月曜日, 3月 2, 2026
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国産旅客機初号機やゼロ戦 歴史背負った実機のテーマパーク 筑西に11日オープン

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(手前から)ゼロ戦、シコルスキーS-58、YS-11の展示=科博廣澤航空博物館

ザ・ヒロサワ・シティに「ユメノバ」

筑西市のザ・ヒロサワ・シティ内にテーマパーク「ユメノバ」が完成、11日にグランドオープンする。広さ約5万6000平方メートルの敷地に、航空博物館はじめ25施設が整備された。陸・海・空・宇宙の乗り物勢ぞろいのテーマパークを打ち出す。1日にはお披露目の内覧会が行われた。

科博廣澤航空博物館には、国産旅客機のYS-11量産初号機、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)、南極観測で使用したヘリコプター(シコルスキーS-58)など、貴重な航空機を収めた。国立科学博物館(篠田謙一館長)が所有していた機体をヒロサワグループ(廣澤清会長)に貸与した形で、両者は2021年、運営のための財団法人を設立し、開館に向け準備を進めていた。

科学博物館によれば、民間と共同で常設の展示館を設けるのは初のケース。「航空機は上野本館をはじめ博物館での展示が難しく、長く眠っていたものだが、展示となると普段の手入れも欠かせなくなる」といい、移送やメンテナンスの困難を克服しての開設となった。博物館棟は格納庫をイメージさせる広さ1850平方メートル、高さ15メートルの規模で設けられた。

「収められた機体は技術資料というだけでなく、歴史を背負った航空機」といい、ゼロ戦については太平洋戦争中ラバウル(パプアニューギニア)沖に沈んだ機体8機を引き上げて再構成したものだそうだ。

(左から)「やまびこ」「D51」「北斗星」と並ぶ=レールパーク

「ユメノバ」にはこのほか、SLから新幹線(やまびこ)までの鉄道車両を並べたレールパークや鉄道資料館、消防車27台を集めた消防自動車博物館、水上にクルーザー3隻と屋形船を展示する船の博物館、日本初の実験用ロケット・ペンシルロケットなどを展示する宇宙館などの施設をそろえた。

11日、12日にはレールパーク特別見学会を開催予定で、SL「D51」や山形新幹線「やまびこ」の普段は一般公開しない運転席に案内してもらえる特別イベントがある。

広沢商事専務の野口稔夫さんは大の鉄道ファン。引退した車両の引き取りに全国を飛び待って、車両や鉄道アイテムを集めてきた。「航空機も鉄道車両も全部が実機というところにユメノバの真骨頂があると思う」と語る。11日のオープンには間に合わないが寝台特急「北斗星」には実際に宿泊し、食堂車で飲食したりできるプランも用意するという。(相澤冬樹)

🔷ザ・ヒロサワ・シティ(筑西市茂田)は約100ヘクタールの敷地に隈研吾設計の廣澤美術館をはじめ、寺内タケシ記念館や博物館、ゴルフ場やバーベキュー場、体験農園など、多数の展示施設やレジャー施設などを持つ。11日オープンのテーマパーク「ユメノバ」は入園料大人2500円、高校生・大学生1000円、中学生700円、小学生500円(いずれも税込み)。営業時間は午前10時~午後5時、月曜定休(原則)。オープニングイベント等詳細は電話0296-48-7417(ザ・ヒロサワ・シティ)まで。

外来魚ハクレンを中華で食べる!《医療通訳のつぶやき》5

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四川料理「沸騰水煮魚」 (写真は筆者)

【コラム・松永悠】仕事のとき、重病に苦しむ患者の対応をしなければならない反面、オフのときの自分は「楽しく、おいしく」をモットーにしています。新年早々、大変おいしいイベントに参加してきました。今人気の四川料理「麻辣十食」(つくば市天久保)が会場となって、霞ケ浦で獲れる特定外来種ハクレン、アメリカナマズを食材とした試食会が開かれたのです。

ご存知の方も多いと思いますが、数十年前、霞ケ浦や周辺水系に食用として持ち込まれたアメリカナマズやハクレンが逃げ出してしまった結果、驚異的な適応力によって霞ケ浦にすみ着いて、繁殖し続けてきました。今では、在来種を脅かす特定外来種として迷惑な存在になっています。

漁協や周辺住民はあの手この手を考えたものの、決まったパターンの料理法しか思いつかず、好んで食べる人も少ないそうです。しかし、中国や東南アジアでは、ナマズもハクレンも代表的な淡水魚で、おいしい魚として知られています。

初めて外来魚の問題を耳にしたのは2022年ごろでした。有志の仲間と一緒に、実際釣りに行ったり、自宅で調理したり、さらに東京の中華料理店でナマズイベントを実験的に企画しました。なかなか反響が良く、「想像した臭みもなく、淡白な白身魚で、中華の味付けも新鮮でおいしい」と、皆さんが驚きます。

北京で生まれ育って、淡水魚を当たり前のように食べてきた私にとって、これは驚きではなく、当たり前のことですが…。

環境問題を中華料理で解決?

特定外来種問題に強い関心を抱いているのは私だけじゃありません。活用法を見つけたいと考える方が他にもいらっしゃいました。漁師さん、麻辣十食、主催者の素晴らしい連携プレーによって、今回の「霞ケ浦を食す」イベントが開催されました。しかもバージョンアップして、ハクレンまで登場しています。

ハクレンは成長すると1メートルを超える淡水魚で、頭から尻尾まで利用できます。上の写真は「沸騰水煮魚」という有名な四川料理です。「水煮」ですが、仕上げにたっぷりの「沸騰」した油をかけるので、この名前になっています。

油をどの程度熱するか、シェフが油の泡を見て、手を当て、鍋の上の温度を確かめてから、かけるタイミングを見極めます。温度計もなければ時間も計りせん、長年の勘だけが頼りです。

40名いるお客さんの前で、巨大なやかんで油を熱していき、あらかじめ豆やモヤシやハクレンを入れた巨大ボールの中に、じゃ~~っと油をかけていきます。迫力いっぱいの調理に、一同大盛り上がりでした。

見た目は辛そうですが、実は唐辛子にもいろいろ種類があって、この中に入っているのは主に香り担当です。熱した油によって食欲をそそる香りが立ち、柔らかく煮えたハクレンを何杯もおかわりした方もいたほど大人気でした。イベントは絶賛の嵐で終わりました。

おいしいものとの新たな出会いだけでなく、明るい未来も見えた気がしました。茨城の環境問題を中華の力で解決する日もそう遠くないかもしれませんね。(医療通訳)

<参考> 医療通訳の相談は松永rencongkuan@icloud.comまで。

3年ぶりリニューアルオープン ホテルJALシティつくば

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ホテルJALシティつくばの外観(同ホテル提供)

2月1日から

つくば国際会議場に直結するホテルJALシティつくば(つくば市竹園)が約3年間の営業休止を経てリニューアルし、2月1日から営業を再開する。快適性を追求し、全客室のベッドを高級ベッドのシモンズ製に入れ替えたほか、8種類の枕が選べるピローバーや、アメニティバーも用意する。イタリア高級家具ブランドの日本総代理店、カッシーナ・イクスシーが内装デザインを監修した日本料理店「ろくさん」も新規オープンする。

同ホテルは2020年4月、グループホテルのブランドの組み替えに伴って、オークラフロンティアホテルつくばエポカル館から名称を変更してリブランドオープンしていた。2020年12月から新型コロナウイルスの宿泊療養施設として県に貸し出し、営業を中止していた。23年9月に県への貸し出しを終了。約4カ月間復旧工事を行い、客室や共用スペースの壁紙、カーペットを修繕して全客室186室のベッドを一新した。2月の営業開始に向け、昨年12月1日から宿泊予約を開始していた。

ロビー(左)と客室(同)

日本料理店「ろくさん」として新規オープンするのはエポカル館だった時にファミリーレストランCASAが入っていた建物。ホテル直営ではなく、構内請負業務を行うサクセス(常総市)が運営を行う。「ろくさん」マネージャーの川田晋さんによると、レストラン内装は、天井の高い建物の空間を最大限に生かし、床のタイルから電球までこだわったデザインになっているという。

