水曜日, 10月 21, 2026
ホーム土浦地域課題解決へ知見や技術を共有 ジョイフル本田など6社 コンソーシアム設立

地域課題解決へ知見や技術を共有 ジョイフル本田など6社 コンソーシアム設立

人材採用、多様性、脱炭素など地域社会の課題解決に、各企業がもつ知見や技術を共有して取り組もうと、ホームセンターや住宅リフォームなどを展開するジョイフル本田(本社 土浦市、平山育夫社長)など県内の異業種企業6社が13日、共同で事業を行う「サステナブル推進コンソーシアム」を設立した。

人材採用では今後、人手不足により新卒採用が年々困難になり、学生との早期接点の確保や情報発信力の強化が課題になる中、6社が共同で会社説明会を開催したり、インターンシップを実施したりなどする。多様性(ダイバーシティ)では、女性管理職の実例やロールモデルが少なく、単独での女性のキャリア育成が難しい中、6社共同で研究会やセミナーを開く。脱炭素(GX、グリーントランスフォーメーション)では、再生可能エネルギーの調達やエネルギーの地産地消への対応が困難な中、二酸化炭素排出削減のノウハウを共有したり、各企業の工場や店舗の屋根に太陽光発電設備を設置し、発電した電力を共同で活用するーなどを検討しているという。

6社はジョイフル本田のほか、▽建設工事の暁飯島工業(本社 水戸市、植田俊二社長)▽家電販売のケーズデンキを展開するケーズホールディングス(水戸市、吉原祐二社長)▽不動産販売・仲介の香陵住販(水戸市、金子哲広社長)▽産業電機機器製造の助川電気工業(高萩市、高橋光俊社長)と、▽金融機関の常陽銀行(水戸市、秋野哲也頭取)の県内上場企業6社。

2024年7月、6社の社長が意見・情報交換会を開き、経営者として悩みを話す中、「皆で一緒にできる共通の課題がある、成功事例を交換しよう」と話し合ったことがきっかけという。翌年には各社の部長級が3回にわたり実務レベルで各社の課題、共通性、協働、地域貢献などを軸に具体的な議論を積み上げ、13日、コンソーシアムの発足にこぎつけた。

各社が抱える課題についてジョイフル本田の平山社長は「木材商出身で男社会なので、女性活躍などの社員教育をしてこられなかった」とし、さらに「会社内で暗黙に受け継がれてきたことについて、6社の交流を通して気付きがあった」などと話した。助川電気工業の高橋社長は「(工場が立地する)髙萩や日立は人材の奪い合いが激しい。(コンソーシアムを通して)採用が増え、地域の人口減少の歯止めにつながるなど地域に還元できれば」と話した。

設立を呼び掛けた常陽銀行の秋野頭取は「県を代表するトップ企業と一緒に、持続可能な地域社会をどうやって推進できるか、地域に様々な課題がある中で、6社が同じ方向に向かい、参加したい企業があれば受け入れて、皆でムーブメントを起こしたい」などと語った。

今後は人材採用、多様性、脱炭素の3つのテーマごとにワーキンググループを設立し、1~2カ月に1回程度、会合を開いて具体的な取り組みにつなげたいとする。さらに、賛同する企業の参画も募りたいとしている。(鈴木宏子)

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つくばの記憶 1970年代の竹園と千現《デザインを考える》37

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