入梅のころ カブトムシの話《続・平熱日記》160
【コラム・斉藤裕之】テレビのアナウンサーの言い回しが気になることが間々ある。あまり言うと年寄り扱いされるので言わないことにしているが…。それから、天気予報というか予報士のコメントや報道。一昔前に比べて精度も上がって詳しい情報はありがたいのだけれども、洗濯物がどうのこうの、日焼け止めを、折りたたみ傘にしろとか、ちょっと過剰な気もする。
さて、そろそろ梅雨。その前に毎年恒例のアルバイト。知り合いの打ちっぱなしゴルフ場の土手のり面草刈りに出掛ける。
枯れ草の下に幼虫がごろごろ
こういう作業の常だが、草を刈るよりも刈った草を熊手で集めて捨てるのが大変。しかし、世界最強のブロワー(ドイツ製のマシンはゴーストバスターズよろしくエンジンを背負って手に持ったノズルから風を発射するのだが、体重70キロの私でもその風力で体が持っていかれそうになる)がお目見えしたおかげで、その作業がすこぶる楽になった。
とはいえ、斜面を昇ったり降りたりするだけでも翌日の筋肉痛は免れない。体がギシギシきしむ朝を幾度か迎える。
作業の終わりが見えたころ、オーナーから小さなビニール袋を渡された。中にはクワガタムシが一匹。そういえば、林に囲まれたゴルフ場の夜の街灯にはカブトムシが飛んでくるというので、虫好きの孫のために捕獲をお願いしておいたのを思い出した。
「ありがとう。そういや、この間山口に帰ったときに、道の駅で孫のためにカブトムシの幼虫を買ったよ…」なんて話をしたら、「幼虫でよければ刈った草の捨て場にわんさかいるよ…」というので、スコップを軽トラに積んでオーナーと出動。ふかふかの枯草を軽くほんのひと堀すると、大きな幼虫がゴロゴロ現れた。
「こりゃ通販で売れるな! 草刈りのバイトしてる場合じゃない!」。もちろんその気はないが、冗談抜きで売るほどいるのだ。とはいえ、必要以上に持ち帰ってもしょうがない。ビニール袋に少し入れて持ち帰ることにした。
孫の誕生日には幼虫を贈ろう
しかし、なんで男の子は虫が好きなのだろう。大学ではカブトムシをモチーフに石を刻む友人がいたが、あの艶(つや)やかな外骨格には何か男心をくすぐるものがあるらしい。かく言う私も、小学校の夏休みは毎朝虫取りに裏の山を数キロ歩いてからラジオ体操というのがルーティーンだった。
さて草刈りの副産物というわけではないが、裏手の林で倒れた木を薪(まき)用にもらって行くことにしている。
しかし、この林でもメディアでも取り上げられるようになったナラ枯れが見られるようになった。目の高さ辺りに小さな穴の開いたナラ。見上げると葉はなく立ち枯れている。このままだとナラはやがて姿を消し、やがてカブトムシもいなくなる日がくるのか。枯れたナラを一本切り倒して薪にして持ち帰った。
迎える孫の誕生日。年の数だけ幼虫を贈ることにした。テレビでは「我慢しないでエアコンを…」と言っている。電気代また上がるらしいが。(画家)
「人はアルカリ性体質の動物」《邑から日本を見る》162
【コラム・先﨑千尋】牛久市にお住まいの長谷山俊郎さんから表題の本をいただいた。彼は私と同い年。農水省の研究機関で農村組織や地域活力などの研究を行ってきた。そのころからの知り合いだ。
長谷山さんは2003年に「日本地域活力研究所」を設立し、地域の活性化支援を行い、食と健康の解明に力を注ぎ、執筆や講演活動を続けている。本書は、健康や食に関する著書の6冊目で、「アルカリ性体質にすれば病気を生まない」など5部から成っている。なるほどそうだと思いながら通読した。
人間は誰でも達者で長生きしたいと願っている。私たちの平均寿命は戦後に随分延びたが、どこの病院も混んでいる。高齢者が集まると病気やけがの話になることが多い。薬漬けだと言う人もいる。医療費も年々増加し、健康保険料と合わせて私たちの家計を圧迫している。
長谷山さんは、この本で「食べ物でアルカリ性体質にすると、ほとんど病気にならない。がんもコロナもインフルエンザにもかからない。虫歯にもならない」ことを具体的に書いている。以下、この本から、大事だ、基本だと私が思ったことを抜き書きしてみよう。
がんやコロナは酸性環境を好む
