金曜日, 4月 26, 2024
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鈴木宏子 -検索結果

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小中学校の給食費を無償化へ 土浦市 10月から

土浦市の安藤真理子市長は4日の定例記者会見で、小中学校の給食費を無償化するための補正予算案を5日開会の市議会9月定例会に提案すると発表した。可決されれば10月分から無償化を実施する。給食費の無償化に取り組む市町村は県内で14番目になるという。 子育て環境のさらなる充実と物価高騰による子育て世帯の負担軽減が目的。安藤市長は「将来を担っていく子供たちの健やかな育ちを支えていきたい」と話す。 無償化の対象は、公立の小学校15校、中学校7校、義務教育学校1校の計23校に通う小学生約6200人と中学生約3200人の計約9400人。同市の現在の給食費は小学生が月額4200円、中学生が4700円で、今年度は10月から半年間で約2億4500万円、23年度以降は年間で約4億5000万円かかる見込み。財源は、今年度の半年分は22年度決算で確定した剰余金の一部を充てる。 給食費の無償化に取り組む市町村は今年になって全国で増えている。同市によると現在、無償化を実施している県内13市町は、大子町など6市町が小中学校の給食費無償化を実施。水戸市が今年4月から中学校のみ無償化を実施。神栖市など6市町が期間限定で小中学校の無償化を実施している。 一方、国のこども未来戦略会議は今年6月に示した「こども未来戦略方針」案で、学校給食について「無償化の実現に向け、まず無償化を実施する自治体の取り組み実態や成果・課題の調査、全国ベースでの実態調査を速やかに行う」などとしているが、無償化の時期は明確になっていない。安藤市長は「早急に無償化を実施することが、現在の物価高で負担が増大している子育て世帯の支援につながると考えた。本来は国がやるべきものと思っている。早急に始めたいと思っていた中、財源の確保ができたので10月からやろうと決めた。国の無償化が決まるまでのつなぎだと思っている」とした。(鈴木宏子) ▽今年度、学校給食費の無償化を実施している13市町村と実施時期は以下の通り(土浦市調べ)【小中学校の給食費を無償化】・大子町 2017年4月から・城里町 18年4月~・河内町 20年9月~・潮来市 22年4月~・日立市 23年4月~・北茨城市 23年4月~【中学校のみ無償化】・水戸市 23年4月~【期間を限定し小中学校を無償化】・神栖市 23年4月ー24年3月・境町  23年4月ー24年3月・稲敷市 23年4月ー24年3月・鉾田市 23年9月ー24年3月・石岡市 23年9月ー24年3月・かすみがうら市 23年9ー11月

いじめをなぜ止められなかったのか 保護者が再調査求める 土浦の中学校

中学生だった2019年4月から22年3月までの3年間、土浦市内の公立中学校でいじめを受けていた男子生徒(現在は高校2年)の保護者が、市に対し、いじめ防止対策推進法や市いじめ防止基本方針に基づく再調査を求めている。 保護者は昨年5月に要望を出し、市長は同6月「再調査を行う予定はない」などと回答した。保護者はさらに市教育委員会の担当者から同7月「(22年)7月に弁護士と教育委員会の間で、男子生徒に関する問題はすべて終結し、今後、保護者とは対応しないとの確認があった」などと言われ、対応してもらえない状況だという。 障害を揶揄 男子生徒は身体に障害があり、学校では補装具を付けて歩いたり、車いすで移動している。排せつの感覚がないため4時間ごとにトイレに行き、自分で排せつを行う必要がある。5時間以上トイレに行かないと体に悪影響が出る。 保護者によると、小学校の時からいじめがあり、中学入学直後、同じ小学校出身の同級生からいじめが始まり、広まった。「死ね」と書かれた手紙を渡されたり、筆記用具が無くなったり、クラスのグループLINEに写真を掲載され悪口を書かれたりした。休み時間に個室のトイレに入っていた時、ドアを激しくたたかれたり蹴られたりしたことが繰り返しあった。怖くてトイレに行けなくなり、体調が悪くなって薬を服用したこともあった。 車いすを揶揄(やゆ)する悪口や陰口を言われたり、補装具を付けて歩く姿を真似され笑われた。中1の体育祭では「応援合戦に出るな。それがクラス全体の意見だ」と言われ、見学した。男子生徒はクラスに居場所がないと感じ、その後、中1の3学期が終わるまで特別支援学級や市の適応指導教室などで個別学習をするようになった。 学校は、男子生徒から相談を受けたり、保護者から連絡を受けるなどして、その都度いじめに対応。加害生徒も男子生徒に謝罪するなどした。学校はさらにいじめに関しクラスアンケートを取ったり、道徳の時間にいじめについて話し合ったり、加害生徒の家庭訪問を行うなどした。中1の2月に実施されたアンケートではクラスの生徒から延べ30件のいじめの報告があった。 学校と教育委員会はさらに、いじめ重大事態として中1の2月から、第三者を加えたいじめ対策委員会をつくり調査を開始、中2の21年3月までに調査報告書をまとめた。報告書の中で、学校が認定したいじめは9件で、加害生徒は14人になった。報告書にはいじめ防止対策や男子生徒への支援策などが記された。 対策中もいじめ止まず 一方、いじめ対策委員会の調査中もいじめは止まず、中2、中3になってからもいじめは続いた。男子生徒は中2の秋、所属していた部活動でビデオを撮影した際「足手まとい。(男子生徒を)入れずに撮影しよう」と言われ、休部し、別の部活動に移った。同じ時期、クラスの複数の生徒から、近くを通りかかった際、腕や背中、腰を殴られることが継続的にあった。男子生徒は脊椎が損傷しており手術を受けている。背中や腰を殴られれば麻痺(まひ)が広がる恐れもあった。 ところが中2の3月にまとめられた調査報告書には、中2で受けたいじめの調査報告が無かった。中3の3学期にも一部の生徒から廊下や階段で「ざこ」「かす」などと繰り返し言われた。県立高校入試の際は、自分をいじめている生徒が同じ高校を受験することが分かり、受験校を変更した。 中途半端な謝罪で幕引き 中2の1月、いじめ対策委員会が調査を終えることを知った男子生徒の保護者は、学校に対し「(加害生徒の)表面的、形式的な謝罪で幕引きを図っている。(学校は)事態を矮小化し、クラス全体に十分な指導を行わなかったために、いじめはその後も続くことになってしまった。(加害生徒の)中途半端な謝罪を認めることが適切であったか検証すべき」「(息子と)加害生徒との食い違いは解消されておらず、報告書に取り上げられてないいじめが多数あり、事実関係は明らかになっていない。いじめは続いており、学校・教育委員会の取り組みはいじめの再発防止につながっていない」などとして調査継続を求めたが聞き入れられなかった。 この問題は中2だった21年3月の教育委員会定例会に報告され、中3になった翌年度6月、補足訂正の報告が行われた。教育委員の1人から「(いじめが)続いているとしたらこれは相当大変な事案。この年齢になると周りの大概の子供は(障害を抱えている子供に対する)そうした良識を身に付ける。それこそ、いじめをやっている子供たちこそがカウンセリングが必要」などの意見が出た。 調査が不十分 いじめ防止法と市の基本方針は、十分な調査が尽くされてない場合、市長の再調査についても定めている。保護者は「トイレをたたいたり蹴ったりした事案は繰り返し行われ、男子生徒は『ごめんなさい、ごめんなさい』と泣き叫ぶほどだったのに、調査報告には『恐怖と不安を感じた』とだけ記すなど調査が不十分。中1の2月に実施したクラスアンケートでは延べ30件のいじめの報告があったのに、調査されたいじめは9件にとどまっている。中2のときに受けたいじめが調査報告から抜けている。中2の秋に、数人の生徒に背中や腰、腕を殴られた事案は(障害がある男子生徒にとって)まひが広がる恐れがある重大事態だったにもかかわらず調査報告書に記載がない」など、調査が不十分だと指摘する。 話し合い再開してほしい 男子生徒の父親(49)は「教育委員会も学校も『相手にしない』という姿勢で話を受け付けない。教育委員会担当者とは中3の2月以降、学校とは卒業後の4月以降、話ができていない。重大事態調査終結後も、学校、保護者、教育委員会の3者が連携して子供を守る約束だった。なぜ一方的に約束を反故にしたのか。話し合いを再開してほしい」と話す。 市教育委員会指導課は、男子生徒に対するいじめや、いじめ防止の対応などに関するNEWSつくばの取材に対し「関係する生徒等の個人情報やプライバシーに関わることであり、回答を差し控えさせていただく」とし、「本いじめ問題の解決に向けては、本人や関係生徒、関係する保護者等に対して、調査、指導、回答、報告等を丁寧に行い、教育的な配慮に基づいて、粘り強く事実の確認や再発防止のための策を講じてきた」などとしている。(鈴木宏子)

被災状況記した地図など公開 国土地理院が企画展【関東大震災100年】

国土地理院(つくば市北郷)内の地図と測量の科学館で「関東大震災100年ー地図に残る地殻変動と被災状況」と題した企画展が開かれ、同院の前身の参謀本部陸地測量部の調査隊員が震災直後に被災地を調査し、被災状況を書き込んだ地図や、地殻変動を測量した記録などが展示されている。 隊員94人が現地調査 被災状況が書き込まれた地図は「震災地応急測図原図」で、1万分の1から20万分の1までの複製地図56点が一堂に展示され、手に取って見ることができる。震災直後の9月6日から15日まで、当時の調査隊員94人が東京、千葉、神奈川などの被災地を歩いて調査し、地図上に、家屋の倒壊や焼失の状況、鉄道や道路、橋などの損壊状況など被災状況を書き込んだ。赤色の字で「家屋ことごとく倒壊し現存してあるもの郡役所のほか数戸に過ぎず」などの記載がある。実物も7点ほどが開催期間中、代わる代わる展示されている。 一方、軍関係施設などが立地する区域の地図は当時、外に持ち出したり公開するのを禁じられ、被災調査で使用することができなかった。調査隊員は、持ち出し禁止区域の海岸線や河川、鉄道、主要道路、集落や地名を和紙に写し取り、「写図」を作って現地調査で使用した。会場では被災状況が書き込まれた「写図」も展示されている。 延長460キロを測量 地殻変動を測量した記録は、余震が沈静化してきた9月26日から房総半島と三浦半島を、10月下旬から東京付近の水準点を測量した。水準点231点、延長460キロを測量し、水準点の沈下や隆起の概要をまとめた1924年3月の報告書「関東地方激震後における震災地一等水準路線の変動について」が初めて公開されている。東京湾の入り口、神奈川県三浦市の油壷験潮場は震災で約1.4メートル隆起し、機器が破損したため潮位を測定できなかった。企画展では油壷験潮場の当時の潮位の変化がパネルで初公開され、機器が損傷し、記録が空白となっていることが分かる。さらに三角点808点の当時の測量記録をもとに、震災前と後で地形がどのように変化したかを現代の地図上に記した三角点の水平位置移動図も初公開されている。 ほかに、被災直後の東京の街の様子などを撮影した絵はがき約50点や、災害に対する現在の取り組みなども紹介されている。絵はがきは、当時の人々が、震災の様子を遠くの親戚などに送って知らせたものだと言う。 同館で関東大震災をテーマに企画展が開かれるのは震災85年の2008年に次いで2回目。 同院広報広聴室の塩見和弘室長は「企画展では、当時の水準測量と三角測量の実際の記録を元にして、関東大震災でどんな地殻変動が起こったのかを見ることができる。潮位の観測も初公開され、当時どのように潮位が変化したかが分かる。当時の測量の成果や我々の先輩が後輩に残した記録を現代の地図上に落とし込んで、どのような地殻変動が起こったかということも見ることができる。当時の実際の地図のレプリカから、災害の状況を手に取って見ることもできるので、防災意識の醸成や防災に役立てていただければ」と話す。(鈴木宏子) ◆同展は10月1日(日)まで。入場無料。開館時間は午前9時30分~午後4時30分。月曜休館。地図と測量の科学館は、つくば市北郷1、国土地理院構内。詳しくは電話029-864-1872。

