水曜日, 1月 21, 2026
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言語障害と「言葉」《電動車いすから見た景色》50

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イラストは筆者

【コラム・川端舞】私は自分の気持ちを瞬間的に話すのが苦手だ。相手に伝えたいことがあっても、「本当に今、伝えるべきことなのか」「どんな言葉で伝えたら、分かりやすいか」「相手はどう反応するか」など、実際に言葉にする前に考え込んでしまう。

結果、伝えるタイミングを逃し、ひとりで苦笑いすることも多々ある。それでも、どうしても伝えたいときは、後日、「あのときの話なのですが…」と、終わった話を蒸し返すこともあり、周囲からすれば非常に面倒な人間だろうと思う。

子どもの時から言語障害とともに生きてきた影響もあるのだろう。ある程度、私とのコミュニケーションに慣れている人は、私が何かを話すと、一生懸命、私の不明瞭な発音を聞き取ろうとしてくれる。もちろん、それはうれしいし、私が人と話すために不可欠な配慮なのだが、数人で話している場合、周りがなかなか私の言葉を聞き取れないと、それまでスムーズに流れていた会話が、一旦(いったん)止まってしまう。

周りはそんなことを気にしないだろうとは思いつつ、自分の言いたいことは会話の流れを遮ってまで伝えるべきことなのか、無意識に考える自分がいる。

もちろん、「会話の流れを遮る」という発想自体が、「話す」「聞く」に障害のない人間を前提にしたもので、誰もが安心してコミュニケーションがとれる社会にするためには、「会話はスムーズに進めるべき」という考え自体を変える必要があることは頭では理解している。

だから、周りで流れるように進んでいる会話に割り込み、聞き返されるリスクを負ってまで、くだらないジョークを言える言語障害者を私は尊敬する。

無責任な言葉が多すぎる

日常会話ではそれほど自分の言葉に責任を持つ必要はないのかもしれない。だが、誰かを傷つける危険性のある言葉は別だ。特にSNS上では、責任の持たない言葉が多すぎる。

時に言葉は魔力を持つ。誰かの一言が、絶望しかけた人に「もう少し生きてみよう」と思わせることもあれば、無自覚の悪意から吐かれた一言が、世間の差別意識を増幅させ、生と死の狭間(はざま)で懸命に生き延びてきた人を、死の方向へ引っ張ってしまうこともある。その魔力に気づかないまま、無責任な言葉をばら撒(ま)いている人が多すぎる。

本来、SNSを含め、不特定多数の人に向けて発する言葉には責任が伴うはずだ。ライターの端くれとして、自分の言葉には責任を持ちたいと、誹謗(ひぼう)中傷が当たり前のように飛び交うネット社会の中で改めて思う。(障害当事者)

タイに海外出張 つくば市長 17日から2泊3日

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つくば市役所

つくば市の五十嵐立青市長が17日から19日まで2泊3日の日程でタイの首都バンコクに海外出張する。市秘書課によると、18日、バンコクで開かれる「サステナブルな建築・都市」セミナーに登壇するためという。

バンコク都庁、OECD(経済協力開発機構)、東アジア・アセアン経済研究センター(ERIA)と、日本の住宅メーカーなどでつくる国際建築住宅産業協会(JIBH)の4者が主催するセミナーで、五十嵐市長は昨年3月、OECDの先進的市長(チャンピオン・メイヤー)に選ばれたことから、今回、招待された。

セミナーでは、つくば市のスマートシティと脱炭素先行地域づくり(23年12月12日付)に向けた取り組みについて基調講演するほか、パネルディスカッションに登壇するという。

17日午前出国し、同日タイに到着。18日は終日セミナーに参加し、19日に帰国する。

市科学技術戦略課と環境政策課の職員計2人が随行する。出張費用は市長と随行職員1人は招待のため無料、随行職員もう1人の渡航費と宿泊費は約18万円という。

筑波山神社の拝殿と随神門《ご近所スケッチ》8

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筑波山神社拝殿 イラストは筆者

【コラム・川浪せつ子】新しい年になりました。かつては、お正月に誰もが年を重ねる風習があったようですね。そのためもあったのでしょう、お正月は1年の中で一番のイベント。今は色々な行事や楽しみが増え、お正月が必ずしも大きな出来事ではないかも…。

我が家も、子供たちの都合などもあり、年末に家族全員が集まりました。お正月は思いのほかユックリできて、よかったです。数年前からおせち料理は注文。それも、今年は和洋折衷。年末~お正月は忙しい時期ですが、年齢を重ねて、バタバタではなく過ごしたいという気持ちが大きくなってきました。

また、2年続けて松の内の初詣はナシ~! その代わり、筑波山神社には、桜、新緑、紅葉などの季節に訪問しています。かなり前、お正月に行ったとき、あまりの渋滞でニッチモサッチモいかなかった思い出があります。

つくば駅で私の絵はがき売っています

筑波山神社は四季折々素晴らしく、心から癒される所です。筑波山は、江戸から言うと「鬼門」。万葉集にも多くの歌が詠まれ、江戸時代の浮世絵にもたくさん描かれています。

今回の拝殿の絵は、2016年の常陽新聞に掲載してもらったもの。今回、色々取材して、下に掲載した絵(本堂手前の随神門=ずいしんもん)にしようと思ったのですが、やはり一番インパクトがあるのは本殿。トップはコレにしました。

実は、つくば駅入り口の「つくばの良い品」というお店で、私の絵はがきを販売しているのですが、これは人気です!「初詣してないけど、この絵見て拝んで、初詣にしておくわ~」という方がいて、なんだかうれしかったです。(イラストレーター)

拝殿手前の随神門

土浦の街をモノクロ写真で表現 市民ギャラリーが企画展

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展示作品を紹介する土浦市民ギャラリーの若田部哲主任

土浦の歴史ある街並みや変化、そこで生活する人々の日常を、モノクロ写真で表現した写真展「ツチウラ・モノクローム」が16日から、土浦駅前の同市大和町、土浦市民ギャラリーで始まった。同ギャラリーが主催する。

展示してあるのは、市内で活動する写真愛好家や愛好団体のメンバーが1993年から2023年までの約30年間に撮影した203点で、複合商業施設として土浦駅前に開業した1997年当時のウララビル(現市役所)、かつて桜町にあった銭湯「松の湯」、江戸後期や明治の建物が残る中城通りに面した改修前の県指定文化財「旧矢口家住宅」、霞ケ浦湖岸周辺に広がるハス田、新治地区の石仏など。

展示作品

時間の流れとともに変化していく街並みを、土浦駅前を中心にモノクロ写真で改めて振り返るという内容で、色彩が排除されていることで、対象の質感や存在感、光がより鮮明に表現されている。

開催にあたっては、テーマ別にモノクロ作品を公募し、応募があった60代から70代の12人の作品が展示してある。12人は、石川多依子さん、岡本紀明さん、佐々木隆さん、関郷さん、高木紀英さん、高畑徹伸さん、多田明美さん、茅根英二さん、塚本留蔵さん、松延洋子さん、吉田宣好さん、吉原世都子さん。作品は1人2点から57点まであり、最も多い57点を出展した石川多依子さんは市内で個展を開催したこともある。

作品の大きさは、A3や半切(35.6×43.2センチ)で、個々人でフレームを作り出品していることから多少ばらつきもある。デジタルカメラを使いモノクロモードで撮影した作品のほか、カラー写真をモノクロにした作品などもあるという。

