月曜日, 3月 10, 2025
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《霞月楼コレクション》10 山本五十六 真珠湾攻撃直前に届いた手紙

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霞月楼

【池田充雄】霞月楼2代目の堀越正雄・満寿子夫妻は、山本五十六の土浦での親代わりのような存在で、日頃から親身に世話し、転出後も交流が続いたという。

ある日2人の下に山本から手紙が届く。正雄が贈った成田山のお札への礼状だ。日付は昭和16年(1941年)12月5日。太平洋戦争開戦となる真珠湾攻撃の3日前で、北方航路では真珠湾に向けて機動部隊が進軍、山本が座乗する旗艦「長門」以下主力部隊は、退却支援のため山口県岩国市の柱島泊地に待機していた。

手紙にある「最後の御奉公に精進致し居り候」の文言が暗示的だ。もはや生きては帰らぬ覚悟を示したか。海外経験が豊富で彼我の国力の差を知る山本は、対米戦争にはもとより反対の立場だったとされる。1940(昭和15)年9月の近衛文麿首相との会談では「是非やれと言われれば半年や1年は随分暴れて御覧に入れるが、2年3年となれば全く確信は持てぬ」と答えていた。

霞月楼にある山本の手紙

航空軍備の重要性を認識

山本は1884(明治17)年、新潟県長岡市坂之上町に旧長岡藩士・高野貞吉の六男として誕生、当時の父親の年齢から五十六と命名された。日露戦争中の1904(明治37)年、海軍兵学校を卒業。翌年、装甲巡洋艦「日進」に配属され、5月27日の日本海海戦に参加した。砲弾の炸裂により左手の指2本を失い、左大腿部に重傷を負った。

その後は乗艦勤務を経て、海軍砲術学校教官や海軍省軍務局員などを務める。1916(大正5)年、旧長岡藩城代家老職の山本家を相続。1619(大正7)年、旧会津藩士の娘・三好礼子と結婚した。

1919(大正8)年4月から約2年間米国に駐在し、ハーバード大学で学ぶ。1923(大正12)年6月から9カ月間、ワシントン軍縮条約下の欧米各国の情勢を視察し、日本海軍の将来には航空戦力の充実が不可欠との信念を抱く。

断髪令で隊の風紀を刷新

1924(大正13)年9月1日、自らの強い希望により霞ケ浦海軍航空隊に赴任。12月1日に教頭兼副長(後に副長兼教頭)に就くと、初日の朝礼で号令台から総員を見渡し「下士官兵にして頭の毛を伸ばしている者は皆切れ。一週間の余裕を与える。終わり」と宣告した。

霞ケ浦航空隊は1922(大正11)年11月の創隊で、隊員の間では英国教官団の影響から長髪の者が多く、腕一本で空を駆ける職人気質と、命知らずのやくざ気質が表裏を成し、遅刻や脱営も日常茶飯事だったという。そこでまずは軍紀風紀の刷新に着手し、勘や名人芸に頼らぬ合理的な飛行技術の確立を目指した。

土浦在勤中の山本の住居は、「山本五十六伝」(朝日新聞社)によると長岡中学の後輩・大崎教信少佐が建てた家だそうだ。神龍寺(土浦市文京町)の参道右手、今は墓地がある辺りにあった。なお当時の参道は桜並木が覆っていたが、1938(昭和13)年の大洪水で枯死している。

神龍寺の秋元梅峯住職とは意気投合し、1925(大正14)年9月に土浦で最初の花火大会を2人の私費で開催した。目的は海軍航空殉難者の慰霊、2年前の関東大震災の犠牲者の追悼、不況にあえぐ土浦の商業振興、農業収穫への感謝など。これが現在の土浦全国花火競技大会の基礎となった。

ブーゲンビルの空に散る

連合艦隊司令長官になった頃の山本五十六

山本の霞ケ浦在任は1年3カ月で終わり、1926年(大正15年)1月から2年間、駐米大使館付武官を拝命。帰国後は空母「赤城」艦長などを経て、1929年(昭和4年)11月少将に進み、以後は海軍航空本部長や海軍次官などの要職を歴任。1939(昭和14)年に連合艦隊司令長官、1940(昭和15)年に大将となる。

1941年(昭和16年)10月に成立した東條英機内閣は、米英蘭3国に対する開戦方針を推し進め、11月26日に対米交渉が決裂すると、12月8日の真珠湾攻撃で戦端を開いた。山本率いる連合艦隊は、初期の南方作戦では良好な戦果を挙げたものの、翌年6月のミッドウェー海戦で大敗を喫し、以後戦況は悪化の一途をたどる。

1943(昭和18)年4月18日、東部ニューギニア・ソロモン群島での戦いの最中、山本は前線視察のためラバウル基地を飛び立つが、ブーゲンビル島上空で米軍機の待ち伏せに遭い撃墜された。享年59歳。

下半身像を56年ぶりに発見

山本には元帥の称号が遺贈され、同年6月5日に日比谷公園で国葬が執り行われた。また12月8日には土浦海軍航空隊(現陸上自衛隊武器学校、阿見町青宿)第1練兵場の号令台横に、コンクリート製の立像が建てられた。像の高さは3.6メートル、台座を含めると6.3メートルに達した。

1945(昭和20)年8月に終戦を迎えると、進駐軍の狼藉を恐れて、山本の像は胴から半分に切断され、霞ケ浦に沈められた。上半身は1948(昭和23)年に湖底から引き揚げて神龍寺に安置され、1952(昭和27)年に菊池朝三元少将らが海軍殉職者のための慰霊祭を開いた。菊池は山本の部下で終戦時の海軍総隊参謀副長。梅峯の長女と結婚し、1959(昭和34)年から12年間土浦市議を務めている。

1952年に神龍寺で慰霊祭が催されたときの記念写真

上半身像は1958(昭和33)年に生家跡の山本記念公園に移されたが、風雨による傷みから1970(昭和45)年に青銅の複製像に置き換えられた。原像はいま海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校、広島県江田島市)の教育参考館にある。

下半身像も湖底にあるものと考えられてきたが、2002(平成14)年の調査で台座近くの地中に埋まっていると判明。56年ぶりに掘り出され、雄翔館前に新しく建てられた山本像の台座下部に収められた。号令台横の古い台座には今、山本の揮毫による「常在戦場」の碑が置かれている。

予科練記念館「雄翔館」は1968年、陸上自衛隊武器学校内に開館した。正面の山本像は2004年の建立

●取材協力・参考資料
陸上自衛隊武器学校▽陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地▽土浦市立博物館▽神龍寺▽阿川弘之「山本五十六」(1994年新装版、新潮社)▽三和多美「海軍の家族」(2011年、文芸春秋)▽阿見町歴史調査委員「海軍航空隊ものがたり」(2014年、阿見町予科練平和祈念館)▽「霞月楼百年」(1988年、霞月楼)▽「阿見と予科練」(2002年、阿見町)▽阿見町民話調査班「爺さんの立ち話」(2003年、阿見町)▽「花火と土浦」(2018年、土浦市立博物館)▽常陽新聞2002年6月11日付▽長岡市山本五十六記念館ウェブサイト▽土浦商工会議所ウェブサイト▽ウィキペディア

シリーズ協賛 土浦ロータリークラブ 土浦中央ロータリークラブ

《沃野一望》21 正岡子規『水戸紀行』追歩(1)

