ホーム コラム 《令和楽学ラボ》8 光圀公が称えたお茶「初音」

《令和楽学ラボ》8 光圀公が称えたお茶「初音」

【コラム・川上美智子】水戸藩第2代藩主・徳川光圀(とくがわ みつくに、1628~1701)ゆかりのお茶の試飲会が6月24日に城里町の清音(せいおん)禅寺で行われた。光圀公は1694年にこの寺を訪れ、そこでもてなされた茶を愛(め)で、中国・唐の詩人・盧仝(ろどう)の「七碗茶歌」に準(なぞら)え、漢詩「七碗の竜茶を喫す…人生半日の間、およそ八苦を忘る」を残し、「初音(はつね)」と命名した。

古内(ふるうち)地区茶業協同組合は数年前に「初音プロジェクト」を立ち上げ、境内に残る茶母木(ほうぎ)をもとに若樹(わかぎ)を数年間大切に育ててきた。ようやく今年、生葉5キロが摘採され、わずか300グラムほどの貴重な茶葉に仕立てられた。

その席で、茶の香気分析研究を専門とし、茨城県の三大銘茶(奥久慈茶、古内茶、猿島茶)の香りも明らかにしてきた関係で、「初音」の香味(こうみ)について講評を行った。その香味は、新型コロナウイルスの影響から茶摘み時期が遅れ、葉が育ち過ぎたこともあり、苦渋味(くじゅうみ)が強かったが、茶樹本来の素朴でスッキリとした味わいと、やわらかな甘い焙(ほう)じ香が感じられた。

その際、光圀公が飲まれたお茶が、どのような形態であったのか(抹茶か、煎茶のような淹茶=えんちゃ=か)、よくわかっていないという話をうかがった。確かに、江戸期は、茶の湯文化全盛であった日本に、明代に誕生した新たな茶の飲用法の「葉茶(はちゃ)」が、中国からもたらされた時期でもある。これまで調査してきた黄門料理や茶の歴史に照らし合わせ、その謎を解いてみたい。

城里町古内地区で茶栽培を奨励

まず、「葉茶」が日本に伝来したのは、1654年のことである。日本の煎茶道の開祖と言われる隠元禅師(いんげんぜんじ、1592~1673)が来日し、京都の宇治に黄檗宗萬福寺(おうばくしゅう まんぷくじ)を開山して中国の明の煎茶(釜炒製芽茶=かまいりせいめちゃ=)の飲用法を伝えている。「葉茶」で使われる急須(きゅうす)に相当する「茶壺(ちゃだし)」と小型の「茶瓯(ちゃわん)」も当然一緒に伝えられているはずである。光圀公26歳の時である。

光圀公が清音寺を訪れたのは、66歳の時であり、その頃刊行された『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』に庶民が「葉茶」を飲用していたことが記されている。よって、清音寺の茶は中国式(竜)の「釜炒緑茶」、七碗の「碗(わん)」は小型の「茶瓯」であったと結論づけられる。

因みに、光圀が亡くなった1701年に記された光圀言行録「桃源遺事(とうげんいじ)」には、光圀公のこの国を豊かにするための食や動植物資源収集への挑戦が記されている。

「西山公、むかしより、禽獣草木(きんじゅうそうもく)の類までも、日本になきものをば唐土(もろこし)より御取よせなされ、又日本の中にても、其(その)国にありて、此(この)国になきものをば、其国より此國へ御うつし被成候(なされそうろう)、其思し召(そのおぼしめ)す之に記す」とあり、朝鮮人参、孔翠(くじゃく)、龍眼(りゅうがん)のほか、サザエ、赤貝、石付き昆布などを那珂湊に放つなど、現在の茨城の礎(いしずえ)を築いたことがわかる。その中には「茶」の文字も見られ、古内地区では茶栽培を奨励したという。

なお、蒸熱(じょうねつ)製の煎茶(永谷式煎茶)が日本で発明されるのは、1738年以降のことであり、光圀公は日本人が愛する新茶の香りを知ることはなかった。(茨城キリスト教大学名誉教授)

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