同ホテルではコロナ禍前は約3割が海外からの宿泊客だったこともあり、今後のインバウンド需要を見込んで、日本料理にコンセプトを絞った。日本ならではのおいしい和食を味わってほしいと、こだわりの出し汁の味噌汁や、お米マイスターが選ぶお米、地場野菜などの食材を使った朝食膳を宿泊者限定で提供する。当面は宿泊客限定で、朝食時間帯のみの営業だが、今後、完全予約制でのディナー営業や、宿泊者以外への朝食膳提供なども企画の予定だという。(田中めぐみ)

日本料理店「ろくさん」ホールの完成予想図(同)

浄化し宝に…作詞の心記す 幻の歌「霞ケ浦周航歌」を探して(下)

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赤根さん直筆の歌詞を示しながら、「霞ヶ浦周航歌」について説明する内田さん=土浦市内

幻の歌「霞ケ浦周航歌」。作詞をしたのは土浦で育った禅研究家、赤根祥道さんだった。故人となった作詞者を師と仰ぐ塾生らは「歌を知ってもらい、口ずさんで、この歌で地域の歴史や文化を知ってほしい」と呼び掛ける。

土浦でも「赤根塾」

1998年、塾生の一人で当時土浦市議会議員だった内田卓夫さん(78)は、東京だけではなく土浦でもビジネス禅の研修会を開きたいと「赤根塾」を企画した。赤根さんに師事したいと、大久保写真館(土浦市桜町)代表の大久保博さん(58)など、地域の会社社長や重役など当時30代から50代の約15人が1期生として集まった。内田さんは当時53歳だった。

「(赤根先生は)一度会っただけでただ者じゃないという感じだった。この人に付いていけば大丈夫だろうと考え、学びたいと思った」と内田さん話す。塾生らは97年に完成した「霞ケ浦周航歌」を広めたいと活動したが、歌はなかなか広まらず、知っているのはごく一部の人だけとなった。

塾生が歌碑を建立

歌が完成した97年、「赤根塾」の塾生だった吉川國弘さんが赤根さんの思いに共感し、自宅の庭に楽譜を刻んだ歌碑を建立した。その後、歌碑は歩崎公園に移設されて現在の場所にある。赤根さんが作った歌詞は8番までで、9番は吉川さんが作って付け足した。歌碑が建つ歩崎公園はサイクリングコース「つくば霞ケ浦りんりんロード」上にあり各地から訪れたサイクリストの目に留まるも、ネット上に音源はなく、忘れ去られた歌となっていた。

赤根さんを知る山城経営研究所の竹之内由美子さんは「おおらかで何事も肯定的にとらえる人柄で、経営リーダーの方々を激励していた」と人となりを話す。塾生の一人、大久保博さんは「経営者には不安がつきものだが、赤根先生の話を聞くと不安が無くなった。とにかく話がおもしろく、心をつかまれた」と思い出を語る。

直筆のメモ残る

赤根さんは学生時代、ボート遊びをして霞ケ浦に親しんでいたという。土浦市の郷土史家である永山正さんの著書も参考にして歌詞を考えたと見られ、本の内容を抜き書きした直筆のメモが遺っている。赤根さんは作詞の心を「日本第二の湖・霞ケ浦を誇りにして、大事に浄化して、私たちの心とくらしの宝にしたい。みんなの心をこの歌で元気にしたい」と、手書きで記している。

内田さんは「赤根先生は都内で活躍していたが、土浦に恩返ししたいという気持ちがあったようだ」と話す。「この歌で改めて地域の文化や歴史を知り、地域に誇りを持ってほしい。ボランティアで作られた歌だが、今まで日の目を見なかった。みなさんに知ってもらい、口ずさんでほしい」と思いを話した。

霞ケ浦周航歌 歌詞

一、筑波の嶺をあとにして 花の筏の桜川 
亀城の櫓 壁白く めざすは霞浦の湖ぞ

二、霞浦の川面は波静か 帆曳きの影も あざやかに
古き江戸崎港には 天海和尚 不動院

三、お江戸廻船あとしたい 古渡の渡し すぎゆきて
夢の浮島 信太の館 広がる稲穂 和田岬

四、三又すぎて 潮来には 娘船頭 赤だすき
あやめの園や 十二橋 水郷うれし 潮来節

五、鹿島の月は 高くして 俳聖芭蕉 旅衣
仏頂禅師 したいたる 根本寺の句碑古し

六、剣聖卜伝 磨きたる  天下無双の剣の道
鹿島の社 森深く タケミカツチの武をたたう

七、麻生の浜は 天王崎 歴史も古き 玉造
国府石岡 万葉の 歌人の跡 ここかしこ

八、歩崎なる観音寺 望めば遠く 富士の山
一望千里 はてしなき 利根の恵みの大平野

内田さんは「霞ケ浦周航歌」のシングル版CDを大切に保管していた。

(田中めぐみ)

終わり

【2月12日追加】カラオケバージョンを作成しました。

たそがれの土浦・節分会《土着通信部》55

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「まあかっしょ」会場となる旧水戸街道の四辻=土浦市中央2丁目

【コラム・相澤冬樹】古い水戸街道が土浦市大手町から中城通りに入り、桜橋を渡って、旧町名でいう本町から仲町、田町、横町にいたる界隈(かいわい)は昭和の半ばまで、土浦旧市内きっての繁華街であった。今の中央1、2丁目から城北町には天神や稲荷講、三夜講など、月々に随所で縁日が開かれ、売り出しの市が立った。水運で桜橋近く、川口川の河岸(かし)に集まった農山漁村の民たちが一仕事終えて、日暮れから夜にかけてにぎわいをつくり出したのが土浦の特色だった。

昭和の終わりから平成にかけ、通りは活気を失い、各種の縁日はほとんど途絶えてしまったが、年に一度だけ界隈がわずかににぎわいを取り戻す宵が来る。桜橋をはさむ水戸街道の一画に節分の夜、土浦らしい節分行事が出現する。

ことしの節分は2月3日、土曜日。まずは中央2丁目側の旧本町で、午後4時から「まあかっしょ」が始まる。語源は不詳だが、郷土史家の故永山正さんはこう書いた。

「節分の夜東崎の鷲神社に参拝の帰りに本町の四辻(昔の土浦にはここのほか三叉路や四辻はなかった)で、厄年に当たる人々(男は42歳、女は33歳)がかねて用意したお金(年の数だけ百円硬貨でも十円硬貨でも何でもよい)を男は褌(ふんどし)に、女は腰巻に包んで投げる。これによって厄払いができたというわけである。これを拾ったものは幸運がくるというわけで、争ってこれを拾った」(『土浦町内誌』)

「逢魔が時」の逢魔が辻に出現する、奇祭である。褌や腰巻が飛ぶ時代ではなくなったが、小銭やお菓子をまく風習はコロナ禍の間も細々続けられてきた。温かい飲食物もふるまわれる。記述に出てくる東崎の鷲神社では旧暦正月の15日に、味噌おでんで無病息災を願う「じゃかもこじゃん」という行事も行われていたが、こちらは2014年で途絶えた。

にぎわう不動院の豆まき=2017年撮影、中央1丁目

続けて、中央1丁目側の中城にある琴平神社と不動院が前後して節分会(え)を催す。土曜の夜 午後5時から不動院が、同6時から琴平神社が豆まきを予定する。

宮中行事の追儺(ついな)にちなむ節分の豆まきは、疫病退散を願う意味合いもある行事だが、コロナ禍には勝てず、地域の神社・仏閣では過去3年、豆まきを中止したり祭事を縮小したりするところが相次いだ。両社寺並んでの豆まきは4年ぶりの開催だ。

ここでは豆というより、餅まきというのがふさわしい。かけ声は「福は内」だけで、「鬼は外」は言わない。町内の顔役らが箱ごとぶちまけるように投げつける紅白の丸餅は、直撃されると結構痛い。境内に集まったお年寄りや子供たちは、当たらぬようにかわしながら追いかけ、受け止める。