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霞ケ浦と筑波山

【コラム・広田文世】
灯火(ともしび)のもとに夜な夜な来たれ鬼
我(わが)ひめ歌の限りきかせむ  とて。

明治22年、文科大学(現在の東京大学文学部)国文科に籍をおく学生が、寄宿舎のある本郷から水戸へ向け、徒歩で出立した。国文科の学友で水戸人の菊池謙二郎訪問を、ふっと思いついた。足にまかせ行ってみるかと、明治時代の学生は、気楽に歩きはじめる。

学生の名は、正岡子規。22歳。ただし正確には、この時点でまだ子規の号を名乗っていない。水戸から帰ったあと大喀血(かっけつ)し、「鳴いて血を吐く」子規を号することになる。しかしここでは子規、と使わせていただく。

子規は、水戸から帰ると発病、壮健だったときの旅の思い出を『水戸紀行』としてつづった。あのときは、元気だったなあと、回想している。

さて、その『水戸紀行』のコース。

東京本郷の寄宿舎を出立し、はるか前方に筑波山を遠望しての北千住、松戸、我孫子。我孫子の先で利根川を渡り茨城県に入り、取手、藤代、牛久と水戸街道を北上、土浦から石岡を経て水戸、さらに大洗にまで足をのばしている。帰路は、水戸線と東北線の汽車を乗り継ぎ(当時、常磐線はまだ開通していない)上野へ戻る4泊5日の日程の、ほとんどが徒歩だった。

子規先生、気負いなく歩きとおした。なかなかの健脚だ。病弱で知られ36歳の短命だったが、子規をふくめ明治初期の人の旅行は、まだまだ徒歩があたりまえの時代なのだ。

子規が歩いてから130

『水戸紀行』を興味深く読んだ。水戸街道歩き、馴染(なじ)みの地名のオンパレードに、よしそれならば私にも追歩できるかと、令和版我流『水戸紀行』に挑戦してみた。

子規は、「春十日許(ばか)りの学暇を得ければ」水戸へ向かったのだが、令和版は、正月前の年末休暇を利用することにした。

さて、令和版のコース。

ビールではないが、とりあえず、いや大きなビール工場のある取手から6号国道沿いに北上、土浦から石岡を経て水戸へ至り、その先、子規先生を追歩し大洗へ足をのばし、先生も眺めた太平洋の海岸まで、…、行けるか?

12月28日。

午前7時過ぎ、夜が明けたばかりのJR常磐線天王台駅に下車する。天王台駅は、千葉県我孫子市。ここから出立し利根川を渡り茨城県の南端からスタートする徒歩行を演出してみた。

天王台西口駅前からの直線路が、新興住宅街を貫通している。平日の通勤時間帯ならば、通勤通学の人波が足早にホームを目指す駅前通りだろうが、年末休暇の早朝で人影は見当たらない。もちろんこのあたり、子規先生の時代は、住宅など一軒も見当たらなかっただろう。思えば子規が歩いてから130年が経過している。景色も人も、どれほど変わったことか。

ともかく令和版我水戸紀行は、静穏なスタートとなる。(作家)

《茨城鉄道物語》7 TXの8両化施策に想う

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【コラム・塚本一也】今回はつくばエクスプレス(TX)の8両化について書かせていただきます。TXでは現在、車両を6両から8両へ増設する施策を実行しています。鉄道の増車というと、車両を連結するだけかというと、そうではありません。まず、車両の増設に合わせてホームを延伸しなければなりませんし、それに伴い、線路の改良、上家(うわや)の増築、出発信号の移設など、関連する工事がたくさん発生します。

しかも、工事は深夜の限られた時間内に施工しなければなりません。ゆえに、お金と時間が、一般の工事よりもかなりかかります。これは鉄道に関わる工事の宿命と言えます。

そこで、鉄道の新線を敷設する場合は、開業当時から将来を見込んで、ある程度の準備をしておきます。TXの場合も、ホーム延伸のための用地は確保してあり、線路も改良しなくて済むようにしてあります。また、ホームの床板を受ける桁を施工してある駅もありますし、なるべく省力化で対応でき、かつ過剰投資にならないような体制で開業しました。

開業後、順調に利用者数も伸びて、混雑緩和対策としての8両化が求められるようになりました。しかし、TX側の今の予定では、工期に10年かかるということであり、2030年の利用開始という説明です。これでは、あまりにも時間がかかりすぎます。鉄道事業で「旅客サービス向上」のための施策は、いつやるかというと、「今でしょ」という回答になります。

一斉老朽化を見据え今から準備を

私が在籍していたJR東日本でも、30年ぐらい前、「山手の11両化」という施策がありました。工事内容としては、ホームの延伸も線路の改良も含まれていましたが、29駅を2年ぐらいの工期で完了させたと思います。

当時は、混雑時に立席だけの車両を増設するということで、世間の注目を集めていた施策であり、決められた工期内に完了することが至上命令でした。そのためには、例えばクレーンを使わないで済むように軽量鉄骨を採用するなど、それぞれのセクションが知恵を絞りました。

TXによると、保守用工事車両の出入り口が限られており、工事間合いが確保できないために、工事に時間がかかるということです。しかし、点検や修繕などを主とする保守工事と、新たに鉄道設備を造る建設工事を同じ考え方で取り組むというのは基本的に間違っているような気がします。

例えば、建設用の仮構台を設けて資材の搬出入を効率化するとか、快速の停車駅だけを先行して開業するとか、旅客サービス向上のために最大限の努力をすべきです。

TXは開業後15年が経過しましたが、同じ時期に施工しているので、電気設備や信号設備などは間もなく一斉に老朽化の時期を迎えます。また、その他の駅舎や線路設備なども、ある時期に同じような劣化が発生することになり、その時には大規模な改良工事が必要になってきます。将来を見据えた施工体制を今から準備しておくべきと思います。(一級建築士)

コロナ禍、資金供給最大に 筑波銀行中間決算

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中間決算を発表する生田雅彦頭取=筑波銀行つくば本部

【鈴木宏子】筑波銀行(本店 ・土浦市、生田雅彦頭取)は13日、2021年3月期第2四半期決算を発表した。新型コロナに見舞われた半年間(20年4~9月)について、中小企業への貸出金が前年度末と比べ501億円増加するなど、預金、貸出金ともに中間期ベースの1年間の増加額としては、同行誕生(2010年)以来、最大となった。

預金は、個人の特別定額給付金(1人10万円)の入金のほか、地元中小企業の手元資金確保などにより大幅に増加し、前年度末比1427億円増の2兆3944億円になった。貸出金は、コロナ関連融資に力を注いだ結果、中小企業貸出金が前年度末比501億円増の7021億円、貸出金全体でも同比621億円増の1兆7478円となった。

貸出金は業種に関係なく万遍なく増えているという。一方、コロナ倒産は現時点で限定的だとしている。

生田頭取は「第1フェーズが(地元中小企業への)資金供給だとすると、資金供給のピークは過ぎた。これから第2フェーズとなる」とし、「これだけ膨らんだ融資を(企業は)今後、返済しなくてはいけないが、(収益が)元に戻っただけでは返済できない。元に戻して、プラスアルファの超過収益を得るためにどうしていけばいいかを一緒に考えないといけない」「販路拡大、業態転換、事業継承支援など、超過収益が得られるようビジネスモデルをつくらないといけない。できることはたくさんあるので、いろいろな手段を使いながらお客さんと向き合っていきたい」などと話した。

