水曜日, 5月 21, 2025
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名誉棄損訴訟を取り下げ 五十嵐つくば市長、FBで公表

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2020年発行された「つくば市民の声新聞」

五十嵐立青つくば市長が、前回の市長選前に新聞折り込みで配布されたチラシ「つくば市民の声新聞」に対し、名誉や社会的評価を著しく棄損されたなどとして、発行した「つくば市民オンブズマン」代表の亀山大二郎元市議を相手取って、慰謝料や謝罪を求めた裁判(2021年2月17日付)で、五十嵐市長は20日、自身のフェイスブック(FB)で、訴えを取り下げたことを明らかにした。一方、訴えられた亀山元市議は21日、記者会見を開く。

FBで五十嵐市長は、旧総合運動公園用地について「そもそも公約は『返還』でなく『返還交渉』でした」など、市民の声新聞の記述が事実と違うとする点を8点、具体的に列挙した。その上で、訴えを起こした理由を「公正な選挙のあり方に問題になると考え提訴に及んだ」と改めて述べ、取り下げの理由を「意図的に虚偽あるいは事実を歪曲(わいきょく)したものであることの立証は困難だったと判断」したためと説明した。

具体的には、裁判で亀山元市議側から「(市民の声新聞は)政策批判という性格のものが大部分で、個人の名誉を棄損するとは言い難い」との指摘があり、裁判所もそれを支持する姿勢だったことを挙げた。

これを受けて五十嵐市長側は続いて、公職選挙法の虚偽事実公表罪に当たると主張し訴えを追加したが、同罪は、故意に虚偽あるいは事実を歪曲することを知っていて公表したことが対象であるため、「立証は困難だとの判断に至った」などとFBで説明している。

その上で「虚偽の内容があっても、それが『政策の批判』と現在の法制度で解釈することが成立するのであれば、それは受け入れるしかない」「相手方が『虚偽と分からずに事実だと信じていた』と言えば、具体的証拠を出さない限り虚偽事実の公表は成立しないという仕組みも受け入れるしかない」など、取り下げの理由を説明した。

一方で「提訴時点で検討が不十分であったことは反省している。亀山氏に応訴の負担をお掛けしたことについても申し訳なく思っている」などと陳謝しながら、「(亀山元市議が)メディアの取材で『私の調査不足で一部が違うことは認めます』と答えていたこともあり、訴訟に一定の意義はあった」などとも指摘している。

FBで五十嵐市長はさらに「今後は、事実と違う認識をもたれることがないように、さらには誤ったことが流布されても市民がすぐに事実でないということを認識できるくらいに、情報発信と対話の努力をする」などしている。

五十嵐市長による名誉棄損訴訟は、前回の市長選直後の2020年11月末に、土浦簡易裁判所に提訴された。翌年、水戸地裁土浦支部に移り、その後21年5月から12月まで、論点や証拠を整理するため双方の弁護士が非公開で主張を述べ合う弁論準備手続きが計6回実施された。公開の法廷で主張を述べ合う口頭弁論に移る前に、五十嵐市長側が訴えを取り下げた。

憎くて愛おしい言語障害 《電動車いすから見た景色》26

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初対面の人と直接話すために作ったアイテム

【コラム・川端舞】「もし自分の障害を、両手の麻痺(まひ)、両足の麻痺、言語障害に分けられて、この中の1つだけ神様が治してくれるなら、絶対、言語障害を選ぼう」。中学から大学にかけて、コミュニケーションの壁にぶつかるたびに私はそう思っていた。

足の麻痺はバリアフリーの場所で車いすに乗れば何の問題もなくなるし、手で文字が書けなくても、パソコンを使えば、人より時間はかかるけど文章を書くことができる。でも、言語障害はどんなに事前に伝えたいことを文章にしても、その場で思いついたことをすぐに周囲に伝えられない。

「言語障害さえなければ、もっとたくさんの人と関わることができるのに」と、大学のころまでずっと自分の言語障害を憎んでいた。

しかし大人になり、介助者と外出するようになると、自分の言ったことが相手に伝わらなくても、そばにいる介助者に通訳してもらえるため、事前に伝えたいことを書いていかなくても、気軽に外出先で話せるようになった。

当たり前だが、文字で伝えるより、声で伝えた方が早く伝わるし、そのとき思ったことを臨機応変に伝えられる。何より直接相手と話した方が、コミュニケーションは楽しい。

言語障害だからこそ伝えられること

あれほど嫌だった言語障害を愛(いと)おしく思う瞬間が最近出てきた。様々な場所で私の経験を聞きたいと、講演を依頼されることが増え、「できるだけ介助者が原稿を代読するのではなく、ご自分で話したものを介助者が通訳する形でお願いできないか」と言われることもある。

介助者が代読するより、私が直接話した方が伝わることがあるそうだ。言語障害があっても、どうすれば思いを効果的に伝えられるか、無意識に考える癖が幼いころから付いているからなのかもしれない。言語障害がある私だからこそ、聞き手に訴えかけられるものがあるのなら、私にとって言語障害は武器にもなり、幼いころからともに葛藤しながら歩んできた相棒のようなものなのかもしれない。

子どものころの私は、「言語障害のある人はできるだけ話さない方がいい」と思い込み、言語障害を憎むまでになってしまった。今、堂々と話す私の姿を見て、「言語障害があっても、通訳など周囲の協力があれば、話せるんだ」と、言語障害のある子どもやその周囲にいる人が思ってくれれば、これほどうれしいことはない。

もちろん、障害者によって心地よいコミュニケーション方法は違うが、「本人が自分の声で話したいと思うなら、堂々と話していい」と伝え続けられる人間でいたい。それこそ言語障害とともに生きてきた私だからこそできることだと思う。(障害当事者)

運営事業者の継続求め陳情 不登校の学習支援拠点「むすびつくば」保護者会

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記者会見し陳情書提出について説明する保護者会の(左から)熊倉恵子さん、小柴架奈子さん、塩見直子さん=19日、学園記者クラブ

つくば市とNPO法人リヴォルヴ学校教育研究所(同市二の宮、本山裕子理事長)が協働で、不登校の児童生徒の学習支援を行う「むすびつくば」(同市吾妻)の保護者会が19日、次年度以降もリヴォルヴによる事業継続を訴え、五十嵐立青市長と小久保貴史市議会議長に陳情書を提出した。

昨年12月、市は2022年度の委託事業者を公募型プロポーザル方式で募った。名乗りをあげた4事業者中、新規の民間事業者が1位に選定され、リヴォルヴは次点になったという通知が今月7日に届いたからだ。

保護者会代表の小柴架奈子さんは「通所している子どもたちは学校に居場所がなく、親子でお先真っ暗の辛い時期を過ごした。今はリヴォルヴのスタッフのおかげで通所を楽しみにするようになった。人間関係に不安があったり、新たな環境への適応が難しい子どもは通所が困難になることが予想され、またあの辛い日々に戻らなければならないのかと不安を抱えている」と保護者たちの思いをぶつけた。

また「次年度の事業者が公募されることは知っていたが、つくばで20年以上フリースクールを運営しながら発達障害や学習障害への対処法を研究してきたリヴォルヴの実績は市も知っていて、外されることは想定していなかった。当事者は不登校を経験した繊細な子どもたちなのに、モノをとっかえるような教育政策は納得できない」と憤る。