意見相次ぎ審査継続へ 洞峰公園問題で県議会特別委

「68億円の財産、無償譲渡は理解しがたい」 県議会の第2回県有施設・県出資団体調査特別委員会(田山東湖委員長)が30日開かれた。県立の都市公園、洞峰公園(つくば市二の宮)を地元のつくば市に無償譲渡する県執行部の方針に対し、いばらき自民党のベテラン県議3氏から「68億円の財産(洞峰公園の資産価値)を不交付団体のつくば市に無償で譲渡するのは疑問だ」などの意見が相次ぎ、県の方針を了承するには至らず、次回も審査を継続することになった。 この日審査を実施した、民間譲渡などが検討されている県や県出資団体の施設7カ所のうち、審査継続となったのは洞峰公園と鹿島セントラルホテル(神栖市)の2カ所のみ。5施設については県の方針を了解した。 洞峰公園の無償譲渡についてベテラン県議からは「突然、無償譲渡の話になって唐突感がある。県県有財産の交換・譲与・無償貸付けに関する条例の取り扱い基準では、公園の譲渡は特例扱いなのだから、それだけ慎重にやってほしかった。これまで県有財産を無償で市町村に譲渡した例もあり有償の例もあり、分かりにくい。ルール作りをしなくてはいけないし、今後我々も提案していきたい。今回足りないのは、県と市との話し合い、県民への説明、議会への説明が足りない。不交付団体のつくば市にただでいいということに対する疑問の声もある。無償貸し付けなどいろいろ可能性はある」(森田悦男県議)などの意見が出た。 ほかに「県の財政は厳しいのに、68億円の県の財産を無償で譲渡するのはもったいないという県民感情があるということを頭に置いてほしい。つくば市は、グットマンジャパンが市開発公社の土地を110億円で購入するなど、そういう地域。そういうところに無償で提供するのはいかがなものかと県民の1人として感じる。県民の財産ということをもっと真剣に考えてほしい」(飯塚秋男県議) 委員以外からも「雑で荒っぽい進め方をしてきた。(知事は)最初はグランピングを言い、無償譲渡を言い出した。なぜ相矛盾することを言ったのか、いまだに分からない。思い付きと受け取らざるを得ない。地方自治法では条例や議会の議決に依らない限り、公有財産は正当な対価で渡すことになっている。つくば市は不交付団体。なぜ無償で渡すのか理解しがたい。一旦白紙にして、じっくり取り組むべき」(常井洋治県議)などの意見が出された。 ほかに江尻加那県議(共産)と星田弘司県議(自民)から、無償譲渡に伴うパークPFI事業者との契約解除問題や体育館・プールなどの大規模修繕問題について質問が出て、県都市整備課は「パークPFI事業者とは協定を結んでおり、つくば市に移管されれば協定を解除する。今までの検討に要した経費は(県が事業者に)支払い清算するが、損害賠償とか(契約期間10年間で実施する予定だった事業の)機会の損失の話はしてない」とした。つくば市に引き渡す前に県が実施する施設や設備の不具合箇所の修繕については「県、つくば市、指定管理者と合同点検をして、さらに専門業者を入れて調査の精度を高め、これから壊れる不安がないよう4000~5000万円の間で(県が)修理をする。当面、大きな修繕が必要になるものは今後出てこないと思っている」などと話した。 次回の調査特別委は9月25日開かれ、洞峰公園の無償譲渡と鹿島セントラルホテルの民間譲渡問題について引き続き審議が行われる。(鈴木宏子)

命令され その通り実行するのが役目だった【語り継ぐ 戦後78年】3

土浦市 相原輝雄さん 土浦市に住む相原輝雄さん(97)は18歳になった1944年、予科練(海軍飛行予科練習生)甲第14期生として海軍に入隊した。父親は東京・品川でクリーニング店を営んでいた。「当時、若い人は軍隊に行くのが華だったし、戦争に行ってアメリカをやっつけるのは当たり前という雰囲気だった」。 最初は奈良県丹波市町(現在の天理市)にあった三重海軍航空隊奈良分遣隊(ぶんけんたい)で基礎訓練を受けた。天理教の信者詰所を接収して発足させた分遣隊で、同期の甲14期生は1000人くらいいたと記憶している。海軍の寝床は吊り床(ハンモック)だと聞いていたが、天理教の詰所だったことから寝具はわら布団だった。 入隊直後は古参の兵長が相原さんら40~50人の指導に当たった。下着から文具まですべて用意してくれ、親切に世話をしてくれたので、最初は優しい人なんだと思っていた。ある朝、布団をもってうろうろする予科練生がいた。兵長に見つかり、こぶしであごを殴られ、ひっくり返った。見ていた全員に一気に緊張が走り、「軍隊とはどういうところか、初めて分かった」瞬間だったと振り返る。 予科練生の1日は、朝5時45分にマイクで「総員起こし15分前」放送が流れ、6時に起床ラッパが鳴る。整列して皇居がある東に向かってお辞儀をし、天皇が詠んだ和歌、御製(ぎょせい)を歌って、海軍体操をする。続いて「甲板掃除」と「駆け足」の2グループに分かれ、甲板掃除班は兵舎の掃除をし、駆け足班は隊列を組んで街中を駆け足で行進してから朝食をとる。 課業(授業)は午前9時から午後4時までほぼ1時間刻みで行われた。無線の授業が特に重視された。操縦する戦闘機の位置を母艦に知らせるために重要だからだ。精神講話もあり、日本は神の国であり天皇陛下のために命を捧げることはいいことだと教えられた。成績が悪い者にはあごをこぶしで殴る「あご」、太い棒で尻を叩く「バッター」などの制裁があり、風呂に入ると皆の尻にバッターの跡があるのが分かった。 年が変わって間もなく、班の教員が代わり、ミッドウェー海戦の生き残りだという一等機関兵曹が着任した。富田といい、体重が80キロほどもあった。 富田教員がやってきて間もなく、相原さんの班の通信の成績が最下位になった。富田教員は烈火のごとく怒り、班の14~15人を廊下に整列させ、拳であごを殴り、全員がその場でひっくり返った。 相原さんが殴られる番が来た。足を踏ん張り、口を閉じた。殴られ、目の前に火の玉が浮かんだような気がしてよろけたが、倒れなかった。 数日後、富田教員から教員室に呼ばれ「甲板練習生をやれ」と命じられた。甲板練習生とは、分隊の軍紀や風紀を取り締まる係で、同期生であっても制裁を加える権限があった。特別扱いされ、一目置かれる存在だ。殴られてもただ1人倒れなかった相原さんを富田教員が気に入り推薦した。 「それからは楽だった」と相原さん。訓練の際も号令を掛ける立場になったため、教員から制裁を受けることもなくなった。「軍隊は悪いことばかりではなかったということ」、一方で「ただ1人、ひっくり返らなかったというだけで、そういうことが通用するのが軍隊だった」。 1945年5月初め、阿見町の土浦海軍航空隊に異動命令が出て、奈良分遣隊の甲14期生全員が特別列車で移動した。 寝具はハンモックだった。ハンモックをたたんだり、下ろしたりする訓練は大変だったが、甲板練習生になった相原さんは号令をかける立場だった。 しばらくして第14期生全員が練兵場に招集され、特攻隊の指名が行われた。名前を呼ばれた者は特攻隊員として魚雷艇に搭乗する。魚雷艇はモーターボートの船首部分に爆弾を詰めて、隊員が操縦して敵艦に体当たりする特攻兵器だ。戦闘機による特攻よりも死ぬ確率が高いことを誰もが分かっていた。 その日、相原さんの名前は呼ばれなかったが、夜になると、あちこちですすり泣く声が聞こえた。後で分かったことだが、名前を呼ばれたのは次男、三男、四男ばかり。相原さんは長男だった。 6月10日、土浦海軍航空隊と周辺地域が米軍のB29に爆撃される阿見大空襲があった。この日は日曜日で、土浦に来て初めて外出できる日だった。面会に来た家族もあり、民間人も含めて教員、予科練生ら374人が犠牲になった。甲板練習生だった相原さんは兵舎を駆け足で点呼し、兵舎を守るためその場に残った。 翌日は特攻基地建設のため千葉県に連れて行かれ、土木工事に従事した。7月下旬にも岩間(現在は笠間市)に行き、特攻基地建設に当たった。 8月15日は上官の分隊士から「本日、昼休み時間に重要な放送がある」という話があった。当時宿泊していた農家の庭に集まってラジオで玉音放送を聞いたが聞き取りにくく、分隊士から「日本は無条件降伏した」と聞かされた。皆、次第に興奮し「筑波山に立てこもって最後まで戦おう」と話し合った。 しかし翌日、帰隊命令が出され、分隊士の説得もあって、皆で隊に戻った。復員が決まり、コメや缶詰などの食料と、服や靴、毛布などの身の回り品を、自分で背負える分だけ持ち帰ってよいことになった。背負える分だけでなく持てるだけ持ち帰ろうと、それぞれ4~5人のグループで農家から牛車を借りて土浦駅まで運んだ。隊を出ようとしたところ、門のところで「退職金が出るので持ち帰ってください」と衛兵に呼び止められ、1000円を超える退職金をもらった。当時、二等兵の月給は45円。2年分の給料に相当する額だった。 東京は空襲で焼け野原になっていたが、自宅がある一角は焼けずに残っていた。コメを3斗(45キロ)持ち帰り、家族に大変喜ばれた。戦後は、通産省工業技術院(現在は産業技術総合研究所)地質調査所に勤務し、全国各地を歩いて石炭や鉄などの地下資源の調査をした。 「戦争とは何かなど、当時は考える暇もなかったし、考えもしなかった。とにかく敵をやっつけるために特攻があって、それに乗せられた。我々自身が考えるということは一切なく、上から命令され、その通りに実行するのが役目だった。今は何でも言えるけれど、当時は一切言えず、上から言われる通りにやらないといけなかった」と話す。(鈴木宏子) 続く

