月曜日, 4月 6, 2026

東海第2原発の拡散シミュレーション《邑から日本を見る》149

【コラム・先﨑千尋】本コラムの読者は既に報道でご承知の通り、茨城県は11月28日、東海村の日本原子力発電(原電)東海第2原発で炉心が損傷する重大事故が起きた場合、放射性物質が周辺地域にどのように拡散するのかを示すシミュレーション(予測)を公表した(県ホームページ)。それによると、事故対応状況や気象条件を変えた22パターンのうち、原発から30キロ圏内の避難者は最大で約17万人に上る。 東海第2原発は2011年の東日本大震災後、運転を停止しており、運転再開のための防潮堤工事などを進めている。 予測は、県が避難計画策定を進めるために原電に作成を依頼し、昨年12月に提出された後、県の専門委員会で検証され、周辺15市町村の首長でつくっている「東海第二原発安全対策首長会議」で公表が了承されていた。 予測はまず「30キロ周辺まで避難・一時移転の対象となる区域が生じるよう、事故や気象の条件を設定」という前提でなされている。事故時に放射性物質を取り除くフィルター付きベントなど安全対策設備が動作した場合と、設備がすべて喪失した場合を分け、気象条件も、同じ方向に風が長期間吹くなど風向きごとに示した。拡散範囲を30キロと限定したのがミソだ。 避難者数が最大になるのは、風が北東から南西に向けで吹き、降雨が長時間続いた場合、那珂市、ひたちなか市で10万5000人、5キロ圏内からの避難者を加え、約17万人となる。風が西ないし北西方面に吹くと、私が住んでいる那珂市北部も対象になる。 県の大井川知事は28日の記者会見で、予測は「実効性ある避難計画策定の目安になる」と述べ、予測を活用することで計画策定が前進するとの考えを示した。県は、原発の30キロ圏内には約92万人が住んでいるが、そのすべてが一斉に避難するのではなく、風向きや降雨の状態によって避難重点地区を決めたい考えを持っているようだ。 実際には役に立たない絵空事 私がこの予測の発表を見てまず感じたのは、放射性物質の拡散範囲が30キロにとどまらない場合もあるのではないかということだ。風向きもずっと同じ方向ということは実際にはあり得ない。さらに、1日で事故が終息するとは限らない。東京電力福島第1原発事故の際は、50キロ離れている飯舘村の村民は、原発から放射性物質が飯舘村方面に達していることを知らされなかった。また、県内でも霞ケ浦周辺や守谷市、取手市などで放射性物質の数値が高かったことが知られている。 東海第2原発運転差止訴訟原告団が11月30日に発表したコメントによると、「ヨウ素131の放出量は福島事故の1000分の5、セシウム137は100分の4と、防災に役立たない極めて過小な事故想定」だ。 30キロの範囲にとどめていることと合わせると、最悪の事態を想定していない今回のシミュレーションは、実際には役に立たない絵空事ではないか。最悪の事態を想定すれば、それ以下の事故でも余裕をもって対応でき、住民の被曝を回避できる。福島の事例を原電や県は忘れてしまったのだろうか。それとも知らんふりをしているのだろうか。(元瓜連町長)

