月曜日, 12月 29, 2025
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問題のないところに問題を見つけること《遊民通信》83

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【コラム・田口哲郎】

前略

前回、日本社会に根を張っているいわゆるオールド・ボーイズ・ネットワークあるいはオールド・ボーイズ・クラブについて書きました(1月26日付)。同じ学歴、成功体験、失敗体験をもつ男性が結束力の強い集団をつくり、長い間、社会を支配してきた、という話です。その中で、女性は排除され、不当に差別を受けてきました。

しかし、このオールド・ボーイズ・ネットワークの構成員、つまりいわゆるエリート男性が意図的に抑圧を行ってきたのかというと、それはそうとも言えないということになりそうです。

たとえば、ある男性が高等教育を受けるまで受験戦争に勝ち抜き、大学を卒業し、大企業に就職、結婚をし専業主婦の妻と子どもと幸せな家庭を築き、そして定年を迎える、あるいは脱サラして起業をして大企業に育てあげる、あるいは議員に出馬して当選、自治体の首長や国務大臣を務めるまでになる、という人生を想定した場合に、その男性は、自分は置かれた環境で頑張ってきただけだ、大学の同窓、職場の仲間、選挙区の住民そして理想的な家族と共により良い社会をつくるために力を尽くしただけだ、と言うでしょう。

その信念や事実を否定することはできません。しかし、その「置かれた環境」自体がオールド・ボーイズ・ネットワークをつくり出している場合、そのネットワークに潜む問題には気付けないことが多いのではないでしょうか。

人間社会の基盤に潜む問題点

人間は集団をつくることで今まで生き延びてきました。厳しい自然環境に抵抗しながら、快適な文明生活をつくることは、近代社会が成し遂げてきたことで、そこにオールド・ボーイズ・ネットワークは深く関わっています。こうした人間が群れて生きるという基本的なことは、否定したら人間社会が成り立ちません。

かといって、基本なのだから、この基本は絶対に正しいので変えてはいけない、というのも危険です。基本は大切ですが、その基本が本質のように持っている問題点を見つけて解決してゆくことが、人類の進歩なのかもしれません。一見、問題のないところに問題を見つけることが求められているのでしょう。オールド・ボーイズ・ネットワークという言葉自体が生まれ、広く知られるようになったことは、そうした人類の進歩を表しているように思えます。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

初発膠芽腫患者対象に治験スタート 筑波大学のがん治療法BNCT

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治験開始の記者会見をする筑波大学付属病院の櫻井英幸教授(左)と原晃病院長

加速器で発生した中性子を照射してがん細胞を破壊する治療法、ホウ素中性子捕捉療法(BNCT)の開発を進める筑波大学(つくば市天王台、永田恭介学長)が、難治性脳腫瘍の膠芽腫(こうがしゅ)に対する治験を開始した。現在、大学付属病院(原晃院長)の患者対象に候補者を絞り込んでおり、加速器のある東海村に設置した治療施設で3月にも臨床試験が開始される。初発膠芽腫患者を対象にした医師主導の治験は世界初という。

筑波大学は初発膠芽腫を対象とした国内第Ⅰ相医師主導臨床試験に関する治験計画を提出。日本医療研究開発機構(AMED)の「橋渡し研究プログラム」課題として採択され、23年度から3年間、8000万円が予算化された。治験登録の手続きは1月までに完了した。

脳と脊髄の神経膠細胞から発生する腫瘍のうち、最も悪性のものが膠芽腫(グリオブラストーマ)で、5年生存率が10%程度と極めて低いがんとされる。手術と放射線・化学療法の組み合わせでも多くが再発し、治療が困難とされ、有効な治療法が望まれている。日本国内での脳腫瘍の発生頻度は年間に約2万人、そのうち10%強が膠芽腫とされている。

今回の治験では、すべてを切り取れないような難しい部位に悪性腫瘍のある患者を対象に、BNCTの安全性などを検証する。効果を的確にとらえられるよう、放射線治療歴がない患者を対象とした試験となる。通常の放射線治療では放射線量で60グレイの照射が行われるが、BNCTと組み合わせることで40グレイにまで抑えられ、治療時間の短縮により、患者の負担も軽減されるという。

第Ⅰ相(安全性試験)の後、第Ⅱ相(治療の有効性治験)を実施して効果が認められれば、医療機器の承認を経て、保険診療へとつながっていく期待がある。第Ⅰ相では12人から最大18人、第Ⅱ相では30人程度の症例を得る想定で、結果が出るまでに3年程度を要すると見ている。

大量の中性子も低エネルギーで安全性確保

BNCTは、がん組織にのみ集積する性質のホウ素薬剤を投与し、加速器で発生させた中性子を患部に向けて照射すると、中性子とホウ素が反応し核反応を起こし、がん細胞を破壊する原理に基づく。放射線治療の一種だが、細胞単位で治療が可能で、皮膚や周囲の正常細胞は影響を受けにくいという利点がある。

筑波大では長年、付属病院の陽子線医学利用研究センターでBNCTの研究に取り組んできた。2011年3月以前は中性子の発生源に、東海村にあった実験用原子炉が用いられたが、東日本大震災で被災しストップ。これを機に実用化に向け病院にも設置できるよう、小型化と安全性を求めての装置開発が進められた。

照射装置は2013年、いばらき中性子医療研究センター(東海村白方)内に設置、15年に中性子の発生を確認した。高エネルギー加速器研究機構(KEK)と共同開発の加速器は長さ約8メートルとコンパクト、設置面積は40平方メートルに満たない。エネルギー8メガ電子ボルト、平均電流約2ミリアンペアで陽子を加速し、厚さ0.5ミリのベリリウムに照射して中性子を得る。中性子ビームは別室に導かれ、生体に照射される。

21年から治験薬開発のステラファーマなどと実証機(iBNCT001)による非臨床試験を行ってきた。陽子線医学利用研究センターの熊田博明准教授によれば「大量の中性子を発生させながらもエネルギーは低く抑える」ビームのコントロールに苦心した。エネルギーを低くすることで施設の放射化を避けられるという。(相澤冬樹)

自立生活通し街が変わる 柴田大輔記者、障害者たちの挑戦つづる つくば

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完成した本を持って、ほにゃらメンバーと記念写真を撮る著者の柴田大輔さん(左端)

つくば市の障害者自立生活センター「ほにゃら」(同市天久保、川島映利奈代表)の歩みをつづった「まちで生きる まちが変わるーつくば自立生活センターほにゃらの挑戦」(夕書房発行、B5判、271ページ)が9日出版された。著者は、土浦市出身の写真家でNEWSつくばライターでもある柴田大輔記者(43)。

障害を持つ人々が施設や家庭を離れ、自分たちの住む地域で、自分の意志に基づいて介助サービスを活用しながら生活を営む「自立生活」がテーマで、四半世紀にわたり、共に支え合うインクルーシブ(包摂的)な地域社会づくりに挑戦してきた歴史が記されている。

柴田記者は現在、写真家およびジャーナリストとして活動しながら、介助者として、ほにゃらでも活動している。

2月4日つくば市天久保の「本と喫茶サッフォー」で開かれた出版記念イベントの様子。(左から)ほにゃら事務局長の斉藤新吾さん、著者の柴田さん、サッフォー店主の山田亜紀子さん(生井祐介さん提供)

