水曜日, 4月 8, 2026

岩上二郎さんと公文書館《邑から日本を見る》163

【コラム・先﨑千尋】「歴史を紡いだ茨城の先人」という企画展が6月23日まで、水戸市の県立歴史館で行われていた。同館の開館50年を記念しての展示で、長久保赤水、菊池謙二郎、小野友五郎と並んで、同館を設立し初代館長になった岩上二郎さんも先人の一人に選ばれた。 岩上さんは、瓜連町(現那珂市)長から、1959年に農協や労働組合などの支援を受けて知事になった人だ。4期16年、知事を務め、鹿島開発や研究学園都市のつくば誘致、水戸対地射爆撃場返還などが業績とされているが、私には、茨城県史編さん事業と歴史館の設置が思い出に残っている。 知事退任後の78年には参議院議員になり、議員立法によって公文書館法の制定に尽力した。1989年に76歳で亡くなっている。 その岩上さんが心血を注いだ公文書館法制定の運動に改めて光を当て、その思索と情熱に学び、県内自治体における公文書館整備の動きにつなげようと、岩上さんを知る人たちが6月15日、水戸市で「岩上二郎さんを語る会」を開いた。出席者は、岡田広前参議院議員などの政治家、元秘書、県職員、地元関係者ら約40人。 語る会では、最初に長男の一宇さんが、知事選挙のときのエピソードや、医師で元参議院議員の妙子夫人のことなどを語ったあと、「鹿島開発や研究学園都市、射爆場返還などは、それぞれ多くの人の支え、協力によってできた。母は清濁併せのむタイプ。父はまじめに政治に取り組んだ」と振り返った。 その後、参加者全員が約2時間にわたって、岩上さんとの関わりや業績、思い出、公文書館整備の方向などを熱い思いで語り合った。 地元にも公文書館を 県内では初の市町村立の文書館を持つ常陸大宮市の前市長・三次真一郎さんは、5町村合併前の旧山方町で古文書がほほ廃棄されたのを目の当たりにし、歴史を大事にしたい一人として悔しい思いがあった。市長選の公約の一つに文書館整備を掲げ、当選すると庁内に検討会を立ち上げ、廃校になった旧塩田小学校を活用し、2014年に開館した。岩上さんが取り組んだ公文書館法を活用して造られた施設だ。 「先人が残してくれた大事な資料を後世に伝えていく責任が我々にある。那珂市にも文書館ができれば連携が取れる」と語った。 岩上さんの地元である那珂市瓜連地区からも「県史編さんや歴史館を整備した岩上さんは、歴史を通じて過去現在と未来をつなぐ基盤を作った人」、「徳川光圀と並ぶ稀有(けう)な政治家だ。瓜連庁舎を活用し、公文書館をつくるべく運動をしている」、「今日を那珂市に公文書館をつくるスタートの日にしたい」などの発言が続いた。 語る会の呼び掛け人となった県郷土文化研究会の冨山章一会長、海野徹前那珂市長らは、今後、県内の自治体に公文書館を設立する働きかけをしていこうと考えている。(元瓜連町長)

初回の失点響く 土浦湖北、牛久栄進に敗れる【高校野球茨城’24】

第106回全国高校野球茨城大会は2日目の7日、J:COMスタジアム土浦での第2試合で、土浦湖北が牛久栄進と対戦し7-9で敗れた。2020年の独自大会では4校優勝の一角を占めた強豪校が、1回戦で早くも姿を消すことになった。 土浦湖北は立ち上がりの乱れが尾を引いた。1回表は2四球と3失策により無安打のまま3失点。3回表には1安打と2失策で1死満塁とされ、次打者の三塁ゴロはベースに当たってバウンドが変わり2点適時打、その後もエラーと犠牲フライで1点ずつを失い、この時点で0-7と大きく引き離されてしまう。 反撃を開始したのは3回裏。9番 笹島琉星の左前打を皮切りに、1番 柿沼颯馬の四球と3番 真家陽大の右前打で1死満塁とすると、4番 来栖孝保の左前打と6番 奥畑優悟の左前二塁打などで4-7と追い上げた。 その後はともに2点ずつを加え、7回裏には逆転機が到来。2四死球と捕手の打撃妨害で2死満塁とし、打席には8番の船見勇飛。急きょベンチ入りが決まり、途中出場を果たした1年生だ。「1年で初めて大きい大会に出て緊張したが、守備機会や打席を経てだんだん楽にプレーできるようになってきた。この打席では粘っていけたらと思ったが、打ち損じてしまった」。結果は一塁ゴロで、チャンスを生かすことはできなかった。 8回裏には真家主将がこの日3本目のヒット。「変化球が外れたので直球にヤマを張り、ドンピシャだった」とのコメント通り、思い切りスイングすると打球は右越えの三塁打。2点差に追い上げるが、反撃もここまでだった。 「相手投手は手強く、点はそう取れないだろうと思ったが、よく追い上げてくれた」と土浦湖北の土佐一成監督。今年は3年生が4人しかいなかったが、「自分たちは元気とノリが持ち味」と話す真家主将を中心に、去年までの勢いを持続して頑張ってくれたという。「エラーは痛かったが、この悔しい気持ちを下級生が引き継ぎ、秋以降また頑張ってくれたら」と土佐監督は願っている。(池田充雄)

