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2024
親子で英会話《けんがくひろば》7
2024年6月15日
【コラム・佐久間健】研究学園駅近くに教会があるのをご存じですか? 今回は、教会で行われている「親子英会話」を紹介します。15年ほど前、つくば市に住んでいたカナダ人の宣教師によって始まりました。以来、未就園児が親子で集える場所の一つとして広がり、たくさんの親子が足を運んでくださいました。 現在の講師は、ドイツ人宣教師のシュテファンさんとララさんです。レッスンでは、フクロウのパペットが登場したり、ギターに合わせて歌ったりします。お二人の温かい人柄が魅力です。 最近は1~2歳の子どもが多くなりました。初めのうちは、恥ずかしがったり、眠かったりすると、あまり参加できません。それが、みんな1年もたてば元気よく入ってきて、歌や踊りに楽しく参加できるようになるのです。子どもの成長を見ることができるのはとてもうれしいですね。 毎回、30分ほどのレッスンの後はティータイム。子ども達が遊んでいるのを見守りながらおしゃべりして、和やかな時間を過ごします。 安心・安全、楽しく、気ままに 「君は愛されるため生まれた」という賛美歌を歌い、おやつを食べて、『見つけた子育ての喜び』という本を用いて子育てについて学んだり、聖書の言葉を紹介したりしています。 子育ての環境は時代とともに変化し、多様化してきました。しかし、子ども達一人ひとりに「君は愛されるため生まれた」というメッセージは変わりません。聖書にこうあります。「わたしの目にはあなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している」 また、子育てする親は知恵深く、忍耐深く、愛をもってしつけることを学ばなければなりません。そのために励まし合いや、リラックスして分かち合える場が必要です。 親子英会話は、子どもにとっても、親にとっても安心・安全のところ。親子で楽しく英語を学び、子どもは自由に遊び、ママ達は気ままにおしゃべりする―そんな場所になることを願っています。(牧師)
モンゴルの「筑波山ゲルグランピング」《ご飯は世界を救う》62
2024年6月14日
【コラム・川浪せつ子】今回は、私が属する建築士会・女性部会で見学した「筑波山ゲルグランピング」(石岡市小幡)です。モンゴルと聞いて、世界地図を思い浮かべても、位置がはっきり分からない私でした。 お国のイメージは「放牧しながら暮らしている民族」。ですが今は、首都ウランバートルなどは高層ビルの建つ都市。人口は340万人弱。多くの方々が都市部に住んでいるそうです。 ゲルグランピングの経営者さんは、交換留学生で筑波大学に来て、卒業後、お国のゲル(大型テント)を輸入して建てたとか。日本語がお上手で驚きました。日本語とモンゴル語は文法が似ているそうです。でも地理的には、飛行機の直行便で5時間35分。 モンゴルって、モンゴル相撲が有名ですね。日本の力士になられた方も多くいます。こちらの施設は昨年5月のオープンですが、有名な力士さんも泊まりに来ているそうです。 ひとときの「異国の旅気分」 スケッチブック持参で、いろいろな説明を聞きながら描きました。本物のゲル、雑貨など、ステキな物ばかり。モンゴル衣装も着せてもらいました。世界中の民族衣装って、ほんとうに素晴らしいデザイン! 日本にいながら、ひとときの「異国の旅気分」。遠い国の食べ物を食せるのは、ぜいたくな時間でした。(イラストレーター)
土浦一高卒のプロとアマ 駅前ギャラリーで美術展
2024年6月13日