小久保貴史市議会議長(左)に陳情書を手渡す保護者会代表の小柴架奈子さん=つくば市役所

市は不登校の子どもたちの社会的自立に向け、リヴォルヴと協働で2020年10月1日、TXつくば駅に近いつくば市産業振興センター内に支援拠点「むすびつくば」を開設した。支援業務の教育効果などを明らかにする目的で「協働実証事業」と位置づけられた。

週4日の時間割で、教員免許を持つ教科担当者ら12人が個々の適性に応じた学習支援を行っている。自由に過ごせるフリースペースも設けられている。

開所時は定員15人としたが、問い合わせと見学が引きも切らず、21年10月末現在、小1から中3までの35人が通所している。市内の不登校児童生徒数は約400人(30日以上欠席)に上り、不登校の子どもたちへの公的支援はまだまだ少ない。

「変わったら また引きこもりになるかも」

保護者会の塩見直子さんは「むすびつくばにたどりつくまで明日が見えなかった。事業者が変わったら子どもがまた引きこもりになるかも知れない」と不安を募らせる。

保護者会代表の庄司里奈さんは「一部の子や親がうるさく言っていると思わないでほしい。コロナ禍の学校では給食は黙食、休み時間も大きな声を出せないなど子どもたちはストレスを抱え、子どもが登校を嫌がるという話を聞くことが増えてきた」と話す。

学習障害のために3年間不登校になったが、昨年からむすびつくばに通所し、在籍している中学校にも登校できるようになった中1の男子生徒は「自分は頭が悪いと思っていたが、むすびつくばで『頑張らなくていい』と言われて安心でき、勇気を出して学校で友だちと話せるようになった。どうして(運営者から)無くすのかわからない」と訴えた。

保護者会は陳情書で、リヴォルヴの運営継続のほか、3月末に予定されている実証事業の検証を早急に行うこと、利用している子どもたちの声を聞き取り次年度以降の委託事業に取り入れること、実証事業の検証を待たずに事業者選定に至ったプロセスを明確に説明することを求めている。

さらに、不登校の辛さと「むすびつくば」存続への切実な思いを15人がつづった体験集を添えて、20日に森田充教育長に提出する予定だ。賛同者からのオンライン署名も呼び掛けている。

これに対し市教育局学び推進課は、新年度からの新たな運営事業者の選定について、外部の有識者を含む7人による選定委員会を設置し、プロポーザル方式により、価格のみでなく、実績や専門性、企画力などを公正、適正に選定したとし、19日時点で、新たな事業者がどこになったかは公表できないとしている。

一方、運営事業者が変わることに保護者から不安の声が出ていることについて同課の横田康浩課長は「保護者への丁寧な説明をしたい。不登校の子供たちは不安な状況にあることは間違いないので、不安を払拭できるように進めていきたい」としている。(橋立多美)

「イースト ベース」のお弁当で忘年会 《ご飯は世界を救う》43

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【コラム・川浪せつ子】昨年12月、茨城県内も新型コロナ「ゼロ」の状態が続きました。そんなとき、県建築士会・女性部会の「手作り・忘年会」を、2年ぶりに土浦の市営施設で開きました。

今回は、最近人気の「アルコールインクアート」をやりました。紙の上にアルコールインク液を垂らし、にじんで混ざり合った部分を生かして描く、アートです。思いがけない色の広がりや混ざり具合で、鮮やかな模様が出来上がります。帰宅後、早々に壁に展示。

筆者のアルコールインクアート作品

久々に仲間たちと近況報告

短時間で小さい作品を2枚製作したあと、ランチは「イースト ベース(EAST BASE)」(牛久市刈谷町)のお弁当。1級建築士でありながら、お総菜も作っている、通称「たまちゃん」の店のお弁当です。イラストでご覧のように、食材、素材、調理方法にはこだわりが!

彼女の妹さんは、焼き菓子のお店をやっています。今回は、お弁当のデザートでいただきました。満足、満足。おいしいものは、作り手の心が伝わって、お腹ばかりでなく、ハートまで温かになりますね。

食事のあとは、久々に仕事仲間たちと近況報告。うん、うん、コロナの中でも、みんな頑張っているね。そして、2022年の抱負。小さな目標を重ねていく仲間たち。私も励みますよ~♪♪ (イラストレーター)

つくばセンタービルの価値を紹介 市民団体が「謎解きツアー」

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参加者を前につくばセンタービルについて解説する冠木新市さん(左端)

つくばセンタービル(つくば市吾妻)の7カ所を巡りながら、建築デザインの意味や価値について解説する現地ツアー「つくばセンタービル謎解きツアー」を、市民団体「つくばセンター研究会」(冠木新市代表)が開いている。

昨年11月3日から毎月3回開催し、これまで延べ83人が参加した。1月16日に7回目が開かれ、11人が参加した。同会代表でNEWSつくばコラムニストの冠木新市さんがガイドを務める。冠木さんは、つくばに移り住んで以来30年にわたり、センタービルについて独自に研究してきたという。

つくばセンタービルは建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞した磯崎新さんが設計した。ポストモダン建築の代表作として世界的な評価を受けている。2020年、つくば市は同ビルにエスカレーターを設置するなどの改修計画を発表したが、専門家や同会から建築物の価値を喪失するなどの指摘を受け、昨年12月、当初の計画を大幅に見直した経緯がある。

冠木さんによると、センタービルの建設に当たり磯崎さんは1978年、日本住宅公団(現在はUR都市機構)が実施した設計者を選ぶプロポーザルコンペで、筑波研究学園都市を批判するレポートを書き、7つの性質をセンタービルに与えることを提案した。劇場性、胎内性、両義性、迷路性、寓意性、逸脱性、対立性の7つだ。磯崎さんはつくばセンタービルが起死回生の役割を果たす象徴的な建築となることを目指し、その中核として同ビル中心に、くぼ地となるセンター広場を造ったという。

センタービルの中心にあるセンター広場の床面は、ルネサンス期のイタリアの建築家ミケランジェロが設計したローマのカンピドリオ広場を引用するデザインとなっている。ツアーで冠木さんは「床面の模様がカンピドリオ広場を反転した色合いになっている」と解説する。広場には霞ケ浦や桜川を反転した形が水の流れでデザインされており、冠木さんは「この反転は現実と虚構、日常と非日常を意味しているのではないか」と参加者に問いを投げ掛ける。

続いて、センタービル正面玄関の柱に引用されている18世紀のフランスの建築家、ルドゥーのアル・ケ・スナン王立製塩所のこぎり歯のモチーフ、ホテル日航つくば1階に設置されている、米女優マリリン・モンローの体のカーブを表現したいす「モンローチェア」などを見て回った。

さらに、2階ペデストリアンデッキのつくばイノベーションプラザ前に立って、ノバホール2階の三角の窓を見ると、窓の中に、ホテル日航つくばの最上階の瞳のような窓の形が映り込む様子が見える。冠木さんは「まるで『プロビデンスの眼』(神の全能の眼)を彷彿とさせる」と独自の解釈を披露し、「ノバホールのノバは新星を表す。新星は新生に通じ、ノバホールの眼は母の胎内から何か新しいものが生まれるのを見つめている。磯崎さんの言う『胎内性』『劇場性』と合致する」と話す。「センター広場は空の器であり、くぼ地の広場で市民が自由に活動し、新しいものを生み出すことを願ってつくられたと解釈できる」ともいう。

