日本一の獅子頭から自転車散歩《ポタリング日記》13
【コラム・入沢弘子】春らしい陽気に誘われ、桜の名所・常陸風土記の丘に来ました。石岡市のウェブサイトで案内されている“サイクリング拠点の無料駐車場”に車を止め、BROMPTOM(ブロンプトン)を組み立てます。
自転車を押しながら入口の長屋門をくぐると、見事な茅葺(かやぶき)住宅が出現。L字型の住宅は「曲屋(まがりや)」と呼ばれるもの。中はソバ屋さんとして使われています。園内を進んでいくと、江戸時代の会津地方の茅葺民家を移築したものもありました。ここ常陸風土記の丘は、茅葺屋根のふき替え技術継承のために、職人の育成も行っているそうです。
さらに行くと、巨大な獅子頭が見えてきました。「石岡のおまつり」で町を練り歩く幌(ほろ)獅子の獅子頭を巨大化し、展望台にしたものです。この大きさは日本一。ちびっこ広場を見下ろす階段の上に鎮座します。迫力満点の獅子頭は、子ども時代だったら怖かったかもしれません。
茨城のブランド豚の故郷
獅子頭にご挨拶をしたら横道から自転車に乗り、ふるさと農道をスタート。走り始めると、すぐに上り坂。しかも結構長い。立ち漕(こ)ぎをしながら頑張りますが、既に脚がつりそう。
坂の上には「鬼越峠の梅林」の看板がありました。左手には白梅の梅林。甘い香りが漂っています。ここからは下り坂。頻繁に横を通るトラックに注意しながら快適に進みます。坂を下りると、「茨城県畜産センター」の看板。後で調べたらfacebookもあり、かわいい子豚の生育状況なども掲載されていました。茨城のブランド豚の故郷なのですね。
平地に出て視界は開けましたが、車やトラックの通行量も多いです。前方の、峰が一つになった筑波山を眺めながら走ります。なだらかな山脈に囲まれるように民家と田畑が広がる風景は癒されます。「手打ちそば」の幟(のぼり)もちらほら。八郷地区に入ったのでしょうか。
初めて信号のある道にぶつかりました。下青柳の交差点を右折すると、すぐに「いばらきフラワーパーク」。スタートから約90分。全身汗だくです。入園料が不要のフラワーパーク併設のRose Farm Market & Caféで、近所の農園の朝摘みいちごを使ったいちごパフェを注文。酸味と甘さに癒されながら帰り道を思い、ちょっと憂鬱(ゆううつ)な仲春(ちゅうしゅん)の午後でした。(広報コンサルタント)
<お知らせ>このコラムは筆者の都合により今回が最後になります。
小学校区に1カ所を【広がる子ども食堂】6
子どもに無料または低料金で食事を提供し、地域交流の場ともなっている「子ども食堂」。2017年から県内の子ども食堂など、食を通じた地域の多様な居場所づくりの設立・運営のサポートに取り組んでいる茨城NPOセンター・コモンズ事務局長で、子ども食堂サポートセンターいばらき(水戸市)の大野覚さん(43)によると、子どもが1人でも安心して利用できる子ども食堂には、子どもの貧困対策と地域の交流拠点の2つの柱がある。
ところが、子ども食堂イコール貧困対策のイメージが広がり、多感な時期の子どもは「周囲から貧困家庭と思われたくない」と利用を控えてしまうことがあるという。支援を必要とする子どもが入店しにくい状況を生まないため店の名称をあえて「子ども食堂」とせず、地域交流を前面に打ち出している食堂が多い。大野さんは「生活が苦しい子どもだけに限定している食堂はわずかで、全体の8~9割の子ども食堂が『地域の誰もが利用できるみんなの居場所』と広く門戸を開いている」と話す。
子ども食堂を開設する方法は、食品衛生責任者の資格が必要など保健所の問題だけで「参入の敷居が低い」と大野さんが言い表すように、開設しようという仲間がいて、調理と食事ができる公的施設などを借りることができれば始めることができる。運営者の7割を市民団体とNPO法人が占め、近年は民間企業が運営する子ども食堂が出現してきた。大野さんはその理由を「社会貢献として消費者に得点が高いからではないか」と分析する。