会場の様子

同市民ギャラリー主任の若田部哲さんは「モノクロ写真は構図が大事で、一瞬の光を切り取るという写真の原点がある。現代はスマートフォンなどで誰でも写真を撮れる時代なので、気軽に白黒写真に挑戦してほしい。個性的でアートっぽい写真が撮れると思う」と話す。(榎田智司)

◆同展は2月12日(月)まで、土浦市大和町1-1、アルカス土浦(市立図書館)1階、土浦市民ギャラリーで開催。入場無料。開館時間は午前10時~午後6時。月曜など休館。問い合わせは電話029-846-2950(同ギャラリー)へ。

南北問題と適正技術《デザインについて考える》4

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小冊子のイラスト

【コラム・三橋俊雄】私は今、古びた小さな冊子を手にしています。書名は『Technology in the Hands of the People(テクノロジー・イン・ザ・ハンズ・オブ・ザ・ピープル=人々の手に技術を=)』。これは、アジアの近代化と先進国の援助のあり方を問うものとして、1984年、Approtech Asia(アプロテック・アジア=アジア適正技術団体連盟=、フィリピン)によって出版されたものです。

その中にある一つの挿絵(上のイラスト)をご紹介しましょう。質素な住居やスラムのような環境が描かれ、その前を天秤(てんびん)棒を担いだ農民が歩いています。そして、背景には巨大なコカコーラの看板。これは私たちに何を訴えているのでしょうか。

南北問題

1960年代、「豊かなものにとってよいことは貧しいものにとってもよいに違いない」(J・F・ケネディ)との考えに基づき、先進国の援助によって発展途上国の経済成長率を年5パーセント向上させるための「国連開発の10年」が決議されました。

しかし、結果的には、こうした援助のあり方が、主に北半球に位置する先進国と南半球に位置する発展途上国の間の格差を拡大することとなり、「南北問題」が進行していきました。

コラム3(12月19日付)で取り上げたビクター・パパネックのデザイン(1971)も、このような世界の状況下でなされてきた運動と言っていいでしょう。

適正技術

1973年、イギリスの経済学者E.F.シューマッハは『スモールイズビューティフル』(講談社学術文庫、1986)を著し、発展途上国援助のあり方について以下のように述べています。

1匹の魚を与えること(物質援助)はわずかな間だけの援助に過ぎない。しかし、魚釣りの技術を与えることは生涯の援助につながり、さらに、自分で魚釣りの道具を作るための技術を教えることは、自活だけでなく自力更生や独立の助けにもなる、と。

また、ダグ・ハマーショルド財団が国連に提出した報告書「Que Faire? (われわれは何をなすべきか)」(1975)では、途上国援助のあり方について、以下のように述べています。

1)この援助は基本的に必要なものか、2)地域が主人公になり得る内発的発展につながるか、3)自立的なものか、4)エコロジー的に健全か、5)経済社会構造の変換に寄与するか―と。

このように、1900年代後半に地球的規模で進められてきた「北」による「南」への(一方的な)近代化のあり方、援助のあり方に対して、改めて「われわれは何をなすべきか」を問い直す思想や運動が、「適正技術:Appropriate Technology」概念として生まれてきました。

私は、その「適正技術」という考えを、さらに文化や人々の価値観・生き方にまで広げた「適正デザイン:Appropriate Design」と言う視点で捉えていこうと思います。(ソーシャルデザイナー)

洞峰公園市営化 県案丸呑みの不思議《吾妻カガミ》175

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】つくば市議会は12月定例会で県営洞峰公園の市営化にOKを出しました。市営化に賛成か反対かの討論を聞いていて、何かおかしいな~と思ったことがあります。県から公園を無償で譲り受けるに至るプロセスで、知事と市長の間でまともな話し合いが無く、これまで県が負担してきた維持管理費を丸々押し付けられたことです。

市営化の財政負担は妥当か否か

市営化に伴う財政負担が妥当か否か、概略、以下のようなやり取りがありました。

反対議員:▽体育館など園内施設の設備更新費は、あと37年(43年前に建てられた施設を80年持たせるというのが市の想定)で50億円かかる、▽これに公園の維持管理経費74億円(毎年2億円✕37年)を加えると、市の負担は現在価格で124億円にもなる。

こういった過大な負担を避けるために、公園と園内施設の管理は県に任せておけばよい、あるいは両者が負担し合うという主張です。

賛成議員:▽国のデフレ脱却補正予算から市に17億円の地方創生臨時交付金が入ったし、地方交付税交付金をもらっていない市の財政は安定している、▽一部市民は、公園の維持管理を手伝ってもよい、体育館などの施設利用料値上げも仕方ない―と言っている。

財政状況からは問題ないし、市民参加型管理や施設利用料引き上げで歳出は抑えられるという主張です。

県と市の共同管理案は浮上せず

簡単に言うと「経費がかかり過ぎ」対「いやなんとかなる」という構図ですが、市が公園全体と園内施設をセットで譲り受けたことを不思議に思いました。というのは、土浦市の霞ヶ浦総合公園の場合、文化体育館や多目的広場は県営、屋外プールや風車エリアは市営と、県と市が維持管理を分担しているからです。

土浦の管理モデルを参考にして、体育館などの園内施設は引き続き県に任せ、沼や緑地の公園エリアを市が引き受けるという共同管理協定ができていれば、市の負担は半分ぐらいで済み、施設の設備更新費を心配する反対市議も納得したでしょう。

知事との直接協議は一度もなし

討論を聞いていて、なぜ共同管理案が浮上しなかったのか氷解しました。県から市に公園改修計画(目玉はアウトドア施設設置)のサウンディングがあった2020年秋以降、市長は知事と洞峰公園の運営方法について直接話し合ったことが無いというのです。

「市長が知事にアポを取って話し合ったことは一度もいない。何度も直接協議するよう求めたが、その気配すらなかった」(反対議員)、「一部市民から県の計画に反対する声が出たあと、市長は県に懸念を伝えたとSNS(ネット発信ツール)に書き込んでいた」(別の反対議員)。

「一度入ったアポが前日になってキャンセルされてしまった。でも、知事とは様々な場で会っているし、市と県の担当職員間で話し合っているから、問題はない」(賛成議員)。

立ち話程度で重要案件について交渉するのは無理でしょう。県との間に齟齬(そご)がある問題の解決に市長は自ら動こうとせず、反対論をネット上で展開していたというのは驚きです。結果、県は懸案施設を取り下げたものの、公園+施設の管理を市に押し付けました。一方、市は懸案施設を止められたものの、公園+施設をセットで引き取ることになりました。

重要案件について組織のトップと話し合うのが首長の仕事です。ところが、市長は知事と対面で話し合わず(面談を拒否された?)、県の無償譲渡案を丸呑(の)みする形で対県バトルを収めざるを得ませんでした。(経済ジャーナリスト)

