火曜日, 10月 6, 2026
ホームつくば全国の駅弁掛け紙コレクションも つくばの古書店で鉄道150年展

全国の駅弁掛け紙コレクションも つくばの古書店で鉄道150年展

つくば市吾妻の古書店ブックセンター・キャンパス(岡田富朗店主)で、第16回店内展示「鉄道150年」が開催中だ。1872年(明治5)10月14日に日本初の鉄道が新橋-横浜間に開業してから150年を迎えたのを記念し、店内のショーケース3台に明治期から現在までの鉄道関係資料約80点を展示している。目玉といえるのが数百枚に及ぶ駅弁の掛け紙コレクションで、かつて名を馳せた土浦の駅弁も含まれている。

主な展示品は、明治~昭和期の各地の時刻表や鉄道地図、旅行案内などのほか、運転教範や線路工手教範といったマニュアル類、改札鋏(かいさつばさみ)や鉄道懐中時計、車両番号札などの実物も豊富だ。地域資料では旧筑波鉄道や筑波山ケーブルカーの絵はがき、つくばエクスプレスのカレンダー(2008年~2018年)などがある。

珍しいところでは、1881年(明治14)に発行された日本鉄道会社の鉄道特許条約書(国の設立許可書)もある。同社は岩倉具視らが中心となって立ち上げた日本初の私立鉄道会社で、後の東北本線、高崎線、品川線、常磐線などを運営していた。

駅弁の掛け紙はショーケース展示とは別に、地域ごとにファイリングされ、北海道から九州までの日本全国と、日本統治下の朝鮮や台湾のものもある。鉄道旅行黄金期とされる昭和初期を中心に、戦時中の「国民精神総動員」「車内も隣組」といった標語を刷り込んだものも目立つ。

「今は駅弁の販売は始発駅に集中しているが、昔は途中の駅で買うことが多かった。今と違って列車旅行は長旅で、駅弁の需要も大きかった。特に機関区(機関車の保守点検などをする車両基地)のある駅は停車時間が長く、車窓越しにホームの売り子から弁当を買う姿がよく見られた」と店主の岡田さん。そうした駅の一つが土浦で、水戸機関区の土浦支区があり、機関車の取り替えなども行われていた。

駅弁の歴史113年 土浦駅

展示されている土浦駅の駅弁掛け紙、左は説田商店、右2枚は山本弁当店

土浦駅では日本鉄道土浦線(現JR常磐線)開業4年後の1899年(明治32)、説田商店に構内営業の許可が下り、翌1900年(明治33)には山本弁当店、1902年(明治35)には福見商店(後の富久善)が参入して競い合った。当時、常磐線で駅売りがあるのは土浦駅と水戸駅だけで、例えば午前8時30分上野発に乗った客は、11時14分着の土浦で弁当を買い逃すと、午後1時20分の水戸着まで空腹を抱えなければならなかった。

土地の名物駅弁、いわゆる特殊弁当は明治中頃から盛んになった。中でもうな丼は土浦駅の説田商店が1902年(明治35)に発売したのが最初とされ、日本画家の横山大観が常磐線に乗る際は、必ずといっていいほど同店に注文が入ったという。

高度成長期、鉄道の高速化は駅弁業界に逆風となった。在来線でも特急列車の停車時間が短くなり、車両の窓も開かなくなったため、ホームでの立ち売りは急速に姿を消し、売店での販売や車内販売に活路を求めていった。しかし行楽の足がバスや自家用車に変わり、さらにファストフードやコンビニ弁当の普及などもあり、駅弁はますます衰退。土浦では2012年(平成24)に富久善分店がホーム売店を休業したのを機に、113年に及ぶ駅弁の歴史に幕を下ろすことになった。

「誇らしく、感謝」

思い出を語る説田賢哉さん

説田商店の創業者・良三郎のひ孫で、土浦市内で不動産鑑定事務所を営む説田賢哉さんは、幼いころの記憶に残る自社商品に、うな丼のほか、霞ケ浦の名産品を取り入れた幕の内タイプの「水郷弁当」、山菜炊き込みご飯の「ときわ路弁当」などがあったと振り返る。

だが父の賢助さんの代には駅弁はすでに下降線で、立ち食いそばに軸足を移した後、2001年(平成13)ごろ経営を譲渡、駅での事業から撤退している。「明治から平成までの間、土浦の歴史に名を刻んだことは誇らしく、今の自分があるのも曾祖父らのおかげと感謝している。できることならもっと話を聞きたかった」と賢哉さんは述懐する。

◆会期は12月11日(日)まで。営業は午前10時~午後4時。不定休(ツイッター@campusokadaで情報更新)。同店はつくば市吾妻3-10-12(北大通り沿い、店舗の裏に駐車場あり)、電話029-851-8100

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