金曜日, 4月 19, 2024
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《霞ケ浦 折々の眺望》4 選んだ道が正解になるよう皆で努力した

【コラム・沼澤篤】前回のコラムで、霞ケ浦地方が江戸期の利根川東遷に端を発する首都開発の陰で犠牲になってきたという論旨を展開した。実は、話はそれで終わらないことが霞ケ浦問題の難しさ。 利根川東遷による土砂の運搬、堆積でかつての古鬼怒湾、香取海が浅くなり、十六島をはじめ、多くの洲や島が出現した。現在その場所は、香取市から稲敷市にかけて穀倉地帯になり、美味しい米の品種が作付けされている。江戸時代の簑和田浦(御留川と呼ばれた幕府禁漁区)や榎浦は現在、本新干拓地,稲波干拓地となり、山形県や富山県からの入植者が世代を継いでいる。 利根川東遷による水害常襲地が、長い時間をかけた人々の営為によって、美田や酪農地帯に変貌した。退路を断って入植した方々が、自分の選択が正解になるように、困難を切り抜けて日々努力した結果である。 干拓を推進した事業家、干拓農業の指導者、土地改良区の関係者の努力も忘れてはならない。また治水の父、須田誠太郎氏(元牛堀町長)はじめ、利根川水系の霞ケ浦・北浦の築堤、利根川と常陸利根川最下流の分離、直線化、浚渫(しゅんせつ)、拡幅、常陸川水門建設による水位管理や塩害防止に取り組んだ技術者や行政職員の努力も特筆される。 置かれた立場で頑張るしかない ただし全てが良かったわけではない。流入河川河口部の内湖的浅瀬は自然浄化作用が大きく、魚類などの繁殖の場所であるが、干拓によって多くが失われたことが霞ケ浦の水質悪化や魚類の激減を招いた。築堤も岸辺の植生や砂浜を激減させた。常陸川水門は湖水の閉鎖性を高め、結果的に富栄養化を加速度的に促した。 海から遡上する魚類の通過が困難になり、金銭補償されたが、漁業に大打撃を与えた。水質悪化は、流域の産業化(養豚、レンコン、コイ養殖など)と生活排水に起因するところも大きい。最悪期のアオコ大発生の要因は複合的であった。 しかし、地域社会は徐々に法整備、政策の高度化、下水道整備をはじめ、多額の予算を投入した諸対策を実施してきた。家庭排水対策など住民の意識向上の成果もある。その結果、霞ケ浦の環境は少しずつ改善されてきた。水害の心配が少なくなった湖水は住民生活の安定に貢献した。 利根川東遷等によって常総地方が首都発展の犠牲になったことは事実だが、個人レベルでも地域社会レベルでも逆境をはねかえし、選択した道が正解になるように、長い間の努力によって、県南、県西、鹿行地方のインフラや産業構造を形成してきた。 8年前の東日本大震災と原発事故で被災した福島県内の中学校卒業式で、校長が巣立つ卒業生へ「選んだ道が正解となるように努力してください」と祝辞を贈ったことがテレビで報道された。我々はどのような時代であれ、置かれた立場で頑張るしかないのだろう。(霞ヶ浦市民協会研究顧問) ➡沼澤篤さんの過去のコラムはこちら

今年はタケノコ掘り体験も 13日から阿見で「たけのこほっぺ」 竹林割合県内一

【相沢冬樹】竹林の多さは県南きってという阿見町で、13日からタケノコ料理フェア「たけのこほっぺ」が始まる。今回初めて「タケノコ掘り体験」を3軒の竹林で受け入れることになり、事前予約受け付けが始まった。 「たけのこほっぺ」はあみ観光協会が主催し、今回が7回目の開催。昨年と同じ14の飲食店が参加して30日まで行われる。各飲食店では、地元産のとれたてタケノコを味わえることから「自分の手で掘ってみたい」という要望が寄せられ、これに応える形で「タケノコ掘り体験」が実現した。 受け入れるのは、いずれも上長地区の飯野さん方、大久保さん方、浅野さん方の竹林。15日を皮切りに5月4日まで、3軒ごとに異なる日程・時間での受け入れとなり、前日までの申し込みで受け付ける。体験料は1人1000円(タケノコ1本込み、追加料は1キロ500円)、道具は無料で貸し出され、汚れてもいい服装・靴での来場を求めている。 震災影響、休止期間はさみ再開 町の総面積に対する竹林の割合が県内1位(2005年農林統計で1.7%)となり、観光協会が08年に「竹倶楽部」と銘打った観光振興事業をスタートさせたのが始まり。 竹林は手入れを怠ると密集度を高め、やぶ化して、周囲に侵食し被害を広げる。現在同町でタケノコを出荷している竹林面積は約28ヘクタールあるが、自家消費とその延長がほとんどで、持続可能な竹林の維持整備には、いっそうの消費拡大が求められた。 竹林を観光資源にしようと、10年から町内の飲食店参加による「たけのこほっぺ」がスタートした。しかし翌年発生した東日本大震災による福島第1原発事故の影響で15年秋までタケノコの出荷を自粛。休止期間をはさんで16年から再開し、大型連休前の恒例行事となっている。 ◆イベント詳細はあみ観光協会事務局(電話:029-888-1111)URL: http://www.amikan.jp/upsys_pro/news.php?mode=detail&type=association&code=161 ◆タケノコ掘り体験の日程と予約受付先 ▽飯野さん方4月15・17・22・24・29日各午後1時30分~3時(受付はファクスのみ:029-889-2448) ▽大久保さん方4月20・27・29・30日・5月3・4日各午前10時~午後3時(電話:029-840-3055) ▽浅野さん方4月20・27日・5月4日各午前10時~午後3時(電話:090-4950-5683) ◆「たけのこほっぺ」参加店 ▽アオヤド食堂▽割烹みとや▽居酒屋娯衛門▽宅配割烹北大路▽味香源▽すしかつ▽カフェ・ド・キッチン・カルケット▽フィッシュ・三宅▽とんかつつかもと▽中華レストラン四川亭▽そば処しのぶあん▽常陸秋そば信太の里▽宮宅讃岐製麺所▽エノテカドォーモプレミオ  