最後の夏を締めくくる つくば工科、取手松陽に敗退【高校野球茨城’24】

第106回全国高校野球茨城大会は2日目の7日、J:COMスタジアム土浦での第2試合で、つくば工科・つくばサイエンスの合同チームが取手松陽と対戦。0-8と7回コールドで負けを喫した。つくば工科としての大会出場はこの試合が最後となった。 昨年の校名変更により3年生5人はつくば工科、1・2年生6人はつくばサイエンスとして出場。ユニフォームも異なるが、上級生と下級生が気持ちを一つにして最後の夏に挑んだ。 初回は内外野の連携で相手走者をホームで刺殺するなど、これまでの練習の成果を発揮することができた。だが2回に三塁打にエラーがからんで1点を失うと、3回には3安打と四球押し出しや捕逸などで一挙5点を奪われ、試合の流れは相手に大きく傾いた。先発投手の矢口遼真は「ミスからリズムを崩してしまった。自分の力がなかった」と悔やむ。 その後は何とか一矢報いようと、5回には矢口が中前へチーム初ヒットを放つ。矢口は3回途中で浅田新にマウンドを譲っていたが、6回には自ら志願して再びマウンドへ。「浅田も疲れが見えてきたのと、最後はエースを背負っている自分が抑えなくては」との思いだったという。 7回には先頭打者の坂田悠真が右翼へチーム2本目のヒットを放ち、ベンチを鼓舞する。「ここで2点取らないとコールドになるので、絶対に打ってやると思い、アウトコースのまっすぐを叩いた。練習すれば成果が出ることを、プレーで後輩に見せられたと思う」と坂田主将。 佐藤将光監督は「エラーでの失点は痛かったが、いままでは5回コールドで負けていたところを、要所を締め7回まで粘り強く戦ってくれた。3年がヒットも打って次につなげ、1・2年に背中を見せてくれた」と選手を称えた。「今の3年は学校が変わることに加え、部員の少なさでも苦労してきた世代。それを乗り越えて頑張ってきたからこそ、こういう試合ができた」 カリキュラムが変わることで、3年生と1・2年生では練習時間にギャップができるなどの苦労もあった。だが3年生が遅くまで後輩の練習に付き合うことでカバーしてきたという。坂田主将は「チームをまとめるのは大変だったが、最終的にいいゲームができ、納得いくプレーも出せた。小学校から野球を始めたが、高校が一番楽しかった。後輩たちにも一生懸命やる楽しさを味わってほしい」と後を託した。(池田充雄)

