火曜日, 4月 16, 2024
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TOKYO2020 善後策のプラチナメダル 《ひょうたんの眼》39

【コラム・高橋恵一】いよいよオリンピックが始まった。東日本大震災の復興の証しとして、福島原発事故の終息の証しとして、安倍前首相がスーパーマリオに扮(ふん)し、原発の処理水も完全にコントロールしているとして、誘致したオリンピックである。最近の商業主義が色濃くなったオリンピック主催を躊躇(ちゅうちょ)する意見もあったが、じり貧の日本経済の回復を見込む動きが強く、2020東京開催が決まった。 大会が半年後に迫るとき、新型コロナウィルスによるパンデミックが起き、中止や2年延期の議論が起こる中で、前首相は「完全な形でのオリンピック」を目指し、1年延期を決断した。 完全な形のオリンピック。私は、1964年の東京オリンピックをイメージする。スポーツを通しての世界連帯、人種、国籍を超えた人々の交流。オリンピック期間中は戦争を中断した古代オリンピックに習う、平和のスポーツ祭典である。日本にとっては、平和国家としてアジア、世界に認めてもらうと共に、戦後社会経済の復興・発展を遂げ、欧米以外のアジア・アフリカ諸国の地位向上の先頭に立つイベントでもあった。 秋晴れの青空にブルーインパルスの飛行機雲が地球連帯を表す五輪マークを描いた開会式には、最大の参加国、最大の参加選手を迎え、新国立競技場を満員にした観衆が応援し、日本中に行き渡ったテレビが中継した。 日本人選手だけでなく、聞いたことのない国の選手やなじみの少ない種目の女子選手など、世界各国のあらゆる選手の活躍に感動し、応援した。各々の国旗の下に整列した開会式に高揚し、全ての競技で全力を尽くした最後の夜は、選手が国別ではなく、入り混じって、手をつなぎ、肩を組んで、満面の笑顔で入場し、互いの活躍を称えあったのだ。「完全な形」の平和のスポーツ祭典の閉会式だった。 全選手と関係者に「栄誉と感謝の気持ち」を 前首相の後を受けて、菅首相は「安心安全」の開催を公約した。本来、世界中で戦闘が止み、パンデミックも終息していてこそ、各国選手が安心して競技に臨め、安全安心で完全な形のオリンピックであろう。少なくとも、戦闘や感染が終息の方向に動いている必要があったが、現実は程遠かった。せめて、参加選手には、困難な事情を抱えながらも、開催地日本への入出国、日本での滞在、そして競技。日本のホストタウンをはじめ歓迎する人々との交流、多くの観客前での全力パフォーマンスなどが保障されるべきだった。 しかし、事前のワクチン接種も不十分。水際対策も検査体制も不十分。来日してから、感染やその疑いで競技できない選手も出てきたし、無観客なので、日本でオリンピックの選手として競技を誰にも見てもらえない選手もいるのではないか。 このままでは、選手や支えてきた関係者にとって、地球上のあらゆる地域から、遠いけど、美しい、おもてなしの日本に来た意味が無くなってしまうのではないか。 困難な状況下で日本に来てくれた選手に、全ての競技のテレビ放映を実施してほしい。参加選手全員に、金メダルあるいは特製のプラチナメダルを与えてほしい。日本国民から、平和とオリンピックを愛する全ての選手と縁の下から支えてくれた関係者への栄誉と感謝の気持ちとして、実現できないか。(地図好きの土浦人)

TOKYO2020 善後策のプラチナメダル 《ひょうたんの眼》39

【コラム・高橋恵一】いよいよオリンピックが始まった。東日本大震災の復興の証しとして、福島原発事故の終息の証しとして、安倍前首相がスーパーマリオに扮(ふん)し、原発の処理水も完全にコントロールしているとして、誘致したオリンピックである。最近の商業主義が色濃くなったオリンピック主催を躊躇(ちゅうちょ)する意見もあったが、じり貧の日本経済の回復を見込む動きが強く、2020東京開催が決まった。 大会が半年後に迫るとき、新型コロナウィルスによるパンデミックが起き、中止や2年延期の議論が起こる中で、前首相は「完全な形でのオリンピック」を目指し、1年延期を決断した。 完全な形のオリンピック。私は、1964年の東京オリンピックをイメージする。スポーツを通しての世界連帯、人種、国籍を超えた人々の交流。オリンピック期間中は戦争を中断した古代オリンピックに習う、平和のスポーツ祭典である。日本にとっては、平和国家としてアジア、世界に認めてもらうと共に、戦後社会経済の復興・発展を遂げ、欧米以外のアジア・アフリカ諸国の地位向上の先頭に立つイベントでもあった。 秋晴れの青空にブルーインパルスの飛行機雲が地球連帯を表す五輪マークを描いた開会式には、最大の参加国、最大の参加選手を迎え、新国立競技場を満員にした観衆が応援し、日本中に行き渡ったテレビが中継した。 日本人選手だけでなく、聞いたことのない国の選手やなじみの少ない種目の女子選手など、世界各国のあらゆる選手の活躍に感動し、応援した。各々の国旗の下に整列した開会式に高揚し、全ての競技で全力を尽くした最後の夜は、選手が国別ではなく、入り混じって、手をつなぎ、肩を組んで、満面の笑顔で入場し、互いの活躍を称えあったのだ。「完全な形」の平和のスポーツ祭典の閉会式だった。 全選手と関係者に「栄誉と感謝の気持ち」を 前首相の後を受けて、菅首相は「安心安全」の開催を公約した。本来、世界中で戦闘が止み、パンデミックも終息していてこそ、各国選手が安心して競技に臨め、安全安心で完全な形のオリンピックであろう。少なくとも、戦闘や感染が終息の方向に動いている必要があったが、現実は程遠かった。せめて、参加選手には、困難な事情を抱えながらも、開催地日本への入出国、日本での滞在、そして競技。日本のホストタウンをはじめ歓迎する人々との交流、多くの観客前での全力パフォーマンスなどが保障されるべきだった。 しかし、事前のワクチン接種も不十分。水際対策も検査体制も不十分。来日してから、感染やその疑いで競技できない選手も出てきたし、無観客なので、日本でオリンピックの選手として競技を誰にも見てもらえない選手もいるのではないか。 このままでは、選手や支えてきた関係者にとって、地球上のあらゆる地域から、遠いけど、美しい、おもてなしの日本に来た意味が無くなってしまうのではないか。 困難な状況下で日本に来てくれた選手に、全ての競技のテレビ放映を実施してほしい。参加選手全員に、金メダルあるいは特製のプラチナメダルを与えてほしい。日本国民から、平和とオリンピックを愛する全ての選手と縁の下から支えてくれた関係者への栄誉と感謝の気持ちとして、実現できないか。(地図好きの土浦人)