障害者の自立生活運動は1960年代のアメリカで始まったとされる社会運動だ。重度な障害を持つ当事者たちが自分たちの手でセンターを運営し、障害を持つ人たちの「自立」をサポートすることが中核的な理念だ。当時日本で盛んだった日本脳性まひ者協会「青い芝の会」の運動の流れを部分的に引き継ぎ、80年代から日本でも広がりを見せた。脳性まひやALS(筋萎縮性側索硬化症)など重度身体障害を持つ人々を中心に、各地で自立生活センターが設立されていき、現在は全国に100程度の自立生活センターがある。

つくば市のほにゃらは2001年に設立された。現在代表を務める川島映利奈さんや、ほにゃら創設者の一人で、現在も事務局長として活動をけん引する斎藤新吾さんも24時間の介助を必要とする。

著者の柴田記者は「つくばの人たちに読んでほしい。『筑波研究学園都市』という計画された都市の歴史に、障害のある人たちがまちをつくってきたという歴史があることを知ってもらいたい」と話す。

コロナ禍、仕事が激減し介助者に

柴田記者は20代のころに「写真と旅に夢中に」なり、写真ジャーナリストとして中南米の人びとの暮らしを撮影してきた。「半年間バイトの掛け持ちをして資金を貯めては、中南米、特にコロンビアに渡航するという暮らしをずっと続けてきた」という。

そんな柴田記者が障害者の自立生活運動に出会ったのは2016年のこと。2年間ほどコロンビアで過ごし帰国した柴田記者は、都内の月3万円のシェアハウスに入居し、すさんだ生活をしていた。そこで東京都大田区で知的障害者の生活を支援するNPO風雷社中の代表、中村和利さんに出会い、障害者の外出や日常生活を支援するガイドヘルプの活動を行うようになった。

18年、柴田記者は結婚を機に茨城に戻り、ほにゃらと出会った。同年10月に筑波大学で催されたほにゃらの「運動会」に写真撮影のボランティアに行くことになった。そこで見たのが障害のあるなしに関わらず、皆が楽しむことができる運動会の姿だった。しかしこの時は「障害者の自立生活運動について深く理解していたわけではなかった」と振り返る。

20年、新型コロナ禍の影響で写真やライターの仕事が激減した柴田記者は、ほにゃらの介助者として活動を始める。「自立生活や介助、その運動の奥深さにそこで初めて出会った」という。

21年秋、柴田記者は、ほにゃらの障害者と関わる地域の人々を撮影した写真展を、つくば市民ギャラリーで開いた。写真展をきっかけに、つくば市松代の出版社「夕書房」の高松夕佳さんと出会い出版が決まった。

茨城の障害者運動の歴史が凝縮

刊行に向けて3年前の2021年から取材、執筆を始めた。当初は「専門的なところまで、深く分かっていたわけではなかった」。コロナ禍で取材がうまく進まない時期もあったというが「ほにゃらの皆さんにいろいろな人をつなげていただき、話を聞いていく中で、ほにゃらができていくストーリーが少しずつ分かっていった」。

特に1980年代以降の茨城における障害者運動の歴史が凝縮されている。63年に千代田村(現・かすみがうら市)上志筑につくられた障害者の共同生活コロニー「マハラバ村」は、重度の障害者たちが神奈川県で交通バリアフリーを求めバスの前で座り込みをした「川崎バスジャック闘争」(1977年)などで知られる脳性まひ者集団「青い芝」の会の、糾弾・告発型の運動の源流となった。

柴田記者は「マハラバ村から下りることになった重度障害者の一部は、つくば市周辺で盛んに活動を続けた。そのときに湧き上がった熱量みたいなものが残り火のように引き継がれ、今につながっている」と説明する。著書には重度の障害者の想いや残り火がどのように引き継がれ、ほにゃらにつながるのかが記されている。

さらに柴田記者は、今後も茨城、特に地元である土浦やつくばを拠点に介助や障害者の自立生活について考えていきたいと語り「介助という磁場があり、障害者が地域で暮らしていくことは『消えない運動』であり、『やめられない運動』でもある。自立生活を知りたければ、介助に入らなければならないと言われた。本当にその通りだと思う。人が肌と肌で触れ合う、この体温を知ってしまった以上は、今後も地元茨城の自立生活運動を一つの軸にしながら活動していきたい」と話す。(山口和紀)

◆本の出版記念写真展『ほにゃらvol.3 まちで生きる、まちが変わる』が21日から3月10日まで、東京都練馬区のカフェ&ギャラリーで開かれる。入場無料。詳しくはこちら

今年も「さくらまつり2024」を開催します!《けんがくひろば》3

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さくらまつり=2022年4月2日(筆者提供)

【コラム・島田由美子】「けんがく」(つくば市研究学園)地区では毎年、地域の活動団体が連携して「けんがく さくらまつり」と「けんがく ハロウィン」の2大イベントを開催しています。今回は、開催を1カ月後に控えた「けんがく さくらまつり2024」をご紹介します。

「けんがく さくらまつり」のコンセプトは、“地域の文化祭&新歓祭”。けんがく地区の団体や住民の活動の紹介・発表の場であるとともに、春になって新しく移ってこられる方々をお迎えする交流の場です。2022年から開催しており、毎回200~300名の地域住民が来場されています。

多彩なアクティビティ

3回目の開催となる「けんがく さくらまつり2024」はバージョンアップし、12のアクティビティを楽しめます。一番のおすすめは毎年恒例の「さがせ!さくらエイト」。さくらまつりの会場となる研究学園駅前公園では2月下旬から4月下旬にかけて、河津桜、寒緋(カンヒ)桜、ソメイヨシノ、枝垂(しだ)れ桜、山桜、関山(カンザン)、普賢象(フゲンゾウ)、御衣黄(ギョイコウ)が順々に咲いていきます。

「さがせ!さくらエイト」では、その8種類の桜の木をスタンプラリーで巡ります。「けんがく パフォーマンス」で音楽やガマ口上、「けんがく ギャラリー」で絵や書を鑑賞した後は、スポーツチャンバラやグランドゴルフで体を動かせます。大きな桜の下では、昔あそびを楽しんだり、青空図書館の絵本をゆっくり眺めたりできます。公園北側の雑木林では玉入れ鬼ごっこや丸太切りなど、自然の中で思いっきり汗をかけます。

公園近くの中央消防署から消防士さんが駆けつけ、緊急車両展示や水消火器体験を催してくれます。そのほか、ゴミ拾いやフリーマーケット、ミニ縁日など、盛りだくさんですが、それぞれのアクティビティに参加すると押してもらえるスタンプを集めると、賞品を受け取ることができます(先着順)。

古くからの住民の思いをつなぐ

けんがく さくらまつりは、地域資源である千本桜にちなんで開催されます。千本桜はつくばエクスプレス(TX)が開通する以前から住まわれていた住民の方々が、“研究学園・葛城の発展繁栄を願って”2007年から12年をかけて植樹されてきたものです。

私たち主催者の「けんがくまちづくり実行委員会」は、さくらまつりで地域の様々な住民や活動団体が千本桜のようにつながることを祈っています。(けんがくまちづくり実行委員会代表 島田由美子)

<けんがくさくらまつり2024

▽日時:3月30日(土)午前11時~午後3時(ゴミ拾いは午前10時から)

▽場所:研究学園駅前公園内 古民家(つくばスタイル館)他

▽主催:けんがくまちづくり実行委員会

▽荒天の場合は一部企画中止

能登半島地震でのDMAT活動を報告 筑波メディカルセンター

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DMAT支援活動を終えて戻った隊員と、後方支援した隊員ら。上段左から3人目が隊長の栩木愛登医師(筑波メディカルセンター提供)

