火曜日, 4月 30, 2024
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原発は再開すべきか、脱・廃を目指すべきか 《文京町便り》6

【コラム・原田博夫】ここ数カ月で、原発に関して、方向性の異なる判断(いまだ決定には至っていない)が、国内外で続いている。ここでは、「原発再開」と「脱原発」と区分けしておこう。 日本国内における原発に関する裁判も、方向性は異なっている。まずは、最高裁で6月17日に、東日本大震災による福島第1原発事故の避難者の集団訴訟で、国に責任なしとの判決が出た。そもそも東京電力の賠償責任は確定しているが、2審で判断が分かれた国の責任についての審理である。これは、政府の地震調査研究推進本部が2002年7月に示した「長期評価」だけでは国の法的責任は問えない、という判断である。 しかし、この判決には3対1の少数(反対)意見があり、国の社会的・政治的責任にも言及されている。ともあれこれは、条件付きながらも「原発再開」である。 他方「脱原発」は、東電株主代表訴訟で、東電の当時の経営陣5名に対する22兆円の損害賠償責任を問う裁判(東京地裁)では、4名に対して総額13兆円超の損害賠償額を認めた。判決文では、特に「水密化」(電源設備のある敷地・建物・部屋への段階的な防水・浸水対策)が、造船・潜水技術で古くから確立されていたにもかかわらず、かつ、「長期評価」(2002年7月)と、貞観地震(869年)の津波モデルの知見および予見可能性を無視したことなどに瑕疵(かし)を認めている。 EUタクソノミー、気候変動対応オペ ところで、2022年2月下旬のロシアのウクライナへの軍事侵攻以来、資源エネルギー価格が世界的に上昇している。ロシアは、国際的な経済制裁に対抗すべく、ガスの供給・輸出の締め上げを実際に始めている。それに対抗するにはこの際、原子力の利活用が必要ではないか、という議論が浮上している。「原発再開」の復活である。 そもそも欧州議会では2021年春以降、EUタクソノミー(持続可能なグリーンエネルギーに原発とガスを含める)の事務局原案が公表・議論されてきた。 賛否両論が交錯する中、6月14日の合同委員会(環境委員会と経済金融委員会)では賛成62、反対76だったが、7月6日の本会議では賛成328、反対278、棄権33と逆転し、原発とガスをEUタクソノミーに含めることが決まった。ただし、オーストリアやルクセンブルグは提訴を表明している。ともかく、欧州議会の方針は「原発再開」である。 他方、日銀は、「気候変動対応オペ」を2021年6月以降検討していたが、同年12月、金融機関からの応募を受け付け、24日、資金供給を実施した(複数の地銀への2兆円超)。この制度の期限は2030年度末で、金融機関がこの制度を利用するには、情報開示が条件づけられている。 日銀は、躊躇(ちゅうちょ)しながらも踏み切ったこの政策の狙いを「脱炭素に向けた呼び水」効果だとしている。次回オペのオファーは7月20日である。この政策は、EUタクソノミーに原発、ガスが含まれる以上、結果的には、「原発再開」を推進するだろう。 というわけで、脱炭素と脱原発に向けての政策は、両輪・両立か二律背反かのダッチロール気味である。(専修大学名誉教授)

人間は作る生き物「ホモファーベル」 《続・平熱日記》113

【コラム・斉藤裕之】美術大学の学生にとって美大受験の予備校の先生はいいアルバイトになる。私も随分長い間しばらく住んでいた埼玉の予備校にお世話になった。日曜日のコースには栃木や群馬から高校生がやってきた。当時は彼らの北関東訛(なま)りが新鮮だった。 その中の1人の女の子の話。出会ったのは彼女が高校生の時。さすがに現役とはいかなかったが、才能と努力で後に芸大に見事合格した。最後に会ったのは我が家を建てた直後に引っ越しを手伝いに来てくれた時だから、ちょうど20年前になる。それからしばらくして、実家のある那須に生活の拠点を移したこと、数年前から牛舎を改築してなにやら始めたところまではSNSで知っていた。 その牛舎が見事なカフェに生まれ変わって、その様子がテレビで紹介されるという。私はそれまでその番組を知らなかったのだけれど、古い建物をリフォームしてカフェを営んでいる方々を取り上げている番組らしい。古い建物やリフォームは私の大好物である。牛舎としては珍しい入母屋(いりもや)のつくりや、かわいらしい建具なども興味深く拝見させていただいた。 番組の中で、彼女は旦那さんと共にこのカフェに生きがいを感じているのがよく分かった。いつか大きなタケノコを送ってくださった、ご両親のお顔も拝見できた。そして東日本大震災を機に彼女が故郷に帰り、その魅力に気づいたことを知った。故郷を愛し故郷に生きる彼女の姿を見て、応援したいと思った。 1日ひとつでもいいから何か作る 少し迷ったが、放送後にSNSに簡単なコメントを送った。すると「先生が『人間は作る生き物』と言われたことを今でも覚えていて…」という返信があった。これはホモサピエンスという人間の学名に対して、「人間は本質的に物を作ることにおいて人間である」という概念で人間を定義したもので、「ホモファーベル(つくるひと)」という言葉に由縁している。 それを恐らく何かの時に口にしたのだと思うのだが、彼女がこの言葉を大事にしてくれていたということに感慨深くもあったが、実はこの言葉を聞いて意表を突かれたのは私自身だった。 この4月、日雇い先生をする学校で生徒に向けた自己紹介文を書くように言われたので、急いでパソコンに打ち込んだ。「1日ひとつでもいいから何か作ろうと思っています。文章でもご飯でも、友達でも」。何とも腑(ふ)抜けた自己紹介だが、つまり私自身無意識に「ホモファーベル」であり続けたいと思っていたということだ。 言葉が消えていくものでよかったと思う。良くも悪くも。言葉ひとつで仲良くなったり険悪になったり。でも何かの折に心に引っ掛かった言葉が何十年も生き続けることもある。那須には大学の研修所があったので、何度か出かけた思い出の地だ。しばらくぶりに尋ねてみようか。北関東訛りにも少しは免疫ができたことだし。(画家)

人間は作る生き物「ホモファーベル」 《続・平熱日記》113

【コラム・斉藤裕之】美術大学の学生にとって美大受験の予備校の先生はいいアルバイトになる。私も随分長い間しばらく住んでいた埼玉の予備校にお世話になった。日曜日のコースには栃木や群馬から高校生がやってきた。当時は彼らの北関東訛(なま)りが新鮮だった。 その中の1人の女の子の話。出会ったのは彼女が高校生の時。さすがに現役とはいかなかったが、才能と努力で後に芸大に見事合格した。最後に会ったのは我が家を建てた直後に引っ越しを手伝いに来てくれた時だから、ちょうど20年前になる。それからしばらくして、実家のある那須に生活の拠点を移したこと、数年前から牛舎を改築してなにやら始めたところまではSNSで知っていた。 その牛舎が見事なカフェに生まれ変わって、その様子がテレビで紹介されるという。私はそれまでその番組を知らなかったのだけれど、古い建物をリフォームしてカフェを営んでいる方々を取り上げている番組らしい。古い建物やリフォームは私の大好物である。牛舎としては珍しい入母屋(いりもや)のつくりや、かわいらしい建具なども興味深く拝見させていただいた。 番組の中で、彼女は旦那さんと共にこのカフェに生きがいを感じているのがよく分かった。いつか大きなタケノコを送ってくださった、ご両親のお顔も拝見できた。そして東日本大震災を機に彼女が故郷に帰り、その魅力に気づいたことを知った。故郷を愛し故郷に生きる彼女の姿を見て、応援したいと思った。 1日ひとつでもいいから何か作る 少し迷ったが、放送後にSNSに簡単なコメントを送った。すると「先生が『人間は作る生き物』と言われたことを今でも覚えていて…」という返信があった。これはホモサピエンスという人間の学名に対して、「人間は本質的に物を作ることにおいて人間である」という概念で人間を定義したもので、「ホモファーベル(つくるひと)」という言葉に由縁している。 それを恐らく何かの時に口にしたのだと思うのだが、彼女がこの言葉を大事にしてくれていたということに感慨深くもあったが、実はこの言葉を聞いて意表を突かれたのは私自身だった。 この4月、日雇い先生をする学校で生徒に向けた自己紹介文を書くように言われたので、急いでパソコンに打ち込んだ。「1日ひとつでもいいから何か作ろうと思っています。文章でもご飯でも、友達でも」。何とも腑(ふ)抜けた自己紹介だが、つまり私自身無意識に「ホモファーベル」であり続けたいと思っていたということだ。 言葉が消えていくものでよかったと思う。良くも悪くも。言葉ひとつで仲良くなったり険悪になったり。でも何かの折に心に引っ掛かった言葉が何十年も生き続けることもある。那須には大学の研修所があったので、何度か出かけた思い出の地だ。しばらくぶりに尋ねてみようか。北関東訛りにも少しは免疫ができたことだし。(画家)