支援のお礼にトップがエスコート つくばで収蔵庫ツアー 国立科学博物館

国立科学博物館(東京・上野、篠田謙一館長)の筑波研究施設(つくば市天久保)で10日、館長と副館長が直に収蔵庫を案内するバックヤードツアーが行われた。8月から11月にかけ実施されたクラウドファンディングの寄付に対するリターン(返礼品)の一つで、午前と午後の2回、合わせて10組20人が化石標本などのコレクションが収められた自然史標本棟の奥深くに足を踏み入れた。 化石世界最深部まで 同博物館の500万点以上に上る登録標本・資料数のほとんどを保管しているのが、つくば市の収蔵庫。2011年に完成し、科学技術週間などのオープンラボで一部が公開されているが、今回はこれらの機会でも見せたことのない化石世界の最深部に参加者を案内した。古生物学が専門の真鍋真副館長がガイド役を務めたのは、恐竜化石標本を収蔵した収蔵庫。ロッカーの扉を開け、首長流のフタバスズキリュウやトリケラトプスの歯など骨格化石を取り出して見せ、肉食から草食に至る恐竜の進化のスタイルをたどった。ステゴサウルスの前肢、ボリューム感ある上腕骨の化石は触ることもできた。 同博物館は8月7日から11月5日に1億円を目標にクラウドファンディングを実施した。新型コロナの影響で入館料収入が落ち込む一方、光熱費の高騰などを受けて国内最大規模の動植物の標本や化石などのコレクションを収集・保管する資金が危機的な状況にある、として協力を呼びかけた。すると初日にいきなり目標額を達成し、最終的には7万人以上から約9億2000万円を集める異例の展開になった。同館では複数のバックヤードツアー(寄付金5万円)を含む40種類以上のリターンを選定していたが、館長&副館長コースには定員を超す応募があり、今回を含む3日間計6回の開催に拡大して行われることになった。静岡市の会社員、西雅彦さん(32)は小学生のころからの「科博ファン」。夏休みや企画展のたびに上京していたという。クラウドファンディングには初日早々に応募し、つくばには友人と連れ立ってやってきた。横浜市からきた櫻井美涼さん(28)もクラウドファンディング初日の応募組、複数のメニューで応募した。「夫との初めてのデートが科博だった。それまでまったく関心のなかった科学にがぜん興味が湧いて、今日は夫をつくばまで連れてきた形。スペシャルなツアーにとても感激している」と語る。つくば市の収蔵庫は空調など温度・湿度管理を厳格に行っており、光熱費の高騰は特に大きな痛手となっていた。その現状を見てもらえるバックヤードツアーの意義は大きい、と篠田館長は持続的な支援を呼びかけた。今回の支援金のうち、約3.2億円を間接経費(返礼品など)として支出し、約6億円を事業経費として活用していく中で、つくばの収蔵庫の増築も計画していくという。(相澤冬樹)

小学生8チームが熱戦 第1回つくば学園ロータリークラブ小関迪杯

小学4年生を対象とする、つくば学園ロータリークラブ(野澤俊夫会長)主催のミニサッカー大会「第1回つくば学園ロータリークラブ小関迪杯」が10日、つくば市東光台のブロッソンフットサルコートと隣接の東光台グラウンドで開かれ、つくば市と近隣市の少年サッカーチーム8チームが熱戦を繰り広げた。 同ロータリークラブ会員で筑波記念病院を創設した小関迪(こせき・すすむ)さんが昨年12月に逝去。小関さんは地域や同ロータリークラブの発展に貢献したことから、青少年の健全育成と地域の発展を目的に、小関さんの名前を冠したミニサッカー大会を初めて開いた。 8チーム約120人の小学生がトーナメント方式で戦い、決勝は牛久市立中根小学校を拠点に活動するサッカー少年団「中根FC」と、地元つくば市東光台のクラブチーム「ブロッソン」が対戦、試合は0-0の結果に終わったが、PK戦で中根FCが勝利し、初の小関迪杯を手にした。 参加チームはほかに▽つくば市立手代木南小を拠点に活動する「手代木SC」▽同市立前野小の「マエノD2C」▽牛久市の「アルコイリスfc」▽同市立ひたち野うしく小学校の「ひたち野ライズFC」▽龍ケ崎市立龍ケ崎西小の「龍ケ崎ペレグリンJr.FC」▽同市のレプロSCの計8チーム。 野澤会長は「第1回の大会となったが、本当に素晴らしい大会となり、子供たちは皆いい姿を見せてくれた。学園ロータリークラブとして来年以降も継続して開催したい」と語る。 元Jリーガーで、FC東京や湘南ベルマーレなどで活躍し、この日の大会会場となった東光台でフットサルコートを経営するブロッソン社長の阿部吉朗さん(43)が大会競技委員長を務めた。阿部さんは「僕たちが子供のころと比べて小学生のサッカーのレベルがすごく上がっていると感じた。小学生のサッカーチームは、サッカースポーツ少年団とクラブチームに分かれて活動しているが、この大会には少年団とクラブチームの両方が出場した。同じサッカーの仲間として、互いにそれぞれのいいところを知ってもらう機会になったと思う」と意義を話す。

