水曜日, 4月 2, 2025
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2期目の課題「発信の在り方 根本から検討」五十嵐つくば市長

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選挙後初の記者会見に臨む五十嵐立青市長

【鈴木宏子】つくば市長選で再選を果たした五十嵐立青市長が4日、選挙後初の定例記者会見に臨み。2期目の課題について「広報面」だと述べ「発信の在り方を根本から考えなくてはいけない」などと話した。

五十嵐市長は選挙戦を振り返り「(1期4年間で)かなりの取り組みを行ってきたが知らない方が多かった」「市民から『こういう制度がほしい』と言われ、『そういうのはもうありますよ』という会話を数多くした」などと話した。

さらに、市長選の公開討論会の際も「ほかの候補者の方たちが(市の)基本的な取り組みすらご存知なかった」として、「先方の無知が問題ということではなくて、こちらの周知の仕方に課題があった」と述べた。「選挙前になると多くのデマが飛ぶ。個人でも相当いい加減なことを書く人もいる」とも話した。

その上で「市民が必要としている情報をどうやって届けられるかをあらゆる手段を考えて検討していきたい。従来の市報やホームぺージだけでは不十分というのが問題意識。アドバイザーのアドバイスをいただきながらいい形の発信を考えたい。いろいろなものを組み合わせるなど、相当、本格的にやらないと届けたい人には届かないと思っている」と述べ、「かなりテコ入れをしていく必要があると思っている」と話した。

2期目の退職金「まだ決めてない」

一方、1期目に「市長特権の退職金廃止」を公約に掲げ、22円に減額した退職金を、2期目は受け取るのか否かについては「まだ決めてない」とした。

五十嵐市長は「選挙期間中『(公約を守り22円にして)立派だったね』と言う意見もあったが、数としてはそれ以上に『いい仕事をしたのにもらわないのは逆におかしい』というお叱りも相当数いただいた」と話した。

1期4年ごとに約2000万円が支給される退職金の金額に対しては「4年で2000万は多いと思っている」とする一方、「(22円にして)お叱りの方が多いというのが私の印象」「今の段階で、もらう、もらわないは決めてない」と明言を避けた。

サイエンス専科高校に つくば工科高を大規模改編 23年開校

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つくば工科高校=つくば市谷田部

【山崎実】県立高校の改革プランを進めている県は、実施プラン第Ⅰ期第1部の中高一貫教育校(10校)=19年2月21日付=に続き、新たにつくば工科高校(つくば市谷田部)など4校を対象に、第Ⅰ期第2部の「魅力ある学校づくり」に取り組む。

いずれも2022年~23年にスタート、開校する。特につくば工科高校は大学・研究機関と連携したサイエンス専科高校に大規模改編することから、地元、父母、学校関係者だけでなく、産業界からも注目を集めている。

開設準備委を設置

この計画については、大井川和彦知事が8月の記者会見で概要を明らかにしている。これを受け県教育委員会、つくば工科高校、つくば市教委など関係者は10月28日、「開設準備委員会」を設置し、本格的な実務作業に着手した。

同校における大規模改編の最大の特徴は、県内では初めてで、全国の公立校でも東京以外では初となる「科学技術科」(6学級)を新設すること。研究者や高度技術者、起業家などを目指す「人財」の育成にある。

AIやITの浸透があらゆる面で生活をより良い方向に変化させるという、いわゆるデジタルトランスフォーメーションを視野に、実践・研究を中心としたゼミ形式の課題研究を教育内容の特色とし、県内の大学、研究機関、企業などとも連携していく。

入試も学科試験だけでなく、面談や課題提出の能力などを考慮した選抜方法を考えているとみられ、「中学の時から課題実践を通して、サイエンス分野に関心のある生徒に興味をもってもらうような努力をしながら生徒を募集していく」(大井川知事)としている。

教員の配置については、現体制では十分ではないので、教員以外の、外部からの人材確保を含め準備期間に検討していく。校長に選任についても、公募制に含みを持たせている。さらには校名をどうするか、校名変更などクリアすべき課題は多い。

県内初、全国でもひじょうに珍しいAI分野につながるようなカリキュラムを展開し、AI時代の到来に備えた「人財」づくりに貢献していきたいーというのが県の期待で、つくば工科高校は2023年の新たな開校に向け、学校概要の検討、施設整備など、大規模改編の段階に入った。

《ことばのおはなし》27 本に埋もれて

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【コラム・山口絹記】とある事情で短期間に2回引っ越しをした。それも、荷造りの時間的猶予も与えられない夜逃げのような引っ越しだ。このおはなしに関しては、いつかこのコラムでも書こうと思う。

さて、私は引っ越しが大嫌いである。理由は単純明快。蔵書の箱詰めや整理が苦痛なのだ。我が家にはおそらく1200冊程度の本がある。たぶん、そのくらい…ということにしておく。これでも実家から厳選して運び出した私のお気に入りの蔵書。「趣味は読書です」という一言にも、「毎週図書館に通ってます」から「一度、実家の床が抜けました」まで幅広い規模が想定されることを忘れてはならない。

実家にはおそらく1万冊程の蔵書がある。たぶん、きっと、その程度…だと思いたい。備え付けの壁一面の本棚もあるが、そのようなものはとうの昔に飽和し、虫もわかないほどに隙間がない。増えた本はなんの疑問もなく床や廊下や机やベッドの上に積まれていく。

ちなみに本というのは、背と小口で厚みが異なるため、高く積み上げると崩れる。そのため折を見て向きを変えて積み上げる必要があるのだ。大切なライフハックである。

一度病気をして、服や雑多な荷物は処分したが、本だけは処分できなかった。これが煩悩というやつなのだろう。たまに実家の母と話すと、決まって蔵書のおはなしになる。「私が死んだらこの本は…」「いや、死ぬ前から行動に移さないと間に合わないでしょ…」というような不毛な会話がお約束のようになされる。最近では貸倉庫の話まで出てきて、いよいよ悲壮感が漂ってきた。

記憶のなかの本たちの中を漂う

妻は私の部屋に入ると、「この部屋の床、傾いてる気がする」と言って出ていく。蔵書の重みを心霊現象のように表現するのはやめてほしい。この建物は鉄筋コンクリート造りだ。きっと大丈夫。

実家の大量の書物のことを考えると、今も気分が落ち込んで、夜も寝れなくなることがあるのだが、気がつくと本屋に行って書物を抱えてニヤニヤしてるし、Amazonからは自然現象のように定期的に本が届くし、カウンセリングとか受けたほうがよいのだろうか。これ多分、心療内科的案件だと思う。

賢い友人には、「図書館使えばいいじゃない」「電子書籍にしたら?」「定期的に処分しなきゃ」と言われるのだが、図書館は利用しているし、定期的に処分はしている。そして、電子書籍の所有数はすでに考えたくない量になっている。

このようなおはなしをしたとき、一般的な反応としては「よくそこまでたくさんの本を読めますね」というものかと思う。しかし、読書というのはそもそも最初から最後まで読み通す必要はない。