【市議の投票行動 太字は発言者

<市営化に賛成した市議> 敬称略

▽つくば自民党:長塚俊宏、黒田健祐、神谷大蔵、小久保貴史、久保谷孝夫

▽つくば・市民ネットワーク:川村直子、あさのえくこ、小森谷さやか、皆川幸枝

▽公明党つくば:浜中勝美、小野泰宏

▽創生クラブ:小村政文、高野文男

▽新社会党つくば:金子和雄

▽山中八策の会:塩田尚

▽清郷会:木村清隆

▽つくばチャレンジチャレンジ:川久保皆実

<市営化に反対した市議> 敬称略

▽自民党政清クラブ:宮本達也、木村修寿、塚本洋二、飯岡宏之、鈴木富士雄

▽日本共産党つくば市議団:山中真弓、橋本佳子

▽新緑会:中村重雄

筑波山に初雪 例年より1カ月ほど遅く

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筑波山山頂付近にわずかに見られた雪=14日午前7時撮影

筑波山に13日午後、この冬初めて雪が降った。14日朝には頂上付近にうっすらと雪が積もっている様子が麓から見られた。

記者は筑波山の麓に住み、15年ほど前から筑波山の初冠雪の写真を撮りSNSに投稿している。昨シーズンの筑波山の初冠雪は12月5日、例年は12月中旬ごろで、今シーズンは例年よりも1カ月ほど遅い。

13日は上空に強い寒気が流れ込んだ影響などから、筑波山周辺は午後3時ごろから7時ごろまで降雪があった。

中腹のつつじケ丘付近でも激しく雪が降り、筑波山頂から夜景を見るロープウェーの夜間運行「サンセット&スターダストクルージング」は13日午後3時ごろから荒天の影響のため中止となった。

筑波山麓の記者の自宅庭に積もった雪=14日午前7時前

筑波山の気象状況はライブカメラで確認することが出来る。(榎田智司)

「かあさん一本の木」《写真だいすき》28

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冬の梨園(本文とは関係ありません。撮影は筆者)

【コラム・オダギ秀】今もそれほど変わってはいないと思うのだが、そのころ、農家のお嫁さんは大変だった。育児、家事、農作業に追われに追われていた。しかも、財布は親や旦那さんに握られ、自由にできるものはあまりなかったそうだ。そこで、さる農協の婦人部が始めたのが「かあさん一本の木」というものだった。

当時も今も、茨城産の果実で日本一と言われるものはいくつもある。その果実も、日本一の生産量を誇っていた。だが、その生産農家のお嫁さんたちは、忙しいばかりで楽しみがない。それで、自分の家の果樹園の木から一本を「かあさんの木」としてもらい、その木の世話をする責任を負って栽培法を学ぶ代わりに、その木からの収益は、お嫁さん、つまりかあさんのものとしよう、としたのだ。

「かあさん一本の木」かあ、いい話じゃないか、とボクらは飛びついた。なんか、ホクホクする話だよね、とボクらは早速、取材を申し込んだ。かあさんが、心を込めて木を育てているところを写真に撮ったり、その木からお小遣いを得られるという、うれしそうなお話をお聞きしたいと。

そして取材スタッフが、その地のそんな果樹園を訪ねた。果樹園には、農家のお嫁さんたちがたくさん集まり、にぎやかにおしゃべりしていた。準備万端だ。が、ボクらは愕然(がくぜん)とした。

農家のお嫁さんたちは、取材で写真を撮るって聞いたからだろう、全員そろってパーマ屋さんに行ってパーマをかけ、普段塗らないだろう口紅やファンデーションを、この時とばかりに十分塗り、よそ行きの服を着て来たのだ。おいおい、ここの産地では、いつもそんな格好で農作業してんのかと、読者や他の産地の反響がもろに聞こえてくる気がして、大いに困った。

学生帽って、パーマ屋さん?

以来、取材の時は写真撮るとは言わず、訪ねたら、いきなり普段の様子を撮るようにしたが、カメラを向けると「やだあ」と、手拭いで顔を隠したりして逃げ回るので、それにも一苦労した。

同じような経験をしたこともある。ある農家を取材した時のことだ。庭に数本、見事なミニトマトが植えてある。手入れが行き届き、これはすごいと思ったので聞いてみた。そしたら、そのミニトマトは、その家の中学生が勝手に作り、自分で集荷場に出荷して、小遣いを稼いでいるのだそうだ。

これも面白いと思い、写真撮らせてくれよ、と近くにいた中学生に言ったら、「いいよ。写真撮っても、食べてもいいよ」と、簡単にオーケーする。写真撮ろうとカメラを向けたら、その中学生、さっと中学の帽子をかぶって背景に入ってくる。帽子ってのは、パーマ屋さんみたいなもんなのかな、と思った。(写真家、日本写真家協会会員、土浦写真家協会会長)

筑波大で6300人が受験 共通テスト始まる

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共通テストの会場の様子=つくば市天王台、筑波大学

大学入学共通テストが13日始まった。試験は14日までの2日間。初日に地理歴史・公民、国語、外国語、2日目は数学と理科が実施される。会場となる筑波大(つくば市天王台)では、昨年より154人少ない6303人が受験を予定している。

全国の志願者数は、前年度から2万667人少ない49万1914人。県内では昨年とほぼ横ばいの1万2327人となっている。新型コロナが5類になって以降、初めてとなり、会場では入り口に消毒液が置かれたものの、マスクの着用が求められないなどコロナ以前の環境での受験となる。

「気張らず、いつも通りに」

午前7時30分、つくば市で最低気温マイナス3度を記録し冷え込む中、快晴の筑波大本部南駐車場には、受験生を会場に送り届ける車が徐々に集まり始めていた。

土浦市の松本信明さん(18)は緊張の面持ちで「今日は特別な日だけど特別視はせず、気張らずにいつもの模試のような気持ちで臨みたい」と話し、小美玉市の武井美佳さん(18)さんは、同級生3人と会場に向かいながら、「自宅を出たのは6時。昨日はよく眠れた。頑張りたい」と笑顔を向けた。阿見町から車で娘を送り届けた50代の男性は「いつもと同じ時間に起きて、同じように朝食を食べてきた。普段通りの力を発揮できるように頑張ってほしい」と言葉を送った。

痴漢被害者は追試験の対象

今年の共通テストをめぐっては、1月1日に発生した能登半島地震を受けて、今回の本試験を被災した生徒が受けられない場合、27日と28日に予定している追試験を金沢大学角間キャンパス(石川県金沢市)でも受験できる特例措置がとられると発表している。

ほかに12日、加藤鮎子男女共同参画担当相は記者会見で、大学入学共通テストに遅刻できない受験生を狙った性暴力を扇動する投稿がSNSで拡散されていることを踏まえて、「痴漢は重大犯罪であり許されるものではない」とし、被害を受けた場合、追試験の対象になると述べた。また松村祥史国家公安委員長も12日の会見で「しっかりと対策を講じる」と、警察として列車内などでの性暴力加害への警戒を強化するとした。大学入試センターは、被害にあった際は受験票に記載されている問い合わせ大学に電話連絡し、追試験を申請するよう求めている。(柴田大輔)

幻の酒米を使った石岡の吟醸酒「渡舟」《日本一の湖のほとりにある街の話》19

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イラストは筆者

【コラム・若田部哲】年が明け、新酒の季節。今回は「関東の灘」とも称され、古くから酒造りの盛んな石岡市での取材です。向かった先は安政元年(1854)創業、幻の酒米「短稈渡船(たんかんわたりぶね)」を復活栽培し、吟醸酒「渡舟」を醸造する蔵元・府中誉。代表取締役の山内孝明さんにお話を伺いました。

山内さんは府中誉の7代目。大学卒業後に都内の酒卸問屋で3年間勤務した後、茨城の酒米でおいしい地酒を造ろうと青雲の志を抱き、平成元年に家業である酒蔵に入りました。

米国・香港・新加波などにも輸出

ところが、すぐに壁に突き当たります。当時、蔵で使用していた酒米の全てが他県産であり、茨城県産の酒米は一粒もなかったのです。そのころ茨城県内では酒米の栽培はゼロに等しく、地元の米でおいしい酒を造ろうと意気込んでいた山内さんは、その現状に大きなショックを受けました。