次女のおねだり《続・平熱日記》147

【コラム・斉藤裕之】「じゃあお願いね。よろしく!」。次女は私の絵を何かの贈答品ぐらいに思っている。これまでも、友人へのお礼だとか知り合いに子供がいてだとか…、何枚かの絵をねだられて描いた。冗談で手数料としての値段を言ってみたりするが、全く払う気もないし、「ありがとね」くらいの感じで済まされる。 では、それが私にとって腹立たしいことであるかというと、そうでもない。というのも、日ごろ、自分としてはまず描かないだろうというお題をもらっているようなもので、引き受けたときは少し躊躇(ちゅうちょ)することもあるのだけれども、いざ描き始めると結構楽しかったり、意外な発見があったり、出来上がりを喜んでくれたりするのがいい。そこが自分勝手に好きなものを描いているのと違うところだ。 その次女が、是非とも私を誘って行きたいというバーがあるというのだが、お酒もやめて久しいし、夜は8時に床に就く生活をしている私にとって、下北沢のバーなど海の向こうの国の話ほどにリアリティーを感じない。まあ、行くことはないだろうと思っていた。 ところが、その日はまず長女の家に行って、そうそう、長女の住む高円寺の阿波踊りを見に行った日のことだ。その後、下北沢の次女の家に泊まることにして連れていかれたのが件(くだん)のバーだ。 バー・オーナー夫妻の絵 細い階段を昇っていくと、暗い店内には音楽が流れて数人の客がいた。壁一面にびっしりと並んでいるのはレコード。それこそ、昭和の時代にタイムスリップしたかのような…。私はウーロン茶を注文して、出されたポップコーンをつまんだ。それから、次女はオーナー夫妻に私を紹介した。 それから、「実は2人の絵を描いてほしいの」と耳打ちをして、オーナー夫妻をテーブルに座らせて写真を撮り始めた。聞けば、何十年もこの店をやってきたのだけれども、建物の建て直しに伴って、来年には店をたたむのだそうだ。次女はその思い出を私の絵にして、オーナー夫妻にプレゼントしたいというのだ。 「好きな曲を言ってごらん。すぐにオーナーが棚から引っ張り出して、かけてくれるから。どこにだれの何の曲があるか、オーナーの頭の中には全部あるの…」。次女にそう言われたものの、それほどのマニアでもない私は、おびただしい数のレコードを前にして咄嗟(とっさ)には何も出てこなかった。 しばらくして、次女から画像が届いた。それは件のバーの店内に以前次女に渡した、私の作品展のハガキが飾られている様子が映っていた。「オーナー、飾ってくれてるよ」というメッセージが添えられていた。もう少し後で描こうと思っていたのだけれど、オーナー夫妻の絵を描き始めることにした。今度次女に会うときに渡せるように。多分、私はバーに行くことはないだろうけど。(画家)

人工都市つくばの草創期を記録 齋藤さだむさん写真展

1980年代を中心に建設途上だった筑波研究学園都市の草創期を記録した、つくば市在住の写真家、齋藤さだむさん(74)の写真展「人工都市つくば 草創の風景」が8日から、つくば市千現、ギャラリーネオ/センシュウで開かれている。モノクロ写真やカラーのポストカードなど約80点が展示されている。 平らに造成された土の大地の向こうにぽつんと建つ完成したばかりのつくばセンタービル、造成工事で出た残土が堤防のように長く積み上げられた現在のカピオ駐車場周辺、伐採した樹木をその場で生木のまま燃やし白い煙が立ち込める現在の大清水公園―。筑波研究学園都市建設時の生々しい光景が写る。 完成したばかりの国家公務員宿舎群や、夜は真っ暗になる街中で異様な光を放つパチンコ店のネオンで赤茶色に光る雑木林などの作品もある。 齋藤さんは長野県出身。1977年、筑波大学芸術学系に技官として赴任し、つくばに転居。90年まで同大職員を務めた。大学の仕事の傍ら、国家プロジェクトによってつくられた人工都市の草創期を撮影し記録に収めてきた。 「初めて土浦駅に降り立ち、バスに乗って筑波研究学園都市に入った途端、がーん、がーんという杭を地面に打ち込む大きな音が響いた」と当時を振り返る。 85年に開催されたつくば科学万博のきらびやかな建物や、見物を楽しむ人々の様子、その後、次々に解体されるパビリオンの変遷を記録した写真もある。「何もないところに突然、科学万博の建物ができて、隆盛を極め、人々が楽しんだが、1年も経たないうちに壊された。映画を見ているかのようにわずか1年で変わっていく姿を実体験し、街の運命も人の運命と同じように、生まれて、成長して、新しいものに変わっていくということを衝撃をもって感じ、写真とは何かを考える転機になった」と話す。 写真展は、1979年から2000年までつくばの文化発信拠点だったライブハウス「クリエイティブハウス アクアク」の記録を残したいと、12月から来年2月まで、トークイベントや展示会を開催する有志でつくる「アーカイブ アクアク」(12月8日付)が、同イベントの開催に合わせて企画した。 アーカイブ アクアクのメンバーで同ギャラリーを主宰する山中周子さん(39)は「齋藤さだむさんの作品はただの記録ではなく、そこにある光、そこにあった環境をとらえ、芸術性がある。ずっとつくばにいる人も、新しくつくばに来た人も、いろいろな世代に見てほしい」と来場を呼び掛ける。 齋藤さんは「草創期のころのつくばをテーマに、演劇や音楽のパフォーマンスを展開しようとする若いメンバーたちの考えに賛同して写真展を開いた。46年前に土浦駅に降り立ってからのつくばでの時間の往還を、会場でお会いできる方一人一人と感じたい」と話す。(鈴木宏子) ◆齋藤さだむ写真展「人工都市つくば 草創の風景」は8日(金)~24日(日)の金・土・日曜の午後1~5時まで、つくば市千現1-23-4 マイコーポ二の宮101、ギャラリーネオ/センシュウで開催。入場無料。詳しくは同ギャラリー(メールinfo@neotsukuba.com)へ。