大会初、女子部員がシートノック 土浦二、1回戦で敗れる【高校野球茨城’24】

第106回全国高校野球茨城大会初日の6日、開会式直後のノーブルスタジアム水戸で1回戦第1試合が行われた。土浦二高が下妻二高と対戦したが、投打で圧倒され6回コールド0-10で敗れた。試合前には土浦二高女子部員の小林こと(2年)がノッカーとしてベンチ入りし、茨城大会で初となるシートノックを務めた。  1 2 3 4 5 6 土浦二 0 0 0 0 0 0  0下妻二 0 3 0 3 3 1× 10(6回コールド) 試合は、土浦二高エースの鈴木晴人が先発したが、2回2死から四球を挟み4連打で3失点。4回にも3連打で3点追加され6点をリードされた。5回からは橋本真直、佐藤剛志が登板したが、押し出しを含み4つの四球でさらに3点を追加された。 打線は1年生で4番の竹内新世が2安打を放ち、一人気を吐くが、下妻二高先発の佐藤天馬に抑えられた。 土浦二高の相良真博監督は「9回までやりたかったが、5回で終わらなかったのは5回途中から再びマウンドに上がった鈴木のお陰」と鈴木の健闘をたたえた。 今大会、3年生部員は鈴木を含め3人のみ。エースで主将の鈴木晴人は「アウトコース中心でたまにインコースを使った。甘い球はいかなかったし自分の出せる力を出し、やれることはやった。相手の実力が上だった。自分はチームで一番頑張ったし自信を持ってやってきた。力を出し切ったので悔いはない」と話した。 「終わってから実感」 一方、茨城大会で女子部員として初めてシートノックを務めた小林は「緊張はなかったが終わってから実感が湧いた。9回までやりたかったが打たれて負けたのだから仕方ない。けが人も多かったができることはやれた。来年は9回まで戦えるのが目標」と語った。 小林は土浦二中に入り中学から野球を始めた。高校で辞めるつもりだったが相良監督から誘われ、野球を続ける決心をした。硬式球の難しさを感じながら野球を楽しんでいるという。地元の高校が参加しているPCリーグの試合に選手として出場している。(高橋浩一)

夏の高校野球茨城大会開幕 95校88チームが行進

第106回全国高校野球茨城大会が6日、水戸市のノーブルホームスタジアム水戸で開幕し、95校88チームの選手らが行進した。甲子園への切符を賭けた熱戦が27日まで繰り広げられる。 開会式は午前9時、大洗高校マーチングバンド部ブルーホークスの演奏が響き渡る中、水戸女子高校の生徒がプラカードを掲げ、昨年優勝の土浦日大を先頭に元気良く足並みそろえて入場した。スタンドからは大きな拍手が響き渡った。 県高校野球連盟の深谷靖会長は「チーム全員で困難を乗り越え、仲間と共に過ごす時間や互いに励まし合いながら成長する過程も大切。高校野球を通じて得られる経験は勝敗を通じて大きな財産になる。日々の練習の成果を存分に発揮して高校野球の魅力を発信してほしい。感謝の気持ちを忘れず全力でプレーしてほしい」と述べた。 選手宣誓は古河二高の池田魁主将が「高校野球のFマークに込められたファイト、フレンドシップ、フェアプレーの精神の下、私たちはこの晴れ舞台で最高のパフォーマンスをするために努力してきました。互いに支え合いながら友情を深め、多くの方たちに支えられて野球に打ち込めたことに感謝の気持ちでいっぱいです。私たち高校球児は野球が出来ることに感謝し、支えてくれる方々の思いを胸に精一杯、全力で白球を追い続けることを誓います」と力強く宣言した。 昨年の優勝校、土浦日大の中本佳吾主将は「いよいよ夏が来た。昨年の記録を塗り替えて、チームが一つになり茨城を制覇したい」、準優勝の霞ケ浦高校、市川晟太主将は「昨年悔しい負け方をしたので、その悔しさを胸にチーム一丸で、チーム力を発揮して甲子園で校歌を歌いたい」とそれぞれ意気込みを語った。 開会式の司会は鉾田一高3年の麻生さくらさんと水戸商業3年の長嶋美和さんが務めた。2人とも「最初はどうなるかと緊張したけど、2人力を合わせて頑張り、自分なりに上手く出来たし、いい経験になった」と話した。 プラカードを掲げた水戸女子高3年で生徒会長の菊池葉月さんは「昨年開会式をスタンドから見て興味が湧いた。観客が多く練習の時より緊張したけど練習通り出来て良かった。いい思い出が出来たしやり切った」と話した。 (高橋浩一)