ノバホールの三角窓に映り込む(左)ホテル日航つくばの瞳のように見える窓(右)=つくばセンタービル

市内から夫婦でツアーに参加した谷田部宏子さんは、「知らないことばかりでおもしろかった。深い内容だった」とし「(センタービル周辺は)駐車場が停めにくいこともあり買い物にはあまり来ないが、ノバホールには時々来る。センタービルの改修計画ついては何も知らなかった」と話していた。(田中めぐみ)

◆次回のツアーは、30日(日)午後1時から。定員10人前後、参加費無料。参加申し込みは090-5579-5726(冠木さん)

動物は取り換えのきく玩具ではない 《晴狗雨dog》4

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インターナショナルスクールの親子さんと、ドッグトレーナーを迎えて犬の扱いの基本について学ぶ様子

【コラム・鶴田真子美】私が理事長を務めるNPO法人CAPIN(Citizens for animal protection,ibaraki network)は、2008年に設立された「捨猫防止会いばらき」の活動を引き継ぎ、虐待動物保護、被災者支援、法改正運動などに取り組んできました。毎週末に開催する里親会、地域イベントへの参加を通じ、「捨てない、増やさない、終生飼養(しよう)」を訴えてきましたが、避妊去勢手術、フィラリア予防薬、疾病治療など、犬や猫にお金をかけることへの抵抗感がまだ根強く存在しています。

茨城県動物指導センターに収容される迷子犬や捨て犬たちの多くが、フィラリア陽性でせきをしています。避妊を怠ったために産まれてしまった子犬や子猫。老いたから、皮膚病になったから、捨てられたと思われる、決してお迎えの来ない収容犬たち。

動物は取り換えのきく玩具ではない、1匹ごとに命ある生き物です。飽きたら捨てることは許されません。飼い主には責任があることを伝えていかねばなりません。

学校教育で子どもたちの意識を変えていくことが大切と思います。子どもたちが学校で新しい法律や世界の潮流を学び、啓発チラシを家に持って帰り、親御さんに読んでもらうのもよいでしょう。また、学校も子どもたちにお世話の仕方を体験するきっかけを与え、動物との暮らしの豊かさを教えたら素晴らしいと思います。

つくばインターナショナルスクールと交流

地域の意識を変えるには学校教育が鍵を握ります。我々は10年前から公立の小中学校、学童保育に招かれ、命の授業を行ってきましたが、新型コロナにより出張行事はストップとなりました。その代わり、公園などのオープンエリアやCAPINのシェルターで、子どもたちとの新たな連携がスタートしています。

2021年春からは、つくばインターナショナルスクール(TIS、つくば市上郷)との交流を図ってきました。幼稚園児たちと洞峰公園でパレードを行い、多くの市民に啓発チラシを配りました。また、筑波山麓にあるCAPIN第2シェルターでは、毎週末、小中校生のボランティアを受け入れ、犬散歩やごはん作りの体験も重ねています。

昨年12月からは、高校生を中心に親子30人がシェルターで研修を受けることとなりました。12月は犬トレーニング教室を開き、1月9日には参加者が4グループ(犬の散歩、鳥と猫の世話、犬65頭分のごはん作り、支援物資の運搬)に分かれて活動しました。

TISとの交流により、このように動物の域を超えた分野でも様々な刺激がCAPINにもたらされることになりました。2年半前からCAPINスタッフとして働くカナダ人女性イングリッドさんのネットワークは小さくありません。各大学、公私立小中高の研修も受け入れており、これからも「命の教育」に力を入れていきます。(犬猫保護活動家)

17日臨時休校 市立学校教職員が新型コロナ

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つくば市役所

つくば市は17日、市立学校の教職員が16日、新型コロナウイルスに感染していることが分かったとして、この教職員が勤務する学校を17日、消毒のため臨時休校にしたと発表した。学校での接触者はいないという。

休所の2保育所 1カ所は18日開所 

一方、職員が新型コロナウイルスに感染していることが分かり、休所している2カ所の市立保育所のうち、6日と7日に職員3人の感染が確認され20日まで休所するとしていた保育所は、休所期間を短縮し、18日から開所する。

15日に職員2人の感染が分かり17日まで休所するとしていた別の市立保育所は、休所期間を23日まで延長する。保健所と協議しそれぞれ変更を決めた。

大リーグへ 茨城アストロプラネッツ 松田康甫投手

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記者会見に臨む松田投手(右)と色川GM=水戸市内のホテル

プロ野球独立リーグ・ルートインBCリーグの茨城アストロプラネッツに所属する松田康甫投手が、米国メジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。甲子園の経験もなく、けがが重なり、大学では1試合、BCリーグでは3試合の登板しかない23歳の無名の選手が、底知れないポテンシャルを武器にメジャーに挑む。

ドジャースの目に止まった松田選手は身長193センチ、体重93キロ、右投げ右打ちの大型投手。金沢高では3年夏に県ベスト8、拓殖大では1年冬に肩の内視鏡手術をし、ほとんど出番を得られなかった。だがプロへの道をあきらめ難く、BCリーグ合同トライアウトを経て茨城に入団。ここで大きな成長を遂げた。

「大学では毎日ブルペンに入っていたが、プラネッツでは週1回。球数を減らすことで、ただ投げるのではなく1回1回が大事になる。トレーニングの成果も出て、投げるたびに成長を実感できた」

昨季4月4日、栃木ゴールデンブレーブスとの開幕戦では中継ぎで登板し、自己最速の155.8キロを記録。「監督に(コントロール重視で)抑えますかと聞いたら、球を速くしろ、スピードガンコンテストだと言われ、ストレートのみで腕を振りまくった」そうだ。4月16日、3回目の登板となった巨人3軍との交流戦では先発し、打者3人に17球を投げて3三振を奪った。

昨年4月16日、J:COMスタジアム土浦で開催された巨人3軍との交流戦での投球

これらの試合の動画などを見て「155キロを出し、素晴らしいスプリットを見せた。体格、球速、投球スタイルなど、全部が気に入った」と獲得の要因を語ったのは、17日の記者会見にオンラインで参加した、ドジャースのジョン・ディーブル環太平洋スカウティングディレクターだ。

だが巨人戦の後、肘の痛みが出て7月にトミージョン(ひじ靭帯再建手術)を受け、現在もリハビリ中。復帰には12カ月かかるといわれている。手術に踏み切ったのもドジャースとの相談の上だという。「1年後の出口というより、彼が持つポテンシャルでどんな未来を描けるか、ベストの道を選んだ」とアストロプラネッツの色川冬馬ゼネラルマネージャー。

ディーブル・スカウティングディレクターは「われわれは過去にも数々の日本人選手を獲得し育成してきた。選手が上へ駆け上がるための施設や環境が整っている。数々の成功例の流れに乗り、新しい歴史が残せると思う」という。

今、松田投手は、故郷の石川県で小学校の非常勤講師をしながらリハビリに励み、3月の渡米に備えている。ドジャースではじっくりと時間をかけて回復に全力を注ぎつつ成長を図り、リハビリを終えた後は経過を見ながら、現場で投げられるようプッシュしていく道筋だという。

「メジャーはあこがれの場。不安はあるが関係ない。行かないと自分の夢を果たせない」と話す。夢は世界一の野球選手になることで、そのためにリハビリを成功させるのが目の前の目標。メジャーのマウンドに立ったらどういう投球がしたいかという質問には「めっちゃ速い球投げたい。170キロとか」と、いたずらっぽく笑った。(池田充雄)

