金曜日, 10月 17, 2025
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教科書掲載、長久保赤水の日本地図も つくばの古書店で「むかしの茨城」展

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「改正日本輿地路程全図」を広げてみせる店主の岡田さん=つくば市吾妻、ブックセンター・キャンパス

つくば市吾妻の古書店、ブックセンター・キャンパス(岡田富朗店主)で第10回店内展示「むかしの茨城」が開催中だ。版画や古地図、絵葉書など茨城に関する古資料約30点が、店内のショーケースに展示されている。

100年以上も広く流通

展示の目玉の一つは、高萩市出身で江戸時代の地理学者、長久保赤水の日本地図「改正日本輿地路程全図」(通称「赤水図」)だ。同図は今年度、中学校の地理の教科書に初めて掲載された。

赤水図は江戸中期の1779(安永8)年に完成し、翌年大阪で出版され、赤水の死後も版を重ねた。展示品は嘉永5(1852)年原刻、明治4(1871)年再刻とあり復刻版のようだ。彩色もオリジナルとは異なる淡い色使いで、むしろ見やすい。

江戸時代の日本地図というと1821(文政4)年の伊能忠敬「大日本沿海輿地全図」(伊能図)が有名だが、赤水図の完成はその42年も前。実測ではなく収集資料と天文学の知識に基づくが非常に精度が高く、日本地図で初めて経線と緯線を入れたことも特徴。地名や主要街道などの情報も豊富に盛り込まれている。

伊能図は初めて全国の海岸線を実測して作られ、沿岸部は極めて正確だが内陸部の情報に乏しい。また幕府により公開が禁じられため、一般に用いられたのは赤水図の方だった。実用性の高さから明治初期まで100年以上も広く流通し、吉田松陰も旅の必需品としていたという。

赤水の生地、高萩市の歴史民俗資料館にある関連資料693点は、2017年に県有形文化財、2020年には国重要文化財に指定されている。

筑波山関係の珍品もいろいろ

筑波山関係では、「筑波山登山案内図」「ひとりでわかる登山案内」など珍しいものも多い。

「ひとりでわかる登山案内」1925(大正14)年、筑波史跡研究会。同年開業の筑波山ケーブルカーや、1918(大正7)年開業の筑波鉄道も記されている

小林清親の版画「常陸桜川より筑波山を臨む」は、日本名勝図会の1枚として1897(明治30)年に発行された。付された句は「筑波嶺や其のしら糸の水無の川」と読める。筑波大学図書館情報メディア系教授の綿抜豊昭さんは「清親は『明治の広重』とも呼ばれるだけあって、筑波おろしに吹かれる木々や農人が実に見事である」と展示解説で評している。

明治期を代表する名所画家、小林清親の「日本名勝図会 常陸桜川より筑波山を臨む」

清親は1876(明治9)年の東京名所図シリーズで、ガス燈やランプが彩る東京の夜景などを描いた「光線画」で人気を集めた後、広重調の画風に回帰していった。「日本名勝図会」は各地の名勝を28図に収めており、嵐山や松島など歴史的な景観に加え、中禅寺湖や熱海温泉など近代の保養地や、横須賀造船所といった時代を感じる新名所も含んでいる。

世の中の変化とともに旅や観光も様変わりしていく。徒歩が前提だった里程図が鉄道の普及で路線図に変わり、名勝図には写真絵葉書がとって代わる。そのような変遷も展示からは見えてくる。(池田充雄)

◆「むかしの茨城」の会期は30日(金)まで。開店時間は午前10時~午後4時、火曜日定休のほか不定休あり。ブックセンター・キャンパスはつくば市吾妻3-10-12(北大通り沿い、店舗の裏に駐車場あり)、問い合わせは電話029-851-8100。

学習会中止期間もNPO奮闘 コロナ禍の子ども支援㊤

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「NPOプラザ・ねこねっと」代表の稲葉淑江さん

コロナ禍の1年、経済的に困難を抱える世帯の子どもを対象に、無料の学習支援や居場所の提供を行う「つくばこどもの青い羽根学習会」にも、学習会を開けない期間が出るなど、大きな影響が出た。

つくば市は地域のNPOなどと協働で、「青い羽根学習会」を市内14か所で実施している。昨年4月から5月までの2カ月間と、今年1月に県独自の緊急事態宣言が発表されてからの3週間、新型コロナ感染防止のため、学習会は中止された。

週に1度は様子を確認

NPO法人「NPOプラザ・ねこねっと」は週に1回、市内で青い羽根学習会を開催し、食事の無料提供をおこなっている。毎週、約10人の小中学生が通っている。

昨年春の学習会中止期間も、週に1回は子どもたち一人一人と連絡を取り、様子を確認した。市と協働したり、中央共同募金会(東京都千代田区)の助成金を利用し、週に1度、利用者に弁当を無料配布した。子ども本人または保護者に弁当を手渡し、元気がないなど、様子に変化がある場合は話を聞いた。当時は学校も休校になり、学校給食もなくなったため、夜遅くに保護者が仕事から帰ってくるのを、何も食べずに家で待っていた子どもや、体がやせてきた子どももいた。

緊急事態宣言が明けた昨年夏には、例年通り、保護者と面談し、コロナでどのような影響が家庭に出ているのかなどを聞いた。仕事を減らされた等、経済面でひっ迫した家庭が多かった。必要に応じて、行政とも連携を取り、公的支援を受けることを提案し、申請書類の記入等も手伝った。他の家庭にも、困った時は我慢せずに必要な支援を受けるように呼び掛けた。

今年1月の緊急事態宣言時は、学習会を閉鎖した期間も短く、学校給食は食べられる環境だったため、食事支援はしなかった。一方、高校入試が近かったため、受験生の学習支援は個別に継続できる環境を整えたが、感染の不安から、希望する子どもはいなかった。

家庭環境整えるサポートできたら

青い羽根学習会の対象となる家庭には、毎年、つくば市から案内を配布している。「NPOプラザ・ねこねっと」が担当する地域では、実際に学習会を利用する家庭は、案内が配布されている家庭の2割ほど。「今年度になってから、通ってくる子どもは増えたが、それでもまだ、必要な支援につながれていない家庭も多いのでは」と、「NPOプラザ・ねこねっと」代表の稲葉淑江さん(60)は心配する。「子どもの学習面だけでなく、保護者の生活を支えることで、家庭の環境を整えるサポートができたら」と稲葉さんは語る。

つくば市で青い羽根学習会を運営している他の団体は、昨年春と今年1月の学習会を開催できなかった期間、家庭の通信環境が整っている中学生にはオンライン授業を行った。「この1年間は、通っている学校によって、課題の量やオンライン授業を取り入れているかにも差があったため、学習会に通っている子どもだけでなく、子どもたち全体に不安が広がっているようだ」と、団体の代表は語る。

誰もが不安を感じる中で、子どもたちをどう支えていくか。支援団体の奮闘は続く。(川端舞)

