水曜日, 4月 8, 2026

つくば秀英 サヨナラで初の決勝進出【高校野球茨城’24】

第106回全国高校野球茨城大会は15日目の25日、ノーブルホームスタジアム水戸で準決勝2試合が行われた。第1試合はつくば秀英が常磐大に6-5でサヨナラ勝ちを収め、夏大会では初の決勝進出を決めた。序盤のビハインドをコツコツと取り返し、ついに9回に試合をひっくり返した。 つくば秀英は1回表に4連打で2点を奪われ、その裏に4番・吉田泰規の右翼への適時打で1点を返すものの、3回表には3点本塁打を浴び、この時点で1-5と大きなビハインドを負った。 「点差があっても自分たちの野球をすることを心掛けた。苦しい時間帯もあったが守備からリズムが出てきたので、1イニング1点ずつ取るぞと選手たちに声を掛け、9イニングトータルで勝つことを意識した」と櫻井健監督。 3回裏には5番・大石隼也に2ランが飛び出し、ホームランにはホームランでお返し。「打ったのは真ん中低めのまっすぐ。つなぐバッティングで、鋭い打球で外野の間を抜く意識だったが、結果的に入ってよかった」と大石の振り返り。 4回表からは先発の羽富玲央から中郷泰臣へ投手交代。「羽富はここまでの疲れもあり、気持ちが高揚していたようだ。羽富から中郷への交代は春からのパターン。力のある投手で、本来の仕事をしてくれた」と櫻井監督。結果的に中郷は、7回までの4イニングを2被安打3奪三振1四死球で抑えた。 4回裏には1番・吉田侑真の左前打と2番・小久保良真の中堅への二塁打で1点追加、4-5と1点差まで追い上げた。だがここからが一進一退。6回裏は2死二塁の場面から小久保が左前打を放ち、二走・吉田侑が本塁を狙うがタッチアウト。7回裏は3番・明石理紀斗の中前二塁打と大石の中前適時打でついに同点、続いて四球2つを選んで満塁とし、8番中郷には石井清太郎が代打。中飛からのタッチアップで大石がホームを踏むが、三塁手のアピールプレイでアウト。幻の逆転打となった。 8回表は中郷に代わり大石がマウンドへ。タッチアップのミスを引きずらないよう周りから「しっかり切り替えていけ」と声が掛かったそうだ。2イニングを投げて2被安打1奪三振で無失点。9回表には1死三塁の場面で、一ゴロから打者走者とベースカバーの二塁手・吉田侑が交錯、その間を突いて三走が本塁に向かうが、吉田侑が素早く立ち上がりバックホーム、本塁クロスプレーでアウトにした。 そして9回裏最後の攻撃。6番・稲葉煌亮の左前打と敵失などで1死一・三塁、打順は9番・佐々木将人。監督からはスクイズの提案もあったが「自分で打って決めたい」と首を振った。直球に振り遅れないようバットをいつもより短く持ち、2ボール2ストライクからの5球目を中堅へ。外野フライには十分で、稲葉が生還しサヨナラ勝ち。「みんなのおかげ。全員がヒーロー」と勝利のコメント。 櫻井監督は決勝に向けて「やることは変わらない。最後は気持ちの部分。1戦1勝でねばり強く食らいついていきたい」と意気込みを語った。(池田充雄)

