金曜日, 11月 1, 2024
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《邑から日本を見る》68 あな恐ろし、この日本という国

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【コラム・先﨑千尋】朝令暮改、二転三転、猫の目のような、独断専行、成り行き任せ、支離滅裂。今の安倍政権のやっていることを見ていると、このような言葉が次々に浮かんでくる。「君子豹変す」や「過ちては則(すなわ)ち改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」という言葉もあるが、新型コロナウイルスの蔓延に対して、素人目にもわかる慌てぶりを露呈するこの政権。学校の突然の全国一斉休校からマスクの全戸配布、10万円一律給付への転換等々がそれだ。

極め付きはこの22日から始まった「Go Toトラベル事業」。コロナウイルスの感染拡大で落ち込んだ景気を回復させる起爆剤として、当初は8月1日から始める計画を前倒しして始めた。しかし、初日に国内の感染者が800人近く出て、1日当たりではこれまでの最高を記録した。

この事業も土壇場で東京都発着は除外した。国に反発する小池知事への意趣返しでしかない。キャンセル代金を当初は出さないと言っていたのに、すぐにひっくり返す。どのホテル、旅館に泊まれば割り引きされるのか、どの乗り物ならいいのか、まだわからないとか。

小池知事は「この事業を今始めるのは、アクセルとブレーキを同時に踏むこと。外出を控えて」と言い、菅官房長官は「都内の感染者が多いのは都の責任。感染防止策を取れば大丈夫」と言い放つ。政権与党からも批判が多いこの事業が、感染者が増えつつある中でどう進展していくのかは現時点ではわからない。

私は前に「平時の時、首相や自治体の首長は誰でも務まる。しかし、重大な事件・事故、問題が起きた時、誰がトップかによって事態は大きく変わる」と書いた。1999年の東海村でのJCO臨界事故をいま思い起こしている。国も県も右往左往している時、村上達也村長は「責任はオレが取る」と言って、周辺住民を避難させた。

学校突然休校、黒川問題、コロナ会議廃止

翻って今。「責任を痛感している」と言い続け、責任を取らないで来た安倍首相。その安倍さんってどんな人なのかを知りたくなった。毎日新聞の吉井理記記者の「なぜ首相は『痛感』した責任をとらない? 安倍流処世術、軽さの原点」(7月12日)、野上忠興「安倍晋三 沈黙の仮面」(小学館)、毎日新聞取材班「公文書危機—闇に葬られた記録」(毎日新聞出版)を読んだ。

「しれっとウソをつく。気が強くわがまま。反対意見に瞬間的に反発する自己チュー(自己中心的)タイプ。政治家として必要な情がない。自分を成長させる学習能力の欠如」等々、責任を取らない安倍という人の表裏が伝わってくる。安倍個人の問題なら別に構わないが、首相となるとそれでは困る。

森友問題で文書改ざんさせられた赤木敏夫さんの遺族から出された、改ざんの経過をはっきりさせるようにという裁判が始まったが、「公文書危機」は、安倍首相を支える国そのものが劣化し、危機的状況にあることを知らせてくれる。

桜を見る会、学校の突然の休校、黒川検事長問題、コロナ対策の専門家会議の突然の廃止など、国民にはわからないことだらけだが、トップだけでなく、国の機構そのものがおかしくなっていることを知ると、うすら寒くなる。「民は之(これ)に由(よ)らしむべし、之を知らしむべからず」という『論語』の言葉が今でも生きている。(元瓜連町長)

《霞月楼コレクション》4 永田春水 土浦に始まる戦後美術復興の先導者

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霞月楼

対を成す郷土美術界の双璧

【池田充雄】色紙2枚を貼り交ぜた額が霞月楼にある。左の小川芋銭作は堂々たる雄の軍鶏(しゃも)のようで、右の永田春水作はその幼鳥にも見える。それぞれ時期も作風も異なるが、戦前・戦後の茨城画壇を牽引した2人の作品が肩を並べるのは、奇遇というか象徴的だ。

小川芋銭・永田春水の色紙額装 霞月楼所蔵

父母への恩愛を雅号に刻む

永田春水は1889(明治22)年、北相馬郡相馬町(現取手市藤代)に生まれた。本名良亮。幼少から画才を現わし、取手市宮和田の三軒地稲荷神社には12歳時に奉納した絵馬が残る。

50歳当時の永田春水=書籍「時の人」(1939年、イハラキ時事社)掲載、国立国会図書館ウェブサイトより転載

1907(明治40)年、県立龍ケ崎中学校(現竜ケ崎一高)を卒業後、一家で上野池之端へ移る。永田家は大地主で父は町会議員も務めたが、息子が一人前の画家になるまで故郷の地は踏まぬと、田畑も売り払う決意の上京だった。同年荒木寛畝に入門。寛畝からは「筑畝」の号を授かったが、父・清太郎、母・春への恩義から後に「春水」と改めた。

1913(大正2)年、東京美術学校日本画科を卒業し、国華社に入社。雑誌編集や古画研究に従事する一方、1916(大正5)年の第10回文展に「露のひぬま」で初入選。1920(大正9)年には大英博物館で敦煌発掘仏画の模写に携わるほか、欧州各国を訪ねて見聞を深めた。

本邦を代表する日本画家に

帰国後は帝展で活躍し、1921(大正10)年の第3回展から6度の入選を重ねた。第10回の「薫苑麗日」と第11回の「雪晴れ」で2年連続の特選。以後無鑑査となり、1936(昭和11)年からは文展審査員を務めた。茨展では1923(大正12)年の第1回から入賞、第3回から無鑑査、第8回から審査員。

海外での評価も高い。1924(大正13)年の日華連合展では国賓として北京に招かれ、出品作は袁世凱中華民国大統領が買い上げた。第6回帝展出品作「花柘榴・立葵」はフィラデルフィア万博に出品され、同地美術館に収蔵。前出の「薫苑麗日」は日本政府がロンドン大使館へ寄贈。皇室にも多くの絵を献上している。

「春暉暁艶」1926年 絹本彩色軸装(対幅)各210×165cm 第7回帝展入選 茨城県近代美術館所蔵

後進の育成にも励み、1930年頃に「如春会」を設立。同郷の寺田弘仭や根本正らも東京・大塚の春水邸で学んだ。1939(昭和14)年には東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大)の日本画講師を拝命した。

県南美術協会副会長に就任

戦災で東京を離れた春水は1947(昭和22)年、藤代の生家に戻り制作に従事する傍ら、郷土の美術再興にもさまざまに尽力した。

当時、中央で活動していた作家らの帰郷により、各地で美術活動が活発化していた。急先鋒は土浦で、1947年に福田義之助や一色五郎らの呼び掛けで第1回土浦市展が開催され、それを核に茨城県南美術協会が発足。会長は土浦市長、副会長は春水ほか1人、会員は洋画が服部正一郎、鶴岡義雄ら52人、日本画が小林巣居人(当時巣居)、浦田正夫ら25人、彫塑・工芸が中島敦、古宇田正雄ら10人。1949(昭和24)年に第1回展を開いた。

1950(昭和25)年に県展が始まると春水は第1回から審査員を務め、1955(昭和30)年に東京・吉祥寺へ転居しても、1962(昭和37)年の第17回まで継続した。1970(昭和45)年に82歳で世を去った後、1973(昭和48)年の第8回県芸術祭で永田春水賞が創設され、小林恒岳が第1回受賞者となった。

