月曜日, 12月 29, 2025
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台湾・総統選挙と立法院選挙《雑記録》56

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プリムラ・ジュリアン(写真は筆者)

【コラム・瀧田薫】1月13日、台湾総統選挙の投開票が実施された。選挙前、中国の習近平国家主席が台湾侵攻に踏み切るレッドラインは「台湾の独立」にあるとの見方が流布されていたため、次期台湾総統に誰がなるのか、世界の関心が集まっていた。

選挙の結果、親米派の与党(民進党)賴清徳候補が得票率40.05%を獲得して次期総統に当選した。中国政府が期待していた親中派の野党(国民党)侯友誼候補は得票率33.49%で敗れた。第三勢力として無党派層や若い世代から支持された柯文哲候補(民衆党)は得票率26.46%と健闘した。

一方、同時に実施された立法院(国会)選挙(定数113)においては、与党・民進党が過半数を割り込み51議席で第2党に転落し、野党・国民党は議席を増やして第1党になったが、過半数を獲得できず、52議席にとどまった。

この結果、8議席を獲得した民衆党がキャスティングボートを握ることになった。与党・民進党の過去8年間の統治が「対中関係の悪化」とそれに伴う経済の不調さらに経済格差をもたらしたとの批判・不満が若者世代と無党派層にあり、これが民衆党への支持につながったようだ。

与党が議会の過半数を失ったため、賴次期総統の政権運営は困難を極めるだろう。頼氏は民衆党との連立工作を急ぐが、柯氏がこれに素直に応じるとは思えない。

選挙戦中、柯氏は「民進党と国民党による旧来の2大政党制を打破しよう」と訴えた。選挙後の記者会見では「他党と協力はするが、個々の法案、政策には是々非々で臨む」と述べ、台中関係では「対話を望むが、重要なのは台湾の民主主義と生活を守ることだ」とし、その上で「候補者中、米中双方に受け入れられるのは私だけだ」と強調した。(世界日報、1月13日付)

米中・台中関係 日本の役割は大

ちなみに、柯氏の発言がそのまま今回の選挙の総括になっている。つまり、台湾の有権者は、米中対立の狭間(はざま)にあって、台湾の現状維持策を選択するバランス感覚を示すと同時に、旧態依然の2大政党制に楔(くさび)を入れ、民主主義の堅持と経済格差の解消を望んだのである。現総統・蔡英文氏を継承すると宣言した頼氏を次期総統に選びはしたが、頼氏の台湾独立志向は支持しない意思を立法院選挙(ねじれ国会)で示したと言えよう。

野党・侯友誼氏の対中融和姿勢については、有権者の間に、香港の二の舞になりかねないとの警戒心があった。実際、有権者は外部からの選挙干渉に強い拒否反応を示し、中国政府による侯候補への後押しは、結果として侯氏の足を引っ張ることとなった。

中国政府は台湾の民意に失望し、台湾に対する経済、軍事両面の圧力を強化する姿勢だが、早晩、民進党との対話を模索せざるを得なくなるだろう。米国のバイデン大統領は頼氏に対し、台湾の独立は支持しない旨のメッセージを届けた。日本政府も祝意を届けたが、政府よりも超党派の議員連盟「日華議員懇談会」の方が精力的に動いた。

1972年の日中国交正常化以降、議員外交そして民間外交が日台関係の推進軸となってきた。こうした努力あってのことだろう、台湾政府に限らず国民党も民衆党も日本を信頼し、米中関係そして台中関係において日本が果たす役割に期待している。台湾有事を未然に防ぐため、日本政府は米中間の仲介役を果たさねばならない。日本外交の真価が問われることになる。(茨城キリスト教大学名誉教授)

ロボッツ今季4勝目 最多入場者数も更新

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Bリーグキャリアハイの32得点を上げ、MVPに選ばれた茨城ロボッツのオブライアント(青いユニフォーム)

男子プロバスケットボールBリーグ1部(B1)の茨城ロボッツは3、4日、水戸市緑町のアダストリアみとアリーナでサンロッカーズ渋谷と対戦し、3日は69-74で敗れたが、4日は78-77で雪辱を果たした。茨城の通算成績は4勝32敗で東地区8位。4日の入場者数は5147人でクラブ史上最多を更新した。

2023-24 B1リーグ戦(2月4日、アダストリアみとアリーナ)
茨城ロボッツ 78-77 サンロッカーズ渋谷
茨城|17|20|22|19|=78
渋谷|20|23|18|16|=77

前季までの粘り強さを取り戻した茨城が、両日とも接戦を繰り広げた。3日は試合終了直前で1点差に詰め寄ったものの、残り7秒からフリースロー4本を決められ敗れた。しかし4日は、終盤の相手の追い上げをかわし、わずか1点差の勝利をつかみ取った。

14得点を挙げた平尾充庸

前半を6点ビハインドで折り返した茨城は、後半に流れをつかみ、第3クオーター(Q)半ばに一時逆転。その後も僅差で相手を追い続け、第4Q残り4分45秒で2度目の逆転。ここからはリードを保って終盤に突入していった。

だが残り1分40秒から渋谷が反撃を開始。ホーキンソンのバスケットカウントとクレモンズの3点シュートで、最大7点あった茨城のリードは、残り56秒の時点でわずか1点に。ここから茨城は守備のスペシャリストでもある鶴巻啓太を入れて逃げ切りを図る。残り22秒から渋谷は4度のシュートチャンスを迎えるが、ゴール下の厳しい競り合いから4度とも決めることができず、最後は鶴巻がリバウンドを収めてタイムアップ。超満員のスタジアムが喜びに湧きかえった。

鶴巻は守備だけでなく得点でも貢献

勝利の殊勲者は、32得点11リバウンドを挙げたジョニー・オブライアント。前半はインサイドから多くのチャンスを作り、相手がダブルチームで止めに来るようになると、アウトサイドへ出て3点シュートやドライブも使いながら自在に攻撃。特に第4Qの13得点は圧巻だった。

「相手がスモールラインナップの時や疲れている時は、アグレッシブにインサイドにアタックしようと思っていて、チームメイトも自分を見付けてパスを出してくれた。リバウンドも自分を含めチーム全員で頑張ることができた。本当に素晴らしい勝利だった」とオブライアント。今季途中加入し、12月から試合に出始めたばかり。「Bリーグやチームに慣れるのに苦労したが、時間が解決してくれる。毎試合、今日のようにできたらいい」と、自身の今季一番の出来を喜んだ。

5試合ぶりの勝利をかみしめる茨城の選手たち

リチャード・グレスマンヘッドコーチは「タフでハイレベルな試合だったが、選手たちが勝利に値するプレーをし、5000人以上のファンの方たちに勝利を届けることができた。すごくうれしい。昨季のロボッツのようなファイティングスピリットが戻ってきており、これを続けて出せるよう継続していきたい」と、チームの復調に手応えを感じていることを語った。(池田充雄)

土浦博物館と市民の郷土史論争に市長が回答《吾妻カガミ》176

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本堂清さんと土浦市立博物館

【コラム・坂本栄】土浦市立博物館から郷土史論争を拒否された市民が市の広聴窓口に質問状を送ったところ、市は博物館が執筆した反論文を同封した市長名の回答書をまとめ、同市民に郵送してきました。博物館はこの郷土史家をクレーマー(常習苦情者)扱いにして論争を拒んでいましたが、博物館を監督する市長が代わりに回答したことで、市の論争拒否姿勢は改められたことになります。

郷土史家をクレーマー視した博物館

この問題については本コラムでも何度か取り上げました。経緯、争点、私の疑問などについては下の青字部をクリックしてご覧ください。

▽論争を挑む本堂氏⇒博物館が論争拒否通告:158「…博物館が郷土史論争を拒絶!