運営は明確な定義があるわけではなく、運営団体によって開催頻度、スタイル、メニューなどはさまざま。開催頻度は月に1回または2回が多く、土曜の昼食時や平日夜に営業したり、日曜の朝食時間帯に取り組む食堂もある。料金は子どもは無料、有料の場合は100~300円が主流で、大人については子どもより割高に設定されている。年齢を問わず誰でも無料の食堂もある。また、釜でご飯を炊いたり、地域の伝統食の提供や野菜の収穫と料理体験など、食育活動を行っている子ども食堂もある。
県内の子ども食堂の多くが市民ボランティアが主体となって運営されており、課題は「運営費の確保」だ。ボランティアが基本となる経営は必ずしも恵まれたものではなく、寄付や助成金制度などを活用しながら運営を行っているところが多いと大野さんはいう。
食材は農業協同組合からコメや野菜、フードバンクから加工品などの提供を受けているほか、野菜を多く作り過ぎた農家や、地域住民からの寄付で賄われている。
同サポートセンターいばらきコーディネーターの伊東輝実さん(37)によると「運営を担っているのは子育てが一段落した50代から60代の女性たちで、生き生きと活動を続けている」と話す。県内各地の現場を訪ねている伊東さんが、活動が長続きする理由を尋ねたところ「参加自由で義務ではない、無理せず出来る範囲で参加できるから」を挙げた人が多かった。また、地域に貢献しているという自信が生まれ、仲間同士の交流も離れがたい魅力で、「活動の喜びについて、皆さんが『子どもたちの笑顔』と答えてくれた」と話した。
大野さんは「困窮世帯はコロナ禍による収入減と物価高に追い打ちをかけられている。困っている人に無料または低料金で食事を提供する子ども食堂は社会を支える仕組み」だとする一方、県内の小学校区に子ども食堂がいくつあるかを比較した子ども食堂の充足率は、県全域で18・8%と、小学校区5.3校に子ども食堂が一つというのが実情だ、
県全体と比べると比較的多い県南の子ども食堂充足率は20・5%。「5つの小学校区に1カ所という状況にある」とし、「地域を問わず、子どもたちが徒歩で通える小学校区域に1カ所、子ども食堂ができるよう設立と運営をサポートしていく」と意気込みを口にした。また「コロナで交流が遮断されて人と人とのつながりが薄れてしまった。地域コミニティーを深める場としての役割を高めていきたい」と語った。
子ども食堂は2012年に東京で始まり、2年後の14年、厚労省が子どもの貧困率は16・3%で6人に1人の子どもが貧困状態にあると発表したこともあって、貧困対策として全国に普及した。全国に広がる子ども食堂をサポートするNPO法人「全国こども食堂支援センター・むすびえ」(湯浅誠理事長)の発表によれば、日本全国に少なくとも7331カ所、県内には149カ所ある(22年11月19日現在)。物価や光熱費の高騰で困窮する世帯の子どもへの支援はもとより、コロナ禍で失われた地域コミュニティーを取り戻す場として必要性が高まる。(橋立多美)
終わり
手紙を書くということ《ことばのおはなし》55
【コラム・山口絹記】私は手紙を書く。手紙を書くときに考えるのは、便箋と封筒と切手と封の組み合わせ。そして相手に伝えたいことだ。写真を入れるか、挿絵を描くか、なんてことも考える。
手紙を書くときに下書きはしない。構成も考えない。ただ、はじめにどうしても伝えたい一文を決める。それに向かってひたすらことばを繋(つな)いでいく。だから、とんでもないことになる。書きながら、弱気になったり、おどけてみたり、誤魔化(ごまか)してみたり。
どうしてこんなにも大変な労力をかけて手紙を書くのだろう。これはたぶん、ことばに質量を持たせたいからなのではないかと思う。紙に万年筆のインクが染みこみ、やがて水分が蒸発しても、そこには染料や顔料が残る。空気の振動でもなく、0と1の信号でもなく、何かもっと、確かなカタチをもって、伝えたいことがあるのだと思う。
そうして伝えることばに、託したい想(おも)いがあるのだと思う。伝えるべきことは、自分の意思をもって、何を介すことなくできる限りを尽くして伝えたい。だから、手紙を書く。字、汚いのだけど。
