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「普段の交流が復旧のかぎ」 マンションの災害対応 つくばでセミナー

【富永みくに】分譲マンションの立地が進むつくば市で、マンションの地震被害と復旧をテーマにした一般公開セミナーが12日、同市役所で開かれた。NPO法人全国マンション管理組合連合会(全管連)の川上湛永会長が講師として招かれ、被災時にマンションをいち早く復旧させるポイントなどの説明があった。 「地震防災を考える―市の対応・住民の備え」と題して、マンション居住者や管理組合らで構成される「つくば市マンション連絡会」(つくば市吾妻)が主催した。セミナーは市が共催し毎年1回実施している。管理組合団体が市など公的機関と連携して開催するのは全国でもまれという。 川上会長は2016年4月の熊本地震の際、熊本市内で最も復旧が早かった中規模マンション「ビブレ本山」(1990年築・14階建て73戸)を例に挙げ、いち早く復旧したポイントを説明した。①普段から住民交流会、夏祭りなどの行事でコミュニティが形成されていた②他の子ども会や町内会との交流が活発だったことにより被災時に近隣の協力が得やすかった③マンション管理組合団体に所属していたため市や施工業者などから情報を得られた④マンションの玄関部に広めの集会所があり、緊急対策本部や一時避難所が設置できた―などにより住民の意見交流が活発に行われ、早急な復旧に結び付いたとした。 一方で、震災時に1階共有空間がつぶれて倒壊したマンションでは、一部入居者が解体に合意しなかったため復旧に時間が掛かり、今年4月にようやく解体が行われたとした。また管理費の長期滞納者があったマンションは、土地などを処分することができずに長期間にわたって塩漬けの状態が続いたと話した。 さらに川上会長は「マンション住民も罹災証明が取れることはあまり知られていない。役所の職員でさえ知らない自治体もある」とし、「取得することで税制優遇措置など最大350ほどの補助が得られる。とりあえず取っておいて損はない」と語った。 同市竹園の分譲マンションで管理組合の理事を務めているという男性(71)は「東日本大震災時は築年数が浅かったため塗装のはがれ程度で済んだが、今後は修繕しなければならない箇所が出てくるだろう。時間に余裕のある高齢者が中心となって、マンションを維持・管理していかなければならない。今日の講演は参考になった」と話した。 講演ではほかに、市危機管理課の登坂美彦係長が、震災後に見直された市の災害対応を説明した。普段から飲料水1日1人3㍑を3~7日分確保しておくべきと強調し、マンションの高層階に住む人はエレベーターが動いている今のうちに、水の確保をしておくよう勧めた。

難病の大枝未和さんが熱唱 友人ら応援「頑張る姿に感動」

【崎山勝功】難病の再生不良性貧血を患う大枝未和さん(16)=つくば市=が5日、つくば市内で開かれたチャリティーコンサートに出演し、自身が作詞した「希望の花咲く場所」を熱唱した。会場には、未和さんの初ステージを見届けようと小中学校時代の友人らが駆け付け、未和さんを応援した。 同市大、鹿島神社近くの空き地で開かれた「ミュージックピクニックin芝畑 泳げ鯉のぼり!!」で、未和さんは約20分間出演し「希望の花咲く場所」を含め「翼をください」「花は咲く」の計3曲を歌いあげた。 幼稚園時代からの友人、狩谷瑠海さん(16)は=高校2年=、未和さんの幼稚園・小学校時代を「いつもニコニコして、すごく明るくて優しい子だった」と振り返り「CDで聞いていたけど、生歌は初めて。感動した」と語った。同じく幼稚園時代からの友人、矢口茉樹さん(16)=同=は「病気なのはわかっていたけど、ここまで頑張っているのを知って、すごく尊敬した」と話した。中学時代の友人、大貫未陽さん(16)=同=は「とてもきれいで、見ている自分も励まされた」と感銘を受けていた。 初ステージを終えた未和さんは「みんなが見ているので、ちゃんと声が出ているか心配だった。やり切ったという感じ」と感想を述べ、友人らが駆け付けてくれたことに「うれしかった」と話した。 未和さんが作詞した歌は、難病で苦しむ家族や患者らが集まる「難病カフェアミーゴ」(つくば、水戸などで活動)の仲間たちから寄せられたメッセージを元に作った。未和さんは「初めて(アミーゴの人たちと)会ったときは緊張して、うまくしゃべれなかったけれど、メッセージは本当の声なので、重みを感じた。素直に受け入れられた」と振り返った。 未和さんの歌詞に曲を付けたシンガーソングライターで同コンサートを主催する佐倉孝司さん(63)=土浦市=はこの日、ステージで未和さんの演奏も務めた。佐倉さんは「最後の部分は自分が作ったかのようにゾクゾクした」と話した。 未和さんは現在も治療のため、筑波大附属病院に週1~2回通院している。中学生だった2015年から16年に掛けては「学校よりも病院に行くことが多かった」ほどで、病院内に設けられた院内学級で勉強したという。 感染症にかからないよう毎日、手洗い、うがいを欠かさず、マスクは今も必須だ。食事も生ものはほとんど食べずに、野菜も火を通して食べている。初ステージを見守った母親の豊美さん(38)は「食生活はきつかったと思う」と振り返った。 ミュージックピクニックは、東日本大震災が起こった2011年秋に「みんなに元気になってもらおう」と佐倉さんら市民有志が主催し、つくば市西大橋で始められた。15年春までは年4回開催していたが会場が使えなくなったため、現在の会場に移って15年秋から年2回のペースで開催を続けている。

