月曜日, 12月 29, 2025
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ふさいだ隙間から園児抜け出す 隣接駐車場で無事保護 つくば市立保育所

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つくば市役所

つくば市は28日、市立保育所の園庭から同日午前、2歳の園児が抜け出したと発表した。園児は保育所敷地内の隣接駐車場で、たまたま居合わせた別の保護者に無事保護された。けがなどはなかった。

同市では11月1日、別の市立保育所で3歳の園児が抜け出す事案が発生したばかり。その際、市は危険箇所の点検をするよう全保育園に指導していた。今回2歳児の抜け出しが発生した同保育所では11月1日の事案を受けて危険箇所を点検し、今回2歳児が抜け出した隙間にビニールテープをくくり付けるなどしていた。一方園児は、テープとテープの隙間から抜け出しており、対策が十分ではなかった。

市幼児保育課によると、同日午前10時ごろ、2歳児など12人が園庭に出て、保育士が見守る中、広さ20平方メートルほどの小さい子向けの園庭で遊び始めた。

園庭は幅1メートルほどの歩行者用通路で囲われていて、通路は両側が高さ80センチほどのフェンスで囲まれていた。

園児らが園庭と通路の両方で遊べるよう、通路に接する内側のフェンスの扉を開け、園児らは園庭のほか通路に出て遊んだ。

午前10時35分ごろ、保育士が、通路にいた園児1人がいないことに気付き、探したところ、通路の外側のフェンスの隙間から園児が抜け出すのを発見、保育士が追いかけたところ、隣接の駐車場にいた別の保護者に保護された。

園児が抜け出した隙間はフェンスの角の部分で、電柱を支えるワイヤーが設置してあり、幅20センチほどの隙間があった。同保育所では11月1日の抜け出し事案を受けて、隙間にビニールテープをくくり付けふさいでいたが、園児はテープとテープの隙間をくぐり抜けた。

同保育所は同日、園児が抜け出した箇所にさらにビニールテープをくくり付けて隙間をふさいだ。

再発防止策として市は、幼児保育課の職員が公立、私立含め全保育所に行き危険個所がないか再点検すると共に、全保育士に幼児の見守りを徹底するよう改めて指導するとしている。さらに市立保育所については、必要な箇所は予算をとり、対策を実施したいとしている。

つくば出身の音大生、同級生と地元を回り公演 サクソフォーン四重奏

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アルトサックスを手に持つ北野圭亮さん

12月23日 土浦

つくば市出身で、昭和音楽大学(神奈川県川崎市)4年の北野圭亮さん(23)が、同級生4人でサクソフォーン四重奏団「リリーサクソフォンカルテット」をつくり、12月23日、土浦市東真鍋町、クラフトシビックホール土浦(土浦市民会館)小ホールでコンサートを開催する。種類の違うサクソフォーン(サックス)4本による四重奏だ。

メンバー4人でそれぞれの地元を回りコンサートを開くという企画の一環で、すでに今年3月に神奈川県足柄市、5月に新潟市でコンサートを開き、今回が3回目。1、2回とも客席の8割が埋まるなど成功を収めた。昨年12月につくば市のアルスホールで開催を予定していたが、当日体調不良者がいたため延期していた。今回はリベンジに向け思いを込める。

それぞれの地元なら知人も多く集客が容易だということから企画を考えた。北野さんは「卒業後は地域に根ざした活動ができたらと思い、その足がかりにすると同時に、まだクラシックサクソフォーンの認知度が低いので、皆さんに知っていただく良い機会になれば」という。

リリーサクソフォンカルテットは、2年の時に同じ学科で学ぶ4人が集まって結成した。リリーは大学の最寄り駅、新百合ケ丘駅にちなんで名付けた。メンバ―はテナーサックスの北野さんのほか、 ソプラノサックスの横内魁人さん、アルトサックスの浅沼絢斗さん、バリトンサックスの中村洋翔さんの4人。クラシックを前半に、幅広い世代に耳馴染みのあるポップスや童謡などを後半に演奏する。

リリーサクソフォンカルテットの演奏会の様子(北野さん提供)

北野圭亮さんは水戸市生まれ。小学5年の時つくばに転居し、二の宮小、谷田部東中、竹園高に進んだ。高2の2018年、第20回ソロ・コンテストいばらき(県吹奏楽指導者協会主催)に出場し金賞などを受賞している。現在、同大の弦・管・打楽器演奏家コースで学ぶ。

音楽との出合いは、母親のサクソフォーンが自宅にあったこと。11歳のころから地元の音楽教室に通い、中学から高校1年まで吹奏楽部に在籍した。その後はプロの個人レッスンを受け、音楽家を目指した。中学の時出場した「アンサンブルコンテスト」の楽しかった感覚が音楽家になりたいと思うきっかけになったという。

北野さんは「サクソフォーンは19世紀に生まれ、クラシックの世界では比較的新しい楽器なので、演奏に加わる曲目も少なく、見る機会が少ないと思う。音色は多彩で、音を出しやすく、大きな音量を持っているなどすべてを合わせ持っている楽器なので、皆に興味を持ってもらいたい」と語り、将来については「プロとして地元に根差した活動を続けていきたい。文化振興という面でも貢献していければ」と語る。

◆コンサートは12月23日(土)、土浦市東真鍋町、クラフトシビックホール土浦小ホールで。開場は午後1時30分、開演は2時。入場料は一般2000円、大学生以下1000円。問い合わせはEメールへ。

孫のお宮参り《続・平熱日記》146

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】長女の住む高円寺(東京都杉並区)に向かう。手には冷凍した分厚い牛肉2パック。そんなものわざわざ持っていかなくてもいいようなものだが、つくばのスーパーに売っている、この安い赤身の肉がお気に入りの長女。結婚する前から我が家では「肉姫」と呼んでいたが、この肉姫が7月に2人目の孫を生んだ。今日はその子のお宮参り。

私以外、一応きちんとした服装に着替えて車で出発。40年前にバイクで通っていた青梅街道は、中野坂上辺りから全く違う街並みになっていて、お上りさんのように高い建物を見上げていたら、間もなく明治神宮へ到着。

それこそ、最後に訪れたのはいつだったか記憶にないが、改めて都心にある広大な杜であることに感心する。広い参道を歩く。普通、神社の参道には大きな杉なんかが並んでいるものだが、カシやクスノキなどの雑木が多い。それもそれほどの太さではない。

そういえば、この杜は明治天皇の時代に人の手によって造られたと聞いたことがある。昨今話題になっている神宮外苑のイチョウ並木もその一部らしい。それにしても、外国人が多い。ちょうど結婚式の行列があって、外国の方々が集まっている。我が孫もレンタルの和装風の衣装に身を包んでいるので、外国の人にはエキゾチックに見えるらしい。

カツカレーが食べたくなった

さて、無事に御祈祷を済ませて食事をすることになった。敷地内の、最近建てられたのだろう、お土産物屋も併設されたモダンなレストランに入ることにした。向こうのご両親と私の次女を含めたにぎやかな昼食となった。