そこから山内さんの、地元での酒米栽培への挑戦が始まります。あるとき、偶然に出会った農業技術者の方から、現代では栽培が途絶えている明治・大正期の優秀な酒米の種もみが、つくば市のある研究所に保存されていることを聞きつけました。早速そこを訪れ熱意を伝え、数々の課題を乗り越えた末に、わずか14グラムの種もみを分けてもらうことに成功します。

それこそが「短稈渡船」。現代の「山田錦」の親系統にあたる品種で、明治・大正期には酒米として高い評価を受けていましたが、病虫害に弱く、倒伏しやすいなど栽培面の困難さから、約70年間作付けされることが無くなっていた幻の酒米でした。それから、分けてもらったわずかな種もみを大切に増やし、タンク1本仕込めるようになるまで3年の時を要したそうです。

こうして復活した幻の酒米「短稈渡船」。山内さんはこの酒米で醸した吟醸酒を「渡舟」と命名しました。「渡舟」は、今では同社の代表的銘柄として広く人気を集め、国内はもとより米国・香港・シンガポール(新加波)など海外にも輸出され、国際的な権威ある品評会IWCでもゴールドを受賞するなど、世界でも高い評価を受けるまでに成長しています。

高品質の日本酒愛飲家層は増える

ところで、一人の酒好きとして気になっていたことが、日本酒全体の消費量が近年、減少傾向にあるという点。このことについて蔵元としてどのようにお考えか、今回の取材でぜひ伺ってみたいと思っていました。この点について山内さんは、未来を見据え次のように語ってくださいました。

「生活スタイルが多様化した現代、日本酒の消費量全体の減少は残念ながら致し方ないこと。しかしその一方で、我々地酒蔵元が醸す吟醸酒・純米酒など高品質で芳醇(ほうじゅん)な日本酒に価値を感じてくださる愛飲家層は増え続けていると感じています。また、海外での日本酒人気の高まりは、我々蔵元の酒造りへの真摯(しんし)な姿勢と、日本酒にしか表現できない繊細で芳醇な味わいが評価されたものと思っています。今後もそうしたお客様の期待に沿うべく、一層高品質のおいしいお酒を醸し続けていきます」

そんな、日本酒愛飲家に大人気の吟醸酒「渡舟」。コラムの執筆にあたり、その味を知らずに書くわけにはまいりません。現在、体調面でお医者さんより禁酒を言い渡されておりますが、取材の夜、今日ぐらいはとその禁を破り、いそいそとアテを用意し「渡舟 純米吟醸五十五」をいただきました。

一口含むと、その口当たりの良さとまろやかなお米の味わいが口中にスっと広がり、お酒も肴もすすむ、すすむ。一晩で、ここ数年の禁酒分を取り戻すかのように呑(の)んでしまいました。新年のお祝いに、日々の癒しのひと時に。地元蔵元の情熱がよみがえらせた豊かな味わいを、ぜひお楽しみください。(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

➡これまで紹介した場所はこちら

守谷の視点から県立高問題を考える《竹林亭日乗》12

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冬の筑波山(筆者撮影)

【コラム・片岡英明】1月6日に県立中学入試、1月9日には私立高校の推薦入試が始まった。今年も、受験生と保護者・教職員を応援する立場で、高校入試問題を考えたい。

進学志向が強い守谷市民

前回コラム(23年12月12日付)では、TX沿線から水海道一高への入学者が増え、地元常総市からの入学者が減っていることを紹介した。具体的には、2023年の水海道一高への入学者が常総市37人、守谷市78人だったことから、つくばエリアとTX沿線の県立高整備の必要性を指摘した。

23年の守谷市内中学卒業生642人の進学先は、水海道一高78、守谷高校69、伊奈高校55、竹園高校40、藤代高校35、取手一高30、牛久栄進高24、下妻一高19、竜ケ崎一高16、取手二高14、水海道二高13、土浦一高7ーとなっており、進学先が幅広いことが分かる。

市内守谷高への進学者は11%にとどまっており、県立高不足のために市内県立高入学が15%のつくば市よりも低い。

守谷の中学生の進学状況を見ると、常総線、TX、常磐線などを利用し、各方面の県立高を受験している。受験生、保護者、教師にとっては、対象地域が広く、学校数は多いことから、受験先選定の苦労が多いと推測される。受験県立高の偏差値分布は複雑に重なり合っており、「〇高に届かないから、〇高にするか」といった目標定めが大変そうだ。

こういった受験の不安を解消するには、TX沿線に県立高を新設して、選択肢を増やすとともに、受験高校を安心して選べる高校ランキングの「一本の太い筋」が必要である。

守谷高に進学コース2学級増設を

ところで、TX沿線の県立高問題を取り上げると、この地域は千葉や東京への視線が熱く、茨城は意識してないとの批判を受ける。そうだろうか?

守谷の中学生の県内県立高への進学率は65%で、残りは私学や県外に進学している。これは、同じつくばエリアの常総市(74%)、つくばみらい市(72%)よりは低いが、つくば市(58%)、土浦市(61%)、取手市(64%)、牛久市(64%)より高い。

つまり、守谷の中学生は、TXを利用し千葉や都内への進学も考えるが、全体としては県内県立高への期待が高いことがわかる。そうなると、TX沿線の県立高への期待と現在の高校不足のズレが問題になる。そこで、TX沿線の魅力をさらに向上させ、県の発展にもつながる提案を3つ示したい。

1.TX沿線に県立高を新設して入学枠を増やし、上位校から中堅校までの流れを太くする。

2.守谷の高い進学志向を踏まえ、守谷高(現在6学級)に2学級の進学コースを増設する。

3.県と守谷市が協力して、守谷高の通学利便性を高める。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会代表)

「人口増加率 全国一」口々に つくばで4年ぶり賀詞交歓会

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鑑開きの後、乾杯の発声をする市商工会の桜井姚会長(壇上前列)=つくば市吾妻、ホテル日航つくば

つくば市新春賀詞交歓会(同実行委員会主催)が10日、4年ぶりに市内のホテルで開催された。壇上であいさつに立った市長や国会議員などからは、元日に起こった能登半島地震の被災者に対するお見舞いや募金の呼び掛けに続いて、つくば市が昨年、人口増加率全国1位になった(23年7月26日付)ことを強調するあいさつが相次いだ。

市、市商工会、研究機関などでつくる筑波研究学園都市交流協議会、筑波大、市工業団地企業連絡協議会、JA、市金融団の7団体が実行委員会をつくり主催した。国会議員、県議、市議、商工関係者など約430人が参加した。コロナ禍により2020年以来、4年ぶりの開催となった。

同実行委員長を務める五十嵐立青市長は「総じて昨年1年間、つくばは前向きなニュースが多かった」とし、人口増加率が日本で1位、転入超過2年連続で1位になったことについて「具体的な数字としてつくば市が今、選ばれていることを示している」などと強調した。

続いて、年末に病院での当直明けに自転車に衝突され、おでこにばんそうこうを貼ってあいさつに立った国光あやの衆院議員は「つくば市は全国で一番人口が増えた、これはすばらしいこと。つくばからワンチームで、茨城、日本を変えるんだという意気込みで国政の立場からサポートしたい」と述べ、青山大人衆院議員は「たくさんの方がつくば市の魅力にひかれて移り住んでいる。つくば市の姿が本来、日本のあるべき姿ではないか」などと応じた。