土浦一高(土浦市真真鍋)卒業生による美術展が12日から16日まで、土浦駅前の市民ギャラリーで開かれている。展覧会のタイトルは「あれから…ん年 第4回 土浦一高OB・OG展」。美術系大学に進みプロになった美術家、趣味で絵を描いているアマチュアなど卒業生19人が出展している。 作品は多岐にわたり、彫刻、水彩画、油彩画、日本画、写真、建築物、陶芸品、書、ミックス・メディア、絵手紙など大小約100点。市民ギャラリー展示スペースの約半分を使っており、作品の発表の場であると同時に、知り合いと交流する場にもなっている。 プロのイラストレーターや彫刻家 幹事役の寺澤徹也さん(元サラリーマン、父は画家)によると、第1回と第2回は土浦一高美術部OB・OGの作品展だったが、コロナ禍後に再開した第3回から美術部出身者以外にも発表の場を開放した。その結果、今回は19人、約100点に膨らんだ。 ただ、後期高齢者となり病気のために新作を出せず、以前描いた作品を送ってきた西丸式人さん(東京芸大デザイン科卒、イラストレーター)のようなプロもいる。一方で、小張隆男さん(日大芸術学部卒、彫刻家)のように、大作をギャラリー中央に数点展示し、来場者の質問に応じる現役の人もいた。 歌舞伎の絵を数点出した寺澤康也さん(元NHKディレクター・プロデューサー、徹也さんの弟)は、放送局時代には古典芸能担当で、歌舞伎中継、伝統芸能入門、歌謡曲などの番組などを担当した。出展作品は現役時代の延長といえそうだ。 寺澤兄弟は「昨年の第3回は若い人の持ち込みがあったが、今回は大学生の出展がなかった。毎年開くので、若い卒業者にも出してもらいたい。必要ならば市民ギャラリーの展示スペースを全部借りてもよい」と張り切っている。(岩田大志)
まちづくりと運行の両輪で 土浦キララちゃんバス20周年 延べ250万人が利用
2024年6月13日
7月に二つの記念イベント 土浦市のコミュニティーバス「まちづくり活性化バス キララちゃん」が今年、運行20周年を迎える。バスを運行するNPO法人まちづくり活性化土浦(同市中央、横山恭教理事長)は20周年を記念して7月に2つのイベントを催す。20周年記念シンポジウム「公共交通シンポジウム2024どうなる公共交通!どうする?キララちゃんバス」と、無料乗り放題の実施だ。 シンポジウムは7月6日開催する。複数の公共交通やモビリティーを最適に組み合わせた次世代の交通システムづくりに2021年から挑戦している関東鉄道が、「つちうらMaaS(マース)」と呼ばれるこれまでの取り組みについて話し、同NPOがキララちゃんバス運行の20年の歩みを振り返る。さらに公共交通政策のスペシャリストで、実際に全国各地で公共交通やコミュニティバスに乗車している名古屋大学環境学研究科の加藤博和教授が基調講演する。 無料乗り放題は7月15、16日の2日間、全路線で実施する。 3者協定に基づく協働事業 キララちゃんバスは中心市街地の活性化などを目的に2005年3月、運行が始まった。同NPOが事業実施者で、関東鉄道に運行を委託、土浦市が事業費を補助するなど、3者協定に基づく協働事業で運行している。NPOがコミュニティーバスを運行するのは全国でも珍しい。 現在の運行路線は3路線あり、土浦駅西口を起点に、市街地のクラフトシビックホール(市民会館)などを循環するコース、中心市街地の亀城公園などを循環するコース、霞ケ浦総合公園や郊外の住宅団地などを循環するコースがある。 運行開始の05年から23年度まで19年間の総利用者数は延べ約250万6000人。利用者数のピークは14年度の約15万9000人だったが、運賃値上げなどの影響で17年度には約12万5000人まで減少した。徐々に回復傾向だったものの、20年度は新型コロナ感染拡大の影響で約8万5000人にまで落ち込んだ。その後、再び利用者が少しずつ増え23年度は約12万人の利用者があった。 「単なる移動手段でなくまちづくり担ってきた」 事務局長の小林まゆみさんは「『自分たちで土浦を良くしていこう』ということを市民の方に意識してほしいとNPO法人を起ち上げた」とし「キララちゃんバスは単なる移動手段ではなく、さまざまなイベントの開催などまちづくりの活性化も担ってきたと思っている。まちづくりとバス運行の両輪で走ってきた。一般的なコミュニティバスだったらここまで続いてこなかった」と20年を振り返った。 