がん患者支援の祈り つくば市在住の演奏家ら「いのちのリレーコンサート」 14日アルスホール

【田中めぐみ】がん患者支援のイベントを毎年つくば市で開催、ことし結成10周年を迎えるリレー・フォー・ライフ・ジャパン茨城(RLJ茨城、田澤勝英代表)が、記念の「いのちのリレーコンサート」を14日、同市吾妻、つくば文化会館アルスホールで開く。チャリティーで集められた寄付金は、日本対がん協会を通じて、がんの研究や治療や患者の支援のために使われる。 主催は同コンサート実行委員会。出演は、ソプラノ歌手田中宏子さん(つくばオペラ代表)、バイオリニストのクレイグ・コールマンさん(コールマンヴァイオリンスタジオ代表、同市)、ピアニスト行谷由紀子さん(桐朋学園非常勤講師)、つくば市在住の小学一年生から中学一年生らで成る弦楽アンサンブル「つくばジュニアストリングアンサンブル」など。がん患者支援への思いを込めた楽曲を、様々な楽器や歌声で聴くことのできるコンサートになる。 RLJ茨城が主催するチャリティーイベントでは、空っぽの椅子とテーブルを置いて亡くなった人をしのぶ「エンプティーテーブル」という催しが毎年行われている。この催しでは詩などの朗読を行うのが他県での通例だ。しかし、茨城では第1回イベントからソプラノ歌手の田中さん、第2回からバイオリニストのコールマンさんらボランティア音楽家が出演し、これまで毎年、歌と演奏によって追悼の意を表してきた経緯がある。 参加者からは好評で、田中さんの歌やコールマンさんの演奏を野外ではなく屋内で聞いてみたいという声が以前からあったという。その声に応えたいと、3年ほど前、田中さんがRLJ茨城のためのコンサートを発案した。出演者のスケジュール調整ができず実現に至っていなかったが、昨年11月から具体的な計画が進み、田中さんを中心に、RLJ茨城名誉実行委員長の宮本恭子さんらを含む6人で準備を始めたという。演目から会場、出演者、パンフレットの作成など準備を進め、開催が実現した。 コンサートでは、毎年「エンプティーテーブル」で田中さんが歌っている「ユー・レイズ・ミー・アップ」、「アベ・マリア」、「アメイジング・グレイス」が披露されるという。いずれも亡くなった人への追悼の意を込めた歌だ。中でも「ユー・レイズ・ミー・アップ」は、より意味が伝わりやすいようにという田中さんの提案で、英語教師でもある宮本さんが歌詞の和訳を行った。宮本さんは「原曲のイメージを壊さないようにしながら、かつ歌いやすさも大切にして和訳した」と話す。また、コンサートでは、歌声を合わせることで参加者同士の絆を深めてほしいとの思いから、東日本大震災の復興ソング「花は咲く」を全員で合唱するという。 健康への意志を次の世代が引き継ぐ 「いのちのリレーコンサート」の出演バイオリニストで、第2回チャリティーイベントの「エンプティーテーブル」で演奏を依頼されたことからボランティアを始めたというのクレイグ・コールマンさん(57)に話を聞いた。 コールマンさんは、第2回以来毎年演奏しており、今年で9回目の出演となる。コールマンさんは「エンプティーテーブル」で初めて演奏した時のことについて、「よく覚えています。空っぽの椅子とテーブル、レモンと塩と一輪のバラの花、それら一つ一つががんとの戦いを表している。レモンはがんとの戦いの苦さ、塩は涙、バラは一筋の希望。とても神聖な儀式というか宗教的な祈りのような気持ちを強く感じました。がんとの戦いの末に亡くなられた方々が持ち続けていた健康への意志を、次の世代が引き継いで、がんを克服できる世界にしていかねばと思わされました。大切なセレモニーだと思い、毎年心を込めて演奏しています」と語る。 RLJ茨城の活動に参加するようになり、「コミュニティーにかかわれるようになった、新しい人との出会いがあった」と語るコールマンさん。同コンサートに出演する「つくばジュニアストリングアンサンブル」の指導もしている。 ◆同コンサートは、4月14日(日)午後3時30開場、4時開演。入場料は大人2000円、高校生以下1000円。 入場料には5月18日(土)、19日(日)のリレー・フォー・ライフ・ジャパンイベントに飾られるルミナリエ(がん患者へのメッセージを書いた灯篭)代も含まれる。田中宏子さんとクレイグ・コールマンさんは同日のイベントにも出演する予定だ。

《映画探偵団》17 「東の桜川」が目覚めるとき

【コラム・冠木新市】旅のカタログ雑誌が送られてきた。もうすぐ桜の季節である。桜紀行の企画がページを飾っている。中でも、お伊勢参り、都をどり、3大名城(姫路城・彦根城・二条城)などと組み合わせた「吉野千本桜」の企画が目を引き、人気振りが伝わってくる。 「西の吉野と東の桜川」と並び称された「東の桜川」はどうか。吉野のヤマザクラは約3万本、桜川は約55万本。筑波山のヤマザクラを加えると圧倒的な数を誇るのに、企画は一つもなく、まるで人気がない。「東の桜川」は眠っているのだ。 このことが『桜川芸者学校』(2016~)の演劇を始めた要因でもある。桜川市、つくば市、土浦市を流れる桜川に残る伝説・民謡・文化を紹介することで、人々の心を刺激しようと思った。 これまで5作上演した。第2章では、茨城県を舞台にした唯一の能、世阿弥作の『桜川』を題材にした。人買いに買われた息子を探して、日向の国から桜川に流れてくる母親を描き、桜咲く時期に息子と再会を果たす、ハッピーエンドの物語である。 このお話を、3.11東日本大震災で息子を亡くした母親が相馬から桜川へと流れて来て、あの世の息子からのメッセージを聞くという物語に仕立てた。 市川崑監督の『犬神家の一族』 この台本を作っていたとき、市川崑監督作品の脚本家・日高真也先生との思い出が蘇った。日高先生によると、『犬神家の一族』(1976)の脚本が完成したとき、プロデューサーの市川喜一氏が読み、「これは『岸壁の母』ですなあー」と感想を述べたという。 『岸壁の母』(1955)は、戦地に行った息子の帰りを舞鶴港で待ち続けた母親の実話を基にした歌で、菊池章子が歌い、1974年には二葉百合子の浪曲調の歌で大ヒットした。 『犬神家の一族』は探偵の金田一耕助を主人公にした横溝正史の推理小説で、犬神家の遺産相続をめぐる連続殺人事件を描いている。この脚本の本質が、プロデューサーの何気ない一言で浮き彫りになった。映画は、戦地に行った息子佐清の帰りを待つ母親松子の姿を描いたものである。 ラスト近くの謎解きのシーンで、松子は本当の息子佐清と再会する。それまでのゴムマスクをかぶった佐清は偽者で、不安気な松子の微妙な表情が描写されている。 その後、何度もテレビ化され、舞台、劇画にもなり、40年を過ぎた現在でも語り継がれる名画となった。戦後に活躍し忘れ去られていた、横溝作品を映画化した角川春樹プロデューサー。オドロオドロしい殺人事件を、母親と息子の愛の物語に演出した市川崑監督。忘れられた作品を掘り下げることで泉となり、新しい流れを作った。 東日本大震災から8年。これまで続いていた3.11のイベントが、桜川市、つくば市、土浦市から消えた。桜川流域には、大震災で避難してきた人たちが暮らしている。「東の桜川」は目覚めのときを待っている。これからも桜川の文化を掘り下げるとともに、同じ思いを抱く人との出会いを信じたい。「東の桜川」が旅のカタログ雑誌に載ることを夢見つつ。サイコドン ハ トコヤンサノセ。(脚本家) ➡冠木新市氏の過去のコラムはこちら