「あれで良かったのか、気が晴れない」

能登半島地震の災害支援で活動した筑波メディカルセンター(つくば市天久保、河野元嗣病院長)の災害医療支援チーム(DMAT)による活動報告会が20日、同病院内で開かれた。救急診療科医長で今回の活動の隊長を務めた栩木愛登(とちき・あいと)医師(40)は「要請に従い活動は無事やってこられたが、あれで良かったのかと気が晴れない」などと振り返った。

同病院からDMATチームとして1月6~8日、能登半島地震の災害支援第3次隊として医師1人、看護師3人、業務調整員2人の計6人が石川県に派遣された。隊員らは7日、避難所となった珠洲市内の老健施設3施設の入所者らの健康状況調査や支援物資の搬送を実施した。翌8日には、介護度が高い高齢者を収容している別の老健施設入所者らの健康状況評価や支援を実施し、体調不良者を珠洲総合病院に医療搬送などした。

20日の報告会は同病院の職員を対象に開催した。報告した栩木医師は、パワーポイントでスライドなどを映しながら活動内容を詳細に説明した。

パワーポイントでスライドなど映しながら活動を報告する栩木医師

派遣が決まった後の準備段階では、雪道を走るスタッドレスタイヤがなかなか準備できなかったり、連絡役の業務調整員の確保に手間取ったりしたことが報告されたほか、能登半島では道路が寸断され、通常15分の道程を進むのに3時間近くかかり、報道で知っていたよりも被害状況がひどかったことなどが報告された。

派遣先の老健施設は、職員自身が被災したことにより通常より少ない職員での運営を余儀なくされていた。さらに避難者が押し寄せ、24時間体制で管理を求められたなど施設の職員が大変疲弊していたことなどが報告され、栩木医師は「地獄があった」と話した。

避難地はライフラインが寸断され水道が使えないため、隊員も段ボール製の非常用簡易トイレを使用したり、老健施設の事務所の床に寝袋で寝るなどしたという。

栩木医師は活動を振り返ると、出動にスタットレスタイヤとかチョッキタイプのユニフォームなど必要な物品の準備をしておかなければいけないと思ったとし、「活動が体力的には特に辛いかったわけでもなかったが、帰ってきてじんましんが全身に出来たりしたので精神的なダメージが比較的大きかったのだと思う」と述べた。

同病院の志真泰夫代表理事は活動をねぎらい「地震はどこにでも起きることだから、当院も免震構造の施設にしていかなければならない」などと付け加えた。

DMATは厚労省が阪神大震災の教訓から2005年に設立した。医師1人、看護師2人、医療事務や救急救命士など業務調整員1~2人で編成され、1チーム原則3日間、被災地にいる救急患者の治療やサポートをしたり、避難所にいる被災者の感染症に対する処置を行ったりする。

同病院のDMATは2011年の東日本大震災、12年のつくば北条竜巻、15年の常総市豪雨災害などにも出動した。今回、震度7以上の地震が起きた能登半島地震では全国のDMAT隊員に一斉に連絡が入り支援準備に入ったという。(榎田智司)

葦舟レースで水質浄化を 3月2、3日 霞ケ浦

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1月28日に開かれた葦船制作ワークショップで、刈り取ったアシを束ねる参加者

霞ケ浦の高須崎公園周辺(行方市玉造甲)で3月2日から3日にかけて「ニホンウナギ杯争奪 第4回霞ケ浦葦舟(あしぶね)世界大会」が開催される。1日目は湖岸で参加者自らアシを刈り取って葦舟を作り、2日目は自ら漕いでレースをするというユニークな大会だ。

長年、霞ケ浦の水質浄化に取り組んできた市民らでつくるNPO霞ケ浦アカデミーと、行方カヌークラブが主催する。

「どうせやるなら大きく『世界大会』と付けて、霞ケ浦をメジャーにしていこうと企画した」と語るのは、主催団体の霞ケ浦アカデミー理事長の荒井一美さんだ。同団体は、2000年から石岡市で始めた市民講座を前身に、04年に活動拠点を現在の行方市に移した。08年から霞ケ浦の自然環境の保全活動と地域資源を活用した教育活動を行っている。

「最初『世界大会』って聞いた会員の皆さんからは『えー』って驚きの声が上がったが、回を重ねるごとにだんだん皆、本気になってきた、という形ですね」と、荒井さんは笑みを浮かべながら、大会の目的を「霞ケ浦の現状を知ってもらうこと。そして環境の改善」だと話す。

ワークショップに参加し湖岸でアシを刈り取る小学生

湖とのつながり取り戻したい

全国で2番目の広さを持つ霞ケ浦。夏から秋にかけて、名物のワカサギ漁などで活躍した白い帆を張る帆曳船が、観光用に運行されている。ただこのワカサギも、1965年に年間2000トンを数えた漁獲量が2022年は17トンにまで減少している。原因の一つとして指摘されてきたのが水質悪化だった。

1963年に現在の神栖市にあたる常陸利根川と利根川との合流地点に、海水の逆流を防ぐ「逆水門」が造られた。目的は、霞ケ浦湖岸地域の洪水対策と、塩分が含まれる湖水による土壌への塩害対策、首都圏の水資源確保だ。水門を閉鎖以降、霞ケ浦は淡水湖となった。

水門閉鎖後に進んだのが「水質悪化だった」と、同会事務局長の菊地章雄さんが語る。時代は高度経済成長期。人口が増えた周辺地域の市街地や農地から湖に注ぎ込む生活排水、農業排水が、多量の窒素化合物やリンを運び込んだ。湖水は「富栄養化」状態になり、1973年にはアオコが大量発生し、75年には湖水浴が禁止されている。水質悪化はシジミやワカサギなどの水産資源の減少にも影響したとされる。

菊地さんは、減少する水産資源の象徴として二ホンウナギをあげる。1960年代には霞ケ浦と利根川のウナギ漁獲量は全国の67%を占めていた。霞ケ浦は日本有数のウナギ生息水域だったのだ。

こうした歴史を踏まえて「もう一度、霞ケ浦をかつてのきれいな湖にすることで、人の暮らしと湖のつながりを取り戻したい」として発案されたのが葦船大会だった。冠した「ニホンウナギ杯」に、かつての霞ケ浦復活への思いを込めた。

自身も小学生から活動に参加してきたという霞ケ浦アカデミー事務局長の菊地さん(中央)。「次世代に活動への思いを伝えていきたい」と語る

アシを刈って使う文化を

同会が葦船製作を始めたのは2016年にさかのぼる。菊地さんは「かやぶき屋根などにも使っていたように、アシは人が最も身近に利用していた植物の一つ」であるとし、こう話す。

「アシは、富栄養化の要因である水中の窒素やリンを養分として吸い取り、水質を浄化させる働きがある。一方で近年はアシが利用されることがなくなり、せっかく水質悪化の元になる養分を吸い取っても、そのまま枯れて水の中にとどまってしまう。これでは意味がない」

「アシは人が定期的に刈り取ることで新しく生えてくる植物。里山のように、環境の維持には人の手を必要とする。アシが当たり前に使われる文化を定着させるためにも、多くの人が関われる、規模の大きな大会にしたかった」

葦舟を作るために大会参加者が湖岸のアシを刈り取ることで、アシが吸い取った霞ケ浦の窒素やリンは湖の外に持ち出され水質浄化に寄与する、さらに人工的な護岸堤に復活しつつある植生帯を手入れすることにもつながるというのだ。