あれから11年 東北未来芸術花火2022《見上げてごらん!》3

【コラム・小泉裕司】時折フラッシュバックする日帰り旅がある。東日本大震災から2カ月が過ぎた2011年5月の連休明け、地元の復旧作業の合間を縫って、甚大な津波被害を受けた宮城県亘理町荒浜地区を訪れた。 復旧間もない東北新幹線で仙台駅を経由し常磐線を南下、到着したJR亘理駅から歩くこと約1時間。途中目に映る「がれき」の山と被災者宅で活動するボランティアの勇姿は今でも鮮明に思い出される。未体験の現実を目の当たりにして呆然(あぜん)とするだけの自分に無力感を覚え、帰宅した後もしばらくの間は安易に訪れたことへの後悔の念にさいなまれる日々が続いた。 持参したカメラは、物見遊山と見られるのではないかと気がとがめ、一度もバッグから取り出すことはなかった。写真を撮影すればするほど記憶が曖昧になる「写真撮影減殺効果」という心理学の研究成果があるらしい。写真を撮ることが目的となってしまい、実際に体験したことが記憶に残らないというのだ。 逆に言えば、亘理町を訪問した11年前の記憶が今も鮮明なのは、一度もカメラのシャッターボタンを押さなかったことで、「減殺効果」が生じなかったからと言えるのかもしれない。 「茅ケ崎サザン芸術花火」 震災の月命日にあたる6月11日、犠牲者の鎮魂と新型コロナの早期収束を願い、「東北未来芸術花火2022」が亘理町鳥の海公園で開催され、1万人を超える観客が訪れた。この「芸術花火」は全国30カ所以上でツアー型花火大会として開催されており、花火と音楽のコラボによるストーリー性を重視した、1時間ノンストップで展開する花火イベントである。 2009年に国営ひたち海浜公園(ひたちなか市)で開催した「大草原の花火と音楽」から始まったもので、特に2018年の「茅ケ崎サザン芸術花火」(神奈川県茅ケ崎市)では、日本最高峰のバンド「サザンオールスターズ」の名曲と野村花火工業(水戸市)やマルゴー(山梨県)をはじめとする日本花火の「オールスターズ」がコラボし、茅ケ崎海岸に夜空のエンターテインメントショーを見事に演出した。 花火玉の燃えかす「ガラ」拾い 閑話休題、亘理町の花火に話題を戻そう。会場に到着後、震災犠牲者を慰霊する「鎮魂の碑」の前で手を合わせてから観覧席に着いた。当夜は、無風により滞留した煙の合間からしか見えない花火に観客からは落胆の声が聞かれたが、それでも私は頭上を見上げ続けた。雲の上の犠牲者の皆さんには美しい大輪の花火が届いていることを信じながら。 翌日は早起きして、花火会場で行われた「世界一楽しいゴミ拾い」に相棒と2人で参加した。「芸術花火」ではセットとなっている恒例のゴミ拾いイベントだ。時間経過とともに雨量が増す中、マスクや衣服がぬれるのもかまわず黙々と花火玉の燃えかす、いわゆる「ガラ」を拾い集めるボランティア参加者に感動さえ覚えると同時に、短絡的だが「東北人らしさ」を垣間見たような気がした。 花火打ち上げ後、花火師は花火筒の撤去と同時に大きなガラや黒玉(不発玉)を集めるのが通例だが、夜間、小さなガラまで拾い集め切ることはできないため、どこの花火大会でも欠かすことのできない仕上げ作業である。 亘理町との「ご縁」に導かれた今回の花火旅は、荒浜漁港の海鮮丼とカニ汁、アンコウの肝あえで清掃作業の空腹感を満たし、ゴミ拾いイベントの抽選会で当選した豪華なご褒美「牛タンの詰め合わせ」とともに会場を後にした。本日はこの辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

あれから11年 東北未来芸術花火2022《見上げてごらん!》3

【コラム・小泉裕司】時折フラッシュバックする日帰り旅がある。東日本大震災から2カ月が過ぎた2011年5月の連休明け、地元の復旧作業の合間を縫って、甚大な津波被害を受けた宮城県亘理町荒浜地区を訪れた。 復旧間もない東北新幹線で仙台駅を経由し常磐線を南下、到着したJR亘理駅から歩くこと約1時間。途中目に映る「がれき」の山と被災者宅で活動するボランティアの勇姿は今でも鮮明に思い出される。未体験の現実を目の当たりにして呆然(あぜん)とするだけの自分に無力感を覚え、帰宅した後もしばらくの間は安易に訪れたことへの後悔の念にさいなまれる日々が続いた。 持参したカメラは、物見遊山と見られるのではないかと気がとがめ、一度もバッグから取り出すことはなかった。写真を撮影すればするほど記憶が曖昧になる「写真撮影減殺効果」という心理学の研究成果があるらしい。写真を撮ることが目的となってしまい、実際に体験したことが記憶に残らないというのだ。 逆に言えば、亘理町を訪問した11年前の記憶が今も鮮明なのは、一度もカメラのシャッターボタンを押さなかったことで、「減殺効果」が生じなかったからと言えるのかもしれない。 「茅ケ崎サザン芸術花火」 震災の月命日にあたる6月11日、犠牲者の鎮魂と新型コロナの早期収束を願い、「東北未来芸術花火2022」が亘理町鳥の海公園で開催され、1万人を超える観客が訪れた。この「芸術花火」は全国30カ所以上でツアー型花火大会として開催されており、花火と音楽のコラボによるストーリー性を重視した、1時間ノンストップで展開する花火イベントである。 2009年に国営ひたち海浜公園(ひたちなか市)で開催した「大草原の花火と音楽」から始まったもので、特に2018年の「茅ケ崎サザン芸術花火」(神奈川県茅ケ崎市)では、日本最高峰のバンド「サザンオールスターズ」の名曲と野村花火工業(水戸市)やマルゴー(山梨県)をはじめとする日本花火の「オールスターズ」がコラボし、茅ケ崎海岸に夜空のエンターテインメントショーを見事に演出した。 花火玉の燃えかす「ガラ」拾い 閑話休題、亘理町の花火に話題を戻そう。会場に到着後、震災犠牲者を慰霊する「鎮魂の碑」の前で手を合わせてから観覧席に着いた。当夜は、無風により滞留した煙の合間からしか見えない花火に観客からは落胆の声が聞かれたが、それでも私は頭上を見上げ続けた。雲の上の犠牲者の皆さんには美しい大輪の花火が届いていることを信じながら。 翌日は早起きして、花火会場で行われた「世界一楽しいゴミ拾い」に相棒と2人で参加した。「芸術花火」ではセットとなっている恒例のゴミ拾いイベントだ。時間経過とともに雨量が増す中、マスクや衣服がぬれるのもかまわず黙々と花火玉の燃えかす、いわゆる「ガラ」を拾い集めるボランティア参加者に感動さえ覚えると同時に、短絡的だが「東北人らしさ」を垣間見たような気がした。 花火打ち上げ後、花火師は花火筒の撤去と同時に大きなガラや黒玉(不発玉)を集めるのが通例だが、夜間、小さなガラまで拾い集め切ることはできないため、どこの花火大会でも欠かすことのできない仕上げ作業である。 亘理町との「ご縁」に導かれた今回の花火旅は、荒浜漁港の海鮮丼とカニ汁、アンコウの肝あえで清掃作業の空腹感を満たし、ゴミ拾いイベントの抽選会で当選した豪華なご褒美「牛タンの詰め合わせ」とともに会場を後にした。本日はこの辺で「打ち止めー」。「ドン ドーン!」。(花火鑑賞士、元土浦市副市長)