「DPATカー」完成 被災地に駆け付け心のケア 筑波大付属病院

被災地にいち早く駆け付け、心のケアをする筑波大学付属病院(つくば市天久保、原晃病院長)災害派遣精神医療チームの特殊緊急車両「DPAT(ディーパット)カー」がこのほど完成し、18日、同病院の春日プラザで完成披露会が催された。県内第1号のDPATカーとなる。 被災者の心のケアは新しい取り組みで、国の予算がまだ十分にないことから、同大医学医療系災害・地域精神医学の太刀川弘和教授を中心にプロジェクトを立ち上げ、2019年にクラウドファンディングで車両購入の支援を募った。目標額750万円に対し、3カ月間で255人から915万円が集まった。一方、新型コロナ感染拡大への対応などで車両の製造や車内の改造などが遅れ、昨年12月に車が完成した。 DPATカーは6人乗りの白いワゴン車で、車体の前方と側面などに青いアルファベットで「DPAT」と書かれている。後部座席を撤去し、被災者の相談に乗ったり、診察や薬の処方などをするスペースに改造した。車内はLED電球を取り付けて明るくした。通信手段の遮断や長時間の停電に備え、衛星電話やサブバッテリーなども備えている。隊員が宿泊しながら活動する基地にもなる。 太刀川教授は「これまで車両がなくレンタカーなどで被災地に行っていた。クラウドファンディングを始めて、当初は支援が集まるだろうかと懸念していたが、被災地で活動を展開しホームページでどんどん報告したところ、温かいメッセージと共に255人から目標額を超える支援が集まった。車両の製造や改造もコロナ対応で遅れ、2020年末に完成したが、感染拡大でお披露目もなかなかできなかった。この日を迎えられて感無量」と話し「今後はDPATカーを使って被災地に出掛けて、被災者の心のケアの支援をしていきたい」などと語った。 DPATは、国や都道府県の要請で被災地に48時間以内に駆け付け、1~2週間滞在して被災者の心のケアをするチーム。精神科医師、看護師、薬剤師、ソーシャルワーカーなど5~6人で構成され、避難所などで被災者の診察をしたり、被災した精神科病院の患者の対応などをする。2011年の東日本大震災をきっかけに誕生した。 同大附属病院では2015年にDPATチームが発足し、鬼怒川が決壊した同年の常総水害、16年の熊本地震などの被災地に赴き活動した。新型コロナウイルスの感染が拡大した昨年は横浜港で大型客船ダイヤモンド・プリンセス号の乗客の心のケアなどにも取り組んだ。(鈴木宏子)

「風立ちぬ」考 その1 《遊民通信》20

【コラム・田口哲郎】 前略 「風立ちぬ」は長らく堀辰雄の小説を指すものでした。しかし、2013年7月にスタジオジブリ制作のアニメ映画「風立ちぬ」が公開されると、どちらの「風立ちぬ」なのか訊(き)かねば分からなくなりました。というよりも宮崎駿氏が最後の長編アニメと宣言した記念碑的作品に意外な題名をつけたので、「風立ちぬ」は知名度を上げ、堀辰雄の名作を忘却の淵から掬(すく)い出した感すらあります。 高橋源一郎氏が指摘していますが、アニメの方を指すのが現代日本では一般的になりつつあると言えるかもしれません。実際、アニメは小説の映画化というわけではないですし、同じ題名でも内容が違うから区別して呼ぶ方がよいかもしれません。そういう意味でアニメ「風立ちぬ」は宮崎駿の「風立ちぬ」です。 アニメは原作と違って八ケ岳山麓のサナトリウムにおける愛の物語ではなく、零戦の設計者堀越二郎の半生が主題となっています。関東大震災から始まり、太平洋戦争に至る社会変動の物々しいうごめきのうちに、美しい飛行機を造りたいと望む堀越二郎の奮闘が描かれます。 この堀越の伝記に堀の「風立ちぬ」と「菜穂子」が組み込まれている。堀越の妻が菜穂子になっていて、物語の舞台は堀越が勤務している三菱内燃機製造がある名古屋です。小説とアニメの内容の違いはこれ以上言いません。ただ、異なる物語がひとつの名に結びつけられるときに現れる奇妙さを看過するわけにはいきません。 高橋氏の言葉を借りましょう。「宮崎駿は、この設計者・堀越二郎の物語を、なぜ、堀辰雄の物語に、『強引に』接続したのだろうか」(「ニッポンの小説・第三部 第十七回『風立ちぬ』を『読む』」)。この謎を解く手掛かりは関東大震災・戦争のようです。 それぞれの「風立ちぬ」 宮崎氏は「文藝春秋」2013年8月号で、「風立ちぬ」公開に先立って半藤利一氏と記念対談をしています。そのタイトルは「『風立ちぬ』戦争と日本人」。対談は映画のパンフレットやポスターにあった文句「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて」的な内容になると思いきや、宮崎氏と半藤氏の戦争体験や家族の思い出が語られ、堀越二郎の零戦の話はまずまずあるとして、堀辰雄の話題はほんのわずかしかありません。 「堀辰雄が戦時中に書いたものを読むと、戦争のせの字もないし、およそ政治的なことはほとんど文章中に書かなかったけれど、やはり、あの時代を真剣に生き、ちゃんと考えていたんだな、と思ったんです」と宮崎氏は語ります。堀は時代性や社会性を作品に反映させていないという評価です。 高橋氏も同様のことを指摘している。彼らは堀の小説が社会性を全く持たないがゆえに敬遠していたけれども、ずっと無視できずにいたと言うのです。宮崎氏と高橋氏を結びつけた小説「風立ちぬ」の魅力は何なのでしょうか? まず、先ほど述べた震災と戦争が関わっています。詳しくは次回。ごきげんよう。 草々(散歩好きの文明批評家)

「風立ちぬ」考 その1 《遊民通信》20

【コラム・田口哲郎】 前略 「風立ちぬ」は長らく堀辰雄の小説を指すものでした。しかし、2013年7月にスタジオジブリ制作のアニメ映画「風立ちぬ」が公開されると、どちらの「風立ちぬ」なのか訊(き)かねば分からなくなりました。というよりも宮崎駿氏が最後の長編アニメと宣言した記念碑的作品に意外な題名をつけたので、「風立ちぬ」は知名度を上げ、堀辰雄の名作を忘却の淵から掬(すく)い出した感すらあります。 高橋源一郎氏が指摘していますが、アニメの方を指すのが現代日本では一般的になりつつあると言えるかもしれません。実際、アニメは小説の映画化というわけではないですし、同じ題名でも内容が違うから区別して呼ぶ方がよいかもしれません。そういう意味でアニメ「風立ちぬ」は宮崎駿の「風立ちぬ」です。 アニメは原作と違って八ケ岳山麓のサナトリウムにおける愛の物語ではなく、零戦の設計者堀越二郎の半生が主題となっています。関東大震災から始まり、太平洋戦争に至る社会変動の物々しいうごめきのうちに、美しい飛行機を造りたいと望む堀越二郎の奮闘が描かれます。 この堀越の伝記に堀の「風立ちぬ」と「菜穂子」が組み込まれている。堀越の妻が菜穂子になっていて、物語の舞台は堀越が勤務している三菱内燃機製造がある名古屋です。小説とアニメの内容の違いはこれ以上言いません。ただ、異なる物語がひとつの名に結びつけられるときに現れる奇妙さを看過するわけにはいきません。 高橋氏の言葉を借りましょう。「宮崎駿は、この設計者・堀越二郎の物語を、なぜ、堀辰雄の物語に、『強引に』接続したのだろうか」(「ニッポンの小説・第三部 第十七回『風立ちぬ』を『読む』」)。この謎を解く手掛かりは関東大震災・戦争のようです。 それぞれの「風立ちぬ」 宮崎氏は「文藝春秋」2013年8月号で、「風立ちぬ」公開に先立って半藤利一氏と記念対談をしています。そのタイトルは「『風立ちぬ』戦争と日本人」。対談は映画のパンフレットやポスターにあった文句「堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて」的な内容になると思いきや、宮崎氏と半藤氏の戦争体験や家族の思い出が語られ、堀越二郎の零戦の話はまずまずあるとして、堀辰雄の話題はほんのわずかしかありません。 「堀辰雄が戦時中に書いたものを読むと、戦争のせの字もないし、およそ政治的なことはほとんど文章中に書かなかったけれど、やはり、あの時代を真剣に生き、ちゃんと考えていたんだな、と思ったんです」と宮崎氏は語ります。堀は時代性や社会性を作品に反映させていないという評価です。 高橋氏も同様のことを指摘している。彼らは堀の小説が社会性を全く持たないがゆえに敬遠していたけれども、ずっと無視できずにいたと言うのです。宮崎氏と高橋氏を結びつけた小説「風立ちぬ」の魅力は何なのでしょうか? まず、先ほど述べた震災と戦争が関わっています。詳しくは次回。ごきげんよう。 草々(散歩好きの文明批評家)