手紙を書き始めると「あーあ、ことばなんて」と思うことがある。ことばなんて、くだらない。つまらない。恥ずかしい。どうせことばにしたところで。それでも、伝えたいことをことばにしないのは、ただの怠慢なのだ。うまい言い回しができなくても、ちょっとタイミングが悪くてもいい。
伝えたいことに質量をもたせる
手紙を書いたら、できるだけ早くポストに投げ込む。送ろうかどうかいつまでも迷っていると、相手が消えていなくなってしまうこともある。その手紙は、読む人を失って、机の奥底で静かに死ぬことになる。たまに読み返そうと思うのだけど、その勇気はなかなか出ない。かといって、捨てる勇気もない。そういうのは辛(つら)いからイヤなのだ。
私には、時折思い出したように連絡をとるひとがいた。もう10年以上の付き合いだった。最近、いつものように、ふと電話をかけてみると、通じなかった。なんとなく胸騒ぎがして、書留で手紙を送ったものの、数日後に宛所(あてどころ)がないと戻ってきてしまった。私よりずっと年配で、共通の知り合いもおらず、もうどうしようもない。三十路を過ぎてからというもの、少しずつこういうことが増えてきた。 それでも、私は手紙を書き続ける。伝えたいことに質量をもたせるために。(言語研究者)
企業も参加 飲食店やキッチンカーで【広がる子ども食堂】5
飲食店が子ども食堂を開くなど、企業参加型の取り組みも現れ始めている。
つくば市天久保の中国料理店、百香亭筑波大学店は、月2回土曜日の昼間、1日30食限定で無料の弁当を配布する「百香亭みんなの食堂」を実施している。
利用は子どもから現役世代、高齢者まで年齢制限はない。筑波大学が近いことから大学生の利用も多い。2月初め、店頭に「みんなの食堂」の看板が出された同店では、成人の男性が無料弁当を注文していた。店内で数分待ち、スタッフからあたたかい弁当を受け取る。同店がテイクアウトで販売している600円の弁当と同じ大きさの器に中華のおかず3品とごはんが入っている。この日のおかずはにんにくの芽と豚肉の炒め物にたけのこの和え物、シュウマイ。
茨城ロータリーEクラブ会員でもある同店の徐佳鋭さん(41)は「奉仕活動として地元の子どもたちに何かできることをしたいと思い活動を始めた。年齢を問わず、来ていただける方には配布している。温かいものを食べてほしいのでお弁当は注文を受けてから作っている。毎回来る人もいるので、飽きないようにおかずの内容は変えている」と話す。できるだけ長く続け、多くの人に支援を広げるのが目標という。
百香亭みんなの食堂は昨年7月から始めた。つくば市が年間最大10万円を補助する市内8カ所の子ども食堂「みんなの食堂」の一つだ。配布時間中はみんなの食堂の看板を出しているが、最初は3~4個ほどの注文しかなかった。昨年9月に市の情報広報誌「かわら版」にみんなの食堂の情報が掲載されると徐々に来店者が増え、毎回30食が無くなるようになった。活動資金は市の補助金のほか、茨城ロータリーEクラブとロータリー財団が支援している。
「こちらから行けばいい」
つくば市高見原の2丁目会館で2月初め開催された地域の催しに、キッチンカー(移動販売車)を活用した移動式子ども食堂が出店し、ボリューム満点のハンバーグ丼やローストビーフ丼がふるまわれた。
この催しは、高見原を含む市内8つの周辺市街地の地域振興を目的にした市主導の実践型プログラムで、同市香取台在住の岡冨陽子さん(44)のアイデアが採用され、移動式子ども食堂と消防車をメーンに地域住民の交流促進や防災力を高めようという催しが実施された。
出店したキッチンカーは普段、都内のイベントなどで肉料理を販売している。この日は子ども50食、大人約100食分が提供された。子ども向けのハンバーグ丼は無料だ。
イベントを企画した岡冨陽子さんは青森県出身。筑波大を卒業し、10年前から子どもを対象にしたオンラインの料理教室「食育料理教室 ふくふく」を主宰している。