現生人類は百数十万年前からほとんど生の植物を食べていた。植物はアルカリ性食材なので、それによって体を維持する機能が形成された。アルカリ性体質がいいというのは現在も変わらない。酸性の肉などを消化、分解、吸収する機能が備わっていない。
がんやコロナウイルスは、酸性環境を好み、アルカリ性の環境下では生きていけない。現代人は、肉や卵、魚、加工食品、チーズ、コーヒー、甘い菓子などを好んで食べるので、体質が酸性に傾き、がんなどにかかりやすくなる。
国立がん研究センターの調査によると、食事の酸性度が高いほど死亡リスクが上がる傾向にある。死亡リスクを高めないためには、肉、牛乳、加工食品などを減らし、野菜、果物、豆類、海藻類、キノコ、発酵食品を多めにとる。
虫歯、歯周病の予防と治療も、同じように、私たちの身体をアルカリ性体質にすることだ。長谷山さんは、坐骨神経痛、神経炎、リウマチ、痛風の原因は「肉食」だと言う。
腸内細菌を健全に保つことが大事
長谷山さんの腸内細菌の話も面白い。最近、テレビや新聞記事で腸内細菌のことが報道され、ああこのことかと思って見ている。腸内細菌とは、ヒトや動物の腸の内部に生息している細菌のことだ。種類は諸説あるが500~3万、概数は100~1000兆個。
食べ物は口で細かく刻まれ、食道、胃、十二指腸を経て小腸に運ばれる。その過程でアミノ酸やブドウ糖、脂肪酸などの栄養素に分解され、体内に吸収される。吸収されなかった食物繊維などは大腸に運ばれ、腸内細菌がこれを食べ、ミネラルと水分が身体に吸収され、残りが便として排出される。食物繊維が多ければ腸内細菌が元気になり、私たちの健康維持に寄与してくれるというのだ。
腸内細菌は、肥満や便秘の改善、発がん物質の抑制、脳機能の維持などの働きをしてくれている。腸内細菌を健全にしておくには、殺菌消毒は少なめに、抗生物質は多用せず、加工食品は控えめに。そのような私たちの日頃の注意によって、医者に行かないで健康でいられる暮らしができる。
そのヒントを、本書(B5判240ページ、素人=そじん=社発行、1400円+税)はたくさん用意している。(元瓜連町長)
筑波山麓に地ビール 「つくばブルワリー」オープン
筑波山麓のつくば市筑波、旧筑波鉄道筑波線(1986年に廃線)筑波駅隣りに23日、地ビールを製造、販売する「つくばブルワリー」(経営はペブルス社)がオープンした。醸造所は5月から稼働し、すでに同社飲食店の二の宮店や市内の酒店などで販売している。醸造所からビールを直売するスペースを設け、作り立てをその場で味わうことができる。
筑波山の地下水を使って醸造する。醸造所の能力はこれまでの5倍強だという。缶ビールも製造する。全国展開し、大手スーパーなどを通じて幅広く売り込むという。
新施設は敷地面積約1360平方メートル、建物の延べ床面積約195平方メートル。クラウドファンディングを利用し、賛同者から寄せられた約530万円を事業資金の一部に活用した。
同社の延時崇幸のぶときたかゆき社長(42)は山口県生まれ、水戸市で育った。2010年 につくば市に転居し映像制作会社を立ち上げた。17年つくば市が「つくばワイン・フルーツ酒特区」の指定を受け、当時、市内でワイン醸造を手伝う中、「ビールを醸造するブルワリーがない」と20年9月に起業した。
今回、筑波山の地下水を利用し、筑波山の入り口で醸造したいと、二の宮店内にあった醸造所部分を移転し筑波山麓に新設した。今後は北条米、小田米、福来みかん、ブドウなど筑波山地域の特産品を使ったビールにも挑戦していく予定だ。
旧筑波駅は現在、筑波山口と呼ばれ、つくば駅からコミュニティバス「つくば北部シャトル」、山麓を周回する「つくばね号」、桜川市から「ヤマザクラ号」などのバスが行き来する。自転車道「つくば霞ケ浦りんりんロード」の休憩所にもなっていて、地域の交通拠点の一つになっている。筑波鉄道が走っていた1970年代ごろは、筑波山中腹の神社や山頂に向かう観光客を迎える飲食店や土産物店が並び、にぎわっていた。
延時さんは「ブルワリーでは作り立てのクラフトビールが味わえる。これからいろいろなところで飲めるようになるので、楽しみにしてほしい。もっとたくさんの人に知ってもらえればうれしい。何より筑波山麓の活性化が一番」と話す。筑波山麓には造り酒屋のほかワイナリーが2件があり、今後、連携していくことも検討していくという。(榎田智司)
