幻の歌「霞ケ浦周航歌」。作詞をしたのは土浦で育った禅研究家、赤根祥道さんだった。故人となった作詞者を師と仰ぐ塾生らは「歌を知ってもらい、口ずさんで、この歌で地域の歴史や文化を知ってほしい」と呼び掛ける。
土浦でも「赤根塾」
1998年、塾生の一人で当時土浦市議会議員だった内田卓夫さん(78)は、東京だけではなく土浦でもビジネス禅の研修会を開きたいと「赤根塾」を企画した。赤根さんに師事したいと、大久保写真館(土浦市桜町)代表の大久保博さん(58)など、地域の会社社長や重役など当時30代から50代の約15人が1期生として集まった。内田さんは当時53歳だった。
「(赤根先生は)一度会っただけでただ者じゃないという感じだった。この人に付いていけば大丈夫だろうと考え、学びたいと思った」と内田さん話す。塾生らは97年に完成した「霞ケ浦周航歌」を広めたいと活動したが、歌はなかなか広まらず、知っているのはごく一部の人だけとなった。
塾生が歌碑を建立
歌が完成した97年、「赤根塾」の塾生だった吉川國弘さんが赤根さんの思いに共感し、自宅の庭に楽譜を刻んだ歌碑を建立した。その後、歌碑は歩崎公園に移設されて現在の場所にある。赤根さんが作った歌詞は8番までで、9番は吉川さんが作って付け足した。歌碑が建つ歩崎公園はサイクリングコース「つくば霞ケ浦りんりんロード」上にあり各地から訪れたサイクリストの目に留まるも、ネット上に音源はなく、忘れ去られた歌となっていた。
赤根さんを知る山城経営研究所の竹之内由美子さんは「おおらかで何事も肯定的にとらえる人柄で、経営リーダーの方々を激励していた」と人となりを話す。塾生の一人、大久保博さんは「経営者には不安がつきものだが、赤根先生の話を聞くと不安が無くなった。とにかく話がおもしろく、心をつかまれた」と思い出を語る。
直筆のメモ残る
赤根さんは学生時代、ボート遊びをして霞ケ浦に親しんでいたという。土浦市の郷土史家である永山正さんの著書も参考にして歌詞を考えたと見られ、本の内容を抜き書きした直筆のメモが遺っている。赤根さんは作詞の心を「日本第二の湖・霞ケ浦を誇りにして、大事に浄化して、私たちの心とくらしの宝にしたい。みんなの心をこの歌で元気にしたい」と、手書きで記している。
内田さんは「赤根先生は都内で活躍していたが、土浦に恩返ししたいという気持ちがあったようだ」と話す。「この歌で改めて地域の文化や歴史を知り、地域に誇りを持ってほしい。ボランティアで作られた歌だが、今まで日の目を見なかった。みなさんに知ってもらい、口ずさんでほしい」と思いを話した。
霞ケ浦周航歌 歌詞
一、筑波の嶺をあとにして 花の筏の桜川
亀城の櫓 壁白く めざすは霞浦の湖ぞ
二、霞浦の川面は波静か 帆曳きの影も あざやかに
古き江戸崎港には 天海和尚 不動院
三、お江戸廻船あとしたい 古渡の渡し すぎゆきて
夢の浮島 信太の館 広がる稲穂 和田岬
四、三又すぎて 潮来には 娘船頭 赤だすき
あやめの園や 十二橋 水郷うれし 潮来節
五、鹿島の月は 高くして 俳聖芭蕉 旅衣
仏頂禅師 したいたる 根本寺の句碑古し
六、剣聖卜伝 磨きたる 天下無双の剣の道
鹿島の社 森深く タケミカツチの武をたたう
七、麻生の浜は 天王崎 歴史も古き 玉造
国府石岡 万葉の 歌人の跡 ここかしこ
八、歩崎なる観音寺 望めば遠く 富士の山
一望千里 はてしなき 利根の恵みの大平野
内田さんは「霞ケ浦周航歌」のシングル版CDを大切に保管していた。
(田中めぐみ)
終わり
【2月12日追加】カラオケバージョンを作成しました。