丹念な写生を作品へと昇華

「青げら」1963年 絹本彩色額装 66×70cm 世界鳥類画展出品 茨城県近代美術館所蔵

春水の真骨頂は花鳥画で、特に鳥は数・種類とも多く描いた。1963(昭和38)年ロンドン開催の世界鳥類画展には日本代表として6点を出品し、「雉子」ほか2点は英国政府買い上げとなった。

作品はいずれも丹念な写生に基づくが、「ただ、あるがまま、観察したままを描いたのでは写真になる。それから更に昇華させるのだ」とも語っている。

取手市在住の日本画家で春水に詳しい大畑久子さんは「写生によって筋肉や骨格などの基本的な構造と、正しさや美しさを理解しており、それをデフォルメせず、科学的に嘘はつかず、でも一部は省略しながら、表現として描いている」と説明する。

実際に写実には厳しい人だったようで、寺田弘仭はスケッチを何十回と描き直させられたという。写生の中には、通常は絵にしない鳥の腹部や羽根の裏側までも詳細に写し取ったものもある。

春水の遺品は10年ほど前に市場へ流れ、つくば市の古書店がまとめて引き取った。巻紙の下図や和綴じの画帳、スケッチブック、少年時代の習作などが段ボール10箱分ほどあり、早急の保全と研究が願われる。

取材協力・参考資料 茨城県近代美術館▽取手市文化芸術課▽文化工房ふじしろ▽ブックセンターキャンパス▽「土浦文化活動史編集資料」(1980年、土浦文化活動史編集委員会)▽「藤代の歴史散歩」(2000年、藤代町)▽「藤代町史暮らし編」(2005年、藤代町史民俗調査員会▽図録「故郷を愛した作家たち」(2014年、とりでアートギャラリーきらり)

シリーズ協賛 土浦ロータリークラブ 土浦中央ロータリークラブ

《食う寝る宇宙》66 宇宙開発現場の言霊信仰

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【コラム・玉置晋】宇宙開発は科学技術の塊(かたまり)であることは言うに及びませんよね。その中で、僕は人工衛星の運用に関わる仕事をしているのですが、面白いことに非科学的な伝承がいくつかあるので紹介しましょう。

言霊(ことだま)とは「言葉には霊的な力があり、声に出した言葉が現実の事象に対して何らかの影響を与える。良い言葉を発すると良いことが起こり、不吉な言葉を発すると凶事が起こる」ということです。

これは、人間の社会では、あながち間違っているとは思いません。1人から発せられた信憑(しんぴょう)性の怪しい情報が人々に伝播して、国家的な意思決定に影響して、紛争や戦争につながることもありますよね。だから、言葉は慎重に発せねばなりません。

人工衛星運用の現場における凶事とは、衛星が通常とは異なる状態になることです。現場では、不明事象とか不具合が発生したと表現します。最悪の場合、人工衛星が失われることもあり、現場の先輩方はこれを経験してきました。だから、現場で不具合に関する話をすると、ベテランの先輩方から怒られます。

不具合を語る「軌道上技術評価」

ところが、僕は「宇宙天気防災」を専攻しています。宇宙天気は人工衛星の不具合を発生させる疫病神のようなものですが、宇宙天気が世の中に普及するには、その被害を明らかにする必要があります。僕は、衛星運用の中でも「軌道上技術評価」という仕事に取り組んでいます。

人工衛星の健康状態を評価し、いち早く不具合の兆候を見つけ出すのがミッションです。ゆえに、仕事として不具合を積極的に語る必要があります。不具合の情報というのは、本来であれば科学技術の発展のために、人類の資産として共有されるのが望ましいでしょう。

しかし、現実は、技術情報の開示制限がありますし、事故発生時の責任所在など、大変機微(きび)な話となります。言霊信仰は信仰に収まらず、現実のものなのです。

人工衛星の運用はシフト勤務です。一定の時間で労働者を交代させ、休みなく現場を稼働し続ける体制です。人工衛星の運用は昼夜を問わず継続されますので、こういった勤務体系がとられます。そうなると、運悪く不具合に当たる人がいるわけです。しかし、現場では、同じ人が何度も不具合に当たるという伝説が生まれることがあります。

これに関しては、かつて単位時間当たりの不具合遭遇率を計算した結果、概ね平等であることを確認していますので、衛星運用者の方は安心してください。(宇宙天気防災研究者)

医療・介護職員に慰労金 28日県議会 459億円補正を提案

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茨城県庁と県議会議事堂

【山崎実】茨城県は28日、県議会臨時会を開き総額459億4700万円の補正予算案を提案する。新型コロナウイルスに関わる医療従事者や介護・障害福祉施設職員に対する慰労金支給、医療機関に対する感染拡大防止対策や診療体制確保への補助などが柱になる。

医療供給体制の整備強化は278億7100万円と補正予算の半分を占める。医療従事者への慰労金は重点医療機関とその他医療機関にメニューを分けて支給する。介護・障害福祉施設職員への慰労金もサービスの種類に応じて支給する。ほかに医療機関への支援として、新型コロナ感染拡大防止や院内感染防止対策に要した設備や費用、病床を確保した費用を補助する。

さらに生活福祉資金の貸し付け原資等の助成に126億8700万円、観光客誘致や新型コロナの影響が長期化する中でも、新たな事業分野に進出したり挑戦する中小企業を資金繰り面から支援する中小企業新分野チャレンジ支援事業など、県内産業の活性化対策に53億8900万円を計上する。

テレワーク移住促進へ

ウィズコロナ時代の新しい働き方の一環として「茨城テレワーク移住促進」事業を推進していく。時間や場所にとらわれないテレワークの普及を機に、移住を考えている人を対象に県内への移住を促進するのが狙い。

移住情報や市町村が行う移住関連施策をまとめて発信するサイトを作成するほか、移住メディアなどを活用したPR事業を実施する。また自然景観や都市の利便性など地域特性、魅力を生かした移住推進事業の提案を市町村から募集する。

支援の具体的内容は、市町村企画提案に対する補助で、5市町村で上限500万円を予定している。事業期間は10月から来年3月まで。市町村名は明かさないが「反応はある」(県計画推進課)という。

疫病退散! 先人の祈りと行いを紹介 土浦市立博物館

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疫病をはらう神を描いた掛け軸や五月人形などを紹介する学芸員の野田礼子さん=土浦市立博物館

【鈴木宏子】「病魔退散!」と題した特集展示が23日から土浦市立博物館(同市中央)で始まった。新型コロナウイルスの感染拡大が続く中、昔の人たちは疫病にどう対峙してきたのか。江戸時代から現代までの絵図や日記、人形、掛け軸などを展示し、先人たちの祈りと行いを紹介している。

江戸時代後期、疫病をしずめるため土浦の城下町を練り歩いた八坂神社祇園祭の絵図や、中国から伝わった疫病をはらう神「鍾馗(しょうき)」を描いた掛け軸など、疫病にまつわる同館の収蔵品12点が一堂に紹介されている。

絵図は市指定文化財「土浦御祭礼之図」。土浦城の鎮守で、疫病をつかさどる神、牛頭(ごず)天王をまつる天王社(現在の八坂神社)の行列を描いた絵図で、土浦城下で流行した疫病をしずめるため城下に迎えた病をはらったとされる。併せて土浦出身の商人で国学者の色川三中(みなか)が、当時の様子を記した日記「家事記」も紹介している。

「鍾馗」の掛け軸は、江戸時代の土浦の地理学者、沼尻墨僊(ぼくせん)が描いたものも展示されている。

ほかに県指定文化財で、笛や太鼓を奏でながら村を回り、天然痘を流行させる疱瘡(ほうそう)神をしずめ、村の外に送り出す、同市田宮地区の「疱瘡ばやし」のビデオ映像なども上映されている。