◆つくばブロワリーの場所は、つくば市筑波2980-1。開店は土日曜の正午~午後6時。問い合わせは 電話029-879-9882へ。
変わりゆく公務員宿舎映す2つの作品展 つくば美術館
解体が進むつくば市内の公務員宿舎に焦点を当てた映像と写真などによる二つの作品展が同市吾妻、県つくば美術館で、同時開催されている。市内在住の美術作家、河津晃平さん(27)と、つくば出身の作家、松﨑綱士さんによるもの。変化する研究学園都市の姿を異なる視点で捉えた作品が並ぶ。
建物が持つ「気配」を表現
第1展示室で開かれているのが、河津さんによる「あなたの灰の中の骨へ 骨の中の灰へ」。役目を終えて解体を待つ公務員宿舎が持つ「気配」を、写真や動画、オブジェなど約30点を通して表現する。
福岡県出身の河津さんは2015年、筑波大進学を機につくばに来た。卒業後は東京芸大大学院に進学し、修了後はつくば市を拠点に作家として活動を続けている。
今回の展示作品のモチーフとなった公務員宿舎への関心は、筑波大在学中、教員に連れられ解体現場を見たのがきっかけになった。住む人がいなくなった無数の空き部屋から人が暮らした痕跡を取り除いた時に何が残るのか。その先で感じる気配を感じたかった。
大学時代は自転車で国内外を旅していた河津さん。作品制作のスタートは、学部時代に制作した1本の映像作品だった。7分28秒の作品には、大学内の教室や廊下、集合スペースなどから人が消えた無人空間が映し出される。主に、コロナ禍で学生がいなくなった大学内で撮影した。非日常の中で河津さんは、静寂に包まれたかに見える場所から聞こえてくる音に気がついた。自動販売機や空調、屋外で揺れる木々の音。それまで気づかずにいた空間にある多様な「気配」に美しさを感じた。その感動が、河津さんの、その後の制作活動の原点になった。
今回展示されている作品制作は、許可を得て、200軒あまりの公務員宿舎の空き部屋を訪ね、その中で約100軒の部屋で人の痕跡に向き合うように室内を清掃することから始まった。その様子は動画として記録し、解体される宿舎の映像とともにスクリーンで流される。また、掃除を経た室内の写真が大判プリントで壁面に展示される。
河津さんは「(作品の)モチーフである空間が解体を迎えるという現実にどう向き合えばよいか考えるようになった」という。そして「都市が新陳代謝しているのを前にして、この街に暮らす一人として、それをただ傍観するのではなく、どんな眼差しを向けられるのか。そこにどう参加しアプローチができるのかを作品を通じて一緒に考えていけたら」と話す。
解体される「故郷」を記録
第2展示室では、つくば市出身の作家、松﨑さんが記録した、解体される宿舎の写真と映像作品約50点が展示されている。6、7歳まで自身が暮らしていた「故郷」の記録でもある。「個人的に記録しておきたい」と考えたのがきっかけという撮影は、2018年から始まり、コロナ禍を経て23年末まで続いた。写真作品は、細部まで鮮明に記録することができるフィルムの中判カメラを使用した。
「ロケットには宇宙人が住んでいるという噂があった」と話す。自宅があった宿舎からもよく見えたという、つくばエキスポセンターに現在も立つ高さ約50メートルの実物大のH2ロケット。90年代に過ごした街の記憶が、解体途中の建物の背景に写される。
来場者からは「何気なく横を通っているだけでも、公務員宿舎があるだけで良かった」「まだ住めた。もったいなかった」という声もあったという。松崎さんは「人が暮らすことがなくなっても、地域にはそこを拠り所にする人がいるのだと知った。意味がある場所だった」と感じたと話す。近所に暮らしていた人との思わぬ再会があったのも、つくばで展示をしたからこそだった。
写真には、自身のノスタルジックな感情はあえて入れずに客観性を大切にしたという。「何かメッセージがあって撮ったわけではないが、記録として見て、何かを感じてもらえたら」と松崎さんは呼び掛ける。(柴田大輔)
◆河津さんによる作品展「あなたの灰の中の骨へ 骨の中の灰へ骨」は、県つくば美術館第1展示室で6月30日(日)まで。松崎さんによる作品展「アーキテクチュラル・パリンプセスト」は、同第2展示室で23日(日)まで。それぞれ、開場は午前9時半から午後5時まで。最終日のみ午後3時まで。月曜休館。入場無料。
