日曜日, 5月 12, 2024
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11/1-12/26ブックセンター・キャンパス「文化勲章受章者の筆跡」展

1937年第1回文化勲章受章者のうち、佐佐木信綱、幸田露伴、横山大観を始め、文学、美術、芸術の分野を中心に、計54人の肉筆書簡、色紙、短冊、原稿、署名本などを店内のショーケースに展示する。

6/16-8/30夢二版画展ブックセンター・キャンパス

古書店「ブックセンター・キャンパス」の第12回店内展示会 夢二版画展をテーマに、大正13年発行の「婦人グラフ」に掲載された木版、昭和初期に発行された木版楽譜、リトグラフスケッチ、はがき判木版画など約40点を店内のショーケースで展示する。 開店時間は午前10時~午後4時。火曜定休。

1/20-3/14 古書店ブックセンター・キャンパス店内展示「手紙」

第9回目となる店内展示 渋沢栄一、大久保利通、島崎藤村、志賀直哉など近現代の実業家、政治家、文学者、画家などの手紙25点を店内ショーケースに展示する。いずれも風趣に富んだ書きっぷりで、その人を彷彿とさせる。

古書店主、岡田富朗さん 創業70周年記念し色紙展 つくば

つくば市吾妻にある古書店「ブックセンター・キャンパス」を経営する岡田富朗さん(88)さんが、都内で古書店を始めて昨年70周年を迎えた。記念展示として同店で「色紙展」を開催し、岡田さんが収集した著名人の色紙を展示している。 「君は必ず古本屋になる」 岡田さんは東京都出身。高校2年の時に小説家丹波文雄原作の映画「恋文横丁」を見て、映画の中に登場する若い古本屋が商売をする姿に憧れ、高校を中退して、神保町の国語・国文学専門古書店「日本書房」で働き始めた。 しかし「学者の先生がいらっしゃって本の名前を言われるが、知らない言葉は聞き取れない。専門用語が分からず、恥ずかしいことに20日で辞めてしまった」と話す。岡田さんが辞めたいと申し出ると、当時「日本書房」店主だった西秋松男さんが「君は将来必ず古本屋になる」と言い、怒りもせず辞めるのを許してくれた。 岡田さんはその後、1953年に18歳の若さで駒込に古書店を開いた。 「(西秋さんは)本当に迷惑だったと思うが、店を辞めてからもよく面倒をみてくれた。『若くてお客さんにばかにされるといけないから、神保町の日本書房にいたと言いなさい』と言って、その後もずっと助けてくれた」と当時を振り返り感謝する。 多くの文化人と交流、出版事業も 本を通じ、学者など多くの文化人との交流もあった。「日本書房」にいた時、当時阿佐ケ谷にあった言語学者、金田一京助さんの自宅に本を届けたこともある。夏目漱石の研究をしていた文芸評論家、荒正人(あら・まさひと)さんは岡田さんの古書店の常連だった。荒さんが、当時資料として無価値と考えられていた大正時代の電話帳や時刻表に着目していたことや、漱石の足跡をたどってロンドンに行ったことなども覚えている。 岡田さんは1966年に豊島書房名義で、古書蒐集家の斎藤夜居著「伝記伊藤晴雨」を出版。これを皮切りに出版事業も手掛け、作家、井上光晴編集の文芸雑誌「辺境」や雑誌「るうじん」などを世に送り出した。「るうじん」で特集を組んだことから漫画家のつげ義春さんとも交流し、穏やかな人柄を覚えていると振り返る。 科学万博前年につくばに移転 駒込の後、店を巣鴨、赤羽西口、旧軽井沢と移転し、つくば科学万博前年の1984年につくば市天久保に店を構えた。つくばへの移転を勧めたのはフランス文学者で慶應義塾大の義塾長を務めた佐藤朔さんだった。岡田さんは当時つくばに行ったこともなかったが、佐藤さんから「これからはつくばがおもしろいかも」と言われて移転を決めた。「当時は筑波大の先生たちが長靴で歩いていたくらい。遊ぶところも何もなかった」と笑う。筑波大の教授らが「古本屋があるから応援してやってくれ」と岡田さんの店を紹介し、学生にも愛されてきた。 当時、天久保には文系、理系、美術系の古書店5店が軒を並べ、古書店街と呼ばれた。その後天久保の店を閉店、古書店街も姿を消した。現在の吾妻には、天久保の店を閉じて20年ぶりとなる2019年に移転した。 岡田さんは「古本屋を通じていろんな人に出会え、いろんな話を聞けて勉強させてもらった。とにかく一流の人たちはすごい。話を聞くのが楽しかった」と70年を振り返る。 著名人の色紙60点以上を展示 店内展示は、人通りの少ない道に面する同店に人を呼び込みたいと2019年から始め、今回の展示は19回目。岡田さんが長年買い集めた著名人の色紙60点以上を展示している。音楽・文学・映画・スポーツなど幅広いジャンルを集め、今年亡くなった世界的指揮者、小澤征爾さんや映画監督の大島渚さん、俳人の水原秋桜子、河東碧梧桐、野球の長嶋茂雄さんなどの直筆を見ることができる。(田中めぐみ) ◆会期は4月28日まで。店内のショーケースに展示している。入場無料。同店は不定休だが急に開店時間が変更になることがある。問い合わせは電話029-851-8100。同店のホームページはこちら。