本の中のことばが、別の本の中にあることばと結びついて、気がつくと、1冊の本ではなく、蔵書という本棚全体を、今は所有していない記憶のなかの本たちの中を、ことばの海を漂うように、流れに身を任せながら読んでいる。これが私にとっての読書なのだ。(言語研究者)

頑張る土浦応援花火打ち上げ サプライズなのにファン参集

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打ち上がる土浦応援花火、右は土浦市街地の街明かり=土浦市田村町で撮影

【相澤冬樹】悪疫退散! コロナに負けるな! と打ち上げる「頑張る土浦応援花火」が3日夜、土浦市の霞ケ浦畔を会場に行われた。「3密」対策から、打ち上げ場所を伏せてのサプライズ花火だったが、地元の花火ファンたちはどこからか情報を聞きつけて、続々と会場付近に参集。30分間、1200発の花火が織りなすショーに見入った。

89回目を迎える今年の土浦全国花火競技大会は市制施行80周年記念の節目の大会となるはずだったが、新型コロナウイルスの影響で中止となった。応援花火はその代替として、一部競技要素を盛り込んでの開催。競技大会の目的である花火技術の維持向上を図るとともに、各地の花火大会の中止で苦境に陥った業者への支援を掲げている。

市内ではこれまでに、9、10月の2回開催されているが、10号玉やスターマインなど1200発を打ち上げる今回が最大規模。例年、競技大会に出場している北海道から鹿児島まで52業者が参加した。花火は同大会の実行委員会が管理して打ち上げる。例年の開催場所から桜川を下った霞ケ浦の河口部に、台船4台をつなげて特設した。

「会場は霞ケ浦」との情報を聞きつけた市民ら土浦の花火ファンは、早々に霞ケ浦総合公園などに集まり、対岸の湖岸堤にあるつくば霞ケ浦りんりんロード側にも車列ができた。前夜の雨も昼には上がり、曇天ながら無風に近い花火日和となった。

日のとっぷり暮れた午後6時半、最初の1発が上がり、短い間隔で10号玉が夜空に散っていく。マスク姿で見上げる観客から歓声が上がり、ため息が漏れた。「土浦の花火」は2年連続して事故で途中打ち切りになり、今年はコロナ禍で中止、地元の花火ファンは花火に飢えていた様子だ。

今回は、10号玉の部36作品と、75発構成のオリジナル花火の部16作品の2部門で競うオンライン花火競技大会の趣向もある。応援花火で打ち上げた分を録画するなどして、12月7日から20日、動画投稿サイトのYouTube(ユーチューブ)で配信する。一般投票も行われ、各部門の上位者に賞金も用意する。

湖上遊覧船より入沢弘子さん撮影

「土浦を次の世代に」 市制施行80周年式典で安藤市長

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市制施行80周年記念式典であいさつする安藤市長=クラフトシビックホール土浦

【相澤冬樹】土浦市の市制施行80周年を記念する式典が3日、同市東真鍋のクラフトシビックホール(土浦市民会館)で開かれた。コロナ禍のため市民一般には呼び掛けず、自治体関係者を中心に約300人を集め行われた。安藤真理子市長は「歴史と文化のまち、土浦を次の世代に引き継いでいく」と力強くあいさつした。

式典の開会を告げた刻の太鼓=同

式典は刻(とき)の太鼓で幕があがった。17世紀中期の明和年間制作と伝わる。2000年、市制施行60周年を機に市民の手で修復された。約250年経った今日でも6月の「時の記念日」を中心に土浦城櫓(やぐら)門で打ち鳴らされている。「歴史のまち」土浦を象徴する市指定文化財だ。

こうした歴史を踏まえ、安藤市長は「つくば霞ケ浦りんりんロードや水郷筑波国定公園、レンコンをはじめとする農産物など誇れる資源に磨きをかけ、土浦に新たなにぎわいの呼び起こしを図りたい」と式辞を述べた。来賓あいさつの大井川和彦知事、衆院議員らも口々に、全国花火競技大会とレンコン、りんりんロードを地域資源として生かすまちづくりを訴えた。

この日招かれたのは県内や姉妹都市の自治体関係者が中心。市民では自治功労などで表彰を受ける個人や団体・企業の代表が出席した。自治表彰で7人、市政特別功労で22人をはじめ、福祉や保健衛生、教育などの分野で功績があったとして計240人、242団体・企業に表彰状、感謝状が贈られた。

同市は1940(昭和15)年11月3日、土浦町と真鍋町の合併により県内3番目の市(人口3万5567人)として誕生した。水害や戦災を経て県南の商都として発展したが、オイルショックやバブル崩壊、リーマンショックなどの影響から市勢は停滞。2006年、新治村と合併(14万4106人)し、近年ではりんりんロードの結節点としてサイクリング客など交流人口を増やしている。7月1日現在の常住人口は13万8173人。

《雑記録》17 3匹の子豚の物語 理想の戸建ては? 

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【コラム・瀧田薫】長男ブーは藁(わら)の家、次男のフーは木の家、末っ子のウーは煉瓦(れんが)の家をそれぞれ建てたそうだ。ある日、オオカミがやってきて、3匹は家に逃げ込んだが、頑丈な家に隠れたウーだけが助かった。

このお話、原作はイギリスの民間伝承らしいが、いろいろ変更が加えられ世界中に広まったようだ。賢いウーだけが助かる結末はどこでも同じだが、家の材料は国によって違う。まあ、そうでしょうね。地震の多い所で煉瓦の家がベストとも思えませんからね。

ところで、もし今の日本にウーがいたとしたら、どんな家を建てるでしょうか。賢いウーですから、地震や台風に備えて、基礎や構造のしっかりした家にするはずです。でも、お金持ちではないし、子どもの教育費も考えて、新築は諦めるかもしれません。

日本には空き屋が846万戸(2018年総務省統計)もあります。「質の良い中古の木造住宅」を探し出すことは可能でしょう。ウーであれば、それを上手にリフォームして、新築よりはるかに安いコストで、楽しく、豊かな暮らしを手に入れるのではないでしょうか。

住宅投資累計を下回る住宅資産

ところで、2013(平成25)年、国土交通省の肝いりで、「中古住宅の流通促進・活用に関する研究会」が立ち上げられ、同年、研究会提言が発表されました。提言の中身は現状認識と対策の二つに分かれています。

1.英米では、住宅投資の累計額を上回るストック(住宅資産)が形成されているのに、日本では住宅投資累計額より500兆円程度下回るストックしか形成されていない。

2.木造住宅は約20年で価値ゼロという「常識」が中古住宅市場にも担保評価にも「共有」されており、ストック形成を妨げている。建物評価の適正化を図る必要がある。

さて、住宅ストックが貧しい理由は単に建物評価の不適切さだけではありません。現状、空き屋が800万戸以上もあるのに、2015年以降、毎年90万戸以上(2018年国交省統計)もの新築住宅が建てられており、これが既存住宅の資産価値を下落させています。欧米では住宅数の総量規制をしていますが、日本政府は、新築をむしろ助長しています。

