水曜日, 1月 15, 2025
ホームつくば10年間で計1770万円を国に請求せず つくば市 生活保護めぐりまた不適正事務

10年間で計1770万円を国に請求せず つくば市 生活保護めぐりまた不適正事務

市の会計で不納欠損処理

生活保護行政をめぐり不適正な事務処理が相次いでいるつくば市(5月9日付7月20日付)で新たに、2014年度から23年度までの10年間、本来国に請求すべき生活保護費の過支給による徴収不能分 計1771万0826円を国に請求していなかったことが分かった。21日、同市が発表した。国に請求しなかった分は、市の会計で徴収不能として不納欠損処理し、結果的に市が負担していた。

生活保護受給者に年金や就労などによる収入があって支給額が基準より多くなった場合や、本人が他市町村に転居したり死亡するなどして過支給があった場合、市は本人や相続人などに過支給分の返還を求める。しかし最終的に徴収できなかった場合や時効になった場合などは、徴収不能として債権放棄の処理をする。つくば市の場合、2014年度からの10年間で徴収不能とされた過支給による未返還金は174件 計2361万4435円分あった。

生活保護は法定受託事務で、財源の4分の3を国、4分の1を地方自治体が負担している。市は徴収不能の約2360万円の4分の3の約1770万円を国に請求できたが、10年間していなかった。2014年度より以前については資料が保存されてないため不明という。

原因について市福祉部は、国に請求するためには、過支給があった受給者に対し、催促状や催告状を出し、催促や催告した記録を付け、さらに転居した場合は転居先の調査、本人が死亡した場合は相続人の調査などをしなければならない。一方、市は、催促や催告はしていたものの、記録を付けてなかったなど、国に請求するための基準を満たしていなかったため請求しなかったとしている。さらに催促や催告についてのマニュアルはあったが、記録を付けることまでは書かれていなかったとし、管理職も正しいやり方に対する認識が甘かったとしている。

今月9日、市職員から福祉部長に申し出があり、社会福祉課内で調査し請求漏れが判明した。この職員は昨年10月にも課内でこの問題を申し出ていたが、当時は管理職の認識が不足し、問題視されなかったという。

今後の対応と再発防止策について市は、債権管理事務のマニュアルを見直すと共に、具体的な手順や方法を再確認して適切な事務処理を徹底するとしている。さらに生活保護費支給の際は過支給とならないよう適切に事務処理を行うと共に、受給者への説明を十分行い、やむを得ず債権となってしまった場合は、専門部署からの協力も得て債券管理体制を強化するとしている。

五十嵐立青市長は「社会福祉課のこれまでの業務の問題点の調査を行い、現段階では、特に業務遂行における管理職の対応に問題があったと認識している。今後、すぐに対応可能なものは速やかに是正すると共に、調査を継続し、原因究明や再発防止、必要な処分を検討していく」とするコメントを発表した。

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

25 コメント

コメントをメールに通知
次のコメントを通知:
guest
最近NEWSつくばのコメント欄が荒れていると指摘を受けます。NEWSつくばはプライバシーポリシーで基準を明示した上で、誹謗中傷によって個人の名誉を侵害したり、営業を妨害したり、差別を助長する投稿を削除して参りました。
今回、削除機能をより強化するため、誹謗中傷等を繰り返した投稿者に対しては、NEWSつくばにコメントを投稿できないようにします。さらにコメント欄が荒れるのを防ぐため、1つの記事に投稿できる回数を1人3回までに制限します。ご協力をお願いします。

NEWSつくばは誹謗中傷等を防ぐためコメント投稿を1記事当たり3回までに制限して参りましたが、2月1日から新たに「認定コメンテーター」制度を創設し、登録者を募集します。認定コメンテーターには氏名と顔写真を表示してコメントしていただき、投稿の回数制限は設けません。希望者は氏名、住所を記載し、顔写真を添付の上、info@newstsukuba.jp宛て登録をお願いします。