【GW】まだ間に合う! お出掛け情報㊦ 県内巡るスタンプラリー

【富永みくに】ゴールデンウイーク(GW)も中間地点を迎えた。今夜から明日3日に掛けて雨の予報となっているが、GWは待ったなしだ。「GWまだ間に合う! 県内お出掛け情報㊦」では、「まだまだ遊び足りない!」「もっとGWを楽しみたい!」という人にお薦めのスタンプラリーを二つ紹介する。 県内最大級 236施設 県観光物産課が「漫遊いばらきスタンプラリー」(冊子、全26㌻)を実施している。県内の美術館や博物館などの文化施設をはじめ、動物園や公園、温泉施設などのレジャー施設まで幅広い施設が対象だ。スタンプラリーとしては県内最大級の236施設(県北53、県央71、県南52、県西34、鹿行26)に及ぶ。 スタンプラリーの参加方法は、冊子で紹介されているスタンプ設置施設の中から好きなレジャースポットに出掛け、施設の受付などに設置されたスタンプを応募用紙に押印。236施設のほかに、常磐道のサービスエリア6カ所(上り3・下り3)も対象となっている。 集めたスタンプの個数によって、県内ホテルのペア宿泊券などが当たる懸賞(総計800名)に応募できる。主な賞品は▽黄門さまコース(スタンプ9個)=「北海道往復フェーリー乗車券」「筑波山江戸屋宿泊券」(各1組2名)▽助さんコース(同6個)=「5000円相当の県産品」(10名)▽格さんコース(同3個)=「国営ひたち海浜公園・乗り物券」(40組)など。 冊子はスタンプラリーの参加施設でもらえる(先着順)。各施設で入場券の割引やプレゼントなど特典が受けられるクーポン券も付いている。実施期間は11月30日まで、応募は12月7日の消印まで有効。 県担当者によると、同スタンプラリーは2002年に開始。東日本大震災で被害を受けた施設もあった中、継続された。17年度の応募者は1万3639件あり「毎回楽しみにしている」「出かけるきっかけになった」「知らないところに行けた」などの声が寄せられているという。 問い合わせ先は電話029・301・3614(漫遊いばらき観光キャンペーン推進協議会)。イベントの詳細は「観光いばらき」ホームページ(http://www.ibarakiguide.jp/stamp_rally.html)。 スマホでゲットして! 阿見町 阿見町では、今年度から「阿見町スマホスタンプラリー」がスタートした。台紙にスタンプを押して集めるのではなく、QRコードをスマートフォン(スマホ)で読み取る最新のシステムを採用。あみ観光協会の会員店舗や施設など全56カ所にQRコード付きのポスターを設置した。 スタンプラリーは、対象施設に貼られたポスターからQRコードを読み取るだけで始められ、アプリのダウンロードは不要。読み取ったデータは「スタンプ取得一覧」に保存される。スタンプは6つのカテゴリーに区分されており、A「公共施設等」(あみプレミアムアウトレットなど10カ所)、B「体験・直売所」(JA茨城かすみ直売所など9カ所)、C「お土産・その他」(7カ所)、D・E「飲食店1・2」(各12カ所)、F「カフェ・スイーツ」(6カ所)と、さまざまなポイントでスタンプがためられる。 各カテゴリーの中から1カ所ずつスタンプを集め、3つまたは6つたまるとスマホ上から応募が可能。主な賞品は、阿見町出身のイラストレーター諏訪原寛幸氏の「戦国武将マグカップ」(50名)、阿見町特産農産物「メロン」(10名)など。スタンプ6つを集めた人全員に「阿見将軍クリアファイル」がプレゼントされる。応募締め切りは9月30日。 阿見町商工観光課によると、スタンプラリーにスマホを活用することで若い世代の来訪が期待できる。さらに、スタンプを獲得した施設の前後に寄った施設を知ることで、参加者がどのような地点を移動したかが把握できるようになるとのこと。周遊や移動特性などの分析結果は、個人情報に配慮した上で、観光モデルの構築や交通支援などに役立てることができる。 問い合わせ先は「阿見スタンプラリー」ホームページ(https://www.ami-stamp.com/)。

《土着通信部》12 「アカンサスの学舎」復元 土浦一高旧本館

【コラム・相沢冬樹】洋風建築で、屋根の棟や尖塔の頂上に設置する飾りをフィニアルと呼ぶ。これにアカンサス(ハアザミ)の花を配した県立土浦一高(土浦市真鍋4丁目、杉田幸雄校長)の国指定重要文化財、旧土浦中学校本館(旧本館)は「アカンサスの学舎」の別名がある。しかし、その花が咲くのは正面両翼端の切妻屋根の上のみで、中心にある正面玄関の頭頂部のフィニアルは長い間、武骨な四角錐の飾りに置き換えられていた。 同校出身の建築史家、一色史彦氏は「玄関の三角屋根を見上げるたびに、私は気が滅入ってしまう。この頂きにはかつて見事に大きなアカンサスの花が開いていたことを想うのである。これを設計した人にとっては耐えられない姿であろう」(住宅建築、1994)と書いた。創建当時の古写真から、玄関の切妻屋根の上にもアカンサスのフィニアルが掲げられていたことが確認できる。 同校は明治30年(1897)の創立、旧本館が現在地に建設されたのは明治37年(1904)のことだった。設計は創建当時茨城県技師だった気鋭の建築家、駒杵勤治(1877 – 1919)による。1974年の夏、一色氏は旧本館の屋根裏に分け入って、1つの棟札を探し当てた。「上棟式大頭梁茨城県技師工学士駒杵勤治」と墨書されていた。この発見によって1976年、旧制中学校校舎としては全国で初めて、国の重要文化財指定を受けることになった。 天井高が約5mもあり、採光のため縦長の上げ下げ窓のついた教室は、冬場の寒さが厳しかった。80年代以降授業には使われなくなり、創立90周年を機に資料展示室や復元教室として整備された。展示品は、上棟の棟札をはじめ、校舎模型、旧制中学校校旗、卒業生の永瀬義郎氏(版画家)や高田保氏(作家)の関連資料など。復元教室はNHKドラマや映画の撮影にも用いられ、毎月第2土曜日に一般公開されていた。 しかし、2011年東日本大震災で被災したため閉鎖され、2016年から耐震補強工事に合わせ全面的な改修に取り組むことになった。同校の創立120年記念事業として創建時の姿に復元をめざすもので、外壁のカラーリングから更新される。断面観察等の結果、これまでに7回の塗り替えが確認され、創建当時の塗色は暗紫色と淡褐色であったことが判明したためだ。また人造スレートになっていた屋根材を創建当時の天然スレートに葺き替えるため、同質の石を産するカナダのケベック州から石盤を輸入するなどした。 この復元のシンボルとなったのが正面玄関の屋根飾りだった。建物部分の改修工事は3月までに終わり、左右対称のゴシック様式で統一を図った校舎の中央、切妻破風屋根の尖端にアカンサスの4弁の花を模したフィニアルが戻ってきた。改修は現在外構工事に移っており、展示物の搬入などを待って、8月ごろに竣工式、10月から月1回の開館日を再開する予定でいる。(ブロガー) ▼旧本館建築の見どころと改修の詳細は、土浦一高ホームページ「ぶらり旧本館ご案内」(第33代校長・横島義昭氏執筆)に詳しい。 URL:http://www.tsuchiura1-h.ibk.ed.jp/index.php?action=pages_view_main&&block_id=1671#_1671