ウクライナ避難民の心の支援に つくば生まれの「パロ」届く

産業技術総合研究所(産総研、石村和彦理事長)で誕生した、つくば生まれのアザラシ型ロボット「パロ」が、ウクライナ避難民への「心の支援」に役立とうとしている。「パロ」の発案者で研究開発者の産総研人間情報インタラクション研究部門、柴田崇徳上級主任研究員に1日夕、入った連絡によれば、ポーランド・ワルシャワの日本大使館で、避難民を受け入れている医療機関に「パロ」を届ける贈呈式が行われた。 贈られたアザラシ型ロボット「パロ」は、最新型のヨーロッパ向け医療機器版。1日(日本時間午後5時)、受け入れ先のマゾフシェ県神経精神医学センターとワルシャワ医療大学に、各2体が宮島昭夫特命全権大使から手交された。日本貿易振興機構(ジェトロ)のワルシャワ事務所を介し、産総研技術移転ベンチャーの知能システム(本社・富山県南砺市、大川丈男社長)の製造、寄贈による。 ポーランドの2医療機関へ 2月24日のロシアの侵攻により、紛争地からウクライナ国内や周辺国へ多くの人々が避難している。ポーランドには4月18日現在で、国外では最も多い280万人が避難したとされる。避難民へは「衣食住の確保」が最優先課題ながら、約3カ月が過ぎ「心の支援」も重要になってきている状況だ。爆撃、銃撃等による恐怖とその後のPTSD(心的外傷後ストレス障害)、避難生活や集団生活のストレス、今後の不安、抑うつ、孤独、興奮、不眠等の精神的な問題が顕著になっているという。 そこで、「パロ」のような医療機器で、避難民の「心の支援」を行えば、オリジナルの「人道的支援」を提供できると考えた。「武器の提供はできないが、日本らしい貢献になる」と柴田研究員。 「パロ」は、ぬいぐるみ状のアザラシ型ロボットの内部に様々なセンサーや電気回路、機械系統を組み込み、人工知能で制御される。産総研では1993年から、本物の動物を飼うことが困難な場所や人々のために、セラピーを目的に研究開発された。 2011年の東日本大震災の際も、被災地では1~2カ月ほどすると、ストレス、不安、抑うつなどが増加するようになった。この時、被災地で活用されたのが約80体のパロ。そのふれあいに被災者は癒やされ、喜ばれた経験があった。柴田研究員は「今回も近い状況」という。 ウクライナでは2006年、外務省の「文化啓発用品」として在ウクライナ日本国大使館にパロが配置された。チョルノービリ(チェルノブイリ)原発事故後の小児ガンの子供たちなどを対象に、「心の支援」に活用され、好評を得た。このことから、ウクライナ人に「パロ」が受け入れられる可能性が高く、セラピー効果を期待できそう、と予測された。 日本では、一般家庭向けのペット用と、「福祉用具」としてのセラピー用のパロが、個人や医療福祉施設等で広く利用されている。他方、制度が異なるアメリカ、ヨーロッパなどでは、パロは「医療機器」として扱われる。現在の第9世代まで、世界30カ国以上で7000体以上が利用されている。 https://youtu.be/TJgw7QztyUc 今回、在ポーランド日本大使館から2つの医療機関に問い合わせたところ、避難民への「心の支援」のために、欧州向け医療機器版のパロの活用の希望があったことから、最新型の寄贈に至った。ポーランドでは初めての導入となる。 「ウクライナ国内、周辺国などへの避難民は約1000万人と非常に多く、長期化すると思われるので、これから『心の支援』がますます重要になる」と柴田研究員。コロナ禍の影響で、今回は参加できなかったが、今後状況が許せば現地を訪問し、見学や観察、避難民や支援者たちにインタビューするなどして、活用について情報収集する予定という。(相澤冬樹)

小出裕章さんが常陸太田市で講演 《邑から日本を見る》112

【コラム・先﨑千尋】「日本は世界一の地震国。避難計画とは、ふるさと喪失計画だ。東海第2原発を再稼働させてはならない」。 5月7日、常陸太田市のパルティホールで開かれた講演会で、元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんが熱っぽく訴えた。この講演会は同講演会実行委員会が主催。最初に記録映画「地震・津波・原発事故」が上映され、東日本大震災による津波と東京電力福島第1原発の事故、飯舘村で事故に遭い昨年10月に甲状腺がんで亡くなった長谷川健一さんらの話などが紹介された。講演会には県内外から420人が参加した。 小出さんの講演のタイトルは「日本の原子力開発と東海第2原発の再稼働」。小出さんは最初に原子力開発が東海村に誘致された経過を話し、「どんな機械でも故障し、事故も起こす。人間は神ではない。必ず誤りを犯す。原子力発電所も機械であり、事故から無縁ではない」と、事故が起きるのは必然だと述べた。そのことを国も電力会社も知っており、それ故に東電は自分の電力供給範囲から原発を追い出し、福島や新潟に作った。 その福島。事故から11年経っても放射線量が高く、現場に行けない。溶け落ちた炉心がどこにあるのかさえ分からないでいる。原子炉を冷やすために水を注入し続け、放射能汚染水が増え続けている。3月現在で汚染水の貯留量は約130万トンになり、国と東電は昨年4月、汚染水を海に流すことを決めた。「地球は水の惑星であり、水を汚すことは究極の自然破壊だ」と、小出さんは危機感を表す。 また、復興の掛け声のもとで住宅支援の打ち切りなど被害者たちが押しつぶされ、汚染があることを口にすると「復興の邪魔だ」と非難されると言う。 「子供たちを被曝から守るのが大人の責任」 さらに、東電は原発事故のあと、「最後の1人まで賠償貫徹」「迅速かつきめ細やかな賠償の徹底」「和解仲介案の尊重」という3つの誓いを立てたが、それは全部ウソだったと小出さんは東電の姿勢を糾弾する。小出さんの指摘を待つまでもなく、最近の相次ぐ東電敗訴という最高裁判決でそのことは証明されていよう。 小出さんは最後に日本原電の東海第2原発の再稼働について触れた。「日本は世界一の地震大国。日本は地震の巣に原発を57基もつくってしまった。東海第2原発から東京駅まで116㌔。首都圏は150㌔圏内にすっぽり入る。半径30キロ圏内に94万人、150キロ圏内に4000万人が住んでいる。その人々が避難できるのか。できたとすると、それはふるさと喪失になる」。 昨年3月の「日本原電は東海第2発電所の原子炉を運転してはならない」という水戸地裁の判決がありながら、国は知らぬ顔で避難計画策定の責任を地元自治体に押し付ける。できるはずがないと批判する。 私は、スライドで紹介された「日本人の大人には、原子力の暴走を許し、福島第1原子力発電所事故を引き起こした責任がある。自分が被曝しても子供たちを被曝から守るのが大人の責任」という、柚木ミサトさんのイラストが強く印象に残った。そして、久しぶりに聞いた小出節に感動した。(元瓜連町長)

小出裕章さんが常陸太田市で講演 《邑から日本を見る》112

【コラム・先﨑千尋】「日本は世界一の地震国。避難計画とは、ふるさと喪失計画だ。東海第2原発を再稼働させてはならない」。 5月7日、常陸太田市のパルティホールで開かれた講演会で、元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章さんが熱っぽく訴えた。この講演会は同講演会実行委員会が主催。最初に記録映画「地震・津波・原発事故」が上映され、東日本大震災による津波と東京電力福島第1原発の事故、飯舘村で事故に遭い昨年10月に甲状腺がんで亡くなった長谷川健一さんらの話などが紹介された。講演会には県内外から420人が参加した。 小出さんの講演のタイトルは「日本の原子力開発と東海第2原発の再稼働」。小出さんは最初に原子力開発が東海村に誘致された経過を話し、「どんな機械でも故障し、事故も起こす。人間は神ではない。必ず誤りを犯す。原子力発電所も機械であり、事故から無縁ではない」と、事故が起きるのは必然だと述べた。そのことを国も電力会社も知っており、それ故に東電は自分の電力供給範囲から原発を追い出し、福島や新潟に作った。 その福島。事故から11年経っても放射線量が高く、現場に行けない。溶け落ちた炉心がどこにあるのかさえ分からないでいる。原子炉を冷やすために水を注入し続け、放射能汚染水が増え続けている。3月現在で汚染水の貯留量は約130万トンになり、国と東電は昨年4月、汚染水を海に流すことを決めた。「地球は水の惑星であり、水を汚すことは究極の自然破壊だ」と、小出さんは危機感を表す。 また、復興の掛け声のもとで住宅支援の打ち切りなど被害者たちが押しつぶされ、汚染があることを口にすると「復興の邪魔だ」と非難されると言う。  「子供たちを被曝から守るのが大人の責任」 さらに、東電は原発事故のあと、「最後の1人まで賠償貫徹」「迅速かつきめ細やかな賠償の徹底」「和解仲介案の尊重」という3つの誓いを立てたが、それは全部ウソだったと小出さんは東電の姿勢を糾弾する。小出さんの指摘を待つまでもなく、最近の相次ぐ東電敗訴という最高裁判決でそのことは証明されていよう。 小出さんは最後に日本原電の東海第2原発の再稼働について触れた。「日本は世界一の地震大国。日本は地震の巣に原発を57基もつくってしまった。東海第2原発から東京駅まで116㌔。首都圏は150㌔圏内にすっぽり入る。半径30キロ圏内に94万人、150キロ圏内に4000万人が住んでいる。その人々が避難できるのか。できたとすると、それはふるさと喪失になる」。 昨年3月の「日本原電は東海第2発電所の原子炉を運転してはならない」という水戸地裁の判決がありながら、国は知らぬ顔で避難計画策定の責任を地元自治体に押し付ける。できるはずがないと批判する。 私は、スライドで紹介された「日本人の大人には、原子力の暴走を許し、福島第1原子力発電所事故を引き起こした責任がある。自分が被曝しても子供たちを被曝から守るのが大人の責任」という、柚木ミサトさんのイラストが強く印象に残った。そして、久しぶりに聞いた小出節に感動した。(元瓜連町長)

