土曜日, 11月 8, 2025
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夏休みの子育て家庭に食品寄付を 8月1日受け付け つくば子ども支援ネット

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マスクの寄付も呼びかける山内代表

【川端舞】学校給食がなくなる夏休み中の家庭の経済的負担を少なくしようと、つくば市の子育て支援団体「つくば子ども支援ネット」(山内ゆかり代表)が、夏休みがスタートする8月1日と2日、余っている食品の寄付を受け付ける「フードドライブ」と、寄付された食品を経済的困難を抱える家庭に無料で配布する「フードパントリー」実施する。

同会によると、新型コロナウイルスの影響で経済的に困難を抱える家庭が増加している。夏休み中は学校給食がなくなり、子育て家庭の食費や光熱費の負担が増え、経済的困難を抱える家庭はさらに厳しい状況に追い込まれることから実施する。

つながっていない家庭にも

同会は、市内の子ども食堂や無料の学習支援団体などをつなげ、寄付された食品や文具の分配などを行っている。

子ども食堂や学習支援団体も日頃から、食事提供など経済的な支援をしており、支援団体につながっている家庭はさまざまな支援の情報も手に入りやすい。一方、支援団体につながっていない家庭は、支援を受ける力「受援力」が弱いことが多い。

この状況を改善しようと同会は、企業や家庭から寄付された食品や文具などを、市内の支援団体に分配すると共に、経済的に困難な状況にあるのに支援団体につながっていない家庭にも直接、届けようとしている。

当初は来年度に本格的な活動を開始する予定で、市内の子ども食堂「竹園土曜ひろば」の副代表である山内ゆかりさん(48)を中心に準備を進めていたが、新型コロナウイルスの影響で経済的に困難を抱える家庭が増加したため、活動の拡大を早めた。

「助けて」と言える場がある

「一般家庭から広く寄付を受け付けることで、ボランティアは大げさなことではなく、ご近所におすそ分けする感覚でできるということに気づいてもらいたい」と、同支援ネット代表の山内さんは語る。

さらに「経済的に困難な状況になるのは、長い人生の中で誰にでも起こりうることであり、恥ずかしいことではない。行政が行う支援の対象になっていても、つながるタイミングがなかったり、世帯収入は基準以上で、行政支援の対象外であっても、様々な事情で経済的に困窮していたりする家庭も多いはず。そのような家庭でも身構えずに『助けて』と言える場が地域にあることを知ってほしい」と山内さんは語る。

すでに他の団体から支援を受けている家庭でも、足りない場合は利用してほしいという。また、今回は都合が悪く参加できなくても、希望者がいれば、できるだけ早く次の機会を設けるので、まずは連絡してほしいと話す。

マスク1枚、鉛筆1本でも

食品以外でも、日用品や文具の寄付も受け付けており、8月2日の配布会で希望者に食品とともに配布する。

新型コロナウイルスの影響で生活必需品となっているマスクもその1つ。現在、市内の支援団体につながっている家庭にはマスクも支給されているが、つながっていない家庭ではマスクの常備も心配ではないかと、山内さんは危惧する。

寄付を受けるマスクは、市販品でも手作り品でもよいが、衛生的配慮から、包装されているものに限る。また、寄付はマスクに限らず、鉛筆1本やノート1冊でも、寄付してもらえれば、必要な家庭に配布するという。

フードドライブとフードパントリーを呼びかけるチラシ

◆寄付は8月1日午前10時から午後3時に竹園交流センター(同市竹園)で受け付け、翌2日に食品を無料で配布する。寄付できる食品は、原則、賞味期限が8月15日以降の未開封のもの。翌日に配布されるため、野菜や生鮮食品も受け付けるが、事前に連絡が必要。

2日に食品を配布する場所は希望者にだけ伝える。受け取りたい家庭は電話(070-4451-6328)かメールkodomoshien.net.tsukuba@gmail.com、LINE公式アカウント(「つくば子ども支援ネット ホッとライン」(LINE ID:@971stxgf))で事前連絡が必要。支援を必要とする人専用(子ども本人でも可)のLINE公式アカウントは、登録もメッセージの送受信も他人からは見えないようになっている。

詳しくは「つくば子ども支援ネット」ホームぺージへ。

《食とエトセトラ》5 夏こそ革の手袋

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【コラム・吉田礼子】6~7年前だったろうか。ひときわ暑い8月、お祭りやお盆など行事が目白押しで、夏休みも終わろうとするころ。2学期に向けてのリセットにと、夫と娘家族3人でちょっと遠めのドライブに行くことにした。実家がある宮城県は遠すぎるので、群馬県に隣接する軽井沢を選んだ。朝早く出れば日帰りもできる距離。ドライバーも3人となれば心強い。

早起きして緑深い山路へと向かう。陽も昇り陽射しが気になってきたころ、いつもバッグに入れているUVカットのロンググローブがないことに気付いた。そこでグローブボックスを探してみると、冬場に重宝していた革の手袋を発見。

冬用と決め込んでいたはずなのに意外に使いやすい。陽は遮断され、手の甲は日焼けの心配がなく、裏地のおかげで中が熱くならない。さらにドライブ手袋としても優れもの。滑りにくいことは言うに及ばず、遠出ドライブにはハンドルの握りの力加減が楽なのだ。ゴルファーや野球選手たちが使っているわけが分かった。

幼いころ、テレビの「ローハイド」に出てくるクリントイーストウッドは、1日の仕事の終わりに、革手袋を外し、ポンと叩いてほこりを落としていた。その動作が印象深く忘れられない。寒さ対策だけではない、ファッションアイテムだけでもない、作業にも必要な道具であったわけだ。

冬だけでなく1年中販売したら

帰路、片方の手袋を失くしたことに気付いた。車内を探しても見当たらず、アウトレットに寄り買い求めることにした。しかし、季節外れということなのか、革手袋を置いている店はなかった。1年中販売していただきたいと願うばかりである。

革手袋は用として優れていても、革であるが故の弱点がある。水がしみ込んだ時、重く冷たく乾きにくい。雪合戦や雪だるま作りに、革の手袋やブーツは要注意。雪や雨の時は革ブーツではなく、ゴム長靴が必需品になる。滑りにくいように、底も厚く溝も深い。舗装がよくなり、雨の日でも長靴を履く人が少なくなったが、最近の気象では長靴は必需品だ。 ここ10年ぐらい、水害、台風などの自然災害に心穏やかに過ごせない。自分や家族の安全確保の備蓄品として、ゴム長靴を用意しておきたい。(料理教室主宰)        

土浦花火大会中止を決定 別途サプライズ打ち上げ検討

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2017年の土浦全国花火競技大会の様子

【鈴木宏子】11月7日開催予定の第89回土浦全国花火競技大会について、同大会実行委員会(会長・安藤真理子土浦市長)は29日、中止すると発表した。新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、土浦の中止決定により、今年は秋田県大曲、新潟県長岡を含め日本三大花火すべてが中止となった。

一方、今年の土浦大会は、市制施行80周年の記念大会でもあったことから、大会とは別に記念花火の打ち上げを検討しているという。同実行委員会事務局の市花火対策室によると、例えば、日時や場所を非公開とし数分間打ち上げたり、今年度中に何回か、サプライズ花火を打ち上げるなどを検討しているという。