著名人の生き様垣間見える180枚 つくばの古書店で「年賀状展」

新年を前に、つくば市吾妻の古書店ブックセンター・キャンパス(岡田富朗店主)店内のショーケースで「年賀状展」が開催され、主に明治、大正、昭和に活躍した著名な詩人、作家、画家、政治家などの年賀状180枚が展示されている。 「赤堂鈴之助」で知られる漫画家、武内つなよし(1922-1987)は、愛嬌(あいきょう)のあるイラストを添えてある。牛久沼のほとりに居住し「橋のない川」で知られる小説家、住井すゑ(1902-1997)は、年賀状の名前が住井すゑ子となっている。日本で初めて長編SF小説を書いた今日泊亜蘭(きょうどまり・あらん、1910-2008)は干支のネズミの絵と独特の文体で書いている。 ほかに小説家の志賀直哉や田辺聖子、詩人の石垣りん、芸術家岡本太郎の父親で漫画家の岡本一平、落語家の3代目桂米朝、政治家の福田赳夫などの年賀状が展示されている。 店主の岡田さん(87)が古書の市場などで収集したもので、「筆体、文体などから、その人の生き様が垣間見える」という。 同店では店内での企画展を2019年に開始、今回で18回目の開催となる。前回17回目の「蔵書票展」には県内のほか神奈川県などからも愛好家が訪れている。 岡田さんは18歳の1954年に東京都北区赤羽で古書店を開業、つくば科学万博開催1年前の1984年につくば市天久保の天久保ショッピングセンターに移った。その後同ショッピングセンターには計5店が軒を並べ、古書店街としてにぎわった。しかし30年以上続いた岡田さんの店が閉店、2018年に最後の1店が閉店して古書店街はつくばから姿を消した。岡田さんをよく知る古書店ファンの要望もあり、2003年に同吾妻に移転し再開。現在は娘と2人で営業し、広さ約160平方メートルの店内に江戸時代や明治、大正、昭和の郷土史や軍事本など数万冊の古書を販売している。 岡田さんは70年近く古書店業界に関わってきたが「今は本が一番売れない時代。良い本を100円にしても売れ残る。つくばは学者肌の人が多いので専門書も扱うが、改訂版が出ると元の本の価値が激減し経営はなかなか難しい」とも言う。 次の企画展については「新聞の創刊号のコピーを多数持っているので(日本新聞協会が制定した)『新聞を読む日』にあたる4月6日に開催できれば良いかなと考えている」と話す。(榎田智司) ◆同店はつくば市吾妻3-10-2、「年賀状展」は2024年1月31日まで開催、入場無料。年内の30日(土)と31日(日)は午前9時~午後5時まで営業。同店は不定休だが急に変更になることもあるので、ご来店の際は電話029-851-8100に連絡を。同店のホームページはこちら。 ➡ブックセンター・キャンパスの過去記事はこちら

