土曜日, 4月 27, 2024
ホーム土浦【戦後73年の記憶】4 号令に合わせひたすらアルミ板たたいた 栗栖恵子さん(86)

【戦後73年の記憶】4 号令に合わせひたすらアルミ板たたいた 栗栖恵子さん(86)

【鈴木宏子】土浦市の元中学校教員、栗栖恵子さん(86)は、80歳を過ぎてから母校の土浦二高に年1回赴き、後輩たちに戦争体験を伝えている。

栗栖さんは東京大空襲が激しさを増した1945(昭和20)年3月10日過ぎ、自宅があった東京から、父の実家がある土浦に逃れてきた。女子聖学院1年生で13歳だった。

家族は父母ときょうだい4人。小学6年の弟と3年の妹は群馬県伊香保に集団疎開した。土浦には5歳の妹が一足先早く来ていた。両親は東京に残り、家族は3カ所に分かれて戦時下を生きた。

土浦高等女学校(現在の土浦二高)に転校した。運動場はすべて畑になっていて勉強した記憶は一切ない。食糧増産のため毎日、虫掛などの農家に手伝いに行った。

しばらくして右籾の第1海軍航空廠(軍需工場)に勤労動員された。飛行機のどの部品を作っているのか分からなかったが、日の丸の鉢巻きを締め、工員の号令に合わせてひたすらハンマーでアルミ板を成型する作業をした。一の号令で腕を振り上げ、二でひじを曲げ、三でアルミ板をたたいた。

女学生や土浦中学(現在の土浦一高)の生徒が、街中から航空廠まで砂利道を歩いて通った。遠いので通うのが大変だろうと、土浦中学に機械を移し学校工場とすることになった。初出勤の8月15日、門をくぐると「正午に重大な発表がありますので帰宅してラジオを聞いて下さい」という貼り紙があり、帰宅し玉音放送を聞いた。

敗戦により、カメラマンとして宮内省(現在の宮内庁)に勤務していた父は職を失い、伊香保に学童疎開していた弟と妹も帰ってきた。ばらばらだった家族6人は戦後、土浦でやっと一緒になった。

伊香保から戻った弟と妹はシラミがひどくて、床屋に連れていかれ丸坊主になった。母は2人の衣服を釜でゆでシラミを殺した。疎開先では栗やドングリを食べていたという。2人が持ち帰ったノートには食べ物の絵ばかりが描かれていた。

女学校を卒業後、アルバイトをしながら茨城大学で学び、教壇に立った。父が職を失ったことから、当時もらった奨学金はすべて家に入れた。

現役を退き80歳になったころ、女学校の同窓会で戦争体験が話題に上るようになった。勤労動員された航空廠で空襲警報が鳴り、防空壕に逃げる途中、転んで米軍機に機銃掃射されそうになった話や、目の前で爆弾が爆発した話などだ。航空廠ではたびたび空襲警報が鳴った。栗栖さんは、自分は足が遅くて逃げられないと、いつも工場の中に隠れていた。同級生たちの辛かった体験を80歳になって初めて聞いた。

母校に赴き、戦争体験を後輩たちに話すようになったのはそれからだ。「勉強して、部活動をして、家に帰ると食べ物がある生活が当たり前でない時代があった。それが出来なかったのが戦争」と話す。

宮内省のカメラマンだった父親が1953(昭和28)年に出版した著書「ある日の天皇」を家の中で見付け、2009年に栗栖さんが復刊した。父が間近で見た戦争中の昭和天皇を写真と文章でつづっている