今後については「中心市街地の活性化の目的を大切にしつつも、市内でバスが走っていない高齢者らが住む地域にもキララちゃんバスが行けるようにしたい」と語った。さらに「将来は無人運転の小さなバスで市内を回り、キララちゃんバスの停留所まで利用者を運ぶ。そこからキララちゃんバスに乗車して土浦駅に行く、といったハブの役割を持つバス停を作る方法も実現できたら」と話した。(伊藤悦子) ◆キララちゃんバス運行20周年記念シンポジウム「公共交通シンポジウム2024 どうなる公共交通!どうする?キララちゃんバス」は7月6日(土)午後1時30分から午後4時、同市東真鍋町2-6クラフトシビックホール土浦(土浦市民会館)小ホールで開催、入場無料、予約不要。キララちゃんバス無料乗り放題は7月15日(月)、16日(火)の2日間実施。問い合わせはNPO法人まちづくり活性化土浦(電話029-826-1771へ。 ➡キララちゃんバスの過去記事はこちら
「死が遠ざかった」今の時代⑵《看取り医者は見た!》21
2024年6月13日
【コラム・平野国美】今の「死が遠ざかった時代」(私の呼び方)では、「死」だけでなく、「老いる」過程も我々の意識から遠ざけられています。私が勤務医だった時代と訪問診療をしている今の「死生観」は異なったものになりました。人を年齢で区分したり、年齢で差別してはいけないと思いますが、「老化」について改めて考えてみます。 上のイラストをご覧ください。向かって左から、生まれた赤ちゃんはハイハイをして家の中を移動し、その後二足歩行を開始し、やがて転ばずに走れるようになります。そして、徐々に体は前傾し始め、杖(つえ)が必要になり、車椅子に乗る状態を描いています。 この流れを見て、後半部分を病態と考えるでしょうか? それとも、正常な経過の老化と考えるでしょうか? 以前は車椅子に乗る状態を「異常」と考えていましたが、高齢の患者さんを診察していると、初診の時にすでにこの状態になっているか、診察の経過でこの状態から寝たきりになっています。そして、死へと向かうのは避けられません。 何を偉そうにと思われるかも知れませんが、多くの方が、これを「理解できない」、もしくは「受け入れられない」のです。しかも、患者さんの息子さんや娘さんが私と同業の医者であっても、「理解していない」ことが多々あるのです。 この半世紀、日本人は病院で亡くなるのが普通になり、特に最期の場面は密室化されてしまいました。これが、老いや死ぬことを異常事態と考えるようになった背景です。こういった感覚は、我々が視覚で捉えられる身体上の変化だけでなく、目に見えない体内や頭の中でも起きているのです。 どこまでが生理でどこからが病態? 薬や老化を予防する体操で死は少し先延ばしできるかもしれませんが、いずれ確実に訪れるのです。大家族の時代は、同居していた祖祖父や祖父が身をもって、老いや死を見せてくれました。「老いる」はネガティブなイメージが多い言葉ですが、決してそれだけではないということを患者さんは私に見せてくれます。 老いとは生理的なことだけではなくて、その取り巻く環境でも様々なことが起きます。ドラマや映画で見る死とは違った風景があります。自分が独居であることを嘆く方もいますが、今、多くの高齢者がその状態です。同居していても、家族との接触が無いのです。 これからも「死」と「老いる」問題を取り上げたいと思います。今、介護の現場で何が起きているか? 今、人生の最終コーナーで何が起きているのか? 決して悲壮な場面だけではなく、いろいろなお話ができればと思います。(訪問診療医師) <参考> 前回の「『死が遠ざかった』今の時代」はこちら
筑波山の見える風景《ひょうたんの眼》69
2024年6月12日