市民派つくば市長 市民運動に敗北《吾妻カガミ》124

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】つくばセンター広場改修は五十嵐市政の注目施策でしたが、市民グループの反対キャンペーンによって撤回に追い込まれました。市民運動の延長で市長になった五十嵐さんが市民運動に敗北したこの流れ、市政の原点を忘れてしまったことが敗因だったようです。

3改修案の1つを取り下げ

センター広場改修計画のポイントは、エスカレーターを2基設置する(うち1基は途中で取り下げ)、広場を囲む外壁の一部を造り変える、ノバホールとセンタービル間の外階段をスロープ化する―など、ここをデザインした著名設計者・磯崎新氏の意匠をあちこちいじるほか、利用者の安全を軽視するものでした。

これに対し、学園都市のシンボル的な構造物に傷を付けるなと、市民グループ「つくばセンター研究会」が猛反対。市は結局、広場に手を入れるのを諦めました。詳しくは「…改修計画を大幅見直し」(2021年12月7日掲載)をご覧ください。

つくば駅側のセンター地区を改修する計画は、ゾーンA:センター広場改修(上記2パラ目参照)、ゾーンB:ノバホールやイノベーションプラザ改修(市民活動施設の整備)、ゾーンC:センタービル1階改修(まちづくり会社による貸室などの整備)―の3本柱で構成されています。

改修プランの3分の1に当たる「ゾーンA:センター広場改修」案は、策定作業上のミスだったことになります。

センター地区改修は市民の意見を聴く必要がある「大型事業」ではないという理屈を掲げて、市が執行部主導で策定した改修事業の問題点については、本コラムでも何度か取り上げました。例えばコラム112「…つくば市政 揺らぐその原点」(2021年8月2日掲載)では、以下のように指摘しました。

「広く意見を聴いて施策を進めるという五十嵐市政の基本がお留守になり、事業の策定作業がオープンになっていないと、市民グループから批判されています。五十嵐さんは執行部主導で施策を進めた前市長を批判する運動を繰り広げ、その勢いに乗って市長になった人です。その原点ともいうべきところを突かれるという、おかしな展開になってきました」

企画立案の早い段階で原点に戻っていれば、A+B+C中のAを止めるといった恥ずかしいことにならなかったでしょう。市政運営の原点を忘れたことが失政につながりました。

3セクの「まちづくりごっこ」

ゾーンCのセンタービル1階改修も危うさを抱えています。記事「まちづくり会社 3億円調達にメド…」(2021年12月17日掲載)を読んで、改修後に貸室業などを行うこの会社の資金調達手法を知り、その複雑な手順に驚きました。

政府系金融機関と地元銀行にファンド(投資資金)を設けてもらい、そのファンドにまちづくり会社が発行する返済順位が劣る社債を引き受けてもらう(おカネを貸してもらう)という、込み入った手法です。

まちづくり会社(市が筆頭株主の第3セクター)は増資とか銀行借入といったシンプルな手法をどうして使わなかったのでしょうか? 他の株主や銀行から収支に問題があると思われ、ごく普通のやり方で資金が調達できなかったため、経営リスク承知のファンドに劣後債を引き受けてもらったのでしょうか?

センタービルが建つ吾妻1丁目は市の超一等地です。私はコラム87「つくばセンタービル再生の問題点」(2020年8月3日掲載)で、市は区分所有権を大手開発企業に売り払い、駅周辺を活性化するビジネスゾーンに整備してもらったらどうかと書いたことがあります。

まちづくり会社によるセンタービル1階改修(小貸室、小会議室、共同区画、喫茶室などを細々と配置)は、「まちづくりごっこ」ではないでしょうか。地価が高い区画の利用法としてはもったいない気がします。(経済ジャーナリスト)

市立保育所の休所を延長 濃厚接触者の職員2人も新型コロナ

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つくば市役所

つくば市は16日、市立保育所の職員1人と非常勤職員1人の計2人が15日、新たに新型コロナウイルスに感染していることが確認されたとして、2人の職員が勤務する保育所を17日まで休所すると発表した。

2人は、13日に感染が確認された市立保育所非常勤職員の濃厚接触者等で、保育所は15日まで休所となっていた。

濃厚接触者の感染が新たに確認されたことから、この保育所は休所期間を延長する。さらに保健所の指導で、行政検査の対象範囲を拡大するとしている。

蔵元集まり地酒談義 「神郡塾」 筑波の米、水、土にこだわり

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地酒と地ワインの酒談義で盛り上がった神郡塾=美六山荘、つくば市臼井

地域人材の育成を目指す「神郡(かんごおり)塾」(塾長・青谷洋治坂東太郎会長)の1月講座が16日、つくば市臼井の美六山荘で開かれた。「つくばの酒を知る」をテーマに、筑波山周辺の2つの酒造店代表とワイン向けブドウの栽培家がパネリストになって、素材や水、土壌にこだわりぬく地酒・地ワイン談義を飲酒抜きで繰り広げた。

地産地消のあるべき姿 浦里酒造店

浦里浩司さん(浦里酒造店)

浦里浩司さんは同市吉沼に1877年創業の浦里酒造店5代目蔵元、代表銘柄「霧筑波」で知られる。酒の仕込みが始まる11月から翌年4月まで、酒蔵に菌を持ち込まないよう、好物の「納豆絶ち」をして臨むという。

県酒造組合副会長を務める浦里さんは、県内の日本酒消費量に占める県内蔵元のシェアが合わせて16%程度しかないのを嘆く。そのなかで浦里酒造は地元、つくばはじめ県内出荷分が約95%になる販売戦略をとってきた。茨城県にゆかりの小川酵母にこだわったのが「霧筑波」だが、酒米は富山県の栽培農家と契約する「五百万石」だった。

地産地消のあるべき姿を「地元の米、材料で作る酒」に求め、原料米まで地元産を使おうと、3年前から地元農家と契約して特別純米「霧筑波 吉沼米」を作り上げた。「筑波米」の方が売り出しやすいという声もあったが、旧大穂地区の集落名、吉沼の名をあえて使った。「今季はいいコメが取れ、仕込みも順調で楽しみだったけど、落ち着きを見せていたコロナが新年に入って拡大の気配。消費の持ち直しまでまだまだがまんが続く」と語る。

ミネラル分豊富な筑波の水 稲葉酒造

稲葉伸子さん(稲葉酒造)

稲葉伸子さんは同市沼田に1867年創業の稲葉酒造6代目。2人姉妹の二女で、「子供のころから仕込みに来ていた杜氏(とうじ)の後を付いて、母も入ったことのない女人禁制の麹室(こうじむろ)にも出入りしていた」という。百貨店勤務を経て、1999年に後継に名乗りをあげ、女性杜氏として代表銘柄「男女川(みなのがわ)」を受け継いだ。

季節労働者の杜氏に頼らない常用雇用の社員による酒造り。麹室の微妙な温度管理などは夜間にも及び、「照明のない筑波山の満天の星空の下、酒蔵に通う」のが日常となって、純米大吟醸「すてら」を手掛けた。ステラは「星空」の意味だ。

百人一首に歌われた「筑波嶺(ね)の峰より落つる男女川」、筑波山の花こう岩質の土壌から流れ出る水は地元産の酒米「五百万石」と相性がいい。豊富なミネラル分がキリッと果実酒タイプの味わいをかもす。「辛口で冷やして飲むとおいしい」そう。山田錦を用いる「すてら」は若い人に好まれる味という。