子ども食堂にも興味を抱いていたが「本当に支援を必要とする子どもが来ないのが悩み」という運営者の話にむなしさを感じ、運営する側も利用する子どもも、双方が満足できる仕組みはないのかと思案していた。そして出会ったのが、埼玉県熊谷市のNPO法人あいだの奥野大地副理事長が発案し、同市で2019年にスタートさせた全国初のキッチンカーによる移動式子ども食堂だった。「固定の店舗だと遠すぎたり、貧困家庭と思われるから行きづらいといった子どもが出てしまう。困っている人が時間をかけて来る必要はなく、こちらから行けばいい」。
シンプルな理由で始めた移動式子ども食堂の仕組みは、キッチンカーを所有する飲食店に食事の提供を委託し、プロの味を提供できる。中学生以下の子どもと妊婦は無料で、その食事代は寄付金を充てる。大人は通常の価格で購入することでキッチンカーの収益になるという仕組みだ。徐々に認知度が高まり、千葉や静岡、沖縄など、全国に移動式子ども食堂開催の輪が広がり始めている。
「こちらから行けばいいという考えに共感し、この仕組みならみんなが笑顔になれる」と思った岡冨さん。同法人の茨城支部として活動し、県域に移動式子ども食堂を広げたいと話す。まずは市内での移動式子ども食堂の開催に向けて準備しており、子どもたちには友達と連れ立って気軽に来てほしいと呼びかける。
ふるさと納税を充当
境町はコロナ禍の2020年から、町内の飲食店が参加し、毎週土曜日と日曜日に各店10食分ずつ、町内に住む18歳以下の子どもに弁当を無料配布する「境町こども食堂」を実施している。現在、和食店、洋食店、すし店など14店が参加する。
ふるさと納税や企業からの寄付を原資に、町が1食当たり300円を飲食店に助成し、年間2万食ほどが子どもたちに無料提供されている。配布時間は午前11時から午後4時の間だが、ほとんどの店が午前中に配り終わってしまうという。
同町まちづくり推進課によると、地域全体で子どもたちを見守ろうという橋本正裕町長の発案でスタートした。このやり方だとハードルは高くない、全国の自治体に仕組みを広げたいと同課はいう。(田中めぐみ、橋立多美)
続く
認知症予防 事故すれすれの日々《くずかごの唄》124
【コラム・奥井登美子】夫は76歳で大動脈解離(かいり)。運よく命はとりとめたものの、「いつ何があってもおかしくない体」を自覚して、93歳まで楽しい宇宙人を生きてきた。
80歳から、蜂窩織炎(ほうかしきえん)、骨折、動脈炎、鼻出血、肺炎などでの入院が7回。そのたびに医療関係者の方にお世話になり、感謝している。私に出来ることは、食事、睡眠の管理のほか、精神的支え、認知症の予防がある。「死にもの狂いでやるしかない」と決心した。
「おじいちゃんに似てきましたねって、言われてしまったよ」
「髪の毛が黒いって、褒めてくれたの。おじいちゃんも85歳で白髪がなかったわ」
暗い方に持っていきたい話題を、明るくはぐらかすのだ。
「困ったなあ…、似てほしくないよ」
「親子だから似るのは仕方ないわよ」
「親父の最後が大変だった。あんなこと誰にもさせたくない」
舅(しゅうと)は、昔ながらの家の存続しか頭になかった。期待していた長男に死なれ、鬱(うつ)状態になってしまったが、しっかりした姑(しゅうとめ)と隠居所で暮らしていた。しかし、姑の突然の死亡で、「ボケ」といって、何とか世間体をごまかしていた鬱病が、ノコノコと這い出してきてしまったのである。
「死にたい」と言い出すと、紐(ひも)状の物を首に巻き付けてしまう。ネクタイ、腰紐など、紐類を全部隠したが、カーテンの紐を首に巻き付けてしまった。
仏壇の下に蝋燭(ろうそく)のマッチがあるのを知っていて、マッチをすってしまう。布団と畳のボヤが2~3回。幸い、早く見つけて消すことができた。事故すれすれの日が続く。
「手を縛らせていただきました」
千葉大学の外科医の兄も心配して、精神科に詳しい友達の医者がいる病院に入院させてくれたが、今のように老人性鬱病のノウハウがしっかりと確立されていない時代だった。「立派な鬱病です。危険なので手を縛らせていただきました」。両手ともベッドの枠に縛られて、動かせないようにしてある。
家に帰りたいと言っているが、私が家で手を縛ったりしたら、ご近所や親戚の婆さんたちに何を言われるかわからない。さあ、困った。家に帰る条件として、事故につながる危険なものは一切触らないという約束をして、家に連れて帰ってきた。
