火曜日, 4月 30, 2024
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子どもの「強み」に着目 関係づくりのコツ学ぶ 12日土浦で講演会

【大志万容子】うまく人間関係を築けない子どもたちがいる中、その子の「強み」に着目し、親や周囲の大人とより良い人間関係をつくるコツを学ぶ講座「『強み』で育てるこどものミカタ」が5月12日、県南生涯学習センター(土浦市大和町、ウララビル5階)で開かれる。市民グループ「シェイク・ハンズ・ドット・オゥグ」と“こどものミカタ”養成講座実行委員会が共催。 ここでいう「強み」は、「能力」ではなく「他者に良い影響を与える行動」。同シェイク・ハンズのマージィ武藤さんは「例えば、朝、人に会ったらニコッと笑える。それも強み。どんな子どもにも強みは見つけられる」と話す。 講座のきっかけは、つくば市を中心に長年、子どもや関係者の支援に取り組んできた“こどものミカタ”養成講座実行委員会が昨年、障害のある子どもの学校生活をサポートする特別支援教育支援員のための養成講座を開いたこと。講師の一人、元筑波大教授で臨床心理士の大六一志さんが、子どもと関わるときに有効な視点として紹介したのが、井上さんの「強み探し」だった。参加者から「もっと深く知りたい」と大きな反響があり、一般の人に向けた講演会を企画した。 実行委のメンバーたちは「社会が多様化する中、みんなと同じであることを良しとする学校のシステムはなかなか変わらない」と指摘する。その上で「『強み』に着目することは、子どもと大人のみならず、人と人とが良い関係を結ぶためにも大切なこと。講座をきっかけに強みを見つけられる大人が増え、子どもを囲む社会全体が良い方向に変わるといい」と期待を込める。 講座は2部制。午前10時からの第1部は、強みを探すための方法「ストレングス・トーク(R)」提唱者の児童精神科医、井上祐紀さんの講演と専門家を交えたトークセッション。午後1時45分からの第2部は、参加者がワークショップを通して実際に「強み探し」を体験する。参加費は1部のみ1500円、1部と2部は4000円(2部のみは不可)。申し込みはインターネットhttps://goo.gl/oV9iEX 。問い合わせは℡090・6045・4982またはEメールkodomo-no-mikata@mikata.shake-hands.org。

個展「ツチウラカノジョ」で鮮烈デビュー 写真家目指す関萌野さん

【池田充雄】土浦市中央の観光案内施設「まちかど蔵大徳」2階ギャラリーで22日まで、写真展「ツチウラカノジョ」を開いた関萌野(せき・のの)さん。土浦市内の魅力的な場所や景色を背景にした、女性のポートレート作品約40点を集めた。初の個展を終えたばかりの彼女に話を聞いた。 とっておきの場所 同展のための撮影は1年掛かりで進められた。友人たちをモデルとして市内各地に足を運び、100点ほどの作品に仕上げ、今回はそのうちの一部を発表した。会場には、蔵造りの雰囲気の中に撮影で使った服や、ドライフラワーなどの装飾もさりげなく置かれ、作品以外の空間デザインも意識したという。 冬木立の中にたたずむ女性の写真(1)は、手野町の霞ケ浦湖岸で撮影した。「冬っぽいスモーキーな感じで撮りたいと思って、以前からよく夕日を見に行っていたこの場所を選んだ」と関さん。まず場所ありきのことも。あるいはイメージが先にあり、それに合った場所を選ぶことも多いという。 モール505も好きな場所(2)の一つ。彼女の年代にはレトロな雰囲気に映るそうだ。ここを使って撮影された北野武の映画「龍三と七人の子分たち」は大好きな作品で、そこから喚起されたイメージもあるという。 夏を迎えて色を深めた青田が広がる写真(3)は、藤沢のりんりんロードが舞台。「田園風景の中に道がまっすぐ延びている。個人的には土浦の自然が好き。こういう景色は東京では絶対に撮れない」。 若者目線で土浦再発見 初の個展を開いた感想については「若い人に、土浦にもこういう所があるんだと思ってもらえたら。東京の友達もたくさん来てくれて、土浦を見直したと言ってくれた。若者目線で撮っているので、年配の方には気に入ってもらえないかなと思ったが、予想外にほめていただいたのでうれしい」 撮影にあたって意識したのは、女性のやわらかい表情と、土浦の風景をマッチさせること。関さんが服や小物も選び、メークも写真の雰囲気に合わせて施した。 「この子はこういう服を着たら似合うなとか、イメージが膨らんでからモデルをお願いしたことが多い。普段はしないような格好だけど、こういうのも映えるよねと。その人の新しい一面を撮りたい」 早稲田大学法学部を卒業後、本格的に写真家を目指し、都内の日本写真芸術専門学校に入り直したばかり。ファッション写真を撮りたいと、服などのコーディネートも含めたポートレートを一つのテーマとして追い求めている。「ツチウラカノジョ2」もいつかやりたいと語る。土浦市在住、22歳。

記者が体験 最後尾でゴール かすみがうらマラソン

【富永みくに】15日行われた「第28回かすみがうらマラソン兼国際盲人マラソン2018」(通称・かすマラ)に出場した。フルマラソンは3回目の挑戦。まだ完走したことはない。午前10時スタート。心配していた雨もほとんど降らなかった。 「かすマラ」には、17km地点に2時間15分までに着かないと収容バスに乗らなければならないという関門がある。時間内に着きさえすれば、6時間という制限時間を超えても走らせてもらえる。まずは17km地点を目指した。 前半はにぎやかな土浦市内を通過した。後半は森林やハス田の多い、のどかな光景が広がった。土浦市内は高架橋を上ったり下りたりが多かったが、体力が奪われるほどの勾配ではなかった。 5㎞を過ぎたころ、盲人ランナーの伴走をする、ものまね芸人のM高史さん(33)に追い抜かれた。公務員ランナー川内優輝選手のモノマネで知られるタレントだ。その後、バルセロナ五輪銀メダリストのマラソンランナー、有森裕子さん(51)が、ランナーの間を行き来しながら、大きな声を出して走り方をアドバイスする場面に出会い励まされた。現役の頃と変わらずきれいで、とても若々しかった。神立小学校前では、小学生たちの声援が何よりも励みになった。 スタートから2時間後の正午ごろ、無事に17㎞の関門通過。関門付近で記者仲間を見つけ、余裕で手を振った。しかし調子が良かったのは25km地点まで。この後、足取りが徐々に重くなり、走ったり、歩いたりを繰り返すようになった。 午後3時ごろ、リタイアした人を収容する車が並走し始める。沿道のエイドはすでに帰り支度を始めていたが、残りのランナーのために水やバナナなどを取り置いてくれた。 午後4時、スタートから6時間が経過し、ゴール地点の競技場から制限時間を知らせる号砲が鳴り、上空に白とピンクの煙が上がるのが見えた。後ろから追い抜いてきたパトカーから歩道を歩くようにと指示を受けた。最終の収容バスも横を通り過ぎていった。どこまでも続くハス田の向こうに、土浦市街のビルがうっすらと見える。 自分を含め周囲のランナーは皆、歩くのが精一杯という様子だったが、皆黙々とゴールを目指した。足がつって立ち止まったとき、追い抜きざまに声を掛けてくれた男性は「収容バスに乗るのは簡単だけれど、乗ってしまうと何も残らない。せめて完走したという達成感が欲しい」と話した。 その後も脚の痛みに耐えながら歩き続け、午後5時過ぎ、スタートから7時間後にようやくゴールゲートをくぐった。会場を片付けていたスタッフが「あなたが最後」と言いながら、土浦JAの「れんこんめん」、柴沼醤油の醤油、スポーツドリンクなどが入った参加賞を手渡してくれた。制限時間を1時間オーバーしたものの、初めてのフルマラソン完走となった。