初めてのシンガポールで感じたこと 繁栄の下支え《文京町便り》29
【コラム・原田博夫】5月末、シンガポールを初めて訪れた。ロータリークラブの国際会議(2024年、シンガポール)に参加するためである。
参加者総数は約1万4000人、日本との移動時間や時差の少なさの関係か、日本からの参加者が約2400人で最大、次いで(次期会長=2人目の女性=の出身国である)米国の約2300人、台湾の約2100人と続く。市内中心部のコンベンションセンターでの開催で、会場の収容力などには目を見張るものがあった。
シンガポール地域は1963年9月、マラヤ連邦、サバ、サラワクと合併してマレーシア連邦としてスタートするも、主として中国人とマレー人の間での人種間・政治的な軋轢(あつれき)が高まり、1965年8月、マレーシアから追放される形で独立し、シンガポール共和国となった。
シンガポールの特色は、こうした人種・宗教の多様性に加えて、植民地時代の遺産も巧みに文化的魅力に仕上げている点だろう。
英国人トーマス・ラッフルズが1819年に上陸し、ジョホール王国から許可を受けて建設された商館跡地には彼自身の像が立って、最大の観光スポットになっている。中華系入植者がマレー系女性と結婚した家庭をプラナカンと呼ぶそうだが、近くには、その富商を再現した博物館や、国立博物館が立地している。
後者の展示には、20世紀初頭にはアヘン中毒の住民がいた歴史だけでなく、日本占領(1942~45年)を決定づけた山下奉文将軍と敵将パーシバルの会談の写真・説明も掲示されていて、その前のベンチには英国人とおぼしき中高齢者数名がビデオ説明に聞き入っていた。
近代以降のシンガポールは、その時々のリーダーの知恵と決断力で、さまざまな難局を突破してきた。外務省の情報(2024年6月4日現在)によれば、面積720平方キロ(東京23区よりやや大きい)、人口564万人(うち、シンガポール人・永住者は407万人)、民族は中華系74%、マレー系14%、インド系9%。
言語は、国語はマレー語だが、公用語は英語、中国語、マレー語、タミール語である。宗教は、仏教、キリスト教、イスラム教、道教、ヒンズー教である。
人種・宗教・文化の多様性を維持
数日間の滞在では、その裏側まで見ることはできなかったが、日曜日の昼下がりに市内中心街を移動していると、公園の木陰の芝生に20代~40代の女性が、数十人単位で座り込んで、食事をしている様子を目にした。特に騒音を出すわけでもないが、実に楽しげで、中には踊りや歌声も混じっていた。
聞くところによると、彼女たちはカンボジアからの期間限定の労働移民で、多くはここで家政婦として就労しているとのこと。彼女たちにとって、日曜日は週1度の休息日なのだ。
また、道路際には、大きなコンクリートブロックが相当数並べられていて、それを作業車で、並べ替えている様子も見受けられた。これは8月の建国記念行事のための、市内中心部での会場設営の準備作業のようだった。その作業に従事しているのは、多くはパキスタン人男性労働者だそうだ。
要するにシンガポールは、人種、宗教、文化の多様性を維持しながらも、政治的独立性と経済的魅力を日々高めてきたわけである。グローバル化・高齢化・少子化に歯止めのかからない日本の今後にとって、参考になる点も多いように感じた。(専修大学名誉教授)
農業で国際ビジネスマッチング JICA筑波
国際協力機構筑波センター(JICA筑波、つくば市高野台)で21日、アフリカやアジアからの研修生に向けて、民間企業が自社製品や事業を紹介するビジネスマッチング企画「農業共創ハブ」が開かれた。研修生は主に母国の政府機関から派遣され、同センターで活動したり各地の大学で学んだりしている。帰国後の両者の関係発展を期待し、途上国が抱える農業分野の社会課題の解決に繋げる試みだ。企画は2020年から始まり、今回で6回目。
この日集まったのは、農業分野で国際的に活動する県内外の12社。日本電気(NEC)は、同社による農業生産に関するデータを1カ所に集約するプラットフォーム「クロップスコープ」を紹介し、衛星画像や各種センサーのデータを基に農地の環境を可視化するサービスを説明した。集まった研修生からは自国で同技術が生かせるか質問が飛び交った。
