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元イスラエル兵ネフセタイさん つくばで平和への思い講演へ

7月7日 尾崎秀子さん企画

イスラエル出身で埼玉県在住のダニー・ネフセタイさんが平和への思いを語る講演会「争いの絶えない国から来た私が今、日本で言えること」が7月7日、つくば市高野、市民ホールとよさとで開かれる。つくばの市民団体「平和を願う市民の集い」(尾崎秀子代表)が主催する。

3年間空軍に所属

ネフセタイさんは1957年生まれの木製家具作家。高校を卒業後、徴兵制でイスラエル空軍に入り、3年間兵役を務めた。退役後、バックパッカーとしてアジア諸国を放浪し79年に日本を訪れた。以来45年間日本で生活している。88年に都内から埼玉県に引っ越し、家具を製造する木工房ナガリ家を立ち上げ、注文家具や遊具、小物などの創作に従事している。平和のための講演活動も行い、2016年にはイスラエルの社会通念を批判した「国のために死ぬのはすばらしい?」(高文研)を出版、昨年12月には「イスラエル軍元兵士が語る非戦論 」(集英社新書)を出している。

講演に感銘

講演会を主催する「市民の集い」代表の尾崎さん(75)は、平和を願う思いから、市内で22年よりウクライナ出身のカテリーナさんによる民族楽器バンドゥーラのコンサートを開催してきた(23年7月11日付)。昨年7月にはノバホール(同市吾妻)でコンサートを開き約570人が来場した。今年3月、尾崎さんは前橋市で開かれたネフセタイさんの講演会を訪れて感銘を受け、つくばでも講演会を実施したいと企画。ネフセタイさん宅を訪れて依頼し、実現した。

「戦争が起こるとしたら絶対に反対しよう」

尾崎さんは1948年大阪生まれ。大阪府立大学を卒業後、塗料会社の研究所に勤務した。84年につくば市に移り住み、2000年まで市内の研究所に勤務。その後秋田県に住み、15年に再びつくばに戻った。つくば市では中央図書館協議会委員を12年務めるほか、「絵と歌と語りの集い」開催や「つくば自然農を学ぶ会」を立ち上げるなど市民活動にまい進する。

直接戦争を知らないが、両親や兄、姉から、大阪大空襲や学童疎開での苦労についてよく聞かされていたと話す尾崎さん。「小さい頃から『そんなに大変な思いをしたのになぜ戦争を止められなかったのか』と親に聞くと、親は苦い顔で『仕方なかったんや、止められなかったんや』と。父は町内会の会長で出征兵士を見送っていた側。辛い思いがあったと思う。自分は戦争が起こるとしたら絶対に反対しようと思って生きてきた」と語る。

「戦争で人を傷つける時、相手は自分と同じ人間だという意識がかき消されている。それが戦争というもので、ダニーさんは、誰の命も大切で、尊重される人権があると教える教育が必要だと訴えている。お金や権力より、人の命が一番大切なもの。生きていく上で何を一番大事にして暮らしていくか、考えるきっかけになれば」と話し、来場を呼びかける。(田中めぐみ)

◆ダニー・ネフセタイさん講演会「子ども達へ残そう 悲しみのない未来を~争いの絶えない国から来た私が今、日本で言えること」は7月7日(日)午後1時30分開場、午後2時開演。会場はつくば市高野1197-20 市民ホールとよさと。入場無料。定員250人。当日は寄付を募り、集まった寄付金を国境なき医師団と日本ユニセフ協会に送る。申し込みは専用フォーム、または同会のEメール、電話080-1118-0289(尾崎さん)へ。申し込みの際は①参加者(代表者)氏名➁連絡先電話番号➂参加人数④駐車場利用の場合は車の台数を明記する。

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