乾杯をする参加者ら

市商工会の桜井姚会長は「つくば市で起業した人がコロナ禍でも1000人増えた。人材が豊富で、蓄積した研究成果への期待が大きいからだと思う。つくば市はますます発展しなきゃいけない」などと話し、乾杯の発声をして、歓談に移った。

この日、会場に用意された料理は、フードロスをなくすため前回に引き続き提供量を減らし、満足度の高まる内容にしたという。(鈴木宏子)

テレビは終わらない 角栄が描いたユートピア 《遊民通信》80

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【コラム・田口哲郎】

前略

目白御殿と呼ばれた旧田中角栄邸が全焼したというショッキングなニュースが飛び込んできました。線香の火の不始末らしいのですが、ケガ人がなくて不幸中の幸いでした。

焼けてしまった家の主人だった田中角栄のドキュメンタリーが先日、放映されていました。「映像の世紀バタフライエフェクト」です。角栄の生涯については皆さんご存知だと思います。大変な苦労人で戦後すぐに商売で成功し、政治家になり、東京と地方の格差是正を政治テーマとして自民党で頭角を現し、ついに総理大臣になり、有名な列島改造論を実行していきます。

角栄は東京と地方の格差是正のために、日本中に道路を通しました。その財源はガソリン税でした。資金分配の権限を握った角栄のところには全国から陳情する人びとがやってきて、目白御殿には陳情団の行列ができました。

その角栄がもうひとつ目をつけたのがテレビ放送です。郵政大臣時代には多くのテレビ局開局の認可を与え、テレビ全盛時代の礎をつくりました。その後の大蔵大臣時代には自らの番組を持っていたというから驚きです。角栄は道路で、東京と地方の物理的格差を解消し、テレビを普及させることで情報の格差もなくそうとしました。

道路と同じように必要なTV情報網

先日の能登半島地震では道路が崩れ、救護活動が妨げられて損害を大きくしています。道路は国民生活にとって大切なことが改めてわかりました。そうなると、テレビ放送網も同じく国家には必要不可欠なものなのだと思います。

テレビ業界は斜陽産業と言われて久しいです。たしかに、テレビ以外に映像情報を提供するツールが出てきて、競争が激化しました。でも、映像情報を提供すること自体が重要なことは変わりません。テレビジョンはかつてのように独占的な地位を保てるわけではないけれども、なくなることはないでしょう。

コンテンツの良し悪しは関係なく、情報網が大切です。なぜなら、近代国家は国土の平均的な発展を基礎として成り立っているので、道路とテレビ放送網がなければ成り立たない仕組みになっているからです。

テレビはつけておけば勝手に番組が映って、次から次へと情報が入ってきます。そしてその情報にはある程度の信頼性がある。こんなに見る側にとって楽なツールはありません。道路がなくならないように、テレビはこれからも存続し、われわれに新たな情報を提供し続けるでしょう。

田中角栄が描いたユートピアをわれわれが今も生きているのというのはなんだか不思議な気がします。テレビの今後をどうするのか。ニーズが角栄のときとは変わっている今こそ、考えるべきなのかもしれません。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

「障害ってなに?」を考える障害平等研修 土浦で開催 

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DETいばらき代表の高橋成典さん(右)とファシリテーターたち

障害者自身が進行役(ファシリテーター)となり参加者と対話を重ねながら、障害や差別について理解を深める「障害平等研修(DET)」が18日、土浦市で開催される。一般を対象とする研修は同市で初めて。主催団体は「茨城県に障害のある人の権利条例をつくる会」。同研修は、東京2020オリンピック・パラリンピック大会でも採用され、約8万人の大会ボランティアや組織委員を対象に実施されるなど、企業や自治体職員、教育現場などで広がりつつある。ファシリテーターとして自身も今回の研修に参加する土浦市在住の「DETいばらき」代表の高橋成典さん(58)は「自分の街を、誰もが暮らしやすい街にしていきたい」と、初めての地元開催への意気込みを語る。

少数者になって気づく差別

過去に数回、記者も研修に参加したことがある。そこで最も印象に残ったのが、障害者が多数で健常者が少数という仮想社会をドラマ化した動画だ。健常者がタクシーや公共バスに乗車拒否をされる、レストランでは車椅子でないことから他の客と別の場所に通されたり、「迷惑なんだよね」などと陰口を言われたりするー。「健常」であることを理由に次々と差別に遭う場面が映し出されるのだ。日々、多数派として何気なく過ごしている日常に、こんなにも差別的な場面が散りばめられているのかとショックを受けた。こうした動画やイラストなどを元に、参加者が「差別される側」の視点で社会を見つめ直し、進行役の障害者と共に障害とは何かを研修を通じて考えていく。

研修ではグループに分かれてディスカッションが行われる

障害平等研修は、1990年代後半にイギリスで障害者差別禁止法を推進するための研修として開始され、日本では、2005年に発足した「障害平等研修フォーラム」が国内唯一の専門組織としてファシリテーターの養成を行っている。高橋さんが代表を務める「DETいばらき」の発足は2018年。現在は障害平等研修フォーラムの研修を受けた7人の障害者がファシリテーターとして県内での研修にあたっている。

幼少期から障害者と接点を

「DETいばらき」はこれまで、県内の小・中・義務教育学校などで子どもを対象にした研修にもファシリテーターとして参加してきた。高橋さんがそこで感じたのが、幼い頃から障害者との接点を持つ大切さだ。障害平等研修では、障害者本人と直接対話を重ねることが大きな特徴になる。

高橋さんは「障害平等研修を受けた子どもたちから、障害者も同じ人間、普通の人と感じたと言うのを何度も聞きました。それまで接したことがなかったのだと思う」と話す。

47歳、下半身全体にまひ

高橋さんは以前、配送業に従事し、若手の先頭に立ちバリバリ働いた。下半身にしびれが出始めたのは2013年ごろ、47歳の時だった。脊髄ヘルニアと診断され2度の手術を経たものの、下半身全体にまひが広がり歩くことができなくなった。

「障害者」となった自分を受け入れられず「引きこもった」と言い、「車椅子になってから、外に出るとジロジロ見られている気がした。中には『近寄っちゃダメ』と子どもに話す親がいたり、『かわいそうだね』とささやく声も聞こえたりした。悲しくなった」。

3年がたち偶然出会ったのが、群馬で開催された障害平等研修だった。思い切って参加してみると世界が開ける思いがした。

「それまで障害のある方と接したことがなかった。障害平等研修では講師の方が電動車椅子に乗っていた。接してみると『普通』の人だった。私と何も違いがない。自分も障害者なのに、障害のある人を『かわいそう』だとか、偏見の目で見ていた。それは間違いだと気づいた」

それらの出会いがきっかけとなり、養成講座を受講しファシリテーターとしての活動を開始する。「自分の体がこうなっても活躍できる居場所を探していたんでしょうね」と当時を振り返る。

「子ども達の変化は大きい。その世代が大人になって社会を担う時に力を発揮してくれるはず。子どもの頃から障害者と触れ合っていくことで、偏見なく、障害者の立場に立ってものを考えられるようになってほしい」

一緒に住みよい街をつくる

高橋さんはこうも話す。「土浦の街なか、お祭り、花火大会など、まだ障害者にとって行きにくいと思う」。車椅子では、歩道の傾きや補修されないままのアスファルトの切れ目、店舗や施設の内外にある段差など、解消されていないバリアは各所にあるという。