25 Comments
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img
spot_img

最近のコメント

最新記事

松代公園の雪景色《ご近所散歩》14

【コラム・川浪せつ子】松代公園(つくば市松代)の雪景色は2年前の1月にも掲載したのですが(23年1月20日掲載)、今回は反対側の児童館が見える方向で描いてみました。この公園は家からも近く、四季折々の移り変わりがステキな公園です。ですが、雪を写しながらのお散歩は1時間。とても寒く、連れ合いに連絡し、車で迎えに来てもらいました。 かつて、バスツアーで1人、飛騨高山、五箇山に雪の取材に行きました。その年は雪が少なく、とても残念でしたが…。今年の豪雪を思うと、雪の恐ろしさ、大変さ、お見舞い申し上げます。 話は変わりますが、つくば市周辺のことをもっと知りたいと思い、昨春から「X」を始めました。Facebookは以前からやっていますが、サイト内に「大好き!つくば」「つちうらが好き!」「各地から見える筑波山」などがあり、頻繁に見るようにしています。 つくば市周辺の食べ物店や風景を描くにあたって、自助努力だけではモーラできないと感じています。lnstagramも地域のアップはあるのですが、私の欲しい情報が少ないと感じています。ステキな風景画像はたくさんありますが、私が行けそうな場所がなかなかありません。 つくば市に住んで40数年 「X」の場合、近場の野菜青空市で安く買えた、近くにレストランがあったとか、取材できそうなネタがあります。しかし、つくば周辺の知らない風景、絵になる風景はあまりありません。 なぜか?「X」は登録している方が割と若い。また、つくばに引っ越してきた世代の方々は、仕事や育児などで忙しく、風景にまでたどり着いていないのかなぁ~と。でも若い世代の人が転居して来るって、うれしい! 周辺にはステキな公園があるので、楽しんで欲しいです。 つくば市の人口は26万人を超えました。そして、将来の天皇陛下候補様もつくば市に。茨城県、つくば市周辺の良さ、皆さんに知って欲しいなぁ。きっと、その良さを感じていただけると思います。誰も知った人がいなかった私が、40数年住んで言うのですもの。 そのためにも、この地の良さを発信すべく、これからも絵を描いていきたいと思います。(イラストレーター)

「足りてないこと数字で示したい」県試算につくば市長 県立高校不足問題

児童生徒数が増加しているつくば市で県立高校が不足している問題で、県教育庁が昨年10月「県立高校の今後の募集学級数・募集定員の見込みを試算」と題する資料を示し、「つくばエリア」(つくば、つくばみらい、守谷、常総市など)について「現時点では定員増が必要との判断に至ってない」とする方針を明らかにしたことについて(24年10月24日付、25年1月12日付)、つくば市の五十嵐立青市長は14日の定例記者会見で「(県立高校が)足りてないことを(県に対し)数字で示したい」と述べ、市としてつくば市やつくばエリアの県立高校の学級増を引き続き県に要望し協議を続けていく姿勢を示した。 五十嵐市長が昨年12月23日、つくば市の県立高校の学級増などを求めている市民団体「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」(片岡英明代表)と懇談したことに関し、記者の質問に答えて、改めて市の姿勢を示した。 同市の県立高校不足問題について五十嵐市長はこれまで、昨年9月に実施した2025年度の県予算編成にあたっての要望活動の際、大井川和彦知事に対し、市内にある県立竹園高校の定員を1学年2学級80人分、3学年で6学級分増やすための校舎増築費用4~5億円を市が負担すると提案したとしているほか、翌10月に実施された市長選で、市建設費負担による竹園高校の学級増を公約に掲げた。 14日の会見で五十嵐市長は、昨年10月の県試算資料で記されたつくばエリアの状況分析について「実際にそもそも1時間というものが(通学時間の)基準として定められているが、(生徒の)通学時間をまず正確に把握し、正確なデータをもとに議論をすることが必要だと思っているので、それを市民団体と連携しながら進めていきたい」と話した。 その上で「(竹園高校の学級増という)私の公約は(増築校舎の)建設を県に提案したということだが、県としては『足りている』という認識が急に(昨年10月に)出てきたので、それに対し、足りていないということを数字できちんと示すことは大事だろうと思っている。これから実際の数字について(県と)お話をしていきたいと思っている」とした。 さらに「併せて県として今、定員割れしているところ(つくばサイエンス高と筑波高)は増員を進めているという話があったので、それについては今年の出願状況等をみてまた議論しましょうと知事と話をしているので、そういったことを継続して行っていきたい」と述べた。 この問題で市民団体は近く、県教育庁と懇談を予定している。(鈴木宏子) ➡昨年10月の県資料「県立高校の今後の募集学級数・募集定員の見込みを試算」はこちら