秋夜の熱燗に酔いしれる《医療通訳のつぶやき》3

【コラム・松永悠】去年から日本酒に目覚め、日ごろ、自宅で地酒の飲み比べをして楽しんでいます。今年に入ってから飲むだけでなく、和酒フェスティバルのボランティアスタッフもして、日本酒との関わり方がさらにアクティブになってきています。そしてこの前の週末、日本酒好きな友人らと一緒に、埼玉県小川町にある酒蔵、松岡醸造を見学してきました。 驚きと幸せに満ちる1日でした。もちろん奥の深い世界だと知っていましたが、ここまで面白いとは…。お米の種類の解説から始まって、製造工程と発酵、タンクに振動を加える実験などの技術の話や、酒税と税務局常駐の歴史、世の中で流れている日本酒にまつわる噂話の真偽まで、興味津々の話題がてんこ盛りでした。 普段、違う銘柄の日本酒を飲み比べることが多いのですが、同じ酒蔵のラインナップを片っ端から飲み比べるのはなかなかできないことです。若々しくてフレッシュな新酒にうっとりしたり、芳醇(ほうじゅん)で濃厚な15年ものの古酒に驚いたり…。微発泡のものや濁り酒など、どれを取っても味や香りなどそれぞれ違っていて、様々な表情を見せてくれて、まさに「みんな違って、みんな良い」でした。 私は仕事柄、消化器内科に行く機会が多く、これまで胃カメラ・大腸カメラの立ち会いも数えきれないほど経験しました。もちろんアルコールは健康に良くないという概念は昔から知っています。肝臓がんの患者、胃がんの病巣画像写真もリアルに見ていますので、恐らく一般の人よりお酒による健康被害を実感しています。 「これらの数値、心当たりありますか?」 一方で、私自身はお酒が大好きです。気のおけない友人と熱燗(あつかん)のお酒を飲みながら談笑するのは、まさしく至福の時間であり、人生でなくてはならない楽しみの一つです。父方の祖母は99歳まで生きて、大変お酒の強い人で、毎日のように飲んでいたそうです。祖母に及びませんが、どちらかといえば、多分飲める人に入ると思います。 体というのは、とても素直なものです。お正月のような、短期間でたくさんのお酒を飲む連休の後に血液検査をすると、肝機能数値がぐんと上がります。今年2月に、私が人間ドックを受けた後、看護師から「尋問」を受けました。 「これらの数値、心当たりありますか?」「はい、もちろんです。私は忘年会から始まって、お正月も毎日お酒を飲んでいましたから」「どうすればいいと思いますか?」「しばらく休肝します」。まるで先生に怒られる小学生のようでした。そして4月にもう一度血液検査を受けて、コントロールした効果が見事に現れて、2月の数値の半分以下でした。 ぼちぼち忘年会の予定が入ってくる時期になりましたね。そして来年の2月にはまた人間ドックがあります。同じやりとりになりそうな予感がする今日このごろです。(医療通訳) <参考>医療通訳の相談は松永rencongkuan@icloud.comまで。