みんなの防災展inつくば

東日本大震災からの復興を支援する学生団体「Tsukuba for 3.11」が主催する食べて、聞いて、見て学ぶ体験型防災イベント。 防災グッズの展示、つくば市役所職員による市の防災や安全対策の講演、バラエティがある非常食の試食などができる。  

夢工房オーナーの塚田幸子さん 8カ月ぶりギャラリー再開 古城の村の写真展

【鈴木宏子】つくば市豊里の杜、カフェ&ギャラリー「夢工房」のオーナー、塚田幸子さん(72)が、ポルトガルを旅して撮影した写真展を27日から開いている。昨年7月以降閉めていたギャラリーを8カ月ぶりに再開、「これから皆で楽しめる場所にしたい」と、自身が撮影した楽しい写真を展示したという。 「塚田幸子写真展-ジャカランタの花咲く頃~ポルトガル」で、2017年5月、塚田さんがスペインとの国境に近いポルトガルの小さな村マルヴァオンを、日本の桜の季節を重ねながら旅した思い出の写真だ。 白い壁の家が連なる絵画のような街並み、9世紀に建てられた古城で互いに見つめ合う恋人たち、ヨーロッパ系、アフリカ系、アジア系などさまざまな人たちが交わる通り、歩道でゆっくり寝そべる犬など、半切サイズ(35×43センチ)の写真34点が展示されている。 塚田さんは桜川市在住。子育てが一段落した20年ほど前、写真を習い始めた。現在「日本リアリズム写真集団」(英伸三代表)に所属し、2011年と15年にはバングラディシュを旅した写真展を東京とつくばで開いた。夢工房は2015年にオープンした。 ポルトガルへは、写真家仲間で現在、東日本大震災後の福島に通い写真を撮り続けている菊池和子さんの案内で旅したという。 来場した桜川市の女性は「構図が絵のようですごい」と話していた。塚田さんは「マルヴァオンの街中を歩きながら撮ったスナップ写真。街の匂いを伝えられたら」と語る。 会場には笠間市在住の陶人形作家、永島君江さんの陶器のひな人形など約40点も展示されている。 ◆同展は3月8日(金)まで。開館時間は午前10時30分~午後4時30分。3日(日)午後2時からは筑西市のアンサンブルグループ、ティタイムによる演奏会が開かれる。4日(月)は休館。最終日は午後2時まで。問い合わせは電話090-4676-9623(夢工房)。

東北の復興支援を! 土浦駅前に屋台「出張カキ小屋」

https://youtu.be/XlJe1Qwdaak 【谷島英里子】東北のカキを食べて復興を支援してもらおうと「出張カキ小屋 牡蠣奉行」が土浦駅西口前の市役所うらら大屋根広場に25日まで屋台を開いている。同市のインターネットテレビ、Vチャンネルいばらきの「NEWSつくばチャンネル」に22日、同店店長の大竹悠介さんを招いてインタビューした。 牡蠣奉行は東日本大震災で被災した宮城県石巻市の水産業者を支援しようと2013年から始まり、全国に屋台を展開している。 石巻市から直送されてくる旬の殻付きのカキを、バーベキューコンロで焼きながら食べることができる。カキ盛り(約1キロ)540円のほか、カキフライ、カキご飯、ホタテ、ハマグリなども手ごろな価格で味わえる。酒類も提供する。 席は約26席あり、席代は1人380円。混雑時は1組90分となる。大竹さんは「より多くの方に石巻市のカキを食べていただきたいので、遊びにきてください」と話している。 開店時間は正午から午後9時。問い合わせは大竹店長(電話080‐2680‐1196)。 ➡Vチャンネルいばらき「NEWSつくばチャンネル」の過去記事はこちら

《くずかごの唄》32 生ゴミの楽しい使い方

【コラム・奥井登美子】私は台所の生ゴミを、まだ捨てたことがない。全部自家処理している。東日本大震災のときに、倒れてしまった隣家の跡地に家庭菜園をつくり、そこに大きなコンポストが鎮座ましましている。 家庭菜園は私のささやかな趣味で、今は、土浦の自然を守る会の植物講師・後藤直和さんにいただいた菜種と、ふきのとうが食べたくて植えた蕗(ふき)が、元気に育っている。 庭の落ち葉は、袋に入れて大事に1年中、菜園やチョウの育成に使っている。昨年の夏、居間からよく見える中庭の、ツバキとアジサイの木の間に、雑草がいっぱい生えてしまった。あまりの暑さに、雑草を抜く気力がなくなってしまった私は、試しに、生ゴミを雑草の上にかけて、その上を落ち葉で覆ってみた。 昨年の夏の暑さときたら格別で、異常気温。1週間たってみたら、雑草はきれいになくなって、落ち葉だけが残っている。「コレはデカシタ。ゴミ君」。私はコンポスト利用を中断して、庭の雑草退治にゴミを利用することにした。 鳥たちのご飯粒争奪戦を観察 ある日、犬のミミちゃんが急に吠え出したのに気をとられて、生ゴミに落ち葉をかけるのをすっかり忘れてしまったことがあった。次の日の朝、居間から見た中庭の風景を、私は忘れることが出来ない。 スズメが7~8羽、ムクドリが3羽、仲良く生ゴミをつついている。ゴミの中にリンゴの皮とご飯粒が残っていたのを、スズメが見つけて、争奪戦になったらしい。 鳥たちの餌(えさ)の争奪戦の面白さ、どの鳥が先に見つけて、どんなネットで合図を送るのか観察するのには、もってこいの「特等席」が居間にできてしまった。鳥仲間が木の上で遊んでいるのを見て安心するのか、メジロやウグイスも、たまに遊びに来るようになった。 「今朝はカラスが来て、ヒヨドリを1匹さらっていったよ」「カラスだけは、来て欲しくないわ。どうすればいいのかしら」 私たち夫婦も、夫婦喧嘩を一時休戦して、鳥の観察に余念がない。生ゴミの楽しい使いみち、まだまだ研究する余地があると思う。(随筆家) ➡奥井登美子さんの過去のコラムはこちら