学芸員の野田礼子さんは「新型コロナで先がなかなか見えず不安な気持ちがある中、病に向き合った先人たちについて知っていただくことで、病を正しく恐れるという気持ちにつながっていけば」と話している。

特集展示「病魔退散!」は8月23日まで。2階の展示室3入り口に展示されている。

市指定文化財「土浦御祭礼之図」㊨と、当時の様子を記した色川三中日記「家事志」=同

90年前も手洗い励行

ほかに2階展示室には、1934年の土浦尋常高等小学校(現在の土浦小学校)で小学生が各学年ごとに学ぶ「衛生」を一覧表にした資料なども展示されており、90年前も今と同様、手洗いの励行が最も奨励されたことが分かる。

新型コロナウイルス感染拡大により同館では、ホームぺージ上で展示品を解説する「おうちもミュージアム」を実施しており、土浦尋常高等小学校の展示は動画「はやり病から命を守る」で紹介されている。

同館では併せて、身近な歴史を楽しむファミリーミュージアムの一つとして、収蔵品展「先人たちのうでくらべ」が開催されており、江戸時代の相撲や力石による力試しなどが紹介されている。

◆開館時間は午前9時から午後4時30分。入館料は一般105円、小中高校生50円。休館日は月曜など。問い合わせは電話029-824-2928(同館)。

【夏の高校野球県大会】6日目 常総学院届かず、土浦日大は初戦突破 

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【土浦日大-東洋大牛久】5回表2死一・二塁、走者・中島を本塁上で刺殺しゲームセット。捕手・菅野=J:COMスタジアム土浦

2020年夏季県高校野球大会は6日目の24日、4球場で2回戦の残り2試合と3回戦8試合が行われた。ノーブルホームスタジアム水戸で3回戦の常総学院は多賀の神永投手を打ちあぐね、序盤の失点を挽回できずに敗退、土浦湖北は常磐大高に打ち勝った。J:COMスタジアム土浦では、雨で順延が続いていた土浦日大がようやく初戦を迎え、東洋大牛久にコールド勝ちした。

【常総学院―多賀】力投した常総学院の菊地竜雅=ノーブルホームスタジアム水戸

常総打線に遠い3点目

【崎山勝功】常総学院は市村大翔が先発、3回から遠藤孔太に交代したが、2失点を喫して菊地竜雅に再度交代。しかしさらに1点を加えられ、試合の流れを持っていかれた。

試合終了後の取材で涙ぐみ声を詰まらせる、常総学院の中山琉唯主将=同

4回以降は菊地と、9回に登板した一條力真の力投で多賀打線を抑え込んだが、打撃陣が振るわず。9安打したものの、多賀の打たせて取る守備の前に得点につなげられない。7回に辛うじて1点、8回裏には代打・三輪拓未の二塁打などで2点目を返したが、最後まで追い付くことはできなかった。

菊地と一條、超高校級投手2人を擁し優勝候補筆頭と見られていた常総学院だが、番狂わせの展開で姿を消した。3回から8回まで力投した菊地は「指先とかの感覚は戻っていたけど難しかった」と語った。

中山琉唯主将は「打ち切れなった自分たちの力不足」と答えたものの、「3年生をああいう形で…、返せなかったのが悔しい」と言葉を詰まらせた。

佐々木力監督は「投手はスタミナの心配をすればいいだけに戻ってきたが、打者の方は、つなぐべきところで淡泊なバッティングになるなどの場面が試合の前半から中盤にかけて見られた。回が進むにつれプレッシャーになったのでは」と振り返った。

9回再逆転で土浦湖北

【崎山勝功】土浦湖北は、追いつ追われつの打撃戦の末、逆転勝ちを収める波乱の展開だった。2回に2失点したものの、4回に川下大輝の二塁打で同点に追いつき、5回大坪誠之助の二塁打で、6回は大隈聖蓮の二塁打などで4-2とした。しかし7回裏に2ラン本塁打などを浴び4失点。先発投手の大坪から三浦克輝に交代した。

【土浦湖北―常磐大】9回裏、福田雄大の二塁打で生還した大坪誠之助=

三浦が常磐大打線を抑えると、湖北の打撃陣が奮起を見せた。9回2年生の福田雄大の二塁打を皮切りに、荒木嶺臣の二塁打と佐藤武琉の三塁打などが続いて、一気に5点を奪い、試合の流れを最後でものにした。9回裏は大坪が再登板し、盗塁阻止と2三振で締め、勝利した。

小川幸男監督は9回の攻撃について「四球2つの後、福田がよく打ってくれた。この1週間付きっ切りで見ていた子。あの1本がものすごくラッキー」と手塩にかけた選手を称えた。

田中海斗主将は「自分が全然ダメで周りの選手に支えられた。逆転されてチームもテンションが下がったけど、気持ちを入れ直して、全員で声を出してチームが一つになった結果が、再度の逆転につながった」と振り返った。

力投した土浦湖北の大坪誠之助=同

大坪は「1番を背負っている以上、もっと点は防げたかな」と反省、9回裏の再登板の心境を「逆転して3点差だったので、しっかり3人で終わらせようと思った。四球でランナーを1人出してしまったので、その後は絶対に抑えるつもりで投げた」と語った。

1回1死二・三塁の場面でマウンドに上がり4回まで無失点に抑えた中川㊧、3回裏無死二・三塁、五十嵐の第2打席。右前へ2点適時打を放つ=J:COMスタジアム土浦

打線がつながる土浦日大

【池田充雄】土浦日大は1回表、東洋大牛久・唯根賢人の本塁打などでいきなり2点を失うが、その裏、3安打と敵失で3点を奪い逆転。3回には重盗など足をからめた攻撃で3点を追加し、4回には無死満塁から押し出し四球と4安打で6点をもぎ取った。コールド負けを避けたい東洋大牛久は5回表、チャンスをつくるが、安打から二走の本塁突入がバックホームで阻止され試合終了となった。

土浦日大の勝因は打線のつながり。1・2番が出塁し、3・4番が確実に返す。特に3番の五十嵐明斗主将は2安打5打点、4番の菅野樹紀は3安打2打点の活躍だった。「1打席目は緊張してひっかけたがランナーは返せた。2打席目は外の変化球を逆方向へはじき返し、3打席目はインコースをしっかり払うことができた」と五十嵐。「つなぐ気持ちで、きれいな当たりじゃなくてもヒットゾーンに転がすことができ、結果的に満足」と菅野。

土浦日大にとっては雨で2度の順延の末、やっと迎えた初戦。特に投手陣には難しさがあったようだ。この日2番手で登板した中川竜哉は「マウンドに上がったとき、スタンドに観衆がいないのは初めて。いままで感じたことのない雰囲気で、緊張して思うような球が投げられなかった」と胸の内を語った。

小菅勲監督は「大会のピリピリした緊張感を久しぶりに味わえた。失点は想定の範囲内。先制されて選手たちが追い掛ける気持ちになってくれた」と開口一番。日程の都合による3連戦にも「目の前の1試合1試合をやるだけ。大会ができることがありがたい」と余裕の表情だ。

《宍塚の大池》67 江戸時代の古文書にも「大池」の名

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大池堤防(左)と半溜の堤防

【コラム・及川ひろみ】宍塚大池は、3本の谷津が集まる所に堤防が築かれ造られた人工の池、水田耕作用(かんがい用)の水ため池です。江戸時代の古文書(宍塚村絵図、原図は国立史料館所蔵)に大池の名が載っていますが、いつ造られたのかは分かっていません。