駅前図書館脇にマンション 3割高く市有地売却 土浦

【鈴木宏子】土浦駅西口に近い、市立図書館北側の市有地(同市大和町)約0.23haが、予定価格より3割高い2億1000万円で売却され、分譲マンションが建設されることが決まった。同市が25日発表した。駅西口の中心市街地にマンションが建設されるのはほぼ10年ぶりになるという。 公募の結果、いずれもマンション建設を計画する2社が応募し、不動産事業を展開する日立製作所グループの日立ライフ(本社日立市)が落札した。不動産鑑定価格である予定価格は約1億6000万円だった。9階建て(89戸)マンションが建設される計画で、来年9月着工、2021年1月完成予定という。 もともと図書館を核にした駅前再開発事業(市施行)用地の一部で、2006年の都市計画決定時点では14階建てマンションを建設する計画だった。しかし開発事業者が見つからず、11年、事業計画を縮小し、マンション建設を除外した。同年3月に起こった東日本大震災でいったん事業を休止。14年に施設規模縮小の都市計画変更をし、昨年11月末、市立図書館を核にした再開発ビル「アルカス土浦」がオープンした。 計画から除外した北側の市有地0.23haについては昨年5月から市場調査を実施し、土地活用策を検討。不動産会社など計9社からマンションや商業店舗などの開発ニーズがあったのを受けて、公募を実施した。 予定価格より3割高い売却となったことについて市都市計画課は「駅から直結という場所にあり、隣に図書館がオープンしたことで希少性のある土地になり、マンション需要が見込めると判断したのではないか」と話している。

《くずかごの唄》12 野良猫の上手な利用法

【コラム・奥井登美子】「頭の良い鼠(ネズミ)が出没します。庭に出る時、ドアはキチンと閉めてください」。我が家のサンルームのドアにポスターが張ってある。 いつの間にか、家の隣にあった倉庫が駐車場になってしまった。その時、倉庫にいたネズミがやってきたのだろうか、小さな隙間から入り込んで、台所はもとより仏壇の引き出しまでネズミにかき回されてしまった。 私はネズミ取りの道具一式買ってきて、家の方々に置いてみた。しかし、ネズミは取れない。次に、ネズミ取り紙を出没しそうなところに置いてみたが、ネズミの方がはるかに頭が良くて、どうしても根絶することが出来ない。 家の同じ敷地に、三味線を弾きながらお産を促すという名物婆さん「片柳産婆さん」が長い間住んでいた。東日本大震災の時、住居は完全に崩れ、「危険」という紙を張られてしまった。敷地は結構広い。街の中だから、駐車場にして貸すのが良いと勧められたが、いろいろ考えた末に、前からほしいと思っていた家庭菜園にしてしまった。 我が家は台所の生ゴミを捨てたことがない。庭の木の葉をビニール袋に入れて保存し、木の葉と生ゴミで堆肥を作っている。ある日、家庭菜園の堆肥場に黒い猫を見つけた。野良猫の子供らしい。「こんにちは」と丁寧に挨拶したのに、逃げて行ってしまった。この猫にクロという名をつけた。 そうだ、ネズミ取りをクロに頼んでみよう。しかし、野良猫を手なずけるのにどうしたらよいか、皆目検討がつかない。仕方がないので、煮干しを買ってきて生ゴミの上にわざとらしく置いてみた。 次の日、クロの姿はなかったが、煮干しは消えていた。一週間ほど経った時、菜園でクロと茶色の野良猫が仲良く遊んでいる。猫と私との間に友好ムードが出来つつある。うれしかった。あとは、この猫たちにどうやってネズミ取り教育をするかである。 私は中庭に思い切って残飯コーナーを作り、猫の好きそうな魚の骨などを置いて、様子を見ることにした。一週間経った。観察している時に限って猫は決して現れないが、残飯の中の魚は消えている。しめしめ、気がついてみたらネズミがいつの間にかいなくなっている。 3カ月かけて私が格闘したネズミ取りは、野良猫の知恵を借りることで解決することができた。動物の世界は、野良猫、野ネズミといえども、まだまだわからないことばかりである。(随筆家)