国が22日、8月1日以降も大規模イベントの規制を継続すると決めたのを受けて、28日夕方、同実行委役員会を開き中止を決めた。

新型コロナの収束が見通せない中、全国から訪れる70万人を超える観客全員に、感染防止対策をとることはできないと判断した。

同実行委は「楽しみにしている大勢の花火ファンの皆様には申し訳ありません。来年、第90回記念大会として、盛大に開催できる準備を進めますので、ご理解お願いします」としている。

土浦花火大会は2018年と19年に2年続けて事故があった。今年は安全に実施するため花火対策室を新設して準備を進めていた。

不存在の議事録 「後から発見された」 日本財団軽症者施設問題でつくば市

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「後から発見された」という五十嵐つくば市長と日本財団尾形理事長の議事録

日本財団(東京都港区、笹川陽平会長)がつくば市南原のつくば研究所跡地に計画している新型コロナウイルス感染者の軽症者滞在施設について、つくば市は、資料が不存在だとしていたが(6月25日付)、「存在していない」はずの議事録が「発見された」として不開示決定を取り下げ開示した。市によれば、存在していた資料が後から発見され開示されるケースは初めてという。

5月末、NEWSつくばはつくば市に同施設の運営に関わる検討資料の情報公開請求を行った。しかし、6月9日、市は検討資料が「全く存在していない」として不開示決定を下した。ところが、6月30日、市は「存在していない」はずの議事録が「発見された」として不開示決定を取り下げ開示した。

開示されたのは同財団の尾形武寿理事長が4月30日につくば市役所に来庁し五十嵐立青市長と直接やりとりした際の議事録だ。

なぜ存在してないはずの文書が発見されたのか。市の担当者によれば、4月30日、日本財団尾形理事長の来庁当日に、市長公室内にある秘書課が議事録を作成した。

5月末、情報公開窓口である総務課の担当者は、NEWSつくばの開示請求を受け、市長公室に検討資料の有無を確認した。

このとき市長公室は、秘書課に議事録が既に在ったにも関わらず「資料は全く存在していない」と総務課に回答したという。

同時に、新型コロナウイルス関連の主たる担当部署である健康増進課も資料はないと総務課に回答した。

これにもとづき総務課は不開示決定を行ったという。

しかし、公開された議事録によれば、会議には市長や日本財団関係者のほか、市長公室秘書課の職員及び健康増進課のある保健福祉部の部長が参加している。開示請求の時点で市長公室秘書課において既に議事録が作成されていたのである。

市の担当者は、恣意的に議事録を開示しなかったのではないと隠蔽の可能性を否定し、あくまでも「連絡ミス」という説明をしている。

若い職員の連絡ミス?

連絡ミスの原因は、総務課の問い合わせに対し資料は存在しないと回答した市長公室の担当者が、若い職員であったこと、議事録が機密性の高い資料であるために「下までは共有されていなかった」ことにあると市は釈明する。

なおこの会議については、重要な案件として、市のホームぺージや五十嵐市長のツィッターなどで会議の内容の一部について広報が複数回なされていた。

市の説明について、筑波大学人文社会系教授で弁護士の根本信義氏はNEWSつくばの取材に対し「私も役所に勤めたことがなく分からない部分が大きいが、あくまで一般論としては、担当課といえども下の者が知らない会議はありうるだろう。総務課から問い合わせを受けた職員が会議の存在を知っていたとすれば、上司に確認を取れば議事録の存在は分かったことであるから、確認を取らなかったのが問題ということにはなる。ただ、問い合わせを受けた職員が会議の存在そのものを知らされていない場合には、会議があったかどうかまで確認する義務があったかどうかが問題となる」としている。

《令和楽学ラボ》8 光圀公が称えたお茶「初音」

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古内茶初音

【コラム・川上美智子】水戸藩第2代藩主・徳川光圀(とくがわ みつくに、1628~1701)ゆかりのお茶の試飲会が6月24日に城里町の清音(せいおん)禅寺で行われた。光圀公は1694年にこの寺を訪れ、そこでもてなされた茶を愛(め)で、中国・唐の詩人・盧仝(ろどう)の「七碗茶歌」に準(なぞら)え、漢詩「七碗の竜茶を喫す…人生半日の間、およそ八苦を忘る」を残し、「初音(はつね)」と命名した。

古内(ふるうち)地区茶業協同組合は数年前に「初音プロジェクト」を立ち上げ、境内に残る茶母木(ほうぎ)をもとに若樹(わかぎ)を数年間大切に育ててきた。ようやく今年、生葉5キロが摘採され、わずか300グラムほどの貴重な茶葉に仕立てられた。

その席で、茶の香気分析研究を専門とし、茨城県の三大銘茶(奥久慈茶、古内茶、猿島茶)の香りも明らかにしてきた関係で、「初音」の香味(こうみ)について講評を行った。その香味は、新型コロナウイルスの影響から茶摘み時期が遅れ、葉が育ち過ぎたこともあり、苦渋味(くじゅうみ)が強かったが、茶樹本来の素朴でスッキリとした味わいと、やわらかな甘い焙(ほう)じ香が感じられた。

その際、光圀公が飲まれたお茶が、どのような形態であったのか(抹茶か、煎茶のような淹茶=えんちゃ=か)、よくわかっていないという話をうかがった。確かに、江戸期は、茶の湯文化全盛であった日本に、明代に誕生した新たな茶の飲用法の「葉茶(はちゃ)」が、中国からもたらされた時期でもある。これまで調査してきた黄門料理や茶の歴史に照らし合わせ、その謎を解いてみたい。

城里町古内地区で茶栽培を奨励

まず、「葉茶」が日本に伝来したのは、1654年のことである。日本の煎茶道の開祖と言われる隠元禅師(いんげんぜんじ、1592~1673)が来日し、京都の宇治に黄檗宗萬福寺(おうばくしゅう まんぷくじ)を開山して中国の明の煎茶(釜炒製芽茶=かまいりせいめちゃ=)の飲用法を伝えている。「葉茶」で使われる急須(きゅうす)に相当する「茶壺(ちゃだし)」と小型の「茶瓯(ちゃわん)」も当然一緒に伝えられているはずである。光圀公26歳の時である。

光圀公が清音寺を訪れたのは、66歳の時であり、その頃刊行された『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』に庶民が「葉茶」を飲用していたことが記されている。よって、清音寺の茶は中国式(竜)の「釜炒緑茶」、七碗の「碗(わん)」は小型の「茶瓯」であったと結論づけられる。

因みに、光圀が亡くなった1701年に記された光圀言行録「桃源遺事(とうげんいじ)」には、光圀公のこの国を豊かにするための食や動植物資源収集への挑戦が記されている。

「西山公、むかしより、禽獣草木(きんじゅうそうもく)の類までも、日本になきものをば唐土(もろこし)より御取よせなされ、又日本の中にても、其(その)国にありて、此(この)国になきものをば、其国より此國へ御うつし被成候(なされそうろう)、其思し召(そのおぼしめ)す之に記す」とあり、朝鮮人参、孔翠(くじゃく)、龍眼(りゅうがん)のほか、サザエ、赤貝、石付き昆布などを那珂湊に放つなど、現在の茨城の礎(いしずえ)を築いたことがわかる。その中には「茶」の文字も見られ、古内地区では茶栽培を奨励したという。

なお、蒸熱(じょうねつ)製の煎茶(永谷式煎茶)が日本で発明されるのは、1738年以降のことであり、光圀公は日本人が愛する新茶の香りを知ることはなかった。(茨城キリスト教大学名誉教授)