《邑から日本を見る》32 英原発凍結と経団連会長発言の真意

【コラム・先﨑千尋】日立製作所は17日、「英国で進めてきた原子力発電所の新設計画を凍結する」と発表した。総事業費が3兆円規模と巨額で、採算が取れるメドが立たないからだ。これにより、安倍政権が成長戦略の柱として進めてきた「原発輸出」はゼロになる。 政府の原発輸出は2000年代、地球温暖化対策として原発が注目された時に打ち出された。他の製品輸出と違い原発は兆円単位と巨額で、東京電力福島第1原発の事故後、国内での新設が見込めなくなり、輸出に活路を求めた。政府は、技術の維持のためにも輸出が必要だとしてきた。 しかし、国内の原発メーカーである日立、東芝、三菱重工業が政府の後押しを受け、リトアニア、トルコ、ベトナム、台湾、アメリカで進めてきた計画は、すべて凍結や中止に追い込まれた。東芝は、アメリカの原発計画で多額の損失を計上し、本体の経営が存亡の危機にさらされた。日立も、今回の凍結で3000億円の損失を計上するという。これ以上深入りすれば、東芝の二の舞になることを懸念したと思われる。日立の東原敏昭社長は記者会見で「これ以上の投資は民間として限界だ」と述べている。 この日立の決定について、新聞各紙は「原子力政策総崩れ」(東京)、「原発輸出固執した政権 計画総崩れ」(朝日)、「日本 原発輸出手詰まり」(毎日)などと報じている。それなのに政府は「安全運転や東京電力福島第1原発事故の収束を実現するためにも、人材、技術、産業基盤の維持、強化は必要」(菅官房長官)、「政府が原発を輸出する方針に変更はない」(世耕経産相)などと強がりを言っている。 1旬で発言が180度変わった! それより前の今月4日、日立製作所の会長でもある中西宏明経団連会長は「東日本大震災から8年が経とうとしているが、東日本の原発は再稼働していない。国民が反対するものは作れない。全員が反対するものをエネルギー業者や日立などの設備納入業者が無理に作ることは民主国家ではない」と述べた。原発の経済合理性が失われる中、原発を推進するには国民の同意が必要だと、当たり前のことを述べた。 その中西会長が15日の記者会見で「再稼働をどんどんやるべきだ。ただ、自治体がイエスと言わない。それで動かせない。『自治体の説得は電力会社の責任』では片付かない。(公開で)討論しなければならない」と話している。年初の発言とは全く違う。1カ月も経たないのに180度違う経団連会長としての中西会長の発言を、どう理解すればいいのか。 中西会長の一連の発言は政府へのしっぺ返しだとする見方もあるが、私は「日立の英国での凍結は儲からないから中断した。政府が原発の輸出は国策だと言うからそれに乗った。原発を止める気はないが、再稼働に対して自治体や住民がうるさく言っている。大いに議論して住民を納得させて前に進めろ」というのが真意ではないかと推測する。引き続き、政府と中西会長の発言、動向に注目していきたい。(元瓜連町長)

土浦のドラゴン、高橋竜也が判定勝ち ボクシング

【崎山勝功】WBOアジアパシフィックバンタム級9位・日本バンタム級10位の土浦のドラゴンこと、高橋竜也(29)=土浦市、ヤマグチ土浦所属=が25日夜、後楽園ホール(東京都文京区)で開かれた「東日本大震災チャリティー・ダイナミックヤングファイトボクシング」(主催・ヤマニ、ヤマグチ土浦ボクシングジム)に出場し、日本S.バンタム級12位の相川学己(25)=東京都、三迫=と対戦。高橋が2―1で相川に判定勝ちを収めた。高橋の通算成績は今回の勝利を含め43戦30勝21KO 8敗5分。 序盤は高橋ペースで試合を展開したものの、中盤辺りから高橋のフットワークが鈍り出し「相手のパンチが見えているけどパンチをもらってしまう」(高橋)状態に陥った。 高橋は第5ラウンド(R)での相川からの攻撃で左目の上を切る軽傷を負ったが、場内からの「タツヤ」コールに応えるかのように粘り強く持ちこたえ、全8Rを戦い抜き、判定となった。結果は3人の審判のうち2人が高橋優位と判定し、2―1で判定勝ちが決まった。 試合中に失速した原因について高橋は「減量がうまくいっていなかった」と振り返った。その上で「調整の仕方を変える。今までのやり方じゃダメ」と次戦への改善点を挙げた。 会場には高橋の地元・土浦をはじめ県内からのファンが応援に駆け付け、激戦での勝利を収めた高橋を激励した。高橋は「地元の人にはストレスの残る試合にさせてしまった。また応援してもらえるよう頑張ります」と、ファンの期待に応える決意を見せた。 高橋は、4月15日に後楽園ホール(東京都)で行われる試合に出場が決まっている。 つくばの根本裕也はTKO負け 同日の試合には、根本裕也(32)=つくば市、ヤマグチ土浦=も69㌔契約で出場し、鈴木喜伸(34)=滋賀県、角海老宝石=と対戦。善戦したものの3Rでドクターストップが掛かりテクニカルノックアウト(TKO)負けを喫した。根本の通算成績は14戦5勝1KO 8敗1分。 根本は、第1Rでは優位に試合を展開していたものの、第2Rで左眼上を切るけがを負い失速。2R残り時間28秒ごろに一時ダウンした。立ち上がって試合を続行して2Rを終えたものの、第3R開始直後にレフェリーからドクターストップを宣告され、3R3秒でTKO負けとなった。 根本は「このままのペースでいければ中盤以降にチャンスがくるかなと思った。(2Rで)左目上をカットしたとき、調子が狂った」と試合を振り返った。次戦について根本は「ちょっと休んでから次の試合のことを考えたい」と述べるにとどめた。