▽本堂氏をクレーマー扱いする市⇒論点整理:159「…論争拒否…土浦市法務が助言

▽教育委担当課の論争封殺の動き⇒私の提案:163「…拒否…市民の研究者が猛反発

経緯はこういうことです。元市職員の本堂清氏が博物館の郷土史解釈に疑問を持ち、糸賀茂男館長や学芸員に何度も会って回答を求めたところ、A4版3ページの回答(23年1月30日付)が送られてきて、末尾に「…これ以上のご質問はご容赦ください。…今後は口頭・文書などいかなる形式においても、博物館は一切回答致しません…」と書かれていました。

主な争点はこういうことです。▼本堂氏:筑波山系の市北部は古くから「山の荘」と呼ばれていたvs.▼博物館:そう呼ばれるようになったのは中世以降である、▼博物館:「山の荘」は桜川南側の現つくば市北部にあった「方穂荘(かたほのしょう)」の一部だったvs.▼本堂氏:いや、「方穂荘」は桜川北側の「山の荘」までは延びていない。

市長は論争拒否を事実上取り下げ

本堂氏は3ページの回答に納得せず、市の広聴窓口「こんにちは市長さん」経由で、市長に「再検討要請」(同8月30日付)と「回答への反論」(同9月27日付)を提出しました。最初のパラグラフで触れた市長の回答(A4版1ページ、同12月14日付)は、本堂氏の要請と反論に応えたものです。

市長回答には「…現段階においては、従前と同様の質問については(博物館の)これまでの見解と相違はないため、前回以上の回答は難しいとのことです。別添1・2の2部は私が受けた報告ではございますが、ご参考までに同封させていただきます」と記載され、博物館による「市長へのご報告①」(A4版43ページ、1月回答の詳述版)と「市長へのご報告②」(同28ページ、反論への反論)が添付されていました。

広聴窓口に寄せられた市政への疑問には答えなければなりませんから、市長はA4版1ページで回答したわけです。それに、博物館が「今後…回答致しません」と通告した手前、市長が代わりに回答するという体裁を取り、博物館が作成した全71ページの報告書が添付されました。ということは、市としては論争拒否を事実上取り下げたことを意味します。

特別展「本堂vs.糸賀論争」を期待

論争拒否絡みでは、博物館に通じるルートが市役所にできました。しかし郷土史解釈では、本堂氏も博物館も相手の主張を認めていません。本堂氏は「屁理屈はこれまでと同じ。論点をズラしている箇所もある」と言っており、今回切り開いた「こんにちは市長さん」チャネルを使って博物館との論争を続けるそうです。

館長が率いる学芸員団と郷土史に詳しい研究者によるこの論争、いずれも自説を譲らず、どうやら平行線の状態が続きそうです。この際、博物館が特別展「本堂vs.糸賀論争」を企画し、争点を公開するも面白いと思います。また、館長と学芸員は研究室にこもらず、市民と議論する「サロン」を館内に設けたらどうでしょうか。(経済ジャーナリスト)

<参考>

土浦市長の回答書(23年12月14日付)

市立博物館の解答書(23年1月30日付)

名工が作った貴重な人形も展示 「土浦のひなまつり」始まる

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江戸から明治の名工、3代目仲秀英作のひな人形=土浦まちかど蔵「大徳」

江戸時代の建物が残る土浦市中央、中城通りを中心に、江戸から平成のひな人形や、手作りのつるし雛を飾る「土浦の雛まつり」が4日から始まった。市内100カ所の店や公共施設が1カ月間、雛まつりの飾り付けをして街を華やかに彩る。

中城通りにある土浦まちかど蔵「大徳」の蔵には江戸末期から明治の名工、3代目仲秀英(なか・しゅうえい)が作った貴重なひな人形を展示している。今年で19回目の開催となり、会期は3月3日まで。

商家に伝わり長く土蔵で保管

江戸時代後期に建てられた呉服屋を改装した「大徳」は、土浦の観光案内の拠点。登録有形文化財になっており、江戸の情緒を伝えている。仲秀英が作った貴重なひな人形は「大徳」の袖蔵に展示されている。土浦市観光協会の浅川善信さんは「土浦の商家に伝わっていたもので、埼玉の学芸員の方の指摘で名作と分かった。長く土蔵で保管されていたため、保存状態が良かった」と話す。展示する時以外は今も土蔵で大切に保管しているという。

1階にも飾り付け

例年は「大徳」の2階にたくさんの飾り付けをしていたが、階段を上るのが困難な来場者のため、今年は1階にも多く飾り付けをする配慮をした。1階にはえとをモチーフにした七段飾りのひな人形が展示され、辰(たつ)年にちなんで辰のお内裏様とおひな様を飾っていた。2階に上る階段にも一段一段人形が飾ってあり、人形たちの繊細でユーモラスな表情を間近で楽しむことができる。

えとがモチーフの創作びな=同

期間中、市内に住む大学生が県外の友人を呼んでイベントを案内したり、親子3代で見に来たりする人もいるという。

グリーンスローモビリティが運行

会場となる中心市街地では「和」マークを付けた協賛店に和服で来店した人にサービスやプレゼントなどの特典を用意し、街全体でイベントを盛り上げる。また会場の4カ所に設置した看板に書いてあるクイズに答えて応募すると、全問正解者の中から抽選でプレゼントが当たるクイズラリーも開催される。応募用紙、応募箱は、土浦まちかど蔵「大徳」と観光情報物産センターきらら館(土浦市役所本庁舎1階)に設置する。土日には臨時駐車場3カ所を無料開放するほか、期間中の土日、祝日には、市立博物館と雛まつり会場を結ぶ移動手段として、電気自動車バスのグリーンスローモビリティを運行する。(田中めぐみ)

街角に建つ洋館の秘密 ある大物の事務所《看取り医者は見た!》12

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写真は筆者

【コラム・平野国美】私の町歩きのテーマとして洋館探しは大切なものです。全国各地には歴史的建造物が多数あります。東京駅や岩崎邸クラスもありますが、私の好きなのは、商店建築、個人宅、医院建築、理容店など、意外と知られていない街角の洋館です。

なぜ、このタイプの洋館が好きになったのか? 18年前の訪問診療のおかげなのです。個人宅なので場所は明かせませんが、ある日、新患の依頼を受け、車のナビを合わせました。到着した場所に、上の写真の建物がありました。

外観からは古さを感じなかったのですが、玄関に入ると、歴史を感じさせる佇(たたず)まいでした。患者さんがいる2階へと、木造の手摺(す)りが付いた階段を上ります。窓はサッシでないことから、古いものであることがわかりました。患者さんは2階に寝ていました。

診察終了後、寄り添う御家族に「この洋館は何でしょうか?」と、微妙な質問をしてみました。出てきた答えは「政治家の〇〇先生の個人事務所だったそうです」。そう、持ち主は変わっていたのです。診療事務所に戻り、パソコンでこの名前を検索し、少し興奮してきました。

華やかさの裏に何かある?

明治19年の生まれの〇〇先生は、旧制中学を土浦→下妻→水海道と渡り歩き、早稲田大学予科に入学。そこで、政治家を多く輩出する雄弁会に所属しました。早大政治経済学部政治学科卒業後、新聞記者を経て政治家となった謎が多い人物です。

近衛内閣で司法大臣などの要職に就いたものの、1941年に起きたゾルゲ事件(旧ソ連の対日スパイ事件)で取り調べを受け、戦後は公職追放となりました。近衛文麿、山本五十六、米内光政ら数多くの要人との手紙は、終戦後すぐに焼却されたそうです。この人物が、この洋館に君臨していた時代があったのです。

ウクライナと戦争をしているプーチン大統領がKGBに入りスパイを志した理由が、ゾルゲを主人公にした映画を見たことによると言われています。私は、ドラマや映画に出てくる洋館の華やかさの裏にある何かに興味があります。そういった建物がまだ街に眠っているのです。(訪問診療医師)

冬の北条市で豆まき つくば

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豆まきをする五十嵐立青つくば市長(壇上左から2人目)、青山大人衆院議員(同4人目)、北条街づくり振興会の坂井英幸会長(同5人目)

節分の3日、つくば市北部の北条商店街で「冬の北条市」が開催され、豆まきが実施された。旧筑波町の中心地だった同商店街の振興を目指す「北条街づくり振興会」(坂井英幸会長)が主催した。

200人ほどの住民らが集まり、同振興会の坂井会長、五十嵐立青つくば市長、青山大人衆院議員らが壇上に登り、掛け声とともに、豆や紅白の餅、菓子、景品などを投げた。坂井会長は「福は内 福は内、鬼は外 鬼は外」と2回繰り返し、最後に「福でもってぶっ止めろ」と言い、北条地区に伝わる豆まきの掛け声を子供たちに説明していた。