第2四半期の業績(連結)は、銀行本来の業務の収支である業務粗利益は、投資販売手数料や法人関連手数料の増加により役務取引利益は増加したが、有価証券利息配当金の減少により資金利益が減少したことなどから前年同期比12億2500万円減の141億800万円となった。

銀行の通常の活動から生じた利益を表す経常利益は、営業経費や与信関係費用の減少に加え、株式関係損益も改善したが、業務粗利益の減少により、前年度期比5700万円減の13億6500万円となった。

採石現場「石切山脈」へのプレミアムツアー 笠間に14日お目見え

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14日からプレミアムツアーが始まる笠間・石切山脈

【相澤冬樹】筑波山地域ジオパーク構成5市のひとつ笠間市に、地質年代的には6000万年以上、地表に表れてからでも120年以上という稲田石の採石現場「石切山脈」をめぐるツアーが、14日お目見えする。「茨城のグランドキャニオン」「地図にない湖」などとSNSで話題になったわが国最大級の採石現場を、専用ガイドと車でめぐる「プレミアムツアー」などが用意された。

ツアーは、現地で高級石材「稲田白御影石(稲田石)」の産出を行っている想石(そうせき、笠間市稲田、川畑真彦社長)が、新たに観光事業会社「U-A」社を立ち上げ、笠間名産の栗を使ったモンブランを石臼コーヒーで味わえるカフェの営業と合わせ、同日午前9時スタートする。

白い岩肌が染み出る水や雨水によって黒くすだれ状に変色した奥山の石屏風

稲田石は白い石肌が特徴の花崗岩で、日本橋や東京駅、国会議事堂など全国有数の建造物に使われてきた。その岩石帯は東西約10キロ、南北約5キロ、地下1.5キロに及び、日本最大という。露天掘りによる採掘は1899(明治32)年から始まり、岩肌が石屏風のように切り立つ威容から「石切山脈」の名がつくようになった。

想石社によれば前山と奥山の2カ所にある採石場のうち、良質の石が採れなくなった前山では2014年に操業を止めた。その跡地に貯まった水が「地図にない湖」を作り、今では水深16メートルにもなっている。断崖から見下ろし撮影した景色などがSNSを通じ紹介され、話題になった。

筑波山地域ジオパークの活動では生産現場が除外されるため、奥山での操業を続けている石切山脈はジオサイトに登録されてはいないが、2019年には見学に約2万人が訪れた。同社では独自に、観光事業会社を立ち上げ、有料化して紹介の充実を図った。プレミアムツアーに同行するガイドとして、地元青年会議所や商工会青年部のメンバーが協力する。

見学できるのは毎日午前9時から午後4時。料金(税込み)は大人300円、中学生以下無料。車両で奥山の石屏風などを見て回るプレミアムツアーは要予約(電話0296-74-2537)、大人1000円、中学生以下500円。運が良ければ、ダイナマイトを使用した岩盤の発破シーンにも遭遇できるかもしれという。

「U-A Cafeモンブラン」では笠間名産の栗ペーストを使ったモンブラン(カップサイズ1000円)や特注の石臼で挽いたコーヒー(300円)が提供される

《遊民通信》4 中心なき世界 アフター・コロナを生きる

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【コラム・田口哲郎】
前略
コロナ禍は現実社会をI Tネットワークの中に呑(の)み込みました。網の目に中心はありません。社会は「中心なき世界」の到来に直面しています。しかし、人間の歴史は中心をめぐる物語です。集中と集積が人類の進歩の証でした。例えば、首都という中枢都市は古代からあり、徐々に拡大し、近代になって大都市になりました。

我々が当たり前だと思っている大都市は、19世紀に出現した比較的新しい社会機構です。産業革命で飛躍的に工業化が進み、農村人口が都市に流入しました。工業は富を生み、巨大都市の住人の食い扶持(ぶち)をまかなえるまでになったのです。近代国家にとって巨大都市は自国の勢力を誇示する格好の装置でした。しかし、大都市の特権的地位もコロナ禍の前には無力かもしれません。

古代ギリシアの哲学者ソクラテスは、誤った思いこみである「ドクサ」に気をつけるよう人々に教えました。何でも中心に集めることが便利で効率的だという考えはドクサだったのではないでしょうか? 中心の周辺が肥大化し、中心に至るまでの過程と中心内の移動にムダやロスが多くなりすぎたのです。

それでも、私たちはついつい中心を求めました。ドクサが現実をつくり、その紛れもない現実が人々を真綿で締めつけていました。

自由ゆえの苦悩

中心が無ければ、ひとつのモードに縛られませんから、自由です。社会にゆとりが生まれるでしょう。良いことです。しかし、自由はただ気楽なものでしょうか? 自由には責任が伴い、往々にして不安を生みます。新しい生活様式では、ひとりひとりが中心にならざるを得ません。群衆のひとりだった私が中心になります。主役というものがどれほどの重責を担い、ストレスにさらされるか、私たちは知っています。

さらに、かつての中心は形を変えて人々を支配しようとするでしょう。ネットワークの隅々にまで入り込んで。支配というよりも管理と言った方がよいかもしれません。効率化されたICT(情報通信技術)管理社会で、各々は小さな中心として数々の選択を迫られるようになります。

こんな社会を予言していた人がいます。ニーチェです。「神は死んだ」で知られる哲学者は、神という中心がなくなった大衆資本主義社会に呼びかけました。人生はいわば一期一会なので、とにかく強い人間になろう、と。永劫回帰(えいごうかいき)と超人の思想です。

強くなることは頑張ることではありません。群衆のうちのひとりなら「頑張っています!」と言えば見逃されたものも、全員自らが中心になるのですから自己満足ではダメなのです。超人は自分の選択に揺るぎない確信を持ち、現実を創らねばなりません。過去でも未来でもなく今の創造です。

そんなの無理!と即答したくなりますね。でも、強くなる秘訣があります。新様式社会を生き抜くヒントです。紙幅がありませんので、それは次の便で。ごきげんよう。

草々(散歩好きの文明批評家)

桜川水害に備え代替警察施設 土浦署がつくば国際大と協定

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災害時協定を締結した坂井誠・土浦署長(左)と高塚千史・霞ケ浦学園理事長=つくば国際大学

【鈴木宏子】桜川の水害で土浦警察署(同市立田町)が浸水し使用できなくなった場合に備え、災害時に高台にあるつくば国際大学(同市真鍋)の一部を代替警察施設として使用する災害時協力協定が12日、同大学で締結された。

桜川の河口にある同市の中心市街地は、一帯が浸水想定区域に指定され、同署は想定できる最大規模の豪雨(48時間で746ミリ)に見舞われた場合、3~5メートル浸水する区域に立地する。

大学キャンパスは同署から2.2キロ北の高台にあることから、昨年10月の台風19号を機に両者で協議が行われてきた。

国道6号バイパス沿いの高台に立地するつくば国際大学

桜川の水害などにより土浦署の施設が使用不能となった場合、大学のラウンジ棟、学生食堂、体育館と駐車場が、同署や派遣部隊の活動拠点として使用される。3棟の面積は合計約1580平方メートルで、駐車場は830台分のスペースがあり、同署の車両や装備品を移動させる。