つくば市梅園に本社を置く、人工衛星からのデータを活用した情報サービスを提供するビジョンテック(山本義春社長)は、同社による農業情報サービス「アグリルック」を国内での導入例をもとに紹介した。人工衛星技術を用いた営農支援システムで、衛星から届くデータをもとに、ほ場ごとの生育状況を把握し、適切な肥育や収穫の管理、病害虫や気象災害対策に役立たせることを目指している。同社海外製品担当の八木浩さんは「気候変動が起きる中で、慣行で作物を管理するのが難しいことがある。衛星情報を基に、ほ場ごとに生育を管理することで、適切なタイミングで追肥や収穫をすることができる。安定して高品質な農作物の生産につなげたい」とし、今回の企画について「アフリカなど実際に自分では行けない国の方と直接やりとりできる機会でとても貴重」だと話した。
精米機や石抜き機などの農業機械を開発・製造するカンリウ工業(長野県塩尻市)の藤森秀一社長は「現地では、販売するコメに、除去されない小石などが混ざっていることが多いと聞く。きちんと異物を取り除き、精米することで品質が上がり良い値段がつけられる。収入の向上と生活改善につながるはず」とし、「企画に参加するのは4回目。ここでの出会いが縁で、現地の方とオンラインでやりとりするなど関係が進んでいる。10年前から海外への展開に力を入れている。各国の政府職員とつながる貴重な機会。長い付き合いになれば」と話した。
各社のブースを回ったボツワナ農業担当省庁の農業普及員を務めるJICA研修生のソロフェロさんは、最も印象に残ったのは中古農機具の輸出を手掛けるマーケットエンタープライズ(東京都中央区、小林泰士社長)だとし、「機会化が進んでいないボツワナで新品は高い。中古は魅力的。メンテナンスもしっかりしているので安心感があった。小規模な農地が多いので小型のハンドトラクターがあると生産力が上がると感じた」と話した。ナミビアで農業普及員を務める研修生のシシリアさんは「企業から直接話を聞ける機会は初めて。農家の役に立つ情報ばかりだった。帰国後、情報を共有して国の役に立てたい」と語った。
農業県の特色を生かした取り組み
企画を担当したJICA筑波の西岡美紀さんは「農業県に拠点を置いていて、途上国からの研修員は年間700人ほどが来る。民間や大学にも研修以外でもJICA筑波を利用いただき、つくばをハブにして農業分野で途上国と民間企業がつながれたらと思い、立ち上がった企画。研修員にとっても企業から話を聞くことは非常に有益なこと。企業も研修員から意見を聞いて、製品開発に活かしてもらっている。企業同士、政府機関で働く研修生同士のネットワークづくりの場にもなっている。来年も開催する予定。多くの方に関心を持ってもらいたい」と語った。(柴田大輔)
古民家ゲストハウス「江口屋」《日本一の湖のほとりにある街の話》24
【コラム・若田部哲】もうじき夏の行楽シーズン、霞ケ浦周辺観光をお考えの方も多いかと思います。今回はそんな方にピッタリ、2020年オープンの古民家ゲストハウス「江口屋」さんのご紹介です。施設を運営する「株式会社かすみがうら未来づくりカンパニー」代表の今野さんに、その魅力と今後についてお話を伺いました。
2016年、今野さんたちは江口屋道向かいの歩崎公園内に「かすみマルシェ」と「かすみキッチン」を整備。この土地ならではの様々な食や物産、水辺や自転車のアクティビティ、そして果樹やレンコンなどの収穫体験プログラムなどを通し、地域の魅力を発信していました。そのコンセプトを引き継ぎつつ強化するため、宿泊体験を組み込んだのが江口屋だそうです。
明治後期に建てられた建物に一歩足を踏み入れると、土間と重厚な柱・梁(はり)が印象的な空間が広がっています。既存の年を経た部材と、新しい素材をバランスよく組み合わせた施設内は、リノベーションのお手本のような仕上がり。
ソフト面も充実しており、まき割り体験や、裏庭でのBBQ、囲炉裏(いろり)端で楽しむ地場の素材を生かした夕食、備え付けの自転車での湖畔のサイクリングと、様々な楽しみ方が可能です。また「最高の朝に出会える宿」のキャッチコピーが示す通り、霞ケ浦からのぼる朝日は最高!