また、障害者が外出の際に問題となるのがトイレだと指摘する。「トイレがないことで行きたいところに行けない障害者は多い。イベントで設置される仮設トイレに、車椅子で入れる広いものを作るというのは無理かもしれないが、普段から、障害者が入れるトイレがどこにあるかわかるよう、地図などで視覚化されているだけでも違うはず」だとし、「車椅子を使う高齢者もいる。バリアフリートイレは子連れの人にとってもいい。フラットな歩道は、足の悪い高齢者やベビーカーを押す人にとってもいいはず」だとし、「街の活性化という意味でも、障害者だけでなく、お年寄りや子育て世代など、誰もがより生きやすい街の形にすることができれば。これは、お願いというより、私たち当事者と一緒にやっていきましょうということだと思っている」。

今回の研修には、普段から障害者と関わる行政や企業、当事者の家族などをはじめ、高齢者介護に携わる人たちにも参加してもらいたいとし、「どんな街になる必要があるのか考え続けることが大切だと思う。この研修が、障害に関心を持つきっかけになれば」と高橋さんは呼び掛ける。(柴田大輔)

◆「障害ってなに?障害平等研修(DET)から学んでみよう!」は18日(木)午後1時から4時まで。県県南生涯学習センター6階中講座室2で開催。定員20人、参加費無料。事前予約制。申し込みは12日まで。問い合わせ、申し込みはイベントページへ。

年初には我が家の資産たな卸し《ハチドリ暮らし》33

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筑波神社に行ってきました

【コラム・山口京子】我が家では、年末には大掃除、年明けには資産のたな卸しが恒例になっています。

毎年年末は、家の大掃除をします。連れ合いが「今回の大掃除はとても疲れる。来年は無理かもしれない。そのときは業者に頼むか」と言うのです。確かに、病気をして体力の低下が目立ちます。疲れやすい、歩くのがゆっくりとなり、遠くまで歩けない、握力がなくなる、重いものが持てなくなる、物忘れが目立つようになる…。老化が進行しているのでしょう。

そういう自分も他人事ではありません。家じゅうのカーテンを洗うのに、けっこう時間がかかりました。年に一度の大掃除ができなくなるのは、何歳ごろからでしょうか。個人差が大きいでしょうし、どこまでを大掃除と言うのかもそれぞれでしょう。それを踏まえても、連れ合いの言葉に老いの道行を感じました。

年明けには、2023年の資産のたな卸しをしました。昨年までは、我が家全体の表をつくるだけでしたが、今年はまず名義別に作成しました。夫名義の財産一覧。妻名義の財産一覧。金融以外の不動産なども記載しました。市役所から通知される固定資産税評価額を書き出し、相続税評価額の概算を知っておくこと。価格が変動する金融商品は、購入時の価格と時価を出します。それらを合わせて、資産の見える化ができました。

イベントにかける費用は見直し

それらを踏まえて、今後30年の家計キャッシュフロー(収支予想表)をざっくり出してみました。未来は不確実で何が起きるかはわかりません。ですが、だからこそ足元を確認し、今の段階で予想できることを入れ込んだ予想表の作成が大事になるのだと思います。

これからも多少の仕事をしたいと願うものの、メインは公的年金となる想定で収入を設定します。大きな買い物や孫への支援のほか、介護や病気、住まなくなった家の処分も算段します。それで分かったことは、毎月の生活は年金だけでは足りず、少し取り崩すことになりそうです。また大きなイベントにかかる費用の見積りがバカにならないことを改めて気づかされました。イベントにかける費用は見直しをしていくつもりです。

モノのお片付けやお金のお片付けを、できるところから一つ一つしていかなくてはと感じています。若いときのようにはできませんので、できるところから進めてまいりましょう。(消費生活アドバイザー)

国保の保険料を過大徴収 11人から計約22万円 つくば市

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つくば市役所

つくば市は5日、国民健康保険に加入している被保険者11人から、保険料計22万4200円を過大徴収していたことが分かったと発表した。所得税や住民税の修正申告に伴い、国保の保険料をさかのぼって変更する事務処理に誤りがあったのが原因。市は11人に対し返還手続きを進めるとしている。

市国民健康保険課によると11人は、市が国保税を年金などから天引きしている人のうち、2012年度から20年度までの保険料について、変更があった人など。

同市では、国保の保険料を年金などから天引きする「特別徴収」の納付期限が5月10日、口座振替などで納付する「普通徴収」の期限が7月末となっている。一方、国保の保険料は地方税法の定めにより、納付期限の翌日から最大で過去3年間までしか、さかのぼって金額を変更することができない。

市は、対象年度の3年後の15年4月から23年7月までの間、特別徴収の納付期限を普通徴収と同じ7月末として一律に処理したため、本来、特別徴収の保険料を変更できる期間は5月10日までとなるが、納付期限翌日の5月11日から7月までの分も増額変更し過大徴収してしまったとしている。

同様の過大徴収は全国各地の市町村で発生している。昨年11月、県から市に情報提供があり、確認したところ同市でも過大徴収があることが分かった。

再発防止策として市は、国保税に関する国や県からの通知を改めて見直すと共に、さかのぼって保険料の変更がある場合は国保の事務処理システムに注意喚起を表示するなどの機能を付加するとしている。

「独立系書店」土浦に開業 書店文化を次世代に

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「生存書房」店主の藤田康元さん

活字離れやネット購買の浸透などから全国的に書店が減少する中、専門性の高い選書やイベントの企画を通じて店主の個性を打ち出す個人経営による「独立系書店」がつくば・土浦地域にも広がっている。昨年8月、土浦市にオープンした古書店「生存書房」もその一つ。障害者福祉の仕事に就きながら、科学史を専門とする大学非常勤講師で同書店店主の藤田康元さん(57)は「みんなで助け合い、今の困難な時代を生き延びるため」と書店への思いに力を込める。

社会問題、社会思想が2000冊

土浦駅から徒歩5分。霞ケ浦を望む築50年以上の民家の1階に「生存書房」の看板が立てかけられる。2021年に物件を見つけ、2年かけてDIYで手を入れてきた室内には、真新しい手製の木製棚に国内外の社会問題や社会思想に関する書籍が約2000冊並んでいる。

藤田さん自身がDIYで室内をリフォームし書棚も手がけた

お薦めを聞くと藤田さんが取り出してくれたのが、「図説17都県 放射能測定マップ 読み解き集」というA4判232ページの書籍。2011年の東日本大震災後に起きた原発事故による各地の放射能汚染状況を、草の根でつながる有志が6年かけて調査し、そのデータを分析・解説したものだ。自費出版ながら全国紙が取り上げるなどして注目を集め、発行部数は2万部を超えた。

震災後、放射能測定所を開設

藤田さんは震災後につくば市の自宅で友人らと資金を集めて「つくば市民放射能測定所」を開設し、依頼を受けた食品や土壌の調査を繰り返した。その知見を生かして同書籍の作成に調査・執筆陣として参加した。より正確な情報を多くの市民と共有することで、危機的状況を共に生き延びるという使命感からだった。

神奈川県出身の藤田さんが仕事の都合でつくば市に転居したのは、2003年。研究所や大学に勤務しながら、自分で書店を持ちたい思いを抱いていく。そのきっかけの一つが2011年の震災だったという。当時の心境をこう振り返る。