➡NEWSつくばが取材活動を継続するためには皆様のご支援が必要です。NEWSつくばの賛助会員になって活動を支援してください。詳しくはこちら

スポンサー
一誠商事
tlc
sekisho




spot_img
spot_img

最近のコメント

最新記事

スミレ… 春の野草【宍塚の里山】112

【コラム・鶴田学】春の野草で、まず思い浮かべるのは、スミレ類でしょうか。宍塚の里山で最初に姿を見せるのは、アオイスミレ(写真左)。葉がフタバアオイに似ていることから、名がつけられています。ちなみに、徳川家で有名な「三つ葉葵(あおい)」は、フタバアオイから紋様(もんよう)化されているそうです。 次に、本格的に花をつけるのはタチツボスミレ、ニオイタチツボスミレ、コスミレ、ノジスミレなど。これに続き、ヒメスミレ、ツボスミレがやや遅れて、花を見せてくれます。本家のスミレは、このところ、あまり姿を見せません。かえって、道端などで見かけることが多いようです。 早春には、スプリング・エフェメラル(春の妖精)と呼ばれる華奢(きゃしゃ)な小さな花たちをみることができます。林の木々が葉を広げないうちに、春の太陽の光を浴びる戦略をとっている植物たちですね。早秋の短い期間に花をつけ、種をつけると共に、すぐに枯れて、1年の大半を地中過ごし、地下茎などに栄養を蓄えるのだそうです。 カタクリなどが有名ですが、宍塚の里山では、ヤマエンゴサク、ジロボウエンゴサク(写真右)、イチリンソウなどを見ることができます。見ごろは数週間なので、運がよければということになります。このなかで、ジロボウエンゴサクは儚(はかな)げで、特にお気に入りです。 ちなみに、タロボウ(太郎坊)はスミレで、ジロボウ(次郎坊)で、それぞれ、距(きょ=花の基部から伸びる袋状の部分)が長いので、子どもたちが引っかけて遊んだそうです。 自然環境は持ち帰れません 紹介したい春の野草は色々ありますが、4月下旬から5月初めになると、林の中で目立つのは、キンラン(写真中央)やギンランです。実は、この植物たちは、手入れされた里山環境でしか生き延びることができないとされ、里山の減少とともに、絶滅危惧種に指定されています。 春の時期に十分太陽の光が地面に届くように手入れされた環境が必要だけでなく、コナラなどブナ科の樹木とその根で共生している菌根菌(きんこんきん)と一緒生きているためです。 宍塚の里山では、里山の保全活動を進めてきており、毎年のようにキンラン、ギンランなどを見ることができるようになりました。自然環境を持ち帰ることはできません。是非、一緒に見守り、大切にしてもらいたいと思います。(宍塚の自然と歴史の会 会員)

科博の国産旅客機「YS-11」 航空宇宙技術遺産に認定

2月からヒロサワで展示 国立科学博物館(篠田謙一館長)が所有する国産旅客機「YS-11」の量産初号機が19日、日本航空宇宙学会から航空宇宙技術遺産に認定された。同機は今年2月からテーマパーク、ザ・ヒロサワ・シティ(筑西市)内の科博廣澤航空博物館で一般公開されている(2月1日付)。 戦後の航空機産業の空白後に、再び航空機設計の基礎技術を確立し蓄積したエポックメーキングな機体であることなどが評価された。 YS-11は、国内唯一の純国産民間旅客機として国の支援を受けて開発され、性能や経済性などが世界的に評価され活躍した。ヒロサワで公開されている機体は量産初号機で、現存するYS-11の中では試作機を除いて最古となる。1965年3月に運輸省航空局(当時)に納入され、日本の飛行安全を確認する点検機として2万時間を超えて飛行した実績がある。 2007年には機械遺産(日本機械学会)、08年には「重要航空遺産」(日本航空協会)に認定された。 羽田空港内の格納庫で保管されていたが、2020年にグラウドファンディングによる支援を得て、筑西市のヒロサワに移設し組み立てられた。21年3月、同館とザ・ヒロサワ・シティが一般財団法人科博廣澤航空博物館(廣澤清代表)を設立し、今年2月11日から一般公開されている。 同館産業技術史資料情報センターの前島正裕センター長は「長いこと保有し、やっと皆さんに見ていただけるようになった中、航空宇宙技術遺産として技術や機体の重要性を認定いただき、感謝申し上げたい。多くの皆さんにご覧いただければ」と話している。 航空宇宙技術遺産は、日本航空宇宙学会が日本の航空宇宙技術発展史を形づくる画期的な製品及び技術を顕彰して、後世に伝え、今後の航空宇宙技術の発展に寄与することを目的に認定している。23年からスタートし、第1号として6件、今年はYS-11を含め8件が認定され、認定件数は計14件になる。今年の8件のうち、2件は国立科学博物館が所有する製品で、もう1件は同館上野本館(東京都台東区上野公園)に展示されている超小型のペンシルロケットが併せて認定された。