ありがとう さようなら 新治3小学校が閉校

【鈴木宏子】土浦市初の施設一体型小中一貫校、新治学園義務教育学校が4月1日開校するのに合わせて、閉校となる新治地区の三つの小学校で21日、それぞれ閉校式が催され、児童や保護者、地域住民らが母校に感謝と別れを告げた。 藤沢(同市藤沢)、斗利出(高岡)、山ノ荘(本郷)の3小学校で、新治中学校(同市藤沢)の敷地に新設された新治学園に統廃合される。 このうち児童数86人の山ノ荘小学校では「ありがとう さようなら 山ノ荘小学校」と題して閉校式が催された。保護者や地域住民、卒業生、歴代教職員など計約300人が参加し、66年の歩みを振り返った後、1~5年生に修了証、6年生17人に卒業証書が塚原規嗣校長から手渡された。 塚原校長は「心の触れ合いがある愛情たっぷりの学校だった。閉校は誠に残念だが、4月からは新生新治学園の生徒として、藤沢や斗利出の子供たちと互いに学び合い成長してほしい」などと話した。 最後の校歌を全員で斉唱した後、6年生によるサプライズがあり、17人全員が教員全員に感謝のメッセージを書いた手作りの卒業証書を手渡した。 6年生とサプライズを準備したPTAの閉校委員会記念部長の小神野崇洋さんは「閉校は残念だが、少子化で仕方がない部分もあると思う。新しい学校では、ここで培ったものを生かしてもらえれば」と話していた。 最後の卒業生となった飯塚蒼文(あもん)さんは「(6年間は)短かった気がするけど楽しかった。1~5年生には申し訳ないけど、最後の卒業生としての自覚をもってこれからも頑張りたい」と話していた。 山ノ荘小は、学制が発布された1872(明治5)年に開校した沢辺小と、その後、明治時代に開校した永井小、小野小などが統廃合し、1957(昭和27)年に創立した。 同じ日、閉校式が実施された藤沢小は児童数227人、1875(明治8)年に私塾から公立小学校となった。斗利出小は児童数58人、1875年創立の高岡学校を改称して設立された。藤沢小と同じ143年の歴史がある。 3校の閉校により、2006年に土浦市と合併した旧新治村の小学校は新治学園一つだけになる。3校の跡地の利活用などは現時点で未定という。3校はいずれも地震災害時の地域住民の避難場所となっている。

二つの花火、先祖たちの思いたどる 土浦市立博物館で特別展

【谷島英里子】土浦市立博物館(同市中央1丁目)で17日、市が誇る「土浦全国花火競技大会」と「からかさ万灯」の二つの花火の歴史をたどる特別展「花火と土浦Ⅱ―祈る心・競う技」が始まった。花火の起源や技術の進展、花火筒やから傘の実物、資料など約170点を展示している。 7月で開館30周年となることを記念した特別展。花火競技大会は、神龍寺(同市文京町)の住職・秋山梅峯(ばいほう)が、1925年に霞ケ浦海軍航空隊の殉職者の慰霊と関東大震災後の地元商店街の復興をしようと私財を投じたのが始まり。 土浦火工を営み、戦後の土浦の花火の再開と花火技術の発展に寄与した北島義一の業績をはじめ、花火配合帳、大会プログラム、トロフィー、花火筒などの数々が展示されている。競技大会の先駆けとなった県西の境町や笠間稲荷神社の大正時代から残る写真や帳簿も公開されている。 雨乞いの神事として同市大畑の鷲神社で江戸中期ごろから続く国選択・県指定無形民俗文化財のからかさ万灯は、綱火に火が走って着火すると、から傘から火の粉が滝のように降り注ぐ。この仕組みを実物大(直径5m、高さ6m)で紹介。雨乞いばやしの太鼓や提灯、半てんも展示した。 からかさ万灯保存会会長の井坂次男さん(80)は「当時、新治地区は干ばつが続き、先祖たちは苦労した。花火がきれいというだけでなく、雨が欲しかったという先祖たちの思いも知ってほしい」と話す。同館の木塚久仁子学芸員は「伝統的な二つの花火の歴史を存分に楽しんでいただきたい」と話した。 ◆5月6日まで。入館料は一般105円、小中高生50円。午前9時~午後4時30分。月曜休館。今年の第87回土浦全国花火競技大会の招待券が6組(1組2人)に抽選で当たるスタンプラリーも同時開催している。問い合わせは同館(電話029・824・2928)

《邑から日本を見る》10 石牟礼道子さん逝く 足尾-水俣-福島

【コラム・先﨑千尋】今月10日、「水俣病闘争のジャンヌダルク」と言われた石牟礼道子さんが亡くなった。10数年前からパーキンソン病を患っていた。90歳だった。 11、12日の新聞各紙は石牟礼さんの逝去を大きく扱い、社説や1面下のコラム、識者の追悼文などを載せていた。私はそれらを脇に置きながら、彼女の『苦海浄土-わが水俣病』(講談社)と米本浩二『評伝石牟礼道子-渚に立つひと』(新潮社)を読んだ。 新聞の見出しは「水俣に寄り添い続け、声なき者たちの魂紡ぐ」「問い続けた真の豊かさ」など。作家の池澤夏樹さんは「『苦海浄土』は、非人間的な近代文明に対する強烈なアンチテーゼ。水俣を書きながら、現代世界が抱える問題を描き出した」と評している。 水俣病の「公式確認」は1956年5月。それより前から不知火海の魚を食べていた猫が狂い死にし、やがて漁民たちも次々に「奇病」にかかっていった。石牟礼さんはそこを訪ね歩き、息子が入院した水俣市立病院で、症状で苦しむ水俣病患者に出逢った。 その後、水俣病患者の検診会場に紛れ込み、共同井戸で女衆から話を聞き、糸をつむぐように『苦海浄土』を編んでいった。 「嫁に来て三年もたたんうちに、こげん奇病になってしもた。残念か。うちはひとりじゃ前も合わせきらん。手も体も、いつもこげんふるいよるでっしょが。それでじいちゃん(夫のこと)が、仕様ンなかおなごになったわいちゅうて、着物の前をあわせてくれらす。うちは、もういっぺん、元の体になろうごたるばい」。 石牟礼さんは患者たちを訪ね歩いて話を聞いたが、単なる聞き書きにはしなかった。言葉さえ奪われてしまった患者たちの魂を乗り移らせたかのように、「本人が心の中で語っていること、話したいこと」を写し取り、文字にしていった。 石牟礼さんは68年、水俣病裁判闘争を支援するために結成された「水俣病対策市民会議」の結成に尽力し、チッソ水俣工場正門前の座り込みに加わった。70年からのチッソ東京本社での座り込みは1年半に及び、「水俣病闘争のジャンヌダルク」と呼ばれたのだ。 石牟礼さんは日本最初の公害事件・足尾鉱山鉱毒事件を調べるために渡良瀬川を歩き、田中正造の姿を捜し、民衆の魂の声を聞き取ろうとした。そして「足尾鉱毒事件では民百姓は暮らしと土地を奪われた。70年後の水俣では、日本資本主義は直接個人のいのちそのものを食い尽くす。谷中村の怨念は幽暗の水俣によみがえった」と書く。 石牟礼さんは東日本大震災と東京電力福島第1原子力発電所の事故にも反応していた。効率に走る近代の枠組みは根本において変わってはいない。福島の事故はその現実を映し出した。足尾、水俣そして福島は1本の太い糸で繋がっている。 今、彼女が私たちに何を訴え、何を残そうとしたのかを静かに考えている。(元瓜連町長)