1棟貸しの「水郷園」もオープン
そして、2023年より加わった新たな楽しみが、同じ敷地内にオープンした「江口屋醸造所」のクラフトビール。かつて造り酒屋だった江口屋の歴史を継承する商品とするべく、2020年から準備を始めたのだそうです。
看板商品のペールエール「澤乃不二」には、かつての江口屋で販売していた商品ラベルを復刻して使用。ビタリングホップとしてアイダホ7を用いた爽やかな味わいと、この土地のストーリーが楽しめる、味も見た目も素敵な逸品です。そのほかにも、かすみがうら市産のユズやブルーベリーを素材として用いたフルーツビールなど、地域を楽しめるラインナップを展開しています。
今後も、地域に観光で何ができるかということを念頭に、人を呼び込み、地域が潤う仕組みづくりを続けていきたい、と語る今野さん。なんとこの夏には、江口屋から続く高台の上に、かつての別荘をリノベーションした、完全1棟貸しの新たな宿「水郷園」がオープンとのこと。ちらと中を拝見しましたが、霞ケ浦にこんな素敵な眺望があったのかと驚く仕上がりで、こちらも実に期待大!
その土地ならではの景色や雰囲気をブランディングし、地域に潤いを生み出す今野さんの挑戦は、まだまだ続きそうです。(土浦市職員)
<注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。
これまで紹介した場所はこちら
光と影の間を見つめる 沖縄出身の与那覇大智さん、つくばで個展
沖縄県出身で、つくば在住の画家・与那覇大智さん(56)の個展が21日からつくば市二の宮公園前のギャラリーネオ/センシュウで始まった。新作を含む25点が展示されている。本土復帰前の沖縄に生まれ、本土と沖縄の間で揺らいだ自身に向き合い作品を作り続けた。描き出すのは淡い階調で表す光と影。「両者は不可分。二分されるものではない」と語る。
表現できない美しさ
歴史ある建物から見えた、中庭の金網に差す木漏れ日。38歳を迎える2005年、作家としての今後に悩んで渡った米国で見た光景に心を奪われたー。
1993年に筑波大学大学院を修了した与那覇さんは、つくばを拠点に作家活動の幅を広げていた。しかし、単調化する日々に先の見えない不安に襲われる。環境を変えようと、文化庁の制度を利用し1年間、米国の古都フィラデルフィア市に渡った。同市のペンシルバニア大学で、研究対象としていた戦後の抽象表現主義について学ぶことになった。だが渡米早々に訪ねた美術館で見た作品に違和感を感じた。期待していたものを感じられず、研究対象に興味を失っていく。そんな時に目にしたのが、下宿先の中庭にある金網を照らす木漏れ日だった。「いつかこの光を描きたい」という思いが込み上げた。
しかし次の瞬間、与那覇さんは自分の心に釘を刺す。「自分が『金網』を描くと、発するメッセージが米軍基地と結びつく」。沖縄出身であることが、純粋な美しさを表現することを難しくした。その後、この日出合った光と金網を作品として発表するのに10年を要した。試行錯誤する中で与那覇さんは自身のルーツと向き合い、納得できる作品を作るための技術を磨いた。
本土復帰と「金網」の思い出
与那覇さんが沖縄県コザ市(現沖縄市)に生まれたのは、沖縄が米軍統治下にあった1967年7月3日、本土復帰の5年前だった。同市では1970年12月に、米軍支配に対する沖縄住民の不満が爆発する「コザ騒動」が起きている。
暴力と結びつくイメージの一方で、「金網」に寄せる子ども時代の思い出がある。当時、自宅近くに金網が囲む米軍のゴルフ場があった。与那覇さんは、金網の破れ目からゴルフ場に忍び込み、友人と野球をするのが日常だった。米軍関係者に見つかると追いかけられることもあったが、一緒に遊んでくれる人もいた。「大人になると『金網』が持つ意味は変わっていったが、個人の記憶の中では懐かしい郷愁とも繋がっている」と当時を思い出す。
本土復帰後は、急速に変わる故郷に子どもながらに翻弄された。1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会(沖縄万博)に向けた開発が進んでいったのだ。「道路や建物が立派になり、下水道が引かれ、ボットン便所がなくなった」。暮らしの変化はそれだけではなかった。教育や日々の暮らしを通じて日本に「同化」していく復帰前後に生まれた世代と、復帰に複雑な思いを抱く親や祖父母世代との違いも生じていった。