霞ケ浦の全魚種で出荷制限解除 原発事故から10年、アメリカナマズも

東京電力福島第1原発事故による放射能汚染で、茨城県が出荷制限を受けていた霞ケ浦のアメリカナマズが、基準値(1キロ当たり100ベクレル以下)を超えたものがなかったとして、5月19日付で出荷制限を解除された。 アメリカナマズは東日本大震災翌年の2012年4月に出荷制限を指示されて以来、霞ケ浦で唯一、出荷制限が続いていた。9年ぶりの解除となる。今回の解除により、霞ケ浦のすべての魚介類が制限解除となった。 4月22日、県が出荷制限解除申請を国に提出した。解除の範囲は、霞ケ浦、北浦、外浪逆浦と、これらの湖沼に流入する河川、常陸利根川で採捕されたアメリカナマズ(養殖を除く)。 解除の理由は、13年5月29日から20年10月29日までの間、放射性セシウム濃度を検査した結果、合計146検体の平均値は1キロ当たり37ベクレルで、基準値を超える値は検出されず、安定して基準値を下回っていたためという。 解除後も県は、出荷管理計画に基づいて月1回、サンプリングを行い、土浦、龍ケ崎、鹿嶋市や利根町など19市町で検査を続ける。万が一、基準値を超える結果が判明した場合は、県が関係各漁協に対し、解除された全範囲のアメリカナマズの出荷自粛を求める。 県内では、2011年3月の福島原発事故発生後、茨城沖のコウナゴから暫定規制値を超える放射性セシウムが検出され、市場での取引拒否や、出荷、販売の自粛があった。 翌12年4月、1キロ当たり100ベクレル以下という新基準値が設定されたが、海の魚28種の出荷制限が解除されたのはさらに5年後の17年3月だった。 しかし湖沼の霞ケ浦のアメリカナマズと、河川の利根川・境大橋(境町)下流のウナギは出荷制限が続いてきた。 一方、利根川下流のウナギはまだ出荷制限が続いている。調査地点には千葉県側もあるなど、足並みをそろえて検査を行っていく必要があることから、県漁政課は「引き続きウナギについても検査を推進していきたい」と話している。(山崎実)

最も有効な避難計画は再稼働させないこと 《邑から日本を見る》88

【コラム・先﨑千尋】「避難計画は実際には機能しない。絵にかいた餅でしかない。最も有効な避難計画は再稼働させないことだ」。東海第2原発に隣接する那珂市議会の勉強会で、桜井勝延前福島県南相馬市長はこう強調した。 同市議会は常設の原子力安全対策委員会を持ち、これまでに原発関係の有識者を呼び、勉強会を開いてきた。また昨年11月には、東海第2原発の再稼働に関して市民の声を聴こうと、「市民の皆さまの声を聴く会」を開くなどしてきた。今回の勉強会は、議員全員が東京電力福島第1原発に隣接する自治体の首長の体験談を聴こうと開いたもので、16人の議員のほか、一般市民にも公開した。 桜井氏はまず、10年前の事故当時を振り返り、体験した者でないと分からないことがいっぱいあると話し、「大津波で多くの犠牲者が出、救助のさなかに福島第1原発の爆発が起きた。国や県からは何の情報も届かず、テレビの画面で避難指示が出たことを知った。市民は自分の命を守ることが最優先で、行政の指示通りには動かない。それぞれが行きたいところに行く。病院の患者や要介護者の避難が大変だった。東電の作業員は真っ先に遠いところに逃げた。住民のために活動すべき議員も半数以上が逃げ出した。議長は事故の4日後に北海道の千歳空港にいた。新潟県の泉田知事から避難者を受け入れるという電話をもらい、助かった」と、情報が入らなかったこと、バリケードを張られ生活物資までもが入らなくなったこと、避難指示などが困難を極めたこと―などを細かく報告した。 南相馬市の居住人口は震災9年後の時点で約1万7000人減少し、独居や高齢者世帯が増え、若い働き手や子育て世帯が減っている。父親が帰還し就労しても、避難先で生活を続ける母親と子どもが多く、パート、アルバイトが不足しているという。 「まだ以前の生活を取り戻せない」 桜井氏はさらに、「市民の多くはまだ以前の生活を取り戻せないでいる。復興というと響きはいいが、復興とはなんぞやと思っている。復興五輪と言っているが、誰のために開くのか。東電は私たち市民に約束したことを守らない。信用に値しない。東電からの賠償金は原発からの距離で差別される。除染でがんばり、避難区域から解除されると賠償金が減らされる。住民に差別を持ち込むと地域が分断されてしまう。被災地の首長は市民からボコボコにされながらがんばってきた」と、自治体とトップの苦悩を語ってくれた。 講演後の質疑では、「情報はどのようにして入手したのか」、「全市民の避難にかかった時間は」、「情報が伝わっていれば、避難の対応は違っていたのか」などの質問が出された。櫻井氏は、水戸地裁が今年3月に、避難計画の不備などを理由に原電に東海第2原発の運転差し止めを命じた判決にも触れ、「判決で明らかになったように、避難計画は実際には機能しない」と話し、「最も重要なことは、市民の命を守ること」と強調した。 桜井氏は現在、「脱原発をめざす首長会議」の世話人として、村上達也前東海村長らと活動を続けている。(元瓜連町長)