銘酒をつなぐ伝統の水戸線 《茨城鉄道物語》11

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JR友部駅に停車する水戸線車両

【コラム・塚本一也】茨城県を最初に通った鉄道は東北線であり、県内で最初に開業した鉄道も実は常磐線ではなく、水戸線であることは以前お話ししました。昔は、茨城県民は水戸線を使って小山回りで東京へ行っていたようです。水戸線の歴史は古く、2019年1月16日で開業130周年を迎え、JR水戸支社では当時、盛大にイベントを開催しました。そんな水戸線の沿線は、歴史に裏打ちされたように、県内有数の酒蔵がラインナップされております。

茨城県は日本有数の酒どころであり、大小合わせると県内に約45の酒蔵があります。茨城県酒造組合の資料によれば、北から久慈川水系、那珂川水系、筑波山水系、鬼怒川水系、利根川水系と、5つのカテゴリーに分類されるようです。その酒蔵地帯を、那珂川水系から筑波山水系を経て、鬼怒川水系へと県を横断するようにつないでいるのが水戸線なのです。

例えば、始発の水戸駅近辺には、私の好きな「一品」を造る吉久保酒造、明利酒造、木内酒造があります。少し走ると、笠間の須藤本家、笹目宗兵衛商店があり、稲田に着けば「稲里」の磯倉酒造があります。さらに筑西市に入ると、来福酒造、真壁の村井酒造、西岡本店などが軒を連ねます。そして終点に近づき、結城駅周辺にはこれまた私の好きな銘酒「武勇」を造る武勇と結城酒造が控えております。

お座敷列車で日本酒をチビチビと

このように、沿線にこれだけ数多くの酒蔵がそろっている路線は大変珍しく、これを観光に生かせないものかと思慮しているところであります。夏になるとビール列車を走らせるという企画は、地方ローカル線でニュースになることがあります。しかし、「日本酒列車」では酔いが回るのが少し早すぎるような気もするので、お座敷列車でチビチビとやりながら、のんびりと旅行するような企画がよいのかもしれません。

また、お酒にはそれに合ったつまみが、ご当地の食文化としてもてはやされます。ブルーチーズと赤ワインのように、お互いを引き立てる地元の名産品をセットで用意すべきでしょう。昨今話題となっているジビエ料理で、何か開発はできないでしょうか? イノシシのジャーキーなんかは、辛口の日本酒に合うような気がするのですが、私の好みになってしまいますね。(一級建築士)

つくば市職員が新型コロナ

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つくば市役所

つくば市は13日、同市小田、小田城跡歴史ひろば案内所に勤務する非常勤職員1人が13日、新型コロナウイルスに感染していることが分かったと発表した。

同案内所では3月27日にも非常勤職員1人の感染が確認された。市文化財課によると、今回の感染経路などは、3月に感染が分かった職員とは関係ないという。

今回、感染が確認された職員に症状はなく、同案内所にはこの職員の濃厚接触者はいない。一方、この職員がいつまで出勤していたかなどは公表できないとしている。

市は同案内所を消毒し、通常通り開所する。

2年ぶり「茨城現展」13日開幕 県つくば美術館

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2年ぶりに開幕した第37回茨城現展の会場の様子=13日、県つくば美術館

おもねず自由に制作活動を行う作家集団、現代美術家協会茨城支部(佐野幸子支部長)の「第37回茨城現展」が13日、つくば市吾妻、県つくば美術館で開幕した。約40人の作家による絵画、デザイン、立体造形、工芸、写真など約180点が展示されている。新型コロナの影響で昨年は開催できなかった。2年ぶりとなり、新型コロナをテーマにした作品も展示されている。

コロナ禍、気持ちを明るくして見てほしいと、会場正面で、佐々木元彦さんの立体造形「夢は夜ひらく」が出迎える。ドラム缶の上に赤や青、黄色など色とりどりのカラーボールと、2体の顔の造形を配置したユニークな作品で、子どもたちにも喜んで見てもらえる作品だという。

新型コロナをテーマにした作品は、佐野支部長の絵画「想・葛藤」(縦1.4、横1.1メートル)。コロナ禍の日々の葛藤を、赤、緑、黒などで表現した心象風景だ。

コロナ禍の日々の葛藤を表現した佐野幸子(左)支部長の「想・葛藤」

まっすぐに伸びた茎の先に付いた里芋の大きな葉が、嵐がきてぼろぼろに破れた様を描いたのは、つくば市、佐々木量代さんの水彩画「昨夜の嵐」(縦1.4、横1.1メートル)。嵐がきてもめげず、すくっと立っている様を表現したという。

牛久市の福田三恵子さんは、宮脇紀雄さんの童話「おきんの花かんざし」をテーマに、人間に化けたキツネの母親が、少女に化けた娘の髪に花かんざしを挿す様を描いている。

ほかに「五輪」をテーマに、出展者が思い思いの作品を描き一堂に展示した共同作品や、布や編み物などを素材に使った絵画、豚や牛をかたどったユニークな木製の椅子なども展示されている。

豚や牛をかたどった小田島久則さんの木製の椅子

福島県南相馬市出身で、筑西市に住む羽下昌方さん(73)は「一人ひとり違う考えの作品が表現されていて、おもしろいと思う」などと感想を話していた。

佐野支部長は「現展は、何ごとにもとらわれず自由なコンセプトで制作している。いろいろなジャンルがあるので、皆さん、楽しんでいただけるのでは」と来場を呼び掛ける。(鈴木宏子)

◆茨城現展は18日まで。開館時間は午前9時30分~午後5時(最終日は午後3時まで)。入場無料。

つくば市は来週 老健施設で接種開始 新型コロナワクチン

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土浦市の新型コロナウイルスワクチン集団接種訓練の様子=3月5日、イオンモール土浦

高齢者を対象にした新型コロナウイルスワクチンの接種が12日、県内で始まった。つくば市には17日、ファイザー社のワクチン975人分(2回接種)が届き、19日の週から市内の介護老人保健施設8カ所で入所者などを対象に接種が始まる。

県内では入所型の高齢者施設でクラスターが発生していることなどから、新型コロナ協力医療機関に次いで、高齢者施設の入所者や職員の接種を優先する。

つくば市新型コロナウイルスワクチン接種対策室によると、第2陣として4月26日の週から5月3日の週に一定程度のワクチンが届く予定で、市内の特別養護老人ホーム10カ所、グループホーム18カ所などの入所者と一部職員を対象にした接種を順次、実施する予定だ。

一般の高齢者は5月下旬から

一般の65歳以上高齢者には19日から23日までに接種券を発送する。実際の接種開始は5月下旬ごろになるとみられるという。同市の接種会場は、病院や掛かり付けクリニックなど医療機関約100カ所。接種の予約は、各医療機関または市のコールセンター(電話029-883-1391)で予約を受け付ける。

