木曜日, 1月 1, 2026
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最後の一葉《続・平熱日記》129

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筆者の絵

【コラム・斉藤裕之】冬の初めに1人用の土鍋を買った。その日から今日まで、つまりひと冬の間、鍋を食べ続けた。まず大きな白菜を買って、毎日2枚程度を外側からはがして使う。長ネギ半本、豆腐は3分の1。これを基本として、豚、鶏、魚介などの動物性のたんぱく質と、それに合う、塩、みそ、しょうゆ系の汁のシンプルな鍋だ。

好みで春菊とセリをあしらうことはあっても、キノコや他の野菜は入れない。無駄になるものはほとんどなく、残ったら卵などを落として次の日の朝食とした。

気が付くと、油を使うことも全くなくなり、洗い物も少なく、胃もたれなどもない。しかし、量、質ともに極めて質素な夕食なのだが、なぜか体重が増えた。冬の寒さに体がエネルギーを蓄えようとするのか、あるいは寒いのであまり体を動かさないためか。

多分、現代の食事は何を食べても、基本的に栄養過多になるのだろう。今日はハンバーグだの、明日は中華だのと、おいしいものをこれでもかと食べ過ぎているに違いない。それから、毎日同じような物を食べているわけだが、不思議と飽きることはない。

インドの人が毎日カレーを食べるように、フランス人がパンとチーズを食べるように、私の体は米と汁物でできていることを実感する。

余談だが、フランスのポトフという料理は、金偏(へん)にかまどを表す旁(つくり)でできた鍋という字と一致する。学生のころ、フランスから留学してきたエマニエルが作ってくれたポトフの味は、今でも忘れられない。日本では手に入り難い牛の脊椎を入れたポトフ。その中の髄(ずい)がおいしいと教えられてパンにつけて食べた記憶がある。

みんなで「囲む」「つつく」鍋

こうして今風に言うと、「鍋しか持たん」1人鍋生活は続いているわけだが、本来、鍋はみんなで「囲む」もの、「つつく」ものだ。長い間マスク生活を強いられ、パーティションで仕切られたり、人数制限をされたりしていたので、鍋物はしばらく敬遠されていた。しかし、いよいよというかやっとというか、日本でもマスクから解放される日がやってきた。大手を振って、鍋を囲んでつつくことができる日がきたのだ。

しかるに今日は鶏のブツが手に入ったので、いつものように鍋の用意をする。足元にはパク。もちろん目当ては骨だ。こいつが家に来て、ちょうど2年が経った。

思い立って、先日、かつて過ごした茨城町の古道具屋に連れて行った。仲良しだった犬たちと新たに小さな兄弟の保護犬がいて、最初は警戒していたが、やがて仲良く寝床でくつろいでいた。その中の1匹は3月末にもらわれていくという。

春は別れの季節。そして白菜の旬も終わる。いつまでも鍋というわけにもいかないか。よし、次の白菜の最後の一葉を食べきったら、鍋よ、いざさらば…。そして、春は出会いの季節でもある。とりあえずマスクを外してスーパーに行こう。そして春キャベツを買おう。(画家)

廃校から「文化芸術創造拠点」へ つくば 旧田水山小でアートラボ

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ワークショップに参加し、おりがみをする子供たち=つくば市水守

廃校となった小学校跡地を「文化芸術創造拠点」として利活用するための試行事業が11日、つくば市水守の旧田水山(たみやま)小学校で始まった。「つくばアートラボ2022-23~田水山でつくる~」で、3人のアーティストが滞在制作を行う。11日は登校日として一般公開型のワークショップが開かれ、12日にはアトリエトークが行われる。

参加アーティストとテーマは、相澤万亀子さん「おりがみインスタレーション」、大井真希さん「枝と毛糸で生まれる田水山の“こだま”」、河津晃平さん「廃校の洗浄と観察」の3つ。昨年11月に公募をし、書類審査とプレゼンテーション審査により選出された。

相澤万亀子さんのプロジェクションマッピングによる作品展開

会場は旧教室棟2階の3教室で行われ、ワークショップに集まったのは、地域の児童や保護者たち36人。相澤さんのおりがみは「広報つくば」を使って、簡単な蝶を折り、一緒に影絵遊びをする。その後、蝶はオープンアトリエの展示作品に取り付け、作品「ゆめ」を完成させる。展示空間を含めて全体を作品として表現するインスタレーションだ。

会場では、見学者らが作品制作を見守りながら、旧小学校の利用について語り合う姿も見られた。

つくば市では、同市文化芸術審議会への諮問を経て、田水山小跡地を「文化芸術創造拠点」として新たに利活用する検討に着手、昨年にはサウンディング型(対話型)市場調査を実施するなどしてきた。市文化芸術課によれば、創造拠点のコンセプトは「出会う・つながる・創造する」。今回はこれを基礎に、人々の出会いからつながりが生まれ、田水山地域において創作する過程で、ひらめきを得て、アートを広げていくことを推進していくトライアルとして計画されたそう。

田水山小学校

拠点整備は今年度が試行段階で、23年度に基本・実施設計、24年度に発注、25年度に施設整備となる予定だ。旧田水山小教室棟は1995年築、鉄筋コンクリート3階建て、延床面積2510平方メートル。新耐震の建物だが現在、水道施設が壊れるなどしており、補修をしたり、新たにエレベーター設営するなどのリノベーション費用が見込まれるという。

担当する文化芸術課、佐藤真紀文化振興係長は「廃校を利活用して、文化や芸術の拠点になるようにこの事業を推進していきたい。地域の人々との交流にも利用できるような空間も作り、有効な計画にしたい」と述べた。(榎田智司)

つくばの宿舎で「区切り」の慰霊祭 震災12年

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自宅前に設けた祭壇に手を合わせる谷津田光治さん=つくば市並木

東日本大震災から12年の11日、つくば市並木の公務員宿舎で、福島県双葉町からの避難者ら約30人による慰霊祭が開かれた。2020年以来となる。双葉町は、原発事故による避難指示で、全町民が避難を余儀なくされてきた。

この日、双葉町出身の谷津田光治さん(81)と妻の美保子さんが暮らす自宅前に設けられた祭壇に、集まった一人ずつが線香をたむけ、手を合わせた。参列したのは同町から避難してきた住民のほか、毎週火曜日に近所の公園で行われるグラウンドゴルフや、以前行われていた月命日や夏祭りなどに参加し、親睦を深めてきた同市内の学生や地域住民たち。この日は、現在他県に暮らす人も多数訪れ、旧交を温めた。

慰霊祭に参加した双葉町の人々とつくば市民ら

宿舎には、双葉町民を中心に、福島から避難してきた47世帯が暮らしてきた。同町民による自治会も発足し、避難先に新たな地域社会を築いてきた。近年は、同市内や周辺地域、福島県などへ転居する世帯が増え、現在は谷津田さん夫妻を含めて4世帯が暮らしている。谷津田さんも今月末でつくばを後にし、故郷に近い南相馬市へと転居する。

交流の筑波大学関係者らも参列

運動の指導などを通じて谷津田さんらと交流し、学生にも避難者との交流の機会を設けてきた筑波大学名誉教授で体操コーチング論が専門の長谷川聖修さん(66)は「12年間本当にお世話になりました。福島の皆さんとはこの場所がなければ出会うことがなかった。慰霊祭ということでは一区切りがつくけれど、これからもよろしくお願いします」と気持ちを述べた。

長谷川さんの教え子で、北海道から参加した工藤実里さん(25)は、学生時代の交流を思い返しながら、「会いたい、帰ってきたいと思える場所。これまで皆さんが築き、守ってきた場所で出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。ここでの経験は財産。これからも色々な形で関わりたい」と話すと、涙を拭った。

