金曜日, 5月 3, 2024
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【オンライン授業奮闘記】教育現場から考える(下) 『徒然草』の伝え

【田中めぐみ】土浦市内の小中学校、義務教育学校では今週から通常登校となった。土浦日本大学中等教育学校でもオンライン授業をひとまず終了し、通常登校が始まる。新しい学校生活様式はどのようになるのだろうか。 感染を防ぐ教室環境の整備 生徒も教職員も登校前に体温を測定し、登下校時や学校にいる間はマスクを必ず着用する。教職員にはフェースシールドの用意もある。昇降口や教室、職員室にはアルコールを置き、手指を消毒できるようにしている。手洗いの徹底、こまめな水分の補給も指導する。ドアの取っ手やスイッチ、階段の手すりなど生徒が手を触れる場所は教職員が1日1回以上消毒を行う。 さらに、教室はできるかぎり2方向の窓を同時に開けて換気しなければならない。しかし、これからの時期、雨風の強い日、蒸し暑い日は一体どうなるのだろう。マスクをしたままの活動は熱中症の危険もある。エアコンを適宜使用し、快適な教室環境を守りつつも感染を防ぐ配慮が必要となってくる。 制限される国語の活動 近距離で一斉に大きな声で話す活動はできない。国語の授業では全員一斉に大きな声で教科書を朗読したり、活用表を読み上げたりすることがある。今までは生徒たちに「もっと大きな声で言ってみよう」などと促していたが、このような音読活動はしばらく控えるべきだろう。 複数の生徒が近距離で話す活動も「密集」「密接」になるおそれがある。発表したり話合わせたりする活動は、これまでグループワークで行ってきたが、それも当面は見合わせることとなる。生徒が楽しみにし、毎年白熱する百人一首のかるたも現状ではできないだろう。 課題の提出・採点にオンライン利用 生徒同士が持ち物を共有したり、個人の持ち物に触れたりすることも良くない。これまでノートや課題などの回収を生徒に任せることがあったが、回収係の生徒を感染のリスクにさらすことになるかもしれない。回収用のボックスを作り、各自入れてもらうなどの工夫が必要だ。もしくはGoogle Classroom(グーグル・クラスルーム=課題のオンライン管理システム)を用いる。先月は作文の課題を配信した。 生徒は課題についての質問をチャット形式で教員に送ることができ、提出もオンラインでできる。採点結果やコメントもシステム内でフィードバックされるので感染の不安がない。 非常事態だからこそ学びを 兼好法師『徒然草』に「世に語り伝ふること」という段があり、高校2年生と読んでいる。冒頭に「世に語り伝ふること、まことはあいなきにや、多くはみな虚言(そらごと)なり」とある。世の中で語り伝えられていることは嘘が多い、というのである。 また、こうもある。「よき人はあやしきことを語らず」―教養がある人は疑わしいことを語らない、と。『徒然草』の別の段には、発熱する疫病が流行しそれに伴って鬼を見たというデマが流れ、人々が騒然としたという記述もある。鎌倉時代に書かれたこの古典を、生徒らはどのように考えるだろうか。 テレビやインターネットに様々な情報があふれる今、子どもは放っておくとSNSや動画サイトなどで、特定の情報にばかりにアクセスしてしまう。不確かな情報が飛び交う中、必要以上に不安を煽(あお)られたり、反対に感染の危険性を軽視したりすることもあるだろう。 学校では様々な問題、課題に触れ、情報の扱い方について学んでいく。根拠を示した意見と感想の違い、一次情報と二次、三次情報の違いなど、様々な教科で考え、新たな視点を手に入れていく。自分を取り巻く状況について考え、問題を解決しようとする主体性を身に付ければ、フェイクニュースに躍らされることもない。また、もし身近に感染者が出てしまった場合、差別をしたり誹謗中傷をしたりすることは絶対にあってはならないことだが、正しい知識を持つことは偏見を防ぐことにもつながる。このような非常事態だからこそ、学ぶことには大きな意味がある。 今後、感染拡大の第2波、第3波の可能性もあるといわれている。オンラインの備えをしながら感染を防ぎ、より良い学校生活を送るにはどうすればよいのか。教材を通じて、生徒らと共に考えたいと思っている。

《霞月楼コレクション》1 大川一男 国芳派の流れを汲んだ美人画

【池田充雄】長い間、土浦には美術館がないと指摘されていた。美術品を収集・展示する公共空間だ。アルカス土浦内に市民ギャラリーが2017年開館し、展示の機能は備わったが、収集による文化の保全・継承面は十分といえない。かつての土浦では、市民がそうした文化をよく担ってきた。その代表的存在が料亭・霞月楼(土浦市中央、堀越恒夫代表)。本シリーズでは霞月楼に残された地域ゆかりの名品に目を向けていく。 霞月楼 1889(明治22)年創業、130年の歴史を誇る土浦きっての老舗料亭。各時代の政治家、軍人、文化人ら、土浦に降り立つあまたの著名人をもてなした。2代当主の堀越正雄はかつて東京・麹町(現永田町)の星岡茶寮に在籍し、その草創期を支えた名料理人だったという。 往時の土浦の風情を漂わせる 「わかさぎ焼」は土浦出身の日本画家、大川一男が1938(昭和13)年に描いた作品だ。当時の川口町(現川口1丁目)あたりは、霞ケ浦から揚がった新鮮なワカサギを焼き売りにする店が川筋沿いに立ち並び、あぶられた魚の香ばしい匂いが街中に漂っていたという。土浦小唄にある「焼かれながらも二本差し」の風情のまさにそのままだ。 この絵は当初、町内にあったさる薬局の依頼により屏風として描かれたが、一男が戦後になって訪ねてみると薬局はすでになく、尋ね歩くうちに絵だけが霞月楼に保存されていることが分かった。モデルになった女性も後年に霞月楼を訪れており、絵姿は姉さん被りの手ぬぐいのひょうたんの柄まで、当時のものをそのまま写し取っていると話したという。 図案工を経て深水に弟子入り 大川一男は1914(大正3)年、新治郡上大津村(現土浦市田村町)に400年以上続く豪農の長男として生まれた。上大津東尋常高等小学校を卒業後、農業の道に入るも画家への夢は捨てがたく、母校の恩師のとりなしで京都図案協会の研究生となり、西陣織の図案工として才能を発揮し始める。 1930(昭和5)年、京都で開催された帝展を見て、伊東深水の作品に心酔。手紙を送り内弟子となることが許され、東京・大井町の深水画塾で日本画の基礎技術を学ぶ。浮世絵の歌川国芳から月岡芳年、水野年方、鏑木清方、伊東深水と続く系譜を「玄冶店(げんやだな)派」と呼ぶが、一男もその末流に名を連ねたことになる。 1935(昭和10)年、茨城会館開館記念美術展に大川朝勢の画号で「朝霧」を発表し3等賞。これが公募展への初出品で初入選にもなった。 戦後の土浦で農業と絵を両立 戦時には2度にわたる招集を受け、中国戦線を転戦中に終戦を迎えた。1946(昭和21)年6月に復員したが、実家を支えた弟たちはいずれも戦死し、両親や親族の強い要望により家業を継ぐことになる。 一方で絵への情熱も絶やさず、1948(昭和23)年土浦に県南美術協会が発足するといち早く作品を発表。当時土浦近郊に疎開していた浦田正夫の下に通い、小林巣居人や永田春水の知遇も得る。ここに養父清直、鈴木草牛、根本正、片岡巳代子ら地域作家の面々が加わり、巣居人が再興した新興美術院や県展などを舞台に、互いに競い合い精進を重ねていく。 1980(昭和55)年に新興美術院理事、県芸術祭美術展委員、県文化団体連合常任理事に就任。1994(平成6)年には県つくば美術館で画業60年記念展を開催。2001(平成13)年に88歳で亡くなった。 現代美人画、風景画にも名作 一男の作品は、最初の師である伊東深水の薫陶よろしい、伝統的で気品漂う美人画に定評がある。一方で、あでやかな洋装の中に現代女性らしい精神性を感じさせる作品群もあり、広く人気を集めている。 深水からは「過去の様式をなぞった単なる美人画ではなく、自分なりの発見に基づき、個性を大切にした人物画を描くように」という主旨の教えを受け、その後の創作活動の大きな刺激になったという。 戦後は花鳥や風景にも画題を広げた。その代表作が奥入瀬渓谷を描いた「流奏」で、1982(昭和57)年の第32回新興展で文部大臣奨励賞を受賞した。風景画では師と仰ぐ人はなく「農村に暮らし、自然に触発され、気の赴くまま、型にはまらずに描いている」と話している。(文中敬称略) 取材協力・参考資料 ▽茨城県近代美術館▽常陽芸文センター▽大川家▽画集「画業60年記念大川一男展作品集」1994年▽リーフレット「大川一男展」(1996年、芸文ギャラリー)▽1994年9月20日付茨城新聞▽1996年1月14日付産経新聞 シリーズ協賛 土浦ロータリークラブ 土浦中央ロータリークラブ