《くずかごの唄》30 隣はノラクロおじさんの家だった

【コラム・奥井登美子】兄が特別大事にしている写真があった。木の橋の上で小学生の兄が笑っている。「この小さな橋は何なの?」「荻窪の家の近くに小川があって、そこでよく遊んだ」「そのころの荻窪は、野原や小川なんかがあったのね」「お隣に、ノラクロのマンガを画く田河水泡が引っ越して来たんだよ」「ノラクロおじさんがお隣に…それはラッキー」 「そのころ、ノラクロの人気はすごかったよ。ノラクロキャラメル、遊園地に行けばノラクロブランコ。ノラクロブームだったんだ。僕も、お隣なのでうんと遊んでもらおうと期待していたのに、今度は僕の家が引っ越しちゃって。それからは、原っぱで野球ばかりやってたなあ」「せっかくノラクロおじさんが隣に来たのに、何で引っ越したの?」「さあ、わからない、親父に聞いてくれ」 いつだったか、父に、ノラクロおじさんのお隣から引っ越したいきさつを聞いたことがある。田園地帯だったそのころ、阿佐ケ谷、荻窪などは、関東大震災で焼け出された人たちの新しい住宅地。子育てに環境のいい家が、たくさん建てられたという。 わが家も、新富町の家が焼けて荻窪に引っ越した。子煩悩な父は、学生時代に子供たちを集めて、今でいう「子供文庫」のようなものをやっていた。子供が欲しかったけれど、母の心身の具合が良くなかったらしい。10年目に私が生まれたときは、とてもうれしかったという。 小児科医の近くに引っ越したわけ でも、身体が弱かった。1才のときに法定伝染病のジフテリアにかかって入院し、なんとか一命を取り止めた。治ってほっとしたのもつかの間、喉が弱くて、すぐ熱を出す。 父は心配で、心配で、10年目にやっと生まれたこの子を、熱なんかで死なしてなるものかと決心して、入院時にお世話になった小児科の勤務医・飯島先生が同じ荻窪に住んでいらっしゃることを知って、とうとう先生の家の1軒置いてお隣に引っ越してしまった。 そのころの荻窪は、探せば手ごろな家が方々にあったらしい。3~4歳のころだろうか、よく夜中に熱を出す。私は父に抱かれて、飯島先生とタクシーで淀橋病院へ行ったのをおぼろげながら覚えている。わが家の引っ越しの謎は、私の熱だった。(随筆家)

【成人式’19】はれのひ事件から1年 フォトスタジオが「いつでも無償で支援」

【橋立多美】きょう14日は平成最後の成人の日。昨年は成人の日にあたる1月8日、振り袖の販売と貸し出しを行う「はれのひ 」の3店舗(つくば店、八王子店、横浜みなとみらい店)が突如閉鎖された。あれから1年経ったが、龍ケ崎市のフォトスタジオ「スマイルカメラ」のホームページには「はれのひ被害に遭われた方へ」と題して、気持ちの整理がついたら10年後であっても撮影までを無償で支援しますという呼び掛け文が載る。 昨年ははれのひの3店舗に電話連絡ができなくなり、同店から購入またはレンタルで成人式の着付けを予約していた新成人たちが晴れ着を着られなくなった。つくば店は、同市や周辺自治体が成人式を1日早い7日に挙行したことで、「式当日に晴れ着を着ることができない」というトラブルは発生しなかったが、着付けが式典に間に合わなかった人も出た=2018年1月9日付け=。 「スマイルカメラ」を営む梶山泰央さん(49)は、ニュースでこの事態を知って「なんてことが…」と怒りが込み上げた。本人たちの泣きたい思いはもとより、仕事柄、晴れ着姿の我が子の前撮りをうれしそうに見守る父母たちの姿を見ていただけに、その気持ちが痛いほど分かったからだ。 「何とかしてあげたい」と8日夜、ツイッターとインスタグラムに「撮影だけで良ければ無償で支援します」と書き込んだ。すると「ヘアメーク、着付けできます」「振り袖あります」「応援します」など、続々と賛同と支援の声が寄せられた。ツイッターで100回以上リツイートされ、ページビュー(閲覧件数)は8万件以上に上ったという。 数日でヘアメークから撮影までの全てを無償で支援できる体制が整い、ホームページや取材を受けたメディアで利用を呼び掛けたが、問い合わせはなかった。つくば市周辺では「式当日に晴れ着を着ることができない」トラブルがなかったためと見られる。 震災経験し人生一転 「辛さ分かち合い」実感 被害者に今も無償支援を呼び掛ける梶山さんには、東日本大震災の経験を経て「最悪だった日を幸運な日に変えて笑顔にできれば」との願いが込められている。 梶山さんの人生は2011年の震災で変わった。震災から1カ月後、妻の希美さん(41)のふるさと宮城県亘理町の震災ボランティアセンターが稼働するのを待って駆け付けた。命と財産、町並みを失った痛みに黙々と耐える被災地を目の当たりにして「人の役に立つ仕事をしよう」と決意。趣味の域だった写真撮影の技術を独学で磨き、14年3月東京都下水道局を退職してフォトスタジオを龍ケ崎の幹線道路沿いにオープンした。 「被害者の新成人からの連絡はなかったが、多くの人がSNSで情報を広げてくれ、河内町の美容室を始め10人の有志が支援に名乗りをあげてくれた。辛さや困りごとを分かち合うための手が皆の心にあることを実感した。フォトの領域から世の中の役に立つ活動をしていきたい」と梶山さんは前を向く。 ◆フォトスタジオ「スマイルカメラ」のHPはこちら(https://www.smilecamera2525.com/) 龍ケ崎市藤ケ丘1-3-6 電話080-3307-3401 月曜定休

【成人式’19】「多様な任務完遂できる隊員に」 自衛隊霞ケ浦駐屯地

【崎山勝功】成人の日を前に、陸上自衛隊霞ケ浦駐屯地(土浦市右籾)で11日、新成人となった自衛官ら38人が出席して成人式が催された。新成人を代表して岩瀬雄二朗陸士長(20)が「多様な任務を完遂できる隊員となるよう若さと情熱を持ってまい進していく覚悟」と答辞を述べた。 新成人は、約300人の先輩隊員や保護者らを前に一人ひとり壇上に立ち「自分のできることを精一杯努力して頑張っていきたい」「今まで助けていただいた方々への感謝を胸に自衛官としてまい進します」などとそれぞれ抱負を述べた。 同駐屯地司令の權藤三千蔵陸将は「高い志を持ち続け、常に感謝の気持ちを忘れず、輝かしい明日を信じて日々精進することを祈念する」と訓示した。 式典後、新成人を囲んでの会食が行われたほか、今年からの新企画として新成人が庁舎の車寄せ屋根の上で面白いアピールをする「新成人の主張」を行った。「自分は栃木県出身なので餃子を200個食べたい」「自分には彼女がいません。誰か紹介してください」などとアピールをして、先輩隊員たちの笑いを誘った。 土浦市出身の新成人、関口達人陸士長(20)は、高校時代は音楽の専門学校への進学を目指していたが「今まで親に迷惑を掛けていたので自分でお金を稼ぎたかった」と父親と同じ自衛隊に入隊した。「(災害派遣現場などでは)自衛官としてキビキビと動きたい。一般の人を励ます存在でありたい」と語った。 千葉県出身の石井愛美(あみ)1等陸士(20)は、人を助ける仕事に憧れを抱き、東日本大震災での自衛隊の活躍をテレビで見て自衛官になった。「毎日が充実している。一つの任務を皆で成し遂げ、達成することにやりがいを感じる」と語り、「自覚と責任を持って自分の目標を達成していきたい。定年まで勤め上げたい」と成人の抱負を述べた。