同署は地震などの災害に備えてこれまで、土浦市医師会会館(同市東真鍋町)、新治運動公園(同市藤沢)、かすみがうら市千代田庁舎(同市上土田)を災害時の代替施設として使用する協定を締結しており、同大学は4カ所目になる。

12日、土浦署の坂井誠署長と大学を運営する霞ケ浦学園の高塚千史理事長が協定書に調印した。

坂井署長は「被災者の救出、救助、避難誘導、犯罪者の検挙など大規模災害での警察機能に大きな支障があってはならない。桜川で大規模水害が発生した場合、近く、より安全な高台に警察機能を代替できる施設を確保することが喫緊の課題だった。霞ケ浦学園の好意で協定締結に至り、さらなる大規模災害や緊急事態に万全の対策を備え、安全安心な地域づくりに取り組みたい」などと話した。

高塚理事長は「学校としても地域のために少しでも役に立てるよう、できる限り協力したい」などと語った。

新型コロナ対策ステージ3に強化 土浦・桜町でPCR集中検査へ

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茨城県庁

新型コロナウイルスの県内の新規陽性者数が前の週の2.5倍に増えたとして県は11日、対策指針を同日から、感染が拡大している状態のステージ3に引き上げたと発表した。県南を中心に感染が拡大している。

さらに土浦市では、桜町の接待を伴う飲食店でクラスターが発生したとして、PCR集中検査を実施する。

11日確認された県内の新規感染者数は、4月1日の18人を上回り、過去最高の20人となった。市町村別では土浦市が7人、取手市が4人など。前の週(10月29-11月4日)は29人だったのに比べ、11月5-11日は75人と大幅に増えた。

ステージ3に引き上げても、外出自粛要請や休業要請などは実施しないが、県は、追跡アプリ「アマビエちゃん」の利用促進のほか、年末年始休暇の分散取得、クリスマスや大みそか、初日の出など主催者のいない催しで大人数が集まる季節行事の感染防止対策の徹底などを改めて呼び掛けた。

一方、クラスターが発生した土浦市桜町の飲食店は、同1丁目のパブHEAT(ヒート)とパブHEATⅡの2店で、11日までに2店の従業員や利用者10人程度の陽性者を確認した。

県は、市中感染につながる恐れがあるとして、地域への感染拡大を防ぐため無料のPCR集中検査を実施する。対象者は桜町1丁目と2丁目にある飲食店従業員と、10月26日から11月10日の間に同地区の飲食店の利用客。

検査希望者はコールセンター(電話029-830-3355)に電話することが必要。申し込みは11日から20日までの午前9時から午後5時。検査日時や検査場所は電話の際、伝える。

《映画探偵団》37 中心市街地活性化 変わる議論の方向

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【コラム・冠木新市】『つくつくつくばの七不思議』と題して、2014年、筑波学院大学コミュニティ講座で話をした。テーマは「伝説と文化を活用したまちづくり」である。「中心市街地つくばセンタービル吾妻篇」では、イタリア人映画監督フェデリコ・フェリーニの『甘い生活』(1960)を例に取り上げた。

『甘い生活』の「ヴェネト通り」

この作品は、作家志望のジャーナリスト・マルチェロ(マルチェロ・マストロヤンニ)が、取材対象を追ってローマをさ迷う話で、街が主役ともいえる3時間の大作だ。深夜、トレビの泉にマルチェロがグラマー・スター(アニタ・エクバーグ)と一緒に入るシーンは、流れ落ちる水の音と相まって神秘的なまでに美しい。

また、ローマの高級レストランやホテルが並ぶヴェネト通りが魅惑的に描かれる。道路には車が駐車、カフェには美女や文化人がたむろし、深夜までにぎやかな場面が映る。誰でも一度は行ってみたいと思わせるような場所に見えてくるのだ。

事実、映画が公開されると、フェリーニに何人もの外国人から電話がかかり、ヴェネト通りに連れていってほしいと懇願されたという。だがフェリーニ自身もめったに行かない場所だった。実は、ヴェネト通りは一部分を除き映画のセットとして建てられたもので、現実とはまるで異なる通りだった。架空の場所に近いといってもよい。

ところが、「映画の『甘い生活』に応じて本物のヴェネト通りが一変してしまい、私が映画のなかで与えたヴェネト通りに迫ろうと猛烈な努力をしたのである」(フェリーニ著『私は映画だ』)。つまり映画のイメージが現実のヴェネト通りに影響を与え、映画のような光景になってしまったわけだ。

つくば市の中心市街地活性化とは何を意味するのだろうか。ある場所に多くの人が集まり、楽しく過ごすことであろうか。これまで中心市街地活性化のイメージは、映画のヴェネト通りのような街を目指していたのではなかったか。昭和生まれで映画探偵の私には、強くこの思いが染み付いている。

市長・市議選の「争点」にならず

10月のつくば市長選挙では、新聞各社が「中心市街地活性化が争点」と報じた。しかし、五十嵐市長は簡単な公約を載せただけだし、他の2人には中心市街地への言及がなかった。市議候補者は、41名中4人がちょっと触れただけだった。つまり、「争点」にはならなかったわけだ。

何も批判しているのではない。新型コロナウィルスによって「三密」が否定されたことにより、「中心部と周辺部の活性化」の考え方に変容を迫られているように思えるからだ。これから、中心市街地活性化を目指して「まちづくり会社」が創られるようだが、その前に活性化の意味をもう一度考え直す必要があるのではないだろうか。

10年以上も続く「つくばセンター地区活性化協議会」のメンバー、2年半前に「つくば中心市街地まちづくりヴィジョン」を作成したアドバイザーの意見を聞いてみたいと思っているのは、私1人だけであろうか。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家)

オンラインで沖縄修学旅行 つくば特別支援学校高等部3年生

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実際に沖縄料理を堪能する高等部の生徒たち

県立つくば特別支援学校(つくば市玉取)の知的障害教育部門高等部3年生24人が11、12日の2日間にわたり、オンライン修学旅行「めんそーれ沖縄」を満喫している。

当初5月に3泊4日の日程で予定していた沖縄修学旅行がコロナ禍で中止となったため、沖縄を様々な形で体験、学習できるよう計画された。

この日に向けて教員らは、首里城の大きな絵を描いて教室の壁に飾ったり、段ボールで守礼の門を手作りして教室の入り口に設置するなどした。

11日はまず、修学旅行で訪れるはずだった首里城や美ら海水族館などをグーグルストリートビューを使って訪ねた。続いて、沖縄を代表する伝統的染色技法、紅型(びんがた)でバッグに色を付ける体験をした。

昼食は、近隣の沖縄料理店に注文し、沖縄そばや沖縄炊き込みご飯、ラフテー(豚角煮)、紅芋のコロッケ、サーターアンダギーなど8品を実際に堪能した。

ライブ中継で結んだ美ら海水族館の様子を見る生徒たち

午後からは、体長8メートルを超えるジンベエザメがいる沖縄美ら海水族館とライブ中継を結び、オンラインで水族館を訪ねた。「ジンベエザメはどれくらい大きいの」など、水族館スタッフのクイズに答えながら、水槽を泳ぐ魚を見たり、水槽の裏側の様子を見るなどした。スタッフがエサを与えると、ジンベエザメが海水と一緒にオキアミを一気に飲み込む映像を見た生徒たちからは「すごい」など、感嘆の声が出た。