認定ジオガイド誕生 筑波山地域に42人

【鈴木宏子】筑波山地域ジオパークに18日、同推進協議会(会長・五十嵐立青つくば市長)が認定する初の認定ジオガイドが誕生した。昨年11月から今年1月まで延べ8日間の養成講座を修了したつくば、石岡、笠間市などの市民42人だ。今後、同協議会やジオパーク区域の6市などが主催するジオツアーで、実際に観光客を案内し、腕を磨く。 今年は、筑波山梅まつり(3月、筑波山梅林)、帆引き船フェスタ(5月、かすみがうら市歩崎)、泳げる霞ケ浦市民フェスティバル(7月、土浦市沖宿)、世界湖沼会議(10月)などで催されるジオツアーでガイドを務めるほか、来年2月につくば市で開かれる第5回日本ジオパーク関東大会に向けて開催されるジオツアーで案内役を務める。 有償ボランティアで、2年ごとに認定更新する。あらかじめ現地を下見し、ガイド原稿を作成し、さらにガイド同士で現地実習などをした上で本番に臨む。現場で経験を重ね、将来はNPOなどとして観光客を呼び込み、おもてなししてもらうことなども想定しているという。 同日、つくば市役所で修了式が催され、五十嵐会長から修了証が授与された。五十嵐会長は「ジオガイドの皆さんに活躍していただき、東京から一番近いジオパークとして魅力を発信したい」などと述べた。 ジオガイドになったつくば市の主婦、田中牧子さん(60)は「東日本大震災を経験し、地質を知ることが防災に役立つのではないかと思ったことがきっかけでジオパークに興味をもった。地元の商店街などとコミュニケ―ションをとりながら、まず地元の人にジオパークの良さを分かってもらえるような活動をしたい。来てくれる人を温かく迎えられるような雰囲気づくりができれば」と話していた。 日本人の夫、千野豪さん(40)と共に夫婦でジオガイドになった、マレーシア出身でつくば市に住む会社員ゴウ・テンイさん(36)は「日本人や外国人に、つくばの古民家で日本文化を体験してもらい、周辺のジオパークも紹介したい」と語っていた。

「復興に役立ちたい」 福島出身の橋本航太さん 自衛隊霞ケ浦駐屯地で成人式

【崎山勝功】中学1年生のとき東日本大震災で被災した福島県三春町出身の橋本航太さん(20)が10日、陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地(土浦市右籾)で成人式に臨んだ。橋本さんは3等陸曹。「災害派遣や訓練で辛い状況に置かれても屈しない強さを持った自衛官になりたい」と抱負を語った。きょう11日は震災から6年10カ月目。 震災直後、被災者の救護支援活動に従事する自衛隊員を目の当たりにし「身近に姿を見て憧れた」。中学卒業後に陸上自衛隊高等工科学校(神奈川県横須賀市)に迷わず入校し、卒業後、正式に入隊を果たした。 「環境が変わり最初は慣れるのに時間が掛かって、訓練が大変だったけど、2年間ここ(霞ケ浦駐屯地)にいて慣れてきた」と語り、「将来的には地元(福島県内の駐屯地)に帰って親を支えられたらと思う」と抱負を述べた。福島県の復興に役立ちたいという。 霞ケ浦駐屯地では今年、自衛官と事務官計47人が成人の仲間入りをした。式典には任務などによる欠席者を除く38人が出席し、1人ずつマイクスタンドの前に出て「成人としての自覚と自信を持ち業務に励んでいきます」などと抱負を述べた。 同駐屯地司令の山内大輔陸将は「心身ともに健康で明るく、楽しく、地域から信頼される自衛隊員として、一日一日を大切に生き、輝かしい明日を期待して日々精進することを期待する」などと訓示。新成人者代表の澁山虎留(たける)3等陸曹(20)は「いついかなる任務が与えられようとも、完遂できる隊員となれるよう使命を自覚し、若さとあくなき情熱を持ってまい進する覚悟」と答辞を述べた。

《光の図書館だより》1 Our story starts here. 