最も有効な避難計画は再稼働させないこと 《邑から日本を見る》88

【コラム・先﨑千尋】「避難計画は実際には機能しない。絵にかいた餅でしかない。最も有効な避難計画は再稼働させないことだ」。東海第2原発に隣接する那珂市議会の勉強会で、桜井勝延前福島県南相馬市長はこう強調した。 同市議会は常設の原子力安全対策委員会を持ち、これまでに原発関係の有識者を呼び、勉強会を開いてきた。また昨年11月には、東海第2原発の再稼働に関して市民の声を聴こうと、「市民の皆さまの声を聴く会」を開くなどしてきた。今回の勉強会は、議員全員が東京電力福島第1原発に隣接する自治体の首長の体験談を聴こうと開いたもので、16人の議員のほか、一般市民にも公開した。 桜井氏はまず、10年前の事故当時を振り返り、体験した者でないと分からないことがいっぱいあると話し、「大津波で多くの犠牲者が出、救助のさなかに福島第1原発の爆発が起きた。国や県からは何の情報も届かず、テレビの画面で避難指示が出たことを知った。市民は自分の命を守ることが最優先で、行政の指示通りには動かない。それぞれが行きたいところに行く。病院の患者や要介護者の避難が大変だった。東電の作業員は真っ先に遠いところに逃げた。住民のために活動すべき議員も半数以上が逃げ出した。議長は事故の4日後に北海道の千歳空港にいた。新潟県の泉田知事から避難者を受け入れるという電話をもらい、助かった」と、情報が入らなかったこと、バリケードを張られ生活物資までもが入らなくなったこと、避難指示などが困難を極めたこと―などを細かく報告した。 南相馬市の居住人口は震災9年後の時点で約1万7000人減少し、独居や高齢者世帯が増え、若い働き手や子育て世帯が減っている。父親が帰還し就労しても、避難先で生活を続ける母親と子どもが多く、パート、アルバイトが不足しているという。 「まだ以前の生活を取り戻せない」 桜井氏はさらに、「市民の多くはまだ以前の生活を取り戻せないでいる。復興というと響きはいいが、復興とはなんぞやと思っている。復興五輪と言っているが、誰のために開くのか。東電は私たち市民に約束したことを守らない。信用に値しない。東電からの賠償金は原発からの距離で差別される。除染でがんばり、避難区域から解除されると賠償金が減らされる。住民に差別を持ち込むと地域が分断されてしまう。被災地の首長は市民からボコボコにされながらがんばってきた」と、自治体とトップの苦悩を語ってくれた。 講演後の質疑では、「情報はどのようにして入手したのか」、「全市民の避難にかかった時間は」、「情報が伝わっていれば、避難の対応は違っていたのか」などの質問が出された。櫻井氏は、水戸地裁が今年3月に、避難計画の不備などを理由に原電に東海第2原発の運転差し止めを命じた判決にも触れ、「判決で明らかになったように、避難計画は実際には機能しない」と話し、「最も重要なことは、市民の命を守ること」と強調した。 桜井氏は現在、「脱原発をめざす首長会議」の世話人として、村上達也前東海村長らと活動を続けている。(元瓜連町長)

5/16 バラスト砕石用貨車「さよなら撮影会」

常総線に在籍するバラスト砕石用貨車(国鉄ホキ800形ホッパ車)2両を、小湊鉄道に譲渡するにあたって「さよなら撮影会」を開催する。 同貨車は1990年3月、関東鉄道が、国鉄清算事業団から譲渡を受け、常総線に配備された。翌91年から92年に実施した水海道車両基地新設工事や、2011年3月の東日本大震災の復旧工事で活躍した。 2021年6月、小湊鉄道に譲渡が決まり、長年にわたって常総線の線路を支えた貨車の労をねぎらうため、撮影会イベントを実施する。 ▽撮影会日時 5月16日(日) 午前の部 10時~11時45分(水海道駅9時20分集合) 午後の部 1時~2時45分(同12時10分集合) ※水海道駅から臨時列車で移動する。 ▽撮影会場 常総線 水海道車両基地 ホッパ車2両とDD502機関車・工事用保守者との連結展示による撮影会を行う。会場で限定グッズの販売もある。 ▽募集人員 午前、午後各50人 ▽参加費 3000円(税込み、記念乗車券付き) ▽募集期間 4月27日~5月7日。募集人員を超えた場合、抽選となる。 ▽関東鉄道ホームページから専用フォームで申し込む。

3月11日に家族が増えたおはなし 《ことばのおはなし》32

【コラム・山口 絹記】出産予定日を数日過ぎた深夜2時。「破水してるかも…」と言いながら、私の部屋に入ってきた妻。「いやぁ、そんな出てないかも、我慢できるくらいの痛みだし」 いやいやいや。破水してる時点で病院直行でしょう。我慢できるとかできないとか、関係ないでしょう。車のエンジンをかけ、暖房を入れ、座席シートにビニールを敷いて、寝ていた上の娘(もうすぐ6歳)に上着と靴下を装着して病院へ。 かけていたラジオから、震災から10年、みたいな話が流れてきた。 そうか。どうやら2人目の我が子は3月11日、あの日からちょうど10年のこの日に生まれるらしい。 こんなご時世なので、出産には夫といえど立ち会えず、面会も1人だけで毎日15分まで。上の娘のときはつきっきりで、妻の背中を全力で押し続け、へその緒も切らせてもらえたし、夜遅くまで病室にいられたことを考えると、ずいぶん違った世界になっていて興味深い。 すっかり目がさえてしまった娘を寝かしつけ、落ち着かない気持ちをごまかしごまかしギターをいじってみたり、狭い部屋をウロウロ歩いているうちにカラスが鳴き始め、外も明るくなってきてしまった。コーヒーをいれていると娘が目をこすりながら寝室から出てきて、無言でストーブをつける。 娘が幼稚園に行ってしまうと、また1人家の中をウロウロ。10時が過ぎたころ、妻から無事に産まれた旨の電話がかかってきた。 15分というのは本当にあっという間で、受付から病室までの距離を考えると、産まれてきた我が子を抱っこして、ミルクを飲ませているうちに終了してしまう。上の娘はちゃんと幼稚園行ったよということ、付き添えなくてごめんね、ということ、元気に産んでくれてありがとう、ということを伝えるのがやっとで、面会時間終了の電話が鳴った。 グッド・バイよりもグッド・ラック 自分のこどもがどんな道を歩んでいくのだろう。私自身とは違った初期設定の世の中で、こどもたちはどんなことを感じるのだろう。 はなにあらしのたとへもあるぞ さよならだけが人生だ、などということばもあるが、自分のこどもたちが過去を前提に未来に思いをはせるのは、まだもう少し先のことになるだろう。私もそれに習って、こどもたちとは、先だけを見ていこうと思う。 3月11日という日にも、息子は私に違った趣を与えてくれた。考えてみれば、365日、何もなかった日なんてないのだ。特別じゃない日なんてない。 本人が実際に経験しなかった事象を、経験したものが押し付けるのも、押し付けられる側からしたら迷惑な話でしかないだろう。 3月11日はおまえさんが産まれた日。彼にとってはそれで十分だ。そのうち、彼自身の悲喜こもごもが追加されるのかもしれないが、それはもう親の領分ではない。勝手に生きるだろう。 今の自分のこどもたちに必要なのは、グッド・バイよりもグッド・ラック、だと私は思っている。(言語研究者)