年越しの節分の夜が明けると、4日は立春。新しい年が始まる。琴平神社と不動院の入り口には中城通りをはさんで向かい合う土浦まちかど蔵の「大徳」「野村」があり、同日から始まる「土浦の雛(ひな)まつり」のメーン会場となる。会期は3月3日まで、市街地の商店・飲食店など約100店が参加、旧家に伝わる人形から最近の創作びななどを店内にあしらう。土浦のかつての豊かさがほんのり薫ってくる、春の入り口である。(ブロガー)

歌碑ひっそりたたずむ 幻の歌「霞ケ浦周航歌」を探して(上)

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霞ケ浦周航歌の歌碑=かすみがうら市坂、歩崎公園

霞ケ浦を望む歩崎公園にひっそりとたたずむ「霞ケ浦周航歌」の歌碑―。霞ケ浦の名所を叙情豊かに歌い上げている。土浦で育った禅の研究家が「霞ケ浦を浄化し、誇りにして宝にしたい」と作詞し、1997年に完成したが広まらなかった。歌を作ったのは一体どのような人で、どうして幻の歌となってしまったのか。

歌碑には楽譜と歌詞が刻み込まれているが、その曲を知る人はほとんどいない。歌碑を目にしたサイクリストも「聞いたことがない。ネットで検索しても何も出てこない」と話す。歌碑には「作詞 赤根祥道、作曲 安田優」とある。

霞ケ浦周航歌の楽譜

霞ケ浦を一周

「筑波の嶺をあとにして 花の筏(いかだ)の桜川 亀城の櫓(やぐら) 壁白く めざすは霞浦(かほ)の湖ぞ」という歌詞から始まるこの歌は、1番から9番まである。楽譜を見ると8分の6拍子の曲で、歌詞には、土浦、江戸崎、浮島、潮来、鹿島、麻生、玉造、石岡、歩崎と霞ケ浦を反時計回りに一周する地名を詠み込んでいる。それぞれの地の歴史、文化に触れる内容になっており、その歌詞からは郷土への愛が伝わってくる。

作詞は赤根祥道さん

作詞をした赤根祥道さんは1930年、中国・大連市生まれ。2001年に亡くなっている。土浦一高を卒業し、東北大学と駒澤大学大学院で哲学と禅を、青山学院大学大学院で経営学を学んだ禅の研究家だった。1990年から亡くなる2001年まで、山城経営研究所(東京都千代田区)が主催するビジネス禅の研修会「赤根塾」で講師を務めていた。

「赤根塾」で講義をする赤根祥道さん(山城経営研究所提供)

「赤根塾」では、禅語の書物「碧巌録(へきがんろく)」などを用いて、全国の有名企業、中小企業の社長や重役などに禅の知恵を解き、経営の心を教えていた。禅に関する多数の著作があり、1998年には土浦市立図書館に「赤根祥道文庫」として著書約200冊と視聴覚資料を寄贈している。

歌はアマチュア作曲家の安田優さんが曲を付けて1997年に完成し、同年に開かれた「泳げる霞ケ浦市民フェスティバル」で披露された。安田さんの詳細は不明。歌のCDは地域の中学校などにも寄贈されたという。しかしその後広まらず、幻の楽曲となってしまった。(田中めぐみ)

続く

多様性を認め合う育ちの場へ《令和楽学ラボ》27

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ペンダント(園児の卒業制作から)。みんな違って素晴らしい

【コラム・川上美智子】先般、つくば市内の民間保育園、認定こども園、幼稚園の施設長を対象とする研修会が開かれた。2名の講師をお迎えし、「つくば市の特徴を捉えたこれからの保育施設に必要なこと」「療育と保育の連携の重要性について」という、タイムリーなテーマで講演が行われた。

小学校では通級希望の児童が待機待ちですぐに通級措置が受けられないことが話題になっているが、つくば市内の保育園や幼稚園でも保育士が上手に対応しきれないお子様が増えてきており、施設長会での課題となっている。

特別支援を要する身体的、知的障害には当てはまらない、気になる子や、グレーゾーンと呼ばれる子どもが近年増えていると言われている。多様性を認め合うダイバーシティ(Diversity)や障害のあるなしにかかわらず共に学び合うインクルージョン(Inclusion)が尊重される現代社会にあって、幼児教育施設では、そのような子を排除したがる風潮があることは否めない。

実際、適切な個別対応の方法についての知識や経験に乏しい現場の保育士たちにとっては、手に負えない子どもであって、やっかいもの扱いである。危険だとか、他の子どもの迷惑になるとか、責任が負えないとか、集団行動から外れる子どもは、いつも怒られてばかりで嫌な思いをしている。

どの子どもにも優しく接してもらいたい、子どもの人権を尊重してほしいと願っているのであるが、余裕のない中で働く保育士たちにとっては酷なのであろう。ゆったりと一人ひとりの子どもに向き合える環境を整えることが第一と考えられるが、学校教育の場ほど保育の現場は恵まれておらず、国の厚い支援が求められるところである。

また、保育士の質の向上も喫緊(きっきん)の課題である。養成施設のカリキュラムでは、子どもの心理や療育の学びが十分とは言えず、キャリアアップ研修などで力を入れる必要がある。

「人は皆違う、違ってよい」社会

完璧な人間などいないし、完璧な子どももいない。皆、人それぞれに特性であって、それが人間である。今回の講演の中で、文科省が2022年度に実施した「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査」の数値(推計値)が披露されたが、小中学校で知的発達に遅れはないものの「学習面または行動面で著しい困難を示す」子どもは8.8%で、10年前より2.3ポイント上がったという。

しかし詳しく調べていくと、高校生では2.2%に過ぎない。学年別に見ていくと小学校低学年で割合が一番高く(12%前後)、中、高と進むにつれ、困難な割合は下がり、高校3年では2.1%となる。人間成長するにつれ、気になる面が解消されることがわかる。

また、この調査で使われている学習面、行動面(「不注意」「多動性‐衝動性」)、行動面(「対人関係やこだわり等」)の項目をみると、誰でもいくつか該当すると思われる項目があって、小学生にここまで要求するのかという疑問も残る。

例えば「多動性・衝動性」では、①手足をそわそわと動かし、またはいすの上でもじもじする、②教室や、その他、座っていることを要求される状況で席を離れる、③不適切な状況で、余計に走り回ったり高い所へ上ったりする、④静かに遊んだり余暇活動につくことができない、⑤「じっとしていない」、またはまるで「エンジンで動かされているように」行動する、⑥しゃべりすぎる、⑦質問が終わる前に出し抜けに答え始めてしまう、⑧順番を待つことが難しい、⑨他人を妨害したり、邪魔をする―の9項目で判定する。

さらに「不注意」9項目を加え、うち6つ該当すれば、困難児とされてしまう。もちろん、科学的根拠があってこのようなスケールが出来たのであろうが、小さい頃からレッテルを貼られてしまう今の子どもたち、親たちには余りにも残酷な気がする。

早く診断をすることよりも、「人は皆違う、違ってよい」という社会になることを、また、違っていることを受容し、周囲が上手に対応するキャパシティーのある社会になってほしいと願う。(茨城キリスト教大学名誉教授、みらいのもり保育園園長)

インドのハンセン病患者を支援 筑波大学生団体

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インド・ビシュナプールコロニーで学生団体「ナマステつくば支部」メンバーと住民の集合写真(ナマステつくば支部提供)

寄付募り住居5軒を建て替えへ

筑波大学の学生でつくる国際ボランティア団体「ナマステ(namaste!)つくば支部」(袴田裕菜代表=国際総合学類2年)は、インド国内のハンセン病患者への支援として、患者らのコロニー(集落)に家を建てるプロジェクトを行っている。2026年3月末をめどに計5軒の建て替えを目指す。

新規感染者が世界最多

ハンセン病は現在では完治する病だ。インドは今、ハンセン病新規感染数が世界最多と言われている。世界保健機関の調査では2021年のインド国内における新規感染者数は約7万5000人に上っている。背景にあるのは、衛生環境の問題とされる。インドでは差別がいまだ根強く、感染者や回復者、家族が暮らすコロニーが国内に点在している。数世代に渡って暮らしている場合が多いが、低賃金労働や物乞いによって生計を立てている生活者が多く、経済的問題から電気水道等のインフラも整っていないコロニーも多い。