冬の北条市の様子

北条市は毎年、季節ごとに計画されており、2月は冬の北条市と呼ばれ、例年豆まきが行われている。今年は開催日と節分がちょうど重なった。コロナ禍は不定期で開催しており、冬の時期の開催は4年ぶりとなる。

北条市は2007年から行われ、県の事業「元気あきない人材育成事業」が元になっている。北条市など古い街並みの商店街を生かした振興会の取り組みは経産省の「新・がんばる商店街77選」に選ばれている。旧郵便局を利用したカフェ・ポステンや国指定重要文化財となった「矢中の杜」なども街並みを構成している。

3日は豆まきのほか、26業者と県立筑波高校の生徒らが参加し、商店街に露店やキッチンカーが並び、地元住民らの交流が盛んに行われた。

振興会会員として当初から北条市に関わる市内に住む会田直美さんは「もともとは商店街の調査事業として始まったが、北条マイクリーム(北条米を使ったアイスクリーム)の開発、古民家再生、蔵を使ったコンサートなどが行われてきて、現在のような定期的なイベントを持つようになった。北条市はTX開通、東日本大震災、北条竜巻、コロナ禍を経て少しずつ形を変えながら続いてきた。現在どこの街並みもコピーをしたように同じ形だが、古くからの商店街には個性がある。地域住民でないからこそ北条市の魅力を感じて、活動に参加している」と話していた。

次回開催は5月のGW期間中を予定している。(榎田智司)

AIを活用した授業を公開 つくばの義務教育学校

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生徒に操作方法を伝える、成田崚央教諭(右)=学園の森義務教育学校



つくば市立学園の森義務教育学校(つくば市学園の森)で2日、AI(人工知能)を活用した英語の授業と、対話型AIツールを利用した社会、国語の授業が公開された。AI活用教材は与えられたデータやパターンから新たなデータを生成する能力を持つ。つくば市では昨年7月から「チャットGPT」などの生成AIの活用を学ぶ授業を市内全48小中・義務教育学校の5年生以上を対象に、順次導入している。

今回公開されたのは8年生(中学2年)の英語のクラス。日頃から生徒同士で行なっている英語での対話を、1人1台用意されたパソコンを使いAIと対話を行った。15あるテーマから各生徒がそれぞれ一つを選ぶと、AIが質問を投げかけ、生徒が返答する形で会話を進めていく。

後半は、会話のレベルを上げてAIとディベートを行った。「夏vs冬」など5つのテーマに対して生徒は事前に2つの意見を用意し、対話を繰り返した。前半との違いは、AIに対して事前に、生徒の考えに否定的な意見を出すよう設定したこと。互いに反論し合うことで、より英語での議論を深める経験をした。年齢や性別など設定を変えることで、AIが使う言葉、選ぶ情報や意見が変化することも体験した。

英会話学習用AIと対話する生徒

担当の成田崚央教諭(25)は、AIの授業について「AIとしてよく挙げられるのが、英作文の添削や長文作成がある。知らない単語を教えてくれるなど、AIの便利さやメリットももちろん学んでもらいたいが、今回の一番の狙いは、相手を意識して会話をすることの大切さに気づいて欲しかった」とし、「英語力の向上にAIはいい。ただ会話には英語力だけではなく、表情やボディーランゲージなど言葉以外で伝えられる部分が大事だと思うので、そこは人を相手にして話すことが大事だと気づいてもらいたい。気持ちを読み取ることの大切さがある」と語った。

その上でAIのメリットを「自分のレベルに合わせた学習ができるところ。対人では、自分が知らないことを隠したがる生徒もいるが、対AIであれば隠す必要もないし、気にせず聞きたいことを聞ける」とし、「AIは自分のレベルに合わせて、わからないことを教えてくれる」と言う。ただし「改善の余地はかなりあると思う」と語った。

この日行われた8年生の他のクラスでの国語、6年生の社会では、NPOみんなのコード(東京都港区)が開発した学校向け対話型AIツール「みんなで生成AIコース」を用いた授業が公開された。それぞれ、4、5人が一つのグループになり、設けられたテーマについてパソコンで生成AIを利用し、情報収集や、議論のまとめなどに活用した。出された意見は、生徒たちのものとAIによるものを色分けして識別できるようにし、一定程度意見が出されると、教師の呼びかけでAIを閉じ、生徒同士で話し合うよう促された。

公開授業の様子

適切な活用やルール化へ 文科省

生成AIが急速に普及する中、文部科学省は昨年7月「初等中等教育段階における生成AIの利用に関する暫定的なガイドライン」を公表した。試験的にAIを授業で活用する「生成AIパイロット校」として昨年12月までに全国37自治体から52校 を指定した。県内ではつくば市の4校(並木中、みどりの学園義務教育学校、学園の森義務教育学校、秀峰筑波義務教育学校)と、県立竜ケ崎一高が選ばれている。

同省によると、情報活用能力の育成という意味から、生成AIへの理解や活用、使いこなすための意識を育てることは重要であるとする一方で、生成AIは発展途上であり、個⼈情報の流出、著作権侵害、偽情報の拡散リスクもあることから、現時点では活⽤が有効な場⾯を検証しつつ、「限定的な利用から始めることが適切」であるとしている。

感性、独創性、感想の場面は「不適切」

さらに⽣成AIによる⽣成物をそのまま⾃⼰の成果物としてコンクールに応募すること、⼦どもの感性や独創性を発揮させる、感想を求めるなどの場面で安易に使わせることなどを、「不適切な使い方」であるとして、今後は、関連機関や企業と連携をとりながら、教育現場での適切な活用やルール化に関する知見を蓄積し、生成AIを学校教育の改善に生かしていく考えだとしている。(柴田大輔)

桜川市真壁のひなまつり《日本一の湖のほとりにある街の話》20

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イラストは筆者

【コラム・若田部哲】茨城県唯一の重要伝統的建造物群保存地域である桜川市真壁地区。この歴史ある街並みで開催される「真壁のひなまつり」は、2003年より地域有志によって行われ、24年で第20回目を迎えます。今回はこのおまつりについて、第1回開催時からの有志の一人、柳田隆さんにお話を伺いました。

現在では6万人もの観光客が訪れる、桜川市の一大行事となったこのおまつりですが、そのスタートは地元住民の素朴な話し合いから生まれたものだそうです。02年に登録文化財の数が10軒ほどとなり、春や秋に地域を散策する観光客が以前より増えると、わざわざ足を運んでくれる人たちを、何かおもてなしすることはできないだろうか、という声が自然に上がり始めました。

そんな折、たまたま立ち寄った山形県で、家々におひなさまを飾り、訪れる人たちに見てもらっている光景を柳田さんは目にします。「古いお雛(ひな)様が、真壁でも家から出てくるのではないか?」そう考え、真壁に帰りすぐ皆でおひなさまを探すと、昭和や大正のものだけでなく、江戸時代のものまで見つかったそうです。

「おもてなし」の心を第一に

そうして、見世蔵や土蔵・石蔵・塗屋といった伝統的な建物の中を、様々な時代の個性豊かなおひなさまが彩った、和の風情あふれる第1回目のおまつりが始まりました。街を訪れる人達が喜ぶ様子を見て途中から参加する家も現れ、スタート時に21軒だった参加会場は最終的には43軒まで増加。当初用意していた案内図の内容が、日を追うごとにどんどん変わっていったそうです。

また開催にあたり、ただおひなさまを並べて見てもらうだけのものにせず、「おもてなし」の心を第一に、おひなさまを通じ、地域を訪れた方とのコミュニケーションを心掛けたそうです。おひなさまと伝統的町並みが織りなす風情や、地域の人達とのあたたかな交流は好評を博し、回を重ねるごとに参加する家は増えました。東日本大震災や新型コロナウイルスの感染拡大といった試練を乗り越え、20回目となる24年の開催では127軒の家々が参加予定です。

高齢化などにより、最盛期より参加する軒数は減っているものの、地域にとっては地元再発見と愛着形成の機会となり、観光客には真壁の良さを感じてもらえるこのおまつりを、大切に続けていきたいと柳田さんは穏やかに語ってくださいました。開催は毎年2月4日から3月3日まで。伝統的な日本の風情とおもてなしの心を味わいに、ぜひお出かけください。(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