3月11日に家族が増えたおはなし 《ことばのおはなし》32

【コラム・山口 絹記】出産予定日を数日過ぎた深夜2時。「破水してるかも…」と言いながら、私の部屋に入ってきた妻。「いやぁ、そんな出てないかも、我慢できるくらいの痛みだし」 いやいやいや。破水してる時点で病院直行でしょう。我慢できるとかできないとか、関係ないでしょう。車のエンジンをかけ、暖房を入れ、座席シートにビニールを敷いて、寝ていた上の娘(もうすぐ6歳)に上着と靴下を装着して病院へ。 かけていたラジオから、震災から10年、みたいな話が流れてきた。 そうか。どうやら2人目の我が子は3月11日、あの日からちょうど10年のこの日に生まれるらしい。 こんなご時世なので、出産には夫といえど立ち会えず、面会も1人だけで毎日15分まで。上の娘のときはつきっきりで、妻の背中を全力で押し続け、へその緒も切らせてもらえたし、夜遅くまで病室にいられたことを考えると、ずいぶん違った世界になっていて興味深い。 すっかり目がさえてしまった娘を寝かしつけ、落ち着かない気持ちをごまかしごまかしギターをいじってみたり、狭い部屋をウロウロ歩いているうちにカラスが鳴き始め、外も明るくなってきてしまった。コーヒーをいれていると娘が目をこすりながら寝室から出てきて、無言でストーブをつける。 娘が幼稚園に行ってしまうと、また1人家の中をウロウロ。10時が過ぎたころ、妻から無事に産まれた旨の電話がかかってきた。 15分というのは本当にあっという間で、受付から病室までの距離を考えると、産まれてきた我が子を抱っこして、ミルクを飲ませているうちに終了してしまう。上の娘はちゃんと幼稚園行ったよということ、付き添えなくてごめんね、ということ、元気に産んでくれてありがとう、ということを伝えるのがやっとで、面会時間終了の電話が鳴った。 グッド・バイよりもグッド・ラック 自分のこどもがどんな道を歩んでいくのだろう。私自身とは違った初期設定の世の中で、こどもたちはどんなことを感じるのだろう。 はなにあらしのたとへもあるぞ さよならだけが人生だ、などということばもあるが、自分のこどもたちが過去を前提に未来に思いをはせるのは、まだもう少し先のことになるだろう。私もそれに習って、こどもたちとは、先だけを見ていこうと思う。 3月11日という日にも、息子は私に違った趣を与えてくれた。考えてみれば、365日、何もなかった日なんてないのだ。特別じゃない日なんてない。 本人が実際に経験しなかった事象を、経験したものが押し付けるのも、押し付けられる側からしたら迷惑な話でしかないだろう。 3月11日はおまえさんが産まれた日。彼にとってはそれで十分だ。そのうち、彼自身の悲喜こもごもが追加されるのかもしれないが、それはもう親の領分ではない。勝手に生きるだろう。 今の自分のこどもたちに必要なのは、グッド・バイよりもグッド・ラック、だと私は思っている。(言語研究者)

農林水産業の再生へ 福島で祈念大会《邑から日本を見る》84

【コラム・先﨑千尋】福島の農協団体が13日、郡山市で東日本大震災復興祈念大会を開き、同県の農林水産業の再生に総力を挙げて取り組む決意を確認した。東日本大震災と東京電力福島第1原発の事故から10年になり、多くの報道がされているが、私も大会前後に現地に入り、取材した。同県の第1次産業は、震災と原発事故によって、農業が8割以下、林業が7割以下、漁業が5割以下にまで落ち込んだ。 大会は農協グループが主催し、県森連、県漁連、生協連などが共催。関係者約800人が参加した。菅野孝志・県農協中央会長は挨拶で「生産者の熱い思いを受け止め、担い手確保の支援対策や生産、加工、流通を一体的に確保する産地づくりに全力をあげる。福島の農林水産業の明るい未来のために、共に手を携えていこう」と呼び掛けた。祝辞では、全国農協中央会の中家徹会長が「安全・安心だというPR活動の展開や消費者対策だけでなく、流通対策も含めて復興支援に力を入れていく」と述べた。 決意表明では、飯豊ファーム(相馬市)の竹澤一敏社長、あかい菜園(いわき市)の船生典文社長、会津よつば農協の吉津紘二さん、陽と人(ひとびと、国見町)の小林味愛社長が登壇し、それぞれの取り組みを述べ、岩瀬農高の生徒たちが動画で発信した。 「地域の人たちに、変わらぬ『農の風景』を届けていくのが私たちの責務」という竹澤さん。「震災と台風、コロナなどの試練を乗り越えてきた。持続可能な農業を次世代につないでいく」と述べた船生さん。「地理的表示(GI)保護制度に登録された南郷トマトのように、福島全体の農産物が特別のものになっていけるように」と表明した吉津さん。「震災時は国家公務員だったが、福島応援のために福島で起業した。競争ではなく、共存共栄の考えで新しいことに挑戦していく」と明るい表情で語った小林さん。それぞれに若い人たちの強さとたくましさを感じ取ることができた。 「農業の復興なくして福島の復興はない」 協同メッセージの発信では、県漁連の野﨑哲会長が試験操業の終了を踏まえ、「操業拡大を図るには風評対策、流通の回復が最重要課題だ」と強調。県森連の秋元公夫会長は「森林・林業の再生を図る取り組みは緒に就いたばかりで、やめることなく進めていく」と述べた。消費者代表として登壇した県生協連の吉川毅一会長は「もう10年なのか、まだ10年なのか」と会場に問いかけ、「農業の復興なくして福島の復興はない。今後も『地産地消ふくしまネット』に結集し、皆さんと共に連携していく」と誓った。 協同メッセージに続いて、福島市出身の俳優梅沢富美男さん、会津若松市出身の県しゃくなげ大使大林素子さん、古殿町出身で東京南麻布にある日本料理「分とく山」総料理長の野崎洋光さんの応援メッセージが動画で放映された。 大会は最後に、県農業会議の鈴木理会長が、大震災と原発事故から10年を経ても残っている課題を解決するために、「農林漁業の復興・再生の取り組みを強化し、国・県・市町村との連携を進め、農林漁業者と消費者の協同に力を結集しよう」という大会決議案を読み上げ、満場一致で採択された。(元瓜連町長)