夫は東京勤務。私は薬局と3人の子供の子育て中。舅生存の5年間、よく体が持ったと思う。(随筆家、薬剤師)
建築家 磯崎新を追悼 3月19日 つくばセンタービルでシンポジウム
昨年12月に亡くなった建築家、磯崎新さんの業績を振り返るシンポジウムと、同氏の美術作品を展示する企画が3月19日、つくばセンタービル内のノバホール(つくば市吾妻)で開催される。つくば市民が中心となる「追悼 磯崎新つくば実行委員会」(実行委員長・鵜沢隆筑波大名誉教授)が主催する。
ポストモダン建築の代表作とされるつくばセンタービルを設計した磯崎さんは、水戸芸術館や群馬県立近代美術館、ロサンゼルス現代美術館など多数の作品を残し、英国王立建築家協会ゴールドメダルや、建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞するなど、世界的に高く評価されてきた。今回の企画は建築だけでなく、美術作品や著作物など磯崎さんの多彩な活動を網羅的に振り返る。
激しい言葉が若者の刺激に
きみの母を犯し、父を刺せ−。
実行委員会委員長で建築家の鵜沢隆さん(72)が20代のころに衝撃を受けた磯崎さんの言葉だ。「日常的な住宅のイメージを払拭する新しい世界を切り拓け」。そんなメッセージを激しい言葉で伝えようとする磯崎さんの存在は、国内外の若い建築家に強い刺激を与え続けたという。また数々のコンペや展覧会開催に関わり、若手の育成にも力を注いできた。
「磯崎さんは建築だけでなく、制作した美術作品の多さも際立つ。また、刺激的で挑発的な文章を絶えず発信してきた。『ポストモダニズム』という言葉を概念化した磯崎さんの思考についても明らかにしたい」と鵜沢さんは意気込みを語る。
40周年 つくばセンタービルを後世に
つくばセンタービルをめぐって、つくば市は2020年、同ビルの中央広場にエスカレーターを設置するなどのリニューアル計画を発表した。これに対して「(同ビルの)文化財としての価値を失うことになる」と、市民団体「つくばセンター研究会」が21年、計画に反対する要望書を提出するなどして市に見直しを求め、市はエスカレーターの設置を取り止めるなど計画を大幅に見直した。
実行委員会にも名を連ねる同研究会は、21年6月と22年11月に、つくばセンタービルを再評価し今後の活性化のためのシンポジウムを開いてきた。同研究会の共同代表で、実行委員会副委員長の写真家、齋藤さだむさん(74)は「つくばセンタービルは今年、築40周年を迎える」として、今回の企画への思いをこう語る。
「同ビルが象徴する筑波研究学園都市は、日本が国家事業として街づくりをした初めてのケース。後に続く事例は今もない。研究素材、教育素材としても、いかに残していくか。時代の先端でもある磯崎さんの業績を振り返ることで、つくばセンタービルが持つ意味を考えることが、今後の活性化につながれば」
シンポジウム「追悼 磯崎新ー思考の建築」はシンポジウム、磯崎新作品展、つくばセンタービル建築ツアーの3部構成。3月19日午後1時半からノバホール大ホールでシンポジウムが開かれる。登壇するのは、磯崎さんのアトリエ勤務を経て日本建築学会教育賞を受賞する建築家の渡辺真理法政大学名誉教授、10年にベネチア・ビエンナーレ国際建築展で金獅子賞を受賞した今注目の若手建築家、石上純也さんら4人。
作品展は同日午前11時から午後4時、ノバホールロビーで、シルクスクリーンの版画や写真、鉛のレリーフ、二脚のモンローチェアなど、磯崎さんのオリジナル作品十数点を展示する。建築ツアーは午前11時から正午、六角美瑠神奈川大学教授の解説で開催する。(柴田大輔)
◆シンポジウム、作品展、建築ツアーいずれも参加費無料。建築ツアーのみ事前予約が必要で、定員40人。問い合わせはメールtsukuba.center.studygroup@gmail.com(つくばセンター研究会)、建築ツアー申し込みはつくばセンター研究会ホームページへ。
米飯到着 最大1時間10分遅れ つくば市学校給食