軽症患者搬送車を無償貸与 関彰商事が土浦市に PCR検査で活用

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土浦市に無償貸与した新型コロナ軽症患者搬送車について説明する関彰商事の関正樹社長㊨と、安藤真理子土浦市長。運転席と後部座席の間に仕切りが設けてある=28日、土浦市役所ウララ広場

【鈴木宏子】新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、軽症患者を搬送する専用の車を28日、関彰商事(つくば市、関正樹社長)が土浦市に無償で貸与した。

同市では8月3日、市医師会が市内にPCR検査センター(地域外来・検査センター)を開設する。感染の疑いがあり、自家用車などで検査センターに行くことができない高齢者などを送迎する車として、市が8月3日から活用する。

搬送車は7人乗りのホンダ・ステップワゴン(排気量1900㏄)で、車内を改良し、運転席と後部座席との間に仕切りを設置した。さらに運転席から外気を導入し後部座席から自然排気することで後部座席が陰圧になるようにして、飛沫感染を防止できるようにした。

PCR検査センター開設を前に、市医師会が同市に相談を持ち掛けたのがきっかけという。自分で検査センターに行くことができない高齢者などを送迎するため、市が、専用の車を探していたところ、感染拡大防止のため支援活動に取り組んでいたホンダと関彰商事から、無償で貸与を受けられることになった。

同市役所ウララ広場で28日、貸与式が催され、関社長は「感染者を搬送するため配慮された車なので、地域の企業としてお役に立つことができれば」とあいさつした。安藤真理子市長は「心より感謝したい。8月3日にPCR検査センターができるので、搬送車を役立てたい。私共も一丸となって感染拡大防止に努めたい」などと話した。

貸与期間は10月31日までだが、関彰商事は、土浦市から要望があれば11月以降も無償貸与を続けたいとしている。

PCR検査センターの開設は県内6カ所目。発熱やかぜの症状など新型コロナウイルスの症状があって、市内の医療機関を受診し、医師から紹介を受けた患者が検査を受ける。土浦市の場合、自家用車がなく家族の送迎も受けられないなど、自力で検査センターに行くことができない患者に対しては、今回無償で貸与された専用の搬送車で、保健師と市職員が自宅から検査センターまで送迎する。センターの場所は公表しないという。

《続・平熱日記》66 ヒノキ、ボンバ家!

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【コラム・斉藤裕之】梅雨の晴れ間は八郷(やさと)のお寺さんの裏山に薪割りの修行?に出かける。チェーンソーで玉切りにした丸太に向かってヨキを振り下ろす。1時間、30分と、徐々に頑張れる時間が短くなる。水と補水飲料の入った大きなペットボトルを2本用意したのだが、噴き出す汗の量に追いつかない。

お寺の本堂の屋根が目の前にあって、そもそもその屋根に木々の葉が落ちてよくないということで、木を伐(き)ることにしたそうだ。すぐ脇にはきれいな水が流れていて、少し上流には小さな滝もある。残された木を利用してツリーハウスなど作ったら面白いとか、小さな庵(いおり)を築いて薪でご飯を炊いたり、ピザを焼いたりするのもいいとか、勝手に想像を膨らましているのだが、そんな他愛(たあい)もない話に住職や奥様は耳を傾けてくれる。

大きな杉の切り株に座って息を整えていると、ハラハラと葉が舞い降りてくる。今ごろになると落葉する広葉樹があることを教えてくれたのは、20年以上前に借りていた古民家のクスの大木。「常盤木(ときわぎ)落ち葉」という風流な言葉があるのを知ったのは、それから大分たってからのことだ。

さてと、汗も引いたので薪割りに戻る。薪割りの何がしんどいかといえば、薪を割り台に据(す)えたり、割った薪を拾い上げて片付けること。いわゆる薪をさばく作業。伐ったばかりの木はとにかく重いし、節の場所や上下などを考えながら、その都度位置を変えなくてはならない。多くは戦後植えられたという立派な杉だが、たまにヒノキも混じる。

我が家の風呂は総スギ張り

ヒノキは建築材料として貴重なものとして扱われてきた。脂分があり、独特の香りを持ち、虫にも強い。文字通り火が付きやすいから、ヒノキといわれるという説もあるらしい。知り合いの大工さんは、立派な自宅を総ヒノキで建てる際に、全てをヒノキで作ると火事になるというジンクスを信じて、ほんの僅かの部材を杉にしたという。

一抱えもある丸太を据えてヨキを狙い通りに振り下ろすと、きれいな木肌が現れヒノキの香りが広がる。

ふと頭の中を、アントニオ猪木の入場テーマが流れはじめた。「ヒノキ、ボンバ家!ヒノキ、ボンバ…」。単純な作業はリズムを生む。こりゃいい調子の労働歌だ。ふと思いついて、割れたヒノキを1本持って帰ることにした。朝から作業を始めると、昼には足元が危うくなる。熱中症も心配だ。ケガをする前に引き上げるとする。

家に着くと、まずは汗を流す。我が家の風呂は総杉張り。最終的に石膏ボードと壁紙で覆われてしまう、今の「総ヒノキ造り」の住宅に異を唱える弟と作った風呂場だ。そこに持ち帰ったヒノキの薪を一本置いた。本来なら東京は今ごろ五輪一色。まさにアスリートのヒノキ舞台になっていたはず。よもやコロナの火元としてくすぶり続けようとは。湯船につかると、ヒノキの香りが湯気と共に立ち上がった。(画家)

「再認定」にらみ再始動 筑波山地域ジオパーク認定ガイド

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7つのジオストーリーの解説はつくば市ジオパーク室に5月配属になった富永紘平専門員が行った=26日、つくば市役所

【相澤冬樹】日本ジオパーク委員会(JGC)の「再認定」審査を控える筑波山地域ジオパークで、活動の中核を担う認定ジオガイドの今年度初会合が26日、つくば市役所で開かれた。2月に新陣容に切り替わったものの、新型コロナの影響から事業のスタートが切れずにいた。再始動後は技術研修やモデルコースの内容検討、ガイド組織の立ち上げなど盛りだくさんの事業を抱え、毎月会合を開催する「密」なスケジュールで臨むことになった。

会合には、ウェブ参加を含め約20人の認定ジオガイドが参加し、意見を交換した。同ジオパークは、石岡、笠間、つくば、桜川、土浦、かすみがうらの6市で推進協議会を構成するが、認定ガイドには6市以外からの参加者も含まれる。2月に初の更新があり、ガイドはそれまでの42人から57人に増強された。

ジオガイドは一定の研修を経て認定され、認定期間中(2年)は、同協議会主催のジオツアーに2回以上、フォローアップ・スキルアップ講座に2回以上参加することが継続の要件となっていた。

事務局のつくば市ジオパーク室は今回、この継続要件の撤廃を表明した。新型コロナの影響でジオツアーの開催が難しくなる一方、ガイド自身が推進役となりスキルアップ講座を運営するなど、より積極的な参加を求めたいとして、継続意思の表明を要件とした。新規のガイド募集を行う考えは当面ない。

スキルアップ講座は、リスクマネージメント(危機管理)、インタープリテーション(自然環境などの解説技能)、ユニバーサルデザイン(障害の有無や年齢、性別などにかかわらず、多くの人々が利用しやすいようデザインする考え方)に沿って、それぞれ研修プログラムを作成し、自ら実践する機会と位置付ける。

これらの研修を月1回のジオガイド会合に合わせ開催するともに、筑波山地域ジオパークで大きな課題となっているモデルコースの内容検討も進める。同ジオパークには現状、①筑波山は火山のようで火山じゃない②筑波・鶏足山塊で海洋プレートの動きを探れ!③海から川、そして湖へと姿を変えた霞ケ浦-など7つのジオストーリーを設定しているが、コース時間などを明示する具体的なモデルコース設定には至っていない。