また、光が降ってきた。足元を照らす光の帯に視線を移し、たどった先は天井近くの窓。雲が早く流れている。青空が広がっていく。思い悩んでいたことが吹っ切れた。光輝燦然(こうきさんぜん)。この光とともに前へ進んでいこう。この場所から、新しい物語が始まろうとしています。 土浦市立図書館は、1927年生まれの今年93歳の図書館。土浦の長い歴史を刻んできた図書館が、今年11月27日に土浦駅前に移転開館しました。 初めは、今の筑波銀行本店の場所にあった土浦町役場内に開館。開館翌年の1928年には、第1回の土浦花火大会が実施されました。ツェッペリン号が飛来した翌昭和5年には、現在の常陽銀行土浦支店の場所にあった元霞ケ浦航空隊下士官集会所に移転。1969年に現在の土浦博物館の場所に、73年には文京町に移転しました。 新図書館の必要性は21年前の1996年から審議され、2006年に建設が決定。リーマンショックと東日本大震災の影響による2度の事業中断を経て、ついに完成したものです。 新図書館への引越しと開館準備には3カ月を要しました。段ボール約9000箱分の本の搬入と書架への配架。約35万冊の書籍や資料へのICタグ貼り付け。修理が必要な書籍や約1000冊の紙芝居の修理。蔵書を管理するパソコンシステムの導入と動作や利用法の確認。書棚や家具備品類の納入。 さらに、新しい設備とこれまでの4倍の面積のフロアに対応するための職員の配置や訓練。駅前に立地することからの危機管理対策―などなど。休日返上で夜遅くまで作業する職員と、約50名の市民の配架ボランティアのおかげで、ついに開館日を迎えることができました。 11月27日午前10時、入口前に並んだ約100名の方が次々に入館。「うわ~、明るい!」感嘆の声をあげながら、エントランスの吹き抜けから差し込む外光を見上げる来館者の方々。ここは、光の図書館。これから、この新しい場所でたくさんの物語が生まれていきます。(入沢弘子) 【いりさわ・ひろこ】1962年、福島県喜多方市生まれ。1969~76年、新聞記者だった父の転勤で土浦市に住まう。約30年の博報堂勤務のあと、つくば市任期付職員として広報・プロモーションを統括。2017年4月、土浦市立図書館長(公募)に着任。

《つくば道》1 「我田引鉄」に想う

つくばエスクスプレス(TX)の延伸について、様々な場面で話題に上ることが多くなりました。特に、最近の選挙においては東京駅への延伸よりも県内の延伸について言及する候補者が目立ちます。明確な目標を提示することができれば、県民を勇気づけ、地域活性化のカンフル剤にもなるため、茨城県が人気度ランキング最下位からワンランク上にステップアップするためにも必要不可欠であると思います。しかし、あまりにも荒唐無稽で現実離れしたプランは、かえって専門家や一般市民から「絵にかいた餅」という冷ややかな評価を受けることになります。 例えば延伸を議論する場合に技術的見地から言えば、在来線で130㎞運転を維持するための線形や設備の問題を考慮しなければなりません。また柿岡(石岡市)にある気象庁地磁気観測所に対して影響を与えるため、県南地域では直流電源の鉄道は運行が制限されてきました。そのためTXは高価な交直両用電源を採用していますが、常磐線は快速電車の土浦乗り入れがかなわず、民鉄の進出や電化にも大きな障害要因となってきました。このような条件を理解したうえで、公共交通の将来計画を立てることが一般社会の理解や共感へとつながるのではないかと思います。 近代の茨城県は、鹿島臨海工業地域開発、筑波研究学園都市建設、常陸那珂地区開発などの歴史に残る国家的プロジェクトを実現させてきました。また1980年には国際博覧会としては大阪万博、沖縄海洋博に次ぐ日本で3番目のつくば科学万博を成功させたという実績もあります。それぞれのプロジェクトには、国策として国家の繁栄に貢献するという明確な大義があり、それによって当該地域のみならず、県全体が一丸となり目標に向かって邁進(まいしん)し、関係行政庁の協力も得ることができたのです。 つまりTXの県内延伸を可能にするのは「我田引鉄」ではなく、誰もが納得する大義を確立することにあるのです。例えば、常陸那珂港開港に向けては「海の無い栃木・群馬に港を開く」という大義の下、北関東3県がスクラムを組んで難色を示す運輸省港湾局(当時)を説得したという過去の事例があります。 それに倣えば、TX延伸は常磐線のバイパス機能の付加という役割だけでなく、茨城空港への乗り入れを計画し、首都災害を想定した羽田・成田のバックアップ機関としての機能を主張すべきです。このプランは千葉県内の同一沿線である東葛地域にも多大なメリットをもたらすことになります。さらに震災の復旧以降、国策的な大型インフラプロジェクトの無い水戸・日立・いわきなどの浜通り地区に空港直結・都心への時間短縮という一筋の光明をもたらすのではないでしょうか。(塚本一也) 【つかもと・かずや】1965年つくば市生まれ。土浦一高卒、東北大学工学部卒、筑波大学大学院修了。一級建築士。大曽根タクシー(株)取締役社長。元JR東日本グループリーダー。茨城県ハイヤー・タクシー協会経営研究会会長、つくば市花畑自治会長。著書に「つくばエクスプレス最強のまちづくり」(創英社 三省堂書店)

花火テーマに茶会 土浦二高茶道部 文化の日の土浦博物館

文化の日の3日、土浦市中央、市立博物館が無料開放され、県立土浦二高茶道部による茶会が催された。同館開館30周年記念特別展「土浦と花火Ⅰ」が催されているのにちなんで、「花火に寄せた茶会」と題して来館者に抹茶と和菓子が振る舞われた。 土浦の花火や亀城公園などが描かれた茶碗や水差しなどの茶道具を用いて茶がたてられ、赤、黄、青の3色の花火の大輪が描かれた同市桜町、田中清月堂の和菓子が振る舞われた。 茶道部副部長で2年の増山実桜さん(16)は「先輩が引退して大きな会場でやるのは初めてなので、とても緊張した」などと話し、部長の2年、加藤千尋さん(16)は「少しでも多くの人に茶道に興味を持ってもらえたら」と語っていた。 特別展「土浦と花火Ⅰ―競技大会のあゆみ」は13日まで。関東大震災で疲弊した土浦の経済活性化と霞ケ浦海軍航空隊殉職者の慰霊のため、1925(大正14)年に私財を投じて花火大会を始めた同市文京町、神龍寺住職の秋元梅峯の功績など、花火大会の歴史や花火製造技術の進歩などが写真や当時の資料、模型などで紹介されている。(鈴木宏子) 入館料は一般105円。開館時間は午前9時~午後5時。月曜休館。県民の日の13日は入場料無料になる。問い合わせは電話029・824・2928(同博物館)

