水曜日, 10月 21, 2026
ホームスポーツ能登の高校生に元気を 筑波大バドミントン部が練習会 OBが呼び掛け 

能登の高校生に元気を 筑波大バドミントン部が練習会 OBが呼び掛け 

筑波大学(つくば市天王台)バドミントン部の部員らが3月30、31日の2日間、能登半島地震で被災した高校生を対象に、石川県金沢市の県立工業高校体育館でバドミントン練習会を開催した。同大バドミントン部OBで、被災地の珠洲市で高校教員として勤務する清水亮輔さん(27)が「被災した子どもたちにバドミントを練習できる機会をつくれないか」と呼び掛けたことがきっかけになった。

清水さんは石川県出身。「震災後、部活動がしたいという生徒がいる中で、体育館が自由に使えないのが現状」という。清水さんによると、能登地区の生徒たちは、現在オンライン授業を活用するなど、学習機会を最低限確保できている一方、部活動に関しては、地震による体育館損壊の影響で、一部のスペースしか利用することができない。バドミントン部の生徒を含め、部活動は週に1回程度。ライフラインである水道はいまだ復旧しておらず、普段通りの生活が取り戻せない状況下で、生徒は自身の進路や大会に向けた練習に向き合っている。

清水さんの呼び掛けをきっかけに、石川県高体連バドミントン専門部、同県バドミントン協会と、筑波大バドミントン部が協働し、開催に至った。清水さんを中心に、能登地区周辺の高校に声を掛け、能登半島の県立輪島高校、七尾高校、飯田高校などのバドミントン部に所属する1〜3年生の生徒が参加した。当日はバスを利用して同校体育館に集まり、両日で延べ150人が練習に励んだ。

筑波大から派遣された部員有志は新入生も含めて12人。部員らで考えた練習メニューをもとに、バドミントンコート6面分ほどの広さの体育館で、男女シングルス、ダブルスなど種目別に分かれて練習を指導した。

練習会に参加した能登地区の高校生と筑波大生(同)

清水さんは、同大バドミントン部に対して「ただ単に活動の場所を提供することだけでなく、参加した高校生が今まで以上にバドミントンに熱中できるよう接してもらうことを期待していた」と語り、「学生のおかげで、実際に参加した高校生の生き生きとした表情や、笑顔で楽しむ様子を見ることができた。制限がある中での生活だが、気が紛れたのではないか。石川のために時間を割いてもらってとても感謝している」と話した。

同大部員らの交通費や宿泊費などの開催費用は「がんばろう能登プロジェクト寄付金」と題して同部が寄付を呼び掛けた。約3週間で個人や法人などからおよそ75万円が集まり、練習会では、参加した高校生に対し、メーカーや有志らによるバドミントン練習用具の提供も行われた。

同大体育系助教でバドミントン部顧問の吹田真士総監督は「高校生には、バドミントンに取り組む瞬間だけは、日常を忘れて夢中になってもらえるよう心掛けて接した。この活動が、高校生たちの背中を押す一歩になれば」と話した。

同大大学院1年で部員の服部嶺さん(22)は石川県出身。バドミントンを通して地元に貢献したいという思いで参加した。「参加した生徒から『震災後初めてラケットを握った』『週1回1時間程度の練習しかできない』などと聞き、バドミントンが練習できる環境が整っていない現状を目の当たりにした」と述べ、「大変な時でも必死に1日を生きようとしている高校生の姿を見て、とても勇気づけられた。今後も地元やバドミントン界のためにできることを考えていきたい」と話した。

同大体育専門学群2年で部員の岡村祐輝さん(20)は、小学生の頃から南海トラフ地震に備えた訓練を経験してきたことで、被災地への支援活動に興味を持ち参加した。「金沢で出会えた高校生や、自分たちが活動するための寄付金など、周囲の助けや縁を感じられた2日間だった。自分たちに何ができるかを常に考えながら活動した」と話した。

参加した高校生からは「地震で週に1回しか練習ができていないため、こういった練習はとても良い機会になった」「自分に足りなかった部分がたくさんあったけれど、筑波大学の先輩たちが丁寧にアドバイスしてくれたおかげで、たくさん吸収できた」という声が寄せられた。一方「校舎の体育館が使えないため、自主練習ができない」という声や、「学校で練習ができない」「体育館が使えるか不安」など、地震の被害を受け、練習施設不足に関する悩みも寄せられたという。

吹田総監督は「自分たちに何ができるのかを考えながら、継続して行動し続けることで、周りに良い影響を与えていきたい。将来的には、高校生だけでなく、小中学生を巻き込んだ活動や、石川県以外の被災地とも連携し、支援の幅を広げていければ」と話した。

清水さんも今後について「自分たちにできることには限界があるが、高校生のためにも、競技力の高い筑波大学の学生の力を借りて、練習会をまた実現させたい」と話している。(上田侑子)

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