私はなぜか、めったに食べないカツカレーが食べたくなって注文した。しかし、いざ運ばれてくると、さすがに全部は食べきれないと思って、2歳を過ぎたお兄ちゃんの孫にカツを2切れやった。生まれたときから大柄なこの子は、お子様セットと共にカツもペロリと平らげた。さすが肉姫の子。

ちなみに、最近この子が私のことを「ディーディー(ジイジイじゃないところがいい)」と呼んでくれるのを、ちょっと気に入っている。大役を終えた弟の方はベビーカーですやすやと寝ていた。

娘たちから時計のプレゼント

駐車場で両親を見送って、それから私は寄り道などせずに、直接家に帰ることに決めていた。パクが待っているし、東京に来て帰るだけで結構くたびれるから。すると、別れ際に長女がプレゼントだと言って紙袋を渡してくれた。

思いがけないことに驚いていると、何年か前の誕生日に欲しいものを聞かれて、当時少し話題になっていた時計のことを私が言ったらしく(普段時計をする習慣もないし本人はもう忘れていた)、娘2人が探して買ってくれたのだという。初めての娘たちからのプレゼントに戸惑ったが、「ありがとう」とお礼を言った。

長女夫妻は2人目の子供の名前に「晴」という字を入れた。晴天の続く夏空の下に生まれたからだそうだが、なかなかいい字を見つけたと思う。その日も見上げれば、抜けるような秋の晴天。私は時計ブランドのロゴが恥ずかしいぐらい大きく入った紙袋を持って、新しくなった原宿駅に向かった。(画家)

200人がコツコツ作った800点 森の里団地で文化祭 つくば

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文化祭会場に展示されているアクセサリー100点=つくば市森の里

つくば市茎崎地区の住宅団地、森の里で、自治会(倉本茂樹会長)主催の文化祭が26日始まった。親睦を深めることを目的に、住民自身がコツコツ作った作品計約800点を展示している。2015年に始まり、コロナ禍の20年は中止となったが、今年で8回目となる。

帽子やドレスを着せた西洋人形、タペストリー、切った布で絵を描く裂画(きれが)、再生紙の紙テープで編んだかごやバッグ、絵手紙など手工芸品のほか、近くを流れる谷田川の土手で撮影したユリカモメとオオバンの戦いを捉えた写真など出展者200人による約800点が展示されている。

ビーズアクセサリー約100点を出展した渡部喜美子さん(76)は「細かな作業だけど飽きることはない」と制作を楽しんでいる様子。

目を引くのが70代の女性が趣味で続けているという木彫りの仏像4体で、表情は優しく温かみを感じさせる。身長35センチの大黒天は製作に3年、15センチのわらべ地蔵は半年を費やしたという。

木彫りの仏像4体

文化祭を主導する吉田敏文化部長(75)は「毎年1カ月前に自治会広報紙『森の里だより』で出展を呼び掛けているが、出展者が途切れることはない。文化祭に出そうとコツコツと制作してくれているではないか」と笑顔で話した。

自治会の夏祭りで毎年会場を盛り上げているサークル「よさこいソーラン」のメンバーたちが、会場の玄関ホールに喫茶コーナーを設置。好みでコーヒー、紅茶、抹茶が選べることもあり、楽しげに交流する女性たちの姿が見られた。

倉本自治会長(81)は「文化祭をスタートさせて2、3年は展示期間を3日にしていた。ところが他の地域から見にきてくれて『えっ、もう終わったの』と言われることが多くなって会期を1週間にした」と話してくれた。(橋立多美)

再生紙を使ったクラフトテープによる作品に見入る入場者たち

◆文化祭は12月2日(土)まで。つくば市森の里、森の里自治会公会堂で開催。時間は午前10時から午後3時まで。入場無料。

茨城の原風景を撮り続けた柳下さん《邑から日本を見る》148

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柳下さんの作品

【コラム・先﨑千尋】10月末に旧山方町(現常陸大宮市)在住の記録写真家・柳下征史(せいし)さんが急逝した。享年83歳。柳下さんは高校卒業後、日立製作所に入社し、会社の広報誌を作る部署に配属になった。もともと写真が好きだったので、休みには自転車やバイクで写真を撮り歩いた。

日製時代には、世界的な写真家ユージン・スミスとの出逢いがあり、身近でスミスのカメラワークを見る機会を得た。1961年にスミスは日製の依頼を受け、海外向けのPR写真用に約1年、工場内で働く人の姿や日立市内の街並み、農漁村や庶民の生活風景を撮った。この経験が柳下さんの肥やしになったようだ。

柳下さんは1975年に会社を辞め、ひたちなか市内に写真工房を開き、写真家として独立した。独立後、郷土茨城をテーマに写真を撮り続け、「何か形あるものを残したい」と考えた。

県内では日本人の生活の源といえる草屋根の家が近代化の影響を受け、ものすごいスピードで消えていることに着目した。写真の記録は生活の基盤である「家」を中心にすべきだと考え、ひたすら県内のワラ葺(ぶ)き、茅(かや)葺き民家を探し歩き、撮り続けた。他の写真家に真似(まね)されるのを嫌い、仲間にも内緒にしていたという。

その成果が1994年に出した『ひだまりのワラ葺き民家』(八溝文化社)。翌年には東京・銀座の「富士フォトサロン」で企画展を開くことができた。写真展はその後も、つくば市、水戸市、山方町、ひたちなか市と続き、2009年には笠間市の日動美術館で、全国の茅葺き民家を描き続けてきた向井潤吉の作品展と同時開催した。

07年には、前著の写真集のタイトルと内容を変え、『ひだまりの茅葺民家-茨城に見る日本の原風景』(八溝文化社)を発刊した。245点の写真には説明が付き、ゲルト・クナッパーさんや安藤邦廣さんらのエッセイも載せている。

それより前の03年に、常陸太田市の西金砂神社東金砂神社が72年に一度という大祭礼を実施した。柳下さんはその公式記録を撮影することを依頼され、仲間の写真家と一緒に大冊の『磯出大祭礼全行程記録写真集』をまとめた。

カレンダー「ひだまりの茅葺民家」

茅葺き屋根だけでなく、写真を核として「人間の生から死までの所業」をまとめることを思いついた柳下さんは、これまでに撮った写真の中から111点を選び出し、旧知の俳人・今瀬剛一さんに見てもらって出来た俳句を、書家の川又南岳さんが墨を使って書き表した。3人のコラボは13年の『おまえ百まで、わしゃ九十九まで-写真・俳句・書で綴(つづ)る日本の原風景』として結実した。

柳下さんが残した業績の一つにカレンダーづくりがある。「ひだまりの茅葺民家」と題したカレンダーは、自分で撮ってきた作品の中から季節に合わせた6枚と表紙になる作品を選び、2005年から始めた。茨城県の原風景を毎日みんなに見てもらいたいという柳下さんの熱い思いが伝わってくる。

亡くなる2週間前、私にこれからやりたいことをいろいろ話してくれた柳下さんだが、その想いは叶(かな)わなかった。私にとっても無念だ。(元瓜連町長)

<ご参考>柳下さんの本とカレンダーは、ひたちなか市のヤギ写真工房(電話029-273-3202)で取り扱っている。

心に残る「俳句と生きた人」《写真だいすき》26

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喪に服しおり黄落の激しさに 乾 修平(写真は筆者)