本に趣を添える「蔵書票の世界展」 つくばの古書店で11月末まで

つくば市吾妻の古書店、ブックセンター・キャンパス(岡田富朗店主)で、読書週間(27日~11月9日)にちなんだ第17回店内展示「蔵書票の世界展」が開催されている。 蔵書票は、本の持ち主を示すため表紙の裏などの見返しに貼る小紙片。版画の技法で制作された小さな芸術品で、「紙の宝石」として収集の対象になっている。 同店は、会津の木版画家、斎藤清(1907ー1999)や、版画や彫刻など多彩に活躍した池田満寿夫(1934ー1997)など、著名な作家45人による約400点の蔵書票を所蔵している。今展では19人の作家のはがき大の木版と銅版を見ることができる。版画家棟方志功(1903ー1975)による切手大の精巧な蔵書票を収録した豆本なども展示されている。 蔵書票は、製紙技術と活版印刷の発達で本が大量生産されるようになった15世紀中頃のヨーロッパで誕生した。当時、書物は高価であったため、個人の紋章などを印刷したものを貼り付け、所有者を明確にしていた。木版画が主流で黒一色で表現されたものが多かった。日本に広がったのは1900年。当時の文芸雑誌「明星」が蔵書票を紹介したのがきっかけで、それまで一般的だった朱肉の蔵書印に取って代わった。 日本の蔵書票は和紙を用い、多色刷り木版の技法で色がカラフルなことが特徴だ。著名な画家や版画家が手がけた独特の絵柄で人気が高く、現在では書物に貼るという本来の目的よりも、コレクターの間で交換されたりネット販売が行われている。 同店は広さ約160平方メートルの店舗に江戸時代や明治、大正、昭和期の郷土史や軍事本などの古書数万冊を所蔵している。今でも入手した古書の見返りに蔵書票が貼ってあることがあるという。 店主の岡田さん(87)は「愛蔵家の書籍に使われるだけあって、手の平に収まるほどの紙片に発揮される豊かな表現力は見事」とした上で「気にいった蔵書票を額に入れてアートとして楽しむのもお薦め」と話す。(橋立多美) ◆「蔵書票の世界展」は11月30日(木)まで。同店はつくば市吾妻3-10-12(北大通り沿い)、開店時間は午前10時~午後4時。火曜定休、臨時休業があるため事前に問い合わせを。駐車場は店舗裏。電話は029-851-8100(同店)。

