火曜日, 5月 21, 2024
ホーム検索

土浦市 学校 -検索結果

If you're not happy with the results, please do another search.

秋の食材を紹介 料理研究家の吉田礼子さん

https://youtu.be/MH8KV_u0KMc 【谷島英里子】朝夕肌寒く、食欲の秋にピッタリな体を温める野菜が食べたくなる季節になった。土浦市のインターネットテレビ、VチャンネルいばらきのNEWSつくばチャンネルに12日、同市の料理研究家、吉田礼子さんを招いて、今が旬の栗、サツマイモ、サトイモの栄養や調理法を聞いた。 秋の野菜は、夏の太陽の日差しをたくさん浴びて栄養を蓄えている。特にイモ類は、でんぷん質が多く含まれているため、エネルギーの基となるという。 栗は茨城が生産量日本一。料理は、栗ご飯、栗おこわがポピュラー。しかし、皮をむくことが大変なため、ゆでて半分に切って身を取り、食材に盛り付けるのもいいと吉田さんは話す。 サツマイモは鹿児島に次いで2番目の生産量。低温で時間をかけて加熱すると甘くなる。イモ掘りを学校行事などで行うところが多く、採りたてを食べたいと思うが、一週間ほど休ませてからのほうが、土の栄養を含んだビタミンをたっぷりとれるという。 サトイモは奈良時代のころから食べられていて、当時イモと言えばサトイモを指していた。調理は蒸すのが一番単純で、蒸し器が無い場合は電子レンジや電子釜で代用が可能だ。みそ汁やけんちん汁に入れて食べるのもいいが、塩やバターでシンプルに食べるのがお薦めという。 吉田さんは「茨城は食材の宝庫なので、旬のものをたくさん食べて季節を感じてほしいですね」と話していた。

200社が自社技術や商品をPR 筑波銀行ビジネス交流商談会 高校生も出展

【鈴木宏子】地域企業の情報発信と販路拡大を応援する筑波銀行(藤川雅海頭取、本店土浦市)の「ビジネス交流商談会」が11日、つくば市竹園、つくば国際会議場で催された。「食」と「ものづくり」企業を中心に、県内のほか北関東の200を超える企業や団体の出展ブースが設けられ、自社の技術や商品をPRした。 ベンチャー企業のブースのほか、現役高校生が自校の取り組みを紹介する高校生ブース、茨城のコメを試食できる試食コーナーなども設けられ、大勢の企業関係者でごった返した。 高校生ブースは7校が出展。県立つくば工科高校(つくば市谷田部)は、ロボットコンテストに実際に出場したロボットを展示したり、筑波大学や産業技術総合研究所(つくば市東)の協力を得ながら取り組んでいるコンピュータープログラム開発の取り組みなどを紹介した。ロボット工学科1年の宮下耕輔さん(16)は「いろいろな企業や学校が集まって情報交換し合っていて、新しいコミュニケーションや産業がいろいろな方向に広がると思う」と感想を話した。 会場ではベンチャー企業による自社商品のデモンストレーションも行われた。歩く人の後を追いかける追従運搬ロボットや、熟練技術者がものづくりをする思考回路をシステム化したAI(人工知能)のデモンストレーションを最前列で見学した同工科高1年の廣瀬優斗さん(16)は「人の生活を豊かにしようという強い気持ちを感じた。自分も人に役立つロボットや機械を作りたい」と語っていた。

神立小にひな壇寄贈 国際警備保障と筑波銀行

【谷島英里子】国際警備保障(水戸市、加藤貞光社長)と筑波銀行(土浦市、藤川雅海頭取)は18日、土浦市立神立小学校(浜田栄一校長、児童数462人)にひな壇2基を寄贈した。地域貢献事業として同行の私募債発行手数料の一部を活用した。 ひな壇は2段式。体育館などでの合唱コンクールや、記念撮影の際などに使用する予定。同小にはこれまでひな壇が無かったことから、音楽会や卒業式などの行事の際に、子どもたち一人ひとりの顔がよりわかるようになるという。小山光之教頭は「いろいろな催しで活躍してくれると思う」と話す。 18日、同小で開かれた贈呈式には、国際警備保障の野原敏常務、坂本常男県南支社長、物井稔県南支社課長代理、筑波銀行の原規之水戸営業本部長、檜山信邦課長代理と、浜田校長の6人が出席した。野原常務が「児童のため有効に使ってください」とあいさつ。浜田校長は「末永く大切に使わせていただきます」と話した。

《光の図書館だより》10 まなびのまち・土浦「学祭2018」

【コラム・入沢弘子】新学期が始まり、アルカス土浦の市立図書館にはいつもの静けさが戻ってきました。夏休み中は、毎日2,000人以上の方が来館しましたが、目立ったのは高校生の姿。土浦には、特別支援学校の高等部や中等教育学校を含み、公立と私立合わせて10の高校があります。 館内でも、OBOGらしき方が、制服姿の高校生と笑顔で語り合う姿など見受けられます。先輩方が市内に多く住まわれていることもあり、後輩を温かく見守り育てる土壌があるのではないでしょうか。 県内でも水戸に次いで高校が多い土浦。10高校の在校生総数は、約9,000人。アルカス土浦×高校生、この2つの特徴をシティプロモーションに活かす試みを、この秋実施します。題して「学祭TSUCHIURA2018」。11月24日(土)は、土浦駅前に全高校が集合し、各学校の特徴をPRする“土浦の高校生のおまつり”を行います。 学校自慢の部活動も披露 個性豊かな制服を着用しての学校紹介、学校自慢の部活動披露、学校対抗ビブリオバトル、美術作品展示、学校紹介ブース設置、現在実施中の俳句イベントの表彰―などを計画中です。在校生の家族はもちろん、卒業生、土浦の高校受験を目指す小・中学生やご父兄も、この日に来場されたら、土浦のすべての高校の生徒の様子が御覧いただけます。 会場は、図書館が入居する複合ビル・アルカス土浦と土浦市役所横・うらら大屋根広場です。ちなみに、アルカス土浦の屋上、前の広場、1階のラウンジは貸出可能な施設です。1日を3つの時間帯に区分し、料金設定も各2,000円というリーズナブルさ。 定期的にマルシェが行われ、ビアガーデン、ミニコンサート、犬猫譲渡会なども実施されています。お問い合わせは土浦都市開発(029-826-2206)まで。ぜひご利用ください。(土浦市立図書館館長)

