月曜日, 10月 12, 2026
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沖縄を見つめる美術家 上原耕生さん つくばで個展

つくば市二の宮公園前のギャラリーネオ/センシュウで10日、沖縄県出身で大子町在住の美術家、上原耕生(こうお)さん(44)による個展「路上の記憶、滲(にじ)む暮らし2026」が始まった。トタンに特殊加工をして描かれた作品を中心に21点が展示されている。2025年から26年にかけて作られた。描かれているのは、沖縄の「路上」から見える風景だ。明治政府による琉球処分、沖縄戦、戦後の米軍統治、本土復帰―。歴史の大きなうねりに翻弄(ほんろう)されながらも暮らし続けてきた人々の視点を、「路上」という生活者の目線から描き出している。

上原さんは1982年、沖縄県那覇市生まれ。成安造形大学で美術を学び、東京芸術大学大学院への進学を機に茨城に移り、現在も県内を拠点に制作を続ける。2011年からは大子町の精神科病院、袋田病院でのアート活動に携わり、13年からは同病院で患者や利用者の社会参加と地域交流を目的とした「アートフェスタ」のディレクターや実行委員長を務めている。

特殊加工によりトタンに浮き出るサビを用いて作品を作っている

戦争と地続きの歴史の中にある沖縄

上原さんが描き続ける「路上」は、自身が幼い頃から見てきた沖縄の日常そのものだ。「日常の中に、80年前の戦争のことが今も続いているのが沖縄」だと話す。その象徴として挙げるのが、不発弾だ。現在も、工事のたびに80年前の不発弾が見つかり、住民は避難を余儀なくされる。

「年間に何百件と起きている。その度に、『爆破処理する何時何分、半径何キロ以内から離れてください』という知らせのビラが配られ、家から離れなければいけなくなる。本土の日常で『不発弾処理だから、ちょっと避難しよう』なんて会話はないですよね。これが、戦後80年以上経つ沖縄の日常です」

戦後生まれの上原さんにとって、自らの故郷をより意識するようになったのは、2000年代に本土へ進学してからだった。当時は沖縄を舞台としたドラマや県出身の人気歌手らが注目を集めた時期で、沖縄が好意的に受け止められる一方、親や祖父母の世代には差別や偏見の記憶が色濃く残っていたという。

「もっと上の世代は、沖縄の言葉を話さないようにしたり、本土風に名前を変えたりした人もいた。遅れた文化のように紹介されるなどし、コンプレックスを抱える人もいた。僕たちの世代が、そういう歴史も含めて沖縄というものを背負っていくのかなと思っている」

銃剣とブルドーザー、コザ暴動

会場には、米軍による土地の強制接収を描いた作品「銃剣とブルドーザー」も並ぶ。

「第2次大戦後、沖縄がアメリカ統治時代になり朝鮮戦争やベトナム戦争が始まった。当時、米軍の拠点となったのが沖縄だった。軍事基地を拡張していったのが50年代。当時、沖縄の人たちが耕していた土地に米軍が現れて、銃剣を突きつけて、ブルドーザーで一夜にして米軍基地にしてしまうということがあった。それに抵抗する人たちがいた。その一場面を描いたのがこの作品。そこから沖縄の土地闘争、米軍への抵抗、自治の要求が続いている。私たちは、祖父母や親の世代から『この土地は誰の土地なのか』という話を聞いて育った」と話す。

米軍支配に対する沖縄住民の不満が爆発する1970年の「コザ暴動」を題材にした作品も展示する。米兵による事件や事故が繰り返されても、当時の沖縄では十分な法的救済が受けられなかった。「学校では基本的人権や法の下の平等を学ぶのに、沖縄ではそれが適用されない。その矛盾があった。それがコザ暴動の背景でした」

一方で、上原さんの祖父は当時、コザで写真館を営み、ベトナム戦争へ向かう若い米兵たちの記念写真を撮影していた。「出征する前に『死ぬかもしれないから』と記念写真を撮って家族に送った若い兵士たちがいた。死ぬつもりはないけど、みんな写真を撮っていく。そのまま帰ってこない人もいたそう。コザは、そういう町でもあった」という。

普天間、辺野古、「間」に置かれ続けた土地

普天間基地(右)と辺野古基地(左)を描いた作品を解説する上原さん

米軍基地がある普天間や辺野古を描いた作品も並ぶ。基地を囲むフェンスや、爆音を響かせ頭上を軍用機が飛ぶ光景は、上原さんにとって特別なものではなく、幼い頃から路上で見続けてきた日常だった。「上空から落ちてきた部品が家や学校の屋根を突き破ったりということも日常。僕が中学校の時には、小学生の女の子が3人の米兵に暴行される事件も起きた。沖縄に住んでいる人たちはずっと同じなんです」

上原さんは沖縄を、地理的にも政治的にも多様な国や地域の「間」にある場所だと話す。「周囲の環境や時代が変わることで、自分たちが『何人(なんびと)』なのかまで変えられてきた。自分はずっと同じつもりでも、時代によって国籍や見られ方が変わってしまう。そんな宿命を背負っているのが沖縄。そのルーツを考えている」

そして、沖縄に伝わる「クェーヌクサー」という言葉を紹介する。「艦砲射撃の食い残し」を意味する言葉だという。「アメリカとの戦闘で艦砲射撃があって、沖縄の島全体がやられた。その生き残りである人たちが、自分たちのことを『艦砲射撃の食い残し』と皮肉を込めて言う。全部食べられて、断末魔のように何十万人と死んだけど、自分たちは食べ残されて生き残ったんだよ、という意味。民謡にもある言葉」だという。

トタンとサビを作品に

作品は木枠に打ち付けたトタンに、特殊加工を施し広がるサビによって描かれる。米軍資材として普及したトタンは、沖縄の歴史とも重なる素材だ。時間とともにサビが広がり、搬入時とは表情を変える作品もある。

「トタンやサビが持つ無骨な感じが好き。自分のやりたいことと合っていると思っているし、サビは自分でコントロールできないところが面白い。偶然性も作品の一部」

沖縄を離れたことで、自分とは何者なのかを考えるようになったという上原さん。その問いは、沖縄の歴史へとつながっていった。「沖縄に生まれたっていうのは、自分ではどうしようもない。歴史や政治の大きな流れの中で、逃れられない自分のルーツ」

一方で、「作品を見る入口は歴史だけでなくていい」と話す。「作品を見て、『こういう作品があるんだ』と思ってもらって、沖縄でこういう出来事があったんだと知るきっかけになればうれしい」。「まずは絵に興味を持ってほしい。作品の質感に『いいな』『気になる』と思ってもらえたら。みんなが歴史に詳しいわけじゃないので、まずは普通にアートとして見てもらえたらうれしい」と語る。(柴田大輔)

ギャラリーネオ/センシュウの外観

◆上原耕生個展「路上の記憶、滲む暮らし2026」は、7月26日(日)まで、つくば市千現1-23-4 101、ギャラリーネオ/センシュウで開催。開館時間は午後1時から午後6時まで。開館は金曜から日曜のみ。月曜から木曜は休館。入場無料。問い合わせはメール(sen.jotarotomoda@gmail.com)で。

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