【桜花爛漫】 かつてのため池に580本 乙戸沼公園

【大志万容子】土浦とつくばを結ぶ学園東大通り沿いの乙戸沼公園(土浦市中村西根)では、例年より早めの桜が見頃を迎えている。暖かな陽気に包まれた週初めの26日から、次々に花が開いた。訪れた人たちは、沼を囲むように植えられた桜にスマートフォンを向けて撮影するなど、春の到来を楽しんでいる。 敷地面積約13haの園内には、樹齢40年から60年のカンヒザクラやソメイヨシノ、ヤエザクラなど約580本の桜があり、亀城公園や新川堤などと並ぶ土浦の花見の名所になっている。昨年は3月25日から4月上旬の16日間に約1万人の人出があった。遅咲きのヤエザクラがあるため、例年4月の第3週頃まで花見を楽しめる。 乙戸沼はかつて水田に安定して用水を供給するためのため池だった。つくば市二の宮、洞峰公園事務所の樹木医、芹沢誠さんによると、筑波研究学園都市を南北に縦貫する東大通りを造成するために湿地帯を埋めたて、土盛りをして桜が植樹されたという。乙戸に住む長老は「車が通る大通りの所も沼だった。水がきれいでジュンサイがとれたんだ」と聞かせてくれた。この話を裏付けるのが乙戸沼に近い土浦市立第三中学校(1947年創立)の校歌だ。一番で「乙戸の沼の水ひろく じゅんさいの花におい咲く」と歌われている。 春の陽気に包まれた27日、水面に近い場所の桜にはまだつぼみが多い枝も見られたが、日当たりのよい場所では満開に近いところも。見物客が薄桃色の花びらを見上げたり、家族連れやグループがシートを広げて弁当を味わうなど、思い思いに春を堪能していた。 市観光協会によると、今年は気温が高いこともあり、花の開花は例年より一週間ほど早かったといい、今見頃を迎えている。咲いたソメイヨシノは4月1日(日)まで楽しめそうだ。

【桜花爛漫】157公園に植樹 樹齢40年、樹勢に衰え

【橋立多美】桜のつぼみがほころび、満開間近。約300本の桜が咲き誇る北条大池を始め、つくば市内には、桜が植樹された157カ所の都市公園がある。農村部では、社寺の参道や田畑の中に点在する桜が開花し、春一色に彩られる。桜の代表格ソメイヨシノの満開の景色を楽しむスポットが多いが、近年は樹勢が衰えているという。 都市公園の整備や維持管理をしている市建設部公園・施設課によると、市内の桜は樹齢40年余のソメイヨシノが多い。1960年代末に幹線道路が造成され、その後、街路樹や公園の植樹が行われたことによるという。 ソメイヨシノは、江戸時代にエドヒガンとオオシマザクラの雑種を交配させた品種で、戦後、都市開発や公園整備に伴って全国各地に広まった。同市も例外ではない。 近年、日本全域でソメイヨシノの衰弱が目立つようになり、「寿命60年説」がささやかれる。樹木医=メモ=で国交省国土技術政策総合研究所(同市旭)の研究員、飯塚康雄さんは、寿命というより生育環境による影響が大きいと話す。 「ソメイヨシノは高く広く枝を伸ばす品種。植栽間隔が狭いと互いに枝を交差させながら成長するが、40歳を過ぎると交差した枝が日照不足で枯れ始めて樹勢の衰退が始まる」と話す。「市内のペデストリアンデッキ(歩行者と自転車のための専用道路)に植樹されたソメイヨシノは衰退が見られるが、土浦市立真鍋小学校のソメイヨシノは樹齢100年でも樹勢は衰えず、力強く咲いている」とも。 同市二の宮、洞峰公園事務所で行われている「植物なんでも相談」の相談員を担当している樹木医の芹沢誠さんは、「樹齢40年ともなると花見客が訪れ、養水分を吸収している根元を踏まれるのも寿命を縮める一因」と語る。踏みつけられて根が浮き出たり、枝を傷つけられると腐朽菌が侵入するそうだ。美しい桜並木を次世代に引き継ぐために枝を折らない、飲み残しを捨てないなどのマナーを呼びかける。 一方、芹沢さんはソメイヨシノだけが桜として取り上げられる状態を憂慮する。「桜は約400種類ある。多彩な桜に出合ってほしい」とした上で、乙戸沼と森林総合研究所、雪入の山桜を挙げてくれた。連載で紹介する。 メモ 【樹木医】樹木の保護と生育に関する知識の普及と指導を行う専門家。日本緑化センターが実施する資格審査に合格して登録される。活動は県単位で、日本樹木医会茨城県支部(阿部豊支部長)は59人で組織されている。

《宍塚の里山》10 聞き書き 里山の暮らし②

【コラム・及川ひろみ】聞き取った中には、宍塚には今はいないゲンジボタル(キノボタルと呼ばれていた)、ムササビ、リスなどもいたことが明らかになった。ウナギ、ドジョウ、タニシも市が立つほど採れたそうだ。中でも最も熱心に捕ったのはウナギ。 夏、池の水が少なくなると池に入り、ウナギ鎌を左右に振り、水中のウナギを鎌の先にひっかけて捕った。今も、鴨居にその鎌が飾られている家が結構ある。そして、今でも度々、大池にはウナギがいるのかと質問を受ける。残念ながら見たことはないが、2013年夏、池が減水した時、ウナギ鎌を振るっている老人を見た。地元の方にはウナギ捕りの思い出が今も強烈に残っているようだ。 「ドジョウは夜行性なので、夜、松の根(ヒデぼっくい)をカンテラ代わりに燃やし、ヤスとドジョウ入れを持って捕った。明かりが宍塚の田に点々とみられ美しかった」とS老人。 キノコ採りの話も多くの方から伺った。「野良の合間にこっそり採る。出る場所はほぼ毎年決まっていて、旨いキノコが出る所は家族にも教えない。教えるのは死の間際だ」とS古老。ドウガンボウ(アオドウカン、クロドウガン)。どれも今では茨城ですら見ることができないと、キノコ専門家から聞いた。 ホウキタケ、初茸、イッポンシメジ、ホンシメジなどなど、美味しいキノコがたくさん採れた様子が伝わってくる(今では宍塚では見られないものも多い)。土地に産するものは地主の所有物だが、キノコと山菜は誰でも採ることができたそうだ。 指先が化膿した時に、カブトムシの幼虫の皮をかぶせると治るとの話には驚いた。この話をされた古老が亡くなられてから、幼虫の皮には殺菌効果があることが報道され、びっくりした。雑菌が多い腐葉土に育つカブトムシの幼虫には、体内に雑菌が入るとこれを殺す作用を持つ物質があると言う。知恵の結晶はどこまでも深く、驚く話が止めどなく聞かれ、知恵の深さを思い知った。 宍塚町50人以上の方から、人によっては10回以上聞き取った。聞いた料理の中のいくつかは、収穫祭や里山の春を楽しむ会で再現。「ならせ餅」「さなぶり」などの伝統行事については、毎年、大勢の子ども達にその意味を伝えている。 2005年、「続聞き書き里山の暮らし―土浦市宍塚」(A6版、334頁)を発行した。①聞き書き編②テーマ編(a農業用水 b山 c谷津田と稲作 d畑と作物 e住 f食 g衣 h年中行事 i動植物)③資料編(航空写真から見た宍塚の変化、土地利用図、小地名及び寺社、年表)―から成っている。 聞き取りをさせていただいた方々がご高齢になり、失われてゆく知恵や記憶をすがる思いで追い求めている。会の出版物は土浦市立図書館、つくば市立図書館、国会図書館に寄付。県内の希望する学校すべてに寄贈した。(宍塚の自然と歴史の会代表)

第10回映画上映会

土浦市役所1階の市民ラウンジで3月16日午前10時から、同市内などで撮影された映画「天心」の上映を行う。 天心は、明治初期。廃仏運動が起こり、仏寺や伝統美術が失われようとする中、日本独自の美を守るため、岡倉天心(竹中直人)はアーネスト・フェノロサと手を組み奔走。その後、東京美術学校や日本美術院を創立した天心だったが、西洋画派と対立するなど逆光に陥ってしまう。天心は茨城県五浦に六角堂を建立し移り住み、これまでにない日本画を作り上げるため,創作活動に打ち込んでいく。 竹中直人さん、木下ほうかさん、中村獅童さん、渡辺裕之さんらが出演している。 映画の定員は約50人。