秋田県から訪れた高橋康彦さんは自身の結婚を報告した。かつて月命日の際に振る舞われたカレーライスの思い出に触れながら、「長谷川先生のゼミ生として体操で関わり、皆さんと会う日常が人生の楽しみでした。今日は、皆さんにハッピーニュースを届けることができた。これからもいいニュースを届けられたら」と笑顔で語った。

2017年から、毎週グラウンドゴルフに参加するつくば市の柄津玲子さん(86)は「避難者の方の講演を聞いたのが参加のきっかけ。大切な出会いをたくさんいただきました」とこれまでを振り返った。

地震が起きた午後2時46分を前に、参列者に向けて谷津田さんは「私の知人にも津波で亡くなった人がいます」と震災当時を振り返るとともに、つくばでの12年間を思い返しながら今回の慰霊祭を「一つの区切り」とした。その上で、「「皆様、12年間の御礼を申し上げます。今後も、皆様が元気で、長くお付き合いをしていただけることを切に願っています」と参列者に呼びかけた。

宿舎に暮らす他の住民も、茨城県内外への転居を予定している。昨年3月の時点で、つくば市内には112人の双葉町からの避難者が暮らしていた。(柴田大輔)

「国策に分断され悲しみ生まれた」福島の自主避難者訴え つくばで市民集会 震災12年

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福島県いわき市から自主避難した体験を話す鴨下美和さん

東日本大震災から12年目の11日、「さよなら原発!守ろう憲法!つくば集会」と題した市民集会がTXつくば駅前のつくばセンター広場で開かれた。福島原発被害東京訴訟原告の鴨下美和さん(52)が、子どもの健康被害などを訴える福島県の避難者らが受けてきた中傷や非難などについて話し。「原発は国策だから、たくさんの分断が生じて悲しみが生まれた。放射能に汚染されない未来をつくっていくため、バッシングされても訴え続けたい」などと語った。

つくば集会は、市民団体「憲法9条の会つくば」など11団体が、震災翌年の2012年から毎年開催している。鴨下さんは横浜市出身。震災当時、福島県いわき市から自主避難し、現在、都内に住む。鴨下さんの長男の全生(まつき)さんは高校2年だった18年、ローマ法王に手紙を送り、翌19年、家族でバチカンに招かれ、直接被害を訴えた。

集会で鴨下さんは、震災直後、福島県いわき市から家族5人で実家のある横浜市に自主避難した。当時の状況や、横浜や都内を転々とした避難生活について語り、「避難所や避難住宅ではうちの子に限らず鼻血を出す子が多くいて、綿を詰めても綿が出てきてしまうような大量の鼻血だったり、綿やティッシュでは追い付かずスーパーのレジ袋でぽたぽたと出る鼻血を受け止めて歩く子もいた」と話した。

2014年には、福島第1原発を訪れた主人公が原因不明の鼻血を出す場面が描かれたマンガが出版され、当時の環境大臣が被ばくと鼻血の因果関係は無いなどと発言したことがあった。これ触れた鴨下さんは「子どもに鼻血が出ていると言った人が嘘つきにされてしまい、お母さんたちは子どもに鼻血が出たと言う勇気が無くなってしまった」と語り、「原発は国策なので、世の中がゆがんでいくだけだと思った」と振り返った。

国連人権理事会でも課題に挙がった母子避難の状況についても話し、「いわき市や郡山市などから無数のお母さんが子供を抱えて自主避難しているが、自主避難者は支援を受けられなかったので、お父さんは福島に戻って働かないといけなかった」などと述べ、「12年経っても当時を思い出すだけでつらい。言えばバッシングされたり、ノイローゼだとののしられるので、ほとんどのお母さんは口を閉ざしている」と話した。

長男がローマ法王の前でスピーチをした際、「原発は国策だから、それを維持したい政府によって被害者の間に分断が生じ、傷ついた人同士が、互いに隣人を憎み合うよう仕向けられてしまった」とする一節を、事前に削るよう言われたが、長男は削らないでそのまま読んだエピソードも披露した。

「福島をわすれない」「東海第二原発はいらない」などのスローガンを掲げる参加者=つくばセンター広場

市民集会を主催した山本千秋代表は、原則40年とされていた原発について60年超の運転を認める政府方針に対し「廃炉になるはずの古い原発があちこちで動くことになる。世界有数の地震国で、方針の大転換は決して許されない。一刻も早く自然エネルギーに切り替えるべき」などと話した。

集会では、原発をなくし、憲法を守って、平和で安心できる社会をつくろうなどと訴えるアピールを全会一致で採択した。(鈴木宏子)

マスクを外し涙も つくば国際ペット専門学校卒業式

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はかまやスーツ姿で卒業式に臨む卒業生ら=つくば市竹園、つくば国際会議場

つくば国際ペット専門学校(つくば市沼田、高橋仁校長)の卒業式が11日、つくば国際会議場(同市竹園)で行われた。ドッグトリマー、ドッグトレーナー、愛玩動物看護師・動物衛生看護、ペットケア総合の4つのコースで学んだ124人が卒業の日を迎えた。3年制の愛玩動物看護師コースの7人は同コースの1期生で、同コース初の卒業生となった。式ではマスクを外すことを基本とする一方、強制ではなく、半分ほどの卒業生がマスクを外して臨んだ。

東郷治久理事長は、昨年11月に学校の敷地内にオープンした動物医療センターに触れ、「このような素晴らしい実習施設などの現場で培った様々なスキル、制限された中で臨機応変に対応しながら過ごした時間はみなさんの今後の自信につながっていくことと思う」とはなむけの言葉を贈った。

はなむけの言葉を贈る東郷治久理事長

卒業生を代表してドッグトレーナーコースの重黒木綾可(じゅうくろき・あやか)さんが答辞。学校の文化祭「犬友祭」や研修旅行で試行錯誤しながら学んだことを振り返り、「私たちは知識や技術を学び、尊敬できる先生方が様々なことを教えてくれた。仲間、パートナードッグとの出会いは、全てかけがえのない財産であり、これからも心の支えになるものだと思います」と述べた。

答辞を述べる重黒木綾可さん

式典では卒業生一人ひとりに高橋学長から卒業証書が手渡されたほか、トリマー1級、ペットケアマネージャー1級などの資格試験合格者にライセンスが授与された。式の後には、教職員らがロックバンド、スピッツの楽曲「チェリー」のメロディーに乗せて生徒らへのはなむけの言葉を歌い、卒業生らや保護者らが涙をぬぐっていた。

ドッグトレーナーコースの卒業生、厚木侑花さんと岡本愛李さんは共にマスクを外して式に臨んだ。厚木さんは「友達とマスクを外そうと決めてきた」と話し、岡本さんは「ドッグトレーナーコースなので夏はマスクが暑くて大変だった。卒業できてうれしい」と笑顔を見せた。

つくば市の幸和義肢研究所 《日本一の湖のほとりにある街の話》9

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幸和義肢研究所

【コラム・若田部哲】様々な別れと出会い、新しい人生がスタートする季節、春。今回は、義手や義足といった福祉機器により、多くの人達の新たな一歩をサポートする企業、つくば市の幸和義肢研究所をご紹介します。

2021年に創業100年を迎え、義手や義足・車椅子などの福祉器具の製造のみならず、ユーザーの生活を多岐にわたりサポートする事業内容について、同社の三浦さん、志賀さんにお話を伺いました。

創業は1921年。現在の常総市でメスやハサミなどの医療器具の販売からスタートしました。1983年、社名を「株式会社幸和義肢研究所」と改め、義肢・装具の製造販売を本格的に開始。現在製造する品目は、義手や義足といった義肢・コルセットなどの装具・車椅子や、靴の悩みを解消するインソールなど、実に多彩です。