大会に先立って1月末、葦船づくりのワークショップが開かれた。8年目を迎え、参加者の約半数をリピーターが占め、つくばや水戸など県内以外にも、岐阜など他県からも訪れている。

ペルーとボリビア大使館に招待状

「世界大会」と銘打ってはいるものの、これまでに外国チームの参加には至っていない。それでも地域で暮らしているベトナムやモンゴルの人たちに積極的に声をかけてきた。同会の荒井理事長の夢は大きい。

「目的は、あくまで霞ケ浦の環境改善。そのためには壮大だが、世界の人に関心を持ってもらい連携を図りたい。今回は(神話に葦船が登場するチチカカ湖がある)南米ペルーとボリビアの大使館に招待状を送った。いつか現地から本場のチームに来てもらえたらうれしい。今後の交流に繋げたい」と話す。

「『霞ケ浦は汚い』というイメージが定着してしまっている。しかし、ここからは筑波山も見ることができ、風光明媚なところ。地域振興の役目も果たしたい」(柴田大輔)

◆第4回霞ケ浦葦舟世界大会の詳細は同会ホームページへ。

千年の歳月に見たもの《写真だいすき》29

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あちこち崩れた仏像の部分(撮影は筆者)。この写真は本文とは関係ありません

【コラム・オダギ秀】心に残った撮影は、少なくない。古い仏像を撮ったことは多かったが、このときも、忘れ難かった。

小高い丘を登っていくと、林の中に、小さな堂宇(どうう)があった。のぞいてみると、中に、取り残されたような、全身傷ついた虚空蔵菩薩がおわした。堂宇の中には、厨子(ずし)もあったが、厨子にも入らず、いたるところシロアリに喰われ、持物を失い指も欠け、身体のあちこちが割れ、面貌も定かではなく、その像は流した悲しみの涙さえ乾いてしまったようであった。

どのような歴史を背負った寺院の本尊であったのか、その寺が、いつの時代に廃寺となったのか、明らかなものは残されていないという。しかし筑波山に連なる周辺の山中には、近くには名古刹(こさつ)もあり、山岳寺院らしき廃寺もあり、ここの虚空蔵菩薩像は平安時代後期の作と推定されているらしいから、集落の人々に護られながら、およそ一千年近い時を経てきたことになっていた。

虚空蔵菩薩は、妨げるものがない広大無辺の功徳で人々の願いをかなえてくれる菩薩だそうだ。だが、この菩薩の左手施無畏印(せむいいん)の指は欠け、右手に持っていたであろう宝珠(ほうじゅ)か剣も失われている。

全体にバランスのよい量感なのだが、整っていたであろう顔立ちの漆箔(しっぱく)は剥げ落ち、痛々しい表情も、はっきりとは見えなかった。そこここに深く入り込んだシロアリの食い後も目立った。剥ぎ目のズレにも心が痛んだ。そのような菩薩にすがってもいいものか、という気にさせられた。

憎悪も孤独も後悔も悲槍も…

坐していた千年近い歳月は、その長さだけで、この世の、憎悪も孤独も後悔も悲槍も、拭い去ってしまうのだろうか。虚空蔵さま、あなたは、今、時を経て何を思うのですか?

ボクは、流れる汗にまかせ、ボク自身の悲痛を、少し漏らした。すると、堂を覆うセミの声がひときわ激しくなった気がした。思わずボクが拭ったのは、汗なのか涙なのか、木立を抜ける風が、心なしか涼しくなった気がした。

あの撮影から、もう十数年が過ぎたろうか。あの菩薩にすがった人々の思いは、どこに残っているのだろうか。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

申請期限過ぎ国の補助金受け取れず つくば市 介護保険システム改修費

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つくば市役所

つくば市は20日、4月から実施される2024年度介護保険報酬改定に伴う介護台帳のシステム改修費について、国から2分の1の補助金を受け取ることができたにもかかわらず、補助金の申請期間を過ぎてしまい、137万5000円を受け取ることができなかったと発表した。

市高齢福祉課によると、国の補助金申請の通知は、昨年9月13日、システム改修にいくらかかるかを調査する通知が県から市介護保険課に届き、さらに12月5日には補助金を内示する通知が県から市介護保険課に届いていた。

一方、昨年9月末、システム改修を担当する市高齢福祉課が介護保険課に通知が届いてないか調査したところ、介護保険課では通知を確認できなかったという。

システム改修の契約事務作業を進めるため、今年2月5日、市高齢福祉課が県に国の補助金について確認したところ、県から、昨年9月と12月に通知を2回送っていると言われ、改めて市介護保険課に確認したところ、県から2回通知が来ていたことが分かった。

市高齢福祉課と介護保険課で情報共有がなされなかったことが原因という。

再発防止策として市は、国や県からの通知について、関係部署で情報共有できるよう体制を強化するとしている。

市では同システム改修費用が275万円かかる見通し。2分の1は国から補助金を受けられるはずだったが、全額を市の会計でまかなうという。

無人販売の八百屋をオープン 元留学生が筑波大近くに

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「やおや・春日」を紹介する孫麗さん=つくば市春日

近所に八百屋がない筑波大学近くの春日4丁目に9日、24時間営業で無人販売の食品販売店「やおや・春日」がオープンした。同市天久保で四川料理店「麻辣十食」を運営する東洋十食が手がける。野菜や果物のほか、中国からの輸入食品や自社製造のお弁当、コロッケなどの惣菜も販売を始め、近隣住民や大学生らが買い物に訪れている。

店内にはキュウリやトマト、ジャガイモなど一般的な野菜と共に、赤い菜の花や、スティック状のカリフラワー、茎レタスといった珍しい野菜も並ぶ。店舗面積は約35平方メートル。販売する商品は野菜、果物、お弁当など合わせて約100種類ほど。

値段は50円から数百円程度で、一人暮らしの大学生にも買いやすいよう少量ずつパックするなど工夫されている。商品は水海道総合食品地方卸売市場や都内の中央卸売市場から仕入れる。商品の価格に跳ね返らないよう、内装は全てスタッフが手作りして初期投資額を抑えた。無人販売により人件費を抑えているほか、曲がったキュウリなど形が不ぞろいの規格外の野菜を仕入れ、できるだけ安くしている。

支払いは現金かQRコード決済で、品物を選んでから客自身が電卓で計算し、カメラに見えるようにして支払う仕組みだ。

夜遅くまで研究

店頭に並ぶ野菜について説明する孫さん=同

同店を運営する東洋十食の代表は中国河南省の出身。筑波大学大学院で社会工学の修士課程を修了した。卒業後は都内の会社で働いていたが、自然豊かな環境で子育てしたいと、学生時代親しんだつくば市に戻ってきた。院生時代は大学の宿舎に住み、夜遅くまで学内で研究していた。その経験から「夜中でも食材を買うことができる24時間販売の八百屋が大学近くにあれば便利なのではないか」と思いついたという。都内で勤めていた時、白金や麻布十番の八百屋がにぎわっているのを見て、スーパーマーケットではなく八百屋の業態に魅力を感じたと話す。

孫さんは野菜の仕入れなども行う。「大学生だけでなく近隣に住むお年寄りからも、キャッシュレスでなく現金でも買えるのがありがたいと言われる。喜んでもらえている様子」と好感触だ。野菜を買いに来た筑波大2年の男子学生と女子学生は「オープンしたのを見て気になっていて今日初めて来た。いろいろな野菜があって便利」と話す。東洋十食の代表は「加工食品ばかりだと栄養も偏る。野菜を食べて、大学の後輩たちに元気に、健康になってほしいという思いがある」という。