ビシュナプールコロニーの様子。レンガや土で造られた壁が多く、壁がない部屋も多くある(同)

そうしたインドでのハンセン病患者や、後遺症や差別に苦しむ回復者を支援しようと、ナマステはもともと、2011年頃に早稲田大学の学生らによって創設された。つくば支部は15年にスタートした。同支部の創設者は当時、筑波大国際総合学類に入学した酒井美和さんで、酒井さんは21年からインドでハンセン病コロニーを支援するNPO法人わぴねす(東京都中央区)の代表理事を務めている。現在のつくば支部はわぴねすとも協力関係にあり、協同してプロジェクトを行うこともある。

直接渡航し支援

つくば支部には現在30数人が所属する。創設以来インドに直接渡航し、ハンセン病差別の問題と向き合ってきた。渡航が制限されていたコロナ禍を除き、長期休暇で授業のない3月と9月の年2回、数週間程度滞在し支援活動を行ってきた。昨年12月まで代表を務めていた生物資源学類3年の長井絢香さんは「インドにはたくさんのコロニーがある。現在つくば支部が支援している西ベンガル州のビシュナプールコロニーもその一つで、西ベンガル州の州都カルカッタから電車で4時間ほどかかる場所にある」と話す。滞在中はコロニー内の学校施設を借りて滞在する場合が多かったが、コロナ禍以後はインド政府によって禁止され、コロニー近くのゲストハウスで寝泊まりをしている。

ビシュナプールコロニーの水タンクの様子。上下水道が十分に整備されておらず、飲料水は井戸水に頼っている(同)

ビシュナプールコロニーは140人ほどが暮らすコロニーだ。村長のジョゲンナさんはハンセン病の回復者で、差別されホームレス状態にあった人たちに声を掛け共に暮らすようになり、徐々にコロニーが形成されていった。電気は通っているが極めて不安定で、飲料水は井戸に頼っている。男女比はほぼ同数で、90歳を超えた生活者もいる。23%が近隣の市場などで日雇い労働に従事し、40%が物乞い、そのほか多様な職業に就いているが「多くが低賃金労働で、生活環境は悪いまま」だと長井さんはいう。

学生としてできること

現在、つくば支部では26年3月末をめどに、ビシュナプールコロニー内の住居5軒を建て替えるプロジェクトを進めている。電気や上下水道、教育や就労などの支援ではなく、「住む家」に焦点を当てたのには理由がある。

「コロニーに行って学生の私たちに何ができるかを聞くと、真っ先に出てくるのは雨漏りがひどくて安心して眠ることができないというような住居の具体的な問題。教育や就労の問題はあまり出てこない。お金を集めて家を建て替えることももちろん容易なことではないが、教育や就労よりも具体的な事業であり、学生としてできる最大限だと思った」と長井さん。コロニー内の住居は土壁が基本で崩れやすく、壁のない部屋もある。

23年の渡航時に地元の事業者に、家の建て替え工事の見積もりを行った。1軒あたり13万ルピー、日本円にして約23万円が工事費用としてかかることが分かった。そこで寄付型のクラウドファンディングで最も緊急度の高い1軒の建て替え工事費用を募ることにした。23年の11月25日からクラウドファンディングキャンペーンをスタートさせた。12月初めには目標金額10万円に届き、最終的に19万円を集めることができた、足りない分はさらに寄付を募るなどして工面したいという。

ビシュナプールコロニーの子供たちと写真を撮る様子(同)

長井さんは「自分たちにできることは小さいと思う。それでも一歩踏み出す勇気が身に着いた。団体には行動力のある人が多くアクティブ」と話す。つくば支部での活動を経て、国際開発関係の進路を選択する学生も少なからずいる。長井さん自身も「将来は、国際的に社会の基盤を支えるような仕事に就きたい。直接的に国際開発の仕事に就きたいと考えているわけではないが、つくば支部での活動が影響を与えていると思う」と話す。

つくば支部の長期的な活動目標は、支援するコロニーを増やすことだ。つくば支部では現在、実質的に支援しているのはビシュナプールコロニーのみ。「インド国内には数多くのコロニーがある。ビシュナプールコロニーだけでなく、他のコロニーへの支援をすることを長期的な目標にしたい」と長井さんは話す。(山口和紀)

◆ナマステつくば支部のX(旧ツイッター)はこちら

大学生による里山保全活動《宍塚の里山》109

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落ち葉のプールにダイビング

【コラム・森本信生】法政大学・市ケ谷キャンパスを中心とした学生で構成される環境系サークル「キャンパス・エコロジー・フォーラム(キャンエコ)」は2002年10月以来、毎月1回(コロナ禍による休止時期を除く)、宍塚の里山で活動しています。

キャンエコは、主に棚田班と里山班の2つで構成され、棚田班は千葉県鴨川市の大山千枚田で、里山班は宍塚の里山で活動しています。学内サークル満足度1位の人気サークルで、OB、OGは841人とのこと。東京から高い交通費を使って、月1回、30~40人のメンバーが参加しています(TXの回数券が廃止されたのが痛手ですが…)。

活動は多岐にわたっています。湿地保全のために過繁茂する柳の伐根や外来種の抜き取り、雑木林の林の下にも光が当たり里山独自の植物が育つための落ち葉かき、落ち葉のプールでのダイビング、水路の落ち葉かき、ブルーギルやブラックバスを駆除するための釣り。

そして、梅などの果樹の剪定(せんてい)、自然農の水田での田植えと収穫、フクロウの巣箱の設置、孟宗竹(モウソウチク)の切り倒し、切り出した竹を使ってのランタン作り、クリスマスや正月飾り作り、雑木を利用しての遊具作り、雑木を利用しての遊具作り。

さらに、「田んぼの学校」に参加した子どもたちとの木登りや、ブランコ、ハンモック遊び。竹と藁(わら)で造る秘密基地(お昼寝場所)建設、窯でピザを焼き、畑で芋を育て大学祭での販売、観察路の手入れやSNSを利用した道案内システムの構築。

こういった様々な活動を、私たちの会員と綿密な相談をして行っています。山の中の体力勝負の作業も、男女隔てなく頑張っています。

将来に役に立つ体験を提供

学生たちの一番の楽しみになっているのが「里山のごちそう」。宍塚でとれたお米や野菜、山菜、地元に古くから伝わる大豆「たのくろ豆」を原料にした味噌などを使った昼食を提供しています。私たちの会員による「つくし亭」のメンバーが、里山の現地で調理をしています。休憩場所は、明治14年(1881)築の古民家「百年亭」です。

人間環境学を専攻する学生たちは、授業で学ぶ環境と人間との関係を里山体験を通じて学べているようです。卒業後、里山で学んだことを生かした仕事に就いている学生もいます。学生たちの将来に役に立つ体験を提供できてうれしい限りです。

もちろん、彼らは里山保全作業の大きな力になっていますし、若い息吹に、(比較的歳をとった)会員たちは元気をもらっています。私たちの里山の近隣には、大きな大学がいくつかあります。近くの学生たちも、どんどん来てほしいと思っています。(宍塚の自然と歴史の会 会長)

実家損壊など被災学生に経済支援 能登半島地震で 筑波大

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25日の記者会見で被災学生への独自の支援策について話す永田恭介学長=つくば市天王台、筑波大学本部棟

一時金や生活支援など

能登半島地震で実家が損壊し仕送りが滞っている学生や大学院生などを対象に、筑波大学(つくば市天王台、永田恭介学長)は、20万円の一時金や月5万円の生活費支援、学生宿舎料や授業料免除など独自の経済支援を実施することを明らかにした。

同大によると、福井、石川、富山、新潟の被災4県の出身学生は大学生、大学院生併せて639人おり、26日時点で実家が損壊したなどの報告が学生6人から寄せられている。現在、学生の被災状況を調査しており、支援する学生が何人になるか、現時点で不明。甚大な被害が報告されている石川県七尾市と志賀町出身者については該当者14人に個別に安否確認を実施したとしている。