住宅建設の経済効果は、住宅投資額に対する生産誘発額が約2倍あるそうですから、成長経済志向の政府からすれば、GDP(国内総生産)、雇用、税収に悪影響を及ぼす住宅建設の抑制などもっての外でしょう。

一方、提言は、明言を避けてはいますが、政府の経済政策には批判的です。つまり、人口が減少し経済成熟が進行している事実を見据えて、ストック重視(資産による豊かさ志向)の経済への転換を示唆しています。これを一種の社会改革提言と読めないこともありません。賢いウーに、日本の未来はどうなるか、聞いてみたくなりますね。(茨城キリスト教大学名誉教授)

ロッテでの活躍誓う アストロプラネッツ小沼

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ロッテ・井口資仁監督の色紙とサインボールを手にする小沼選手。左は永野部長、右は中川隆治スカウト

【池田充雄】今年度のプロ野球ドラフト会議で、千葉ロッテマリーンズから育成2巡目で指名された、ルートインBCリーグ・茨城アストロプラネッツの小沼健太投手(22)。2日、ロッテの永野吉成スカウト部長ら3人が、土浦市大町にあるアストロプラネッツ県南事務所を訪れ、山根将大代表や小沼投手らに指名あいさつをした。

永野部長は小沼投手について「力のある中継ぎが欲しいという思惑に合致した。若く、スピードボールのある大型投手で、体をつくり直してパワーアップすればもっとスピードも上がる。しびれる場面でもぴしゃっと抑え、名前を呼ばれたら相手が観念するような選手になってほしい」と期待を込めた。

あいさつを受けた小沼投手は「今になってほっとしている。これからNPB(日本プロ野球)に行くんだという実感が湧いた。ロッテは地元で小さい頃からよく見ており、12球団の中で一番強く希望していた。1年目での支配下登録をマストに、将来は日本代表に入れる投手になりたい」と喜びを語った。

山根球団代表は「球団にもひじょうにいい影響があった。スポンサーや応援してくれたファンの方々も涙を流して喜んでくださり、入団希望者からの問い合わせも一気に増えた。本人の努力が一番だが、皆さんが育ててくれた選手であり、良い報告ができたことは球団を作った甲斐があった。われわれは茨城を野球で盛り上げることがスタート。スカウトの注目を浴びる選手もまだまだたくさんおり、指名が毎年続く球団にしていきたい」と発展を誓った。

小沼投手は千葉県出身。県立東総工高卒業後、BCリーグ埼玉武蔵ヒートベアーズに入団。昨季からアストロプラネッツに所属し、右のエースを務めてきた。今季から中継ぎに転向。身長189センチ・体重86キロ、右投げ右打ち。

「スター」を目指し、ポーズをとる小沼選手

小沼選手に抱負を聞いた。

—今季、どう成長したか。

小沼 フォームを変えたことと、体が大きくなった影響でバランスが取れず、前半は難しかった。が、後半は上げていくことができ、中継ぎでゼロで抑えたことが多かった。リリースポイントを高くして投げ下ろすことで、ストレートで空振りを取ることが増えた。

—中継ぎへの転向の理由は。

小沼 今までの自分を変えられるのではとコーチと話し合って決め、転向後初めて150キロを出すことができた。いい変え方ができた。中継ぎで150キロを出せた。ピンチでの登板が多いので、いい緊張感がある。まずは中継ぎでという意識だが、任せられればどんなところでも対応したい。

-NPBへの期待は。

小沼 パ・リーグは1チームにいい打者が何人もいるイメージ。テレビで見ていたいろんな打者と、楽しみながら対戦したい。オリックスの榊原翼や西武の伊藤翔らは地元も学年も一緒で、独立リーグや育成出身なのも同じ。楽天1位指名の早川陸久は地元で一緒に練習もした。こういう身近な相手には特に負けたくない。

高齢者に電動車いすを貸与 経産省 普及へ つくばで実証事業

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シニアカー型電動車いすに乗る女性=つくば市内

【川端舞】高齢者に電動車いすを貸し出し、効果や課題などを把握する経産省の実証事業がつくば市内で実施された。「のろーよ!デンドー車いすプロジェクト」で、電動車いすの普及促進と安全性の周知を行うことも目的。実際に利用してみた高齢者からは「移動に便利」という声が上がる一方、「歩道が狭い」など普及促進における問題点も明らかになった。

電動車いすの利用促進は、高齢者の活動を促すだけでなく、免許の返納などにもつながる。しかし障害者や要介護度の高い高齢者による利用が一般的とされており、社会の理解が普及に向けた課題となっている。

そこで経産省は、地域の高齢者に電動車いす(シニアカーを含む)を3週間貸与し、高齢者の活動に与える効果や、地域で活用する上での課題を把握するとともに、安全な利用に関する周知を行っている。

つくば市は今回の事業に応募。事業終了後も電動車いすを用いた取り組みが具体的に検討されている点などから、全国の他の4市とともに実証地域として採択された。

「一人で服を買いに行きたい」

10月12日~11月1日の3週間、同市千現と宝陽台地区に住む13人に電動車いすが貸与された。参加者には要介護認定を受けていないが、長距離歩行等に不安を持つ高齢者も含まれる。

片手で運転するタイプの電動車いすを借りた80代男性は、以前は自分で車を運転していたが、1年ほど前に息子に説得され、免許を返納した。妻と2人暮らしで、普段は杖を使って歩くか、バスに乗ることが多い。日用品の買い物や病院に行くにも歩いて片道20~30分かかり、なかなか気軽に出掛けられない。「親戚などが近くにいないため車での送迎を頼める人もいない。自分で車いすを買おうと思っていた。電動車いすの運転にもう少し慣れてきたら買い物や通院に使ってみたい」と話す。

両手で運転するシニアカー型の電動車いすを借りた70代女性は、以前は自分で車を運転していたが、今は体調を崩し、運転を止めている。普段は買い物や通院など週2回の外出時は、夫の運転する車で行っている。「夫と一緒だと食料品しか買えない。電動車いすに乗って、1人で外出できるようになったら、服なども買いに行きたい」と語った。

他にも「買い物やごみ出しなど大きな荷物を運ぶ時に便利」「いつもより遠くまで行けた」「自分で歩くよりも安定しているため、周りの景色を楽しめた」などの感想が聞かれた。

一方、参加者からは「歩道が狭くて通れないところがある」「店に入るとき、特にシニアカー型は車いすのまま入店できず、駐輪場に止めるスペースもない」など、今後普及させる上での課題も上げられた。「便利だけど、自分の足で歩けるうちは歩きたい」という声も多数あった。

経産省、普及の後押し検討

経産省の担当者は「『電動車いすが便利だと分かる』と『実際に電動車いすを使う』の間にはギャップがある。それを解決するのが、電動車いすのシェアリングサービスなのか、個人所有を後押しする購入補助なのか、様々な方法を視野に入れて、検討していきたい」と話す。