雨情とチャップリンとロッキー《映画探偵団》84

【コラム・冠木新市】チョビひげと旅する人生の姿が重なる茨城県出身の詩人・野口雨情と映画監督チャ一リ一・チャップリンは、ほぼ同時代に活躍した芸術家である。日本公開年度は少しずれるが、チャップリンの『黄金狂時代』(1925)、『街の灯』(1931)、『モダンタイムス』(1936)、『独裁者』(1940)が作られたころ、雨情は全国を旅して新民謡を作っていた(映画探偵団31)。 『街の灯』では、放浪紳士が目の見えない花売り娘のために奮闘し、ボクシングの試合に挑む姿などが描かれる。ラストでは、貧しい放浪紳士と手術で目が見えるようになった花屋経営者の女性との再会が描かれる。貧富の差を逆手にとった皮肉の利いたハッピ一エンドが胸をうつ。 50年ほど前、無名ボクサーが世界チャンピオンに挑戦する姿を描いた、低予算で作られた映画『ロッキー』(1976)を見た。脚本・主演を務めたシルベスター・スタローンは、実際のボクシング試合を見て物語を発想したそうだが、私はこの作品の元ネタは『街の灯』だと思った。 ロッキーがペットショップの店員エイドリアンにほれて、世界チャンピオンとの戦いに最後までリングに立ち続ける話で、誰もが共感できるリアルな作品に仕上がっていた。ロッキーとエイドリアンがリング場で抱き合うラストは、テ一マ曲と相まって素直に感動したものである。 その後、『ロッキー2』(1979)、『ロッキー3』(1982)、『ロッキー4/炎の友情』(1985)、『ロッキー5/最後のドラマ』(1990)、『ロッキー・ザ・ファイナル』(2006)が作られた。50年近くたった今、ロッキー・シリーズを振り返ると、エキサイティングなボクシングシ一ンよりもロッキーの人間的な描写の方が印象強い。 チャンピオンの妻として強くなったエイドリアンの変貌ぶりにとまどうロッキー、試合に負けたロッキーが最期まで勝利を信じて亡くなるコーチを見送る場面、最愛の弟子に裏切られショックを受けるロッキー、親の七光りに悩む息子とそれを受け止めきれず親として悶々とするロッキーなどの方が思い浮かぶ。 シリーズ物の面白さはそこにある。時代の変化で印象が変わるのだ。私は青春映画の延長として見てきたが、現在の観客だと年を取った男がボクシングにこだわる物語にしか見えないのではなかろうか。そこが映画とともに歩んできた観客と後から見る客との違いではなかろうか。 茨城県の唄シリーズ 私はこれまで雨情さんの唄を独立した作品として、『筑波節』(1930)、『磯原節』(1932)、『水戸歩兵第二連隊歌』(1934)、『土浦小学校校歌』(1935)を見てきた。だが、雨情さんは、故郷に深い思い入れがあった人だ。これらの作品を茨城県の唄シリーズとして見たらどうなるだろうか。印象が変わらないだろうか。関連があるのではなかろうか。 『戦争は唄にはなりゃせんよ』と言っていた雨情さんが、なぜ『水戸歩兵第二連隊歌』を作ったのか。当然、軍歌にジャンル分けされるわけだが、ようやくその謎が解明できそうだ。なんとか1月25日のイベントに間にあった。私の中で、雨情とチャップリンとロッキーがつながった。 思わぬ発見をし、喜んでいる。雨情ファンよ、1月25日の「雨情からのメッセージⅢ 詩劇コンサート 」(山水亭)にご期待ください。サイコドン  ハ  トコヤンサノセ。(脚本家)

