火曜日, 10月 6, 2026
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インドのハンセン病患者を支援 筑波大学生団体

寄付募り住居5軒を建て替えへ

筑波大学の学生でつくる国際ボランティア団体「ナマステ(namaste!)つくば支部」(袴田裕菜代表=国際総合学類2年)は、インド国内のハンセン病患者への支援として、患者らのコロニー(集落)に家を建てるプロジェクトを行っている。2026年3月末をめどに計5軒の建て替えを目指す。

新規感染者が世界最多

ハンセン病は現在では完治する病だ。インドは今、ハンセン病新規感染数が世界最多と言われている。世界保健機関の調査では2021年のインド国内における新規感染者数は約7万5000人に上っている。背景にあるのは、衛生環境の問題とされる。インドでは差別がいまだ根強く、感染者や回復者、家族が暮らすコロニーが国内に点在している。数世代に渡って暮らしている場合が多いが、低賃金労働や物乞いによって生計を立てている生活者が多く、経済的問題から電気水道等のインフラも整っていないコロニーも多い。

ビシュナプールコロニーの様子。レンガや土で造られた壁が多く、壁がない部屋も多くある(同)

そうしたインドでのハンセン病患者や、後遺症や差別に苦しむ回復者を支援しようと、ナマステはもともと、2011年頃に早稲田大学の学生らによって創設された。つくば支部は15年にスタートした。同支部の創設者は当時、筑波大国際総合学類に入学した酒井美和さんで、酒井さんは21年からインドでハンセン病コロニーを支援するNPO法人わぴねす(東京都中央区)の代表理事を務めている。現在のつくば支部はわぴねすとも協力関係にあり、協同してプロジェクトを行うこともある。

直接渡航し支援

つくば支部には現在30数人が所属する。創設以来インドに直接渡航し、ハンセン病差別の問題と向き合ってきた。渡航が制限されていたコロナ禍を除き、長期休暇で授業のない3月と9月の年2回、数週間程度滞在し支援活動を行ってきた。昨年12月まで代表を務めていた生物資源学類3年の長井絢香さんは「インドにはたくさんのコロニーがある。現在つくば支部が支援している西ベンガル州のビシュナプールコロニーもその一つで、西ベンガル州の州都カルカッタから電車で4時間ほどかかる場所にある」と話す。滞在中はコロニー内の学校施設を借りて滞在する場合が多かったが、コロナ禍以後はインド政府によって禁止され、コロニー近くのゲストハウスで寝泊まりをしている。

ビシュナプールコロニーの水タンクの様子。上下水道が十分に整備されておらず、飲料水は井戸水に頼っている(同)

ビシュナプールコロニーは140人ほどが暮らすコロニーだ。村長のジョゲンナさんはハンセン病の回復者で、差別されホームレス状態にあった人たちに声を掛け共に暮らすようになり、徐々にコロニーが形成されていった。電気は通っているが極めて不安定で、飲料水は井戸に頼っている。男女比はほぼ同数で、90歳を超えた生活者もいる。23%が近隣の市場などで日雇い労働に従事し、40%が物乞い、そのほか多様な職業に就いているが「多くが低賃金労働で、生活環境は悪いまま」だと長井さんはいう。

学生としてできること

現在、つくば支部では26年3月末をめどに、ビシュナプールコロニー内の住居5軒を建て替えるプロジェクトを進めている。電気や上下水道、教育や就労などの支援ではなく、「住む家」に焦点を当てたのには理由がある。

「コロニーに行って学生の私たちに何ができるかを聞くと、真っ先に出てくるのは雨漏りがひどくて安心して眠ることができないというような住居の具体的な問題。教育や就労の問題はあまり出てこない。お金を集めて家を建て替えることももちろん容易なことではないが、教育や就労よりも具体的な事業であり、学生としてできる最大限だと思った」と長井さん。コロニー内の住居は土壁が基本で崩れやすく、壁のない部屋もある。

23年の渡航時に地元の事業者に、家の建て替え工事の見積もりを行った。1軒あたり13万ルピー、日本円にして約23万円が工事費用としてかかることが分かった。そこで寄付型のクラウドファンディングで最も緊急度の高い1軒の建て替え工事費用を募ることにした。23年の11月25日からクラウドファンディングキャンペーンをスタートさせた。12月初めには目標金額10万円に届き、最終的に19万円を集めることができた、足りない分はさらに寄付を募るなどして工面したいという。

ビシュナプールコロニーの子供たちと写真を撮る様子(同)

長井さんは「自分たちにできることは小さいと思う。それでも一歩踏み出す勇気が身に着いた。団体には行動力のある人が多くアクティブ」と話す。つくば支部での活動を経て、国際開発関係の進路を選択する学生も少なからずいる。長井さん自身も「将来は、国際的に社会の基盤を支えるような仕事に就きたい。直接的に国際開発の仕事に就きたいと考えているわけではないが、つくば支部での活動が影響を与えていると思う」と話す。

つくば支部の長期的な活動目標は、支援するコロニーを増やすことだ。つくば支部では現在、実質的に支援しているのはビシュナプールコロニーのみ。「インド国内には数多くのコロニーがある。ビシュナプールコロニーだけでなく、他のコロニーへの支援をすることを長期的な目標にしたい」と長井さんは話す。(山口和紀)

◆ナマステつくば支部のX(旧ツイッター)はこちら

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