同社の心臓部ともいえる製作室には、義手や義足などの元になる様々な素材が並び、ユーザー一人ひとりで異なる身体形状に合わせた義肢装具を製作しています。1点ごとに微妙に異なる形状、要求される性能を満たすため、熟練の手作業により製作・調整がなされていますが、さらなる精度向上のため、ユーザーの身体形状を3Dデジタル化し、切削機で身体形状を再現する最新機材「CAD / CAM(キャドキャム)」を導入するなど、品質向上に余念がありません。

ユーザーを「トータルサポート」

また、アフターメンテナンスについての態勢も万全。常に体をサポートし続けるこれらの器具は、強い負荷がかかるため、数カ月ごとの定期的なメンテンスが欠かせません。ところが通常、義肢装具は病院のカルテに基づき製作されるため、ユーザーは転院・転居などにより、義肢装具の来歴が分からない「装具難民」となってしまうことが少なくないのだそうです。

こうした状況を解消するため、装具の状態を常に把握できるよう、製品状態を管理する「義肢QRコード『ぽーさぽーとシステム』」を開発、製品に添付しているとのこと。さらに、約2カ月ごとにメンテナンス会を開催し、気軽にメンテナンスに訪れることができる機会を提供しています。

そして、同社の事業理念で最も特筆すべきなのが、ユーザーの生活を「トータルサポート」するという姿勢が貫かれている点。その一環として、2016年に障害者就労支援継続支援B型「ワーク・イノベーション・センター(WIC)」を設立しています。

これは、それまでは装具による生活のサポートにとどまり、ユーザーの就労までサポートできていなかった、という思いから設立された施設で、既存の建物を改修している場合が多く使いづらい面がある他の就労施設と異なり、設計に十分余裕をとったユニバーサルデザインとなっています。その広さは茨城県内の同種施設では随一とのことで、そのゆとりと細部まで配慮がなされた室内空間に驚きました。

こうした多岐にわたる取り組みを紹介するため、同社では定期的に福祉機器展を開催し、装具の紹介や業界の啓発活動を行っています。開催の際はぜひご覧になり、福祉にかける真摯な思いをご体感ください!(土浦市職員)

<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。

これまで紹介した場所はこちら

コロナ禍越えて学業修む つくばの語学学校で卒業式

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卒業式を終えて、在校生と教職員らに手を振る卒業生=つくば山水亭

つくば文化学園による日本語学校「日本つくば国際語学院」(つくば市松代、東郷治久理事長兼校長)の卒業式が10日、同市小野崎のつくば山水亭で開かれた。卒業生は、ベトナム、中国、韓国、タジキスタン、台湾の5カ国からの10人で、この日は、欠席した1人を除く9人が、紺碧色のガウンをまとい、四角形の帽子をかぶり式に臨んだ。それぞれ大学や専門学校、就労などへの進路が決まっている。

今年度の卒業生が入学したのは2020年。新型コロナウイルスの感染が拡大する最中だった。その影響から来日の時期が異なり、全員そろっての入学式を行えなかった。

そんな当時を振り返りながら、式典で挨拶に立った東郷理事長は「よく頑張ったという言葉しか浮かばない」と卒業生を労うと、「日本でも多くの人が不安を感じる中、勉強、アルバイトに打ち込んできた皆さんを先生たちは信じています。初心を忘れず、日本での活躍を期待しています」とエールを送った。

卒業式で答辞を述べるヴドゥイトゥエンさん

「たくさんの経験をした日本語学校の2年間は、成長の場だった」と話すのは、卒業生を代表し答辞を述べたベトナム出身のヴドゥイトゥエンさん(21)。入学時、コロナ禍の影響で来日が半年延びた。その間、いつ日本へ行けるかわからない不安から、留学そのものを諦めることも頭をよぎったという。それでも叶った日本での学生生活は、初めて親元を離れた日々でもあった。いくつもの不安が重なる毎日の中で「様々な国の人と出会い、人見知りだった自分が積極的にコミュニケーションを取れるようになった」と留学生活が語学を学ぶだけでなく、自分への自信を得る機会になったと胸を張った。卒業後は千葉県の大学へ進学し、IT技術を学ぶ。将来は日本で就職し、ベトナムから家族を招待して各地を案内したいと笑顔で語る。

回復傾向にある留学生数

日本学生支援機構(神奈川県横浜市)によると、コロナ禍以前の2019年、日本国内の留学生は、統計を始めた1978年以降最大の31万2214人を数えたが、その後、毎年減少が続き、2022年は23万1146人となった。一方で、日本語学校を含む日本語教育機関への留学生は、2021年の4万567人を境に増加に転じ、昨年は4万9405人となっている。日本つくば国際語学院には現在、約60人が在籍している。(柴田大輔)

居場所を求め続けた想い つくばから双葉へ 谷津田光治さん㊦【震災12年】

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谷津田光治さん=つくば市並木で

避難して、つくばで暮らしてきた谷津田光治さんの生家は、数年前に取り壊されている。それでも月に2、3度、双葉町を訪れてきた。その理由を「双葉に行って、何するっていうのはないんだけど、『ああ、ここに家あったんだな』とか、『あそこの田んぼ、除染して綺麗にしてもらったんだけど、また草生えてきたな。今度来たら刈ってやんないとな』とか、そんな感じでひと回りしてくると、つくばに戻っても、2、3週間はなんとなく安心して落ち着いていられるんだわ」と話す。

「結局私の場合は、子どもの頃からあそこで生活してきたわけですよ。それが、あるときぽっと逃げ出してきた。そこにあるもの全部置いてきて。そういうのは意外と気になるんだ。どうなってるかな。草生えてるかな、この前の地震で崩れてないかなってね」

6号の先にある双葉町への思い

「で、また火曜日になると、グラウンドゴルフやってね。みんなで集まって。それで、その後女房に、『今週、用事あんのか?』って聞いて、『いやぁ、特にないよ』って言うと、『家さ行って、様子見てくっか?』って言って、車で出かけんの。ちょっとしたドライブ感覚。2、3時間。年食ってきて、きついかなぁと思うこともあんだけど、行けんだよな」

離れても、双葉のことが頭から離れることはなかった。つくばより内陸には住もうと思わなかった理由もそこにあるという。「6号国道を行って、海岸通りを走れば俺の家に着くんだなって。この道行ったら家があるっていう安心感があんだわ。今は取り壊してないんだけど、そういう感覚は、頭から抜けない。埼玉からだと、『どう行くかなぁ』って。遠いんだね」

双葉町では今も、町の大部分が帰宅困難区域に指定されている

「まして、俺は谷津田の跡取りだから」と話すと、谷津田さんは双葉への思いをこう続けた。「お墓があんだ。俺が建てたってのもあんだけど、あの穴入れば、俺はもうどこにも行くことはないって思うんだ。その土地から離れるっていうのは、ご先祖様に背くような気持ちにもなるんです」

「結局、そういうつながりがあるから、福島に帰りたいとか、行きたいとかっていう感情が出てくるのかもしんないね。まぁ、なんとなく、生まれたところに戻りたいっていうのは、あんでねぇかな」

終わらない避難生活

谷津田さんの自宅には、土ぼこりを舞い上げさっそうと駆け抜ける騎馬武者の写真が飾られている。双葉町がある相双(そうそう)地域の伝統行事、相馬野馬追(そうまのまおい)のワンシーンだ。谷津田さんは、1987年以来、30年以上、野馬追に参加し続けてきた。避難後も、それだけは欠かさなかった。甲冑に身を包む姿は、地域の誇りでもある。