【コラム・オダギ秀】若かった頃だが、ボクが珈琲店でのんびりしている時に、後から彼が入って来た。彼とは別に交流があったのではなかったが、ボクは彼の俳句が好きで、ボクがそれをその場で諳(そら)んじたことから交際が始まった。彼は土浦市にいた俳人。「葦枯れ村」など著書も多く、門人の数は数え切れないほどだった。撮影させていただいた方は数えきれないほどいるが、いつまでも心に残っていて、ファインダーに浮かぶ方は少なくない。彼もそのひとり。

彼の部屋を訪ねると、ここは書斎ではなく作業場だと笑っていたが、原稿用紙の束や文学書、辞書の類がうず高く積まれ、(当時はパソコンでなく)ワープロが2台とコピー機がデンとしていた。俳句誌「城」を主宰していた。そして彼は、俳句に熱心になったのは、病気になったから、と言った。

「若い頃、肺結核にかかりましてね。今はどうということないですが、その時は、目の前が真っ暗になった気がしました。入院するので本屋に行き、何か本がないかと探しても何もない。で、1冊売れ残っていたのが、この本だったんです」。彼は書棚から、古びて茶褐色になった本を取り出した、岩波文庫「一茶俳句集」。彼は、この本に人生が変えられてしまった、と語った。

「病気にかかったので、よかったと思う」

療養生活なんて何もすることないし希望もなかった。見舞いに誰か来てくれて、ゆっくり静養しろなんて言われると、かえって焦る。そして手術。当時の手術は、失敗が多かった。その寂しさ、取り残される気分はやり切れなかった。仕方なく、その本ばかり読んでいたという。「われときて遊べや親のない雀」なんて共鳴したそうだ。それから俳句にのめり込んでいったという。

「病気にかかったので、よかったと思う。それがなかったら俳句の道も知らず、仕事して定年を迎える味気ない人生だったろうと」。「俳句を通じて、たくさんの人とめぐり会えた。これがうれしい。苦しい病気のおかげで人生が変わったし、売れ残りの本が、その転機を作ってくれた。人生、どんなささいなことも大切にしなきゃならないと思います」

彼の句集は、いつもボクの枕元に置いてあるが、そろそろあの一茶句集のように古びてきた。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

【NEWSつくばからのお知らせ】スマホ版に一時不具合が発生しました

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【24日午後1時更新】23日から24日午前にかけてNEWSつくばのスマホ版に不具合が発生しました。復旧作業の結果、ただ今正常に作動しております。大変ご迷惑をお掛け致しました。

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宍塚の大池と絵本《宍塚の里山》107

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写真は筆者

【コラム・大田黒摩利】私事だが、神奈川県から茨城県に移住して30年になった。身近な自然が大好きで、引っ越してきてすぐにNPO法人「宍塚の自然と歴史の会」の観察会をタウン誌で見つけ、参加した場所が土浦市にある宍塚大池。タイムスリップしたかと思うような自然の残された環境に魅了され、すぐ会員になった。

会での様々な活動を通し、里山の自然環境は人の手で整備されることで、生き物たちの暮らしとの調和が成り立っていることを知った。皆さんには、本当にいろいろなことを教わり、経験もさせていただいた。年間を通して参加することで、四季の変化を感じることができ、私の中に里山の魅力が蓄積された。

この30年間、好きで描いていた野鳥や植物などのイラストで、出版関連の絵の仕事をいただけるようになった。自然や野鳥を扱った絵本の依頼もくるようになった。福音館書店の「ちいさなかがくのとも」という3~5歳児向け月刊誌では、絵のみの担当を含め7冊の本を出すことができた。

そのうち3冊は里山の絵本。季節の里山を歩きながらいいものを見つけて数えていく、カウンティングブックだ。『あきのおさんぽ いいものいくつ?』では、稲の実った谷津田で「たんぼには ばったが4ひき。はっぱのなかで かくれんぼ」と、4匹の隠れたイナゴを探す―そんな展開でページが進む。

『ふゆにさがそう いいものいくつ?』

このシリーズは、春、秋、冬版が発売されていて、季節を変えて里山でいいもの探しをする。宍塚大池、近所の公園、田んぼなどで取材をしているが、ほとんどは宍塚大池での写真やスケッチがもとになってお話を作った。

11月に冬版『ふゆにさがそう いいものいくつ?』が発売になったが、100パーセント、12月の宍塚大池の取材だ。ご存じの人には、なじみ深い光景がたくさん出てくる。絵本で生き物探しを楽しんでもらったあと、実際の里山に行き、ご自分たちのいいもの探しをしてもらいたい。

大池に行ったことない方、ぜひぜひ、行ってみてほしい。絵本で描いた本当の世界が広がっている。そして、季節を変えて訪れてみてほしい。林も池も昆虫も鳥たちも、みんな違う表情を見せてくれるはず。私の作った絵本から、里山に興味を持ってくれる子どもたちや親御さんが、出てくることを祈っている。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

<原画展> 「えほんやなずな」(つくば市竹園2丁目)で『ふゆにさがそう いいものいくつ?』開催中。12月10日まで。                            

土浦市民会館が登録有形文化財に 建築音響工学の大家が設計

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土浦市民会館の正面。角柱の列柱廊と正面全幅の大階段による古典主義的意匠の外観が評価された=土浦市東真鍋町

古典主義的意匠の外観が評価

国の諮問機関である文化審議会(佐藤信会長)は24日、土浦市東真鍋町の土浦市民会館(クラフトシビックホール土浦)を登録有形文化財(建造物)に登録するよう文科相に答申した。建築音響工学の大家として知られる佐藤武夫(1899-1972)が設計した。建物正面の列柱と、正面全幅の大階段など古典主義的意匠による外観が造形の規範となっていると評価された。

コンサートホールが登録有形文化財になるのは県内で初めて。関東では最大規模になる。官報に告示後、登録される。

同市民会館は1969年に完成した。地方自治体が所有する音楽などの多目的ホールとしては先駆け的な施設だ。建物の設計を担当したのは佐藤武夫設計事務所(現佐藤総合計画)で、主宰する佐藤武夫は建築音響工学の大家、古典主義建築の専門家として名をはせた。

大小の講堂やホールを総称したものをオーディトリアムと呼ぶ。単一の音楽ホールではなく、あらゆる催しものとそれに集う多人数が活用する多目的ホールとして計画され、様々な機能を用途目的に応じて独立して使用しながら、総合した一括使用が行える施設という特徴を持つ。近年、多目的ホールにはそのような機能が標準で備わるが、当時からオーディトリアムを目指す文化施設が増えつつあった中で、土浦では極めて早い時代にこれが実現していた。