胃カメラを飲むコツ《続・平熱日記》161

【コラム・斉藤裕之】1年に1度、私とっての鬼門。それは胃カメラを飲む日。今年もその日がやってきた。小さいころから大方の立ちはだかる壁は乗り越えてきたつもりだが、胃カメラだけは苦手だ。 しかし、実は今年、ちょっとだけポジティブな気持ちで内視鏡検査室の前に座る私がいる。というのも、昨年の検査の際に「コツ」をつかんだような気がしたのだ。あの忌まわしいチューブを飲み込むコツを。だが、それはただの思い過ごしということも考えられる。だから、今年はそれを確かめるべくやってきたのだ。 私の周りでも胃カメラが苦手な人がいて、マウスピースをくわえた瞬間から無の境地に入っていくようにするとか、頭の中で好きな歌を流して気をそらすとか。それから、胃カメラは平気だけどバリウム飲むのが苦手な人とか。NASAの訓練みたいにぐるぐる回るのがちょっととか。 「さいとうさ~ん」。呼ばれた私は喉に麻酔の薬をためてその時を待つ。しかし、やっぱり不思議と理由のない自信がある。それにしても胃カメラ係?の看護師さんは妙に優しい。口調ももちろんだが、いざ検査の時に背中をさすってくれるあの母親の様な手。ジェンダーとかなんとか置いといて、この係はできれば女性にやってほしいと個人的に思う。 いい絵を描くコツはない さて、ついにまな板の上に乗った。マウスピースをくわえる。「はい、じゃあこれから始めますよ~」って、今回の先生はなんだかソフトな印象。いよいよチューブが入ってきて、「はいここちょっと苦しいですよ~」。ここだ!と思ったら「オエッ」、涙がツー。この後は鼻の穴全開でゆっくりと呼吸を繰り返す。「は~い、では抜いていきま~す。お疲れさまでしたー」 ということで、予想通り、これまでと比べて飛躍的に苦しさを感じることなく検査を終えることができた。少しまだ涙ぐんだ目で画像を見ながら、先生の説明を聞く私の心はちょっと晴れやか。 絵を描くのにコツがあるのか聞かれることがある。例えば角度を少し意識するだけで、手を置く場所を変えるだけで、順番を変えるだけで、うまくいくことは日常的に誰しも経験があって、これをコツと呼んだりするんだろうが…。鉛筆をうまく削るコツはあるかもしれないが、いい絵を描くコツはない。同じく、胃カメラを飲むコツをつかんだところで健康になるわけではないのだが。何はともあれ、「問題ありませんね」という先生の一言で新たな1年がスタートした気分。 「10年たちましたね」と看護師さん。「来年の胃カメラは麻酔なしでいいですか」と聞かれて、「はい!」と元気よく答えた私。胃カメラを飲むコツ? それは謙虚に胃カメラさんに感謝すること、かもね。(画家)

金魚を見て老境を知る《看取り医者は見た!》22

【コラム・平野国美】10年ほど前、治子さんと初めてお会いしたときは、夫の介護の最中でした。足腰の痛みに耐えながら、最期まで夫君に尽くされました。そして今度は、患者さんとして再会しました。見た目はあのころとほとんど変わらないのですが、足を少し引きずって歩かれていました。 「今度は私がお世話になります。申し訳ございません」。性格が真面目なので、人の世話はするが、世話されるのは申し訳ないと思うようです。遠方に住む家族が介護サービスを受けるよう説得しましたが「人様のお世話になるなんて…」と言われ、困っていました。 最近は体の衰えもあり、時々、転倒するようです。転んだ痛み以上に、精神的な苦痛を感じるようです。そして、最近は頭も少しぼんやりとしてきたようです。10年ほど前、御主人の介護をしていたころは、しっかりとされており、診察のいい間に紅茶をいれてもらったものでした。 今日もそのころと同じように「紅茶を入れますね」と、台所に向かったのですが、10分ほどしても戻ってきません。台所をのぞいてみると、ぼんやりと立ち尽くしています。「治子さん」と声をかけると、「せんせい、私、一体何をしに台所にきたのかしら」と言うのです。慰めながら椅子に座らせると「なんでこんなになってしまったのかな?」と、1時間も2時間も泣き続けるのです。 自分の老いを理解する知性 私は帰るわけにもいかず、治子さんと向かい合っていると、その肩越しに金魚の水槽を見つけました。水槽の中の1匹の金魚が腹を水面に向けたまま浮いています。微動だにしないので、死んでいるのかと思ったのですが、突然、動き出して、姿勢を立て直そうとしました。 「生きているのか」と眺めていると、また、船が転覆したように、腹を水面に出して浮いてしまうのです。何だろうと、スマホに「金魚、逆さま」と入力して調べると、「転覆病」「原因は魚の浮袋の機能不全」「便秘による腸の膨満または加齢によるもの」など、いろいろ出てきました。 どうやら、人間でいう「体調不良」「寝たきり」に近いものと思われます。いつの間にか、治子さんも、水槽の中を心配そうに見ています。「転覆病っていうんですって」と、今知ったばかりのことを聞かせると、「そうですか。私だけじゃないんですね、苦しんでいるのは」とうなずかれました。 老境(ろうきょう)と言う言葉があります。人生の晩年に差し掛かった老人の境遇や心境といった意味です。しかしこの言葉には、もっと深い意味があると思うのです。 老境に入るとは、その方のこれまでの生き方や心境を表現していると思います。確かに、治子さんは認知症の影が見え始めています。しかし、転覆する金魚の姿を見て、自分の老いを理解する奥深さ、知性がある気がするのです。その後、2人で小1時間ほど老境の話をしました。(訪問診療医師)