市営みどりのプール 27日オープン つくば

つくば市営の温水プール「みどりのプール」が27日、TXみどりの駅近くの同市みどりの南にオープンする。平日午前中は市内の小中学校9校がそれぞれプールの授業を実施し、午後などは市民が利用できる。会議室やトレーニングルームもある。同市の温水プールはつくばウエルネスパーク(同市山木)に次いで2カ所目。 温水プールは25メートルプールが2槽設置されている。1槽は7コースあり、最大水深1.3メートルで水深の調整が可能な可動床になっている。もう1槽は6コースで、水深1.1メートル、車椅子用スロープが設置されている。水温は30~31度、プールサイドは床暖房で、体を温める採暖室もある。幼児用プールとして水深50センチ、直径5メートルの円形プールも設置されている。 小中学校の利用は5~12月の午前9時~午後0時30分で、学校にプールがない、みどりの南小中、研究学園小中、香取台小などTX沿線の新設校と、児童生徒数が増加し自校のプールでは足りない学園の森、みどりの学園義務教育学校、島名小のほか、真瀬小の児童生徒計約6000人がそれぞれ年3回程度、バスで行き来し利用する計画だ。 更衣室は、LGBTQなど性的少数者に配慮し、男女それぞれの更衣室に個室を備えているほか、車椅子の障害者などが利用しやすいようロッカーの高さを調整しシャワーやトイレと一体的に利用できる「だれでも更衣室」も設けられている。 ほかにダンスや体操などができる壁一面鏡張りのトレーニングルーム(約120平方メートル)と、可動の間仕切りで3パターン利用できる会議室(90平方メートル)がある。TX沿線のみどりの地区には公共の集会施設が無く、地域住民が集まりなどで利用できる会議室が整備されるのは初めて。会議室の利用が無い時は開放し、コミュニティスペースとして市民が自由に利用できるようにする。 環境にも配慮し、コジェネレーションシステムによりガスでプールの温水を沸かし、同時に発生する電気で施設の使用電力の一部をまかなうほか、発電量50キロワットの太陽光発電設備を取り付け、エネルギー使用量を50%削減する。 施設の運営は、筑波大の野村武雄名誉教授が代表を務めるNPOつくばアクアライフ研究所(つくば市島名)と東京アスレティッククラブ(東京都中野区)で構成するつくばアクアティックグループが指定管理者となり管理運営する。ほかに、水泳やダンス、ヨガ教室などの自主講座や、小学生対象の放課後運動教室を開催する。市が事業者に支払う24年度の指定管理料は年間約3900万円、プールや会議室などの利用料金と自主教室の受講料などは指定管理者の収入となる。指定期間は3年間。 施設は敷地面積約2万5000平方メートル、プールがある建物は鉄筋コンクリート造一部鉄骨造、延べ床面積約2900平方メートル。2022年10月から建設工事に着工し1年半かけて完成した。用地購入費も含めた総事業費は約35億円。 市スポーツ施設課の武笠健一課長は「環境に配慮し、障害のある人でもだれでも使っていただけるよう設計した。皆さんに来ていただけたら」と話している。 みどりのプールの場所はもともと学校用地で、みどりの南小の建設予定地として市が約8億5000万円で県有地を購入したが、産業廃棄物処理施設が近くにあること、高圧線の近くに位置することなどから議会で心配の声が上がり、市は、みどりの南小を約600メートル南の現在地に移転し、代わって小中学校が利用する屋内プールを建設した経緯がある(2020年6月2日付)。 ◆みどりのプールはつくば市みどりの南14-1。一般市民の利用時間は5~12月の平日が午後1~9時、学校の利用がない土日祝日と1~4月は午前9時~午後9時。休館日は毎月第2、第4月曜など。▷プール利用料金はつくば市民が大人1回550円(つくば市以外は820円)、子供・高齢者270円(同400円)、障害者180円(同240円)など▷トレーニングルームは同市民が1時間全室一般1100円(同1650円)、半室550円(同820円)など▷会議室は同市民が1時間当たり小会議室150円(同220円)、中会議室310円(同460円)、大会議室460円(同680円)など。つくば市在住、在勤、在学者であることを証明する免許証や学生証などの提示が必要。駐車場は200台分あり無料。詳しくは電話029-896-6870。