宍塚には古墳が20基ほどあり、宍塚古墳群と呼ばれています。どれも、宍塚大池の北側にあり、大池を臨む高台にも数基あります。里山に隣接し、国指定遺跡の「上高津貝塚」があるなど、宍塚は古くから人の営みが続いてきた所です。大池は、江戸時代より前に造られたのかもしれません。

宍塚には「半溜(はんだめ)」と言う小字(こあざ)名があります。大池の堤防より下流の谷津に立派な堤防が築かれていますが、その堤防は「半溜の堤防」と呼ばれています。半溜の名の由来を地元の古老に聞いたことがありますが、大池からの水をその谷津の半溜堤防まで溜め、その水を使い果たすと大池の水を使い、半溜の田んぼはその後耕作が行われたということでした。

そのような水の使い方がいつごろまで行われていたかを古老に問うと、「俺は爺様(じいさま)から聞いたけど、爺様の時代にやっていたんではないぞなー、その前だべ」と。ご存命なら100歳をはるかに超える方の話です。大池から半溜の堤防まで水を蓄え、大池だけでは宍塚の田を潤(うるお)すことができないほど、広く耕作が行われていたのです。それにしても、半溜の堤防は立派です。

里山の粘土で築堤 今はピザ窯造り

昭和27~28年ごろ、大池の堤防が決壊し、宍塚の町では床下浸水した家屋もありました。この決壊を受け、宍塚の人たちは総出で、「ねんど山」と呼ばれる里山の一角から大八車で粘土を運び、修復したそうです。長さ50メートル以上もある大池の堤防がいつ築堤されたにせよ、便利で強力な道具や機械がない時代の堤防の造成は、大勢の人の力で成し遂げた大工事であったことは間違いありません。

宍塚の会では、この粘土山を地主の許可を得て掘ったことがあります。それほどきめ細かい、粘土らしい粘土ではありませんでしたが、確かに粘土。会では、その粘土をピザ用の窯(かま)や炭焼き窯を造るのに使いました。

窯は耐熱レンガを積み上げて造りますが、レンガとレンガの間には粘土を詰め、接着剤として使います。高温に耐える窯には粘土が必需品です。粘土の山は里山のどこにでもあるわけではなく、その一角にあるのみです。里山内の土壌の性質を理解し、言い伝えられてきたことが想像できます。(宍塚の自然と歴史の会代表)

【夏の高校野球県大会】5日目 タイブレークで霞ケ浦辛勝

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【霞ケ浦―総和工】10回裏、斉藤拓生の安打で生還した小勝亮央=笠間市民球場

2020年夏季茨城県高等学校野球大会は23日、4地区大会を勝ち上がった32校による県大会に入り、4球場で10試合が行われた。優勝候補の一角、霞ケ浦は打線が湿り総和工の粘りに苦戦、10回タイブレークで1点をもぎ取り辛勝した。J:COMスタジアム土浦で予定されていた3試合のうち2試合は降雨のため中止となり、地区大会2回戦のゲームを残す土浦日大(対東洋大牛久)の初戦は、24日に順延された。

(延長10回タイブレーク)

3年生打線が湿りがち

【崎山勝功】霞ケ浦は2回に斉藤拓生が二塁打を放つなど4点を先制したが、3回以降は沈黙が続き、6回には粘る総和工に同点とされた。霞ケ浦は先発の三浦彰浩から山本雄大に交代。山本は総和工打線をほぼ封じた。

3年生だけで打線を組んだ霞ケ浦は、9回に2年生の飯塚恒介を投入したものの得点には至らす、10回タイブレークに突入。斉藤のタイムリーに救われ、5-4で辛勝した。

6回表から力投を見せた山本雄大=同

山本は「打線の一本が出なくて苦しい試合だったけど負けずに勝ち切れた」と試合を振り返った。「自分が投げるからには雰囲気を変えて、ここからもう一回きちっとやって、最後点数を取って勝たないとと思った」と士気の鼓舞に苦心した様子。

高橋祐二監督は「タイブレークは何が起こるか分からない。十分負ける可能性があるので、その前に決着をつけないと思った。バッティングがあまりにもひどすぎて」と厳しい表情を見せた。

小田倉啓介主将は、今回の試合で2年生が出場したことについて「3年だけで(試合を)やりたいという気持ちもあったがしょうがない。そこが情けない部分の一つ」と心境を語った。

ジオパークの中核拠点施設構想示す 旧筑波東中跡地利用でつくば市

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地元説明会であいさつするつくば市の岡田克己公有地利活用推進課長=つくば市北条、旧筑波東中体育館

【相澤冬樹】つくば市は23日、旧筑波東中学校跡地利用に関する地元説明会を開催、筑波山地域ジオパークの中核拠点施設として利用する構想を示した。教育(展示室)、観光(案内所)、保全(事務室)の3機能を配置する計画案となっており、8月7日から1カ月間のパブリックコメントを経て、基本設計などの作業に入る。順調に進めば2023年5月のオープンを予定している。

説明会は、同市北条の旧中学校体育館に地元住民ら10数人を集め行われた。同ジオパークは、石岡、笠間、つくば、桜川、土浦、かすみがうらの6市で構成されるが、中核拠点施設は「財産管理の問題から」(市公有地利活用推進課)、つくば市単独で事業化する。

教育、観光、保全の3機能でつなぐ

今回説明されたのは、筑波山地域ジオパーク中核拠点施設基本構想・計画の案で、教室の一部を使う利用計画の考え方を示した。アンケートやワーキンググループの検討結果を踏まえ、まとめられた。

展示室ではジオパークの紹介のほか、体験や実験コーナーを設け、書籍や資料などのライブラリーも充実させる。案内所にはガイドが常駐、地域の観光情報を紹介するほか、ジオパーク認定商品の販売なども想定。事務室には同市ジオパーク室を置くほか、6市間の連携の場とする意図も盛り込んだ。

質疑では、交通アクセスや展示内容について意見が出された。「地理や地質と深く関わる防災教育も取り上げてほしい」「ジオパークには2000人ものサポーターがいるということだが地域の活動で顔が見えない」などの声があがった。

全国に43地域が認定されているジオパークは、継続に際し4年に1度、日本ジオパーク委員会(JGC)の審査を受けなければならず、筑波山地域も今年度、再認定の作業日程に入っている。新型コロナの影響で審査は21年1月以降にずれ込んだが、ここでも6市にまたがる運営体制の構築ともども、地元の盛り上げ機運の醸成が課題となっている。

中核拠点施設も再認定をにらみながらの整備となりそう。同基本構想・計画案に関するパブリックコメントは8月7日から9月7日までの予定で実施する。

筑波東中学校は秀峰筑波義務教育学校の開校(2018年4月)に伴い廃校となった。同市では筑波地区に10校ある小中学校の跡地の利活用について検討しており、市公有地利活用推進課によれば、これまでに旧筑波西中に広域通信制高校を誘致するなど4校(旧筑波東中は除く)の方針が決まっている。

耐震強度は十分に保たれている旧筑波東中学校の校舎

「はじまりの花火」24日打ち上げ つくば青年会議所

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「はじまりの花火」写真はイメージ(つくば青年会議所提供)