「震災後、地震や津波、放射能に関する本が多数出版された。中には復刊、増刷された重要な古典もあった。でもネットで販売される関連書籍を見ると品切れだったり、プレミアがついて高額で取引されたりして手に入りにくくなっていた。お金がある人だけが情報を手にできる状況に、それっておかしいんじゃないかと思った」

同時期に関わった、20代前半の女性との出会いにも心が動かされた。労働運動に携わるある知人と、困窮する人たちの生活相談にあたっていたときのことだ。県内在住のその女性は、ある事情から生活保護を受給し生活を立て直そうとしていた。その渦中で震災に遭った。

「3.11の後、つくばにも放射性プルームが飛んできた。ある層の人たちの中には、海外に逃げた人もいた。でも、生活に困窮していた彼女は、原発事故があったのは知っていたけど、それがどういう意味を持つかは全く知らなかった。弱い立場にいる人ほど情報を得られず、何かが起きた時に被害に遭いやすく、リスクを負う可能性が高い。さらに被害に遭っても、立場の弱さ故になかなか目立たず、忘れられやすい。情報強者と弱者がいる。そこにも格差があると実感した」

その後、コロナ禍でも同様の場面を目にしたことも書店開設への後押しになった。

「震災やコロナ禍に限らず、危機的な状況の中で多くの人が、今、何が起きているのか情報を求める。世の中で必要とされる専門的な知識や学問は、みんなで今を生き抜くためにシェアしなければいけないと思った。だからこそ、それぞれの街に、適切な値段で必要な書籍を手にできるところがあるべき。それが自分の関心領域であれば、何が良い本か分かっているわけですから、僕にもそれができると思った。『生存書房』は新刊も扱う古本屋ではあるが、同時に図書室としての意味も持たせたかった」

必要な知識を共有する場に

生存書房は、土浦駅の東西出口、どちらからも徒歩5分ほどの場所にある。この立地にもこだわりがある。「現代は車社会だが、車を運転できる人ばかりじゃない。駅から近ければ県内外からバスと電車で来てもらえる。徒歩や自転車でも、誰もが来やすい場所にしたかった。周囲には有料駐車場もあるので、もちろん車でもきていただける」

今後はテーマを決めての読書会や、著者を招いてのイベントも企画していくと言い、市民運動の情報が集まる場にもしていきたいと話す。「古い街並みが残り歴史と文化が根付く街であることも土浦を選んだ理由。霞ケ浦が見える『ウォーターフロント』であることもポイント。僕は水辺が好きなんです」と笑みを浮かべる。

藤田さんは現在、県外の大学で授業をもちながら、週に数日、夜間介助に就いている。書店を開けるのは主に週末だ。お店の様子は日々、SNSで活発に発信している。その中で、各地で同様の書店を営む人同士の繋がりも生まれているという。

出版科学研究所によると、1998年の約2万2000軒だった全国の書店は、2020年には約1万1000件と約22年間で半減したとされる。書店のない自治体も増加し続け、「書店」という文化は消失の危機に直面している。

「必要な知識を共有する場にしたい」と始めた「生存書房」。自分ならではの暮らしを築きながら、藤田さんは、書店が担うべき文化を守っていきたいという。(柴田大輔)

◆生存書房は土浦市川口2-2-12。問い合わせは電話(050-1808-8525)またはメールへ。営業日等はホームページへ。

➡独立系書店の過去記事はこちら

この日記も今夏で10年《続・平熱日記》149

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絵は筆者

【コラム・斉藤裕之】朝起きてすぐに薪ストーブに火を入れる。と、その前に必ずすることがあって、それはストーブのガラス窓をきれいにすること。小さく切ったスポンジに水を少しつけて、ストーブの中の灰をちょちょっと着ける。そのスポンジで煤(すす)はきれいに落ちる。きれいになったガラス越しの炎は何とも美しい。

まだ外は暗いが、パクの散歩に出かける。帰って来ると、ストーブの火が程よく部屋を暖めてくれている。コーヒーを2杯分淹(い)れて、新聞を開く。9割の記事は読んでいないと思うのだけれど、それでもページをめくっていると、何となく世の中のことが目に入る。

元旦といえども、このルーティーンが変わることはない。ただ、いつもは閉めているアトリエの扉のカーテンを開けておく。するとその扉の真正面に陽が昇って、アトリエの一番奥の壁に真新しい光を放つ。

今年は子供たちもそれぞれの正月を楽しんでいるようで、私ひとりのひっそりとした正月だ。ここのところは新たな決意などのすることもなくなったが、実は私にはこの正月にやっておきたいことがある。年の暮れから柄にもなく絵を描こうと思っているのだ。

というのも、3月と5月に個展がある。だから、この年末年始になんとか目鼻を付けておきたいと思ったのだ。つまり、このひとりきりの正月は、まさに絶好のお絵かきタイムなのだ。

しかし、なにせ平熱日記というぐらいなものだから、急いでたくさん描けるものでもない。描いているのはほんのわずかな時間で、気が付くと、1日のほとんどがぼーっと過ぎてしまう。

1年の始まりはイリコ描き

ところで、この「平熱日記」の連載を始めて、今年の8月で10年が過ぎようとしていることに気付いた。たまたま別の取材に来られていた旧常陽新聞の記者の方との出会いから始まった平熱日記。

ちなみに第1話は、イリコの絵とそれにまつわる逸話。当時は毎週1話と絵を描いていたので、隔週WEB版の「続・平熱日記」になってからのものを合わせると、これまでにざっと400話のコラムと400点の小さな絵を描いてきたことになる。

今では、すっかり私の生活の一部ともなっている平熱日記。取るに足らない日常のできごとやおじさんのボヤキと、毎朝描く小さな絵。さして目新しいこともなく、毎日毎年、同じところをぐるぐると回っているような気がしないでもないが、「平熱(継続)は力なり」。

さて、相変わらず夜中に起きてしまうことがある(今がそう)。そんなときも、まずはストーブのガラスをきれいにして火を入れる。家の中には私しかいないので、誰憚(はばか)ることもなく、やや?早めの1日を始める。

机の上には年を越した描きかけの絵が幾枚もあって、とりあえずその続きを…。「そうだ!」1年の始まりはイリコだった。思い出したように、冷凍庫からイリコを取り出して描き始める。確か1年前も同じようなことをしたのを思い出した。いい感じに温まってきたストーブのそばにパクが来て寝転がった。(画家)

対話閉ざし、伝家の宝刀-沖縄・辺野古で代執行《邑から日本を見る》151

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初日の出に光る麦畑(那珂市静地内)

【コラム・先﨑千尋】米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設をめぐり、政府は昨年12月28日、工事の設計変更を沖縄県に代わって承認する「代執行」を行った。これは地方自治法に基づき国が代執行する初の事例。国交省が防衛相沖縄防衛局に承認書を渡す、即ち国が国の行為を認めるという異例の処置だ。

同局は今月12日にも軟弱地盤がある海域の工事に着手するが、工事が完了するのは早くても12年後。これに対して沖縄県は、代執行を認めた福岡高裁沖縄支部の判決を不服として最高裁に上告した。

この問題は、1996年に日米が、市街地にあり、「世界一危険な」普天間飛行場を返還し、辺野古沖に新たな飛行場を建設すると合意したことが起点だ。建設事業は2014年から始められ、予定地の南側は埋立てがほぼ完了した。しかし、北側の大浦湾の埋立て予定地が軟弱地盤であることが分かり、防衛相は沖縄県に工事の設計変更を求めてきた。