つくば市は28日、学校給食に米飯を納入する業者の炊飯機械が故障し、市内の小学校9校と幼稚園3園に同日提供する予定だったご飯の到着が最大1時間10分遅れたり、主食を変更し、ご飯の代わりにパンや麺を提供するなどしたと発表した。
市教育局健康教育課によると、県学校給食会を通して市内の小中学校や幼稚園に米飯を納入している3つの業者のうち、9校と3園に計4890人分の米飯を納入している1つの業者の盛り付け器が故障し、提供できなくなった。
市は、児童や園児に速やかに主食を提供するため、小学校4校と幼稚園2園の計3114人に対しては、別の業者が急ぎ、ご飯を炊いて提供したが、到着が最大1時間10分遅れ、児童や園児は、給食開始時間の午後0時20分ごろからおかずだけを食べ、ご飯が到着した1時30分ごろから、ご飯にふりかけをかけて食べたという。
一方、小学校5校の1751人に対しては、ご飯の代わりに市内の製麺業者が麺を提供、この日の献立が味噌味のバター入りどんこ汁だったことから、児童らはどんこ汁に麺を入れて食べた。
ほかに幼稚園1園の25人に対しては、ご飯の代わりに市学校給食センターがパンを提供した。
故障した米飯納入業者の機械は28日までに修繕が完了し、翌3月1日から通常通り米飯を提供できるという。
同課はこの業者に対し、設備管理の徹底を図るよう指導したとしている。
コロナ禍 シングルマザー5人が立ち上げ【広がる子ども食堂】4
コロナ禍の2020年、シングルマザー5人が立ち上げた子ども食堂がある。阿見町を中心に食料を無料で配布するフードパントリーや子ども食堂、無料塾などの活動をしているami seed(アミ・シード)だ。代表の清水直美さん(44)ら30~50代の女性10人が中心となって運営する。
2月初め、阿見町のコミュニティセンター、本郷ふれあいセンター(同町本郷)で開かれた無料塾と子ども食堂「おにぎり食堂」に小学生から高校生まで約15人が集まった。毎週木曜日に開催している。子どもたちは机の上にそれぞれの教科書やノートを広げ、集中して鉛筆を走らせている。ボランティアの山田美和さんら2人が講師として子どもたちに勉強を教える中、調理室では清水さんら6人が調理に追われていた。
この日の献立は翌日が節分の日であることに合わせて、恵方巻とさつまいもの肉巻き、さつまいもとりんごのサラダ、あさりとしじみ2種類の味噌汁、牛乳。訪れた子どもたちの分と子どもたちが持ち帰る家族の分、合わせて50食を作り、容器に盛り付けていく。献立は調理師の資格を持つ林久美子さんが考えた。食材はいずれも寄付されたものだ。
しばらくすると勉強が終わった小学生たちが食事の準備を待ちきれず調理室にやってきた。「お腹減った?自分の分を自分で巻いてみる?」。林さんが恵方巻の作り方を教えると、子どもたちは真剣な様子で巻きすに手を添え巻いていく。完成すると笑顔がこぼれた。続いてやってきた中学生たちも自分で作った太巻き1本を、恵方を向いてほおばると「とてもうまいです」と顔をほころばせ、親指を立てて見せた。
近所の人が助けてくれた
ami seedは20年4月、清水さんらが立ち上げた。阿見町には茨城大学農学部と県立医療大学の二つの大学がある。コロナ禍、一人暮らしの大学生や一人親世帯に食料を無料配布する活動から始まった。
清水さんは22歳になる双子の娘を持つ。娘が中学生の時に離婚し、仕事を掛け持ちした。忙しい生活の中、母が余命1年と宣告を受け、清水さんは自宅で最期をみとる選択をした。仕事と介護、子育てに追われる生活を見かね、近所の人たちが料理を作って持ってきて助けてくれた。
この体験を経て「それぞれいろいろな事情があったとしても、とにかくごはんを食べていればなんとかなる」と、食の支援を思い立った。
「おにぎり食堂」は、企業や個人からの寄付や、JAなどから支援を受けて集まった食材で運営している。最近は物価の高騰からか、集まる食材が減ってきたという。乳児用のミルクやおむつ、ベビーチェアやチャイルドシートなどが足りていないことも課題だ。