《邑から日本を見る》22 東海村は福島の原発事故に学べ

【コラム・先﨑千尋】前福島県双葉町長の井戸川克隆さんは、土浦市での講演の前日、東海村のHPで村の資料を集め、内容を調べた。今回は、井戸川さんの話の中から、東海村の避難計画などについて伝える。 前双葉町長井戸川さんの話を聞く (2) 3・11のあと、井戸川さんは町民を埼玉県に避難させたが、その時の反省をこう語る。「私は、双葉町民を県内の川俣町から、さいたま市のスーパーアリーナに避難させ、最終的に同県加須市の旧騎西高校に移動させた。役場機能もそこに置いた。私は双葉町の住民が諦め、気力を失うのが怖かった」。 「福島原発からできるだけ遠くに、『とっとと逃げろ』ということだった。しかし、逃げたあとの計画、どこでどうすればいいのか、住宅、仕事、子どもの学校などの計画を持たなかった。避難させるだけで、あとのことを考えてなかった。避難で、行政は住民に負担と我慢を与えてしまった」 そして、東海村については「国はかつて、東海第1原発で事故を起こしたら、いくらかかるかを試算し、国の予算の2.3倍という数字が出た。膨大なので、事故は起きないことにしようということになり、この数字は公表されなかった」。私はこの数値について詳細を知らないが、東海原発は首都圏に近いので、そのくらいになるだろうと理解できる。 「東海村の自治の基本とまちづくりに関する原則を定めた『条例』はすばらしい(2010年制定)。この条例には、原発事故によって村が破壊され、住民が住めなくなるということは書かれていない(想定していない)」 「しかし、その後作成された避難計画には、この条例とまったく反対のことが書かれている。村は福島の事故から学んでいない。村の防災計画はずさんで、村民にあらゆる責任と役割を負わせているだけで、村民の命と暮らしを守るという意思は感じられない。原発が事故を起こした時、住民に避難する義務はない。村の計画には、国の責任と誰がどこまで責任をとるのかも書かれていない」 井戸川さんは村役場に、原発事故が起きた時、住民に避難義務があるかを問いただし、義務はないことを確認している。災害が起きた時に適用できる法律は災害対策基本法だが、これは自然災害が対象。原発の事故は電力会社の保全管理などの怠慢による人災なので、この法律は使えない。 原発事故で住民を避難させる条例や規則は村にはない。だから、村が避難計画を策定することは村長の権限外のことになる。「原発事故を想定した避難計画の作成は、原発を持つ会社がやることで、住民に避難を強制はできない。首長が法律や条例にないことを住民に押し付けるのは犯罪行為だ」。 最後に井戸川さんは、村の原子力規制行政に「放射能を生活空間に出させない装置にすること。避難しないで暮らしが継続できること。事業者は損害賠償、後片付け、放射能の掃除を全うすること」だとし、それができないのなら、原発をドームで密閉すべきだと提案した。(元瓜連町長)

《学生インタビュー》12 「苦労を乗り越えた人だけが成功者に」を実感

ロボットの人工知能の学びや、人間とロボットの関わり合いに興味があった筑波学院大学3年の永田天翔さんは、経営情報学部ビジネスデザイン学科板井志郎准教授の「情報デザイン演習F1(情報コンテンツの活用)」を4月から7月まで受講した。授業は座学が中心だが3回ほど土浦市宍塚のグループホームだんらん(社会福祉法人欣水会)で、実践授業のロボットセラピー活動に参加した。 経営情報学部ビジネスデザイン学科3年 永田天翔(てんしょう)さん 茨城県立藤代高校出身 ーなぜ筑波学院大を選んだのですか。進学した動機を教えてください。 ロボットやロボットを動かす創造的なプログラミングに興味がありました。筑波学院大にはそのプログラムが多いので、やりたいことが出来る学校だと思って選びました。入学後それを実感し、進学して良かったと思いました。その上、熱心で細かい指導をしてくださる先生が多いと思います。 ーロボットセラピー活動とはどのようなものですか? 動くロボットへの関心をきっかけに、人間同士のコミュニケーションを生み出すというものです。グループホームでの実践では、最初の20分間、人形型、アザラシ型、ネコ型などのロボットで高齢者とお話しをしたり、歌を歌ったりして会話のきっかけを作ります。ロボットは高齢者世代の歌を歌うように作られています。次に犬型ロボットのアイボを使い、高齢者と一緒にラジオ体操や玉入れをやりました。2組に分かれて競う玉入れが、高齢者には一番うけていました。 ー活動の感想を聞かせてください。 ロボットをきっかけに認知症の高齢者と会話をするのが最終目標でしたが、なかなか噛み合いませんでした。実践授業後に仲間と反省会をして、次回に生かそうと努力しましたが、改善することは難しかったです。高齢者との会話が噛み合わなくて苦しくなると、ロボットに歌わせて、頼ってしまったのが反省点です。 ーこの授業で得たものは何でしょう 高齢者とコミュニケーションを取るには、自分の視野が狭いと可能性が低くなってしまうと思いました。その反省から高齢者を含め多くの人々が欲しているもの、必要なものを自分なりに考えるようになって、視野が広がったと思っています。授業ではうまく行かないことが多くありました。その経験から、ロボットを作る人の苦労を感じました。苦労を乗り越えた人だけが成功者になれるのだと実感しました。 ー将来の目標は? 僕たちは2020年、オリンピックの年に卒業します。時代の流れがぐっと変わる年かもしれません。今は自分のスキルを磨いて、やりたいことをやる為の準備をする段階だと思っています。僕は物を作るのが好きです。作る側の好みではなく、使う人の視点が必要だと思います。作り手の自己満足ではなく、生活がもっとしやすくなる道具作りをして、人の役に立つことをしていきたいと思います。 (インタビュアー:鈴木萬里子)

【戦後73年の記憶】4 号令に合わせひたすらアルミ板たたいた 栗栖恵子さん(86)

【鈴木宏子】土浦市の元中学校教員、栗栖恵子さん(86)は、80歳を過ぎてから母校の土浦二高に年1回赴き、後輩たちに戦争体験を伝えている。 栗栖さんは東京大空襲が激しさを増した1945(昭和20)年3月10日過ぎ、自宅があった東京から、父の実家がある土浦に逃れてきた。女子聖学院1年生で13歳だった。 家族は父母ときょうだい4人。小学6年の弟と3年の妹は群馬県伊香保に集団疎開した。土浦には5歳の妹が一足先早く来ていた。両親は東京に残り、家族は3カ所に分かれて戦時下を生きた。 土浦高等女学校(現在の土浦二高)に転校した。運動場はすべて畑になっていて勉強した記憶は一切ない。食糧増産のため毎日、虫掛などの農家に手伝いに行った。 しばらくして右籾の第1海軍航空廠(軍需工場)に勤労動員された。飛行機のどの部品を作っているのか分からなかったが、日の丸の鉢巻きを締め、工員の号令に合わせてひたすらハンマーでアルミ板を成型する作業をした。一の号令で腕を振り上げ、二でひじを曲げ、三でアルミ板をたたいた。 女学生や土浦中学(現在の土浦一高)の生徒が、街中から航空廠まで砂利道を歩いて通った。遠いので通うのが大変だろうと、土浦中学に機械を移し学校工場とすることになった。初出勤の8月15日、門をくぐると「正午に重大な発表がありますので帰宅してラジオを聞いて下さい」という貼り紙があり、帰宅し玉音放送を聞いた。 敗戦により、カメラマンとして宮内省(現在の宮内庁)に勤務していた父は職を失い、伊香保に学童疎開していた弟と妹も帰ってきた。ばらばらだった家族6人は戦後、土浦でやっと一緒になった。 伊香保から戻った弟と妹はシラミがひどくて、床屋に連れていかれ丸坊主になった。母は2人の衣服を釜でゆでシラミを殺した。疎開先では栗やドングリを食べていたという。2人が持ち帰ったノートには食べ物の絵ばかりが描かれていた。 女学校を卒業後、アルバイトをしながら茨城大学で学び、教壇に立った。父が職を失ったことから、当時もらった奨学金はすべて家に入れた。 現役を退き80歳になったころ、女学校の同窓会で戦争体験が話題に上るようになった。勤労動員された航空廠で空襲警報が鳴り、防空壕に逃げる途中、転んで米軍機に機銃掃射されそうになった話や、目の前で爆弾が爆発した話などだ。航空廠ではたびたび空襲警報が鳴った。栗栖さんは、自分は足が遅くて逃げられないと、いつも工場の中に隠れていた。同級生たちの辛かった体験を80歳になって初めて聞いた。 母校に赴き、戦争体験を後輩たちに話すようになったのはそれからだ。「勉強して、部活動をして、家に帰ると食べ物がある生活が当たり前でない時代があった。それが出来なかったのが戦争」と話す。