現在、高齢者が電動車いすを使いたい場合、介護保険制度を利用し、1割負担で借りることができる。今年8月時点で同制度を利用し、つくば市内で電動車いすを借りている高齢者は63人。

つくば市未来構想では「ライフスタイルに合わせた多様な移動手段の構築」を掲げている。市科学技術振興課の担当者は「未来構想に基づいて、高齢者に電動車いすを普及させることも今後検討していきたい」と話している。

《吾妻カガミ》93 つくば市のキーマン2人が続投

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筑波大学㊧とつくば市役所

【コラム・坂本栄】選任の仕方は違いますが、つくば市のキーマン2人の続投が決まりました。1人は筑波大学学長の永田恭介さん、もう1人は市長の五十嵐立青さん。続投決定、おめでとうございます。今回はお2人の選任と実績の話にします。

筑波大学長 数々の実績>伝統的選び方

永田さんの続投決定までの経緯については、本サイトの「永田学長を再任 筑波大 選考プロセスの正統性問う声噴出」(10月21日掲載)をご覧ください。紛糾の背景には、<実績ある永田さんに続投してもらうために選任方法を変えよう>対<伝統的かつ民主的な従来の投票方式で選ぶべき>という、学長選びの考え方の違いがあったようです。

この動きを見ていて、6年前の永田学長インタビューを思い出しました。当時発行されていた常陽新聞の「キーパーソン」にQ&Aが載っていますが、私は取材後記で「永田さんは学長というよりも社長という感じがする(もっとも英語では学長も社長もプレジデント)。そこで、最近の国立大学長のタイプを聞いたところ、永田さんは『プラクティカルな方とフィロソフィカルな方がいるが、前者が多い』とコメント…」と書いています。

どうやら、「プラクティカル」な永田さんは「社長」として大学を「経営」、数々の実績(国立大学協会の会長に就任、防衛省の研究費を受け入れ、念願の『指定国立大』入りが確定など)を評価した先生方が続投を画策したところ、伝統的で「フィロソフィカル」な大学運営にこだわる先生方が反発した―といった構図だったようです。

結局、続投を狙った「プラクティカル」派が勝ったわけですが、学長の任期制限が外されたことで、筑波大がプーチン大統領のロシア、習近平主席の中国のようなイメージで見られるようになるかもしれません。また、「フィロソフィカル」派の怒りのマグマが大学に内包されることも考えられます。こういったリスクを承知して、永田「社長」がなぜ続投を受けたのか、どうして経営センスのある後継者を育てなかったのか、不思議です。

つくば市長 実績は不足?<現職の強み

つくば市長選の結果については、「現職の五十嵐氏再選」(10月25日掲載)をご覧ください。現職の強みを生かした五十嵐さんは、対抗馬の知名度・準備不足もあり、民主的な選挙で圧勝しました。ただ、永田さんと違い、「実績集」「経営力」では挑戦者2人の厳しい評価も受け、「?」の感を残しました。

この4年間、五十嵐市政はいろいろな話題を提供してくれました。本コラムでも取り上げた「看板公約・運動公園問題が未解決」(8月17日掲載)、「新型コロナ禍対応の不手際」(5月4日掲載)、「指定管理者選定で迷走」(2019年3月4日掲載)、「空振りに終わった駅前空きビル再開発」(2018年11月5日掲載)などです。引き続き面白いネタを期待しています。(経済ジャーナリスト)

参考】永田学長インタビュー(上)は2014年8月18日付常陽新聞、同(下)は同8月25日付。つくば市と土浦市の図書館で閲覧できます。

サンガイア、昨季王者の富士通に苦杯

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第2セット、上場が打点の高いスパイクを放つ(撮影/高橋浩一)

【池田充雄】バレーボールVリーグ2部(V2)男子のつくばユナイテッドサンガイア(SunGAIA、本拠地つくば市)は10月31日と11月1日、ホームゲーム土浦大会2試合を、土浦市大岩田の霞ケ浦文化体育会館で開催した。31日はヴィアティン三重(桑名市)にセットカウント3-0で勝利したが、1日は昨季王者の富士通川崎レッドスピリッツ(川崎市)に0-3で敗れた。今季通算成績は2勝2敗。

2020-21 Vリーグ2部男子 第4戦(11月1日、霞ケ浦文化体育会館)
つくば 0-3 富士通
17-25
19-25
23-25

つくばはここまでホームの声援を後押しに2連勝を挙げ、勢いに乗って富士通に挑んだが、勝利には届かなかった。

第1セットのつくばは浜崎勇矢がセッターを務め、テンポが良く振り幅の大きいトス回しで、オポジットの上場やミドルブロッカーの廣瀬優希らが得点を重ねた。だがセット中盤から富士通が流れをつかむと、つくばを上回る多彩な攻撃で、的確にブロックの隙間を打ち抜くようになった。

第1セット、阿部主将のスパイクはクロスに決まる(撮影/高橋浩一)

つくばは第2セット中盤から土井友登をセッターに起用。浜崎のトスのテンポに富士通が慣れてきたため、相手のブロックを見て柔らかいトスを上げる土井の良さを生かそうという作戦だ。第3セットに入ってこれが奏功し、上場のバックアタックや廣瀬のブロックポイントなどでつくばがリードする展開。ただし最後は競り合いながらも相手の攻撃力に押し切られた。

「昨季も上位チームに苦杯を喫しており、上回るにはさらなる努力が必要。それを再認識したゲームだった」と五十嵐元監督は振り返る。

両チームとも目指すバレーは近いが、富士通の方があらゆる面で少しだけ上回っており、それが結果に表れた。阿部航平主将は「富士通の速い攻撃に対策が遅れ、終始劣勢になってしまった。それに対し、相手はこちらの攻撃に素早く対応してきた。その差が出たのではないか」と分析。

上場雄也は「富士通は強いが、無理な相手ではない。今日は守備の意思疎通が悪く、ブロックのサインが通ってなかったり、レシーブのポジション取りができてなかった部分があった。6人全員でしっかり守れれば、どのチームと戦ってもいい試合ができると思う」と、修正すべきポイントを挙げた。

次回ホームゲームは1月16、17日、つくばカピオ(つくば市竹園)で開催される。

第3セット、最後まで強い意気込みで戦うつくばの選手たち(撮影/高橋浩一)

戦う姿から感じてもらえたら

今後の戦いに向けて、五十嵐監督に聞いた。

ー今後の構想は。

五十嵐 チームとして総合的な力を高めたい。ここまでは上場が中心になって効果的なプレーができていたが、一人に集中しなくても突破できるような、的を絞らせない攻撃がしたい。それを今日は相手の方ができていた。

ー今季「変革」というスローガンを掲げている。目指すチームの姿は。

五十嵐 勝利やプレーのパフォーマンスはもちろんだが、それに留まらない何かを発信していきたい。われわれの大きな目的の一つは、茨城に元気を届け、バレーボールの価値を発信すること。目先の勝ち負けばかりに目が行っていると、その部分が抜けてしまいがち。新しく参入したチームが盛り上がりを見せる中、自分たちも負けてはいられないと選手に話している。