独自の支援内容は、実家の家計が急変し仕送りがもらえなくなるなど学業を続けることが困難となっている学生に一時金として緊急支援奨学金20万円を給付する。ほかに地震によって実家が全壊、半壊、一部損壊した上、実家からの仕送りがもらえなくなっている学生に1月分から、月5万円の生活費支援と学生宿舎料の免除を実施する。4月からは生活費支援、学生宿舎料免除に加えて、授業料や入学金の全額または半額免除を実施する。

永田学長は25日の定例会見で「被災4県の学生が600人おり、安否確認、安全確認はできたが、実家に大きな問題を抱えている学生がいる。現在個別に調査中だが、被災学生の支援のため寄付を募り始めた。長引いた場合、最長1年半の生活費支援を検討している」などと話した。(鈴木宏子)

6階建て賃貸マンション完成 ひたち野うしく駅近く

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ひたち野うしく駅近くに25日完成した6階建て賃貸マンション「ドメニカ・ドーロ」=牛久市ひたち野東

【PR】ひたち野うしく駅から徒歩5分の牛久市ひたち野東5丁目に6階建て賃貸マンション「ドメニカ・ドーロ」が25日完成した。西大通り沿いに立地し、1階は店舗が3店、2~6階は単身者向け1Kと、夫婦などペア向けの1LDKが計33室ある。

建築主はつくば市東光台、東光拓商事社長の大野治夫さん。施工主の東建コーポレーションつくば支店の小林恭彦営業課長によると、ひたち野うしく駅周辺は、つくば、守谷と並び県内でも人気エリア。ひたち野地区は市街地が整備されて20年が経過し未利用地がほとんど残っておらず、賃貸マンションの空き物件があまりない。同駅周辺で賃貸マンションが新築されたのは数年ぶりという。

個人の需要のほか、駅に近く、牛久、阿見、土浦、つくばなどに立地する事業所へのアクセスがいいことから、会社など法人の単身赴任者向け寮などとしての需要が多いと見込んでいる。

完成したマンションは鉄筋コンクリート造、基礎杭を24メートル打ち込むなど耐震性が高く頑丈な造り。男女問わず安心して暮らせるよう建物の出入口などに防犯カメラを設置してセキュリティーを強化。各部屋のサッシや窓は二重窓で防音性と断熱性が高い。各部屋いずれもインターネット環境が整っている。入居者用の駐車場は29台分備えている。

上の階からは東側に牛久大仏、南西に真っ白な雪をかぶった富士山を眺めることができる。周辺は徒歩圏内にスーパーが3店舗立地しているほか、周辺の西大通り沿いは「クリニック通り」とも呼ばれ、診療所が多数立地しているなど生活の利便性が高い。

◆現在入居者を募集している。単身者向け1Kタイプは広さ29.54㎡(8.9坪)で家賃は月6万4000円、ペア向け1LDKは46.35㎡(14坪)で家賃は月7万1000円。問い合わせは電話029-870-4600(東建コーポレーションつくば支店)または電話029-878-1120(一誠商事ひたち野うしく支店)へ。

派閥秘書団は、どう考え、行動していたのか 《文京町便り》24

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土浦藩校・郁文館の門=同市文京町

【コラム・原田博夫】自民党派閥(とりわけ安倍派)のパーティー券収入のキックバックならびに不記載問題は、とりあえずは、2、3の派閥の会計責任者の起訴とそれに続く派閥解散で、(少なくとも岸田総裁としては)幕を引き、事務処理ミスの形式犯で済ませようとしている。

こうした会計処理が、どうして隠然と継承されてきたのか、という疑問がある。派閥会長やベテラン議員はともかく、新人議員では、政治家本人も事情・経緯が分からず、ましてやいきなり国会に登院したばかりの新人議員の秘書ではどう処理すべきか、途方に暮れるのではないか。その際、頼りになるのは派閥であろう。

派閥の会長・幹部が新人議員を呼び、こうした事務処理の機微は派閥のベテラン秘書団が詳しいので、彼らに相談して対応するように、とアドバイス・指導・指示するに違いない。まさに、新人議員にとっては、派閥はありがたい、のである。しかし、ひとたびこのクモの巣にからめとられると、生涯(少なくとも国会議員の間は)そこから抜け出ることはできなくなる。

そもそも、秘書には3つのタイプがある。第1は、親族(多くは父親)が国会議員の場合で、この場合は、何でも懸念無く相談でき、(秘密を共有できる)片腕としてそばに置きたい、という動機に由来している。家業としての政治家を続くける限りは、こうした父子相伝は(良し悪しは別にして)重要な要素である。

この場合は、いずれ適当な時期に、この国会議員のポストを子弟(多くは息子)に譲るのが既定路線である。つまり、この場合の秘書はあくまでも見習い・帝王学の最中であって、事務(とりわけ会計)処理の子細に立ち入るかどうかはケースバイケースであろう(無い場合も少なくない)。

第2のタイプは、将来議員になる野望を秘めていて、その前段階で、国会議員秘書を務めているケースである。いきなりの国会議員はハードルが高くても、市会議員・県会議員などへの立候補は、国会議員秘書としての顔見せ効果がかなり有効である。しかし、このケースでも、事務・会計処理の具体については大体の状況・雰囲気は分かるものの、確実なところ(裏側など)は疑問符かもしれない。

蓄積されたノウハウを継承

第3のタイプは、当初は第2のタイプだったけれども、なかなか転身(議員への立候補)がうまくいかず、かつ、親分(国会議員)が引退した場合、秘書を止めるか続けるか、で分かれる。秘書を止める場合は、自分の家業(父親の跡)を継ぐなどの事例もあるが、地元でどこか適当な企業・事業所に然るべきポストを見つけるのは、先の見えた秘書が手繰り寄せる手堅い転職・転身ルートであり、これは相当数に上っている気配がある。

そうした転身先を見つけられない場合は、親分(国会議員)を変えて秘書稼業を不本意ながら続けることになる。派閥秘書団はこうした(親分のいなくなった)秘書のリストをプールし、新人議員に斡旋(あっせん)している可能性がある。その際、秘書の有能さの評価には、事務・会計処理能力(グレーゾーンの見極め)の高さが含まれるはずである。

派閥の会長・幹部の指針・了解のもとに秘書団に蓄積されてきたノウハウの継承が、今回のような派閥主催のパーティー券収入のキックバック処理の慣習が野放図に継続する契機だったのではないか。(専修大学名誉教授)

最優秀賞につくばの上野雅洋さん 土浦の写真コンテスト

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茨城県知事賞を受け取る最優秀賞の上野雅洋さん 

土浦の景観や催事を美しくとらえた作品を公募した「第18回土浦の写真コンテスト」の表彰式が27日、同市大岩田、国民宿舎「水郷」霞浦の湯で開かれ、最優秀賞に手野のハス田の風景を撮影したつくば市、上野雅洋さん(52)さんの「幾何学模様」が選ばれた。主催は同市観光協会(中川喜久治会長)。

美しい自然、貴重な文化遺産、伝統芸能など土浦の風景や催事を再発見し広く紹介することを目的に、おおむね5年以内に本人が撮影という条件で、昨年10月に公募が実施された。県内外の67人から計226点の応募があり、審査の結果、最優秀賞に上野さんの作品、優秀賞に田井俊夫さん(かすみがうら市在住)の「亀城の春」、平堅次さん(土浦市)の「収穫」、北見隆久さん(土浦市)の「通い慣れた坂道」の3作品が選ばれたほか、16作品が入選した。表彰式には16人が出席し、表彰を受けた。

会場に集まった受賞者

上野さんの「幾何学模様」は、夕闇が迫る中、あかね色に染まる空に、葉を落とし裸になったレンコンの茎や花弁が、無限の幾何学模様のように浮かび上がる瞬間をとらえた。

最優秀賞と同時に茨城県知事賞を受賞した上野さんは「レンコンは有名だが、どこで作られているか知らない人も多く、紹介したという思いでレンコン畑の写真を撮った。幾何学模様というタイトルはカメラを構えた瞬間思いついた。受賞は大変うれしくこれからも茨城県の良いところを撮り続けていきたい」と語った。