全国の駅弁掛け紙コレクションも つくばの古書店で鉄道150年展

つくば市吾妻の古書店ブックセンター・キャンパス(岡田富朗店主)で、第16回店内展示「鉄道150年」が開催中だ。1872年(明治5)10月14日に日本初の鉄道が新橋-横浜間に開業してから150年を迎えたのを記念し、店内のショーケース3台に明治期から現在までの鉄道関係資料約80点を展示している。目玉といえるのが数百枚に及ぶ駅弁の掛け紙コレクションで、かつて名を馳せた土浦の駅弁も含まれている。 主な展示品は、明治~昭和期の各地の時刻表や鉄道地図、旅行案内などのほか、運転教範や線路工手教範といったマニュアル類、改札鋏(かいさつばさみ)や鉄道懐中時計、車両番号札などの実物も豊富だ。地域資料では旧筑波鉄道や筑波山ケーブルカーの絵はがき、つくばエクスプレスのカレンダー(2008年~2018年)などがある。 珍しいところでは、1881年(明治14)に発行された日本鉄道会社の鉄道特許条約書(国の設立許可書)もある。同社は岩倉具視らが中心となって立ち上げた日本初の私立鉄道会社で、後の東北本線、高崎線、品川線、常磐線などを運営していた。 駅弁の掛け紙はショーケース展示とは別に、地域ごとにファイリングされ、北海道から九州までの日本全国と、日本統治下の朝鮮や台湾のものもある。鉄道旅行黄金期とされる昭和初期を中心に、戦時中の「国民精神総動員」「車内も隣組」といった標語を刷り込んだものも目立つ。 「今は駅弁の販売は始発駅に集中しているが、昔は途中の駅で買うことが多かった。今と違って列車旅行は長旅で、駅弁の需要も大きかった。特に機関区(機関車の保守点検などをする車両基地)のある駅は停車時間が長く、車窓越しにホームの売り子から弁当を買う姿がよく見られた」と店主の岡田さん。そうした駅の一つが土浦で、水戸機関区の土浦支区があり、機関車の取り替えなども行われていた。 駅弁の歴史113年 土浦駅 土浦駅では日本鉄道土浦線(現JR常磐線)開業4年後の1899年(明治32)、説田商店に構内営業の許可が下り、翌1900年(明治33)には山本弁当店、1902年(明治35)には福見商店(後の富久善)が参入して競い合った。当時、常磐線で駅売りがあるのは土浦駅と水戸駅だけで、例えば午前8時30分上野発に乗った客は、11時14分着の土浦で弁当を買い逃すと、午後1時20分の水戸着まで空腹を抱えなければならなかった。 土地の名物駅弁、いわゆる特殊弁当は明治中頃から盛んになった。中でもうな丼は土浦駅の説田商店が1902年(明治35)に発売したのが最初とされ、日本画家の横山大観が常磐線に乗る際は、必ずといっていいほど同店に注文が入ったという。 高度成長期、鉄道の高速化は駅弁業界に逆風となった。在来線でも特急列車の停車時間が短くなり、車両の窓も開かなくなったため、ホームでの立ち売りは急速に姿を消し、売店での販売や車内販売に活路を求めていった。しかし行楽の足がバスや自家用車に変わり、さらにファストフードやコンビニ弁当の普及などもあり、駅弁はますます衰退。土浦では2012年(平成24)に富久善分店がホーム売店を休業したのを機に、113年に及ぶ駅弁の歴史に幕を下ろすことになった。 「誇らしく、感謝」 説田商店の創業者・良三郎のひ孫で、土浦市内で不動産鑑定事務所を営む説田賢哉さんは、幼いころの記憶に残る自社商品に、うな丼のほか、霞ケ浦の名産品を取り入れた幕の内タイプの「水郷弁当」、山菜炊き込みご飯の「ときわ路弁当」などがあったと振り返る。 だが父の賢助さんの代には駅弁はすでに下降線で、立ち食いそばに軸足を移した後、2001年(平成13)ごろ経営を譲渡、駅での事業から撤退している。「明治から平成までの間、土浦の歴史に名を刻んだことは誇らしく、今の自分があるのも曾祖父らのおかげと感謝している。できることならもっと話を聞きたかった」と賢哉さんは述懐する。 ◆会期は12月11日(日)まで。営業は午前10時~午後4時。不定休(ツイッター@campusokadaで情報更新)。同店はつくば市吾妻3-10-12(北大通り沿い、店舗の裏に駐車場あり)、電話029-851-8100

1/15-3/31 地図とパンフに見る 満州と幻の国「満州国」

つくば市吾妻の古書店「ブックセンター・キャンパス」は1月15日から3月31日まで、店内ショーケーズで、満州をテーマにした資料を展示する第15回店内展示「地図・パンフレットに見る 満州と幻の国『満州国』」展を開催する。 当時の地図やパンフレットなどを展示する。 開店時間は午前10時から午後4時。定休日は火曜日。来店の際は連絡を。  