イスラエル北端 ハイファでの体験《文京町便り》30

【コラム・原田博夫】ハマスの急襲(2023年10月)に反発したイスラエル・ネタニヤフ首相によるガザ地区への容赦のない攻撃は止まる気配が見えない。双方が採用している戦略や武器類を比べると、宗教対立の域を超え、それぞれの国内政治事情や地政学的対立構図にからめとられている感がする。そんなイスラエルを私は一度だけ訪れたことがある。 2017年7月、イスラエル北部のハイファ大学でのイスラエル日本学会第3回隔年会議『平成時代を振り返って:日本におけるポスト工業化・消費者時代の主要な潮流』に参加したのである。 直前にノルウェー・オスロにいたこともあり、ドイツ・フランクフルト空港からの便を利用したのだが、現地(テルアビブ)到着が当日深夜に大幅にずれ込んだこともあり、入国審査が大いに手間取った。そのため(数名の入国審査官は審査業務をほとんどサボタージュ)、国内移動手段(公共交通機関)が途絶え、タクシーでの長距離・長時間・高額移動を余儀なくされた苦い思い出がある。 この会議で、私は報告「日本におけるウェルビーイング:2015年サーベイ調査から」を依頼されていた。会場・主催はハイファ大学ロテム・コウナー(Rotem Kowner)教授だった。同教授は、近代日本の人種問題・意識を専門領域にしていて、筑波大学で学位(博士論文は「日露戦争の影響」)を取得していたこともあり、われわれ2人の間では会議の合間、つくば・土浦の飲食店や筑波山・霞ケ浦の話題で盛り上がった。 基調講演は『民主と愛国』(新曜社、2002年、1000ページ近くの大著)などで知られる慶應義塾大学・小熊英二教授で、圧倒的な熱量で参加者に語り掛けていた。この会議の報告者には日本文学を専門にするイスラエル人研究者もいて、文学作品の執筆当時の社会情勢と文学作品の同調やズレを指摘していて、社会意識の高さを感じた。 日常と戦時体制のギャップ このように、イスラエルにおける日本研究の着実な浸透を体験できたことは貴重だった。と同時に、イスラエルの風物にも興味深いものがあった。以下、4点紹介しておく。 第1に、ハイファはイスラエルの北端で、大学は地中海を西方に見る山の頂上付近に立地していた。紺碧(こんぺき)の地中海の夕刻は、爽快そのものだった。キャンパスから北に目を転ずると、国境線を挟んだヨルダンには巨木の点在が視認でき、彼の地の古代森林資源の豊かさを彷彿(ほうふつ)とさせた。 第2に、そのキャンパスに向かうべく、朝、定期バスで通勤・通学客と一緒に乗り合わせた女子中学生たちの騒々しさは、ひどかった。でも、他の一般乗客たちはこうした喧(かまびす)しさには慣れているのか、無視していた。子供はどこでも元気で傍若無人(ぼうじゃくぶじん)なのだ。 第3に、ハイファの街中では、地中海の強い日差しの下、ヒジャブを纏(まと)ったアラブ系(と思しき)婦人たちが三々五々、買い物に出歩いていた。彼の地でのアラブ系との日常的な対立を想定していた私は、このきわめて平穏な風景には驚いた。 第4に、ところが帰路の電車から途中停車駅のホームで見かけた、銃を抱えキッパーをかぶったハイティーンが(軍服姿ではなく普通の身なりで)佇(たたず)んでいて、それを周りの誰もが咎(とが)めるわけでもない様子に、再度の驚きを禁じ得なかった。 こうしたイスラエルにおける当時の日常と現下の戦時体制(内戦状況)のギャップには、大いなる戸惑いと絶望感を禁じえない。(専修大学名誉教授)

女性リーダー育成へ 共同プロジェクト研究始動 事業構想大・土浦市・関彰商事

女性活躍を目指す県内企業を対象に次世代の女性リーダーを育成しようと、社会人大学院の事業構想大学院大学(東京都港区、田中里沙学長)と、土浦市、関彰商事(本社・筑西市、つくば市、関正樹社長)が23日、共同プロジェクト「次世代女性リーダー育成プロジェクト研究」をスタートさせた。 商社、銀行、ホテル、社会福祉法人など多様な業種の県内企業6社と土浦市役所の20代から50代の女性職員10人が参加し、同市役所男女共同参画センターを主会場に、来年5月まで24回計100時間、座学やワークショップなどを実施する。参加者は最後に、それぞれの会社の新しい事業構想計画書をまとめ、自社に持ち帰って仕事に生かす。 土浦市の安藤真理子市長が男女共同参画の推進に力を入れていることから、同大が共同開催を同市に働き掛けた。関彰商事は同大のプロジェクト研究にすでに多くの社員を参加させていることから、同社が県内企業に働き掛け、共同開催が実現した。 23日の初回研究会では同大事業構想研究所の小端進所長がリモートで概要や目的を説明し「会社を代表して新しい事業構想と事業計画をつくり、会社に持ち帰っていただきたい。新しい構想は決して正解があるわけではなく、模範解答を探したり、社長ならこういえば評価してくれるなどと考えることはやめていただきたい。新しい構想を成功させるためには壁を突破していくパッションが重要」だと述べ、「事業の種は至るところに落ちているので、種に気付けるように既成概念から脱却してほしい」などと参加者に呼び掛けた。 前半は、会社の新しい価値を生み出すためのアイデア出しをしたり、事業の種に気付く力を身に着けることに力点を置き、後半はマーケティングや財務、利益につながる組織づくりなどを学ぶという。