ワイナリー開設目論む ビーズニーズヴィンヤーズ

今村ことよさん(ビーズニーズヴィンヤーズ)

今村ことよさんは大手製薬メーカーの研究職から転職して、40歳で同市臼井にビーズニーズヴィンヤーズを設立、2015年にブドウ栽培を始めた。製造は長野県内の醸造所に依頼してスタートした。初出荷は17年。製造は現在、牛久市内へ委託醸造に出向く格好になっている。Spiral(スパイラル)ブランドの白ワインなどがある。

今村さんが筑波山麓にブドウ畑を求めたのも、花こう岩質の土壌が決め手。ワインの場合「ほぼブドウの出来でワインの出来が決まってしまう」ため、土壌の良し悪しが気候と並んで重要になる。筑波山は硬い斑れい岩に被われた山頂部を除いて花こう岩が山体を作り、その崩れた土壌が山すそに水はけのいい豊かな農地を作る。

ヴィンヤーズはワイン専用のブドウ畑のことで、現在1.5ヘクタールほどの広さがある。夏の終わりから秋にかけボランティアがやってきて収穫を手伝ってくれるほかは、ほとんど1人でブドウ樹のせん定や草取りなど畑仕事をこなしている、今シーズンの収穫は約5トン。「気候のせいで黒ブドウ(赤ワインの原料になる)の収量が思わしくなかった。白ブドウ、黒ブドウを混ぜて5~6アイテムのワインを作るが、当初狙っていた範囲の味が出せるようになり、もう少し絞り込みたいと思っている」。ゆくゆくは製造から販売まで手掛ける自社ワイナリーの開設を目指している。(相澤冬樹)

◆神郡塾 リーダー育成、交流事業などを展開。今年10周年を迎える。講座は月例開催。次回は「会津の武士道」をテーマに2月13日午前9時から美六山荘(つくば市臼井20512-1)で開催予定。事務局電話0280-93-0180

追悼、里内龍史さん 障害者の権利獲得目指し闘い続けた

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在りし日の里内龍史さん。自宅には青い芝の会の「行動綱領」が貼られていた(2021年8月6日、柴田大輔撮影)

障害者の当事者団体「茨城青い芝の会」会長の里内龍史さん(土浦市神立)が9日、亡くなった。66歳だった。障害者の権利獲得を目指して闘い続けた。脳性まひがあり、車いすで市民運動の闘いの現場に出掛け、文字入力音声読み上げ装置を使って発言した。昨年6月には「茨城青い芝の会」60周年記念誌(21年7月29日付)を発行したばかりだった。

滋賀県の浄土真宗の寺に生まれた。1980年、かすみがうら市の閑居山(かんきょざん)にあった障害者のコロニー「マハラバ村」に移り住んだ。滋賀の共同作業所で働いていた頃、同僚から「作業所で働いて善人ぶってもしょうがない。現代の親鸞のような面白い人が茨城にいる。浄土真宗だから、その人のところへ行って、親鸞の悪人正機の思想を学べ」と言われたのがきっかけだった。

マハラバ村は64年、閑居山の麓にあった願成寺(がんじょうじ)住職の大仏空(おさらぎあきら)=故人=がつくった。後にマハラバ村を出た障害者が全国各地で「青い芝の会」を結成し、70年代に先鋭的な社会運動を起こした。マハラバ村自体は長続きせず、ほとんどの障害者が数年で村を出た。残る人が少なくなった状況の中、里内さんはマハラバ村に移住し、最後の大仏門下生となった。

その後、大仏住職は死去し、84年12月、里内さんは村を出て、土浦市神立で自立生活を始めた。

「きれいな目をしている大人」

1人暮らしをする里内さんを長年、介助し、支えた土浦市の天海(てんかい)国男さん(79)は、大仏住職と知り合い、マハラバ村に行くようになり、里内さんと出会った。「ある日、和尚に呼ばれてマハラバ村に行った。車いすの若い男の人に声を掛けられて、政治のこととか何か議論するようなことを言われた。大仏和尚にそのことを話すと『あれは滋賀県のお寺の坊主だ』と言われた。それが里内さんとの最初」と話す。

天海さんは「里内君と初めて会ったとき、子どものようにきれいな目をしている大人だと思った。そこから付き合いが始まった」と当時を振り返った。

里内さんは生前、天海さんとの出会いについて「閑居山に来る人の中に天海(てんかい)さんがいた。大仏和尚が亡くなる1カ月前に天海さんを閑居山の手伝いに呼んだ。大仏和尚は自分の死期を悟って天海さんに閑居山に残した私を託したかった」と茨城青い芝の60周年記念誌に書いている。

天海さんは「(マハラバ村を出た後)どうしているかと気に掛かり、里内君の家を訪れるようになった。当時は介助という制度があったわけではなかったが『介護をやってくれ』ということになり、やるようになった」と話す。

「塩辛を食べること」が掟

記者が筑波大学に在籍していた2021年年3月、里内さんのお宅に伺い、話を聞く機会があった。ちょうど「青い芝の会」をテーマに卒業論文を書いたこともあり、当時アルバイトをしていた介助事業所の関係者がつないでくれた。

里内さんは、マハラバ村での暮らしのこと、茨城青い芝の会の活動のことを、文字入力装置に打ち込み、伝えてくれた。「大仏和尚は塩辛が好きで、塩辛を食べることが村の掟(おきて)だった。掟を破ると村から追い出された」という話が記者の印象に残った。当時のことをなつかしそうに話す里内さんの姿から、最後の大仏門下生の生き様の一旦が、少しだけ分かった気がした。

87年には、脳性まひ者の折本昭子さん=故人=と大仏住職らが創設した「茨城青い芝の会」の会長に就任し、JR土浦駅のスロープ闘争、障害者だけの国立大学として設置が構想された筑波技術短期大学設置反対闘争、知的障害者に対する暴行事件である水戸パッケージ事件の糾弾闘争など、障害者の権利獲得のための闘いを続けた。

近年は、地元、土浦市のバリアフリーのまちづくりにも尽力した。バリアフリー新法が策定され、住民提案制度が創設されたのを機に2007年、里内さんは、市民団体「バリアフリー新法にもとづく基本構想の策定を実現させる会」の一員として全国で初めて、土浦駅周辺のバリアフリー化などを求める基本構想策定を土浦市に住民提案し、市が実施する道路や施設の整備にあたっては、障害がある当事者が計画策定に関わるという仕組みづくりを実現させた。

当時、里内さんと共に市に住民提案した市民団体「アクセス・ジャパン」(東京都板橋区)代表の今福義明さん(63)=当時はDPI日本会議常任委員=は「里内さんは基本構想策定のときに一緒に取り組んだ仲間。里内さんが当時からおっしゃっていた、神立駅近くの危険な踏切問題はまだ解決していない」とし「昨年以降、コロナでお会いすることもなかったが、NEWSつくばで茨城青い芝の会60周年の記念誌が発行されたのを知り、シェアした。訃報を知り、本当にショック」だと話した。(山口和紀)

大好きな霞ケ浦あれこれ②《夢実行人》4

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霞ケ浦のヨットと日の出

【コラム・秋元昭臣】大昔、霞ケ浦は東京湾の一部でしたが、江戸を水害から守るために、利根川の付け替えなどで海の部分が閉じられ、湖になりました。改修された利根川は、北の方からの年貢米輸送の航路ともなり、霞ケ浦は舟運で栄えました。