アートの力で「ほうき」の魅力発信 筑波大生 27日から「つくろう展」

【鈴木萬里子】「大穂のほうき」=メモ=として知られる、つくばの伝統工芸ほうき作りを、素材作りから制作過程まで紹介する展覧会「ほうきをつくろう展」が筑波大学の学生らにより、27日から、同市吾妻、つくば市民ギャラリーで開かれる。 ほうき作りは、筑波大芸術専門学群クラフト領域、宮原克人准教授のプロジェクトとして取り組まれている。アート・デザインの力による東日本大震災の復興支援として始まり、昨年から、アート・デザインが地域にどのように貢献できるか、様々な実践をする創造的復興プロジェクトの一環として、「ほうきをつくろうプロジェクト」活動が展開されている。 ほうきは主にホウキモロコシ(ほうき草)とコキアから作られる。授業では、つくば市大穂でほうき工房を構える酒井豊四郎さんの畑を借り、酒井さんの指導のもと、学生らがホウキモロコシの種まきから収穫まで取り組んだ。コキアは坂東市の県農業大学校で育ててもらった。 さらに全国各地でほうき作りのワークショップを開いてきた。岐阜県白川郷にも出掛け、主婦グループと白川郷のカヤでほうきを作り土産にするアイデアを話し合った。「昨年は各地でワークショップを開き、たくさんの人にほうき作りを知ってもらった。今年はほうき作りを根付かせることを目標にしている」とメンバーの一人、芸術専門学群4年生の速水一樹(22)さんは話す。ほうきの作り方も研究を重ね、簡単に作れて丈夫、使いやすいほうきを紹介している。自然の素材を使った、自分だけの道具作りをする楽しさがあるという。 展覧会は昨年に続き2年目。今展のテーマは「ほうきづくりの過程を知ってもらおう」。ホウキモロコシやコキアのほうき約50点のほか、ほうき作りの材料や道具を展示する。来場者が体験する「ほうきづくりワークショップ」も開かれる。速水さんは「手間暇をかけて自分の手で一から作り上げると、愛着がわいて使うのが楽しみになる」と話し、多くの人の来場を呼び掛けている。 ◆会期は12月2日(日)まで。開館時間は午前10時~午後5時(初日は午後1時開館、最終日は午後1時閉館)。ほうきづくりワークショップは12月1日(土)午後1時~3時(受付午後12時30分~1時)。問い合わせは宮原さん(電話029・853・2843、メールmiyahara@geijutsu.tsukuba.ac.jp) ※メモ 【大穂のほうき】つくば市大穂地区で作られているほうき。県の郷土工芸品に指定されている。明治時代後期、栃木県鹿沼で奉公をしていた中島武平が、ホウキモロコシの種を持ち帰り、栽培と生産が始まった。大正から昭和には全国に出荷されていたが、電気掃除機の普及で需要が大きく減少した。

《食う寝る宇宙》26 宇宙天気災害から茨城を守る

【コラム・玉置晋】8月末のある朝、「茨城県が宇宙ビジネス支援に乗り出したぞ」と、LINEでたたき起こされました。たたき起こした犯人は、僕の指導教官である茨城大の野澤恵(のざわ・さとし)先生です。LINEには、ある新聞の1面のキャプチャが貼られておりましたので、眠い目をこすりながら、コンビニに新聞を買いに行きました。 いばらき宇宙ビジネス創造拠点計画 「いばらき宇宙ビジネス創造拠点プロジェクト」の詳細は茨城県庁のホームページを御参照ください。僕には「茨城県、よくぞやった!」「ちょっと待て、早いよ!」という2つの想いが交錯しています。 僕の野心的テーマ「宇宙天気災害から茨城を守る」の発動トリガーはまだ数年先、2020年を目標としていたからです。宇宙天気災害をじっくり学ばなければならない、よし、大学院のドクターコースに行こうかと覚悟を決めていた所で、このニュース。だから「早いよ!」です。 このコラムの末尾に「宇宙天気防災研究者」と書いてくださっていますが、これは、NEWSつくば編集室の御好意なのか、嫌がらせなのか(笑)で、原稿にはいつも「宇宙天気防災研究者(見習い)」と書いております点、ここに記します。 100~1000年に1度の低頻度激甚災害 しかし、「宇宙天気防災」の難点は、この手の災害の特徴として「低頻度激甚災害」なのです。例えば、地震災害の場合は、100年~1000年に1度の頻度で、数十の自治体が壊滅的な被害を受ける規模のものです。100年~1000年に1度の災害に対して、ビジネスを成立させるのは非常に困難です。 昨今、地震保険をはじめとした地震ビジネスが限定的に成立しているのは、我々は東日本大震災や各地で頻発する大地震を経験したからです。一方、宇宙天気災害はどうか?前回の大規模災害は1859年の「キャリントン・イベント」で、もうすでに100年以上前。 今や世界はICTネットワークで結ばれ、生活の中に宇宙技術やサイバー技術が入り込む別次元の時代に突入しています。「悲劇を経験せねば」動かないことは、我々人類の歴史が知るところです。次の宇宙天気災害で、人類ははじめて経験することになります。そして、後悔します。「あの時、準備しておれば」と。 終末世界を説く宗教的な話? 宇宙天気災害は、地球規模の災害となるため、被災しても外国から支援は来ません。さて、ここまでの話の展開で、読者の皆さん、「うさんくさいなあ」と思いません?これ、終末世界を説く宗教的なお話に接近しています。残念ながら、この話の展開ではコンセンサスを得ることは難しいでしょう。 僕は宇宙が好きで、宇宙天気の勉強を始めたからこそ、「これはヤバいぞ」と気づいてしまいましたが、普通は宇宙天気というワードを聞く機会はまずありません。その結果が認知度5%(コラム21参照)です。 というわけで、現時点で、宇宙天気防災をビジネスとして展開するのは、なかなか難しそうだと、事業計画書の作成の筆が止まっているのが現状です。迷える子羊をお助けください。 (宇宙天気防災研究者)

《食う寝る宇宙》24 一緒に地球防衛しませんか?