恐竜の星《短いおはなし》29

【ノベル・伊東葎花】 眠れないのかい? そうだよね。窓の外はいつも真っ暗だ。朝か夜かもわからない。宇宙旅行とは、そういうものだ。どれ、父さんが話をしてあげよう。いつかお前に話そうと思っていた話だ。 これは、ある星の話だ。恐竜と人間が共存する、不思議な星の話だ。ずっとずっと大昔に、地球の恐竜が絶滅した。神様は、絶滅前に何頭かの恐竜を他の星に移住させた。このまま絶滅させては可哀想(かわいそう)だと思ったんだろう。共食いをされては困るから、草食恐竜ばかりを選んだ。 自然豊かなその星で、恐竜は穏やかに暮らした。やがて人間が誕生して、暮らしも進化していった。しかしその星の人間は、恐竜の領域を侵すことはしなかった。先住民である恐竜を敬い讃(たた)えていたのだ。また恐竜も、人間の暮らしを脅かすことはなかった。お互いに、上手(うま)く共存していたんだ。 たくさんの時代を超えて、科学は進化した。そしてその星に、地球人がやってきた。地球人は驚いた。絶滅した恐竜が、そこにいたからだ。地球人は、恐竜を何頭か譲ってくれないか、と頼んだ。しかしその星の住民は断った。どんなに大金を積まれても断った。恐竜にとって、この星を出ることは幸せではないと思ったからだ。 地球人は諦めた。しかしひとりだけ、どうしても諦められない男がいた。恐竜が大好きな研究者だ。男は恐竜の生息区域に忍び込み、卵を盗んだ。そして何食わぬ顔で地球に帰ったのだ。 男は自分の研究室で、卵を大切に育てた。やがて見たこともない恐竜が生まれた。大変高い知能を持った恐竜だ。人間の言葉を理解し話すことができた。恐竜も進化していたのだ。 男は、まるで我が子のように恐竜を可愛(かわい)がった。恐竜も男を父親だと思った。男にとっても恐竜にとっても、それは楽しい日々だった。しかし恐竜は、どんどん大きくなった。まだ1年足らずで男の背を追い越した。このままではいずれ天井に届いてしまう。食べ物だって、あの星ほど豊富ではない。研究室で育てるには、限界がある。 男は、自分の愚かさに気付いた。愛(いと)しい。とても愛しいけれど、恐竜を故郷に返すことにした。これ以上大きくなったら船に乗せることができなくなる。だから急いで出発した。最愛の息子と、最初で最後の宇宙旅行だ。 「お父さん、もしかして、その恐竜がボクなの?」 「ああそうだ。お前はやっぱり賢い子だな」 「もう一緒には暮らせないの?」 「暮らせない。父さんは罪人だ。罰を受けなければならない。ごめんよ。お前には本当に悪いことをした」 「でも、ボクはお父さんが好きだよ」 「ありがとう。さあ、もうすぐ到着だ。少し眠りなさい」 愛しい息子は、ざらついた舌で、私の涙をそっと拭った。 (作家)