【山崎実】つくば青年会議所(神田哲志理事長)は、日本青年会議所と連携し、24日の「全国一斉花火プロジェクト」に参画し、打ち上げ花火を実施する。

「新しい日本をはじめようーはじまりの花火」と銘打った全国一斉打ち上げ花火で、いわゆる3密を回避するため、具体的な打ち上げ場所は公表しない。

24日は東京オリンピックの開会式が行われるはずだった日。大会が延期され、新型コロナウイルスもいまだに収束を見せない中、新しい考え、暮らし、働き、学び、買い方、遊び方など、新しい日常の出発を確認し合う全国規模の花火大会だ。

神田理事長(38)は「新型コロナウイルスの影響により様々なイベントが中止となる中、この夏には楽しみが無くなってしまうのではないかと懸念される。東京オリンピックも延期になり、希望の光が遠のいているようにも感じられる。そんな中、開会式の予定であった日に新たな日本を始める合図としまして全国一斉に花火を打ち上げます。これからの希望の光、ぜひ多くの皆様とともに夜空を見上げて楽しんでいただければ」とコメントしている。

◆24日は午後8時から約1分半、全国47都道府県の1~2カ所で4号玉3連発、スターマイン(2号玉35発、3号玉10発、4号玉5発)を打ち上げる。雨天・荒天時は中止の場合がある。

《ひょうたんの眼》29 コロナ禍で日本の観光を思う

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【コラム・高橋恵一】コロナ禍で疲弊した観光産業を救うためとして、補正予算で事業化したGo to キャンペーンが前倒しでスタートする。コロナ感染は収まらず、東京都への発着は補助金の対象にせず、若者や高齢者の団体は対象外、宴会もダメ。一方、感染者の再増傾向の東京通勤圏と大阪府は対象になる。東京都だから伊豆七島や小笠原は対象外、米軍基地からの感染の恐れがある沖縄への旅行は補助対象。

日本地図を横に置いて眺めると、いかにもちぐはぐな観光振興策である。第一、コロナウイルスは人間の作った都道府県境に規制されることは無いのだ。

近年、日本の観光は、政府の肝いりもあって、外国人観光客の受け入れ、インバウンドが盛んであったが、昨年、隣国同士のケンカで、韓国人観光客がほぼゼロになり、中国観光客も一時ほどの爆買いが減ってきたところにコロナ騒ぎで、欧米を含め、外国からの観光客は皆無になってしまったのだから、関連業界は大変深刻なのはわかる。増して、今頃は、東京オリンピックで日本中に観光客があふれているはずだった。

感染は人の移動に伴うものだから、観光地を抱える各地方は、それぞれの県内での観光振興を、政府のGo toキャンペーンに先行させる動きを始めたところであった。地元の観光を見直してもらう機会でもある。

石川県和倉の高級観光ホテルへ

感染騒ぎの始まる前、北陸にグループ旅行をした。和倉の高級観光ホテルへの格安パック旅行だったが、金沢で昼食くらいは贅沢をしようと、友人に勧められた老舗料亭で数千円のお膳を食べた。案内してくれたタクシーの運転手さんの話では、その店での夕食は2万円以上するとのことで、そんなに高い夕食を食べる客がいるんですかと聞いたら、観光客ではなく、地元のお客さんだそうだ。

北陸には、旅館も食べ物も値の張る高級品が多いのだが、客の半分は、地元3県の人が多いと聞いたことがある。本来観光というのは、地元の人に高く評価され支持されている物品・サービスが対象になるべきものであると思う。

インバウンド対応で、日本の伝統的なサービスを簡略化したり、格安料金で粗末な宿を提供したりする傾向がある。日本の観光を安売りして、品格を落としてはいけない。私達も、外国を訪れるときは、本物の外国を楽しみたいのだ。膨大な予算を使うGo to キャンペーンは、大手企画会社の手数料などに使うのではなく、本物の日本の観光を支えている観光業界の役に立てて欲しいと思う。

もちろん、全国移動ができるようにするには、感染拡大の最中ではなく、地方を感染に巻き込む恐れが無くなってから実施するのは当然であろう。(地図好きの土浦人)

つくば物産品セット申込開始 帰省自粛学生4000人に先着順

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つくば物産品セットの一例(つくば市提供)

【鈴木宏子】新型コロナウイルス感染防止対策の一つとしてつくば市が、帰省を自粛している学生にプレゼントする「つくばの物産品セット」の申し込みが22日始まった。先着4000人に3000円相当の物産品を無料で贈る。

加工食品など38種類の物産品の中から、ご飯のお供、酒とおつまみ、洋菓子、和菓子、つくばコレクションなどテーマ別に、4~6種類を組み合わせた詰め合わせセット7種類から、好きなセットを選ぶことができる。

筑波山麓の北条米、常陸牛焼肉丼の具、手作りフランクフルト、ヤーコン入りうどん、福来みかん果汁入りぽん酢、干しシイタケ、クッキー、せんべいなどが入っている。

帰省を自粛し、さらにアルバイト収入の減少などに見舞われた学生を応援し、併せて市内の加工食品生産事業者を応援するのが目的。

つくばを代表する物産品として市が認定した「つくばコレクション」の認定品や、つくば市物産会がつくば駅改札口前の物産館などで販売するお薦めの物産の中から選定した。

コメや調味料など生活必需品のほかに、洋菓子や和菓子などもあり、担当の経済支援室は「つくばの良さを改めて知ってもらえれば」と話す。

物産品セットのプレゼントは学生4000人のほか、経済的に苦しい就学援助世帯1000世帯に、計5000個を贈る。就学援助世帯への発送は20日から始まっているという。事業費は梱包や送料を含め計約2400万円。

学生の対象は、県外出身で市内に在住し市内の大学に通学しているか、市内出身(保護者が市内在住)で県外に住み県外に通学している大学生、大学院生、専門学校生など。

申込期間は22日から8月2日。市の専用フォームから申し込む。学生証や住民票の写しなどが必要になる。

霞ケ浦の風を待つ白い帆 土浦で観光帆引き船運航始まる

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風を待つ帆引き船=霞ケ浦の土浦市沖

【伊藤悦子】ワカサギ漁解禁の21日、土浦市沖の霞ケ浦で観光帆引き船の運航が始まった。この日は風が弱く、通常の半分しか帆が上がらなかったものの、同市所有の2隻の帆引き船「七福神丸」と「水郷丸Ⅱ」の白い帆が霞ケ浦に夏の訪れを告げていた。

霞ケ浦の帆引き船は、新治郡佐賀村(現かすみがうら市)の漁師、折本良平が1880年に考案したもので、もともとワカサギやシラウオ漁などに使われていた。帆は高さ9メートル、幅16メートルと90畳分もの大きさがあり、風を受けて船が動くしくみになっている。風がないと進むことができず、網も引けない。強風では転覆の恐れがあり、風速3メートル程度がちょうどいいという。霞ケ浦の自然とともに操業する船だ。

トロール船の普及で、1960年代半ばにはいっとき姿を消したが、現在は観光帆引き船として運航している。2018年3月には、「霞ケ浦の帆引き網漁の技術」が国の無形民俗文化財に選択されている。

観光帆引き船は、霞ケ浦総合公園からも見えるが、伴走の遊覧船に乗ると間近で見学することができる。市観光協会の大里雅司専務理事は、「遊覧船は新型コロナウイルス感染対策をしっかり行っている。例えばラクスマリーナ(土浦市川口)のホワイトアイリス号は、定員86名のところ40名に制限して密を避けている」そうだ。便ごとに毎回、船内のアルコール消毒を行っているほか、乗船、下船時も一人ひとりに手の消毒を求めている。