新入行員がアジサイを植樹 筑波銀行あゆみの森

筑波銀行(土浦市・生田雅彦頭取)の2022年度新入行員46人が11日、つくば市六斗、筑波銀行あゆみの森でアジサイの記念植樹をした。 桜の花びらが舞う中で行われた式典の冒頭、生田頭取は、植樹するアジサイの花言葉を引用しながら「アジサイのように成長し、筑波銀行の行員として、社会人1年生として、自分の中の変革に取り組んでほしい」と新入行員に呼び掛けた。 筑波銀行では、東日本大震災以降、震災復興支援計画「あゆみ」を策定し、地域社会・経済の復興に取り組んできた。その後、地域を持続的に発展させる取り組みを強化するため、国連が定めたSDGs(持続可能な開発目標)の趣旨に賛同し、「筑波銀行SDGs宣言」を新たに制定した。今回の植樹はこれらの取り組みの一環として実施された。 会場となったあゆみの森は、東日本大震災を機に、ボランティア活動を組織的に支援しようと立ち上げた「筑波ボランティアクラブ」の活動の一環としてつくられた。つくば市内に約1万3530平方メートルの広さの森がある。 アジサイの植樹は2012年から始まり、今年で11回目を迎えた。2020年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で中止となった。 新入行員として事前に同行のSDGsセミナーを受けて臨んだ石岡市出身の新入行員・神代宏明さん(22)は「SDGsについて事前研修で理解を深めることができ、いい経験になった。これからは同期のみんなと協力して頑張っていきたい」と意気込みを語った。 古河市出身の小泉瞳(22)さんは「不安はあるが、今日植えたアジサイの成長とともに、信頼される行員になれるよう頑張りたい。将来は、後輩に目標とされるよう頑張りたい」と語った。(柴田大輔)

TX延伸ルート選びに必要な視点 《茨城鉄道物語》22

【コラム・塚本一也】前回コラム(3月11日掲載)では、茨城県がTX県内延伸ルート調査費を今年度予算に計上したことを取り上げました。今回はその議論の進め方について、私が思うところを述べたいと思います。 県の総合計画では、現在つくば市止まりのTXの北部延伸について、①筑波山方面、②水戸方面、③茨城空港方面、④土浦方面―の4方面が「点線」で記されています。これら4候補を1つに案に絞り込むことが、県調査の使命です。各案に「一長一短」があり、関係者の思惑も加わり、1方面に絞り込むことは容易でないと思います。 鉄道建設のような大プロジェクトは、計画時と完成時で社会情勢が変化するために、その存在意義や方向性にどうしても迷いが生じます。しかし、鉄道インフラの必要性は普遍的であり、世の中がいかに変わろうとも、「社会の役に立つ財産」という位置付けは変わりません。 本州と北海道を結ぶ青函トンネルは、洞爺丸転覆事故(1954年)のような悲劇を繰り返さないために、国民的な議論の末に着工されました。工事の困難さゆえに、途中で不要論も出ましたが、完成によって現在の北海道新幹線へとつながりました。 多目的ダム・八ッ場(やんば)ダム(群馬県)は、民主党政権時代にその必要性が大議論になりましたが、2019年に来襲した台風19号のときは、その貯水能力によって利根川下流域の氾濫を防ぎました。 東北新幹線は、計画時に対ソ連関係が緊張していたこともあり、鉄橋などは米軍・三沢基地に戦車を運べる強度に設計されたと聞いています。その能力が発揮されたのは東日本大震災の時でした。時速300キロで走る車両は脱線こそしましたが、死傷者を1人も出さずに済んだからです。 大型インフラには「そもそも論」が大事 鉄道のようなインフラの存在意義に迷いが生じたときには、原点に帰ってその必要性を検証する「そもそも論」が重要であると、私は思っています。では、そもそも、TXはなぜ必要だったのでしょうか? 答えは「常磐線の混雑緩和対策」です。 1960年代、国鉄(現JR)は首都・東京への通勤混雑緩和対策として、プロジェクト「5方面作戦」に取り組みました。その過程で考えられたのが「第2常磐線構想」です。それが「常磐新線構想」に変化し、現在のTXの形で実現しました。つまり、通勤対策が当初目的だったのです。 鉄道ではありませんが、「筑波研究学園都市」も東京の過密対策が本来の目的でした。高度成長で東京が過密になり、いろいろな弊害が表面化。その対策として、首都機能の一部を移転させようと、筑波山麓に人工的な都市を造り、国の研究機関や大学を移転させたのです。 つまり、研究学園都市もTXも、首都・東京機能の保全・向上のために計画されました。私はTXの将来構想(県内延伸はその一部)を議論するときには、こういった「そもそも論」が重要と考えています。具体的な「そもそも論」は次回にします。(一級建築士)

TX延伸ルート選びに必要な視点 《茨城鉄道物語》22

【コラム・塚本一也】前回コラム(3月11日掲載)では、茨城県がTX県内延伸ルート調査費を今年度予算に計上したことを取り上げました。今回はその議論の進め方について、私が思うところを述べたいと思います。 県の総合計画では、現在つくば市止まりのTXの北部延伸について、①筑波山方面、②水戸方面、③茨城空港方面、④土浦方面―の4方面が「点線」で記されています。これら4候補を1つに案に絞り込むことが、県調査の使命です。各案に「一長一短」があり、関係者の思惑も加わり、1方面に絞り込むことは容易でないと思います。 鉄道建設のような大プロジェクトは、計画時と完成時で社会情勢が変化するために、その存在意義や方向性にどうしても迷いが生じます。しかし、鉄道インフラの必要性は普遍的であり、世の中がいかに変わろうとも、「社会の役に立つ財産」という位置付けは変わりません。 本州と北海道を結ぶ青函トンネルは、洞爺丸転覆事故(1954年)のような悲劇を繰り返さないために、国民的な議論の末に着工されました。工事の困難さゆえに、途中で不要論も出ましたが、完成によって現在の北海道新幹線へとつながりました。 多目的ダム・八ッ場(やんば)ダム(群馬県)は、民主党政権時代にその必要性が大議論になりましたが、2019年に来襲した台風19号のときは、その貯水能力によって利根川下流域の氾濫を防ぎました。 東北新幹線は、計画時に対ソ連関係が緊張していたこともあり、鉄橋などは米軍・三沢基地に戦車を運べる強度に設計されたと聞いています。その能力が発揮されたのは東日本大震災の時でした。時速300キロで走る車両は脱線こそしましたが、死傷者を1人も出さずに済んだからです。 大型インフラには「そもそも論」が大事 鉄道のようなインフラの存在意義に迷いが生じたときには、原点に帰ってその必要性を検証する「そもそも論」が重要であると、私は思っています。では、そもそも、TXはなぜ必要だったのでしょうか? 答えは「常磐線の混雑緩和対策」です。 1960年代、国鉄(現JR)は首都・東京への通勤混雑緩和対策として、プロジェクト「5方面作戦」に取り組みました。その過程で考えられたのが「第2常磐線構想」です。それが「常磐新線構想」に変化し、現在のTXの形で実現しました。つまり、通勤対策が当初目的だったのです。 鉄道ではありませんが、「筑波研究学園都市」も東京の過密対策が本来の目的でした。高度成長で東京が過密になり、いろいろな弊害が表面化。その対策として、首都機能の一部を移転させようと、筑波山麓に人工的な都市を造り、国の研究機関や大学を移転させたのです。 つまり、研究学園都市もTXも、首都・東京機能の保全・向上のために計画されました。私はTXの将来構想(県内延伸はその一部)を議論するときには、こういった「そもそも論」が重要と考えています。具体的な「そもそも論」は次回にします。(一級建築士)