昨年の覇者 土浦日大、常磐大に敗れる【高校野球’24】

第106回全国高校野球茨城大会は14日目の23日、準々決勝4試合が行われた。ノーブルホームスタジアム水戸の第1試合では昨年の覇者 土浦日大が、常磐大に2-3で逆転サヨナラ負けを喫した。同じく第2試合ではつくば秀英が下妻一に延長タイブレークの結果10-5で勝利した。25日の準決勝の組み合わせは第1試合が常磐大-つくば秀英、第2試合が霞ケ浦-守谷と決まった。 土浦日大は5回と7回の得点で2点をリードしたが、7回裏に常磐大に追い付かれ、9回裏に逆転打を許した。「前半の攻撃で2、3点取れていれば結果は違っていた。夏は得てしてこういうゲームがあり、乗り越えることでチームが急成長できる。そうならなかったのは、まだ甲子園に招かれるだけの力がチームになかったということ」と小菅勲監督は総括した。 前半はエース同士の投げ合いによる投手戦。土浦日大の先発・大井駿一郎は6回まで1安打無四球3三振とほぼ完璧な内容。一方、常磐大の沢畑壱心は6回まで5安打5四死球5三振で、2回以外は毎回得点圏に走者を背負った。 特に3回表の攻防は土浦日大にとって大きな逸機となった。先頭の9番・野口智生がセーフティバントで出塁し、盗塁と牽制悪送球で無死三塁。1死後、四死球2つで1死満塁となるが、後続が倒れ無得点。沢畑が決めに来た高めの直球を打ち上げてしまう場面が目立った。 5回表は1番・島田悠平の右前打と3番・中本佳吾の四球で1死一・二塁、4番・大井の打球は中堅への適時二塁打で土浦日大が1点を先制。なおも1死二・三塁で、5番・梶野悠仁は初球スクイズを敢行するが捕邪飛に倒れた。 7回表の土浦日大は中本の四球、大井の中前打、梶野の右前適時打で、沢畑からマウンドを引き継いだ常磐大の仲本寛から1点を追加。ただし三塁を狙った大井は右翼からの返球でタッチアウトとなり、この回も1点止まり。 そして7回裏。「2点差になって相手も開き直ってくる。このまま行くと思うな」と、小菅監督は選手たちの気を引き締めた。だが中本主将の実感としては「リードしている感覚はなかった」という。硬くなったかエラーやミスが続出。遊ゴロは悪送球、二ゴロは送球できず、加えて盗塁も許し2死二・三塁、ここで右中間への2点二塁打で同点とされてしまう。 9回表に勝ち越しの機会もあった。中本が死球で出塁し、打席には大井。3ボール1ストライクからエンドランを仕掛けた。「外野手が下がっていたので頭上は抜けないが、間を抜ければ中本の足ならかえってこれる。大きい当たりではなく低いライナーを狙った」と大井。打球は惜しくも左翼線へ切れた。「紙一重のファール。勝つときはあれが切れずにフェアになる」と小菅監督。 9回裏もマウンドは大井。「疲れは感じず、ただひたすら目の前の打者へ投げ続けていた」というが、最後はコースが甘くなった。2死三塁からサヨナラの一打を浴び、選手たちはその場に崩れ落ちた。試合後にそのときの気持ちを聞かれた大井は、しばらく押し黙った後、「ひたすら悔しかった」と声を絞り出した。(池田充雄)

霞ケ浦、鹿島学園に勝利しベスト4【高校野球茨城’24】

第106回全国高校野球茨城大会は14日目の23日、2会場で準々決勝4試合が行われた。ひたちなか市民球場では霞ケ浦が鹿島学園と対戦、3−1で勝利し準決勝進出を決めた。 霞ケ浦の先発 市村才樹は初回、鹿島学園から内野安打を打たれ、送りバントで1死2塁とされるが、続く打者を三振とサードゴロに打ち取り、ピンチを切り抜けた。 2回、市村が鹿島学園打線を三者凡退に抑えると、霞ケ浦はその裏1死後、大石健斗がチーム初安打を放ちボークで2塁に進塁。続く森田瑞貴がタイムリーを放ち1点を先制した。さらに相手のエラーで2塁、3塁とチャンスを広げると、鹿又嵩翔がセンターへの犠牲フライで1点を追加した。 3回には矢田貝優が四球で出塁すると、続く雲井脩斗が「エンドランのサインが出ていて自分が待っていた球を1球で仕留めた」と言う通り、放った打球はレフトへのタイムリーツーベースで3−0とリードし主導権を握る。 市村は6回、1、3塁のピンチに、鹿島学園の4番 中根健太郎をセカンドゴロに打ち取るが、その間に1点を失い、2点差とされた。 9回にも1死3塁のピンチを迎えるが、鹿島学園の代打 稲垣南月をファーストフライ、最後は小泉吏玖をレフトフライに打ち取り、準決勝進出を決めた。 市村は猛暑日の中、9回を140球投げ、被安打7 7奪三振 1四死球の好投を披露した。「前回はバラバラになってしまったが(今回は)リズムよく焦らず落ち着いて丁寧に自分の良さを発揮出来た。(捕手の)片見のサインには自信を持って投げた」と市村。 3点目となるタイムリーを放った雲井修斗は「打ったのはインコースの真っすぐ。次の1点が大事だったし、これでみんなが盛り上がった。前回はコールド勝ちで今日は良い流れで勝てた。ここからが本当の勝負。受け身ではなく積極的に攻めていきたい。昨年はあと一歩の所で大変悔しい思いをしたので、この流れに乗って次も一戦必勝で勝っていき先輩たちに恩返しがしたい」と意気込んだ。 霞ケ浦の高橋祐ニ監督は「これまでの3試合よりは、元気に明るく負けたくない気持ちが出ていた。準々決勝からの3つはいつ負けてもおかしくない。けん制、バントなどをしっかり修正して流れを大事に戦っていきたい」と準決勝に向けて気を引き締めた。(高橋浩一) ➡霞ケ浦 高橋監督の監督インタビューはこちら