大ホールの舞台。壁は建設当時から音響効果のよいクルミ材の化粧合板が使用され、側面壁と天井の曲面で音響を整える

施設の内装は、低域の吸音を重点に置き、素材や構造がまとめられたという。音響設備だけでなく、ホールの照明も意匠と機能を両立させた美しいデザインで表現されている。

市民会館は佐藤晩年の建築であり、当時の若手技術者が実際の設計を仕上げているが、音響実験に関してユニークな話がある。

音波が音源から伝播する経路を観察する方法を佐藤は自ら開発し「煙箱法」と名付けた。金属鏡で作った断面模型をガラス箱に収め、音ではなく光を使い、タバコなどの煙を充たす。後光が射すような光を当てると反射の経路が判り、音の伝播にも応用できるという仕組みだ。市民会館の音響性能は、こうした工夫の蓄積からもたらされている。

土浦市民会館は鉄筋コンクリート造3階建て、建築面積約3250平方メートル、延べ床面積5920平方メートル。築51年経った2020年には、意匠を保全しながら約21億6300万円かけて改修工事を実施し、耐震補強のほか、外壁の塗装や補修、大ホールや小ホールの客席の全面交換、トイレの改修やエレベーター新設などを実施した。吹き抜けのホワイエは当時のまま。

市文化振興課によると、登録申請に向けては、2021年11月に文化庁の調査官が現地確認し、今年2月、市が登録を申請した。

24日の答申を受けて安藤真理子市長は「大変うれしい。今から50年以上も前に県南地域の文化振興の拠点施設として建設された施設が、当時の外観・内装をできるだけ生かした大規模改修工事を経て、登録されることは、歴史ある本市において大変意義深い。半世紀にわたり、多くの皆様に愛されてきた当施設をこれからも一層ご利用いただき、文化芸術活動の発展につながるよう願っています」などとするコメントを発表した。

今回の登録により、県内の登録有形文化財(建造物)は295件になる予定。土浦市民会館は文化・福祉系施設に分類されるもので、県内には旧共楽館(日立武道館 日立市)、幕末と明治の博物館別館(大洗町)、個人医院など5件の登録建物が存在する。(鴨志田隆之)

➡土浦市民会館の過去記事はこちら(2020年5月16日付)

➡佐藤武夫の関連記事はこちら(20年5月17日付)

運転手不足で路線バスを減便 土浦、つくばなど8市町 関東鉄道 

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関東鉄道の路線バス=TXみどりの駅前

12月20日から 平日8.5%減

県南地域などで路線バスを運行する関東鉄道(本社土浦市、松上英一郎社長)は21日、バス運転手不足が深刻化していることなどから、12月20日のダイヤ改正で路線バスの減便を実施すると発表した。

減便の対象は土浦、つくば、阿見、牛久、龍ケ崎、取手、守谷、常総の8市町を運行する32路線の49系統で、平日は総便数の8.5%に相当する235便を減便、土日祝日は6.1%の116便を減便する。

同社によると、利用者に比較的影響が少ない午前6時より前の便と、午後9時以降の便を中心に減便する。具体的にどの便が減便になり運行ダイヤがどう変わるかについては、12月14日までに同社のホームページやバス停、バス車内で知らせるとしている。

バス運転手がすでに不足しているほか、来年4月からバス運転手の時間外労働の上限が規制されるいわゆる「2024問題」などから、やむを得ず減便を実施するとしている。

一方、運転手確保について同社は、今年1月から新しい賃金体系を導入したり、入社祝い金、転居支援金の支給など積極的なバス運転手の採用に努めており、引き続き採用活動の強化に努め、労働条件の改善により離職を防止し、公共交通の維持に努めたいとしている。

バスの運行をめぐっては、つくば市のコミュニティバス「つくバス」についても来年4月から、運転手不足と時間外労働の上限規制により、運行本数を平日13.9%減便、土日祝日32.8%減便する方針が8日の同市公共交通活性化協議会に示されている(11月8日付)。


▷12月20日から減便の対象になる路線バス32路線(49系統)のうち、土浦、つくば地区の路線は以下の18路線。
・牛久駅~谷田部車庫~筑波大学病院線
・牛久駅~森の里~緑が丘団地線
・牛久駅~桜ケ丘団地~みどりの駅線
・藤代駅~自由ケ丘団地線
・取手駅~谷井田~谷田部車庫線
・水海道駅~みどりの駅~土浦駅西口線
・みどりの駅~学園並木~土浦駅西口線
・みどりの駅~農林団地中央循環線
・土浦駅西口~阿見坂下~阿見中央公民館線
・土浦駅西口~補給処~荒川沖駅東口
・土浦駅西口~小岩田循環線
・土浦駅西口~烏山団地線
・土浦駅西口~桜ニュータウン線
・土浦駅西口~つくばセンター線
・土浦駅東口~つくばセンター~つくばテクノパーク大穂線
・荒川沖駅東口~県立医療大学線
・荒川沖駅西口~つくばセンター線
・ひたち野うしく駅~つくばセンター線

仙台という町の魅力《遊民通信》77

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【コラム・田口哲郎】

前略

先日、旅行で仙台に行ってきました。私は高校卒業まで12年間を仙台で過ごしましたので、思い出深い町です。仙台といえば杜(もり)の都として有名です。杜の都というのは伊達政宗が家臣の屋敷に果樹などの樹木を植えるよう推奨したことで、都市計画と植栽が絶妙なバランスでうまくいき、その伝統が現在の仙台市にも受け継がれているという意味だそうです。

たしかに、青葉通り、定禅寺通りのけやき並木は見事ですし、メインストリートのつき当たりには西公園という広瀬川沿いの崖の上にある緑地があり、都会の中でも存分に自然を感じられます。

ヒューマンスケールに見合った町

仙台平野の北端に青葉山があり、より北には泉ケ岳がそびえます。この都心へのアクセスもよい北側エリアには、バブル期に東京に本社を置く大手デベロッパーがニュータウンを開発しました。私はそこに住んでいました。

今回、自家用車でニュータウンに行きました。団地の住人の高齢化が進んでいたものの、空気がきれいなのか家々は古びておらず、20年前とそんなに変わらない光景がありました。団地から駅前(仙台では「まち」と言います)までは車で15分でした。住んでいた当時は、郊外は「まち」まで出るのに不便だなと感じていました(バスだと40分かかりました)が、その考えが間違っていることに気づかされました。

団地から「まち」までは近かったのです。車も多くなく、道も空いていました。茨城県南を含む首都圏では考えられないことです。仙台という町がいかにコンパクトで、都市機能が集中しているのかがわかります。あまり移動に時間をかけなくても、都市生活が送れるのはとても魅力的だと思います。

仙台駅前から勾当台(こうとうだい)公園までつづくアーケイド街を歩きました。古くからの仙台のお店はかなり閉店していて、チェーン店が増えていました。残念なことですが、裏を返すと、仙台でも東京と変わらないお店に行けるようになったということです。今回は仙台という町が持つポテンシャルを改めて知る機会になりました。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

韓国事情:インドネシア、ベトナムに続き《文京町便り》22

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】10月下旬、韓国ソウルを訪れた。ソウル国立大学アジアセンターSNUAC・政治社会学会ASPOS共催の国際コンファレンス(10月27日)に参加・発表(基調講演)するためである。コンファレンスのテーマは、“Digital Globalization and Its Unequal Impacts on East Asia: Platform Economy, Migration, and Democracy(東アジアへのデジタル・グローバリゼーションの不均等な影響:プラットフォーム経済、移民、民主主義)”だった。