【オンライン授業奮闘記】教育現場から考える(上)伝え方を模索

【田中めぐみ】新型コロナウイルスの感染拡大に伴う休校により、勤務する中高一貫校で4月からオンラインでのリアルタイム授業が始まった。 学習用端末の普及で実現 土浦市の土浦日本大学中等教育学校で高校生に古文を教えている。文科省のGIGAスクール構想に先駆けて、本校では以前より生徒1人に1台ノートパソコンを支給し授業で活用していたことや、スマートフォンなどの普及で自宅でも情報端末に困らない環境にあることが後押しとなった。 通信ネットワークの問題はどうか。総務省の要請により、4月からドコモ、KDDI、ソフトバンクの携帯キャリアは容量超過後も50GBまで無料、テザリング=メモ=オプションも追加無料となった。自宅にインターネット回線がなくても容量超過を気にすることなく授業が受けられるようになり、こちらもクリアできた。 教材や課題はデジタルデータ化し、学校ホームページやクラウドにアップして共有する。生徒らは自宅のプリンターで印刷して準備し授業に臨む。中にはプリンターを持っていないという生徒もいるが、画面上で教材データを見てノートで解いている。 国語の教科ではどうしても大量の文字を読まなければならない。スマホから接続している生徒も多いため、最初は文字が小さくて見えないのではないかという懸念があり、「見えますか?」という問いかけを頻繁にしていたが、ピンチアウト(画面を拡大する操作)を使い慣れている生徒たちに特に心配はいらなかった。 教材をデジタル化 黒板やホワイトボードに書いたものを映すのでは見えにくいため、今まで板書して説明していたものをデジタル化する必要がある。教材の文章をOCR(印刷された文字をスキャナーやデジタルカメラによって読みとりデジタルデータ化する技術)でデータ化し、文を引用しながら要点を解説するスライドを作った。 だが、スライドではアドリブがきかない。生徒の様子を見ながら説明する順序を変えたり補足したりするのに、板書の方が良い部分もある。 スライドやPDFファイルにそのまま書き込む方法を考え、10年ほど前に買ったペンタブレットを出してきた。書き込みながら説明ができるように設定し、なんとなくの授業スタイルができあがった。 準備に長時間 教科指導におけるICT(情報通信技術)の活用ということが現実味を帯びて議論され始めたのは10年ほど前からではないだろうか。15年前はスマートフォンも普及しておらず、スキャナーやOCRなど電子テキストデータ化の技術も実用に足るレベルではなかった。当時はうまく認識しないソフトや周辺機器と格闘し、一晩費やしたことも一度や二度ではない。 それが今や一瞬だ。スマートフォンの進化にも比例する技術発達の恩恵をひしひしと感じる。新型コロナウイルスの感染拡大がもし15年前に起きていたとしたら、休校になっても泣き寝入りするしかなかったに違いない。 しかし、技術の進歩はあっても授業の準備にはかなり時間がかかる。プリントを印刷する時間が一切無くなったのは良い点だが、体感的に教室で行う授業準備の3~5倍の時間を費やしている。それでいてたくさんの情報を伝えようとすると難しい。通常の授業と同様の内容で一度はスライドを作ったものの、情報量が多くなりすぎていると感じてスライドの枚数を間引くこともあった。 生徒、教師、双方とも慣れていないせいもあるが、現段階ではリアルの教室よりも伝えられることが少なくなっているように感じる。 (続く) ※メモ【テザリング】モバイルデータ通信ができる端末を利用してPC、タブレットなどをインターネットに接続すること。

【高校生インタビュー】土浦初の女性市長㊦ 若い人へのメッセージ

土浦日本大学中等教育学校報道サークルが高校生の視点から、土浦市初の女性市長、安藤真理子氏にインタビューした。最終回の3回目は、高校生へのメッセージをいただいた。[聞き手はいずれも新6年(高校3年)生の坂本恵理さん、石田日菜子さん、笠倉斗真さんの3人、インタビューは3月に行われた] ー先日テレビ番組「緊急SOS! 池の水ぜんぶ抜く大作戦」(テレビ東京)で、土浦城のお堀の清掃を見ました。今後もテレビ取材はありますか。 どうしてああいう取材になったかというと、お正月にテレビを見ていたらあの番組をやっていました。以前から亀城公園でやってもらえないんだろうかって単純に思っていたんですけど、市長になってからテレビを見て「やってもらえないのかなーじゃなくて、これやってもらえるように交渉しよう!」って思って、連絡を取ってもらいました。そしたらロンブーの敦さんがお城好きなんですね。すぐOKくれました。それで来てもらったんです。 私は土浦をどんどんPRしたいんですよ。土浦って歴史と伝統が誇り、宝なんですね。文化があって、土浦には着物屋さんとかお茶の道具屋さんとかもあるんです。それは新しい街にはない。歴史と文化があるという魅力がある。霞ケ浦という宝もあるし、亀城公園はあるし、本当にたくさんの宝があることを発信していきたい。 今年は市制施行80周年に当たり、土浦が市として始まって80年という記念の年です。イベントとしてはNHKの「民謡魂」っていう番組が土浦市民会館にきて放映してくれます。機会を逃さず土浦を発信していきたいですね。 変えたいと思ったら声挙げて ー若い世代とのコミュニケーションについて思うことがありますか。 今年の土浦の成人式は新成人の要望を受け、会場が、各中学校での開催から霞ケ浦文化体育館1カ所での開催に変更されました。皆も何か変えたいと思ったら声を挙げてください。こういう風に「市長に会いたい」と声を挙げることで変わっていくので。 政治ってそういうことだと思うんですよ。(成人式の会場問題では)20歳の子が電話してきました。「市長に会いたい」なんてなかなか言えないことだと思います。その時に思ったのは、これで市長に会えなかったらその年代の子たちは「なんだよ、土浦なんか」って思うと思ったんですね。ちょっとしたことでみなさんが「土浦なんか」って思っちゃうこともあるかもしれない。そういう思いもありました。ちゃんと話を聞く大人もたくさんいるんだと思ってもらいたいです。 やらない後悔より、やって後悔したい ー最後に土浦の高校生にメッセージをお願いします。 皆さん、やりたいことはどんどんやってください。いっぱいやって、そしてその中で自分がやりたいことを見つけていけばいい。土浦の学校に通ってて良かったなと思えるような学校生活を送ってほしいな思っています。それは私たち大人の責任もあります。勉強も遊びも全部がんばって世界を広げてほしいと思う。そして土浦に戻ってきてほしいです。 高校生の時、私は政治の道に進むってこれっぽっちも思っていませんでした。私は高校時代は東京のOLになりたかったので、実際に東京で働きました。当時、つくばで科学万博が開かれることになり、関わりたいと思ってOLを辞めて、万博で働きました。その時は家族に反対されました。なんで東京の大きい会社に勤めているのにそこを辞めるのか、万博は半年間しかないのにって怒られました。けれど私はこんな機会はないって思ってやりました。後悔はしませんでした。私は、やった後悔とやらない後悔では、絶対やって後悔をしたいと思います。やらない後悔ってもっと後悔します。 やりたいこと、今分からなくても当たり前 そして私がいつも思っているのは、夢は強く願えば必ずかなう。これを高校生の皆さんに言いたい。私はそう思っていたし、実際そうなっています。夢を強く持ってください。まだこれからの自分の進路が決まってなくて、何がやりたいか分からないとしても、そんなの当たり前だと思います。興味があることをやっていたらそのうち見つかります。私は介護の仕事をしましたけど、それまでいろんな仕事をしてきて、最終的に自分の仕事は何かと思った時に、自分で介護の仕事を決めました。その時は私の天職だと思ったんです。本当に介護の仕事が好きになった。 議員になったのは45歳の時ですけど、それまで議員になるとは思っていなかったので、20代、30代の人が今自分が何をしたいか分からなくても、もしかしたら政治家になるかもしれないし、全く別の仕事をするかもしれないし。いつも可能性を秘めています。その代わり一生懸命生きてください。全力でやってください。一生懸命生きていればみなさんの夢は必ずかないます。 ー本日はどうもありがとうございました。(おわり)