焼夷弾落とされ言問橋が真っ赤に【語り継ぐ 戦後78年】2

つくば市 高橋遵子さん 1944年11月から45年8月まで東京の市街地を60回以上無差別爆撃し、民間人約10万5400人の命を奪った東京大空襲ー。最も被害が大きかったのが45年3月10日の下町大空襲だ。下町のほとんどが焼き尽くされ、約27万戸が罹災、約100万人が被害を受け、約9万5000人が死亡したとされる。 つくば市の高橋遵子さん(85)は当時5歳。母親と二つ上の兄と3人で下町の東京都墨田区向島に暮らしていた。 両親は料理屋を営んでいたが、終戦の1年ほど前に赤紙(召集令状)が来て、父親は店をたたみ、伊豆大島に出征した。きょうだいは姉3人と兄と遵子さんの5人。姉3人のうち小学6年の長女と小学4年の次女は学徒勤労動員で千葉県内の工場に行き、たまに帰ってきては「白いご飯が食べたい」と泣いていた。しかし当時、白いご飯は無かった。 小学3年の3番目の姉は千葉県のお寺に疎開した。7歳の兄は埼玉の親戚の家に一旦疎開したがなじめず、ある日埼玉から歩いて戻ってきた。兄が帰ってきたとき、母親は「二度とそんな思いをさせない」と言って兄を抱きしめたのを覚えている。 1945年3月10日、遵子さんが住む向島の上空に米軍のB29が次々に飛来し焼夷弾を投下した。「逃げろ」という声が聞こえ、母親と兄とで近くの小梅小学校に逃げた。B29は低空を飛行しパイロットの顔が遵子さんにも分かるほどで、逃げ惑う民間人を狙って爆弾を落としているように見えた。 自宅近くの隅田川に架かる言問橋(ことといばし)は、浅草方面から対岸の向島に逃げてくる人と、向島方面から対岸の浅草に逃げようとする人であふれていた。荷物をいっぱいに積んだ荷車を引いて逃げる人もたくさんいた。そこにB29から焼夷弾が落とされた。 近くの小梅小学校に避難していた遵子さんのところにも「言問橋が燃えている」という話が伝わってきた。「石と鉄で出来ている橋が燃えるわけはない」「じゃあ見てみろ」と騒ぎになり、遵子さんも母親らと言問橋を見に行った。 行くと橋は真っ赤に燃えていた。人々の叫び声、荷車が燃える音、強風の音が聞こえ、橋の欄干から冷たい川に飛び込む人影も多数あった。 翌日昼頃、自宅に帰ろうと母親におんぶされて小学校を出ると、途中、街角にあった防火用水の桶(おけ)に、赤ん坊をおぶったまま水に浸かっている母親がいた。「何してるの」と母親に尋ねたところ、母親は「死んじゃってる」と答えた。昨晩、空襲から逃れようと防火用水の桶に入り、2人共、熱風で息を引き取ったと見られた。 遵子さんの自宅は、夜中に風向きが変わったため焼けずに残った。しかし周囲は焼け野原になっていた。近くの公園の広場には墨田川に飛び込んだ人の遺体が山のように重ねてあり、言問橋ではブルドーザーにような大きな車が黒く焼けた遺体を片付け、自宅裏の常泉寺に運んでいた。 遺体は当時、公園や寺の境内に穴を掘って仮埋葬された。夜になると人魂が燃えているように思えて、とても怖かった。遺体が掘り返されて火葬されたのは戦後になってから。名前が分かり、引き取られた遺骨は約8000体で、8万体以上の遺骨が現在も墨田区の東京都慰霊堂に安置されている。 言問橋の欄干の端に立つ石製の親柱には黒い焼け跡が付き、戦後も黒い跡が取れずに残った。戦後、遵子さんは言問橋を渡って高校に通ったが、親柱の黒い焼け跡を見るたび3月10日の恐怖を思い出した。 終戦になっても父親はすぐに帰ってこなかった。その間、母親は1人で5人の子どもを養った。戦後間もなく、母親といなかに行って着物などと交換しコメを手に入いれた時、自宅近くの業平橋駅(現在はとうきょうスカイツリー駅)で闇米の一斉取り締まりがあった。闇米を持っていることが分かると警察に連れていかれる。母親はとっさに、高台にあった業平橋駅のホームから、コメを道路わきに落として駅を出た。すぐに落とした場所に拾いに行ったが、すでに誰かに盗まれた後だった。帰り道、母親は遵子さんの手を引いて一言もしゃべらず家路を急いた。母親がかわいそうで、悲しくて涙があふれた。 終戦から1年ほど経って父親は大島から帰ってきたが、歯が折れてほとんど無くなっていた。大島の海で隊員らの弁当箱を洗っていた時、1つが海に流された。その日、父親は上官から「弁当箱一つでも天皇陛下から預かっている」んだと叱責され、ひどぐ殴られて歯が折れたのだと知った。 遵子さんは「戦争ほど残酷で、惨めなものはない。弱い立場の人ほど苦しむ。二度と戦争をやってはいけない。生き残った者として、伝えていきたい」と語る。(鈴木宏子) 続く

38度線へ 母に手を引かれ逃避行【語り継ぐ 戦後78年】1

間もなく戦後78年の終戦の日を迎える。戦争体験者が少なくなる中、戦争とは何だったのかを次世代に語り継ぐことが年々難しくなっている。戦争体験者4人に話を聞いた。 つくば市 花房順子さん つくば市の花房順子さん(83)は、1910年から45年まで日本が植民地支配していた朝鮮半島で生まれた。広島県出身の父親は警察官。中国国境に近い朝鮮北部には当時、日本の駐在所があちこちにあり、父親は国境の駐在所で警備に当たった。終戦の時は6歳。「終戦の日まで怖い目に遭ったことはなかった」と振り返る。 1945年8月15日、日本が無条件降伏し日本軍が撤退すると、入れ替わって北にソ連軍、南に米軍が進駐し、38度線でにらみ合った。 順子さんの暮らしは終戦の日を境に一変する。日本が降伏した途端、日本人に対する周囲の朝鮮人の反感を幼心に感じた。両親はばたばたと荷物をまとめ、父親は家族を引き連れて駅に向かった。しかしすぐにソ連兵が入ってきて、駅に集まっていた多くの日本人が逃げ惑った。父親は駅まで行かず、途中で、懇意にしていた朝鮮人に家族をかくまってもらった。 8月23日、スターリンが、日本軍捕虜をソ連の収容所に移送し強制労働させるというシベリア抑留の命令を出すと、朝鮮北部にいた日本人男性は全員集められた。 順子さんの父親も街の広場に集められた。最初、順子さんら家族は父親にくっついて広場で過ごした。明日、連れていかれることが決まり、母親はお酒が好きな父親のため、別れに酒を持たせようとしたが、手に入れることができず、代わりにハチミツを水に溶かした飲み物を順子さんの水筒に入れて父親に持たせた。それが父親との最後の別れになった。 順子さんは3人きょうだいの長女で、4歳の妹と2歳の弟がいた。母親は3人の幼子を連れて、しばらく朝鮮人の家を転々とした。そのうちかくまってもらうこともできなくなり、夜は近くの山に入って野宿した。街中では、日本人女性がソ連兵に強姦されたり、殺されたという話を聞いた。 当時、米軍が進駐した朝鮮半島南部にいた日本人は、米軍が出した船で次々に日本に送り返された。一方、ソ連が進駐した北部にいた日本人はそのまま留め置かれた。 しばらくして順子さんらは、中国との国境に近い、日本兵が駐屯していた兵舎に集められ収容された。収容所は女性と子どもばかりだった。国境近くは冬には氷点下30度にも40度にもなったが、暖をとる薪(まき)を買うお金もなかった。どうやって過ごしたか、よく覚えてないが、1日1回くらいコーリャン(キビ)を炊いたおかゆが配られた。やがて収容所で、はしかが流行し、2歳の弟が息を引き取った。 これ以上ここにいては全員死ぬしかないと、リーダー格の日本人が、収容所を出て日本に帰る計画を立てた。母親も計画に加わり、雪が解け始めた頃、母親は順子さんと妹を連れて収容所を出発した。何かあったら兵隊に渡して見逃してもらえるよう、金目のものも集めた。 200人くらいがグループに分かれて38度線を目指した。街の通りはソ連兵が警備しているため、見つからないよう、昼間は山中に身を潜め、夜になると山の中を歩いた。早く歩ける者はどんどん進んだため、列はばらばらになり、幼い子供を連れた女性はだんだん取り残された。 6歳の順子さんは、4歳の妹をおぶった母親に手を引かれて歩いた。赤ん坊を連れた女性も多かったが、ソ連兵に見つからないよう、赤ん坊の口をふさいだ母親もいたと聞いた。 幾晩も幾晩も山の中を歩いて、38度線に近づいた頃は、グループは5~6人だけになっていた。夜が明けたころ、米軍が進駐する南の駅のそばまでたどり着いた。すでに明るくなっていたが、「すぐそこだから歩こう」と、歩き出した時、ソ連兵に見つかり、銃を持った兵隊がやってきた。順子さんは「殺される、これでおしまいになる」と覚悟したことを覚えている。 しかしソ連兵は行かせてくれ、順子さんは無事、38度線を超えることができた。後で知ったことだが、その時ソ連兵は「女を1人残せ」と言ったのだという。グループには大人の女性が3人いて、順子さんの母親ともう1人は子連れだった。途中から付いてきてグループに加わった子どものいない女性が「私が残ります」と言ってくれたのだと聞いた。 南に入ると、米兵が汽車に乗せてくれ、釜山に向かった。釜山ではたくさんの日本人が船を待っていた。翌年の1946年5月の終わり、釜山から船に乗ることができ、長崎県佐世保に上陸。佐世保から広島県呉まで汽車に乗り、それからバスに乗って、さらに長い道を歩いて、広島県のいなかの父親の実家に身を寄せ、父の帰りを待った。 父から何の連絡も無いまま、1年か2年が過ぎたころ、父親と同じ収容所で収容されていたという男性が父親の実家を訪ねてきた。男性は父親と郷里が同じで、収容所を脱走し、翌年、日本に帰ってきたのだという。 男性によると、父親と男性は1945年8月の終わり、シベリアに行く途中で中国・東北部の延吉にあった収容所に集められた。収容所では発疹チフスが蔓延し、父親も感染して、1946年2月4日、チフスで亡くなったのだと話した。男性は、父親が亡くなったのを見届けて収容所を脱走し、途中、中国共産党と国民党の戦闘にも加わったが、そこも脱走したのだと話した。 男性は、父親の形見だと言って、ハチミツを入れて渡した順子さんの水筒を持ってきた。高さ17センチの小さな水筒はふたがつぶれたり、底の一部が欠けたりしていたが、順子さんにとってたった一つの父親の形見となった。 父親が亡くなったという報告を聞き、母親は順子さんらを連れて、同じ広島県内の母親の実家に帰った。 成人した順子さんは京都の私立大学の事務職員として勤務し、研究者の夫の転勤を機に1979年、つくばに転居した。 「戦時中、日本では、空襲でひどい目に遭ったり、疎開で子どもたちがひもじい思いをしたが、朝鮮では、怖い目に遭ったことは一度も無く、むしろ日本人は威張っていた。しかし終戦になった途端、しっぺ返しを受け、朝鮮の人からもいじめられたが、ソ連兵はとりわけひどかった」と順子さん。「満州から逃げてきた日本人もたくさん北朝鮮に入ってきたが、ソ連兵に殺され、たくさんの人が亡くなった」とも言う。 次の世代に伝えたいこととして「何がなくても戦争を起こしてはいけない」と強調する。「『抑止力をもたなくてはいけない』と言う今の政府のやり方は本当に怖い。抑止力はきりがない。それよりも仲良くする方法をなぜ考えないのか、対立するのではなく、話し合う機会をつくるべき」と語る。(鈴木宏子) 続く

洞峰公園も調査対象に 県議会が調査特別委設置

県施設の処分や売却などの方針が次々に打ち出される中、県議会に31日、「県有施設・県出資団体等調査特別委員会」(田山東湖委員長)が設置され、つくば市に無償譲渡が予定されている洞峰公園(同市二の宮)も重点的な調査の対象施設の一つになることが分かった。 田山委員長によると「議会として議決してつくった施設を、売るのに知事の裁量だよというのはおかしいという議論があり」、設置に至った。 重点的に調査を行う施設は、10月にもつくば市に無償譲渡が予定されている洞峰公園のほか、県出資の第3セクターが運営し、県が民間に売却する方針を打ち出した鹿島セントラルホテル(神栖市)、民間譲渡が予定されている白浜少年自然の家(行方市)、里美野外活動センター(常陸太田市)と、県立青少年会館(水戸市)の5施設。 1年ほどかけて調査し県議会としての調査結果をまとめる予定だが、9月議会に条例改正案の提案が予定されている洞峰公園については、委員会として早めに考え方をまとめたいとしている。 洞峰公園について田山委員長は「県の都合で、採算性という点から、地元に相談なく(県は)パークPFIやグランピングを提案した。地元の反対があり、最終的にはつくば市に移譲するというが、そうなると本当の(パークPFIや無償譲渡の)理由は何なのか、グランピングをやろうとしたなら無償譲渡の条件にグランピングを付けないのか、などを審査したい」などと話した。 同調査特別委は、人口減少社会における県有施設の今後の方向性や売却等の処分などの妥当性、県出資団体の事業の在り方、経営改善方策などについて重点的に調査するのが目的。 県有施設については、設置目的や利用状況を再確認の上、売却や譲渡などの処分の妥当性や影響、それへの対応のほか、管理の在り方や今後の対応などについて調査する。 同調査特別委の副委員長は星田弘司氏(いばらき自民党)、メンバ―は15人。第1回委員会は8月2日開催予定。(鈴木宏子)