「晴れた日は、青空と筑波山を背景に帆引き船の白い帆が映える。霞ケ浦の自然のめぐみを体感してほしい」とアピールしている。

◆帆引き船の操業は、10月18日までの毎週土・日、祝日。遊覧船の運航日時や料金などの問い合わせは土浦市観光協会(電話029-824-2810)まで。

《県南の食生活》15 梅干し

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【コラム・古家晴美】例年だとそろそろ梅雨明けの時期だが、今年はどうなるだろうか。梅雨が明けると、今回取り上げる「梅干し」には不可欠の「土用干し」が待っている。保存食と言うよりも、要冷蔵の半生ものとして減塩あるいは蜂蜜漬けされた梅干しを購入される方も多いかもしれないが、自家用に手作りしている友人知人も結構いる。

しかし、そういう筆者は、オンライン授業の準備に振り回されたことを言い訳に、今年は作りそびれてしまった。作る年には、青梅を新聞紙の上に並べて完熟させてから作業に取りかかる。この時に部屋中に溢(あふ)れる甘い香りは、毎回、ささやかな喜びをもたらしてくれると言えば、手作りしている方の多くは頷(うなず)かれるだろう。

「梅干し」が文献に初出するのは、鎌倉時代中期の『世俗立要集(せぞくりつようしゅう)』だが、稲作技術と共に日本に伝わってきたのではないか、最古の料理書『斉民要術(せいみんようじゅつ)』に記述があり奈良時代後期には日本でも確実に作られていたのではないか、と諸説ある。(有岡利幸著『梅干』、法政大学出版局 )

安価で保存性が高く、庶民の日常食と思われがちの「梅干し」であるが、室町時代、禁裏(きんり)への献上品ともなり、16世紀後半には粥(かゆ)と共に天皇の朝食膳に上っていた。また、梅干しは僧の祝賀膳にご馳走として、あるいは禅僧や社家の人たちの贈答品として重宝されていた。

土用干し

『本朝食鑑(ほんちょうしょっかん)』(1697年)によれば、江戸時代になると、庶民も元旦には茶に梅干しを入れた「大福茶(おおぶくちゃ)」で新年を祝った。うどんを食べる時に、梅干しと胡椒(こしょう)が薬味として用いられる一方、醤油が普及する以前の調理料である「煎(い)り酒」にも、梅干しは削りかつお、古酒、たまりと共に欠かすことができない存在となった。

梅干しの作り方については、江戸後期になって『漬物早指南(つけものはやしなん)』(1836年)でようやく紹介される。完熟した梅の実を2時間ほど水に浸けて洗い、梅1斗に塩3升(30%)、紫蘇(しそ)を少々入れ、重石を載せ、14~15日置く。天気の良い日にカゴにあけて天日干しする。長く保存したい場合は、干してから夜は壺の梅酢に戻し、これを3日繰り返す。

今日の作り方と比べると、塩漬けした後に三日三晩、雨に当てないように天日干しし夜露に当てる「土用干し」、低塩分濃度(10~20%、長期常温保存は18%以上)、紫蘇(しそ)を入れるタイミングなど、少々相違点はあるものの、概ね共通している。

滝沢馬琴(たきざわ ばきん)は自ら沢庵(たくあん)と梅干しを大量に漬けていた。『馬琴日記』に、板張りの雨戸2枚に塩漬けした梅の実を広げて干したが、にわか雨が降り出して、取り込むのが間に合わなかったと悔しそうに記している。今年、梅を漬けていらっしゃる方々、くれぐれもにわか雨にご注意ください。(筑波学院大学教授)

ぐずつき気味の操業初日 霞ケ浦のワカサギ漁解禁

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初水揚げのワカサギは大漁とはいかなかった=土浦・沖宿漁港で古仁所さん

【相澤冬樹】霞ケ浦に夏本番を告げるワカサギ漁が21日解禁となり、霞ケ浦北浦周辺の漁港、船溜まりは未明の出港、早朝の初水揚げでにぎわった。しかし、土浦・沖宿漁港に戻った霞ケ浦漁協の元組合長、古仁所登さん(79)は開口一番、「去年の3分の1もねえや」とさえない表情。今季の滑り出しはお天気同様、ぐずつき気味となった。

濁る湖水、エサ不足?

沖宿漁港からはこの日午前3時ごろからトロール漁の小型船3隻が出港、日の出の午前4時40分ごろまで操業して、同5時過ぎには漁港に戻ってきた。古仁所さんの船は土浦入り対岸の美浦村木原沖に向けて網を入れ、操業してきた。帆引き船の時代から約60年続けているワカサギ漁師だ。

満杯なら約10キロ入るコンテナ6箱にワカサギを積んで戻ったが、「去年は箱にいっぱい15箱ほど獲ったから3分の1にもなんねえ」と嘆き節。魚体も全体に小さく、網にかかっていた大量のアメリカナマズまで小さめのサイズだった。

県水産試験場内水面支場(行方市)による事前の調査操業から、今季はエサとなるプランクトンの量が少なく、漁獲量への影響が懸念されていた。古仁所さんは「プランクトン以前に水が悪い。原因は分からないが雨が続いたせいか濁った状態になっている」という。

ワカサギが水にさらされる=土浦市沖宿

ワカサギは漁師の自宅庭先に持ち込まれ、水流で洗われて、サイズごとに選別、問屋に引き取られる。市場へは鮮魚のまま、あるいは煮干しなどに加工されて出荷される。

獲れたてをオンライン販売で

霞ケ浦(北浦含む)のワカサギ漁は例年21日解禁で、12月31日までを操業期間と定めている。全国の主要産地で夏場に漁を行うのは霞ケ浦だけ。今の時期のワカサギは脂がのり、不飽和脂肪酸のEPA(エイコサペンタエン酸)やDHA(ドコサヘキサエン酸)を多く含むことから、県霞ケ浦北浦水産事務所(土浦市)や漁協などは「ナツワカ」として売り込みを図ってきた。

17年、18年と100トンを下回る漁獲にとどまり、昨季は119トン(茨城県全体)に戻したものの、北浦が「極度の不漁」を記録して、今季の動向が注目されていた。操業初日の成績が漁期全体を占う試金石となる。

県霞ケ浦北浦水産事務所の調べだと、この日操業した漁船は霞ケ浦(西浦)99 隻(前年136 隻)、北浦19隻(同29 隻)だった。聞き取りによる1隻当たりの漁獲量平均は霞ケ浦で45.6キロ(前年143キロ)にとどまった。北浦はさらに落ち込み、平均10.5キロ(前年19.4キロ)で、漁獲ゼロの船もあった。

ワカサギ漁解禁日の操業風景=県霞ケ浦北浦水産事務所提供

解禁日には例年、漁師らでつくる霞ケ浦水産研究会が行方市の観光物産館でイベント『ワカサギ解禁市』を開催し、天ぷらに揚げて振る舞ったり、生ワカサギの販売などを行ってきたが、今年は新型コロナの影響で中止となった。

このため、代替でオンラインによる『ワカサギ解禁市』を初開催する。操業日に生ワカサギを500グラム1000円(税込み、送料別)で販売するもので、出荷できる日は21日・27日・28日・30日・31日の5日間の期間限定。クール便による配送で販売地域も限定となる。

詳しくは「ポケットマルシェ」霞ヶ浦漁協のページ。電話0299-55-0057

伝統文化団体に出演依頼を 県がリスト作成

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「茨城の伝統文化団体リスト」

【山崎実】茨城県は、県内各地で活動している伝統文化団体を紹介するパンフレット「茨城の伝統文化団体リスト」(A4判カラー、44ページ)を作成し、イベントや催事の主催者などに出演を検討してもらうなど活用を呼び掛けている。