【高校生インタビュー】土浦初の市長㊥ 市政への思いは

土浦日本大学中等教育学校報道サークルが高校生の視点から、土浦市初の女性市長、安藤真理子氏にインタビューした。2回目は、女性という視点から土浦市政への思いについて聞いた。[聞き手はいずれも新6年(高校3年)生の坂本恵理さん、石田日菜子さん、笠倉斗真さんの3人、インタビューは3月に行われた] ー市長になって変わったことはありますか。 一つは本当に忙しくなったなということ、そして、市長ということで今まで会えなかった方々にも会え、ありがたいです。「おー」と思ったのは、東京都の小池百合子知事から連絡があって、女性市長になったということでお会いしたいと言っていただいて、会いにいったこともありました。 活躍できる環境をつくる ー市長は公約の一つに「子育て支援と女性の活躍の場所づくり」を掲げていれます。今の土浦はまだ女性の活躍の場が少ないと思います。その現状と今後、女性の活躍する場所をどのように見ているのか、子供たちのためにはどう取り組まれるのかを教えてください。 私の時代は、昔ほどではないんですが、生徒会長とかPTA会長とか、長になるのは男性でした。今は全然そんなことはないと思いますが、でも会社でも部長とか、社長とかまだまだ女性が少ない。それは私たちの世代が育ってきた時代の影響もあります。上に立つのは男の人だという風に育ってきた時代の最後の頃、ちょうど私たちの世代は過渡期ですね。一方で女性も活躍し始めました。私が会社をつくったくらいなので。多少は珍しいけれどバッシングはされない、そんな時代です。 でも今も、市役所の部長に女性がいないんですよ。ほんとだったらすぐ女性を部長にしたいと思います。でもやっぱりそのように育ってない年代なので、早く結婚して辞めちゃうとか、子供ができたら辞めちゃうとか、そうではなくて、力があればもうどんどん仕事をしていきましょうよ、部長にも、それこそ市長にも、社長にも、総理大臣にもなりましょうよっていう、そういう環境をつくっていきたいと思っています。 役職に就けばいいということでもないんですが、外に出やすい環境、子供が居るのでなかなか外に出られないとかではなくて、保育園できちっと預かっていただけたり、仕事をしていなくても子供を外出先に連れていけない時、託児所のような所をちゃんと整備しましょうと。そういうことから、女性が働きやすく、そして活躍できる環境を作っていきたいと思っています。 ー今後、子供たちのためにどういったことに取り組まれる予定ですか。 国が幼稚園、保育園の無償化ということで、今、無償で保育園や幼稚園に入れるんですが、まだ0歳、1歳、2歳は対象になっていないんですね。そこを支援して、お金を出すなどの制度をつくっていきたい。それから、小さい子って結構病院にかかるんですよね。それを公費で負担したい。もちろん、県や国の制度もあるんですが、漏れてしまう部分があるんです。例えば高校生が入院する場合、お母さんお父さんの収入によってはお金を払わないといけない方もいるんですが、お子さんがちゃんと大人になるまでは、制度として公に支援しましょうということをやっていきたいと思います。 あるいは、今だんだん民間の幼稚園、保育園が増えてきて、土浦市は全部民間にしようって進んできたんですけれども、私としては公立の役割が必要だなと思っているんですね。生活するのに大変なおうちのお子さんとか、みんなと一緒に生活するのが難しいお子さんもいる。そういうお子さんは、公として支援していかなければならないと思うので、手厚くしていきたいなと思っています。 土浦でよかったと思ってほしい ー土浦駅前に図書館ができ、駅ビルがリニューアルされました。これから土浦の高校生のために取り組もうとされていることはありますか。 土浦市には高校が10校(※編注)あって、県内では水戸市に次いで2番目。本当にたくさん高校があり、土浦は高校生がいっぱいいる市なんです。(市内すべての高校が集結するイベントの)「学祭TSUCHIURA」では10校が集まって文化祭のようなことをしていただきました。 実は今年、市外の高校からも参加させてって言われました。それはいいことじゃないの、土浦発信で参加したいって思ってもらえるようなイベントにしましょう、ってことで、今後もどんどん広げていこうって話をしています。やはり土浦が高校生に優しい街だということ、高校生の希望や「こういうことがあったらいいな」という話を聞いて、学祭などをきっかけに、市に対していろいろ言ってほしいなって思うんです。 若い人たちに土浦の学校でよかったよ、土浦で勉強できてよかったよって思ってほしいんです。私は皆に日本中へ、世界へ羽ばたいてもらいたいと思うんですよ。土浦だけじゃなくて、いろんなところで活躍してもらいたい。でも例えば結婚したり、子供ができたり、あるいは定年退職する時に、ああ、土浦で結婚生活送りたいな、土浦で子育てしたいな、土浦で最期を迎えたいなって思ってほしいんですね。 土浦で遊ぼうとかデートしようとか、そう思ってもらえるような街にしたい。じゃあどうしたらいいか。皆さんが「こんな街にしてください、市長さん」って、どんどん言ってほしいなと思うし、皆、土浦に帰ってきてほしい。だからみんなどんどん言ってください。(㊦につづく) (※編注)県立の土浦一、土浦二、土浦三、土浦工、土浦湖北、土浦特別支援と私立の土浦日大、土浦日大中等教育、常総学院、つくば国際大の各校。ことし8月1日に開く予定だった「学祭TSUCHIURA2020」は中止が決まった。