政府はこれまで、普天間飛行場の返還のためには「辺野古移設が唯一の解決」との姿勢を示し続け、実質上、県との対話を拒否し続けてきた。一方、同県では、この問題をめぐって建設阻止の声が強く、知事選では、阻止派の翁長、玉城を選び、県民投票でも「辺野古移設に反対」が7割を超えている。

代執行後の記者会見で、玉城知事は「代執行は、沖縄県の自主性および自立性を侵害し、多くの沖縄県民の民意に反する。民意こそ公益だ」と、反対の姿勢を続けることを表明した。

小指の痛みは身体全体の痛み

一般には「代執行」は耳慣れない言葉だ。代執行とは、自治体の仕事のうち、旅券発行や選挙管理など国から委ねられた法定受託事務の執行を怠ったり、法令に違反したりした場合に、国が代わって行うというもの。他に解決手段がなく、そのままにすると著しく公益を害するケースが対象になる。

今回の代執行は、2000年の地方自治法改正により「国と地方の関係は、上下・主従から対等・協力」になって、初めてのケースだ。「辺野古移設は国益」という政府と「建設阻止」という民意が、正面からぶつかっている。

見出しに使ったタイトルは、昨年12月29日の『茨城新聞』のもの。「国と自治体の関係は『対等・協力』とする地方分権の理念を揺るがす異例の事態」と書いている。『沖縄タイムス』は、同月26日の社説で「パンドラの箱があいた」と、代執行により対立と混迷が深まることを憂いている。

『毎日新聞』は「代執行という制度は、権利救済を求める一般私人が使うためのもので、国の機関が使うのはおかしい」と沖縄県の訴えを紹介したあと、「地方自治体がやることについて国が気に入らない時には代執行の手続を進め、裁判所は追認する。国と地方が対等という地方分権改革の意義はなくなってしまう」と、早稲田大の岡田正則教授の話を載せている(12月29日)。

「小指の痛みは身体全体の痛み」という言葉がある。今回の代執行は、沖縄だけのことではなく、私たちの身の回りのことにも影響が出るかもしれないことを示している。東京電力福島第1原発の汚染水の海洋放出でも、政府が被害を受ける漁民の反対を押し切って実施していることは、その一つだ。(元瓜連町長)

つくば、土浦で成人式 マスク無し、笑顔で再会

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式典を終えて会場を離れる参加者たち(=つくばカピオ)

つくば、土浦市で7日、20歳の門出を祝う「二十歳のつどい」が開かれた。コロナが5類になって初の成人式に、参加する多くの若者がマスク無しの笑顔で再会を喜び合っていた。つくば市では、式典を出身中学ごとに分け、昨年に引き続き午前、午後の2部制で開催された。今年度に20歳を迎えた同市の参加対象者は2792人だった。土浦市では1355人が20歳を迎え、式典では、コロナ禍で行われてこなかったアトラクションなどが再開され、市内のダンススクールの生徒によるジャズダンスが披露された。

困難な状況にある人に心を向けて

快晴となったこの日、式典会場となったつくばカピオ(つくば市竹園)前には開場の1時間以上前から晴れ着やスーツに身を包んだ参加者たちが集まった。

一緒に会場に来た大﨑ゆなさん(20)さんと間宮楓さん(20)さんは中学の同級生で、この日は美容室を営む大崎さんの祖母に、朝4時から着物を着付けてもらった。現在、美容学校に通う大崎さんは「将来は美容師として、おばあちゃんの後を継げるよう頑張りたい」と明るく話し、大学で文学を学んでいるという間宮さんは「いい旦那さんと出会いたい」と笑顔を浮かべた。

会場に入っていく晴れ着の女性に視線を送っていたのは、娘を送り届けにきたと話すブラジル出身の野口ヘルベルトさんと、妻でフィリピン出身の野口サリースアレスさんだ。2005年に来日したというサリースアレスさんは「娘は保育士になるとがんばっている。大変なこともあったけど、立派に成長してくれて本当にハッピーです」と言い、日本在住25年のヘルベルトさんは「誰にも優しくできる先生になってほしい」と娘に温かい言葉を贈った。

会場では、思い出の映像が流された=つくばカピオ

式典では20歳を迎えた参加者を代表して中島碧音さんが、コロナ禍での過去を念頭に「今までのスタンダードがそうでなくなる瞬間に何度も立ち合ってきた」としながら「しかし、その軌跡も貴重な経験」と力を込めると、「当たり前が当たり前でないことを意識し、今の自分があることに感謝しながら、これまでの経験を活かし、しっかり芯を持ちながら柔軟な人間になる」と誓いを述べた。

あいさつに立ったつくば市の五十嵐立青市長は、今が「当たり前が当たり前じゃなくなっている時代」であると中島さんの言葉を引きながら、元日に起きた能登半島での地震、ウクライナやパレスチナで続く紛争の中で、「20歳を迎えることができずに命を落とす人たちがいる」とし、「困難な状況にある人に心を向けて、皆さんが、その尊い命をそんな人のために使っていただけたらそれ以上のことはありません。一生懸命これから先も、皆さんの命を燃やして生きていってほしい」と思いを語った。

困難を乗り越える力を

土浦では午後1時30分からクラフトシビックホール土浦(同市東真鍋)で「二十歳のつどい」が開催された。

市内在住で現在、半導体の関連企業に勤務する小林大樹さん(20)は「今の仕事に就いて間もなく1年がたつ。これから、より高い技術を身につけて、長く働いていきたい」と目標を語った。小林さんの同級生で、久しぶりの再会を喜んだ川村公優さん(20)は現在、看護学校に通っているとし「卒業後は大学に入り直し、人を育てる仕事をしていきたい」と思いを語った。

クラフトシビックホール土浦に集まる参加者たち

式典に先立ち、土浦と石岡が拠点のダンススクール「マリ・ジャズダンス・カンパニー(Mari Jazzdance Company)」の生徒らによる躍動感あふれるダンスが披露された。同スクールのメンバーで今年20歳を迎えた中村咲也香さんは、レッスンを通じて「とにかく笑顔でいる」「気持ち次第で自分の見る世界は変わる」「どんなに辛くても楽しんだもの勝ち」だと学び、それを心の支えに自立した社会に貢献できる大人に成長したいと語った。

式典では参加者を代表して、運営委員長の梶山優月さんが謝辞を述べた。中学、高校と陸上に打ち込んできたという梶山さんは、当時、部活で感じた達成感や喜びを振り返りながら、「新たなことに挑戦することや継続して努力をすることに楽しさを覚え、主体性や忍耐力が高まり、自分に自信が持てるようになった」とし、自身を支えてくれた周囲への感謝を述べると、現在通う大学でも「今しかできないたくさんの経験を積み、社会に貢献できる人になるために残りの学生生活を有意義なものにしたい」と力を込め、「大人としての自覚と責任を持ち、一歩一歩、歩んでいく」と誓いを述べた。

土浦市の安藤真理子市長は、前年に新型コロナウィルスが5類になったことに触れ、「皆さんが高校生のとき、外に出るな、学校に来るな、人と会うなと制限され、本当に大変だったと思います。だからこそ、今日、この様に、皆さんが一堂に会することができ、本当にうれしく思います。みなさん、本当に良かったですね」と参加者たちをねぎらい、「皆さんは困難を乗り越える力を、ピンチをチャンスに変える力をどの世代よりも持っている。自分を信じて未来を築き上げていってください」と、参加者に言葉を贈った。(柴田大輔)