餅は餅屋マコト君のこと《続・平熱日記》162

【コラム・斉藤裕之】季節外れの話というわけではない。天気予報で毎年びくびくするのが大雪の予報だ。というのも、いつかの大雪の日に屋根から落ちる雪の塊がお隣のフェンス辺りに落下するのを目撃して、これはまずいと思った。そうでなくても雪の重さはバカにできない。雨樋が壊れる原因となる。 だから雪止め金具を付けたいとずっと思っていた。しかし、我が家の屋根は瓦棒(かわらぼう)と呼ばれる金属屋根なのだが、相応の雪止め金具がホームセンターで売っていないし、ここ数年は運よく雪が降らないことをいいことに、保留していた。というか、瀬戸内育ちの私はそもそも雪止めなどというものがあること自体知らなかった。 そこで今年こそはと、検索「雪止め金具」。すると、我が家の屋根にピッタリ合いそうなものがあったので、一つだけ注文してみた。 ここで助っ人を呼んだ。同じ大学の工芸科を出たマコト君。年もほぼ同じ彼はあらゆる材料、加工技術に精通している。木製の家具から金属加工、小さなものから大きなものまで、とにかく何でも作る頼りになる男だ。作れるもの、直せるもの、自分でできそうなことは、極力自分でやってきた。 ひとつの理由は興味、欲求から。作るのが好き。もひとつは安く上げるため。見よう見まねから始めることもあったし、教えてもらうこともあった。失敗したり、やっているうちに分かったり。いわゆる我流でやってきたことも結構ある。「器用ですね」と言われるが、とんでもない。 人から見れば、何でもできるように見えて不器用極まりない。失敗ばかり。それから何でもかんでも自分でやらないでときには、人に任してやってもらうことも大事であることも学んだ。「餅は餅屋」という言葉がある。マコト君はその餅屋のひとり。彼は何でもキッチリやる。工芸科と油画科の違い? 職人気質と芸術家気質との違い? ところで、男1人になって果物をほとんど買わなくなった。しかし、珍しく冷蔵庫には杏(アンズ)がある。信州千曲市のギャラリーコクーンのかおりさんのお誘いで、今年も杏狩りに行ってきたのだ。昨年は食べられなかったハーコットという特別に大きな杏。お尻のようなところを半分に割って皮ごとほおばる。口の中に独特の香りと甘みが広がった。 このギャラリーには、マコト君が作った記帳用のテーブルが置いてある。オープンに際して、私がかおりさんに紹介した経緯がある。「今度はバターナイフとか簡単なカトラリーづくりのワークショップとかやってくれませんか」と、かおりさんに言われて、それならマコト君が適任だと推しておいた。 それにしても、マコト君からなかなか連絡がこない。梅雨に入ってしまったし、屋根の上は灼熱(しゃくねつ)になって登れなくなってしまう。ぎっくり腰をやったというから無理はいえないが…。私はかおりさんのもうひとつの依頼を思い出した。「できたらハーコットの絵を…」。危うく全部食べてしまうところだった。私はあわてて杏の絵を描くことにした。 追記。梅雨の晴れ間、無事に雪止めを設置。マコト君の自作の道具やちょっとした工夫で、作業を滞りなく終えることができた。しばし屋根を眺める。グッジョブ!(画家)