活動を知った土浦市や取手市などからも相談や問い合わせがあるという。子育ての仕方が分からないと育児ノイローゼになりながらも一人で子育てしている女性、離婚調停中で経済的に困窮している女性、仕事がなく昼夜逆転の生活をしている人。清水さんが寄り添ってきた人たちだ。「骨と皮になっているママもいる。職場でも友だちがつくれず、上司からパワハラを受けていたりもする人もいる」と清水さん。
一人暮らしの大学生は、経済面だけでなく心の問題を抱えていることが多いという。学業の相談を受けたり、自殺の連絡が来て止めたりしたこともあった。痩せていく様子を見て診察を勧め、医療につなげたこともある。
大学生との間でこんなエピソードもあった。ある時、90代の夫婦が寄付金数万円を携えて訪れた。県外出身の一人暮らしの男子大学生はその寄付金による支援で食料をもらうことができ、無事卒業した。社会人になった男性が夫婦に感謝の手紙を書いて送ったところ、子どものいない夫婦は「本当の孫からもらったようでこの手紙が宝物」と清水さんに語った。夫婦と男性を会わせたいと考えた清水さんは、夫婦宅の草取りの手伝いに男性を呼び、3人は対面することができた。
孤立しやすい一人親家庭や大学生、一人暮らし高齢者を、清水さんはいずれの場合も見守りながら、必要であれば本人の同意を得て行政の支援につなげる。しかし、傷ついた経験から行政の介入を拒む人もいるとし、「とにかく(気持ちを)吐き出させて帰らせることが大切」と話す。
今後の目標については「シングルマザーの暮らす家をつくりたい。第三の居場所、公共施設を使わずに活動できる場所をつくりたい」と話した。(田中めぐみ)
続く
「気がかり」をつなぎ ヤングケアラーを支援【広がる子ども食堂】3
5年前の12月、つくば市内の子ども食堂の運営者から、不登校やいじめなどの教育相談に取り組む同市の穂積妙子さん(73)に相談が持ち掛けられた。穂積さんは民間団体「つくば子どもと教育相談センター」の代表を務める。相談は「いつも来ている姉妹がいて、姉が妹の勉強を見てやっているが他の子どもと交流はなく、どこか違う。不登校の疑いもあるが、他にも事情がありそうで気がかり」というものだった。
同センターの相談員を務める元教員が子ども食堂を訪れ、姉妹と一緒に食事を取った。この時も姉妹の脇には教科書とノートが置かれていた。温かい食事に気持ちがほぐれた姉妹に「勉強熱心でえらいね」と話しかけたことをきっかけに、相談員の問いかけに姉がとつとつと話し始めた。
勉強を見てやっていたのは19歳の姉で、不登校の中学3年の妹の高校受験を案じてのことだった。シングルマザーの母親は入退院を繰り返していて、生活保護を受給していること、ホームヘルパーの生活援助を受けているが頼れる親戚はいないこと、姉は高校に進学しなかったこと、姉妹の下に小学6年の弟がいることが分かった。相談員は、姉の話に耳を傾けながらヤングケアラーだと直感した。
ヤングケアラーは、ケアを必要とする家族がいて、病気や障害の親のケア、きょうだいの世話、祖父母の介護など、大人が担うような家事や家族の世話、介護などを引き受けている子どもをいう。ヤングケアラーとなることで、遅刻や早退、欠席、成績の低下が生じ、進学もあきらめざるを得ない状況になるなど、子ども自身の生き方に影響を及ぼすことが問題視されている。
母と妹弟の暮らし支える
姉は小学校高学年の頃から、家事を一手に引き受けながら妹と弟の世話、母親の看病や見守りまで4人の暮らしを支える役割を担っていた。ホームヘルパーの生活援助は当事者である母親へのサービスのみで、同居家族の食事作りや家族の部屋の掃除や洗濯などは含まれなかった。
やがて姉は、家事や家族の世話に追われて学業に充てる時間が取れなくなって成績は低下、友だちとの交流もなくなって中学2年から不登校となり、高校進学を諦めた。妹と弟もいつしか不登校になっていた。
真剣なまなざしで姉は「妹を私のように中卒にさせたくない。生活保護を受けながら高校に通学できますか」と問いかけてきた。相談員の元教員が「生活保護費には高等学校等就学費という制度があって、認められたら高校に行ける。きっと大丈夫」と答えると、ほっとした様子で表情が明るくなったという。