政治社会学会ASPOSは2010年3月に発足し、第1回研究大会(2010年10月)を早稲田大学で開催している。私自身は創立メンバーで第2代理事長だが、この国際コンファレンスは当初から、韓国SNUACと日本ASPOSが交互に隔年で開催してきた。コロナ禍の20年・21年は開催を見送ったものの、22年に同志社大学で再開したのに続いて、今年はソウルでの開催になった。

参加者は日韓に限定せず、今回でいえば、モンゴル、台湾(香港出身)、フィリピン(東洋大学に在籍)などもいたが、この会議の特徴はあくまでも個人資格での参加なので、所属国・機関の立場・主張を代弁するものではない。この継続には、カウンターパートの韓国SNUACの創立所長であるヒュンチン・リム名誉教授・韓国科学アカデミー会員の強力なリーダーシップと先見性が貢献している。

VUCA時代にはGDPを超えて

私の基調講演は“Political Economy in 21st Century: In the Age of Volatility, Uncertainty, Complexity, and Ambiguity(21世紀の政治経済学:変動、不確実、複雑、多義=ブーカ=の時代)”で、この頭文字を取った「ブーカ(VUCA)時代にはGDPを超えて」が趣旨だった。

併せて私は、OECD(経済協力開発機構、1961年創設、日本は1964年から、韓国は1996年からメンバー国)のWorld Forum on “Statistics, knowledge, and Policy(統計、知識および政策に関する世界フォーラム)”(第1回は2004年にイタリアで)を韓国は2回開催していること、第7回は2024年にWorld Forum on ”Well-being: Approaches for a Changing World(統計、知識および政策に関する世界フォーラム)”と名称を変えてイタリアで開催予定(2回目)だが、日本では一度も開催していないことを指摘した。

今回の会議で印象に残ったのは、台湾の国立政治大学・客座教授の陳健民氏の発表だった。香港出身の彼は、2014年雨傘運動のリーダーでもあった。今回の参加者には(私を含めて)戦後ベビーブーム世代もいたが、雨傘運動の経緯と顛末(てんまつ)には同情を禁じえなかった。陳氏の遠くを見るまなざしと深い悔悟の念に、心が揺さぶられた。

ソウル市内は韓国車が8

ところで、文京町便り2021でインドネシアとベトナムの交通事情を語ったので、韓国(ソウルに限定)の自動車事情も補足しておく。ただし、これは、あくまでも私の数日間の滞在中の観察に基づく印象であって、データに基づくものではない。

何にせよ、日本車が少ない。6割以上がヒュンダイ(現代自動車)で、傘下のキア(起亜)も含めると、8割が韓国車。外車は、ベンツ・BWMなどで2割程度。日本車は、トヨタを数台見かけたほかは、日産・ホンダは皆無に近い。このうちどれだけがEV車かは、私の乏しい識別能力では判別できない。

とはいえ、再び日本再上陸を進めているヒュンダイ戦略の今後が気になるところではある。(専修大学名誉教授)

仮面夫婦《短いおはなし》21

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】


サイドテーブルの上に離婚届。
今日、姪(めい)の結婚式に夫婦そろって出席した後、私たちは離婚する。

「ねえ、麻衣のために、今日だけは円満な夫婦を演じてね」

「わかってるよ」

夫は白いネクタイを無表情で結び、部屋を出て行った。
姪の麻衣は、子供がいない私たちにとって娘のような存在だ。
麻衣を悲しませたくないのは、私も夫も同じだ。

タクシーの中ではひと言も話さなかった夫が、式場に着くなり兄と義姉のところに駆け寄り、「おめでとうございます」とにこやかに言った。

「武夫君、仕事が忙しいのに悪かったね、平日の式なんて迷惑だったろう」

「いえいえ。麻衣ちゃんは僕にとっても娘みたいなものです。かわいい姪のためなら仕事なんて休みますよ。なっ、亮子」

夫が半年ぶりに私の名前を呼んだ。まあ、演技がうまいこと。
それなら私も女優になろう。夫に寄り添い、仲良し夫婦みたいに笑った。

「麻衣の理想の夫婦はね、武夫さんと亮子さんなのよ」

「え?」

「お互い仕事を持っていて、尊敬しあっているからですって」

義姉の言葉に、思わず夫と顔を見合わせてしまった。

「ふたりの生活スタイルが、おしゃれでカッコいいって言ってたわ」

麻衣が頻繁にうちに来ていたころ、夫と私は今みたいに険悪じゃなかった。
家事を分担したり、お互いの仕事の話で意見を言い合ったりした。
あの頃は楽しかった。

いつから歯車が狂ったのだろう。
夫も同じことを考えていたようで、席に着くなりため息をついた。

「子供がいたら違ったかしらね」

私の小さなつぶやきに、夫は何も答えなかった。
子供がいない人生を選んだのは私。原因がそこにあるなら、もはや修復は不可能だ。

ウエディングマーチが流れて、兄と腕を組んだ麻衣がバージンロードを歩き始めた。
ため息が出るほどきれいだ。
麻衣は、私たちを見つけると、無邪気な笑顔で手を振った。
途端に、夫が号泣した。うそでしょう。
それはもう、周りが引くほど泣いている。
ハンカチを手渡して、気づけばその手を握っていた。

式と披露宴、私たちは円満な夫婦を演じきった。
私たちの演技はうまかった。演技であることを忘れるほどだった。
披露宴の後、麻衣が私たちのところに来て言った。

「今日はありがとう。私、ふたりのような家庭をつくるね」

さすがに胸が痛む。

「私たちみたいになっちゃだめ。ちゃんと子供を産んでお母さんになりなさい」

いくらか涙声になってしまった。
すると夫が、後ろから私の肩に手を置いた。

「俺は子供がいなくてよかったよ。だってさ、姪の結婚式でこんなにぼろぼろだよ。自分の娘だったら会場が洪水になる」

あははと麻衣が笑ったけれど、私は涙が止まらなくなった。

帰りのタクシーを待っていると、夫がネクタイを緩めながらぽつりと言った。

「ちょっと飲んでいくか」

「…じゃあ、武夫のおごりね」

私は、久しぶりに夫を名前で呼んだ。

仮面が少しだけ外れた11月22日。
世間では、「いい夫婦の日」と言うらしい。

(作家)

給食費の不明金860万円 小学校事務職員に損害賠償請求へ つくば市

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つくば市役所

つくば市立小学校に勤務していた事務職員が、2018年6月から21年3月までの間、不適正な会計処理を行い、保護者から集めた給食費計約860万円を紛失したなどとして、つくば市は21日、事務職員を相手取って、約860万円と延滞金などの返済を求める損害賠償請求訴訟を起こす方針を明らかにした。30日開会の市議会12月定例会に提案する。