【コラム・玉置晋】土浦市の自宅を朝7時に出発する予定が、バタバタ準備していたら30分の遅延。時間制限ありの長距離ドライブ場合、30分の遅延が致命傷になることもあるので、ちょっとドキドキ。常磐自動車道に土浦北ICから乗り、北上します。18時に岩手県大船渡市に待ち人ありでございます。 地球防衛軍TDF 地球を襲う怪獣を倒すために、ウルトラマンはM78星雲からやってきます。ウルトラマンの世界では、M78星雲は銀河系から300万光年離れた所に存在することになっていますが、実際はオリオンの腰のあたり、地球から1600光年の所にあるそうです。 さて、男の子(女の子も?)は、ウルトラマン自身になる、またはウルトラマンと共に戦う警備隊に入りたいと思うのが誰しも通る道です(最近のお子様はどうなのでしょう?)。そして、その上部組織が地球防衛軍(TDF:Terrestrial Defense Force)です。今回の大船渡行きの目的はTDF隊員の募集であります。 大地震災害の爪痕 2015年に常磐道が仙台まで全線開通。茨城から東北へのアクセスが格段によくなりました。常磐道は福島県の浜通りを南北に通過します。11年の東日本大震災から7年が経過しましたが、福島第一原発事故による帰還困難地域は時間が停止しています。 高速道の側面には除染廃棄物が詰められた黒い袋が行き場なく積み上げられており、放射線遮へいのためか、通路側には高い金属板の壁が立ち並びます。黒い袋からは「セイタカアワダチソウ」が黄色い花を咲かせています。帰還困難地域はヒトがいなくなった一方で、「自然」が拡大しています。高速道の周辺地域は黄色い花が一面に広がり、傷んだ建物が埋もれつつあります。 仙台からは東北自動車道で北上し、岩手県の一関ICで一般道に降りた後、太平洋に向かって山道を東に進みます。海が見えてきますと、そこは陸前高田市でした。この市は津波の壊滅的な被害を受けた地域です。 津波を耐え抜いた「奇跡の一本松」は復興のシンボルとして知られています。近くには震災遺構として、3階建の中学校校舎が当時のまま残されていますが、後で調べたところ、津波は校舎の屋上を超えていたとのことです。避難先の学校の、しかも屋上でさえも逃げ切れない災害がここで起きた。 僕のカーナビの地図データは08年版と古いもので、あるはずの道がない、橋がない、街がない。「防災」は僕の人生後半のキーワードであり続けるでしょう。 宇宙天気防災講演会 大船渡市に到着したのは14時すぎ。所要時間は約7時間といったところです。天文サークル「宙詠(そらよ)みサークル 朔(さく)」が主催するサイエンスカフェ「宇宙天気防災講演会 一緒に地球防衛しませんか?~宇宙天気防災プロヘクトチーム結成!~」の講師として呼んでいただいたのでした。 開演に間に合い、ホッとしました。講演の様子は次回コラムで紹介したいと思います。(宇宙天気防災研究者)

《続・気軽にSOS》23 不謹慎? だけどおめでとう

【コラム・浅井和幸】とてもまじめな方たちは、自分が傷つきたくないだけでなく、人を傷つけたくない、間違いを起こしたくないという気持ちが強くなりがちです。それが過ぎると、一度のミスが、まるで致命傷であるかのようにおびえ、避けるようになります。 相談を受けていると、人を傷つけたり、ミスをしたりしないためにはどうすれば良いか? もし、人を傷つけたらどうすれば良いか? という質問を受けることがあります。まずは、お互いを知りあうこと、そして、その場での相手の気持ちを知るため、コミュニケーションをとることが大切です。 もし間違いを起こしてしまったら、もちろん、時と場合、その程度によりますが、まずは自分に非があるのであれば、謝ることが大切であると伝えます。謝っても許してくれないような敵は、相手にしないとか、徹底的に戦うなどの方法があるかもしれません。むしろ、敵の意見を聞くよりも、自分の見方や好きな人、尊敬する人の意見や価値観を大切にしましょうと伝えます。 上記に出した、おびえや避ける思考、行動は、不謹慎や自粛という考え方になり、時には、攻撃に使われるようになります。東日本大震災の時に、このような大変つらい思いをしている人がいる状態での楽しみは不謹慎だ。だから、花見で酒を飲むのは自粛しようと、被災者をおもんばかることが起こりました。 よく想像することが大切だといわれますが、現実を見ずに考えるだけで花見を自粛することが、むしろ酒を買ってほしいという被災者の気持ちを無視することにもつながりました。 喜びも悲しみも全てがある世界 ある知り合いの祝いの日に、ある国でのテロがあったことを出して、「こんな日に喜ぶことは不謹慎だけど、おめでとう。」という言葉を送った例がありました。不幸なことが起きていない日というものは、悲しいことですがないのです。まじめも過ぎると、おめでとうですら、真っすぐに言えなくなってしまいます。 どのようなことでも、全世界、全人類を考慮したら、不謹慎にすることが出来ます。「青空がきれいだなぁ」は、視覚障害者や、風邪やけがで外に出られない人に対して不謹慎。「結婚おめでとう」は、結婚もできずに亡くなった方に対して不謹慎。「このケーキ美味しいね」は、甘いものが食べられずに苦しんでいる人に対して不謹慎。「あ~、よく寝た」は、不眠症の方に対して不謹慎。 何も、わざわざ苦しんでいる方の前で、大げさに喜べと言っているわけではありません。喜びも、悲しみも、楽しさも、苦しさも、全てがあるこの世界。それぞれが支えあい、励ましあい、快も不快も分かち合える、それもできる部分でということ。 何の落ち度もなく振舞うことはできません。失敗をしながらも、より良い生活を目指すことが大切なのではないかと思います。といっても、この文章すら、誰かを傷つけている可能性はあります。不謹慎な文章は、この辺で終わりにします。(精神保健福祉士)