「川越地方のサツマイモ文化史」《邑から日本を見る》164

【コラム・先﨑千尋】「サツマイモ博士」の井上浩さん。昨年7月に92歳で亡くなった埼玉県川越市の井上浩さんの遺著『川越地方のサツマイモ文化史』が1周忌の今月に発刊された。それを記念し、13日に同市のサツマイモまんが資料館に有志が集まり、同書を読み解く会が開かれた。集まったのは、生前にご子息や井上さんと関わりが深かった川越民俗の会のメンバーら20人。 私はひたちなか市の干し芋生産者・木名瀬一さんを誘って参加した。拙著『ほしいも百年百話』を執筆する時に、史料や研究者などを教えてもらった縁からだ。井上さんは私の生き字引、「サツマイモ博士」だった。 会では、最初にご子息の健さんから同書編集のエピソードが紹介され、井上さんと親交の深かった「川越いも友の会」会長のベーリ・ドゥエルさんと同会事務局長の山田英次さんから、同書の価値などが話された。さらに参加者は「食料危機で、サツマイモがもう一度見直される時期が来る」など、それぞれ井上さんの思い出を話した。 井上さんは高校の教師時代からサツマイモ産地である川越市に住み、「サツマイモなんて」とイメージが悪かったサツマイモの文化史を「誰もやらないならオレがやる」と、1人でコツコツと始めた。麦作や柿、ゴボウ、サトイモ、そうめん、唐桟(とうざん)など、同地方の物産の歴史にも詳しかった。 後にドゥエルさんや山田さんらが研究に加わり、「川越いも友の会」が結成され、輪が広がっていった。定年後に、サツマイモ料理の店を開いていた「いも膳」社長の神山正久さんがサツマイモ資料館を開いたので、その館長を務めた。 資料・文献をどう引き継ぐか 山田さんによれば、井上さんのイモ学の業績は、川越いもの歴史解明、江戸および東京の焼き芋文化史、明治期に発見された「紅赤」(芋の品種)の研究など。文献資料を集め、現地の関係者の聞き取りをし、その結果は『埼玉史談』や『川越ペン』、『いも類振興情報』などに発表した。 文体は非常にわかりやすく、一般人にも読みやすいと評判だった。資料館長時代には、見学に来る各地のイモ関係者から情報を集め、国内だけでなく海外へも足を運び、その成果は資料館に展示されていった。今では「川越と言えばサツマイモ」と言われる名物となり、「いも煎餅(せんべい)」など関連商品の売り上げは年に40~50億円に達する。 2017年に脳梗塞で倒れてからも、入院中にベッドで原稿を執筆。8割方まとまったところで亡くなった。戒名は「芋博浩教信士」。没後関係者が補足し、同書の完成にこぎつけた。 私はこの席で、井上さんが残した膨大な資料、文献をどう引き継ぎ、残していくかが課題だと話した。『ほしいも百年百話』などをまとめる際、郷土の歴史を学ぶ者は多いが、関係資料は散逸し、意外に少ないということを知った。川越地方だけでなく、全国のサツマイモ事情を研究する後学の人たちが、井上さんが残したものから学び始められる。そのありがたさを身をもって知っているので、資料類をきちんと残してほしいと提案したのだ。 この書は非売品だが、日本いも類研究会のホームページで見ることができる。(元瓜連町長)