つくば・土浦の2チームが初戦突破 県選抜中学野球

【池田充雄】軟式野球の第43回県選抜中学校野球大会が11日開幕し、つくば市金田のさくら運動公園野球場など5会場で1回戦16試合が行われた。同大会は県中学総体の地区大会などで好成績を収めた32チームが15日の決勝を目指して戦う。つくば・土浦市からは計4チームが出場、土浦二中は日立一高附属中を4-0で下し、谷田部東中は牛堀中(潮来市)に13-0で5回コールド勝ちを収めた。一方、土浦三中は大宮二中(常陸大宮市)に6-10で、茗渓中は水戸四中に3-4でそれぞれ敗れた。 土浦二中、4回までパーフェクト 土浦二は谷田部野球場の第2試合で日立一附と対戦。2回表に1死満塁から相手投手の乱れにより3点を奪い、また5回表には1死三塁から六番・横田歩夢の一塁線へのヒットで1点を加えた。守ってはエースで四番の小松崎脩平主将が4回までパーフェクトピッチング。5回は2死満塁とされるが投ゴロでしのぎ、6回からはリリーフの渡邊暁星がランナーを出しながらも無失点で締めた。 小松崎は「ボールから入ると雰囲気が悪くなるので、初球からストライクで攻め、相手に高めの球を振らせるよう意識した。攻撃では、今日は相手のミスから点が入ったので、次は自分たちで攻めて取りたい」と話した。渡邊は「スライダーは良かったがカーブが抜けたり落ちたりした。エースをがっかりさせないよう、リリーフで次の試合も頑張りたい」と気を引き締めた。 菅谷篤監督は「去年は3年生が5人しかおらず2年生がチームを引っ張ったが、総体では思うようにプレーできず、リベンジの思いで1年間頑張ってきた。スターがいるチームではないので、目の前の1戦1戦に集中して戦っていきたい」と抱負を述べた。 谷田部東中、2回に打者15人の猛攻 谷田部東はさくら運動公園野球場の第4試合で牛堀と対戦。1回裏1死三塁から三番・鈴木翔太の右前打で先制し、2回裏は打者15人で9点を奪う猛攻。3回にも2点、4回にも1点を加え、相手を完膚なきまでにたたきのめした。投手はエース鈴木が3回を投げ、4回からは捕手の江崎大翔主将がリリーフ。こちらも相手に一塁を一度も踏ませない完璧な継投で試合を終えた。 「立ち上がりを三者三振で抑えて勢いに乗り、回が進むにつれてコースにもよく決まるいいピッチングができた」と鈴木。「変化球が決まって相手が空振りしてくれた。今までで一番いいピッチング。捕手も投手もどちらも楽しい」と江崎。2人ともバッティングでも魅せたが、特に江崎の2回の左前打は、櫻井真一監督が「大量点の口火となるヒットで、チームにとって非常に大きかった」とほめたほど。江崎自身にも「芯に当たって手応えが良く、いままでで一番強い打球が打てた」と印象に残るものになった。 「最初は戦力に偏りがあったが、春から夏にかけて全員が力を付けてきて、守備もバッティングもしっかりできるバランスの良いチームになってきた。総体では県大会を目指したが、県南地区ベスト8で終わった。その悔しさをこの大会にぶつけたい」と、櫻井監督はチームの思いを語った。 12日の2回戦、土浦二は江戸崎(稲敷市)と対戦し0-5で敗れた。谷田部東は中郷(北茨城市)に3-1で勝ったが、14日の準々決勝で石下(常総市)に3-8で敗れた。

【戦後73年の記憶】2 誰にも言えない軍事機密情報におびえた 秋元君子さん(92)

【田中めぐみ】土浦市の秋元君子さんは1926(大正15)年生まれの92歳。13歳の時、千葉県から土浦市に引っ越し、県立土浦高等女学校(現土浦二高)に転入した。戦争拡大に伴う労働力不足を補うために学徒動員が閣議決定され、卒業を前に休学。17歳で霞ヶ浦海軍病院(現霞ヶ浦医療センター)に動員された。庶務で、海軍の人事異動を記録したり、傷病者、戦死者の名簿作成をしたりして軍部に報告していたという。 その中でミッドウェー海戦の極秘情報を知った。「航空母艦『赤城』抹消、『加賀』抹消―」リストから削除していく。詳しい戦況は分からなかったが、航空母艦を失ったことを知った。大本営発表では公にされなかった。「こんなに船が無くなって大丈夫なのだろうか」と不安が募るが、誰にも言うことはできない。 職場には憲兵が頻繁に訪れ、目を光らせていた。母にさえ情報の内容は秘密だったが、察してか「誰にも話すんじゃないよ」と君子さんを心配したという。「今思うと怖いことをやっていたと思う」と振り返る。 父は軍人で、機上整備員をしていた。昭和18年末、「10月6日に戦死」という弔慰電報が届いた。軍部からの公報(死亡告知書)は出ず、問い合わせても情報は錯綜していた。翌年1月に公報が出て3月末の合同葬に間に合った。父の遺骨は帰って来ず、ハンカチや靴下といった遺品だけがきれいに畳まれて戻ってきた。遺骨を入れるはずの箱には石ころが入っていた。「南方だと思うがどこで死んだかも分からない。生死が分からないままの人もたくさん居た。公報を出してもらえただけ良かった」と気丈に話す。一人娘だった君子さんは母一人、子一人になった。 阿見大空襲で病床はいっぱいに 終戦の年、海軍病院の歩哨(ほしょう=見張り)が、霞ケ浦に米軍機がきりもみして落ちていくのを見たという。米兵は脱出、捕虜になったと聞いた。同年6月、土浦海軍航空隊が空襲を受けた。阿見大空襲である。「米兵を捕虜にした仕返しではないかと思った」と話す。病院には死傷者が次々と運ばれて病床はいっぱいになり、担架に乗せられ通路の両脇に並んだ。君子さんはその惨状を茫然と眺める他なかったという。 8月15日、玉音放送があり、午後の仕事はなくなった。それまでは軍艦マーチがかかっていたが、その日は誰が流したか、「波濤を越えて」というワルツが流れた。そこで初めて「ああ、これで平和がきたんだ」という思いがこみ上げた。帰る時、病院から街を眺めると、早い時間なのに街灯が付き、家々の電球も黒布が取れ、街に灯が戻っていた。先行きは全く分からなかったが、しみじみと平和の喜びをかみしめたという。 メモ 【ミッドウェー海戦】昭和17年6月、ミッドウェー島付近での日米海戦。米軍は作戦を早期に察知し、日本側に大きな損害を与えた。この敗北を機に日本は劣勢となったが、国民には知らされなかった。 【大本営発表】戦時中、日本軍の最高統帥機関が発信していた戦況の公式発表。    