その後、穂積さんや元教員との相談を繰り返し、姉妹は志望校を定時制の県立高校に絞り、高校進学を諦めた姉と妹2人が共に入学できないかと志望先の校長に相談した。一方、高校進学を希望したことで福祉事務所から高等学校等就学費が給付されることになった。
翌年春、20歳になった姉は成人特例で面接のみで入学が許可され、中学3年の妹は一般受験で合格した。働きながら学ぶことのできる定時制高校は1日の授業時間が短い。姉妹は空いた時間を母親の世話や家事に充てながら勉強し、2人そろって4年後に同校を卒業した。
穂積さんは「姉は頼る人も相談する人もなく、家族を支えることを負わされていた。子ども食堂の運営者からの連絡がなければ彼女たちの存在すら知らなかった。子ども食堂は、運営に携わる大人が子どもが発するSOSに気づくことができる大切な場所だと思う」と振り返る。「定時制高校には知り合いの先生がいてスムーズに連絡がとれた。高校の不登校生徒に対する迅速で丁寧な対応もありがたかった」と話す。(橋立多美)
続く
「さつまいも博」に行ってきた 《邑から日本を見る》130
【コラム・先﨑千尋】全国のさつまいも産地や専門店が一堂に会する「さつまいも博」が、埼玉県さいたま市の「さいたまスーパーアリーナ」で先週開かれた。私はひたちなか市の干し芋生産農家の人たちと24日に行ってきた。22~26日の会期中に5万人が集まったという。この「さつまいも博」は、同実行委員会がさつまいもの多彩な味わい方やトレンドを発信しようと2020年に始め、今年は3回目。
同博名誉実行委員長の山川理さんは「さつまいも博は、さつまいもの優れた点を社会にアピールし、生産者と加工業者、消費者との絆を深めることが目的。ロシアのウクライナ侵攻は、肥料やエネルギー資源の世界的な不足を引き起こしている。この影響は農業にも及び、資材の高騰など経営の圧迫につながっている。さつまいもは最低限の肥料や農薬、農業資材で生産され、食料危機を回避できる大切な食べ物だ」とメッセージを寄せている。
会場には、地元埼玉のほか、沖縄や宮崎、神戸、京都、新潟などの焼き芋・スイーツ専門店など26店が、自慢のさつまいも製品を出品。そのほか、鉾田市やなめがたしおさい農協なども出店していた。けやき広場に設けられた会場の各ブースには、焼き芋や干し芋のほか、さつまいもを使ったアイス、プリン、ポタージュ、サンドイッチ、豚汁など約200種類のメニューが並んだ。生イモを買えるコーナーもあった。
同博の目玉は、ナンバーワンの焼き芋を来場者の投票などで決める「全国やきいもグランプリ」。参加した焼き芋店から自分の好きな焼き芋を購入。食べ比べをして、うまいと思った店に投票する。
ひたちなか市は業者も農協も不参加
各店自慢の焼き芋は、イモの種類や焼き方などで味や食感が異なる。熟成、つぼ焼き、塩味、超密、オリーブ焼き芋など、セールスポイントはさまざまだ。芋の種類も、人気が高い紅はるかやシルクスイート、安納芋など、「ほくほく系」と「しっとり系」があり、熟成期間や焼き方に工夫をこらしている。本県からは、行方市の「なめがたファーマーズヴィレッジ」と東海村の「㈱照沼」がエントリーしていた。
同博は入場時間に制限があり、2時間が限度だ。時間で区切って来場者を入れている。時間前から行列ができ、若い男女がほとんど。私たちのような高齢者は少なかった。私たちは同博から「いもの町」川越市に回ったが、こちらも、平日にもかかわらず、すごい人波に驚いた。若い人の着物姿も多かった。駐車場はどこもいっぱい。店もにぎわっている。私が住んでいる那珂市の近くの神社の祭りでも、これだけの人は出ない。
今回同博に行って気づいたのは、日本一の干し芋産地であるひたちなか市からは、業者も農協も行政も参加していないということだった。
さつまいもや干し芋は、健康食品、自然食品としてブームが続いており、農産物として人気が高い。これだけ人が集まるイベントに関心を持たない最大の干し芋産地。それはどうしてなのだろうか。そんな所に出なくとも、売れているからいいということなのだろうか。もったいないではないか。同行の人たちと車中でそう話しながら帰ってきた。(元瓜連町長)