教科書掲載、長久保赤水の日本地図も つくばの古書店で「むかしの茨城」展

つくば市吾妻の古書店、ブックセンター・キャンパス(岡田富朗店主)で第10回店内展示「むかしの茨城」が開催中だ。版画や古地図、絵葉書など茨城に関する古資料約30点が、店内のショーケースに展示されている。 100年以上も広く流通 展示の目玉の一つは、高萩市出身で江戸時代の地理学者、長久保赤水の日本地図「改正日本輿地路程全図」(通称「赤水図」)だ。同図は今年度、中学校の地理の教科書に初めて掲載された。 赤水図は江戸中期の1779(安永8)年に完成し、翌年大阪で出版され、赤水の死後も版を重ねた。展示品は嘉永5(1852)年原刻、明治4(1871)年再刻とあり復刻版のようだ。彩色もオリジナルとは異なる淡い色使いで、むしろ見やすい。 江戸時代の日本地図というと1821(文政4)年の伊能忠敬「大日本沿海輿地全図」(伊能図)が有名だが、赤水図の完成はその42年も前。実測ではなく収集資料と天文学の知識に基づくが非常に精度が高く、日本地図で初めて経線と緯線を入れたことも特徴。地名や主要街道などの情報も豊富に盛り込まれている。 伊能図は初めて全国の海岸線を実測して作られ、沿岸部は極めて正確だが内陸部の情報に乏しい。また幕府により公開が禁じられため、一般に用いられたのは赤水図の方だった。実用性の高さから明治初期まで100年以上も広く流通し、吉田松陰も旅の必需品としていたという。 赤水の生地、高萩市の歴史民俗資料館にある関連資料693点は、2017年に県有形文化財、2020年には国重要文化財に指定されている。 筑波山関係の珍品もいろいろ 筑波山関係では、「筑波山登山案内図」「ひとりでわかる登山案内」など珍しいものも多い。 小林清親の版画「常陸桜川より筑波山を臨む」は、日本名勝図会の1枚として1897(明治30)年に発行された。付された句は「筑波嶺や其のしら糸の水無の川」と読める。筑波大学図書館情報メディア系教授の綿抜豊昭さんは「清親は『明治の広重』とも呼ばれるだけあって、筑波おろしに吹かれる木々や農人が実に見事である」と展示解説で評している。 清親は1876(明治9)年の東京名所図シリーズで、ガス燈やランプが彩る東京の夜景などを描いた「光線画」で人気を集めた後、広重調の画風に回帰していった。「日本名勝図会」は各地の名勝を28図に収めており、嵐山や松島など歴史的な景観に加え、中禅寺湖や熱海温泉など近代の保養地や、横須賀造船所といった時代を感じる新名所も含んでいる。 世の中の変化とともに旅や観光も様変わりしていく。徒歩が前提だった里程図が鉄道の普及で路線図に変わり、名勝図には写真絵葉書がとって代わる。そのような変遷も展示からは見えてくる。(池田充雄) ◆「むかしの茨城」の会期は30日(金)まで。開店時間は午前10時~午後4時、火曜日定休のほか不定休あり。ブックセンター・キャンパスはつくば市吾妻3-10-12(北大通り沿い、店舗の裏に駐車場あり)、問い合わせは電話029-851-8100。

江戸期から昭和のすごろくが集合 新年14日までつくばの古書店

【伊藤悦子】つくば市吾妻の古書店、ブックセンター・キャンパス(岡田富郎店主)で「双六(すごろく)のいろいろ」が開催されている。ショーケースに展示されているのは、江戸、明治、大正、昭和のすごろくの原本や複製合わせて23点。 すごろく(絵すごろく)は、複数のコマに区切られた紙の上を、さいころを振って出た目の数だけをコマ進めて、上がりを競う遊び。江戸時代の初期から出版されていたといわれている。 すごろくで時代がわかる 展示中の「東海道名所記新板道中双六」は、江戸時代のすごろくで、歌川豊国によって描かれた。日本橋を振り出しに、東海道の名所の絵が描かれたコマを進み、京都が上がりとなっている。 そのほか江戸時代のお伊勢参りの様子がわかる「新板伊勢参宮廻(まわり)双六」や、明治時代の子どもたちの勉強に使われていた「東京小学校教授双六」などが展示されている。 ブックセンター・キャンパスのスタッフは「今まで仕入れて集まってきたすごろくを、お正月のタイミングで皆さんに見ていただきたいと思った。時代ごとの流行りや世相もすごろくから読み取れるので楽しんでほしい」と話した。 すごろくはショーケースに入っているが、申し出れば外に出して間近で見ることもできる。「ショーケースに展示しきれなかったすごろくもあるので、見たいときは気軽に声をかけて」と呼びかけている。 ◇「双六のいろいろ」 2021年1月14日までブックセンター・キャンパス(つくば市吾妻3-10-12。営業時間は午前10時~午後4時。火曜日定休。電話:029-851-8100)