《宍塚の里山》9 聞き書き 里山の暮らし①

【コラム・及川ひろみ】宍塚の里山がどんなに貴重な大切な所と言っても、その歴史的な背景について理解しなければ、「よそ者が勝手なことを言っている」で終わってしまいそうです。 農業や日常の暮らしと自然が深く結びついて生み出されてきた里山は、先祖の知恵の結晶、まさに文化遺産といえるものです。この40~50年で農業も暮らしも急激に変化しました。里山の未来を考える時、これまでの人と里山の関わりをその土地に則して学ぶことが課題でした。「宍塚の自然と歴史の会」では会発足当初から、この課題に沿って地元の方からお話しをうかがい、記録に残してきました。 例えば「頭はシャンプー代わりに粘土を使い、洗い終わると、梅干しをトントントンとこすりつけてくれるの」。これは今で言う泥パック、そして梅干しはリンス。今に生きる科学的で合理的な、知恵の結晶とも言える話を数多く聞きました。 年中行事などの暮らしの様子からは、人と人との温かな繋がり、地域の優しさがしみじみと伝わり、我々のこれからの暮らしのあり方をも示唆しているように感じられました。当然、当時の暮らしは物理的にも精神的にも厳しいものであったことは容易に想像がつき、時に涙することもありました。でも淡々と語られる話には芯の強さ、誇りが感じられ、楽しかったこと、夢のような日々であったこと—懐かしい思い出が詰まった里山の暮らしでした。 その記録を残す者がいることの喜びを感じました。あふれ出る、汲めども尽きぬ泉のような話を、好奇心むき出しにして聞き、記録にまとめていきました。今記録に留めなければ、記憶さえ失われてしまう里山の暮らしの話に、聞き入り、記録したものです。 それも、お話しくださる方々が、テープレコーダーがあると話しにくいと言われ、機械に頼ることのない作業でした。1997年、会の中に歴史部会が発足してから、この作業は急速に進みました。多くの場合、少なくともお1人5回以上聞き取りを行い(前回お聞きしたことをまとめ、確認に再訪してさらに話をうかがうという、きりのない活動になりました)、そして1999年、「聞き書き 里山の暮らし―土浦市宍塚」を出版しました。 うかがった話を補足するために、昭和30年代の宍塚の畑、水田、茅場などの土地の利用地図、大池周辺の呼び名、地名の地図(地名は土地に刻まれた先人の活動の痕跡です)などのほか、明治10年創立の宍塚小学校に保管されていた明治時代の農作物の克明な記録も加えました。この冊子は地域を理解する上で貴重な資料になり、翌年、茨城県中学校推薦図書に選定されました。(宍塚の自然と歴史の会代表)

つくば、土浦に大雪警報 最大15㎝の積雪

【谷島英里子】22日、つくば、土浦などは雪に見舞われ、水戸地方気象台は同日午後2時27分、県南地域に大雪警報を出した。23日未明までに最大で15㎝程度の降雪があるという。大雪警報の発令は昨年の2月9日以来。 前線を伴った低気圧が発達しながら伊豆諸島付近を東に進み、雪を降らせた。つくば市では22日午後5時、7㎝の積雪を観測した。 降雪により、つくば市教育委員会は22日、市立小中学校の下校時間を繰り上げ、給食後の午後1時30分に下校させた。土浦市は通常の月曜日と同じ午後3時までの下校となった。23日朝はつくば、土浦両市とも小中学校の登校時間を2時間ほど遅くし午前10時ごろとする。 首都圏の鉄道に一部運休や遅延が出ている中、22日午後5時現在、JR常磐線、つくばエクスプレスいずれも平常運転となっている。 22日午後3時過ぎ、つくば駅周辺では、下校する高校生らが駅に急ぐ姿が見られた。横から吹き付ける雪に傘を斜めにしたり、傘を差さずコートのフードを頭にかぶって肩をすぼめながら足早に急ぐ生徒らもいた。 23日は強い冬型の気圧配置となり、晴れ時々曇りの予報となっている。

「復興に役立ちたい」 福島出身の橋本航太さん 自衛隊霞ケ浦駐屯地で成人式

【崎山勝功】中学1年生のとき東日本大震災で被災した福島県三春町出身の橋本航太さん(20)が10日、陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地(土浦市右籾)で成人式に臨んだ。橋本さんは3等陸曹。「災害派遣や訓練で辛い状況に置かれても屈しない強さを持った自衛官になりたい」と抱負を語った。きょう11日は震災から6年10カ月目。 震災直後、被災者の救護支援活動に従事する自衛隊員を目の当たりにし「身近に姿を見て憧れた」。中学卒業後に陸上自衛隊高等工科学校(神奈川県横須賀市)に迷わず入校し、卒業後、正式に入隊を果たした。 「環境が変わり最初は慣れるのに時間が掛かって、訓練が大変だったけど、2年間ここ(霞ケ浦駐屯地)にいて慣れてきた」と語り、「将来的には地元(福島県内の駐屯地)に帰って親を支えられたらと思う」と抱負を述べた。福島県の復興に役立ちたいという。 霞ケ浦駐屯地では今年、自衛官と事務官計47人が成人の仲間入りをした。式典には任務などによる欠席者を除く38人が出席し、1人ずつマイクスタンドの前に出て「成人としての自覚と自信を持ち業務に励んでいきます」などと抱負を述べた。 同駐屯地司令の山内大輔陸将は「心身ともに健康で明るく、楽しく、地域から信頼される自衛隊員として、一日一日を大切に生き、輝かしい明日を期待して日々精進することを期待する」などと訓示。新成人者代表の澁山虎留(たける)3等陸曹(20)は「いついかなる任務が与えられようとも、完遂できる隊員となれるよう使命を自覚し、若さとあくなき情熱を持ってまい進する覚悟」と答辞を述べた。

《光の図書館だより》2 ”ちいさな光”からの声

【コラム・入沢弘子】「すご~い!工場みたいだね!」。歓声に振り向くと、電子書架の前で背伸びして中をのぞく子ども達の集団。「図書館なんだから、足音立てないで静かに歩いてね」と先生に言われながら神妙な顔で見学してきた最後に必ず喜ぶ場所です。“人前で笑顔なんか見せられないよ”という、ちょっと大人びてきた小学校高学年男子も、ここでは思わず興奮。 「屋上からも見えるんだよ。また見に来てね」「こんどの図書館では食べてもいいんだって」。ひそひそ声で話す女の子たち。旧図書館からのお馴染みの顔もあります。最上階のコミュニケーションスペース・ロフトは、図書館内唯一の飲食可能な場所。 平日の昼時には、赤ちゃん連れのお母さんたちがお弁当を食べながら情報交換。夕方には、高校生がコンビニの袋から出したパンを片手に勉強。「ここはおしゃべりをしても、お弁当や飲み物も大丈夫だよ。読書やお勉強で疲れたらここに来てね」。 「まだ帰りたくないよ~」。図書館から帰ろうとするお父さん、お母さんに泣きつく姿をよく見かけます。絵本を抱えて座り続けお母さんを困らせる女の子、JRの線路が間近に見下ろせるカフェコーナーで窓にくっ付いて離れない男の子とお父さん。 エントランス階・2階のカフェコーナー・ヨムカフェラウンジは、大人だけでなく子ども達にも大人気。アンケートには、子どもの字で「自動販売機のバナナオレ(バナナ香料入りの牛乳)の温度が高い。イチゴオレはそうでもなかった」とのご意見もいただいています。ご愛飲ありがとうございます。 図書館前や市役所横の広場では、毎週末子どもたちの音楽の披露もあります。土浦市立図書館は、館内も館外も“ちいさな、たくさんの光”があふれています。 土浦駅前のアルカス土浦は、開館からひと月で約8万人の方にお越しいただきました。今年も1月5日から、みなさまのご来館をお待ちしております。(土浦市立図書館館長)

《郷土史あれこれ》2 歴史資料の現在

前回は、博物館がないと様々な歴史資料を見ることができない現状について説明した。県内ではバブル時代に市町村史が作成されている。昭和50年に土浦市では「土浦市史」1冊、「土浦市史民俗編」1冊、「土浦市史編纂資料集」25冊が作られた。この地域の地方史編纂としては早く出来上がったが、その「史料集」に収録されている史料には、現在どこにあるか所在の分からない史料がある。 これは土浦市に限らず、継続事業として「資料集」の発刊が行われていれば、担当の部署がこれまで蒐集した資料の所在を確認し、資料の保管に努めることもできる。しかし、その部署がなくなり、資料の確認も行われず、資料を保管するお宅でも関心がなくなり、焼却やゴミとして扱われてしまうと、その地域に残された貴重な歴史資料が失われてしまうのである。 歴史資料への関心がないのは、大河ドラマの英雄史観や皇国史観による庶民には歴史がないとか、小中学校・高等学校の歴史教育が、考える授業ではなく暗記物にしているとか、様々な影響が考えられる。ここには一人ひとりが歴史に関わっているという意識が全体的に薄いことが挙げられる。そこに難しい問題がある。 最近はやりの、終活とか、断捨離とかの言葉がある。個人の積み重ねてきた人生の総括が「断捨離」となり、個人が持っていた歴史資料が失われていくのは、どうであろうか。個人の遺産といえども、国や地域にとって必要な歴史資料は残し、後世に伝えていかなければならい。 こうした歴史資料を保存し後世に伝えていく施設が、博物館である。「博物館法」には、博物館には学芸員を置かねばならないという規定がある。「学芸員は、博物館資料の収集、保管、展示及び調査研究その他これと関連する事業についての専門的事項をつかさどる」(博物館法)とあるように、資料の収集、保管、展示を専門に行う専門職員である。 すべての市町村に博物館があり、学芸員が置かれているわけではない。博物館法には、すべての市町村に博物館を置かなければならないという規定はない。博物館を置くことは、その市町村に任されている。博物館がなくても、遺跡の発掘をやる必要性から、考古学関係の学芸員が置かれている市町村もあるが、原始古代から現代にわたる専門の学芸員が置かれている市町村は、茨城県ではほとんどないといっていい。 土浦市では、「博物館」と「上高津貝塚ふるさと歴史の広場(考古資料館)」が設置され、10人以上の学芸員がおり、ひじょうに充実している。茨城県で最も必要な学芸員は、近世の古文書を読める学芸員である。村方資料を読めなければ、江戸時代の歴史を知ることができない。今こそ必要なことは、県に残された貴重な遺産である近世の古文書を調査し保管する博物館を設置し、学芸員を置くことが肝要ではないだろうか。(栗原亮)