同市の65歳以上の高齢者は約4万7000人。高齢者の接種が終わるのは7月ごろになると見込まれるという。高齢者の接種が終了した後、基礎疾患がある人、それ以外の人の順に接種を実施するが、高齢者以外の接種開始時期は現時点で未定という。

土浦市は19日の週に接種開始

土浦市健康増進課によると、同市には、19日の週に約2000人分(1回接種)が届き、高齢者施設の入所者を対象に接種を開始する。

一般の65歳以上の高齢者には23日に接種券を発送する予定だ。接種開始時期は5月下旬から6月上旬になると見込まれている。接種会場は、市保健センター(同市下高津)、イオンモール土浦(同市上高津)の2カ所で集団接種を実施するほか、市内の医療機関約70カ所で個別接種を実施する。接種の予約は集団接種の場合、市コールセンター(029ー886ー5302)で、個別接種の場合、各医療機関で予約を受け付ける。

同市の65歳以上の高齢者は約4万1000人。高齢者の接種が終わるのは、開始から約2カ月後の7月下旬から8月初旬になるとみられている。

接種費用は無料(公費負担)。対象は接種に同意した16歳以上で、強制ではない。2回接種が必要で、ファイザー社ワクチンの場合、3週間後、アストラゼネカ社とモデルナ社は4週間後に2回目を接種する。接種後、注射した部分のはれや痛み、疲労、頭痛、筋肉や関節の痛み、寒気、下痢、発熱などの副反応(副作用)が報告されているが、数日で回復するとされる。(鈴木宏子)

TSMCの拠点設立は大チャンス 《茨城の創生を考える》18

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ダイヤモンド筑波

【コラム・中尾隆友】20世紀で最も重要な資源は石油だったが、21世紀ではデータが石油に取って代わるといわれている。人工知能(AI)がビッグデータを分析して、価値ある情報を抽出する仕組みが経済活動の主流となるのだ。

経済・社会のデジタル化が進み、データの価値が各々の国々の競争力を左右する時代では、AIを動かすための半導体の需要が爆発的に増えていくのが間違いない。それと並行して、半導体の絶え間ない性能向上が求められていくだろう。

世界の半導体産業では現在、台湾のTSMCとオランダのASMLが飛び抜けた技術力を持つ。残念ながら、日本でも米国でも両社の技術力に肉薄できる企業は存在しない。半導体企業の関係者によれば、日本企業が両社に技術的に追いつくことは不可能ということだ。

日本の半導体産業を強化するためには、国が潤沢な補助金を支給できる制度をつくらなければならない。米国では今年1月に半導体メーカーを強化する法律が制定され、TSMCがアリゾナ州につくる工場建設に30億ドルを補助することが決まっているのだ。

国・県・市と「ウィンウィン」の関係に

半導体産業を強化するという議論もない、日本の対応は遅すぎる。そのような状況下で、世界最大手のTSMCがつくば市に日本初となる研究開発拠点を設けるという意味は大きい。茨城県とつくば市は国と協力して、早急にTSMCとの向き合い方を考える必要があるだろう。

たとえば、TSMCの研究拠点を中心にして、日本の半導体企業をつくば市周辺に誘致するプランは有力な選択肢だ。2016年の米インテルをはじめ、大企業のつくば市からの撤退が相次いでいたが、TSMCの研究拠点設立は巻き返しを図る千載一遇のチャンスとなるはずだ。

TSMCが研究拠点をつくば市に選んだのは、日本の技術研究の底力に期待している面があるからだ。日本の研究機関や企業がTSMCの求める技術開発を助ける一方で、TSMCが日本企業に最先端技術を一部でも供与できれば、お互いにもたらされる恩恵は大きい。

今こそ、国・県・市の3者が緊密に議論を重ねて、TSMCと「ウィンウィン」の関係に発展するような方策を考えてもらいたいところだ。(経営アドバイザー)

こいのぼり500匹お堀を泳ぐ 土浦で飾り付け始まる

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亀城公園のお堀を泳ぐこいのぼり=土浦市中央

桜が散るのを待ちかねたように12日、土浦城跡、亀城公園(土浦市中央)のお堀端で、こいのぼり500匹を飾り付ける作業が行われた。

市と商店街連合会による「土浦まちなか活き活き鯉のぼり事業」の一環で、2010年度から行われている。今回からりんりんポート土浦(同市川口)が加わり、駅前通り商店街や土浦駅通路などに、合わせて1800匹のこいのぼりを掲げる。特に「コロナ収束」を願い、人の手に触れないよう飾り付けのポジションなどに配慮するという。

先陣を切って、12日朝から同市中央、亀城公園で市商工観光課の職員による作業が行われた。公園は桜の名所だが、今季は散るのも早く、お堀に広がった花いかだも早々に回収された。

職員は2人1組でこいのぼりをつるしたロープの両端を持ち、東やぐら脇の霞橋からお堀の両側に分かれて回り込む。ロープには長さ90センチ、5色のこいのぼりが付いていて、水面を泳ぐように所定の場所まで引っ張る。ここで両側からロープをピンと張ると、風にこいのぼりがなびき出す。これを約50本分繰り返す。    

飾り付けは端午の節句の5月5日まで。14日から順次、土浦駅やうらら広場、各商店会にも泳ぐことになるという。(相澤冬樹)

東海第2で画期的な判決 《邑から日本を見る》85

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那珂市静峰公園の八重桜が満開

【コラム・先﨑千尋】異常気象か世相のせいかどうかわからないが、桜の開花がこれまでになく早かった。いつもだと20日過ぎに咲く近くの公園の八重桜がもう満開。コロナ禍で人が騒いでいても、桜はいつものように見事な花を見せてくれる。

異常というよりは想定外の判決が3月18日に水戸地裁で出た。日本原子力発電(原電)の東海第2原発の安全性に問題があるとして、県内外の住民らが原電に運転差し止めを求めた訴訟の判決で、前田英子裁判長は「実現可能な避難計画や、実行する体制が整えられているには程遠く、防災体制は極めて不十分」として住民の請求を認め、運転を差し止めるよう言い渡した。

これまでの原発運転をめぐる裁判では、地震や津波、火山の噴火などへの対策が主な争点だったが、今回の判決は、事故が起きた時、避難などで住民の安全を守れるかに注目した。

この判決について、翌日の新聞各紙は大きく報道した。地元紙茨城新聞はもとより、朝日、毎日、東京の在京紙だけでなく、隣の下野新聞や沖縄の琉球新報も1面トップで報じていた。社説や解説でも「実効性のある避難計画を作るのは机上の空論。現実を直視すれば、原発再稼働は極めて困難」(東京新聞)、「判決は首都圏に近い密集地域での立地そのものを疑問視したに等しい。自治体は原発の是非を巡る議論とは別に、住民の生命を守る観点での対策が求められる」(岩手日報)など、判決内容を支持する声が多く見られた。