創作版画の草分け 永瀬義郎展 つくばの古書店

【池田充雄】県西出身で大正・昭和期に活躍した版画家、永瀬義郎の作品展「創作版画の草分け 永瀬義郎展」が、つくば市吾妻の古書店、ブックセンター・キャンパスで開かれている。展示作品は版画や絵皿など14点。一部は額装されて店頭に飾られている。ほかに表紙画を描いた雑誌や著書、画集なども展示している。 永瀬は1891(明治24)年、現在の桜川市入野に生まれた。県立土浦中学校を卒業後、白馬会洋画研究所を経て東京美術学校彫刻科に入学。ムンクの作品に影響を受け、版画制作を始める。1912(大正元)年、詩人、日夏耿之介や西條八十らが創刊した文芸同人誌「聖盃」(後に「仮面」と改題)に参加。表紙画や口絵を手掛けたほか、小説や戯曲、詩なども発表した。 創作版画に対する考え方は「仮面」1914(大正3)年9月号掲載の評論「現今の版画に就いて」に詳しい。当時、自画自刻の版画作品が増えてはいたが「皆装飾的趣味の遊技的産物に過ぎず、版画の独立した芸術としての価値を発揮している者は一人もない」と嘆き、一方で長谷川潔に対しては「白と黒の調和を基礎として簡潔にして偉大な印象」と讃え、広島新太郎については「刀のテクニックにも他の人と違った切れ味」があり「従来の版画と違った近代思想に触れた氏の個性のひらめき」が認められると述べた。 1916(大正5)年、永瀬・長谷川・広島の3人は本邦初の版画結社「日本版画倶楽部」を結成したが、翌々年には長谷川がフランスへ活動拠点を移し、自然消滅した。後に広島は晃甫の名で日本画家として名声を高め、永瀬は山本鼎らが創立した日本創作版画協会に活動の場を移していく。 1922(大正11)年に永瀬は技法書「版画を作る人へ」を上梓。当時の美術書としては異例のベストセラーになり、棟方志功や谷中安規ら多くの版画家に影響を与えたほか、多様な分野の芸術家に斬新な発想の転換をもたらしたという。今展では旧版と新版を展示しており、旧版の方は木版刷りの口絵が殊に美しい。 もう1冊の著書は1977(昭和52)年刊行の自伝「放浪貴族」。谷中安規や宇野浩二ら画人・文人との交遊が興味深い。土浦出身の随筆家で劇作家の高田保も登場する。永瀬は1923(大正12)年の関東大震災の後、東京の子どもたちを人形芝居で慰めようと高田に呼び掛け、坪内逍遙、島崎藤村、北原白秋、武者小路実篤らに援助を仰いだ。宇野宅では永瀬が人形を操って「舌切り雀」のひと踊りを披露し、高田が口笛で伴奏をつけたという。 永瀬は1929年(昭和4年)から7年間の渡仏を経て、帰国後も戦中・戦後を通して精力的に活動した。晩年はシルクスクリーンを改良した独創的な版画技法「ナガセプリント73」を駆使し、代表作「もの想う天使」や「女とこども」など、愛と幻想に満ちた作品を発表し続けた。 再評価の契機に 「今回の展示は戦後が中心だが、戦前の作品の方が評価は高く、特に初期の木版画はかなり斬新。『版画を作る人へ』の口絵などを見ると、その良さがよく分かる」とブックセンター・キャンパス店主の岡田富朗さん。 今展の開催意図については「盟友の長谷川潔は世界的に有名だが、永瀬はいま一つ評価が低い。日本で最初に版画の展覧会を開いたすごい人なのに、今は知る人が少ない。版画のほか油絵や文章などマルチな才能を発揮したことも、日本では逆に軽視されやすい傾向がある」と話し、再評価の契機としたい考えだという。 ◆同展は30日まで。会場のブックセンターキャンパスは同市吾妻3-10-12。営業時間は午前10時~午後4時。現在は不定休、来店前の電話確認が確実。電話029-851-8100(同店)。