「遺贈」で提携 筑波銀行と日赤茨城

筑波銀行(本店 ・土浦市、生田雅彦頭取)が15日、日本赤十字社茨城県支部(水戸市、日赤茨城)と「遺贈寄付に係る業務提携協定」を締結し、締結調印式を、同日、筑波銀行つくば本部ビルで行った。「遺贈」とは、遺言により遺言者の財産を特定の個人や団体に無償で譲ること。今後、双方の連携を通じて、遺贈寄付の希望者へのサポート体制を充実させる構えだ。日赤茨城は、災害救護をはじめとする活動資金確保の多様化を期待する。 社会貢献意識高まる 会見で、筑波銀行取締役の長島明伸営業本部長は、協定締結の背景について、高齢化社会の中で多様化する顧客のニーズや、社会貢献意欲の向上をあげ、顧客の要望に応えるためのサービス手段の一つとして、今回の協定締結に至ったとした。 日赤茨城の服部隆全事務局長は、高まる社会貢献意識の背景として「阪神淡路大震災や東日本大震災を通じて、助け合いの気持ちが強くなった。また間近で支援する人々の姿を見る機会が増えた」ことをあげる。さらに遺贈寄付については、昨年、同社に31件の相談が寄せられたとし、「年々増加傾向にある。高齢化社会で、子どもが少ない家庭や単身世帯の増加など、社会構造の変化がある」と指摘した。 寄付の市場規模拡大 2021年11月、認定NPO法人「日本ファンドレイジング協会」が、国内の寄付市場調査をもとに「寄付白書2021」発表した。それによると、2020年の個人寄付の総額は、名目GDPの0.23%に相当する、1兆2126億円であり、2016年の調査から1.5倍以上増えたとしている。また、NPO法人「国境なき医師団日本」の2018年の調査によると、「遺贈」の認知度は70代で85.5%におよび、「遺贈してもよい」と考えるのは全体の49.8%と、半数にのぼっている。また同調査では、「遺贈の魅力」の上位に、「遺産の託し先を自分で決められる」「遺贈先によって相続税の控除が受けられる」ことがあがっている。 要望かなえる 協定締結により、今後、両者は連携を密にしながら、遺贈希望者に対して双方を紹介し合い情報提供するなどし、遺贈希望者の要望をかなえていくとした。筑波銀行では、遺言書作成や保管、必要時の提携信託会社との仲介など、顧客に寄り添ったサービスを充実させていくとした。(柴田大輔)

原発事故の「風評」被害とは 《文京町便り》1

【コラム・原田博夫】2011年の東日本大震災による福島原子力発電所事故により、原発の稼働率が大きく落ち込み、20年の電源構成に占める原発の割合は4.3%に低下しています。一方で、太陽光発電も8.5%、水力発電も7.9%、バイオマス発電も3.2%にとどまっています。 こうした状況を打破するために、脱原子力発電・再生可能エネルギー推進を目指して、2017年、「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」(原自連、電事連ではありません)が立ち上げられました。会長に吉原毅・元城南信用金庫理事長、顧問に元首相の小泉純一郎氏と細川護熙氏が就き、私は賛同人の1人です。 茨城県内でも数回、小泉氏の「脱原発講演会」が開かれ、多くの聴衆に感銘を与えました。 原自連はこうした啓蒙活動のほか、今年1月27日、フォン・デア・ライエンEU(欧州連合)委員長に、「脱炭素・脱原発は可能です―EUタクソノミー(持続可能な気候変動対策の事業分類)から原発の除外を」と題する文書を、歴代5首相(小泉純一郎、細川護熙、村山富市、菅直人、鳩山由紀夫)名で送りました。 福島県知事、環境大臣、自民政調会長からクレーム ところが、その中で「…福島第1原子力発電所の事故で、多くの子供たちが甲状腺がんに苦しみ…」と指摘していることについて、内堀雅雄福島県知事と山口壮環境大臣から、風評被害を引き起こすので異議アリ―とのクレームが届きました。高市早苗自民党政調会長も同じ不満を述べています。 この文書を発出したのは、昨年夏以降、EUにおいて、持続可能な気候変動対策(CO2削減)事業に原子力を入れる方向性が明らかになってきたことから、これを阻止すべく、国際世論を喚起するためのものでした。 「…多くの子供たちが甲状腺がんに苦しみ…」のくだりは、文書の中核ではなく、あくまでも、原子力被害の一例としての言及でした。福島県における子供たちの甲状腺がんの高い発生状況は、県が実施している県民健康調査でも明らかで、そのこと自体は厳然たる事実です。 それなのに、「風評被害を引き起こすので言及すべきではない」といった言説こそ、隠蔽工作ととられかねません。 東電福島第1廃炉については、汚染水の海洋放出やデブリの保管施設など、中長期的に取り組まなくてはならない課題が山積しています。地元福島だけでなく、日本国民、韓国や中国など近隣諸国に対しても、科学的な情報を公開することなくしては、この巨大かつ深刻な課題を克服できないでしょう。(専修大学名誉教授) 【はらだ・ひろお】土浦一高卒、慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了。専修大学経済学部教授を経て、2019年4月から名誉教授。米スタンフォード大などに留学。公共選択学会会長、政治社会学会理事長などを歴任。著作(編著)に『人と時代と経済学-現代を根源的に考える-』(専修大学出版局、2005年)、『身近な経済学-小田急沿線の生活風景-』(同、2009年)など。現在、土浦ロータリークラブ会員。1948年土浦市生まれ、土浦市文京町在住。

原発事故の「風評」被害とは 《文京町便り》1

【コラム・原田博夫】2011年の東日本大震災による福島原子力発電所事故により、原発の稼働率が大きく落ち込み、20年の電源構成に占める原発の割合は4.3%に低下しています。一方で、太陽光発電も8.5%、水力発電も7.9%、バイオマス発電も3.2%にとどまっています。 こうした状況を打破するために、脱原子力発電・再生可能エネルギー推進を目指して、2017年、「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」(原自連、電事連ではありません)が立ち上げられました。会長に吉原毅・元城南信用金庫理事長、顧問に元首相の小泉純一郎氏と細川護熙氏が就き、私は賛同人の1人です。 茨城県内でも数回、小泉氏の「脱原発講演会」が開かれ、多くの聴衆に感銘を与えました。 原自連はこうした啓蒙活動のほか、今年1月27日、フォン・デア・ライエンEU(欧州連合)委員長に、「脱炭素・脱原発は可能です―EUタクソノミー(持続可能な気候変動対策の事業分類)から原発の除外を」と題する文書を、歴代5首相(小泉純一郎、細川護熙、村山富市、菅直人、鳩山由紀夫)名で送りました。 福島県知事、環境大臣、自民政調会長からクレーム ところが、その中で「…福島第1原子力発電所の事故で、多くの子供たちが甲状腺がんに苦しみ…」と指摘していることについて、内堀雅雄福島県知事と山口壮環境大臣から、風評被害を引き起こすので異議アリ―とのクレームが届きました。高市早苗自民党政調会長も同じ不満を述べています。 この文書を発出したのは、昨年夏以降、EUにおいて、持続可能な気候変動対策(CO2削減)事業に原子力を入れる方向性が明らかになってきたことから、これを阻止すべく、国際世論を喚起するためのものでした。 「…多くの子供たちが甲状腺がんに苦しみ…」のくだりは、文書の中核ではなく、あくまでも、原子力被害の一例としての言及でした。福島県における子供たちの甲状腺がんの高い発生状況は、県が実施している県民健康調査でも明らかで、そのこと自体は厳然たる事実です。 それなのに、「風評被害を引き起こすので言及すべきではない」といった言説こそ、隠蔽工作ととられかねません。 東電福島第1廃炉については、汚染水の海洋放出やデブリの保管施設など、中長期的に取り組まなくてはならない課題が山積しています。地元福島だけでなく、日本国民、韓国や中国など近隣諸国に対しても、科学的な情報を公開することなくしては、この巨大かつ深刻な課題を克服できないでしょう。(専修大学名誉教授) 【はらだ・ひろお】土浦一高卒、慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了。専修大学経済学部教授を経て、2019年4月から名誉教授。米スタンフォード大などに留学。公共選択学会会長、政治社会学会理事長などを歴任。著作(編著)に『人と時代と経済学-現代を根源的に考える-』(専修大学出版局、2005年)、『身近な経済学-小田急沿線の生活風景-』(同、2009年)など。現在、土浦ロータリークラブ会員。1948年土浦市生まれ、土浦市文京町在住。