市健康教育課によると、事務職員は当時、保護者から集めた給食費を毎月、学校の銀行口座から現金で引き落とし、市役所の口座に振り込む仕事をしていた。

徴収した給食費の総額よりも、18年度は約40万円、19年度は約235万円、20年度は約584万円少なく、市の口座に振り込んでいたという。

20年12月、学校が保護者から徴収した給食費とは別の諸費用について、保護者の一人から、重複して引き落とされていると学校に連絡があり発覚した。調査したところ、同じ事務職員が担当していた給食費について、徴収した総額と、市の口座に振り込まれた金額が一致しないことが分かった。

市の調べに対し事務職員は、総額860万円が不明であることを認め、紛失させてしまったなどと釈明したという。事務職員は今年3月、860万円を市に返済すると誓約書を書いて約束、市は6月に請求書を送ったが支払いがなく、さらに督促状を送付したが、期限の8月18日までに支払いがなかったことから裁判に訴えるとしている。

事務職員の氏名や年齢、性別、現在の勤務先などについて市は、公表できないとしている。一方、今年7月、学校長が不明金について警察に被害届を出したという。

同課によると現在の学校給食費の徴収方法は、19年7月に文科省から学校給食費徴収・管理ガイドラインが出されたことを受けて、同市では21年4月から、学校を経由せず、市が保護者の口座から引き落とす方法に変更している。

障がい者の意志を伝える装置《デザインについて考える》2

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足動式意志伝達装置

【コラム・三橋俊雄】私が浪人時代、高校の友人に誘われて、障がい者施設にボランティアに行きました。施設のガラス窓を拭いたり、石膏のギブスを埋める大きな穴を掘ったり…。あるとき、施設の子どもたちと遊んでいて、小さな女の子に「おにいちゃん、ぶらんぶらんして」と言われ、その女の子を遊ばせていましたが、彼女の両腕が無いことに気付きました。その子はサリドマイドの子であり、それが私にとって初めての障がい者との出会いでした。

そんなこともあって、大学での卒業研究のテーマが障がい者のためのデザインになったのだと思います。夏の熱い日差しを今でも覚えています。卒業研究のために訪れた千葉県の障がい者施設で、脳性小児麻痺のT君(14歳)と出会いました。

彼は、自分で歩くこともできない、話すこともできない、食べることもトイレに行くことも自分の力ではできませんでした。まさに、ないないづくしの少年でした。はじめ私は、彼のための車いすのデザインをしようと、その少年を紹介してもらったのですが、彼と一緒の時間を過ごし、彼を観察していくうちに、彼にとって一番大切なこと、一番解決しなくてはならないことは何なんだろうと考えました。

彼が使いやすい車いすのデザインや食器・便器のデザインも大切ではあるけれども、それよりも、彼の心の中にある「考え」や「思い」を、お母さんや家族、そして友達に伝えることのできる道具のデザインが、彼にとって一番必要なものではないかと考えました。彼は今までの14年間、自分の思いを伝えたくても伝えられず、我慢し、あきらめていたのではないかと思いました。

人間にとって何が大切な問題か

そこで私は、まず、T君の認知能力や身体的な可動部位、可動範囲などを知ることから始め、自分の気持ちを人に伝えるための道具のメカニズムや道具の使いやすさなどを検討しました。

最終的に、私は、T君のわずかに動く左の足指で、足下のキーボードの穴を押すと、机の上の「あいうえお」表示ボックスの豆電球が点灯し、例えば「お・な・か・が・す・い・た」と押すと、彼の気持ちがお母さんや家族に伝えることができる、足動式意志伝達装置をデザインすることにしました。

出来上がった試作モデルはT君に使ってもらいましたが、そのとき、こう実感しました。お医者さんにも、リハビリテーションの先生にも解決できない領域…人間にとって何が大切な問題であるかを発見し、その問題を解決するための道具を具体的に考案し、設計・制作する。その一連の行為が、デザインという世界であり、デザインの役割ではないかと。(ソーシャルデザイナー)

20回目で初の女性受賞者 江崎玲於奈賞に理研の2氏

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江崎玲於奈賞の于秀珍氏(左、円内写真)と十倉好紀氏=茨城県科学技術振興財団提供

ナノサイエンス分野の研究で優れた業績を挙げた国内研究者を顕彰する江崎玲於奈賞の審査会が20日、つくば市内で開かれ、第20回受賞者に理化学研究所(埼玉県和光市)の十倉好紀(とくら・よしのり)CEMSセンター長(69)と于秀珍(う・しゅうしん)CEMSチームリーダー(58)の両氏が選ばれた。ナノスケール(1ナノメートルは10億分の1メートル) で起こるスピン渦結晶の直接観察とその物性の研究が対象となった。

茨城県科学技術振興財団(つくば市、江崎玲於奈理事長)が、ノーベル賞受賞の白川英樹、野依良治、小林誠各氏らを審査委員に選出する。1回目から関彰商事(つくば市・筑西市、関正樹社長)が協賛し、受賞者に副賞1000万円を贈っている。審査委員長の江崎理事長は「20回目にして初めて女性の研究者を選べたことは意義深い。新しい科学に向けてのプログレス(進歩)に貢献する重要な研究だ」と語った。

対象となったスピン渦の結晶配列は「スキルミオン」と呼ばれる。ナノスケールの電子スピンの渦である原子核を構成する核子のトポロジカルな渦からなる準粒子であり、その電子スピンは少しずつ方向を変えながら、渦状に配列していることが理論的に予言されていた。次世代の低消費電力・高密度・不揮発性メモリ素子の担体の一つとして期待されているが、その応用には至っていない。

両氏は2010年、磁気顕微鏡により渦構造を実空間で直接観察することに成功した。その後、15年にはスピン渦結晶が準安定で、広い温度範囲で存在し、敏感な電気応答を示すことや、室温以上でも安定に存在し、超低電流で駆動できることなどを発見した。それによりスピン渦結晶を支配する基本原理と物性を解明し、エレクトロニクスを拡張する次世代の電子工学「スピントロニクス」への応用など可能性を開く成果という。

今回は19件の推薦のなかから選ばれた。審査員の白川氏によれば「たぐいまれな独創力で十倉氏が研究分野を切り開き、卓越した技術で電子顕微鏡を読み取った于氏による二人三脚のすばらしい成果」としている。

つくば賞は筑波大の江面氏

つくば賞の江面浩氏=茨城県科学技術振興財団提供

県内において科学技術に関する研究に携わり、顕著な研究成果を収めた研究者を顕彰し、研究者の創造的な研究活動を奨励する「つくば賞」には筑波大学生命環境系、江面浩(えづら・ひろし)教授(63)が選ばれた。

江面氏は、トマトの突然変異体集団を構築することで、世界最大規模のリソース基盤を構築した。さらにその活用によってトマトの日持ち性、高糖度性、機能性成分に関わる遺伝子の機能解明に貢献した。それらの知見とゲノム編集技術を融合することにより、健康機能性成分であるガンマ アミノ酪酸(GABA)を高蓄積するトマトを開発して2021年から市場化、一般流通食品としては世界第1号の事例となった。

このほか、つくば奨励賞は以下の各氏に贈られる。(敬称略)

◆つくば奨励賞(実用化研究部門)
今村岳(物質・材料研究機構主任研究員)、南皓輔(同主任研究員)、吉川元起(同グループリーダー)
<研究主題>膜型表面応力センサ(MSS) を用いた嗅覚センサの総合的研究・開発と社会実装

