月曜日, 10月 12, 2026
ホームスポーツ土浦湖北、伊奈を8回コールド【高校野球茨城'26】

土浦湖北、伊奈を8回コールド【高校野球茨城’26】

第108回全国高校野球選手権茨城大会は7日目の12日、2回戦が行われた。J:COMスタジアム土浦の第1試合では土浦湖北が伊奈と対戦。手堅く試合を進めた土浦湖北が8回コールドで伊奈を下した。

12日 2回戦 J:COMスタジアム土浦 第1試合
土浦湖北 20012012 8
伊  奈 00000100 1

1回表土浦湖北1死二・三塁、豊﨑が中前へ適時打を放ち2者が生還

土浦湖北が初回からペースを握った。1番・杉村大雅と2番・来栖快理の連打から、3番・真家大和が送って1死二・三塁とし、4番・豊﨑匠朗の中前適時打で2点を先制。「下級生がつないでつくってくれたチャンス。1点でもいいから報いたいと、浮いたスライダーに対しコンパクトにバットを振っていった。ゴロで捕られるかと思ったが、案外鋭い打球だったようで内野の間を抜けてくれた」と豊﨑の振り返り。

1回表土浦湖北、豊﨑の適時打で、杉村(背番号6)と来栖快の2者が生還

2・3回の土浦湖北は得点こそ成らなかったが、下位打線がファールや待球で粘り、相手投手に球数を使わせた。その甲斐あってか4回には追加点。5番・守井蒼人が死球で出塁、7番・中島壱成の右前打で1死一・三塁とし、8番・長谷川颯大の二ゴロの間に守井が生還した。また5回にも来栖快、真家、豊﨑の3連打で2点を加えた。

土浦湖北のマウンドを守ったのは2年生エースの来栖鳳雅。「相手打線はスイングが速く、負けないよう一生懸命腕を振っていった」と話す。初回はスライダーが低めに外れカウントを悪くしたが徐々に調子を上げ、5回まで2安打1三振1四球に抑えた。最大のピンチは6回、2安打と1死球で1死満塁。マウンドに集まった仲間からは「点差はあるので大丈夫。難しく考えすぎず、一つずつ確実にアウトを取っていこう」と励まされた。内野ゴロで1点を失い、さらに満塁とされるが、最後は三振でこの回を乗り切った。

先発し8回まで投げきった土浦湖北の来栖鳳

これで流れは再び土浦湖北へ。7回表、先頭の来栖快は「アウトコースに張っていて、どんぴしゃの球が来た」と会心の当たり。打球は右翼への長打で来栖快は三塁へ滑り込んだが、右翼手の送球の乱れを見て立ち上がり、そのまま本塁へ突入した。続く8回表も、先頭の中島が四球を選び、杉村の左前打で生還、さらに来栖快の左前打で杉村も生還し、この回2点を加えた。

7回表土浦湖北無死、右翼へ三塁打を放った来栖快は敵失に乗じて本塁も陥れる

「11安打と打線がつながり、失策ゼロとよく守ってくれた。特に1回と5回の豊﨑のバッティングが大きく、好機に迷いなく振り抜いてくれた」と片岡良祐監督。3年生が3人しかいないチームで、主将で正捕手、4番打者といくつもの役割を兼ねる豊﨑の存在は非常に大きいという。投手の来栖鳳については「一生懸命投げ、いいゲームを作ってくれた。苦しい場面は必ず来るよと話していたが、よくぞ乗り切ってくれた」、この日5打数4安打と大暴れの来栖快については「打って走って最終回はダブルプレーの起点にもなり、攻守ともに頑張ってくれた」と、それぞれ讃えた。

8回裏伊奈1死一塁、5-4-3のダブルプレーで試合終了。二塁手友部瑛太

土浦湖北の次戦は15日、ノーブルホームスタジアム水戸の第1試合で、水戸葵陵と対戦する。(池田充雄)

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