月曜日, 10月 12, 2026
ホーム暮らし新たな産業用地候補地 2地区120haが重点促進区域に つくば市

新たな産業用地候補地 2地区120haが重点促進区域に つくば市

市議会「地権者に説明が先」

工場や物流倉庫などが集積する新たな産業用地の創出を、つくば市が市内4カ所を候補地に検討している。昨年末、そのうちの市内2カ所、計約120ヘクタールが、地域未来投資促進法に基づく県の第2期圏央道沿線地域基本計画の重点促進区域となった。一方、候補地2カ所は現在いずれも市街化調整区域で、農地のほか山林や宅地も含まれ、地権者に説明すらされていない。昨年末開かれた同市議会12月会議では「地権者への説明が先」だとされ、市が12月補正予算案に計上していた1カ所の文化財試掘調査費約757万円が削除され、調査着手が延びることになった。

昨年末、新たに重点促進区域となった2カ所は高須賀地区(高須賀、上郷)74ヘクタールと、谷田部地区(同市谷田部、境松、房内)45.7ヘクタール。

経産省のホームページなどによると高須賀地区は、県道土浦坂東線に接し、今春、同市島名に新規開通する圏央道つくば西スマートICから約3キロに位置する。加えて特別高圧電力の供給が可能なことから、地域経済をけん引する事業を重点的に促進させることが適当だとする。一方すべてが市街化調整区域となっており、真瀬土地改良区の集団的農地を中心として農用地が37.4ヘクタールあり、農業従事者の実態、就業意向を把握し、兼業農家の安定的な就業に向けた取り組みの推進を図るーなどとしている。

谷田部地区は、県道谷田部藤代線に接し、谷田部IC(インターチェンジ)から約2キロに位置する。加えて特別高圧電力の供給が可能。一方、区域全体に第一種農地が10.4ヘクタール存在していることから、土地利用調整を行う場合は、農業従事者の実態や就業意向を把握し、兼業農家の安定的な就業に向けた取り組みの推進を図るーなどとしている。

市が候補地として検討している産業用地はほかに、筑波北部工業団地の西側とつくばテクノパーク豊里の南東側の2カ所。市は1月中にも策定予定の市都市計画マスタープラン立地適正化計画に、計4カ所を新たな産業集積拠点の候補地とすることを盛り込む方針だ。

長年の懸案

市立地推進室によると、市内には工業団地に空きが無く、産業用地が足りないことが長年の懸案だった。市は2016年度に市内全域を対象に産業用地可能性調査を実施し10カ所を候補地とした。2023年度にそのうち評価が高かった7カ所をさらに4カ所に絞り、市都市計画マスタープラン立地適正化計画案に盛り込んで昨年8~9月にパブリックコメントを実施した。今年1月中に開催予定の市都市計画審議会を経て、同計画に位置付ける。

併せて今回、4カ所の中で評価が高かった高須賀地区と谷田部地区の2カ所計約120ヘクタールについて、開発の際に手続きが簡略化されたり、税制優遇などを受けることができる地域未来投資促進法に基づく重点促進地域に申請し、12月末に経産省の同意を得た。

先行する高須賀と谷田部について市は昨年7月から、立地企業の業種検討、民間企業へのアンケート調査、土地利用方針図の作成のほか、下水道計画など必要資料を作成し、候補地の産業用地整備の事業化の可能性を検討するための基礎調査を実施中で、今年3月までにまとめる予定だ。

基礎調査と併せて市はさらに昨年の市議会12月会議に、2カ所のうち最も評価が高かった1カ所について、埋蔵文化財を試掘し文化財の範囲を確認するための調査費の計上を提案、文化財の調査に着手する予定だった。一方この間、地権者などへの説明は一切なかったことから、昨年末、市議会から「まず先に地権者に説明し同意を得ることがしかるべき順序。どこを試掘するかも明らかでない」(川村直子市議)などの意見が出て「待った」がかかった。

1カ所で地権者説明会開催へ

市立地推進室は今後、最も評価が高く埋蔵文化財調査に着手する予定だった1カ所を対象に、1月中に地権者説明会を開く予定だとし、近く地権者全員に通知を出したいとしている。昨年12月の議会で削除となった埋蔵文化財調査については、改めて議会に再提案する予定だ。開発手法などは、民間施行も含めて検討しており、市担当者は「まずは地権者の意向を聞きたい」としている。(鈴木宏子)

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