負担軽減へ 小中7校、洞峰公園のプール利用を検討 つくば市が3カ所で説明会

つくば市二の宮の県営の都市公園、洞峰公園(20ヘクタール)を、つくば市が県から無償譲渡を受ける方針をめぐる市民説明会が22日、市内3カ所で実施された。五十嵐立青市長は、谷田部東中地区と並木中地区の小中学校7校の児童生徒に洞峰公園のプールを使ってもらうことを検討していることを明らかにした。 老朽化により来年度、大規模改修を実施する計画だった並木中プールの改修費用を試算したところ、5000万円から1億円かかることが分かったとして、7校のプールの維持管理費(大規模改修を含む)が年間2300万円から3700万円かかっており、児童生徒が各校から洞峰公園に行くとするとバス代が1300万円であることから、バス代を差し引いても洞峰公園プールを利用してもらう方が年間1000万円から2400万円プラスになり、その分が、市が新たに負担することになる洞峰公園の年間維持管理費約1億5000万円の低減につながるなどとした。 無償譲渡を受ける今後のスケジュールについては、8月にアンケートを実施し、すべてがスムーズに行けば、9月議会に県から無償譲渡を受ける条例改正案を市議会に提案、10月に市に移管になるとした。大井川和彦知事も7月6日の定例記者会見で、移管の時期を「順調に行けば10月になる」との見通しを示している。8月に市が実施するアンケートの設問や方法などはまだ決めてないとした。 今後の洞峰公園の管理方法については協議会を設置し検討するとし、協議会の構成は自治会、愛好者団体、商工団体、学識経験者などを挙げた。 22日の説明会は市北部の大穂交流センター、洞峰公園体育館、市南部のふれあいプラザで実施され、大穂には26人、洞峰公園50人、ふれあいプラザには16人が参加した。 午前中実施された大穂交流センターでは「(年間維持管理費の)1億5000万円をかけて市が引き取ってやる意味が全然分からない」など無償譲渡を受けることに反対する意見と、「洞峰公園の美しい自然と静かな環境を子供や孫に伝えていくべき」など賛成意見の両方が出された。「協議会に分科会を設置しいろいろな方面の意見を聞いてはどうか」などの提案や、「今のように庭園として管理するのではなく自然公園として管理すれば維持管理費がかなり安くなる」などの提案もあった。 午後からの洞峰公園体育館では、無償譲渡を受けることに賛成する意見や市長への感謝の声が多く出された。夜開催のふれあいプラザでは、説明会開催を告知する市の広報が少なく、地元茎崎地区の参加者が少なかったことについて「市は本当に(茎崎の住民に)参加してもらいたかったのかと(疑問に)思う。1億5000万円使ってもしょうがないねと思ってもらえるよう、洞峰公園に興味がない人に知ってもらう努力をすべきではないか」などの苦言も出た。 最終回となる4回目の説明会は28日午後6時30分から、洞峰公園筑波新都市記念館で実施される。(鈴木宏子) 次ページは大穂交流センターでの第1回説明会のやり取りの概要 【28日午後追加掲載】説明会には県都市整備課の大塚秀二課長らも出席した。22日、大穂交流センターで開かれた1回目の参加者と五十嵐立青市長及び県都市整備課長との質疑の概要は以下の通り。 参加者1 いろいろご説明いただいたが、要約すると結局、茨城県のパークPFIが嫌だからそれを阻止するために引き取って、つくば市が1億5000万円負担しますという話ではないか。1億5000万円かけて何が変わるかと言うと、いろいろ取り組みますという話はあったが基本的に今まで通りという話だった。それって何のメリットがあるのか、非常に疑問。なぜパークPFIをつぶさなきゃいけなかったのか、よく分からない。グランピングをやるから問題なのかというと、例えばゆかりの森でバーベキューをやっていて、あそこで問題が起きているのか、騒音が起きているのか、悪臭があるのか、治安が悪くなったのか、そんなことはない。(市が無償譲渡を受けるという説明について)何のためにやるのか全然分からない。修繕費も大丈夫だという説明があった。総合運動公園の時も前の市長が同じような説明をされていた。要はお金をかける価値があるかどうかだ。年1億5000万円かけて県から引き取ってパークPFIをつぶす意味が全然分からない。つくば市の仕事は、県により良いパークPFIにしていただいて、不安に思っている方に理解してもらうとか、心配している点を解消するよう県に変えてもらう方向にもっていくのが本来の姿ではないか。なぜパークPFIをつぶして引き取らなきゃいけないのか教えていただきたい。 市長 費用の話とパークPFIの話があった。費用に限ってみれば、学校プールで地域で利用できるようにする。長期的な学校プールの大規模修繕費を考えると、周辺の学校を全体でならして計算すると年間2000万円から3000万円くらいになる。子供たちが通うバス代はいくらかというと千数百万円。それだけで見ても1億5000万円は十数年あれば十分回収できる金額。金額だけでそういうメリットがある。パークPFIに反対しているのではない。パークPFIにするにせよ、民間が入るにせよ、入るべき場所に適切に入るのは私は歓迎する立場。洞峰公園のパークPFIの中身がどうかというと、住宅街の中で、文教地区になっていて、ビール工房とかグランピングとかが入ってきて、これまで積み上げられてきた様々な環境が影響を受け、樹木もかなりの数、伐採する計画があったので、伐採してしまえば生態系は元に戻らない。グランピング、駐車場拡張、樹木伐採のような形ではないものに、ということは(県に)いろいろ話をしてきた。オブザーバーの形で県に心配点は伝えてある。そもそもグランピングは作れない場所なので、できませんよとお伝えしてきた。ただ当時の県の説明ではグランピングがないと収益として成り立たたないから、絶対やらなくちゃだめなんだという話があった。別のパークPFIならよかったのかもしれないが、このプランに関しては交渉の余地がなかったということが今に至る流れ。費用面では学校プールの足し算、引き算で十分黒字になる可能性がある。パークPFIはいいものであれば私も賛成。よりよいものになるよう相談したが県はできないという結論だったので、市が引き取ることによってこの環境を守りながらよりよい形に生かしていこうと考えた。 参加者2 洞峰公園ができた頃は経済環境も国力も全然違っていた。官じゃないとできないことだけをやる観点でお考えいただきたい。ほとんどの市町村は人口オーナス期(人口構成が経済の重荷になる時期)の状況になっている。つくば市は人口が1割ぐらい増えている。税収を含む歳入の伸びはプラスに切っている。そもそも洞峰公園をいる、いらないの議論が最初になきゃいけない。最後は民意しかない。十分に議論を尽くして、公益性、公共性の価値がある公園であるのか、民主主義の原点に立ち返る判断をしていきたい。今回なさる市のアンケートについては、アンケートはいかようにも解釈できるので、選択肢とか解釈は十分考えてほしい。 市長 洞峰公園を残す必要があると政治家として判断している。だからといって1人で決められるものではない。皆さんと対話する機会をいただいたり、民意の究極の表出は市議会での議決になるので、議員の皆さんにもご理解いただけるようにしたい。大枠としてはご理解をいただいているのではないかと考えている。2点目の、行政がやらなくちゃいけないことは何かということは難しいテーマ。民間の力をもっと使いたいと基本的には考えている。例えばまちづくり会社をセンター地区でつくった。プロフィット(利益)を生み出せる事業をしていこうと思っている。これについても市がやるべきだという声もあったりし、正解はない話だと思っている。民間で収益性が出せないけれども、守らなきゃいけない部分はコストをかけても守るというのが私の考え方。いろんな方から話を伺いながら進めていきたい。 参加者3 最初の方の質問の回答の中で、学校プールの修繕費が年2000万円から3000万円ある、1億5000万円は回収できるという話があった。学校プールとの足し算、引き算の話が理解できなかったので、詳しく説明していただきたい。 市長 洞峰公園の近くには谷田部東中学校区があり、小野川小、二の宮小、東小がある。並木中学校区には並木小、桜南小がある。プールの大規模修繕は20年程度で必要になる。小規模修繕もそうだが、20年、30年経っているところは大規模修繕が必要になる。並木中でいうと(大規模修繕を)5000万円ぐらいでできればいいと思っているが、高い金額だと1億円くらいいってしまう。これに加えて日々の修繕費がかかってくる。それを20年でみたときに大規模修繕費、年間維持管理費を足し算すると、並木中のプール改修費は設計委託で180万円かかっている。来年度やる予定なのは5000万円から1億円になる。プールの修繕サイクルを20年から30年とすると、年間で1校当たり300万円から500万円かかる。7校分のライフサイクルコストでいくと年割にすると2100万円から3500万円くらいかかる。施設維持費を含めて割っていくと2300万円から3700万円くらいになる。子どもたちが学校プールを使うのを止めて洞峰公園のプールで実施することになったら、バス代が最大限1300万円くらい、ライフサイクルコストの一番低い金額だとしても年2300万円なので年1000万円の黒字になる。3700万円の数字にすると年間で2400万円の黒字。7年で回収できる計算になる。 参加者3 やっぱり分からない。学校プールの毎年の修繕費と洞峰公園の維持管理費がどういう関係にあるのか。1億5000万円回収できるとか、学校プールの足し算、引き算という意味がわからない。 市長 それによって年間の赤字額が縮減される。プラスの効果を生んでいくということを説明している。 参加者3 洞峰公園(の管理運営)を市がやったからと言って、学校プールの修理費がいらなくなるわけではないですよね。 市長 今申し上げたプールは、いらなくする、使わなくするということだ。 参加者3 洞峰公園のプールを使うから、学校プールを廃止して、その分、足し算、引き算だということか。 市長 はい。みどりの地区に新しく造るプールがその方式だが、いま造っている学校も、今年4月にオープンした学校も、学校の中にプールをつくってない。みどりの地区に今、学校市民プールを作っている。学校の(プールの)授業はバスで子どもたちが行く。子どもたちが使わない時間は市民、地域の人が自由に使えるようにする。新しいプールを各学校につくるよりもコストがかからない。それと同じ考え方をここでもしている。 参加者3 その意味は、1億5000万円の洞峰公園の維持費を出す代わりに、それに相当する額の学校プールを廃止する、その足し算、引き算ということか。 市長 1億5000万円すべてではない。縮減効果をそれぐらいみているということ。ただただ赤字が増えていくということではない。 参加者3 資金ということを考えた場合、逆に毎年1億5000万円の資金があった場合、いくらの一時金を調達できるのかを考えると、今金利が低い時代なので正確には複利年金現価で計算しなければならないが、つくば市はだいたい20年で減価償却、残金償還している。単純にゼロ金利だとすると30億円の一時金が調達できる。言い換えれば30億円で洞峰公園で買うのと同じことだ。先ほどの学校プールだが、毎年2000万円ずつ修理費がかかるとなると、いくらの一時金が調達できるかを計算して、新しいプールをつくるのとどっちが得かなと計算するのが必要だと思う。そこまでお金をかけてパークPFIを嫌う理由がどこにあるのかという説明が必要だ。 市長 総合的に、コスト面、洞峰公園がもっている価値、市民からのさまざまな声を反映して、今回このような計画をご用意しただけ。市民がそれに反対して、議会が否決されるのであれば、民主主義ですからそういう結果になっていく。ただ今までの1000を超える方のアンケートを読むと、どれだけ公園に価値を置き、市民に必要な場所になっているかということを含めれば、私はこれを進めていくべきと考える。コストを最小化する努力は一生懸命する。 次ページに続く 参加者4 そもそも何ために洞峰公園を守るかを皆で共有したい。洞峰公園の魅力は美しい緑と静かな環境だと思う。つくば市の持続可能都市ビジョンがあるが、洞峰公園はその方向性に沿った公園だと思う。それからつくば市SDGs未来都市計画がある。この中で「公園の中に街があるような緑豊かなゆとりある街並み」という表現がある。まさにつくばの魅力ではないか。赤塚から松見までペデストリアンデッキがあって、西大通り、東大通り、408号の並木道、これは世界に誇る美しい環境だ。洞峰公園はその中核にある象徴的な公園だと思う。洞峰公園を大事にすることは私たちの願い、ビジョンに基づくものだと思う。そこで、公園を守るということのつくば市のビジョン、SDGsとの五十嵐市長の思いを語っていただきたい。洞峰公園は(都市公園法上の)総合公園だ(という位置づけ)、周辺住民だけじゃない、つくば市全体のものである、という意味はとても参考になった。今の県の公園でも、つくば市だけじゃなくて、県全体の人と共有したい美しい公園だと思う。パークPFIをやらないことのメリットを考えると、PFIをやってしまったらグランピングをやって、にぎわいをやって、多くの人を呼び込んで、駐車場を拡張して、一説によると数百本の木を切ってしまうという計画があった。収益を上げるために自然を壊してしまうことがどんなにデメリットなのか、自然を守ることは金銭に換算できない大きなメリットがあると思う。 市長 総合公園について、都市公園法上はつくば市全域が対象という位置づけになる。持続可能都市宣言に書いたことで大事にしていることは、我々は先人から引き継いで今の環境を預かっている。その時の思い付き、はやっていることだけでやってしまうとしんどいことになる、次の世代に責任をもって伝えることができなくなることは大きな問題になる。つくばの市長として、先人たち、積み上げによって守られてきたものを、経営が厳しいから全部民間にということは、生態系や皆さんが積み上げてきたものが崩れてしまうと思う。ただコスト度外視ということはいかない。1億5000万円ではなくて毎年何十億だよと言われたら現実的には無理。今の市の財政状況を考えて、例えば学校のプールとして使うことで少しでも縮減させていくことができたら、総合的に考えた上で、さらに協議会をつくって少しでも収入を増やすことをやっていいと思っている。洞峰公園の設計思想に合う事業なら積極的にやるべきだと思っている。当面は市が管理することが考えられるが、いろんな方からいろんなお知恵をいただいて、どういうものが設計思想を生かしながら収入面でもプラスになるか、地域の皆さん、市内全域の皆さんも納得感のある事業を考えていきたい。1億5000万円はそういうことをしないで今のままやったマックスの数字。