《宍塚の里山》20 里山の驚異 竹林拡大の謎を解く

【コラム・及川ひろみ】竹林が広がり、雑木林、杉などの植林地を飲み込むように広がる光景を見たことありませんか。成田発の飛行機から見える房総の山々、東海道新幹線の車窓から見える丘陵地などで、すさまじい勢いで広がる竹林が見られます。今や、竹林の拡大は、特に西日本では大きな問題になっています。しかし、有効な手立てが見つからないのが現状です。 宍塚の里山でも、竹林拡大は大きな問題です。この課題に真正面から取り組む中学生たちがいます。きっかけは、小学校のころから宍塚の会の活動に参加していたS君。土浦第四中学に入学すると、仲間たちも宍塚に連れて来たいとの思いが募ったようで、先生に里山活動を働き掛けました。 これに応えて、学校も総合の時間に自然活動を取り入れ、2年生200人余りが里山の竹林・池・荒れ地の開墾などを行い、成果を挙げました。一方S君は、当時休部状態であった科学部の活動にも力を入れ、その舞台に選んだのが宍塚の竹林でした。 初年度の研究テーマは「竹林の林床にはなぜ植物が生えないのか」でした。日ごろから竹がうっそうと茂る竹林は暗く、他の植物が極めて少ないことなど、雑木林との違いに気づいたようです。科学部の生徒たちは毎月宍塚にやって来て、竹林と雑木林の違いを観察。竹林の林床には枯れた竹の葉が白く積り、雑木林とは全く異なることに気が付きました。 続く土浦四中生の活動 竹林と雑木林の違いを、それぞれの植生、光量を調べると同時に、プランターを持ち込み、竹林の土壌と雑木林の土壌で、植物によって育ちに違いがあることなどを観察しました。さらに、竹と雑木の根の違いを比較するなど、中学生らしい発想で研究が続きました。研究は今年で10年目を迎えます。 現在のテーマは「里山の驚異、竹林の拡大の謎を解く」です。この研究は、初年度中学生科学研究土浦市長賞、霞ケ浦環境科学センター長賞を受賞。その後、県南金賞、昨年は県優秀賞も受賞しています。 この活動の素晴らしいことは、顧問の先生の取り組みです。生徒たちが疑問に感じたことを研究に生かすことは当然ですが、それだけでなく、保全活動・お楽しみ会などを組み合わせ、活動していることです。生徒たちが竹を伐採(場所によってはマダケ林をすっかり伐採)、20数年前の環境を取り戻したところすらあります。 孟宗竹を割り、節と節の間に生米と水を入れ、下からあぶってご飯を炊く、飯盒(はんごう)炊飯竹バージョン。竹を芯にしたバームクーヘン作り。竹のシーソー。時には、本格的な竹細工指導を受けたりして、竹をテーマに様々な活動へと発展させています。また、生徒が木登りやターザンごっこなどを始めると、顧問の先生は優しい眼差しで見つめています。(宍塚の自然と歴史の会代表)

稀勢の里、高安 回復ぶりアピール 大相撲龍ケ崎場所

【崎山勝功】2018年度夏巡業大相撲龍ケ崎場所(同実行委員会主催)が9日、龍ケ崎市中里の市総合体育館たつのこアリーナで開かれ、牛久市出身の横綱・稀勢の里と、土浦市出身の大関・高安が約2500人の来場者を前に復活ぶりをアピールした。 高安は7月29日から始まった夏巡業の初日から右膝蓋(しつがい)腱炎(けんえん)で休場していたが、8月8日から巡業に復帰してこの日の龍ケ崎場所に姿を見せた。午前中の公開稽古では、土俵上で精力的にぶつかり稽古に取り組むなど、けがから回復した様子を見せた。7月の名古屋場所で初優勝した関脇・御獄海と対戦し高安が御獄海に突き出しで勝つと、場内から拍手が沸き起こった。 稀勢の里は横綱に昇進後、17年3月の春場所で負傷して以来8場所連続休場しているが、龍ケ崎場所では結びの一番に姿を見せた。横綱・鶴竜と対戦、寄り切りで倒し、小中学校時代を過ごした第二の故郷・龍ケ崎に錦を飾る取り組みを見せた。 観戦した中山一生市長は「稀勢の里は順調に調子を取り戻しているようだ。9月場所が楽しみ。高安もけがからの復活で、力強い相撲を取ってくれたので楽しみにしている」と、2人の活躍に期待を寄せた。 河内町の会社員女性(28)は「勢いがあってすごくかっこ良かった」、つくば市の山成真由美さん(31)は「初めて見たが、迫力があって興味がわいてきた」とそれぞれ感想を話した。 稀勢の里と高安は報道陣の取材に応じ、稀勢の里は、小学校時代に会場近くのたつのこ公園内の「たつのこ山」で遊んだ思い出や、小学4年生のときに少年相撲大会で5人抜きをして金メダルを取ったことなどを振り返った。自身の状態については「しっかり調整して来場所は活躍したい」と述べた。 高安は「茨城のたくさんの方に応援してもらっているので、どこかで恩返しをしなければと思っている。たくさん稽古してまた来場所に向かっていきたい」と意気込みを見せた。 県南地域での大相撲地方巡業は、12月22日に土浦市大岩田の霞ケ浦文化体育会館で「大相撲土浦・牛久場所」が開かれる。 母校の後輩が稀勢の里に花束 稀勢の里の母校、市立長山中学校の野球部員と、稀勢の里が小学校時代に所属した少年野球チーム「龍ケ崎ハリケーンズ」の選手たちが同日、稀勢の里に花束を贈呈した。 選手たちは、稀勢の里が小学生時代に通っていた市立松葉小学校の児童が作った「輝け 横綱稀勢の里先輩」の横断幕を背景に、花束を渡し握手をした。 長山中野球部員の田向陽祐さん(3年)は「非常に光栄。オーラがあった」と感激した様子で「生徒一同で応援したい。頑張ってほしい」と先輩の稀勢の里にエールを贈った。