直接評価を避ける国・県・関係首長

では、当事者の受け止め方はどうか。

原電の村松衛社長は、判決に承服できないとして東京高裁に控訴した。当然と言えば当然のことだ。しかし、避難計画は原子力規制委員会の審査対象にはなっていないし、避難計画を策定する当事者ではないので、高裁での立論をどう組み立てるのかが興味深い。県や市町村も法廷に出るのだろうか。原電はこれまでに東海第2を再稼働すると明言してこなかったが、控訴したことで再稼働するという意思が問わず語りで明確になった。

一方、弁護団共同代表の河合弘之弁護士は、判決後の記者会見で「避難計画が不十分だという分かりやすい理由で勝訴したのはよい意味で想定外。歴史的な判決だ。人口密集地帯で事故を起こしたらどうするのかという主張が裁判所に届いた。他の訴訟にも応用できる理論だ」と喜んでいた。

この判決について、国や、県の大井川知事、関係する首長らは直接の評価は避けているが、今回の判決の中心となった避難計画は県や30キロ圏内の14市町村が策定するので、いわば当事者。他人事ではないはずだ。知事はこれまで、「安全性検証」「実効性のある避難計画策定」「県民への情報提供」の3条件が整ってから県民などの意見を聞き、再稼働の是非を判断する、と言ってきたのだ。

今回の判決は、原発の再稼働そのものではなく、避難計画といういわば土俵外でのこと。また、30キロ圏外の原告は敗訴。避難計画をきちんと作れば運転を認めるとも読める判決なので、高裁での審理に注目していきたい。(元瓜連町長)

なでしこ2部での初戦飾れず つくばFCレディース

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後半ロスタイム、ヘディングで競り合う青のユニフォーム、つくばFCの藤原のどか(撮影/高橋浩一)

プレナスなでしこリーグ2部、つくばFCレディース対バニーズ群馬FCホワイトスターの試合が11日、ひたちなか市新光町の市総合運動公園陸上競技場で開催された。つくばは0-2で敗れ、2部昇格の初陣を飾ることはできなかった。

プレナスなでしこリーグ2部、第1節
つくばFCレディース 0-2 バニーズ群馬FCホワイトスター

今季、初のプロリーグ「WEリーグ」が創設されるなどドラスティックな動きを見せている女子サッカー。昨季なでしこチャレンジリーグに属していたつくばFCは、今季から、なでしこ2部に戦いの舞台を移した。

前半9分、左サイドからクロスを上げる高田莉緒(撮影/高橋浩一)

初戦の相手はバニーズ群馬FCホワイトスター。昨季なでしこ2部で活動していたバニーズ京都と、関東女子1部で活動していた群馬FCホワイトスターが一つになって再始動したチームだ。

試合は立ち上がり、互いに相手の出方をうかがう形で始まった。守備はともに4バックながら、群馬はパワーと瞬発力のある兼重紗里を前線に置いた1トップの形。つくばは速さと俊敏性を備えた岸川りな、キープ力がありターンからのシュートを狙う古寺未佳の2トップだ。群馬はロングボールやスルーパスで積極的に兼重を走らせる。つくばは中央からの崩しを狙うが、相手の守備に阻まれ、なかなかボールを前へ運べない。

前半22分、中央からドリブル突破する古寺未佳(撮影/高橋浩一)

前半15分、ハーフライン手前から1本のパスを通され、サイドに開いていた兼重がすぐさまロングシュート。不意をつかれた形になってつくばが失点する。

その後つくばは、サイドから短いパスをつないで相手をかわしていく。36分には古寺のキープから藤原のどかがシュートを放つが枠の左。42分には岸川が右サイドで相手DFと入れ替わり、角度のないところから打つがバーの上。前半のシュートはこの2本だけだった。

後半5分、スルーパスからシュートを放つ岸川りな(撮影/池田充雄)

後半は、両者ともなかなかシュートに持ち込めず、メンバー交代で打開を図ろうとする。だが後半31分、痛恨の2失点目。リフレクションのボールを前でつながれ、スルーパスに小嶋美舞が抜け出す。シュートは一度はGK稲葉寧々が止めたが、拾い直してゴールへ流し込まれた。

つくばは途中出場の荒木ともみ、大坪菜らが果敢にゴールを狙うが得点を奪うことはできず、試合終了。今季からチームを率いる橋野威監督は「前半途中から、ボールを大事にしながらフィニッシュへ向かう自分たちの形は出せたが、もっとゴールに迫る回数を増やしたかった。失点については、攻守の切り替わりのところをもっと整理したい」と話した。

後半30分、途中出場直後にシュートを放つ荒木ともみ(撮影/池田充雄)

新しい舞台での戦いについて藤井志保主将は「なでしこリーグの名前で皆さんに認知してもらいやすくなった。袖にエンブレムも入って気持ちも上がっている。力のある選手が大勢入り、チーム内競争をしながらいい雰囲気ができている。新しい環境でポジティブにやりたい」と話した。

桜の開花と宇宙天気キャスタ 《食う寝る宇宙》83

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【コラム・玉置晋】今年はコロナ禍だったこともあり、お花見は犬の「べんぞうさん」とのお散歩で終わってしまいました。茨城県では3月下旬に満開となり、4月上旬には葉桜になっております。最近の桜の開花は随分早くないですか? 僕が小学校に入学した時(1985年4月)の思い出は、入学式では桜はつぼみ、数日後に教室から見た校庭の満開の桜があまりにきれいで、よく覚えています。

気象庁のデータベースから茨城県水戸市の桜開花日グラフを作成しました。

僕が小学校に入学した1985年、水戸市の桜の開花日は4月7日でした。水戸市の小学校の入学式は4月6~8日となりますので、入学式の桜はつぼみだったという僕の記憶は確からしいことがわかりました。

また、年により開花日にはバラつきがあって、僕の一つ上の学年(1984年入学)は4月20日が開花日で、一つ下の学年(1986年入学)は4月10日が開花日でした。もしかしたら、入学年によって入学式の思い出の風景が異なるのかもしれませんね。

次に大きな特徴として、1990年代以降の桜の開花日は3月に多くなっていることがわかります。茨城県の小学校に入学された、現在35歳以下の方の入学式の思い出は緑の若葉なのではないでしょうか。

月や火星から開花便りが届く?