「未来の架け橋に」 インドネシア中学生30人 着付けや茶道体験 筑波学院大

インドネシアのジョグジャカルタ市から研修で来日している中学生30人が15日、つくば市吾妻の筑波学院大学で着付けや茶道を体験した。色とりどりの着物を着付けてもらった生徒たちは、和室で正座して茶道の作法を教わるなど、日本の伝統文化を楽しんだ。 教室で行われた着付け体験では、つくば市の佐々木悠紀子さんらボランティアが、生徒たちに長襦袢(じゅばん)や着物を手際よく着付けていった。帯を整えた佐々木さんが「OK。かわいい」と指で丸を作ると、生徒らは鏡で自分の姿を見てにっこりとほほ笑んだ。 その後、和室で行われた茶道体験では、土浦市の宮本昌子さんが「茶碗は左へ2回まわします。(絵柄などのある)正面に口をつけて汚さないためです」などと作法を教えた。着物姿で正座した生徒たちは、神妙な面持ちで茶碗を回し、抹茶をゆっくり味わった。 紺地に小花模様の着物を着た女子生徒のアズキアさん(14)は「お茶は少し苦いけど、おいしかった。(着物は)インドネシアにはない柄でかわいい」と笑顔。紺の着物を着た男子生徒のアフリさん(13)は「着物を着ると背筋が伸びた。和室は素敵な空間で(茶道に)集中しなければと思った。エキサイティングな体験だった」と話した。 同大の金久保紀子准教授は「今回来た子たちは皆日本は初めて。自分の国と日本を比べるなどして、見聞を広めてほしい。将来彼らが日本との架け橋になるきっかけづくりになればいい」と語った。 研修は、同大と交流協定を結んでるインドネシアの日本語機関が企画し、同大が支援している。今年で5回目。日本人と交流し、多様な経験をしてもらうと共に、日本語学習に対する意欲を高めてもらい、将来日本へ留学を希望する若者を増やすことが狙い。 10日に来日した一行は、13日には常総市立石下中学校で授業を体験し日本の生徒と交流を深めた。20日まで日本に滞在し、ホームステイを楽しんだり、浅草やスカイツリーを見学したりする予定。(大志万容子)

《好人余聞》2 「褒められて」洋画家・高橋秀さん

人生という旅の途中で出会った人たち、みんな素敵な人たちでした。その方々に伺った話を、覚え書きのように綴りたいと思っています。 冬に入り、やわらかな日が、アトリエのガラス窓から射している午後、気さくな画家に会った。油絵の具の香りがするアトリエで、洋画家高橋秀(たかはし・しゅう)さんは、キャンバスにピンクの絵の具を塗っていた。昭和2年生まれ、来月、91歳になる。土浦市在住。 「あれは、ボクが大学を卒業したばかりだったから、高下駄履いて学生服、腰には手ぬぐい下げていたかも知れないなあ。土浦で、佐野道之助先生の展覧会があって、見に行ったんですよ。絵のことなんて、何にもわからないまま。そこで見た絵に、絵っていいなあと思わせられたんですね。画廊閉めるまで佐野先生と話し込んでしまって。それから一緒に祇園町の方まで歩いて行って、また話して」 すると佐野さんは、キミの絵を、1週間後に見せに来なさい、と言ったのだそうだ。 高橋さんは、そのころ、絵なんてまともに描いたことなかったから、土浦小学校の近くの、当時土浦で唯一の画材店で油絵の道具を買い、黄色い山とか好きに塗った絵を描き、佐野さんのところに持って行った。 当時すでに著名だった洋画家の佐野さんは、高橋さんの絵を見ると、高橋さんが初めて描いた、まだろくに乾いていないような絵を、いきなり褒めた。これはいい、と。高橋さんが、絵を描いて生きる人生に、のめり込んだ瞬間だった。「褒められたのが嬉しくて。それから毎週描いて、持って行ったんですよ」 高橋さんの本格的に絵を描く人生が始まった。佐野さんは、高橋さんの絵が、とても気に入ったらしい。高橋さんが個展をすれば、画廊に詰めて「店番」をしてくれたり、展覧会やれとか中央展に出品しろと、高橋さんの職場にまで説得に来てくれたりしたという。 高橋さんはやがて、二科会展で特選になったりして、高い評価を得ることになった。今もバリバリ、来春の個展を目指して制作を続けている。 「絵を描くことは、ボクの人生そのものなんですよ。それは佐野先生に褒められることで始まった。それだけじゃない、画廊に出すと、ボクの、訳が判ってもらえないような絵が、ぜんぶ売れてしまった。これは励みになりましたよ。認められ褒められたから、人生が開けたんです」 (オダギ秀)

子ども食堂がプレオープン 土浦駅前の総合福祉会館 月1回、100円で手作りの食事提供

土浦駅前の市総合福祉会館(同市大和町)5階に11日、子ども食堂「つちうらほぺたん食堂」がプレオープンした。子どもの貧困や孤食などが社会問題になる中、来年1月から月1回、1食100円で子どもたちに手作りの食事を提供する。 市社会福祉協議会(会長・中川清市長)といばらきコープ(鶴長義二理事長)が共同で取り組む。市内の一人暮らしの高齢者などに手作り弁当を調理・宅配している市社協の調理ボランティアが温かい食事を作る。JA土浦から野菜などを無償で提供してもらうほか、今後、市民の寄付なども募って運営する。 市内に住む中学生以下の子どもならだれでも利用でき、保護者も1食300円で一緒に食事できるのが特徴だ。保護者は高校生以上ならきょうだいや祖父母でも構わないという。子どもたちは食事のほか、宿題をしたり、ボランティアと遊んだりなど自由に過ごすことができる。 下妻、常総、結城市の3カ所ですでに子ども食堂を展開しているいばらきコープ食育サポーターが運営のノウハウを提供する。スタート時は月1回だが、利用者の要望により回数を増やしたり曜日を変更することも検討する。 市社協の調理ボランティアは現在約250人いる。子ども食堂にはそのうち約30人が登録し、毎回10人ほどが交代で調理をするという。市社協では将来、運営のノウハウを学んだ調理ボランティアらが中心となって、市内の中学校区ごとに開設したい意向がある。 11日は地元のレンコンやカボチャ、ピーマンなどが入ったカレーが出された。近隣の小中学校にちらしをまいて参加を呼び掛け、小中学生38人と保護者らが参加し、元気にお替わりをする子どもたちも多くいた。土浦二中1年の沢辺湧星さん(13)と妹の媛星(きら)さん(11)は「野菜そのものの味がしておいしい」「来月も来たい」などと話し、調理ボランティアの田之室光子さん(73)は「月に一度だけでなく1回でも多くできれば」などと語っていた。(鈴木宏子、谷島英里子) ◆つちうらほぺたん食堂は来年1月から毎月第4水曜日午後5時から8時ごろまで開設する。本格オープンは1月24日午後5時。保護者が送り迎えすることが原則。参加費は中学生以下100円、保護者300円。詳しくは電話029・821・5995(市社協福祉のまちづくり係)  