市ジオパーク室によれば、JGCの「再認定」審査は来年1月開催の線で調整しているが、各種研修やモデルコースの内容検討などは年内で終えたい構え。「これらは再認定のために急いで行わなければならないというものはなく、柔軟な対応で進めていきたい」ということだが、26日も3時間超えのロングラン会合。今後も内容みっしりの「密度」になりそうということだった。

利用者の安全を守る 訪問看護現場の模索 新型コロナ

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利用者宅に訪問看護に向かう看護師=つくば市内

【川端舞】新型コロナウイルスの新規感染者が7月に入り県内でも連日のように報告されている。新型コロナの流行は、痰(たん)吸引や人工呼吸器など医療的ケアを受けながら在宅で生活している人を支援する訪問看護の現場にも影響を与える。

特に訪問看護を利用している人は、新型コロナに感染すると重症化してしまう可能性が高い。スタッフによる利用者間の感染を防ぐために、感染や濃厚接触の疑いが少しでもある利用者へのサービスは、中断せざるを得なくなっている。

着替え、手作りのフェイスシールド

つくば市内にある訪問看護ステーションは、約150人の医療的ケアが必要な障害者や高齢者の自宅を訪問し、病状の観察や医療処置、終末期のケアなどを行っている。

訪問看護が一番心配していることは、利用者や看護師が感染することだ。特に無症状の看護師が、重症化する可能性の高い利用者にうつしてしまうことが一番怖いという。

看護師は自らの感染を防ぐために、手洗いなど一般的な感染予防はもちろん、利用者宅への訪問が終わるごとに服を着替え、痰吸引など感染リスクが高い医療処置をする場合は手作りのフェイスシールドをつけ、できるかぎりの対策をしている。

翌日に家族が濃厚接触者

利用者やその家族に感染や濃厚接触の疑いが出た場合は、検査で陰性が判明するまで訪問を中断せざるをえない。訪問を中断した利用者には、電話で体調などを確認し、必要があれば医療機関につなげる。

現在は陰性の結果が出た時点で訪問を再開しているが、以前は検査結果が出るまでに時間がかかり、疑陰性(実際には陽性の反応を示しているにもかかわらず、何らかの原因で陰性に見えること)もあるとされていたため、検査結果は陰性でも、2週間経過しないと訪問を再開できなかった。

訪問看護は1人の看護師が1日に複数の利用者宅を訪問するため、万一、看護師が濃厚接触者になってしまった場合、他の利用者に感染させてしまう危険性がある。

実際、ある利用者宅に看護師が訪問した翌日に、利用者の家族が濃厚接触者になっていたことが判明したため、その家族の陰性が確認されるまで、その利用者宅を訪問した看護師は他の利用者を訪問できなくなったケースがあった。

最近は以前よりPCR検査を迅速に受けられるようになった。今後も安心して訪問看護を継続するために、迅速なPCR検査が行われてほしいという。

風評、訪問キャンセル

また、必要な物品が足りていないことも心配だ。消毒液やマスクは、つくば市から支給されたり、民間企業などから寄付されたりしているが、それでも余裕がない状況は続いている。

加えて、風評被害も出ているという。訪問看護師は病院の建物に出入りすることはないが、看護師が訪問先でバイ菌扱いをされたり、「病院からは来ないでほしい」と訪問看護をキャンセルされたりすることもある。訪問件数が少なくなり、経営を圧迫している。

どうすれば、訪問看護事業所側と利用者側、お互いが安心して訪問看護を継続できるのか、模索が続いている。

《邑から日本を見る》68 あな恐ろし、この日本という国

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【コラム・先﨑千尋】朝令暮改、二転三転、猫の目のような、独断専行、成り行き任せ、支離滅裂。今の安倍政権のやっていることを見ていると、このような言葉が次々に浮かんでくる。「君子豹変す」や「過ちては則(すなわ)ち改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」という言葉もあるが、新型コロナウイルスの蔓延に対して、素人目にもわかる慌てぶりを露呈するこの政権。学校の突然の全国一斉休校からマスクの全戸配布、10万円一律給付への転換等々がそれだ。

極め付きはこの22日から始まった「Go Toトラベル事業」。コロナウイルスの感染拡大で落ち込んだ景気を回復させる起爆剤として、当初は8月1日から始める計画を前倒しして始めた。しかし、初日に国内の感染者が800人近く出て、1日当たりではこれまでの最高を記録した。

この事業も土壇場で東京都発着は除外した。国に反発する小池知事への意趣返しでしかない。キャンセル代金を当初は出さないと言っていたのに、すぐにひっくり返す。どのホテル、旅館に泊まれば割り引きされるのか、どの乗り物ならいいのか、まだわからないとか。

小池知事は「この事業を今始めるのは、アクセルとブレーキを同時に踏むこと。外出を控えて」と言い、菅官房長官は「都内の感染者が多いのは都の責任。感染防止策を取れば大丈夫」と言い放つ。政権与党からも批判が多いこの事業が、感染者が増えつつある中でどう進展していくのかは現時点ではわからない。

私は前に「平時の時、首相や自治体の首長は誰でも務まる。しかし、重大な事件・事故、問題が起きた時、誰がトップかによって事態は大きく変わる」と書いた。1999年の東海村でのJCO臨界事故をいま思い起こしている。国も県も右往左往している時、村上達也村長は「責任はオレが取る」と言って、周辺住民を避難させた。

学校突然休校、黒川問題、コロナ会議廃止

翻って今。「責任を痛感している」と言い続け、責任を取らないで来た安倍首相。その安倍さんってどんな人なのかを知りたくなった。毎日新聞の吉井理記記者の「なぜ首相は『痛感』した責任をとらない? 安倍流処世術、軽さの原点」(7月12日)、野上忠興「安倍晋三 沈黙の仮面」(小学館)、毎日新聞取材班「公文書危機—闇に葬られた記録」(毎日新聞出版)を読んだ。

「しれっとウソをつく。気が強くわがまま。反対意見に瞬間的に反発する自己チュー(自己中心的)タイプ。政治家として必要な情がない。自分を成長させる学習能力の欠如」等々、責任を取らない安倍という人の表裏が伝わってくる。安倍個人の問題なら別に構わないが、首相となるとそれでは困る。

森友問題で文書改ざんさせられた赤木敏夫さんの遺族から出された、改ざんの経過をはっきりさせるようにという裁判が始まったが、「公文書危機」は、安倍首相を支える国そのものが劣化し、危機的状況にあることを知らせてくれる。

桜を見る会、学校の突然の休校、黒川検事長問題、コロナ対策の専門家会議の突然の廃止など、国民にはわからないことだらけだが、トップだけでなく、国の機構そのものがおかしくなっていることを知ると、うすら寒くなる。「民は之(これ)に由(よ)らしむべし、之を知らしむべからず」という『論語』の言葉が今でも生きている。(元瓜連町長)

《霞月楼コレクション》4 永田春水 土浦に始まる戦後美術復興の先導者

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霞月楼

対を成す郷土美術界の双璧

【池田充雄】色紙2枚を貼り交ぜた額が霞月楼にある。左の小川芋銭作は堂々たる雄の軍鶏(しゃも)のようで、右の永田春水作はその幼鳥にも見える。それぞれ時期も作風も異なるが、戦前・戦後の茨城画壇を牽引した2人の作品が肩を並べるのは、奇遇というか象徴的だ。