2日目の12日は、沖縄の歴史を学んだり、伝統芸能エイサーを踊ったり、教員らが壁一面ほどの大きさに描いた首里城の絵の前で集合写真を撮るなどする。参加した後藤優和さん(17)は「沖縄だと感じ、結構楽しい。飛行機に乗ったことがなかったので(実際に行ったら)緊張したと思う」などと話していた。

オンライン修学旅行を準備した3年学年主任の赤平雅人教諭(52)は「生徒たちは入学当時から修学旅行を楽しみにしていた。去年の5月からは沖縄の文化や史跡、物産などを事前学習してきたので、沖縄に行けなくても沖縄の雰囲気を味わってもらいたい」と話している。

霞ケ浦の経済価値年間1217億円 世界の湖沼・河川の4倍高い

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⽣態系サービスのカテゴリーごとに集計された霞ケ浦の経済価値

【相澤冬樹】霞ケ浦から得られる⾃然の恵み(⽣態系サービス)を経済的価値で見積もると、少なくとも年間1217億円に及び、単位⾯積当たりの試算では、世界の湖沼・河川の平均的な価値の約 4 倍⾼い-とする研究成果が10日、報告された。

経済評価は、国⽴環境研究所(つくば市)⽣物・⽣態系環境研究センター、県霞ケ浦環境科学センター(土浦市)、いであ(神奈川県横浜市)国⼟環境研究所の共同研究チームにより行われた。個別の湖沼を対象に、多様な⽣態系サービスの価値評価を統合的に⾏った研究は国内では初めてという。

複数の経済学的な評価⼿法を⽤いて、⽣態系から提供される価値を多⾯的に評価した。霞ケ浦の⽣態系サービスを供給・調整・⽂化的・基盤の4つに分類し、計25項⽬の指標を整理した。1945年から2018年までの各指標の推移をまとめたのが下表だ。

霞ケ浦の⽣態系サービスの指標の推移と経済価値

主に農産物や取⽔、洪⽔調節、環境学習、観光帆引き船など⼈間活動を豊かにする項⽬で増加したが、漁獲や養殖、⽔辺遊び、⿂種や植物など⽣物多様性や⼈々が霞ケ浦と触れ合うような項⽬では減少していた。経済的な価値で最も⾼かったのは洪⽔調節で、堤防整備や常陸川⽔⾨の設置等の⼈⼯資本の投⼊によってサービスが強化された結果とみられる。

市場価格がない⽣物多様性などの⽣態系サービスは定量化した評価が難しいため、アンケート調査で改善に向けての経済的価値(⽀払意思額)を測ったところ、良好な⽔質、⽔質の浄化機能、⽣物の⽣息は、他のサービスに⽐べて、特に⾼い傾向が表れた。⽔質を現在の状態からややよい状態に改善することに対して、全国では5829円、流域では5616円の⽀払意思が⽰されている。

これらから、霞ケ浦は1年当たり供給サービス463億円、調整サービス751億円、基盤サービス166億円、⽂化的サービス3億円で、計1217億円もの多様な⽣態系サービスを⽣み出していると算出された。世界の湖沼・河川の平均的な経済価値は年間1ヘクタールあたり147万円と⾒積もられていることから、霞ケ浦は約4倍高いことが明らかになったとまとめている。

研究の成果は、霞ケ浦の⽔循環、⽣物多様性や⽣態系の保全・管理に関する環境⾏政、多様なステークホルダーとの地域づくりへの活⽤が期待されるという。なかでもアンケート調査の結果から、⽔質の改善と⽣物の保全に関する⽀払意思額や意識が特に⾼かったことから、それらに答えるような施策の検討が必要と提言している。

《地方再生を考える》17 中小企業再編論と忍び寄るリスク

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ダイヤモンド筑波(筑西市)

【コラム・中尾隆友】菅政権が日本の生産性を引き上げるために中小企業再編論を掲げている。ただし問題なのは、その手段にある。菅政権は最低賃金の大幅な引き上げを通じて、中小・零細企業を次々と淘汰していく考えを持っているからだ。実際に菅首相は最低賃金の引き上げについて、ことあるごとに「5%程度を目指す必要がある」と述べている。

最低賃金が低いから経営が成り立っているような中小零細企業は淘汰されるべきだ。中小・零細企業の淘汰が進めば、日本の生産性は上がるはずだ。菅政権の中小企業再編論は、そういった論理で成り立っている。

これは少し考えればわかることだが、この考え方では「中小零細企業の経営者がやる気を出せば生産性を高められる」と言っているのと何ら変わりがない。精神論の類に近いといわざるをえず、論理的に破綻している。

たとえば、最低賃金を毎年5%ずつ引き上げていくと、5年で1.28倍に、10年で1.63倍になる。ということは、現在の最低賃金(全国平均902円)は3年後に1000円を突破し、5年目に1100円、10年目に1400円を超える。

その帰結として、地方でアルバイトやパートで成り立っている零細企業の大半は、雇用を保って赤字経営が慢性化するか、雇用を削って縮小均衡を図るか、倒産・廃業をするか―主に3つの選択を迫られることになる。

大半の零細企業は淘汰される可能性が高い。そのときに真っ先に失業に追い込まれるのは、低賃金だからこそ仕事にありつける、特別なスキルを持たない人々だ。最低賃金の無理な引き上げは、最も社会が助けなければならない人々をさらなる窮地に陥らせてしまうわけだ。

つぶれなくてもいい企業までつぶれてしまう

そもそも最低賃金が低いから成り立っているような企業に対して、生産性が低いゾンビ企業と一律にみなすのは、非常に浅はかな考えだ。低賃金の労働に支えられる企業のなかには、デジタル化や自動化が難しいうえに、私たちの生活に欠かせないサービスを提供するものも多いのだ。

そういったサービスが最低賃金の大幅な引き上げによって失われるようなことになれば、それは経済的にも社会的にも大きな損失だ。企業が淘汰されるか否かは、消費者の動向が決めるべきであり、政府が最低賃金の大幅な引き上げによって基準を決めるというのは正しいといえないのではないか。

さらに付け加えれば、最低賃金を上げ過ぎると、つぶれなくてもいい企業までもがつぶれてしまうという弊害がある。競争力のある健全な企業までもが、淘汰の波に巻き込まれてしまうというのは、由々しき問題だ。

中小零細企業が多い地方にとって、菅政権の中小企業再編の動きは目が離せない。(経営アドバイザー)

会計検査院指摘の2200万円を返還 つくば市障害者給付負担金

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つくば市役所

2019年度の会計検査院検査報告で、つくば市が18年度に国から過大な負担金交付を受けていたと指摘された障害者自立支援給付費負担金について、同市は10日、約2200万円を国と県に返還すると発表した。12月補正予算案に計上し議会に提案する予定という。

市障害福祉課によると、過大に交付を受けていたのは、障害者の生活支援事業所や通所支援施設、入所施設などが、障害者の日常生活を支援するのに要した事業費のうちの国や県からの負担金の一部。18年度に実施された事業費約21億9000万円(延べ約2万3000人分)のうち、国から1472万円、県から736万円の負担金計約2200万円を過大に受け取っていた。