今回多くの方が「ボランティアで(公園の手入れ)やるよ」「寄付するよ」と言ってくださった。ある議員さんは「絶対反対」だと言っていた。しばらくしてお会いしたら「考えを変えました」と。「洞峰公園に行ってきました」ということだった。いろんな森の中でいろんな活動をしているのを見て、真逆になって、「これはわれわれが議員として守らなくちゃだめだ」となった。 参加者5 最初の方の質問のような指摘があると思って、行政とは違う地域住民としてコメントということで発言させてください。あの公園は有料で使っている人が年間27万人いる。散歩をしたり、通学路で使ったり、公園に園児を連れてくる保育園や幼稚園もいっぱいある。目の不自由な方が伴走者と安心してトレーニングで走ったり、多様な使われ方をしている。朝5時からお年寄りや体の不自由な人が集まってラジオ体操している。ある日突然(パークPFIの)ポスターが張られて、説明会といって「公園に空き地があるから儲けろと県に言われました」と言って、事業者がグランピング建てて、ビール工房でビール売って、昼間から飲めるようにします、という説明会が去年の5月にあった。それで皆びっくりした。洞峰公園は年間50万人から100万人使っている。大きく変わるということで地域がびっくりした。それをきっかけに去年の4月からボランティア団体を始めて、けさも20人くらいで掃除してきた。絶滅危惧種の植物も生えているので自主管理させてもらったり、調査活動を学校の先生とやったり、木の観察会を子供たちとやったりしている。お金の話になると本当に申し訳ないと思っている。ただ、どの地域にも心に残る風景や場所がある。そこに突然知らないものがやってきて、とにかく子供たちが嫌だと言っている、つくばに移住していた若いお母さんたちが、こんなはずじゃなかったっていう声がいっぱい集まってきてしまった。県に何回もお願いに行ったが、知事の定例記者会見をご覧のように基本的には「やります」「やります」とそこを変えていただけなかったので、こういう結果になったんだと思う。これがまた白紙に戻ったら地域としては県にアプローチをしていかなくちゃいけないので頭が痛いところはある。今回いろんなタウンミーティングに行って、各地域にいろんな問題があることを知った。道路がまだないとか、水道がきてないとか、本当に勉強になって、そういうところに足を運んで、できることをしたいという気持ちだけはある。そういう気持ちが私たちの周りにはできている。大穂の皆さんや北条の皆さんも一緒に考えてほしい。つくば市のど真ん中にある緑の木を切っちゃう、沼のアシ原を切っちゃうって聞いたら、ただの汚い池になっちゃう。今もかなりアオコが出始めている。そうなった時、だれがどうするのか、皆で考えるきっかけにしていただきたい。地域住民のエゴととらえられるのが苦しいのでそこだけは理解いただけたら。 参加者6 洞峰公園の周辺に住んでいる。感情論しか言えない、金額は議会、市長にお任せするしかないが、つくばは本当にいいところだと日ごろ思っている。息子がゼロ歳の時からほぼつくばで子育てをした。洞峰公園は、本当に子どもが安心して過ごせるいい公園。ゼロ歳から、妊婦から、年齢、年齢で過ごし方があって、過ごす時間帯がある。パークPFIの話を去年聞いて、公園でお酒、公園でどんちゃん騒ぎできちゃうのって、素朴な母目線で、嫌だなというので、周りのお母さんたちと話して、誰一人、洞峰公園周辺じゃなくても、「それはちょっと」という声がいっぱいあった。このままであってほしいという思いを去年はお伝えさせていただいた。今のままの洞峰公園であるためには大井川知事が提示した無償譲渡、市への移管を五十嵐市長が受け入れようとしていることに本当にありがたいと思っている。生きずらさを感じている子供たちいっぱいいる。そういう子たちが一人でも安心してのびのび過ごせる場所があちこちにあればいいなというのが子育て世代の願い。その一つに洞峰公園はなり得る公園。プールの話、なるほどと思った。コロナ前は洞峰公園を活用している学校がもっといっぱいあった。フィールドワークのできる公園として利用してほしい。自由に過ごせる場、安心して過ごせる場としてこのままであってほしい。質問だが、万が一つくば市議会で否決されることがあった場合、県の管理のままでパークPFIが再開するという認識でいいのか。 県都市整備課長 今のご質問に対して案は持ち合わせていないが、今までの議論の経過や、パークPFIをこれからどのようにやるかを含めてもう一度考え直すことになると思う。今一旦止めているので、立ち止まってもう一度考えるタイミングにはなると思う。ただ今は、移管を前提にいろんなことを進めているので、そういう段階にはないということで、答えになっているかどうか、申し訳ないんですけど、グランピングをやるかどうかは、もう1回、市と協議させいただいて、どういう形がふさわしいかということを当然協議するということになると思うのでご理解いただきたい。 市長 何ともわからないところだが、全体的な県の流れは、いろんなものを民間に売却する方針になっている。これまでのプロセスではゼロか百かの議論でずっと進んでいた。グランピングを含めたパークPFIは一度も揺らいだことは無いので、普通に考えるとその流れなのかなという気はする。 参加者7 市民説明会の周知について、洞峰公園の説明会が3カ所で4回行われるが、場所と回数がかなり少ない。このような回数と場所で市民の意見を聞いたことになるのか。7月7日にネットで知らされ、ほんの数週間で説明会、わずか4回。私たちの住む地域ではほとんどの住民が説明会の開催を知らない状況にある。特に7月22日、23日は地域の祭り等の行事が多く、住民は夏祭りに参加して、説明会に来たくても来られない住民が多くいる。なぜこのような大きな問題となっている洞峰公園の説明会をわずか4回、しかも地域の夏祭りが集中する日に設定したのか、伺いたい。 市長 説明会は通常は何かやるときは、その施設のエリアと市役所の2カ所というのが多い。洞峰公園は総合公園で市全域に関わる話なので通常より拡大して南と北でやる、真ん中でも時間帯を変えてやるということをした。周知は各公園施設などでご案内した。通常よりもより広い形で市民の意見を伺ったと思っている。市には大きな事業だが説明会をやらないケースもある。皆さんの関心がひじょうに高いのでアンケートをこの後、実施する。設問の作り方によって、いくらでも誘導できるので、どういう形で市が取り組むかということをきちんとお伝えして、正しく事実を伝えながらバイアスがかからない設問を用意したい。(説明会の日程は)場所が空いている時間、スケジュールを見ながら今日になった。 次ページに続く 参加者8 洞峰公園にビール工房ができるとか、グランピングの場所になる、樹木が伐採されるという話を聞いた。五十嵐市長が大方この話に乗って進めようとしているのか、もしそうならとんでもないと思って出席した。説明いただいて五十嵐さんがそう考えているわけではなくて、県が考えて提案してきたことに対して、今この段階にきているという話を伺い安心した。協議会を設置して、これからいろんな角度から議論をしてよりよい答えを見出していきたいということだった。いろんな方面から意見を聞いていただきたい。(協議会は)規模として大きなものになるが、分科会的なもので議論して、ある時は全体が集まって意見を出し合う、こんな形の協議会にしていくようにしたらどうか。 市長 協議会の形はまだ検討している段階。(資料を示し)部会から1人出すだけでも10人超えるので結構な規模になる。どこまで全体で議論するのか、部会的に議論するのか、他の自治体でも協議会をつくっているところがあるので、先行事例を学びながら、今ご提案いただいたことも含めて考えていきたい。 参加者9 9月議会に関連予算や公園設置条例の改正を提案する噂が広がっている。現段階ではとても説明不足、情報提供不足はいなめない。市長は常々、対話を積み重ねていくとしている。今回、あまりにも簡単に進めていると思う。大変、将来負担が大きい事業なので慎重に進めていただきたい。ネットで知らせるだけじゃなくて、市報やかわら版を通じて情報提供していただきたい。県がバーベキュー施設、有料施設をつくって維持管理費を生みだそうと苦労している公園だ。鹿島セントラルホテル同様に頭を悩ませている公園だと思う。そういうものをあえて引き受けるのならなおさら、多くの市民に説明したり議論したり意見を聞いたりする機会をもっともっと増やしていただきたい。特に短期間の維持管理計画ではなくて、施設が老朽化してくるので、10年先、20年先を見据えた管理運営計画をつくって説明すべき。長寿命化計画もつくると聞いているので、きちんと情報公開していただきたい。 市長 これまでも様々な形でプロセスをすべていろいろな形で共有してきたと思っている。中長期的な修繕費は年額約3500万円という数字を出した上で説明した。どれだけ説明しても届かないケースもある。一番広く意見を伺えるのはアンケートだ。ぜひアンケートにご意見をいただいて最終的には議会に諮りたい。 参加者10 最初の方の危惧が気になった。県は、今年の方(担当者)は先ほど柔軟なことをおっしゃっていたが、去年の方は何も聞こうとしなかった。もう(パークPFIの指定管理者と)契約しちゃったんだからこれしかない、多少計画が変わったのは(指定管理者代表法人の)長大の方が引いていったんだと思う。県はまったく百、ゼロで、余地がないと思った。県は洞峰公園の実態を知らなかった。野球場がどのくらい使われているのか、中でキャッチボールしていても使ったことにしてない。業者の方も、もし儲からなかったらどうするんですかと聞いた人がいて、また聞きですけど、(業者は)いろんなことやります。どんなことに代えてもいいから儲けますと言ったそう。何をやるか分からない、県が止めなかったら何をやられてもしょうがない、これだとどうしようもないと感じた。そういう中で、知事がじゃあだめだったら無償譲渡だよと言って、市が受けてくださったのはまず良かったと思っていた。お金のことだが、1億5000万円という維持管理費はそんなにかからないのは間違いない。県は、県の事業でこれまで4000万円儲かっていたのを知ってたのに、それを考慮しないで、それでもパークPFIと言っていた。不思議なのは人件費がかなり積み上がっていること。積み過ぎだ。笠松運動公園の人件費は20人で5000万円いってない。洞峰公園の人件費は25人で8000万くらい。今度増やして1億円近く、9000万円とかになっている。どうやったら節約できるか、笠松の例をよく聞いていただきたい。とにかく地球温暖化をストップしなきゃいけないので、洞峰公園をそういう場にしてほしい。環境を守るということで洞峰公園を手に入れたと思っているので、環境のための洞峰だと言うことが分かるような形にしてほしい。 市長 (維持管理費は)一番固く見て、一番収入が少なくて一番支出が多い形で計算しているので、圧縮の可能性がある。通常こういう計画は、甘く見て、後で増える。(筑波研究学園都市は)一つの思想に合った部分、思い付きとかではなくて、ペデを中心に緑を生かしながらしっかりとした都市軸をつくってきた。その都市軸が、今回のパークPFIの当初計画では木が多く切られてしまい、合致しないものになってしまう。子どもたちに何であの時止められなかったのか、ということになってしまうので頑張っていきたい。 参加者11 今回、説明会を開いた理由は、洞峰公園で主にグランピングに対する反対があったからだと思う。これに対して市長と知事との間でどんなやり取りがあってここに至ったのかは説明いただいたが、今後も当事者間の意思疎通を密にして、市の公園であれば市の公園として、県の公園であれば県の公園として、ボタンの掛け違いが起こらないようにやっていただきたい。 市長 こうして県と連携を密にしながらやっている。鈴木県議が間に入って、調整していただいた。 参加者12 協議会をつくることは賛成だ。協議会の中で無償譲渡も含めて議論した方がいい。もっと話し合って考えればもっといい方法がある。先ほど女性2人が危機感をもって、子供たちのために環境を残したいと言ったのはもっともなこと。アンケートで、値上げしてもいいから環境守ってくれと言う意見が強かったことに五十嵐さんが感動していたが、それくらい強い思い入れがあることを大事にしないといけない。一方で、県の言い分をもう1回ちゃんと聞いてみると、総合公園、外部に向けた利用ということで五十嵐さんと県は考え方が同じだ。維持管理費だが現在、年間1億5000万円かかっている。半分が建物で、半分が緑地。緑地管理に7500万円かかっている。それを業務委託で6000万円浮かしたい。年9000万円は県がこれからも出していく。つくば市の費用負担はゼロですよということだ。先ほど、議会で否決されたら真っ暗になってしまうというご心配があったが、決して真っ暗にはならないと思う。むしろそこから考えた方がいい。まずは今の洞峰公園があのままでいいのか、年間7500万円の緑地の管理費はちょっとクレージー。水戸の偕楽園とか金沢の兼六園のような庭園公園の管理をいているからこんなにお金がかかる。庭園公園が本当に生態系を大事にしてるのかと言ったらそうではない。私は洞峰公園の昔の状態は知らないが、乙戸沼の状態は知っている。モウセンゴケがあって本当に自然豊かだった。今の乙戸沼公園はとても自然豊かな状態は思えない。洞峰公園も似たような状態だと思う。自然公園の管理をすると実はお金がかからない。たぶん3分の1か4分の1になる。自然公園の管理をしたらどうだろうねと、造園業者に聞いてみた。自然公園と庭園公園はどこがどう違うかと言うと、まず木の選定はやらない、木は間伐でいくが、伐採した枝や刈った草を外に持ち出さない。持ち出す管理費はべらぼうに高いので、そうすると本当に自然公園の管理をすると、管理費は3分の1か4分の1で済むことになる。ということになると、もっと今よりも自然公園として良くなる、お金もかからない、県の財政負担も減る、という解決策もある。それをぜひじっくり考えてもらいたい。今とにかく無償譲渡なんだ、地域エゴだ、そんなに金かかけるのはおかしい等の議論になって、お互い同士でいがみあうと不幸な結果になるので、ここはもう1回、むしろ議会で否決があれば、先が明るくなる気がする。ここでこのままいくと、財政負担の問題で、1億5000万円は決して小さくない。もう1回考え直して、何かいい解決法を探してはどうですかと申し上げたい。 市長 常に県と話をしている。私も知事と話をしている。今のところはこの形態で話を進めていく。ご提案があったように管理の仕方はいろいろな工夫の余地がある。それについては協議会をつくって、皆さんと管理運営で結果として市民の主体的な参加につながるものにしていきたい。 第1回説明会 終わり