《土着通信部》2 名木・古木指定制度の現在 ㊤

土浦市右籾の鹿島神社にムクロジの木がある。銀杏によく似た実をつける。寒くなると実は乾燥し、ベール状の皮殻をまとって落果する。中には黒い種子が入っていて羽根突きの球―羽子(はご)になる。 頼まれてバス停「右籾神社前」付近まで実を拾いにいった。巨木はすでに葉を落とし、果実は飴色に色づいていた。直下のごみ集積場に落ちた実の大半は踏みつぶされていたが、枝の高みにはまだ多くが残っていた。 無事な落果を探して根元付近を見やると、「鹿島神社のムクロジ」は土浦市指定の名木・古木であることを示す銘板が目にとまる。1996年に指定された第54号で、樹高22m、胸高周2.01mと記されている。 銘板を最後まで読むと「所有者に断ってから見学してください」と土浦市からの断り書き、十分に観察してから気がついた。こんな屋外で、しかも天下の公道沿い、所有者は右籾町の「宮本某」と書いてあるが連絡先の記載はない。 右籾にはもうひとつ、日先(ひのさき)神社がある。神職はたしかミヤモトさんと言ったはずだ。関係先ならば、実の採集を断わろうと思って社務所を訪ねた。はたしてミヤモトさんは鹿島神社の管理も兼ねていた。 日先神社はご神木のスギをはじめ巨木だらけで、ここにも土浦市指定名木・古木があった。第2号(1994年指定)「日先神社のクヌギ」は、樹高26m、胸高周3.3mと形状が記録されている。樹齢までは分からないが、周囲の杉木立を圧するような威容を誇っている。 しかし大ぶりになり過ぎた枝の一部が落下している。神社では他にツネ、キャラボクが同様の指定を受けていたが、指定から約20年経ち、ツネはすでに枯死し、キャラボクも危機的状況にあった。 いったい名木・古木の指定制度とは何なのだろう。ミヤモトさんは指定の特典はないという。 土浦市が条例で、名木・古木指定要綱を制定したのは1993年のことである。国、県、市の天然記念物に指定されている樹木や公園や学校などの公共管理分は除き、民間・在野のものに限って「名木・古木」を選定し、所有者の申請に基づいて指定する制度、所有者には適正な管理を条件に1本当たり年間5000円の補助金を交付した。 まれな樹種を対象とし、推定樹齢が100年以上あり、樹姿に格調があることなどが要件で、市は選定のための調査を民間人3人に委嘱した。高校の生物教師だったり造園業を営んだりで植物に精通する顔ぶれ、いずれも当時60代だった。調査員は毎年20本ずつ、5年をかけて100本を選び、以降は保存状態を見ながら、対象木の入れ替えなどを担うことになった。 その制度がいつの間にか休眠状態になっていた。条例じたいは廃止になっていないが、当局に問い合わせると「運用の記録がない」といい、指定した木々の台帳すら残ってなかった。(次回=12月19日掲載に続く)(相沢冬樹)

飲食店と高校生のコラボも 8000人の家族連れでにぎわう フェスティバル神立

今年で28回目を迎える毎年恒例の祭り、フェスティバル神立(神立商工振興会主催)が26日、土浦市中神立町、神立第3児童公園で開催された。41の飲食店や雑貨店、イベントブースなど多種多様なテントが並び、例年より多い約8000人の家族連れなどでにぎわった。市内の飲食店と高校がコラボしてオリジナル料理などを提供する企画「クッキング甲子園」も行われた。 同企画では、神立中央の精肉店、ミート今井と湖北高校家庭クラブがコラボして国産のレンコンを使った「湖北コロッケ」を販売。隣接のかすみがうら市のまちおこし会社、かすみがうら未来づくりカンパニーと霞ケ浦高校とのコラボ出店や、神立中央の洋食店、ひつじの小屋とつくば国際大学高校ファッション&クッキング部のコラボ出店もあった。 湖北高校家庭クラブの大久保綾香部長(17)は「今年で2回目の出店。クラブの活動を知ってもらいたいと出店に至ったが、仲間と協力する機会にもなって良かった。活動に特に力を入れてくれた1、2年生に感謝している」と話した。 神立高原スキー場をPRする黄色と黒の特徴的なデザインのテントも出店した。神立という地名は新潟県にもあり、今回、湯沢町神立から訪れた。湯沢町の田村さん(27)は「神立高原スキー場をもっと知ってもらいたい」と意気込みを語った。 フェスティバルは地域の活性化や住民同士の親睦を深めることなどを目的として始まった。実行委員長の八釼(やつるぎ)正樹(44)さんは「今年は例年に比べて来場者数が多く大盛況だった。神立地区総出で取り組んだことが影響したと思う」と話していた。 (枝川廉) 小学生が一日記者体験 会場回り各テントを取材 NEWSつくばはフェスティバル神立に出店し、子どもたちを対象に「1日記者体験」を催した。神立小学校3、4年の3人が参加し、会場を回って八釼正樹実行委員長にフェスティバルへの思いを聞いたり、各店に自慢の商品の作り方を聞くなどした。 3年の石原緑実(みみ)さん(9)は八釼実行委員長に「なんでフェスティバルをやっているんですか」などと質問。八釼委員長は「街の人が仲良くなるためです」などと答えた。4年の林山晃太朗さん(10)が「(会場の)どのお店に行きたいですか」と質問すると、委員長は「神立町内の店がたくさん出ているので、そこに行きたいです」などと応じていた。 会場内であいさつ回りをする地元の青山大人衆院議員に遭遇し、急きょインタビューする一幕もあった。3年の安斉良一さん(9)は「名刺はいつも何枚くらい持っているんですか」など質問していた。 一日記者を体験した林山さんは「いろんなことが分かって楽しかった。またやってみたい」などと感想を話した。 子どもたちを引率したNEWSつくばの大志万容子記者は「子どもたちが一生懸命やってくれて、お店の人も温かく対応してくれた。子どもたちにとって良い体験になったと思う」と話していた。(鈴木宏子)