◆つくば奨励賞(若手研究者部門)
内田健一(物質・材料研究機構上席グループリーダー)
<研究主題>スピンカロリトロニクスに関する基盤研究

(相澤冬樹)

現代の名工 洋裁家・伊賀玲子さん 黄綬褒章を記念し作品展 つくば

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つくば市内の自宅兼アトリエで作品を紹介する主催者の伊賀玲子さん

日本洋裁協会会長で、つくば市で洋裁教室「アトリエ玲子」を主宰する伊賀玲子さん(68)が、21日から同市吾妻、県つくば美術館で作品展「第5回伊賀玲子 洋裁アトリエコレクション」を開催する。2020年に受章した黄綬褒章を記念し、独自の世界を衣服で表現する伊賀さんの作品が一堂に会する機会となる。伊賀さんの作品とともに、洋裁教室の受講生や、伊賀さんが教える県内三つの高校の生徒らによる作品計100点あまりも展示される。

伊賀さんは高い洋裁技術が評価され、18年に厚労省による「現代の名工」に選出されるなど、多数の受賞歴を誇る。昔からある技法をよりやりやすく、きれいに仕上げられるよう工夫を重ねた伊賀さん独自の技法は「伊賀流」と呼ばれている。洋裁の魅力を広く伝えるために、技法にこだわりながらも、見る人に喜びと驚きを与える作品作りに情熱を注いでいる。

輝く大小のビーズを黒字のドレスにあしらうことで、夜空をかける流星を表現し、シルク仕立てのドレスには、太さの異なる金色のロープを首元から足首にかけて縫い込んで、流れる雲のような柔らかい曲線を描く。

生地を用いたバラの花づくりを実演する伊賀さん

30代で、本格的に洋裁の道へ

伊賀さんがこの道に関心を持ったのは、洋裁が趣味の母親の影響だ。”初作品”は、小学生で手がけたバービー人形のドレス。当時の夢と憧れが、原動力となった。

これまでの作品で格別だったのは、3人の子どものために手がけたウエディング衣装。孫たちの習い事の発表会用の衣装を作るなど、家族への愛情を作品に込める。

子育てがひと段落した30代前半、当時、伊賀さんが住んでいた千葉県で洋裁教室を主催する千田芳江さんに師事し、以来、毎年コンクールに出品する中で腕を磨いてきた。1996年につくば市に転居し、自宅で洋裁教室を始めた。現在は週に3日、約30人が通い、生徒たちと洋裁の楽しさを追求している。15年間、伊賀さんの教室で学んできた田澤貴子さんは、伊賀さんの魅力を「新しい技術に果敢に取り組む探究心。先生のエネルギーに引き込まれています」と笑顔で語る。

洋裁を通じたコミュニティーづくり

人に洋裁を教える理由について伊賀さんは「洋裁を通じたコミュニティーをつくりたかった」と語る。教室の後で受講生らと語らうひとときも大きな楽しみ。高校の授業では、生徒の「恋バナ」にも乗りながら、元気な若者たちとの交流も何よりのエネルギー源となっている。

「洋服作りが好きな人が集まって、いろんな話ができると楽しいじゃないですか。さまざまな世代の方に楽しく洋裁に取り組んでもらいたい。出会いの広がるコミュニティーをこれからもつくっていけたら」と伊賀さん。(柴田大輔)

◆伊賀さんと教え子らによる作品展「第5回伊賀玲子 洋裁アトリエコレクション」は、11月21日(火)から26日(日)まで。会場はつくば市吾妻2-8、県つくば美術館。開館時間は午前9時半から午後5時まで。最終日は午後3時まで。入場無料。問い合わせは電話090-9803-3899かメールreiko0411@gmail.com(伊賀さん)へ。

つくば市の洞峰公園「劣化容認」計画《吾妻カガミ》171

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】つくば市は洞峰公園を県から無償で譲り受け、市営公園として管理する方針ですが、その予算を節約するため、園内にある体育館などの電気・機械設備が古くなっても新品に取り替えず、修理ー修理で持たせる考えです。この施設「劣化容認」計画が市議の間で問題になっています。

「ケチ・ボロ」計画に市議から疑問

市の維持費ケチケチ⇒諸施設ボロボロ計画について、複数の市議が全員協議会で問いただしました。そのやりとりは、記事「34億円超の県試算認めるも平行線 洞峰公園の補修・更新費」(11月2日掲載)をご覧ください。市の管理方針と市議が指摘する問題点を整理すると、以下のようなことです。

<執行部の考え方>

▼県の計画には、約31億円(20年でならすと毎年約1億5500万円)の電気・機械設備、内装・外装、屋根などの更新費が入っていた。しかし、市はそういった設備等を新しいものに取り替えず、修理-修理で維持していく。

▼修理-修理で80年(体育館は築43年+あと37年)持たせ、その予算を毎年約3500万円計上する。

<市議からの疑問>

▼市営体育館は築60年で設備等を更新(長寿命化改修)することになっている。洞峰公園の施設だけ修理-修理で80年持たせるというのは、ダブルスタンダードではないか。

▼県の基準を無視して、モーターなどを新しいものに取り替えず、施設が80年も持つはずがない。家電などを使う生活人として、とても理解できない。

公園の管理費を少なめに見せたい?

常識的な更新計画を無視して、市はどうして修理-修理にこだわるのでしょうか? この疑問を解き明かすために、洞峰公園をめぐる県と市のバトルを振り返っておきます。

発端:洞峰公園に民営のグランピング施設を設ける計画を県が発案⇒反対:グランピング施設を設けることに市は大反対⇒対案:施設利用料の値上げによる公園管理費ねん出を県に提案⇒拒否:他の県施設とのバランスが悪いと県は市案を拒否⇒名案:公園を市に無償で譲渡する(押し付ける)案を県が提示⇒譲受:市は県案を受け入れ公園を市営化する方針。

当たり前のことですが、譲り受けることで市は洞峰公園を自分好みに管理できるものの、その経費は自分で負担しなければなりません。しかし、「グランピング施設があってもいいから公園管理は県に任せておけ」といった反対の声もあります。こういった市民を少しでもなだめるために、市が考え出したのが「ケチ・ボロ」計画なのでしょう。

市施設の将来に対する無責任の構図

でも何か変です。市が抱える懸案処理のため、これまで県がきちんと管理してきた公園の諸施設を粗末に扱おうとしているわけですから。市長は、20~30年先、自分はその職にいないと思っているのでしょう。市議の多くも、先々のことは自分に関係ないと考えているようです。市施設の将来に対する無責任の構図と言えます。

私は、169「…苦慮する市議会…」(10月17日掲載)で議会に三つの選択肢を示しました。①更新無視で設備・器機が老朽化するのを承知で譲り受ける(市案に賛成)②地域の大事な公園だから更新費用はケチらない(市案を増額修正)③新規の支出を避けるため洞峰公園を譲り受けない(市案に反対)―です。

