火曜日, 10月 6, 2026
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パレスチナと青森 刺しゅう通じつくばから連帯

刺しゅうを通じてパレスチナに連帯しようと、市内在住でパレスチナ刺しゅうに取り組む松﨑直美さん(54)と、青森の伝統技法「こぎん刺し」を学んだ林ひとみさん(38)、青森県出身で市内の障害当事者団体「つくば自立生活センターほにゃら」の事務局長、斉藤新吾さん(49)が3月から、一つのバッグに2種類の刺しゅうで絵柄を縫い込むオリジナルのバッグを制作している。

斉藤さんが2人に声を掛けて始まった。「パレスチナにも変わらない営みがあることを、刺しゅうを通じて作品にできればと思った」と斉藤さん。出来上がった作品は、駐日パレスチナ常駐総代表部に寄付したいと話す。刺しゅうは毎回、つくば市天久保のブックカフェ「サッフォー」で行っている。

(左から)松﨑さん、企画のきっかけを作った斉藤さん、林さん

刺しゅうしながらできるコミュニティ

パレスチナ刺しゅうをする松﨑さんは、3月に市内で開催されたパレスチナ連帯企画「パレスチナデー」(2月27日付)をパレスチナにルーツを持つ知人と主催した。イベント内で開いたパレスチナ刺しゅうのワークショップで、来場した斉藤さんと知り合った。林さんは、斉藤さんが活動する団体でボランティアをしながら、市内の福祉事業所でこぎん刺しを学んでいた。斉藤さんが林さんと松﨑さんに声を掛けたのが今回の企画の始まりだった。

技術的には異なるパレスチナと青森の刺しゅうだが、背景につながる文化があると斉藤さんは話す。「女性を中心に刺しゅうをする人が集まり作業する。そこで家庭の愚痴などをこぼす中で、地域に暮らす人同士がもつ共通の課題が見えてくる。問題を共有することでコミュニティができる。刺しゅうにはそんな役目もある」。

さらに両者に通じるのが、刺しゅうに盛り込まれた人を思いやる気持ちだという。「パレスチナの刺しゅうは農作業着が傷まないよう補強する目的がある。こぎん刺しもそう。青森で農民は麻の着物しか着れなかった。青森はすごく寒いしすぐにボロボロになる。補強や防寒の意味で綿を麻に織り込んだ」。さらに豊作を願う草花や月など、作り手の思いが形になった絵柄が地域ごとの特色になっていると松﨑さんは言う。「絵柄に教科書はなく、祖父母から伝わったもの。だから地域による違いが現れた。パレスチナでは、柄によってその人の出身地がわかった」。

斉藤さんは、青森とパレスチナを刺しゅうで繋ごうとした意味を「共通点を感じると、遠い世界に思える土地にも互いに変わらない人の営みを実感できる。そんな思いを作品できればと思った」と話す。

こぎん刺しを担当する林さんは「パレスチナについて特別な知識のない自分が関わっていいか戸惑いもあった」と当初の思いを振り返る。しかし、刺しゅうしながら思いを伝えると互いの思いを理解し合えたという。「全く関係のない市民が巻き込まれてしまう戦争には私も反対。ただ自分はデモに参加できないし、声を上げることはできないと思っていた。刺しゅうという形なら、自分の気持ちを表せると思った」と話す。

連帯の意思をスイカに込める

今回の企画では、既製の麻製バックに二つの刺しゅう技法で大きく「PEACE(平和)」の文字とスイカの断面を描く。赤、黒、白、緑の4色からなるスイカは、同じ4色で成り立つパレスチナの旗を表するものとして、パレスチナへの連帯の象徴として掲げられてきた歴史がある。

「作業中はパレスチナのことだけを話しているわけじゃない。ただべちゃくちゃ近況をしゃべるだけの日もある。作業を通じてわかったのが、異なる背景を持つ人同士が刺しゅうを通じて出会い、つながりが生まれること。パレスチナでも、青森の農家でも、こうした営みがあったはず。戦争のない世界の本来の姿だと思った。作品が完成するまでに停戦が実現してほしいと思っている」と話すと斉藤さんは、「作業はまだ続きます。ここでも新しいコミュニティが生まれたら」と語った。

◆次回の刺しゅうは7月14日(日)午後3時半から、つくば市天久保のブックカフェ「サッフォー」で。参加費無料。問い合わせは斉藤さんのフェイスブックページへ。

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