コラムニスト紹介

坂本栄 《吾妻カガミ》 【さかもと・さかえ】土浦一高卒。1970年、一橋大社会学部卒、時事通信入社。ワシントン特派員、経済部長、解説委員などを経て、2003年退社。同年から10年間、旧常陽新聞新社社長-会長。現在、内外情勢調査会-茨城県南副支部長、茨城キリスト教大学経営学部講師、NPO法人NEWSつくば理事長。1946年生まれ、土浦市出身、同市在住。 先崎千尋 《邑から日本を見る》 【まっさき・ちひろ】慶應大経済学部卒。茨城大学人文学部市民共創教育研究センター客員研究員、一般財団法人総合科学研究機構特任研究員、環境自治体会議監査役、NPO法人有機農業推進協会顧問。現在、農業。主な著書は『農協のあり方を考える』(日本経済評論社、1982)、『よみがえれ農協』(全国協同出版、1991)など。元瓜連(うりずら)町長。1942年、瓜連町(現那珂市)生まれ。那珂市在住。 及川ひろみ 《宍塚の里山》 【おいかわ・ひろみ】東京都出身。神奈川県内の小学校教員を務める。1970年代につくば市転居後、「学園都市の自然と親しむ会」などのメンバーとして子連れで近隣の自然を散策。1987年に宍塚地区の開発計画を知り、里山を未来に伝える活動に取り組む。現在、認定NPO法人宍塚の自然と歴史の会理事長。 浅井和幸 《続・気軽にSOS》 【あさい・かずゆき】石岡一高卒。1991年科学技術庁無機材質研究所(総理府事務官)入庁。精神障害者福祉施設勤務を経て、2002年浅井心理相談室開業。NPO法人若年者社会参加支援普及協会アストリンク理事長。NPO法人青少年の自立を支える会シオン副理事長。NPO法人とらい理事。ボランティア活動「浅色の雲の会」主宰。 奥井登美子 《くずかごの唄》 【おくい・とみこ】東京薬科大卒。1958年、奥井薬局(土浦市)の奥井清氏(中外製薬勤務)と結婚、土浦に。薬剤師。1895年創業の老舗薬局を経営する傍ら、霞ケ浦の自然を守る活動などに参加。「水の時代をひらく」(KGP総合研究所)、「柳川堀割りから水を考える」(藤原書店)、「くずかごの唄」Ⅰ~Ⅷ(筑波書林)など、著書多数。加藤尚武京大名誉教授は実弟。1933年生まれ、杉並区出身。土浦市在住。 玉置晋 《食う寝る宇宙》 【たまおき・すすむ】東京理科大理工学部物理学科卒。茨城大学大学院理工学研究科地球生命環境科学専攻修了。現在、つくば市で宇宙開発の仕事に従事する傍ら、放送大学大学院生として二足のわらじを楽しむ。茨大理学部でも「宇宙天気防災」のテーマで研究中。1978年生まれ、水戸市双葉台出身、土浦市宍塚在住。 斉藤裕之 《続・平熱日記》 【さいとう・ひろゆき】東京芸術大学大学院後期博士課程満期退学、フランス政府給費制として滞仏。同大助手のあと、東京芸大講師などを勤めながら作家活動を続ける。1961年、山口県生まれ。牛久市在住。 堀越智也 《つくば法律日記》 【ほりこし・ともや】土浦一高校卒。法政大法学部卒。茨城県弁護士会所属「つくば中央法律事務所」代表弁護士。つくばコミュニティ放送株式会社代表取締役。離婚、相続、中小企業・ベンチャー企業、借金の問題、交通事故など民事全般、著作権、刑事事件を主な業務とする。筑波大アソシエイトプロフェッサー、スピードリーディングインストラクター。  1975年、東京都生まれ。つくば市在住。 オダギ秀 《写真だいすき》 【おだぎ・しゅう】本名は小田木秀一。早稲田大学政経学部卒。写真家。高度な技術に裏付けられたハートフルな写真に定評があり、県内写真界の指導的立場にある。専門はコマーシャルフォト全般およびエディトリアル。㈳日本写真家協会(JPS)会員、㈳日本広告写真家協会(APA)会員、土浦写真家協会会長。1944年、水戸市生まれ、土浦市在住。 高橋恵一 《ひょうたんの眼》 【たかはし・けいいち】土浦一高卒、中央大経済卒。茨城県庁に入り、知事公室長、生活環境部長などを歴任。この間、明野町(現筑西市)、土浦市に助役で出向。県庁退職後、オークラフロンティアホテルつくば社長(2006~11年)、JA茨城県厚生連理事長(11~16年)。現在NPO法人NEWSつくば理事。1946年、土浦市生まれ、同市在住。 冠木新市 《映画探偵団》 【かぶき・しんいち】脚本家、アートプロデューサー。TVや映画の編集助手を経て、映画監督市川崑に師事。角川映画「天河伝説殺人事件」で脚本家デビュー。映画『マヌケ先生』(大林宣彦総監督)、舞台『奥様は化け猫』(瀬川昌治演出)など。2008年、つくば市に移り、宴劇『桜川芸者学校』などを制作。著書に『ゴジラ・デイズ』(集英社)、『映画「極道の妻たち」ノ美学』(近代映画社)など。1951年、福島県生まれ、つくば市在住。 入沢弘子 《ポタリング日記》 【いりさわ・ひろこ】1969~76年、新聞記者だった父の転勤で土浦市に住まう。約30年の博報堂勤務のあと、つくば市任期付職員として広報を統括。その後、アルカス土浦の土浦市立図書館初代館長。国立研究開発法人・防災科学技術研究所調査役として勤務後、広報コンサルタントとして自治体などの広報アドバイスやセミナーを担当。1962年、福島県喜多方市生まれ。つくば市在住。 室生勝 《地域包括ケア》 掲載終了 【むろう・まさる】東京医大卒。1970年、東京医大霞ケ浦病院内科医長。76、年つくば市で室生内科医院開業(2006年閉院)。第2回Ciba地域医療賞(現ノルバティス地域医療賞)受賞。つくば市高齢者保健福祉推進会議委員。現在、高齢者サロン「ゆうゆう」を主宰。著書に「地域の中の在宅ケア」(医歯薬出版)、「僕はあきらめない-町医者の往診30年-」(那珂書房)など。1936年、京都府生まれ、つくば市在住。 中尾隆友 《茨城の創生を考える》 【なかお・たかとも】土浦一高卒、慶応大学文学部史学科卒。外資系金融機関、官公庁勤務を経て、現在、㈱アセットベストパートナーズ代表取締役。経営アドバイザーとして大企業・金融機関に助言・提案を行う。総合科学研究機構特任研究員。1970年、土浦市生まれ、つくば市在住。 川浪せつ子 《ご飯は世界を救う》 【かわなみ・せつこ】武蔵野美術短期大学デザイン科卒(テキスタイルデザイン専攻)。住宅部品会社デザイン室、(建物の外観や室内を立体的な絵にする)建築パース事務所を経て、現在、フリーの「建築パース」イラストレーター。イーアスつくば内「アイカルチャー」の「かんたん水彩イラスト」講師。つくばショートムービーコンペティション市民審査員。東京都練馬区出身。1982年、結婚によりつくば市に移り在住。 山口絹記 《ことばのおはなし》 【やまぐち・まさのり】脳動静脈奇形(AVM)による脳出血、失語、失行を経験する。リハビリと育児と仕事の傍ら、放送大学にて言語学と心理学を中心に学ぶ日々をおくる。1988年、神奈川県生まれ、東京都育ち。つくば市在住。 沼尻正芳 《制作ノート》 掲載終了 【ぬまじり・まさよし】水海道一高卒、武蔵野美術大学卒。千葉県公立中学校で教職に就き、茨城県公立小中学校長を退職後、つくばみらい市公民館長などを歴任。現在、一般社団法人・新極美術協会副理事長。1951年、茨城県生まれ、つくばみらい市在住。 浦本弘海 《法律かけこみ寺》 掲載終了 【うらもと・ひろみ】ペンネーム。会社勤務を経て弁護士に。会社在職中に法科大学院への進学を決意。苦節〇年、司法試験を突破(暗黒時代でした…)。企業経験を活かし、現在、企業や自治体の法務コンサルタント。両親が土浦市出身の縁で、土浦・つくばを中心に活動中。東京都出身。 沼澤篤 《霞ケ浦 折々の眺望》 掲載終了 【ぬまざわ・あつし】山形大理学部生物学科卒。東京大大学院修了、理学博士。医薬品会社研究員、自然公園職員などを経て、1989年より霞ケ浦の市民活動に参加。霞ケ浦情報センター主任研究員、茨城大学農学部非常勤講師、霞ケ浦環境科学センター嘱託職員などを歴任。現在、霞ヶ浦市民協会・研究顧問。1952年、山形県出身。土浦市在住。 広田文世 《沃野一望》 掲載終了 【ひろた・ふみよ】土浦一高、山梨大学工学部卒。1984年、㈱トータルシステムデザインを設立、社長に就任。2017年から会長。旧常陽新聞に『いばらき・里・山・みち』を掲載。『桜田門外雪解せず』で「茨城文学賞」受賞。『縁故節現世考』で「やまなし文学賞」受賞。『天狗壊滅』で「日本自費出版文化賞」特別賞受賞。1946年、土浦市生まれ、同市在住。 石井康之 《ON THE ROAD》 掲載終了 【いしい やすゆき】ファッションデザイナー、オブジェアーティスト。桑沢デザイン研究所卒。1987年、パルコオブジェ展で「やまもと寛斎賞」受賞。97年より、東京コレクションのほか、パリ、ミラノ、ニューヨークで作品を発表。東京デザイナーズウイークでオブジェ製作。建築雑誌で特集が組まれる。東京在住。 古家晴美 《県南の食生活》 【ふるいえ・はるみ】筑波大学第2学群比較文化学類卒、同大学院博士課程歴史人類学研究科単位取得満期退学。筑波学院大学経営情報学部教授。専門は民俗学・生活文化。神奈川県生まれ。 川上美智子 《令和楽学ラボ》 【かわかみ・みちこ】お茶の水女子大学大学院家政学研究科食物学専攻修了。1971~2016年、茨城キリスト教大学勤務(1982年から教授)。19年4月から、関彰商事㈱ライフサイエンス事業部・保育園開設準備室(つくば市)勤務。現在、保育園長。茨キリ大名誉教授、茨城県教育委員。著書に『茶の香り研究ノート-製造にみる多様性の視点から-』(光生館、 2000)、『茶の事典』(朝倉書店、2017)など。兵庫県出身、水戸市在住。 瀧田薫  《雑記録》 【たきた・かおる】土浦一高卒。慶応大学大学院法学研究科政治学専攻博士課程修了。茨城キリスト教学園に入り、短期大学長、茨キリ大教授、常務理事を歴任。2016年、定年退職。現在、同大兼任講師、名誉教授。中学2年のとき、V.フランクル著「夜と霧」に衝撃を受ける。当時の安保闘争・学生運動になじめず、その反動で「政治学」を志す。1947年、土浦市生まれ。同市在住。 小野村哲 《ライズ学園日記》 掲載終了 【おのむら・さとし】39歳で公立中学校を退職した後、つくば市内で不登校や学習につまずきがちな子どもたちのための「ライズ学園」を立ち上げる。県内外で、子育て・英語教育・LD(学習障害)などについて講演活動も行う。NPO法人「リヴォルヴ学校教育研究所」元理事長、つくば市教育委員。1960年、東京都板橋区生まれ。つくば市在住。 川端舞 《電動車いすから見た景色》 【かわばた・まい】生まれつき脳性麻痺という障害があり、電動車いすで生活している。