国や県の負担金を計算する計算式の掛け率について、同市は財政力指数1以上の掛け率を使わなければならなかったにもかかわらず、同1未満の掛け率を掛けて計算してしまったことが原因という。

会計検査院から19年度に過大交付の指摘を受けた後、国や県と事務処理方法について協議し、今回、返還金額が確定した。サービス事業者に対しては過大な支払いはないとしている。

市は「今後は実績報告書の審査や確認を徹底し、関係機関とより緊密に連携して再発防止に努めます」としている。

子どもたちに聖夜のサプライズ つくば版 サンタの訪問プレゼント

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出発前に記念撮影するサンタたち=つくばセンター、2019年撮影(会沢さん提供)

【車谷郁実】NPO法人チャリティーサンタ(東京都千代田区)のつくば支部が、クリスマスイブに向け「サンタ活動」に取り組んでいる。毎年12月24日にサンタクロースに扮したボランティアが、子どもたちにプレゼントを手渡す活動だ。訪問した家庭や施設からチャリティー金3000円を募り、貧困家庭や被災地の支援にも役立てている。サンタを呼ぶには事前の申し込みが必要で、12月13日まで募集している。

チャリティーサンタは「子どもたちが笑顔になれる社会づくり」をモットーに、サンタ訪問や子どもとの交流会、国内外の貧困家庭や被災地の支援活動を行っている。2008年に始まり、現在は27都道府県で活動している。つくば支部は3年前に発足した。

経済的に余裕のない家庭などを対象に無料のサンタ訪問も行っており、依頼先の子どもたちに絵本をプレゼントしている。支部では昨年、14人のサンタが11家庭を訪れ(うち2家庭は無料訪問)、今年は30家庭への訪問を目標にしている。

活動でサンタが各家庭に滞在できるのは10分ほど。その短い時間を一生の思い出にするために同法人は工夫を凝らしている。特に大切にしているのは、サンタが子どもたちとコミュニケーションをとることだ。申し込み時に子どもの性格や普段頑張っていること、どのくらいサンタを信じているかなどを記入してもらう。それをもとに「いつも弟のお世話を頑張ってくれているね。すごいね」「嫌いなニンジンをもっと食べてくれたらうれしいな」など一人ひとりに合った言葉をかける。

つくば支部代表で、これまでに2回サンタになって家庭を訪問した会沢和敏さん(56)は「話しかけることで子どもたちがサンタを受け入れてくれる。子どもたちのサンタを見つめる目がとても印象的」と話す。うれしさのあまり部屋中を駆け回ったり、目を輝かせながらじっとサンタを見つめたり、子どもたちの多種多様な反応が見られたそうだ。

事前講習会でのロールプレイングの様子(同)

「コロナの年ではなく、サンタに会えた年に」

コロナ禍の今年は、サンタ活動にもソーシャルディスタンスが求められた。サンタと子どもたちが十分にコミュニケーションをとれないという懸念もあり、準備が始まった6月頃は開催自体を断念すべきという意見もあった。だが、利用者から「子どもたちがサンタを待っている」という声があがり、開催が決まった。サンタはマスクや手袋をするなど、感染対策を徹底してプレゼントを届ける予定だ。

スタッフの一人、文教大学3年生の猪瀬千夏さん(21)はコロナ禍でのサンタ活動に特別な思いを寄せる。猪瀬さんは今年6月にスタッフになった。きっかけはバイト先の放課後児童クラブで接した子どもたちの様子だった。感染対策で、しんと静まりかえった教室でご飯を寂しそうに食べる子どもたち、学校行事が縮小されて落ち込む子どもたちを見て、何かできることはないかと思ったという。猪瀬さんは「子どもたちは今年、色々なことを我慢してきたと思う。だから子どもたちに何か明るい思い出を残したい。暗いコロナの年ではなく、サンタに会えた年にできれば」と話す。

サンタを呼びたい家庭、サンタになりたい人は、チャリティーサンタのホームページから申し込みできる。無料のサンタ訪問の申し込みは11月13日まで、すでに昨年の4倍の8家庭から依頼がきている。サンタになりたい人の申し込みは12月11日まで受け付けている。

◆NPO法人チャリティーサンタ「サンタを呼ぶ/サンタになる」の特設ページはこちら

《続・平熱日記》73 冬が来る前に薪ストーブをゲット!

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【コラム・斉藤裕之】その日は水栽培用のヒヤシンスの球根を求めてホームセンターに向かった。特に用もないが木材売り場の辺りをうろついていると、目新しい薪ストーブが目に留まった。1桁違う値段が付いていて量販店では以前には見なかった知る人ぞ知る代物だ。

「これいいんだよね!」と言ってみたものの、色のいい返事は期待していない。ところがカミさん、「煙が少ないのはいいね。中古がネットで出てたりしないの?」と、まんざらでもなさそうな返事だ。しかしオークションサイトではほとんど見かけたことがない。

試しにネットオークションを見てみるとなんと、出品されたばかりの「NEW」のマークとともに、同社製の上位機種の薪(まき)ストーブを発見。これは何かの縁。久しぶりに物欲というかリビドーってヤツか、アドレナリンが沸いてくる。

「こんなん出ました!」とカミさんに見せる。しかし引き取り限定。しかも新潟県。おまけにオークションの経験もないので、ここは一息置いて熟考。交通費や手間を考えると、ホームセンターで新品を買ってもいいのか?

結局タイムリミットを迎えたのだが、翌朝もう一度ネットをのぞくと、入札がなかったらしく「即決価格」に変わっている。起きてきたカミさんを待って相談の上、「ポチリ」。めでたく落札と相成った。

今年の冬はこれで万全!

世の中、「ゴートゥー〇〇」で高価なホテルがお安いだの、ランチがお徳だの、金持ちが多いのか、全く別の世界のように感じてしまうのは、多分私がズレているからだろう。

というか、そもそも何万円もする部屋に泊まって、テーブルいっぱいに並べられた料理を食べることになんの興味もない私は、ひとり「サイトゥーキャンペーン」と称して、この冬を楽しく過ごすために新潟行きを決意。ちなみにカミさんは高速道路が嫌いという理由で自宅待機。

出発は朝5時。カミさんの軽自動車で圏央道から関越道へ。朝日に映える赤城山、榛名山を通過して、紅葉美しい谷川岳は晴天。しかしトンネルを抜けると、そこは雨。越後妻有 (えちごつまり)トリエンナーレの名残を車窓に、現地に着くころはすっかりまた晴れていた。

恐らく、もう1カ月もすれば、雪景色となる日本有数の豪雪地帯。基礎の高さや屋根のつくりから冬の厳しさが想像できる。小旅行気分を味わいながら、グーグル先生に導かれて無事現地に到着後、ストーブをゲット。帰りに魚沼産の新米を買って2時過ぎには帰宅。思いの外疲れなかった。

さて、ここからは百戦錬磨の夫婦の技の見せどころ。培った知恵となけなしの体力で100キロの代物を何とか家に運び入れ、夕方には煙突も着け終えて火入れ式。

「かーちゃん、よく頑張った! これで今年の冬はこれで万全! 今日は回転ずしだ!」。「割引クーポンでもあるの? 都民割? 何割?」。そうさなあ、あえて言えば、このストーブの暖かさは「じんわり 」。それからあるとすれば「薪割り」かな。(画家)