【高校生インタビュー】土浦初の女性市長㊤ どんな経験をしてきたか

土浦市に初の女性市長が昨年11月、誕生した。どのような経験をして市長になったのか、どのような思いを持って市政に取り組んでいるのか。土浦日本大学中等教育学校報道サークルの生徒が安藤真理子土浦市長を訪ね、高校生の視点でインタビューした。[聞き手はいずれも新6年(高校3年)生の坂本恵理さん、石田日菜子さん、笠倉斗真さんの3人、インタビューは3月に行われた] ー安藤市長はどんな高校生でしたか。高校生の頃から政治のことに興味があったのですか。 特に興味があったということではないんですが、5歳の時から40年間、父(故・井坂信之氏)が市議会議員をやっていて、物心ついた時からそういう家族だったので、選挙が身近だったり、いろんな方が「こういうこと困っているんだよ」と家に来たので、そういうときにお茶出しをしたりしていました。そういう環境だったので、子供の時から意識しなくてもそれが普通という感じでいました。 愚痴ってもしょうがない、自分でもの申す ー政治の仕事に就こうと決めたのはいつですか。 2007年です。13年くらい前ですね。市議会議員になろうと思いました。結婚して子供が生まれて、子育てをする専業主婦だったんです。当時は、子供が小学生くらいになったらパートでお仕事しようかと軽い気持ちで思っていたんですが、小さい子供がいるので就職もなかなかできなかった。 きちっと仕事をしたいと思ったんですが、なかなか就職できないので、これは私みたいな人もたくさんいるだろう、そういう人が働きやすい職場をつくろうと思って、自分で会社をつくったんですね。その時は私と社員2人の計3人。介護の小さい会社をつくりました。 当時は介護保険制度ができたばかりで、新しい制度だから、いろいろな問題がありました。小さい会社ですけど社員が集まると「この制度のここが良くないよね」とかいろいろ愚痴が出ました。そういう時に「ここでしゃべっていてもしょうがない。どうにかしなきゃいけない。これは国の制度なので国にもの申すしかない」と思いました。 私たちのような者がどうしたらいいんだろうと思った時に、市議会議員をやっていた父が高齢のため引退することになったんですね。介護保険とかそういう大きな問題をどうするか、政治の力を使うしかないと思って、ちょうど父が引退するタイミングと合ったんですけれど、私が市議会議員になって、いろいろなことを市、県、国にもの申していきたいと思ったのがきっかけです。 ー今までの政治家生活の中で苦労したこと、うれしかったことは何ですか。政治家のやりがいはどこにありますか。 ぱっと思いつくのはうれしかったことです。皆さんも町を歩いていたり、生活をしていて「もっとこうしたらいいのに」と思うこと、あるじゃないですか。政治をやっていると、いろいろな方から「これをこうしてほしい」「こうしたらどうか」という提案をもらったり、「困っている」という相談があります。私たちはそれを「なんとかしてくださいよ」「こうしましょうよ」とやっていくんですが、全部聞いてもらえるわけではない。でも、ほんとにそれは大事だねって市や県や国が思ってくれて、私が提案したことが実現して、そしてそれを喜んでくれるのは本当にうれしいことです。 苦労したこと、困ったことは、何度足を運んでも聞いてくれなかったり、いろいろな相談を受けて「私もそうだな、本当に変えてもらわなきゃ」って思うことが、何をしても変わらないとか、解決しないというのは、本当に苦労ですね。 でも政治家としてのやりがいは、自分の提案で街が変わっていく、本当に困っている人たちが「このことをお願いしたら変わった」と言ってくれる、そういうことがあるとやりがいを感じます。市民の声が届くことが、やはりよかったなあと思うことですね。 私しかいない、注目される ー土浦市初の女性市長ということですが、女性と男性で違いがあると考えますか。男性市長ではできないことは具体的に何かありますか。 男性市長じゃなきゃできないこと、女性市長しかできないことっていうのは基本的にはないと思うんです。ただ、女性の目線じゃないと気付かないことがあると思うんです。私は女性で、母でもあり、子供もいて、女性として働いてきたという視点から、男の人が気が付かないことに気づきます。 具体的に言うと、災害の時、男性が長であると指示、命令は男性の目線ですよね。だけど、細かいことですけど、小さい子をお風呂に入れるにはどうしたらいいか、そのための設備が必要になりますよねとか、女性特有のニーズとかあるじゃないですか。男性はおそらく気が付かないですよね。そういうことも細かい視点でみてあげられます。 子育てに関しても、ただ制度をつくればよいのではなく、例えば、市役所1階に、お母さんが子供連れで来た時に使える遊びのスペースというのがあるんですよ。それを見て「これ?」と思っちゃったんですよね。多分男の人は気付かない。女性として母として「もうちょっと明るく、子どもたちが喜ぶようなものをここへ置かなきゃだめじゃない」って思いました。遊びのスペースもこれから変わります。 ー初の女性市長ということで、周りの印象的な反応はありましたか。 茨城県には44人の市町村長がいますけれども、今、女性市長は私しかいない。どういうことしてくれるんだろうっていう期待もあるし、単純に、何やるの?というような、興味もあると思います。多分、男性市長と同じことを女性市長がやったとしても注目はされると思います。結構取材もされます。土浦をPRしたいので、取材してもらえると土浦が広く発信できてありがたく思っています。(㊥に続く)

平日昼間も外出自粛を 5月6日まで、県南など10市町対象 新型コロナ

【鈴木宏子】新型コロナウイルスの感染拡大により緊急事態宣言が発令されたのを受けて、大井川和彦知事は8日、東京などとの行き来が多いつくば、土浦市など10市町の住民を対象に、5月6日まで、平日昼間も不要不急の外出を自粛するよう要請した。 茨城県は緊急事態宣言の対象地域ではないが、対象地域の東京都、千葉、埼玉県と近接し通勤などでの移動が多いことから要請した。 知事は2日時点で県内の感染者発生状況から、平日夜間と週末の不要不急の外出自粛を10日まで実施するよう求めていた。緊急事態宣言を受けて、平日昼間の外出自粛要請を加え、期間も5月6日まで延長する。 10市町の企業など事業者に対しては、社会機能を維持するために必要な職種を除いて、テレワークなどを活用し自宅で仕事を行うよう求めている。10市町に住んでいる県職員もなるべくテレワークで仕事をするようにするという。 県立高校生に対しては、10市町から10市町以外に通学している場合は、通学を自粛するよう求めた。自宅で学習できる体制を用意するとしている。 8日の知事の要請を受けて、19日まで臨時休校としていたつくば、土浦市の小中学校も、休校期間の見直しを改めて検討するとみられる。 帰省させないで 大井川知事はさらに、東京などからの家族の帰省について、常陸太田市では子供を実家に呼び寄せ、感染していたことが分かり、大変な事態になっているとして、東京や千葉、埼玉などの緊急事態宣言の対象地域から、家族を県内に帰省させたり、呼び寄せないよう要請した。 やむを得ず帰省した場合は、家族との接触を極力避けて14日間、自宅待機させるよう求めた。 独自の経済対策を上乗せ 一方、経済対策について、観光や飲食などの業種が大変困難な状況に陥っているとして、県議会臨時議会を4月下旬に招集し県独自の上乗せを実施すると表明した。 従業員を解雇しない企業に10分の9を助成する国の雇用調整助成金について、残り10分の1を県が上乗せして助成するほか、小規模事業者や個人事業主が公的融資や民間金融機関からの借り入れが困難な場合、県として有利な形での長期融資を検討するとしている。 さらに8日、深刻な影響を受けている中小企業や個人事業主を対象にワンストップの相談窓口を開設したほか、内定取り消しや雇い止めにあった人の早期就職を支援する特別支援窓口を開設した。 ◆中小企業や個人事業主のワンストップ窓口「新型コロナウイルス感染症中小企業支援対策室」▽場所=県庁16階・産業戦略部会議室内▽業務=国や県の融資・助成制度に関する相談や紹介▽相談時間=午前9時~午後5時、土日祝日はメールで受け付ける▽電話029-301-2869、メールshosei3@pref.ibaraki.lg.jp ◆内定取り消しや雇い止めにあった人の特別相談窓口「就職支援センター内定取消者支援窓口」▽県南地域の場所=県南地区就職支援センター▽相談時間=平日午前9時~午後4時▽電話029-825-3410▽詳しくは就職支援センターホームページ ※新たに平日昼間の不要不急の外出自粛を要請した10市町はつくば、土浦、つくばみらい、守谷、阿見、牛久、龍ケ崎、取手、神栖、古河

一転、5月6日まで休校 県南の県立高校 新型コロナ

6日新学期が始まった県立高校について、大井川和彦知事は同日、東京への通勤者が多いつくば、土浦市などの県立高校や中等教育学校を、ゴールデンウイークが終わる5月6日まで臨時休校にすると発表した。 3日時点で大井川知事は、県内の新型コロナウイルス感染者の発生状況から感染の連鎖を止められているとして、県立高校は6日から通常通り再開するとしていた。しかし新学期スタート初日に方針を見直す。東京との交流人口が多いことから県が「感染拡大要注意市町村」に指定した、つくばエクスプレス(TX)や県南の常磐線沿線など10市町に立地する県立高校32校をさらに1カ月間、臨時休校とする。 7日は通常通り入学式を実施し、8日からゴールデンウイーク明けまで臨時休校となる。 大井川知事は方針を一転させた理由について、3日の発表後、インターネットやその他で心配する声が大変多く寄せられたとし「恐怖心、心配、不安が強い中でこれ以上無理に学校を再開しても、逆に不安な心理の中で通常の学校生活が送れないのではないか」と判断したと説明した。 TX沿線や県南の常磐線沿線市町の住民に3日、平日夜間と週末の外出自粛を呼び掛けたことに触れ「予防的な措置として外出自粛を要請したが、それが引き金となって不安感が増して休校を求める声が多くなっていった」とし「不安な心理の中で学校を続けることはマイナスの方が大きい」とした。 休校期間については夏休みを短縮することで取り戻すことを検討しているという。 さらに、ゴールデンウイーク明けに学校を再開した後も、感染予防のため登校したくないという理由で自主的に休む生徒を欠席扱いとしない。休む生徒には、学校が学習課題を提示し、学習状況を確認しながら家庭での学習ができる体制を整える。インターネットを通じた授業の配信などを含め対応策を検討していくという。 一方、特別支援学校は、感染するとリスクが高くなる児童・生徒がいるため、全県の23校を5月連休明けまですでに休校としている。

