

「じゃあ、あとはヨロシク」

離婚届を見つめながら、彼は明らかに動揺している。

「彼女、わざと離婚届を出さなかったんじゃない? あなたが帰ってくると思って」

「そうかな…」

「追いかけたら。あなた父親でしょう」

慌てて出て行く彼を見送って、私は離婚届を丸めて捨てた。

彼が元妻、いえ、妻の悪口を言い始めたときから、わずかな嫌悪感を拭いきれない。

それは放っておいた珈琲のシミみたいに、消えることはないだろう。
抽斗(ひきだし)にしまった婚姻届を出す日は、もう永遠に来ない。
ため息をつきながら捨てた。ゴミ箱の中で、離婚届と婚姻届がぶつかり合って弾けた。(作家)