勝手につくば大使に当選無効申し立て 「名前でなく事業体名」

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当選無効を求める異議申立書を読み上げ、市選管職員に手渡す横井美喜代さん(左端)ら

【鈴木宏子】10月25日投開票が行われたつくば市議選で、通称の「勝手につくば大使」が認められ、初当選した小村政文さんについて、「『勝手に…』は名前ではなく事業体名であり、通称として認められるものではない」などとして、同市の横井美喜代さん(71)ら5人が9日、同市選挙管理委員会に当選無効を申し立てた。同選管は同日、受理した。

異議申立書によると、小村さんは勝手につくば大使のホームページで、「勝手に…」について「つくば市の魅力を伝える活動」であり、現在2人で活動し、自身については「コム」(小村さんの愛称)だと自己紹介している。さらに2017年にクラウドファンディングを実施した際は、「勝手に…」を「地域密着型メディア」だと説明している、などとしている。

その上で、「勝手につくば大使」はメンバー2人による「ブログやフリーペーパーを使った媒体名」であり、「活動のチーム名、グループ名であるので、氏名ではなく事業体名だ」とした。

さらに「今後のつくば市の選挙で『勝手につくば市長』『勝手につくば市議』など、奇をてらった、面白そうな名前が通称として認められてしまう恐れがある」などとしている。横井さんは「選挙はだれにとっても公正でなければならないが、奇をてらった名前が(選管に)認められてしまえば公正ではなくなると思う」と話す。

通称の使用は、本名以外の呼称が本名に代わるものとして広く通用している場合、選管に申請し認められれば使用することができる。

市選管は、「勝手につくば大使」を通称として認めた理由について、本人からフリーペーパーや郵便物が提出され、当該名義で幅広く活動していることから認定したとしている。

一方、小村さんは「事実確認を先にしたい」としている。

市選管の裁決は後日、出される。

【10日午後7時45分追加】市選管は10日、裁決の期限について、申し立てから30日以内の12月8日までに、当選の効力について判断すると発表した。

【18日訂正】上記【10日…追加】の記事中「選挙の効力」を「当選の効力」に訂正しました。

コロナ禍乗り越え「夏の夜の夢」 劇団創造市場、土浦市文化祭に参加

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劇団稽古場で演劇指導をする稜地さん(中央。眼鏡の男性)=土浦市西真鍋町

【伊藤悦子】土浦市を拠点に活動する劇団創造市場(同市西真鍋町、稜地一週代表)が15日、市制施行80周年記念の同市文化祭でシェイクスピアの喜劇「夏の夜の夢」を公演する。同劇団は今年結成50周年、節目の年となるはずが、新型コロナウイルスの影響から無観客公演や公演中止に見舞われ、苦境をようやく乗り越えての文化祭参加となった。

公演の延期や中止、稽古はオンライン

毎年3月に公演していた入場無料のアトリエ公演は中止。緊急事態宣言が発令され、稽古場に集まることができなくなった団員たちは、LINEを使いオンラインで週3、4回、2時間の稽古を続けたという。5月に緊急事態宣言が解除され、ようやく公演にこぎつけたが感染防止のために無観客だった。

6月には市制施行80周年と市民会館リニューアルを記念した「シンデレラ」公演が予定されていたが、中止になった。有料の公演がなくなったことで劇団の収入は途絶え、稽古場の家賃支払いなどで預金も底をついたという。

県などからの補助金により、9月にはリニューアルした市民会館小ホールで「そして誰もいなくなった」公演に漕ぎつけることができた。密を避けるため客席288席のうち120席しか使えず、公演を通常の2回から4回に増やした。

感染予防のため作業も増えた。客の入場時には検温とアルコール消毒を行い、名前と住所を登録してもらった。公演が終わるたび、出番が終わった役者も加わりスタッフ全員で席をすべて消毒。結果的に、観客にもスタッフにも1人の感染者を出さなかった。

「感染しないという信頼を」

集まって稽古ができるようになっても、環境は以前と一変した。全員がマスクを着用し、アルコールで手を消毒、検温を行う。稽古中もマスクかフェースシールドを必ず着用する。演技に夢中になり、役者同士の距離が近づきすぎると「近すぎる」「離れて」と注意する声が飛び交う。稽古場のドアは開け放ち、扇風機2台を回し、換気を続けている。

「団員には人を見たら新型コロナだと思え、自分もかかっていると思え。そのぐらい強い気持ちで感染予防をしている」と稜地さん。「公演を見に行っても感染しないという信頼を積み重ね、見に行っても大丈夫だということを浸透させたい」と語った。

役者同士が近づくシーンを入れない、近づいてもすぐ離れるようにするなど演出にも感染予防を取り入れた。「そういった意味からは100%の演出ではなく80%かもしれないが、お客さんに喜んでもらえるものを作ることができた」と話す。

稽古中の塚本沙世さん=同

「夏の夜の夢」は、50周年の同劇団がたびたび上演してきた演目だ。8月に入団し、今回初めて出演する塚本沙世さん(27)は、ガの妖精を演じる。「シェイクスピア劇はセリフが難しいが楽しい。夏の夜の夢は喜劇なので、お客さんにたくさんわらってほしい。新型コロナでたまったうっぷんを晴らしてもらえれば」と来場を呼びかけた。

当日の感染対策は、手洗い消毒、マスク着用。入場時に検温を行い、名前と連絡先を記入する。劇場内では、1席ずつ空けて着席する。22日には小美玉市で茨城県芸術祭公演の予定もある。

◆劇団創造市場「夏の夜の夢」 15日(日)午後3時と午後6時30分の2回、クラフトシビックホール土浦(土浦市民会館)大ホール
▽チケットは前売(一般)2000円(高校生以下)1700円、当日券(一般)2200円(高校生以下)1900円▽問い合わせは劇団創造市場(電話029-821-9405)

《邑から日本を見る》75 この国は独裁国家なのか

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【コラム・先﨑千尋】「オレの言うことを聞かないヤツはみんなクビだ!」。この国は、将軍や大名が支配していたころに戻ってしまっているようだ。「総理大臣になれば、自分の考えや思っていることは何でもできる」。日本学術会議をめぐるこの1カ月余りの動きを見ていての感想だ。

「はじめにおわりがある。抵抗するなら最初に抵抗せよ」。私が師と仰ぐジャーナリスト、むのたけじの言葉だ。

ナチスドイツの時代の牧師マルティン・ニーメラーの言葉も引く。「ナチスが共産主義者を攻撃しはじめたとき、私は声を上げなかった。私は共産主義者ではなかったから。次に社会民主主義者が投獄されたとき、私はやはり抗議しなかった。私は社会民主主義者ではなかったから。労働組合員が攻撃されたときも私は沈黙していた。そして彼らが私を攻撃したとき、私のために声を上げる人は1人もいなかった」。

私はしがない田舎の一農夫。だがやはり今、「菅さん、独裁者づらするな。この国は一応民主主義の国ですよ」と声を上げよう。この国の未来のために。

発端は周知の通り、先月9日の菅首相の次の発言。「日本学術会議が提出した会員推薦者名簿は見ていない。決裁直前に6人が除外された99人分の名簿を見ただけだ」。しかし、その後の首相や加藤官房長官らの説明や答弁はめまぐるしく変わり続ける。