県立高は通常通り6日再開 つくば、土浦は夜間・週末の外出自粛要請 新型コロナで県

大井川和彦知事は2日、新型コロナウイルスの県内の現在の発生状況から、クラスター(小規模な感染者集団)は発生しているが感染の連鎖は止められているとして、県立高校は来週6日から通常通り学校活動を再開すると発表した。 一方、東京など首都圏から感染が入ってくることが脅威になっているとして、つくばや土浦市などつくばエクスプレス(TX)と常磐線沿線などの9市町に対して10日まで、平日の夜間と週末の不要不急の外出自粛を要請した。 つくば市内で発生したクラスターの一つで、計6人の感染者が出た筑波記念病院と社交ダンススクールについては、濃厚接触者73人を調査し5人が陽性、68人が陰性だったとした。イタリアから帰国したダンス講師から感染したのではなく、東京で開かれたイベントに参加した社交ダンス関係者が最初に感染してクラスターを形成したとみられるという。 計10人の感染が分かった介護老人保健施設アレーテルつくばは、濃厚接触者66人を調査し、9人が陽性、57人が陰性だった。施設職員が東京に行った際に感染したとみられるという。 学校の再開については咳エチケットやこまめな手洗いなど感染症対策を十分に実施した上で、始業式は基本6日、入学式は7日に実施する。部活動も感染症対策を十分に行って実施するとしている。 つくば市は市施設を休館に 平日夜間と週末 平日夜間と週末の外出自粛要請を受け、つくば市は、各地区の交流センターや図書館、体育施設、ノバホール、カピオなど市の施設を、10日までの平日夜間と週末の4、5日に休館とすると発表した。市役所の市民窓口は4日と5日開庁する。 ➡新型コロナウイルスの関連記事はこちら

《食とエトセトラ》1 温故知新 ご飯の炊き方

【コラム・吉田礼子】「食は母系で伝わる」と言ったら、今どき、古臭いと一蹴されてしまうでしょうか? あなたにとってお袋の味は何? と聞かれたら、何を思いうかべるでしょうか? 卵焼き、味噌汁、ご飯おにぎり、コロッケ、カレー、ポテトサラダ? 昭和30年代までに生まれた人だったら、思い当たるのではないでしょうか。 美味しい思い出とともに、若いころの母や兄弟姉妹の姿が蘇(よみがえ)る。今振りかえると、自分の味覚はこのころ形成されたと感じている。母が料理する姿を見ていると、こちらも楽しかった。そのうち自分でもしたくなり、母に頼んで手伝う。先ずはお米のとぎ方から。 見ているときと違って、1升の米をとぐのは大変なこと。水は冷たく、羽釜(はがま)は重たく、米粒をこぼさないよう神経を集中する。竹ザルに上げ、シャッシャッと水を切る。斜めにするとさらに水が出る。15~30分、布巾(ふきん)をかけて上げておく。この状態でも浸水時間は進んでいる。 初めチョロチョロ、中パッパッ… いよいよ炊飯。初めチョロチョロ、中パッパ、ブツブツ言うころ火を引いて、赤子(あかご)泣くとも蓋(ふた)とるな―。この歌、聞いたことがあると思いますが、蓋を開けないで、釜の中の状態を判断する先人の知恵に脱帽です。 初めチョロチョロは火加減のこと。強めの中火で釜の中の水が沸騰して、中の圧力が最高点まで高まり、隙間から蒸気が徐々に出てきます。蒸気が上に向かい勢いも強くなり、泡が出て噴きこぼれそうなら、圧力は最高点でブツブツ。 そこで一番弱い火加減にし、五合ぐらいで15分、赤子がせがんでも我慢。15分経ったら、一度強火にして、20ぐらい心の中で数える。耳を澄ますとチリチリ音が聞こえ、美味しいおこげができている。火を止め15分蒸らし、蓋を開ける。蓋は釜の上で立てず、水平に動かして外で立てる。 ご飯粒が立って、瑞々(みずみず)しくピカピカ光っている。周りをシャモジで回し、上下にかきまぜ、お櫃(ひつ)か飯台(はんだい)に空けて蓋をする。余分な水分を木が吸ってくれ、パリッと旨味と甘みが増す。 和食はユネスコの無形文化遺産 2013年、和食がユネスコの無形文化遺産に認定さました。和食が評価されたのは以下の点です。 ▽多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重:国土が南北に長く、海、山、里に多種多様な食材を有する ▽栄養バランスに優れた健康的な食生活:一汁三菜を基本とした理想的な栄養バランス、旨味を上手に使いヘルシーな食生活が長寿の秘訣 ▽自然の美しさや季節の移ろいの表現:四季折々の花や葉を飾って料理して、季節感を楽しんでいる ▽年中行事との密接な関わり:正月などの年中行事と食文化が密接に関わり、また食の時間が家族や地域の絆を深めた お料理も欧米型、調理法も簡便な方が求められている昨今、先人の知恵を学び、和食を次世代につなげていきたい。和食を通じて、年中行事、家庭や地域の絆も大切にしていきたい。(料理教室主宰) 【よしだ・れいこ】東北学院大文学部史学科卒。子どものころから母が料理する姿に触れ、料理の先生に憧れる。「台所は実験室」をモットーに独学。50歳を前に、全国料理学校協会所属の児玉久美子先生に師事。2008年、土浦市に吉田料理教室を開校。1953年、宮城県生まれ。土浦市在住。  

《食とエトセトラ》1 温故知新 ご飯の炊き方

【コラム・吉田礼子】「食は母系で伝わる」と言ったら、今どき、古臭いと一蹴されてしまうでしょうか? あなたにとってお袋の味は何? と聞かれたら、何を思いうかべるでしょうか? 卵焼き、味噌汁、ご飯おにぎり、コロッケ、カレー、ポテトサラダ? 昭和30年代までに生まれた人だったら、思い当たるのではないでしょうか。 美味しい思い出とともに、若いころの母や兄弟姉妹の姿が蘇(よみがえ)る。今振りかえると、自分の味覚はこのころ形成されたと感じている。母が料理する姿を見ていると、こちらも楽しかった。そのうち自分でもしたくなり、母に頼んで手伝う。先ずはお米のとぎ方から。 見ているときと違って、1升の米をとぐのは大変なこと。水は冷たく、羽釜(はがま)は重たく、米粒をこぼさないよう神経を集中する。竹ザルに上げ、シャッシャッと水を切る。斜めにするとさらに水が出る。15~30分、布巾(ふきん)をかけて上げておく。この状態でも浸水時間は進んでいる。 初めチョロチョロ、中パッパッ… いよいよ炊飯。初めチョロチョロ、中パッパ、ブツブツ言うころ火を引いて、赤子(あかご)泣くとも蓋(ふた)とるな―。この歌、聞いたことがあると思いますが、蓋を開けないで、釜の中の状態を判断する先人の知恵に脱帽です。 初めチョロチョロは火加減のこと。強めの中火で釜の中の水が沸騰して、中の圧力が最高点まで高まり、隙間から蒸気が徐々に出てきます。蒸気が上に向かい勢いも強くなり、泡が出て噴きこぼれそうなら、圧力は最高点でブツブツ。 そこで一番弱い火加減にし、五合ぐらいで15分、赤子がせがんでも我慢。15分経ったら、一度強火にして、20ぐらい心の中で数える。耳を澄ますとチリチリ音が聞こえ、美味しいおこげができている。火を止め15分蒸らし、蓋を開ける。蓋は釜の上で立てず、水平に動かして外で立てる。 ご飯粒が立って、瑞々(みずみず)しくピカピカ光っている。周りをシャモジで回し、上下にかきまぜ、お櫃(ひつ)か飯台(はんだい)に空けて蓋をする。余分な水分を木が吸ってくれ、パリッと旨味と甘みが増す。 和食はユネスコの無形文化遺産 2013年、和食がユネスコの無形文化遺産に認定さました。和食が評価されたのは以下の点です。 ▽多様で新鮮な食材とその持ち味の尊重:国土が南北に長く、海、山、里に多種多様な食材を有する ▽栄養バランスに優れた健康的な食生活:一汁三菜を基本とした理想的な栄養バランス、旨味を上手に使いヘルシーな食生活が長寿の秘訣 ▽自然の美しさや季節の移ろいの表現:四季折々の花や葉を飾って料理して、季節感を楽しんでいる ▽年中行事との密接な関わり:正月などの年中行事と食文化が密接に関わり、また食の時間が家族や地域の絆を深めた お料理も欧米型、調理法も簡便な方が求められている昨今、先人の知恵を学び、和食を次世代につなげていきたい。和食を通じて、年中行事、家庭や地域の絆も大切にしていきたい。(料理教室主宰) 【よしだ・れいこ】東北学院大文学部史学科卒。子どものころから母が料理する姿に触れ、料理の先生に憧れる。「台所は実験室」をモットーに独学。50歳を前に、全国料理学校協会所属の児玉久美子先生に師事。2008年、土浦市に吉田料理教室を開校。1953年、宮城県生まれ。土浦市在住。  