宇宙飛行士候補者の諏訪さん、米田さん つくば市長を表敬訪問

つくば市千現の宇宙航空研究開発機構(JAXA)筑波宇宙センターで基礎訓練を開始した宇宙飛行士候補者の諏訪理さん(46)と米田あゆさん(28)が18日、地元のつくば市役所を訪れ、五十嵐立青市長を表敬訪問した。 世界銀行の上級防災専門官だった諏訪さんは7月から、日本赤十字社医療センターの外科医だった米田さんは4月からそれぞれJAXAに入り、筑波宇宙センターで訓練を開始した。約2年間、訓練を続け、正式な宇宙飛行士を目指す。米国が主導する有人月探査「アルテミス計画」で、日本人として初めて月面に立つことが期待されている。 諏訪さんは「今までの宇宙飛行士とはちょっと違った(自身の)バックグラウンドが、有人宇宙開発の中でどういうふうに生きていくのかを考えながら訓練にあたっていきたい」と意気込みを述べ、「つくば市出身なので、高校卒業以来30年弱ぶりぐらいにつくばにお世話になることになり、わくわくしている。今朝は以前住んでいた並木地区を走ってきた。本当にふるさとに戻ってきたんだなと、気持ちを新たにしている」と話し、「茨城県に育てられたという思いを強く持っている。どこかでつくば、茨城に恩返しができたら」と話した。 米田さんは「つくばという地で新しいことをたくさん学んで、新しい知識を得た上で宇宙に行ければと考えている。ここが宇宙飛行士としての始まりの場になる。街中で見かけたときは声を掛けていただいて、茨城の皆さんと一緒になって宇宙に行ければ」と語った。筑波宇宙センターでは4月から、語学や体力訓練のほか、宇宙ステーションのシステムについて勉強しているという。 五十嵐市長は「宇宙飛行士がこれだけ身近にいるまちもなかなか無いと思う。今回お二人は厳しい選抜試験を乗り越えた。これからお二人が様々な活躍をするのを市としても全力で応援したい」と述べた。 諏訪さんは東京生まれ。2、3歳のころつくばに転居し、高校卒業までつくばで育った。東京大学理学部地学科卒。プリンストン大学大学院地球科学研究科修了後、青年海外協力隊員としてアフリカのルワンダに派遣。2014年に世界銀行に入り、今年6月までアフリカの防災や気候変動に取り組んだ。史上最年長の宇宙飛行士候補者に選ばれた。 米田さんは東京出身。東京大学医学部医学科卒。日本赤十字社医療センターの外科医として3月まで虎ノ門病院に勤務した。 つくばについて諏訪さんは「昔からあるつくばと、70年代、80年代の研究学園都市ができた時のつくば、TXができてから開発されたつくばの三つがよくなじんで新しい形の街になってきているなと感じている」と話した。米田さんは、つくば駅前の中央公園にある、ノーベル賞受賞者の業績やメッセージに触れながら来園者自身が銅像の脇に立つことができる「未来の台座」について「子どもたちや来てくれた人たちの気持ちを奮い立たせるいい作品だなと思った」と話し、「自然の中で、まち全体が新しいことにどんどんチャレンジしていくのは素敵だなと思いながら毎日訓練に励んでいる」と語った。 2人は共に、11月26日に開催されるつくばマラソンに出場する予定だという。(鈴木宏子)

小中学校のHP再開12月に つくば市 不正アクセスで停止

不正アクセスにより今年1月から閲覧できない状態になっているつくば市内全ての公立小中学校と義務教育学校48校のホームページ(HP)について、再び閲覧できるのは今年12月になる見通しであることが分かった。停止期間は異例の11カ月間に及ぶ。 小中学校などの教育情報ネットワークを管理運営している市総合教育研究所(同市大形)によると、各学校のこれまでのHPは同教育研究所が管理していたが、24時間監視できないなどから、これまでのHPを廃止し、新たに専門業者に委託する。8月以降、各学校で新しいHPを作り直して、12月から再び閲覧できるようにする。 6月議会最終日の23日、2023年度から28年度まで5年間の業務を専門業者に委託する予算と債務負担行為合わせて約2300万円を計上した。8月に委託業者の一般競争入札を実施し、契約後、各学校のHPを作り、12月再開を目指す。専門業者に委託することにより常に最新のセキュリティー情報を認識し不具体への対応を適切かつ迅速に実施するとしている。 不正アクセス後、同教育研究所が3月までに実施した調査によると、今年1月3日午後、香港のIPアドレスから侵入を受け、市内にある公立小中学校と義務教育学校計45校(当時)すべてのHPのログインIDとパスワードが書き換えられた。画面の改ざんなどはなかった。だれが、何の目的で不正アクセスし、ログインIDなどを書き換えたかは分からなったという。 不正アクセスを受け同教育研究所は1月5日、すべての小中学校HPを閲覧できないようにし、さらに11日、すべての学校のHPを停止した(1月11日付)。 HPが閲覧できなくなって以降、市教育局は各学校の必要な情報を市役所のHPに掲載しているほか、保護者にはデジタル連絡ツールを活用するなどして日々の連絡手段を確保しているという。 一方、卒業生や地域住民、新たに転入を希望する児童生徒や保護者には、学校生活の特色や現在の様子が分からないため、様子を知りたいなどの問い合わせがあるという。 同教育研究所の山田聡所長は「ご不便をお掛けしお詫びします。今後は安全で安心なセキュリティーを確保した上で再構築させていただきます」としている。(鈴木宏子)