被災地の種、小学生が咲かせる 「ど根性ひまわり写真展」龍ケ崎で22日まで

東日本大震災の被災地、宮城県石巻市門脇地区に咲いた「ど根性ひまわり」の種を取り寄せ、龍ケ崎市内の小学1年生たちが各家庭で咲かせた様子を写真に収めた写真展「ど根性ひまわり写真展」(龍ケ崎市民生委員児童委員連合協議会主催)が龍ケ崎市小柴、ショッピングセンターサプラ1階で開かれ、約110点が展示されている。22日まで。 主催者の民生委員児童委員連合協議会が、民生委員制度100周年記念事業の一環として市内の小学1年生の入学祝いに「ど根性ひまわりを育てようプロジェクト」を企画。石巻市から取り寄せた「ど根性ひまわり」の種を5粒ずつ渡し、各家庭で育ててもらい、成長した様子を写真に収めてもらった。 企画した同市大徳町の板倉正幸さん(72)は「震災を忘れず、被災地の皆さんを励ましたい」と話した。会場の一角では「ど根性ひまわり」の種数粒が入った小袋が無償で配布されている。 「ど根性ひまわり」 東日本大震災が起こった2011年夏に石巻市門脇地区のがれきの中に咲いたヒマワリ。震災直後、石巻市民が立てた「がんばろう石巻」の看板の後ろに一輪咲いたことから命名された。毎年「復興のシンボル」として地元住民に育てられ、7代目になる。(崎山勝功)

忘れてはいけない記憶 斎藤さだむさん、福島原発周縁の記録など展示 つくば美術館で「写真工房」展

つくば市を拠点に活動する写真サークル「写真工房」(百瀬信夫会長)による「2017『写真工房写真展』Vol.15」が、つくば市吾妻、県つくば美術館で開かれている。つくば市在住の写真家、斎藤さだむさんが顧問を務め、現在会員16人が活動している。 斎藤さんの「不在の光景V」10枚は、東日本大震災以後の福島第1原発周縁を中心に撮影し記録した作品。忘れてはいけない記憶を、あえて色彩のトーンを明るめにして表している。荒廃した暗い風景を撮っているのだが、全体に明るい色調なのが不思議に見える。作品一つひとつを丁寧に見ていた女性は「あえて昔のスライドのように作ったように感じる」と話していた。作品の一角には斉藤さんの作品が掲載された本の紹介や、希望者が持ち帰れる作品のハガキも置かれている。 「写真工房」は、つくば市の公民館で開かれた写真講座に参加した写真愛好家により、2002年に結成された。毎回統一テーマは決めず、会員それぞれが興味のある対象を撮っている。会員の個性が際立った、興味深い作品に仕上がっている。 壁一面に佐野亨さんの「眼前のひろがり」5作品が展示されている。写真7~8枚を合成して1作品にした。リスボン、ニューヨーク、北海道などで撮った写真が力強く迫ってくる。 広田倫子さんの「これいいね」は、土浦市内の何気ない風景の一部を切り取ったもの。対象物の色彩とアングルが興味深い。 藤澤裕子さんの作品「襲色目(かさねいろめ)」の襲色目とは、平安時代の着物「重ね着の色の組み合わせ」のことで、それにならい写真を2~4枚重ねて作られている。重なった部分が下から透けて見え、深みのある独特な色彩が面白い。 会長の百瀬信夫さんは「景(かげ)」で花とその影を撮った。百瀬さんは「花を撮る人は多いが、花の形と影を主題にしたのは少ないのではないか」と話していた。(鈴木萬里子) ◆会期は22日(日)まで。開館は午前9時30分~午後5時(最終日は3時)。入館は閉館の30分前まで。 ◆会ではメンバーを募集している。つくば市小野川の小野川交流センターで毎月1回定例会を行っている。入会希望や見学などの問い合わせは百瀬さん(☎029・838・0186)まで。  

復興へ努力、金賞日本一の酒とグルメ味わって 「東北祭り」きょうまで

筑波大生が運営に携わり、東北6県の日本酒やご当地グルメなどを紹介する「第4回食と酒東北祭り」(同実行委員会主催)が14、15日、つくば市吾妻のつくばセンター広場で開かれている。11の酒蔵が出展し、コップ1杯100円から日本酒を販売している。岩手県北上市の「北上コロッケ」などご当地グルメの飲食店も軒を連ねている。 東日本大震災被災地を継続して支援していくのが目的。「東北とつくばの架け橋になる活動をしていきたい」と、同実行委広報担当で筑波大3年の坪井飛呂香さん(22)は意気込む。 会場には、実行委が東北地方の魅力を伝えるパネルを展示。ステージでは、岩手県の伝統芸能「さんさ踊り」の発表もあった。 「『桃川(青森県)』という日本酒がおいしかった」と話す筑波大3年の男子学生(21)は「つくばでは東北のものを一度に食べる機会が無く、参加してよかった」と話した。 出展した福島県会津若松市、「鶴乃江酒造」の向井洋年統括部長(45)は「筑波大の実行委員会の人たちがわざわざ(福島県まで)来てくれた。若い方が主催するイベントに関われるのがうれしい」と語った。福島県では原発事故の風評被害を受け「味が第一、というのを見せないといけない」と、蔵元同士が技術を教え合い、品質向上に努めたという。その努力もあって、全国新酒鑑評会では福島県が2012年から5年連続で金賞受賞数ナンバーワンを維持。「福島の蔵元みんなが『みんなで金賞を取るぞ』という気持ちでやった」とし「安全性でも全部のコメを放射能検査している。あとは品質で見せたい」と話した。 岩手県大船渡市、「酔仙酒造」営業部販売課の紺野裕介さん(30)は「今年は雨であいにくの天気だが、お客さんの反応はかなりいい」と語る。震災から6年7カ月が経つものの、岩手県沿岸地域は復興途上で「震災のことを気にかけている人がいて、復興の手助けになる」と同イベントを高く評価。「日本酒のレベルが高い、東北の酒蔵が集まる貴重な機会」として、他県の酒造関係者との情報交換にも役立っているという。(崎山勝功)