【コラム・高橋恵一】コンビニの建物越しに見える富士山が撮影スポットとして話題になっています。富士山は日本が誇る山で、どこから見るのが魅力的かにも関心が持たれ続けています。 十国峠、伊豆の大瀬崎、三保の松原、山梨県の三つ峠、富士五湖の逆さ富士、夜叉神峠、南アルプスの北岳、諏訪湖畔の遠景、東京スカイツリー、和歌山県の大台ケ原、福島県の某所…。それぞれが、地元自慢の見学場所です。 富士山が見えるということから自治体名にしている、富士見市、ふじみ野市、富士見町、(旧)富士見村もあります。地元のシンボル的な山を富士山になぞらえている山もあります。利尻富士、蝦夷富士(羊蹄山)、津軽富士(岩木山)、伯耆富士(大山)、薩摩富士(開聞岳)…。 眺める位置ごとに多様な姿 地元高校の校歌で「沃野(よくや)一望数百里 関八州の重鎮(しずめ)とて…」と歌われる筑波山も、シンボリックな山です。その山容は、二つの峰のかかわり具合から、眺める位置ごとに多様な姿を見せます。 霞ケ浦の高浜入り、玉造の桃浦からの眺めが定番でしたが、霞ケ浦大橋からの眺め、研究学園都市からの眺め、結城や下妻からの眺めも地元の自慢です。写真家からは、ダイヤモンド筑波も人気があります。江戸時代の歌川広重の江戸百景では、関東平野の向こうに筑波山の遠景が描かれています。 筑波山は、山容だけでなく、和歌や物語を伴う山でもあります。古代の常陸の国風土記には「常世の国」とはこの地であろうと書かれ、国府庁や国分寺の背景に筑波山があり、霞ケ浦を臨む常陸野で人々が仕事や生活を喜ぶ様子が描かれています。 万葉集には、筑波山の歌垣(かがい)の歌が紹介されています。多くの男女が集まって、愛の歌を交わし合うおおらかな交流の場でした。中世の鎌倉・室町時代には、約400年にわたって小田氏の勢力下にあり、経済面でも文化面でも繁栄したようです。 以前、旧明野町(現筑西市)で、町民の皆さんに明野の魅力の話をしたとき、地面から立ち上がる筑波山の雄姿が二番目によい眺めだ―と褒めました。話が終ってから、一番はどこかと聞かれ、「それは私が住んでいる街から」と答えました。筑波山も、それぞれの人が愛着を持って、自分の風景にしている山だと思います。 故郷の山は嫌な思いをリセット おらが国の山、ふるさとの山の凛々(りり)しい風景を眺めるとき、嫌な思いからリセットされる感覚を覚えます。 人々の幸せと国の繁栄を志したはずの政治家が、裏金をごまかすために能力を使い果たしたり、世界に誇る大企業が、製品の安全基準をごまかしたりしている情報を聞くと、その曲がった魂の人には、ふるさとの山の朝の清々しい姿や、すべてを深く吸い込んで暮れて行く夕景を眺めることをお薦めします。(地理と歴史が好きな土浦人)
農林団地で生まれた「庶民派」楽団 29日つくばで 35周年コンサート
2024年6月11日
農業・食品産業技術総合研究機構(農研機構、つくば市観音台)がある農林団地で1989年に誕生したギターとマンドリンの楽団「アソシエ・ド・パンドラ」が、結成35年記念コンサートを29日、つくば駅前のノバホールで開催する。研究所の昼休みに練習する4人から始まった活動で、現在は、関係者ら約30人が仕事や家事と両立しながら切磋琢磨している。仲間と分かち合う感動を、節目の年に観客に届ける。 「当時は企業にこういうクラブがあった。研究所にもあればと思った」と振り返るのは、設立メンバーの1人でマンドリンを弾く丸山久子さん。昼休みに自分たちもできたらと職場の仲間に声を掛けて、昼休みの20分間を練習に充てることから始まった。当時、農林団地で行われていた夏祭りで演奏したり、クリスマスにちなんだ演奏会を開いたりしたのを皮切りに、毎年行うコンサートを目標に、共に歩む仲間を増やしてきた。 楽団の名称「パンドラ」には、「希望をもたらす仲間たち」という思いを込めたという。丸山さんは、「『パンドラの箱』には、開けると災いが出てくる悪いイメージがある。でも、全て災いが飛び出したあとに残るたった一つのものが『希望』。ギリシャ神話から名付けた」と話す。 空に伸びる青麦のように 楽団の最初のイメージキャラクターは、両手に音符を手にしたタヌキだった。お腹のところに描かれた4本の弦は、丸みを帯びた姿が似ているマンドリンを重ね合わせたもの。