コロナ禍、都内で人気高まる

街の八百屋は、コロナ禍により家庭内で食事をする内食や巣ごもり消費の需要が高まったことを背景に、都内では、道路に面した店頭に青果を並べる八百屋の人気が集まり、大手食品スーパーが昭和レトロな八百屋の業態で出店したり、ドライブスルーの八百屋もオープンするなどした。農水省の調査によると、2021年には全国の青果市場の約半数がコロナ禍前よりも取扱高を増やしている。(田中めぐみ)

中国で見つけた魔法瓶の形《デザインを考える》5

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写真は筆者

【コラム・三橋俊雄】今回は、以前私が中国で出合った「魔法瓶の適正デザイン」についてお話します。上の写真は、左から上海の友人が送ってくれた竹製の魔法瓶(中身本体はありません)、鉄製の魔法瓶、その次は上海の路上でおばあさんから譲り受けたアルミ製の魔法瓶、一番右は北京のデパートで購入したプラスチック製の魔法瓶です。

ここで言う「〇〇製」とは魔法瓶の外部構造のことです。内部はそれぞれ真空2重ガラスの容器が収まっており、魔法瓶の栓はすべてコルク製のものが用いられています。

穴だらけの鉄製魔法瓶

鉄製の魔法瓶は、1986年に中国を初めて訪問した際、北京中央工芸美術学院の院長室で出合ったものと同じです。これは、私が中国で「ショック」を受けた二つのうちの一つでした。ちなみに、もう一つは、中国中南部・湖南省の駅ホームで見た、ズボンのお尻がぱっくり開いた(おむつ不要の)幼児用「股割れズボン」です。

なぜ鉄製の魔法瓶が穴だらけだったのでしょうか?

1980年代、中国では、この魔法瓶が日本で言う「役所の大きな黄色いヤカン」のように、多くの公の場で使われていたようです。当時は、工業製品として自転車が花形産業であり、そのチェーンに使うヒョウタン型の板金が大量に必要でした。そこで、製造工程ではそれを打ち抜いた後の端材が多く排出され、その端材を丸めてカバーとして利用したのが、この穴だらけの魔法瓶でした。

この魔法瓶は、上部もやはり板金を曲げて溶接しただけの簡素な作りであり、その上の小さな注ぎ口だけがプラスチック製でした。本体部分のガラス容器は、穴だらけの板金カバーの下部で、交差した2本の針金により固定されているだけでした。

適正技術・適正デザイン

これらの竹、鉄、アルミ、プラスチック製の魔法瓶を並べて気付いたことは、第1に、カバーの材質こそ異なっているものの、その大きさやプロポーション、取っ手の位置などは同様の形状をしていたということです。その理由は、「お湯を注ぎ」「保温し」「急須や茶碗に注ぐ」という、人と道具の関係が共通していたからでしょう。

第2に、魔法瓶の「使われ方」は共通しているものの、魔法瓶の外部構造に関しては、技術的発展に伴って、竹製、鉄製、アルミ製、プラスチック製のカバーが登場したように、その時代ごとに、中国が有する技術や生産方法によって作り出されてきたということです。

すなわち、これらの時代や地域に適合した魔法瓶の製造・デザインの在り方こそ、当該地域の自立的な発展につながる「適正技術・適正デザイン」であったと言えるのではないでしょうか。(ソーシャルデザイナー)

「避難所の体育館は寒かった」 土浦三高生が防災キャンプ体験を報告

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学校図書館で発表の準備を進める「防災キャンプ」探究グループ=土浦三高

21日、初の校外発表

災害時の避難所になる学校体育館に寝泊まりしてみたー。県立土浦三高(土浦市大岩田、渡邊克也校長)の2年生グループが21日、県県南生涯学習センター(同市大和町)で同校が開く「探究発表会」に登壇し、防災キャンプの体験を口頭発表することになった。

グループは普通科2年生の7人。昨年12月1日、同校体育館に1泊する防災キャンプを行った。同校は眼下に霞ケ浦を見下す立地に校舎がある。災害地に湖畔の低地は液状化の懸念などがあり、学校が水害や地震の際の指定緊急避難場所になっている。

防災キャンプでは、2015年の関東・東北豪雨で常総市に派遣された土浦市防災危機管理課職員から話を聞いたり、市のハザードマップに基づく防災情報のレクチャーを受けた後、体育館にテントを張って1泊した。

防災キャンプでは体育館に張ったテントに寝泊まり(土浦三高提供)

1カ月後に能登半島地震

同グループは翌12月2日に、土浦市内の街づくりイベントでスタンプラリーを実施しており、2日間の行事にボランティア参加の生徒も含め16人が参加した。メンバーの1人、長谷川春花さんによれば「スタンプラリーは2回目の実施で、1回目のときアンケートをとると『もっと市民と交流したい』という意向があったので、防災キャンプを考えた。けれど、安全面から受け入れが難しく、まずは生徒だけでの実施になった」そうだ。

この防災キャンプの1カ月後の元日に能登半島地震が発生した。長谷川さんは「とにかく体育館の床は死にそうなくらい寒かった。能登の避難所生活のニュース映像を見るたび、あれ以上の寒さが連日続いているのかと思うと辛い気持ちになった」という。指導に当たる橘内敏江教諭は「防災キャンプで残った飲料などを現地に送る検討もしたが、迷惑になるかもしれないと断念した。生徒の前向きに成長する姿を見ることができた」と語る。

下級生たちに引き継ぎたい

生徒たちは「キャンプでは非日常を体験できた。防災はぜひ市民と一緒に取り組んでほしい課題」だと防災キャンプを下級生たちに引き継いでいきたい考えで発表に臨む。

「探究学習」は、生徒自らが課題を設定し、解決に向けて情報を収集・整理・分析したり、周囲の人と意見交換・協働したりしながら進めていく学習活動。同校では活動成果を2年生中心に発表する取り組みを約5年間実施してきたが、校外に出て行うのは今回が初めて。三菱みらい育成財団の助成も得て、「土浦市から宇宙まで探究のフィールドは無限だ!」を掲げて開催する。

天文や防虫効果などを取り上げる理系、ロック音楽や百人一首などの文系を交え12件の口頭発表が予定され、ポスター発表は70件を数える。開会は午前9時30分、午後4時ごろまでの日程で、防災キャンプなどの特別口頭発表は午後1時ごろに予定されている。(相澤冬樹)

「もん泊」手ぬぐいを限定製作 つくば建築研究会

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もん泊手ぬぐい

イベントで販売へ

NPOつくば建築研究会(つくば市谷田部、坊垣和明理事長)は、長屋門に宿泊機能を付加しようと研究活動中の「もん泊プロジェクト」(2020年9月27日付)の一環としてデザイン手ぬぐいを製作し、18日に開かれた第17回市民シンポジウムで披露した。

手ぬぐいは白地にパープルカラーでもん泊ロゴとつくば市域の地図が印刷され、もん泊プロジェクトの研究対象である「長屋門」の市内分布があしらわれている。同会の調査によれば、つくば市内には217軒の長屋門が現存しており、「個人宅の特定にならないよう、あくまでエリア分布の一例として描いた」と、図案をデザインした塚本康彦理事は説明する。今後同会主催のシンポジウムやみちあるきイベントで販売する。製作数は200枚で1枚1000円(消費税込み)。