テレビで桜の開花情報を伝えているのは気象キャスタです。開花情報と気象には密接な関係があり、季節の変化など、総合的な気象状況の推移を把握するのに、桜をはじめとした「生物季節観測」が気象庁により行われてきました。

僕が所属しているABLab宇宙天気プロジェクトでは、「宇宙天気キャスタ」の育成について検討しています。まずは、現在すでに気象キャスタとして活躍している方が、地上天気から宇宙の天気まで解説することを想定しています。2025年の太陽活動極大期に向けて、宇宙天気キャスタが生まれていくことでしょう。

そして将来、月や火星から開花の便りが届くことを期待しています。(宇宙天気防災研究者)

全国初 摂食嚥下障害の「特定認定」看護師を養成 県立医療大

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県立医療大学

茨城県立医療大学(阿見町阿見)は、これまで開講してきた摂食嚥下(えんげ)障害看護分野の認定看護師教育課程を4月から、厚労省認定による「特定行為を組み込んだ新たな認定看護師教育課程」(通称・B課程)に移行させた。

高度かつ専門的な知識、技能が必要とされる行為(特定行為)について、医師の補助を行ことができる「摂食嚥下障害看護分野における特定認定看護師」の育成に乗り出した。

食べ物などが食道でなく、気管に入ってしまうことを誤嚥という。これらの摂食嚥下障害は、脳卒中や神経難病だけでなく、咽頭部のがんをはじめとする疾患、術後などさまざまな病態でみられ、特に高齢者ではこの障害による誤嚥性肺炎が問題になっている。

猛スピードで到来する超高齢社会を想定するとき、この領域の認定看護師に対する期待は、病院だけではなく、在宅療養、在宅看護を行う家族をはじめ、地域社会で水準の高い看護(実践)が求められるようになる。

同大学の資料によると、今年度の受講生は11人。摂食嚥下障害看護分野におけるB課程開講(特定行為を組み込んだ新たな認定看護師教育課程)は全国初。

摂食嚥下障害看護認定看護師には、摂食・嚥下機能の改善のほか、嚥下性肺炎予防、化学療法、放射線治療中の口腔トラブル予防、改善などの役割が期待されている。(山崎実)

学童疎開の思い出 《くずかごの唄》83

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イラストは筆者

【コラム・奥井登美子】私は土浦市立真鍋小学校の学校薬剤師を何年か勤めた。この学校には、校庭のまん真ん中に、昔寺子屋だったときの名残の桜の古木がある。入学式の日は、6年生が新入1年生をおんぶして満開の桜を一周する。

初めてこの光景をみたとき、私はどういうわけか、涙があふれて、あふれて、止まらなくなってしまった。私にとって小学6年生は生涯で一番忘れられない年なのである。

昭和19年の夏休み、私たち小学生は空襲時に備えて、3年生から6年生まで東京から強制疎開しなければならないことになった。縁故のある人は縁故疎開。ない人は学校ごとの学童集団疎開。成績順にクラス分けしていたので、1番組の男の子は3中(今の両国高校)、女の子は7女(今の小松川高校)を目指していた。

仲良しだったクラスメートとバラバラに別れてしまう。そのとき、皆で「3月12日の都立の受験日には帰ってくる」堅い約束をしてしまった。

父も母も京橋生まれで、田舎に親戚のない私と3年生の妹は、集団疎開を選ぶしかなかった。上野駅に送りに来た父は「困ったことがあったら、すぐ連絡してください。迎えに行くから」と言ってくれた。

山形から長野へ再疎開

今考えると、いきなり26万人もの児童が地方に分散するのである。住む所、食べ物など、学校を用意する地方の人たちもさぞかし大変だったに違いない。

山形県湯の浜温泉の旅館に宿泊することになった私たち。はじめは、3食、何とかありつけたが、1か月くらいして食事の量が極端に少なくなり、お腹が空いて我慢ができない。子供なりに、お手玉の中に入っている小豆を取り出して食べたりした。

父に手紙を出して迎えに来てもらい、私たち家族は何とか無事に長野県へ再疎開することができた。

友達との約束の日、私は猛反対されて上京できなかった。約束を守って受験のために帰った友達は、否応なく3月10日の東京大空襲に巻き込まれてしまった。私たちが受験する予定だった東京下町のエリアで、30万人もの人が亡くなったという。(随筆家、薬剤師)

またワースト1 つくば市待機児童数 県全体は減少

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写真はイメージ

県子ども未来課がまとめた昨年10月1日現在の茨城県内の待機児童数で、つくば市は104人、前年同月の116人と比べ12人減少したが、ワースト1の返上はできていない。県全体では前年同月の640人より273人減り、367人と好転した。

2020年10月1日現在

市町村別では、つくば市に次いで待機児童数が多いのは水戸市の87人、次いで那珂市の31人、つくばみらい市の30人など。このほか、牛久市、阿見町が各12人、土浦市が11人など、つくば市を含む県南地区の待機児童数は178人に上り、県全体のほぼ半数に達している。

待機児童の年齢別内訳では、0~2歳児が337人(全体の91.8%)と圧倒的に多く、9割以上を占めた。3歳以上は30人(8.2%)だった。

同課では、待機児童の発生要因の分析として、県南地域の人口増加を伏線に、共働きによる女性の就業率の向上による入所希望者の増加と、マンパワー(保育士)不足が原因と指摘している。

今後の対応については、ハード面の対策として国の保育所整備交付金などを活用し、地域の実情に応じた保育所、認定こども園、小規模保育施設の整備や、家庭的保育事業者の増加を図り、受け皿対策の拡大を進めていくとしている。

またソフト面の対策としては「いばらき保育人材バンク」や保育士修学資金貸付制度など、各種施策を積極的に活用、導入、展開し、「保育人材の確保に取り組んでいく」(同課)としている。(山崎実)

救いの歌詞物語② 罪とゆるしとマグダラのマリア 《遊民通信》14

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涙ティアーズ

【コラム・田口哲郎】

前略

『新約聖書』にマグダラのマリアという女性がたびたび出てきます。マリアというとイエスの母マリアを思い浮かべます。マグダラのマリアは聖母とは別人で、イエスに付き従った女性グループのひとりだったと言われます。ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』(2003年)などでイエスの妻だったという説も言われますが、詳細は分からない人です。

ですから、マグダラのマリアが聖書に出てくる罪深い女、つまり娼婦と同一視されたり、最後の晩餐でイエスに香油を注いだ娼婦だとされたり、確証はないままに、いつの間にか罪深い女に措定されてしまいました。キリスト教の長い歴史の中で、聖母マリアは純潔の象徴として、マグダラのマリアは罪の象徴として意図的に意味づけられたのではないかというのが現在の定説です。

しかし驚くことに、貶(おとし)められたマグダラのマリアはカトリックでは聖人になっています。罪深いながら回心してイエス・キリストを信じたからです。復活したイエスが最初に現れたのはマグダラのマリアだったとされています。

このマリアが最も感動的に描写されるのは「ルカによる福音書」7・36〜50です。マリアは晩餐の席にいたイエスの髪に香油を塗り、彼の足を自らの髪を涙で濡らして拭きます。イエスはマリアの帰依に「あなたの罪は赦(ゆる)されている」と言います。人間は誰しも罪の意識を負っています。悪事を積極的に行わなくても、いつの間にか犯した罪に苛まれることもある。太宰治の「生まれて、すみません」的な悲しみです。

どうしようもない悲しみはトラウマや良心の呵責(かしゃく)となり自分を苦しめます。マリアはなりふり構わずイエスの足にすがりました。イエスは想像を超える言葉を掛けます。今まで誰がマリアの苦しみに寄り添ってくれたでしょうか。差別や叱責はあっても共感はなかったはずです。孤独で八方塞がりの中でマリアは絶望していたでしょう。