土浦日大 甲子園初戦敗退 9回ソロ本塁打で意地見せる

【池田充雄】第100回全国高等学校野球選手権大会は5日目の9日、第4試合に本県代表の土浦日大高校が出場。沖縄県代表の興南高校と対戦し2-6で敗れ、昨年に続いての1回戦敗退となった。 土浦市本庁舎(同市大和町)1階の市民ラウンジで開かれたパブリックビューイング(=PV。応援観戦)では、常設のテーブル席や特設のベンチ席に大勢の市民が集まり、通勤帰りや買い物帰りの人なども足を止め、大型スクリーンに見入った。会場には土浦日大のメガホンやTシャツ、野球帽などの応援グッズも用意され、選手の一投一打にたくさんの拍手や歓声、ため息が出た。 試合は土浦日大の富田卓、興南の藤木琉悠、両エースの投げ合いで幕を開けた。土浦日大は藤木のカットボールなどに芯を捉えられず、興南は富田の低めへのスライダーに詰まらされ、4回を共に無得点で終える。 だが5回裏、先頭からの2連打とバントで無死満塁とされると、犠牲フライとヒットで興南に2点を先制される。土浦日大は6回表に敵失2つと盗塁で1死二・三塁とし、三番・小菅康太の内野ゴロで1点を返すが、6回裏に1死三塁から1点を追加され、1-3とリードを広げられる。 試合は終盤に入り、両投手とも疲れが見え始める。7回表、土浦日大は2連打と死球で2死満塁の好機を作り、ここで一番・鈴木健太主将を迎えるが、相手の逃げるスライダーで三振に取られる。逆に7回裏には2死満塁のピンチを作るが、ここは富田が踏ん張って内野ゴロに打ち取った。 次の回は投手交代で差が開いた。8回表に土浦日大が無死満塁のチャンスを作ると、興南は宮城大弥をマウンドへ送り、三振とダブルプレーで火消しに成功。8回裏は2安打と1犠打で2点を失い、ここで土浦日大は清水樹が救援に向かうが、さらに2連打で1点を失う。9回表、土浦日大は代打・磯貝郁人が左翼席へのソロ本塁打で意地を見せるが、追撃もここまで。2-6でゲームセットを迎えることとなった。 土浦日大の誤算は、相手投手が予想していた宮城ではなく藤木だったこと。その変化球にタイミングが合ってきて、ここからというところで宮城にスイッチし、速球でねじ伏せられた。富田は6回ごろから制球に乱れが見え始め、甘いスライダーを捉えられた。また頼りの鈴木が5打席無安打に終わるなど、打線も投手陣を助けられなかった。 泣きじゃくる富田選手に「いい試合見せてくれた」 PVの観戦者の一人で「娘が富田投手の姉と仲良し」という廣瀬譲治さん(54)は、「(相手の15安打の猛攻に)富田選手を中心によく守り、最終回にはホームランで意地を見せてくれた。力はつけているので来年に期待したい」と感想を述べた。 譲治さんの母の寛子さん(80)は、画面の向こうで泣きじゃくる富田選手を見ながら「富田くんも頑張ってくれたが、向こうがちょっと上だった。これも野球でしょうか。いい試合を見せてくれた」と語ってくれた。

【ひと】夏休み明けの子ども相談に積極対応 土浦 中島隆一弁護士

【田中めぐみ】「さくらパートナーズ法律事務所」(土浦市文京町)所長の中島隆一弁護士(39)は、「学校事件・事故被害者全国弁護団」=メモ=に所属する県内唯一の窓口弁護士だ。 同弁護団は、学校での事故や、いじめ、体罰などで被害を受けた子どもの事件が多発していることを受けて2013年に発足。適切な法的救済を受けられていない現状を改善し子どもの人権を回復できるよう、問題解決に取り組むことを目的としている。 「全国で子どもに関する案件は少なくなく、いじめや事故、家庭内でのトラブル等で問題を抱えている子どもたちは多い。特に夏休み明けなど、新学期が始まるタイミングでは、悩みをもつ子どもたちにはストレスがより大きくかかる」と訴える中島弁護士。昨年は夏休み明けの9月16日に、全国一斉電話相談を行い、その窓口となった。 「責任感からか、ギリギリまで学校と交渉を続け、疲弊して相談に来られる保護者の方が多い」と語る中島弁護士。今年の全国一斉電話相談の実施は未定だが、無料相談日以外も相談は受け付けているので気軽に相談してほしいという。 弱者の人権を守りたい 毎年同弁護団では研究会を開催し、実際にあった案件を例に、解決法について研究を深めている。中島弁護士は「学校での問題に起因する案件は、交通事故などの一般的な案件と異なり、解決法が定型化していない」と語る。 例えば、学校内で子どもたち同士の問題が起こった場合、一番身近な教師や親が間に入り仲裁をする。しかし、教師や親は法律家のように調停のための特別な訓練を受けているわけではない。そのため適切な裁定ができないことが多々あるという。介入しても先入観から偏った判断を下してしまうなど、かえって問題が複雑化するケースも少なくない。どのように解決していくかは、常に実例を通した研さんが必要だという。 一児の父親。法律家を目指す前は教員を志していた。趣味は水泳で、マスターズ水泳大会で入賞するほどの実力。司法試験に向けて勉強をしていた時期は、水泳のインストラクターとして4年間、子どもたちを指導していた。「できなかったことができるようになっていく子どもたちの成長の過程を目の当たりにし、教えることの楽しさや、影響の大きさを実感した」と振り返り、「弱者の人権を守る役割をまっとうしたい」と語る。 さくらパートナーズ法律事務所 ▼〒300-0045 土浦市文京町4番8号 コーエイビル205 電話050・1518・6658 ホームページはhttps://sites.google.com/site/sakurapartnerslawoffice/ メモ 【学校事件・事故被害者全国弁護団】1県に1事務所、1弁護士を置くことを目標としているが、関東1都6県のうち千葉、群馬県にはまだ窓口弁護士が備わっていない。同弁護団の顕著な活動例としては、昨年3月、栃木県那須町で登山講習中の生徒7人と教諭の計8人が雪崩に巻き込まれて死亡した事故で、今月、同弁護団の弁護士らが遺族支援のための弁護団を結成したことが挙げられる。同弁護団は事実関係の解明から再発防止策の検討をしているという。