その思い出を振り返りながら、今後については「南相馬に引っ越しても、避難する場所がここから変わるだけ。自分の家とか、自分の住んでたとこに戻ったっていう意識にはならねぇと思うんです。なんていうか、ここが俺の住んでたとこだっていう、その安心感っていうのはないな」と話す。

「やっぱり。あそこ(双葉町の自宅)に戻って初めてなんだろうな。でも結果としては、これで終わりになるんだと思うんだわ。人間終わったら、避難も終わりだからね」

JR常磐線双葉駅前につくられた、新しい双葉町役場

震災から時間が過ぎるほど、ますます「復興」という言葉が頻繁に使われるようになった。2021年には「復興」を冠したオリンピックが開催され、昨年8月には、町内の一部で避難指示が解除された。9月には、双葉町内にできた新庁舎で役場が業務を再開した。12月には、復興予算の一部を防衛費に転用することが政府内で検討されていると報道された。

しかし、依然として、町内の大部分は帰宅困難区域内で立ち入りが制限されているし、住民の大多数が町外に暮らし続けている。「原発も国策。逃げろって言ったのも国。だったら、国策で全部きれいにして我々に『どうぞ戻ってきてください』って言うのが筋だと思います」突然故郷を追われた日から、抱え続ける憤りをそう表現した。

谷津田さんが愛する双葉町の海

谷津田さんが、ふとした時に思い出す、子どもの頃の記憶がある。「海に行くと思い出すんです。子どもの頃、夏場、7月になったら海に水浴びしに行くぞって、お袋におにぎり2つ作ってもらってね。家から3、4キロくらいのとこだから、ぶらぶら遊びによく行ったんですよ」

「土地には土地の歴史があるんです。私はやっぱり、海の近くがいいんですよね」新居のある南相馬市も福島県の太平洋岸、浜通りにある。(柴田大輔)

急停止から救出までを訓練 筑波山ロープウエー3年ぶり

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救出訓練でゴンドラから降りる隊員

筑波山つつじヶ丘(つくば市筑波)の筑波山ロープウエー山麓駅付近で9日、ロープウエーが故障により急停止したとの想定の下、救出訓練が行われた。

同市消防本部北消防署筑波分署のほか、ロープウエー運行の筑波山観光鉄道、つくば警察署、茨城県防災航空隊の関係機関合同による。従来2年ごとに行われていたが、コロナ禍の影響で3年ぶりの訓練となった。

訓練は、ロープウエーの急停止により、ゴンドラ内に数人が残され、その内の1人が病院への搬送が必要な状況を想定、ゴンドラから救出後、警察と協力してピックアップポイントで搬送し、防災航空隊に引き継ぐまでの手順だった。しかしこの日、福島県白河山系で森林火災があり、県防災航空隊のヘリコプターの参加が出来ず、ゴンドラから救出、搬送するまでの訓練となった。

山道を搬送する隊員ら

ロープウエーは全長1296メートル。山麓駅から女体山駅へ約200メートル向かった地点が訓練場所となり、山麓駅で542メートルの標高がある。ゴンドラの底から、救助袋を降ろし、地上と行き来し、遭難者に扮した隊員がタンカで搬送されるまでを実践した。総勢20人ほどの消防隊員らが、真剣な表情で取り組んだ。

消防署筑波分署の山岳救助隊員、杉山弘之さん(47)によれば、「筑波山は低山ながら、遭難者もおり、昨年だけで35件(うち宝篋山で5件)あり、今年になっても4件あった。近年、ロープウエーでの事故は起っていないが、訓練を通し、登山客や観光客の安全のため、任務をはたしていきたい」と語った。(榎田智司)

居場所を求め続けた想い つくばから双葉へ 谷津田光治さん㊤【震災12年】

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グラウンドゴルフに参加する谷津田光治さん(左)、美保子さん夫妻(左から2番目)ら双葉町出身者とつくば市民ら

つくば市並木の公務員宿舎に、福島県双葉町の役場機関である「双葉町役場つくば連絡所」がある。東日本大震災の後、2011年12月に設けられた。同町から避難した人々に向けて住民票などの申請手続きや、町からの連絡事項を伝えるとともに、避難者による自治会活動や地域との交流の拠点になるなど、避難生活を支えてきた場所だ。

福島県内外に避難する双葉町民が、つくばの公務員宿舎へ入居するきっかけを作り、連絡所の設置を進めたのが、元双葉町議の谷津田光治さん(81)。自身も双葉町で被災し、現在、妻の美保子さんと宿舎で生活している。震災から12年がたつ3月末、谷津田さんは宿舎を離れ、故郷に近い南相馬市へ転居する。つくばと双葉の人々を結びつけてきた谷津田さんにとって、12年の時間はどのようなものだったのか。

つくば、公務員宿舎へ入居する

「ここは、見渡すと樹木が多い。双葉の家も周りが山だったから違和感ないんです。なんとなく、双葉を思い出せるんですよ」谷津田さんが自室の窓越しに、敷地に繁るクヌギの木々に目を向ける。谷津田さんが暮らすつくば市並木の公務員宿舎には、以前は48世帯が入居していた。今はそれぞれ別の場所へ移るなどし、4世帯が生活をする。2022年3月の時点で、つくば市には437人の福島からの避難者が暮らしている。その中で双葉町の人々は、最も多い112人。

つくば市並木の国家公務員宿舎

双葉町は、福島第一原発事故による放射能汚染のため町全体に避難指示がだされ、全町民が避難生活を余儀なくされた。震災直後、1400人あまりが埼玉県に一時避難するなどし、先の見えない暮らしに不調をきたす人も多かった。そんな中、当時、町議を務める谷津田さんが耳にしたのが、つくばにある公務員宿舎のことだった。

「知り合いが、『茨城のつくばに空いている公務員宿舎がある。取り壊してるところもあるけど、まだ住めるところもあるから、見てきたらどう?』って言うもんで、見にきたら、びっくりするくらい部屋があったんですよ」つくば市には1970年代、筑波研究学園都市で働く研究所職員らに向けた公務員宿舎が約7800戸建てられた。その後、老朽化などを理由に、国は段階的に住宅の廃止を進めている。

「埼玉では、学校の教室に寝泊まりしていましたし、仮設住宅も長く暮らすには大変なんです。それが、つくばにこれだけまとまった家がある。多くの町民が1カ所で生活できるわけですよ。役場の事務作業だって少なくなる」

「みんながまとまって暮らすのが一番」と考えていた谷津田さんは、各地に避難する人たちに声をかけて下見に訪れ、役場とも交渉し、その後、2011年7月までに希望者の入居が始まった。

連絡所の設置

震災後、双葉町は、集団移住先の埼玉県加須市に役場機能を移転した。しかし、避難者は各地に散らばっていて必要な連絡が行き届かない。町は、避難者の多い場所に、支所や連絡所を置き事務機能を分担させていた。それを見た谷津田さんは「連絡所をつくばにも」と町に掛け合った。「情報があっちこっちすると、間違いが起きる。直接、連絡が来るのが一番だと思ったんです」

並木地区の公務員宿舎につくられた「双葉町役場つくば連絡所」

また、つくばには、生活に必要な支援物資が届いていなかった。「当時、支援物資は加須の役場に行かないと受けとれなかった。でも、個人で行ってもなかなかもらいにくいんです。みんな困ってるのは同じだけど、物をもらうっていうのは気が引けちゃう。だから、私らがライトバンで加須に行って、役場に話をつけて受け取ってきたんです。周りの人に『何かいるのあっかな?』って聞いてまわって。連絡所があれば支援の拠点になれる。そういう考えもありました」

妻の美保子さんは「これだけみんながバラバラになって、知らない土地で心細い中にいて、何かひとつだって町から届けば『見捨てられてない』って思えたんですよね」と連絡所ができたことで覚えた安心感を話す。