1959年から63年にかけて、常陸川河口に水門が造られ、塩害防止と水の資源化が行われました。これによって霞ケ浦は淡水化され、農業用水としては茨城と千葉で、水道用水としては茨城、千葉のほか、東京でも使われています。

この「霞ケ浦の水がめ化」によって、鹿島工業地帯、筑波研究学園都市が生まれました。霞ケ浦の水を飲みながら、「霞ケ浦の水はきたない」と言う人には、きれいになった湖でレジャーを楽しみながら、水質について考えて欲しいものです。

霞ケ浦には多数の河川が流れ込んでいますが、農業・畜産・養殖は湖岸に集中しており、その肥料や排せつ物は川を通って霞ケ浦に流れ込み、湖水の富栄養化の原因になっています。全体の25%を占める家庭排水の処理は進んでいるものの、まだ完全とはいきません。

一周サイクリング路「カスイチ」

霞ケ浦は水位の高い利根川の影響を受けています。さらに海の潮の影響もあり、霞ケ浦の水がいつも利根川に流れることはありません。水位を上げるには水門を閉めればOKですが、流すとなると引き潮や利根川の逆流を考えねばならず、台風の後など水位が下がらず、ラクスマリーナなどでは船が陸に上がってしまうこともあります。

霞ケ浦の水が入れ替わるには200日ぐらいかかると言われますが、これも水質汚染に関係していると考えられます。周囲に高い山を持たない霞ケ浦への流入水はフレッシュとは言いえず、現在工事が進められている「那珂川からの導水」は水質浄化の役に立つのではないでしょうか。

霞ケ浦堤防が、サイクリングを楽しむ人たちの人気を呼び、「ビワイチ(琵琶湖一周)」、「しまなみ海道(尾道市と今治市を結ぶ瀬戸内海路)」に次いで、「カスイチ(霞ケ浦一周)」として知られるようになりました。こういった霞ケ浦活性化によって、水質浄化にも関心を持ってもらえればと思います。

最近の霞ケ浦は、昔の「泳げる霞ヶ浦」に近づいていますし、湖岸にはレジャー施設も充実してきました。土浦港のラクスマリーナには、「カヌー遠足」「天然温泉足湯」「定期遊覧船」などがあります。大型遊覧船に自転車を積んでの「サイクルーズ」も用意されています。(ラクスマリーナ元専務)

コロナ急拡大、感染対策プラス警備も強化 大学共通テスト始まる

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テストの開始を待つ受験生たち=筑波大学内第3試験会場(つくば市天王台)

大学入学共通テストが15日、始まった。茨城県内では、7つの大学が会場となり、昨年とほぼ同数の1万2864人が志願した。2日間で6450人が受験予定の筑波大学(つくば市天王台)では午前8時ごろから、受験生が続々と集まり始めた。新型コロナウイルスの変異株「オミクロン株」の感染が急速に広がる中、本格的な大学入試シーズンが幕を開けた。

「自分の力を出し切りたい」

試験会場の入り口付近では、冬晴れの空の下で学生服にコートを羽織り、ギリギリまで参考書に目を通す受験生も見られた。入室時間を待つ筑西市出身の高校3年生、高橋悠希さんは「人が集まるのでコロナ感染が心配ですが、ここまでしっかり勉強してきました。自分の力を出し切りたいです」と緊張の面持ちで、言葉に力を込めた。

笠間市在住の山本義則さんは、試験にのぞむ娘さんを大学構内の駐車場まで送り届けた。スマホを向けて記念の写真を撮ると、肩に手をやり「がんばれ」と声をかけ、会場へ向かう後ろ姿をいつまでも見送った。

各教室入口に設けられた消毒液

初日のこの日は地理歴史、公民、国語、英語(リーディング・リスニング)、ドイツ語・フランス語・中国語・韓国語の外国語(筆記)の各試験があった。16日は午前9時30分から理科1・2、数学1・2の試験が開始される。

感染対策として試験室では、合間に出入り口や窓を開けるなどの換気がなされた上で、空調のほかに扇風機とサーキュレーターが設置された。受験生はマスク着用の上で手の消毒をし、健康管理として、試験2週間前からその日の体温と体調を書き込む「健康観察記録」の提出が求められた。

当日、発熱・咳等の症状など体調不良がある受験生に対して、試験実施機関である大学入試センターは、無理をせず、必要な手続きをした上での追試験受験を勧めている。茨城県での追試験は、今月29、30の両日に筑波大学第3試験場で行われる予定だ。

東京での事件を受け警備強化

共通テスト初日の朝、東京大学(東京都文京区)の近くの路上で、受験生ら3人が刺された事件を受け、末松文部科学相は、全国の会場で警備態勢を強化する方針を明らかにした。つくば警察署では、通常よりも巡回警備にあたる車両台数を増やし大学周辺の警備体制を強化、明日も同様の体制を継続するとNEWSつくばの取材に回答した。(柴田大輔)

つくば並木中等5年生コンビ全国大会へ 金融経済クイズ「エコノミクス甲子園」

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チーム「金木犀」の腰塚さん(左)と河合さん=県立並木中等教育学校(つくば市並木)

大学入学共通テストを横目に、第16回全国高校生金融経済クイズ選手権「エコノミクス甲子園」茨城大会で優勝した県立並木中等教育学校(つくば市)の5年生コンビが2月の全国大会に向け、1年早い猛勉強に励んでいる。

茨城大会は高校生への金融経済教育の普及のため、筑波銀行(本店・土浦市、生田雅彦頭取)が開催した。県内の高等学校10校から33チーム66人が出場し、並木中教校5年の河合舞音さんと腰塚茉莉子さんのチーム「金木犀」が優勝。2月27日にオンライン開催される全国大会に出場する。

同級チームで1~4位独占

河合さんと腰塚さんは2020年開催の第15回茨城大会にも出場した仲良しコンビ。前回は入賞を逃したが、出場した同校の4年生チームの中で最高点を獲得したという。この大会で2人が所属するハンドボール部の先輩が優勝したことから「来年は私たちも必ず優勝したい」と決意を固めていた。

全国大会に向け、腰塚さんは「茨城予選では早押しで他チームに競り負けていたので、知識を身に付けるだけではなく反応速度も上げていきたい」と話す。河合さんは「4択問題なので知識を詰め込めばなんとなく解答できるのではないかと思っていたが、茨城予選でそれだけでは正解できないと感じた。知識を深めて全国大会に臨み、優勝を目指したい」とへの意気込みを語った。

金融経済の知識でなく、新聞やニュースを元にした時事問題や、より生活に根ざした家庭科など、幅広く「お金」に関する知識が問われる。茨城大会では並木中教校5年生のチームが1位から4位までを独占した。同校社会科の石本由布子教諭が、クイズ形式で楽しみながら勉強することで経済への興味を持つきっかけにしてほしいと大会参加を呼びかけた。今回は原侑生さんと鈴木ヴィセット健太さんが準優勝、関杏純さんと河野由依さんが3位、枝川龍之介さんと渡辺大晃さんが4位に入った。

上位を独占したことについて、石本教諭は「校内の練習ではどのチームが優勝してもおかしくないレベルだった。今回優勝したチームは前大会からの実績があり、周りから一目置かれていた。他のチームもこの2人のレベルに追いつこうと勉強してこの結果になったと思う。同学年で近い間柄だからこそ他のチームも2人を目標にして勉強できた」と話す。出題される金融経済の分野については4年次に公民で学んでおり、授業で用いた教材や石本教諭の作った対策プリントを使って勉強し、今大会に臨んだという。