当時、農研機構の動物衛生研究所に勤務していたメンバーが考案した。 今回のコンサートでは、現役の他のメンバーが描いた青い麦をあしらうユニフォームを来てステージに立つ。「勢いよく、空に向かって元気に伸びていくという気持ちを込めた」という。 練習は毎週土曜日、市内の公民館などを利用し3時間ほど行っている。公演を控えて熱がこもる練習会場でメンバーは「仕事が忙しくてくたくたになるけど、この活動は手放さない。理想を目指してみんなで一生懸命やるのは面白い」「仕事を持ちながら、子育てしたりしながら、なんとか時間をつくって活動を続ける他のメンバーの姿を素晴らしいと思っている」「これまで毎年1回、必ずコンサートを開いてきた。ステージに上がるといつも以上によくできることがある。みんなのエネルギーに感動する。やってよかったという達成感が35年続けることになった」と、仲間と続ける活動へのやりがいを口々に話す。 野口雨情の名曲メドレーを演奏 ノバホールでのコンサート開催は、結成25周年を迎えた2014年以来。10年前の記念コンサートに合わせて企画したのが、今回も演奏する茨城県出身の童謡詩人、野口雨情作品13曲のメドレー「野口雨情の世界」だ。今回は新たに、市内の産業技術総合研究所職員らによる「産総研音楽倶楽部合唱団」、同じく同研究所関係者らによる合唱サークル「コールアイスト」と共演する。他にも映画のテーマ曲など馴染みのある曲をはじめ、作曲家の武藤理恵さんの作品「パラディソ」、リヒャルト・ワーグナーによる「タンホイザー」など全10曲が演奏される予定だ。 「アソシエ・ド・パンドラ」で部長を務める芝池博幸さん(60)は「今年、結成35周年を迎えるパンドラは、クラシックからポピュラ―、童謡まで、なんでも演奏する庶民派の楽団。ノバホールにお越しいただく皆さまと過ごす時間を大切に、パンドラらしい、活気に満ちた演奏をお届けしたい」と、来場を呼び掛ける。(柴田大輔) ◆「ギター アンド マンドリンアンサンブル アソシエ・ド・パンドラ 35周年記念演奏会」は6月29日(土)、つくば市吾妻1-10-1 ノバホールで午後2時開演。入場無料。
野良犬猫の保護は自治体の課題《晴狗雨dogせいこううどく》9
2024年6月11日
【コラム・鶴田真子美】2023年度の茨城県動物指導センターへの市町村別犬猫収容頭数が発表されました(一覧表はこちら)。 犬は茨城町の239頭が群を抜いて多く、鉾田市の100頭、小美玉市の92頭、笠間市の53頭、神栖市の47頭、境町の44頭、行方市の41頭…と続きます。 その大半が子犬です。母犬を捕まえないと半年後にまた出産し、一腹(ひとはら)から5頭から10頭が産まれ、繁殖を繰り返していくでしょう。子犬を捕まえる時が成犬捕獲のチャンスになります。根本解決を目指し、母犬と一緒に保護できるよう、動物指導センターの指導のもと、市町村の職員は技術を磨いてもらいたいと思います。 野良犬が減らないのは、捕獲の行程がうまくいかないからです。捕獲機を設置して捕まえるには餌でおびき寄せるため、まず犬を空腹状態にしなくてはなりません。 しかし畜産農家の多い茨城町や小美玉市では、養鶏場の柵を壊し、あるいは土を掘り簡単に侵入できてしまうため、養鶏場や養豚場が餌場になっており、犬を飢えさせることができません。野犬対策には、畜産関連団体や農業協働組合を巻き込み、対策を講じる必要があります。 猫の収容数は、神栖市が101頭、鉾田市が67頭、日立市が44頭、龍ケ崎市が42頭、城里町が37頭…でした。猫の収容数が多い自治体が早急に行うべき施策は、TNR(Trap=捕獲、Neuter=不妊・去勢手術、Return=元の場所に戻す)です。TNR活動を地域全体に広めていくことが求められます。 幸い茨城県には避妊去勢手術の助成制度があります。また県獣医師会や一部の市町村も費用助成をしており、動物保護団体の施設や動物病院でも保護犬猫を対象に避妊去勢を行っています。 