どれを選択するか、各市議は判断力を問われます。洞峰公園を市営化する条例案(①ないし②を選ぶ市議は賛成? ③を選ぶ市議は反対?)、公園管理に必要な補正予算案(①を選ぶ市議は賛成? ②ないし③を選ぶ市議は反対?)について、各市議が12月議会でどういった採決行動を取るのか、その一覧表を本欄に載せる予定です。(経済ジャーナリスト)

「土浦の花火2023」を振り返る《見上げてごらん!》21

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第92回大会表彰式(実行委員会提供)

【コラム・小泉裕司】好条件に恵まれて、「土浦の花火2023」は無事に幕を閉じた。とは言え、途中、10号玉が上空で開花せず落下、地上開発(爆発)、競技中断のアクシデントもあった。詳細は、記事「地上で10号玉開き10分間中断」(11月6日掲載)をご覧いただくとして、今回は、前回の「土浦の花火 歴史と見どころ」(11月3日掲載)に沿い、受賞作品を中心に大会を振り返ってみたい。

全日本種目別選手権

国内最高峰の内閣総理大臣賞は、大曲の全国花火競技大会と土浦全国花火競技大会のみに授与されている。大曲は、28社限定、各社4種目に出品し順位を争うことから、「全日本総合選手権」。土浦は、今回57社が2種目以下に出品、3種目の優勝者から選ばれることから、「種目別選手権」に例えるとわかりやすい。

10号玉の部

優勝は、昨年に続き、山﨑煙火製造所(つくば市)の十八番(おはこ)「昇曲付五重芯銀点滅」。相変わらず見事な消え口の「銀点滅」に加えて、今年は「芯」の見え方を少し変えたことで、残像がより印象的になった。

上位入賞した野村花火工業(水戸市)や小松煙火工業(秋田県)もいつも通りと言いたいところだが、優勝作品以外は芯の乱れが気になり、結局、6社による五重芯対決は、昨年から安定した成績を残している山﨑煙火の1強という印象。

上位5作品には、「自由玉」2作品が入賞。北陸火工(新潟県)の「椰子芯入り」は、大きな盆と星先変化が特徴。マルゴー(山梨県)の「瞬き閃光」は、色彩豊かな星々をこれでもかと点滅させた。歓声が、審査席に届いたのだろう。

創造花火の部

優勝は、型物花火を復活した北日本花火興業(秋田県)の「夜空にしんちゃん!オラは人気者」。これで17回目の優勝。

準優勝は、芳賀火工(宮城県)の「軌跡を見せます!!トライ&ゴール」。技術貢献度の高い作品に贈られる日本煙火協会会長賞も受賞。特等の北陸火工「ジュワッと揚げたて!えびFLY」とともに、見る前から「想像力」をかき立てるタイトルと奇想天外な花火センスはぴかいち。会場を大いに沸かせたが、残念ながら「型物の神様」に、つま先分及ばなかった。

和火屋(秋田県)の「ゴッホのひまわり」やファイアート神奈川(神奈川県)の「スマイル×スマイル=」などを含めて、創造花火の部は、その名の通り、花火師の創造性を存分に発揮した作品ひしめく狭き門となり、入賞者一覧からも、順番を付けなければならない審査員の葛藤が垣間見えるよう。

スターマインの部

優勝した菊屋小幡花火店(群馬県)のスターマイン「風神雷神」は、実は8月の大曲に出品した「風神雷神炎舞」のリメーク作品。閃光雷や群声、十八番のフレッシュグリーンを場面ごとに散りばめながら、圧巻の連発でエンディングまで息もつかせぬ怒濤(どとう)の展開。

大曲より100発多い、土浦の400発以内というレギュレーションを存分に生かした、音と光の迫力ある「速射連発型」の作品に仕上げてきた。

5代目小幡知明(としあき)社長は、表彰式のあいさつで、勝利へのこだわりや地元群馬県へのふるさと愛を披露しつつ、遅い打上順番や客席に一番近い打ち上げ位置など、幸運にも恵まれたことを勝因に挙げ、その謙虚なメッセージは私を泣かせた。思えば、今年の花火初めは、1月2日、菊屋小幡花火店の「New Year HANABI」(1月15日掲載コラム)だった。

内閣総理大臣賞

内閣総理大臣賞は、今回もスターマインの部の優勝者が受賞。これで20回のうち、19回がスターマインの部から、1回が10号玉の部からとなった。

「スターマインの土浦」と呼ばれていることから、至極当然のようだが、10号玉の部優勝の山﨑煙火はスターマインの部でも入選。秀作・奇作多数の創造花火の部の充実ぶりもあって、もしかしたら「総理大臣賞はスターマイン以外から!?」という、淡い期待を抱いて帰路に着いたのだが…。

いつまでも、至極の花火作品を堪能した感動の余韻に浸っていたいのだが、すでに来年の花火大会に向けた「宿取り」レースがスタート。遅ればせながら参戦すべく、本日は、この辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

クリスマスリース作りの季節《くずかごの唄》133

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】霞ケ浦市民協会主催のクリスマスリース作りの日が迫ってきた。「どんぐり山」から採ってきた葛(かずら)などの蔓(つる)植物を利用する。この山は、かすみがうら市加茂の岡野静江さん(故人)が提供してくれた土地に、子ども達と一緒にどんぐりの種をまいて、みんなで育てた山である。2000年10月、130人もの人が参加して森を造った。

岡野さんは、若いころに恵泉学園の助手をしていた人で、植物利用の大家。特にリース作りは天才的に上手だった。東京・四谷の教会の大きなリースをはじめとして、クリスマス前になるとリースづくりで忙しそうであった。

「どんぐり山」は近くにエノキの木があって、2005年に日本の国蝶「オオムラサキ」が自然発生してからは、「オオムラサキ観察会」の場として、市民協会が草刈りなどの手入れをしている山である。

行事のときの私の役目は救急係。皮膚科前の薬局の薬剤師を10年間経験し、いろいろ勉強させていただいた。どんな虫に刺されたら、医者と薬剤師はどんな手当をすればいいのか大体のことはわかっているが、困ったのはヤマカガシの蛇対策である。

面白い個性的な蛇 ヤマカガシ

加茂の辺りは、マムシはいなくなったが、ヤマカガシはかなりたくさんいた。面白い個性的な蛇で、人間に友好ムード。何を考えて行動しているのかわからないことが多い。

ある日、山に観察会の下見に行って、木の枝の途中で遊んでいるヤマカガシ君を見つけてしまった。私の目の高さ。「一体何をして遊んでいるのだろう」。じっと、目をこらして観察していたら、いきなり50センチ以上離れた私のおでこに飛びついてきた。

かまれないように、とっさに払いのけて、無事だったものの、油断をしていると、意表を突いた行動に出ることもわかった。

マムシ君の方がおとなしくて平凡で付き合いやすい。最近の朝日新聞「くらし」欄の「患者を生きる」に、ヤマカガシにかまれてしまった人が、抗毒素を手に入れ、治療をするまでが大変だったという苦労話がくわしく書いてあって、とても勉強になった。

今年の夏の暑さは異常だった。この気候を乗り越えた数少ない強い虫や蛇たちが、どんな行動をするのか、興味深い。(随筆家、薬剤師)