市民シンポジウムの様子

同日、市民シンポジウムはつくば市栗原の旧下邑住宅(23年5月31日付)で開かれ、糸賀茂男土浦市立博物館館長を招いて長屋門に関する歴史基調講演やパネルディスカッションを行った。さらに昨年から土間の板張り化を進めてきた米倉のお披露目(23年10月24日付)、筑波大学に留学中のエチオピア国費留学生による同国の茶道文化にあたるコーヒーセレモニーが催された。

坊垣理事長は「17回を数えるシンポジウムの中からつくば独特の原風景である長屋門と古民家がクローズアップされ、将来は長屋門と民泊を融合させる目標を掲げた。その実現のために、できることから始めて長屋門を訪ね歩くみちあるきや、米倉の利活用を考えるための板張り改修を手がけた。今後もみちあるきを開催してつくばの減封家と長屋門を紹介していきたい」と述べた。(鴨志田隆之)

改修された米倉内

県に請求書送付を つくば市の高校通学費補助《吾妻カガミ》177

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茨城県庁(左)とつくば市役所

【コラム・坂本栄】つくば市は洞峰公園の維持管理を県から押し付けられましたが、県立高校問題では県の施策にはまりました。本来は県が負担してしかるべき費用を市の予算案に盛り込んだからです。この半年の間に、市民は知事の巧みさと市長の拙さを相次いで目撃したことになります。

遠距離通学に年間3万円補助

つくば市は2月1日に発表した来年度予算案に、土浦市、牛久市、常総市、下妻市など、遠距離の高校に通う生徒にバスや鉄道の通学費用を補助する予算を挿入しました。1億6152万円を計上し、通学に年間10万円以上かかる生徒には3万円を補助するという内容です。

この善政について、市は「急増する市内在住の高校通学者数と市内立地の高校定員数との不均衡により生じる遠距離通学負担に対して、経済的負担の軽減を図る」と説明しています。簡単に言うと、市内の県立高不足のために市外の高校に通学しなければならない学生の持ち出しを少し軽くする施策です。

つくば市は、学生数と定員数の不均衡を解消する策として、市内に県立高を新設するよう県に要求してきました。しかし県は、県全体の少子化・人口減を理由に、県全体の傾向とは逆に人口が増えているつくば市での県立高新設にも消極的です。

そして、(A)市内にある既存県立高の学級増(高校経営予算の節約)、(B)近隣市の県立高への通学奨励(広域化による問題解決)―の2代替策で、高校新設を見送ろうとしています。

市長は新設実現を諦めたわけではないと言っていますが、遠距離通学補助によってTX沿線エリアに県立高を新設せよという声が弱まらないか心配です。

高校新設<既存高活用+広域通学圏

県の考え方(新設を渋る理由、代替策、高校教育の目玉)を整理すると、こういうことです。

▼少子化・人口減で県内の高校入学者は減っており、県立高は統合・廃止で減らす。

▼県全体の傾向とは逆のTX沿線についても県立高の新設は極力避ける。

▼これで生じる学生数と定員数の不均衡は既存高学級増と通学圏広域化で乗り切る。

▼上位の既存県立高については中高一貫併設によって学生のレベル・アップを図る。

県がこういった県立高経営の枠組みにこだわるのであれば、市が通学補助の窓口業務を代行するとしても、その費用は県に出してもらうべきです。県の仕掛け(B)に追随していると、県立高不足問題の解決は既存高学級増と通学圏広域化で進みます。

新設までの暫定措置として県ないし市が遠距離通学費を補助するにしても、年3万円では少な過ぎます。実際にかかる費用の3分の1以下ということですから。県に送る請求書は、少なくとも1億6152万円✕3=4億8456万円にする必要があるでしょう。

通学補助を大幅県に請求書送付

高校生徒数と定員数のミスマッチ解消は、人口が増えているTX沿線市の重要課題です。それなのに、県も市も目先の対策でごまかそうとしています。生徒に遠距離通学の時間的負担を強い、保護者には経済的負担を強いるのを放置し、微々たる通学補助金を出す「善政」で取り繕うとする市長も困ったものです。

市議会は来年度予算案を否決し、総額4億8456万円の修正案を出し直させ、県に同額の請求書を送らせる議案を決議すべきでしょう。研究学園市=高校過疎地では「世界に笑われるまち」TSUKUBAになってしまいます。(経済ジャーナリスト)

<参考>

▽記事「…市の新年度予算案 過去最大を…連続更新」(2024年2月1日掲載

▽コラム139「上り坂の市と下り坂の県のおはなし」(2022年8月15日掲載

▽コラム118「つくば学園都市は公立高の過疎地」(2021年10月18日掲載

「花火を聴く」視覚障害者の花火鑑賞《見上げてごらん!》24

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第92回土浦全国花火競技大会ワイドスターマイン「土浦花火づくし」(実行委員会提供)

【コラム・小泉裕司】花火を季題とした風景や心象を描写した名句は数多い。人生や季節の移ろいを、儚(はかな)く消える花火に重ねるのだろうか。

盆などの慰霊行事であったことから、「初秋」の季語だったようだが、現代は納涼行事として「夏」が主流のよう。「遠花火(とおはなび)」も同様。たった3文字にもかかわらず、打ち上げ場所から遠く離れたところから「見る」花火への、切なさや愛(いと)おしさが心に沁(し)みる季語である。

花火鑑賞の多様性

 昨年の土浦市議会第4回定例会では、「土浦全国花火競技大会時の障害がある方の観覧」についての一般質問に対する答弁で、佐藤亨産業経済部長は「花火会場で、視覚障害者に花火の魅力を感じてもらうことができた」という希有(けう)なエピソードを披露した。

大会当日の朝まで行くかどうか迷ったあげく、意を決し、会場を訪れた視覚障害のある男女2人は、打ち上げが始まるころには、桟敷席近くに到着することができたという。

杖(つえ)を持った2人に気付いた桟敷席担当の係員は、業務の傍ら、土手にたたずむ2人を気にかけていたそう。周知のとおり、打ち上げ終了後の道路は、超過密な状況と化し、視覚障害者には危険きわまりない。これを察知した係員は、土浦駅行きのシャトルバス停まで誘導し、無事帰路に着いたのこと。

2人は、花火の真下に来たことで、まぶたの奥に光を感じることができたという。音や振動を体感することや、音楽、場内アナウンスも聴くことができた。何よりも、観客と一緒に拍手をすることができたことに感動。「ここまで来て本当によかった。ありがとうございます」と涙を流し、花火を堪能した喜びを係員に伝えたそう。

この報告を聞いた部長は、障害者も花火の思い出をつくることができる、土浦の花火は様々な人たちに感動を与えることができることを実感したという。筆者も、土浦の花火ファンが、また2人、増えたことが実にうれしい。 一方で、本稿でこの話題を書くことに躊躇(ちゅうちょ)したのも事実。

つまり、主催者にとっては、来場者の安全を確保することが最優先の使命であって、身動きもままならぬ雑踏や道路面の不備も想定される中で、係員まで巻き込んだ身勝手な行動と非難されないか。

さらに、係員の対応は業務範囲を逸脱しているのではないかなど、大いに逡巡(しゅんじゅん)した。実行委員会は、会場から1.5キロ離れた安全な場所に「身障者用駐車場」を確保して、会場への誘導を勧めることはしていない。