犬猫問題は私たちの身近な問題 収容頭数を減らすために各市町村に求めたいのは以下のようなことです。 ⑴ 飼い犬猫への避妊去勢の徹底、猫の室内飼育 ⑵ 里親会の開催:これにより、保護犬猫の里親探しができます。市内に保護団体があれば、役場などの駐車場を会場として貸し出すなど、市町村も協力すべきです。保護団体がない場合、自治体主導の方が早いでしょう。 ⑶ ボランティアの育成:活動を担うボランティアを育成し、場合によってはその活動を助成することが必要でしょう。 ⑷ 子どもの教育:人と動物の共生は、幼少期から学校や課外活動で学ぶべき課題であり、教育委員会が積極的に取り組むべきです。シェルターでのボランティア体験を通し、子どもたちは奉仕活動を学びます。 野良猫が増え、道路でひかれている光景や、犬猫が虐待を受けているのに放置されているのを見るのは、子どもたちに精神的ダメージを与えます。野犬が繁殖し畑を荒らしたりすれば、住民は安全が脅かれます。 行政は、犬猫問題を市町村の問題、つまり身近な問題として捉え、自治体で取り組むべき課題であると認識すべきでしょう。(犬猫保護活動家)
元イスラエル兵ネフセタイさん つくばで平和への思い講演へ
2024年6月10日
7月7日 尾崎秀子さん企画 イスラエル出身で埼玉県在住のダニー・ネフセタイさんが平和への思いを語る講演会「争いの絶えない国から来た私が今、日本で言えること」が7月7日、つくば市高野、市民ホールとよさとで開かれる。つくばの市民団体「平和を願う市民の集い」(尾崎秀子代表)が主催する。 3年間空軍に所属 ネフセタイさんは1957年生まれの木製家具作家。高校を卒業後、徴兵制でイスラエル空軍に入り、3年間兵役を務めた。退役後、バックパッカーとしてアジア諸国を放浪し79年に日本を訪れた。以来45年間日本で生活している。88年に都内から埼玉県に引っ越し、家具を製造する木工房ナガリ家を立ち上げ、注文家具や遊具、小物などの創作に従事している。平和のための講演活動も行い、2016年にはイスラエルの社会通念を批判した「国のために死ぬのはすばらしい?」(高文研)を出版、昨年12月には「イスラエル軍元兵士が語る非戦論 」(集英社新書)を出している。 講演に感銘 講演会を主催する「市民の集い」代表の尾崎さん(75)は、平和を願う思いから、市内で22年よりウクライナ出身のカテリーナさんによる民族楽器バンドゥーラのコンサートを開催してきた(23年7月11日付)。昨年7月にはノバホール(同市吾妻)でコンサートを開き約570人が来場した。今年3月、尾崎さんは前橋市で開かれたネフセタイさんの講演会を訪れて感銘を受け、つくばでも講演会を実施したいと企画。ネフセタイさん宅を訪れて依頼し、実現した。 「戦争が起こるとしたら絶対に反対しよう」 尾崎さんは1948年大阪生まれ。大阪府立大学を卒業後、塗料会社の研究所に勤務した。84年につくば市に移り住み、2000年まで市内の研究所に勤務。その後秋田県に住み、15年に再びつくばに戻った。つくば市では中央図書館協議会委員を12年務めるほか、「絵と歌と語りの集い」開催や「つくば自然農を学ぶ会」を立ち上げるなど市民活動にまい進する。 直接戦争を知らないが、両親や兄、姉から、大阪大空襲や学童疎開での苦労についてよく聞かされていたと話す尾崎さん。「小さい頃から『そんなに大変な思いをしたのになぜ戦争を止められなかったのか』と親に聞くと、親は苦い顔で『仕方なかったんや、止められなかったんや』と。父は町内会の会長で出征兵士を見送っていた側。辛い思いがあったと思う。自分は戦争が起こるとしたら絶対に反対しようと思って生きてきた」と語る。 「戦争で人を傷つける時、相手は自分と同じ人間だという意識がかき消されている。それが戦争というもので、ダニーさんは、誰の命も大切で、尊重される人権があると教える教育が必要だと訴えている。お金や権力より、人の命が一番大切なもの。生きていく上で何を一番大事にして暮らしていくか、考えるきっかけになれば」と話し、来場を呼びかける。