農林水産業の再生へ 福島で祈念大会《邑から日本を見る》84

【コラム・先﨑千尋】福島の農協団体が13日、郡山市で東日本大震災復興祈念大会を開き、同県の農林水産業の再生に総力を挙げて取り組む決意を確認した。東日本大震災と東京電力福島第1原発の事故から10年になり、多くの報道がされているが、私も大会前後に現地に入り、取材した。同県の第1次産業は、震災と原発事故によって、農業が8割以下、林業が7割以下、漁業が5割以下にまで落ち込んだ。 大会は農協グループが主催し、県森連、県漁連、生協連などが共催。関係者約800人が参加した。菅野孝志・県農協中央会長は挨拶で「生産者の熱い思いを受け止め、担い手確保の支援対策や生産、加工、流通を一体的に確保する産地づくりに全力をあげる。福島の農林水産業の明るい未来のために、共に手を携えていこう」と呼び掛けた。祝辞では、全国農協中央会の中家徹会長が「安全・安心だというPR活動の展開や消費者対策だけでなく、流通対策も含めて復興支援に力を入れていく」と述べた。 決意表明では、飯豊ファーム(相馬市)の竹澤一敏社長、あかい菜園(いわき市)の船生典文社長、会津よつば農協の吉津紘二さん、陽と人(ひとびと、国見町)の小林味愛社長が登壇し、それぞれの取り組みを述べ、岩瀬農高の生徒たちが動画で発信した。 「地域の人たちに、変わらぬ『農の風景』を届けていくのが私たちの責務」という竹澤さん。「震災と台風、コロナなどの試練を乗り越えてきた。持続可能な農業を次世代につないでいく」と述べた船生さん。「地理的表示(GI)保護制度に登録された南郷トマトのように、福島全体の農産物が特別のものになっていけるように」と表明した吉津さん。「震災時は国家公務員だったが、福島応援のために福島で起業した。競争ではなく、共存共栄の考えで新しいことに挑戦していく」と明るい表情で語った小林さん。それぞれに若い人たちの強さとたくましさを感じ取ることができた。 「農業の復興なくして福島の復興はない」 協同メッセージの発信では、県漁連の野﨑哲会長が試験操業の終了を踏まえ、「操業拡大を図るには風評対策、流通の回復が最重要課題だ」と強調。県森連の秋元公夫会長は「森林・林業の再生を図る取り組みは緒に就いたばかりで、やめることなく進めていく」と述べた。消費者代表として登壇した県生協連の吉川毅一会長は「もう10年なのか、まだ10年なのか」と会場に問いかけ、「農業の復興なくして福島の復興はない。今後も『地産地消ふくしまネット』に結集し、皆さんと共に連携していく」と誓った。 協同メッセージに続いて、福島市出身の俳優梅沢富美男さん、会津若松市出身の県しゃくなげ大使大林素子さん、古殿町出身で東京南麻布にある日本料理「分とく山」総料理長の野崎洋光さんの応援メッセージが動画で放映された。 大会は最後に、県農業会議の鈴木理会長が、大震災と原発事故から10年を経ても残っている課題を解決するために、「農林漁業の復興・再生の取り組みを強化し、国・県・市町村との連携を進め、農林漁業者と消費者の協同に力を結集しよう」という大会決議案を読み上げ、満場一致で採択された。(元瓜連町長)

10年目も被災企業に影 第2期復興・創生期間へ

信用調査機関、帝国データバンクは、東日本大震災発生直後の2011年3月から21年2月末まで10年間の倒産動向調査結果をまとめた。 震災被害が、直接または間接的な要因となった倒産は、10年間で県全体で122件発生し、負債総額は累計で478億4100万円となった。復旧・復興が進む中、8年目と9年目に各2件、10年目になっても1件の倒産が発生するなど、大震災と原発事故が現在でも企業経営に影を落としていることが分かった。 震災倒産のうち、累計件数で最も多かったのは「小売業」の26件、次いで「建設業」「製造業」「サービス業」が各21件、「卸売業」が18件と続いている。「小売業」の約半数(12件)は飲食店関係。 この傾向を同バンクは「震災による設備損壊や(原発事故による)風評被害で客足の落ち込みが長引き、借入金の返済猶予など資金繰り支援を受けながらも、売上回復や収益環境の改善につながらず倒産に至ったものと考えられる」と分析している。 今後の取り組みについては、政府は3月末に終了する「復興・創生期間」を引き継ぎ、第2期「復興・創生期間」を2026年3月まで定めるが、被災企業でも今後は本来の自主経営を求められることになる。 ただ現在は、新型コロナウイルス感染拡大の影響で経営環境が激変している。これらの要因を背景に同バンクは「業界によっては震災前の水準まで回復しないことも想定され、11年目以降も震災に起因した『息切れ型倒産』のリスクがくすぶり続けるのでは」と予測している。(山崎実)

「10年経っても苦難は続いている」 福島県の被災者が3.11集会で訴え

【崎山勝功】東日本大震災と福島第1原発事故から丸10年を迎えた11日、脱原発と護憲を訴える「3.11から10年 さよなら原発! 守ろう憲法! 昼休み集会」がつくば市吾妻のつくばセンター広場で開かれた。市民ら約100人が参加し、東海第2原発の再稼働反対や新型コロナウイルス対策の拡充などを訴えた。市民団体「戦争をする国づくりNO@つくば」と「安倍9条改憲NO!市民アクションつくば連絡会」の共催で行われた。 集会では、参加者らの1分間の黙とうの後に、原発事故被害者らで組織する「原発事故被害者相双の会」の国分富夫会長(75)=福島県相馬市在住=が発言し「もう(原発)事故から10年になった。人生の大半を使ってしまったような感じがする。10年経っても変わらない」と原発事故を振り返った。 その上で国分会長は「復興は(原発事故前の)元に戻ること。安心安全な社会に戻ること」とし、進まない生活再建や高齢被災者の孤独死などの問題を挙げて「今でも福島では苦難が続いている」と訴えた。 東海第2原発運転差し止め訴訟原告団の大石光伸共同代表は、今月18日に水戸地裁で判決が出される東海第2原発の運転差し止め訴訟について「福島の人がいまだにどういう状態にあるのか。原発を再稼働することが何をもたらすのかを考えて(裁判官は)判断してほしい」と語った。 集会では「運転開始から43年目を迎えた東海第2原発は周辺30キロメートル圏に94万人が住む危険な原発。94万人の住民にとって実効性のある広域避難計画など策定できないことは明らかで、新型コロナウイルス感染対策との両立は不可能」だとして、再稼働反対などを訴えるアピールを採択した。 同集会は震災後の2012年から毎年3月11日に行われ今回で9回目。例年は集会後、つくば駅周辺をデモ行進するが、今年も2年連続で新型コロナウイルス感染拡大の影響でデモ行進を取り止め、屋外集会のみの実施となった。 主催者代表の山本千秋さん(80)は「世の中から忘れゆく流れは否定しようがないけど、あえて(原発事故を)忘れないように集会を開きながら皆さんに訴えていく」と述べた。(2ページに続く) つくば市役所などで半旗掲揚、黙とう この日は東日本大震災と福島第1原発事故から丸10年とあって、官公庁や一部企業などで、震災犠牲者を追悼する半旗が掲げられた。 このうち半旗を掲げたつくば市役所では、地震発生時刻の午後2時46分に合わせ、来庁者や手の空いた職員に対して1分間の黙とうを呼び掛ける庁内放送が流れ、職員や来庁者らが応じていた。 震災当時は筑波大生だった市職員男性(31)は「毎年この時期になると、停電とか断水とかいろいろあったのを思い出す」と10年前を振り返った。

