金曜日, 9月 11, 2026
ホーム土浦追悼、里内龍史さん 障害者の権利獲得目指し闘い続けた

追悼、里内龍史さん 障害者の権利獲得目指し闘い続けた

障害者の当事者団体「茨城青い芝の会」会長の里内龍史さん(土浦市神立)が9日、亡くなった。66歳だった。障害者の権利獲得を目指して闘い続けた。脳性まひがあり、車いすで市民運動の闘いの現場に出掛け、文字入力音声読み上げ装置を使って発言した。昨年6月には「茨城青い芝の会」60周年記念誌(21年7月29日付)を発行したばかりだった。

滋賀県の浄土真宗の寺に生まれた。1980年、かすみがうら市の閑居山(かんきょざん)にあった障害者のコロニー「マハラバ村」に移り住んだ。滋賀の共同作業所で働いていた頃、同僚から「作業所で働いて善人ぶってもしょうがない。現代の親鸞のような面白い人が茨城にいる。浄土真宗だから、その人のところへ行って、親鸞の悪人正機の思想を学べ」と言われたのがきっかけだった。

マハラバ村は64年、閑居山の麓にあった願成寺(がんじょうじ)住職の大仏空(おさらぎあきら)=故人=がつくった。後にマハラバ村を出た障害者が全国各地で「青い芝の会」を結成し、70年代に先鋭的な社会運動を起こした。マハラバ村自体は長続きせず、ほとんどの障害者が数年で村を出た。残る人が少なくなった状況の中、里内さんはマハラバ村に移住し、最後の大仏門下生となった。

その後、大仏住職は死去し、84年12月、里内さんは村を出て、土浦市神立で自立生活を始めた。

「きれいな目をしている大人」

1人暮らしをする里内さんを長年、介助し、支えた土浦市の天海(てんかい)国男さん(79)は、大仏住職と知り合い、マハラバ村に行くようになり、里内さんと出会った。「ある日、和尚に呼ばれてマハラバ村に行った。車いすの若い男の人に声を掛けられて、政治のこととか何か議論するようなことを言われた。大仏和尚にそのことを話すと『あれは滋賀県のお寺の坊主だ』と言われた。それが里内さんとの最初」と話す。

天海さんは「里内君と初めて会ったとき、子どものようにきれいな目をしている大人だと思った。そこから付き合いが始まった」と当時を振り返った。

里内さんは生前、天海さんとの出会いについて「閑居山に来る人の中に天海(てんかい)さんがいた。大仏和尚が亡くなる1カ月前に天海さんを閑居山の手伝いに呼んだ。大仏和尚は自分の死期を悟って天海さんに閑居山に残した私を託したかった」と茨城青い芝の60周年記念誌に書いている。

天海さんは「(マハラバ村を出た後)どうしているかと気に掛かり、里内君の家を訪れるようになった。当時は介助という制度があったわけではなかったが『介護をやってくれ』ということになり、やるようになった」と話す。

「塩辛を食べること」が掟

記者が筑波大学に在籍していた2021年年3月、里内さんのお宅に伺い、話を聞く機会があった。ちょうど「青い芝の会」をテーマに卒業論文を書いたこともあり、当時アルバイトをしていた介助事業所の関係者がつないでくれた。

里内さんは、マハラバ村での暮らしのこと、茨城青い芝の会の活動のことを、文字入力装置に打ち込み、伝えてくれた。「大仏和尚は塩辛が好きで、塩辛を食べることが村の掟(おきて)だった。掟を破ると村から追い出された」という話が記者の印象に残った。当時のことをなつかしそうに話す里内さんの姿から、最後の大仏門下生の生き様の一旦が、少しだけ分かった気がした。

87年には、脳性まひ者の折本昭子さん=故人=と大仏住職らが創設した「茨城青い芝の会」の会長に就任し、JR土浦駅のスロープ闘争、障害者だけの国立大学として設置が構想された筑波技術短期大学設置反対闘争、知的障害者に対する暴行事件である水戸パッケージ事件の糾弾闘争など、障害者の権利獲得のための闘いを続けた。

近年は、地元、土浦市のバリアフリーのまちづくりにも尽力した。バリアフリー新法が策定され、住民提案制度が創設されたのを機に2007年、里内さんは、市民団体「バリアフリー新法にもとづく基本構想の策定を実現させる会」の一員として全国で初めて、土浦駅周辺のバリアフリー化などを求める基本構想策定を土浦市に住民提案し、市が実施する道路や施設の整備にあたっては、障害がある当事者が計画策定に関わるという仕組みづくりを実現させた。