小川芋銭・永田春水の色紙額装 霞月楼所蔵

父母への恩愛を雅号に刻む

永田春水は1889(明治22)年、北相馬郡相馬町(現取手市藤代)に生まれた。本名良亮。幼少から画才を現わし、取手市宮和田の三軒地稲荷神社には12歳時に奉納した絵馬が残る。

50歳当時の永田春水=書籍「時の人」(1939年、イハラキ時事社)掲載、国立国会図書館ウェブサイトより転載

1907(明治40)年、県立龍ケ崎中学校(現竜ケ崎一高)を卒業後、一家で上野池之端へ移る。永田家は大地主で父は町会議員も務めたが、息子が一人前の画家になるまで故郷の地は踏まぬと、田畑も売り払う決意の上京だった。同年荒木寛畝に入門。寛畝からは「筑畝」の号を授かったが、父・清太郎、母・春への恩義から後に「春水」と改めた。

1913(大正2)年、東京美術学校日本画科を卒業し、国華社に入社。雑誌編集や古画研究に従事する一方、1916(大正5)年の第10回文展に「露のひぬま」で初入選。1920(大正9)年には大英博物館で敦煌発掘仏画の模写に携わるほか、欧州各国を訪ねて見聞を深めた。

本邦を代表する日本画家に

帰国後は帝展で活躍し、1921(大正10)年の第3回展から6度の入選を重ねた。第10回の「薫苑麗日」と第11回の「雪晴れ」で2年連続の特選。以後無鑑査となり、1936(昭和11)年からは文展審査員を務めた。茨展では1923(大正12)年の第1回から入賞、第3回から無鑑査、第8回から審査員。

海外での評価も高い。1924(大正13)年の日華連合展では国賓として北京に招かれ、出品作は袁世凱中華民国大統領が買い上げた。第6回帝展出品作「花柘榴・立葵」はフィラデルフィア万博に出品され、同地美術館に収蔵。前出の「薫苑麗日」は日本政府がロンドン大使館へ寄贈。皇室にも多くの絵を献上している。

「春暉暁艶」1926年 絹本彩色軸装(対幅)各210×165cm 第7回帝展入選 茨城県近代美術館所蔵

後進の育成にも励み、1930年頃に「如春会」を設立。同郷の寺田弘仭や根本正らも東京・大塚の春水邸で学んだ。1939(昭和14)年には東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大)の日本画講師を拝命した。

県南美術協会副会長に就任

戦災で東京を離れた春水は1947(昭和22)年、藤代の生家に戻り制作に従事する傍ら、郷土の美術再興にもさまざまに尽力した。

当時、中央で活動していた作家らの帰郷により、各地で美術活動が活発化していた。急先鋒は土浦で、1947年に福田義之助や一色五郎らの呼び掛けで第1回土浦市展が開催され、それを核に茨城県南美術協会が発足。会長は土浦市長、副会長は春水ほか1人、会員は洋画が服部正一郎、鶴岡義雄ら52人、日本画が小林巣居人(当時巣居)、浦田正夫ら25人、彫塑・工芸が中島敦、古宇田正雄ら10人。1949(昭和24)年に第1回展を開いた。

1950(昭和25)年に県展が始まると春水は第1回から審査員を務め、1955(昭和30)年に東京・吉祥寺へ転居しても、1962(昭和37)年の第17回まで継続した。1970(昭和45)年に82歳で世を去った後、1973(昭和48)年の第8回県芸術祭で永田春水賞が創設され、小林恒岳が第1回受賞者となった。

丹念な写生を作品へと昇華

「青げら」1963年 絹本彩色額装 66×70cm 世界鳥類画展出品 茨城県近代美術館所蔵

春水の真骨頂は花鳥画で、特に鳥は数・種類とも多く描いた。1963(昭和38)年ロンドン開催の世界鳥類画展には日本代表として6点を出品し、「雉子」ほか2点は英国政府買い上げとなった。

作品はいずれも丹念な写生に基づくが、「ただ、あるがまま、観察したままを描いたのでは写真になる。それから更に昇華させるのだ」とも語っている。

取手市在住の日本画家で春水に詳しい大畑久子さんは「写生によって筋肉や骨格などの基本的な構造と、正しさや美しさを理解しており、それをデフォルメせず、科学的に嘘はつかず、でも一部は省略しながら、表現として描いている」と説明する。

実際に写実には厳しい人だったようで、寺田弘仭はスケッチを何十回と描き直させられたという。写生の中には、通常は絵にしない鳥の腹部や羽根の裏側までも詳細に写し取ったものもある。

春水の遺品は10年ほど前に市場へ流れ、つくば市の古書店がまとめて引き取った。巻紙の下図や和綴じの画帳、スケッチブック、少年時代の習作などが段ボール10箱分ほどあり、早急の保全と研究が願われる。

取材協力・参考資料 茨城県近代美術館▽取手市文化芸術課▽文化工房ふじしろ▽ブックセンターキャンパス▽「土浦文化活動史編集資料」(1980年、土浦文化活動史編集委員会)▽「藤代の歴史散歩」(2000年、藤代町)▽「藤代町史暮らし編」(2005年、藤代町史民俗調査員会▽図録「故郷を愛した作家たち」(2014年、とりでアートギャラリーきらり)

シリーズ協賛 土浦ロータリークラブ 土浦中央ロータリークラブ

《食う寝る宇宙》66 宇宙開発現場の言霊信仰

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【コラム・玉置晋】宇宙開発は科学技術の塊(かたまり)であることは言うに及びませんよね。その中で、僕は人工衛星の運用に関わる仕事をしているのですが、面白いことに非科学的な伝承がいくつかあるので紹介しましょう。

言霊(ことだま)とは「言葉には霊的な力があり、声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与える。良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こる」ということです。

これは、人間の社会では、あながち間違っているとは思いません。1人から発せられた信憑(しんぴょう)性の怪しい情報が人々に伝播して、国家的な意思決定に影響して、紛争や戦争につながることもありますよね。だから、言葉は慎重に発せねばなりません。

人工衛星運用の現場における凶事とは、衛星が通常とは異なる状態になることです。現場では、不明事象とか不具合が発生したと表現します。最悪の場合、人工衛星が失われることもあり、現場の先輩方はこれを経験してきました。だから、現場で不具合に関する話をすると、ベテランの先輩方から怒られます。

不具合を語る「軌道上技術評価」

ところが、僕は「宇宙天気防災」を専攻しています。宇宙天気は人工衛星の不具合を発生させる疫病神のようなものですが、宇宙天気が世の中に普及するには、その被害を明らかにする必要があります。僕は、衛星運用の中でも「軌道上技術評価」という仕事に取り組んでいます。

人工衛星の健康状態を評価し、いち早く不具合の兆候を見つけ出すのがミッションです。ゆえに、仕事として不具合を積極的に語る必要があります。不具合の情報というのは、本来であれば科学技術の発展のために、人類の資産として共有されるのが望ましいでしょう。

しかし、現実は、技術情報の開示制限がありますし、事故発生時の責任所在など、大変機微(きび)な話となります。言霊信仰は信仰に収まらず、現実のものなのです。

人工衛星の運用はシフト勤務です。一定の時間で労働者を交代させ、休みなく現場を稼働し続ける体制です。人工衛星の運用は昼夜を問わず継続されますので、こういった勤務体系がとられます。そうなると、運悪く不具合に当たる人がいるわけです。しかし、現場では、同じ人が何度も不具合に当たるという伝説が生まれることがあります。