イエスはマリアの罪を背負って赦しました。赦されることで、人は「生まれてよかったんだ」と思うことができます。私は、このときイエスも泣いていたのではないかと思います。乱発される免罪符では効き目はありません。人間はそう簡単に赦せません。赦せるのは神だけなのかもしれません。マグダラのマリアを想い、またひとつの詩が浮かびました。

歌詞「涙(ティアーズ)」

古びた窓から見える
場末の街

ひとりよりふたりがいいなんて
笑わせるね
夜毎変わる恋人は
さびしさだけ置いてゆく

どうして……

だけど、酒場で遭ったあの人は
私のために泣いたんだ

情けの涙に洗われて

初めて心を抱かれたの
初めて心を抱かれたの

ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

桜川沿いに交流拠点を 24-25日つくば 長屋門の古民家で「市」

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つくば市大、塚本さん宅=市(ichi)事務局提供

江戸末期に建てられた長屋門を構える、つくば市栄地区の塚本康彦さん宅(同市大)で24、25日、地域交流イベント「ICHI 市 in 栄」が開催される。

土浦市から桜川沿いを遡上し筑波山に至るサイクリングコース「つくば霞ケ浦りんりんロード」に沿って、古い街並みや景色の中から、休憩や交流のできる拠点を創出し、コミュニティーを醸成しようと考えられた。今回が最初の試みとなる。

主催は茨城県建築士会筑波支部(長瀨行弘支部長)。「市」の発案は、同支部内で交流しているサイクルスポーツのポタリングから始まった。

有志の一人であるつくば市の茂垣直樹さん(建築設計事務所「m・style」代表)は「将来的には小田地区や北条地区にも同様の拠点と催事を実現し、観光を兼ねて地域の特産品を知り、地元の人々と交流できる機会を創出したい」と趣旨を説明する。

市(ichi))ポスター=同

「市」は、同支部の有志が企画する。塚本さん宅の庭先を中心に飲食・物販のマルシェを設営するほか、会として日常進めている耐震・空き家相談会も催す。

約20の出展者が協力し、地元産の食材を使ったランチの提供や農作物の販売が予定されている。筑波支部ではトートバッグづくりなどの行事も準備している。

現地で設営の段取りを進める土浦市の矢口明子さん(建築設計事務所「present」経営)は「栄地区の魅力を食と農と暮らしの視点から発信したい」と意欲を見せる。同地区の歴史や文化を地域の人に話してもらう講座や、染色・草木染め体験、桜川漁業協同組合による桜川に生息するナマズの展示なども予定している。(鴨志田隆之)

◆「ICHI市 in 栄」は24日(土)、25日(日)いずれも午前10時から午後4時まで開催(雨天決行)。両日とも臨時駐車場は近隣の心福寺境内が充てられるが、台数に限りがあるため、支部は乗り合わせや公共交通機関利用を勧めている。詳しくは同会ホームページへ。

シン・住民がやって来る 《映画探偵団》42

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イラストは筆者

【コラム・冠木新市】1993年、「今度つくばに引っ越して来た新住民です」と地元の方に挨拶したら、「新住民は私で、あなたは新新住民ですよ」と訂正された。つくばの歴史を実感させられた瞬間である。だからか、2005年につくばエクスプレスが開通し、移住してきた人を見たとき、「あ、新新新住民だな」と思った。2021年の現在、中心市街地はマンションと住宅の建設ラッシュだ。私は次に来る人たちは、シン・住民なのだと考えている。

シン・住民は、AI中心のスマートシティやスーパーシティを期待する人か、自然中心の自給自足リサイクル社会を志向する人か、気になるところではある。だがそれよりも、シン・住民にとって、センタービルは老朽化した建物に映るか、歴史的文化財アートに映るか、どのように見えるのだろうか。

1983年、世界的注目を集めたつくばセンタービルの住所は、新治郡桜村大字花室字千上前1364番地で、村の中に建っていた。40年ほど前の村人はセンタービルをどう眺めたのだろうか。村の誇りと感じたのか、それとも無関心だったのか。このあたりが調査不足で盲点だった。

三船敏郞主演『七人の侍』

急に『七人の侍』(黒澤明監督)を見る気になったのは、それがきっかけだった。村人の思いを知りたかったからだ。少し見るつもりで見始めたのだが、結局3時間27分全編を一気に見てしまい、改めて世界映画史上の名作だと思った。

『七人の侍』は、戦国の世に百姓たちが侍を雇い、村を襲う野武士の群れと戦う話だ。侍のリーダーは負け戦さ続きの不運な初老の男・勘兵衛(志村喬)。他の6人もしがない浪人暮らしである。この侍たちが金にも名誉にもならない命懸けのボランティア仕事を引き受ける。表向きは侍が主人公だが、物語上は百姓が主人公といえる。侍は戦いのアドバイザーであり、戦いの主体は百姓たち。百姓たちの描写がリアルなため、侍たちの魅力が一層引き立つ仕掛けである。

中盤のクライマックスは、侍の菊千代(三船敏郞)が、百姓たちの隠していた武具を見つけ、勘兵衛に持ってくる場面。侍たちは急に沈痛な面持ちとなる。それらは落武者狩りの戦利品で、侍たちは落武者として追われた経験があった。

侍の1人が「この村の奴らが斬りたくなった」ともらす。すると突然、菊千代が侍たちに向かい、「百姓ほど悪擦(わるず)れした生きものはねーんだぜ。正直面してすぐ嘘をつく! けちでずるくて人殺しだ! だがこんなけだものを作ったのはお前たちなんだよ!」と、涙を流しながらわめきたてて百姓と侍の両者を猛烈に批判するのだ。勘兵衛の目に涙がにじむ。菊千代は百姓出の偽の侍だった。

『つくばセンター研究会』

センタービルのリニューアルを他の人はどう受けとめているのか知りたくて、『つくばセンター研究会』なる場を設けてみた。3月17日に8名集まったが、意見を聞くよりも前にリニューアルの件を初めて知った人が3入もいて驚いた。

4月4日の2回目には10名集まった。「エスカレーター2基はいらない」が私の主張だが、あってもなくてもいいという意見もあった。話題は、まちづくりや県と市の連携などへと広がったが、何よりも問題は話をする場が全然なかったことだなと思った。新型コロナがあったからかもしれないが、それを理由に市民を置いてけぼりにして、ドンドン改造計画を進めることはいかがなものであろうか。

2023年のセンタービル40周年記念に向けて、記録映画製作とつくばセンターツアーを計画中だと話したところ、参加者が「ある美術大学で40周年企画の検討が始まっている」と教えてくれた。今では旧住民となった私だが、これからは菊千代の立場で、やって来るシン・住民のための良きアドバイザーを探すつもりでいる。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