MCの小村悦子さん 臨時休校の小学生にラジオ出演の思い出プレゼント

https://www.youtube.com/watch?v=rOjbKhm1tlg 【伊藤 悦子】 27日放映された土浦市のインターネットテレビ、VチャンネルいばらきNEWSつくばチャンネルは、フリーアナウンサーの小村悦子さんをゲストに招いた。小村さんは、自身がMCを務めるつくば市のコミュニティラジオ、ラヂオつくばの番組で、小学生にアシスタントパーソナリテーを務めてもらう企画に取り組んだ。小村さんに話を聞いた。 小村さんがキャスターを務めるラジオ番組「つくば You’ve got 84.2(発信chu)!(つくば ゆうがたはっしんちゅう)」に、23日つくば市内の小学生2人がアシスタントパーソナリティーとして生出演した。これは新型コロナウイルス感染予防のため臨時休校中の小学生に思い出を、と小村さんが企画・募集した。 小村さんは2月ごろからイベントが次々と中止になっていることや、新型コロナウイルスに対する得体のしれない怖さを感じていたが、必要以上に暗くならないよう心掛け、何かできることはないかと考えていた。 そこで、以前、小村さんに憧れているという小学生の女の子をアシスタントパーソナリティーとしてラジオに招き、大変喜んでもらったこと思い出した。また突然の休校に卒業式も卒業制作もできなくなって、がっかりしている小学6年生の記事を新聞で読み、臨時休校中の小学生にラジオに出てもらうことで「いい春だった、楽しかった」と思ってもらえたらいいなと思い付いたと話す。 「途中で投げ出さない」など約束事を記載してSNSなどで募集、応募してきたつくば市内の小学4年生の女の子、5年生の男の子の出演が実現した。 最初は少し心配したが、2人ともしっかり取り組んでくれたという。途中で話す内容を増やしたが、きちんと対応でき、最後は深々と頭を下げて、お礼を言ってくれたことがうれしかったと振り返った。 今後も長期休暇の際に募集する可能性があることや、新学期も学校の状況によっては、放課後の時間に出演してもらうかも、と笑顔で語った。今後、小学生のアシスタントパーソナリティーを募集する際は、小村さんのツイッターやフェイスブック、番組放送中で告知する。

桜は満開 人垣できず静かな花見 土浦、つくば

【鈴木宏子】土浦、つくばで28日、桜が満開になった。例年なら桜の名所は満開を迎える週末、多く花見客でにぎわうが、28日はほとんどの名所で人垣ができず、マスクをして静かに花見をする家族連れなどが見られた。 都の外出自粛で花見気分無くなった? 名所の一つ、土浦市城北町の新川で同日、手漕ぎの花見貸しボートを出したラクスマリーナの秋元昭臣専務は「28日は天気がよくなかったこともあるが、新型コロナウイルスの関係で東京都が不要不急の外出自粛を要請しているので、県民も花見に出歩く気分で無くなったのかもしれない」と話す。桜の季節はフナなどが産卵のため浅い支流に上ってくる「のっこみ」と重なり、新川は例年、釣り人も多いが、この日は釣りをする人の姿も少なかった。 亀城公園、乙戸沼公園、桜川堤、新川堤など市内にたくさんの桜の名所がある土浦市では今年初めて、生田町付近の桜川堤と城北町付近の新川堤で歩行者天国を実施したが、28日の花見客は例年ほどではなかった。同市観光協会は「天気が雨模様だったのが一番(の原因)。新型コロナと両方ある」と話す。29日は悪天候のため歩行者天国は実施しない。 同市中村西根の乙戸沼公園は桜の下で飲食ができる公園だ。例年なら、園内の芝生に花見客のシートが所狭しと並び、露店が立ち並ぶ。今年は新型コロナウイルスの感染拡大防止のため宴会や露店を規制した。来園者はマスクなどをして写真を撮ったり公園内を散策、花見の様子は例年と様変わりした。 同市真鍋、市立真鍋小学校の真鍋の桜は樹齢100年を超え天然記念物に指定されている。例年、地元住民や卒業生らが集まって手作りのイベント「真鍋の桜を楽しむ集い」を開催し桜をめでるが、今年は新型コロナウイルス感染拡大防止のため集いを中止した。今年はさらに一般車の立ち入りを規制したこともあって人影はまばらだった。 つくば市の桜の名所、筑波農林研究団地のさくら通り(同市観音台)は約1.5キロにわたってソメイヨシノや八重桜、山桜など500本の桜並木が続く。28日午前は、多くの花見客でにぎわい、通りを散策したり写真撮影する姿が目立った。 筑波山麓の北条大池(同市北条)の周囲では250本以上のソメイヨシノが満開となったが、花見客は例年ほどではなかった。 ➡桜の過去記事「読者発マイ桜」はこちら、「桜花爛漫」はこちら

《吾妻カガミ》77 「今、つくばが面白い」 水戸で市民講座

【コラム・坂本栄】水戸市教育委員会の「みと好文カレッジ」主催で、「今、つくばが面白い」というタイトルの市民講座が開かれました。昨年12月から今年2月にかけて、旧内原町の市民センターで開かれた全3回の講座には、私と、Tsukuba International School(TIS)校長のShaney Crawford(シェイニー・クロフォード)さん、脚本家の冠木新市さんが出かけ、学園都市のいろいろな顔について話してきました。 この講座、好文カレッジの企画アドバイザーをしている金沢正巳さん(元水戸商業高校校長、元茨城県南生涯学習センター所長)から、こういった趣旨で市民講座を開きたいので講師を選んでくれないかと相談され、私がアレンジしたものです。 つくばをタテ・ヨコ・ナナメから見てもらおうと、総論「ネット新聞を通して見る 学園都市つくばの面白さ」(坂本、12月8日)、国際「インターナショナルスクールの校長から見たつくば」(シェイニーさん、1月19日)、文化「野口雨情からのメッセージ 筑波小唄と筑波節の謎を解く」(冠木さん、2月9日)の3本立てにしました。 2月末に事務局から送られてきた来場者の感想集によると、水戸の皆さんの評価は上々だったようです。以下、講座のポイントと来場者の感想を紹介します。 「つくば、土浦が茨城の中心になる」 私は、本サイトのピーアールも兼ねて、記事やコラムをスクリーンに映し出し、つくばには国際性と田舎気分が同居(山林を切り拓いた新興都市)、TX開通でまちが激変(中心が研究学園駅にシフト、小中学校が不足)、核となる筑波大学の存在感(地域の医療環境は茨城離れ)―などについて話しました。 また、土浦市との合併が実現していれば、県のヘソは県央から県南に移っていたと、「県都民」のプライドを刺激したところ、「今後は間違いなく、つくば、土浦が茨城の中心になる」といった感想のほか、「県南との交流会はこれからも必要。『NEWSみと』の立ち上げも必要では」とのコメントもありましたので、私の役割は果たせたかなと思います。 インターナショナルスクールもあります シェイニーさんの講義スタイルには、皆さん驚いたようです。パソコンとスクリーンを活用し、講師の問いかけに聴き手のスマホで答えてもらう、「双方向」だったからです。「こういった講義のテクニックが(外国人には)身についているようです」との感想もありました。講義のあらましは「『違いの価値観を理解する』 シェイニー先生、水戸へ出前授業」(2月20日掲載)をご覧ください。 平地林の中にあるTsukuba International School は、幼稚園児から高校生まで約260人が通う、英語で教える学校です。日本人の子弟も受け入れていますが、つくばの外国人比率の高さ(4.2パーセント、全国平均1.7パーセント)を考えると、学園都市に似合う施設と言えます。 「雨情の童謡や民謡が作られた時代背景や人間関係などを話していただき、歌の味わいを深くすることができました」。冠木さんの話にはこういったコメントがありました。話のポイントについては「筑波小唄と筑波節は2つで1つ」(2019年8月11日掲載)をご覧ください。雨情が県北出身ということもあり、水戸の皆さんの思い入れは格別でした。(NEWSつくば理事長) ➡坂本栄の過去のコラムはこちら

