火曜日, 10月 6, 2026
ホームつくば光と影の間を見つめる 沖縄出身の与那覇大智さん、つくばで個展

光と影の間を見つめる 沖縄出身の与那覇大智さん、つくばで個展

沖縄県出身で、つくば在住の画家・与那覇大智さん(56)の個展が21日からつくば市二の宮公園前のギャラリーネオ/センシュウで始まった。新作を含む25点が展示されている。本土復帰前の沖縄に生まれ、本土と沖縄の間で揺らいだ自身に向き合い作品を作り続けた。描き出すのは淡い階調で表す光と影。「両者は不可分。二分されるものではない」と語る。

表現できない美しさ

歴史ある建物から見えた、中庭の金網に差す木漏れ日。38歳を迎える2005年、作家としての今後に悩んで渡った米国で見た光景に心を奪われたー。

1993年に筑波大学大学院を修了した与那覇さんは、つくばを拠点に作家活動の幅を広げていた。しかし、単調化する日々に先の見えない不安に襲われる。環境を変えようと、文化庁の制度を利用し1年間、米国の古都フィラデルフィア市に渡った。同市のペンシルバニア大学で、研究対象としていた戦後の抽象表現主義について学ぶことになった。だが渡米早々に訪ねた美術館で見た作品に違和感を感じた。期待していたものを感じられず、研究対象に興味を失っていく。そんな時に目にしたのが、下宿先の中庭にある金網を照らす木漏れ日だった。「いつかこの光を描きたい」という思いが込み上げた。

しかし次の瞬間、与那覇さんは自分の心に釘を刺す。「自分が『金網』を描くと、発するメッセージが米軍基地と結びつく」。沖縄出身であることが、純粋な美しさを表現することを難しくした。その後、この日出合った光と金網を作品として発表するのに10年を要した。試行錯誤する中で与那覇さんは自身のルーツと向き合い、納得できる作品を作るための技術を磨いた。

本土復帰と「金網」の思い出

与那覇さんが沖縄県コザ市(現沖縄市)に生まれたのは、沖縄が米軍統治下にあった1967年7月3日、本土復帰の5年前だった。同市では1970年12月に、米軍支配に対する沖縄住民の不満が爆発する「コザ騒動」が起きている。

暴力と結びつくイメージの一方で、「金網」に寄せる子ども時代の思い出がある。当時、自宅近くに金網が囲む米軍のゴルフ場があった。与那覇さんは、金網の破れ目からゴルフ場に忍び込み、友人と野球をするのが日常だった。米軍関係者に見つかると追いかけられることもあったが、一緒に遊んでくれる人もいた。「大人になると『金網』が持つ意味は変わっていったが、個人の記憶の中では懐かしい郷愁とも繋がっている」と当時を思い出す。

本土復帰後は、急速に変わる故郷に子どもながらに翻弄された。1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会(沖縄万博)に向けた開発が進んでいったのだ。「道路や建物が立派になり、下水道が引かれ、ボットン便所がなくなった」。暮らしの変化はそれだけではなかった。教育や日々の暮らしを通じて日本に「同化」していく復帰前後に生まれた世代と、復帰に複雑な思いを抱く親や祖父母世代との違いも生じていった。

新作の円形、楕円形の作品が並ぶ

「寄る辺なさ」を受け入れる

「展示でよく言われたのは『この青は沖縄の空、海ですか?』ということ。全く釈然としなかった」と与那覇さんは話す。モノクロに近い色合いの作品を展示すると、「君は沖縄なのに地味だね」と言われた。自身が背負う「沖縄」がどこまでもついてきた。

沖縄出身でありながら「日本に同化した人間」であることに複雑な思いを抱いてきた。「こっち(本土)にいると沖縄の人。沖縄に行くと、半分」だと感じてきた。自分に向き合う中で思い至ったのが、「『日本』と『沖縄』の二つはマーブル状で溶け合わずに自分の中に存在している。その感覚はより強くなり、アーティストとしての個性だと認識するようになった」ということだ。

米国で心を奪われた「金網」は、自分なりの方法で描き出し作品に昇華させた。陶芸や日本画にも用いられる技術を参考にし、アクリル画の下塗りに使う液体で格子状の金網をパネル全体に描き、網目を盛り上げた。

「盛り上げれば、何度その上に色を重ねても金網は残る。金網を気にせずにどんどん色を重ねられる。金網というものに対して、自分のパッションを込めなくていい。金網との距離を取れたことが自分には大きかった」と話す。それは、沖縄と日本の両方にアイデンティティを持つ与那覇さんなりの、沖縄との向き合い方でもあった。

「僕は沖縄と日本の間にいる。『寄る辺なさ』ともいえるこの状態をありのままで受け入れることで、問題を考え続けたい。沖縄の問題はなにも解決していないのだから」と話す。

6月23日、沖縄は戦後79年目の慰霊の日を迎えるが「沖縄では基地問題など直面する構造的な差別の傷がまるきり消えることがない。沖縄戦で受けたトラウマから今も不調を訴える人がいる。日本政府の冷酷な対応に、沖縄で起きていることの切実さは消えない」。

つくば市内の田んぼの風景がモチーフの作品も展示されている

自分を見つめる

同じく画家だった与那覇さんの父は、影の中にある色を探して表現していたという。「父の絵は僕がやろうとしていることと重なる。僕は光と影の間にあるものに引かれている。光を完全な希望とは捉えていない。光の中にある影を、影の中に見る光を描き出したい。光と影を丁寧に見つめることが自分を見つめる作業でもある。結果としてそれが世界とリンクすることがあるかもしれないと思っている」。

今回の展示は、つくばで開く20年ぶりの個展となる。これまでの大型作品とは異なる、直径20センチほどの楕円と円形の木製パネルに微細な点で多彩な光のグラデーションを描きこんだ作品が中心となる。初めてのチャレンジについて「四角ではできないことが、小さい画面で表現できると感じた」と話す。

与那覇さんは「沖縄からつくばに来て最初に感じたのは、亜熱帯の沖縄とは違う、中間色が多い色彩の豊かさ。つくばで四季の変化の大きさにも気がついた。沖縄ではわからなかった色にもたくさん出会った」と言うと、「とにかく色を見てほしい。自分なりにしっくりくる色がどこかにあると思う。細い筆で色を置くという、これまでやれなかったことをやってきた。その時々の光や気持ちによっても見え方が変わる。ゆったりと時間をかけて見てもらえたら」と呼び掛ける。(柴田大輔)

◆与那覇大智個展「手のひらと宇宙」は、6月21日㈮から 7月7日㈰、つくば市千現1-23-4 101、ギャラリーネオ/センシュウで開催。開館時間は正午から午後7時まで。月曜から木曜は休館。6月22日㈯午後5時からアーティストトークを開催。展示、トークイベント共に入場無料。問い合わせはメール(sen.jotarotomoda@gmail.com)で。

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