始めたグラウンドゴルフ

つくばでの新しい地域づくりが始まった。そこでは避難者同士だけではなく、つくば市民とのつながりも生まれた。

谷津田さんらは毎週火曜日、近所の公園でグラウンドゴルフを楽しんでいる。12年前から欠かさない、大切にしている交流の場だ。今では避難してきた人だけでなく、地域住民も参加している。終わった後のお茶会も楽しみとなっている。

運動の指導などを通じて避難者と交流し、学生にも交流の機会を設けてきた筑波大学名誉教授で体操コーチング論が専門の長谷川聖修さん(66)は「交流の場として、私たちにとっても貴重な場です」と話す。また長谷川さんの活動を通じて谷津田さんたちと知り合い、6年前から毎週グラウンドゴルフに参加している筑波大大学院の松浦稜さん(27)は「いつも楽しみにしてきました、ここに来ると、まるで実家にいるような気持ちになります」という。

グラウンドゴルフを楽しむ美保子さん(右)と参加者たち

グラウンドゴルフの始まりは、当事者同士の気遣いからだった。谷津田さんは「最初は、ばあちゃんの引きこもり防止だったんです。『あそこのじいちゃん、ばあちゃん、部屋から出てこないから』って。週に1回でも引っ張り出してっていうのがあったんです。何をやるにも、48世帯に声かけてやってました」と話す。

震災の月命日もそうだった。「みんなどこにも頼るところがないし、『月に1回、みんなで集まっか』って意識があった。その後も、年に1回、3月11日に慰霊祭を続けていました」

市内に借りた畑にもみんなで行った。「なんでも作りましたね。白菜からキャベツ、じゃがいも、里芋。収穫する時は、双葉の人、近所の人にも声かけて、弁当持って行ったんです。みんな喜んで、ピクニックみたいにね」

互いの様子を気遣いながら、共に暮らせる場所を作っていった。美保子さんは「つくばに来て、何もないところからの始まりだったんです。同じ双葉でもそれぞれ違うところに住んでいたので、双葉にいたら顔を合わせることもなかったかなって思います。その人たちが、ここで親しくなったんですよね。みなさん本当に親切にしてくれて。自分の家族のような人もできました」と振り返る。

今年3月末で、谷津田さんは、双葉町にほど近い南相馬市に建てた自宅に転居する。12年暮らしたつくばを離れる日が近づいている。つくばでの人とのつながりが、福島への転居をためらわせていたと美保子さんは言う。(㊦につづく、柴田大輔)

アーカイブ「遠藤周作『聖書』をゆく」 《遊民通信》60

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【コラム・田口哲郎】
前略

J:COM茨城で放送されている「泉秀樹の歴史を歩く」アーカイブの今月の番組は「遠藤周作『聖書』をゆく」です。以前書きましたが、泉さんは若いころ産経新聞の文芸担当をしていて、遠藤周作と知り合います。昭和41年(1966)のことで、遠藤は代表作『沈黙』を執筆した直後でした。遠藤周作はカトリック作家としての地位を確立し、ぐうたらシリーズ、狐狸庵先生シリーズなどのユーモア・エッセイで一世を風靡(ふうび)していました。

その後、泉氏はフリーのライターとなり、遠藤と親交をさらに深めます。そして昭和44年(1969)に、エルサレムへの遠藤周作の取材旅行に同行します。今月の番組「遠藤周作『聖書』をゆく」はこのエルサレム旅行の模様を中心にすえています。

きびしい神の沈黙とやさしい神の愛

エルサレムはキリスト教の始祖イエスが宗教家として成長し、最終的に十字架にかけられた場所です。聖書のクライマックスの舞台を遠藤周作はカトリック信者として、そしてカトリック作家として旅します。エルサレムは砂漠のなかにある都市です。まわりは荒地でとてもきびしい環境です。このきびしい世界こそが、イエスが生きたユダヤ社会の神、つまりユダヤ教の神ヤーウェのきびしさを生み出したのではないか、と遠藤は考えていました。

そのユダヤ教の改革者としてイエスは生き、そして保守的な人々と対立し、無実の罪で処刑されました。これはとても悲しい出来事です。イエスの弟子からしたら、師匠がみじめに処刑されたなんて、なんとも救いようがないことだったでしょう。しかし、イエスは不思議なことに復活して救い主になります。こうしてキリスト教が生まれました。

この沈黙と見えるみじめさのなかの希望は、なにもイエスの復活物語だけのことではないのです。歴史的なむごい出来事の前にも神は沈黙する。たとえば戦争が起きて、無数の悲劇が繰り返されて終わりません。それについて神は沈黙しているのではないか? 遠藤は神はなぜそんなことをするのか、と考えます。人間の罪を責めて、罰を与える神、きびしい神だけしかこの世にはないのか?

遠藤の答えは、神はきびしいだけではない、イエスは人類のために犠牲となった。それは人類への愛である。そして聖書に描かれるイエスは人間とともに一緒に歩む、やさしい神なのだ。神の沈黙は冷たく、人間を見はなしたように見える。でも、それは物事の一面でしかない。かなしみのなかに希望があるのではないか。神はイエスのように人間を愛している。それは愛であり、いつも人間に注がれている。そのようなイエスのようなやさしい神はたしかにいる。遠藤はこうした信仰を読者に伝えたかったのだと思います。

遠藤周作が亡くなって27年になります。遠藤の遺した作品を読んでみるのは意味があることでしょう。世界が混乱し、さわがしいいま、きびしい神の沈黙ではなく、やさしい神の愛を感じてゆきたいものです。ごきげんよう。

草々
(散歩好きの文明批評家)

「ハードル高いと受け止めか」県教育長 志願者減のつくばサイエンス高

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答弁する森作宜民県教育長


茨城県議会3月議会一般質問が7日開かれた。今年4月から科学技術の専科高に改編される県立つくばサイエンス高校(つくば市谷田部、現在はつくば工科高)の志願者数が減少した問題について、森作宜民県教育長は「開校初年度でもあり、進学実績が見えない状況にあったことや、『理系の大学を目指す』と掲げたことでハードルが高いと受け止められた」のではないかと答弁した。

つくば市の人口が増加していることを受けて、県は2023年度から同校の改編と併せて定員を2学級80人増やし240人にした。しかし志願者数は72人、志願先変更後の志願倍率は0.30倍だった。市内にある筑波高校も同じく40人を超える欠員が生じた。

森作教育長はサイエンス高について、今後は中学の教員などに聞き取りを行い、入試の結果を分析し、科学への探求心を育てていく学校であることを理解してもらうよう努めるとした。

さらに、サイエンス高、筑波高2校の定員を充足させる必要があり、既存の高校の魅力づくりによる志願者確保に努め、必要に応じて定員増を検討するとし、筑波高校については、ICT(情報通信技術)を活用したAIドリルによる個別最適化学習などにより、一人ひとりに寄り添った指導体制の充実に努めるとした。

星田弘司県議(いばらき自民党)と、宇野信子県議(市民ネットワーク)の質問にそれぞれ答えた。

市民団体がつくば市などつくばエクスプレス(TX)沿線に県立高校の新設などを求めている問題について森作教育長は「既存高校の魅力化を図ることにより志願者確保に努める」など従来と変わらない答弁を繰り返し、「つくばエリア(つくば、常総、牛久市など)に隣接する周辺エリア(土浦、下妻市など)では、つくばエリアの増加以上に中学卒業者の減少が見込まれることから、県立高校を新設する判断には至っていない」とした。さらに募集定員についても、現状をみるとつくば市の中学校卒業生は他エリア同様、市内だけでなく、広範囲の県立高校や私立高校など多様な選択肢の中から学校を選んで進学していることを上げ、そのような通学実態を考慮して、受け皿が不足することのないよう検討すると話した。