近代俳人直筆の100点を展示 つくばで「色紙・短冊に見る俳句の世界」

【池田充雄】つくば市吾妻の古書店ブックセンター・キャンパスで企画展「色紙・短冊に見る俳句の世界」が開催されている。6月末まで。入場無料。 代表の岡田富朗さん(84)が65年の古書店人生の中で集めた、75人約100点の短冊・色紙がショーケースに並ぶ。明治以降の主要な俳人はほぼ網羅しているそうで、「なるべくいろいろ見ていただこうと1作家1枚は必ず入れた。ほかにもご希望があれば出してお見せします」と岡田さん。 俳人の個性が書にも発露 いずれも作家の直筆で、人柄や作風が書にも表れている。例えば高浜虚子は筆の運びに疾走感があり、まさに俳壇の先導者らしい。茨城(取手市神住)生まれの高野素十は客観写生のお手本と言われ、書にも優等生的な素直さや真面目さがうかがえる。水原秋櫻子は繊細で鋭敏、中村草田男は伸びやかで力強い。ことさらに名は体を表すのが俳号といえる。 自由律の祖である河東碧梧桐は、書も奔放でけれん味がある。「赤い椿白い椿と落ちにけり」は代表作としてよく知られる。書を見ると紅白が絡み合った、いっそう鮮やかな光景が浮かんでくる。短冊の効果かもしれない。 小説家の作品もある。尾崎紅葉は美文家らしく書も流麗で、いかにも大先生にふさわしい。室生犀星は書体にも句にも素朴な温かみがあり、詩情を感じさせる。意外だったのは瀧井孝作。至極の恋愛小説とされる「無限抱擁」をこの字で書いたかと思うと驚かされるが、俳句は碧梧桐の弟子だったと知れば、少しは納得できる。 大学生らにも人気再燃 「短冊は句会などの折に即興的に書かれ、掛け軸ほど改まったものではないが、やはり人に見せることを意識している分、生原稿などと違って鑑賞のしがいがある」と岡田さん。筆文字の面白さがあり、向かい合った際の気分によっても、うれしいときや悲しいときで見え方が違うという。 「俳句は短い形式で、強烈な印象を残すところがすごいと思う。俳人以外の句もまた、流派や定型に縛られない魅力がある」とも話す。大学生ら若い人にも愛好者が増えており、特に種田山頭火や尾崎放哉ら自由律の作家に人気があるそうだ。 店内には近現代の俳人の句集や研究書も多く取り揃えている。素十では1947(昭和22)年発行の処女句集「初鴉(はつがらす)」もある。 ブックセンター・キャンパス つくば市吾妻3-10-12(北大通り沿い)午前10時~午後4時(火曜日定休)電話:029-851-8100