「寄る辺なさ」を受け入れる
「展示でよく言われたのは『この青は沖縄の空、海ですか?』ということ。全く釈然としなかった」と与那覇さんは話す。モノクロに近い色合いの作品を展示すると、「君は沖縄なのに地味だね」と言われた。自身が背負う「沖縄」がどこまでもついてきた。
沖縄出身でありながら「日本に同化した人間」であることに複雑な思いを抱いてきた。「こっち(本土)にいると沖縄の人。沖縄に行くと、半分」だと感じてきた。自分に向き合う中で思い至ったのが、「『日本』と『沖縄』の二つはマーブル状で溶け合わずに自分の中に存在している。その感覚はより強くなり、アーティストとしての個性だと認識するようになった」ということだ。
米国で心を奪われた「金網」は、自分なりの方法で描き出し作品に昇華させた。陶芸や日本画にも用いられる技術を参考にし、アクリル画の下塗りに使う液体で格子状の金網をパネル全体に描き、網目を盛り上げた。
「盛り上げれば、何度その上に色を重ねても金網は残る。金網を気にせずにどんどん色を重ねられる。金網というものに対して、自分のパッションを込めなくていい。金網との距離を取れたことが自分には大きかった」と話す。それは、沖縄と日本の両方にアイデンティティを持つ与那覇さんなりの、沖縄との向き合い方でもあった。
「僕は沖縄と日本の間にいる。『寄る辺なさ』ともいえるこの状態をありのままで受け入れることで、問題を考え続けたい。沖縄の問題はなにも解決していないのだから」と話す。
6月23日、沖縄は戦後79年目の慰霊の日を迎えるが「沖縄では基地問題など直面する構造的な差別の傷がまるきり消えることがない。沖縄戦で受けたトラウマから今も不調を訴える人がいる。日本政府の冷酷な対応に、沖縄で起きていることの切実さは消えない」。
自分を見つめる
同じく画家だった与那覇さんの父は、影の中にある色を探して表現していたという。「父の絵は僕がやろうとしていることと重なる。僕は光と影の間にあるものに引かれている。光を完全な希望とは捉えていない。光の中にある影を、影の中に見る光を描き出したい。光と影を丁寧に見つめることが自分を見つめる作業でもある。結果としてそれが世界とリンクすることがあるかもしれないと思っている」。
今回の展示は、つくばで開く20年ぶりの個展となる。これまでの大型作品とは異なる、直径20センチほどの楕円と円形の木製パネルに微細な点で多彩な光のグラデーションを描きこんだ作品が中心となる。初めてのチャレンジについて「四角ではできないことが、小さい画面で表現できると感じた」と話す。
与那覇さんは「沖縄からつくばに来て最初に感じたのは、亜熱帯の沖縄とは違う、中間色が多い色彩の豊かさ。つくばで四季の変化の大きさにも気がついた。沖縄ではわからなかった色にもたくさん出会った」と言うと、「とにかく色を見てほしい。自分なりにしっくりくる色がどこかにあると思う。細い筆で色を置くという、これまでやれなかったことをやってきた。その時々の光や気持ちによっても見え方が変わる。ゆったりと時間をかけて見てもらえたら」と呼び掛ける。(柴田大輔)
◆与那覇大智個展「手のひらと宇宙」は、6月21日㈮から 7月7日㈰、つくば市千現1-23-4 101、ギャラリーネオ/センシュウで開催。開館時間は正午から午後7時まで。月曜から木曜は休館。6月22日㈯午後5時からアーティストトークを開催。展示、トークイベント共に入場無料。問い合わせはメール(sen.jotarotomoda@gmail.com)で。
予約不要・参加無料 土曜観察会の魅力《宍塚の里山》114
【コラム・片山秀策】宍塚の自然と歴史の会では、毎週土曜日の午前中、農業用ため池の宍塚大池と池を取り囲む里山の自然と歴史を丸ごと観察する土曜観察会(通称シェラカップの会)を実施しています。この観察会の歴史は古く、1989年に会が発足以来35年間、予約不要、参加費無しの自由参加の活動として続いてきています。
年間の回数はほぼ52回で、正月、嵐や大雪などの荒天以外は、夏の暑さ、冬の寒さ、雨の中でも実施しています。距離約3.5キロを3時間かけて、コース上の色々なものを観察しながら歩いています。見るものがたくさんあるときには、時間を忘れてしまうことも多く、予定時間を大幅に超えることもあります。