→これまで紹介した場所はこちら

牛久沼望む泊崎大師堂に投句ポスト つくばの俳句講師ら設置

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牛久沼を一望する泊崎大師堂に設置された投句ポストを案内する大師堂保存会代表で「結の会」の片野晃一代表

句詠み投函して

牛久沼を一望するつくば市南端の同市泊崎(はっさき)、泊崎大師堂に昨年12月、俳句や短歌、川柳などを詠んで、その場で誰でも投函できる投句ポストが設置された。県俳句協会会員で同市茎崎地区で長年、俳句講座の講師を務めてきた同市高見原、印南美都さん(89)と、教え子、知人らでつくる「結の会」(片野晃一代表)が設置した。

境内に設置された投句ポストには、俳句、短歌、川柳などを書く用紙が置かれ、季語の一部が紹介されている。高さ80センチほどの筆記台と筆記用具があり、作った句をその場でメールボックスに投函できるようになっている。投函された句は結の会が毎月回収し、印南さんらメンバーが年4回添削し講評するなどして本人に返却する。送料などは結の会が負担する。

泊崎大師堂からの望む牛久沼

印南さんは龍ケ崎市出身。60年ほど前、教員の夫と旧茎崎町(つくば市)に転居し、1994年から2020年まで茎崎地区の句会「茎立(くぐたち)句会」の講師を務めた。つくばや龍ケ崎市の小学校に出向いて授業で俳句を教えたこともある。俳句をたしなむ傍ら、33年間、民生委員を務めた。

季語の情景がある

投句ポストの設置は20年以上前、印南さんが山形県米沢市内の神社を訪れた際、投句ポストが設置されており投句したのがきっかけ。俳句サークルが活発に活動する茎崎に投句ポストをつくりたいという思いはその後、心の中にしまったままだったが、1年ほど前、教え子の一人が泊崎大師堂をテーマにした俳句を作ったことがきっかけで「(俳句ポストを設置したいという)埋火(うずめび)が噴き出してきた」と話す。

さっそく大師堂の清掃や草刈りなどの管理をしている地元の大師堂保存会代表で県川柳協会会長の片野晃一さん(76)に設置を打診。了承を得て、投句ポストを運営する「結の会」を結成し、設置した。

泊崎大師堂は、空海(弘法大師)が806~810年ごろ、この地を訪れ護摩の修行を修めたと言い伝えがある場所に建てられたとされる。大師堂から一望できる牛久沼は、画家の小川芋銭、俳人の高浜虚子、水原秋桜子らが俳句を詠み、牛久沼の眺めは茨城百景の一つになっている。

泊崎大師堂

印南さんは「牛久沼は今も豊かな自然が残り、季語の情景があり、春夏秋冬どんな日でも句材がある隠れた名所。言い伝えや伝説も数多く残る」と魅力を語り、投句を呼び掛ける。さらに「子供たちが牛久沼の景色を見て、俳句を考えて、表現することを通して、子供たちの情緒を育てる役に立てれば」という。(鈴木宏子)

牛久沼を詠んだ句

五月雨や月夜に似たる沼明り  小川芋銭
牛久沼浮田の田植えせずにあり 高浜虚子
牛久沼あふれてせはし晩稲刈  水原秋桜子

(俳人協会発行の「茨城吟行案内」より引用)

◆投函した句が本人に返却されるためには氏名、住所を用紙に記載することが必要。

裕次郎の幽霊と意外と残らなくなってしまったもの《ことばのおはなし》66

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写真は筆者

【コラム・山口絹記】先日、ご高齢の知り合いにカセットテープの音源をデジタル化する作業を依頼された。イベントでBGMを流したいのだが、流したい音源がカセットテープしかなく、プレーヤーが壊れてしまったらしいのだ。

どうしたものか。たしか我が家のどこかにSONYのポータブルカセットプレーヤーがあった気がする。それをMP3の録音機器につなげば…と押し入れをガサガサあさっていて、ふと気づく。プレーヤーが見つかったらそのまま使えばいいじゃないか。

なんだかアホらしくなってしまい、座り込んで託されたカセットテープのケースを開けてみた。

「途中裕次郎の声がダブってますが、幽霊ではありませんので気にしないで下さい」と書かれていた。カセットテープにはありがちなことである。しかしイベントで流すのにあたり、気にしないのはいささか難しいのではなかろうか。

試しにケースの裏側に書かれていた曲リストをネットで検索してみると、音源CDが中古で売られているのが見つかった。送料の方が高くつくが全部で500円。迷わず購入した。

依頼主に事情を話してCDを渡すと、「コレでカセットテープは用なしかしらね」と言われ、私は思わず「とっておいてもいいんじゃないですか」と答えた。意外そうな顔をされる。

日頃から私が、お願いされてもないのにスマホの使い方を教えたりしていたものだから、いわゆる“デジタル派”な人間だと思われていたのだろう。私自身、答えながらなぜあんなことを言ったのだろうと思ったのだから仕方ない。

カセットという記録媒体の懐の深さ

後々考えていて思い出したことがある。実家の祖父の部屋でカセットテープを見つけたことがあって、ふと再生してみると、布施明の歌声が流れてきたのだ。祖母が布施明が好きだったので、祖父が録音してあげたのかもしれない。

そのまま再生していると突然、ワイワイと複数人の会話が流れ始めた。私には誰の声だかわからず、母に聞かせてみると、「ああ、これお父さんの声よ、あとお隣のおばちゃんかしら。お母さんもいるわね」と、懐かしそうに聞き入っていた。

なぜ何でもない会話が録音されていたのかはわからないが、私はその時、当時のカセットテープという記録媒体の懐の深さを感じたのだ。なんでも気軽に記録に残せる時代になったようで、意外と残らなくなってしまったものも多いのかもしれないな、と思ったりする今日この頃である。(言語研究者)

高校生に通学支援など つくば市新年度予算案 過去最大を6年連続更新

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新年度予算などを発表する五十嵐立青つくば市長=市役所

つくば市の五十嵐立青市長は1日、2024年度当初予算案を発表した。一般会計は前年度当初比3.0%増の1118億400万円、特別会計などを合わせた総額は同3.4%増の1763億8600万円で、いずれも6年連続で過去最大を更新した。主な新規事業として、人口増が続く同市に県立高校が少なく市外に通う生徒の通学費負担が大きいと指摘がある中、遠距離の高校に通う生徒に通学費の一部を支援する。

一般会計が3%(32億9400万円)増となり過去最大を更新した主な要因は、人事院勧告に伴って昨年12月議会で市職員らの給料や手当てなどを引き上げたことから人件費が同比7.7%(15億1900万円)増の212億円になったほか、民間保育園の増設や国の児童手当拡充により扶助費が8.1%(20億8200万円)増の278億6500万円となったことなどのため。

6000人に交付

主な事業の高校生の通学支援金は、公立、私立高を問わず、鉄道、バス、スクールバスなどで通学している高校生のうち、年間の定期代が計10万円以上の生徒に年3万円を交付し、6~10キロ以上離れた高校に自転車や原付バイクで通学する生徒に年1万円を交付する。新年度の予算額は約1億6100万円を計上し、約5000人に3万円、約1000人に1万円交付を想定している。つくば市在住の高校生は現在6000人程度で、市教育総務課によると平均通学距離は10キロほどという。県内では石岡、笠間、常陸太田市などが通学費補助を実施している。

児童生徒数の増加に伴う小中学校建設は、みどりの南小中学校が今年4月開校し学校建設のピークは超える。一方、24年度は新たに中根・金田台地区で小学校建設に着手する。建設費は24、25年度2カ年で計68億1600万円。みどりの駅北側の陣場地区などの人口増に対しては同地区3カ所目の学校の新設は実施せず、谷田部小学校に11教室などを増築するための設計費5200万円を計上する。増築校舎の完成は27年4月の予定。

不登校対策としては、小中学校の校内フリースクール設置校を現在の22校から全50校に増やし、3億500万円を計上して各校に専任職員と補助職員を配置などする。

スーパーシティの看板、ネット投票は実施せず

ほかに、スーパーシティの看板事業に掲げたインターネット投票は今年秋の市長選・市議選では実施せず、1300万円を計上して、投票箱を積んだワゴン車が障害者や高齢者の自宅前まで出向くオンデマンド型移動期日前投票を実施する。