11/3-7阿字ヶ浦ライティングプロジェクト「LIGHT UP AJIGAURA」

コロナ禍で制限を受けている観光業の再興を祈願すると共に、より多くの人にひたちなか市・阿字ヶ浦の魅力を体験してもらおうと、11月3日(水・祝)~7日(日)、阿字ヶ浦ライティングプロジェクト「LIGHT UP AJIGAURA」を開催する。 阿字ヶ浦ライティングプロジェクト「LIGHT UP AJIGAURA」開催概要 開催日程:2021年11月3日(水・祝)~11月7日(日) 開催時間:16:00~20:00予定 開催場所:阿字ヶ浦海⽔浴場/救護本部周辺(茨城県ひたちなか市阿字ケ浦町2232) 参加方法:入場無料 ※混雑時入場規制の可能性あり 主催:阿字ヶ浦ライティング実⾏委員会 協力:茨城県/ひたちなか市/ひたちなか市観光協会/一般社団法人日本キャンドル協会 HP:http://www.lightup-ajigaura.com (ライブカメラ映像はホームページより閲覧可能予定) 阿字ヶ浦ライティング実⾏委員会とは 茨城県ひたちなか市阿字ヶ浦海岸周辺地域において,新たな賑わいを創出し,新型コロナウイルス感染症からの再生を推進する取り組みを行うことを目的として設立された。 阿字ヶ浦海岸 展示内容 CANDLE JUNE氏が海の漂流物から製作する作品「ケモノ」を茨城の海で収拾したもので製作するす。漂着ゴミとして処分する流木を再利用した作品により、ゴミ問題や環境問題について考えSDGsの推進に取り組む。 「ケモノ」の周りには、地域の幼稚園児・小学生によって夢や願いごとが描かれたキャンドルホルダーを使用したキャンドルを設置。“描いたメッセージが天に届くように”という意味が込められた1本のサーチライトとともに、1,000個以上のキャンドルを灯す。 期間中、キャンドルホルダー制作、キャンドル点灯を体験することができる。 ライティング点灯式 ※11月3日(水・祝) 16:30〜17:00頃 イベント初日、CANDLE JUNE氏、ひたちなか市長 大谷明氏、阿字ヶ浦ライティング実行委員会会長(ひたちなか市観光協会会長)海野泰司氏が、あいさつとともに見どころを紹介し、オブジェのライトアップやキャンドルの点灯を行う。 CANDLE JUNE氏 プロフィール アーティスト 1994年、キャンドル制作を始める。「灯す場所」にこだわり様々なフィールドで空間演出を行い、「キャンドルデコレーション」というジャンルを確立。2001年、原爆の残り火とされる「平和の火」を広島で灯してからは「Candle Odyssey」と称し、悲しみの地を巡る旅 を続ける。 2011年、東日本大震災を受けて「一般社団法人LOVE FOR NIPPON」を発足し支援活動を 始め、 月命日の11日には、毎月福島各地でキャントドルナイトを行い、3月11日には「SONG OF THE EARTH 311 FUKUSHIMA」を開催。復興支援活動からの繋がりから、環境問題やこれからのエネルギーのことなどを考えるシンポジウムを主催する。「悲しみから喜びへ」をテーマにしたアクションは新たなる循環の世界を目指す。 来場方法 開催場所:阿字ヶ浦海⽔浴場/救護本部周辺(ひたちなか市阿字ケ浦町2232) (1)ひたちなか海浜鉄道 阿字ヶ浦駅から徒歩で5分 (JR勝田駅乗換) (2)常陸那珂道路...

筑波の藍甕受け継ぐ 丹羽花菜子さん【染色人を訪ねて】1

明治時代にはどんな町や村にも存在した染物屋は、衣料品の近代化とともに姿を消していった。染物屋という業種が潰えたわけではないが、その多くは工業化の道をたどっている。そのような現代において、「染」の世界を通してネットワークを築く人々と出会った。つくば市、土浦市で染色を営む染色人を4回にわたって紹介する。 藍は地域の歴史と文化 つくば市神郡で藍染工房・藍染風布(あいぞめふうぷ)を営む丹羽花菜子さん(36)を訪ねた。神郡のような場所で染色ができるのか?という素朴な疑問だったが、丹羽さんの話はまったく逆であった。 「野良着などの需要から、明治以前はどんな小さな町や村にも必ず一軒は『紺屋(こうや)』があったと言われていて、藍染は人々の暮らしの中で身近な存在だったんですよ」 丹羽さんの場合、それだけではなかった。神郡を選んだことは偶然だったが、定住してみて藍染との不思議な縁に恵まれたという。 「大学では選択したコースがテキスタイルデザイン(織物・染物のデザイン)に特化していました。私は日本古来の伝統的な染色に興味があったので、4年生の時に東京の青梅市にあった藍染工房にアルバイトで入り、そのまま就職したのです」 それが藍染との出合いで、9年ほど働き、独立した。夫の実家がある常総市で、藍染の原料となる植物・蓼藍(たであい)の栽培を始めたものの、常総市から眺める筑波山の姿に魅せられ、山麓で藍染をしながら過ごせたらいいねという単純な気持ちで土地を探しに出た。 無事だった4甕 「そこで、地主さんの近所に50年ほど前まで藍染をやっていた職人さんがいらっしゃることを聞き、訪ねてみると、藍甕(あいがめ)が残っていたのです。本当はいくつも保管されていたのだそうですが、東日本大震災の際にほとんどが割れてしまい、無事だったものが4甕だったと。それを譲っていただき、偶然にも筑波の藍染を受け継ぐこととなりました」 丹羽さんはそれまで、ポリタンクを使って染液の藍建てをしてきた。工程はタンクでも甕でも同じだが、地域に眠っていた歴史を受け継ぐという意味で、丹羽さんは筑波山麓にいざなわれていたのである。 「天然の藍は世界最古の染料とも言われていて、日本では奈良時代以降全国に広まりましたが、明治に入ってから化学合成で合理的、効率的に染色できる技術、俗にいう『インディゴ染』が、地域の藍染を衰退させました。自然界で藍以外に『青い色』を出せる植物は、世界的にも少ないのです。日本では現在、徳島県が蒅(すくも)の一大生産地ですが、少しずつ後継者不足が取り沙汰されるようになっています。でも、かつてはどんな土地でも原料を育て、藍染をなりわいとする人々はいました。筑波の地もそうであったように」 藍染の原料となる蓼藍は一年草だ。収穫して乾燥、適度な水分を加えて堆肥化させたものが蒅だ。これを甕やタンク内で灰汁(あく)、貝灰(かいばい)、日本酒、ふすまを混合して発酵させる。この蒅による藍染は、日本独特の文化だ。 藍染の染液作りで特徴的な部分は、木灰の灰汁によるアルカリ性の発酵によるものだ。強アルカリの環境下でなければ、蒅の中の青い色素の元は還元されず、素材に定着することはない。液に浸した素材を引き上げ、空気中の酸素に触れることで、初めて青色が定着する。 「藍染の濃淡は、素材を染料に出し入れする回数で変わっていきます。ただし常に1回の染まり方が同じ、というわけではありません。人間と同じで、体力を使うと疲れてしまい、徐々に染まり方が弱くなります。丸1日染めの作業をしたら、2~3日は染めずに甕を休ませることで、再び染まる力が回復します。こうした染色のサイクルや、青を染料として定着させる技術は、とても繊細で高度です。それらがどんな地域にもなりわいとして根付いていたということに、天然染色である藍への憧れがあります」 今、つくば市を中心に染色を営む人々の横の繋がりができつつあり、丹羽さんも月に一度、作家仲間と交流を兼ねて持ち寄った取り組みの成果を情報交換している。 年が明けると、丹羽さんには2人目のお子さんが誕生する。そのため、個展の開催はしばらく控え、代わりに工房に客を招いて染色体験を企画していくという。 「本心を言うと、伝統技術の継承であるとか、世界最古の染色手法であるとかの、重大な使命を帯びてのことではないんです。神郡に住んで、近隣の皆さんとの交流が生まれ、その優しさやおおらかさで守られています。ならば私のできることで、地域に寄り添って恩返ししていきたい。その一方で、藍染めに取り組みたいという人々にも、これは小さいけれど素敵な産業だということを伝えたい」 藍がもたらす染色の色彩は、古代人が眺めていた空や海の色合いだと丹羽さんは語る。青い色には心の沈静作用があると同時に、孤独感を覚えることもある。それらは人々の遺伝情報にある、古代人の青に対する感情。そのような悠久の想いが、藍で再現され、現代まで連綿と続いているという。(鴨志田隆之) 丹羽 花菜子(にわ かなこ)1985年 北海道札幌市生まれ2008年 武蔵野美術大学工芸工業デザイン学科テキスタイル専攻卒業大学在学時より、東京都青梅市の藍染工房壺草苑(こそうえん)で勤務し、2016年、つくば市に移住。2017年、藍染風布として作家活動を始め、2020年、筑波山麓に工房を移転。藍染風布 https://www.aizome-foopu.com/