政府の言い分は支離滅裂

最初は「総合的、俯瞰(ふかん)的に決めた」と意味がわからないことを言い、「任命すると公務員になるので政府として関与し、責任を取る必要がある。人事のことだから、具体的な説明はしない」と居直り、いまだに6人を除外した理由を明らかにしていない。除外したのは政権の政策を批判していたから、とは口が裂けても言えないだろう。

10月26日のNHKの番組では「説明できることとできないことがある」と本音をもらした。これも恐ろしい言葉だ。私たち国民に説明できないことを、総理が自分の判断でやってしまう。やりたい放題、なんでもできるということだ。

菅首相は最初に、6人を除外したことは知らなかったと言った。しかしその後の発言で、6人を標的にして意図的に外したことがだんだんわかってきた。2日の衆議院予算委員会では、学術会議は「閉鎖的で、既得権益のようになっている。前例踏襲はやめ、民間人や若い人が増えたらいいと私が判断した」と答弁している。

本会議での代表質問に対しても「(学術会議は)専門分野にとらわれない広い視野に立って、バランスのとれた活動を行い、国民に理解される存在であるべき。出身や大学にも偏りが見られる。多様性を念頭に私が判断した」と言っている。6人を外したことには答えず、組織のあり方をやり玉にあげているのだ。論理のすり替えでしかない。

これらのことから、最初の学術会議からの提出名簿を見ていないという発言はウソだったことがわかる。名簿を見ていないのに、どうして判断したのかを説明できない。2日の予算委員会でも菅総理は、加藤陽子氏以外は知らなかったと答弁した。著作も論文も読まないで、どうして5人を排除したのか。

加藤氏については、素晴らしい業績を知っていたが、政府に楯突いたから外した、と言っている。語るに落ちるとはこのことを言う。6人の中には、学術会議の会員がいない私大の研究者も含まれている。政府の言い分は支離滅裂だ。(元瓜連町長)

グランドオープンに代わるおひろめ会 つくば・小田小交流プラザ

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「小田小交流プラザ」のおひろめ会。3階建て校舎の1階に整備された=つくば市小田

【相澤冬樹】廃校になったつくば市立小田小の跡地に整備された「小田小交流プラザ」のおひろめ会が8日、現地で行われた。施設を運営する小田地域まちづくり振興会(鈴木真人会長)が主催した。

おひろめ会は、グランドオープンを予定していた5月の開所式の代替開催。地元の区長や民生委員、各種団体の関係者を招いた。教室を改造した施設を見て回り、昼食バーベキューで交流する機会として設けられた。

宝篋山を望む旧小田小校庭であいさつする五十嵐市長

会場入りした五十嵐立青つくば市長は「いわゆるR8の周辺市街地で、地域住民によるまちづくりが活発化しているが、なかでも小田地区は先行しており、モデルと言ってもいい。これをプレッシャーにぜひ取り組みを推進してほしい」と励ました。

同プラザは、2018年3月末で廃校になった旧小田小に設けられた。増築校舎と呼ばれた鉄筋コンクリート造3階建て棟の1階部分の教室と運動場を活用している。宝篋山の麓にある小田の市街地と、サイクリングロードが通る小田城跡歴史ひろばの中間部にあることから、訪れる人と地域住民の活動が交流する結節点(ハブ)として位置づけられた。

市がエアコンの取り付けや、児童用だったトイレを大人も使える形に改造する工事などを行った上、光熱費などを負担して貸し出し、同振興会がサポーター組織などを整えて自主運営する。当初は5月のグランドオープンを予定していた。

新型コロナの影響で、「集客施設なのに集客してはいけないといわれる辛い立ち上がり」(同振興会)となり、ようやく仮オープンできたのは9月になってから。週末の金・土・日曜日に教室の貸し出し利用を開始したところ、10月の来館者数はのべ1519人、団体利用数は12回を数えた。

地元の小学生らの集まり、小田っ子クラブ(参加16人)の自主企画「こどお化け屋敷」の開催をはじめ、研究学園都市地区の子供たちが団体でやってきては「スポーツ鬼ごっこ」に興じる利用もあった。

玄関ラウンジと元の家庭科室はフリースペースになっていて、1人でふらり訪れても自由に滞在できる。教室には清涼飲料をストックした冷蔵庫や電子レンジなどがあるほか、洗濯機もあって「泥んこになっても大丈夫」と利用を呼び掛けた。

このほか貸切利用でも可能。団体利用には1登録あたり1000円の初回登録料が必要。1教室は半分スペースからの利用ができ、1時間500円~、市外同1000円~、運動場は半日2000円~3000円の利用者負担金がかかる。いずれも税込み。

問い合わせは同プラザ(電話029-811-6154)http://www.odashou.com/

茗渓学園が9大会連続優勝 高校ラグビー県決勝

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後半24分、相手2人のタックルを受けつつ前進する川尻圭人主将

【池田充雄】第100回全国高校ラグビー県代表決定戦が7日、水戸市のケーズデンキスタジアム水戸で開かれ、茗渓学園(つくば市)が88-0で日立一高(日立市)に勝利し、9大会連続26回目の優勝を決めた。茗渓は12月27日から東大阪市花園ラグビー場で開催される全国大会への出場権を獲得した。

 茗渓学園 88-0 日立一
前半 47-0
後半 41-0

茗渓学園は前後半とも7トライずつを挙げ、守備では零封で日立一を圧倒した。フルバックの大田浩平(3年)は俊足を生かしてこの日3トライ、またキッカーとしても7本のコンバージョンキックを決めた。「これだけ観客がいる大舞台は久しぶりで、緊張がありうまく入れなかったが、最初のトライを取って自分たちのペースにできた」と話した。

後半16分、この日3つめのトライを決めた大田浩平

川尻圭人主将(3年)は「ゲームプラン通り進められ、試合内容は良かったが、花園に向けてはまだまだ満足ではない」とし「密集での押し込みはしっかりやろうと練習してきた部分で、うまく対応できた。しかし攻撃でちょっとしたミスが出たり、反則を取られたりして、うまく前へ進めることができなかった」と振り返った。

高橋健監督は「全国レベルの相手では、相手の圧力に負けて反則してしまうと失点につながる。特に密集での反則は要注意。今日も強引に体をねじ込むプレーが見られたが、ああいうのは全国では通用せず、反則をとられる」と、花園を視野に入れる。

今年はコロナ禍で練習期間がとれず、夏合宿も例年の半分ほどになった。だがそれを補うように、走り込みやタックルなどのコンタクトフィットネスでは強度の高いトレーニングを積んできた。練習試合でも全国上位クラスの学校と良い勝負ができており、花園では一昨年のベスト8や昨年のベスト16を上回る戦績に期待がかかる。

全国大会まで残り1カ月、チームは攻撃のさらなる強化を目指す。川尻主将は「強いプレッシャーの中でどれだけ展開できるか。ウイングとフルバックに足が速い選手がいるので良いボールを供給したい。今年1年間の成果を花園で出せるよう全員で、全力で取り組んでいく」と誓う。

敗れた日立一にも花園出場の可能性は残されており、関東6県の2位チーム同士によるブロック大会に優勝すれば全国大会へ進むことができる。

優勝を喜ぶ茗渓学園フィフティーン