—勝利だけに留まらない価値とは。

五十嵐 観客に勝利を届けるのは第一だが、負けた時に何を伝えられるのか。去年は自問自答する部分が多かった。選手は必死にやっているが、にじみ出てしまう雰囲気というものがあった。感動というと大げさだが、戦う姿から何かを少しでも感じてもらえたら。それがわれわれの役割の一つだと思う。

《霞月楼コレクション》9 東郷平八郎 霞ケ浦を愛した日露戦争の英雄

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霞月楼

【池田充雄】霞月楼の「すみれの間」に、東郷平八郎海軍元帥の書「感神明」がある。東郷は霞ケ浦海軍航空隊が気に入って、たびたび阿見を訪れては霞月楼に立ち寄り、ここで遊んだという。店内では最も小体な8畳の部屋だが、3畳の脇間と2畳の畳縁も備えた粋な造り。美丈夫として名高い東郷は、若い頃は料亭遊びが盛んで何日も居続けたというが、当時はすでに70代半ば。軍神の鎧兜を脱ぎ、穏やかにくつろぐ一時だったに違いない。感神明の書は自ら揮毫して「ここに掛けておきなさい」と言い置き、以来ずっとすみれの間に掲げられている。

霞月楼すみれの間にある東郷の書「感神明」

丁字戦法でロシア艦隊を撃破

東郷平八郎

東郷平八郎は1848(弘化4)年、薩摩藩士・東郷吉左衛門の4男として鹿児島市加治屋町に生まれた。初陣は1862(文久3)年の薩英戦争。戊辰戦争では三等砲術士官として薩摩藩の軍艦「春日丸」に乗り、1868(慶応4)年の阿波沖海戦や1869(明治2)年の箱館戦争で幕府軍の艦隊と交戦。これが日本における近代海戦の始まりとされる。

1894(明治27)年の日清戦争では巡洋艦「浪速」艦長として豊島沖海戦、黄海海戦、威海衛海戦などで活躍。1904(明治37)年2月10日に日露戦争が始まると、連合艦隊司令長官として旗艦「三笠」に座乗し、旅順港封鎖作戦や黄海海戦など主要作戦全般を指揮。同年6月6日には大将に昇進した。

戦況を打開すべくロシアはバルチック艦隊を極東に派遣するが、1905(明治38)年5月27日早朝、連合艦隊はこれを対馬沖で迎撃。一列単縦陣から会敵直前に突如回頭、敵艦隊と並走しつつ砲撃を加える「丁字戦法」で完勝を収めた。

この日本海海戦で、世界屈指の戦力を誇るロシア精鋭艦隊を撃破し、日露戦争を勝利に導いた東郷は、世界的な名提督として「アドミラル・トーゴー」「東洋のネルソン」などの名で賞賛され、国民の尊崇を広く集めた。

1905(明治38)年から5年間、海軍軍令部長。1913(大正2)年、元帥に昇進。1914(大正3)年から7年間、東宮御学問所総裁を務めた。その後も海軍の長老として影響力を発揮、1934(昭和9)年に86歳で逝去した。

航空隊創設前の霞ケ浦を視察

東郷は1921(大正10)年9月28日、皇族で海軍大将の東伏見宮依仁親王の随行員として阿見を訪れている。同行は加藤友三郎海軍大臣、野村吉三郎大臣副官、山下源太郎軍令部長ら。ここには霞ケ浦海軍航空隊の創隊に先立ち、同年4月6日、臨時海軍航空術講習部が設置されていた。

第一次世界大戦後、軍部は航空機の重要性を痛感し、海軍は1916(大正5)年、横須賀鎮守府に最初の航空隊を設置。次いで本格的な教育訓練を始めるため、飛行場の展開が容易で水上訓練にも適した阿見の地が選ばれた。指導者養成のための教官団も英国から派遣され、ウィリアム・フォーブス=センピル大佐以下約30人、いずれも航空機の操縦ほか整備、兵器、爆撃、偵察、写真、落下傘などの専門家揃いだった。

東伏見宮ら視察団一行はセンピル大佐の案内で、教官団と共に日本に来た各種飛行機や、隊員らの飛行訓練などを視察。講習部本部前ではそれぞれ記念植樹をしたが、これらは戦中から戦後にかけて枯死し残っていない。

土浦に数多く残る東郷の書

国立病院機構霞ケ浦医療センター(土浦市下高津)の応接室には、東郷の書「制機先」が掛かる。1941(昭和16)年に霞ケ浦海軍病院として開設した経緯から、出征迫った軍人が託したという日本刀や短剣なども保存され、雑記帳には戦時中に慰問に訪れたのか「赤毛のアン」などの翻訳で知られる村岡花子のサインもある。

霞ケ浦医療センターにある東郷の書「制機先」

「当院は海軍病院時代に予科練の学生を多く治療した。その中には戦争末期に特攻隊に行った人もたくさんおられ、彼らの犠牲の上に今の日本がある。そういったルーツを持つ病院であることを誇りに思い、歴史を発掘し続けている」と、山口真也部長は話す。

霞月楼が所蔵する東郷の掛軸

土浦で常陽運送を営んだ秋元梧楼は俳人として知られ、小林一茶の句を夏目漱石が揮毫し、小川芋銭が俳画を添えた「三愚集」を編んだほか、東郷への崇拝から「東郷義会」という団体を結成し活動した。彼が結んだ縁により、市内には東郷の書が多く残るという。県立土浦一高(土浦市真鍋)にある「質実剛健」の額もその一つだ。

●取材協力・参考資料
国立病院機構霞ケ浦医療センター▽県立土浦第一高等学校▽陸上自衛隊武器学校▽陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地▽土浦市立博物館▽「阿見と予科練」(2002年、阿見町)▽阿見町民話調査班「爺さんの立ち話」(2003年、阿見町)▽阿見町郷土戦史調査会「日露戦役あれこれ」(2005年、阿見町)▽永山正「土浦町内史」(1989年、土浦市)▽東郷神社ウェブサイト▽記念艦三笠ウェブサイト▽ウィキペディア

シリーズ協賛 土浦ロータリークラブ 土浦中央ロータリークラブ

《介護教育の現場から》1 介護福祉士養成学校のいま

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家政学実習準備
岩松珠美さん

【コラム・岩松珠美】今年の春先は未知なるコロナ感染症の流行に見舞われた。皆が今の日常生活の当たり前さについて見直しを迫られている。

文部科学省の学校基本調査(2016年)によると、高校を終えた約116万人の進路は、大学が54.7%、専修学校が16.4%という。その中では、医療系の国家資格が取れる学科や専攻が人気のある分野と聞く。しかし、介護福祉や社会福祉について専門的に学び、介護福祉士や社会福祉士などの資格取得を目指したいと思う生徒は決して多くはない。

介護福祉士養成施設協会の報告(2019年)によると、加入している大学、短期大学、専門学校を卒業して、福祉現場に就職した学生は5697人。そのうち、17%が職業訓練生、6.7%が外国人留学生だった。