つくば駅周辺 商業地、住宅地とも7年連続県内1位 21年地価調査

茨城県は21日、2021年の地価調査結果を発表した。県内で最も地価が高かったのは商業地、住宅地いずれもつくば市吾妻のつくば駅周辺で、7年連続1位となった。商業地は上位5位のうち2地点をつくば市内、住宅地は4地点をつくば市内が占めた。 つくば市(調査地点46地点)全体では、全用途平均変動率は前年より0.8%上昇し、0.1%下落となった前年から上昇に転じた。0.8%上昇は、守谷市と並んで県内で最も高い上昇率となる。 市全体の平均価格は1平方メートル当たり8万900円で、前年同様、守谷市に次いで県内で2番目に高い価格となった。 用途別では商業地(7地点)の平均価格は16万9400円で、2.9%上昇(前年は1.2%上昇)、住宅地(36地点)の平均価格は6万8900円で、平均変動率は0.3%上昇(20年は0.3%下落)した。工業地(2地点)は2万2600円で2.8%上昇(同0.7%上昇)した。 商業地は調査地点7地点のうち6地点で地価が上昇した。上昇地点について県は、TX研究学園駅及びつくば駅から徒歩圏内の商業地域に位置しており、研究学園駅から徒歩圏内は、宅地分譲が進展し、背後住宅地の人口が増加していることに加え、新規店舗の立地が見られ、繁華性、集客力が向上していることから土地需要が高まっているとしている。つくば駅から徒歩圏内については、クレオに商業施設がオープンしたほか、駅近隣エリアにマンションが建設中で、背後住宅地人口の増加、繁華性や集客力の向上が見込めることから土地需要の高まりが続いていると分析している。 住宅地は調査地点36地点のうち12地点で地価が上昇した。上昇地点について県は、つくばエクスプレス(TX)沿線の住宅地域で、大規模商業施設や各種店舗、小学校に近く、住環境に優れていることから、従来から土地需要が高いことに加え、新型コロナの感染拡大に伴うテレワークの普及などもあり、都心方面からの需要者層も見られ、新型コロナ感染拡大前の状況よりも土地需要が高まっているとしている。 工業地は調査地点2地点いずれも上昇した。県は、圏央道ICに近接し、研究施設や工場が集積する工業団地に位置しており、圏央道の県内全線開通による交通利便性の向上に伴い、IC周辺で、特定のテナントの要望に応じてオーダーメードで建設され賃貸されるBTS型物流施設の竣工が続くなど、土地需要の高い傾向が続いているとしている。 土浦市は下落幅縮小 土浦市(同34地点)の全用途平均変動率は前年と比べ0.1%下落し、コロナ禍で0.2%下落した20年と比べ下落幅が縮小した。平均価格は1平方メートル当たり3万8400円。 用途別では商業地(8地点)の平均価格は6万1900円で、前年と比べ0.4%下落(前年も0.4%下落)した。住宅地(24地点)の平均価格は3万2200円で、平均変動率は0%と昨年と同じとなった。20年は0.2%下落だったことから今年は横ばいに転じた。工業地(2地点)は1万9000円で0.6%上昇(同0.6%上昇)した。 商業地で上昇した地点はなかった。住宅地は調査地点23地点のうち2地点で上昇した。県は上昇地点について、JR常磐線の土浦駅から概ね徒歩圏内の市街地中心部は上昇しており、旧来からの市街地として根強い人気を誇ると共に、同一需給圏として競合するつくば市、牛久市、取手市などに対する割安感と相まって、土地需要が高まっているとしていると分析している。 工業地は調査地点2地点いずれも上昇した。県は上昇した工業地について、常磐道土浦北ICに近接し、向上や倉庫が集積する工業団地に位置し、より都心に近い千葉県に対する割安感から土地需要が高い状況が続いているとしている。 新型コロナの直接影響大きくない 県全体の全用途平均変動率は0.4%下落となり、前年の0.7%下落と比べ下落幅が縮小した。用途別では住宅地は0.5%下落、商業地は0.2%下落となり、住宅地と商業地の平均変動率は1992年から30年連続で下落となった。一方、コロナ禍で下落幅が拡大した昨年と比べると下落幅は減少した。工業地の平均変動率は0.3%上昇となり、16年から6年連続で上昇しており、昨年と同率の上昇となった。 県は下落幅が縮小した要因について、商業地は、昨年は新型コロナの感染拡大により一時は先行きの不透明感から取引停滞や減退も見られたが、飲食店やホテルなど収益性が大きく低下した業種を除き収益性の悪化は限られ、オフィス街では回復傾向となったと分析している。 住宅地は、昨年は感染拡大で、買い主が内覧等を控えたことで一時的に土地需要が減退したが、オンライン内覧の普及も相まって、土地需要の回復傾向が続いているとしている。 工業地は、昨年は感染拡大による景気の悪化や先行きの不透明感により企業が新たな用地取得や設備投資に慎重になり、地価の上昇傾向が鈍化したが、首都圏に近い県南や県西地区のインターンチェンジに近い工業地域では流通業務用地の需要が依然として高く、地価の上昇が続いているとしている。 県は、リーマンショックによる資金調達環境の急激な悪化や東日本大震災による災害リスクの高い土地の急激な需要減退と比べると、新型コロナが地価に直接的に与える影響は大きくないとしながら、引き続き注視が必要だとしている。 地価調査制度は、適正な地価の形成を図ることを目的に、国土利用計画法に基づき都道府県が7月1日を基準日として県内540点の標準価格を判定している。