これに関しては、かつて単位時間当たりの不具合遭遇率を計算した結果、概ね平等であることを確認していますので、衛星運用者の方は安心してください。(宇宙天気防災研究者)

医療・介護職員に慰労金 28日県議会 459億円補正を提案

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茨城県庁と県議会議事堂

【山崎実】茨城県は28日、県議会臨時会を開き総額459億4700万円の補正予算案を提案する。新型コロナウイルスに関わる医療従事者や介護・障害福祉施設職員に対する慰労金支給、医療機関に対する感染拡大防止対策や診療体制確保への補助などが柱になる。

医療供給体制の整備強化は278億7100万円と補正予算の半分を占める。医療従事者への慰労金は重点医療機関とその他医療機関にメニューを分けて支給する。介護・障害福祉施設職員への慰労金もサービスの種類に応じて支給する。ほかに医療機関への支援として、新型コロナ感染拡大防止や院内感染防止対策に要した設備や費用、病床を確保した費用を補助する。

さらに生活福祉資金の貸し付け原資等の助成に126億8700万円、観光客誘致や新型コロナの影響が長期化する中でも、新たな事業分野に進出したり挑戦する中小企業を資金繰り面から支援する中小企業新分野チャレンジ支援事業など、県内産業の活性化対策に53億8900万円を計上する。

テレワーク移住促進へ

ウィズコロナ時代の新しい働き方の一環として「茨城テレワーク移住促進」事業を推進していく。時間や場所にとらわれないテレワークの普及を機に、移住を考えている人を対象に県内への移住を促進するのが狙い。

移住情報や市町村が行う移住関連施策をまとめて発信するサイトを作成するほか、移住メディアなどを活用したPR事業を実施する。また自然景観や都市の利便性など地域特性、魅力を生かした移住推進事業の提案を市町村から募集する。

支援の具体的内容は、市町村企画提案に対する補助で、5市町村で上限500万円を予定している。事業期間は10月から来年3月まで。市町村名は明かさないが「反応はある」(県計画推進課)という。

疫病退散! 先人の祈りと行いを紹介 土浦市立博物館

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疫病をはらう神を描いた掛け軸や五月人形などを紹介する学芸員の野田礼子さん=土浦市立博物館

【鈴木宏子】「病魔退散!」と題した特集展示が23日から土浦市立博物館(同市中央)で始まった。新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、昔の人たちは疫病にどう対峙してきたのか。江戸時代から現代までの絵図や日記、人形、掛け軸などを展示し、先人たちの祈りと行いを紹介している。

江戸時代後期、疫病をしずめるため土浦の城下町を練り歩いた八坂神社祇園祭の絵図や、中国から伝わった疫病をはらう神「鍾馗(しょうき)」を描いた掛け軸など、疫病にまつわる同館の収蔵品12点が一堂に紹介されている。

絵図は市指定文化財「土浦御祭礼之図」。土浦城の鎮守で、疫病をつかさどる神、牛頭(ごず)天王をまつる天王社(現在の八坂神社)の行列を描いた絵図で、土浦城下で流行した疫病をしずめるため城下に迎えた病をはらったとされる。併せて土浦出身の商人で国学者の色川三中(みなか)が、当時の様子を記した日記「家事記」も紹介している。

「鍾馗」の掛け軸は、江戸時代の土浦の地理学者、沼尻墨僊(ぼくせん)が描いたものも展示されている。

ほかに県指定文化財で、笛や太鼓を奏でながら村を回り、天然痘を流行させる疱瘡(ほうそう)神をしずめ、村の外に送り出す、同市田宮地区の「疱瘡ばやし」のビデオ映像なども上映されている。

学芸員の野田礼子さんは「新型コロナで先がなかなか見えず不安な気持ちがある中、病に向き合った先人たちについて知っていただくことで、病を正しく恐れるという気持ちにつながっていけば」と話している。

特集展示「病魔退散!」は8月23日まで。2階の展示室3入り口に展示されている。

市指定文化財「土浦御祭礼之図」㊨と、当時の様子を記した色川三中日記「家事志」=同

90年前も手洗い励行

ほかに2階展示室には、1934年の土浦尋常高等小学校(現在の土浦小学校)で小学生が各学年ごとに学ぶ「衛生」を一覧表にした資料なども展示されており、90年前も今と同様、手洗いの励行が最も奨励されたことが分かる。

新型コロナウイルス感染拡大により同館では、ホームぺージ上で展示品を解説する「おうちもミュージアム」を実施しており、土浦尋常高等小学校の展示は動画「はやり病から命を守る」で紹介されている。

同館では併せて、身近な歴史を楽しむファミリーミュージアムの一つとして、収蔵品展「先人たちのうでくらべ」が開催されており、江戸時代の相撲や力石による力試しなどが紹介されている。

◆開館時間は午前9時から午後4時30分。入館料は一般105円、小中高校生50円。休館日は月曜など。問い合わせは電話029-824-2928(同館)。

【夏の高校野球県大会】6日目 常総学院届かず、土浦日大は初戦突破 

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【土浦日大-東洋大牛久】5回表2死一・二塁、走者・中島を本塁上で刺殺しゲームセット。捕手・菅野=J:COMスタジアム土浦

2020年夏季県高校野球大会は6日目の24日、4球場で2回戦の残り2試合と3回戦8試合が行われた。ノーブルホームスタジアム水戸で3回戦の常総学院は多賀の神永投手を打ちあぐね、序盤の失点を挽回できずに敗退、土浦湖北は常磐大高に打ち勝った。J:COMスタジアム土浦では、雨で順延が続いていた土浦日大がようやく初戦を迎え、東洋大牛久にコールド勝ちした。

【常総学院―多賀】力投した常総学院の菊地竜雅=ノーブルホームスタジアム水戸

常総打線に遠い3点目

【崎山勝功】常総学院は市村大翔が先発、3回から遠藤孔太に交代したが、2失点を喫して菊地竜雅に再度交代。しかしさらに1点を加えられ、試合の流れを持っていかれた。

試合終了後の取材で涙ぐみ声を詰まらせる、常総学院の中山琉唯主将=同

4回以降は菊地と、9回に登板した一條力真の力投で多賀打線を抑え込んだが、打撃陣が振るわず。9安打したものの、多賀の打たせて取る守備の前に得点につなげられない。7回に辛うじて1点、8回裏には代打・三輪拓未の二塁打などで2点目を返したが、最後まで追い付くことはできなかった。

菊地と一條、超高校級投手2人を擁し優勝候補筆頭と見られていた常総学院だが、番狂わせの展開で姿を消した。3回から8回まで力投した菊地は「指先とかの感覚は戻っていたけど難しかった」と語った。

中山琉唯主将は「打ち切れなった自分たちの力不足」と答えたものの、「3年生をああいう形で…、返せなかったのが悔しい」と言葉を詰まらせた。

佐々木力監督は「投手はスタミナの心配をすればいいだけに戻ってきたが、打者の方は、つなぐべきところで淡泊なバッティングになるなどの場面が試合の前半から中盤にかけて見られた。回が進むにつれプレッシャーになったのでは」と振り返った。

9回再逆転で土浦湖北

【崎山勝功】土浦湖北は、追いつ追われつの打撃戦の末、逆転勝ちを収める波乱の展開だった。2回に2失点したものの、4回に川下大輝の二塁打で同点に追いつき、5回大坪誠之助の二塁打で、6回は大隈聖蓮の二塁打などで4-2とした。しかし7回裏に2ラン本塁打などを浴び4失点。先発投手の大坪から三浦克輝に交代した。