24日から海外出張 五十嵐つくば市長

つくば市の五十嵐立青市長が24日、海外出張に出発した。7月1日まで7泊8日の日程でフランスとルクセンブルクを訪問するという。 今年3月31日、OECD(経済協力開発機構)の先進的市長(チャンピオン・メイヤー)に選ばれ、同先進的市長会議に参加したことから、27日にパリで関係者に面会する。29日にはルクセンブルクで、世界各国のICT(情報通信技術)業界関係者が集まる「ICTスプリング」に登壇し、つくば市の取り組みを紹介する。 市市長公室によると、24日から27日までパリに滞在し、新しい働き方として注目されている労働者協同組合の関係者と面会し視察や意見交換をしたり、文化芸術財団と意見交換する。さらにパリ市役所を訪れ労働者協同組合や文化芸術について話を聞く。27日はOECD先進的市長会議の関係者と面会する。 同先進的市長会議は、2016年にOECDが呼び掛けて立ち上げた先進的な取り組みを進める首長の会議で、格差や不平等をなくし、国連が掲げる誰一人取り残さない包摂的な都市の実現を目指す。約60の首長が参加し、日本からは小池百合子東京都知事、高島宗一郎福岡市長、福島県広野町長らが参加している。五十嵐つくば市長は、誰一人取り残さない包摂的で持続可能な社会の実現に向けた様々な施策を推進しているとして選ばれたという。 その後28日からルクセンブルクに移動し、29日にICTスプリングに参加する。世界約70カ国から5000人以上が集まるイベントで29、30日の2日間開かれ、企業によるブース展示やワークショップなどのほか、最新のデジタル技術とイノベーションをテーマに閣僚や著名人による講演やパネルディスカッションなどが催される。五十嵐市長は登壇者の一人という。 海外出張には市職員2人が同行するほか、つくばスーパーサイエンスシティ構想の全体統括者を務める市顧問の鈴木健嗣筑波大教授も同行する。 市長公室によると、海外出張費用は現時点で未確定だとしている。(鈴木宏子)

中長期の施設修繕費6億円 つくば市負担 縮減し年1億8600万円に 洞峰公園

無償譲渡を受けることが望ましいとして、つくば市が県と協議を進めている県営の都市公園、洞峰公園(つくば市二の宮、約20ヘクタール)について、五十嵐立青市長は23日、体育館・プール棟や新都市記念館など園内施設の中長期的な修繕費用は計約6億970万円かかり、年平均で3500万円程度になるとの見通しを示した。毎年の維持管理費約1億5100万円と合わせて市の費用負担は年約1億8600万円になる。 6月議会最終日の23日開かれた市議会全員協議会で説明した。無償譲渡に向けた協議の中で県から資料提供を受けるなどして市が算出した。 今年2月の議会への説明(2月14日付)では施設の修繕費用は、県が2023年度から27年度までに計画した大規模修繕費用と同額の年平均約7800万円かかり、年間維持管理費約1億5000万円と合わせて年約2億2800万円かかるとしていたが、2月の試算より年約4200万円縮減される。 園内施設の中長期的な修繕費用は、県がすでに実施した工事費や、目標使用年数を80年として県が策定した長寿命化計画の策定資料などから市が試算した。計約6億970万円の内訳は、体育館・プール棟が約4億6000万円、新都市記念館が約6900万円、トイレなどがあるフィールドハウスが約5600万円、運動用具倉庫やトイレ、井戸ポンプ、管理棟などが約2300万円。 算出にあたって市は5月、建築士に依頼し、体育館・プール棟、新都市記念館、フィールドハウスの3施設について、壁や天井など53カ所の調査を実施した。判定を「早急な修繕が必要な箇所」「近いうちに修繕が必要な箇所」「現状のままで使用可能な箇所(経過観察)」の3段階に分け、「早急に修繕が必要な箇所」12カ所については県と協議し、県が修繕を検討することになった。 さらに洞峰公園の指定管理者から施設や設備の状態を確認し、温水プールの室内暖房の故障など現時点で修繕が必要な12カ所についても、県が修繕を検討する。 県が27年度までに計画した年平均約7800万円の大規模修繕については、例えば県はフィールドハウスについて約1億4600万円で建て替えを計画していたが、市が実施した建築士の調査で「建て替えを行うほどの劣化は見られない」との判定が出たなどから、修繕内容を一部見直すほか、現時点で不具合がある設備については県が修繕を検討する。 県都市整備課は取材に対し「現時点で、故障などにより公園利用者に不具合がある設備については、修繕してから市に移管したい」としている。 市民説明会を実施へ 今後のスケジュールは、市が無償譲渡を受ける時期については、県による修繕が終わった後となり現時点で未定という。園内の洞峰沼は国有地であることから国との協議も今後必要になるとした。 一方、五十嵐市長は7月中に市民説明会を開くと話し、洞峰公園体育館で週末と平日に開催するほか、市北部と南部でも開くとした。合わせて市民アンケートも行いたいと述べた。 無償譲渡を受けた後の運営方法については「地域住民や公園利用者、有識者による協議の場をつくることを考えている」と述べるにとどまった。現在、スポーツ教室や文化教室などが開催されており、利用者サービスを低下させない維持管理方法を協議するため、当初、維持管理方法が定まるまでは、現在の事業者と業務委託などにより管理を行うことも検討しているという。 全協では議員から「洞峰公園を普段利用しない市民から反対の声が上がっている。1億5000万円の支出は市全体にとってメリットがあることを示すべき」「中長期の修繕計画にテニスコートや遊具が入ってないので計画を出してほしい」「樹木や洞峰沼の状況も県と情報共有し調査してほしい」「市として無償譲渡は決定していることか」「2023年度に市の公園にかかる予算は11億円強。洞峰公園の1.5億円は11億円の14%弱で決して少なくない。費用削減をしっかり考えてほしい」などの意見が出た。 市全体のメリットについて五十嵐市長は「遠方の方から『そこ(その地区)ばかり』という声が上がるのは当然。100%満足は難しい。各地区の公園を早急に前倒ししてきちんと修繕したい」などと答えていた。(鈴木宏子)

23年度売上1.6倍増目指す まちづくり会社が決算報告 つくば市議会

つくば市議会つくば中心市街地まちづくり調査特別委員会(塩田尚委員長)が20日開かれた。市が出資するまちづくり会社「つくばまちなかデザイン」(同市吾妻、内山博文社長)が、2022年度3月期(22年4月-23年3月)決算と23年度の目標などについて報告した。23年度については、つくば駅周辺のロボット配送の運営などコンサルタント受託事業費が増えるなどから、22年度売上実績約8790万円の1.6倍の1億4000万円の売り上げを目指すとした。 設立2年目の22年度決算は、約8790万円の売り上げに対し約9775万円の経費(販売費及び一般管理費)がかかり約985万円の赤字(営業損失)となった。支払利息などの営業外損失を加えると当期損失は約2163万円(税引前)となり、これにより22年度末の負債残高は、社債などを含め約3億3226万円になった。 同社は第3セクターとして21年4月に設立された。市と民間企業3社による出資金1億2100万円のほか、社債を発行してファンド(投資信託)から3億1600万円の資金を調達して始動した。市が区分所有するつくばセンタービル1階を改修し、22年5月から「働く人を支援する場」として、貸しオフィスやコワーキングスペース(共同オフィス)、カフェなどがあるco-en(コーエン)を運営する。今年4月からは新たに市の指定管理者としてつくばセンター広場を管理、運営する。調達資金の元本の返済は24年度から始まる。 22年度決算は、co-en全体の売り上げが目標5637万円に対し81%の約4571万円で、経費などを差し引いた営業損益は、開業に伴う初期費用などから約1694万円の赤字となった。売り上げの内訳は、貸しオフィスが昨年8月に満床になり売り上げ目標3027万円に対し95%の約2900万円。23年度は2700万円の売り上げを目指す。コワーキングスペースは3月末の会員数が個人・法人合わせて39者(目標43者)で、売り上げ実績は目標2490万円に対し47%の約1171万円にとどまった。23年度は3000万円を目指す。カフェ(ビア&カフェエンギとシェアキッチン)からの収入は120万円の目標に対し4倍超の500万円、23年度の目標は120万円。23年度はco-en全体で前年度の1.27倍の5820万円の売り上げを目指す。 co-en以外の事業として、地下駐車場の売り上げが約1213万円、利益が約438万円、つくばエキスポセンター内のカフェからの収入が約80万円、ロボット配送などのコンサル受託費が2000万円超など計約4219万円の売り上げがあったとした。 23年度の売り上げ目標は、地下駐車場が1300万円強、エキスポセンターのカフェからの収入が200万円、ロボット配送の運営受託費などコンサル受託事業が5400万円のほか、つくばセンター広場の管理運営収入が市からの指定管理費と利用料金収入合わせて1000万円など、co-en以外の売り上げを22年度実績の1.9倍の8180万円にするとした。 議会特別委では、23年度の売上目標の内訳や、当初co-en内に計画されていた「子連れで働ける場」がいまだに開設されてない問題、つくばエキスポセンター内の「ほしまるカフェ」撤退後、今年4月オープンしたサンドイッチ専門店の業者選定の経緯、つくばセンタービル4階の吾妻交流センターをオフィスに改修する計画などについて議員から質問が出た。 吾妻交流センターについては、現在、市が改修工事を進めている市民活動拠点がつくばセンタービル南側に完成し吾妻交流センターが移転した後の来年6月以降に工事に着手する計画で、内山社長は、工事費用の約5000万円は、現在、手元にある現金及び預金3295万円と消費税の還付金約2500円でまかなえるとした。昨年6月の決算報告では改修費用をまかなうため増資を検討するとしていた(22年6月9日付)。 子連れで働ける場について内山社長は「(まちなかデザインの)持ち出しが出続ける事業は経営的に難しい。家賃は取れなくても自走していただける経営者を検討している」とし、吾妻交流センター跡の第2期工事の中で子育て支援拠点なども含め幅広く検討していくとした。吾妻交流センター跡は当初、貸しオフィスの増床が計画されていた。(鈴木宏子)

つくば駅前に戻して開催 まつりつくば2023

つくば市最大の夏祭り「まつりつくば2023」(まつりつくば大会本部主催)は今年、会場をつくば駅周辺に戻し、8月26、27日の2日間開催する。昨年初めて会場を研究学園駅周辺に移し開催を予定したが(22年6月27日付)、新型コロナの感染拡大により中止とした(8月6日付)。今年は例年通りつくば駅周辺に立ち戻る。 第40回目となる今年は、47万人が来場したコロナ前の2019年と同規模を予定し、4年ぶりの開催を目指す。つくば駅周辺のつくばセンター広場、大清水公園、中央公園、竹園公園などを会場に、ねぶたと市内の神輿などが競演する「まつりパレード」や、市内のグルメが勢ぞろいする屋台の出店、大道芸人によるパフォーマンスなどを予定している。 昨年は研究学園駅周辺で予定したが今年はつくば駅周辺に戻す理由について五十嵐立青市長は16日の市長定例会見で「複合的要素があった。パレードをする際にどのような形で実施できるかという調整の課題が多かった。今般、関係各位の理解を得て調整が十分できたので例年通りの開催ができる」などと説明した。 来年以降の会場について五十嵐市長は「多くの人がやはりあちら(つくば駅周辺)でやることを望んでいるので、そうでありたいと思っている」と述べた。 大会本部事務局の市観光推進課によると、2月に今年第1回目の本部会議を開き、会場をつくば駅周辺に戻すことを決めた。 4年前の2019年時点と比べつくば駅周辺はマンションなどの開発が進んでいる。まつりの2日間、パレード実施のため夕方から夜にかけて、つくば駅近くの土浦学園線の一部を通行止めにする。通行止めにより車の出入り台数を制限されるなどの影響を受けるマンション住民が増えているほか、まつりの資材置き場としていた空き地が減少したり、駐車場が減るなどしている。 同課によると現在、各マンションと調整を進めている。代替の資材置き場はほぼ確保できたという。駐車場については、今年はまつり関係者に公共交通機関を利用するなど呼び掛けるとしている。 まつりつくばは1981年に市民有志が開催したのが始まり。当初から現在のつくば駅周辺で開催され、1998年からは土浦学園線を通行止めにしてパレードが実施されてきた。新型コロナにより2020年から3年連続で開催中止となった。(鈴木宏子)