父の許しで里帰り展 実家は土浦「矢口家住宅」【秋アート’21⑤】

イラストレーター「かえるかわる子」こと矢口祥子さん(49)が10月2、3日、土浦市中央の実家「矢口酒店」に戻って初の個展を開く。「矢口家住宅」と呼ばれる歴史的建造物だが、約5年前の改修以降、通りに面した格子戸はほぼ閉じられたままで、ギャラリーとして公開されるのは初めて。ここに至るまで何かと敷居が高かった。 「矢口家住宅」は、天保12年(1841)9月12日(180年前!)の大火後に建て替えられたという土蔵造の建物で、1980年県指定文化財になった。旧水戸街道沿いに面し店蔵、袖蔵、元蔵の3つの2階建ての蔵が並び、江戸時代の雰囲気を残す貴重な町屋建築とされる。 2011年の東日本大震災で損傷したため、約5年かけて解体修理工事が行われた。以来、酒類の販売は裏手の店舗で行われるようになり、建物は改修後も文化財見学会などの機会に公開されるにとどまっていた。矢口さんは今回、約250点の作品を土蔵の1、2階に持ち込み、全面展開する計画でいる。 「自分が変われば周りも変わる」 和装の矢口さんが、土浦の街なかを歩けば「がんばって」と声がかかる。地元愛をふんだんに盛り込んだ手描きの「矢口新聞」は発行6年目に突入した。街で見つけたお店や食べ物、人物を、色鉛筆を使った独特のタッチでつづる。元絵はA4判の紙に描いてA3判に拡大コピー。それを四つ切りの画用紙に貼り付けて読者に配っている。 紙面には語り手が登場し、自身を投影したキャラクター「かえるかわる子」が、ツッコミ役の「土浦れんこんけし」と丁々発止やりとりする。筑波山のカエルも土浦のレンコンも、地域の名物だと知らない若い世代にアピールする趣向で、「妄想が1割入ってる」矢口ワールドに巻き込んでいる。 市内のアパートで、スマホやパソコン、テレビも持たないアナログ生活。「発行部数は50枚くらいだけどカラーコピーは1枚30円。掛け算すると出費が大変」とも。コロナ禍で、週2日ほど働いてきた筑波山のホテルの手伝いができなくなった。 祥子さんは酒店の3人姉妹の末娘。勤めていた土浦市内の会社を2014年に辞めた後、東京・池袋の西武百貨店のコミュニティーカレッジで傾倒するイラストレーター、田村セツコさんの名を見つけ、講座に通った。「自分が変われば周りも変わる」という、かえるかわる子のコンセプトが形づくられ、田村さんの指導とアドバイスから「矢口新聞」が誕生した。 2016年6月には土浦市内で初の個展を開いている。新聞発行が軌道に乗り、土浦の街なかで壁新聞よろしく掲出してくれる店も増えてきた。すると、次第に実家を会場に個展を開きたい思いが募ってきた。地元愛が行き着くところだ。 父親の酒店10代目当主、矢口成也さん(82)に何度か相談したが、首をたてに振ってもらえなかった。実家と知ったファンが「ここで絵を見せてもらえないか」と訪ねてきたこともあったというが、応対は今ひとつだったらしい。 ほしいも神社へ2度のお参り 新聞が通巻200号を超えたころ、作品の評価はいきなり、全国区になった。2020年岡本太郎現代芸術賞(TARO賞)に初応募で入選したのだ。今年に入っての岡本太郎美術館(川崎市)での特別展示には「土浦の情熱」を出品した。展示スペースいっぱいに200枚以上もの「矢口新聞」を掲示して、岡本太郎流にいえば「爆発」した。 これ以来、都内の画廊の展覧会などにも招待作家として出品するようになり、複数のテレビ番組にも取り上げられた。「風向きが変わった」と矢口さんは感じた。 この春、一人でひたちなか市のほしいも神社に参拝した。「矢口新聞が出版できるよう」願掛けしたのだったが、帰宅後、個展開催について父に相談すると「ああ、いいよ」と二つ返事でOKをもらった。「拍子抜けするほど簡単に許してもらった。うれしくって、6月ごろ、もう1回ほしいも神社にお礼参りに行きました」 どういう心境の変化があったか理由はたずねていない。「シャイだから答えないと思う。だけど商店街の周囲の人から『娘さん、がんばってるね』って声をかけられたりして、応援がうれしかったんじゃないかな」。自分が変われば周りも変わる、とばかり歴史的建造物の空気も入れ替えようとしている。(相澤冬樹) ◆かえるかわる子 実家「矢口酒店」で初個展 10月2日(土)3日(日)午後1時~4時、土浦市中央1丁目矢口家住宅(県指定文化財)

「体験を語り継ぐ」被災者団体が記録誌 常総水害から6年

常総水害から10日で6年。被災した住民は何に直面し、どう乗り越えようとしてきたのか。被災者団体が同日、生活再建に向けた住民の6年間の苦闘を記録した冊子を発行した。「常総市大水害・6年の軌跡」編集委員会による「常総市大水害の体験を語り継ぐ 被害者主人公の活動~6年の軌跡」(A4判、87ページ)は、鬼怒川水害はなぜ起こったのか、被災者の声を元に支援制度をどう改善していったのか、なぜ国の責任を追及する裁判に立ち上がったのかなど、5つの章で構成された。 当初、床上浸水1メートル以上でないと支援金が出ないとされた被災者生活再建支援制度、利子3%、連帯保証人を付けよとされた災害救護資金の貸し付け、ペット同伴では入居できないとされた公営住宅、基準がなかった災害関連死の認定など、生活再建に向けて踏み出した住民が直面した問題と、市、県、国と粘り強い交渉を続け、制度を一つずつ改善していった過程と成果、改善できなかった課題などが記されている。 被災者でもある住民12人が編集委員となり、住民から聞き取ったり、住民自身が執筆した体験をまとめ、計1000部作成した。当初5周年を期に発行する予定だったが、新型コロナで集まることができなくなり発行が1年延びた。 発行責任者を務める同市豊岡町の染谷修司さん(77)は、「6年になっても水害は終わったことにはできない。店を再開したけど借金を抱えている人など、今現在も困っていることが続いている。被害者が泣き寝入りするのではなく、声を挙げて粘り強く交渉することで、一歩前進した部分となかなかそうはいかない部分があった」と話し「自然災害はどこで起こってもおかしくない。常総市で6年間体験したことが語りつがれて引き継がれていけばいい」と話した。 震災関連死で妻を亡くし体験談を寄せた赤羽武義さんは「妻は持病があったが半年やそこらで亡くなる病気ではなかった。今も帰ってくるんじゃないかと毎日過ごしている。周りの人からは時間が経つと和らぐよと言われるが、時間が経てばたつほど(河川行政を担う)国に対する怒りが大きくなる。妻の死の原因がどこにあったか、国が何をやったか、何をやらなくてはならなかったか。なぜ妻は死に至ったのか、国に説明を求めたい」などと話した。 ◆記録誌の問い合わせは染谷さん(メール:kinusoshu@outlook.jp)まで。

飯泉あやめさんが個展 生きている禍福、文字列ドローイングを進化

つくば市在住のアーティスト、飯泉あやめさん(32)がきょう30日まで、同市古来の喫茶店、珈琲倶楽部なかやまに併設されたギャラリーJINで個展を開いている。飯泉さんがこれまで描いてきた抽象画の画風と異なり、文字列に色彩を加えたドローイングが新たな試みとして並ぶ。飯泉さんがアーティストとして走り出すきっかけとなった「心の衝動の表現」を基にした進化の一コマだ。 「子供のころから数式を解く文字列に魅入られていました。それと一緒で、思い立つと何度でも繰り返して、そのとき心に留まった言葉や文字を繰り返してドローイングしていました。書き取りの宿題は大好きだったのです」 ギャラリーにはカレンダーの裏側に書き記した様々な数と大きさの文字列が張り出され、ある意味異様な迫力を醸し出していた。この裏書ドローイングは、飯泉さんの創作原点。20代以前の書き取り遊びだったものが、ある日を境に異なる次元に彼女をいざなうこととなった。 「東日本大震災が発災した日、祖母と青森県に旅行に出ていました。大きな被災は受けませんでしたが、ライフラインの停まってしまった宿泊先で、災害の状況がわかるにつれ、何かとても恐ろしいことに引き込まれたと感じ、聞いたこともない被害や犠牲者の数を耳にして、私自身がパニックに陥ってしまいました」 戦争を経験でもしなければ、あり得ない数の「死」を突き付けられた飯泉さんは、それを受け止める自分自身の「生」をもって対峙することとなり、自身が「死」へと引きずられないために、書き取りに没頭し、「□」を繰り返し、繰り返し、54万3000回繰り返した。 「最初は形の定まらないぐりぐりだったのですが、それでは心の平たん線を保てないと、〇にしたり渦にしたり、これだなと感じたのが、角を正確に書くという手段としての □ にたどり着きました」 その後の時間をどのように過ごしてきたかは彼女の胸のうちにとどめられているが、書き取りドローイングは続けられ、創作家という道を切り拓き、文字列とは異なる抽象画に、胸の内から聞こえる叫びを描くようになる。 飯泉さんには失礼だが、それらの画風は、説明を受けなければ理解できない領域にある。だからこそ、個展に登場した文字列のドローイングは、ストレートに見る者の心にも伝わってくる。新たなドローイングは「光」「風」「大地」「水」などのエレメントをモチーフに、アルファベットつづり化されたそれらをアクリル画材で描いた。筆では描けない繊細なつづりは、個展の1週間前に「ケーキ装飾用のクリーム絞り出しが使えるのではないか」とひらめいた。 「それぞれのエレメントは、それらに触れることによって、そこに自分が存在し生きていることを教えてくれます。私自身、時折、人生を投げ出してしまいたくなる負の激流にのまれることがあります。そうなってはならないという克己の叫びが、私を突き動かす。ドローイングは原点に返ったというのではなく、基本と土台であって、私の背中を押すものも、生きているという禍福であることは変わっていません」 飯泉さんは震災を機に創作の道を走り続けているが、スタートラインから10年を経て、衝動や狂気とともに、やさしさをも見出したのかもしれない。 つくば市出身。武蔵野美術大学造形学部卒。2018年より作家・芸術家として創作活動を本格化。「生きているとは何か」をテーマとした絵画、壁画やアートパフォーマンスを手掛ける。(鴨志田隆之)

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