当時、里内さんと共に市に住民提案した市民団体「アクセス・ジャパン」(東京都板橋区)代表の今福義明さん(63)=当時はDPI日本会議常任委員=は「里内さんは基本構想策定のときに一緒に取り組んだ仲間。里内さんが当時からおっしゃっていた、神立駅近くの危険な踏切問題はまだ解決していない」とし「昨年以降、コロナでお会いすることもなかったが、NEWSつくばで茨城青い芝の会60周年の記念誌が発行されたのを知り、シェアした。訃報を知り、本当にショック」だと話した。(山口和紀)

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

1コメント

1 Comment
フィードバック
すべてのコメントを見る
スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho





spot_img

最近のコメント

最新記事

別館宴会場「昴」を大改修 ホテル日航つくば

ホテル日航つくば(つくば市吾妻1丁目)は別館大宴会場「昴(すばる)」の大改修を進めていたが、このほど工事が完了、10日、報道機関などへの内覧会を開いた。天井照明装置、影像音響装置、床カーペットなどが一新され、「幅広い用途に対応できる宴会場として生まれ変わった」(古澤聡総支配人)。改修費は約3億円という。 同ホテルは、1985年開催のつくば科学万博に合わせ、1983年「筑波第一ホテル」として開業。別館は1990年に完成した。その後、ホテルオークラ(本社東京都港区)が運営を引き継ぎ、2001年「オークラフロンティアホテルつくば」に名称を変更。さらに経営権もオークラが継承、同社による日本航空系ホテル買収から10年後の2020年、現ホテル名になった。 筑波山稜線、桜川水面をイメージ 改修は大きく分けると3分野。天井照明は蛍光灯からLEDに換え、明るさを従来の3倍にし、スポット照明に動作性を持たせた。プロジェクターは後方壁面に備え付け(これまではフロアーに設置)、壁面スクリーンも電動操作(同手動操作)にし、音響器機には音質劣化抑制システムを導入した。カーペットは、紫峰・筑波山の稜線、市内を流れる桜川の水面などをイメージできるデザインのものに張り替えた。 古澤総支配人は「3分割可能な大宴会場は約700平方メートルの広さがあり、県南にある宴会場としては最大級。式典、宴会、結婚式などの快適性だけでなく、各種の会議に対応できるよう、照明器具や会議装置の機能性もアップした」と話す。 新装で増収目指す 同社の2025年度の売上高は18億2000万円。今年度は20億円を見込む。収入の半分を占める宿泊部門は外国人観光客を呼び込むことで増収を図り、宴会部門は新装会場の稼働率アップで増収を目指す。さらに、両部門の活性化を飲食部門につなげ、レストラン「セリーナ」、中国料理「桃李」、「常陸牛 山水」などの利用者増も狙う。(坂本栄)

投票時間1時間繰り上げ午後6時まで つくば市選管

つくば市は9日、今後実施される選挙について、投票日当日の投票時間を、これまでの午後7時までから1時間繰り上げて午後6時までとすると発表した。1日開いた市選挙管理委員会(野尻等委員長)で決めた。12月4日告示、13日投開票の県議選から実施される。 繰り上げの理由は、期日前投票を利用する投票者が増加していること、当日投票者の9割が午後6時までに投票を済ませていることなど。市選管事務局によると、昨年9月の知事選での同市の期日前投票の投票率は39%、今年2月の衆院選は54%だった。投票所立会人の従事時間が長時間に及んでいることを懸念する意見も出されたという。 投票日当日の投票開始時間に変更はなく、午前7時から。期日前投票の投票時間も変更はなく、市役所投票所の場合、午前8時30分から午後8時まで。 投票時間が繰り上がるのに伴い、12月の県議選の開票作業は、これまで午後8時20分から開始していたものを、午後8時からに20分繰り上げる予定だという。 公選法は午後8時まで 一方、公職選挙法は投票時間を午前7時から午後8時までと定め、特別の事情があり投票に支障をきたさない場合に限り、4時間以内の範囲内で繰り上げなどを認めている。 つくば市では2012年から、投票時間を法定の午後8時までから1時間繰り上げて午後7時までとしてきた。 県選管によると、今年2月の衆院選では、県内44市町村中、38市町村が午後6時で当日の投票を締め切り、つくば市を含め5市町が午後7時までとしていた。公選法の規定通り県内で唯一、午後8時までだった牛久市は今年度から、当日の投票時間を2時間繰り上げ、午後6時までとすると発表している。12月の県議選の各市町村の投票時間について、県選管はこれから調査する予定だとしている。(鈴木宏子) 【訂正 10日午後1時10分】3段落目、市役所投票所の期日前投票の開始時間は午前9時ではなく8時30分からの誤りでした。