審査員を務めた土浦写真協会会長のオダギ秀さん(77)は「昨年に比べても良い作品が増えてきた。何をどう撮るか、カメラを使って作品を作るという思いが必要だと思う。カメラの性能が上がっても、気持ちの問題は変わらないので、これからも良い作品を撮り続けて欲しい」と述べた。

審査員のオダギ秀さん

受賞・入選作品20点の展示会は28日から3月31日まで同市中央、土浦まちかど蔵で開催される。20点はさらに土浦の魅力を紹介するため、市国際交流協会を通じて、姉妹都市の米国パロアルト市と友好都市の独フリードリッヒスハーフェン市に送られる。作品は土浦市観光協会のホームページに掲載されている。(榎田智司)

ロボット連携で建物を管理 つくば研究支援センター「ベンチャーアワード」大賞に

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TCI箕輪浩德社長(左)から表彰状を受け取るOcta Roboticsの前川幸士取締役=つくば研究支援センター

労働力不足補う

茨城県などが出資する第3セクター、つくば研究支援センター(TCI、つくば市千現、箕輪浩德社長)は26日、つくば発の優秀なスタートアップ企業を表彰する「第4回TCIベンチャーアワード」で、ロボットと建物設備の管理を連携させるシステムを提供するOcta Robotics(オクタ・ロボティクス、さいたま市)のサービスを大賞に選んだ。

同社は、つくば市内につくばオフィスと実証フィールドの2研究拠点を置き、ロボット・建物設備連携インターフェースサービス(LCI)の製品化を進めている。特に高層建築物における管理や警備、清掃などの労働力不足を補うのに有効なシステムとされ、ロボットフレンドリー施設推進機構(RFA)の定める環境規格に準じた拡張性の高さなどが選定理由とされた。スタートアップ企業とはいえ、すでに大手デベロッパーの採用実績を上げていることも評価された。

表彰式で、前川幸士取締役は「労働力不足が深刻化する今後、ロボットとの連携はさらに求められる。新たなサービスを組み合わせたフレンドリーなショーケース展開をつくばエリアで行っていきたい」とした。

同アワードは、高い技術力と独自の事業プランを有する「つくば発ベンチャー」を表彰し、さらなる成長促進と次世代の起業意欲を喚起することを目的に2020年度に始まった。26日は最終審査会が行われ、7社がファイナリストプレゼンに臨んだ。先進性・独自性や実現可能性、成長性などから大賞(副賞100万円)、優秀賞(同30万円)が選ばれた。

大賞の前川取締役を中央に優秀賞4人が並んで

今年度はさらに、事業化前の研究・技術シーズを表彰対象とする優秀賞が新設され、2者が選ばれている。審査委員長を務めたTCI箕輪社長は「労働力不足が叫ばれる今日、これに対応した技術のニーズ・シーズが共に高まっている」と講評した。

各賞受賞企業は次のとおり。
▼大賞 Octa Robotics(本社・さいたま市、鍋嶌厚太代表取締役)「ロボット・建物設備連携インターフェースサービス(LCI)」
▼優秀賞 メルフロンティア(東京都文京区、北川全社長)「日本初マグネシウム合金を用いた生体吸収性埋め込み型医療機器の開発・事業化」▽エイゾス(つくば市、沼尻理恵子社長)「ノーコードクラウドAI解析ソフトによるデジタル実験で研究開発の労力100%削減」
▼シーズ部門優秀賞 理化学研究所バイオリソース研究センター(つくば市、林洋平チームリーダー)「次世代リプログラミング因子によるiPS細胞の作製」▽筑波大学(つくば市、武安光太郎数理物質系助教)「低価格・高耐久な白金フリー燃料電池触媒」

(相澤冬樹)

焼け跡の銀座風景《くずかごの唄》135

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】震災にあった石川県の中学生が、高校受験に備えて集団で移住するニュースを見たとき、私たちが6年生のときに強制疎開させられたことを想い出し、涙が出そうになってしまった。

「小学3年生から6年生まで全員、東京にいてはいけない。疎開しなければならない」

「来年3月の中学受験、僕は都立しか受けたくない」

「私も、都立を受験したいわ」

「皆、方々に疎開してバラバラになってしまうけれど、受験の日には逢えるね」

「受験の日に逢いましょう」

6年生のクラスメート全員、受験の日に逢うという堅い約束をして別れたのだった。

受験日は3月12日。運命の日、東京大空襲が3月10日。約束を守って、東京へ帰ってきた人は、東京大空襲に巻き込まれてしまった。約束を守れない私は、疎開先の長野県飯田の県立女学校を受験して無事だった。

有楽町駅のものすごい臭い

1946年の冬休み。父は「あなたに見せておきたいものがある。今から東京へ帰るから、一緒に行こう」。

父の会社「尚榮精機株式会社」は銀座西8-1にあった。米国から電気冷蔵庫など、日本にはない電気器具を輸入して売っていたが、米国との戦争で輸入どころではなくなってしまって、江戸川区の平井に工場を造って、戦争中は電気器具の修理などをしていた。

父の銀座の会社は、幸い焼け残っていたので、私はそこへ泊って、新橋、有楽町あたりを毎日見て回った。

焼け野原になってしまった東京。残った建物も、爆弾の熱風でカラスが吹き飛んでしまい、どのビルも窓に新聞紙が張りつけられていた。爆風と一緒に吹いてきたガラスの破片が体に突き刺さって、出血多量で亡くなった人も多かったらしい。

私がびっくりしたのは有楽町駅の臭いである。この駅は銀座の繁華街に近いので、特別厚いコンクリ―工事が施されていたという。空襲のとき、頑丈なコンクリートの駅舎にたくさんの人が詰めかけたらしい。そのまま全員蒸し焼きになってしまった。

敗戦の夏。暑さの中で、その人たちの、コンクリートに染み込んだ脂肪や血液が発酵・蒸発し、駅全体が表現の仕様がないような、ものすごい臭いになってしまっていた。

私は、臭いが怖くて有楽町駅に行けなくなってしまった。小学校の同級生は一体何人生き残ったのだろうか?(随筆家、薬剤師) 

移動投票車で高齢者が模擬投票 ロボットが立会人に つくば市

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自宅前にやって来た「期日前移動投票所」となるワゴン車の車内で模擬投票をする六所地区区長の柳原敏明さん

投票箱を積んだワゴン車が高齢者や障害者などの自宅前まで出向いて、住民に車内で模擬投票をしてもらう実証実験が23日から27日までの5日間、高齢化率が高い筑波山麓のつくば市筑波地区と臼井地区で実施されている。ワゴン車は実際の選挙で「移動期日前投票所」となる。市は今年秋の市長選・市議選で導入を目指している。

今回の実証実験は、内閣府の先端的サービスの開発・構築に関する調査事業に採択された。市は東京海上日動火災保険、KDDIなどと共に、今年秋の選挙での実現に向け技術的検証に取り組む。

自宅前まで来た移動投票所のワゴン車

26日は、同市臼井・六所地区区長の柳原敏明さん(68)の自宅前に移動投票車のワゴン車が来て、柳原さんは車内で模擬投票を行った。車内には投票箱が設置され、公職選挙法で定められた投票立会人については、1人が立ち会ったほか、分身ロボット「オリヒメ」が立会人に加わった。オリヒメは本投票所とつながっていて、カメラを通じて遠隔から投票の様子を見守る。また移動投票車は、車いすの障害者や高齢者が後方ドアから車内に入ることが可能なつくりになっている。

両地区住民には今月9日、封書が届き、模擬投票の参加者はそれぞれ、スマートフォンや電話で予約をしていた。①自宅まで移動投票車が来るサービスと➁自宅から移動投票所までの送迎するサービスと2つの実証実験が用意され、車が駐車できるスペースがある住民の自宅前にはワゴン車が出向いた。自宅前に車が停められない人には送迎車が準備され、送迎車を利用しての模擬投票も行われた。