県南拠点、みらいのもり保育園内に完成 災害ボランティア防災倉庫

【池田充雄】県社会福祉協議会(社協)が県内各地に整備を進めている防災倉庫「災害ボランティアセンター用資機材ストックヤード」のうち、県南地区の拠点が3日、社会福祉法人関耀会みらいのもり保育園(つくば市鬼ケ窪、関正夫理事長)の敷地内に設置された。関耀会とつくば市社協との間で、施設の維持管理のための覚書も締結された。 ストックヤードは、県社協が県内各地の社会福祉法人と連携し、災害時の被災者支援のための資機材を分散配置するもの。県内全域をおおむね1時間以内でカバーできるよう9カ所を選んでおり、関耀会としては昨年10月、特別養護老人ホームまごころの杜(筑西市西方)に県西地区の拠点を置いたのに続く、2カ所目の設置協力となる。 施設は面積10平方メートル未満のコンテナ型。スコップ、デッキブラシ、一輪車、バケツ、ブルーシート、土のう袋、軍手などの資機材を多数配備し、特に使い捨てマスクは1000枚、防塵マスクは500枚、高圧洗浄機も1台用意した。 初動の立ち上げ早く 目的は、大規模な災害が発生し、被災地の市町村社協が災害ボランティアセンター(VC)を設置したとき、そこで使われる資機材を遅滞なく円滑に提供できるようにすること。 「県社協にも備蓄はあるが、近年は災害が広域かつ同時多発化している。また大規模災害では道路や鉄道などの交通手段が寸断されることも多い。初動の立ち上げを早くし、資機材の不足による支援の遅れが生じないようにしたい」と、県社協の森戸久雄会長は指摘する。 教訓となったのは一昨年の台風19号。県北5市町村に広域的被害が生じ、不足する資機材を現地調達しようにも、被災地のホームセンターなどはどこも商品が品切れ状態になり、苦労したという。このため、県北地域は特に手厚く、3カ所のストックヤードを置くことにした。 関耀会の葉章二副理事長は「今の災害は地震、風水害、コロナなど複合的かつ同時多発的。日々対策にいそしむ社協に感謝申し上げる。当法人の母体である関彰商事は創業以来113年、新しい時代の地域社会を、地域の皆様と共に作り上げるべく取り組んできた。災害に強い安心安全な社会を具現化していきたい」と話した。 つくば市社会福祉協議会の吉場勉副会長は「当会ではこの10年間に東日本大震災、北条地区竜巻被害、関東・東北豪雨と計3回の災害VCを立ち上げ、また県外の災害にもボランティアを派遣しているが、いずれも初動時の資機材確保には苦労した。立派なストックヤードを造っていただき感謝する」とした。 全9カ所の設置場所は以下の通り。今月内に全ての整備が終わる予定だ。 県央 県福祉会館(水戸市)県北山間 仁川会(常陸大宮市)県西 関耀会・特別養護老人ホームまごころの杜(筑西市)県北臨海 日立市社会福祉協議会(日立市)県南 関耀会・みらいのもり保育園(つくば市)県南 明岳会・軽費老人ホームピソ天神(かすみがうら市)県北山間 誉田会・児童養護施設誉田養徳園(常陸太田市)県西 和風会・特別養護老人ホーム秋明館(古河市)鹿行 鹿嶋市社会福祉協議会(鹿嶋市)

《邑から日本を見る》82 ずさんな東海第2の避難計画

【コラム・先﨑千尋】2月13日夜中の地震にはたまげた。飛び起きてテレビをつけた。東海村は我が家から至近距離。そこにある日本原電東海第2発電所がどうなのかが心配だったから。何事もないことを確認し、また寝た。 翌朝のテレビはもっぱらこの地震の模様を伝えていた。福島にある2カ所の原発には異常がなかったようだが、高速道路で土砂が崩れたり、東北新幹線が不通になったりし、けが人もかなり出た。大学受験にも影響が出ているようだ。 報道では、今回の地震は10年前の東日本大震災の余震だとか。今回は津波が起きなかったので一安心だったが、福島の人たちはさぞ肝を冷やしたのではないかと思っている。10年もたっているのに、余震だとは驚きだ。 その東海村。毎日新聞は全国版の1月31日と2月1日付で、「東海第2避難所1.8万人不足」「責任曖昧 ずさん算定」という記事を載せている。それによると、同発電所をめぐる広域避難計画で、県内の避難所が2018年時点で約1万8000人分不足していた。施設のトイレや倉庫、ステージ、玄関ロビーまで、避難者の居住スペースとして計算していたからだという。 県の基準は「避難者1人当たり2平方メートル」だそうだ。トイレや倉庫まで含めて算出しているので、実際にはもっと少なくなる。あまりにもひどすぎる計画だ。畳1枚よりほんの少し広いくらいのスペースに、台風などの水害とは違い、いつまで続くかわからない長期間の避難生活ができるのか。計画を立てた人や首長、議員の皆さんに実験してもらいたいものだ。 「事故は起きない」楽観が暗黙の前提? 原発事故に備えた広域避難計画は、原発から30キロ圏内の自治体が策定することになっている。茨城県では東海村など14の市町村が該当し、これまでに5市町が策定済みだそうだ。その計画の中身を承知していないが、コロナ騒ぎの前のものなので、現時点では役に立たないだろうと考えている。 県が昨年5月に示した自然災害の際の避難所レイアウトでは、1人5平方メートルを想定している。原発災害にこの基準を当てはめると、広域避難計画そのものが成り立たなくなる。 4年前の県知事選のとき、現職の橋本昌氏が「避難計画などできはしない」と言っていたことを思い出す。県のトップがそう発言しているのだから、私も計画は作れないと思っている。策定済みのところも、作り直さなければならないのではないか。計画策定は原発再稼働の前提となっているので、東海第2原発の再稼働はできないことになる。 毎日新聞の記事には、災害リスク学が専門の広瀬弘忠さんの「あまりにもずさん。本気度が感じられない。『事故は起きない』という楽観が暗黙の前提になっているのではないか」というコメントが載っている。 今度のような最大震度6強の地震がまた発生し、津波も押し寄せたら、10年前と同じような惨事になる。いいかげんな避難計画を策定し、犠牲者が出たら誰が責任を取るのだろうか。「東日本大震災、今も影響。余震警戒さらに10年」と専門家は呼び掛けている。今度の地震はいろいろなことを考えるきっかけを作ってくれた。(元瓜連町長)