2010年、筑波大学障害科学類への入学を機に、つくば市に引っ越し、介助者にサポートしてもらいながら、1人暮らしをしている。障害者団体「つくば自立生活センターほにゃら」で活動中。群馬県出身。つくば市在住。 霞ケ浦市民協会 《泳げる霞ケ浦へ》 掲載終了 【かすみがうら・しみんきょうかい】1995年の世界湖沼会議で採択された「霞ケ浦宣言」の理念を継承し、「霞ケ浦及び流域環境の浄化・保全及び創造をめざす市民活動を推進し、人と自然が共生できる快適で文化的な地域社会を構築する」ため、翌96年「社団法人霞ケ浦市民協会」として発足。2013年一般社団法人に。 相沢冬樹 《土着通信部》 【あいざわ・ふゆき】1953年土浦市生まれ。常陽新聞(旧社)に在籍もキャリアは1999年まで。辞めて18年も経つのに周囲も自分も記者扱い・記者気分が抜けない。この間地域政策コンサルタントを経て、現在は地元財団の発行する機関誌でパートタイム編集長を務める。記事はもっぱらブログ「重箱の隅に置けない」に書いている。http://fykai.blog.fc2.com/ 栗原亮 《郷土史あれこれ》 掲載終了 【くりはら・りょう】土浦一高卒、中央大経済卒。1976~2010年、霞ケ浦高で世界史と日本史を担当。「新治村史」「図説 土浦の歴史」「牛久市史」「八郷町史」の編纂に参画。旧常陽新聞で「江戸時代とは何か」を連載。著書に「忠臣蔵の真実」(常陽新聞新社、2012年)、「近世村落の成立と検地・入会地」(岩田書院、2013年)。土浦市出身・在住。71歳。 橋立多美 《猫と暮らせば》 掲載終了 【はしだて・たみ】1949年、長野県天龍村生まれ。84~96年、常陽リビング社勤務。退社後フリーライターとして活動しつつ、『茨城のホームヘルパー最前線』『ルポ消防団』など4冊を出版。2013年から常陽新聞記者。17年の休刊後はNPO法人NEWSつくばのデスク兼ライター。つくば市在住。69歳。 大島愼子 《世界に生きる》 掲載終了 【おおしま・ちかこ】米DePauw Univ.を経て、早稲田大学第一文学部卒。同大学院経営学修士。ルフトハンザドイツ航空客室乗務員、人事担当、広報室長を経て、2006年に筑波学院大学教授。12年から学長。筑波技術大学監事、日本広報学会理事、日本インターンシップ学会理事、日本国際観光学会前副会長、NPO法人Japan Now観光情報協会理事長。専門は航空政策・観光政策。著書に「ドイツおいしい物語」「飛翔へのロマン」(東京書籍)など。 吉田礼子 《食のエトセトラ》 【よしだ・れいこ】東北学院大文学部史学科卒。子どものころから母が料理する姿に触れ、料理の先生に憧れる。「台所は実験室」をモットーに独学。50歳を前に、全国料理学校協会所属の児玉久美子先生に師事。2008年、土浦市に吉田料理教室を開校。1953年、宮城県生まれ。土浦市在住。 塚本一也 《茨城鉄道物語》 【つかもと・かずや】土浦一高卒、東北大学工学部卒、筑波大学大学院修了。一級建築士。大曽根タクシー(株)取締役社長。元JR東日本グループリーダー。茨城県ハイヤー・タクシー協会経営研究会会長、つくば市花畑自治会長。県議。著書に「つくばエクスプレス最強のまちづくり」(創英社 三省堂書店)。1965年、つくば市生まれ。同市在住。 田口哲郎 《遊民通信》 【たぐち・てつろう】慶應大学大学院文学研究科仏文学専攻修士課程修了。専門は19世紀パリの遊歩者について。その後、家庭教師、派遣社員などを経て、四十路過ぎで2度目の大学生として東京大学文学部在学中。興味・関心は、神秘主義、スピリチュアル、宗教、高等遊民、鉄道模型。大阪・仙台育ち。牛久市在住。 岩松珠美 《介護教育の現場から》 掲載終了 【いわまつ・たまみ】同志社女子大学(栄養生化学)卒。女子栄養大学大学院修士課程修了。老年看護学、地域看護学に研究分野を拡げ、大学や専門学校で教育に携わる。精神保健福祉士、介護福祉士、看護師など。著書に「六訂栄養士・管理栄養士をめざす人の社会福祉」(みらい出版)。現在、つくばアジア福祉専門学校(土浦市)校長。1961年、長野県生まれ。土浦市在住。 鶴田真子美 《晴狗雨dog せいこううどく》 【つるた・まこみ】1990年、東京外語大イタリア語学科卒。同大学院博士前期課程修了後、後期課程単位を取得。日伊協会講師、東邦音楽大、慶応義塾大などの非常勤講師を歴任。2008年からNPO法人「動物愛護を考える茨城県民ネットワーク」理事長。茨城県の犬殺処分ゼロを目指し活動中。2021年、土浦市に「パルTNR動物福祉病院」を開設。神戸市生まれ。 山口京子 《ハチドリ暮らし》 【やまぐち きょうこ】2020年まで、いばらきコープ生活協同組合の「くらしの電話相談ダイヤル」相談員を15年務める。また組合員を対象にした「くらしの講座」講師として、生活設計、家計管理、年金、相続、遺言、終活、保険見直しなどのセミナーを企画。現在「社会保険労務士 やまと事務所」所属。ファイナンシャルプランナー、社会保険労務士、消費生活アドバイザー。1958年、栃木県生まれ。龍ケ崎市在住。 三浦一憲 《塞翁が馬》 掲載終了 【みうら・かずのり】高校生の時に8ミリ映画を自主制作。以来、フリーのフォトグラファー。 電鉄・建築などの撮影のほか、写真館も経営。2004年「まちかど音楽市場」を立ち上げ、代表に就任。現在住む団地内でボランティア環境美化活動(ローズマリーの会)。1952年、東京都江東区生まれ。1991年、つくば市に移住。 秋元昭臣 《夢実行人》 【あきもと・あきおみ】土浦一高卒。明治大工学部卒、京成電鉄系列のホテル会社に入社。奥那須、千葉、水戸、犬吠埼、白浜、土浦などのホテルに勤務。土浦京成ホテル閉鎖にともない、2008年からラクスマリーナ(株主は土浦市)専務。遊覧船運航、霞ケ浦湖上体験スクール、小型ヨット体験、ボート教室、足湯浴場、サイクリング事業などを展開。 2021年4月退職。1942年生まれ、土浦市在住。 原田博夫 《文京町便り》 【はらだ・ひろお】土浦一高卒、慶應義塾大学大学院経済学研究科博士課程修了。専修大学経済学部教授を経て、2019年4月から名誉教授。米スタンフォード大などに留学。公共選択学会会長、政治社会学会理事長などを歴任。著作(編著)に『人と時代と経済学-現代を根源的に考える-』(専修大学出版局、2005年)、『身近な経済学-小田急沿線の生活風景-』(同、2009年)など。現在、土浦ロータリークラブ会員。1948年土浦市出身、土浦市文京町在住。 伊東葎花 《短いおはなし》 【いとう・りつか】小説ブログを始めて12年。童話、児童文学、エンタメ、SFなど、ジャンルを問わずに書いている。文学賞にも挑戦中するもやや苦戦気味。第19回グリム童話賞大賞、第33回日本動物児童文学優秀賞を受賞。妄想好き。猫好き。趣味は読書と太極拳。東京生まれ、美浦村在住。伊東葎花はペンネーム。 小泉裕司 《見上げてごらん!》 【こいずみ・ひろし】1954年、土浦市生まれ、県立土浦一高卒。工学院大学工学部卒。民間企業を経て土浦市役所に入庁。政策企画課長、市長公室長を歴任。2017年まで副市長1期。在職中、花火審査員係業務に13年従事。現在、日本花火鑑賞士会会員。ラジオやネットTVにも出演。茨城新聞に寄稿(19~22年)。花火セミナー開催や「花火通信」(Facebook)などで花火の魅力を発信中。「花火と土浦」(土浦市、2018年)も一部執筆。同市在住。 若田部哲 《日本一の湖のほとりにある街の話》 【わかたべ・てつ】筑波大学大学院修士課程芸術研究科デザイン専攻修了後、建築設計事務所など経て、2009年、土浦市役所入庁。地元出身が多い職場にあって、県外出身として地域への理解を深めるため、霞ケ浦周辺を歩き回り、様々な対象をイラスト化。WEBサイト「日本一の湖のほとりにある街の話」などで地域の魅力を配信。1976年生まれ。「日本一の湖のほとりにある街の話」の公式ホームページはこちら。 片岡英明 《竹林亭日乗》 【かたおか・ひであき】福島高校卒。茨城大学農学部卒業後、太陽コンサルタンツ勤務。茨城大大学院修了。39年間、霞ケ浦高校勤務。主な著書は、英語Ⅰ教科書「WORLDⅠ」(三友社、1990年)、「たのしくわかる英語Ⅰ 100時間」(あゆみ出版、同)、「若い教師のための授業・HRづくり」(三友社、2016年)。現在、「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」世話人。1950年福島市生まれ、つくば市在住。 平野国美 《訪問医は見た!》 【ひらの・くによし】土浦一高卒。1992年、筑波大学医学専門学群卒後、地域医療に携わる。2002年、同大博士課程を修了、訪問診療専門クリニック「ホームオン・クリニックつくば」を開業。著書「看取りの医者」(2009年、小学館)は大竹しのぶ主演でドラマ化。新刊は『70歳からの正しいわがまま』(2023年4月、サンマーク出版)。医療関係業界誌などでもコラム執筆。1964年、龍ケ崎市生まれ。つくば市在住。 松永悠 《医療通訳のつぶやき》 【まつなが・ゆう】北京で生まれ育ち、大学で日本語を専攻した後、日系企業に就職。24歳のとき、日本人夫と結婚して来日し、気がつけば日本にいる時間が長くなっています。3人の子供を育てながら、保護犬1匹、保護猫5匹も大切な家族。子育てが一段落した今、社会のために、環境のために、何ができるか、日々模索しています。 三橋俊雄 《デザインについて考える》 【みつはし・としお】1973:千葉大学工業意匠学科卒業/1973〜6年間:GKインダストリアルデザイン研究所/1979〜6年間:二番目のデザイン事務所/1985〜6年間:筑波大学(デザイン専攻)・千葉大学(環境科学専攻)にて学生/1991〜6年間:筑波技術短期大学・千葉大学にて教官/1997〜18年間:京都府立大学にて教員。6年単位で「居場所」を替えながら、さまざまな人と出会い、さまざまなデザインを行ってきました。退職後つくばに戻り、「竹園ぷらっと」「ふれあいサロン」「おやじのキッチン」など、地域の「居場所づくり」「まちづくり」のデザインを行っています。 島田由美子 《けんがくひろば》 【しまだ・ゆみこ】けんがくまちづくり実行委員会代表、研究学園グリーンネックレス タウンの会代表。本業は海外映画・ドラマの字幕翻訳。TX研究学園駅地区に移り住んだことをきっかけに、まちづくりに興味を持つ。まちづくり活動を行いながら、現在、筑波大学大学院システム情報系非常勤研究員として、都市計画の研究に携わっている。