アメリカから福島原発事故を考える《邑から日本を見る》175

【コラム・先﨑千尋】昨年12月16日、茨城大学図書館で見出しのテーマの講演会と読書会が開かれた。主催は同大人文社会学部市民共創教育センターで、市民と学生ら約50人が参加した。 第1部は、平野克弥『原発と民主主義―「放射能汚染」そして「国策」と闘う人たち』(解放出版社)の読書会。著者の平野さんはひたちなか市出身で、現在は米カリフォルニア大学ロサンゼルス校の歴史学教授。 1999年に東海村の核燃料施設JCOで臨界事故が起き、2011年には東京電力福島第1原発が大事故を起こした。平野さんはこの2つの事故から、平穏な日常を一瞬にして奪われた人々の声や言葉を拾い上げ、後世に伝えることを思いついた。そして「放射能や原発事故に向き合ってきた人たちが、日本の『民主主義』『地方自治』『故郷』『豊かさ』をどのように考えているのかを聞き出し、言葉にして『思想』として読者に伝えたい」と、本書を編んだ。 話者は、村上達也、小出裕章、武藤類子、鎌仲ひとみ、鈴木祐一、長谷川健一、馬場有、小林友子、崎山比早子、里見喜生の各氏。大部分は福島原発の近くに住んでいる人たちだ。それぞれが平野さんと、原発と地方自治、原発廃絶の闘い、絶望と冷静な怒り、住民なき復興など、経験、体験をもとに語っている。 本書を読んで分かったことは、「原子力エネルギー政策は民主主義の原則と根本的に相いれない。国策の最大の犠牲者は常に子ども、女性。原子力政策は、都市部の巨大消費を支えるために地方を犠牲にする構造をもつ。私たちはライフスタイルの転換が必要」など。 読書会では、原発に関心を持つ市民活動家の谷田部裕子さんや村上志保東海村議など、ひたちなか市や東海村などで活動する住民や議員が同書を分担して読み込み、重要だと思ったところ、みんなで議論したいことなどを報告し、参加者と話し合った。 原爆と原発は命に関わる問題 第2部は、平野さんの「アメリカから福島原発事故を考える」と題する講演会。 平野さんは「原発は、第2次世界大戦後の世界の覇権をめぐる資本主義国と共産主義国の競争と対立から生まれた。アメリカとソ連の冷戦時代には、度重なる核実験によりアメリカや太平洋諸島の先住民たちが被曝し、人体実験の対象にされた。戦争は『国策』、核エネルギー政策も『国策』だ。『国策』とは、国民の同意や審議という民主的な手続きを経ることなく、国家が『国益』という大義名分により主体となって行う政策を言う」と語った。 さらに「日本の原発政策は、広島・長崎の記憶を払拭(ふっしょく)させ、核を新たなエネルギーとして産み出し、利益を得ることを狙いとして考え、位置づけられた。原爆や原発により犠牲を強いられてきた人たちは被害者であり、一方で文明社会を謳歌(おうか)してきた点で加害者でもある。戦争(原爆)やエネルギー政策(原発)は人と自然の命の問題であり、市民である私たちは暮らしを守り、命を守り、人権を主張する。そのことによって本当の幸せが得られる」などと述べた。 日頃あまり考えてこなかった原発と民主主義の関係について、学ぶことが多い集まりだった。(元瓜連町長)