(田中めぐみ) ◆ダニー・ネフセタイさん講演会「子ども達へ残そう 悲しみのない未来を~争いの絶えない国から来た私が今、日本で言えること」は7月7日(日)午後1時30分開場、午後2時開演。会場はつくば市高野1197-20 市民ホールとよさと。入場無料。定員250人。当日は寄付を募り、集まった寄付金を国境なき医師団と日本ユニセフ協会に送る。申し込みは専用フォーム、または同会のEメール、電話080-1118-0289(尾崎さん)へ。申し込みの際は①参加者(代表者)氏名➁連絡先電話番号➂参加人数④駐車場利用の場合は車の台数を明記する。
吉井・元水俣市長が死去 水俣病患者に謝罪《邑から日本を見る》161
2024年6月10日
【コラム・先﨑千尋】古くからの友人・知人が相次いで亡くなっている。今度の訃報は水俣市長だった吉井正澄さん。5月31日に92歳で亡くなった。5月1日、水俣病犠牲者慰霊式の後の伊藤信太郎環境大臣と水俣病患者らの懇談で、被害者側の発言時間が予定時間を超えたとして環境省の担当者がマイクの音を切り、SNSで大炎上しているときに重なった。 吉井さんは、水俣市では山間部に住み、自民党の政治家として市議会議長などを歴任した後の1994年に市長に就任した。 そして、同年5月の水俣病慰霊式で「いわれなき中傷、偏見、差別を受けた犠牲者に対し、市当局が十分な対策を取り得なかったことを申し訳なく思う」と述べ、水俣市長として初めて患者と被害者に公式に謝罪した。その後も水俣病問題に真正面から取り組み、村山富市首相らと会談を重ね、政治解決に奔走した。 吉井さんからは、水俣病を発生させたチッソや被害者たちと離れた所に住み、直接関わりがなかったのでできた仕事だった、と後で聞いた。 また、経済と環境の調和のとれたまちづくりを目指す「環境モデル都市づくり」、「新しい水俣づくり」に全力を傾注し、水俣病のために疲弊、分断された市民の融和を図り、絆を取り戻す「もやい直し」運動を始めた。 2000年5月には同市で環境自治体会議の「水俣会議」が開かれ、全国から集まった自治体関係者や市民、研究者、学生などが、同市の「ごみ高度化分別収集」、市役所、学校、家庭の「環境ISO」、エコショップや環境マイスター制度、環境水俣賞などの取り組みを学んだ。茨城県からも村上達也東海村長(当時)などが参加した。 私はこの会議の分科会の一つ「環境自治体づくりの先進事例に学ぶ」で司会を務めたが、報告者の一人である柳川義郎・岐阜県御嵩町長が町内の産廃処理場を巡って暴力団に襲われ、瀕死の重傷を負った後だったので、岐阜・熊本県警のものものしい警備の中で分科会が開かれたことが今も記憶に鮮明に残っている。 行政のトップが代われば街も変わる 私は、この会議以前から水俣病患者が生産した甘夏などを購入していたので水俣には度々訪れているが、吉井さんが市長になってからは、行くたびに、同市は変化している、進化しているという印象を受けた。行政のトップが代われば、その地域の住民も街も変わるのだ。 吉井さんが2017年に出された『じゃなかしゃば 新しい水俣』(藤原書店)の出版記念会には村上達也さんと一緒に参加したが、この会には多くの水俣病患者たちも出席していて、吉井さんとの絆の強さを知った。 一昨年5月、私は家族旅行の際に吉井さんの自宅に寄り、思い出話に花を咲かせることができたが、その時も、まだトラクターに乗り、田畑を耕していると聞いて驚いた。 吉井さんは文を書くのも達者。『離礁:水俣病対策に取り組んで』、『奈落の舞台回し』、『気がついたらトップランナー』などの著作がある。米寿を過ぎてからも『小さな蛮勇』と題するエッセイを書きつづり、私たちに送ってきてくれていた。最後は今年の正月。その軽妙洒脱(しゃだつ)な文を読みながら、吉井さんとの出逢いを振り返っている。 ありがとう、そしてさようなら吉井さん。(元瓜連町長)
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