昨年、環境省に選定された県内初の脱炭素先行地域づくり事業として、初年度となる24年に1億4000万円を計上し、大和ハウス工業が20街区プロジェクトに太陽光発電設備を設置するなど計5件の事業に着手する。

コミュニティバス「つくバス」は、運転手不足による2月からの減便に伴い、運行費などが23年度の3億7500万円から24年度は3億3500万円に約4000万円減額する。

旧上郷高校跡地に建設予定の陸上競技場は28年度下期完成を目指し、24年度に設計費5080万円を計上する。

中央図書館をリノベーション

中央図書館はリノベーション事業に着手、24年度は外壁改修工事費約610万円を計上し、中庭に面する外壁の改修と中庭の枯れたアカマツの伐採などをする。25年度は中庭に面するガラスを一部取り外して中庭への出入口を設け、中庭にウッドデッキを設けるなどする。

解体、撤去する計画だった茎崎老人福祉センターは、市民のたまり場・居場所づくりの一つとして、入浴施設を改修する。2026年度のリニューアルオープンを目指して、24年度は300万円で改修のための設計を実施する。

不交付団体に

一方、歳入は、自主財源の市税合計が1.7%増の526億6400万円となり、不交付団体となる見込み。市税の内訳は、人口増により個人市民税が3.2%増の208億4600万円、家屋の新築などにより固定資産税は1.8%増の231億2700万円を見込むのに対し、法人市民税は大口の立地企業による業績の下方修正があったなど23年度の実績を踏まえて、6.6%減の42億8300万円を見込む。

借金である24年度末の一般会計の市債残高は、前年度末より43億3200万円増え、721億7400万円になる見込み。水道事業など公営企業会計を加えた市債残高の合計は、同69億1900万円増え、1259億8700万円になる見込み。

新年度予算案は13日開会の市議会3月定例会に提案し審議される。(鈴木宏子)

洞峰公園 1日、県営からつくば市営に 

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市に移管された2月1日も、いつものように、ランニングやテニス、犬の散歩などを楽しむ市民が行き交う洞峰公園

つくば市二の宮の洞峰公園が1日、県から無償譲渡され、つくば市に移管された。市は今後、公園利用者や地域住民、学識者らによる協議会を設置し、利用料を含む運営方針を話し合う。

最高気温16.5度と、3月下旬並みの暖かさとなったこの日、穏やかな晴空の公園には、シートを広げて食事を楽しむ親子連れや、テニスやランニングをして汗をかく市民らの明るい声が響いた。

洞峰沼のほとりのベンチでくつろぐ、つくば市の50代の女性は「ニュースを通じて問題に関心を持っていた。公園は、子どもが小さい頃から安心して遊ばせることができた日常の場所。静かで落ち着ける今の良さを維持してほしい」と話した。

つくばや龍ケ崎、土浦などの友人と週に2度、テニスコートを利用する守谷市の大森保さん(76)は、「環境の良さから10年前からここでテニスを楽しんでいる。他の屋外コートと違うのは周囲の豊かな木々が風除けになること。強風で『今日はダメかな』と思っても、洞峰公園なら問題ないことがよくある。使用料も良心的。長く利用していきたい。コートの傷みがあるので、怪我をしないよう修繕してほしい」と語った。

協議会委員20人程度、年10回開催

市が今後、設置する協議会は、住民が求めていた。市は、協議会委員の選定方法については未定であるとしながらも、20人程度を予定し、2月中に形をつくり、3月中には協議会を発足させ第1回目の会合を開催したいとする。協議会委員の謝金として市は24年度200万円を準備し、年10回の開催を予定する。

五十嵐市長は1日の会見で、協議会に関して「結論を急がず時間をかけていい対話ができれば」とし、いつまでに運営方針を決めるかの時期を明言しなかった。これについて担当の市公園・施設課は「期限は決めていないものの、テーマごとに話し合い、その都度内容を決めていくことになる」としている。

公園の維持管理について市は23年度と24年度は、現在、施設などを管理運営している東京アスレチッククラブに業務委託し、プールや体育館、テニスコート、多目的広場、会議室、駐車場などの施設使用料、スポーツ教室などの会費は、協議会で方針が出されるまで、現状を維持する。一方、洞峰公園管理事務所によると、グランピング施設建設が計画されたことで閉鎖された同公園内の野球場については、現段階では予約受け付け等、利用再開の目処は立っていない状況にあるとした。(柴田大輔)

国産旅客機初号機やゼロ戦 歴史背負った実機のテーマパーク 筑西に11日オープン

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(手前から)ゼロ戦、シコルスキーS-58、YS-11の展示=科博廣澤航空博物館

ザ・ヒロサワ・シティに「ユメノバ」

筑西市のザ・ヒロサワ・シティ内にテーマパーク「ユメノバ」が完成、11日にグランドオープンする。広さ約5万6000平方メートルの敷地に、航空博物館はじめ25施設が整備された。陸・海・空・宇宙の乗り物勢ぞろいのテーマパークを打ち出す。1日にはお披露目の内覧会が行われた。

科博廣澤航空博物館には、国産旅客機のYS-11量産初号機、零式艦上戦闘機(ゼロ戦)、南極観測で使用したヘリコプター(シコルスキーS-58)など、貴重な航空機を収めた。国立科学博物館(篠田謙一館長)が所有していた機体をヒロサワグループ(廣澤清会長)に貸与した形で、両者は2021年、運営のための財団法人を設立し、開館に向け準備を進めていた。

科学博物館によれば、民間と共同で常設の展示館を設けるのは初のケース。「航空機は上野本館をはじめ博物館での展示が難しく、長く眠っていたものだが、展示となると普段の手入れも欠かせなくなる」といい、移送やメンテナンスの困難を克服しての開設となった。博物館棟は格納庫をイメージさせる広さ1850平方メートル、高さ15メートルの規模で設けられた。

「収められた機体は技術資料というだけでなく、歴史を背負った航空機」といい、ゼロ戦については太平洋戦争中ラバウル(パプアニューギニア)沖に沈んだ機体8機を引き上げて再構成したものだそうだ。

(左から)「やまびこ」「D51」「北斗星」と並ぶ=レールパーク

「ユメノバ」にはこのほか、SLから新幹線(やまびこ)までの鉄道車両を並べたレールパークや鉄道資料館、消防車27台を集めた消防自動車博物館、水上にクルーザー3隻と屋形船を展示する船の博物館、日本初の実験用ロケット・ペンシルロケットなどを展示する宇宙館などの施設をそろえた。

11日、12日にはレールパーク特別見学会を開催予定で、SL「D51」や山形新幹線「やまびこ」の普段は一般公開しない運転席に案内してもらえる特別イベントがある。

広沢商事専務の野口稔夫さんは大の鉄道ファン。引退した車両の引き取りに全国を飛び待って、車両や鉄道アイテムを集めてきた。「航空機も鉄道車両も全部が実機というところにユメノバの真骨頂があると思う」と語る。11日のオープンには間に合わないが寝台特急「北斗星」には実際に宿泊し、食堂車で飲食したりできるプランも用意するという。(相澤冬樹)

🔷ザ・ヒロサワ・シティ(筑西市茂田)は約100ヘクタールの敷地に隈研吾設計の廣澤美術館をはじめ、寺内タケシ記念館や博物館、ゴルフ場やバーベキュー場、体験農園など、多数の展示施設やレジャー施設などを持つ。11日オープンのテーマパーク「ユメノバ」は入園料大人2500円、高校生・大学生1000円、中学生700円、小学生500円(いずれも税込み)。営業時間は午前10時~午後5時、月曜定休(原則)。オープニングイベント等詳細は電話0296-48-7417(ザ・ヒロサワ・シティ)まで。

外来魚ハクレンを中華で食べる!《医療通訳のつぶやき》5

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四川料理「沸騰水煮魚」 (写真は筆者)

【コラム・松永悠】仕事のとき、重病に苦しむ患者の対応をしなければならない反面、オフのときの自分は「楽しく、おいしく」をモットーにしています。新年早々、大変おいしいイベントに参加してきました。今人気の四川料理「麻辣十食」(つくば市天久保)が会場となって、霞ケ浦で獲れる特定外来種ハクレン、アメリカナマズを食材とした試食会が開かれたのです。

ご存知の方も多いと思いますが、数十年前、霞ケ浦や周辺水系に食用として持ち込まれたアメリカナマズやハクレンが逃げ出してしまった結果、驚異的な適応力によって霞ケ浦にすみ着いて、繁殖し続けてきました。今では、在来種を脅かす特定外来種として迷惑な存在になっています。

漁協や周辺住民はあの手この手を考えたものの、決まったパターンの料理法しか思いつかず、好んで食べる人も少ないそうです。しかし、中国や東南アジアでは、ナマズもハクレンも代表的な淡水魚で、おいしい魚として知られています。

初めて外来魚の問題を耳にしたのは2022年ごろでした。有志の仲間と一緒に、実際釣りに行ったり、自宅で調理したり、さらに東京の中華料理店でナマズイベントを実験的に企画しました。なかなか反響が良く、「想像した臭みもなく、淡白な白身魚で、中華の味付けも新鮮でおいしい」と、皆さんが驚きます。

北京で生まれ育って、淡水魚を当たり前のように食べてきた私にとって、これは驚きではなく、当たり前のことですが…。

環境問題を中華料理で解決?