《土着通信部》18 「地学」を選びたかった君へ 18日に公開講座

【コラム・相沢冬樹】筑波山地域ジオパークが認定されたころ、地球科学を専攻する筑波大学の学生に「最近の受験では、理科で地学を選択しやすくなったのか」たずねたことがある。「いいえ難しいっす。地学で受験できる大学は限られているし、今でも教える高校は少ない。自分も履修できなくて、入試は物理と生物で受けました」。 僕は大学入試センター(共通一次)試験が始まる前の世代だが、学校教育での地学の扱いにずっと納得いかなかった。理科4科目のなかで、物理、化学、生物に比べ地学だけが冷遇されてきた。しかし、天文(宇宙)、地質、地球物理、気象の4分野にわたる地学には、興味を惹くテーマがそろっている。「理科離れ」が叫ばれて久しいが、高校で地学を選べたなら事情はだいぶ違ったろうと思えるのだ。 微積分に歯が立たず、文系に進んだ僕も、社会に出てからは折にふれ理系との接触が刺激となった。高エネルギー加速器研究機構の一般公開をのぞいたり、筑波山周辺のジオサイトをめぐるトレッキングに出かけたり…、つくばはその機会にこと欠かない。 挙句に僕は、総合科学研究機構(CROSS、横溝英明理事長)という一般財団法人に身を寄せた。文系・理系にまたがるサイエンスをカバーして、クロスは「文理融合」の意味となる。格調高く総合科学を冠するも、足場は発祥の地元に置くのがユニークだ。 つくばの産学官連携に取り組もうとCROSSと称してちょうど20年、この間ずっと本部は土浦市内にあった。2011年からは東海村の加速器施設J-PARCにある中性子ビームラインの利用促進を業務の主力にしている。 太陽系と地球誕生の謎に迫る その財団が地域社会との交流機会に設けているのが市民公開講座で、今年の「CROSS2018」は18日(土)午後1時から開く。会場は筑波銀行つくば本部ビル(つくば市竹園1丁目)10階大会議室、開催タイトルを「太陽系と地球誕生の謎に迫る」と打ち出した。 「地球外物質から探る太陽系の誕生と天体進化」三河内岳(東京大学総合研究博物館教授)、「チバニアンと地質時代」岡田誠(茨城大学理学部教授)の2講演が予定されている。ともに地学ファンには聞き逃せないテーマである。 遅れて地学の徒となった僕は、千葉県市原市にある「チバニアン」の地層を訪ねたりした。地質時代境界の「千葉セクション」は日本最初の国際標準模式地候補となり、地質時代名称として「チバニアン」が提唱されている。その研究チームの代表が岡田氏で、講演では地質学から地球の歴史に迫り、地磁気逆転や氷期―間氷期の変化などの話をするということだ。(ブロガー) ▽CROSS2018:入場無料。問い合わせ・事前登録は電話(029-826-6251)かメール(tsukuba@cross.or.jp)でCROSS事務局まで

6校のブロック塀が不適合 つくば市 撤去しフェンスに

【鈴木宏子】大阪北部地震で小学校プールのブロック塀が倒壊し女子児童が死亡した事故を受けて、市が市内の幼稚園、小中学校などのブロック塀を点検したところ、6校が建築基準法に違反し不適合であることが分かった。27日、市教育局が調査結果を発表した。 プール周囲のブロック塀が不適合なのは、沼崎小、今鹿島小、大穂中、豊里中、谷田部中の5校、前野小はグラウンドの球技練習用あて壁が不適合だった。いずれも建築基準法で定められている最大高さ2.2mを超えている。このうち今鹿島小と大穂中のブロック塀は通学路や歩道に面しているという。 高さ3.9mのブロック塀が長さ約30mにわたって設置されている大穂中は「東日本大震災で校舎や体育館の一部が損傷したがプールのブロック塀は何ともなかった。今回の点検で不適合ということなので、撤去されるまで、生徒が塀に近づかないよう安全に留意したい」とする。プールを使用するか否かは各学校ごとの判断で、同中は安全に配慮しながらプールの授業を行うという。 市教育局は今後、早急に6校のブロック塀を撤去しフェンスに代える予定という。フェンスには必要に応じて目隠しなどをするという。 門脇厚司教育長は「今回の点検に基づき、早急に改修を進め安全確保に努めて参ります」とのコメントを発表した。 土浦は4校が不適合 一方土浦市は、点検の結果、4校のブロック塀が不適合であることが分かった。高さ2.2mを超えるブロック塀は無かったが、いずれも校門の門柱につながる袖壁に、直角に突き出して補強する控え壁が設置されてなかった。 4校は、下高津小、大岩田小、荒川沖小、土浦四中。ほかに廃校になった宍塚小の門柱の袖壁も不適合だった。一方、いずれも、ひびや傾き、ぐらつきなどはないという。同市教育委員会は今後、速やかに撤去しネットフェンスを設置すること等を検討するとしている。 ※メモ 【ブロック塀の建築基準法規定】規定は最大高さ2.2m、ブロックの厚さは2mを超える場合15㎝以上、高さ1.2mを超える場合は長さ3.4mを超えるごとに控え壁を設置する-などの規定があり、不適合なブロック塀は違法建築物となる。