傍聴に訪れていた市民団体「つくば市の小中学生の高校進学を考える会」の代表片岡英明さん(72)は、県議会でこの問題がクローズアップされてから1年が経過した今、「進路選択に影響が出ないように検討と前回の答弁を聞いたときは、大きく前進したと受け取ることができた。しかし今回の答弁を聞く限り、県はつくばの人口増加をどう考えているのか分からなくなった」と落胆をにじませた。(花島実枝子)

高校不足と土浦一高の学級削減 《竹林亭日乗》2

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【コラム・片岡英明】学校とは、3月の卒業式の生徒の笑顔のためにある。自分の指導が行き詰ったとき、私は何度も卒業式の生徒の笑顔を思い浮かべた。卒業式は生徒の笑顔に自信を読み取る日でもある。

3月14日は県立高校の合格発表だが、つくばの中学生にはつらい日である。つくばエリアの中学卒業生に対する県立高校の枠を何とか県平均まで高められないか、そんな思いで小さな「高校進学を考える会」で学習を続けてきた。

昨年11月の森作教育長の「中学生の進路選択に影響がないように学級増を行い、その計画を示す」との発言を受けて、私たちは不足学級数を検討した。その不足学級数と改善案を、2月19日の市民のつどいで説明した。この会合には国会議員をはじめ県議の方が5名参加され、多様な観点から深い議論が行われた。

つくば地区、30年までに25学級不足

私たちの会の計算では、県立高校の平均収容率や高校改革プランから、つくばエリア(つくば市、つくばみらい市、守谷市、常総市)で、現時点で15学級、2030年までにさらに10学級、合計25学級増が必要と分かった。

つくばエリアの中学生のために、25学級増を既存の高校でまかなえるのか? それとも学級増のひとつの方法として、高校新設も考える必要があるのか? 学級増と高校新設は対立的なことではないのだから、冷静に生徒数や算定基準を設定し、議論を積み上げれば、必ず着地点はある。

25学級増には、1校2学級として、12~13校の学級増が必要である。つくばエリアには並木中等や茎崎高校を入れても10校しかない。そのため、エリア外の土浦・牛久・下妻の協力を得る必要がある。また、エリア内の高校でも、校舎の増築・校地の拡張・教育の体制などで、2学級増が実際に可能なのかも検討する必要がある。

土浦一高、24年の入試から改善を

今回の改善案では、25学級増の案、10学級の高校新設含む案、10学級と8学級2校の新設を含む案―3案を提示した。その上で、2024年に県立高校の2学級増と土浦一高の定員削減停止を求めた。

手元に「三六会 卒業60周年記念誌 土中三六回同窓会 H8」がある。片岡久会長の発刊の言葉に始まり、恩師永山正先生からの文もある。地域に根差す伝統校の息づかいが感じられる184ページの大著である。

さて、土浦一高は2020年まで8学級募集だったが、2021年に7学級、2022年には6学級となった。それが、2024年から4学級に半減する。以前は、土浦の一つの中学校から10~20人と入学した話を聞くが、2022年は市内8中学で33人だった。これが4学級となれば、20人ぐらいになると心配している。

三六回の記念誌を読むと、卒業生が地域の伝統校としてネットワークを生かし、土浦の産業や文化を支えていることが分かる。高校を広い視点でとらえ、地元の中学生と高校不足のつくばの中学生のため、さらに土浦地域の発展のために、土浦一高の定員削減を停止してほしい。(元高校教師、つくば市の小中学生の高校進学を考える会・代表)

ミモザ彩るセキショウグループ59拠点 「国際女性デー」でフラワーアレンジメント

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「尊敬」の花言葉を持つラナンキュラスとミモザを組み合わせて、女性への尊敬と感謝を表現したというアレンジメントを紹介する笠井夏海さん=メルセデス・ベンツつくば(つくば市研究学園)

8 日は「国際女性デー」。ジェンダー平等の社会実現を願って、関彰商事(本社・筑西市、つくば市、関正樹社長)は、県内外59カ所の店舗や拠点で黄色いミモザの花を使ったアレンジメントを飾る。

同社では国際女性デーの趣旨に賛同し、2021年からミモザの装飾を始めた。これ以前から、女性活躍推進の取り組みとして積極採用や職域の拡大、管理職の登用などを行っており、現在女性2人が管理職に就いている。また、福利厚生の一つに「子育てサポート休暇」として子どもの検診や学校行事のための特別有給休暇制度を設けるほか、育児休暇の取得推進にも取り組んでいるという。育児休暇の取得率、休暇取得後の復職率は共に100パーセントだという。

総務部長の石川喜代江さんは「時代に沿った働き方をしている。国際女性デーの日は、社内外の女性たちへ尊敬やエールを送る気持ちを持っている」と話す。

メルセデス・ベンツつくば(つくば市研究学園)で受付や営業担当として働く笠井夏海さん(25)は、同社での女性活躍について「女性ならではのおもてなしをされている先輩方がたくさん活躍していて尊敬している」そう。ミモザの飾り付けについては「素敵だと思う。アレンジを来店される多くの方に見てもらい、お話のきっかけにしたい」という。

国際女性デーは1975年、国連によって制定された女性の社会参画を願う日で、イタリアでは女性に感謝を込めてミモザを贈ることから「ミモザの日」とも呼ばれている。「ミモザの日」は、現在ではイタリアを中心にヨーロッパや南米の一部の国々で広く認知されている。(田中めぐみ)

亡くなった父の喪主を務めました 《ハチドリ暮らし》23

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道の途中に七福神がいらっしゃいました

【コラム・山口京子】母には、父ちゃんが亡くなっても自分が喪主を務めることは無理だから、京子がやるようにと以前から言われていました。喪主を務めることは難しいと母の様子を見ていて感じていましたので、了解しました。ですが、実際喪主をしてみると、わからないことが多くありました。

施設で亡くなった父の遺体をどこに安置するのか? 葬儀社は事前に契約しておらず、実家のある農村がよく利用する葬儀社に連絡しました。遺体の移動と葬儀の依頼の電話を入れると、3時間後に施設に引き取りに来てくれました。

自宅ではなく、葬儀社の安置室においてもらうようにお願いし、そのまま葬儀会社の応接室で、今後の打ち合わせが始まりました。まずは火葬場の空き状況、そして、菩提(ぼだい)寺の住職の日程を確認し、通夜と告別式を決めます。お客様情報と葬儀日程表が作成されると、葬儀の見積もりの打ち合わせです。

家族葬で行いたい旨を伝えると、そのコースが示され、そこから選択し、その基本コースに別注品を加えます。遺体の搬送費、引出物、料理などを決めていきます。それらをトータルすると、基本コース料金の約3倍の費用となりました。

また、ご住職へは戒名と本位牌の費用、供養など、合わせて50万円程度のお布施をいたしました。家族葬のつもりでしたが、親戚や村内の付き合いがあった方々がいらして、一般葬のような家族葬でした。

何もわからない私に対して、葬儀社の担当者が丁寧に説明してくれます。無事に葬儀が終わると、今度は四十九日の法要の段取りです。こちらはご住職がリードされ、それを踏まえて、葬儀社に準備のお願いをしました。

宣伝の葬儀費用には要注意

家族葬の宣伝をテレビやチラシでよく目にしますが、そこで示されている価格で、家族が希望する葬儀ができるかはとても疑問です。今回思ったのは、やはり事前に、どんな葬儀を自分は望むのか、それにはどの程度の費用が必要なのかを調べておいたほうがよいということです。葬儀は残された家族の心のけじめをつける場であるのでしょうが、形式的なことに追われてしまいました。