【新型コロナ】土浦で臨時休校始まる 高校入試も緊張高め

新型コロナウイルスの全国的な感染拡大を防ぐため、土浦市の公立小中学校で4日、臨時休校が始まった。同日、県立高校入試が予定通り行われ、マスク着用の受験生が試験に臨んだ。 登校は8%、真鍋小 【鈴木宏子】市立真鍋小学校(土浦市真鍋、小林知永校長、児童数838人)では1~4年生69人が登校し自主学習をした。 初日に登校したのは全校児童の約8%。保護者が共働きなどで日ごろ放課後児童クラブを利用している175人のうち4割で、5、6年生の登校は無かった。 自主登校する児童は、朝、体温を測定し熱がないことを確認する、保護者が送迎する、弁当を持参するなどが必要になる。同校では「(児童クラブ利用者のうち登校しなかった児童は)子どもの面倒を見てくれる祖父母や親戚などが見つかったのかもしれない」と話す。 登校した子供たちは全員がマスクをして、学年ごとに十数人が特別教室などに集まり、友達と間隔を空けて席にすわり、持ってきた漢字ドリルや計算ドリルなどを広げて自主学習した。 子供たちが飽きないようにと、クラスごとにローテーションを組み、図書館を利用したり、校庭で遊んだりする時間も設けられた。 休み時間の10分間は窓を開けて教室を換気、図書館に行ったり、校庭で遊んで教室に戻ってきたときは必ず手洗いをするなどの対策も徹底された。品薄のため店頭でマスクが購入できなかった児童にはマスクが用意された。 小林校長は「休校の間、子供たちには健康に十分に気を付けて、卒業式や修了式で元気な姿を見せてもらえたら」と話していた。 9日からは放課後児童クラブを利用してない希望者も受け入れるため、自主登校する児童は増えるとみられる。 マスクし約450人が受験 【相澤冬樹】県立高校入試の4日、土浦一高(土浦市真鍋、植木邦夫校長)では全日制、定時制合わせ約450人が受験した。 試験に先立ち受験生全員が体育館に集められ、注意事項の説明を受けた。マスクを持参できなかった受験生も少数いたが、改めて支給され全員が着用して話を聞いた。携帯電話の持ち込みなどをチェックする手続きだが、例年と異なり椅子席が用意され着席で行った。受験生同士が近づき過ぎるのを避けるための配慮という。 同高は21年度から中高一貫校になるため、これだけの人数を集める最後の受験機会となった。

《宍塚の里山》57 大井川知事との対話集会①

【コラム・及川ひろみ】新しい茨城づくりと銘打ち、大井川和彦知事が県民の活動する現場へ出向き、現場を見て、県民との本音の議論を通し、「新しい茨城づくり」の理念を共有する対話集会の第8回目が、2月20日、当会メンバーとの集会として上高津貝塚資料館で行われました。 これまでは、第1回=大洗町の新たな観光資源の発掘について、第2回=県北地域の若手経営者育成グループと、第3回=大子町の農業従事者と、第4回=(一社)茨城研究開発型企業交流協会と、第5回=(一社)アントラーズホームタウンDMOと、第6回=茨城をeスポーツのメッカにするテーマで、第7回=「中心市街地の活性化」について結いプロジェクトメンバーと―でしたが、環境問題は初めてとのことでした。 今回は20数名のオブザーバーが見つめる中、10名が発言しました。県の担当者から、対話集会は陳情の場ではないという説明もあり、説明は協力のお願いにとどめました。まずパワーポイントで、宍塚の自然環境、歴史的な環境特性について解説。そのあと、会の活動を保全活動と里山活用に分け、10名の会員がそれぞれの思いや課題などについて述べました。 「小学生のころはカブト虫取りに興じた」 日本における里山の重要性が世界共通の課題であることに触れる中で、宍塚の里山の重要性、宍塚の里山の特筆すべき価値については、農研機構・農村工学研究部門の上級研究員であり、「自然農田んぼ塾」塾長、「田んぼの学校」校長でもある、嶺田拓也さんから説明がありました。 また、保全活動を行う前にすべき調査活動の担当者から、どのような調査が行われ、その調査によってわかる自然の変化について、説明がありました。 それを受け、さまざまな里山における保全活動の内容、活動はできることを楽しく継続すること、保全への理解を深め参加者を増やすことが課題―などについての説明もありました。さらに、地元との協働による田んぼ活動、休耕地をハス田に再生する活動についての説明がありました。 最後に、これまでの説明への感想を知事に向けると、知事は小学生のころ、土浦市板谷に育ち、周りには明るい里山が広がり、カブト虫などの虫取りに興じたこと、さらに、そんな里山が荒れ果て、開発によって変貌した現状についても話があり、知事の環境に関する土壌が幼いころの経験にあることが伝わってきました。(宍塚の自然と歴史の会代表) ➡及川ひろみさんの過去のコラムはこちら

「土浦のひなまつり」を子供たちの歌声で盛り上げたい 前野呉服店社長

https://www.youtube.com/watch?v=vIx5avpD8o0 【伊藤 悦子】21日放映の土浦のインターネットテレビ「Vチャンネルいばらき」NEWSつくばチャンネルは、前野呉服店(土浦市中央)代表取締役、前野有里さんを招いて話を聞いた。 「土浦のひなまつり」期間中、街に「うれしいひなまつり」を歌う土浦小学校(同市中央)の児童たちの歌声が流れている。企画したのは、前野さん。思いついたきっかけや、録音に行ったときの児童たちの様子などをインタビューした。 問い合わせは前野呉服店(電話:029-821-0452) ➡「街なかに流れる児童の歌声 土浦のひなまつり」の記事はこちら ➡VチャンネルいばらきNEWSつくばチャンネルの過去記事はこちら