しかしながら、今回の2人の行動によって、新たな気付きを得たことも事実。それは…「花火を聴く」。

「花火の光を感じたい、心に響く音を聴きたい。こんな欲求を満たしてくれる環境づくりの必要性、誰ひとり取り残さないとの観点からも大切なことであり、これからもあらゆる面でみがきをかけて、多様な観客に楽しんでいただける大会づくりにまい進したい」と、部長答弁を括(くく)った。

まさに、安藤市長が標榜(ひょうぼう)するダイバーシティの考え方に沿った、崇高な精神である。 

「亡き人を思い遠花火に耳澄ます」

このエピソードの対極にあるのが、Oi café 20「亡き人を思い遠花火に耳澄ます」(平野国美、常陽リビング、2017/8/19、6ページ)。

介護ベッド上で目を閉じ、遠くに響く土浦花火の音を聞きながら、母親代わりの亡き姉への郷愁、その姉と会話した花火への情念が動画のごとく流れる。訪問診療医で本サイトのコラムニストでもある平野氏ご本人から、以前に送っていただいたコラムを、読み返している。

「いつか一緒に、あの花火の真下で眺めたいねって話してたの。そのお姉ちゃんが行けないのに、今さら私だけ見に行くってわけにはいかないの」。昭和期の俳人鈴木真砂女の句が添えられていた。「死にし人 別れし人や 遠花火」

真下で体感するもよし、遠花火に耳澄ますもよし。本日は、この辺で「打ち留めー」。「ドドーン キラキラ!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

佐野治さんの受勲祝う 元JA土浦・県中央会会長

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花束を受け取る佐野治さん夫妻

土浦農業協同組合(現 水郷つくば農業協同組合)組合長や県農業協同組合中央会会長を務め、昨年秋に旭日双光章を受章した佐野治さん(77)の受章祝賀会が17日、霞ケ浦湖畔の土浦市川口「ローブ・カスミガウラ」で開かれ、国会議員、県議、経済団体や農協(JA)関係者など約130人が出席し、佐野さんの受章を祝った。

佐野さんは土浦市宍塚の出身。1977年にJA土浦に入り、2008~17年にJA土浦の組合長を務めたあと、17~20年に県内のJA関連組織を束ねるJA県中央会の会長を務めた。

良質な県産農畜産物を安定供給

あいさつする八木岡努・県JA中央会会長

祝賀会発起人を代表して八木岡努・県JA中央会会長があいさつし「佐野氏は、サンフレッシュつくば店の開設や産直事業専門の専門部署を設置するなど、新しい販路拡大と地産地消の推進に取り組んだ。また『安心・安全な農産物の供給』を第一に考え、生産履歴記帳の定着化や、JAブランドの確立に努め(レンコン粉末入りうどんの)『れんこんめん』の開発・販売に取り組んだ」などと、JA土浦時代の功績を紹介した。

さらに「県中央会の会長の時は茨城県との連携協定を結び、ブランド力ある良質な県産農畜産物の安定供給に取り組んだ。県産品の輸出拡大、低価格モデル農機の共同購入などによる生産コストの低減にも尽力した」と、県中央会時代の活躍もたたえた。

産総研の石村理事長もあいさつ

祝賀会には、葉梨康弘、永岡桂子、国光あやの、青山大人、田所嘉徳衆院議員、上月良祐、加藤明良参院議員、伊沢勝徳、八島功男、葉梨衛、白田信夫、飯塚秋男、星田弘司、中山一生、金子敏明県議、安藤真理子土浦市長、宮嶋謙かすみがうら市長、千葉繁阿見町長、萩原勇龍ケ崎市長、上野昌文・県農林水産部長(知事の代理)らが出席した。

このうち、葉梨衆院議員、上月参院議員、葉梨県議、上野部長が祝辞を述べ、国や県の農業政策とJAの活動との関連を取り上げながら、佐野さんの活躍ぶりを紹介した。

佐野さんと親戚筋の石村和彦・産業技術総合研究所理事長もあいさつに立ち「出席者の顔ぶれを拝見すると、私は完全にアウエー(部外者)。実は、毎年末に(土浦産の)レンコンを佐野さんから送ってもらっている。それを薄く切ってフライパンで焼いて食べると、ビールがいくらでも飲める」と笑いを誘ったあと「産総研も乾燥に強い野菜とか果物の糖度センサーなどの研究をしており、今後、JAとのコラボも検討したい」などと述べた。(岩田大志)

受章祝賀会の会場

昭和にトリップできる郷愁の商店街《看取り医者は見た!》13

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写真は筆者

【コラム・平野国美】私は休日に商店街を歩くのが好きです。ショッピングとかでなく、ただ、何かあれば店に入ってみたり、古い純喫茶に入ってみたり―と。外国にはそれほど行ったことはありませんが、自分も商店街育ちのせいなのか、日本の商店街が好きなのです。そこでは、その町の庶民文化を味わえますし、「昭和」にトリップができる気もするのです。

しかし、シャッター通り=歯が抜けたように消えていく商店街=が、最近では目立つどころか、ほとんどが消えていくのです。今、日本で活性化している商店街は、以前の数パーセントと言われています。最近では、シャッター通りは取り壊されか、かつて商店街であったとは思えないような住宅街へと変わりつつあります。昔の「商店街」は博物館入りになるのでしょうか?

こういった痕跡を歩くのは、趣があって楽しいものです。先日、四国のある商店街を歩いていると、聞きなれない天地真理の歌がスピーカーから流れてきました。歌詞をスマホで調べると、「若葉のささやき」(1973年3月21日発売)という曲で、小学2年生だった50年前にトリップできました。

フランスなどの洗練された商店街も美しいのですが、どこか物足りなさを感じます。それは、文字表記がアルファベットということだけではありません。今、海外のしゃれた商店街と日本の猥雑(わいざつ)な商店街を比較すると、構造的にも文化的にも、日本らしさというものがいくつも見えてきます。

「町中華」「純喫茶」「レトロビル」

以下、私の「商店街」論です。昭和の人情商店街は消えていく運命なのか?についても、考えたいと思います。

残るものか?残らぬものなのか? それはわかりません。しかし数は減少していくでしょう。歩きながらその現実を見ると、消えていく運命なのだと思えてきます。一方で、「町中華」とか「純喫茶」とか「レトロビル」といった言葉が生まれてくる背景は何なのでしょうか?

商店街の見方、楽しみ方はいろいろあると思います。私は、その空間や形態に魅力を感じております。また、その発祥や由来など歴史的な流れに目を向けると、見えてくるものもあります。それがわかると、消えていく理由も見えてきます。

一方で、活気がある商店街の裏側を眺めることができたとき、「そういう商店街の存在の仕方もあるのだな」と感心するのです。上の写真は、私が好きなアーケード街(左、市場由来の那覇市の中央通り)、曲線が美しい商店街(右、瀬戸市の銀座通り)です。(訪問診療医師)

メタバース「バーチャルつちうら」17日公開 アバターで疑似体験を

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「バーチャルつちうら」の実演の様子

パソコンやスマートフォンを使って、自分のアバター(分身)がインターネット上にある三次元の仮想空間の中に入り、自転車道「つくば霞ケ浦りんりんロード」を走ったり、湖畔から霞ケ浦を見渡したり、花火を鑑賞したり、施設の中に入って写真展を見たり、観光情報を探すなど、土浦の観光を疑似体験できるメタバース空間「バーチャルつちうら」が17日、公開される。