投票立会人のロボット「オリヒメ」

柳原さんらの模擬投票に先立って26日は、記者向け説明会が実施された。五十嵐立青市長があいさつした後、市政策イノベーション部科学技術戦略課の前島吉亮課長が概略を説明。運営にあたるスパイラルの甲木空さん、KDDIの阿部英孝さんが詳細を説明した。国家戦略特区のスーパーシティを担当する内閣府地方創生推進事務局の菅原晋也参事官と、東京都荒川区の選挙管理委員会も視察に訪れていた。

市科学技術戦略課の前島課長は「スーパーサイエンスシティ構想の中に、インターネット投票というのがあり、本来はそれを目指したいが、まだ実現に至っていない。今回、住民サービスの一環として、誰一人取り残さない社会の実現を目指しており、市内でも人口減少が続き、高齢化率の高い筑波・臼井地区での実証を行うことになった」と話した。

模擬投票をした区長の柳原さんは「高齢化が進む地域なので新しい試みは歓迎したい。ただスマートフォンなど高齢者はあまり慣れていなかったりするので、参加の方法はもっと検討してもらいたい」と述べた。送迎車を使った模擬投票に参加した臼井地区の木村嘉一郎さん(94)は「選挙には家族に送迎してもらって行っていたが、自宅まで来てもらえればありがたい。秋の選挙には使えるようになれば良い」と語った。

送迎車で来て模擬投票に参加した木村嘉一郎さん(右)

同市は、2024年の市長選・市議選でインターネット投票を導入することを看板に掲げ、22年にスーパーシティに認定された。しかしネット投票に対しては、なりすましや強要などの課題が指摘される中、今年秋の選挙では実施できない。代わって市は、ネット投票導入につながるステップだと位置づけ、秋の選挙で移動期日前投票所を導入したい意向だ。これに対し公職選挙法を所管する総務省は、昨年7月の国家戦略特区ワーキンググループのヒヤリングで、今回の実証実験について「(ネット投票と)切り離して議論していく必要がある」という認識を示している。(榎田智司)

男性中心社会、オールド・ボーイズ・ネットワーク《遊民通信》81

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【コラム・田口哲郎】

前略

オールド・ボーイズ・ネットワークという言葉をご存知でしょうか? ウィキペディアによると「男性中心の組織文化や人間関係などを表す用語である。オールド・ボーイズ・ネットワークが強固な組織では、男性中心の独特の閉鎖性・排他性によって多様性が失われ、女性の活躍やイノベーションが阻害される。そのため、日本では2020年頃から見直す機運が高まっている」ということで、いわゆる男性中心社会を表す言葉です。

先日、元日本IBM取締役の内永ゆか子氏の講演を聞く機会があり、そこで初めて知りました。

内永氏がおっしゃるには、オールド・ボーイズ・ネットワークは、同じ経歴、同じ成功体験、同じ失敗体験、つまり同じ価値観を生きてきた男性の集まりのことだそうです。つまり男性のみの学閥や派閥などいわゆるエリート集団です。いままでその知的優位と結束力の強さで、資本主義経済を主導し、近代社会の経済的繁栄を築いてきました。

そもそもこの組織は欧米で生まれ、明治以降に日本に入ってきて、いまや日本はこのネットワークが欧米に比べて強固だそうです。日本社会を眺めてみると、このオールド・ボーイズ・ネットワークに支配されている組織やシステムが多いことに気づかされます。

一枚岩が切り崩される現状

さて、現在、世界はグローバリゼーションが席巻し、今までの価値観が覆される事態になっています。その激変の時代にあって、オールド・ボーイズ・ネットワークへの風当たりは強いようです。

価値観を変えるのは簡単ではありません。価値観が一枚岩みたいにみんな同じだと、多様な考え方の波に対応するのはほぼ不可能でしょう。しかも、いまは一枚岩ばかりが一流で頑丈なのではなく、多様なベンチャーでも大岩を切り崩せる時代です。要するに、ひと握りの男だけの集団が世界を牛耳り、価値観を押し付ける社会が終わろうとしています。それは弱者が抑圧から解放される良いことなのです。

しかし、いままで社会の隅々までをがんじがらめにしていた枠組みが外れるのですから、不安や衝突が生じるでしょう。個々人が自由に生きなければならないアフター・コロナの時代に人びとの心を支える価値観をどうつくってゆくのか、考える時がきているのかもしれませんね。

イエ制度や地域コミュニティが崩壊した現在、人々が安心するために緩やかにつながれる、いわば共通の新しいイエが求められているように思えます。ごきげんよう。

草々

(散歩好きの文明批評家)

自分の責任で自由に過ごせる居場所を!《けんがくひろば》2

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12月の「きつつきプレイパーク」

【コラム・吉田絵里子】私たちは、TX研究学園駅前公園の林内に「きつつきプレイパーク」を設けています。きつつきも訪れる外遊びの場所です。毎月1回、放課後に開催して今年で6年目になります。

「きつつきプレイパーク」って?

「プレイパーク」ってどんな場所なのでしょう? 「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーに、出来る限り禁止事項を減らした「何をしても、何もしなくても、いい」ところと、私たちは考えています。その対象は子どもたちだけではありません。赤ちゃんからシニアの方まで、すべての人にとって「遊び(心)」や「居場所」は必要だと考えるからです。

「遊び(心)」の無い日々は人を窮屈にさせます。また、世界のどこかに一つでも「自分の居場所」があるという実感によって人は幸せを感じるのではないでしょうか。ささやかな日常の喜び、思い出、つながりが、思いがけずあなたを支えてくれた、救ってくれたことはありませんか?

落とし穴を掘る。たき火で焼きイモをつくる。お湯を沸かしてラーメンをつくる。コーヒーを入れておしゃべりをする。木登りをする。ロープを木にひっかけてブランコやジップスライダーをつくる。思いっきり大声をだして叫ぶ。物置の上から飛び降りる。泥んこになって暗くなるまで遊ぶ。異年齢で遊ぶ。集まる。つながる。

「きつつきプレイパークって何がおもしろい?」と聞くと、「特別な遠い場所じゃなくて、すぐ近くで普段できない特別なことが出来ること」。そんな答えが返ってきました。

「やってみたい」「挑戦してみたい」

普段できない特別なことって、昔なら出来ていたことがたくさんあります。今では怒られたり止めさせられてしまう、出来る環境がそもそも無い。「やってみたい」「挑戦してみたい」「夢中になって没頭したい」が出来ない、苦しい時代になっています。

私たちは「あたりまえにやっていいこと」=権利なのではと思うのです。子どもの権利は、昨年施行された「こども基本法」で保障されています。この法律は1989年に国連総会で採択された「国連児童の権利条約(子どもの権利条約)」を受けた国内法で、大人の都合が優先されるのではなく「子どものため」の法律です。

自分には権利がある、「大きな人」に従うだけの存在じゃない―これは大人になっても大切な考えです。どんな状況でも人生の主権は自分にあると。「きつつきプレイパーク」もそれを保障したいのです。人生を「自分の責任で自由に遊ぶ」ために。もちろん「何をしても、しなくても」。(つくばdeプレイパークひろめ隊 代表)

<きつつきプレイパーク>
▽毎月第4月曜日の午後3~5時開催(冬季は日没まで)。次回は2月26日
▽予約不要・参加費無料。未就学児は要保護者同伴
▽詳しくは、フェイスブックまたはインスタグラム
▽問い合わせは、SNSダイレクトメッセージまたはメール

障害者の工賃アップ目指し不要パソコンを回収 つくばの就労支援施設

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ノートパソコンから記憶媒体装置のHDDを取り出しドライバーで傷を付ける砂長祐季さん(手前)=23日、つくば市玉取、つくば特別支援学校

「さくら学園」

障害者の工賃をアップさせたいと、つくば市島名の障害者就労支援施設「さくら学園」(NPO明豊会運営、飯島喜代志代表)が、不要になったパソコンの回収と希少金属などのリサイクルに取り組んでいる。

パソコンの情報漏えい対策として、企業や学校などに出向き、記憶媒体装置のHDD(ハードディスクドライブ)を依頼者の目の前でパソコンから抜き取り、工具で傷付けて物理的に破壊してから回収するのが特徴だ。昨年夏、県内の障害者施設として初めてスタートした。