壁なくす交流の場に つくば在住スリランカ人 28日 母国の正月祭り

つくば市在住のスリランカ人らによる「スリランカお正月祭り」が28日、同市花畑の花畑近隣公園で開かれる。スリランカの新年は4月。正月祭りの主催団体「スリランカお正月祭り実行委員会」で活動する市内在住のニルマール・ペレラさん(46)は「たくさんのスリランカ人が住んでいるが、地域の人と交流する機会は限られている」と言い、「お互いの壁をなくせるような交流の場にしたい」と思いを語る。 2023年6月末時点で県内には3614人のスリランカ人が暮らしている。全国で3番目に多く、人口10万人当たりに換算すると国内最多となる。つくば市には昨年1月末時点で399人が暮らす。 留学生のレクリエーションが始まり つくばでスリランカの正月祭りが始まったのは約10年前。筑波大学で学ぶスリランカ人留学生たちが集まり、食事をしたりレクリエーションをしたのが始まりだったとペレラさんは言う。当初は学生中心だったが、つくば市や周辺で働くスリランカ人たちにも輪が広がった。市内で妻と3人の子どもと暮らすペレラさんが参加したのは2018年から。その後コロナ禍で2年間開催できなかった。昨年3年ぶりに再開すると、100人余りの同胞人や日本人が参加した。 ミルクライス食べる儀式から スリランカでは太陽がうお座からおひつじ座に移ったときに年が変わるとされており、占星術師たちが毎年その時間を国民に知らせる。4月中旬ごろになるが、今年は4月13日午後9時5分に新年を迎えた。 占星術師が年明けの時刻を予告すると、その前後に何もしてはいけない時間帯がある。年が明けてから初めてかまどに火を入れ、器にココナッツミルクとライスを入れて沸騰させ吹きこぼし、新年最初の食事はココナッツミルクで作るミルクライスを食べる。仕事を始める時間も、占星術師によって決められた時刻に行うのが慣習だ。「吹きこぼし儀式」「食べ始めの儀式」は、五穀豊穣を祈るものとされる。 つくばの正月祭りでも母国の儀式をもとに、ミルクを器に注ぎ、ココナッツオイルに火を入れて、ミルクライスを食べる儀式からスタートする。その後は、母国でするのと同様に、ダンスや綱引き、マラソン大会、パン食い競争、口に加えたスプーンにレモンを載せて走るなど、さまざまなレクリエーションを参加者同士で楽しみつつ、用意された食事に舌鼓を打つ。 10年以上続く中で地域の日本人との交流も少しずつ広がった。今年は家庭で備える防災について、外国人にもわかりやすくやさしい日本語と英語で表現した「防災かるた」を使い、考案者であるつくば市在住の防災士、水谷浩子さんを招いてカルタ大会を初めて開く。 子どもたちが母国文化と接する機会 ペレラさんは「日本で生まれたスリランカ人の子どもがたくさんいる。多くは地域の学校に通っていて、スリランカの文化に触れる機会が限られる。使う言葉も日本語が中心。一方で、つくばには沢山の外国人が暮らしているが、地域との関わりを持てずに暮らしている大人も多い。子どもたちにとってはスリランカ文化と接する機会に、大人たちにとっては地域との交流の場になるといい」と話し、「将来的には日本とスリランカ、互いの文化が持つ良い面が混ざり合い、つくばだからこその新しい文化が育っていくきっかけになれば」と思いを語る。(柴田大輔) ◆「スリランカのお正月祭2024+防災」は4月28日(日)午前9時~午後5時、つくば市花畑3-11-5の花畑近隣公園で開催。参加費無料。