樹木の伐採始まる つくば市 旧総合運動公園用地

つくば市土地開発公社が外資系デベロッパー、グッドマンジャパンつくば特定目的会社に売却した同市大穂の約46ヘクタールの森林(旧総合運動公園用地、高エネ研南未利用地)で7日までに樹木の伐採が始まった。 同用地は、住民投票で総合運動公園計画が白紙撤回となった後、住民投票の勢いに乗り、一つの争点に的を絞ったシングルイシューといわれる選挙戦を展開して「(元の持ち主の)URと返還交渉する」ことを最大公約に掲げて初当選した五十嵐立青市長が、2期目当選直後に民間への売却を決めた。グッドマンジャパンが110億円で購入、倉庫やデータセンターの建設が計画されている。 7日午後3時過ぎ、隣接する高エネ研敷地に面する出入口には、重機が出入りするための鉄板が敷かれ、すでに広い面積の樹木が伐採されていた。さらに敷地周囲を囲っていた杭が抜かれ、境界付近の草が刈られていた。 今回の伐採面積や1期工事の内容、工事スケジュール、住民説明会開催の有無などについて事業者のグッドマンジャパンは「現在メディア等の取材対応は行っておりません」などとしている。伐採面積などは不明だが、高エネ研に近い東大通りに接する倉庫区画(7工区E区画、約6.1 ヘクタール)付近で伐採が始まったとみられる。 事業者は現在、つくば市に対し、都市計画法に基づく開発行為の許可申請を出しているとみられるが、8日時点で市はまだ開発許可を出してないとみられる。さらに、市開発許可の手引きでは「開発区域の周辺おおむね100m以内の住民と土地所有者に対し住民説明会を開催する」とあるが、事業者は近隣にちらしを配布し、対面での住民説明会は開かれていない。 伐採や住民説明会などについては8日開かれた同市12月議会一般質問で取り上げられ、飯岡宏之市議の質問に対し、市は「(樹木の地上部分の)伐採は(土地の区画形質の変更ではないため)開発行為に当たらない。(木の根っこを抜き取る)伐根は開発行為の許可を得て実施する」などと答弁した。 住民説明会の開催について市開発指導課は「開発行為にあたって必要な説明会は書面開催の方法で周知し、(住民説明会は)なされたと事業者から報告を受けている」としている。一方、一般質問した飯岡市議は、周辺住民からは住民説明会開催を要望する動きがあるとしている。 事業者が10月に近隣住民に配布した資料によると、全体計画は、東大通り沿いの東側に倉庫3区画、西側にデータセンター4区画を建設する。南側の約4.5ヘクタールには防災多目的利活用広場を建設する予定で、防災拠点の整備は市が掲げた売却目的の一つだが、市と事業者との具体的協議はまだ行われていない。(鈴木宏子)