伝統文化の担い手不足が懸念される中、各団体が日頃の活動の成果を発表する場をつくり、県民に伝統文化に触れる機会を提供して、担い手の確保と育成に努めるのが狙い。

パンフレットは、県内などで開催される各種イベントや催事への出演を希望している「お囃子(はやし)」「踊り」「太鼓」など95団体を掲載している。

お囃子、踊り、太鼓、琴・三味線など11分野に分け、各団体ごとに歴史や概要、活動内容を紹介しているほか、発表場所(施設)や発表可能時期、発表対象、謝礼など、出演する場合の希望条件も紹介している。

つくば市からは、お囃子の「吉瀬三日月囃子保存会」と「六斗ばやし保存会」、太鼓の「常陸乃国ふるさと太鼓会」と「琉球國祭り太鼓茨城支部」、三味線の「津軽三味線福静会」、琴の「ふたつ葉会」、茶道の「筑波学院大学表千家茶道部」「筑波大学茶道部和敬静寂社」、華道の「筑波学院大学華道部」、大道芸の「筑波山ガマ口上保存会」の10団体が紹介。

土浦市からは、踊りの「久美浦会日舞子供体験教室」「櫻川流江戸芸かっぽれ后希会」「穂踊会」「美重の会」、太鼓の「亀城太鼓」、琴・尺八の「土浦三曲会」、民謡の「民謡天心会」、市指定無形民俗文化財、木遣(きやり)の「土浦鳶職組合」の8団体を紹介している。

イベントや催事などの主催者が、パンフレットに掲載されている伝統文化団体に出演を依頼したい場合、県が仲介を行うが、具体的な発表内容や謝礼などについては当事者間で行う。

パンフレットは、市町村、観光協会、旅行会社などに配布されており、県は「伝統文化をイベント、催事だけでなく、おもてなしにも生かしてほしい」と利活用に期待している。

◆問い合わせは県生活文化課(電話029-301-2824)

《法律かけこみ寺》20 大量の雨が―おお!おお!おお!

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土浦市文京町の神龍寺山門(写真は本文と関係ありません)

【コラム・浦本弘海】「大量の雨が―おお!おお!おお!」「ちょっと、伯父さん落ち着いて」。伯父からの突然の電話。しかもなにやら大慌てです。

「落ち着いてもなにも、隣地から雨水が流れ込んできて困っているんだ! お隣さんの雨水浸透桝(うすいしんとうます)が詰まったようで」「薄い新トーマス? 『きかんしゃトーマス』の親戚じゃありませんよね」

どうやら事故や災害ではないようで安心しましたが、耳慣れない言葉が。

「なんだ弘海くん、弁護士なのにそんなことも知らないの? 雨水浸透桝というのは―」

伯父によれば、雨水浸透桝とはその名のとおり雨水を地中へ浸透させる設備で、雨水を直接、排水路や側溝に流せない場合に役立つことはもちろん、地下水の涵養(かんよう)や冠水などの水害軽減にも寄与するようです。きかんしゃトーマスとは無関係でした。

一方で、定期的に清掃をしないと目詰まりを起して十分な浸透効果が得られず、桝から雨水が溢れることがあるとのこと。伯父の話によると、隣地の所有者は不在地主で地所の管理に熱心ではないようです。

そこで、隣地の所有者にまずは清掃をお願いするにしても、法的にどうなっているのか確認したくて連絡したとのことでした。

水流に関する工作物の修繕

ところで、本コラム9(2019年8月20日付)では隣家から木の枝や根が自分の敷地に入ってきた事例を取り上げました。そこで出てきたのが民法の相隣関係(隣りあった土地の間の法律関係を定めるルール)、今回も相隣関係のお話です。

ここでさっそく、今回のトラブルに役立ちそうな民法の条文をみてみましょう。

<水流に関する工作物の修繕等>
216条 他の土地に貯水、排水又は引水のために設けられた工作物の破壊又は閉塞により、自己の土地に損害が及び、又は及ぶおそれがある場合には、その土地の所有者は、当該他の土地の所有者に、工作物の修繕若しくは障害の除去をさせ、又は必要があるときは予防工事をさせることができる。

簡単に言えば、他人の土地にある貯水や排水、取水のための設備が壊れたり詰まったりしたせいで自分の土地に損害が出たり出そうなときは、設備を修理したり障害を除いたりしてもらえるということです。今回のケースで言えば、民法216条により伯父は隣地の所有者に対し、雨水浸透桝の清掃を請求できることになります。

なお、費用は原則として他の土地の所有者(今回のケースでは隣地の所有者)ですが、民法217条によれば「費用の負担について別段の慣習があるときは、その慣習に従う」とされておりますので、場合によっては土地の所有者(今回のケースでは伯父)が負担することもありえます。

記録的な長雨が続いており、各地で災害も発生しております。みなさま安全には十分ご注意ください。(弁護士)

《吾妻カガミ》86 紙爆弾戦開始 つくば市長選

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】コロナ禍下の選挙は従来とは少し違った形になりそうです。前回コラム「つくば市長選 2つの風景」(7月6日掲載)で触れましたように、今秋のつくば市長選に意欲を示していた保守系現県議は、コロナ下では現職市長に比べ市民との接触面が少ない挑戦者に不利になると、出馬を断念しました。再選を目指す現職も含め、市長選では「密」が避けられない集会は抑えられ、印刷物で市民に訴える「紙爆弾」が多用されそうです。

反市長の「つくば市民の声新聞」

「コロナ・ハンディキャップ」を抱える反現市長グループは6月下旬、「つくば市民の声新聞」第1号を新聞への折り込みで配布、紙爆弾作戦を開始しました。この無料紙が推そうとしている候補が誰なのかは分かりませんが、同紙は五十嵐市長の2大失政(総合運動公園問題後処理の不手際、つくば駅前ビル「クレオ」再生計画の失敗)などのリポートを掲載、現市長にマイナス点を付けました。

また、五十嵐市長の退職金辞退については、①市長退職金は市の財政から直接支払われるわけではない②市が県市町村総合事務組合に払い込んだ積立金から支払われる③したがって市長が退職金を辞退しても市財政の節約にはならない―と解説、「子どものお遊びか?」と指摘しています。

現市長陣営の「Activity Report

同じ日、すでに出馬を表明している五十嵐市長の陣営も、活動報告「Activity Report」第5号を新聞折り込みで配布。こちらは現職の強みを生かし、つくば市の「新型コロナウイルス感染症対策」を特集しました。たまたまなのか、どちらかが相手の動きを察知したのか、よく分かりませんが、紙爆弾が同時投下されたわけです。

報告の内容は、計上した予算(経済対策5億円+市民生活6億円)を掲げ、「児童生徒の感染者を1人も出すことなく休校期間を終え、学校を再開」「70歳以上の高齢者の皆さまに5,000円分の商品券」「大規模医療機関に優先的に約14万枚のマスクを配布」「(事業者支援のため)応援チケットによる資金調達支援」など、コロナ対応を自賛しました。

印刷物はどちらに有利に働くか?