そのような状況の中で、私は今春、新3K(きつい、汚い、給料安い)といわれる介護現場のイメージをどう払拭できるかよりも、介護の仕事は「多くの人々の生き様に触れる『感謝と感動の仕事』である」ことを伝えたいと思い、介護福祉士を養成する新設の専門学校に赴任した。迎えた学生は全員が留学生の10人。

実践の場での学びが大事

感染症予防をしつつ、多くの大学、短大、専門学校がオンライン授業や課題自己学習指導で新学期を始めた時期に、私たちは通常対面式の授業・演習開講を決め、5月から学生を迎え入れた。感染対策として、検温、体調確認、手指のアルコール消毒を入口で確認してから、50席以上入る教室に10人が離れて座ってもらい、教室換気の手順も徹底して実施した。

介護教育では、2年間の修学期間(約2000時間)のうち、社会福祉関係施設で450時間の実習をすることが必要になっており、実習がカリキュラムの根幹を占めている。つまり、福祉の実践場での学びを重要視している。

コロナ禍の2020年度は、厚生労働省から、学内での介護実習内容に相当する授業・演習を介護実習と見なすという通達があったが、こういう状況下で、学生の現場実習を受け入れてくださった施設に深く感謝をしている。

オンラインゲームやSNSが普及した今、いろいろな世代とコミュニケーションを深めることがとても大事である。こういったツールも使いながら、介護分野での生徒のやりがいや感動を育てていくことが、現場の要請を担う専門学校の使命と思っている。(つくばアジア福祉専門学校 校長)

【いわまつ・たまみ】同志社女子大学(栄養生化学)卒。女子栄養大学大学院修士課程(食生態学)修了。老年看護学、地域看護学に研究分野を拡げ、大学や専門学校で教育に携わる。管理栄養士、社会福祉士、精神保健福祉士、介護福祉士、看護師。著書に「六訂栄養士・管理栄養士をめざす人の社会福祉」(みらい出版、2020)など。現在、つくばアジア福祉専門学校(土浦市東真鍋町、2020年5月開校)校長。1961年、長野県生まれ。

《遊民通信》3 オンライン講義の本当の意味と影響

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【コラム・田口哲郎】
前略
コロナ禍でオンライン授業を受けた体験から、IT技術が大学の学知に及ぼす根本的価値転換について前回お話しました。では、学生がキャンパスに通わなくなることでどのような影響が出ると考えられるでしょうか?

キャンパスに通えないことで、学生は他の学生と従来のような対面交流ができなくなりました。オンライン授業では言語情報のやり取りはできますが、人間のコミュニケーションは言語情報だけで成り立っているわけではありません。臨床心理学では、人間の交流にラポール(rapport)が必要だとされています。ラポールは言葉以外の情報から人同士の間に生まれる信頼関係を指し、交流の前提です。

まだオンライン化元年ではありますが、オンラインでラポールを築くのは、対面よりかなり困難だなというのが率直な印象です。コロナ禍以前、大学生は仲間とつるんで、無駄なことをしゃべるゆとりがありましたが、それは実は無駄ではなかったのではないかと思います。

テレビでよく見るタレントに実際会ったこともないのに親しみを感じ、その訃報に接して落ち込むことがあります。例えば、志村けんさんのように。だから、オンラインでもラポールは築けるのではないか? という疑問がわきます。しかし、志村さんと私の間に信頼関係は当然ありません。逆に、オンライン化によって、大学で親しみを感じるけど、信頼関係がない仲間が増えるかもしれません。

学園の起源 プラトンのアカデメイア

学園の起源は紀元前387年にアテナイ近郊にプラトンが開いたアカデメイアです。師匠と弟子達は寝食を共にし、議論し、独自の学説を作り上げました。プラトンの師ソクラテスまでは哲学者は無派閥でした。アカデメイア以後、明確な学派が生まれるのです。

ソクラテスは市民の耳に痛いことを平然と述べ、倫理を説きました。結果、裁判で無実の罪を着せられ服毒処刑されました。プラトンは衝撃を受け、哲学者の身を護(まも)る意図もありアカデメイアを造ったと言われます。学園には学生の表現の自由を保障する役割があったのです。

もしそうなれば、人類が2000年以上かけた進歩が元の木阿弥(もくあみ)です。それはあまりにも悲しいですね。でも、嘆いてばかりもいられません。これからのことについては、次の便で。ごきげんよう。
草々(散歩好きの文明批評家)

11月の週末はアクティブに 筑波山・霞ケ浦周辺トライアルツアー募集中

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自然の中で楽しむカヌー体験などプログラム満載(写真提供:NPO法人Next one)

茨城県は11月の週末を中心に、筑波山・霞ケ浦周辺エリアでの一般向けのトライアルツアー「Mount Tsukuba(マウント・ツクバ) PLAY2020」を特別開催する。地域の魅力を堪能しながらロングライドを楽しめるサイクリングツアーをはじめ、子供向けプログラムや親子コンサートなど、さまざまなアクティビティープログラムやガイドツアーを行う。オンラインで参加予約を受け付け中。

県は18年度から3カ年計画で「筑波山・霞ケ浦広域エリア観光連携促進事業」を実施し、周辺エリアの魅力発掘と発信に関する施策に取り組んでいる。その一環として行われる企画で、昨年度に続く開催となる。

イベントのラインアップは次のとおり(以下の表示料金は税込み)。申し込みの特設サイトはこちら

筑西市のサイクリングロードから筑波山を望む(茨城県提供)

◆筑波山&霞ケ浦1泊2日スポーツ体験ツアー 11月7日(土)〜8日(日)1泊2日
筑波山登山や桜川でのカヌー体験など、親元を離れて子供たちだけで過ごす秋の大冒険。専門ガイド同行の県内小学生対象のスポーツ体験ツアー。料金は子供(小学生限定)2万9000円、定員は15人。

◆湖畔の小さなまちで過ごすフォトジェニック旅 11月14日(土)、15日(日)2日連続
かすみがうら市在住のスローフォトグラファー、atacamakiさんと出かける、カメラ女子のための2日連続開催の撮影旅行。湖畔周辺の美しい写真スポットをレンタサイクルでめぐりながら、プロのテクニックを学び、写真の楽しみを満喫できる特別プログラム。2日プラン料金は1万5000円(宿泊代金別)、1日プラン7500円。対象は中学生以上、定員15人。

◆つくば森のごろんコンサート 11月21日(土)
音楽と自然を堪能できる親子のためのコンサート。森林インストラクターでもある森のシンガーソングライター、山田証さんの生演奏。落ち葉の上に寝転んだり、一緒に歌ったりと自由なスタイルで楽しむ。料金は大人4500円、子供(小中学生)3500円、乳幼児無料。県内在住の親子限定で、定員は30人。

◆筑波山を望むのんびり小貝川と下館まち巡りサイクリング 11月22日(日)
絶景スポット・母子島遊水地(筑西市)から望む「逆さ筑波」をはじめ、県南西部のスポットを地元ガイドと自転車でめぐる、約37キロの中距離サイクリングツアー。のどかな景色が広がる小貝川沿いをゆったり走る、サイクリングビギナーにもおすすめのプログラム。対象は中学生以上で、料金は4500円、定員は30人。

霞ケ浦りんりんロードを土浦駅方面へ走る(同)

◆霞ケ浦・北浦・つくばを巡るロングライドツアー 11月28日(土)、29日(日)2日連続
サイクリングとクルージングを組み合わせた新たな自転車の楽しみ方「サイクルーズ」、霞ヶ浦を舞台に提案する。船に自転車を積み込みクルージングしたあとは、自転車で豊かな自然や地元のおいしいものを満喫する。 2日連続、総走行距離100キロのサイクリングツアーとなる。料金は2日プラン1万9000円(宿泊代金別)、1日プラン9500円(税込)。対象は中学生以上、定員15人。

覆面食通が食べ歩き 県代表 おいしい10店選定へ

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食通の目に留まる料理は?