【土浦湖北―常磐大】9回裏、福田雄大の二塁打で生還した大坪誠之助=

三浦が常磐大打線を抑えると、湖北の打撃陣が奮起を見せた。9回2年生の福田雄大の二塁打を皮切りに、荒木嶺臣の二塁打と佐藤武琉の三塁打などが続いて、一気に5点を奪い、試合の流れを最後でものにした。9回裏は大坪が再登板し、盗塁阻止と2三振で締め、勝利した。

小川幸男監督は9回の攻撃について「四球2つの後、福田がよく打ってくれた。この1週間付きっ切りで見ていた子。あの1本がものすごくラッキー」と手塩にかけた選手を称えた。

田中海斗主将は「自分が全然ダメで周りの選手に支えられた。逆転されてチームもテンションが下がったけど、気持ちを入れ直して、全員で声を出してチームが一つになった結果が、再度の逆転につながった」と振り返った。

力投した土浦湖北の大坪誠之助=同

大坪は「1番を背負っている以上、もっと点は防げたかな」と反省、9回裏の再登板の心境を「逆転して3点差だったので、しっかり3人で終わらせようと思った。四球でランナーを1人出してしまったので、その後は絶対に抑えるつもりで投げた」と語った。

1回1死二・三塁の場面でマウンドに上がり4回まで無失点に抑えた中川㊧、3回裏無死二・三塁、五十嵐の第2打席。右前へ2点適時打を放つ=J:COMスタジアム土浦

打線がつながる土浦日大

【池田充雄】土浦日大は1回表、東洋大牛久・唯根賢人の本塁打などでいきなり2点を失うが、その裏、3安打と敵失で3点を奪い逆転。3回には重盗など足をからめた攻撃で3点を追加し、4回には無死満塁から押し出し四球と4安打で6点をもぎ取った。コールド負けを避けたい東洋大牛久は5回表、チャンスをつくるが、安打から二走の本塁突入がバックホームで阻止され試合終了となった。

土浦日大の勝因は打線のつながり。1・2番が出塁し、3・4番が確実に返す。特に3番の五十嵐明斗主将は2安打5打点、4番の菅野樹紀は3安打2打点の活躍だった。「1打席目は緊張してひっかけたがランナーは返せた。2打席目は外の変化球を逆方向へはじき返し、3打席目はインコースをしっかり払うことができた」と五十嵐。「つなぐ気持ちで、きれいな当たりじゃなくてもヒットゾーンに転がすことができ、結果的に満足」と菅野。

土浦日大にとっては雨で2度の順延の末、やっと迎えた初戦。特に投手陣には難しさがあったようだ。この日2番手で登板した中川竜哉は「マウンドに上がったとき、スタンドに観衆がいないのは初めて。いままで感じたことのない雰囲気で、緊張して思うような球が投げられなかった」と胸の内を語った。

小菅勲監督は「大会のピリピリした緊張感を久しぶりに味わえた。失点は想定の範囲内。先制されて選手たちが追い掛ける気持ちになってくれた」と開口一番。日程の都合による3連戦にも「目の前の1試合1試合をやるだけ。大会ができることがありがたい」と余裕の表情だ。

《宍塚の大池》67 江戸時代の古文書にも「大池」の名

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大池堤防(左)と半溜の堤防

【コラム・及川ひろみ】宍塚大池は、3本の谷津が集まる所に堤防が築かれ造られた人工の池、水田耕作用(かんがい用)の水ため池です。江戸時代の古文書(宍塚村絵図、原図は国立史料館所蔵)に大池の名が載っていますが、いつ造られたのかは分かっていません。

宍塚には古墳が20基ほどあり、宍塚古墳群と呼ばれています。どれも、宍塚大池の北側にあり、大池を臨む高台にも数基あります。里山に隣接し、国指定遺跡の「上高津貝塚」があるなど、宍塚は古くから人の営みが続いてきた所です。大池は、江戸時代より前に造られたのかもしれません。

宍塚には「半溜(はんだめ)」と言う小字(こあざ)名があります。大池の堤防より下流の谷津に立派な堤防が築かれていますが、その堤防は「半溜の堤防」と呼ばれています。半溜の名の由来を地元の古老に聞いたことがありますが、大池からの水をその谷津の半溜堤防まで溜め、その水を使い果たすと大池の水を使い、半溜の田んぼはその後耕作が行われたということでした。

そのような水の使い方がいつごろまで行われていたかを古老に問うと、「俺は爺様(じいさま)から聞いたけど、爺様の時代にやっていたんではないぞなー、その前だべ」と。ご存命なら100歳をはるかに超える方の話です。大池から半溜の堤防まで水を蓄え、大池だけでは宍塚の田を潤(うるお)すことができないほど、広く耕作が行われていたのです。それにしても、半溜の堤防は立派です。

里山の粘土で築堤 今はピザ窯造り

昭和27~28年ごろ、大池の堤防が決壊し、宍塚の町では床下浸水した家屋もありました。この決壊を受け、宍塚の人たちは総出で、「ねんど山」と呼ばれる里山の一角から大八車で粘土を運び、修復したそうです。長さ50メートル以上もある大池の堤防がいつ築堤されたにせよ、便利で強力な道具や機械がない時代の堤防の造成は、大勢の人の力で成し遂げた大工事であったことは間違いありません。

宍塚の会では、この粘土山を地主の許可を得て掘ったことがあります。それほどきめ細かい、粘土らしい粘土ではありませんでしたが、確かに粘土。会では、その粘土をピザ用の窯(かま)や炭焼き窯を造るのに使いました。

窯は耐熱レンガを積み上げて造りますが、レンガとレンガの間には粘土を詰め、接着剤として使います。高温に耐える窯には粘土が必需品です。粘土の山は里山のどこにでもあるわけではなく、その一角にあるのみです。里山内の土壌の性質を理解し、言い伝えられてきたことが想像できます。(宍塚の自然と歴史の会代表)

【夏の高校野球県大会】5日目 タイブレークで霞ケ浦辛勝

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【霞ケ浦―総和工】10回裏、斉藤拓生の安打で生還した小勝亮央=笠間市民球場

2020年夏季茨城県高等学校野球大会は23日、4地区大会を勝ち上がった32校による県大会に入り、4球場で10試合が行われた。優勝候補の一角、霞ケ浦は打線が湿り総和工の粘りに苦戦、10回タイブレークで1点をもぎ取り辛勝した。J:COMスタジアム土浦で予定されていた3試合のうち2試合は降雨のため中止となり、地区大会2回戦のゲームを残す土浦日大(対東洋大牛久)の初戦は、24日に順延された。

(延長10回タイブレーク)

3年生打線が湿りがち

【崎山勝功】霞ケ浦は2回に斉藤拓生が二塁打を放つなど4点を先制したが、3回以降は沈黙が続き、6回には粘る総和工に同点とされた。霞ケ浦は先発の三浦彰浩から山本雄大に交代。山本は総和工打線をほぼ封じた。

3年生だけで打線を組んだ霞ケ浦は、9回に2年生の飯塚恒介を投入したものの得点には至らす、10回タイブレークに突入。斉藤のタイムリーに救われ、5-4で辛勝した。

6回表から力投を見せた山本雄大=同

山本は「打線の一本が出なくて苦しい試合だったけど負けずに勝ち切れた」と試合を振り返った。「自分が投げるからには雰囲気を変えて、ここからもう一回きちっとやって、最後点数を取って勝たないとと思った」と士気の鼓舞に苦心した様子。