市役所の手続き、未支給年金と母の遺族年金の手続き、各種引落口座の変更、各種契約の名義変更、父名義の財産目録の作成、遺産分割協議の話し合いなどが続きます。先月、施設の経理担当の方から電話があり、父の施設費と医療費が通帳から引落しできないと言われ、現金で持参しました。人が亡くなったあとの手続きについて、経験させてもらっています。(消費生活アドバイザー)

まだまだ終わらない つくば運動公園問題《吾妻カガミ》152

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つくば市役所正面玄関サイド

【コラム・坂本栄】前回は洞峰公園問題でしたが、今回は運動公園用地問題を取り上げます。市は運動公園用地という言い方が嫌いらしく、市の記述では「高エネ研南側未利用地」となります。この市有地(46ヘクタール)、すでに倉庫運営会社へ売却され、代金(110億円)も払い込まれています。ですから、大方の市民は「もう終わった問題」と思っているようです。ところが、まだ終わっていないのです。

住民訴訟の水戸地裁判決は夏ごろ

市有(帳簿上は市土地公社)であった土地を買った業者さんは、森林を伐採抜根して更地にし、物流倉庫と電子データ倉庫を造る計画です。そのためには、市の都市計画審議会に用途変更(住宅・文教区画⇒準工業地区)を認めてもらうだけでなく、市民有志による「議会の決を取らないで市有地を売り払うのは違法だ」との住民訴訟で市が勝つ必要があります。

最初のパラグラフで「…まだ終わっていない」と書いたのは、用途変更が承認されないとか、住民訴訟で市が敗訴するようなことになれば、業者さんは買った土地を市に返さなければならないからです。

市担当課によると、用途変更の方は、問題ないとする都計審の判断をチェクする県からも異議は出ず、OKになったそうです。関門の一つはクリアしたわけです。しかし、水戸地裁にかかっている住民訴訟の方はまだ審査中で、判決が出るのは今夏ごろになるようです。

実質的に市が所有する土地なのに、議会の議決を得ないで市の財産を処分した手順のおかしさ、前市長時代に買った運動公園用地を売り急ぐ現市長の政治的理由については、135「…用地売却に見る つくば市の不思議」(2022年6月20日掲載)、137「…市長の宿痾(しゅくあ)運動公園問題」(同年7月18日掲載)をご覧ください。前者では、住民訴訟の訴状全文へのリンクも張っておきました。

高エネ研南と県有地を交換したら?

話を元に戻します。住民訴訟で市が負けた場合(地方自治法と市条例に違反する場合)、どうなるかというと、業者さんは倉庫団地を元の状態に戻して、市に返さなければなりません。そのリスクを承知して(市が負けることはないと思って)土地を買ったわけですが、地裁の判決がどうなるかは分かりません。

業者さんにとって厄介なのは、地裁で市が勝訴し、二つめの関門もクリアしたとしても、土地返却のリスクが消えないことです。というのは、市民有志は、地裁で負けたら高裁、高裁で負けたら最高裁に持ち込むと言っているからです。売買契約には、市が敗けた場合は土地を返さなければならないとの条項が入っていますから、住民訴訟が続く限り、運動公園用地問題は「終わらない」ということです。

土地を買った業者さんは、世界中から高配当を謳ってお金を集め、そのお金で建てた倉庫を荷主に貸して儲ける、外国系ファンドです。土地返却リスクをずっと抱える不透明な状況に耐えられるでしょうか。 売却議案を議会で通しておけば、業者さんは余計な心配をせずに倉庫運営に集中できたのに、市執行部は罪深いことをしたものです。

そこで提案です。運動公園用地を返してもらい、県がTX研究学園駅の北側に持っている準工業地区(C46街区、14ヘクタール)と運動公園用地を交換。同駅近くに市立高校を建て、運動公園用地に県営陸上競技場(県南市町村も資金分担)を造ってもらったらどうでしょう? つくば市の2大懸案、市内公立高校不足問題と棚上げ陸上競技場問題をセットで解決する案です。(経済ジャーナリスト)

日銀と同友会のトップ人事は日本を変えるか? 《雑記録》45

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春到来(筆者撮影)

【コラム・瀧田薫】本年4月、日本銀行総裁と経済同友会代表幹事の任期切れに伴い、それぞれに新総裁と新代表幹事が就任する運びとなっている。

日銀総裁についてはまだ衆参両院の同意を取り付けるなど諸々の手続きが残っているが、経済学者・植田和男氏の就任で決まりのようだ。2月24日付の日経社説は「植田氏は金融政策の明快な説明と対話を」と早すぎる注文を付け、その上で、黒田東彦総裁が主導した「異次元緩和」はほころびが目立つとし、植田氏の最初の大仕事はその修正になるとしている。

新総裁の任期は5年。大仕事だけに、就任早々の進路変更はないだろう。しばらくは前任者の敷いた路線をたどり、不確実な世界情勢や国内政治の動きを見ながら、徐々に日本丸の舵(かじ)を切っていくのだろう。長い目で見て、この国の危機を救う人事となることを祈りたい。

経済同友会については、現職の桜田謙梧代表幹事(SOMPOホールディングス会長兼CEO)が4月末に任期満了を迎える。後任には、サントリーホールディングス社長の新浪剛史氏の就任がすでに発表されている。任期は2期4年。同友会は経済3団体の一つで、経団連は大企業トップの集まり、日本商工会議所は中小企業の立場で政府にもの申してきた。

同友会は一風変わっていて、経営者が個人の資格で参加することもあって、個性派集団であり、時には正面から政府を批判したりもする。新浪氏も改革志向が強い人で、同友会でも副代表幹事として積極的に発言してきた。昨年12月の就任披露の記者会見で「日本は良いものをもっているのに自信を失っている。新しい社会をつくるために変えるべきところを変えていきたい」と語っている。

桜田現代表幹事も、新浪氏について「日本を変える情熱の塊」と評価している。停滞が続く日本経済を活性化するには民間主導の構造改革が不可欠であり、同友会にはその先駆けとなることを期待したい。

民主主義のインフラ、独立財政機関

さて、新浪氏には独自のアイデアもあるだろうが、桜田氏が残した実績のなかで特に継承してほしいものがある。それは同友会による「2019年11月提言」である。提言は「財政健全化や社会保障改革が遅れており、これを改めるには国民が必要とするデータを長期的かつ客観的な視点から提示する機関が不可欠である」として、民主主義のインフラとして「独立財政機関の設置」を提唱している。

2000年代以降、経済危機を契機とし、政府から独立して長期推計の作成などを行う独立財政機関の設立がOECD加盟国を中心に相次いだ。しかるに、この国の長期債務残高のGDP比は最悪の水準にありながら、独立機関の設置には政府与党を中心に反対が強く、提言は顧みられることなく今に至る。

新浪氏には、複眼的に将来を展望する社会の構築を目指し、独立財政機関の設立を広く国民に向けて主張してほしい。(茨城キリスト教大学名誉教授)

情報は道具《続・気軽にSOOS》128

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【コラム・浅井和幸】なんだ、そんなことも知らないのか、〇〇のくせに。〇〇は大人を入れてもよいし、カウンセラーなどの職業を入れてもよいです。このような言葉で自分の知識を武器に、相手を見下す場面に遭遇することがあるでしょう。

近年、インターネットとスマートフォンの普及で、知識や情報は手軽に手に入りやすくなりました。すぐ人に聞かないでグーグルで検索をしろという「ググレカス」という言葉ができ、今ではその言葉も廃れ、検索はツイッターも使って調べるなど、どんどん変化してきています。

情報があふれる中、「そんなことも知らないのか」と、情報が頭に入っていることを自慢したくなるものです。何かを覚え、その記憶を引き出して使うことは大切なことです。何かのテストのときは、記憶力は大きな武器となるでしょう。