【山崎実】茨城県が「食」に着目した新たな観光誘客事業に乗り出す。「食」に精通したプロに覆面で食べ歩いてもらい、観光客に積極的にPRできる美味しい飲食店や名物料理を選定してもらう。

茨城は首都圏の食料供給基地といわれ、野菜類のほか、全国的に有名なメロンなどの果物、常陸牛などの肉、ヒラメ、ハマグリなどの水産物を数多く生産する。しかし観光の目的ともなる県を代表する料理は、県外の人に認知されているとは言い難い。

第1弾として、飲食店の分野で約10人の食通のプロが覆面で食べ歩き、「特においしい」「観光客にお勧めしたい」飲食店10店程度を審査し選定してもらう。

選ばれた飲食店などを県がPRすることで、来店をきっかけとした観光周遊の新たな流れを創出したい考え。覆面での食べ歩きは10月から11月にかけて実施されている。

名物料理については、第2弾として一般ウェブ投票によるコンテストや、料理ブロガーによるアイデアコンペなどが予定されている。

「食」のプロによる、おいしい飲食店と名物料理に関する問い合わせは、県観光物産課(電話029-301-3622)へ。

コミュバス導入するなら中村南・西根南地域 公共交通活性化協議会で土浦市

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土浦市地域公共交通活性化協議会で、あいさつする岡本会長=同市社会福祉センター

【相澤冬樹】コミュニティーバスなど新たな地域公共交通導入の検討を進めている土浦市は28日、市地域公共交通活性化協議会(会長・岡本直久筑波大学教授)を開き、各種調査の分析評価を元に、市域南西部の中村南・西根南地域で導入を図りたい意向を示した。協議会では拙速を危ぶむ声も出たため、同地域をメーンとしながら周辺地区の意向も拾い、具体化に向かうことで了承された。

同市では17年度策定の「地域公共交通網形成計画」をベースに、地域公共交通の導入促進を図るため、今年度から都市計画課サイドで試験運行する地区の選定作業を行ってきた。これまでに公共交通不便地域として12地区を選び、7地域に再編して設定。既存計画や各種統計、アンケート調査などからコミュニティー交通を導入すべき地域の順位付けを行った。

交通の不便さなどを調べるばかりでなく、コミュニティーバスが運行された場合に利用するか、運賃はどの程度払えるかなども質問した。結果、中村南・西根南地域が11点でトップ、右籾地区9点、乙戸南地区8点と続いた。

この順位付けから、市は中村南・西根南地域を導入候補地区として選定したい意向で、28日の協議会に諮った。11月にも地元地区長らに説明し、地域に運営協議会を設立、バス・タクシー事業者らとの調整を図って、来年10月には試験運行に漕ぎつけたいロードマップを示した。

これに対して委員からは、利用率があがらず3年で試験運行が終了した新治地区での先行事例を踏まえ「中村南・西根南地域だけでなく2位、3位の地区を含め、ぜひうちでやりたいと手をあげるところがあれば優先したい。確認してからでもいいのではないか?」と拙速を危惧する意見や「コロナ禍の状況が織り込まれた調査とはいえない。バスでなくワンボックスカーにボランティアの運転手という組み合わせでの検討ならどうだろう」と運行方法への疑問などが出された。

協議会は、右籾地区、乙戸南地区も中村南・西根南地域に近接していることから、同地域をメーンに交渉し、周辺地区の意向を拾いながら進める形で委員間の了承を取り付けた。次回協議会には候補ルートや停留所などの評価をまとめた調査報告書が提出される予定だ。

土浦・ほっとONEにホットな足湯 月例で「マルシェ」開催へ

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菅谷博樹さん=まちなか交流ステーション「ほっとOne」(土浦市川口)

【伊藤悦子】土浦市川口・モール505のまちなか交流ステーション「ほっとOne(ワン)」で31日、月例イベントの「マルシェ」がスタートする。ハロウィン開催の今回は、仮装で来場するともれなくプレゼントがもらえるほか、毎回ホットな「足湯」がいただけるというお楽しみ付きだ。

ほっとOneマルシェは、JA水郷つくばによる朝採り野菜の移動販売はじめ、カレーやれんこんおろしそば、ポップコーンなど飲食店の出店がある。施設前の広場では紙芝居や音楽ライブも開かれ、Vチャンネルいばらきで配信される。入場は無料。

「足をのばしてほしい」

マルシェの目玉は「足湯」。ラクスマリーナ(同市川口)から移動式足湯を毎回持ってくる。ほっとOneの菅谷博樹さんによれば「モール505ができたのは、つくばで科学万博が開催された1985(昭和60)年のこと。35年がたち、店舗もテナントも減り、訪れる人も少なくなった。やっぱり魅力がないと人は来ない」と6人のスタッフとアイデアを出し合い、イベントでは珍しい足湯はどうかと考えたそうだ。

ラクスマリーナには地下700メートルから湧き出る「霞ケ浦温泉」があり、移動式足湯の設備があることから、協力を呼び掛けると快諾してもらえたという。“入浴”の前には検温のほか、足のアルコール消毒までして感染予防を徹底するそうだ。

11月以降の日取りと内容は未定だが、月例開催と足湯企画は決まっている。「サイクリングのお客様たなど観光客や市民の方がたに足をのばしていただき、楽しく触れ合ってもらえれば」とアピールしている。

◆モール505「第1回ほっとOneマルシェ」ハロウィンバージョン 10月31日(土)午前11時から午後5時半まで、まちなか交流ステーション(土浦市川口)。電話 029-828-6200

《県南の食生活》18 七五三の祝い 7歳のヒモトキ

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紐解きの時に引き出ものと共に出される紅白餅

【コラム・古家晴美】11月に入ると、祝日や週末の神社で、鮮やかな晴れ着を身にまといご家族に手を引かれる「七五三」の子どもたちの姿を見かける。中国の元服儀礼の影響を受け、元来は宮中や武家の間で行われていた。3歳の髪置き、5歳の袴着、7歳の紐(ひも)解きなど成長期の重要な節目の通過儀礼だが、7歳の祝いが最も重要とされた。紐が取れた本裁ちを着るようになることからヒモトキ(紐解き)、オビトキ(帯解き)とも呼ばれる。