新制服の1期生80人 土浦一高付属中で初めての入学式

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決意を述べる新中学生、坪井綾南さん=土浦一高体育館

茨城県立土浦第一高校(中澤斉校長)に併設された付属中学校で初めての入学式が7日、土浦市真鍋の同校体育館で行われた。1期生は80人、高校全日制への新入生280人とそろって、新制服で緊張の式典に臨んだ。開校宣言で大井川和彦知事は「世界に目を開き、世の中の役に立つ使命感をもって努力してほしい」と励ました。

付属中学校の開校宣言をする大井川県知事=同

入学式は中学、高校合同で行われた。制服は今年度からの新デザイン、女子はネクタイ、リボンを採用するなど一新した。式では最前列に新中学生が、次に新高校生がクラスごとに並んで着席し、保護者らに見守られた。大井川知事の開校宣言の後、生徒一人ひとりの名を呼びあげての入学許可、校長式辞、新入生代表の決意表明と続いた。

中澤校長は「主体的・能動的にチャレンジするのが”一高スタイル”。中学生もいち早くこの校風を身につけ、探求心を持って学習プログラムに取り組んでいってほしい」とあいさつした。新中学生では坪井綾南さんが伝統校への入学に身の引き締まる思いを語った。

地域と世界に役立つ人材育成

1897年設立の旧制中学に始まり、創立125年目を迎える県南きっての伝統校にも「教育改革」の波は押し寄せ、併設型中高一貫教育校としての設置となった。県立中高一貫教育校としては今春、水戸一高付属中も開校しており、合わせて10校を数える。土浦一高付属中では特に「東京圏の私学などに流出していた優秀な人材を確保して」(中澤校長)、6年間の計画的・継続的な教育活動によって地域のリーダー、世界に飛び立つ人材の育成を目指すとしている。

初年度にもかかわらず、入学者選抜の志願倍率は3.1倍に達し、地域の進学ニーズをとらえた形になった。思考力や判断力をみる適性検査やグループ面接などにより「狭き門」を突破した80人の内訳は男女各40人、地域的にはつくば、土浦、牛久3市からの入学者が大半を占めた。

一貫校の指揮をとる中澤校長は同高OBで、今春赴任した。国際化を意識した「グローバルラーナーズ(Global Leaners)プロジェクト」は中高通してのテーマ。中学校では珍しい「1時限60分」の時間割を採用、あらゆる教科を通じて英語教育の要素を取り入れていくという。「中学生に60分間の集中力を求めるのは厳しいが、何事につけ早めに身につけていくことが重要になる」と共に挑戦する構えだ。(相澤冬樹)

入学式の後、各教室に向かう新中学生=同

身近にある?人生の楽園 《続・平熱日記》83

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【コラム・斉藤裕之】斜め向かいのお宅。「ハクちゃん」と名付けた白い犬との散歩から帰ってきたとき、駐車場にバックしている若葉マークの車を見守るお母さんと出会った。

「免許とったんですねえ」「そうなんですけど、娘の運転、怖くて」。車を運転しているのは、小学生のときにうちに絵を描きに来ていた女の子だ。

生活の足しにと、難色を示すカミさんを説得して絵画教室を開いたのは10年ほど前か。そして、この春に3人の小学生が卒業を迎え、最後に残ったひとりが3年生のミーちゃん。ひとりでは寂しかろうということで、この際教室を解散することに決めた。いろんな子がいたなあ。電車オタク、まんが大好き、天才、おしゃべりな男子…。

そういえば、先日、土浦で小さな展覧会を開いたリサちゃんもうちに来ていた子だ。大学で地質や気象を学び、研究のために訪れた日本や世界各地の思い出を絵にしたためて展示していた。元々の才能に加えて、彼女の見たい世界が素直に描かれていてよかった。リサちゃんは、この春から高校の理科の先生になるというが、ぜひとも絵を描き続けてほしい。

ところで、「ミーちゃん好きなテレビはなに?」と聞いたことがある。「…人生の楽園!」「あんた、シブいな!」。確かに、ミーちゃんは絵を描くのも好きだけど、マッチを擦って薪(まき)ストーブに火をつけたり、木をくべたりするのが大好き。ミーちゃんには、この教室は「小さな人生の楽園」だったのかもしれない。

「食べられる粘土細工、ピザ」

コロナの影響も重なってか、都会からやや近郊のゆったりとした環境に生活の拠点を移す傾向があるとか。また若者の間で小屋暮らしや1人キャンプなんてのも流行(はや)っているそうだ。ペストが流行ったときのように、つまり人間回帰、「ルネッサンンス!」的な時代の流れの始まりか。

さて、最後の教室の日。ミーちゃんのリクエストと卒業生の門出を祝って、教室の名物となった「食べられる粘土細工、ピザ」を薪ストーブで焼くことにした。そもそも子供たちに絵を教えようと思ったこともないが、美味しいピザは必ず一度は食べさせた。なんともふざけた絵画教室だった。

こうして、なんとな~く、サイトウちゃんの絵画教室はお開きとなったわけだが、ミーちゃんの心残りは野良だったハクちゃんが懐いてくれなかったこと。

春の始まり。暖かい日差しの中、ハクちゃんと散歩に出かける。「サイトウちゃーん!」「はて、どなた?」。ハクちゃんを優しく撫(な)でるうら若き女性、それはミーちゃん。そんな日が来るといいね、ハクちゃん。楽園は意外に身近にあるのかもしれない。(画家)

車いすから見た世界を描くライター、川端舞さん

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川端舞さん

「障害者として堂々と生きていきたい」

そう話すのは、重度障害のあるライター、川端舞さん(29)だ。NEWSつくばでコラム「電動車いすから見た景色」を連載、市民記者としても活動し1年が経った。介助者のサポートを得て営む一人暮らしは11年目を迎えた。ありのままの自身の経験や日々の出来事を発信し、障害について考えるきっかけを読者に投げかける。

言語に障害があっても話していい

言語障害のある人は、「(自分は)話さないほうがいい」と思ってしまうことがあるという。自身も言語に障害のある川端さんは、積極的に発言することで、誰もが気楽に話せる社会を作ろうとする。

原稿執筆のため資料をあたる

川端さんは生まれつき脳性まひによる障害があり生活に車いすが欠かせない。手足とともに口の筋肉や舌がうまく動かないことから、思うように発音することが難しい。会話によるコミュニケーションへの悩みを、以前は書くことで補っていた。荷物を出しに行く郵便局や買い物先の商店で、緊張する胸の内を隠しつつ、必要なことを書いた紙を相手に差し出した。話を聞いてもらえないのではないかと心配する言語障害のある人は多いという。だから川端さんは「会話」にこだわる。

「初めから聞き取れないと諦められることが一番辛いです。私が話しているのに、介助者と話し始めてしまう人もいます。『話してるのは私なのに』って思いますよね。聞き取れなければ、気を使わずに何度でも聞き返してもらえたらうれしいです」