「なぜ?を知ることは科学への扉」 元研究者が特別授業 茗渓学園高校

火薬研究の第一人者で産業技術総合研究所の元研究者、松永猛裕さんが開発した教材「花火の原理がわかる手持ち花火Ⅰ色火剤(いろびざい)」(2023年6月22日付)を用いた特別授業が3日、スーパーサイエンスハイスクール(SSH)である茗溪学園高校で行われた。 茗溪学園高校1年生の化学の特別授業の講師を務めた松永さんは「(熱した金属によって異なる色が出る)炎色反応は(中高生の)皆が知っているのに、なぜ炎色が出るかを説明できる人はいません。研究する人がいないからです。でも『なぜ』を知ることは科学への扉になる。花火でわかる化学の面白さを伝えたい」と語った。 同教材は、手持ち花火と分光シートがセットになっており、分光シートをスマートフォンのカメラに貼り付けて撮影することで、花火がどのような光を発しているかを分解して観察できる。つくばで生まれた優れた商品やサービスを市が認定する23年度のつくばクオリティ認定品にも選ばれている。教材は松永さんが社長を務める産総研発ベンチャー「グリーン・パイロラント」が開発、販売している。 茗溪学園高校で実施された1年生の化学の特別授業は、教室でなく、吹き抜けの1階ピロティで行われた。後半は芝生広場に移動してグループごとに実験し、分光シートを貼ったスマートフォンでさまざまな花火のスペクトルを観察した。実験終了後、松永さんに光の性質などについて質問する生徒たちもいた。 特別授業を受けた1年のキム・スジンさんは「教材が素晴らしく、楽しく体験することが出来た。自分の目で見る経験が出来てとても良かった。星が好きなので、星のスペクトルなども学んでいきたい」と感想を述べた。 松永さんは「生徒たちの反応も素晴らしく、興味をもってもらえてとても良かった」と述べた。(榎田智司)

青梅の季節《ことばのおはなし》71

【山口絹記】近所のスーパーに青梅が並んでいるのを見て、今年ももうそんな時期かと気が付いた。10年ほど前、もうすぐ産まれてくる娘が大人になったら一緒に飲める梅酒を作ろう、ということで梅酒を作り始めてから、我が家ではなんだかんだと毎年のように青梅を買っている。 当初は梅酒に梅シロップ、梅酢シロップの3種を作っていたのだが、普段からあまりお酒を飲まないために梅酒は余るようになり、砂糖と梅と少量の酢で作る梅シロップは失敗(除菌が不十分なのかカビが生えてしまう)することもあって、まず失敗することもなく、こどもにも人気の梅酢シロップだけ作り続けている。 なんらかの果実を漬ける、という文化は、私の中では母方の祖母から受け継いだものだ。祖母は生前、割と様々なものをお酒に漬けていた人で、梅酒の作り方は祖母に教えてもらった。私の知らないところでもマタタビの実などでお酒を作っていたようで、実家にはいまだに謎の数十年物のお酒と思われる液体が保管されている。 様々な液体が増える? 最初は私と妻だけでゆったり丁寧に作っていた梅酒やシロップも、次の年からは娘が参加して部屋が水浸しになったり、娘が上手に手伝ってくれるようになったと思ったら、今年は下の息子も参加して青梅がそこかしこに転がるようになった。 昔はこだわっていた容器も、スーパーで売っている一番安い赤いフタのやつになり、当初は試行錯誤していたレシピも、ここ数年は必要なものが入っていればいいか、という感じである。やっていることは毎年同じでも、その状況や情景が少しずつ変わっていく。 梅酢シロップを作り終えたあと、娘が氷砂糖の袋に記載されていたレモンシロップのレシピを見て、次はコレを作ってみたいと言った。我が家でもこうして様々な液体が増えていくのかもしれない。(言語研究者)