ところで、茨城県南部から千葉県北部にかけて、現在でもヒモトキを盛大に祝う慣習がある。七五三パーティーのカラー刷り新聞折り込み広告を目にしたことがある方もいらっしゃるかもしれない。

結婚式の披露宴並みのご馳走が並び、主人公の子どもが着物・袴(はかま)からドレス・洋服に2回ほどお色直しをし、子どもの芸事の披露、両親への花束贈呈などが結婚式場や宴会式場を借り、数十人の客の前で執り行われる。宴席の席順は結婚式とほぼ同じで、出席者は現金のお祝い以外に、ピアノやタンスなどを贈った例もあった。(『牛久市史』)

それ以前に自宅で宴会を行っていた頃も、近所や親戚の人に手伝ってもらい、惣領(そうりょう)の場合は3俵の餅を夜中の1時頃から明け方ころまで搗(つ)いた。コネ取りは入らず、4人で細い杵(きね)で水をつけない餅を搗く(練るに近い)。かなりの力仕事だったので、20人くらいで交替した。搗きあがった餅は、かご屋に注文した籠(ヒゲコ)に入れて親元・親戚・近所に配り、宴会への招待を告げた。(『取手市史 民俗編』Ⅰ・Ⅱ)

地域社会の「氏子入り」

自宅で調える膳には、酢の物・鯉の旨煮・トロトロ豆・汁・赤飯・フナ・松竹梅の打ち菓子などが並ぶ。婚礼の時と同様、村の素人料理人を頼み、近所の女性にも手伝ってもらった。大正11年の記録では、招待したのが村内の42軒で、それに親戚全部を加え、手伝いの女性が7名、膳椀・鍋釜は共有のものを借用とあるから、かなりの規模であったようだ。(『麻生町史』)

この儀礼が庶民に広まってからは、ヒモトキは村の「氏神」に子どもの無事を祈り、子どもが地域社会の一員として承認される「氏子入り」の機会となった。一方、ヒモトキを機に、家督が子どもの祖父母から両親に譲られる、両親とその仲人との盆暮の贈答付き合いが一区切りを迎えるなど、子どもの周囲にも少なからぬ変化がもたらされた。

七五三パーティーの主人公はあくまで子どもであるが、このように家族が次のステージに入ったことを周囲に広く披露する場であると受け止めれば、盛大な祝いとなるのもうなずけるかもしれない。(筑波学院大学教授)

先を見通せる霞蓮雛 土浦で11月に手作り教室

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すがた美容室(土浦市桜町)に飾られている霞蓮雛

【伊藤悦子】土浦市の市内の商店や事業主の女性12人で構成する同好会、菊被綿(きくきせわた)文化を守る会(木村恵子会長)が11月18日、ハスの花托(かたく)で作る霞蓮雛(かれんびな)手作り教室を開催する。霞蓮雛は会のメンバーが6年前から作っていたが、教室を開いて作り方を指導するのは初めて。

守る会は五節句のひとつ、旧暦9月9日の「重陽の節句」にちなむ催事として、9月に土浦駅周辺の商店や銀行、公共施設など約90カ所の店頭に霞蓮雛を展示した(9月10日付既報)。すると、会期中「どこで買えますか?」「自分でも作りたい」など問い合わせがあったという。

「今、新型コロナのことで気持ちも沈みがちな人が多い。こんなときだからこそ先を見通せる縁起物のハスを使った霞蓮雛を作って家に飾り、明るい未来を思い描いて欲しい」(木村さん)と思ったのが教室開催のきっかけになった。

手作り教室では、初めての人がすぐに取りかかれるように、ハスの花托、着物部分の千代紙、顔の部分の繭、台座などがセットで用意されている。ハスの花托はすべて土浦産だ。指導は守る会のメンバーが担当する。

木村さんは「重陽の節句だけでなく、1月7日に七草がゆを食べない、面倒だからおひな様は飾らないなど五節句そのものが、最近おざなりになっている」と嘆く。「城下町・土浦だからこそ、五節句という千年の昔からある伝統文化を今こそ大切にしてほしい」と強調した。

◆霞蓮雛手作り教室 11月18日(水)午後1時30分から、すがた美容室(土浦市桜町)で3時間程度の開催。費用は2000円。先着3人まで。問い合わせは同美容室(電話029-821-1607)

《続・平熱日記》72 「平熱日記展」 10回目は記念すべき?

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【コラム・斉藤裕之】「セロ弾きのゴーシュ」という物語がある。セロを練習していると、夜な夜な動物がやって来てはリクエストをする。それに応えているうちに、セロの腕が上がっていたという宮沢賢治の童話だ。シンプルなストーリーだが、ものづくりのエッセンスが描かれている。

身の回りの出来事を小さな板切れに描くことにした。四季の移り変わりや食べ物、出会った人やモノ、2匹の犬や家族…。謙虚に、つべこべ言わずに描く。ゴーシュが動物たちのリクエストに応えたように。芸術やアートという言葉から離れて、制作や表現ではなく、単なる絵を描こうと思った。そうやって何とか細々と絵を描き続けて来られた。

それから、今書いているこのエッセイ。ちょうど6年前、当時の常陽新聞の記者の方が別件で取材に来られたことがきっかけとなった。親しい友人の「斉藤さんの絵もいいけど文章が好きだな」という一言が、後押しをした。

結果的に、この2つの作業は私に向いていた。絵に飽きたら文章を書く。エッセイによって気持ちの整理がつく。日記のようにして絵と文が残っていくのは、怠け者の私には都合がよかったし、早朝の小1時間での作業は私の生活リズムにピタリとはまった。

27日から牛久で3週間

記憶をたどると小さな絵は15年ほど前から描いているが、ゴーシュにシンパシーを感じるとすれば不器用で下手ということだ。しかし、ここが絵と音楽の違いなのか、下手でも絵は描ける。

当初は人に見せるつもりはなかったが、「展覧会をやってみたら」という、これも友人の言葉がきっかけで小さな絵を飾ってみた。ゴーシュのように思い通りの演奏ができたというような実感こそなかったが、意外に多くの人が褒めてくれた。

今年も、牛久市の「サイトウギャラリー」で展覧会(10月27日から3週間)をすることにした。今回は描いた絵を自作の箱に収めているのだが、相変わらず同じようなものばかり描いていることにあきれたり、変わりのない暮らしぶりをしている証しか、などと納得したり。

展覧会は今回でちょうど10回目になる。紙粘土で作った牛久シャトーを描いたものを案内のハガキにした。少しお祭り気分で「第十回記念展」にすることも考えたが、「九の次の十回展」ということにした。

しかし、コロナ禍でオリンピックをはじめほとんどのイベントが中止された記念すべき?年に、これほどピッタリの記念すべき展覧会もなかろう。なにしろ「平熱日記」展というぐらいだから。(画家)