霞ケ浦、水戸商にコールド勝ち【高校野球茨城’24】

第106回全国高校野球茨城大会13日目の21日、J:COMスタジアム土浦の第2試合では霞ケ浦が水戸商と対戦、10-3で霞ケ浦が8回コールド勝ちを収めた。昨日と今日の2日間で4回戦が終了、準々決勝に進出する8チームが出そろった。 霞ケ浦は3回裏に1点を先制。先頭の8番・片見優太朗が遊ゴロ敵失で二塁へ進み、9番・鹿又嵩翔の送りバントで1死三塁、1番・谷田貝優の左前打で生還した。 水戸商は5回表に反撃。四球に送りバントと二ゴロで1点を挙げ、さらに左前打で1点を追加。霞ケ浦は投手先発の市村才樹から乾健斗へスイッチするが、乾も四球2つで押し出しの1点を与えてしまい、眞仲唯歩に再び交代。この回1-3と逆転を許した。 「水戸商打線はしっかり振ってくるが、きちんとコースに投げていれば打たれる気がしなく、4回までは走者を出しながらゼロに抑えていた。5回は四球とエラーでチームに迷惑をかけた。打線が追い付いてくれたので感謝しかない」と市村のコメント。 5回裏は霞ケ浦の反撃。片見の内野安打、鹿又の四球、谷田貝の左前打で1死満塁。森田の右前打で1点差に迫り、3番・羽成朔太郎の二ゴロで3-3のイーブンに戻した。 7回裏には打者一巡の猛攻。4番・大石健斗が四球を選び押し出しの1点を獲得すると、5番・雲井脩斗が右越えの二塁打を放ち2点を追加。「もしもこの回1点止まりだと相手に再逆転を許す可能性がある。外野フライを打てばタッチアップできると思い、真ん中寄り低めのまっすぐを、力まず狙い通り逆方向へ運ぶことができた」と雲井の振り返り。さらに眞仲が中前への2点適時打を放ち、この回計5点を加えた。 8回裏には2四球と羽成の左前打などで2死満塁とし、6番・荒木洸史朗の右中間二塁打で2点を加え、コールド成立となった。「前半は相手投手がいいコースに投げてきて、受けきれず中途半端に合わせた打球が多かった。後半は場面によって狙いを合わせ、しっかり振り切るバッティングができた。次もこの勢いのまま打ち勝つ試合がしたい」と雲井。5回途中から8回までマウンドに立ち無失点の眞仲は「気持ちで押し切ってボールをアウトローにコントロールすることができた。鹿島学園戦でもチームを勝たせるピッチングがしたい」とコメントしている。 準々決勝は23日、2会場で4試合が行われ、霞ケ浦はひたちなか市民球場の第1試合で鹿島学園と対戦する。(池田充雄) ➡霞ケ浦 高橋監督の監督インタビューはこちら

土浦日大、藤代に競り勝ちベスト8【高校野球茨城’24】

第106回全国高校野球茨城大会は13日目の21日、2会場で4回戦4試合が行われた。J:COMスタジアム土浦の第1試合で土浦日大が藤代と対戦、初回に失った2点を追う展開だったが、6回に同点、8回に逆転を果たし逃げ切った。決勝打となったのは大橋篤志のフルカウントからのスリーバントスクイズだった。 土浦日大は初回、先発の小島笙がいきなり打ち込まれた。先頭打者の右中間三塁打と、2番打者の中前打で1点を失い、送りバントの後、4番打者の左前打で2点のビハインドとなった。ここで投手は小島から大井駿一郎へ交代。 「当初は5回からと思っていたので全然早い。だが今日は3点勝負と読んでいて、2点取られたのでこの時点で行かせようと思った。大井はこの夏初登板だが、こういう場面も頭の片隅では想定していたので、ライトに入れて用意させておいた」と小菅勲監督。「最初から用意してつくっていたので、あせりなく投げられた」と大井。この交代で試合を落ち着かせることができた。 反撃は5回裏から。先頭の7番・藪ノ下陽が左翼線へ二塁打、8番・野口智生が送りバントで1死三塁。9番・西澤丈の遊ゴロで1点を返した。 6回表には相手に引き離されたかと思われた場面もあった。1死一・三塁から犠牲フライで3走が生還。しかしこれはタッチアップ時の離塁が捕球よりも早かったと三塁手・石崎瀧碧がアピールし、判定が覆って三走はアウトとなった。 6回裏には先頭の4番・大井が左前打、5番・梶野悠仁が送りバントで1死二塁。6番・大橋の右翼への二塁打で同点とした。その後は互いに三者凡退が続いていたが、8回に均衡が崩れた。先頭の3番・中本佳吾が中前打、続く大井が死球、梶野が送りバントで1死二・三塁。この絶好の場面で大橋が打席に立った。 当初、小菅監督のサインは「打て」。だが3ボール2ストライクになったところで「スクイズ」に変わった。「カウントが進んで相手も外せなくなったところで勝負をかけた。インコース高めの、後ろへ抜けてしまいやすい難しい球をよく当ててくれた」と小菅監督。「流れが来ていたし、転がす練習はしていたので失敗する気はしなかった。マウンドを降りてきた投手の逆を突き、完璧に転がせたと思った瞬間、ランナーがかえっていた」 「序盤は苦しい展開だったがほぼ想定内。ビハインドのときの練習もしてきたのであせりはなく、自分たちの練習の成果が出せた」と中本主将。準々決勝の常磐大戦に向けては「昨年秋大会では4-14で負けた相手。チャレンジャーの気持ちで、自分たちの野球を貫き通しリベンジを果たしたい」と意気込んだ。(池田充雄) ➡土浦日大 小菅監督の監督インタビューはこちら

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