80種類の中から自分のアバターを選んで入室する。りんりんロードのサイクリングは360度の3D動画で疑似体験できる。仮想空間の中で名産品を販売したり、展示会やセミナーを開催したり、市政情報を発信したりもする。仮想空間にいる他のアバターと会話することも可能だ。

「自転車のまち土浦」など同市の魅力を発信し来訪のきっかけにしてほしいと、土浦市とNTT東日本茨城支店がNTTスマートコネクトと連携して構築した。メタバースを活用する自治体は、愛知県瀬戸市、山梨県北杜市、東京都江戸川区、福岡県福岡市に次いで全国で5番目という。

2022年12月、土浦市とNTT東日本が高齢者のデジタル活用を支援する連携協定を締結したのがきっかけ。その中で、メタバース空間の構築や360度の動画制作に実績のあるNTTスマートコネクトと連携して「バーチャルつちうら」の構築に取り組んだ。仮想空間はプラットフォームの「DOOR」を用いている。

公開を前に16日、土浦市役所で公開イベントが行われ、安藤真理子市長とNTT東日本の松木裕人茨城支店長のアバターが「バーチャルつちうら」に登場、企画の狙いやコンテンツの紹介をした。

その後、それぞれ別室から本人が現れてあいさつ。安藤市長は「土浦の発展のため、たくさんの人が訪れてくれるようにコンテンツを充実させていきたい」と述べた。自分のアバターについては「少し若くてかわいすぎた」と感想を話した。

画面のアバターと一緒にポーズをとる安藤真理子市長(左)と松木裕人茨城支店長

「バーチャルつちうら」には同市のホームページから入室することができる。(榎田智司)

最低制限価格に誤り 入札やり直しへ つくばジオミュージアム清掃業務

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つくば市役所

つくば市は16日、同日開札を実施したつくばジオミュージアム清掃業務委託の一般競争入札で、最低制限価格に誤りがあり、入札を不調にしたと発表した。入札をやり直す。

市ジオパーク室によると、1月29日に入札情報を告示し10社が参加した。電子入札が実施され、開札日の16日、市が予定価格と最低制限価格を開封したところ、最低制限価格が誤っていることが分かった。同価格を算出する際、担当者が予定価格を誤って入力してしまったのが原因という。

市は同日、入札に参加した10社全てに電話で説明し謝罪。再発防止策として、最低制限価格の作成と封入前に、複数での確認を徹底したいとしている。今後、再入札を手続きを進める。

同ミュージアムは筑波山地域ジオパークの体験型展示施設で、昨年11月3日、廃校となった同市北条、旧筑波東中学校校舎西側にオープンした。清掃業務は今年4月から来年3月まで、1階の展示スペースと2階の事務スペース計1200平方メートルを週2回と年2回清掃する業務で、予定価格は178万6966円だった。

紅梅は満開、白梅5分咲き 筑波山梅林

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遠足に来て、梅の木の下でお弁当を食べる子どもたち

17日 梅まつり開幕

最高気温が4月中下旬並みと暖かさが続く中、筑波山中腹にある筑波山梅林(つくば市沼田)では15日、紅梅が満開、白梅が5分咲きとなっている。白梅が満開になるのは2月下旬ごろになると予想されている。今年の筑波山梅まつりは明日17日開幕する。

同梅林は、関東平野を見渡す標高約250メートルに位置し、暖かい日差しが当たる南斜面にある。広さ約4.5ヘクタールに白梅や紅梅などが約1000本植えられており、筑波石といわれる斑れい岩の巨石と梅のコントラストに独特の趣があるとされる。晴れた日は富士山を見渡すことができ関東の富士見百景に選ばれている。1970年に開園、2005年にリニューアルした。

観梅を楽しみながらおしゃべりする観光客

15日は春一番が観測され、同市の最高気温は21.4度と4月下旬から5月上旬並みを記録した。平日にもかかわらず梅林には多くの観光客が訪れ、上着を脱ぎ園内を散策する人の姿が見られた。

地元の沼田地区から訪れた男性(73)は「梅林には散歩がてらにかなりの頻度で来ている。暖冬なのであっという間に満開になりそうだ」と話していた。中国から訪れたという観光客が梅の花をバックに自撮り写真を撮影したり、地元の園児が遠足に訪れるなど、にぎやかな声が響き渡っていた。

17日開幕する第51回筑波山梅まつり(筑波山梅まつり実行委員会主催)は3月17日まで。会期中は、つくば観光大使の出迎え、筑波山名物ガマの油売り口上の実演、3月3日は筑波山水系の地酒を新酒で楽しめる「新酒DE筑波山地酒フェス」が催される。山麓の廃校には昨年11月、筑波山ジオパークの拠点施設「筑波山ゲートパーク」がオープンし、周遊観光による市北部地区の活性化が期待されている。(榎田智司)

◆筑波山梅まつりの問い合わせは電話029-869-8333(つくば観光コンベンション協会)

生きて、社会に抵抗せよ《電動車いすから見た景色》51

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イラストは筆者

【コラム・川端舞】「生きるのは苦しい」。子どもの頃からずっと感じてきたが、なかなか表出できなかった言葉が堂々と書いてあることに、私は心底安堵(あんど)した。社会を変えたいと望みながら、本当の自分をさらけ出す勇気すらない私に、そっと寄り添ってくれるような言葉だ。

1995年生まれのライター、高島鈴さんの初エッセイ集『布団の中から蜂起せよ―アナーカ・フェミニズムのための断章』(人文書院)。

高島さんは本書で、家父長制、異性愛規範、資本主義をはじめとする、弱い個人を追い詰める権力や差別を否定し、社会を変える働きかけ全てを「革命」と呼ぶ。「革命」と聞くと、行動力のある強い人がすることだと思いがちだが、著者によると、日常の中で自分を脅かすものに少しでも抵抗しながら生きることそのものがすでに革命への加担なのだ。

私は、世間のつくった「あるべき障害者像」を恨みながら、少しでもそれに近づこうとする自分が嫌いだ。窒息しそうなほど苦しいのに、誰かに褒められようと、笑顔で頑張る矛盾だらけの自分が大嫌いだ。そんな私に、「生きるのは苦しい」と断言しながら、それでも、たとえ布団から起き上がれなくても、今いる場所で生き延びることが「社会を変える力」だとする高島さんの言葉は響いた。

あなたという存在を伝えて

大げさなことはしなくてよい。家の近くの学校に、心地の良い服装で通う。ほしい情報を自分にとって分かりやすい方法で受け取る。周りから自分らしい名前で呼ばれる。愛し合った人と家族になる。そんな、あなたの望む生き方をすればいい。

しかし、この社会は、健常で、日本語が母語で、自分の性別に違和感がなく、異性愛で…、世間から見た「普通の人」しかいない前提でつくられている。そんな社会で自分という存在が無視されていると感じたときは、ほんの少し勇気を出して、この社会であなたという人間が生きていることを周囲に伝えてほしい。

伝える手段は何でもよい。具体的な行動をするエネルギーがないなら、今を生き延びるだけでいい。生きていれば、誰かがあなたの存在に気づくかもしれない。でも、あなたが死んだら、何も伝わらない。

社会は呆(あき)れるほどゆっくりとしか変わらない。それでも、誰かに生きづらさを押しつける社会を変えたくて、私は文章を書き続ける。私の言葉が小さな波紋となり、会ったこともないあなたと共鳴し合いながら、いつか社会を変える巨大な渦に合流することを願う。(障害当事者)