政治家志向とクイズ王目線

優勝した河合さんの夢は政治家。SDGsに興味を持っており、リサイクルのためにペットボトルキャップを回収したり後輩に啓蒙のための講演を行ったりと、校内外で活動している。国際貢献にも興味を持っているという。腰塚さんはクイズ好きで、文化祭で行われるクイズ大会の実行委員を務めている。クイズのルールの設定の仕方や、適切な問題の作り方に興味があり、全国大会に出場したらクイズを作る側の目線から分析したいと笑顔で話した。

「エコノミクス甲子園」は全国の高校生を対象に、金融と経済に関する知識を深めてもらう目的で開催しているクイズ大会。各都道府県を代表する金融機関が地方大会を主催している。茨城大会は2012年度にスタートし、今年度で10回目の開催だった。(田中めぐみ)

映画人・根岸寛一を追って 《映画探偵団》51

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【コラム・冠木新市】世界映画史上ベスト10に常々ランクインされる、米映画『市民ケーン』(1941)を久し振りに見た。オーソン・ウェルズが25歳のとき、映画初出演の劇団員と作り上げた監督第1作で、実在する新聞王ハーストをモデルにした伝記映画だ。

オーソン・ウェルズ監督『市民ケーン』

奇っ怪なザナドゥ城で、ひげの老人が「バラのつぼみ」という言葉を残し亡くなる。すると急にニュース画面となり、新聞王ケーンの訃報が流れ、彼の業績が紹介されたあと、突然画面は暗くなり、そこは映写室であることが分かる。新聞経営者が、ケーンが残した「バラのつぼみ」の意味を探れと、記者のトンプソンに指示を出す。

トンプソンは、ケーンの2度目の元妻、後見人サッチャーの回顧録が収められた図書館、仕事上の旧友2人、ザナドゥ城の執事を訪ねる。記者は狂言回しの探偵役なのだが、その描写は後ろ姿だったりして、ほとんど目立たない。目立つのは5人が語るケーン像である。また「君は市民を愛していると思わせて、自分を愛して欲しいだけだ」など、5人が語るケーンの人物評が鋭い。

「バラのつぼみ」の意味は、結局分からぬままに終わるのかと思わせて、ラストシーンで観客だけがその答えを知る。そしてこれまでの物語を振り返ると、強気一辺倒だったケーン像がまた異なって見えてくるから面白い。

筑波郡小田村出身満洲映画で活動

実は私も「バラのつぼみ」を探している。それは旧筑波郡小田村出身の映画人・根岸寛一の生涯を追いかけているからだ。根岸(1894―1963)は、戦前の芸能史、日本映画史、アジア史で重要な役割を果した人物だが、今ではほとんど忘れ去られている。つくば市でも知っている人はほぼ皆無だろう。

▽大正9年(1920):根岸興業部にいた根岸は、社長の小泉丑治と土浦生まれの作家高田保との3人で根岸歌劇団を結成し、浅草にオペラを根付かせた。現在の日本オペラのルーツと言っても過言ではない。

▽昭和10年(1935):経営悪化した日活多摩川撮影所長となり、『人生劇場 青春篇』『真実一路』『裸の町』『大菩薩峠』『土』など次々と名作・力作を連発。内田吐夢、田坂具隆などの名監督を育て、3年間で空前絶後の歴史を作った。

▽昭和13年(1938):海を渡って満洲国に入る。満洲映画協会の理事として活動。大陸3部作『白蘭の歌』『支那の夜』『熱砂の誓い』で、李香蘭(山口淑子)をアジアの大スタアに育てあげた。

▽昭和20年(1945):日映の社長となる。広島に落ちた原爆記録映画を即座に作る。8月末、フィルムは米軍に没収される。昭和42年(1967)、映画は日本に返還され、翌年、10数分カットされテレビ放映されたが、以後、文部省の倉庫に密閉される。根岸は日本初の原爆映画を作った男なのである。

▽昭和21年(1946):日映退社後、東横映画(後の東映)に参画。満洲から帰国する仲間たちの受け皿を作り、日本映画界を代表する会社の礎を築き上げる。

自分のことをほとんど語らなかった

根岸は、ほとんど自分のことを語らなかったから、資料もない。唯一、仕事仲間だった岩崎昶の評伝『根岸寛一』があるだけだ。それによると、根岸は若いころから、大小説家を目指していたという。亡くなる直前まで日記を付け、読書を続けた。小説の構想もあったに違いない。

どんな物語を考えていたのだろうか。そのタイトルが「バラのつぼみ」に相応するのではないかと私は思っている。根岸寛一を探る旅はまだまだ続きそうだ。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

<新春つくばセンタービル謎解きツアー>
・内容:ビルに隠された建築の謎を解きながらビルを回ります
・日時:1月30日(日)午後1時から約1時間
・定員:10人前後(小中高生大歓迎)、参加費無料
・予約:090-5579-5726(冠木)

外国人材採用へ、ペンギンシステム(つくば)参加  ジェトロ合同企業説明会

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ペンギンスステムの仁衡琢磨社長(右)=つくば市千現、つくば研究支援センター内

人口減少による労働力不足が課題となる中、地方の中堅中小企業に、国内の外国人留学生や海外の大学生など、高度な技術や専門性をもった外国人材を採用する企業が現れ始めている。

日本貿易振興機構(ジェトロ)が中堅中小企業などに呼び掛け、17日から5日間開催する「ジェトロ オンライン合同企業説明会」(文科省、厚労省共催)に、県内からつくば市千現のコンピューターソフトウエアシステム設計開発会社、ペンギンシステム(仁衡琢磨社長)が参加する。

2020年秋からジェトロが年2回開催している合同企業説明会で、今回で4回目。外国人材に特化した企業説明会としては国内最大級の規模になる。今回、採用側の企業は28都道府県から84社が参加する。県内からの参加はペンギンシステムが唯一。

外国人は、3月卒業予定の国内の大学や大学院などに在籍する留学生や、海外に住む大卒者など約1500人が参加する予定だ。前回、2021年秋の第3回企業説明会では、1社当たり平均20人程度のエントリーがあった。

ペンギンシステムはシステムエンジニアを若干名採用する予定だ。仁衡社長は「人口減少社会となり中小企業はどこも人材採用に苦労していると思う」と話す。「ここ10年、コロナ前までは、新卒者の大企業志向が薄れてきて、地元の中堅中小企業にいい流れがきていたが、コロナ禍で大企業志向に回帰するという揺り戻しがきている。中堅中小企業も人材確保が厳しくなり、今までと同じやり方ではいけないと試行錯誤が始まっている」と語る。

「国籍や性別にとらわれずに働く仲間を募集したい」とし、「どの中小企業も他人事ではないと思うので、優秀な外国人を採用したいと考えている中小企業の先駆けになれれば」という。

合同説明会は5日間、オンラインで開催されるほか、22日から2月25日までの約1カ月間、アーカイブ配信される。参加企業に対してはジェトロが、採用や就職がスムーズにできるよう包括的支援を行う。

過程を事実とはき違える 《続・気軽にSOS》101

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【コラム・浅井和幸】人はいろいろなことを想像するものです。そして、想像と事実の区別をつけずに、事実とは別のところで怒ったり泣いたりして、苦しんでいることが多々あります。