高橋祐二監督は「タイブレークは何が起こるか分からない。十分負ける可能性があるので、その前に決着をつけないと思った。バッティングがあまりにもひどすぎて」と厳しい表情を見せた。

小田倉啓介主将は、今回の試合で2年生が出場したことについて「3年だけで(試合を)やりたいという気持ちもあったがしょうがない。そこが情けない部分の一つ」と心境を語った。

ジオパークの中核拠点施設構想示す 旧筑波東中跡地利用でつくば市

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地元説明会であいさつするつくば市の岡田克己公有地利活用推進課長=つくば市北条、旧筑波東中体育館

【相澤冬樹】つくば市は23日、旧筑波東中学校跡地利用に関する地元説明会を開催、筑波山地域ジオパークの中核拠点施設として利用する構想を示した。教育(展示室)、観光(案内所)、保全(事務室)の3機能を配置する計画案となっており、8月7日から1カ月間のパブリックコメントを経て、基本設計などの作業に入る。順調に進めば2023年5月のオープンを予定している。

説明会は、同市北条の旧中学校体育館に地元住民ら10数人を集め行われた。同ジオパークは、石岡、笠間、つくば、桜川、土浦、かすみがうらの6市で構成されるが、中核拠点施設は「財産管理の問題から」(市公有地利活用推進課)、つくば市単独で事業化する。

教育、観光、保全の3機能でつなぐ

今回説明されたのは、筑波山地域ジオパーク中核拠点施設基本構想・計画の案で、教室の一部を使う利用計画の考え方を示した。アンケートやワーキンググループの検討結果を踏まえ、まとめられた。

展示室ではジオパークの紹介のほか、体験や実験コーナーを設け、書籍や資料などのライブラリーも充実させる。案内所にはガイドが常駐、地域の観光情報を紹介するほか、ジオパーク認定商品の販売なども想定。事務室には同市ジオパーク室を置くほか、6市間の連携の場とする意図も盛り込んだ。

質疑では、交通アクセスや展示内容について意見が出された。「地理や地質と深く関わる防災教育も取り上げてほしい」「ジオパークには2000人ものサポーターがいるということだが地域の活動で顔が見えない」などの声があがった。

全国に43地域が認定されているジオパークは、継続に際し4年に1度、日本ジオパーク委員会(JGC)の審査を受けなければならず、筑波山地域も今年度、再認定の作業日程に入っている。新型コロナの影響で審査は21年1月以降にずれ込んだが、ここでも6市にまたがる運営体制の構築ともども、地元の盛り上げ機運の醸成が課題となっている。

中核拠点施設も再認定をにらみながらの整備となりそう。同基本構想・計画案に関するパブリックコメントは8月7日から9月7日までの予定で実施する。

筑波東中学校は秀峰筑波義務教育学校の開校(2018年4月)に伴い廃校となった。同市では筑波地区に10校ある小中学校の跡地の利活用について検討しており、市公有地利活用推進課によれば、これまでに旧筑波西中に広域通信制高校を誘致するなど4校(旧筑波東中は除く)の方針が決まっている。

耐震強度は十分に保たれている旧筑波東中学校の校舎

「はじまりの花火」24日打ち上げ つくば青年会議所

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「はじまりの花火」写真はイメージ(つくば青年会議所提供)

【山崎実】つくば青年会議所(神田哲志理事長)は、日本青年会議所と連携し、24日の「全国一斉花火プロジェクト」に参画し、打ち上げ花火を実施する。

「新しい日本をはじめようーはじまりの花火」と銘打った全国一斉打ち上げ花火で、いわゆる3密を回避するため、具体的な打ち上げ場所は公表しない。

24日は東京オリンピックの開会式が行われるはずだった日。大会が延期され、新型コロナウイルスもいまだに収束を見せない中、新しい考え、暮らし、働き、学び、買い方、遊び方など、新しい日常の出発を確認し合う全国規模の花火大会だ。

神田理事長(38)は「新型コロナウイルスの影響により様々なイベントが中止となる中、この夏には楽しみが無くなってしまうのではないかと懸念される。東京オリンピックも延期になり、希望の光が遠のいているようにも感じられる。そんな中、開会式の予定であった日に新たな日本を始める合図としまして全国一斉に花火を打ち上げます。これからの希望の光、ぜひ多くの皆様とともに夜空を見上げて楽しんでいただければ」とコメントしている。

◆24日は午後8時から約1分半、全国47都道府県の1~2カ所で4号玉3連発、スターマイン(2号玉35発、3号玉10発、4号玉5発)を打ち上げる。雨天・荒天時は中止の場合がある。

《ひょうたんの眼》29 コロナ禍で日本の観光を思う

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【コラム・高橋恵一】コロナ禍で疲弊した観光産業を救うためとして、補正予算で事業化したGo to キャンペーンが前倒しでスタートする。コロナ感染は収まらず、東京都への発着は補助金の対象にせず、若者や高齢者の団体は対象外、宴会もダメ。一方、感染者の再増傾向の東京通勤圏と大阪府は対象になる。東京都だから伊豆七島や小笠原は対象外、米軍基地からの感染の恐れがある沖縄への旅行は補助対象。

日本地図を横に置いて眺めると、いかにもちぐはぐな観光振興策である。第一、コロナウイルスは人間の作った都道府県境に規制されることは無いのだ。

近年、日本の観光は、政府の肝いりもあって、外国人観光客の受け入れ、インバウンドが盛んであったが、昨年、隣国同士のケンカで、韓国人観光客がほぼゼロになり、中国観光客も一時ほどの爆買いが減ってきたところにコロナ騒ぎで、欧米を含め、外国からの観光客は皆無になってしまったのだから、関連業界は大変深刻なのはわかる。増して、今頃は、東京オリンピックで日本中に観光客があふれているはずだった。

感染は人の移動に伴うものだから、観光地を抱える各地方は、それぞれの県内での観光振興を、政府のGo toキャンペーンに先行させる動きを始めたところであった。地元の観光を見直してもらう機会でもある。

石川県和倉の高級観光ホテルへ

感染騒ぎの始まる前、北陸にグループ旅行をした。和倉の高級観光ホテルへの格安パック旅行だったが、金沢で昼食くらいは贅沢をしようと、友人に勧められた老舗料亭で数千円のお膳を食べた。案内してくれたタクシーの運転手さんの話では、その店での夕食は2万円以上するとのことで、そんなに高い夕食を食べる客がいるんですかと聞いたら、観光客ではなく、地元のお客さんだそうだ。

北陸には、旅館も食べ物も値の張る高級品が多いのだが、客の半分は、地元3県の人が多いと聞いたことがある。本来観光というのは、地元の人に高く評価され支持されている物品・サービスが対象になるべきものであると思う。

インバウンド対応で、日本の伝統的なサービスを簡略化したり、格安料金で粗末な宿を提供したりする傾向がある。日本の観光を安売りして、品格を落としてはいけない。私達も、外国を訪れるときは、本物の外国を楽しみたいのだ。膨大な予算を使うGo to キャンペーンは、大手企画会社の手数料などに使うのではなく、本物の日本の観光を支えている観光業界の役に立てて欲しいと思う。

もちろん、全国移動ができるようにするには、感染拡大の最中ではなく、地方を感染に巻き込む恐れが無くなってから実施するのは当然であろう。(地図好きの土浦人)