CD「日本の名城」に土浦音頭が収録

【鈴木宏子】5月23日発売されたCD「日本の名城を唄う」(日本コロムビア発売、税込2500円)に、土浦城跡(現在の亀城公園)などを歌った「土浦音頭」=メモ=が収められた。霞ケ浦や桜川などの名所や風物を歌った新民謡で、昭和初期に下妻市出身の詩人、横瀬夜雨が作詞した。戦後活躍した歌手、照菊が歌う。1960年代後半に発売されたレコードが音源で、半世紀ぶりにCDでよみがえった。 土浦の歴史や文化を掘り起こしまちおこしに取り組むつくば市の脚本家、冠木新市さん(66)らが2016年9月、亀城公園前の古民家カフェ、城藤茶店(同市中央)で土浦音頭をテーマにした演劇公演「桜川芸者学校」を開催し、新たな踊りで復活させるなど注目された曲だ。 CDは日本の城と、城にまつわる武勇伝や悲喜劇などを歌った全17曲の歌謡曲集で、美空ひばりの「千姫」、村田英雄の「白鷺の城」などと並んで、17番目に収められている。小唄調で、照菊が格調高く歌い上げている。 16年の公演に出演し新たな踊りを復活させた国際美学院(つくば市)の恩田鳳昇学院長(86)が、日本コロムビアの振付専任講師を務めていることから、公演後、同社幹部らに土浦音頭をPRした。今年1月には静岡県熱海で開かれた同社の新年会で、当時公演した桜川芸者学校のメンバーが、全国から集まった振付専任講師らを前に同曲の踊りを披露するなど印象付けた。 同CDを企画した同社伝統邦楽ビジネスユニット特別顧問の吉田輝之さんは「歴史やお城に興味を持つ若い女性が増え『お城ブーム』と言われる中、名城を集めて一枚のCDを作りたいと企画した」と語り「全国のいろいろなお城を探り、関東で名城がないか探していた中、今は建造物がほとんど残されてないが、城にまつわる歌が残っている土浦音頭を取り上げてみようということになった」と選定の理由を話す。 恩田学院長は「まさかCDに入るとは思わなかった。うれしい。土浦のお役に立たせていただければ」と話し、土浦音頭を掘り起こした冠木さんは「土浦音頭がようやく知られるようになり、公演して良かった。踊りたいという若い人が出てくれれば」と述べ「土浦は新しいものと古いものが融合するまちなので、中心市街地で土浦音頭の踊りを披露したい」と話している。 7月7日と16日に披露 CD収録を祝って7月7日、16年に公演した桜川芸者学校の出演者らが「粋な七夕まつり―土浦音頭で愛の夜明けを」と題し、土浦市中心市街地の7カ所で、演劇を織り交ぜた土浦音頭の踊りを披露する。街頭で前触れなく踊るフラッシュモブ風になるという。さらに同16日、筑波銀行つくば営業部(つくば市竹園)で開催される舞踊イベント「チャリティー真夏の饗宴」(国際美学院、つくば舞踊研究会主催)でも披露する予定という。 メモ 【土浦音頭】昭和初期に制作された。当時の土浦芸者組合見番(けんばん)頭取、桜井留吉や、三業組合長、堀越正雄らが制作し、当時、土浦で一番人気の名妓だった君香(きみか)らが歌い踊ったとされる。完成直後は7人の芸者が東京に出向き、三越や松坂屋ホールで開かれたイベントに出演し好評を博したといわれる。作曲は「鯉のぼり」や「靴が鳴る」などを作曲した弘田竜太郎。歌詞は1~4番まであるが、CDは1、3、4番が収録されている。 土浦音頭  横瀬雨作詞/弘田竜太郎作曲 1、船が見えそろ 霞ケ浦の 千艘萬艘(せんぞばんぞ)の帆曳船 船がみえそろ 土浦入りに 風をはらんだ 帆曳の船が 恋知り初めし 十六七の 娘心は 白魚か海老か 人は知らじな 公魚(わかさぎ)は 恋のやまいに よしとかや さて 2、十六七は 砂山のつゝじ 寝いろとすれば 起さるゝ 逢いたさ見たさ 夢見てばかり ねざめすぐれぬ 暁かけて 手枕近き プロペラの音 れんじあくれば 燕がえし 伸ばすは翔けるは 飛行機の 道をさえぎる 雲とてもなし 3、松になりたや 有馬の松に 藤にまかれて ねとござる 藤にまかれて 巻かれて藤に 藤にまかれて ねたというた 有馬の松は こちや 知らねども お城の址に 大きな大きな 榎の木 宿して ぬっと立つ 松を見しゃんせ あれ男松 4、男山(おやま) 女山(めやま)の しづくを受けて 淵となりたる 桜川 月よし雪よし さをさしゃとどく 屋形屋形の あのさんざめき 船はヤハでも 炭薪ゃつまぬ 春はうれしや 霞とともに 花がはらりと 咲くならば さぞや弥生の なあ人心

《宍塚の里山》14 人気のヘビ・キノコ・モグラ観察会

【コラム・及川ひろみ】今回は、宍塚の里山を舞台に自然や歴史・文化を探し見つめる活動についてです。会では、月例テーマ観察会(第1日曜日9:30~12:00)、土曜観察会(毎週土曜日9:00~12:00)、野鳥観察会(第3土曜日9:00~12:00、日本野鳥の会と共催)を行っています。 月例観察会は当初、昆虫・野草・野鳥・大池・チョウ・トンボなどのテーマで行っていましたが、数年が過ぎたころ、どんな虫がいた、どんな野草が見られただけでなく、生き物の暮らし方、生き物同士の関係、環境との関わりなど、より深く自然を知る観察会になり、博物館や研究所などの専門家に講師をお願いするようになりました。 素人にやさしく、正確に科学的な目で、子どもにも理解できる言葉で自然を伝えるために、講師を見つけ出すことに心を砕いています。観察会は、大人も子どもワクワクしながら奥の深い話が聞ける、さらに環境について考える、大切な学びの時になっています。 観察会の終盤には質問タイムを設けていますが、子どもたちの質問に、実に丁寧、真剣に答えてくだる先生方の姿が印象的です。特に人気のある観察会は「ヘビ」と「キノコ」です。先日行った「モグラ」も大人気でした。 参加者が200人になった時には、講師のほか比較的詳しい人3名に加わってもらい、4グループに分けました。しかも講師から全員が話を聞けるよう工夫、ヘビの観察会では全員が蛇に触れることができるようにしました。 カエルの鳴く姿、セミの羽化、鳴く虫など、昼間と違った生き物観察ができる夜の観察会も大人気プログラムで、年3回行っています。昼間より危険が増す夜、多くの指導者が加わり、万全の注意を払って行っています。 目が不自由な方を講師に迎えた時、我々の感覚がいかに鈍いか思い知らされました。その時、目が見えないということが理解できなかった小学生のことですが、講師の方をじっと観察、本当に見えないことが分かった時、観察会が終わるまで先生の手を握りエスコートした姿も忘れられません。 観察会を知らせるために、毎月約1万7000枚のお知らせを発行、土浦市・つくば市の小学校を通して配布しています。塗り絵にもなる楽しいイラスト入りで、これを見て多くの親子が参加します。土曜観察会は里山を巡り、生き物の観察をしますが、毎回新たな発見、新鮮な感動があります。 また毎年2月には、市立博物館・上高津貝塚資料館の学芸員を講師に迎え、宍塚の歴史・文化を訪ねる観察会を開催。縄文・弥生時代、江戸時代などの歴史遺産を見つめます。(宍塚の自然と歴史の会代表) ▼月例テーマ観察会 6月「田んぼ」、7月「きのこ」、8月「プランクトン」、9月「昆虫」、10月「魚」。参加費無料、申し込み不要。