観察コースは、会が作成した「宍塚里山散策マップ」に掲載されており、地図の番号順に進むと一周できます。集合場所は、観察会用駐車場で、会のWebサイトや「里山散策マップ」に掲載されています。マップは池の堤防のボックスに置いてありますし、会のWebサイトにも掲載されており、ダウンロードして印刷できます。
自然の移り変わりを体感
観察対象は、動植物全般になりますが、特に野鳥、昆虫、植物を重点的に見ています。宍塚の里山は、池、湿地、アシ原、雑木林、スギ・ヒノキの林、水田、畑などの多様な環境で構成されているので、生息している生物の種類も多く、茨城県の絶滅危惧種や準絶滅危惧種にも多く記録されています。
通年実施することで、自然の四季の移り変わりを体感することができ、長期間続けることで大きな気候の変化もわかります。また、太陽光発電所の建設による林の伐採などによる自然破壊など、里山を取り巻く社会環境の変化も知ることもできています。
観察会の記録は、会報「五斗蒔だより」に毎月掲載され、会のWebサイトでもブログ形式で沢山の写真と共に公開されています。思いがけない自然との出会いもありますので、是非一度、土曜観察会に参加してみてはどうでしょうか。(宍塚の自然と歴史の会 会員)
<参考サイト>
▽集合の場所はこちら
▽散策マップはこちら
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背景に新聞離れ 選挙公報、各戸配布検討を つくば市議会委員会が請願採択
つくば市長選・市議選が10月に行われるのを前に、立候補者全員の経歴や政見を記載した「選挙公報」の各戸配布と紙面拡大を検討し予算措置を審議することを求める請願がつくば市議会6月定例会議に出され、20日開かれた市議会総務文教委員会(木村修寿委員長)で採択された。最終日の28日開かれる本会議で改めて審議される。市内に住む元大学教授の酒井泉さんが3日、請願した。
公職選挙法で選挙公報は、有権者の各世帯に投票日の2日前までに配布しなければならないと定められ、各戸配布が困難な特別の事情があるときは、新聞折り込みや市役所に備え置くなどができると定められている。選挙公報を新聞折り込みで配布している自治体が多い中、新聞購読世帯が年々減少し、どのように各戸配布するかが全国で悩みの種になっている。
同市は4年前の市長選・市議選で約5万9000世帯に新聞折り込みで配布した。4年前の世帯数は約10万8000世帯で、約55%に配布されたとみられる。費用は印刷費用が市長選・市議選各9万部で約270万円、配布費用は約5万9000世帯で約78万円の計約350万円だった。一方、今年4月1日時点の同市の世帯数は4年前より約2万世帯増えて約12万世帯、酒井さんが市内の各新聞販売店に聞き取りをしたところ、現在の新聞購読世帯は5万世帯を割り込んでいるとみられ、今年の市長選・市議選は4割程度の世帯にしか選挙公報が各戸配布されないとみられる。
20日の委員会で酒井さんは、複数の印刷会社やポスティング会社、郵便局などに独自に調査をして、ポスティング、郵便、区会配布などを組み合わせた複数の配布方法を提案した。印刷と配布費用については、紙面を大幅に拡大した場合、中心市街地やTX沿線など住宅集積地区をポスティング業者に委託し、旧町村部を区会にお願いすれば1220万円程度、区会に依頼せずポスティング会社と郵便局などに委託した場合、最大で2570万円かかるなどの試算を示した。
これに対し委員からは「新聞購読世帯が40%と低く(請願の)趣旨は分かる。多くの人に選挙公報がいって、多くの人に見ていただきたいが、区会にお願いすることは難しいのではないか」「趣旨は賛同するが実現可能かどうか、選管は大変な状況にあり、新たなプレッシャーをかけるのではないか」「請願は『検討』と言っており、検討は有意義」などの意見が出た。
採決では最初、趣旨採択の提案があったが賛成少数で否決となり、その後、請願そのものについて全会一致で採択となった。
市選管は「新聞購読世帯は毎年減っており、選挙管理委員会の委員からも(選挙公報の配布について)意見が出ている。予算をどれくらい掛ければいいのか、何%まで配ればOKかなどの指標はないので、選管でも議論をしたい」とした。(鈴木宏子)