東海第2原発の廃炉求め つくば、土浦で一斉行動

原則40年、最長60年とされていた原発の運転期間を見直し、60年を超える運転を可能とするGX(グリーントランスフォーメーション)脱炭素電源法が5月31日の国会で可決、成立した中、運転開始から44年の東海第2原発の廃炉を求める市民による一斉行動が11日、つくば駅前や土浦駅前などで実施された。 首都圏の脱原発市民団体などでつくる「東海第二原発いらない!首都圏ネットワーク」が呼び掛け、2021年から3カ月ごとに実施している一斉行動の一環。第8弾となる今回は9日から11日の間に、関東を中心に全国70カ所で実施され、それぞれ署名活動や街頭スピーチ、プラカードを掲げて街頭に立つスタンディングなどが展開された。県内ではほかに、龍ケ崎、牛久、石岡市、東海村などで実施された。 つくば駅前で11日実施された一斉行動では、同首都園ネットワークつくば・土浦実行委員会の6人が、「原発政策の大転換は許さない」「声を上げよう 東海第2原発はいらない」「福島を忘れない」と書かれた横断幕を掲示し、つくば駅やバスターミナルの利用者らに、東海第2原発の廃炉を求める署名に協力を呼び掛けたり、チラシを手渡すなどした。 つくば駅前での一斉行動を呼び掛けた市内に住む阿部真庭さん(75)は「福島の人たちの苦労を思うと、同じ過ちを繰り返してはいけないし、悲惨な人たちを再び生んでほしくない。ささやかな行動だが、モノが言える今のうちに言わないといけないと思う」などと話していた。(鈴木宏子)

一定期間、定期預金で運用 つくば市旧総合運動公園用地の売却益約42億円

つくば市土地開発公社(理事長・飯野哲雄副市長)が、同市大穂、旧総合運動公園用地約46ヘクタールを昨年グッドマンジャパンつくば特定目的会社に売却して得た利益約41億8000万円を、今年3月から、金融機関の定期預金に預けて運用している。同公社が6月1日開会の6月議会に提案する2022年度事業報告書の中で明らかにした。23年度は計約195万円の利子が付く見込みという。 売却金額110億円のうち、開発公社が市から借りていた約68億円は市に返済。残り約41億8000万円を、JAつくば市谷田部とJAつくば市の1年から5年の複数の定期預金に積み立てた。 市財政課によると、同特定目的会社との間で、10年間の間に土地売買契約上の債務不履行があれば市開発公社が土地を買い戻すという買戻特約登記を行っていることなどから、一定期間、開発公社の方で留保することとし、元本割れしない方法で運用することになった。 運用にあたっては地元金融機関を中心にヒヤリングを実施し、他と比較して高い利息で預けることができる2金融機関の定期預金に積み立てることを決めたという。預ける期間がどれくらいになるかや、将来、約42億円をどのように使うかなどは決まっていないとしている。 同用地は、市原健一前市長が総合運動公園を整備する計画を立て、2014年、市内の4金融機関から融資を受けて、同公社が約66億円で購入した。翌15年、住民投票が行われ、計画が白紙撤回された。16年、五十嵐立青市長は、同用地を「URと返還交渉する」ことを最大公約に掲げて初当選した。 その後、借入金返済に毎年3000万円を超える利息がかかっていたことなどから、つくば市は21年3月から10月まで計3回、開発公社に利息分を含めた計約68億円を無利子で貸し付け、同公社は借入金をすべて返済した。 五十嵐市長はさらに同用地を民間に一括売却することを決め、翌22年3月、市は売却先の事業者を公募し、4社の中から最も高い約110億円で購入するとしたグッドマンジャパンを選定した。同年9月29日付で所有権移転手続きが完了。市は今年2月21日、都市計画変更を実施した。現地には5月19日付で、10月1日から第一期工事を実施するという掲示板が出されている。(鈴木宏子)

10月着工、物流倉庫建設へ つくば市旧総合運動公園用地

つくば市土地開発公社が昨年、外資系物流不動産会社グッドマンジャパンの同つくば特定目的会社(東京都渋谷区)に約110億円で売却した同市大穂、旧総合運動公園用地(高エネ研南側未利用地)約46ヘクタールについて、同社が物流倉庫を建設する1期工事を、今年10月1日から2033年9月30日まで実施するとした開発行為許可申請手続きに基づく掲示板が、25日までに現地に掲示された。 掲示板によると、1期工事で建設する物流倉庫の建築面積は約3万6552平方メートル、延床面積は約14万1324平方メートル。建物は鉄骨造り、地上4階建て、高さは30.85メートル、建設棟数は不明。 グッドマンジャパン(東京都千代田区)の広報担当者は具体的な事業計画について「いろいろなプランを想定して検討している最中なので、コメントできない」としている。10年間で順次、建設していく計画だが、実際にどのくらいの期間で建設するかは未定という。住民説明会は近く開催するが、日程は現時点で決まっていないとした。 つくば市が昨年8月に発表した同社の事業計画によると、同社は約46ヘクタールのうち道路予定地を除いた面積の5割にデータセンターを7棟建設、同面積の4割に物流拠点を2棟建設し、全体面積の1割の約4.5ヘクタールにカフェや物販店、防災備蓄倉庫などを備えた防災拠点を整備する計画を市に提案し、4社の中から売却先に選定された(2022年8月30日付)。 売却後の昨年10月から市は都市計画変更手続きを開始し、同用地は今年2月21日、倉庫などが建設できる準工業地域に用途地域が変更されるなどした。(鈴木宏子)

災害ボランティアのトレセン来春開所 日本財団つくば研究所跡地

国内初、技術系エキスパートを育成 つくば市南原、日本財団つくば研究所跡地の一部に、日本財団ボランティアセンター(東京都港区、山脇康会長)が「災害ボランティアトレーニングセンター」を開設する。重機の操縦など専門知識をもった技術系ボランティアを育成したり、災害復旧に必要な重機やダンプ、資機材を配備して災害現場に貸し出すなどする。来年3月か4月に開所する予定だ。技術系の専門知識をもつ災害ボランティアを育成するトレーニング施設は国内初という。 研究所跡地約5万7000平方メートルのうち約5000平方メートルに整備する。現在、芝生の広場になっている敷地北側の運動場を重機操作などのトレーニング場とする。さらに来春までに研修室などの建物と、重機を駐車する車庫などを整備する。建物の規模や重機の配備台数、スタッフが常駐するかどうかなどの詳細は今後検討するという。 地震や土砂崩れなどが発生した場合、災害現場という特殊な環境で重機を操縦し、がれきや土砂を撤去したり、屋根の上など高所で作業したりなど、技術があり経験を積んだ人材が必要になることから、重機、ダンプ、資機材を配備して、操縦方法の講習会を開催し人材を育成する。 日本財団(東京都港区、笹川陽平会長)から敷地の一部を借りて、同財団ボランティアセンターが整備し、運営する。 開所に先だって23日同跡地で、消防士を対象に、重機の操縦方法を学ぶ「技術系災害ボランティア 重機操縦エキスパート講習会」が初めて開かれた。消防士の普段の仕事とは別に、休日にボランティアで災害現場に駆け付け、災害ボランティア活動をしている東北や関東の消防士らが参加し、災害現場を想定した重機の操縦方法のほか、段差の超え方、坂道の上り方や下り方などの方法を学んだ。25日まで3日間開催し、県内のほか山形、福島、埼玉、千葉などの消防士が各日約10人ずつ講習を受ける。 23日、休日を利用して講習会に参加した茨城西南広域消防本部(古河市)総和消防署当直隊長の小倉尚敏さん(47)は「災害現場で実際に重機を動かしボランティア活動をしている人から教わる機会はなかなかないので、貴重な経験になる。災害時にボランティアチームの一員としてお手伝いできたら」と話す。 講習会の講師を務める山形県の置賜広域行政事務組合消防本部消防司令補の我妻清和さん(40)は「参加者は人助けをしたいという気持ちで参加している。重機は危険を伴う作業なので、操縦方法を覚えるだけでなく、これをやったら危険だということを理解してもらえたら」と話す。来春開所するトレーニングセンターについては「重機がない消防署も多いと思うので、訓練施設ができるとボランティア活動のスキルをもった人が増える。とても重要な活動拠点になると思う」と話す。 技術系講習会は、今年秋から毎月1回程度開催し、重機の操縦方法のほか、倒木を除去するためのチェーンソーの使い方など資機材の操作方法の講習会なども実施する予定という。 同研究所跡地をめぐっては、新型コロナの感染拡大が始まった2020年4月、感染拡大による医療崩壊を防ぐ目的で日本財団が同跡地に約9000床の軽症者向け病床を整備すると発表し(2020年4月5日)、地元の五十嵐立青つくば市長が受け入れに難色を示した経緯がある(同4月6日)。一方、同年5月から8月に、研究所内にあった角水槽棟や回流水槽棟などの研究施設が解体、撤去され更地になった(同5月22日付)。 今年1月から2月末までは、日本財団から無償で土地の貸与を受け、県が200床規模の臨時の医療施設と、自家用車に乗ったまま1日300人がPCR検査を受けることができる発熱外来を開設した(22年12月2日付、27日付)。県の医療施設と発熱外来施設はその後撤去され、現在、つくば研究所跡地は更地になっている。(鈴木宏子)

「軍拡より生活を」女性ら30人が呼び掛け 20日つくばで設立集会

岸田政権の軍拡の動きに危機感を持ったつくば、土浦市など県内約30人の女性らが、「軍拡より生活 いのちを守ろう」と呼び掛け、20日つくば市内で「軍拡NO! 女たちの会・茨城」の設立集会を開催する。 法政大学前総長の田中優子さん、東京大学名誉教授の上野千鶴子さんらが今年1月、「平和を求め軍拡を許さない女たちの会」を結成。2月に都内で「軍事費GDP2%を撤回し、女性や子ども、若者や社会的弱者の目線に立った政策を進める」などを求める声明を出し、7万5000人の署名を添えて与野党などに要求した。併せて日本各地に女たちの会を設立するよう呼び掛けた。 新聞報道などで動きを知ったつくば市の長田満江筑波学院大学名誉教授(87)が友人らに声を掛け、3月に約10人の女性らで準備会をつくった。計7回の打ち合わせを重ね、設立する。大阪、鹿児島、北海道などでもすでに「女たちの会」が結成されているという。 長田さんは「女たちは、物価が上がって生活をどうするかや、子どもたちが戦争に巻き込まれてしまうのではないかと心配しビビットに反応している。今こそ生命を育み生活を守る女性目線の政治が必要。女たちの会をつくって広げていきたい」と話し、呼び掛け人の一人で土浦市の彫刻家、小張佐恵子さん(70)は「先の戦争では女性たちに投票権がなかった。今は投票権がある。前のような戦前にしないために女性たちが発言しなくてはいけないと思う」と述べ参加を呼び掛ける。 設立集会では「女たちの会・茨城」の決意表明を発表するほか、反貧困ネットワーク世話人で作家の雨宮処凛さんが「コロナ禍、困窮者支援の現場から『軍拡より生活』の重要性について語る」をテーマに講演などする、 今後は「県内各地で勉強会などを開いて、呼び掛け人らが中心となり、各市町村などで女たちの会をつくっていければ」と長田さんはいう。(鈴木宏子) ◆「軍拡NO! 女たちの会・茨城」設立集会 20日(土)午後1時30分~4時、バーク(BARK)スタジオ(つくば市天久保1-7-18)。三上智恵監督による映画「沖縄、再び戦場(いくさば)へ」のスピンオフ作品も上映する。参加費500円。定員70人。zoomでも配信する。参加申し込み・問い合わせは電話090-7845-6599(長田さん)、メールosada3220@nifty.com(同)。ホームページ(HP)はいのちを守ろうHPへ。

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