難病の大枝未和さんが熱唱 友人ら応援「頑張る姿に感動」

【崎山勝功】難病の再生不良性貧血を患う大枝未和さん(16)=つくば市=が5日、つくば市内で開かれたチャリティーコンサートに出演し、自身が作詞した「希望の花咲く場所」を熱唱した。会場には、未和さんの初ステージを見届けようと小中学校時代の友人らが駆け付け、未和さんを応援した。 同市大、鹿島神社近くの空き地で開かれた「ミュージックピクニックin芝畑 泳げ鯉のぼり!!」で、未和さんは約20分間出演し「希望の花咲く場所」を含め「翼をください」「花は咲く」の計3曲を歌いあげた。 幼稚園時代からの友人、狩谷瑠海さん(16)は=高校2年=、未和さんの幼稚園・小学校時代を「いつもニコニコして、すごく明るくて優しい子だった」と振り返り「CDで聞いていたけど、生歌は初めて。感動した」と語った。同じく幼稚園時代からの友人、矢口茉樹さん(16)=同=は「病気なのはわかっていたけど、ここまで頑張っているのを知って、すごく尊敬した」と話した。中学時代の友人、大貫未陽さん(16)=同=は「とてもきれいで、見ている自分も励まされた」と感銘を受けていた。 初ステージを終えた未和さんは「みんなが見ているので、ちゃんと声が出ているか心配だった。やり切ったという感じ」と感想を述べ、友人らが駆け付けてくれたことに「うれしかった」と話した。 未和さんが作詞した歌は、難病で苦しむ家族や患者らが集まる「難病カフェアミーゴ」(つくば、水戸などで活動)の仲間たちから寄せられたメッセージを元に作った。未和さんは「初めて(アミーゴの人たちと)会ったときは緊張して、うまくしゃべれなかったけれど、メッセージは本当の声なので、重みを感じた。素直に受け入れられた」と振り返った。 未和さんの歌詞に曲を付けたシンガーソングライターで同コンサートを主催する佐倉孝司さん(63)=土浦市=はこの日、ステージで未和さんの演奏も務めた。佐倉さんは「最後の部分は自分が作ったかのようにゾクゾクした」と話した。 未和さんは現在も治療のため、筑波大附属病院に週1~2回通院している。中学生だった2015年から16年に掛けては「学校よりも病院に行くことが多かった」ほどで、病院内に設けられた院内学級で勉強したという。 感染症にかからないよう毎日、手洗い、うがいを欠かさず、マスクは今も必須だ。食事も生ものはほとんど食べずに、野菜も火を通して食べている。初ステージを見守った母親の豊美さん(38)は「食生活はきつかったと思う」と振り返った。 ミュージックピクニックは、東日本大震災が起こった2011年秋に「みんなに元気になってもらおう」と佐倉さんら市民有志が主催し、つくば市西大橋で始められた。15年春までは年4回開催していたが会場が使えなくなったため、現在の会場に移って15年秋から年2回のペースで開催を続けている。

《光の図書館だより》6 子供の日のプレゼントは…

【コラム・入沢弘子】土浦駅前に移転して初めての大型連休は、連日、朝から大勢の親子連れが来館しています。シャッターが開くと同時にお気に入りの書架に走っていく子、絵本を選んで親の元によちよち歩いていく子、リュックサックいっぱいに本を借りて満足げな子、本を抱えてうれしそうにしている子―こういった姿を見ていると自然に頬が緩みます。 子どもの読書離れが言われて久しいですが、図書館に来館する子どもたちを見ている限り、そういった実感はありません。本当に子どもたちは本を読まなくなったのでしょうか? 2015年、土浦市立図書館が実施した市内全小中高校生読書活動アンケート調査によると、「本を読むことは好きですか?」の問いに、小学2年は約7割、小学5年は約5割が「好き」と回答しています。 好きな理由は「家に本があった、小さいころ読んでもらった、家族が買ってくれる、学校・学校図書館でよい本を見つけた」という回答が、両学年ともに多数でした。さらに「1カ月の間に読んだ本は10冊以上」との回答が、小2で約6割、小5で約3割でした。 「どこの本を読みますか」の問いには、「自分の家」に次いで「学校図書館・学級文庫、図書館」が8割以上でした。 土浦市では、子どもたちが本に親しむ環境をつくるために、さまざまな取り組みを行っています。生後10カ月健診の際に「初めての絵本」を差し上げるブックスタート事業、保護者がお子さんに本を選ぶための講座、年齢に応じたお話会、小学生の学年ごとのお薦め本紹介などです。今年はもっと本を好きになる秘密兵器を導入する予定です。 本好きな子どもになるには、日常的に本に触れる機会をつくることです。「子供の日」には、お子さん、お孫さんをはじめ周囲のお子さんたちに、お話を楽しめる時間、本に触れる機会をプレゼントされてはいかがでしょうか?(土浦市立図書館館長)

《土着通信部》12 「アカンサスの学舎」復元 土浦一高旧本館

【コラム・相沢冬樹】洋風建築で、屋根の棟や尖塔の頂上に設置する飾りをフィニアルと呼ぶ。これにアカンサス(ハアザミ)の花を配した県立土浦一高(土浦市真鍋4丁目、杉田幸雄校長)の国指定重要文化財、旧土浦中学校本館(旧本館)は「アカンサスの学舎」の別名がある。しかし、その花が咲くのは正面両翼端の切妻屋根の上のみで、中心にある正面玄関の頭頂部のフィニアルは長い間、武骨な四角錐の飾りに置き換えられていた。 同校出身の建築史家、一色史彦氏は「玄関の三角屋根を見上げるたびに、私は気が滅入ってしまう。この頂きにはかつて見事に大きなアカンサスの花が開いていたことを想うのである。これを設計した人にとっては耐えられない姿であろう」(住宅建築、1994)と書いた。創建当時の古写真から、玄関の切妻屋根の上にもアカンサスのフィニアルが掲げられていたことが確認できる。 同校は明治30年(1897)の創立、旧本館が現在地に建設されたのは明治37年(1904)のことだった。設計は創建当時茨城県技師だった気鋭の建築家、駒杵勤治(1877 – 1919)による。1974年の夏、一色氏は旧本館の屋根裏に分け入って、1つの棟札を探し当てた。「上棟式大頭梁茨城県技師工学士駒杵勤治」と墨書されていた。この発見によって1976年、旧制中学校校舎としては全国で初めて、国の重要文化財指定を受けることになった。 天井高が約5mもあり、採光のため縦長の上げ下げ窓のついた教室は、冬場の寒さが厳しかった。80年代以降授業には使われなくなり、創立90周年を機に資料展示室や復元教室として整備された。展示品は、上棟の棟札をはじめ、校舎模型、旧制中学校校旗、卒業生の永瀬義郎氏(版画家)や高田保氏(作家)の関連資料など。復元教室はNHKドラマや映画の撮影にも用いられ、毎月第2土曜日に一般公開されていた。 しかし、2011年東日本大震災で被災したため閉鎖され、2016年から耐震補強工事に合わせ全面的な改修に取り組むことになった。同校の創立120年記念事業として創建時の姿に復元をめざすもので、外壁のカラーリングから更新される。断面観察等の結果、これまでに7回の塗り替えが確認され、創建当時の塗色は暗紫色と淡褐色であったことが判明したためだ。また人造スレートになっていた屋根材を創建当時の天然スレートに葺き替えるため、同質の石を産するカナダのケベック州から石盤を輸入するなどした。 この復元のシンボルとなったのが正面玄関の屋根飾りだった。建物部分の改修工事は3月までに終わり、左右対称のゴシック様式で統一を図った校舎の中央、切妻破風屋根の尖端にアカンサスの4弁の花を模したフィニアルが戻ってきた。改修は現在外構工事に移っており、展示物の搬入などを待って、8月ごろに竣工式、10月から月1回の開館日を再開する予定でいる。(ブロガー) ▼旧本館建築の見どころと改修の詳細は、土浦一高ホームページ「ぶらり旧本館ご案内」(第33代校長・横島義昭氏執筆)に詳しい。 URL:http://www.tsuchiura1-h.ibk.ed.jp/index.php?action=pages_view_main&&block_id=1671#_1671

Most Popular