伝説のライブハウス「アクアク」原点回帰 つくばで3つのイベント

山下洋輔さんジャズコンサートなど かつてつくば市に存在した、多くの著名人が足を運んだライブハウス「クリエイティブハウスAkuAku(アクアク)」。今も、当時を知る市民に語り継がれる「伝説的」な存在だ。アクアクに関連する3つのイベントが、12月から来年2月にかけてつくば市内で開催される。 その第1弾となるのが、15日につくばカピオ(つくば市竹園)で開かれるジャズコンサート「特別な一日」だ。世界的ジャズピアニストの山下洋輔さん、ロックシンガーのカルメン・マキさん、作曲家兼アレンジャーで知られるベーシスト水谷浩章さんが出演する。かつてアクアクを主宰し、「特別な一日」実行委員長の野口修さん(68)と山下さんの40年にわたる親交により実現する。 活動の原点は山下洋輔さん 「オープニングアクトは(山下)洋輔さん。あの日が私たちの原点でした」と、野口さんが当時を振り返る。 1979年、筑波大学のキャンパスに隣り合う現在のつくば市天久保に、1軒のライブハウスが誕生した。カフェとイベントスペースを兼ねそなえた「クリエイティブハウス アクアク」だ。旧桜村(現つくば市)出身の野口さんが、数名の筑波大生たちと立ち上げた。現在の天久保には、学生向けのアパートやマンションが立ち並ぶが、当時は筑波研究学園都市の開発初期。雨が降ると未舗装路はぬかるみ、栗や野菜の畑の中に立ち始めた建物は、まだまばらだった。天久保のアクアクからは「500m先の東大通りが丸見えだった」。 「アクアク」とは、モアイ像で知られるイースター島の言葉で「何かを創造しようとする欲求」を指すという。当時、23歳だった野口さんと学生たちは、まだ文化施設がなかった研究学園都市に文化の拠点をつくろうと考えた。オープニング企画を山下さんのライブに決めた理由を野口さんは「アクアクでは、自立した自由な個人が互いを認め合い、一緒に生きていくことを追求したかった。洋輔さんのステージにはそれがあった」と話す。 「洋輔さんたちは、自立した個人がステージに立ち、互いに認め合うことから始まり、舞台を成立させていく。初めはどんな音を出すのかわからないもの同士、演奏しながら関係性を築いていく。それを見ている私たち観客も、いつしかそこに引き摺り込まれ、演者と関係性を築いてく。会場全体がひとつの『社会』として形作られていく感覚になる」のだと語る。 このオープニングアクト以降、アクアクでは、幕を下ろす2000年までの21年間、山下さんとの企画を毎年続けてきた。さらに詩人・谷川俊太郎、思想家・吉本隆明、映画監督・若松孝二、俳優・大杉漣ら、数々の著名人を招いて詩の朗読会や音楽演奏、演劇、舞踏、映画上映、ワークショップなど多岐にわたる活動を、表現活動への熱にあふれるつくばの若者たちと共に繰り広げていく。 今を見つめ返すコンサートに 野口さんが、もう一つの「原点」と語るのが、劇作家の寺山修司。野口さんが寺山の作品に関心を抱いた70年代は、60年代に隆盛した学生運動が、意見を異にする人に暴力を向け、活動自体を閉塞させていく時代だった。そうした中で、舞台上で問題を提起する前衛的な寺山の作品に触れ、野口さんは強く感銘を受けたという。カフェとステージが同居するアクアクは、寺山が渋谷で主宰した、劇場と喫茶店が同居する「天井桟敷館」をモデルにした。 寺山の劇団「天井桟敷」が輩出したのが、今回、山下さんと共演するカルメン・マキさんだ。山下さんと共に、野口さんにとっての「原点」が同じステージに立つジャズコンサートへの個人的な想いをこう語る。 「コロナ禍で、表現活動が制限される苦しさを経験した。一方で、強者も弱者も区別なくコロナに罹ることで、垣根なく、互いに助け合う社会ができるのではと期待した。どう健康を維持し、どう生き延びていくかをみんなで考え合う機会になるはずだった。しかし、現実は差別が助長され、世界各地で戦争が続いている。混乱し続ける時代だからこそ、私自身、原点を見つめたいという思いがあった」 「人間にとって大切なことは戦争ではない。いかに個人が自立して、自由に生きるのかということ。コロナ禍の時代から、再び表現活動ができる時代になった。多くの方と共に、同じ会場で一緒にコンサートを聞くことで、改めて、人間を見つめる大切さを思い出す機会になれば。今回の企画は、私自身にとっても『原点回帰』だが、こんな時代だからこそ、皆さんにとっても、今を見つめ返す『特別な一日』になるといい」と野口さんが呼びかける。 ジャズコンサート「特別な一日」は、12月15日(金)19時からつくばカピオホールで。全席指定。一般5500円、学生・障害者4500円。詳細、問い合わせはイベントホームページ、または電話090-8580-1288(野口さん)へ。 記録を残したい 第2弾、第3弾のイベントは、野口さんが「原点に返りたい」とコンサートを企画していたところ、アクアクの記録を残したいと考える有志がコンサートに合わせて関連企画を立ち上げ、3つのイベントが実現することになった。 第2弾は、12月16日(土)16時からギャラリーネオ(つくば市千現)で、野口さんとつくば市を拠点に活動する劇団「踊母会」によるアクアクに関するトークイベントが開かれる。第3弾は、1月25日から2月5日にかけて千年一日焙煎所カフェ(つくば市天久保)で、アクアクを振り返る展示会「アクアクの時代 1979-2000」がそれぞれ、野口さんを慕う有志らによるアーカイブアクアク実行委員会により開催される。問い合わせはメール(千年一日珈琲焙煎所)へ。(柴田大輔)