朝、介助者と自宅を出る準備をする

群馬でがんばってきた

群馬県出身の川端さんは、周囲のサポートを受けつつ地元の普通学校に通った。教室に障害のある生徒は川端さんだけだった。重い障害のある多くの子どもは特別支援学校や特別支援学級に通学し、一般生徒と分けられるからだ。

「周りに迷惑をかけてはいけない」「友達に手伝ってもらってはいけない」と学校で教師に言われていた。川端さんの言葉を聞いてくれない教師もいた。周りに迷惑をかけたくないから「言語障害のある自分は話しちゃいけない」と思ったし、「障害者は勉強ができないと見捨てられ、普通学校に通えなくなる」と本気で思っていた。

歩行器を使う小学生の川端さん。「頑張っていた時代です」と振り返る

一生懸命勉強し、筑波大学に進学した。筑波大は障害のある学生へのサポートが整うことから母親も勧めていた。進学を機に大学宿舎で一人暮らしを始めた。福祉事業所から派遣される介助者が家事をサポートし、大学では学生同士が支援し合う制度を利用した。ただ、人の手を借りるのが嫌だったから、大学の制度は使わなくなった。「自分のことは自分でやらなければいけない」という考えが、川端さんを縛っていた。

「障害のためにできないことがあるから学習で補わないと、どの会社にも雇ってもらえず、お金も稼げない。つまり社会で生きていけない」と思っていた。大学卒業後は大学院に進学し同大で勉強を続けた。

大学院時代、半年休学してアメリカへ留学した。部屋には友人から送られた色紙が飾られている

つくばで出会った自立生活

「なんで一人で食べてんの? そんなの迷惑だからやめろよ」

衝撃的な一言だった。川端さんが現在メンバーとして活動するつくば市の「自立生活センターほにゃら」を大学院時代に訪ねて食事について話した時、重度障害のあるほにゃらメンバーから投げかけられた言葉だ。自立生活センターとは、障害者の生活を支援する当事者団体で、障害者が運営の中心を担う。

自立生活センターほにゃらの事務所

それまで川端さんは、スムーズではない自分の手を使い食事をとっていた。時間がかかっても、自分のことは自分でやるべきだと考えていたからだ。だがここでは「できないことは自分でしなくていい」というのだ。大事なことは、自分で行動を決めること。それを介助者に伝えて代わりにやってもらえば、障害者が自分でしたことと変わらない。それが「自立生活」なのだという。そして、こうも言う。

「川端さんが自分で食事をとることで、他の障害者もできないことを自力で無理してやる状況が続いてしまうでしょ?」

真逆の価値観だった。

食事介助によって周囲と会話する余裕ができた

ほにゃらのメンバーとなった川端さんは、「どんな障害があっても、自分らしく暮らせる社会」をつくる活動に関わり、自立生活する大勢の重度障害者と出会った。健常者の中で生きてきた川端さんにとって、初めてのことだった。

知的障害のある人との出会いは、群馬時代の同級生を思い起こさせた。同級生は特別支援学級に通学していた。普通学級の川端さんは当時「勉強できる自分は、彼(彼女)とは違う」と差別していた。「私は授業についていけないと見捨てられる。見下される側になるという恐怖感を抱いていました」と当時を振り返る。

普通学級に通っていた高校のクラスメイトとの思い出

多様な障害のある人々と出会い「学校の勉強だけがすべてではない」と気付いた。そして、「苦手なことは周囲に手伝ってもらえれば、どんな障害があっても社会で生きていける」と思い至ると、自分の心を縛っていた恐怖感から解放された。

障害当事者として活動に力を注ぐため、大学院は退学した。同じ教室に障害のある子どもとない子どもが一緒にいられる環境こそが、全ての子どもが無条件に「ここにいていい」と安心できる場所だと考える。そんな社会が当たり前の社会にしたいと思い活動を続けている。

大学院を辞めたときに送られた「退学証書」

自分もお金が稼げると自信がついた

昨年10月、川端さんの取材に立ち会った。その日は車いすに乗る障害者やその支援者ら約40人がつくば市内をデモパレードし思いを訴えた。パレードが終わり、川端さんが参加者にインタビューする。ゆっくり丁寧に質問を投げかけ返ってくる言葉を介助者がノートに書き取っていた。伝わりにくい言葉を介助者が「通訳」することもあったが、川端さんが自分の言葉で対話するのが基本だ。記事は自分でパソコンに打ち込むこともあれば、介助者が代筆することもある。こうして書いた記事は、翌朝にNEWSつくばのサイトで公開された=2020年10月1日付

パレード参加者にインタビューする川端さん

記事を書くことで、川端さんの手元に原稿料が入る。ライター業は川端さんにとって、定期的な報酬を得る初めての仕事だ。「仕事を評価してもらうのがうれしいし、自分もお金が稼げると自信がついた」と話す。だが、働き稼ぐという当たり前の営みは、重度障害者にとって簡単なことではない。介助制度の問題が立ちはだかるのだ。

つくば市内にて

川端さんのような重度障害のある人が社会活動を送るには、介助者の存在がかかせない。だが、現在の公的介助派遣制度は、その利用を就業中は認めていない。だから川端さんは取材中、1時間1200円の介助費を自費で介助者に支払っている。極端な話、お金がなければ働くことができないのだ。現在の制度は、重度障害者から働く機会を奪うという、極めて大きな問題をはらんでいる。

昨年、国は市町村の裁量で就業時の介助者派遣を認めた。だが、さいたま市のように実施する自治体はあるものの、全国的にはほとんどない。ほにゃらはつくば市に実施を呼びかけるとともに、経過モニタリングしている。

自宅で原稿を執筆する

コロナ禍でも自分らしく生きる

川端さんの生活に周囲のサポートは欠かせない。人と人が触れ合うことが感染拡大につながる新型コロナウィルスは、生活の根底を揺るがした。感染は自身の健康にも大きな影響する。

「実家に帰るべきだろうか?」

不安とともに、そんな思いが湧いてきた。だが、こう思い直した。

「いや私にはここで築いた生活がある」

「私にはここで築いた生活がある」

つくばに来て11年がたつ。群馬の両親も年齢を重ね体力が落ちた。実家で両親の介助を受けるのは心配だ。そして何より、親元を離れて来たつくばには、友人や地域の人と送る生活と仕事がある。それは自分が周囲と関わり築いてきた、代わりの効かない居場所なのだ。

「住み慣れた街で、いつも通りの生活をしたいと思っています」

コロナ禍にあって川端さんは、そう話す。

そして、ライターとしてこれから伝えていきたいことをこう話す。

川端さんの自宅にて

「障害者が特別な人じゃなくて、普通の人なんだって思ってくれたらいいなと思ってます。テレビで取り上げられる『頑張っている障害者』ばかりじゃない。私たちも普通の人なんだっていうことを伝えたいと思っています」 (柴田大輔)

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