特定外来種問題に強い関心を抱いているのは私だけじゃありません。活用法を見つけたいと考える方が他にもいらっしゃいました。漁師さん、麻辣十食、主催者の素晴らしい連携プレーによって、今回の「霞ケ浦を食す」イベントが開催されました。しかもバージョンアップして、ハクレンまで登場しています。

ハクレンは成長すると1メートルを超える淡水魚で、頭から尻尾まで利用できます。上の写真は「沸騰水煮魚」という有名な四川料理です。「水煮」ですが、仕上げにたっぷりの「沸騰」した油をかけるので、この名前になっています。

油をどの程度熱するか、シェフが油の泡を見て、手を当て、鍋の上の温度を確かめてから、かけるタイミングを見極めます。温度計もなければ時間も計りせん、長年の勘だけが頼りです。

40名いるお客さんの前で、巨大なやかんで油を熱していき、あらかじめ豆やモヤシやハクレンを入れた巨大ボールの中に、じゃ~~っと油をかけていきます。迫力いっぱいの調理に、一同大盛り上がりでした。

見た目は辛そうですが、実は唐辛子にもいろいろ種類があって、この中に入っているのは主に香り担当です。熱した油によって食欲をそそる香りが立ち、柔らかく煮えたハクレンを何杯もおかわりした方もいたほど大人気でした。イベントは絶賛の嵐で終わりました。

おいしいものとの新たな出会いだけでなく、明るい未来も見えた気がしました。茨城の環境問題を中華の力で解決する日もそう遠くないかもしれませんね。(医療通訳)

<参考> 医療通訳の相談は松永rencongkuan@icloud.comまで。

3年ぶりリニューアルオープン ホテルJALシティつくば

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ホテルJALシティつくばの外観(同ホテル提供)

2月1日から

つくば国際会議場に直結するホテルJALシティつくば(つくば市竹園)が約3年間の営業休止を経てリニューアルし、2月1日から営業を再開する。快適性を追求し、全客室のベッドを高級ベッドのシモンズ製に入れ替えたほか、8種類の枕が選べるピローバーや、アメニティバーも用意する。イタリア高級家具ブランドの日本総代理店、カッシーナ・イクスシーが内装デザインを監修した日本料理店「ろくさん」も新規オープンする。

同ホテルは2020年4月、グループホテルのブランドの組み替えに伴って、オークラフロンティアホテルつくばエポカル館から名称を変更してリブランドオープンしていた。2020年12月から新型コロナウイルスの宿泊療養施設として県に貸し出し、営業を中止していた。23年9月に県への貸し出しを終了。約4カ月間復旧工事を行い、客室や共用スペースの壁紙、カーペットを修繕して全客室186室のベッドを一新した。2月の営業開始に向け、昨年12月1日から宿泊予約を開始していた。

ロビー(左)と客室(同)

日本料理店「ろくさん」として新規オープンするのはエポカル館だった時にファミリーレストランCASAが入っていた建物。ホテル直営ではなく、構内請負業務を行うサクセス(常総市)が運営を行う。「ろくさん」マネージャーの川田晋さんによると、レストラン内装は、天井の高い建物の空間を最大限に生かし、床のタイルから電球までこだわったデザインになっているという。

同ホテルではコロナ禍前は約3割が海外からの宿泊客だったこともあり、今後のインバウンド需要を見込んで、日本料理にコンセプトを絞った。日本ならではのおいしい和食を味わってほしいと、こだわりの出し汁の味噌汁や、お米マイスターが選ぶお米、地場野菜などの食材を使った朝食膳を宿泊者限定で提供する。当面は宿泊客限定で、朝食時間帯のみの営業だが、今後、完全予約制でのディナー営業や、宿泊者以外への朝食膳提供なども企画の予定だという。(田中めぐみ)

日本料理店「ろくさん」ホールの完成予想図(同)

浄化し宝に…作詞の心記す 幻の歌「霞ケ浦周航歌」を探して(下)

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赤根さん直筆の歌詞を示しながら、「霞ヶ浦周航歌」について説明する内田さん=土浦市内

幻の歌「霞ケ浦周航歌」。作詞をしたのは土浦で育った禅研究家、赤根祥道さんだった。故人となった作詞者を師と仰ぐ塾生らは「歌を知ってもらい、口ずさんで、この歌で地域の歴史や文化を知ってほしい」と呼び掛ける。

土浦でも「赤根塾」

1998年、塾生の一人で当時土浦市議会議員だった内田卓夫さん(78)は、東京だけではなく土浦でもビジネス禅の研修会を開きたいと「赤根塾」を企画した。赤根さんに師事したいと、大久保写真館(土浦市桜町)代表の大久保博さん(58)など、地域の会社社長や重役など当時30代から50代の約15人が1期生として集まった。内田さんは当時53歳だった。

「(赤根先生は)一度会っただけでただ者じゃないという感じだった。この人に付いていけば大丈夫だろうと考え、学びたいと思った」と内田さん話す。塾生らは97年に完成した「霞ケ浦周航歌」を広めたいと活動したが、歌はなかなか広まらず、知っているのはごく一部の人だけとなった。

塾生が歌碑を建立

歌が完成した97年、「赤根塾」の塾生だった吉川國弘さんが赤根さんの思いに共感し、自宅の庭に楽譜を刻んだ歌碑を建立した。その後、歌碑は歩崎公園に移設されて現在の場所にある。赤根さんが作った歌詞は8番までで、9番は吉川さんが作って付け足した。歌碑が建つ歩崎公園はサイクリングコース「つくば霞ケ浦りんりんロード」上にあり各地から訪れたサイクリストの目に留まるも、ネット上に音源はなく、忘れ去られた歌となっていた。

赤根さんを知る山城経営研究所の竹之内由美子さんは「おおらかで何事も肯定的にとらえる人柄で、経営リーダーの方々を激励していた」と人となりを話す。塾生の一人、大久保博さんは「経営者には不安がつきものだが、赤根先生の話を聞くと不安が無くなった。とにかく話がおもしろく、心をつかまれた」と思い出を語る。

直筆のメモ残る

赤根さんは学生時代、ボート遊びをして霞ケ浦に親しんでいたという。土浦市の郷土史家である永山正さんの著書も参考にして歌詞を考えたと見られ、本の内容を抜き書きした直筆のメモが遺っている。赤根さんは作詞の心を「日本第二の湖・霞ケ浦を誇りにして、大事に浄化して、私たちの心とくらしの宝にしたい。みんなの心をこの歌で元気にしたい」と、手書きで記している。

内田さんは「赤根先生は都内で活躍していたが、土浦に恩返ししたいという気持ちがあったようだ」と話す。「この歌で改めて地域の文化や歴史を知り、地域に誇りを持ってほしい。ボランティアで作られた歌だが、今まで日の目を見なかった。みなさんに知ってもらい、口ずさんでほしい」と思いを話した。