鉾田市の高品質イチゴ農園《日本一の湖のほとりにある街の話》18

【コラム・若田部哲】農業大国・茨城県の中でも屈指の農産物生産地、鉾田市。メロンをはじめ、イチゴやゴボウ、水菜など、様々な農産物の生産量が全国トップクラスを誇っています。そんな中、銀座千疋屋やペニンシュラホテルなど、一流店で愛用される高品質なイチゴを栽培する「村田農園」代表の村田和寿さんに、農園の歴史と栽培にかける思いを伺いました。 村田さんは農園の2代目で、かつては春先にメロン、冬場はイチゴを栽培。それが25年ほど前、イチゴの品種が「女峰」から現在の主流品種「とちおとめ」に移ると、冬場から春にかけてもイチゴが出荷できるようになったため、イチゴ生産に特化することにしたそうです。 主力の品種は現在でも「とちおとめ」。甘味・酸味・香りのバランスの素晴らしさに加え、棚持ちが良く、今もってこれを超えるものは難しいと、村田さんはその品質に太鼓判を押します。 村田さんのイチゴが高級店で愛用されるようになったのは、2008年の洞爺湖サミットの頃。卸先の一つである築地で、ペニンシュラの野島シェフの目にとまったことがきっかけで、一躍パティシエ業界での認知度が高まったそうです。 ただし、村田さんのイチゴが売れるようになったのは、たまたま運が良かったから、ではありません。そこに至るまで、さまざまな栽培上の工夫や販売方法の工夫がなされた上での、必然的なものだったことがお話からわかりました。 丹精した「赤い宝石」 イチゴ生産の最盛期は12月から1月後半、その後春先まで収穫が続きますが、第一に重要なのは「土づくり」。天敵製剤などにより極力農薬を抑えつつ、自家製堆肥を加え攪拌(かくはん)した土壌を1カ月以上発酵させ、良質な土をつくります。 苗にもこだわり、良い系統のものから厳選。さらにハウスごとに状態を細かく観察し、それぞれ微妙に異なる最適な栄養素を見極め、個別に栄養管理をしているそう。見せていただいたハウスのイチゴの苗は、大きく厚く色も鮮やかな葉で、とても生きの良さが感じられました。 村田さんのこだわりは、収穫後も続きます。繊細な果実であるイチゴを、鮮度を落とさず消費者まで届けるため、包装にも並々ならぬ力の入れようです。何タイプかある包装に共通する考え方は、イチゴが箱に触れるのを「点」でなく「面」にし、傷みを抑えるというもの。 最も高品質なイチゴを納める包装の名は、その名も「ゆりかーご」。箱にイチゴ型にくぼんだ薄いフィルムが張られており、そのくぼみに1個ずつ納めるというものです。それはまさに揺り籠のようで、これほど繊細に扱うのかと、驚きを禁じえませんでした。 また、パッケージデザインにも一目で村田農園とわかる、イチゴのみずみずしさとスタイリッシュさを兼ね備えたデザインがなされ、ブランディングにも一切手を抜いていません。こうした積み重ねがあるからこそ愛されているのだと、深く納得です。 そんな、イチゴにひたむきな情熱を注ぐ村田さんに、イチゴ生産の魅力を伺うと「消費者の声が直に聞ける点」とのこと。卸先の「生産者カード」などを通じ、「おいしかった!」と届く声が、何よりの喜びだそうです。この冬も、村田さんが丹精した赤い宝石が、たくさんの家々で笑顔を生み出すことでしょう。(土浦市職員) <注> 本コラムは「周長」日本一の湖、霞ケ浦と筑波山周辺の様々な魅力を伝えるものです。 ➡これまで紹介した場所はこちら

誤って印鑑登録を抹消 成年後見人選任開始の12人分 つくば市

つくば市は7日、成年後見人の選任を開始する「後見開始」審判の通知があった12人の印鑑登録について、誤って抹消してしまったと発表した。 発表によると12人は、今年6月1日から10月20日までの間に、後見開始の審判の通知があった住民。 今月6日に発覚した。同市印鑑条例では、後見開始の審判があっても本来は印鑑登録の発行制限のみを行うべきところ、誤って登録を抹消し、抹消通知を送付していた。 今年5月に印鑑登録事務の担当になった職員が、印鑑登録を抹消する旨の総務省通知を誤って解釈し、抹消してしまったという。 市は12人の印鑑登録を回復し、それぞれお詫び文を送付したとしている。 今後について市は、条例や規則などの再確認と業務手順の見直しにより、再発防止に努めたいとしている。

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