土浦出身の美地さん 歌手生活25周年コンサート 土浦で12月

https://youtu.be/-oyIFAOA1D0 土浦市出身の歌手、美地さんが12月2日に市亀城プラザ文化ホールで「美地・歌手生活25周年コンサート」を開催する。インターネットテレビ、Vチャンネルいばらきの「NEWSつくばチャンネル」で19日、美地さんを招いてインタビューした。 美地さんは、知的障害児・者の施設や児童相談所、一時保護施設などの保育士をしながら歌手デビューして25年。東日本大震災を機に保育士を早期退職し、歌手に専念した。 福島の避難所を慰問したとき、震災の恐怖で声を出すことができなかった30歳代の女性が美地さんの歌に感動し「声が出ました」と泣きながら駆け寄ってきた。そこで「音楽の力を強く感じた」という。 保育士だった経験から平和や幸せを願うようになり「愛と平和を歌う引き受けシンガー」をモットーに活動している。 コンサートには世界最高峰、リコーダー四重奏演奏の「フランダース・リコーダーカルテット」がスペシャルゲストで登場する。 ◆日時は12月2日、午後1時~4時。チケットは一般5000円、小中高校生3000円で全席自由。手話通訳とスクリーンに字幕が出る。チケットの購入は美地企画(電話090・8495・2423)まで。ホームページはhttp://www.michinouta.com/

不要品通じ市民交流 つくばリサイクルマーケット 25年にぎわい続く

【田中めぐみ】つくば市の市民団体「リサイクルを推進する会」(高野正子代表)が年4回、つくば駅近くの市中央公園水の広場で開いている「つくばリサイクルマーケット」が人気だ。次回は11月25日に第107回が開催される。 使用可能なものを捨てずにリサイクルすることを目的として、毎年3月、5月、9月、11月の年4回開いている。多い時には700人の来場者があるという。1994年5月からスタートし今年で25年目を迎える。 震災で意識が変化 1993年、代表である高野さん(73)は、つくば市のごみ焼却施設(当時は第1衛生センター)を見学した際に、まだ使えるものがごみとしてたくさん捨てられているのを見た。もったいないと感じ、何かきっかけがあれば使ってもらえるのではないか、使える物と人とを仲介する場を提供したいと思ったのがきっかけで「リサイクルを推進する会」を立ち上げた。 以来25年間、リサイクルマーケットを運営し、つくば市の人と物の事情を見てきた高野さんだが、2011年3月11日の東日本大震災を契機に、出店者の意識が変化したのを感じるという。「震災以前は、自分の所有物を増やしていくこと、また、今より上の等級の物にグレードアップすることを豊かさと考える人が多かった。しかし震災後は、壊れてしまうからぜいたくな良いものは必要ない、今必要な物を必要な分だけ所有しようという意識に変わり、真剣に出店する人たちが増えたように思う」と話す。 1割を災害義援金に 9月23日は、出店者68人が72区画で出店。好天のもと、およそ500人の来場者でにぎわいを見せた。出品されているのは、衣類や靴、本、未使用のタオルや食器、使わなくなったおもちゃ、雑貨、文房具など様々。リサイクルを目的とするマーケットであるため、食品や植木、生き物、ハンドメイド品などの出品は禁止されている。 マーケットの来場者は、家族連れだけでなく近隣の大学生、外国人も多い。外国や県外から来て知り合いのいない人も、リサイクルマーケットを通じて交流を広げているという。 出店料のうち1割は災害などの義援金に充てている。今回は今年9月6日に発生した北海道胆振(いぶり)東部地震の義援金とするという。また、毎回要らなくなったジーンズ、Tシャツ、鉛筆、消しゴムなどの寄付を募り、集まった物資をフィリピンに支援として届けている。 ボランティアスタッフとして運営を手伝っている筑波学院大学2年の﨑野詢矢さん(20)はこの日初めて出店者として参加した。子どもの頃からファンだという読売ジャイアンツのグッズを中心に出品し、野球ファンたちが興味深そうに足を止め、野球談議に花を咲かせた。 ◆次回11月25日(日)のリサイクルマーケットは午前10時から午後2時まで。雨天中止。出店希望者は初回のみ往復はがきでの申し込みが必要。申込締切は11月10日(消印有効)。2回目からは電話またはメールで参加を受け付ける。参加費は1区画(1.8m×1.8m)500円。 主催▽リサイクルを推進する会 http://t-recyclemarket.main.jp/ 出店申込の往復はがきの宛先は〒305-0031 つくば市吾妻3-19-1-2-303 高野正子さん メール▽info@t-recyclemarket.main.jp

つくばラーメンフェスタ始まる 復興目指し7年目 「ぜひ出たい」と評判定着

【崎山勝功】県内外のラーメン店18店が参加して12種類のラーメンを提供する「つくばラーメンフェスタ2018」が6日、つくば市学園南の研究学園駅前公園で始まった。8日まで開かれている。 同市商工会青年部が中心の同実行委員会が主催する。2011年の東日本大震災と12年5月6日のつくば市北条地区竜巻からの復興を目指して、2012年からスタートした。今年で7回目。 同実行委員長の今村瑠璃さんは「つくばの街を活性化させるきっかけになったと自負している」と話す。同フェスタには県内外から有名ラーメン店が出店しており「(ラーメン店は)出店を快く引き受けてくれた。『ぜひ出たい』というくらいラーメン店さんからの評判は高い」と語り、つくばの有名イベントにまで成長したと胸を張る。 今年は、東京の「鯛塩そば灯花」、愛知県の「麺屋桜」など県外の有名店6店のほか、県内外のラーメン店12店が協力して同フェスタ限定のラーメンを作り提供する6店の計12店が出店した。初日の6日には、午前中から各店舗前に長蛇の列ができていた。 味の違いを堪能して満足 石岡市から来た地方公務員女性(24)は「特級鶏蕎麦(そば)龍介」(土浦市)と「塩ラーメン千茶屋」(群馬県)が合同で製作したしょうゆラーメンを注文し「あっさりしておいしかった」と満足げな表情を見せ「次は『麺や庄の』に行ってみたい」と話した。 かすみがうら市の女性(26)は「in EZO(えぞ)本店」(北海道)のみそラーメンを注文し「すごく濃厚でおいしかった。ラーメンに乗っているお肉も大きかった」と語った。 会場では、当日チケット(税込800円)を5枚購入すると、抽選でつくば市内のラーメン店25店舗で使える食券が当たるキャンペーンを行っており、当日チケットを購入した来場者が抽選くじを引いていた。このほか、つくば観光大使が筑波山の特産品「福来(ふくれ)みかん」を使ったラーメンの試食サンプルを来場者に配っていた。 県内外から多くの来場者が集まることから、今村委員長は「筑波山など市内を巡ってもらうきっかけになれば」と期待を寄せた。

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