街なかに流れる児童の歌声 土浦のひなまつり

【伊藤悦子】第16回土浦の雛(ひな)まつりが始まっている土浦市の街なかに、「うれしいひなまつり」の歌声が流れている。歌ったり演奏したりしているのは、市立土浦小学校(同市大手町、小島勝則校長、620人)の児童たちだ。 この企画を考えたのは前野呉服店(同市中央)の代表取締役、前野有里さん。「ひなまつりを音楽で盛り上げられないか」と思い立ったのがきっかけだ。「ただ音楽を流すだけではなく、地元の子供の歌声がいいのでは」と考え、土浦小の児童たちに歌ってもらえないかと同校の教員に相談したという. 小島校長はこの提案を快諾。「前野さんからは、上手に歌うというより微笑ましい感じの歌声が欲しいと聞いた。そこで低学年の1年生と2年生の各3クラスの児童たちに歌ってもらうことにした」と話す。 日課プログラムである「朝の会」を利用して、児童たちは1月から2週間程度練習を行った。また同小のクラブ活動である環(たまき)合唱団も歌い、金管バンドクラブに演奏も依頼した。前野さんが同小を訪れてCDに録音した。歌う前に児童たちがクラス名を言っているので、聞いた本人や家族がわかるようになっている。 小島校長は「自分たちの歌声を聴きながら、下校する児童がたくさんいる。またひなまつりに連れていってほしいと保護者と出かけている児童もいる。地元の行事に自分たちが参加しているという意識が出て、将来の地元活性化の核にもなるのでは」と話す。 前野さんも土浦小の出身。小さい頃の楽しい思い出がたくさんあるという。「土浦のひなまつりで歌ったことが、子供たちの思い出になってほしい。街を訪れる皆さんにも子供たちの歌声をぜひ聞いていただきたい」と話す。 児童の歌声や演奏は、3月3日までのひなまつり期間中、土浦駅西口ペデストリアンデッキ、土浦駅プレイアトレ土浦2階「ナナイロ」のキッズスペース周辺、まちなか交流ステーションほっとone(土浦市川口)などで聞くことができる。問い合わせは前野呉服店(電話:029-821-0452)

《吾妻カガミ》75 土浦一高「中高一貫」 近く説明会

【コラム・坂本栄】本サイトの過去記事のうちどれが読まれているのか、筑波大学生記者が2月前半のアクセス数を分析してくれました。1位は「土浦一、水戸一など10校が中高一貫に 県が県立校改革プラン」(2019年2月21日付け)で、つくば・土浦地域の方のこの問題への関心が強いこと分かりました。「中高一貫」スタートが来春に迫っていることもあると思います。 そこで、1年先の一貫制移行に向けての準備状況はどうなっているのか、少し調べました。その成果をいくつか紹介します。 小学生と保護者への説明会が3月22日に、土浦一高体育館で開かれるそうです。この時点では募集要項は確定していないはずですが、概要は分かるでしょう。そして、7月末に県教育委員会が正式に発表したあと、土浦市民会館で説明会があるそうです。大井川和彦知事の目玉の施策ということもあり、県教育委員会も力が入っています。 土浦一高内に設けられる中学2クラス(計80人)の教室はどうなるのでしょうか? 当面新校舎は建てず、現校舎の教室を中学用に割り当てるそうです。中学を教える先生はどうなるのでしょうか? 高校と中学を別々にせず、高校の先生が中学も担当するそうです。普通の中学に比べ、中高一貫は授業内容が難しくなるのでしょうか? 保護者も学校も学習塾もホットに この問題については、先に「ビッグニュース 土浦一高も中高一貫」(2019年3月18日付け)でも取り上げ、その必要性について①TX開通により地域の優秀な中学生が東京の高校に行くようになった②県南の私立高の多くが中高一貫を採用している③だから土浦一高もこういった変化に対応しなければならない―と述べました。 地域の核となる教育システムを強化する必要があると考えたからです。つくば・土浦地域の教育の核として、大学は筑波大、高校は土浦一高があります。この2つがより強くなることは、地域の教育水準アップ⇒地域の魅力度アップにつながります。 土浦一高の中高一貫移行により、いろいろな変化が起きると思います。現在の出身中学校別生徒数ベスト10(つくば以外はカッコ内に明記)は、竹園東77、吾妻56、下根(牛久)48、土浦第四(土浦)42、手代木40、谷田部東40、土浦第一(土浦)39、土浦第二(土浦)33、並木31、春日学園29―ですが、各中学校区の小学校からダイレクトに中高一貫に進むようになると、この順位はどうなるでしょう? 最近、新聞の折り込みチラシを見ていると、中高一貫に向けた小学生教室の宣伝が目立ちます。保護者や学校だけでなく、学習塾も「商機」とホットになっています。この際、地域の魅力度アップのために、老朽化した土浦一高を建て替えたらどうかと、県教育委に提案しておきます。(経済ジャーナリスト) ➡坂本栄の過去のコラムはこちら

土浦の雛まつり始まる 立春の城下町が色とりどりに

【伊藤悦子】第16回土浦の雛(ひな)まつり( 土浦市観光協会主催)が立春の4日、同市中央1丁目の土浦まちかど蔵「野村」「大徳」をメーンに市街地の商店や飲食店128軒で開幕した。両会場をはじめ、周辺の店舗のひな人形たちを紹介する。 まちかど蔵「野村」(中央1丁目) まちかど蔵「野村」は、交通安全ひなまつり番所だ。ひな人形たちが「飛び出すな!人も車も自転車も」などと書かれた小さなプラカードを持って、交通安全を呼び掛ける。野村では車の運転に欠かせない反射神経を調べるゲームや、酒酔い疑似体験できるコーナーもある。 野村に飾られた色とりどりのつるしびなを作ったのは、神立史子さん(93)。ひなまつりのために真鍋新町から三輪車タイプの自転車に乗って自作のつるしびなを届けにきた。52歳で小学校教師を退職して以来40年、つるしびなを作り続けている。神立さんは「ひとつずつ本を見ながら作っています。皆さんに喜んでいただければ」と笑顔で話した。 まちかど蔵「大徳」(中央1丁目) まちかど蔵「大徳」1階には江戸時代の人形師、仲秀英(なか・しゅうえい)作の貴重なひな人形が展示されている。犬の狆(ちん)を連れた官女がいるのもおもしろい。 2階には、たくさんお手作りのつるし雛や創作雛が華やかに並ぶ。土浦市出身の大相撲、高安関から寄贈された浴衣で作った珍しい人形もある。人形の作者は土浦市観光協会の川﨑久美子さん。「縁起がいいと聞いたのでたぬきにまつわる人形もたくさん作った」と話す。毎年いろいろな人形を制作しているという。 尾張屋(中央1丁目) 尾張屋は、昭和6年(1931)創業の仏壇や家具制作の木工会社。昭和初期のひな人形や知人から譲り受けたという江戸時代のひな人形が目を引く。緋毛氈(ひもうせん)も江戸時代のものだ。 木工会社らしく、木のひな人形も並ぶ。「木工屋なので木のおひなさまがあってもいいのでは」と、10年前につげの一本彫りのひな人形を作った。「地元の方に喜んでもらいたい」という思いで作ったという。 とりでや化粧品(川口1丁目) とりでや化粧品は創業50年の化粧品屋。昭和の御殿作りのひな人形と、大正時代のひな人形がたくさんの化粧品と一緒に並ぶ。ひな人形はどちらも従業員の実家にあったものだという。見比べると時代によるひな人形の表情の違いもわかる。(組写真下段中央) 中西はきもの店(中央2丁目) 創業100年以上の中西はきもの店。女の子が生まれるたびに親戚や同業者から人形の贈り物があったため、たくさんの人形が残っているそうだ。ショーウインドーには大正時代や明治時代のひな人形がずらり。(組写真右上) 店内には舌きり雀など日本の昔話のワンシーンを再現した人形も並ぶ。日本の昔話を再現した人形たちもある。 お茶のせこ沢(土浦市大和町7丁目) 店内に飾られた色とりどりのつるしびなや手まりなど、すべて知人の手作り。ちりめんの押絵ひな人形は、ちりめんの染色から手掛けたものだという。(組写真左上) 福祉の店ポプラ中央店(中央1丁目) 同店は、社会福祉施設などで障害者が作った作品を販売しているお店。レトロな建物が特徴。1階には、愛媛や兵庫、長野など日本各地のおひなさまが展示(組写真左下)されている。人形好きな人が集めていたものだという。地方による違いを見るのもおもしろい。出身地のひな人形があるかも? カフェ胡桃(中央1丁目) カフェ胡桃は自宅をリフォームした小さな喫茶店。ひな人形はオーナーの実家にあった70年前のもの(組写真右下)。びょうぶに貼られた色紙や短冊はオーナーの亡母が書いたものだそうだ。ぼんぼりの灯りが幻想的な雰囲気だ。 まつりは3月3日まで。時間は午前10時~午後4時。  

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