霞ケ浦周航歌 歌詞

一、筑波の嶺をあとにして 花の筏の桜川 
亀城の櫓 壁白く めざすは霞浦の湖ぞ

二、霞浦の川面は波静か 帆曳きの影も あざやかに
古き江戸崎港には 天海和尚 不動院

三、お江戸廻船あとしたい 古渡の渡し すぎゆきて
夢の浮島 信太の館 広がる稲穂 和田岬

四、三又すぎて 潮来には 娘船頭 赤だすき
あやめの園や 十二橋 水郷うれし 潮来節

五、鹿島の月は 高くして 俳聖芭蕉 旅衣
仏頂禅師 したいたる 根本寺の句碑古し

六、剣聖卜伝 磨きたる  天下無双の剣の道
鹿島の社 森深く タケミカツチの武をたたう

七、麻生の浜は 天王崎 歴史も古き 玉造
国府石岡 万葉の 歌人の跡 ここかしこ

八、歩崎なる観音寺 望めば遠く 富士の山
一望千里 はてしなき 利根の恵みの大平野

内田さんは「霞ケ浦周航歌」のシングル版CDを大切に保管していた。

(田中めぐみ)

終わり

【2月12日追加】カラオケバージョンを作成しました。

たそがれの土浦・節分会《土着通信部》55

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「まあかっしょ」会場となる旧水戸街道の四辻=土浦市中央2丁目

【コラム・相澤冬樹】古い水戸街道が土浦市大手町から中城通りに入り、桜橋を渡って、旧町名でいう本町から仲町、田町、横町にいたる界隈(かいわい)は昭和の半ばまで、土浦旧市内きっての繁華街であった。今の中央1、2丁目から城北町には天神や稲荷講、三夜講など、月々に随所で縁日が開かれ、売り出しの市が立った。水運で桜橋近く、川口川の河岸(かし)に集まった農山漁村の民たちが一仕事終えて、日暮れから夜にかけてにぎわいをつくり出したのが土浦の特色だった。

昭和の終わりから平成にかけ、通りは活気を失い、各種の縁日はほとんど途絶えてしまったが、年に一度だけ界隈がわずかににぎわいを取り戻す宵が来る。桜橋をはさむ水戸街道の一画に節分の夜、土浦らしい節分行事が出現する。

ことしの節分は2月3日、土曜日。まずは中央2丁目側の旧本町で、午後4時から「まあかっしょ」が始まる。語源は不詳だが、郷土史家の故永山正さんはこう書いた。

「節分の夜東崎の鷲神社に参拝の帰りに本町の四辻(昔の土浦にはここのほか三叉路や四辻はなかった)で、厄年に当たる人々(男は42歳、女は33歳)がかねて用意したお金(年の数だけ百円硬貨でも十円硬貨でも何でもよい)を男は褌(ふんどし)に、女は腰巻に包んで投げる。これによって厄払いができたというわけである。これを拾ったものは幸運がくるというわけで、争ってこれを拾った」(『土浦町内誌』)

「逢魔が時」の逢魔が辻に出現する、奇祭である。褌や腰巻が飛ぶ時代ではなくなったが、小銭やお菓子をまく風習はコロナ禍の間も細々続けられてきた。温かい飲食物もふるまわれる。記述に出てくる東崎の鷲神社では旧暦正月の15日に、味噌おでんで無病息災を願う「じゃかもこじゃん」という行事も行われていたが、こちらは2014年で途絶えた。

にぎわう不動院の豆まき=2017年撮影、中央1丁目

続けて、中央1丁目側の中城にある琴平神社と不動院が前後して節分会(え)を催す。土曜の夜 午後5時から不動院が、同6時から琴平神社が豆まきを予定する。

宮中行事の追儺(ついな)にちなむ節分の豆まきは、疫病退散を願う意味合いもある行事だが、コロナ禍には勝てず、地域の神社・仏閣では過去3年、豆まきを中止したり祭事を縮小したりするところが相次いだ。両社寺並んでの豆まきは4年ぶりの開催だ。

ここでは豆というより、餅まきというのがふさわしい。かけ声は「福は内」だけで、「鬼は外」は言わない。町内の顔役らが箱ごとぶちまけるように投げつける紅白の丸餅は、直撃されると結構痛い。境内に集まったお年寄りや子供たちは、当たらぬようにかわしながら追いかけ、受け止める。

年越しの節分の夜が明けると、4日は立春。新しい年が始まる。琴平神社と不動院の入り口には中城通りをはさんで向かい合う土浦まちかど蔵の「大徳」「野村」があり、同日から始まる「土浦の雛(ひな)まつり」のメーン会場となる。会期は3月3日まで、市街地の商店・飲食店など約100店が参加、旧家に伝わる人形から最近の創作びななどを店内にあしらう。土浦のかつての豊かさがほんのり薫ってくる、春の入り口である。(ブロガー)

歌碑ひっそりたたずむ 幻の歌「霞ケ浦周航歌」を探して(上)

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霞ケ浦周航歌の歌碑=かすみがうら市坂、歩崎公園

霞ケ浦を望む歩崎公園にひっそりとたたずむ「霞ケ浦周航歌」の歌碑―。霞ケ浦の名所を叙情豊かに歌い上げている。土浦で育った禅の研究家が「霞ケ浦を浄化し、誇りにして宝にしたい」と作詞し、1997年に完成したが広まらなかった。歌を作ったのは一体どのような人で、どうして幻の歌となってしまったのか。

歌碑には楽譜と歌詞が刻み込まれているが、その曲を知る人はほとんどいない。歌碑を目にしたサイクリストも「聞いたことがない。ネットで検索しても何も出てこない」と話す。歌碑には「作詞 赤根祥道、作曲 安田優」とある。

霞ケ浦周航歌の楽譜

霞ケ浦を一周

「筑波の嶺をあとにして 花の筏(いかだ)の桜川 亀城の櫓(やぐら) 壁白く めざすは霞浦(かほ)の湖ぞ」という歌詞から始まるこの歌は、1番から9番まである。楽譜を見ると8分の6拍子の曲で、歌詞には、土浦、江戸崎、浮島、潮来、鹿島、麻生、玉造、石岡、歩崎と霞ケ浦を反時計回りに一周する地名を詠み込んでいる。それぞれの地の歴史、文化に触れる内容になっており、その歌詞からは郷土への愛が伝わってくる。

作詞は赤根祥道さん

作詞をした赤根祥道さんは1930年、中国・大連市生まれ。2001年に亡くなっている。土浦一高を卒業し、東北大学と駒澤大学大学院で哲学と禅を、青山学院大学大学院で経営学を学んだ禅の研究家だった。1990年から亡くなる2001年まで、山城経営研究所(東京都千代田区)が主催するビジネス禅の研修会「赤根塾」で講師を務めていた。

「赤根塾」で講義をする赤根祥道さん(山城経営研究所提供)

「赤根塾」では、禅語の書物「碧巌録(へきがんろく)」などを用いて、全国の有名企業、中小企業の社長や重役などに禅の知恵を解き、経営の心を教えていた。禅に関する多数の著作があり、1998年には土浦市立図書館に「赤根祥道文庫」として著書約200冊と視聴覚資料を寄贈している。

歌はアマチュア作曲家の安田優さんが曲を付けて1997年に完成し、同年に開かれた「泳げる霞ケ浦市民フェスティバル」で披露された。安田さんの詳細は不明。歌のCDは地域の中学校などにも寄贈されたという。しかしその後広まらず、幻の楽曲となってしまった。(田中めぐみ)

続く

多様性を認め合う育ちの場へ《令和楽学ラボ》27

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ペンダント(園児の卒業制作から)。みんな違って素晴らしい

【コラム・川上美智子】先般、つくば市内の民間保育園、認定こども園、幼稚園の施設長を対象とする研修会が開かれた。2名の講師をお迎えし、「つくば市の特徴を捉えたこれからの保育施設に必要なこと」「療育と保育の連携の重要性について」という、タイムリーなテーマで講演が行われた。

小学校では通級希望の児童が待機待ちですぐに通級措置が受けられないことが話題になっているが、つくば市内の保育園や幼稚園でも保育士が上手に対応しきれないお子様が増えてきており、施設長会での課題となっている。

特別支援を要する身体的、知的障害には当てはまらない、気になる子や、グレーゾーンと呼ばれる子どもが近年増えていると言われている。多様性を認め合うダイバーシティ(Diversity)や障害のあるなしにかかわらず共に学び合うインクルージョン(Inclusion)が尊重される現代社会にあって、幼児教育施設では、そのような子を排除したがる風潮があることは否めない。