相手のことを気遣う想像力が足りないからだ、と指摘されることがあります。もちろん、そのような理由もあるでしょう。複数の想定をして、それらは自分が想像した仮説であることが認識できれば、事実でないことでの腹を立ちはないでしょう。

それと同じぐらい、自分の思い込みを足して苦しんでいないかを改めて考えてみると、苦しんでいることの多くの部分がなくなる可能性があります。いろいろな例を羅列しますので、自分自身でどのように対応したいのかを想定してみると面白いでしょう。事実は何で、どこが想像なのか、考えてみてください。

確認して事実と置き換えて進む

私は友人に「今日のランチはカレーを食べるか?」と聞きました。友人は「食べない」と答えました。私は「なんだ、昨日の夜もカレーだったのならば、最初から言ってくれよ」と言う。

友人に送ったラインに「既読」がついたまま返事がない。友人は自分のことを無視している、自分のことを軽く見ている、バカにしている―と怒る。

誰も自分に声をかけてくれない。それは自分の見た目が悪いからだ。自分に魅力があればみんなが寄ってくる。

何もかも忘れて集中できる趣味があるから、みんな幸せに生きている。

私「お金に困らない生活をしています」。Aさん「それは、たくさんの収入や貯蓄があると言うことですか?」。私「人並以下の支出しかしないからです」。

想像、想定、過程、予想―それがいけないのではありません。確認できることは確認して、それらを事実と置き換えて次に進むことが大切です。事実を無視して決めつけてしまうと、思い込みの中で生きていくことになってしまいます。(精神保健福祉士)

グリフォン「聖地」土浦に立つ! 14日から機動警察パトレイバー30周年突破記念展

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機動警察パトレイバー30周年突破記念展に出展されるセル画のひとつ=主催者提供

機動警察パトレイバー30周年突破記念 in土浦「TV-劇パト2+」展が14日から、土浦市大和町の市民ギャラリー(アルカス土浦1階)で開かれる。2月13日まで。土浦は、パトレイバーの強敵、グリフォンが製造されたという「聖地」扱いになっている。

ロボット技術による歩行式の作業機械「レイバー」が普及する近未来の東京を舞台に、新設された警視庁のレイバー部隊の活躍を描くアニメ。1988年4月に始まる初期OVAシリーズはじめ、劇場版、テレビシリーズなどが作られた。その30周年突破を記念して2019年、大阪を皮切りに全国4カ所を巡回した「OVA-劇パト1展」が開かれ、多数のファンを集めた。

内容を一新した第2弾の今回は、1989年から90年までNTV系で放送されたTVシリーズ(全47話)、AfterTVとして制作された16話のNEW OVAシリーズ、そして1993年に劇場公開された「機動警察パトレイバー2 the Movie(ザ・ムービー)」に焦点を当てて、制作資料やイラストの展示を行う。

初公開となる制作当時の原画、セル画

作品のキャラクターデザイナー、高田明美さんによって描かれた「TVアニメ版」「機動警察パトレイバー2 the Movie」のジャケットイラストの原画や、KADOKAWAニュータイプ編集部にて発見されたセル画、アニメーション製作会社「プロダクションI.G」保有の貴重な原画など、約150点が展示される。

さらに、造形師の川端英揮さんによって制作された新作立体物が展示される。特に注目されるのがグリフォンの巨大立像。グリフォンは驚異的な性能を持つ登場メカで、巨大多国籍企業、シャフト・エンタープライズ・ジャパンの土浦研究所で製造されたという設定がある。立像は両翼1.2メートル、細部までこだわった仕上がりということだ。いまだファンの間では根強い人気を誇るグリフォンの新作グッズやブックレットの販売もある。

TV-劇パト2展メモリアルブックレット表紙イメージ

開催記念スタンプラリー

開催記念して、会期中、市内を巡るスタンプラリーが行われる。参加は無料で、スマートフォンが必要。対象ポイントをすべて回わると、橘田幸雄さんの描いた展示会メーンビジュアルのクリアファイルが進呈される。

スタンプラリーへの参加はRALLY特設ページから。サイトで場所を確認してスタンプスポットに向かい、各スポットでスマホ画面を開くとスタンプを押すことができる。全7カ所でスタンプを集めたら,パトレイバー展受付に完了画面を提示、特典と交換できる。

◆機動警察パトレイバー30周年突破記念 in土浦「TV-劇パト2+」展 1月14日(金)~2月13日(日)土浦市民ギャラリー(アルカス土浦1階) 開館時間は10:00~18:00(最終入場17:30) 14日と土日祝日はオンラインによる事前予約制となる。【チケット】当日券(展示会場受付で販売)一般1000円 小中高生500円(税込み)予約はこちらから「STORES 予約」

初雪に思う Let it beとLet it go 《遊民通信》32

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【コラム・田口哲郎】
前略

謹賀新年。初雪が大雪になった年の初めでしたね。雪が降り積もり、いつもの街が真っ白になり、とても新鮮な景色が現れました。雪でいろいろ大変だった方々もおられると思いますが、純白の光景は心が洗われるようでした。

ひたち野うしく駅前のメタセコイヤの並木はイルミネーションが飾られているのですが、雪が降り始めた夜はなんとも幻想的でした。樹氷のようになった木の枝に光の粒が煌(きら)めき、黒い空に映えていました。白い絨毯(じゅうたん)が異世界に来た感覚にしてくれます。

私は「アナと雪の女王」を思い出しました。映画とともに主題歌のLet it goが大ヒットしましたね。ありのままの〜というサビが印象的です。Let it goを思い出すと、ザ・ビートルズのLet it beも思い出します。こちらは1970年発表ですから、2013年のLet it goの43年前ということになります。

be「ある」からgo「なる」へ

Let it goに時代の流れを感じるのは私だけでしょうか。流行当時、Let it beと比べて、その違いが言われていた気がします。Let it beは苦境にある僕の前に聖母マリアが現れて、「Let it be」という金言を与え、僕を孤独から救うという内容です。Let it beは「あるがままに」とか「身を委ねなさい」と訳されます。

一方、Let it goは「ありのままの 姿見せるの」とか「ありのままの 自分になるの」と訳されました。

ビートルズのLet it beはbeが使われています。beはご存知のようにbe動詞で存在を表します。ですから、訳も「ある」がまま。今そこに存在しているだけでよいという「ゆるし」のようなものを聖母マリアが与えてくれる。そこには静かな肯定感が感じられて、宇宙的な静けさのなかでおだやかに自分に向き合えば、小さな欲望や意地などがどうでもよくなり、心が解放されるのでしょう。

時代は流れ、40年の間に世界は劇的に変動し、日々競争が激しくなっている。日常のストレスも昔とは質が変わっているように思います。Let it goはそれをちゃんと映しとっています。使われている動詞はgoです。これはある人がその場所からどこかへ移動するという意味。ふつうは「行く」と訳されます。自分を新たな世界に解き放て、という意味が込められています。ありのままの自分に「なる」。変わる自分が求められています。

そこに「いる」でよかったbeが、どこかへ行かねばならないgoに変わったわけです。存在から行動へ。

今の世の中「何者であるのか」よりも「何をする者なのか」が重視されます。「ある」ことはもちろん大切です。でも、今はその人がどんな人で「ある」のかよりも、どんなことを「する」のかが見られる。「ある」は簡単には変えられないけれども、「する」はその気になれば変えられる。「ある」を守りつつ、「する」で世の中をよりよく変えていく。

コロナ禍で大変ですが、自然が雪景色でエールを送っているのかもしれませんね。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)