ワイン用ブドウの収穫が最盛期 筑波山麓

筑波山麓で8月末からワイン用ブドウの収穫が始まり、最盛期を迎えている。収穫作業は9月末まで続く。つくば市は2017年に「つくばワイン・フルーツ酒特区」に認定され、現在市内には四つのワイナリーがある。 筑波山麓には、筑波大出身で、ワイナリー「ビーズニーズヴィンヤーズ」(同市神郡)を経営する今村ことよさん(53)のブドウ畑が広がる。今村さんは2015年から栽培を始めた。現在、山麓の沼田地区と臼井地区の2カ所に計約1.5ヘクタールあり、白ブドウのシャルドネ、黒ブドウのシラーなど10品種を栽培している。今村さんは今年6トンの収穫を目指している。 ブドウの栽培からワインの醸造まで今村さんが一人で担っているが、収穫作業は人手が必要になる。初日の8月30日にはSNSの呼び掛けで、ワイン作りを学びたいと、つくば市内や東京都、千葉県などから、50歳代の男女6人が集まり、ボランティアで収穫を手伝った。 ボランティアの6人はこの日、沼田地区のブドウ畑でジュースとして利用するメルローなどの品種を収穫した。今村さんから指導を受けながら、剪定(せんてい)ばさみを用いて、ていねいに収穫していった。千葉県習志野市から参加した公務員、角田圭吾さん(54)は「各地域のブドウ畑でボランティアとして収穫作業に参加している。今村さんの指示は的確で細かくありがたい」と語り、都内から参加した50代の男性は「つくばでワインが出来るのに驚いた。山麓の景色の良いところで作業できるのはうれしい」と話していた。 収穫作業と併せて、今村さんのワイナリーでは9月4日から、今シーズンのワインの仕込みが始まった。八千代町と埼玉県入間市の2軒のブドウ農家も加わり、それぞれ収穫したブドウを持ち込み、ブドウの品種や状態に合わせて、機械でブドウの茎や軸を取り除いたり、圧力をかけてブドウを絞る作業などを実施した。 この日持ち込まれたブドウは、今村さんが700キロ、八千代町のブドウ農家が700キロ、入間の農家が220キロの合計1620キロ。仕込み作業で出た搾りかすは、今村さんが肥料として利用する。2軒のブドウはそれぞれ、今村さんが受託しワインを醸造する。 今村さんは「今年はここ数年に比べて気温が低く、ブドウの色づきも良く、昨年よりも良いブドウが収穫出来そうだと期待している。収穫や仕込みの作業がまだまだ続くが、良いワインになるようにがんばっていきたい」と話している。(榎田智司)

「禍根を残す」「立つ鳥跡を濁す」《ハチドリ暮らし》65

【コラム・山口京子】どうやって始末をつけるのか? どう片づけを考えるのか? 個人であれ、社会であれ、「禍根を残さず」とか「立つ鳥跡を濁さず」という言葉は死語になってしまったのでしょうか? 科学技術が軍事利用、商業利用されるにつけ、「禍根を残す」「跡を濁す」ケースが増えているように思えます。 今、近代西洋科学には、自然を人間の都合で改変してしかるべし―という姿勢があるような気がしてなりません。科学を利用する人間の欲望のなせる業なのでしょうか。科学技術の成果が商品化され、社会がどんどん複雑化しているのに対し、人間の思考は単純化していると感じます。次第にお手上げ状態で生きるのではないか―そんな不安がよぎります。 人間のすることは自然にかなわないと分かった東日本大震災。福島原発事故のその後について、なぜ詳しい報道がされないのでしょうか? 緊急事態宣言が解除されたとは聞きません。福島の第一・第二原発の廃炉処理はどうなっているのか? 廃炉のロードマップ、時間・費用・技術など、素人には分かりません。それでも、廃炉の費用は税金から支出されるのでしょう。 経済破綻を戦争でウヤムヤに? パキスタンやアフガニスタンで医療活動に従事した中村哲さんの本に、こんな言葉がありました。「(国連難民帰還の)机上のプランは事情を知らぬものには説得力があったが、我々にはまるで粗悪なカリカチュアとしてしか映らなかった」と。それは彼の地を見続けた医師の声ですが、廃炉にも当てはまるのではないでしょうか。 事態がどうなっていくのか…。あれだけの大きな被害があり、今も将来も続いていくのに、責任はだれも取っていないような…。日本列島は地震の活動期に入ったと言われます。その上に、いくつの原子力発電所が建っているのか…。いつ大きな地震が来てもおかしくない今、それらを稼働させることは悪夢でしかないのでは? 各国ともども軍事費が膨張していくとなれば、未来はどうなるのでしょう? 国家は経済破綻を戦争でウヤムヤにするかもという声を聞きます。将来世代に重い負担が課せられていくでしょう。大きな負担と危険が隣り合わせの暮らしを押しつけることは、許されないはずなのに…。(消費生活アドバイザー)