22、23日の2日間、市内の県立つくば特別支援学校に、障害者とスタッフ延べ7人が出張し、廃棄予定の150台のパソコンからHDDを取り出した。ゴーグルと手袋を着用した障害者が、100本の精密ドライバーセットの中から、ねじの太さや形に合ったドライバーを選んで、パソコンのねじをはずしながら解体していく。HDDを取り出すと、作業を見守る同校教員の目の前で、工具で傷付け情報を物理的に破壊する。

情報漏えい対策として、取り出し、傷を付けたHDD=同

HDDを破壊した後はさくら学園に持ち帰り、パソコンを鉄、アルミ、基板、プラスチックなど40種類ほどの部品に分解して分別する。1台のパソコンを解体するのに20種類ほどのドライバーを使いこなし、早い人で1台当たり30分、平均1時間程度で解体することができるという。現在、同学園を利用する35人の障害者のうち、7人がパソコンの解体作業に従事している。

介護福祉士で同学園サービス管理責任者の戸村雅一さん(68)によると「これまで従事した全員がパソコン解体作業を継続することができており、仕事として達成感があると思う」と話す。23日、同特別支援学校でHDDの取り出し作業をした同園を利用する砂長祐季さん(20)は「ねじが固いので大変」と話し、沖山大稀さん(19)は「ねじ回しが楽しい」と話していた。

平均工賃を2倍に

分別した部品は、資源として販売する。特に半導体が載った基板は金や銀など希少金属を含むことから高く販売でき、障害者の工賃アップにつながる。一方プラスチックなど同学園が費用を支払って処分する部品もあるが、95%は再資源化できるという。

同園では現在、障害者に対し、全国平均とほぼ同額の月平均1万6000円ほどの工賃を支払っているが、パソコン回収・解体作業により、従事した本人だけでなく、全体の工賃を2年後に現在の2倍の月平均3万円に上げることを目標にしている。

パソコンの処分を依頼したつくば特別支援学校の上野俊輔教諭(41)は「去年の夏に話があり、HDDの情報漏えい対策をどうするか検討していたところ、年末にさくら学園の方が来校し、処分を依頼することを決めた。さくら学園は卒業生が利用しており、卒業生の仕事が増え、工賃アップにつながれば」と話す。

さくら学園のスタッフに時折質問しながらパソコンを解体する沖山大稀さん(左端)。1カ月前からパソコン解体作業に取り組み始めたばかり=同

全国の事業所とネットワーク

きっかけは1年半ほど前、障害者施設の仕事量を増やす取り組みをしている茨城県共同受発注センター(水戸市)の担当者から、工賃をアップできる仕事として紹介を受けたこと。すでにパソコン回収作業に取り組んでいた神奈川県平塚市の障害者施設に戸村さんらが見学に行き勉強、さらに全国の障害者施設とネットワークを組んでパソコンの回収と再資源化に取り組んでいる「日本基板ネットワーク」(新潟市)の指導を受けた。

同ネットワークの取り組みは昨年3月、首相が本部長を務めるSDGs推進本部主催の「第6回ジャパンSDGsアワード」で、廃棄物を減らして環境負荷を低減し障害者の賃金向上と自立に寄与しているとして、特別賞を受賞した。現在も3カ月に1度、同ネットワークの指導を受けながら作業のさらなる安全性向上と効率アップに取り組む。

回収するのはパソコンのほか、携帯電話やゲーム機など。企業や団体のほか、個人からも回収し、寄付を受ける形で有価物として無料で引き取る。解体、分別後は、鉄、アルミ、銅は廃棄物回収業者に販売し、希少金属を含む基板などは新潟市の日本基板ネットワークに送り、兵庫県内の溶鉱炉で溶かし、金や銀を取り出す。

戸村さんは「利用者の平均工賃を上げるのが一番の目標」とし「利用者が他の事業所を訪れて作業する機会はあまりないので、出張解体を通して地域の人とつながることもできる」と意義を強調する。さらに「レアメタルは都市鉱山とも言われるが、限られた資源をリサイクルするということもやっていかなくてはらないことだと思う」とし、「県内に一緒にやれる事業所の仲間を増やしたい」と呼び掛ける。現在、パソコン回収に取り組んでいる福祉事業所はさくら学園を含めまだ2カ所のみという。(鈴木宏子)

◆回収するのは、パソコンと、ルーターやケーブルなどの周辺機器、携帯電話、ゲーム機など。コピー機、プリンター、故障した液晶モニターは不可。つくば市内の場合、10台以上は引き取りに行き、土浦市など周辺市町村は20台以上は引き取りに行く。個人の場合、さくら学園に直接持ち込むか、宅配便などで送付すれば引き取り可能。持ち込みや宅配便などの場合、破壊したHDDを写真撮影し解体証明書などと共に後日メールで送付する。さくら学園はつくば市島名2304。詳しくは電話029-875-3517またはメールinfo@sakura-gakuen.orgへ。

朝寝坊さん《短いおはなし》23

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イラストは筆者

【ノベル・伊東葎花】

子どもの頃から、枕元に「朝寝坊さん」がいます。
夜になるとやってきて、優しい声で子守唄を歌うのです。
毎晩ぐっすり眠ります。
目覚まし時計をこっそり止めるのも「朝寝坊さん」の仕業です。
だから私は、毎日寝坊をします。

「起きなさい、何度言ったら起きるのよ。まったくあなたは」

母の声は、なんて耳障りでしょう。
私は目を閉じて、「朝寝坊さん」の歌声に酔いしれます。
5回くらい起こされて渋々起き上がると、「朝寝坊さん」の歌はゆっくりフェイドアウトして、やがて風のように、どこか遠くへ行ってしまうのです。

おかげで私は、ほぼ毎日遅刻です。

「こら、おまえ、また遅刻か」

先生に毎日怒られます。友達もあきれています。
だけど平気です。「朝寝坊さん」の歌声が、私にとって一番なのです。

「学生のうちはいいけど、社会人になったらどうするの? あなたを一生起こしてあげることなんか出来ないのよ」

母は朝からガミガミうるさいです。耳をふさいでやりすごします。
私は起きられないのではありません。起きないのです。
「朝寝坊さん」と離れたくないのです。
「朝寝坊さん」は、昼間はどこにいるのでしょう。
梅の花がもうすぐ咲きそうなことに、気がついているかしら。

翌日、いつものように寝坊をした私は、陽が高くなっていることに気づきました。
いつまでたっても母が起こしに来ないから、お昼になってしまったのです。
遅刻のレベルを超えています。いつものガミガミが聞こえないのも不便なものです。

「お母さん?」

リビングにもキッチンにも母はいません。
部屋へ行ってみると、布団を被って寝ているのです。

「お母さん、何で起こしてくれないの? もうお昼だよ」

母は、布団をもぞもぞさせながら、しゃがれた声で言いました。

「起きる必要ないだろう。だってあんた、仕事もせずに寝ているだけじゃないか。これ以上あたしの年金を当てにしないでちょうだい」

そう言って布団から顔を出した母を見て、私は腰が抜けるほど驚きました。
母の髪は真っ白で、顔はしわくちゃのおばあさんでした。
そして鏡を見たら、私自身も驚くほど年を取っていたのです。

「お母さん、私、どうしちゃったの! ねえ、お母さん。起きてよ」

母は起きません。母の枕元で「朝寝坊さん」が不気味に笑っていました。
「朝寝坊さん」が、私たちの時間を奪ってしまったのです。
気持ちよく眠っている間に、数十年もの時間を失ってしまったのです。
私は耳を塞ぎました。「朝寝坊さん」の歌は、まるでレクイエムのようでした。

   *  *
目覚まし時計が鳴りました。
ハッとして起きると、いつもの朝でした。
私は、元の中学生に戻っていました。

「あら珍しく早起きね。雪でも降らなきゃいいけど」

母は、ちゃんと太った黒髪の、いつもの母でした。

それっきり「朝寝坊さん」は姿を消しました。
他の誰かの心に住み着いたのかもしれません。
うららかな春が、やがてやってきます。どうかご用心を。

(作家)