土浦花火大会 7日予定通り開催

日本三大花火の一つ、第86回土浦全国花火競技大会は7日午後6時から、土浦市、学園大橋付近の桜川湖畔で予定通り開催される。同大会実行委(委員長・中川清市長)が6日朝、正式決定した。 約2万発の花火が打ち上げられる。スターマイン、10号玉、創造花火の3部門で競技が行われ、20都道府県の54業者が技を競う。特に数百発の多種多様な花火を組み合わせて速射連発するスターマインは日本一を競うといわれる。 幅約500mにわたる9カ所から、6分間にわたって約2100発を打ち上げるワイドスターマイン「土浦花火づくし」などの打ち上げもあり、夜空を覆い尽くすほどの迫力がある。 花火大会は1925(大正14)年、文京町の神龍寺住職が霞ケ浦海軍航空隊殉職者の慰霊と、関東大震災後の不況で疲弊した土浦の経済を活性化しようと、私財を投じて開催したのが始まり。 毎年約70万人の観客でにぎわう。今年は無料だった市駐車場のうち土浦一中校庭など7カ所が新たに有料(1000円)になる。

2年掛け土浦市政と議会検証 10月1日、市民団体が報告

市民主体の新しいまちづくりを目指す市民団体「土浦まちづくり市民の会」(代表・長坂慎一郎元山形大教授)が、10月1日「『住みたいまち 土浦をつくる』には?」と題して、同市真鍋新町、土浦ピアタウン2階イベントホールで「土浦まちづくり市民の集い」を開く。 塩漬けの常名(ひたな)運動公園計画、財政難による行政サービスの低下と市民負担の増加、情報公開請求をして明らかにした議会費の使われ方など、作業チームを設置して2年間にわたって検証してきた市の課題を六つのテーマで報告し議論する。 長坂代表は「土浦市は合併特例債で箱モノを次々につくり借金を増やす一方、人口減少で収入が減っている。こうした中、公共施設の使用料や手数料の見直しが現在検討されている。行政サービスの低下と市民負担の増加が始まっていることをまず市民に知ってほしい」と話し、事務局長の高村義親茨城大名誉教授は「空き家に若者が暮らせるようにする仕組みづくりなど、これから求められる新しい政策も合わせて議論できたら」と話す。 同会は2011年2月発足した。直後、東日本大震災が発生し福島第1原発事故による土浦市の放射能汚染問題に取り組んできた。15年11月の土浦市長選をきっかけに内部に新しい作業チーム「いいまちづくりグループ」を設置し2年間にわたって市の課題を検証してきた。1年目の昨年11月には中川清市長に、常名運動公園予定地の利活用と新図書館の有効利用を要望した。(鈴木宏子) ◆同集いで報告される6つのテーマは①東海第2原発再稼働反対請願②常名運動公園問題③財政悪化と市民負担増と行政サービスの低下④議会の実態と議会費の無駄遣い⑤水道料金⑥年金、地域医療。課題報告を前に、第1部としてつくば市の山本千秋さんが、総合運動公園計画を中止させたつくば市の市民運動を報告する。資料代500円。問い合わせは090-9680-8143(事務局・高村さん)

カウンセラー鈴木桂子さんをしのぶ 子育てに悩む保護者に寄り添う

「世のお母さんたちの助けになりたい」と子育てのアドバイスに力を注いだ、つくば市森の里のカウンセラー、鈴木桂子(すずき・けいこ)さんが8月21日、心筋梗塞で死去した。71歳だった。 日本カウンセリング学会会員で、03年~06年、つくば市教育委員を務めた。 夫の富夫さん(故人)は1997年自主廃業した山一証券の社員だった。関西や九州で支店長として活躍した夫の転勤について行き、考え方や風習の異なる土地で3人の娘を育てた。 この時の経験から子育てカウンセラーを目指すようになった。マイホームの森の里に落ち着くと、「茨城カウンセリングセンター」(水戸市)を設立し「茨城いのちの電話」の初代理事長を務めた故大須賀発蔵氏の下でカウンセリングを学んだ。 それから20年。県家庭教育推進員として幼稚園や小中学校での講演や自治体の「電話相談」の相談員、県少年指導委員を務めた。個別のカウンセリングはもとより、鈴木さんの講演を聞いた保護者たちが自主的に発足させたグループカウンセリングが県南各地に誕生。それに応えて奔走するなど、子育てに悩む保護者に寄り添うことに情熱を傾けた。 昨年8月25日付の常陽新聞で鈴木さんは、夏休みが終わる9月1日前後に自殺する子が多い状況を知ってもらおうと、「この時期に自殺が起きやすいことを児童生徒に関わる人たちの共通認識とし、前途ある子どもたちを見守ってほしい」と訴えた。 地域では、自治会副会長兼文化部長として活躍した。当時、会長を務めた倉本茂樹さんは「東日本大震災の翌年、鈴木さんが『津波の被災地の復興を応援しよう』と企画し、バスで北茨城を訪ねた。復興の一助にと皆で北茨城の海産物を買い込んだ。優しくて思いやりのある人だった」と振り返る。 8月27日、牛久斎場で告別式が執り行われ、約100人が参列した。長年の少年指導委員の活躍に対して県警本部長から感謝状が贈られ、喪主で娘の宮本正子さんに手渡された。(橋立多美) ◆鈴木桂子さんは、当NEWSつくば設立を応援し、監事を快く引き受けてくれました。還らぬ人となった鈴木さんのご冥福をお祈りします。 (NEWSつくば一同)  

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