みやびな貝合わせ展 3月8日までつくばの古書店

【橋立多美】つくば市吾妻の古書店、ブックセンター・キャンパス(岡田富朗店主)で、桃の節句にちなんだ江戸期の「貝合わせ展」が開催されている。 貝合わせは平安時代から伝わる日本の遊び。江戸時代の貝合わせは、360個の二枚貝ハマグリの貝殻の内側に、金箔(きんぱく)や砂、石などを砕いて作った顔料で絵を描き、裏返して並べた貝殻のペアをいくつ見つけられるかで優劣を競った。トランプゲームの「神経衰弱」に似た遊びだ。 江戸期には名家の嫁入り道具 ハマグリはどれも同じに見えるが、対の貝殻しか組み合わせることができず、夫婦和合の象徴として公家や大名家の嫁入り道具として豪華絢爛(けんらん)な貝合わせが作られた。 装飾された対のハマグリを納めたのが貝桶(かいおけ)で、主流は八角形で2個1組だった。大名家の姫の婚礼調度の中で最も重要な品で、婚礼行列の際には先頭で運ばれたという。 貝の内側には、花鳥などの自然風物や平安時代中期に書かれた源氏物語を彷彿(ほうふつ)させる優美な絵が描かれ、対の貝殻にも同じ絵が描かれた。手のひらに収まる小さな世界だが平安時代のみやびをまとっている。 同店には約200個の対の貝があり、店内のショーケースに約100個が展示されている。近代以降、実物は博物館などでガラス越しに見られる程度だが、申し出れば手に取ることができる。また2個の円形貝桶にも触れることができる(いずれも非売品)。 古書店ブックセンター・キャンパスは昨年、店主の岡田さんが開店した。広さ約160平方メートルの店舗に江戸や明治、大正、昭和期の古書数万冊が並べられている。 ◆江戸期の貝合わせ展 会期:3月8日(日)まで 営業:午前10時~午後4時(火曜日定休)つくば市吾妻3-10-12(北大通り沿い)店舗裏手に駐車場 電話:029-851-8100

小さな芸術品「蔵書票」を展示 再開したつくばの古書店

【橋立多美】つくば市の古書店、ブックセンター・キャンパス(同市吾妻)で、「紙の宝石」と言われ収集の対象になっている蔵書票を紹介する「日本の蔵書票展」が1日から始まった。 蔵書票は本の見返し部分(表紙の内側)に貼って、その本の所有者を記す小紙片のこと。木版や銅板、石版などが用いられ、著名な芸術家が制作を手掛けている。単なる紙片ではなく、版画技法で制作された趣のある小さな芸術品だ。 日本に蔵書票が広がったのは1900年ごろ。当時の文芸雑誌「明星」が西洋の蔵書票を紹介したのがきっかけ。それまでは本の持ち主を示すものとして朱肉による蔵書印が用いられていた。現在では書物に貼るという本来の目的よりも、小版画としてコレクターの間で交換による交流が行われている。 店主の岡田富朗さん(83)は「蔵書票は本の所有者が作家の得意な絵柄に任せて依頼し、数百枚単位で作成されていたと思う。一色刷りからカラフルな多色刷りまであるが、いずれも趣のある作品ぞろい」と話す。当初の大きさは、切手大からシガレットケースほどだったが、人気が出てからは大きなサイズの蔵書票が見られるという。 同店は会津の木版画家斎藤清(1907ー1999)、版画や彫刻など多彩に活躍した池田満寿夫(1934ー1997)など、高名な作家45人による382点の蔵書票を所蔵している。今展では12人の作家の木版と銅版18点を見ることができる。 前身は古書店街の1軒 岡田さんは、筑波研究学園都市の形がほぼ整った1990年代初め、同市天久保にあった古書街の1店舗を経営していた。5店の古書店が軒を並べ、文系、理系、美術系の古書がそろい、学生と多くの市民でにぎわった。 その後、岡田さんの店は閉店。4店舗のうち残った1店舗が昨年3月に閉店して、つくばから古書店街は姿を消した。 家族の勧めもあり、岡田さんは「つくばに古書店を再び」と思い定めた。今年、新刊本を売っていたブックセンター・キャンパスで20年ぶりに店舗営業を再開した。広さ約160平方メートルの店舗に江戸や明治、大正、昭和期の古書数万冊が顔をそろえている。 ◆「日本の蔵書票展」の会期は12月30日(月)まで。営業は午前10時~午後4時、火曜日定休。同店はつくば市吾妻3-10-12(北大通り沿い)。店舗の裏に駐車場有り。電話は029-851-8100。

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