《宍塚の里山》1 どんなところ?-会発足のころ

里山は、雑木林、谷津田、ため池などからなる身近な自然環境です。人々は里山で薪(まき)や炭、肥料など生活に必要な様々な恵みを受けて、田畑を耕し、1000年以上にわたって暮らしてきました。里山の自然は、持続的に活用されてきた、人と自然の協働作品であると同時に歴史的な文化財です。人の手が加わり続けられてきたことで、里山は原生林以上に多様な生き物が生息し、全絶滅危惧種の1/4が里山に生息すると言われています。 茨城県土浦市宍塚には、ため池、雑木林、谷津田、草原、湿地、昔ながらの小川など、様々な環境が複雑に入り組んだ100haほどの里山があります。1960年ごろまでこの里山では、建材、農具、家具、家財用材を取り、生薬、キノコ、山菜、シジミ、魚、ウナギを採るなど、山、田畑、草地すべてを暮らしに利用していました。しかし、灯油、ガス、電気などエネルギー革命によって人々の暮らしは大きく変わりました。また農業と密接な係りがある里山ですが、里山は大型機械の導入が難しいこと、化学肥料の利用によってそれまで里山に依存していた農業が大きくその姿を変えました。そして里山はその価値が一旦見失われたかのようにみえるようになりました。 しかし本当に里山には価値はないのでしょうか、そう言い切れるのでしょうか。このシリーズでは宍塚の里山とはどんなところなのか、そしてどのような価値が潜み、どのように生かすことが可能なのか、大切なところなのか、考えてゆくものにしたいと思います。 宍塚の里山は1970年ごろから開発計画が幾度もありました。その都度社会状況が整わず、実行されることなく、貴重な里山が残されてきました。 会は助走期間の2年を経、1989年9月、この里山について理解を深め、未来に伝える手段を見出すことを目的に「宍塚の自然と歴史の会」が発足しました。その柱は生物の多様性と、環境を学ぶ場所です。 発足当初毎年宍塚の区長さんを訪問し、「観察会をさせていただきたい」「観察会を行うために散策路の草刈りをさせていただきたい」の2点をお願いしました。散策路は市道ですが、よそから来た者がよかれと勝手気ままに行動することは避けたい、礼節を保つための訪問でした。今も許可を得られたところ以外は入らないことを守っています。東京から50㌔圏に位置する宍塚の里山は交通の便もいいことから、観察会には首都圏から参加される方も加わり和気あいあいと行っています。 宍塚の里山は関東平野有数の広い里山であり、2015年環境省による「生物多様性保全上重要な里地里山」に選定されました。(及川ひろみ) 毎月第2、第4金曜日掲載。 【おいかわ・ひろみ】東京都出身。神奈川県内の小学校教員を務める。1970年代につくば市転居後、「学園都市の自然と親しむ会」などのメンバーとして子連れで近隣の自然を散策。1987年に宍塚地区の開発計画を知り、里山を未来に伝える活動に取り組む。現在、認定NPO法人宍塚の自然と歴史の会理事長。

広島から5位ドラフト指名 霞ケ浦高、遠藤淳志選手「夢かなった」

プロ野球ドラフト会議が26日、東京都内で開かれ、5巡目で広島東洋カープが霞ケ浦高校の遠藤淳志投手(18)=土浦市出身=の交渉権を獲得した。26日夜の記者会見に応じた遠藤投手は「とりあえずホッとしている。2年後、3年後、自分がチームの一角として投げれるよう身体を作って頑張りたい」と抱負を述べた。 遠藤選手は「グローブの刺しゅうにも『夢実現』と入れていた。夢がかなってよかった。小学校に入学して野球を始めてから、ずっと(プロ野球選手になりたいと)思っていた」と述べ、プロ選手を目指す小学生たちに向けて「努力していけば夢はかなうことを小学生たちに伝えたい」と語った。 会見に同席した同校野球部の高橋祐二監督は「『早い指名はありえない』と思っていたが5位指名はビックリした。広島は12球団の中で一番練習するチーム。これから身体を作って、150㌔、155㌔を投げるピッチャーになると思う」と、今後への期待を寄せた。 元高校球児で父親の隆さん(64)は「小学6年のときから『プロ野球選手になりたい』と言っていた。その夢がかなった。これからは活躍してナンボ」と喜んだ。母親の遠藤美江さん(53)は「5巡目になっていきなりだったので、最初はびっくりした。感動で足が震えた。けがの無いように息の長い選手になってほしい」と語った。 遠藤投手は、身長184㎝、体重75㎏、右投げ右打ち。184㎝の身長から投げ下ろす角度のあるストレートと、縦に割れるカーブを投げ分けるのが武器。ストレートは最速142㎞を投げる。ほかにスライダー、フォークの球種がある。 市立斗利出小、新治中出身。少年野球チームの斗利出ベアーズ(当時)で小学1年から野球を始め、4年から投手として活躍。新治中軟式野球部を経て、霞ケ浦高校硬式野球部に入部。1年の夏には甲子園出場を果たしたものの、ベンチ入りできず、1年秋から念願のベンチ入りを果たした。 2年の夏の県大会4回戦では先発出場し完封する成績を挙げた。2年の秋からエースとして活躍が期待されたが、夏休み中に右手の甲を縫うけがを負ったため調整が遅れて登板できなかった。 悔しさをバネに、オフシーズンに練習を重ね、3年の春の関東大会ではベスト8進出の原動力となった。夏の県大会は2年ぶりに決勝戦進出を果たした。決勝戦では先発投手として200球を超える力投を見せ、延長15回の末、土浦日大に敗れ、惜しくも準優勝の成績を収めた。 会見後、同校野球部員たちに胴上げされ祝福された。県内では遠藤投手を含め4人の高校球児がプロ野球志望届を出したが、ドラフト会議でプロ野球球団に指名された県内の高校球児は遠藤投手のみだった。(崎山勝功)

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