実際、適切な個別対応の方法についての知識や経験に乏しい現場の保育士たちにとっては、手に負えない子どもであって、やっかいもの扱いである。危険だとか、他の子どもの迷惑になるとか、責任が負えないとか、集団行動から外れる子どもは、いつも怒られてばかりで嫌な思いをしている。

どの子どもにも優しく接してもらいたい、子どもの人権を尊重してほしいと願っているのであるが、余裕のない中で働く保育士たちにとっては酷なのであろう。ゆったりと一人ひとりの子どもに向き合える環境を整えることが第一と考えられるが、学校教育の場ほど保育の現場は恵まれておらず、国の厚い支援が求められるところである。

また、保育士の質の向上も喫緊(きっきん)の課題である。養成施設のカリキュラムでは、子どもの心理や療育の学びが十分とは言えず、キャリアアップ研修などで力を入れる必要がある。

「人は皆違う、違ってよい」社会

完璧な人間などいないし、完璧な子どももいない。皆、人それぞれに特性であって、それが人間である。今回の講演の中で、文科省が2022年度に実施した「通常の学級に在籍する特別な教育的支援を必要とする児童生徒に関する調査」の数値(推計値)が披露されたが、小中学校で知的発達に遅れはないものの「学習面または行動面で著しい困難を示す」子どもは8.8%で、10年前より2.3ポイント上がったという。

しかし詳しく調べていくと、高校生では2.2%に過ぎない。学年別に見ていくと小学校低学年で割合が一番高く(12%前後)、中、高と進むにつれ、困難な割合は下がり、高校3年では2.1%となる。人間成長するにつれ、気になる面が解消されることがわかる。

また、この調査で使われている学習面、行動面(「不注意」「多動性‐衝動性」)、行動面(「対人関係やこだわり等」)の項目をみると、誰でもいくつか該当すると思われる項目があって、小学生にここまで要求するのかという疑問も残る。

例えば「多動性・衝動性」では、①手足をそわそわと動かし、またはいすの上でもじもじする、②教室や、その他、座っていることを要求される状況で席を離れる、③不適切な状況で、余計に走り回ったり高い所へ上ったりする、④静かに遊んだり余暇活動につくことができない、⑤「じっとしていない」、またはまるで「エンジンで動かされているように」行動する、⑥しゃべりすぎる、⑦質問が終わる前に出し抜けに答え始めてしまう、⑧順番を待つことが難しい、⑨他人を妨害したり、邪魔をする―の9項目で判定する。

さらに「不注意」9項目を加え、うち6つ該当すれば、困難児とされてしまう。もちろん、科学的根拠があってこのようなスケールが出来たのであろうが、小さい頃からレッテルを貼られてしまう今の子どもたち、親たちには余りにも残酷な気がする。

早く診断をすることよりも、「人は皆違う、違ってよい」という社会になることを、また、違っていることを受容し、周囲が上手に対応するキャパシティーのある社会になってほしいと願う。(茨城キリスト教大学名誉教授、みらいのもり保育園園長)

インドのハンセン病患者を支援 筑波大学生団体

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インド・ビシュナプールコロニーで学生団体「ナマステつくば支部」メンバーと住民の集合写真(ナマステつくば支部提供)

寄付募り住居5軒を建て替えへ

筑波大学の学生でつくる国際ボランティア団体「ナマステ(namaste!)つくば支部」(袴田裕菜代表=国際総合学類2年)は、インド国内のハンセン病患者への支援として、患者らのコロニー(集落)に家を建てるプロジェクトを行っている。2026年3月末をめどに計5軒の建て替えを目指す。

新規感染者が世界最多

ハンセン病は現在では完治する病だ。インドは今、ハンセン病新規感染数が世界最多と言われている。世界保健機関の調査では2021年のインド国内における新規感染者数は約7万5000人に上っている。背景にあるのは、衛生環境の問題とされる。インドでは差別がいまだ根強く、感染者や回復者、家族が暮らすコロニーが国内に点在している。数世代に渡って暮らしている場合が多いが、低賃金労働や物乞いによって生計を立てている生活者が多く、経済的問題から電気水道等のインフラも整っていないコロニーも多い。

ビシュナプールコロニーの様子。レンガや土で造られた壁が多く、壁がない部屋も多くある(同)

そうしたインドでのハンセン病患者や、後遺症や差別に苦しむ回復者を支援しようと、ナマステはもともと、2011年頃に早稲田大学の学生らによって創設された。つくば支部は15年にスタートした。同支部の創設者は当時、筑波大国際総合学類に入学した酒井美和さんで、酒井さんは21年からインドでハンセン病コロニーを支援するNPO法人わぴねす(東京都中央区)の代表理事を務めている。現在のつくば支部はわぴねすとも協力関係にあり、協同してプロジェクトを行うこともある。

直接渡航し支援

つくば支部には現在30数人が所属する。創設以来インドに直接渡航し、ハンセン病差別の問題と向き合ってきた。渡航が制限されていたコロナ禍を除き、長期休暇で授業のない3月と9月の年2回、数週間程度滞在し支援活動を行ってきた。昨年12月まで代表を務めていた生物資源学類3年の長井絢香さんは「インドにはたくさんのコロニーがある。現在つくば支部が支援している西ベンガル州のビシュナプールコロニーもその一つで、西ベンガル州の州都カルカッタから電車で4時間ほどかかる場所にある」と話す。滞在中はコロニー内の学校施設を借りて滞在する場合が多かったが、コロナ禍以後はインド政府によって禁止され、コロニー近くのゲストハウスで寝泊まりをしている。

ビシュナプールコロニーの水タンクの様子。上下水道が十分に整備されておらず、飲料水は井戸水に頼っている(同)

ビシュナプールコロニーは140人ほどが暮らすコロニーだ。村長のジョゲンナさんはハンセン病の回復者で、差別されホームレス状態にあった人たちに声を掛け共に暮らすようになり、徐々にコロニーが形成されていった。電気は通っているが極めて不安定で、飲料水は井戸に頼っている。男女比はほぼ同数で、90歳を超えた生活者もいる。23%が近隣の市場などで日雇い労働に従事し、40%が物乞い、そのほか多様な職業に就いているが「多くが低賃金労働で、生活環境は悪いまま」だと長井さんはいう。

学生としてできること

現在、つくば支部では26年3月末をめどに、ビシュナプールコロニー内の住居5軒を建て替えるプロジェクトを進めている。電気や上下水道、教育や就労などの支援ではなく、「住む家」に焦点を当てたのには理由がある。

「コロニーに行って学生の私たちに何ができるかを聞くと、真っ先に出てくるのは雨漏りがひどくて安心して眠ることができないというような住居の具体的な問題。教育や就労の問題はあまり出てこない。お金を集めて家を建て替えることももちろん容易なことではないが、教育や就労よりも具体的な事業であり、学生としてできる最大限だと思った」と長井さん。コロニー内の住居は土壁が基本で崩れやすく、壁のない部屋もある。

23年の渡航時に地元の事業者に、家の建て替え工事の見積もりを行った。1軒あたり13万ルピー、日本円にして約23万円が工事費用としてかかることが分かった。そこで寄付型のクラウドファンディングで最も緊急度の高い1軒の建て替え工事費用を募ることにした。23年の11月25日からクラウドファンディングキャンペーンをスタートさせた。12月初めには目標金額10万円に届き、最終的に19万円を集めることができた、足りない分はさらに寄付を募るなどして工面したいという。

ビシュナプールコロニーの子供たちと写真を撮る様子(同)

長井さんは「自分たちにできることは小さいと思う。それでも一歩踏み出す勇気が身に着いた。団体には行動力のある人が多くアクティブ」と話す。つくば支部での活動を経て、国際開発関係の進路を選択する学生も少なからずいる。長井さん自身も「将来は、国際的に社会の基盤を支えるような仕事に就きたい。直接的に国際開発の仕事に就きたいと考えているわけではないが、つくば支部での活動が影響を与えていると思う」と話す。

つくば支部の長期的な活動目標は、支援するコロニーを増やすことだ。つくば支部では現在、実質的に支援しているのはビシュナプールコロニーのみ。「インド国内には数多くのコロニーがある。ビシュナプールコロニーだけでなく、他のコロニーへの支援をすることを長期的な目標にしたい」と長井さんは話す。(山口和紀)

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