最近、選挙でもネット活用が話題になりますが、ネットの場合、スマホなどの利用者が情報を「読みに行く」必要があります。それに対し、印刷物は目の前に置かれますから、「読ませられる」メディアです。有権者が適度な数の市長選、しかもコロナで活動が制約されている環境下では、紙爆弾が持つ「破壊力」を見直す必要があるでしょう。

印刷物の配り方は、新聞折り込みだけではありません。郵便受けに入れるポスティング、自由に持ち帰ってもらうラック置き、駅前などで配る手渡し―など、多様な方法があります。活字の説得力を考えると、紙爆弾は、実績PRに終始する現職よりも、現職の問題点を突く挑戦者に有利に働くでしょう。反現職側に「ペーパー・アドバンテージ」?(経済ジャーナリスト)

【夏の高校野球県大会】常総、霞ケ浦 ようやく始動

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【常総学院―取手二】5回裏、得点に沸く常総学院ベンチ=J:COMスタジアム土浦

2020年夏季県高校野球大会は4日目の19日、4球場で2回戦11試合が行われた。J:COMスタジアム土浦では常総学院が取手二を6-0で2安打完封、霞ケ浦が土浦二を6-0で6回コールド勝ちと、いずれも優勝候補にふさわしい勝ち方。夏のエンジンがようやくかかり始めた。

3年生に配慮の起用も

【崎山勝功】常総学院は5回裏、吉成隼の左翼線への二塁打を皮切りに打線に火が付いた。続く陶山歩夢の適時二塁打などで2点を先制。6回裏には中山琉唯らが単打4本を重ね2点を獲得。7回裏にも飯田徹の二塁打などでダメ押しの2点を加え、6-0と大幅にリードした。

投手陣は、一條力真が7回途中まで1安打9奪三振と好投した後は、4投手に1アウトずつ取らせるなど「3年生の実績作り」も考慮した采配を展開。最後は菊地竜雅が自己最速を更新する152キロを出して締め、取手二に一切の得点を許さず完封勝ちを収めた。

主将の中山琉唯は「やっぱり5回からじゃなく、初回から打線がガンガン行かなくちゃいけない。今日の反省を生かして、次の試合ではしっかり準備して臨みたい」と振り返った。

先発の一條は最速148キロの直球のほか、「今日はカーブやスライダー、スプリットも決め球に使った」と多彩な球種を使い分け、「直球が抜けていたのでそこは修正したい」と次戦への改善点をあげた。

7回を好投した先発の一條と5回裏2死二塁、先制の適時二塁打を放った陶山

佐々木力監督は「コロナの影響でゲームから離れていたため、バッティングの仕上がりが今一つだった。相手投手の変化球が良く、なかなか得点が生まれなかった」と厳しい見方。その上で「大会をやらせていただける感謝でいっぱい。何もないまま卒業では、今後野球を続けたくても続けられない。1打席でも代走でも実績としてカウントされれば、推薦を受けられる子たちもいる」と3年生への配慮を明かした。

土浦二の松浦、好救援も

【崎山勝功】霞ケ浦は1回裏、先頭打者から4人が連続出塁し1点を先取。さらに伊澤誠の左中間三塁打が決定打となり、試合の流れをつかんだ。

1回裏1死満塁、伊澤誠が左中間へ適時三塁打を放つ

その後は霞ケ浦の先発・米島健斗と、1回途中からリリーフした土浦二の松浦快大が共に好投し、両者無得点が続く。だが6回裏に霞ケ浦が土浦二の3人目・堀越岳の乱調に付け込み、米島ら4人の単打などで6点を追加。結果10-0で6回コールド勝ちを収めた。

霞ケ浦の高橋祐二監督は「ゲーム展開として、4-0のままでいくのは危うい。1点動いたら野球は分からなくなる。勢いに乗って10点取ってしまうような、そういう点の取り方をしてほしい」と不満を示した。

小田倉啓介主将は「5回まで全然バッティングになっていなかった。最初の4点は相手にもらったようなものだし、最後の6点も決して自分たちで取ったとは言えない。今日は自分たちで上手く野球をすることができていなかった」と、反省点を示した。

土浦二の坂本武司監督は「霞ケ浦は県トップレベルのチーム。胸を借りるつもりで試合に臨んだ」と話す。スタメンには1・2年生も積極的に起用し、「力の差がある中で自分のプレーができたことは、今後に向けて大きな財産になったと思う」と語った。

試合は途中から投手戦の様相。土浦二の2番手・松浦㊧と霞ケ浦の先発・米島

2番手投手の松浦も2年生ながら、霞ケ浦打線17人を3安打無失点に抑え、「球速が上がらず、少しでも甘いと持っていかれるので、コントロールを意識して投げた。打たれなかったのはキャッチャーがタイミングを外してくれたから」と捕手・堀越のリードを讃えた。

《沃野一望》17 伊東甲子太郎の1 新選組加盟

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かすみがうら市志筑方面から望む筑波山

【ノベル・広田文世】

灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼
我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて

天保六年(1835)、関八州を鎮(しず)める名峰筑波山の東麓、常陸国志筑(しづく)村(現かすみがうら市)に、旗本本堂家家臣鈴木専衛門の二男として、鈴木大蔵という風雲児が、呱々(ここ)の声をあげた。

幼いころに父が脱藩、村をでた大蔵は、水戸で文武の修練にはげむ。剣に冴(さ)え、文にすぐれ、眉目秀麗(びもくしゅうれい)、弁舌さわやかな才は、幕末という激動の時代のなかで、いつか激流の先頭を疾駆(しっく)する人物と嘱目された。

水戸での伝手(つて)をたよりに江戸へでると、水戸藩士金子健太郎の道場で北辰一刀流をきわめ、同時に、尊王攘夷を標榜(ひょうぼう)する水戸学に心酔してゆく。

北辰一刀流の技の極意は、いつか市中の評判となり、やがて、深川佐賀町に町道場をひらく伊東精一郎に見こまれ門弟となる。道場では、またたくまに師範代にまでのぼりつめる。さらに、道場の後継者として婿養子にむかえられ、はじめて、伊東性を名乗る。伊東大蔵。

これだけでも、ひとかどの立身出世のはずだったが、これに満足できず、満足させない時代の奔流が、江戸にも京にも渦巻いていた。

土方歳三と同格の参謀に

ある日、北辰一刀流の千葉道場で相弟子だった藤堂平助が、伊東道場を訪ねてきた。藤堂は京にあって、今をときめく新選組副長。

「近藤局長が人材をもとめ東下してきている。たっての願いを受けてほしい。新選組は、これからの世を切り開く隊だ。だが、現存隊員の力量は、とても満足できるものではない。剣の技量においても、隊をまとめる統率力においても、今の要員では、まったく不十分だ。ぜひとも貴殿の力を新選組で開花させてもらいたい。貴殿のもとで、多くの同志が語りあっていると聞く。その者たちともども加盟してもらえれば、重ね重ね歓迎だ。組内の処遇については、悪いようにはしない」

伊東大蔵にとって、願ってもない誘いだった。ここはひとつ、当座の主義主張はとにかく、いや、近藤勇や土方歳三などを論破し、彼らに尊攘思想を注入し、組織としての新選組を利用すればよいだけのかけひきだ。誘いに乗らぬ手はない。

元治元年(1864)、伊東大蔵は、道場で語りあった同志七人とともに、新選組に入隊すべく江戸深川佐賀町の伊東道場を去る。この年の干支(えと)は甲子(きのえね)。伊東は、新天地、京での飛躍を期し、甲子太郎(かしたろう)と名乗りあげた。

約束通り新選組では、新参八人のうち伊東甲子太郎を副長土方歳三と同格あつかいの参謀、篠原泰之進を諸士取調役監察、三人を伍長と、異例の厚遇でむかえいれた。伊東甲子太郎は、新選組という、飛躍の活動拠点を仲間とともに得た。(作家)