しかし、その場面ですら、情報を道具として問題を解くという目的のために使っていることになります。さらにそのテストも、何かの資格を得るため、収入を得るため、栄光を得るため―などの目的を達成する道具と言えるでしょう。

冒頭の例は、情報という道具を、相手を見下すために使うことです。はっきり言って、つまらない使い方ですね。しかも、その本当の目的は、意識的であれ無意識であれ、自分を偉い人だと思ってほしい、自分の地位などを守りたいというものです。

ですが、見下された相手からすれば、自分を見下す相手を偉いとか、たたえるとかとは程遠いものになります。パワハラのように力関係があれば、表面上は偉いですねと言うかもしれませんが、その場の表面上だけのことにすぎません。

ポジティブ・ネガティブな使い方

手段と目的を正しく認識することは難しいものです。そして、その道具(情報)は使いようによって、ポジティブ、ネガティブ、どちらのためにも使えるものです。

例えば、カウンセリングの知識や手法を使って、相手を苦しめることだってできます。カウンセリングの知識や情報を持ち、それを使えば、相手は気持ちが楽になり、幸せになれると思い込んでいる支援者すらいます。

相談の場面で、教科書に載っている通りに、あるいは偉い先生が言った通りに共感をしておけば、悩んでいる人のためになるのだと目の前の現実を見ずに実行してしまって、相手を傷つけ続けてしまうことも実際にあります。

情報や技法などは力ですが、自分や相手の目的に即した使い方をしているか、検証をしておいた方がよいです。自分の正しさを証明するために、相手を傷つけるようなことを繰り返していたら、本来の目的を外れ、いつしか自分自身が傷つくことになるのですから。(精神保健福祉士)

旧筑波小にインド系インターナショナルスクール 2024年4月開校へ

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2018年に廃校になった旧筑波小学校=つくば市国松

2018年に廃校になったつくば市国松、旧筑波小学校(約8800平方メートル)に来年4月、インド系のインターナショナルスクールが開校する。初年度の24年度は、つくば市在住者を中心に2歳半の幼児から小学校5年生まで40~50人が通学すると想定されている。その後受け入れを拡大しながら、高校生まで500人規模の学校にする。3日、同市議会全員協議会に報告された。

外国企業誘致施策の一環で県が誘致し、昨年9月には地元住民との意見交換会が開かれた(22年9月27日付)。

開校するのは、シンガポールに本社があるグローバル・スクールス・ファウンデーションの日本法人で、株式会社のグローバル・インディアン・エデュケーション。同社は現在、東京都江戸川区でインターナショナルスクールを運営している。同区内に三つのキャンパスがあり、1000人を超える児童生徒が学んでいる。

旧筑波小での開校に向けては、今年夏頃につくば市と賃貸借契約を結び、市から、鉄筋コンクリート3階建ての教室棟とグラウンドを年間約390万円で賃借する。その後、同社が教室などの部分的な修繕を行う。体育館は耐震基準を満たしていないことから使用しない。

江戸川区の同インターナショナルスクールによると、旧筑波小では国際バカロレアの教育プログラムによって授業を行う方針だ。教室は普通教室を分割し、最大20人前後の少人数とする。主につくば市内に住む子どもたちがスクールバスで通うことを想定しており、インド出身者ばかりでなくさまざまな国籍の児童生徒を募集する。

地域住民に向けては、ヨガなどのカルチャースクールを開設するほか、校庭を地域に開放するなどして、地域の文化・スポーツ活動を支援する。現在、防災備蓄倉庫が設置されていたり、選挙の際の投票所となっていることから、開校後も引き続き防災倉庫を設置し避難所として利用できるようにしたり、投票所として利用できるようにするという。

電子図書館サービス 利用者数が増加 土浦市とつくば市で導入

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土浦市立図書館(左)とつくば市立中央図書館の電子図書館サービスのトップページ

図書館の蔵書をパソコンやスマートフォンなどで無料で読める電子図書館サービルが、土浦市立図書館とつくば市立中央図書館で始まり、利用者数が増加している。土浦市は新図書館が駅前に開館した2017年11月27日から、つくば市は昨年10月4日からスタートした。

土浦市電子図書館で利用できる蔵書数は2月現在、約2500冊、つくば市は約1400冊。土浦市電子図書館の一般登録者は2月現在約550人。ほかに児童生徒に1人1台の端末を配備するGIGA(ギガ)スクール構想を受けて小中学校と連携し、市内の小中学生約9600人も登録している。

つくば市電子図書館の一般登録者数は不明だとするが、2月24日まで約5カ月間で累計約1万7600人の閲覧(ログイン)数があった。

小学校が授業で活用

土浦市では22年7月から、主に小学生向けの電子書籍を絞り込んだ「こどもでんしとしょかん」をスタート。同市担当者によると「授業や授業開始前の読書時間での活用により、電子図書館の利用がかなり増加している」という。

つくば市では電子図書館のトップページに小学生に向け「おすすめの本」の項目を作り、読書活動の推進を図る。同市担当者は「電子図書館で利用できる地域資料の提供や、中高生に向けた蔵書の分かりやすい提示について検討中」だという。つくば市では高齢者からの問い合わせも多く、関心の高さがうかがえるとしている。

予算措置が課題

土浦市もつくば市も今後蔵書数を増やしていく予定だが、土浦市担当者は「出版される本の全てが電子化されている訳ではなく、限られた母数の中からコンテンツを選定している。今後、電子化される本の種類が拡大するかどうかが課題の一つ」だとし、「期間限定のコンテンツが存在するため、所蔵数を確保するための予算措置が必要になる」と課題を述べた。

土浦市は市内在住で利用カードを持つ人、つくば市は同市に在住、在学、在勤で利用カードを持つ人が利用可能で、いずれもパスワードの設定が必要。パソコンやタブレット、スマートフォンを利用し、来館せずに電子書籍の検索、貸出、返却、閲覧が可能で、返却期限が過ぎた電子書籍は自動で返却される。コンピュータ上のデータのダウンロード、インストールは不要で、ブラウザ環境で閲覧ができる。視覚障害者向けに音声読み上げに対応した電子書籍もある。土浦市もつくば市も貸し出し点数は1回2点まで。貸し出し期限は土浦市が15日間、つくば市が14日間となっている。

土浦市立図書館ではさらに、収録楽曲数240万曲を超える「ナクソス・ミュージック・ライブラリークラシック」というインターネット音楽配信サービスも導入している。利用カードがありログインIDとパスワードを設定した人はデータを受信しながら同時に聞くことができるストリーミング方式という方法で利用することができる。

コロナ禍 4.8倍に急増

電子出版制作・流通協議会の集計によると、20年1月に電子図書館サービスを導入した自治体数は全国で91自治体だったが、22年10月には436自治体に急増した。電子書籍の普及とコロナ禍で公共図書館の電子化が急速に進んだといえる。さらに学校でもGIGAスクール構想を受けて電子書籍の活用が始まっている。

土浦市もつくば市も電子図書館サービスとして「クラウド型電子図書館サービス&コンテンツLibrariE(ライブラリエ)&TRC-DL」を導入。LibrariEとの主たる契約は「ワンコピー・ワンユーザー型」、「2年間または52回の貸出し」の条件で、貸し出しの多い作品は再契約が提示されている。

同サービスは、職員による予約や貸出、督促業務などの必要がなく、返却期限が過ぎた電子書籍は自動で返却されるため省力化につながるという。電子書籍は利用によって本が痛んだり紛失したりすることがない。また、パソコンのマニュアル本など、数年で情報が陳腐化してしまう本は有期限契約で入れ替えることができ、電子図書館に向いているという。(田中めぐみ)