豊里ゆかりの森に新美術館オープン つくば万博の記憶をつなぐ

つくば市遠東にある自然体験施設「豊里ゆかりの森」に3日、新しく美術館がオープンした。展示棟として活用されていた建物を市が改修し、美術館としてリニューアルオープンさせた。「祈りからの出発」と題された開館記念展には、近代日本画を代表する巨匠の一人、川端龍子が雪化粧の山を描いた「白寿」など33点が並ぶ。開館に先立ち開かれた式典には、旧豊里町で町長を務めた故野堀豊定さんの長男・喜作さんら、同施設の地権者数人を始め、約20人の関係者が集まった。 昨年度、市が美術館に改修した展示棟は、1985年に開催された「つくば科学万博」の際に、万博の第2会場に建てられた市民による展示館「LALA館」を、万博終了後に同施設に移築したものだ。 きっかけとなったのが新型コロナが感染拡大した2020年に、施設内の宿舎「あかまつ」を軽症患者の受け入れ施設としたこと。その後、地域住民から豊里ゆかりの森をより多くの市民が活用できる空間にしたいとの声が寄せられ、23年3月に地権者らが「ゆかりの森地権者有志の会」を結成、市はこれに協力し、展示館の改修に至った。改修費は約1300万円。 式典であいさつに立った野堀喜作さんは、施設設立に尽力した父・豊定さんの思い出を振り返りながら「今日は父の命日。当初『ふれあいの森』としていた名称を『ゆかりの森』としたのには、万博でのカナダとの縁があった」と話した。 カナダと繋がった縁 1985年に発行された雑誌「建築設計資料9」(建築思潮研究所編)によると、豊里ゆかりの森の原型は、地域に広がるアカマツを中心とした平地林を生かすための総合的計画として1984年から85年にかけて進められた。近くの同市東光台にある音楽施設「バッハの森」と共に、隣接する森に宿舎「あかまつ」、町民センター、工芸館などをつくる計画が始まりだった。 計画の中でプロジェクトにカナダ人建築家が参加。85年の科学万博でカナダ館館長を務めることになっていたカナダ人のブロンウィン・ベストさんが、建築家の知人だったことから豊里との縁が繋がり、宿舎「あかまつ」が、万博のために来日したカナダ人スタッフの宿舎として建てられた。カナダとの友好の印として、施設名を、両国を結ぶという意味の「結(ゆ)」カナダの「か」、豊里の里をとって「り」をあわせて、「ゆかり」としたという。 式典であいさつに立った五十嵐立青市長は「いよいよのオープン。最初の企画『祈りからの出発』は、能登地震、新型コロナ感染症を踏まえた、出発の企画。ここから新たに、よりよい一歩を踏み出そうという気持ちがこもっている。ここがつくばのアート、文化の拠点にしていきたい」と思いを語った。今後はつくばにまつわる作品を中心に、さまざまな企画展を開いていく予定。 開館記念展は、地権者有志の会の協力による全3回の開催を予定している。第1回の「祈りからの出発」が23日(火)まで、開館時間は午前9時から午後4時まで。以降、第2弾を今年11月、第3弾を来年3月に予定している。 27日(土)から8月11日(日)は、筑波大学をはじめ、東京芸大、多摩美大、武蔵野美大の35歳以下の在学生、卒業生を対象とした「絵画の筑波賞展2024」を開催する。開館時間は午前10時から午後5時、最終日は午後3時まで。(柴田大輔) ◆いずれも入場無料、月曜休館。問い合わせは029-847-5061(豊里ゆかりの森)へ。

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