《邑から日本を見る》82 ずさんな東海第2の避難計画

【コラム・先﨑千尋】2月13日夜中の地震にはたまげた。飛び起きてテレビをつけた。東海村は我が家から至近距離。そこにある日本原電東海第2発電所がどうなのかが心配だったから。何事もないことを確認し、また寝た。 翌朝のテレビはもっぱらこの地震の模様を伝えていた。福島にある2カ所の原発には異常がなかったようだが、高速道路で土砂が崩れたり、東北新幹線が不通になったりし、けが人もかなり出た。大学受験にも影響が出ているようだ。 報道では、今回の地震は10年前の東日本大震災の余震だとか。今回は津波が起きなかったので一安心だったが、福島の人たちはさぞ肝を冷やしたのではないかと思っている。10年もたっているのに、余震だとは驚きだ。 その東海村。毎日新聞は全国版の1月31日と2月1日付で、「東海第2避難所1.8万人不足」「責任曖昧 ずさん算定」という記事を載せている。それによると、同発電所をめぐる広域避難計画で、県内の避難所が2018年時点で約1万8000人分不足していた。施設のトイレや倉庫、ステージ、玄関ロビーまで、避難者の居住スペースとして計算していたからだという。 県の基準は「避難者1人当たり2平方メートル」だそうだ。トイレや倉庫まで含めて算出しているので、実際にはもっと少なくなる。あまりにもひどすぎる計画だ。畳1枚よりほんの少し広いくらいのスペースに、台風などの水害とは違い、いつまで続くかわからない長期間の避難生活ができるのか。計画を立てた人や首長、議員の皆さんに実験してもらいたいものだ。 「事故は起きない」楽観が暗黙の前提? 原発事故に備えた広域避難計画は、原発から30キロ圏内の自治体が策定することになっている。茨城県では東海村など14の市町村が該当し、これまでに5市町が策定済みだそうだ。その計画の中身を承知していないが、コロナ騒ぎの前のものなので、現時点では役に立たないだろうと考えている。 県が昨年5月に示した自然災害の際の避難所レイアウトでは、1人5平方メートルを想定している。原発災害にこの基準を当てはめると、広域避難計画そのものが成り立たなくなる。 4年前の県知事選のとき、現職の橋本昌氏が「避難計画などできはしない」と言っていたことを思い出す。県のトップがそう発言しているのだから、私も計画は作れないと思っている。策定済みのところも、作り直さなければならないのではないか。計画策定は原発再稼働の前提となっているので、東海第2原発の再稼働はできないことになる。 毎日新聞の記事には、災害リスク学が専門の広瀬弘忠さんの「あまりにもずさん。本気度が感じられない。『事故は起きない』という楽観が暗黙の前提になっているのではないか」というコメントが載っている。 今度のような最大震度6強の地震がまた発生し、津波も押し寄せたら、10年前と同じような惨事になる。いいかげんな避難計画を策定し、犠牲者が出たら誰が責任を取るのだろうか。「東日本大震災、今も影響。余震警戒さらに10年」と専門家は呼び掛けている。今度の地震はいろいろなことを考えるきっかけを作ってくれた。(元瓜連町長)

チビっ子炭治郎ら鬼退治 つくばの雷神様でコロナ退散願う

【崎山勝功】新型コロナウイルスの収束を願い、つくば市上郷の金村別雷(かなむらわけいかづち)神社で11日、節分祭が催された。邪気を払い、疫病退散にパワーを持つ祭神をまつることから、境内には人気アニメ「鬼滅の刃」のキャラクターに扮した参拝客が多数参集、一風変わった「鬼は外」が展開された。 暦の節分から9日遅れての節分祭には、市内外から約150人が参加した。所雅彦宮司(60)が感染症の収束を願う祝詞(のりと)を奏上し、コロナ禍以前の生活に戻るよう祈願した。現在のコロナ禍や2011年の東日本大震災を念頭に、「歴史は繰り返すので、雷神様の故事にならって『コロナ禍が収束していい暮らしになる』よう願う神事にした」という。 雷神様は神社の祭神の別雷大神(わけいかづち)のこと。雷を支配する神で、雷除けや疱瘡(ほうそう、天然痘のこと)治癒の神としても信仰されている。 節分祭の運営に協力した上郷市街地活性化協議会によると、雷神様はとどろき渡る雷鳴のようなことば「霹靂一聲(へきれきいっせい)」で邪気を払うのだそうだ。これをアニメの登場人物、我妻善逸(あがつまぜんいつ)の必殺技「壱ノ型 霹靂一閃(へきれきいっせん)」に引っかけて、同アニメのコスチュームでの参加をSNS上で呼び掛けたという。 すると、アニメの主人公、竈門炭治郎(かまどたんじろう)や嘴平伊之助(はしびらいのすけ)の扮装をした子供たちを中心に参加者が集まった。つくば市上郷の坂入恭輔さん(33)は冨岡義勇に扮して参加。「少ないかなと思ったけど、来てみたらけっこう多くの人がいた。皆さんの息抜きになっていいのではないか」と語った。 境内では地元バンド「ケンニイバンド」らがアニメの登場人物に扮して、アニメ主題歌「紅蓮華(ぐれんげ)」を演奏。登場人物に扮した子どもたちが「コロナは外」の掛け声に合わせて豆まきをした。つくば市の三谷心奈美さん(11)は「楽しかった」と鬼退治に興じた。 金村別雷神社は931(承平元)年の創建と伝わる。1707(宝永4)年ごろに天然痘ウイルスの流行や富士山噴火、宝永の大地震など自然災害が相次ぎ、翌1708年に災害収束を祈願して同神社の本殿を再建したという。こけら葺きの本殿などが県指定有形文化財(建造物)になっている。

《邑から日本を見る》79  秋田からの「いぶりがっこ」を食べながら

【コラム・先﨑千尋】30年来の秋田の知友から手作りの「いぶりがっこ」が届いた。添えられた手紙には「昔は金が無くても暮らせる世の中だった。バスにも乗らず、飲み物は水。食堂に入らず、宿は親戚や知り合いの家。オリンピックの総費用1兆5000億円以上、参加選手約15,000人。選手1人あたり1億円。何かおかしい」とある。そうだそうだとうなずきながら、いぶりがっこをかみしめる。 その秋田は大雪で、救助のために自衛隊が出動している。横手市立栄小学校は30年前に木造校舎を建てたが、雪に埋もれ、雪をかきだす様子をテレビで見た。そのモデルとなったのは私が住んでいる瓜連小学校の木造校舎だったので、関心が人一倍だ。これでは子供たちが「かまくら」を作って楽しむどころではないなと、かの地に思いをはせた。 昨年から地球を襲っている新型コロナウイルスの脅威。テレビでは朝から晩までこのニュース。コメンテーターや医療専門家たちがそれぞれ自分の主張をしているが、一向に事態はよくならない。菅首相は小池東京都知事らから背中を押されて、7日にやっと緊急事態宣言を出したが、世論調査の数字やテレビで聞くちまたの声からもわかるように、遅すぎたという声が圧倒的だ。 私もそう思う。医療崩壊が始まっているのが一番怖い。「Go Toトラベル」などにうつつを抜かしているよりも、そのカネを医療現場に注ぎ込み、PCR検査を大幅に増やし、人の動きを止める、休業要請をした業者には損害補償をきちんとする。私はそのことが最低限必要だと考えている。 「今だけ、カネだけ、自分だけ」 そして菅総理大臣や西村担当大臣、政党幹部らが医療現場に足を運び、現場で懸命に努力している人たちの声を聴く。そしてコロナを止めるという覚悟を決める。政治家として当たり前のことがどうしてできないのか不思議だ。経済を回すこと(カネ)よりも命最優先ではないか。「命あっての物種」という言葉もある。 国民の共感と協力を得るためには、手元の紙に目を落として読み上げるのではなく、ドイツのメルケル首相などのように、メリハリのある自分の言葉で強く訴えることが大事だと思っている。 平時なら優秀なスタッフがいるから、首相、知事、首長は、極端な言い方をすれば誰にでもできる。しかし今は国民すべてが戦場にいる。事態がどうなっていくのかわからない。瞬時に情勢を判断し、的確な指示を出す。それがトップの役割だ。それができないのなら、辞めてもらうしかあるまい。週刊誌やネット情報では、すでに次の首相選びが始まっている。 東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故からまもなく10年になる。経済の仕組み、人としての生き方など、震災と事故によって国民と政治家の考え方が変わると期待していたが、その後の世相を見ていると、「今だけ、カネだけ、自分だけ」という考え方は変わっていないようだ。コロナ騒ぎがあっても同じだと思える。私たち日本の人々は、どうして同じ轍(てつ)を踏むのだろうか。(元瓜連町長)

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